北海道・夕張 夕張炭鉱と夕張メロン

夕張
ゆうばり (日本語)
ユー パロ (アイヌ語)

日本国北海道空知地方夕張市

北海道・夕張 夕張炭鉱と夕張メロン

 夕張(ゆうばり)市は、北海道(ほっかいどう)中部の空知(そらち)地方にある人口約0.9万人の市。西が夕張郡の栗山(くりやま)町、北が岩見沢(いわみざわ)市、三笠(みかさ)市、芦別(あしべつ)市、東が空知郡の南富良野(みなみふらの)町、勇払(ゆうふつ)郡の占冠(しむかっぷ)村、南が勇払郡むかわ町、夕張郡由仁(ゆに)町と接している。

 夕張の地名の由来はアイヌ語の「ユー パロ」(鉱泉の湧き出る所)であり、石狩炭田で栄えた都市であったが、炭鉱の閉山の流れの中で衰退し、昭和35年(1960年)に人口11.7万人だったのが、平成25年(2013年)には人口が1万人を割ってピーク時の10分の1以下となり、形式的には「市」であるが、実質的には「村」に近い状態となっている。この人口減少により夕張市の財政は極度に悪化しており、市政の財政再建が模索されている。

 夕張は、北から赤平(あかびら)市、芦別市、歌志内(うたしない)市、上砂川(かみすながわ)町、奈井江(ないえ)町、美唄(びばい)市、三笠市、岩見沢市、栗沢町、夕張市へと連なる「石狩炭田」の南端に位置する夕張炭鉱の開発が進められた鉱山の町として発展した。

 夕張に石炭の鉱脈が発見されたのは明治7年(1874年)のことで、北海道開拓使に雇われて来日していたアメリカ人の地質学者であるベンジャミン・スミス・ライマン(Benjamin Smith Lyman)が調査で鉱脈の存在を推定した。その後、シホロカベツ川上流で石炭の大露頭が発見され、北海道炭礦鉄道会社(北炭)が夕張採炭所を開設し、1890年代に炭鉱開発が進められ、その石炭の輸送のために、室蘭本線の追分(おいわけ)駅から夕張駅まで北海道炭礦鉄道の路線が建設され、明治25年(1892年)に開業した。

 北海道炭礦鉄道は、明治39年(1906年)に国有化され、追分~紅葉山(現・新夕張)~夕張は国鉄夕張線となった。国鉄夕張線は、紅葉山(もみじやま)から根室本線の新得(しんとく)と、追分から千歳線の千歳空港(現・南千歳)までの路線を建設することで、札幌(さっぽろ)~帯広(おびひろ)、釧路(くしろ)方面への最短ルートを建設し、千歳空港~追分~紅葉山~新得の石勝線が昭和56年(1981年)に開業した。同時に紅葉山駅が新夕張駅に改称され、夕張線の新夕張~夕張は石勝線夕張支線となった。

 夕張市内には、平成29年(2017年)の時点で、JR北海道・石勝線(本線)の滝ノ上(たきのうえ)駅と新夕張駅、石勝線夕張支線の新夕張、沼ノ沢(ぬまのさわ)、南清水沢(みなみしみずさわ)、清水沢(しみずさわ)、鹿ノ谷(しかのたに)、夕張の各駅がある。しかしながら、夕張支線については、利用者の減少により、平成31年(2019年)に廃止が予定されている。

 夕張は北海道炭礦鉄道の開業以来、石炭の町として活況を呈し、北炭にる夕張炭鉱のほか、真谷地炭鉱(沼ノ沢駅の東約4キロ)、夕張新炭鉱(南清水沢の東約1キロ)、平和炭鉱(清水沢~鹿ノ谷の間)、三菱鉱業による大夕張炭鉱(清水沢の北東約10~15キロ)、南大夕張炭鉱(清水沢の東約10キロ、シューパロダム付近)などが開発された。

 夕張には、石炭輸送のため、大正15年(1926年)に新夕張(後の夕張本町)から国鉄室蘭本線の栗山駅まで夕張鉄道線も敷かれ、さらに昭和6年(1931年)に栗山~野幌が延伸され、国鉄函館本線ともつながった。夕張鉄道は主に新夕張炭鉱や平和炭鉱の石炭を輸送したが、昭和47年(1972年)に新夕張炭鉱が閉山、昭和50年(1975年)に平和炭鉱も閉山となり、夕張鉄道は廃止された。

 石勝線の新夕張駅は、かつては紅葉山(もみじやま)駅と呼ばれ、ここから東に楓(かえで)を経由して三井登川炭鉱があった登川(のぼりかわ)駅までの貨物線が伸びていた。三井登川炭鉱は大正8年(1919年)に北炭が買収し、操業が行われていたが昭和28年(1953年)に北炭登川炭鉱が廃止された。それからも登川支線は残されていたが、昭和56年(1981年)に石勝線の紅葉山~新得が開業した際に廃止された。紅葉山駅は石勝線全通時に新夕張駅に改称され、現在は石勝線夕張支線の連絡駅として特急「スーパーとかち」や一部の「スーパーおおぞら」が停車する。夕張支線が廃止後は、夕張市の玄関駅となり、ここからバスで夕張市の中心部に向かうことになる。

 新夕張駅から夕張支線を北上していくとまず沼ノ沢駅に着く。沼ノ沢駅はかつて、北炭真谷地炭鉱専用鉄道が分岐しており、北炭の選炭施設もあった。昭和62年(1987年)に真谷地炭鉱の専用線が廃止され、その後は1面1線のローカル駅となった。駅周辺は現在、石炭に代わる夕張の産業として高品質のメロン栽培が盛んになり、「夕張メロン」の栽培が行われている。

 その北の清水沢駅は、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線が分岐していて、大夕張炭鉱、南大夕張炭鉱への専用線が伸びていた。三菱大夕張鉄道線は昭和62年(1987年)に廃止された。その後は、沼ノ沢駅と同様に1面1線のローカル駅化された。

 鹿ノ谷駅は、かつて夕張鉄道線との接続駅で、構内は非常に広かった。平和炭鉱や熊野沢選炭場への専用線があったが、平和炭鉱の閉山により夕張鉄道も廃止され、鹿ノ谷駅はローカル駅となった。駅の南西には、「夕張鹿鳴館」があり、石炭全盛期には接待の施設として用いられた。閉山後は歴史的建築物として保存されてきたが、夕張市の財政悪化による紆余曲折を経て、平成23年(2011年)より「オーベルジュタ山荘」として再出発した。

 終点の夕張駅は、平成2年(1990年)に短縮されてこの場所に移転開設された。駅前にはホテル「マウントレースイ」があり、その東側に「マウントレースイ」スキー場がある。

 また、以前の昭和60年(1985年)~平成2年(1990年)の夕張駅は約1キロ北の夕張市の中心部に近い夕張本町にあった。ここは夕張鉄道の夕張本町駅の跡地を利用したもので、周辺には夕張市役所がある。市街地に近かったが、夕張市自体の人口が激減する中、リゾート施設「マウントレースイ」との便を図るために現在地に再移転したのだった。

 初代の昭和60年(1985年)以前の夕張駅は、より炭鉱に近い、さらに北東約1キロのところにあり、北炭夕張炭鉱の選炭場や積み込み施設も併設されていた。この周辺は現在、夕張炭鉱の歴史を伝える「石炭の博物館」となっている。

 石勝線夕張支線の廃止が迫る中、これら炭鉱の町も過去のものになりつつある。人口が10分の1以下に減少して、鉄道路線の維持が困難であることは理解できるが、廃止され、炭鉱の近代化の記憶が薄れていくのは残念だ。石炭輸送を支えた夕張支線や炭鉱専用鉄道の遺構をできるだけ保存して、次の世代に先人の苦労が伝わるまちづくりを期待したい。

夕張エリアの主な駅

新夕張 / しんゆうばり 駅
JR北海道 石勝線、石勝線夕張支線

夕張 / ゆうばり 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

鹿ノ谷 / しかのたに 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

清水沢 / しみずさわ 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

沼ノ沢 / ぬまのさわ 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

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廃止が決まったJR石勝線夕張支線・夕張駅

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夕張駅の駅舎

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石勝線の本線と夕張支線が分かれる新夕張駅

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千歳-夕張を結ぶディーゼルカー

(写真提供:紙覆面わか)

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