中国 黒竜江・綏芬河 東清鉄道で発展したロシアと国境を接する町

绥芬河
スエイフェンホー/Suífēnhé (中国語/北京語)
スイフェンヘ/Суйфэньхэ (ロシア語)
スプナ/수분하 (朝鮮語)

中华人民共和国黑龙江省绥芬河市
中華人民共和国黒竜江省綏芬河市

中国 黒竜江・綏芬河 東清鉄道で発展したロシアと国境を接する町

 綏芬河(绥芬河/スエイフェンホー)市は、旧満洲の中国黒竜江(黑龙江/ヘイロンチャン)省南東部の牡丹江(ムウタンチャン)地級市にある人口約6万人の町。ロシア連邦と国境を接しており、ロシア語では「Суйфэньхэ」(スイフェンヘ)と表記される。また、満洲族や朝鮮族も住み、朝鮮語読みでは「수분하」(スプナ)と呼ばれている。

 綏芬河の「綏芬」(绥芬/スエイフェン)は、満洲語で「錐」を意味する。綏芬河(绥芬河/スエイフェンホー)は吉林省東部から黒龍江省の綏芬河市の南の東寧(东宁/トンニン)県を東へロシア連邦領内へと流れる川で、ロシア連邦内ではラズドーリナヤ(Раздольная)川と呼ばれている。

 綏芬河市のあたりは、古くは高句麗や渤海国に属し、満洲族の祖先が住んでいた。清国時代の1860年に、清国とロシア帝国が結んだ「北京条約」により、外満洲にあたるウスリー(Уссури)川より東がロシアに割譲された。これによって綏芬河はロシアと国境を接する町となった。

 1897年よりロシアによって「東清鉄道」(Китайско-Восточная железная дорога、КВЖД)の建設が始まり、1903年に開通し、鉄道付属地はロシア当局が管理した。中華民国建国後、東清鉄道は中東鉄道と呼ばれるようになり、1921年にロシアが統治していた中東鉄道の付属地の行政権を中華民国に引き渡し、同付属地は中華民国東省特別区となった。1922年にソビエト連邦が成立すると、「東清鉄道」自体はソ連が引き続き経営したが、1932年(大同元年)に満洲国が建国されると、翌1933年(大同2年)に中東鉄道は「北満鉄道」に改名され、1935年(康徳2年)にソ連が北満鉄道を満洲国に売却し、鉄道付属地も満洲国の行政区と一体化したところが多かった。1945年(康徳12年)に満洲国が崩壊後は、一時ソ連に接収されたが、そのあとすべて中国に引き渡された。

 綏芬河市は1992年に第1次辺境開放都市に指定され、ロシアとの交易が盛んになった。1999年には、東に隣接するロシアのポグラニーチニ(Пограничный)とともに貿易区が設置され、両市の往来が活発になった。このため、綏芬河の市街地にはロシア製の商品がたくさん販売され、街の看板もロシア語が併記されたものが多い。但し、綏芬河市の市街地とポグラニーチニの市街地は隣接しているわけではないので、歩いて国境を渡ることはできず、綏芬河駅とポグラニーチニのグロヂェコヴォ(Гродеково)駅を結ぶ 国際列車や国際バスでの連絡となるようだ。

 ところで、かつての東清鉄道時代の線路の幅はロシアの規格である広軌(1520mm)であったが、満洲国時代に朝鮮や中国と同じ標準軌(1435mm)に改軌したため、線路はつながっていても黒竜江省の省都であるハルビン(哈尔滨)方面からロシアのウラジオストク(Владивосток)やハバロフスク(Хабаровск)へ向かう国際列車は台車を交換しなければならず、国境となる駅で長時間停車する必要があった。そのため、飛行機が普及するにつれ利用者が減少し、ハルビンからウラジオストク方面へ直通する国際列車は2012年に中断されたとの情報もあるが、国際列車は旅の魅力でもあるので、何とか走り続けてほしい。

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中国語とロシア語が併記されている綏芬河駅

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