米領北マリアナ諸島・サイパン 戦跡とマリンリゾート、北マリアナ諸島最大のサイパン島

Saipan(チャモロ語、カロリン語、英語)
サイパン

Sankattan Siha Na Islas Mariånas
Commonwealth of the Northern Mariana Islands
アメリカ合衆国北マリアナ諸島自治連邦区

米領北マリアナ諸島・サイパン 戦跡とマリンリゾート、北マリアナ諸島最大のサイパン島

 サイパン(Saipan)島は、日本の小笠原諸島の南、太平洋ミクロネシアにある、アメリカ合衆国(米国)の自治領(コモンウェルス/Commonwealth)である北マリアナ諸島自治連邦区(Commonwealth of the Northern Mariana Islands)の最大の島。日本統治時代はカタカナで「サイパン」と表記されたほか、「彩帆」という漢字表記も用いられた。

 サイパン島の面積は約122平方キロメートル。人口は約5.8万人。南西にテニアン(Tinian)島があり、南南西約120キロのところにロタ(Rota)島がある。さらにその南に米国領のグアム(Guåhån / Guam)があり、共にチャモロ人が主に住むマリアナ諸島のチャモロ文化圏を形成している。

 サイパン島は主にチャモロ人と、カロリン諸島から移住したカロリン人が住み、そのほか中国系、フィリピン系、韓国系の住民も多い。1920年(大正9年)~1944年(昭和19年)の日本統治時代を経て、日本とのつながりも深く、日本人観光客も多い。

 日本統治時代は南洋庁サイパン支庁が置かれ、南洋興発株式会社によって開発が進められ、製糖産業が大いに発展した。特にサイパンには沖縄や日本各地からの移住者が多くなり、全盛期は日本人が約3万人居住し、先住民のチャモロ人とカロリン人(カナカ人)を上回るほどだった。

 1941年(昭和16年)より日米が開戦し、米国の反攻で徐々に日本の戦況が悪化すると、1944年(昭和19年)6月より米軍がサイパン島に上陸し、7月に米軍がサイパン島を占領した。この際にはサイパン島の民間人を多く巻き込み、大きな死傷者が出て、追い詰められた日本人がサイパン島北部の崖から身を投じて1万人近くが自決したと言われている。サイパンの戦いでは軍民約6万人以上の犠牲者が出た。サイパンを占領した米軍は、サイパンを日本本土空襲の基地とし、戦後は米国が引き続き統治を行い、サイパンは米国自治領(コモンウェルス)の北マリアナ諸島政府の行政の中心となっている。

 戦後のサイパンは、かつては繊維業が盛んであったが、近年は主に日本からの観光業が盛んで、特にゴルフやマリンスポーツなど南国らしい魅力が、日本人観光客を引きつけている。また、島には日本統治時代の遺跡も多く残っており、元島民や戦没者関係者などが慰霊に訪れ、今も日本との交流が深い。

 サイパン島南部にあるサイパン国際空港(Saipan International Airport)は、東京成田、ソウル、北京、上海などへの国際線のほか、テニアン、ロタ、グアム方面への国内線も運航されている。ここはもともと南洋興発のサトウキビ畑であったアスリート(As Lito)農場に、海軍の飛行場が建設されたもので、1941年の日米開戦後に本格的に使用されるようになった。1944年に米軍に占領されると、拡張され、イズリー(Isely)飛行場と改名され、日本本土空襲のB-29戦闘機が発着する基地として使用された。戦後は、米軍が西側に建設したコブラー(Kobler)飛行場が使用されていたが、大型旅客機の発着に対応するため、イズリー飛行場を改修し、1975年にサイパン国際空港となった。空港のすぐ近くには旧日本軍の弾薬庫跡が残されている。

 北マリアナ諸島政府庁舎は日本時代に「鈴部」とも表記されたススペにある。ススペはサイパン島の南西部にあり、港町として発展した。山側にはススペ湖(Lake Susupe)がある。政府機関が集まるシビックセンター(Civic Center)や海側にはサイパンワールドリゾート(Saipan World Resort)、カノアリゾート・サイパン(Kanoa Resort Saipan)などのリゾートホテル、ジョーテン・ショッピングセンター(Joeten Shopping Center)などがある。海岸はリゾートビーチが広がっている。米軍が上陸したランディング・ビーチ(Landing Beach)はススペにある。

 ススペの南には日本時代にチャランカ町や茶覧と呼ばれたチャラン・カノア(Chalan Kanoa)という町がある。かつて南洋興発の本社とサイパン製糖工場があり、南興神社も建立され、日本人も多く居住していたが、戦争で破壊され、南興神社の跡地には鳥居が残るが、周囲はマウント・カーメル教会(Mount Carmel Church)の墓地となっている。

 中西部にあるガラパン(Garapan/柄帆)は、日本時代に特に日本人が多かったところでサイパン支庁の行政・経済の中心地であったが、米軍との戦いで市街地は壊滅した。戦後は荒廃していたが1970年代から再開発されるようになった。高級ブランドショッピングが楽しめる「Tギャラリア・サイパン」やハイアット・リージェンシー・サイパン(Hyatt Regency Saipan)、フィエスタリゾート&スパ・サイパン(Fiesta Resort & Spa Saipan)、グランヴィリオ・リゾート・サイパン(Grandvrio Resort Saipan)などのリゾートホテルが集まり、繁華街も発展している。

 南洋興発を起業した福島県出身の松江春次(まつえ はるじ)は、「砂糖王」(Sugar King)と呼ばれるようになり、ガラパンの砂糖王公園(Sugar King Park)には戦火をくぐりぬけた松江春次の銅像が現在も立ち、当時の製糖鉄道の蒸気機関車が静態保存されている。ガラパンにはサイパン占領時の戦艦「香取」から命名した彩帆香取神社があったが、戦争で焼失した。その敷地が砂糖王公園となっているが、1985年(昭和60年)に彩帆香取神社が再建され、日本とのつながりの場となっている。このほか、日本時代の南洋庁立サイパン医院跡にはサイパンの歴史を伝える「北マリアナ博物館」(Northern Mariana Islands Museum)がある。ガラパンの北部にはアメリカ記念公園(American Memorial Park)があり、米軍犠牲者およびサイパン島民犠牲者の慰霊碑や戦場となったサイパンの歴史を伝える展示がある。沖合いにはマニャガハ(Managaha)島がある。

 北部は、サン ロケ(San Roque)という町にはアクア・リゾートクラブ・サイパン(Aqua Resort Club Saipan)やマリアナ・リゾート&スパ(Mariana Resort & Spa)などのリゾートホテルがあり、海沿いはビーチが広がっている。島の最北部のマッピ(Marpi/松尾)岬のプンタン サバネタ(Puntan Sabaneta)の断崖は、戦時中に米軍に追い詰められた日本人が崖から飛び降りて自決したことから「バンザイクリフ」(Banzai Cliff)とも呼ばれり、「サイパン平和観音」や慰霊碑、供養塔が建立されている。また、マッピ山のラデラン バナデロ(Laderan Banadero)も戦時中に米軍に追い詰められた民間人が崖から自殺したことから「スーサイドクリフ」(Suicide Cliff)とも呼ばれていて、平和祈念公園として観音像や慰霊碑がある。

 サイパン最高峰はタポチョ山(Mt.Tapoochau)で標高473m。日本時代は南洋興発によってコーヒーが栽培されていた。サイパン戦では激しい戦場となった。最近ではアリアナスコーヒー(Marianas Coffee)として再びサイパン産ブランドのコーヒーの栽培が行われるようになった。

 このほか、サイパン先住民のチャモロ文化やカロリン文化もサイパンの魅力であり、レモン風味の効いた「ケラグエン」(Kelaguen)やフィナデニ(Finadene)ソースを使ったチャモロ料理や、ボージョボー(Bo Jo Bo)人形などの民俗工芸品、民族音楽と舞踊など、南洋ならではの民族文化も楽しい。


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