北海道 札幌・白石 2つの白石駅とアサヒビール北海道工場

札幌・白石
さっぽろ・しろいし

日本国北海道石狩地方札幌市白石区

北海道 札幌・白石 2つの白石駅とアサヒビール北海道工場

 白石(しろいし)は、北海道(ほっかいどう)の札幌(さっぽろ)市東部にあるエリアで、白石区の人口は約21万人。北西が東(ひがし)区、南西が豊平(とよひら)区、東が厚別(あつべつ)区と接している。

 白石区にはJR北海道の函館本線と千歳線、札幌市営地下鉄・東西線が通り、区内にはJR函館本線の白石駅、JR千歳線の白石駅と平和(へいわ)駅、札幌地下鉄東西線の菊水(きくすい)、東札幌(ひがしさっぽろ)、白石、南郷7丁目(なんごう ななちょうめ)、南郷13丁目(なんごう じゅうさんちょうめ)、南郷18丁目(なんごう じゅうはっちょうめ)の各駅がある。

 白石は、月寒(つきさむ)川が流れ、古くはこの一帯は望月寒(もつきさっぷ)と呼ばれていた。明治4年(1871年)に仙台藩白石城主の片倉氏の家臣らによって開拓が始まり、故郷の「白石」をとって白石村となった。白石村は昭和25年(1950年)に札幌市に編入された。

 JR白石駅は、明治15年(1882年)に小樽(おたる)~札幌(さっぽろ)~岩見沢(いわみざわ)を結ぶ官営幌内鉄道の駅として開設された。同線が明治22年(1889年)に北海道炭礦鉄道となり、明治39年(1906年)に国有化され、国鉄函館本線の駅となった。白石駅は旧・白石村の中心駅として街が発展していった。

 大正7年(1918年)には定山渓(じょうざんけい)方面への定山渓鉄道が白石駅を起点に開業したが、定山渓鉄道は後に東札幌(ひがしさっぽろ)駅から旧千歳線経由で札幌駅まで乗り入れるようになり、白石~東札幌は昭和20年(1945年)に廃止された。

 国鉄千歳線は、かつては函館本線の苗穂(なえぼ)駅から東札幌、月寒(つきさっぷ)、大谷地(おおやち)を経由して上野幌(かみのっぽろ)方面へ抜けていたが、昭和48年(1973年)に函館本線の白石駅から分岐して、新札幌(しんさっぽろ)を経由して上野幌に抜けるルートに変更され、苗穂~上野幌の旧線が廃止された。

 これにより、白石駅は函館本線と千歳線が分岐する駅となり、2面4線のホームと中間に通過線が1本ある構造となっている。特急列車は通過するが、函館本線の区間快速「いしかりライナー」が停車するほか、千歳線の快速「エアポート」も一部時間に停車する。千歳線から来た電車はすべて札幌駅方面へ直通しており、白石~札幌の運転本数は多く、札幌駅まで複々線となっている。白石駅の東には札幌貨物ターミナル駅が広がり、千歳線には昭和61年(1986年)に平和駅が開設された。

 札幌地下鉄東西線の白石駅は、JR白石駅から約1.5キロ南西に離れており、駅名は同じだが実際には違う駅で、昭和51年(1976年)に開業した。地下鉄の白石駅は地下鉄東西線が走る南郷通と環状通の交差点にあり、駅前には白石区役所がある。駅ビルを囲むように白石バスターミナルがあり、地下鉄からバスへの乗り換えが便利である。

 国鉄の旧千歳線は南郷通の約200m南を通っていた。いま、その跡地は「白石こころーど」と呼ばれるサイクリングロードに活用されている。南郷通4丁目南にある「アサヒビール」北海道工場の南側に、かつての旧千歳線・月寒(つきさっぷ)駅があった。昭和48年(1973年)に千歳線が新線に移った後も、アサヒビールの貨物列車が運行されていたが、昭和51年(1976年)に貨物輸送も廃止された。月寒駅跡は、アサヒビール北海道工場物流センターとなっている。アサヒビール北海道工場の東には、地下鉄東西線の南郷7丁目駅がある。

札幌・白石エリアの主な駅

白石 / しろいし 駅
JR北海道 函館本線、千歳線

白石 / しろいし 駅
札幌市営地下鉄 東西線

南郷7丁目 / なんごうななちょうめ 駅
札幌市営地下鉄 東西線

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JR白石駅

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JR白石駅

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JR白石駅

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地下鉄東西線・白石駅と白石バスターミナル

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アサヒビール北海道工場

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北海道・白老 アイヌ文化を伝承するポロトコタン

白老
しらおい (日本語)
シラウオイ (アイヌ語)

日本国北海道胆振地方白老郡白老町

北海道・白老 アイヌ文化を伝承するポロトコタン

 白老(しらおい)町は、北海道(ほっかいどう)の胆振(いぶり)地方、白老郡にある人口約2万人の町。東が苫小牧(とまこまい)市、北が千歳(ちとせ)市と伊達(だて)市大滝区、西が有珠(うす)郡の壮瞥(そうべつ)町、登別(のぼりべつ)市と接しており、南には太平洋が広がっている。

 白老の地名は、アイヌ語の「シラウオイ」(アブの多いところ)が由来となっており、アイヌ民族との共生とアイヌ文化の振興を町づくりに積極的に取り入れている。

 白老町の北東、苫小牧市、千歳市との境に樽前山(たるまえさん、標高1041m)が聳え、その向こうの千歳市側のカルデラには支笏湖(しこつこ)が広がっている。

 白老町の西、登別市との境に近いところにもカルデラ湖である倶多楽湖(くったらこ)があり、登別市側から観光道路がつながっており、美しい湖面を眺めることができる。このほか、壮瞥町との境にはオロフレ山(1231m)、伊達市との境にホロホロ山(1322m)が聳える。

 白老町には、JR北海道・室蘭本線が通り、虎杖浜(こじょうはま)、竹浦(たけうら)、北吉原(きたよしはら)、萩野(はぎの)、白老(しらおい)、社台(しゃだい)の各駅があり、白老駅は特急「すずらん」が停車する白老町の玄関駅となっている。

 内陸側には道央自動車道が通り、町内に白老IC(インターチェンジ)と萩野PA(パーキングエリア)がある。

 白老駅の北西、白老ICの近くには「白老仙台藩元陣屋」の史跡がある。ここは、江戸時代の1854年(嘉永7年)に「日米和親条約」を結んで開国し、その後、ロシアとも和親条約を結んだ。しかし、ロシアの南下を警戒した江戸幕府が、蝦夷地(北海道)の警備のために松前藩や東北の各藩に命じて各地に陣屋を設けて警備にあたった。白老の陣屋は仙台(せんだい)藩が担当し、1856年(安政3年)に築かれた。堀や土塁の「曲輪」(くるわ)、司令部に当たる「本陣」、勘定所、穀蔵、稽古場、長屋などが設けられた。戊辰戦争と明治維新により、旧幕府の仙台藩士は仙台に引き揚げたため、実際に使われたのは約12年間であった。この歴史を伝えるため、昭和59年(1984年)に「仙台藩白老元陣屋資料館」が開館した。

 白老駅の北側にあるポロト湖の湖畔にはアイヌ民族の文化を伝える「ポロトコタン」(大きい湖の集落)が整備されている。ここにはアイヌの伝統家屋「チセ」や食糧庫「プ」、丸木舟「チプ」、祭壇「ヌササン」などが再現され、昭和59年(1984年)に「アイヌ民族博物館」が開館した。国が推進する「民族共生象徴空間」事業により、平成32年(2020年)に「国立アイヌ民族博物館」と「国立民族共生公園」に生まれ変わり、アイヌ語の研究・普及も含むアイヌ文化復興の拠点となる予定である。

白老エリアの主な駅

白老 / しらおい 駅
JR北海道 室蘭本線

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白老町を走るJR室蘭本線から見た樽前山

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白老町を走るJR室蘭本線から見た樽前山

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道央自動車道から見た白老町

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北海道 札幌・苗穂 JR北海道苗穂工場とサッポロビール博物館

札幌・苗穂
さっぽろ・なえぼ (日本語)
ナイ ポ (アイヌ語)

日本国北海道石狩地方札幌市中央区、東区

北海道 札幌・苗穂 JR北海道苗穂工場とサッポロビール博物館

 苗穂(なえぼ)は、札幌(さっぽろ)市の中央(ちゅうおう)区と東(ひがし)区の境にある地区で、JR北海道の函館本線・千歳線の苗穂駅がある。苗穂の地名は、アイヌ語の「ナイ・ポ」(小さな川)が由来である。

 苗穂駅は札幌駅の東約2キロにあり、明治42年(1909年)にサッポロビールの前身である大日本麦酒の札幌工場専用線が開通し、同年に鉄道の車両工場も開設、翌明治43年(1910年)に国鉄の苗穂駅が開設された。

 苗穂駅は現在はJRの単独駅であるが、大正11年(1922年)に札幌市電・苗穂線(苗穂~道庁前)が開業。大正15年(1926年)には北海道鉄道(千歳線の旧線)が苗穂駅から分岐し、昭和6年(1931年)からは、東札幌駅から旧千歳線経由で定山渓鉄道(東札幌~豊平~真駒内~定山渓)が苗穂駅に乗り入れ、札幌駅まで直通するようになった。北海道鉄道は戦時中の昭和18年(1943年)に国有化され、国鉄千歳線となった。

 苗穂駅に大きな変化が訪れるのは札幌地下鉄の建設が始まった昭和40年代のことで、昭和44年(1969年)に定山渓鉄道線が廃止、昭和46年(1971年)に札幌市電・苗穂線が廃止、昭和48年(1973年)に千歳線の新線が開通し、千歳線は白石駅まで函館本線と並走することになり、苗穂から分岐して東札幌駅を経由していた旧線が廃止された。

 苗穂駅はホームは中央区側にあるが、北側の鉄道工場や、サッポロビール旧札幌第二工場は東区側に広がっている。

 サッポロビールは、北海道開拓使の事業として、「開拓使麦酒醸造所」が札幌に明治9年(1876年)に設立され、明治19年(1886年)に札幌麦酒株式会社となり、さらに明治39年(1906年)に日本麦酒(ヱビスビール)、大阪麦酒(アサヒビール)と合併して「大日本麦酒」となった。戦後に朝日麦酒(アサヒビール)と日本麦酒が分割され、「ニッポンビール」より「サッポロビール」が好評で全国区化したことから、昭和39年(1964年)に日本麦酒は会社も「サッポロビール株式会社」となった。サッポロビールは北海道においては、恵庭(えにわ)市にサッポロビール北海道工場として集約しており、札幌市中央区の札幌第一工場は平成元年(1989年)に閉鎖、東区の苗穂駅北西の札幌第二工場は平成15年(2003年)に閉鎖され、工場跡地が第一工場は「サッポロファクトリー」に、第二工場は「サッポロガーデンパーク」として再開発された。

 苗穂駅に近いサッポロビール札幌第二工場跡は、「サッポロガーデンパーク」として生まれ変わり、「サッポロビール博物館」とサッポロビール園、さらに北海道日本ハムファイターズ屋内練習場などが整備され、平成17年(2005年)には商業施設「アリオ札幌」がオープンした。

 苗穂駅の北側にはJR北海道・苗穂工場とJR貨物・苗穂車両所の敷地が広がっており、さらに東側には陸上自衛隊苗穂分屯地や雪印メグミルク「酪農と乳の歴史館」がある。苗穂駅の北の東区の住民は苗穂駅がやや不便であるが、札幌市営地下鉄・東豊線の東区役所前(ひがしくやくしょまえ)駅や環状通東(かんじょうどおりひがし)駅も遠くなく、さっぽろ駅へも便利である。

札幌・苗穂エリアの主な駅

苗穂 / なえぼ 駅
JR北海道 函館本線、千歳線

東区役所前 / ひがしくやくしょまえ 駅
札幌市営地下鉄 東豊線

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JR北海道函館本線・千歳線の苗穂駅

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苗穂駅の北側に広がるJR北海道苗穂工場

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苗穂駅の北側に広がるJR北海道苗穂工場

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サッポロガーデンパークの
サッポロビール博物館とアリオ札幌

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北海道日本ハムファイターズの練習場

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北海道・登別 登別温泉とカルルス温泉

登別
のぼりべつ (日本語)
ヌプル ペッ (アイヌ語)

日本国北海道胆振地方登別市

北海道・登別 登別温泉とカルルス温泉

 登別(のぼりべつ)市は、北海道(ほっかいどう)の中南部、胆振(いぶり)地方にある人口約5万人の市。南西が室蘭(むろらん)市、西が伊達(だて)市、北が有珠(うす)郡の壮瞥(そうべつ)町、東が白老(しらおい)郡の白老町と接しており、南東には太平洋が広がっている。

 登別の地名は、アイヌ語の「ヌプル ペッ」(色の濃い川)が由来であり、石灰質の温泉が川に流れ込んで白濁することから「ヌプル ペッ」と呼ばれた。

 登別は、江戸時代に松前藩によりホロベツ場所が開かれ、アイヌとの交易が行われていた。明治時代になると政府は仙台藩白石城主の片倉邦憲(かたくら くにのり)に今の登別市に相当する幌別(ホロベツ)郡の支配を命じ、開拓が始められた。このあたりの開拓の歴史は、仙台藩の伊達氏が開拓した「伊達市」とも共通するところがある。

 登別市には、JR北海道・室蘭本線の登別、富浦(とみうら)、幌別(ほろべつ)、鷲別(わしべつ)の各駅がある。同線は、明治25年(1892年)に北海道炭礦鉄道として開業。明治39年(1906年)に国有化された。また、市内には道央自動車道が通り、登別東IC(インターチェンジ)と登別室蘭IC、富浦PA(パーキングエリア)がある。

 登別駅は、登別温泉の最寄り駅であり、特急「すずらん」「スーパー北斗」「北斗」などが停車する。登別温泉は、登別からバスで約6キロ北へ向かったところにある。登別温泉は1日1万トンを湧出する豊富な湯量があり、しかも硫黄泉、食塩泉、明礬泉、鉄泉、重曹泉、ラジウム泉など9種類の温泉が湧出することから「温泉のデパート」と呼ばれる。古くからアイヌの人々が薬湯として利用していた温泉は、明治時代に温泉地として旅館などの整備が進み、明治38年(1905年)に日露戦争で負傷した兵士の保養地としても利用された。

 登別温泉には火口や噴気孔の荒涼とした地形の地獄谷が観光名所となっているほか、ロープウェイで四方嶺の山頂に上ると「のぼりべつクマ牧場」がある。同園は昭和33年(1958年)に開園し、エゾヒグマが飼育されており、ヒグマ博物館とアイヌ生活資料館が併設されている。アイヌ生活資料館にはアイヌ人の生活用具を展示しているほか、「クマ山食堂」ではアイヌ料理のメニューもある。

 登別温泉の北西の登別川沿いにはカルルス温泉がある。この「カルルス」はアイヌ語地名ではなく、もともとはアイヌ語で「ペンケユ」(上流の温泉)と呼ばれていたが、明治時代に温泉が開発された際、チェコ・ボヘミア地方の温泉保養地のカルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)(ドイツ語読み「カルルスバート(Karlsbad)」)の泉質と似ていたことから、「カルルス温泉」と命名された。登別温泉と同様に日露戦争の兵士の保養地として利用された。昭和36年(1961年)にはカルルス温泉サンライバスキー場が開設された。近くにはゴルフ場「登別カントリー倶楽部」もある。

 観光地・登別としての玄関口は登別駅であるが、登別市の市街地の中心はJR室蘭本線の幌別駅の周辺に広がっており、登別市役所も幌別駅の近くにある。幌別駅は特急「スーパー北斗」「北斗」は通過するが、特急「すずらん」が停車する。幌別は、アイヌ語の「ポロ ペッ」(大きな川)が由来であり、幌別駅の西側に胆振幌別川が流れている。

登別エリアの主な駅

登別 / のぼりべつ 駅
JR北海道 室蘭本線

幌別 / ほろべつ 駅
JR北海道 室蘭本線

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JR室蘭本線・登別駅に停車する特急「北斗」

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JR室蘭本線から見た登別

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道央自動車道から見た登別の市街地

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北海道 札幌・桑園 札幌競馬場と屯田兵が開拓した桑園

札幌・桑園
さっぽろ・そうえん

日本国北海道石狩地方札幌市中央区

北海道 札幌・桑園 札幌競馬場と屯田兵が開拓した桑園

 桑園(そうえん)は、北海道・札幌(さっぽろ)市の中央(ちゅうおう)区にある地区で、JR北海道の函館本線と札沼線(学園都市線)の桑園駅がある。

 北海道の開拓の歴史において、馬は重要な役割を果たしたが、明治時代には獣医師で畜産業の専門家であったアメリカ人のエドウィン・ダン(Edwin Dun)らによる協力により、西洋式の牧畜技術が伝えられ、馬産地として馬の改良も進められ、その中の一つが速さを追求する競走馬であった。

 明治40年(1907年)に札幌競馬場が開設された翌年の明治41年(1908年)、国鉄函館本線の琴似(ことに)~札幌(さっぽろ)が開業し、その際に競馬開催日のみ営業する北五条(きたごじょう)仮乗降場が設けられた。この臨時駅は年内にいったん廃止されたが、明治44年(1911年)に競馬場前(けいばじょうまえ)仮乗降場が毎年競馬開催時に設けられるようになり、大正13年(1924年)に駅に昇格し、桑園駅となった。昭和9年(1934年)には国鉄札沼線が開業し、桑園駅で分岐するようになった。

 北海道の地名はアイヌ語由来の地名が多いが、桑園の場合は、屯田兵による養蚕の桑畑が由来となっている。北海道開拓使は明治8年(1875年)に札幌の北1条~北10条、西11丁目~西20丁目の区画(いまの桑園駅の南側)を桑畑にして屯田兵に養蚕をさせることを決め、秋田県の旧・庄内藩士らを招いて開墾し、「桑園」が開かれ、養蚕が行われるようになった。近年は養蚕業は衰退して、札幌中心部に近いことから住宅地に変わったが、「桑園」の地名は生き続けている。

 かつての桑園駅は貨物の取扱いがあったため構内が広かったが、昭和53年(1978年)に貨物取扱が廃止され、昭和63年(1988年)に駅が高架化された。札沼線の高架ホームは平成6年(1994年)に増設された。札沼線は平成3年(1991年)より「学園都市線」の愛称が使われるようになり、平成24年(2012年)には石狩郡当別(とうべつ)町の北海道医療大学駅まで電化され、通勤通学路線としての役割が強くなっている。

 函館本線は、朝夕のラッシュ時にはかなり混雑する。小樽(おたる)~桑園~札幌~江別(えべつ)を結ぶ電車のほか、一部は千歳線の新千歳空港(しんちとせくうこう)へ直通している。

 桑園駅の駅前には「イオン札幌桑園ショッピングセンター」や札幌病院があり、北東は北海道大学の敷地が広がっている。北西には札幌競馬場があり、函館本線を挟んで南側に札幌市中央卸売市場がある。桑園駅の南はかつての「桑園」が広がっていたエリアで、今は住宅地が広がり、マンションも建ち並んでいる。1キロほど南に行くと西本願寺札幌別院や北海道立近代美術館があり、さらに南の大通(おおどおり)まで行くと札幌市営地下鉄東西線の西18丁目(にし じゅうはっちょうめ)駅がある。

札幌・桑園エリアの主な駅

桑園 / そうえん 駅
JR北海道 函館本線、札沼線(学園都市線)

西18丁目 / にしじゅうはっちょうめ 駅
札幌市営地下鉄 東西線

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JR桑園駅

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JR桑園駅

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JR函館本線から見た札幌競馬場

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JR函館本線と札沼線(学園都市線)の分岐地点


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北海道・室蘭 絵鞆半島の製鉄と石炭積出の港町

室蘭
むろらん (日本語)
モ ルエラニ (アイヌ語)

日本国北海道胆振地方室蘭市

北海道・室蘭 絵鞆半島の製鉄と石炭積出の港町

 室蘭(むろらん)市は、北海道(ほっかいどう)の胆振(いぶり)地方にある人口約9万人の市。北東が登別(のぼりべつ)市、北西が伊達(だて)市と接しており、南は太平洋が広がっている。

 室蘭の地名は、アイヌ語の「モ ルエラニ」(小さな 下り路)が由来であり、江戸時代は「モロラン」とも呼ばれ、後に「室蘭」(むろらん)という漢字表記が定着した。

 絵鞆(えとも)半島が突き出た室蘭は、江戸時代に松前藩が「エトモ場所」を設置し、アイヌの人々と交易をしていた。これが絵鞆半島の地名の由来であり、江戸時代の1856年(安政3年)には南部藩による出張陣屋も置かれた。

 明治時代になると、室蘭郡が置かれ、明治5年(1870年)に室蘭港が開港した。明治25年(1892年)に現在のJR北海道・室蘭本線の前身である北海道炭礦鉄道の室蘭~岩見沢(いわみざわ)が開業した。初代の室蘭駅は現在の輪西(わにし)駅の近くにあった。北海道炭礦鉄道は、岩見沢の周辺で採掘される石炭を室蘭から積み出すために敷設された鉄道であり、さらに室蘭には大量の石炭を必要とする製鉄所が建設され、室蘭は重工業都市として発展した。

 室蘭市内には、JR北海道・室蘭本線の東室蘭(ひがしむろらん)、本輪西(もとわにし)、崎守(さきもり)の各駅と、東室蘭から分岐する室蘭支線の輪西、御崎(みさき)、母恋(ぼこい)、室蘭の各駅がある。

 室蘭駅は、絵鞆半島の市街地にあり、室蘭市役所の最寄り駅であるとともに、駅の北に室蘭港が広がる。明治30年(1897年)に連絡船に乗り換えが便利な室蘭港に2代目の室蘭駅が開業した。室蘭駅はかつては本州を結ぶ連絡船で栄えたが、函館本線の開業により本州との連絡は青函連絡船がメインとなる。明治39年(1906年)に北海道炭礦鉄道が国有化され、その後、室蘭駅は石炭積出港として引き続き栄えたが、石炭の積み出しは苫小牧(とまこまい)港が優勢となり、さらに戦後は主要エネルギーが石油へと変わり、室蘭港の鉄道貨物はだんだんとさびれていった。貨物の取扱いは縮小され、昭和60年(1985年)に室蘭~西室蘭貨物駅が廃止され、平成9年(1997年)に室蘭駅が市街地側に移転して現在の位置となり、石炭埠頭跡地は入江運動公園に生まれ変わった。室蘭駅からは特急「すずらん」が札幌を結んでおり、室蘭~東室蘭は普通電車扱いのため特急料金が不要である。

 母恋~御崎の西側には日本製鋼所室蘭製作所の工場があり、戦前は海軍の兵器も製作し、現在は鋼管や圧力容器、風力発電機などを製造している。輪西駅の北には新日鐵住金室蘭製鐵所の工場が広がる。ここは北海道炭礦汽船輪西製鐵場として明治42年(1909年)に操業開始し、北海道製鐵、輪西製鐵、日本製鐵、富士製鐵、新日本製鐵を経て、平成24年(2012年)より新日鐵住金室蘭製鐵所となった。北海道唯一の「銑鋼一貫製鉄所」である。

 東室蘭駅は、室蘭本線を長万部(おしゃまんべ)方面に延伸する際に、大正14年(1925年)に現在地に輪西駅として開設され、昭和3年(1928年)に東輪西(ひがしわにし)駅と改称されたが、昭和6年(1931年)に東室蘭(ひがしむろらん)駅と再改称された。特急「すずらん」および札幌~函館を結ぶ特急「北斗」「スーパー北斗」なども停車する主要駅であり、かつては寝台特急「北斗星」も停車していた。東室蘭駅周辺にも市街地が広がっている。

 本輪西~崎守の間には、胆振国道(国道37号線)から絵鞆半島を結ぶ吊り橋「白鳥大橋」(はくちょうおおはし)が平成10年(1998年)に開通し、室蘭市のシンボルとなっている。このほか、内陸側に札幌~函館を結ぶ道央自動車道が通り、市内に室蘭IC(インターチェンジ)と本輪西PA(パーキングエリア)がある。

室蘭エリアの主な駅

室蘭 / むろらん 駅
JR北海道 室蘭支線

東室蘭 / ひがしむろらん 駅
JR北海道 室蘭本線、室蘭支線

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JR東室蘭駅

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長万部方面(本線)と室蘭方面(支線)が分かれる東室蘭駅

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室蘭本線から見た白鳥大橋

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北海道 札幌・琴似 屯田兵村から札幌市西区の中心部へと開発進む町

札幌・琴似
さっぽろ・ことに (日本語)
コッ ネ イ (アイヌ語)

日本国北海道石狩地方札幌市西区

北海道 札幌・琴似 屯田兵村から札幌市西区の中心部へと開発進む町

 琴似(ことに)は、北海道(ほっかいどう)の札幌(さっぽろ)市、西(にし)区にある地区で、JR北海道・函館本線および札幌市営地下鉄・東西線の琴似駅がある。

 琴似の地名は、アイヌ語の「コッ ネ イ」(窪地になっている所)が由来であり、明治4年(1872年)に北海道開拓使により「琴似(ことに)」とされた。琴似は、東本願寺(真宗大谷派)の移民が入植し、琴似村を形成した。初期の移民村は八軒(はちけん)や二十四軒(にじゅうよんけん)など、その戸数が地名となっている。その後、北東北の士族約1000人が琴似に入植し、屯田兵村が開拓され、現在の琴似の町の基礎が築かれた。

 明治13年(1880年)には、現在のJR北海道・函館本線の前身である北海道開拓使が運営する官営の幌内鉄道・手宮線が開業し、琴似駅が開設された。同線は港のある小樽(おたる)の手宮(てみや)駅から琴似、札幌、岩見沢(いわみざわ)を経由して石炭の炭鉱がある現・三笠市の幌内(ほろない)まで結ぶ路線で、官営幌内鉄道は明治22年(1889年)に北海道炭礦鉄道に譲渡され、さらに明治39年(1906年)に国有化されて、国鉄函館本線の一部となった。

 札幌郡琴似村は、明治39年(1906年)に発寒(はっさむ)村、篠路(しのろ)村の一部が合併して琴似村となり、昭和17年(1942年)に琴似町に昇格。戦後の札幌市の市域拡大にともない、昭和30年(1955年)に札幌市に編入された。現在は札幌市西区の一部となっている。

 JR北海道・函館本線の琴似駅は、昭和63年(1988年)に高架化され、1面2線のホームは雪対策のため、すっぽりシェルター屋根で覆われた北国特有の高架駅の構造となっている。駅前は再開発されてヴェルビュータワー琴似、「イトーヨーカドー」琴似店、「5588KOTONI」、「コルテナI」などの商業施設等と屋根と壁に覆われた連絡通路で結ばれており、雪の日や寒い日でも快適に歩いて移動できるよう配慮されている。

 北海道は全体としては人口密度が低く、大自然が広がるイメージが強いが、一極集中が進む札幌市は例外で、かなり人口密度の高い大都市であり、豪雪地帯なのに大都市という世界的に見ても珍しい都市である。琴似駅の乗降者数は毎日2万人以上であり、通勤ラッシュの時間帯の電車は琴似~札幌ではかなりの混雑区間となる。

 札幌市営地下鉄・東西線の琴似駅は、JR琴似駅から約700m南にあり、駅名は同じであるが、かなり離れていて乗り換えは不便であるが、この間には市街地が発達していて商店街のようになっている。地下鉄の琴似駅は札幌市西区役所の最寄り駅であり、昭和51年(1976年)の開業時には終着駅となっていたが、平成11年(1999年)に琴似~宮の沢(みやのさわ)が開業して、中間駅となった。駅には琴似バスセンターが併設され、乗り換えが便利である。また、駅と「イオン札幌琴似店」が直結していてショッピングも便利である。

札幌・琴似エリアの主な駅

琴似 / ことに 駅
JR北海道 函館本線

琴似 / ことに 駅
札幌市営地下鉄 東西線

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JR函館本線・琴似駅

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JR函館本線・琴似駅

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JR函館本線・琴似駅

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琴似駅と通路で直結しているイトーヨーカドー手稲店

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JR手稲駅と地下鉄手稲駅を結ぶ道

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北海道・夕張 夕張炭鉱と夕張メロン

夕張
ゆうばり (日本語)
ユー パロ (アイヌ語)

日本国北海道空知地方夕張市

北海道・夕張 夕張炭鉱と夕張メロン

 夕張(ゆうばり)市は、北海道(ほっかいどう)中部の空知(そらち)地方にある人口約0.9万人の市。西が夕張郡の栗山(くりやま)町、北が岩見沢(いわみざわ)市、三笠(みかさ)市、芦別(あしべつ)市、東が空知郡の南富良野(みなみふらの)町、勇払(ゆうふつ)郡の占冠(しむかっぷ)村、南が勇払郡むかわ町、夕張郡由仁(ゆに)町と接している。

 夕張の地名の由来はアイヌ語の「ユー パロ」(鉱泉の湧き出る所)であり、石狩炭田で栄えた都市であったが、炭鉱の閉山の流れの中で衰退し、昭和35年(1960年)に人口11.7万人だったのが、平成25年(2013年)には人口が1万人を割ってピーク時の10分の1以下となり、形式的には「市」であるが、実質的には「村」に近い状態となっている。この人口減少により夕張市の財政は極度に悪化しており、市政の財政再建が模索されている。

 夕張は、北から赤平(あかびら)市、芦別市、歌志内(うたしない)市、上砂川(かみすながわ)町、奈井江(ないえ)町、美唄(びばい)市、三笠市、岩見沢市、栗沢町、夕張市へと連なる「石狩炭田」の南端に位置する夕張炭鉱の開発が進められた鉱山の町として発展した。

 夕張に石炭の鉱脈が発見されたのは明治7年(1874年)のことで、北海道開拓使に雇われて来日していたアメリカ人の地質学者であるベンジャミン・スミス・ライマン(Benjamin Smith Lyman)が調査で鉱脈の存在を推定した。その後、シホロカベツ川上流で石炭の大露頭が発見され、北海道炭礦鉄道会社(北炭)が夕張採炭所を開設し、1890年代に炭鉱開発が進められ、その石炭の輸送のために、室蘭本線の追分(おいわけ)駅から夕張駅まで北海道炭礦鉄道の路線が建設され、明治25年(1892年)に開業した。

 北海道炭礦鉄道は、明治39年(1906年)に国有化され、追分~紅葉山(現・新夕張)~夕張は国鉄夕張線となった。国鉄夕張線は、紅葉山(もみじやま)から根室本線の新得(しんとく)と、追分から千歳線の千歳空港(現・南千歳)までの路線を建設することで、札幌(さっぽろ)~帯広(おびひろ)、釧路(くしろ)方面への最短ルートを建設し、千歳空港~追分~紅葉山~新得の石勝線が昭和56年(1981年)に開業した。同時に紅葉山駅が新夕張駅に改称され、夕張線の新夕張~夕張は石勝線夕張支線となった。

 夕張市内には、平成29年(2017年)の時点で、JR北海道・石勝線(本線)の滝ノ上(たきのうえ)駅と新夕張駅、石勝線夕張支線の新夕張、沼ノ沢(ぬまのさわ)、南清水沢(みなみしみずさわ)、清水沢(しみずさわ)、鹿ノ谷(しかのたに)、夕張の各駅がある。しかしながら、夕張支線については、利用者の減少により、平成31年(2019年)に廃止が予定されている。

 夕張は北海道炭礦鉄道の開業以来、石炭の町として活況を呈し、北炭にる夕張炭鉱のほか、真谷地炭鉱(沼ノ沢駅の東約4キロ)、夕張新炭鉱(南清水沢の東約1キロ)、平和炭鉱(清水沢~鹿ノ谷の間)、三菱鉱業による大夕張炭鉱(清水沢の北東約10~15キロ)、南大夕張炭鉱(清水沢の東約10キロ、シューパロダム付近)などが開発された。

 夕張には、石炭輸送のため、大正15年(1926年)に新夕張(後の夕張本町)から国鉄室蘭本線の栗山駅まで夕張鉄道線も敷かれ、さらに昭和6年(1931年)に栗山~野幌が延伸され、国鉄函館本線ともつながった。夕張鉄道は主に新夕張炭鉱や平和炭鉱の石炭を輸送したが、昭和47年(1972年)に新夕張炭鉱が閉山、昭和50年(1975年)に平和炭鉱も閉山となり、夕張鉄道は廃止された。

 石勝線の新夕張駅は、かつては紅葉山(もみじやま)駅と呼ばれ、ここから東に楓(かえで)を経由して三井登川炭鉱があった登川(のぼりかわ)駅までの貨物線が伸びていた。三井登川炭鉱は大正8年(1919年)に北炭が買収し、操業が行われていたが昭和28年(1953年)に北炭登川炭鉱が廃止された。それからも登川支線は残されていたが、昭和56年(1981年)に石勝線の紅葉山~新得が開業した際に廃止された。紅葉山駅は石勝線全通時に新夕張駅に改称され、現在は石勝線夕張支線の連絡駅として特急「スーパーとかち」や一部の「スーパーおおぞら」が停車する。夕張支線が廃止後は、夕張市の玄関駅となり、ここからバスで夕張市の中心部に向かうことになる。

 新夕張駅から夕張支線を北上していくとまず沼ノ沢駅に着く。沼ノ沢駅はかつて、北炭真谷地炭鉱専用鉄道が分岐しており、北炭の選炭施設もあった。昭和62年(1987年)に真谷地炭鉱の専用線が廃止され、その後は1面1線のローカル駅となった。駅周辺は現在、石炭に代わる夕張の産業として高品質のメロン栽培が盛んになり、「夕張メロン」の栽培が行われている。

 その北の清水沢駅は、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線が分岐していて、大夕張炭鉱、南大夕張炭鉱への専用線が伸びていた。三菱大夕張鉄道線は昭和62年(1987年)に廃止された。その後は、沼ノ沢駅と同様に1面1線のローカル駅化された。

 鹿ノ谷駅は、かつて夕張鉄道線との接続駅で、構内は非常に広かった。平和炭鉱や熊野沢選炭場への専用線があったが、平和炭鉱の閉山により夕張鉄道も廃止され、鹿ノ谷駅はローカル駅となった。駅の南西には、「夕張鹿鳴館」があり、石炭全盛期には接待の施設として用いられた。閉山後は歴史的建築物として保存されてきたが、夕張市の財政悪化による紆余曲折を経て、平成23年(2011年)より「オーベルジュタ山荘」として再出発した。

 終点の夕張駅は、平成2年(1990年)に短縮されてこの場所に移転開設された。駅前にはホテル「マウントレースイ」があり、その東側に「マウントレースイ」スキー場がある。

 また、以前の昭和60年(1985年)~平成2年(1990年)の夕張駅は約1キロ北の夕張市の中心部に近い夕張本町にあった。ここは夕張鉄道の夕張本町駅の跡地を利用したもので、周辺には夕張市役所がある。市街地に近かったが、夕張市自体の人口が激減する中、リゾート施設「マウントレースイ」との便を図るために現在地に再移転したのだった。

 初代の昭和60年(1985年)以前の夕張駅は、より炭鉱に近い、さらに北東約1キロのところにあり、北炭夕張炭鉱の選炭場や積み込み施設も併設されていた。この周辺は現在、夕張炭鉱の歴史を伝える「石炭の博物館」となっている。

 石勝線夕張支線の廃止が迫る中、これら炭鉱の町も過去のものになりつつある。人口が10分の1以下に減少して、鉄道路線の維持が困難であることは理解できるが、廃止され、炭鉱の近代化の記憶が薄れていくのは残念だ。石炭輸送を支えた夕張支線や炭鉱専用鉄道の遺構をできるだけ保存して、次の世代に先人の苦労が伝わるまちづくりを期待したい。

夕張エリアの主な駅

新夕張 / しんゆうばり 駅
JR北海道 石勝線、石勝線夕張支線

夕張 / ゆうばり 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

鹿ノ谷 / しかのたに 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

清水沢 / しみずさわ 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

沼ノ沢 / ぬまのさわ 駅
JR北海道 石勝線夕張支線

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廃止が決まったJR石勝線夕張支線・夕張駅

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夕張駅の駅舎

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石勝線の本線と夕張支線が分かれる新夕張駅

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千歳-夕張を結ぶディーゼルカー

(写真提供:紙覆面わか)

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北海道・増毛 ニシン漁で栄えた港町、廃止された留萌本線

増毛
ましけ (日本語)
マシュ ケ (アイヌ語)

日本国北海道留萌地方増毛郡増毛町

北海道・増毛 ニシン漁で栄えた港町、廃止された留萌本線

 増毛(ましけ)町は、北海道(ほっかいどう)の中西部の留萌(るもい)地方にある増毛郡の人口約0.5万人の町。天塩国(てしおのくに)に属する日本海側の港町として発展した。

 東が留萌市、南東が雨竜(うりゅう)郡の北竜(ほくりゅう)町、南が樺戸(かばと)郡の新十津川(しんとつかわ)町、南西が石狩(いしかり)市と接し、北西に日本海が広がっている。

 増毛(ましけ)の地名はアイヌ語で「カモメの多いところ」を意味する「マシュ ケ」から来ており、「増毛」と漢字が当てられたため、髪の毛が薄い人が縁起担ぎに増毛祈願で訪れることもある。

 日本海に面する増毛は、江戸時代から出張番屋や元陣屋が置かれる重要な港町で、江戸時代後期には南進するロシアに対する警備の拠点でもあった。増毛は、明治時代以降はニシン漁でにぎわい、明治30年(1897年)からは増毛支庁が置かれた。増毛支庁は、大正3年(1914年)に留萌に移転して留萌支庁となったが、大正10年(1921年)には国鉄留萌本線が増毛まで開業し、留萌本線の終着駅となった。

 留萌本線は、石炭がとれる石狩地方から日本海側の天塩地方をつなぐ路線として函館本線の深川(ふかがわ)駅から建設され、明治43年(1910年)に深川~留萌が、大正10年(1921年)に留萌~増毛が開業した。開業当初は、増毛港から当時日本領だった樺太(からふと/サハリン)への航路もあった。留萌~増毛は日本海の海岸近くを走り、美しい車窓が広がっていた。

 JR留萌本線は、増毛町内に増毛、箸別(はしべつ)、朱文別(しゅもんべつ)、舎熊(しゃぐま)、信砂(のぶしゃ)、阿分(あふん)の各駅があった。海沿いに国道231号線(オロロンライン)が整備されたことにより、自家用車の利用が増え、過疎化も進んだことで、鉄道利用者は年々減っていった。留萌から天塩国の日本海沿いを走り、宗谷本線の幌延(ほろのべ)まで結んでいた国鉄羽幌線は、昭和62年(1987年)にその役割を終えて廃止され、バス転換された。日本海沿い区間が残る留萌本線はJR北海道となった後も走り続けていたが、過疎化と車社会化による利用者減少に耐え切れず、乗客数も国鉄時代よりかなり減ったため、JR北海道の経営を圧迫する赤字ローカル線であったことから、ついに平成28年(2016年)12月に増毛~留萌が廃止された。本来なら、雪深い冬こそ鉄道の本領が発揮されるのだから春を待って廃止してもよさそうなものだが、雪深くなる前に廃止したのは冬のほうが運行コストがかかることから少しでも赤字を抑えるために早めに廃止したのだろう。

 留萌本線の増毛~留萌が廃止されたが、沿岸バスが留萌本線と並行する国道231号線(オロロンライン)を走っており、札幌へも特急「はぼろ」が運行されている。鉄道と共存できなかったのは残念だが、鉄道の代替交通がすでに整備されているということで、鉄道の廃止は時間の問題だったのだろう。

 増毛はニシン漁で栄えたが、昭和30年代にニシンの漁獲量が激減し、漁村が徐々に衰退していった。現在は、ボタンエビ、アマエビ、タコなどの漁やニシンの卵である数の子の加工業が盛んである。鉄道廃止で、鉄道愛好者の観光客は来にくくなったのは否めないが、駅跡地などでメモリアル的なものを一部保存しておけば、廃線跡めぐりの観光客が訪れる需要がありそうだ。

 増毛駅から国道231号線を先に進み、石狩市(旧・浜益村)と接する増毛町の雄冬(おふゆ)地区は、ニシン漁で栄えた漁村があるが、周辺が険しい断崖絶壁に囲まれ、冬季は増毛港への航路しか交通手段がない陸の孤島であった。国道231号線が通じたのは昭和56年(1981年)のことで、これで天塩国と石狩国の海沿いがようやく道路で結ばれ、陸の孤島が解消されたのだが、同年に雄冬岬トンネル崩落事故が発生し、昭和59年(1984年)にようやく再開された。その後、崖崩れなどの防災対策で新たにトンネルが建設され、徐々に道路状況が改善された。

増毛エリアの主な駅

増毛 / ましけ 駅
JR北海道 留萌本線(2016年廃止)

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廃止されたJR留萌本線・増毛駅

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廃止されたJR留萌本線・増毛駅

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廃止されたJR留萌本線・増毛駅

(写真提供:紙覆面わか)

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北海道 札幌・北海道大学 クラーク博士と北大総合博物館とエルムの森

札幌・北海道大学
さっぽろ・ほっかいどうだいがく

日本国北海道石狩地方札幌市北区

北海道 札幌・北海道大学 クラーク博士と北大総合博物館とエルムの森

 北海道大学(ほっかいどうだいがく)は、札幌(さっぽろ)市の北(きた)区にある国立大学で、北海道における学術の重要な拠点の一つである。北海道大学は、札幌駅の北側にキャンパスが広がり、札幌市営地下鉄南北線の北12条(きた じゅうにじょう)駅や北18条(きた じゅうはちじょう)駅、地下鉄東豊線の北13条東(きた じゅうさんじょう ひがし)駅からが近いが、JR北海道・札幌駅や地下鉄さっぽろ駅からも歩いて行くことができる。

 札幌駅の北西、北海道大学の南側にある「偕楽園」(かいらくえん)は、かつて北大のキャンパスの一部を含む広大な敷地を有していた公園で、明治4年(1871年)に開設された。その貴賓接待所として設けられたのが「清華亭」(せいかてい)で、明治天皇行幸の際に立ち寄っている。現在「偕楽園」は清華亭の周辺のみ残されている。清華亭は北海道らしい木造建築で、内部は畳の和室と赤いカーペットの洋室がある和洋折衷の近代建築で、その後は料亭や住宅などに使用されたが、昭和53年(1978年)に改修され、北海道の近代史を伝える歴史建築として保存されている。

 北海道大学の前身は、明治9年(1876年)に開設された札幌農学校で、初代教頭のウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)博士は植物学や自然科学やキリスト教精神を広め、クラーク博士が叫んだ「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)というフレーズが今も北海道大学のモットーとして生き続けている。キャンパス内にはクラーク博士の胸像がある。

 札幌農学校は明治40年(1907年)に東北帝国大学農科大学となり、さらに大正7年(1918年)に北海道帝国大学となった。そして戦後の昭和22年(1947年)に「北海道大学」となり、北海道を代表する総合大学であるとともに、アイヌ・先住民研究センターなど北海道研究やロシアなど北方生物の研究など、北海道をはじめとする寒冷地の自然科学などの研究が盛んである。それらの学術標本など研究成果を展示する北海道大学総合博物館が札幌キャンパスの中にある。重厚な建物も見どころの一つだ。

 このほか、北海道大学には北海道らしい木造近代建築である「古河記念講堂」やポプラ並木やイチョウ並木なども美しい。北海道大学のキャンパスは、ハルニレ(春楡)の英語名である「エルム」から「エルムの森」とも呼ばれ、北海道らしい自然豊かなキャンパス散歩も楽しい。

札幌・北海道大学エリアの主な駅

北12条 / きたじゅうにじょう 駅
札幌市営地下鉄 南北線

北18条 / きたじゅうはちじょう 駅
札幌市営地下鉄 南北線

北13条東 / きたじゅうさんじょうひがし 駅
札幌市営地下鉄 東豊線

札幌 / さっぽろ 駅
JR北海道 函館本線
さっぽろ
札幌市営地下鉄 南北線東豊線

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偕楽園「清華亭」

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偕楽園「清華亭」

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偕楽園「清華亭」

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古河記念講堂

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クラーク博士の胸像

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北大総合博物館

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北海道大学のイチョウ並木道

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