沖縄 琉球王国ウチナー

沖縄
ウチナー (沖縄語/ウチナーグチ)
おきなわ (日本語)

日本国沖縄県

沖縄 琉球王国ウチナー

 沖縄(ウチナー/おきなわ)は、日本列島の南に位置する島嶼群で、沖縄県の面積は0.23万平方キロメートルで、人口は約140万人。県庁所在地の那覇(ナーファ/なは)市の人口は約32万人。

 沖縄は、日本の南西端にある離島で、日本語で沖縄は「おきなわ」と呼ぶが、現地のウチナーグチ(沖縄語)では「ウチナー」と呼ぶ。また、沖縄人のことは「ウチナンチュ」、沖縄人以外の日本人は「ヤマトンチュ」と呼ぶ。

 沖縄人は、内地の日本人と民族的、言語的にも強い関係があるが、民族というのはグラデーションのように地理的に距離によって少しずつ共通点と相違点があるものなので、沖縄は民族的には日本と台湾の中間的な南国的文化を持ち、言語的には大和言葉の古い形を残しつつも、沖縄らしい独自性を持っている。

 沖縄は15世紀の1429年に琉球王国(琉球國/リューチュークク)が成立し、尚巴志(しょう はし)を初代王とし、1879年(明治12年)まで日本とは異なる独立国であった。琉球王国時代には歌集「おもろさうし」に代表される文学、沖縄語による琉歌、琉球舞踊、御座楽(ウザガク)、路次楽(ルジガク)、エイサー(沖縄伝統太鼓踊り)などの独特の文化が形成された。

 首里城(スイグシク/しゅりじょう)は14世紀頃には城が造られ、琉球王国成立後は(琉球王国の建国は1429年)、初代琉球国王の尚巴志王が首里城に王宮を構えた。以降、歴代琉球国王の王城となり、薩摩(さつま)藩や清国からの干渉を受けながらも独立状態を保ってきた。1871年(明治4年)の廃藩置県で琉球国が日本によって廃止され、1872年(明治5年)に尚泰(しょうたい)琉球国王や琉球藩王とされ、1879年(明治12年)の琉球処分で沖縄県が設置され、完全に日本に編入されると、尚泰は首里城を追われ、東京で後に華族(侯爵)とされた。

 琉球王国時代は日本た明・清などとの貿易で栄え、海洋国家として発展した。沖縄の地域区分は、主に沖縄本島と離島に分かれ、沖縄本島は南部、中部、北部に分かれる。南部は島尻(シマジリ/しまじり)と呼ばれ、那覇(ナーファ/なは)、糸満(イクマン/いとまん)、豊見城(トゥミグシク/とみぐすく)、南城(フェーグシク/なんじょう)などの都市がある。中部は中頭(ナカガミ/なかがみ)と呼ばれ、浦添(ウラシイ/うらぞえ)、宜野湾(ジノーン/ぎのわん)、うるま、嘉手納(カディナ/かでな)、北谷(チャタン/ちゃたん)、コザ(沖縄/おきなわ)などの都市がある。北部は国頭(クンジャン/くにがみ)や山原(ヤンバル)と呼ばれ、名護(ナグ/なご)、恩納(ウンナ/おんな)、本部(ムトゥブ/もとぶ)、今帰仁(ナチジン/なきじん)、国頭(クンジャン/くにがみ)、金武(チン/きん)などの町がある。また、離島は久米(クミ/くめ)島、宮古(ナーク/みやこ)島、石垣(イシガチ/いしがき)島、西表(イリウムティ/いりおもて)島、与那国(ドゥナン/ユナグニ/よなぐに)島、大東(ウフアガリ/だいとう)島などがある。また、尖閣(せんかく)諸島は沖縄語でイーグンクバシマと呼ばれ、1895年(明治28年)に正式に日本領に編入された。与那国島は日本の最西端の島であり、天気のよい日は台湾が見える。

 明治以降、沖縄は日本の一部として近代化の道を進み、那覇から嘉手納、糸満、与那原方面への鉄道も戦前に開業した。一方、沖縄は日本の一部になったとはいえ、実際には沖縄語(沖縄口/ウチナーグチ)と標準日本語の差は大きく、まるで外国語のようだった。戦前の沖縄では標準日本語の普及を進める手段として学校で「方言札」が用いられ、ウチナーグチを話した児童に「方言札」をかけさせるなどしたが、それは沖縄語への劣等感を植え付ける言語文化に対する抑圧だった。一方、離島が多い沖縄県内でもさまざまな沖縄語方言があり、標準日本語の普及は県内のコミュニケーションを円滑にし、内地への活躍の場を広げる一面もあった。現在は逆に、ウチナーグチを話せる沖縄人が激減し、沖縄訛りの日本語(ウチナーヤマトグチ)が最も話されている。コミュニケーションの手段以外に、伝統的な沖縄語の文化的価値が近年は見直され、沖縄語の伝承が緊急課題となっている。

 沖縄人の名字はもともと沖縄語(ウチナーグチ)読みであったが、明治以降は日本語読みされることが多くなった。沖縄県に多い名字は、比嘉(フィジャ/ひが)、金城(カナグシク/かねしろ・きんじょう)、大城(ウフグシク/おおしろ)、宮城(ナーグシク/みやぎ)、新垣(アラカチ/あらがき)、玉城(タマグシク/たまき)、上原(ウィーバル/うえはら)、島袋(シマブク/しまぶくろ)などがある。

 沖縄は日米の戦争のなかで1945年(昭和20年)3月から6月にかけて、アメリカ軍が沖縄本島や周辺の島に上陸し、凄惨な地上戦となった。日本兵とアメリカ兵が戦う中で、沖縄の一般市民も多数巻き込まれた。米軍は沖縄本島には中西部から上陸し、北部を占領して南下、特に宜野湾の「嘉数の戦い」、那覇・首里西方の「シュガーローフの戦い」など、中南部で激戦となった。沖縄戦で戦死した日本兵は沖縄出身者も含めて10万人近くに及び、犠牲となった一般市民も9万人以上に及んだ。また、アメリカ軍側も1万人を超える戦死者が出た。敗戦が近づくと米軍による地下壕襲撃で動員されたひめゆり学徒隊など女学生も多数犠牲になったり、一般住民の集団自決という悲劇や、米軍兵による強姦なども起こった。アメリカは沖縄を占領し、日本軍が建設した嘉手納飛行場を接収して米軍嘉手納基地としたほか、宜野湾の土地を接収して米軍普天間基地を建設し、これらをアメリカの東アジア戦略の拠点とした。

 日本は戦後、アメリカ主導の連合国軍(GHQ)に占領され、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ平和条約により独立を回復したが、沖縄は米軍による占領が続いた。琉球列島米国軍政府(United States Military Government of the Ryukyu Islands)が1945年4月から1950年まで沖縄を含む奄美大島(あまみ おおしま)以南を管理した。その下の行政機構として奄美の臨時北部南西諸島政庁、沖縄民政府、宮古民政府、八重山民政府などが置かれた。1950年には琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands、USCAR/ユースカー)に改編され、その下に奄美群島、沖縄群島、宮古群島、八重山群島の4つの群島政府が置かれ、一定の自治が始められたが、米側の意向に沿わない日本復帰を主張する知事や議員が選出されたことから、1952年に群島政府が廃止され、琉球政府(Government of the Ryukyu Islands)に改選され、行政主席は直接選挙ではなく米側が沖縄人を指名するという形に変更された(議会の立法院は民選)。また、琉球政府設立の前に奄美のトカラ列島が日本に返還され、翌1953年には奄美群島も日本に返還された。

 1960年代にはベトナム戦争で沖縄の駐留米軍が出動するようになり、アメリカにとっても沖縄の重要性が増したが、沖縄人の間では反米感情が高まり、日本復帰を求める勢力が強くなり、1970年には米軍兵士の交通事故をきっかけにコザ暴動が起こったりもした。佐藤栄作(さとう えいさく)総理大臣の時代の1969年(昭和44年)の日米首脳会談で、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領が沖縄を日本に返還することを約束し、1972年(昭和47年)に日本に復帰し、再び沖縄県となった。しかし米軍基地はそのまま維持され、沖縄本島の約19%が基地で、日本における米軍基地の約74%が沖縄に集中するなど、沖縄が抱える負担は大きく、その規模縮小や土地返還が安全保障の問題もからむことから代替案が複雑化し、日米沖間の大きな課題となっている。アメリカ統治を経て、沖縄では沖縄独立運動もあったが、アメリカ統治時代も標準日本語の普及が続けられ、沖縄人の多くが日本復帰を支持したことから、日本からの分離よりは、独自性ある文化を守ろうという沖縄文化復興活動が現在わりと幅広く受け入れられているようだ。

 沖縄はアメリカ統治の影響で右側通行であったが、1978年(昭和53年)に日本本土と同じ左側通行に変更された。戦後は鉄道が廃止され、バス・自動車社会となっていたが、2003年(平成15年)に那覇市の那覇空港(なはくうこう)~首里(しゅり)を結ぶモノレールである「ゆいレール」が開業し、那覇観光が便利になった。

 沖縄は島なので海運が盛んで、那覇ふ頭からは奄美群島や鹿児島、那覇泊ふ頭からは座間味(ざまみ)島、渡嘉敷(とかしき)島、粟国(あぐに)島、久米(くめ)島方面を結ぶフェリー航路がある。

 沖縄の空の玄関口は那覇空港で、沖縄県内の離島の宮古、石垣、与那国、北大東、南大東、粟国、久米島を結ぶ路線があるほか、県外は東京羽田、大阪関西、名古屋中部、福岡など大都市を結ぶ路線の便数が多く、そのほかにも日本の主要都市の各空港を結んでいる。また、国際線は台湾の台北、中国の上海、香港、韓国のソウルを結ぶ定期便がある。

 沖縄の冬は本州よりかなり暖かく、1月で約14℃~19℃である。夏は本州とあまり変わらないが、台風が直撃することが多い。2002年(平成14年)にリニューアルした本部町の「美ら海水族館」(ちゅらうみ すいぞくかん)は、ジンベイザメが泳ぐ巨大な水槽があり、イルカショーも人気で、毎日多くの観光客が訪れる。

 沖縄のグルメは、沖縄の食材を用いて独自に発展した沖縄料理があり、ソーキスバ(豚スペアリブ沖縄そば)、ラフテー(豚肉の角煮)、テビチ(豚足)、ミミガー(豚の耳皮)、ゴーヤーチャンプルー(にがうりと豆腐と卵の炒め物)、サーターアンダギー(沖縄ドーナッツ)、米国の影響を受けたタコライスなどがある。また、果物はマンゴー、パイナップル、バナナなどが有名で、近年はスターフルーツやドラゴンフルーツも栽培されている。また、沖縄といえば「シークワサー」と呼ばれるヒラミレモンが有名で、さまざまなシークワサーの加工品がある。お土産では「紅イモタルト」の人気が高い。また、不思議な食感の「海ぶどう」も食堂で食べられる。お酒は泡盛(アワムイ/あわもり)という焼酎があり、アルコール度数は高い。蛇のハブのエキスが染み出したハブ酒も沖縄ならではだ。お茶はジャスミンの「さんぴん茶」、ウコンの「うっちん茶」、グアバの葉を用いた「グアバ茶」などがある。ビールは「オリオンビール」という沖縄産のビールブランドがある。

 沖縄の主な観光地は、お土産屋と飲食店が並ぶ「国際通り」(那覇)、平和通りと市場本通り商店街(那覇)、第一牧志公設市場(那覇)、焼物の「やちむん通り」(那覇)、琉球王国の歴史を感じる「首里城」(那覇)、アウトレットあしびなー(豊見城)、ひめゆりの塔(糸満)、平和祈念公園(糸満)、おきなわワールドと玉泉洞(南城)、琉球王国の最高聖地とされた斎場御嶽・セーファウタキ(南城)、海中道路(うるま)、アメリカ文化が楽しめる「コザ」エリア(沖縄)、亜熱帯の植物が美しい東南植物楽園(沖縄)、美浜アメリカンビレッジ(北谷)、嘉手納基地が見える道の駅かでな(嘉手納)、琉球文化が感じられる「琉球村」(読谷)、海岸地形が美しい「万座毛」(恩納)、グラスボートが体験できるブセナ海中公園と沖縄サミットが開かれたブセナ万国津梁館(名護)、21世紀の森公園とサンセットビーチ(名護)、「ナゴパイナップルパーク」と「OKINAWAフルーツランド」(名護)、美ら海水族館と海洋博公園(本部)などがある。そのほか、離島もたくさん魅力があり、リピーターの観光客が絶えない魅力を沖縄は持っている。

ひとこと沖縄語(ウチナーグチ)
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悪くないものを悪いと言わせようとする恣意がある。
その恣意が政治問題を何十年も膠着させている。
普天間基地の環境がどうしても我が国民に許しがたいものであるならば、政府は福島の第一原発のように「長期帰還困難区域」に指定すればよい。
この国の政治には、恣意の人でなく、意思の人が必要である。
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