台湾 宜蘭・蘇澳 蘇澳冷泉と南方澳漁港

蘇澳
ソーオー/So͘-ò (台湾語/ホーロー語)
スウアオ/ㄙㄨ ㄠˋ (台湾華語/北京語)

臺灣宜蘭縣蘇澳鎮
台湾宜蘭県宜蘭鎮

台湾 宜蘭・蘇澳 蘇澳冷泉と南方澳漁港

 蘇澳(台:ソーオー/華:スウアオ)鎮は、台湾北東部の宜蘭(台:ギーラン/華イーラン)県南東部にある人口約4万人の町。日本統治時代は「すおう」と呼ばていれた。北が五結(ゴーケッ)郷、西が冬山(タンソワ)郷、南が南澳(ラムオー/ナンアオ)郷と接していて、東には太平洋が広がっている。

 蘇澳は「冷泉」が湧く町として知られている。この冷泉は、炭酸泉で、水温が約22度。入ると始めは冷たいが、プチプチと炭酸の泡が体を包み、だんだんと温かくなってくる。

 冷泉は飲用も可能で、天然のラムネ(彈珠汽水)が名産となっているほか、羊羹の製造にもこの冷泉の炭酸水が用いられている。蘇澳冷泉の公衆浴場は、蘇澳鎮の中心部、台鉄宜蘭線・蘇澳駅の北にある。

 蘇澳鎮には、台鉄・宜蘭線の新馬(シンマー)、蘇澳新(ソーオーシン/スウアオシン)、蘇澳の各駅と、蘇澳新駅から南に分岐する台鉄・北廻線の永楽(永樂/インロッ/ヨンロー)、東澳(タンオー/トンアオ)、南澳(ラムオー/ナンアオ)の各駅がある。

 宜蘭線は、基隆(ケーラン/チーロン)市の八堵(ペートー/パートゥー)から宜蘭を経由して港町の蘇澳を結ぶ路線として建設され、日本統治時代の1919年(大正8年)に開業した。蘇澳から台湾東部の花蓮港(かれんこう/ホワレンカン)へは海沿いに険しい断崖が続き、鉄道の建設は困難で、日本時代は蘇澳港から船で行く必要があった。中華民国時代に入っても、蘇澳~花蓮の清水断崖は最大の難所で、蘇澳新~花蓮の北廻線は1980年にようやく開通した。北廻線の開業により、台北~八堵~宜蘭~蘇澳新~花蓮~台東が東部幹線のメインルートとなり、蘇澳新~蘇澳は盲腸線化した。蘇澳新駅は蘇澳の市街地中心部から離れているが、乗り換えターミナルとして一部の特急自強号なども停車する。

 台東で南廻線が開通した後、盲腸線となった台東新駅(現・台東駅)~台東駅(旧駅)が廃止されたが、蘇澳新駅~蘇澳駅は、宜蘭線の普通電車がそのまま乗り入れており、路線が存続したため、蘇澳の町中心部への鉄道のアクセスが便利である。

 蘇澳駅から南東に3キロほど行ったところにある南方澳(ラムホンオー/ナンファンアオ)漁港は、台湾の遠洋漁業の基地となっており、魚市場もあり、南方澳の名物といえばマグロだ。南方澳漁港には「南天宮」という媽祖廟があり、地元の人々に篤く信仰されている。南天宮には純金の媽祖像があり、観光客も多く訪れる。

 蘇澳鎮の南は海岸近くまで山が迫り、蘇澳~花蓮を結ぶ台9線道路は蘇花公路と呼ばれ、一山越えると東澳、もう一山越えると南澳の集落がある。台鉄北廻線の南澳駅はタイヤル族が住む南澳郷の玄関口であるが、駅は蘇澳鎮にある。

宜蘭・蘇澳エリアの主な駅

蘇澳 / ソーオー(スウアオ) 駅
台鉄 宜蘭線(蘇澳支線)

蘇澳新 / ソーオーシン(スウアオシン) 駅
台鉄 北廻線(東部幹線)、宜蘭線(東部幹線、蘇澳支線)

南澳 / ラムオー(ナンアオ) 駅
台鉄 北廻線(東部幹線)

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台鉄・蘇澳新駅

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台湾語読みの道路標識

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台鉄北廻線・南澳駅

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台湾 花蓮・秀林(太魯閣) タロコ峡谷と清水断崖

秀林・太魯閣
Bsuring・TrukuTaroko
ブスリン・トゥルク/Bsuring Truku (タロコ語)
シュウリム・タロコ/Siù-lîm・Taroko (台湾語/ホーロー語)
ショウリン・タイルウゴー/ㄒㄧㄡˋ ㄌㄧㄣˊ・ㄊㄞˋ ㄌㄨˇ ㄍㄜˊ (台湾華語/北京語)

臺灣花蓮縣秀林鄉
台湾花蓮県秀林郷

台湾 花蓮・秀林(太魯閣) タロコ峡谷と清水断崖

 秀林(タ:ブスリン/台:シュウリム/華:ショウリン)郷は、台湾東部の花蓮(台:ホアレン/華:ホアリエン)県北部にある人口約1.6万人の村で、南東に新城(シンシヤ/シンツェン)郷、花蓮市、吉安(ケラン/チーアン)郷、寿豊(壽豐/シウホン/ソウフォン)郷、南が万栄(萬榮/バンイン/マリバシ)郷、西が南投県の仁愛(ジンアイ/ゼンアイ)郷、台中市和平(ホーピン)区、北が宜蘭県南澳(ラムオー/ナンアオ)郷と接している。

 秀林郷は、台湾原住民族のタロコ族が多く住み、台湾東部最大の観光地であるタロコ(太魯閣)国立公園があることから、その知名度を高めるため、「太魯閣郷」への改名を求める動きもある。

 秀林の地名の由来は、タロコ族のブスリン(Bsuring)村であり、ブスリンに台湾語で「武士林」(ブスリム)と漢字が当てられた。戦後、中華民国政府によって当初、「士林」(スーリン)郷となるところだったが、台北の士林と同じであることから「秀林」(ショウリン)に改名された。

 タロコ族は主に花蓮県の山間部の秀林郷、万栄郷、卓渓郷に住み、以前はタイヤル(泰雅)族に含まれていたが、2004年にタロコ(太魯閣)族として政府認定された。「タロコ」は、民族の自称が「Truku」(トゥルク)であり、これが訛って「タロコ」(Taroko/太魯閣)と呼ばれるようになった。

 タロコ族は、もともと険しい山間部に住んでいたが、日本統治時代に麓へ移住させられた。現在の秀林(ブスリン)集落は、秀林郷と新城郷の境に近い、台鉄北廻線(東部幹線)の新城(太魯閣)駅の南西約3キロのところにある。

 タロコ峡谷は、新城(太魯閣)駅から北西約4キロのところに入口の中華風の門がある。ここから立霧(タッキリ)渓沿いに大理石の断崖絶壁の絶景が続く。タロコ峡谷沿いの道は、花蓮~台中を結ぶ中部東西横貫公路の一部となっているが、あまりにもの険しさに、横断する車両はそんなに多くはない。近年は、新しいトンネルが開通し、がけ崩れの恐れのある区間をトンネルで安全に通行できるようになった。一方、タロコ観光は、旧道の素掘りのトンネルをぜひ見てみたい。

 中部東西横貫公路の建設には、中国の国共内戦後、中国国民党軍とともに台湾に渡ってきた退役軍人らが建設に参加した。旧道にある中華風の「長春祠」(ツァンツゥンツー)は、この建設工事の殉職者らを祀っている。

 途中、立霧渓の南側の台地にあるブロワン(布洛灣/Brugan)集落は、タロコ語で「こだま」を意味し、約250年前にタロコ族の人々がここに住み始めた歴史があり、その文化や歴史が展示されている。

 「燕子口」(イエンツコウ)や「九曲洞」(チョウチュィートン)は、タロコ峡谷のハイライトで、素掘りのゴツゴツしたトンネルと、大理石の断崖絶壁の荒々しい絶景が続く。

 そして、その先に「天祥」(ティエンシャン)という地区があり、ここには吊り橋と天峰塔がある「祥得寺」(シャンドースー)などの観光スポットがあり、多くの観光客はここで折り返す。「天祥」は、もともとタロコ族の「Tpedu」(トゥペドゥ)という集落があり、日本時代は「タピト」と呼ばれていた。山間部に住むタロコ族の人々は、農業と狩猟で生活していたが、日本統治が始まると伝統的な生活に日本人が干渉するようになり、いくつもの衝突事件が発生し、佐久間左馬太(さくま さまた)台湾総督の時代の1914年(大正3年)に軍を動員してタロコ族の人々を帰順させ、平地に移住させ、日本式の教育を受けさせた。日本時代には、タピトに佐久間総督の功績を記念した佐久間神社が設けられた。

 「タピト」は、台湾語では「塔比多」や「得比督」といった漢字が当てられていたが、戦後になると華語で「大北投」(ターペイトウ)という漢字が当てられたりもしたが、後に佐久間神社が撤去されて、中国人の歴史人物である文天祥(ウェン ティエンシャン)を記念する文天祥公園が整備され、地名も「天祥」(ティエンシャン)に改められた。文天祥は元(モンゴル)に反抗した漢民族の英雄であり、台湾とはまったく関係がない。

 天祥からさらに上ったところの川べりに「文山温泉」がある。ここは佐久間総督時代のタロコの戦いで、日本軍の深水少佐が発見したことから「深水温泉」と命名された。戦後は、タピトの華語訳と台北の北投が温泉地であることから「大北投温泉」と改名されたが、タピトに文天祥記念公園が整備されたことから、「文」をとって「文山温泉」に再改名された。

 そこから山を延々と上っていくと標高3000mを超える合歓山(合歡山/ハプホワンソワ/ホーホワンサン)があり、花蓮県と南投県の県境となっている。合歓山は、台湾では珍しい雪見スポットとして有名で、冬の寒い日には雪見客の車で混雑することもある。

 秀林郷の海側を走る台鉄北廻線(東部幹線)は、景美(キンビー/チンメイ)、崇徳(チョンティッ/ツォンドー)、和仁(ホージン/ホーゼン)、和平(ホーピン/ホーピン)の各駅がある。景美と崇徳の間には新城(太魯閣)駅があるが、同駅は隣の新城郷内にある。

 景美駅の近くにある景美村は、もともとタロコ語でカウワン(Qowgan/加灣)と呼ばれるタロコ族の集落がある。その北に秀林郷公所(村役場)があるブスリン(Bsuring/秀林)の集落を通り、新城(トゥルワン)の市街地を抜けると、立霧渓をコンクリート橋で越えると崇徳駅。崇徳はタロコ族のタッキリ(Takkiri)集落があるところで、古くは台湾語で「達吉力」(タッケリッ)、日本時代には日本語読みの「立霧」(たっきり)という漢字が当てられた。

 その北は海岸段丘の断崖地形が続く清水断崖があり、花蓮から宜蘭県の蘇澳(ソーオー)を結ぶ道路の「蘇花公路」(台9線)の最大の難所となる。鉄道は崇徳トンネル、清水トンネル、和仁トンネルを抜け、和仁駅に着く。和仁駅の山側には幸福水泥(セメント)の和仁工場や石灰石の採石場などがあり、旅客数は少ないが、貨物の取扱いが非常に多い駅である。

 和仁駅から和平トンネルを抜け、しばし太平洋沿いを走ると、和平港と和平水泥(セメント)工業区がある和平駅に着く。和平駅は速達タイプの特急のプユマ(普悠瑪)号やタロコ(太魯閣)号は通過するが、一部の特急自強号や急行莒光号は停車する。和平はもともとタロコ語でクニブ(Knibu/克尼布)と呼ばれるタロコ族の集落があり、花蓮県最北の町で、和平渓が宜蘭県との県境となっている。その先の宜蘭県南澳郷側は「漢本」(ハンプン)と呼ばれるが、ここはもともと日本語の「半分」が由来であり、花蓮~蘇澳の中間地点に当たり、もう一山越えなければならず、道のりは遠い。

 秀林郷の面積は非常に広く、このほか吉安郷の西にはタロコ族のトモン(Tomong/銅門)集落があり、ここはかつて銅が採掘され、木瓜(ボッコエ)渓沿いに水力発電所がある。

秀林・太魯閣エリアの主な駅

和平 / ホーピン(ホーピン/クニブ) 駅
台鉄 北廻線(東部幹線)

和仁 / ホージン(ホーゼン) 駅
台鉄 北廻線(東部幹線)

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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タロコ峡谷の大理石の断層

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タロコ峡谷の長春祠

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ブロワン(布洛湾)

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タピト(天祥)

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台鉄から見た立霧(タッキリ)渓の河口部

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崇徳~和仁の車窓から見た清水断崖

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和仁駅を通過する特急プユマ号

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貨物取扱量が多い和仁駅

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和平港と工業区のある和平(クニブ)

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台鉄・和平駅

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台湾 花蓮・新城 七星潭とマンボウ、花蓮空港と慈済静思精舎

新城
Truwan
シンシヤ/Sin-siâⁿ (台湾語/ホーロー語)
シンツェン/ㄒㄧㄣ ㄔㄥˊ (台湾華語/北京語)
トゥルワン(タロワン)/Truwan (タロコ語)

臺灣花蓮縣新城鄉
台湾花蓮県新城郷

台湾 花蓮・新城 七星潭とマンボウ、花蓮空港と慈済静思精舎

 新城(台:シンシヤ/華:シンツェン/太:トゥルワン)郷は、台湾東部の花蓮(台:ホアレン/華:ホアリエン)県北部にある人口約2万人の村で、南が花蓮市と接し、西と北は秀林(太:ブスリン/台:シュウリム/華:ショウリン)郷と接し、東は太平洋が広がっている。

 新城は、もともと先住民のタロコ族が住み、タロコ語でタロワン(トゥルワン/Truwan)と呼ばれ、清国時代には「哆囉滿」(トロボアン)などと漢字表記されていた。清国時代に台湾北部から福建南部系(ホーロー系)の移民が開墾を始めたが、タロコ族との争いになったため城を築いたことから「新城」(シンシヤ)と呼ばれるようになった。清国時代末期には、宜蘭・蘇澳(ソーオー)から花蓮港へ至る道路が切り開かれ、町ができ、新城はタロコ族との交易の拠点となった。

 日本統治時代には、1914年(大正3年)佐久間左馬太(さくま さまた)台湾総督が軍隊を投入してタロコ族を平定し、帰順させたことから1920年(大正9年)の地名改正時に佐久間左馬太の号である「研海」(けんかい)から研海(けんかい/台:ゲンハイ)庄という町名になった。戦後は、中華民国政府によって再び「新城」に戻され、現在に至る。タロコ族が住む山間部は秀林郷となっている。

 新城郷には台湾東部を南北に貫く台9号線道路および台湾鉄道・北廻線(東部幹線)が通り、北埔(台:パッポー/華:ペイプウ)駅と新城(太魯閣)(台:シンシヤ タロコ/華:シンツェン タイルウゴー)駅がある。北埔~新城(太魯閣)の間には景美(キンビー/チンメイ)駅があるが、同駅は秀林郷側にある。

 新城(太魯閣)駅は、新城郷の北部にあり、新城集落がある。新城駅は花蓮県を代表する観光地であるタロコ峡谷の最寄り駅であることから、駅名にタロコ(太魯閣)を加えるよう求める声があり、2007年に「新城(太魯閣)」駅となった。改名の効果は抜群で、特急「自強号」の停車や、観光バスの運行などにより、駅の利用客が改名前より10倍以上増えている。また、花蓮~台東では、鉄道でアミ語の車内放送があるが、新城(太魯閣)駅では一部の列車で特別に地元のタロコ語による放送が行われている。

 新城郷で、人口が集中しているのは南部の北埔駅周辺であり、新城郷公所(村役場)も北埔駅が近い。北埔は、サキザヤ族のフプ(Hupu)という集落(アミ語ではKopo)があり、この音訳で「北埔」という漢字が当てられた。北埔は、花蓮港の北の平原であることから漢字の意味としてもピッタリの漢訳だったのだろう。

 花蓮市のすぐ北側にある嘉里(台:カーリー/阿:カリヤワン/Kaliyawan)集落は、もともとカバラン族が清国時代に移住し、カレワン(加禮宛)村を開いたところで、カバラン族とサキザヤ族が連合して清国の流入に反抗した1878年の「加禮宛事件」でカバラン族は清軍の攻撃を受け散り散りになった。その後、嘉里はアミ族の住人が多くなった。

 北埔駅の東側には花蓮空港および空軍基地が広がっており、空軍関係の住民が多く、戦後に中国国民党とともに中国から台湾に渡って来た元軍人も多い。花蓮空港は、台湾東部の鉄道整備が遅れていたことや、台湾が南北に山脈が伸びて東西の交通が不便であることから需要が多く、台北、台中、高雄への定期路線がある。

 花蓮空港の東に広がる砂浜の海岸は「七星潭」(チッチイタム)と呼ばれており、素晴らしい海岸の眺めと、花蓮空港に着陸する飛行機が間近に見えるほか、マンボウ(曼波魚)がよく獲れることで観光スポットとなっている。マンボウはコラーゲンたっぷりで、マンボウを用いた料理やアイスクリームなどが名物になっている。七星潭は、もともと「月牙湾」と呼ばれ、七星潭はその近くのいくつかの池だったが、花蓮飛行場の建設の際に埋め立て、七星潭周辺の住民が月牙湾近くに移転したことから、月牙湾が「七星潭」と呼ばれるようになったのだという。七星潭は、夜に見える星が美しく、北斗七星がよく見えたことからこの名がついたのだという。

 北埔駅の北西にある「靜思精舍」は、台湾の仏教団体「慈済」(慈濟/台:ツウツェー/華:ツーチー)の創設者である釋證嚴(證嚴上人)が尼僧として修行し、慈済功徳会を発展させたゆかりの場所であり、慈済基金会の本部がここに置かれている。慈済は、ボランティア活動など社会奉仕に特に力を入れて国際的に活動しており、東日本大震災の際にも献身的な奉仕活動が注目され、高く評価された。

花蓮・新城エリアの主な駅

新城(太魯閣) / シンシヤ タロコ(シンツェン タイルウゴー)駅
台鉄 北廻線(東部幹線)

北埔 / パッポー(ペイプウ) 駅
台鉄 北廻線(東部幹線)

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慈済靜思精舍

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七星潭

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台鉄・新城(太魯閣)駅

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台湾 台東・鹿野 元日本人移民村があった町、高台の福鹿茶と熱気球

鹿野
Sikano
ロクヤー/Lo̍k-iá (台湾語/ホーロー語)
ルクヤー/Luk-ya (台湾客家語)
シカノ/Sikano (アミ語・日本語)
ルウイエ/ㄌㄨˋ ㄧㄝˇ (台湾華語/北京語)

臺灣臺東縣鹿野鄉
台湾台東県鹿野郷

台湾 台東・鹿野 元日本人移民村があった町、高台の福鹿茶と熱気球

 鹿野(台:ロクヤー/客:ルクヤー/阿:シカノ/華:ルウイエ)郷は、台東(臺東/台:タイタン/華:タイトン)県中部にある人口約0.8万人の村で、北が関山(客:クワンサン/台:コワンサン/阿ティラティラン/華:クワンサン)鎮、東が東河(阿:ヴァヴォコッド/台:タンホー/華:トンホー)郷、南と西が延平(布:パシカウ/華:イエンピン)郷と接している。西は中央山脈が聳え、鹿野渓が東に流れ北から流れる卑南渓に合流している。

 鹿野郷は、台湾語を話すホーロー人が約40%、客家人が約10%、台湾原住民のアミ族が約20%を占めている。鹿野はもともと鹿野渓と卑南渓の合流点の北西のパラヤパイ(Parayapai/擺仔擺)などのアミ族の村があったほか、鹿寮(ロクリャウ)と呼ばれていたが、日本統治時代に日本人の移民村が建設され、鹿野(しかの)に改名された。戦後は、日本人が引き揚げ、客家人の二次移民が台湾東部に住むようになった。

 郷内には台鉄(臺鐵)の台東線(東部幹線)が南北に走り、南から鹿野、瑞源、瑞和の各駅がある。鹿野駅については、華語が「ルウイエ」、台湾語が「ロクヤー」、客家語が「ルクヤー」と読むが、台東線で放送される普通電車のアミ語の自動アナウンスは「シカノ」と日本語読みが採用されている。もちろんアミ族の各村にはアミ語独自の地名があるのだが、日本人開拓村だった鹿野に当てはまる町全体を言い表すアミ語の共通表現がないことと、当時から日本語の「しかの」が地名として定着していたことから、地元のアミ族の旅客にわかりやすい表現として「鹿野」駅は「シカノ」が採用されたのだろう。

 これが単なる日本語読みでないのは、次の瑞源駅が、「ズイゲン」ではなく、「オーハラ」と呼ばれていることだ。瑞源駅は1922年(大正11年)に「大原」(おおはら)駅として開業した。そして戦後の1945年に中華民国政府によって「瑞源」(華:ズエイユエン)駅に改名されたのであるが、台湾語は「スイゴワン」、客家語は「スイニエン」と「瑞源」の漢字読みであるのに対し、アミ語では瑞源改名前の「大原」が地元で今も定着しているのか「オーハラ」が使われている。地図を見ると瑞源駅の北西に確かに今も「大原」という地名が残っていることがわかる。

 その次の瑞和駅は、1923年(大正12年)に「大埔」(だいほ/台:トアポー)駅として開業し、戦後に瑞豊(瑞豐/華:ズエイフォン/台:スイホン)駅となり、さらに1979年に瑞和(華:ズエイホー/台:スイホー)駅となった。興味深いのは、普通電車アミ語自動アナウンスが、「瑞和」駅を日本語で訓読みした「ミズワ」駅と呼んでいることだ。日本統治を離れた後も、中華民国による統治が続いた中でも、中国語化された漢字地名「瑞和」をアミ族の人々の間では日本語で訓読みして「ミズワ」と呼んでいたということのようだ。

 鹿野の市街地は、鹿野駅の南東の平地に広がっている。このあたりは日本人の移民村があったところで、約2000人ほどの日本人(内地人)移民が住んでいた。最近、鹿野神社が再建され、日本人移民村だった歴史が観光振興に生かされている。鹿野の市街地の北にある鹿野高台は、茶葉の栽培が盛んで、「福鹿茶」や「紅烏龍」がブランド化されている。

 このほか、鹿野郷は広い平原を活用して熱気球のフェスティバルが毎年開催されており、台東県を代表する観光イベントの一つとなっている。

台東・鹿野エリアの主な駅

鹿野 / ロクヤー(シカノ/ルウイエ) 駅
台鉄 台東線(東部幹線)

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台鉄・鹿野駅

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卑南渓に合流する鹿野渓

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鹿野郷の車窓

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台湾 宜蘭・羅東 蘭陽平原の商業都市、にぎやかな羅東夜市

羅東
ロートン/Lô-tong (台湾語/ホーロー語)
ルオトン/ㄌㄨㄛˊ ㄉㄨㄥ (台湾華語/北京語)

臺灣宜蘭縣羅東鎮
台湾宜蘭県羅東鎮

台湾 宜蘭・羅東 蘭陽平原の商業都市、にぎやかな羅東夜市

 羅東(台:ロートン/華:ルオトン)鎮は、台湾北東部の宜蘭(台:ギーラン/華:イーラン)県にある人口約7万人の町。北が五結(ゴォーケッ/ウーチエ)郷、西が三星(サムシン/サンシン)郷、南が冬山(タンソワ/トンサン)郷と接している。また、宜蘭県の県庁所在地である宜蘭市は北へ約10kmほどと近く、宜蘭市とともに宜蘭県を代表する都市の一つである。

 羅東鎮は蘭陽平原のほぼ中央に位置し、交通が便利であり、商業都市として発展している。台湾鉄道・宜蘭線(東部幹線)の羅東駅があり、特急「太魯閣(タロコ)」号や「普悠瑪(プユマ)」号も停車する。また、羅東駅の東口に2012年にオープンした羅東バスターミナルからは、雪山トンネルを通り抜けて台北(台:タイパク/華:タイペイ)市を結ぶ高速バスが発着している。

 蘭陽平原には古くから先住民のカバラン族が住み、羅東(ロートン)の地名は、カバラン語で猿を意味する「ロトン」と呼ばれていたことに由来する。ロトンは、後に「老懂」という漢字が当てられるようになり、清国時代に「羅東」と表記が変更されて今に至る。羅東に福建省南部からの移民が移住したのは19世紀初めのことであり、日本統治時代は太平山(タイピンサン)の林業の集積地として急速に発展した。

 羅東駅からはかつて羅東森林鉄道が、大同郷の土場(どば)まで伸びていて、土場から太平山を結ぶ太平山森林鉄道と合わせて太平山の森林開発を担った。林業の産出量が減少し、道路も整備されたことから1979年に廃止された。

 羅東の中心市街地は、羅東駅の西側に広がっており、駅から約1キロ西にある中山公園を囲むように羅東夜市が広がり、夜は台湾グルメ屋台が並び、非常ににぎやかだ。羅東鎮に隣接する三星郷が台湾随一のネギの産地であることから、葱油餅(ツォンヨウピン)や宜蘭風の葱餅(ツァンガピヤ)などネギを多用した名物料理も人気だ。

宜蘭・羅東エリアの主な駅

羅東 / ロートン(ルオトン) 駅
台鉄 宜蘭線(東部幹線)

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台鉄・羅東駅

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台鉄・羅東駅

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羅東夜市

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羅東夜市

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羅東夜市

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羅東夜市

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羅東中山公園

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羅東夜市の東側の商店街

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台湾 台東・関山 客家文化と台湾原住民族文化が感じられる台湾東部の小さな町

關山
Terateran
クワンサン/Kuan-san (台湾客家語)
コワンサン/Koan-san (台湾語/ホーロー語)
ティラティラン/Terateran (アミ語)
クワンサン/ㄍㄨㄢ ㄕㄢ (台湾華語/北京語)

臺灣臺東縣關山鎮
台湾台東県関山鎮

台湾 台東・関山 客家文化と台湾原住民族文化が感じられる台湾東部の小さな町

 関山(關山/客:クワンサン/台:コワンサン/華:クワンサン/阿:ティラティラン)は、台湾東部の台東(臺東/台:タイタン/華:タイトン)県にある人口約0.9万人の町。

 北は池上(台:ティーション/客:ツーソン/華:ツーサン/阿:ヴァナウ)郷、東は東河(台:タンホー/華:トンホー/阿:ヴァヴォコッド)、南は鹿野(台:ロクヤー/客:ルクヤー/華:ルウイエ/阿:シカノ)郷、西はブヌン族が住む海端(布:ハイトトワン/華:ハイトワン)郷と接している。

 関山は東が海岸山脈、西が中央山脈に挟まれた花東縦谷にあり、町を北から南へ卑南(ピーラム)渓谷が流れ、北隣の池上郷と並んで米どころとして知られており、関山弁当(關山便當)が名物グルメとなっている。

 関山は、古くからアミ族が住むティラティラン(Terateran)という村があり、それが福建・広東からの移民により「里壠」(リーラン)と呼ばれるようになった。里壠は、日本統治時代の1920年(大正9年)の地名改正で、関山のふもとにあることから「関山」(かんざん/コワンサン)へと地名が改められた。日本時代には、台湾各地の客家(ハッカ)系住民が台湾東部に移住し、台東県の中でも特に関山に多く住むようになった。

 関山は、非常に多民族な町であり、台湾全体で多数派のホーロー人よりも客家人の割合が高く、台湾原住民のアミ族も20数%を占める。また、国民党とともに台湾に渡った中国出身者も多い。

 関山鎮には南北に台湾鉄道(台鉄)台東線が走っており、関山(關山)駅と海端駅がある。関山駅は関山鎮の中心部にある駅で、2面3線のホームがある。急行「莒光」号、特急「自強」号や速達タイプの特急「普悠瑪(プユマ)」号の一部も停車する主要駅である。普通電車のアミ語のアナウンスでは関山駅をアミ語伝統地名の「ティラティラン」駅と呼んでいる。

 関山駅は、1922年(大正11年)に里壠駅として開設され、1937年(昭和12年)に関山駅に改称された。1980年に台東線がナローゲージ(762mm)から狭軌(1067mm)に改軌された際に駅が現在の位置に移転し、北側にある旧駅舎は歴史建築として保存されており、サイクリングセンターとして再活用されている。現在の駅舎は2013年に建て直された。

 関山は小さな町であるが、客家文化を感じることができる。市街地には天后宮のそばに市場があるほか、「関山客家板條」などの客家食堂もあり、板條(パンティアウ/客家風きしめん)や米苔目(ミーチームク/客家風ライスヌードル)などの客家料理を味わうことができるほか、町のスーパーには客家料理に欠かせない調味料である桔醤(キッチョン/金柑ソース)も売られている。

 このほか、関山には「花生(土豆)酥」(台:トォータウソォー/華:ホアセンスウ)と呼ばれるピーナッツ・キャラメルが有名で、永全食品「關山花生酥」の店舗がある。

 関山鎮の北にある海端駅は、駅は関山側にあるが、ブヌン族が住むハイトトワン(海端)郷の玄関駅となっている。ブヌン族は関山よりも西の山側に住む台湾原住民族で、台東県延平郷の紅葉小学校のブヌン族の子ども達の野球チームが1968年にリトルリーグ世界一になったことがあり(台湾の500元札にデザインされている)、関山のコンビニでは、マスコットキャラクターも紅葉小学校野球チームをイメージしたデザインになっていた。

関山エリアの主な駅

關山 / クワンサン(ティラティラン) 駅
台鉄 台東線(東部幹線)

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台鉄台東線・関山駅

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アミ語の駅名自動アナウンスがある台東線の普通電車

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関山駅に停車する急行「莒光」号

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関山駅の北側にある旧駅舎

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関山駅の旧駅舎

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関山弁当の看板

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関山農会(農業組合)のスーパーマーケット

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アミ語(ンガアイホー)やブヌン語(ミホミサン)の挨拶が書かれた店舗

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関山天后宮と市場

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客家料理店もある関山の街並み

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関山の街並み

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永全食品「關山花生酥」

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紅葉小学校野球チームのユニホームを着たセブンイレブンOPENちゃん

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台湾・花蓮 東台湾の中心都市、台湾原住民族と花蓮港

花蓮
Kalinko
ホアレン/Hoa-liân (台湾語/ホーロー語)
カリンコ/Kalinko (アミ語)
ホアリエン/ㄏㄨㄚ ㄌ一ㄢˊ (台湾華語/北京語)

臺灣花蓮縣花蓮市
台湾花蓮県花蓮市

台湾・花蓮 東台湾の中心都市、台湾原住民族と花蓮港

 花蓮(台:ホアレン/阿:カリンコ/華:ホアリエン)は、台湾東部の花蓮県北東部にある人口約11万人の市で、花蓮県の県庁所在地であるとともに、東台湾の政治、経済の中心都市でもある。

 花蓮市は北が新城(台:シンシヤ/華:シンツェン)郷、西が秀林(シウリム/ショウリン)郷、南が吉安(ケラン/チーアン)郷と接している。東は太平洋が広がり、日本沖縄県の八重山諸島にも近く、石垣島との交流も深い。

 花蓮は、古くからアミ(阿美)族やサキザヤ族などの台湾原住民族が多く住み、かつては「奇萊」(キーライ)と呼ばれていた。この「奇萊」の地名はサキザヤ(Sakizaya/撒奇萊雅)族が由来であり、花蓮一帯に住んでいたが、清国時代末期の1878年、台湾東部に勢力を伸ばした清国にサキザヤ族とカバラン族が連合で抵抗した加禮宛(カレワン)事件(達固湖灣事件ともいう)の後、清はサキザヤ族とカバラン族を徹底的に滅ぼそうとしたが、サキザヤ族の人々はアミ族に囲われ、アミ族の中で隠れながら暮らしてきた。

 サキザヤ族は、花蓮駅の西のタコヴォワン(Takofowan)という村に住んでいた。ここは清国時代は「竹窩宛」と表記されていた。現在は「達固湖灣」という漢字が当てられ、美崙渓沿いに「達固湖灣大道」(タコヴォワン大通り)が伸びている。タコヴォワンのサキザヤ族集落は加禮宛事件で清軍に滅ぼされ、サキザヤ族はアミ族の村に逃げ込んだ。事件後、美崙渓の周りの村は、清国の帰順したという意味で、帰化(歸化/クイホア)社と呼ばれるようになったが、アミ語で大きな茄苳樹という意味の「Sakor」(サコル)と呼ばれた。それが日本時代には「サクラ」を連想させるとして「佐倉」と表記されるようになった。サキザヤ族はアミ族に同化が進み、長らくアミ族と同一視されてきたが、サキザヤ族のアイデンティティーと独自のサキザヤ語を持っているとして2007年に台湾原住民族の一族として正式に認定された。

 現在、花蓮最大の台湾原住民族はアミ族で、北部(主に花蓮県)のアミ族は「パンツァ」(Pangcah)と自称する。一方、台東は「アミス」(Amis)と自称し、アミ語で「北」を意味する(北から来た人の意味か)。南のアミ族は花蓮のことも「Amis」と呼んでいたようで、これは「北の町」を意味したのであろう。

 花蓮市内に、アミ族は約0.8万人住み、市人口の約8%を占めている。タコヴォワン(Takofowan/達固湖灣)やサコル(Sakor/佐倉)のほか、市内にはツポ(Cupo/國福)、パリク(Parik/美崙)、チケプ(Cikep/球崙)、チパウカン(Cipawkan/德安)、チヴァルヴァルラン(Cifarfarlan/主農)、タワポン(Tawapon/華東)などのアミ族集落がある。また、花蓮の中心部は市場の意味でパティヤマイ(Patiyamay)やタバコ草地の意味のナヴァコワン(Nafakowan)と呼ばれていた。

 花蓮港は、河口の流れが急なことから清国時代に「洄瀾港」(ホエランカン)と呼ばれていた。後に「洄瀾」の表記を似た美しい漢字である「花蓮」に改め、「花蓮港」(ホエレンカン)と呼ぶようになった。日本時代には「花蓮港」(かれんこう)と呼ばれ、花蓮港庁(花蓮県に相当)が置かれた。花蓮港街は1937年(昭和12年)に花蓮港市に昇格し、戦後は「花蓮港」(ホエレンカン)市から「花蓮」(ホアレン)市に地名が改められたが、アミ語では今も習慣的にカリンコ(花蓮港)と呼ばれている。

 花蓮駅は、台湾鉄道東部幹線(北廻線・花東線)の主要駅で、2003年に花蓮以北、2014年に花蓮以南(台東・知本まで)の電化が完成し、タロコ(太魯閣)号、プユマ(普悠瑪)号などの新型特急列車が高速で台北~花蓮~台東を結ぶようになった。現在の花蓮駅は1979年に北廻線の花蓮~和平の開業時に「花蓮新」駅として開設されたもので、1980年に和平~南聖湖(蘇澳新)が開業して北廻線が全通し、花蓮新~台北が鉄道で結ばれた。

 花蓮駅は観光客が多く訪れ、花蓮名物の「麻糬」(モアチー)と呼ばれる「もち」や、アミ族をイメージしたお土産などもたくさん売られている。花蓮より南では、鉄道のアナウンスが華語、台湾語、客家語、英語のほか、アミ語によるアナウンスも加わり、「Kita salikaka mangtaay to ku ○○」(まもなく○○に着きます)、「Kapoden ano sowni ○○」(次は○○)などと放送されているようだ。

 一方、花蓮のもともとのターミナルは1910年(明治43年)に開設された花東線(台東線)の花蓮港駅で、花蓮港~台東を結ぶナローゲージ(762mm)の路線であった。花蓮港駅は花蓮の旧市街地にあり、港にも近かった。花蓮港駅は1951年に「花蓮」駅に改名され、花蓮~台東の狭軌(1067mm)への改軌を含む鉄道改良工事が1982年に完成し、台東線は花蓮新駅に乗り入れて北廻線との直通運転が可能となり、それに合わせて「花蓮新」駅が「花蓮」駅となり、旧・花蓮駅が廃止された。

 この旧・花蓮駅は今の花蓮駅から2キロほど海側へ行ったところにあり、跡地は花蓮鉄道文化園区や夜市になっており、大理石の球体の噴水広場もある。廃線跡は旧鉄道文化商圏と呼ばれる商店街となっていて線路や踏切のモニュメントなどがある。また、廃線跡のすぐ近くには花蓮酒工場の跡地の蔵の建物を再活用した花蓮文化創意産業園区があり、オシャレなアート空間に生まれ変わり、花蓮の文化が感じられる創意ある雑貨や食品などが販売されている。この周辺の花蓮の旧市街地は日本統治時代に開発された町で、かつては多くの日本人が住んでいた。

 旧・花蓮駅の海側にある、「東大門夜市」は、「福町夜市」「大陸各省一條街」「原住民一條街」「自強夜市」の4つのゾーンからなるナイトマーケットで、花蓮を代表する観光スポットの一つである。海側には太平洋公園が広がる。また、花蓮港のほうには花蓮名産の大理石をテーマにした「花蓮石雕博物館」がある。

 花蓮の美崙(ビールン)山の山麓にある花蓮忠烈祠(ツォンリエツー)は、日本時代に花蓮港神社があったところで、その東にある「松園別館」は、日本時代末期の1943年(昭和18年)に建てられた日本陸軍の軍事施設だったことろで、特攻隊員が出発前に宿泊した施設でもあった。戦後は中華民国陸軍の施設や、米軍顧問団軍官レジャーセンターなどに使われていた。このほか、花蓮市の北の新城郷には花蓮空港があり、七星潭(チッチィタム)の海岸からは花蓮空港に着陸する飛行機が見える。

 このほか、花蓮駅の西の中央路には、台湾の仏教団体「慈済」(台:ツウツェー/華:ツーチー)の「静思堂」や「慈済医学・人文社会学院」などがあり、国際的に積極的かつ献身的に活動する「慈済」の医療や社会奉仕の拠点となっている。

花蓮エリアの主な駅

花蓮 / ホアレン(カリンコ) 駅
台鉄 北廻線・台東線(東部幹線) 

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東部幹線を快走する特急プユマ号

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花蓮駅に停車する特急自強号のディーゼルカー

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台鉄・花蓮駅

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花蓮駅前

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花蓮文化創意産業園区

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花蓮文化創意産業園区

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花蓮中心部の市街地

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花東線旧線跡の旧鉄道文化商圏

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花東線旧線跡の旧鉄道文化商圏

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旧花蓮駅跡の花蓮鉄道文化園区

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花蓮鉄道文化園区

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旧花蓮駅前の噴水広場

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花蓮・東大門夜市(福町夜市)

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慈済・静思堂

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慈済医学・人文社会学院

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テーマ : 台湾
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台湾・台東 アミ族とプユマ族の文化が色濃い台湾東部の都市

臺東
Posong
タイタン/Tâi-tang (台湾語/ホーロー語)
ポソン/Posong (アミ語)
タイトン/ㄊㄞˊ ㄉㄨㄥ (台湾華語/北京語)

臺灣臺東縣臺東市
台湾台東県台東市

台湾・台東 アミ族とプユマ族の文化が色濃い台湾東部の都市

 台東(臺東/台:タイタン/華:タイトン)市は、台湾南東部の台東県にある人口約11万人の市。台東県最大の都市であり、台東県の県政府(県庁)所在地である。北東が東河(台:タンホー/華:トンホー/阿:ヴァヴォコッド)郷、西が卑南(台:ピーラム/華:ペイナン/卑:プユマ)郷、南が太麻里(タイモアリー/タイマーリー)郷に接している。

 台東県は、台湾の先住民である台湾原住民族が県人口の3割以上を占めている。台東県に住む原住民族はアミ(阿美)族、プユマ(卑南)族、パイワン(排灣)族、ブヌン(布農)族、ルカイ(魯凱)族、タウ(達悟)族の6族で、そのうち台東市にはアミ族とプユマ族が多く住んでいる。

 台東県の大部分は、台湾が清国時代になってもほとんど清国による統治が及んでいなかったが、19世紀半ばより福建省南部からの移民のホーロー系住民が増えていった。

 台東市の中心部は、もともとアミ族が住むポソン(Posong)という町で、後に台湾語で「寶桑」(ポーソン)という漢字が当てられた。1875年に卑南(ピーラム)庁が台東を管轄するようになり、1887年には台東直隷州に昇格した。日本統治時代は台東庁が置かれた。台東市は、日本統治時代の初期は卑南街と呼ばれていたが、1919年(大正8年)に台東街に改称され、都市の名前としての「台東」がここから定着することになった。戦後は中華民国政府とともに台湾に移った中国出身の軍人らも台東に住むようになった。1976年に台東県の台東鎮から台東市に昇格し、台湾東部を代表する都市として発展している。

 台東市の市街地は、台東の旧駅周辺に広がっている。ここは日本統治時代に開通した台東~花蓮港(カレンコウ/ホエレンカン)を結ぶ台東線の駅として開設された。その後、台湾東部の鉄道の改良工事が進められ、もともとナローゲージ(762mm)だった線路が1982年に台鉄のその他路線と同じ狭軌(1067mm)に改軌され、台北まで直通できるようになり、さらに1985年に南廻線の卑南~知本(ティープン/ツーペン)が部分開業し、1992年に枋寮(パンリャウ)まで南廻線が全線開業すると、台東線の卑南駅から高雄(コーヒョン/カオション)まで直通できるようになった。

 そして、南廻線全通により、卑南駅が台東新駅に改められ、台東の新たな玄関駅となり、台東新~台東は盲腸線となっていたが、2001年に台東新~台東が廃止され、台東新駅が台東駅に改称された。

 旧・台東駅は、台東の中心部に位置し、北側に市街地が広がっている。旧駅のすぐ近くに台東市公所(市役所)があるほか、駅から中山路をまっすぐ行くと台東県政府(県庁)庁舎がある。旧駅が廃止されてからは、交通の拠点でなくなったため、市街地の活気が以前に比べて失われたが、現在、旧駅跡地は台東鉄道芸術村(臺東鐵道藝術村)という観光スポットに生まれ変わっている。台東の市街地では、旧暦1月15日の元宵節に、「炸寒單爺」(ツァーハンタンヤー)という爆竹とロケット花火の祭りが盛大に行われる。

 旧駅近くの鯉魚山(リーヒーソワ)は、アミ語ではヴァラガウ山と呼ばれる。ここは海抜75mの低い山であるが、ここから台東の市街地が一望できる。ここには、かつて日本時代に台東神社があったが、戦後は中華民国の戦死者を祀る忠烈祠となっている。

 台東(旧駅)~台東新駅の間には馬蘭(マーラン)という駅があったが、馬蘭という地名は、アミ族のヴァラガウ(馬蘭)集落のことを指している。

 台東駅(新駅)は、台東の新しいターミナル駅であるが、台東市中心部からは離れており、駅前は広いが、にぎやかさはない。台東駅は多民族の都市らしく、台東県を走る電車は華語、台湾語、客家(ハッカ)語に原住民族のアミ語を加えた4言語でアナウンスされる(特急電車などは英語も)。2014年6月には台東線が電化され、台北(臺北/タイパク/タイペイ)から特急プユマ(普悠瑪)号やタロコ(太魯閣)号が乗り入れるようになった。

 台東駅は、かつては卑南駅と呼ばれ、近接する卑南郷への最寄り駅でもあった。「卑南」(ピーラム/ペイナン)とは清国時代の中国人が呼んだ「プユマ族」のことである。プユマ族は主に台東市と卑南郷にまたがって分布している。台東駅近くの南王(ラムオン/ナンワン)という集落は、プユマ語で「プユマ」(Puyuma)と呼ばれるプユマ族を代表する集落の一つ。南王に「卑南」とは、まるで「卑弥呼」を連想させる。

 プユマ族はプユマ(卑南)八社という代表的な8つの集落があり、そのうちプユマ(Puyuma/南王)、カサヴァカン(Kasavakan/建和)、カティプル(Katratripul/知本)が台東市にあり、そのほかピナスキ(Pinaski/下檳榔)、リカヴォン(Likavung/利嘉)、パンキウ(Pankiu/班鳩)、アリパイ(Alripay/上檳榔)、ウリヴリヴク(Ulivelivek/初鹿)などは卑南郷にある。

 台東駅(新駅)と車両基地を建設する際、大量のプユマ族の遺跡が出土し、台湾新石器時代の大きな発見となった。この出土品などを保存し、学術的に役立てるため、市内を走る南廻線の康楽(康樂/コンロク/カンロー)駅の近くに、国立台湾史前文化博物館(國立臺灣史前文化博物館)が2002年にオープンし、博物館の西側には卑南文化公園が開設された。

 台鉄南廻線の知本駅は、プユマ族のカティプル集落の最寄り駅であり、駅から知本渓を山側へ3キロほど入ったところに知本温泉があり、知本温泉は卑南郷側に属している。 

 台東豊年空港(臺東豐年機場)は、台北松山空港への便があるほか、台東県の離島である緑島(綠島/リクトー/リュィータオ)やタウ族の住む蘭嶼(ランスウ/ランユィー/ポンソ ノ タオ)への路線がある。台東空港も台東駅と同様にアミ語によるアナウンスがある。

台東エリアの主な駅

臺東 / タイタン(タイトン) 駅
台鉄 台東線(東部幹線)、南廻線

知本 / ティープン(ツーペン) 駅
台鉄 南廻線
 
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旧・台東駅

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旧・台東駅

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旧台東駅を活用した台東鉄道芸術村

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鯉魚山の忠烈祠(旧・台東神社)

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台東駅(新駅)

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台東駅に停車している特急自強号と普通電車

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台東駅にやって来た蒸気機関車

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豊年祭でのプユマ語の看板

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プユマ族の豊年祭

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知本駅で折り返す特急タロコ号

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台湾 宜蘭・員山 員山公園にある宜蘭神社跡

員山
イィソワー/Îⁿ-soaⁿ (台湾語/ホーロー語)
ユエンサン/ㄩㄢˊㄕㄢ (台湾華語/北京語)

臺灣宜蘭縣員山鄉
台湾宜蘭県員山郷

台湾 宜蘭・員山 員山公園にある宜蘭神社跡

 員山(イィソワー/ユエンサン)郷は宜蘭(ギーラン/イーラン)県にある人口約3万人の郷。北が礁渓(礁溪/ターケー/チャオシー)郷、東が宜蘭市、南が三星(サムシン/サンシン)郷、西が大同(タートン)郷と新北(シンパク/シンペイ)市の烏来(烏來/ウライ)区と接している。

 員山郷は宜蘭市の郊外にあたり、宜蘭市からの住宅地が広がっている。また、台7線道路が宜蘭市から員山郷を経由して、タイヤル族が住む大同郷を結んでいる。

 員山郷公所(役場)の近くにある員山公園の丘の上にある中華民国の戦死者を祀る「忠烈祠」は、日本時代に宜蘭神社の跡地に建てられたもの。神社の石段であったことがわかるほか、鳥居に似た門も立っている。また、ふもとには、中華民国の軍が宜蘭神社を破壊した歴史を伝える戦車と壊れた鳥居のモニュメントがある。これは、歴史を肯定も否定もせず台湾人の観点から客観的に伝えることを意識しているようで、これを見てどのように感じるかは人それぞれであろう。丘の上の社殿があった場所は、郷土資料館になっている。

 そのほか、員山郷には、水鳥が多数生息し、「天鵞湖」とも呼ばれる大湖(トアオー/ターフウ)や、山のほうには「双連埤」(雙連埤/シャンレンピー/スワンリエンピー)と呼ばれる双子の池があり、水生植物が多く生息する湿地となっており、周辺は戦後に桃園、新竹方面から移住した客家(ハッカ)系住民が多く住む。

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員山公園の宜蘭神社跡

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員山公園の壊された鳥居のモニュメント

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台湾・宜蘭 カバラン族の故郷、蘭陽平原の中心都市

宜蘭
ギーラン/Gî-lân (台湾語/ホーロー語)
イーラン/一ˊ ㄌㄢˊ (台湾華語/北京語)

臺灣宜蘭縣宜蘭市
台湾宜蘭県宜蘭市

台湾・宜蘭 カバラン族の故郷、蘭陽平原の中心都市

 宜蘭(台:ギーラン/華:イーラン)市は、台湾北東部の宜蘭県にある人口約10万人の市。宜蘭県の中で最大の都市であり、宜蘭県の県政府(県庁)所在地である。

 宜蘭県は北が新北(台:シンパク)市、南が花蓮(ホアレン)県、西が桃園(トーフン)県、新竹(客:シンツゥク/台:シンティク)県などと接しているが、いずれも県境は山を挟んでいる。

 宜蘭県の南部は山がちで、標高1950mの太平山(タイピンサン)がそびえ、山間部の大同(華:タートン/台:タイトン)郷と南澳(ナンアオ/ラムオー)郷には台湾原住民族のタイヤル族が住んでいるほか、県北部は蘭陽平原が広がる。

 蘭陽平原には、もともと先住民のカバラン(Kevalan)族(クヴァラン族とも)が住んでいて、18世紀後半から福建(ホッケン)省南部の漳州(チャンチウ)など閩南(バンラム)地方からの移民による開発が始まった。

 清国時代の1812年(嘉慶17年)には噶瑪蘭(カッマラン)庁が置かれ、1875年(光緒元年)に噶瑪蘭庁が宜蘭(ギーラン)県と改名された。日本統治時代は台北県に属し、1920年(大正9年)の行政区画再編と地名改正後は台北州の一部となっていた。戦後は、1950年に宜蘭県が設置された。

 この地の先住民であるカバラン族の「Kevalan」は「平地に住む人」を意味し、山地に住むタイヤル族とは異なる生活様式であった。宜蘭の地名は、このカバラン族から台湾語で「噶瑪蘭」(カッマラン)や「蛤仔難」(カバラン)と呼ばれ、清国時代にカバランの「蘭」の音を残して雅字の「宜」を組み合わせて「宜蘭」という地名となった。

 18世紀頃から福建省南部からの移民が増え、カバラン族は混血などを経て徐々に勢力が弱まり、台湾語(ホーロー語)を話すホーロー系住民と同化していった。一方、同化を拒んだカバラン族は南の花蓮方面に移住した。

 宜蘭県は宜蘭市のほか、羅東(台:ロートン/華:ルオトン)市、蘇澳(ソォーオー/スウアオ)、頭城(タウシヤ/トウツェン)、礁渓(礁溪/ターケー/チャオシー)の各鎮、員山(イィソワー/ユエンサン)、三星(サムシン/サンシン)、冬山(タンソワ/トンサン)、壮囲(壯圍/ツォンウイ/ツォアンウェイ)、五結(ゴォーケッ/ウーチエ)、大同、南澳の各郷がある。蘇澳は港町と冷泉、礁渓は温泉が有名で観光客も多い。そのほか、員山にはカバラン族からとった「KAVALAN」(カヴァラン)ブランドのウイスキーの工場がある。また、頭城には離島の亀山(龜山/クーソワ)島がある。

 宜蘭と台湾の首都・台北は、直線距離は約30キロと非常に近いが、間に雪山山脈があり、これまで交通が不便であった。台鉄の宜蘭線(東部幹線)や台2線道路は太平洋側の海岸部を迂回して台北と宜蘭を結んでおり、また新北市の新店(シンテャム/シンティエン)市から台9線が坪林(ピィナア/ピンリン)を経由して宜蘭を結んでいるが、山越えルートであり非常にカーブが多い。2006年に雪山山脈を長さ12.9キロの雪山トンネルで貫く北宜高速道路(蒋渭水高速公路)が開通し、台北・新北と宜蘭の交通が大幅に改善された。

 宜蘭は、日本時代の民主化運動家で台湾文化協会や台湾民衆党などを創設した蒋渭水(蔣渭水/チウ ウイスイ)の故郷であり、民主化のエネルギーが強い土地柄として知られている。また、日本時代に西郷隆盛(さいごう たかもり)の息子である西郷菊次郎(さいごう きくじろう)が初代宜蘭庁長(宜蘭市長に相当)を務め、宜蘭河の治水に努めたことから、その記念碑も市内に残る。

 台鉄の宜蘭駅は、宜蘭市を代表する台鉄東部幹線の主要駅で、台北~宜蘭~花蓮を結ぶ特急「タロコ(太魯閣)号」や台北~宜蘭~台東を結ぶ特急「プユマ(普悠瑪)号」も停車する。また、各駅電車が県内の礁渓、頭城方面や、羅東、蘇澳方面を結んでいる。台鉄の東部幹線は、海側を迂回して台北を結んでいるが、近年は振り子式列車が特急に導入されて、カーブ通過速度が向上し、所要時間が大幅に短縮された。また、宜蘭から花蓮・台東方面へは、宜蘭県と花蓮県の県境が山深く、道路事情が悪いため、鉄道旅客のシェアが高い。また、宜蘭駅のそばのバスターミナルから雪山トンネルで台北・新北を結ぶカバラン客運(葛瑪蘭客運)や首都客運などの高速バスが発着している。また、バスターミナルの近くに蘭陽国際観光夜市が2012年に開設された。

 宜蘭市の中心部は宜蘭駅の西側に広がり、旧城(舊城/クウシヤ)の舊城(東、北、西、南)路の内側が旧市街地にあたる。宜蘭駅の駅舎は、宜蘭出身の絵本作家・イラストレーターの幾米(ジミー)によるデザインのペインティングがなされている。また、駅前の公園にも幾米による汽車のモニュメントがある。舊城南路の宜蘭・中山公園には獻馘碑や忠霊塔などの遺跡がある。「獻馘碑」は日本時代の1909年(明治42年)に山に住む首狩り文化が残っていたタイヤル族を制圧した際に記念して立てられたもので、タイヤル族が首狩りした頭蓋骨や武器が納められている。また、同公園には蒋介石銅像もあるが、蒋介石・国民党独裁時代への反感からペンキで落書きされることもあるようだ。中山路および神農路との交差点の近くには、「宜蘭五穀廟」や大型ショッピングセンター「蘭陽新月廣場」(LUNA PLAZA)などがある。向かいには、台湾銀行宜蘭分行の近代建築を再活用した「宜蘭美術館」がある。また日本式建築の「宜蘭設治紀念館」は清国時代、日本時代、中華民国時代の宜蘭の行政の歴史が展示されている。

 舊城東路には友愛百貨店があるほか、近くに東門夜市がある。舊城西路には宜蘭酒工場があり主に米酒(ビーチウ/ミーチョウ)や紅露酒(アンロォーチウ)が生産されているほか、「甲子蘭(カバラン)酒文物館」という観光施設が併設されている。また、城内の旧市街地には、歴史ある「昭應宮」(チャウインキョン)や「文昌廟」(ブンチョンビョー)などの廟がある。

 そのほか、宜蘭は牛の舌のような形をしたクッキーである「牛舌餅」がお土産の定番となっているほか、「布袋戲」(ポーテーヒー)と呼ばれる伝統人形劇も伝統文化として盛んである。

宜蘭エリアの主な駅

宜蘭 / ギーラン(イーラン)駅
台鉄 宜蘭線(東部幹線)

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台鉄・宜蘭駅

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宜蘭駅に停車する特急「自強号」ディーゼルカー

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幾米(ジミー)によるデザインの駅前の公園

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宜蘭の市街地

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宜蘭・中山公園

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宜蘭中山公園の蒋介石像

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宜蘭中山公園の「獻馘碑」

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宜蘭中山公園に残る忠霊塔

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宜蘭五穀廟

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蘭陽新月廣場前にある宜蘭監獄門庁跡

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蘭陽新月廣場

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宜蘭美術館

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宜蘭設治紀念館

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宜蘭酒工場

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宜蘭酒工場

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宜蘭・文昌廟

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宜蘭・昭應宮

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