福島・富岡 ツツジと桜の夜ノ森、福島第二原発と積み上がる除染土の黒い袋の山

富岡
とみおか

日本国福島県双葉郡富岡町

福島・富岡 ツツジと桜の夜ノ森、福島第二原発と積み上がる除染土の黒い袋の山

 富岡(とみおか)町は、福島(ふくしま)県の浜通り地方の双葉(ふたば)郡にある町で、平成23年(2011年)の東日本大震災発生前の人口は約1.6万人だった。富岡町は北が双葉郡の大熊(おおくま)町、西が双葉郡の川内(かわうち)村、南が双葉郡の楢葉(ならは)町と接しており、東には太平洋が広がっている。

 平成23年(2011年)の東日本大震災の際に、北隣の大熊町にある福島第一原子力発電所の爆発事故により、放射性物質が飛散したため、福島第一原発半径20km圏内が警戒区域に指定され、全町民が避難を余儀なくされた。平成25年(2013年)に警戒区域は、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに分けられた。富岡町ではこのうち、一番深刻な帰還困難区域が福島第一原発に近い北東部に残り、町の完全復興とは程遠い状況である。

 比較的内陸部を走る常磐自動車道については、除染や復旧が進められ、平成26年(2014年)2月に広野IC(インターチェンジ)~常磐富岡ICが復旧、平成27年(2015年)3月には常磐富岡IC~浪江ICが開通し、福島第一原発より北の地域にも直接行けるようになった。

 富岡町の幹線道路である国道6号線(陸前浜街道)は、震災後数年間、警戒区域であったため許可車両以外は通行できなかったが、平成26年(2014年)9月以降、一般自動車が通行できるようになった。但し、町北部の国道6号線沿いも帰還困難区域の中を走ることから、周辺の放射線量も高く、人影はなく、震災前に商店があったところなどは時が止まったまま廃墟化している。

 鉄道は、JR東日本・常磐線が浜通り地方を南北に貫いていたが、原発事故後に運転を休止した。除染の進展や津波対策工事を経て、徐々に運行再開区間を伸ばしてきたが、平成29年(2017年)1月の時点で、竜田(楢葉町)~小高(南相馬市)が不通となっている。富岡町内には富岡駅と夜ノ森(よのもり)駅があるが、いずれも休止状態が5年以上続いている。

 町の南東にあった富岡駅は、震災の津波により駅舎も流され、大きな被害を受けていたが、原発事故で警戒区域となったことから長らくそのまま放置されていた。しかしながら、富岡駅の周辺が避難指示解除準備区域となってから、復旧計画が再始動し、津波対策の工事を進めた上で平成29年(2017年)末を目途に、竜田~富岡が復旧できる見通しとなった。
 
 夜ノ森駅については、比較的内陸側にあり、線路や駅の被害はほとんどなかったが、放射能汚染が深刻で、放射線量が非常に高い帰還困難区域内にあり、駅の東に広がる住宅地は残念ながら帰還が困難な状況にある。富岡町役場のウェブサイトで公開されている夜ノ森駅の放射線量は平成28年(2016年)12月の時点で約4μSv/hといまだ非常に高く、同様の調査で富岡駅が0.12μSv/hであることから、いかに夜ノ森駅の数値が高いかがわかる。

 夜ノ森地区は桜並木が美しいことで知られ、福島県の中でもよく知られるお花見スポットだった。しかし、原発事故後、その桜を自由に愛でることはできなくなった。平成28年(2016年)の春は、桜並木の大部分が帰還困難区域で立ち入りできないものの、桜並木のうち一部の居住制限区域にあるところは、日中の立ち入りが可能(宿泊は禁止)で、原発事故後も変わらない美しい桜を見ることができるようになった。

 夜ノ森駅はツツジの名所としても知られていたが、常磐線の除染と復旧工事の開始にともない伐採され、土壌ごと入れ替えることになった。常磐線は放射能汚染が深刻な富岡~小高の区間について除染を進め、東京オリンピックが開催される平成32年(2020年)に常磐線の全線再開を目指している。夜ノ森駅周辺の盛り土の表土が入れ替えられた後、ツツジが再植樹されることになっており、夜ノ森のツツジは復興の象徴となることだろう。

 一方、常磐線が中断している間、JR代行バス(原ノ町~竜田)が国道6号線を走っているが、車窓から見えるのは、帰還困難区域に立ち入らないように仕切るバリケードと、誰もいない抜け殻の住宅と商店、そして積み上げられた除染土の黒い袋の山だ。福島県は原発から比較的離れた多くの市町村で日常生活を取り戻し、復興が進んでいるのも事実だが、一方で福島第一原発20キロ圏内の町では、帰還が今後も困難で立ち入りすら自由にできない地区が今もあるというのもまた現実である。しかも、目をそむけたくなる大量の黒い袋の山の置き場にされているのも、これらの地区の現状だ。いったい今後この袋の中身をどうするのだろうか。

 富岡駅の南東の海沿い、楢葉町にまたがるように福島第二原子力発電所がある。富岡町の第二原発については、第一原発と同様に津波が押し寄せ、一部施設が浸水するなどの被害があり、原子炉冷却に必要な電源3本のうち2本が喪失するなど、一時危険な状態ではあったが、全電源喪失の事態は避けられ、冷温停止状態に抑えることができた。福島第一原発と第二原発は南に約12km離れているが、第二原発も警戒区域に入るなど、とても再稼働できる状況になく、再稼働は断念した。現在は福島第一原発の廃炉作業の後方支援基地として使用されている。国道6号線からは福島第二原発の様子は見えないが、第二原発へ向かう立派な橋が見える。原発事故前は原発が富岡町の経済を牽引していたであろうことが感じられる。

 富岡町の中心部には福島第二原発の安全性や原発の素晴らしさをPRする施設だった東京電力福島第二原発「エネルギー館」が国道6号線にあるが、ここも長らく警戒区域で立ち入りすらできなかったのは何とも皮肉だ。同エネルギー館は平成28年(2016年)よりJビレッジ(広野町)で担ってきた福島第一原発廃炉関連の後方支援機能の一部を移すほか、東京電力は富岡町に対し、同エネルギー館を将来的に「廃炉資料館」とする意向を示した。帰還困難地区を抱え、富岡町は震災前に戻ることはもはや不可能であるが、この現実を踏まえた上で、原発事故被害を乗り越える町としてどのように新しい町に生まれ変わるのか。現実から目をそらさず、今後のまちづくりに注目し、応援していきたい。

富岡エリアの主な駅

富岡 / とみおか 駅
JR東日本 常磐線(休止中)

夜ノ森 / よのもり 駅
JR東日本 常磐線(休止中) 

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国道6号線から見える除染土の黒い袋の山

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帰還困難区域のため放置されたまま荒れ果てる商業施設

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東京電力福島第二原発PR施設「エネルギー館」

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国道6号線から見た富岡町に広がる太平洋

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山の向こうが福島第二原発

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国道6号線から福島第二原発へつながる橋

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山形・戸沢 芭蕉も旅した最上川舟下りの村

戸沢
とざわ

日本国山形県最上郡戸沢村

山形・戸沢 芭蕉も旅した最上川舟下りの村

 戸沢(とざわ)村は、山形(やまがた)県北部の最上(もがみ)郡にある人口約0.6万人の村。東が新庄(しんじょう)市、北が最上郡鮭川(さけがわ)村と酒田(さかた)市、西が東田川(ひがしたがわ)郡の庄内(しょうない)町、南が最上郡大蔵(おおくら)村と接している。

 戸沢村には東から西へ最上川(もがみがわ)が流れ、最上川沿いに国道47号線(鶴岡街道)とJR東日本・陸羽西線(奥の細道最上川ライン)が通り、陸羽西線の津谷(つや)、古口(ふるくち)、高屋(たかや)の各駅がある。

 津谷駅の南で鮭川が最上川に合流する。最上川はこのあたりで曲がりくねり、鶴岡街道沿いに「芭蕉ドライブイン」や道の駅「とざわ」などの施設がある。道の駅「とざわ」は、「モモカミの里『高麗館』」という愛称がある。「モモカミ」とはアイヌ語で「崖」の意味の「モモ」と「盆地」の「カミ」を合わせて「最上」とかけたもので、「高麗」とは、村が韓国から花嫁を募集したことから、戸沢村には韓国人妻が多く住んでおり、韓国文化を紹介するとともに、韓国料理や韓国物産を販売し、戸沢産のキムチなどで町おこしをはかっている。また、険しい崖の地すべり対策を長年にわたり行ってきたことから、「すべりどめ観音」が建てられ、受験生の人気スポットとなっている。

 古口大橋の西側に古口の市街地があり、古口駅と戸沢村役場がある。古口駅は上りと下りの列車交換ができる駅であり、快速「最上川」も停車する。古口駅の近くには最上川船番所があり、古口港から草薙港(川の駅・最上峡くさなぎ)まで約12キロを1時間かけて舟で下る「最上峡芭蕉ライン」があり、戸沢村観光の目玉となっている。戸沢村は冬は雪深いが、最上峡の雪景色も美しい。

 江戸時代の俳人・松尾芭蕉(まつお ばしょう)は、この最上川を舟下りし、「五月雨を集めて早し最上川」との俳句を詠んだ。古口から高屋の区間は、陸羽西線から最上峡の車窓が最も美しい区間であるが、峡谷が険しく、江戸時代はまだ道路を通すことができなかった。明治時代になり、ようやく鶴岡街道が通じ、大正3年(1914年)に国鉄陸羽西線の前身である国鉄酒田線が開業し、道路と鉄道で庄内地方と最上地方が結ばれるようになった。

 最上峡芭蕉ラインは、高屋駅の西側の草薙温泉がある「川の駅・最上峡くさなぎ」(旧・最上川リバーボート)で終点となる。ここには、レストランやお土産屋、近くに温泉旅館もある。但し、すぐ近くを走るJR陸羽西線の駅が近くにないので、ここに「草薙温泉」駅を新設してもよいのではないか。

戸沢エリアの主な駅

古口 / ふるくち 駅
JR東日本 陸羽西線(奥の細道最上川ライン)

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最上川

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JR陸羽西線・古口駅

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JR陸羽西線・古口駅

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雪景色の最上峡

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雪景色の最上峡

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川の駅・最上峡くさなぎ(旧・最上川リバーボート)

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福島・楢葉 原発事故の避難指示が解除された楢葉町、福島第2原発とJヴィレッジ

楢葉
ならは

日本国福島県双葉郡楢葉町

福島・楢葉 原発事故の避難指示が解除された楢葉町、福島第2原発とJヴィレッジ

 楢葉(ならは)町は、福島(ふくしま)県の浜通りの双葉(ふたば)郡にある町。北が双葉郡の富岡(とみおか)町、西が双葉郡川内(かわうち)村と いわき市、南が双葉郡広野(ひろの)町と接しており、東は太平洋が広がっている。

 楢葉町は、平成23年(2011年)3月の東日本大震災発生前は約8千人が住む町であったが、震災にともなう福島第一原子力発電所の爆発事故の影響で、市街地の大部分が警戒区域に指定され、避難を余儀なくされた。平成24年(2012年)8月に避難指示解除準備区域となり、除染等が進み、平成27年(2015年)9月に避難指示が解除され、再び居住できるようになったが、平成28年(2016年)6月の時点の町の人口は千人に満たない。

 町内にはJR東日本・常磐線が南北に走り、町内に木戸(きど)駅と竜田(たつた)駅がある。両駅とも東日本大震災で不通となり、原発事故による警戒区域および避難指示区域のため、復旧されないままとなっていたが、避難指示の区域(立入はできるが宿泊はできない)であったものの平成26年(2014年)6月に南隣の広野町の広野駅から竜田駅まで復旧し、いわき駅方面から電車でつながるようになった。そして、平成27年(2015年)9月の避難指示が解除され、町が本格的に復興に向けて進みつつある。

 平成27年(2015年)1月より、竜田駅と南相馬(みなみそうま)市の原ノ町(はらのまち)駅を結ぶ代行バスが運行を始めた。このバスは途中、大熊(おおくま)町や双葉(ふたば)町、浪江(なみえ)町など依然、高放射線量の区間を走るため、窓を開けることはできず、途中下車もできない。1日わずか2往復の運行であるが、原発事故で分断された常磐線の南北の駅がつながったのは画期的なことで、福島復興への希望を感じさせることとなった。

 平成28年(2016年)7月に原ノ町~小高(おだか)が運行再開し、常磐線の不通区間は竜田~小高となった。これに伴い、竜田~原ノ町の代行バスが小高駅にも停車するようになった。常磐線は平成29年(2017年)に竜田~富岡の運転再開を予定しており、同区間が再開すれば楢葉町内の全線が復旧することになる。

 竜田駅前は、放射線量を示す計器が設置されているほかは、震災時のまま時が止まっているようだ。住宅街が広がっているが、長らく避難指示の区域であったため、多くの住民が町外に避難しており、避難指示が解除されても、生活の不便さや、放射能への不安、仕事の関係などから戻って来る住民が少なく、町の復興や活性化にはまだまだ時間がかかりそうだ。

 楢葉町の山側には常磐自動車道が平成26年(2014年)に開通し、ならはPA(パーキングエリア)が開設された。

 楢葉町の北側の富岡町との境には福島第二原発がある。同原発も震災の津波の影響で一時危険な状態になったが、爆発には至らず、冷温停止となった。その後、原子炉内の燃料棒が使用済み燃料プールへと移動された。福島第一原発からわずか約15キロしか離れておらず、原発事故の福島県への影響の大きさから再稼働の見込みはない。

 楢葉町の南側の広野町との境には「Jヴィレッジ」と呼ばれるスポーツ施設があり、サッカーのナショナルトレーニング施設として使われていた。ここは日本サッカー協会、Jリーグ、福島県、東京電力が出資しており、原発に対する地元の貢献への見返りとして建設された。福島第一原発事故の際、「Jヴィレッジ」は原発事故の対応基地としての役割を担い、多くの原発職員や消防隊員らがここを拠点に出動し、事故への命がけの対応にあたった。

 避難指示が解除され、今後「Jヴィレッジ」は再びスポーツトレーニング施設として復旧が進められることになっており、平成32年(2020年)の東京オリンピックの際には、福島復興の象徴としてアピールされるものと思われる。

楢葉エリアの主な駅

竜田 / たつた 駅
JR東日本 常磐線

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JR常磐線・竜田駅と原ノ町への代行バス

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JR常磐線・竜田駅

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JR常磐線・竜田駅

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JR常磐線・竜田駅

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JR竜田駅から富岡方面を見る

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JR常磐線・竜田駅

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放射線量計と楢葉町の観光案内看板

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楢葉町・竜田駅前の街並み

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楢葉町・竜田駅前の街並み

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楢葉町の草が生い茂る神社

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福島・南相馬 相馬野馬追の町、原発事故で寸断された常磐線

南相馬
みなみそうま

日本国福島県南相馬市

福島・南相馬 相馬野馬追の町、原発事故で寸断された常磐線

 南相馬(みなみそうま)市は、福島(ふくしま)県の北東部の浜通りにある人口約6万人の市。北が相馬(そうま)市、西が相馬郡の飯舘(いいたて)村、南が双葉(ふたば)郡の浪江(なみえ)町と接しており、東は太平洋が広がっている。

 南相馬市は、平成18年(2006年)に原町(はらまち)市と相馬郡の小高(おだか)町および鹿島(かしま)町が合併して誕生した。合併後も、旧自治体が地域自治区とされ、北から「南相馬市鹿島区」、「南相馬市原町区」、「南相馬市小高区」となっている。

 JR東日本・常磐線が南北に走り、北から鹿島(かしま)、原ノ町(はらのまち)、磐城太田(いわき おおた)、小高(おだか)、桃内(ももうち)の各駅があり、南相馬市の中心駅は原ノ町駅である。「原町」は「はらまち」と読むが、宿場町だった「原町」は「はらのまち」とも呼ばれていたことから、駅名は「原ノ町」(はらのまち)が採用されている。

 平成23年(2011年)3月の東日本大震災では、南相馬市は沿岸部で津波の甚大な被害を受けた上、さらに福島第一原子力発電所の爆発事故により、放射線物質が飛来し、市域の多くが避難指示が出された。南相馬市は小高区の大部分が原発の20km圏内であり、原町区も原発の20~30km圏にある。市中心部の原町はなんとか原発事故による避難からは免れたが、市南部の小高区の原発20km圏内は警戒区域に指定されて避難指示が出され、住民は圏外に転居を迫られた。そのため、JR常磐線は原ノ町駅以南が運行できなくなり、小高駅などは長期休止せざるを得なかった。南相馬市には原町区に東北電力原町火力発電所があるが、こちらも被災はしたものの、火力発電所だったので2年後に稼働を再開している。

 JR常磐線の原ノ町駅はちょうど、いわき駅と仙台駅の中間地点にあたり、震災前は特急「スーパーひたち」も停車する主要駅であったが、東日本大震災により、原ノ町駅以南が原発事故の影響で不通となり、原ノ町より北は相馬駅以北で津波による線路および駅の流失により、長期間にわたり寸断されることになった。震災から9ヶ月後の平成23年(2011年)12月に原ノ町~相馬の短い区間が運転再開し、相馬から北は代行バスで亘理(わたり)駅まで行き、そこから再び電車で仙台へ向かう。相馬から北は、平成28年(2016年)12月に津波被害区間を内陸側に移転した新線が開通し、ようやく仙台まで直通できるようになった。

 一方、原ノ町以南については、平成27年(2015年)1月より、原ノ町駅より楢葉(ならは)町の竜田(たつた)駅まで警戒区域内を突っ切って走る代行バスが1日2往復運行されるようになり、常磐線の北と南がつながった。その後、除染作業が進み、平成28年(2016年)7月に南相馬市に残っていた避難指示の地域のうち、一部の帰還困難区域を除いて避難指示が解除された。それにより、原ノ町~小高の運転が再開された。小高駅以南は、平成29年(2017年)に浪江町の浪江駅まで運行再開が予定されている。常磐線の南北の線路が再びつながるのは平成32年(2020年)が目標とされている。

 原ノ町駅は、震災の影響で、原ノ町~相馬が他線とつながらない陸の孤島となっていたため、特急「スーパーひたち」の車両などが5年間にわたり野ざらしのまま留置されていたが、平成28年(2016年)に撤去された。

 南相馬市は、「相馬野馬追」(そうまのまおい)の祭りで知られる。「相馬野馬追」は相馬中村神社(相馬市)、相馬太田神社(南相馬市原町区)、相馬小高神社(南相馬市小高区)の3つの神社の祭礼であり、原町区の雲雀ヶ原祭場地で甲冑競馬や神旗争奪戦などの伝統神事が行われる。原ノ町駅前には「相馬野馬追」の像がある。

 原ノ町駅の周辺にはこのほか、「はらまち屋台広場」や「まちなかひろば」、旭公園などがある。また、駅から南西に1キロほど行けば東ヶ岡公園が広がり、南相馬博物館がある。

 南相馬市の内陸側を南北に貫く常磐自動車道は、震災後の平成24年(2012年)4月に開通したもので、南相馬IC(インターチェンジ)~相馬ICが先に開通。南相馬IC~浪江ICが平成26年(2014年)12月に開通。浪江IC~常磐富岡ICが平成27年(2015年)3月に開通し、全線開通となり、道路でいわき方面へ向かうのが便利になった。

 原ノ町駅から竜田駅を結ぶ代行バスは、国道6号線を南下する。20km圏内に入っていくと、人の数が急減し、津波をかぶった農地はそのまま放置されて雑草の荒地が広がっている。また、広大な除染土の入った大量の黒い袋の置き場が見えてくる。進む復興の一方で、原発事故の現実が横たわっている。

南相馬エリアの主な駅

原ノ町 / はらのまち 駅
JR東日本 常磐線

小高 / おだか 駅
JR東日本 常磐線

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JR常磐線・原ノ町駅

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震災の不通で留置されていた特急「スーパーひたち」

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JR常磐線・原ノ町駅

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相馬野馬追の像

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はらまち屋台広場

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原町の「まちなかひろば」

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代行バス乗り場

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原ノ町~竜田を結ぶ常磐線代行バス

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農地が再開できず雑草が広がる車窓

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20km圏内の警戒区域だった小高区

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福島・新地 津波被害からかさ上げ進む福島浜通り最北端の町

新地
しんち

日本国福島県相馬郡新地町

福島・新地 津波被害からかさ上げ進む福島浜通り最北端の町

 新地(しんち)町は、福島(ふくしま)県の浜通りの北端、相馬(そうま)郡にある人口約0.8万人の町。南が相馬(そうま)市、西が宮城県伊具(いぐ)郡の丸森(まるもり)町、北が宮城県亘理(わたり)郡の山元(やまもと)町と接している。

 新地町は、相馬市とともに磐城国(いわきのくに)に属し、北の亘理郡も磐城国に属していた。一方、江戸時代は新地町まで仙台藩領だった。このような経緯から新地町と亘理郡山元町が福島県と宮城県の県境となったが、両町の行き来は盛んで、新地は仙台都市圏の一部ともいえる。

 新地町は、浜通りを南北に貫く幹線交通が通り、内陸側に常磐自動車道が走り、新地IC(インターチェンジ)がある。新地ICと連絡する国道113号線は新地町の南から西へと伸びて宮城県丸森町方面を結んでいる。海側には浜通りを貫く国道6号線とJR東日本・常磐線が通っている。

 JR常磐線は新地駅と駒ヶ嶺(こまがみね)駅があるが、平成23年(2011年)3月に発生した東日本大震災の津波による影響で、震災から5年が経過した平成28年(2016年)春の時点でも、相馬~浜吉田(宮城県亘理町)が不通となっており、新地町内の2駅は代行バスによる運行が行われていた。

 新地駅周辺は特に津波被害が甚大だった。駅舎とホームや線路は流失し、停車していた普通電車も流されて破壊された。乗客は乗員の誘導により高台に避難して難を逃れたが、駅周辺の町は跡形もなく破壊され、新地町では百名を超える犠牲者が出た。

 このため、新地町では震災復興プロジェクトとして、新地駅周辺の土地をかさ上げし、新地駅を内陸側へ約100m移転した上で復旧する工事が進められ、平成28年(2016年)12月に相馬~新吉田が新線でようやく復旧し、新しい新地駅も開業した。

 代行バスの新地駅停留場は、国道6号線に近い新地町役場前に設けられていた。新地町役場の北東側は大規模な土地かさ上げ工事が行われ、広大な盛り土作業が進められ、ここに新しい新地駅ができた。この盛り土に乗り入れる常磐線の高架橋が北側に造られた。この高架橋は津波で流失した旧線とは異なる内陸側へ移転する新線であり、山元町の坂元駅も内陸移転した新駅となった。

 旧・新地駅跡もかさ上げ工事が行われ、盛り土で駅跡はもうわからなくなっている。一方、旧駅の東側は、雑草の生えた何もない広大な空き地が広がっている。津波に浸ったところがそのまま放置されているようだ。ここは今後、どのように土地利用されるのだろうか。そして、海岸部でも大規模な盛り土工事が行われており、砂丘のようになっている。かさ上げ工事は行われていない旧・坂元駅周辺とは対照的な光景である。

 震災から5年が経過しても、未だに土を盛っている光景に、復興が進まないもどかしさも感じるが、今後どのように町が変貌を遂げるのだろうか。常磐線の復旧により、町がよみがえることを期待したい。

 新地町の南の駒ヶ嶺地区には新地発電所と相馬港があり、新地町の経済を支えている。その南は、浜通りの中心都市である相馬市で、相馬中核工業団地と接している。

新地エリアの主な駅

新地 / しんち 駅
JR東日本 常磐線 

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新地駅代行バス停留場

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新地町役場

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新地町の風景

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復旧工事が行われている常磐線

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かさ上げ工事が行われている新地駅周辺

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かさ上げ工事が行われている新地駅周辺

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復旧工事進むJR常磐線の新線

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旧新地駅のあたりから見た常磐線の新線

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かさ上げ工事が行われている常磐線の旧・新地駅跡地

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かさ上げ工事が行われている常磐線の旧線跡地

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海側から見た新地駅周辺の盛り土

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海側から見た新地駅周辺の盛り土

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新地の海岸部の盛り土工事

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新地の海岸部の盛り土工事

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山形・新庄 山形新幹線の終着駅、雪深い最上地方の中心都市

新庄
しんじょう

日本国山形県新庄市

山形・新庄 山形新幹線の終着駅、雪深い最上地方の中心都市

 新庄(しんじょう)市は山形(やまがた)県北部にある人口約3.6万人の市。東が最上(もがみ)町、南が舟形(ふながた)町、大蔵(おおくら)村、西が戸沢(とざわ)村、北が鮭川(さけがわ)村、金山(かねやま)町(いずれも最上郡)と接しており、最上(もがみ)地方の中心都市である。

 新庄は、最上川(もがみがわ)の水運を利用して発展し、羽州街道の宿場町としても栄えた。江戸時代には新庄藩が置かれ、戸沢(とざわ)市が大名を務めていた。沼田城(ぬまたじょう)とも呼ばれる新庄城の城下町として市街地が形成されたが、幕末の1868年(慶応4年)の旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争で新庄藩は東北の奥羽越列藩同盟を抜け、薩摩藩や長州藩らの新政府軍側につき、出羽国の庄内藩ら旧幕府軍との「新庄の戦い」となり、城下町は破壊されて焼失し、新庄藩の戸沢正実・藩主は秋田藩に亡命し、新庄藩は一時的に庄内藩に置かれた。その後、明治新政府が誕生し、庄内藩は明治元年(1867年)に新政府に降伏した。出羽国は山形を中心とする羽前(うぜん)と秋田を中心とする羽後(うご)に分割された。1871年(明治4年)に廃藩置県で、新庄県が置かれ、同年9月に羽前国に相当する部分が山形県となり、新庄は山形県の一部となった。新庄城跡は最上公園となっており、天守閣はもうないが、新庄護国神社や戸澤神社などがある。

 新庄には明治36年(1903年)に奥羽本線の新庄駅が開業し、福島から山形、新庄、秋田、青森をつなぐ幹線ルートとなった。さらに最上川沿いに日本海側を走る羽越本線の余目(あまるめ)まで結ぶ陸羽西線、東北本線の小牛田(こごた)まで結ぶ羽越東線が開業し、鉄道交通の要衝となった。いずれも雪深い路線であり、新庄駅の役割は重要であり、鉄道の町としても重要な都市となった。

 奥羽本線はかつては東京から山形、秋田方面の最短ルートであり、かつては寝台特急「あけぼの」、特急「つばさ」などが運行されていた。昭和57年(1982年)に東北新幹線が開業すると、東京から秋田へ行くには、盛岡(もりおか)から田沢湖線経由で秋田を結ぶ特急「たざわ」が便利になった。山形へは、東北新幹線で福島(ふくしま)まで行って、そこから特急「つばさ」に乗り換えて山形へ向かうようになった。

 東北新幹線開業によって山形、秋田方面は大幅に時間短縮が実現したが、乗り換えの手間がかかるため、新幹線の乗り入れが模索され、在来線の線路の幅を1067mmの狭軌から新幹線サイズである1435mmの標準軌に改軌した上で一回り小さい新幹線車両を直通させる「ミニ新幹線」方式が採用された。そして、平成4年(1992年)に奥羽本線の福島~山形の標準軌化が完成して山形新幹線が開業した。奥羽本線が山形を境に分割され、東京~山形が山形新幹線「つばさ」、山形~秋田が特急「こまくさ」となった。平成9年(1997年)には盛岡~秋田の標準軌化も完成し、秋田新幹線が開業し、秋田新幹線「こまち」の運行が始まった。奥羽本線のうち標準軌化された大曲(おおまがり)~秋田は狭軌と標準軌が並列される方式が採られ(一部は三線軌条化)、山形新幹線とは異なり、在来線の直通に支障がないよう配慮された。

 奥羽本線の分断により、寝台特急「あけぼの」は2往復のうち、1往復が東北本線の小牛田から陸羽東線で新庄から奥羽本線に入り、1往復は高崎線、上越線、羽越本線経由の寝台特急「鳥海」となった。秋田新幹線開業後は、「鳥海」が「あけぼの」になり、陸羽東線と新庄経由の「あけぼの」は廃止された。

 山形県北部から東京へのアクセスを改善するため、奥羽本線の山形~新庄の山形新幹線化工事が進められ、平成11年(1999年)に山形~新庄が開業し、奥羽本線のうち、福島~新庄が標準軌(山形新幹線)となり、新庄~大曲が狭軌、大曲~秋田が狭軌と標準軌(秋田新幹線)の並列となり、秋田~青森は狭軌と、本線としての一体性は失われ、東京へのアクセスがより重視されるようになった。

 山形新幹線の延伸により、新庄、大石田(おおいしだ)、村山(むらやま)、さくらんぼ東根(さくらんぼ ひがしね)、天童(てんどう)から東京へ乗り換えなしで行けるようになり、山形県から東京へのアクセスは飛躍的にアップした。一方、奥羽本線のうち、新庄~大曲が、山形新幹線からも秋田新幹線からも取り残されるローカル線になってしまった。この沿線の旅客は普通電車で新庄か大曲に出て東京に向かうことになるが、この区間を標準軌化しても東京へのスピードアップ効果はないことから、新庄から北へ山形新幹線が延伸することはなさそうだ。東京へのアクセスは飛躍的に便利になったものの、山形~秋田という隣の県庁所在地への移動は必ず1回乗り換えを強いられる不便な状態になってしまったが、利用者数を考えると仕方ないのかもしれない。

 新庄市内には、JR東日本の奥羽本線と山形新幹線(山形線)、陸羽西線、陸羽東線が通り、奥羽本線は新庄、泉田(いずみた)、山形線は新庄、陸羽西線は升形(ますかた)、羽前前波(うぜん せんなみ)、陸羽東線は新庄、南新庄(みなみしんじょう)の各駅がある。

 標準軌の山形新幹線(山形線)は山形経由東京方面の新幹線「つばさ」と山形方面の普通電車が運行されている。奥羽本線は、秋田県の湯沢(ゆざわ)、横手(よこて)、大曲、秋田方面の普通電車が運行されているが、ローカル線化した本線分断の寂しさを感じる。陸羽西線は、「奥の細道最上川ライン」との愛称がつけられ、最上川沿いを走り、羽越本線の余目、酒田(さかた)方面を結んでおり、快速「最上川」が新庄~酒田に運行されている。陸羽東線は「奥の細道湯けむりライン」という愛称で、沿線には鳴子温泉があり、観光コースとしても使えるが、現在は特急列車の運行もなく、ローカル線化している。

 新庄駅は山形新幹線開業に合わせて大改造が行われ、新しい駅舎が建てられた。新庄の市中心部は西口側で、東口には最上中央公園が広がっている。

新庄エリアの主な駅

新庄 / しんじょう 駅
JR東日本 山形新幹線(山形線)、奥羽本線、陸羽西線(奥の細道最上川ライン)、陸羽東線(奥の細道湯けむりライン)

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新庄駅で折り返す山形新幹線

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新庄から秋田へ向かう奥羽本線の普通電車

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陸羽西線を走るディーゼルカー

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「抑止すったが?」新庄の地元方言を用いた業務確認標識。

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新庄駅の駅舎

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雪深い新庄の街並み

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雪深い新庄の街並み

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雪深い新庄の街並み

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最上中央公園

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新庄まつりの展示

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テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

宮城・山元 津波襲った常磐線と内陸移転する駅

山元
やまもと

日本国宮城県亘理郡山元町

宮城・山元 津波襲った常磐線と内陸移転する駅

 山元(やまもと)町は、宮城(みやぎ)県の南東部にある亘理(わたり)郡の人口約1.3万人の町。北が亘理郡亘理町、西が角田(かくだ)市と伊具(いぐ)郡の丸森(まるもり)町、南が福島県相馬郡の新地(しんち)町と接しており、東には太平洋が広がっている。

 山元町は現在は宮城県に属しているが、旧国名は磐城国(いわきのくに)の一部であり、福島県浜通り地方とのつながりが深い。

 山元町は昭和30年(1955年)に山下(やました)村と坂元(さかもと)村が合併して「山元」町となった。町内にはJR東日本・常磐線が走り、山下駅と坂元駅がある。また、常磐自動車道の山元インターチェンジ(IC)があり、平成27年(2015年)には全線開通し、いわき市方面まで高速道路がつながった。

 平成23年(2011年)に発生した東日本大震災では、津波が山元町を襲い、平地が広がる沿岸部では甚大な被害が発生した。特にJR常磐線が海に近いところを走っていたことから、山下駅と坂元駅のいずれもが津波で流失する被害を受けた。亘理町の浜吉田駅から山下駅へ向かっていた貨物列車が津波に遭い、重量の重い電気機関車は持ちこたえたが、貨車や積んでいたコンテナが津波に流された。

 JR常磐線は震災後、津波被害が甚大だった浜吉田~相馬(そうま)の運転再開の見込みが立たず、亘理~相馬で国道6号線を通る代行バスが運転され、線路を内陸側に移動して新線を建設して復旧することになった。そして、平成28年(2016年)12月に浜吉田~相馬が開通し、内陸に移転した新しい山下駅と坂元駅も開業した。

 山元町役場は比較的内陸の国道6号線側にあり、周辺に市街地が広がっている。旧・山下駅は山元町役場から約2キロ東にあった。新しい山下駅が内陸寄りに移転すれば山元町役場やその周辺の住宅地から便利になるため、新駅を中心とした新しい都市開発を通して復興を加速させていくことになる。

 JR常磐線の坂元駅は国道6号線の近くに約1キロ内陸側に移転することになり、高架線と駅の工事が進められた。津波で流された旧・坂元駅はすでにホームや線路等も撤去され、駅前の町は津波で破壊され、跡形も無くなっている。常磐線のさらに海側を南北に走る道路はイチゴ栽培が盛んなことから「ストロベリーライン」と呼ばれているが、イチゴ栽培のビニールハウスも津波にやられてしまった。震災から5年近く経った時点でも、津波で流された町や農地だったところは雑草が生い茂る荒地のまま手付かずとなっている。一部でソーラーパネルが立っているところもあるが、今後この海岸地区は果たしてどのように復興を進めていったらよいのか途方もない気持ちになりそうな現実が広がっている。

山元エリアの主な駅

山下 / やました 駅
JR東日本 常磐線

坂元 / さかもと 駅
JR東日本 常磐線

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国道6号線を走る常磐線代行バス坂元駅

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内陸側に建設中の新・坂元駅

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内陸側に建設中の新・坂元駅

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建設進む常磐線の新ルート

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津波の被害受け、荒れ地広がる坂元地区
 
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旧・坂元駅前

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旧・坂元駅前に残る町の案内板

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解体された旧・坂元駅ホーム

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撤去された旧・坂元駅

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常磐線旧・坂元駅の廃線跡

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常磐線旧・坂元駅の廃線跡

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宮城・亘理 阿武隈川の南の町、鳥の海とお城のような亘理駅

亘理
わたり

日本国宮城県亘理郡亘理町

宮城・亘理 阿武隈川の南の町、鳥の海とお城のような亘理駅

 亘理(わたり)町は、宮城(みやぎ)県南東部の亘理郡にある人口約3.3万人の町。北が岩沼(いわぬま)市、西が角田(かくだ)市、南が亘理郡山元(やまもと)町と接しており、東には太平洋が広がっている。宮城県に属するが、旧国名は陸前国(りくぜんのくに)ではなく、磐城国(いわきのくに)に属し、常磐線が通る福島県浜通りとの結びつきが強い。

 亘理町の北には阿武隈川が流れ、岩沼市との境となっている。阿武隈川の河口の少し南の荒浜(あらはま)地区には荒浜海水浴場と荒浜港があり、淡水と海水が入り混じる汽水湖である「鳥の海」(とりのうみ)があり、渡り鳥や海鳥の楽園となっている。また、「ホッキ貝」が特産で「ほっきめし」が郷土名物料理となっている。

 南北に常磐自動車道が通っており、阿武隈川の手前に亘理IC(インターチェンジ)があるほか、鳥の海の近くに鳥の海PA(パーキングエリア)がある。

 鉄道は、JR東日本・常磐線が通っており、逢隈(おおくま)、亘理、浜吉田(はまよしだ)の各駅がある。市中心部にあるのは亘理駅で、平成23年(2011年)の東日本大震災による津波・原発被害で常磐線が分断される前は、特急「スーパーひたち」も停車していた。常磐線の普通電車は岩沼駅で東北本線と合流してからそのまま仙台(せんだい)駅まで直通運転しており、亘理町も仙台への通勤圏となっている。亘理駅前にある亘理町立図書館、郷土史料館、FMあおぞら、亘理山元商工会などが入る「悠里館」は、お城の天守閣のような建物であり、本物の城郭ではないが、亘理町のシンボルとなっている。

 亘理町は、海側に平地が広がっているため、東日本大震災の際には、津波による大きな被害を受けた。亘理駅は比較的内陸にあるため大丈夫だったが、浜吉田駅は津波に漬かり、浜吉田駅の南を走っていた貨物列車が津波でコンテナが流される被害を受けた。岩沼~亘理は震災から約1ヶ月で復旧したが、亘理~浜吉田は2年後の平成25年(2013年)3月にようやく復旧した。しかしながら、浜吉田~相馬(そうま)は、比較的海側を走り、津波の被害が甚大であったため、線路自体が内陸に移動することになり、新線を建設するため復旧が遅れていたが、平成28年(2016年)12月に浜吉田~相馬が開通した。

 福島県相馬市の相馬駅までを結ぶ常磐線代行バスは、亘理駅から出発していた。代行バスは国道6号線を走るため、浜吉田駅の代行バス停は、浜吉田駅から2キロほど内陸の国道6号線上に設置されていた。

亘理エリアの主な駅

亘理 / わたり 駅
JR東日本 常磐線

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JR常磐線・亘理駅

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お城のような亘理駅

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亘理~相馬を結ぶ常磐線代行バス

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宮城・岩沼 阿武隈川と千年希望の丘

岩沼
いわぬま

日本国宮城県岩沼市

宮城・岩沼 阿武隈川と千年希望の丘

 岩沼(いわぬま)市は、宮城(みやぎ)県の南部にある人口約4.5万人の市。北が名取(なとり)市、西が柴田(しばた)郡の村田(むらた)町と柴田町、南が亘理(わたり)郡の亘理町と接しており、東は太平洋が広がっている。

 岩沼は、阿武隈川の河口の北側に位置する街であり、古くは武隈(たけくま)と呼ばれ、9世紀に竹駒神社が創建されるなど、歴史のある宿場町として栄えた。14世紀には岩沼城(鵜ケ崎城)が築城され、江戸時代には岩沼藩の城下町として栄えた。

 その城址にできた現JR東日本東北本線・常磐線の岩沼駅は明治20年(1887年)に日本鉄道(東北本線)の駅として開業し、明治30年(1897年)に日本鉄道・磐城線(現・常磐線)も開業して、分岐駅となった。日本鉄道は明治39年(1906年)に国有化された。

 岩沼駅からは、常磐線の東側にもう一本、貨物線が分岐しているが、この貨物線は日本製紙岩沼工場まで伸びている。

 岩沼市は太平洋に面しているため、平成23年(2011年)の東日本大震災では津波による甚大な被害を受けた。特に貞山運河の東側の平地は津波に集落が呑み込まれた。

 名取市にある仙台空港から約1キロほど南東のところにある相の釜地区は、特に津波の被害が大きく、被災した集落は内陸部に集団移転することになった。その集落跡は、東日本大震災を伝える「千年希望の丘」という公園が復興事業の一環として整備されている。

 津波を防ぐためには防潮堤などを高くする必要があるが、すべての海岸にそれを整備するのは現実的には難しい。もし当時、近くに高台があれば、もっと多くの人が助かっていたという教訓から、「千年希望の丘」では、東日本大震災の津波の最大の高さよりも高い高さ10数メートルの人工丘である「避難丘」をいくつも作り、万が一、津波が来る際に緊急避難できるスペースを作った。また、集落跡に整備された公園には、震災慰霊碑が建てられ、その慰霊碑のモニュメントの高さが、津波の最大の高さと一致しており、津波の教訓を未来に伝える設計となっている。同慰霊碑には、平成27年(2015年)に天皇・皇后両陛下が訪れたほか、台湾の李登輝(リー ティンフイ)元総統も訪れた。

 「千年希望の丘」の公園にはこのほか、元々あった集落と現在を比較し、津波の被害を伝えるパネル展示があり、震災の記憶を後世に伝えている。また、避難丘をつなぐ遊歩道はかさ上げされて堤防の役割も果たすよう配慮されている。

 一方、「千年希望の丘」として整備工事が進められている地区以外の沿岸部は、雑草だらけの荒地が、震災から5年近く経ってもそのままの状態である。津波の被害を受けてしまった地区を今後どのように復興させていくのかは、太平洋沿岸部の共通の課題であり、今後、どのように再開発していくのか気になるところである。もともとの街並みは再現できないにしても、よりより土地活用がなされるよう今後に期待したい。

岩沼エリアの主な駅

JR東日本 東北本線、常磐線
岩沼 / いわぬま

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岩沼駅

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千年希望の丘の避難丘

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千年希望の丘の東日本大震慰霊碑

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元々の集落の様子を伝えるパネルと避難丘

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津波被害を伝えるパネル

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避難丘から見た海岸

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宮城・名取 仙台空港と閖上港

名取
なとり

日本国宮城県名取市

宮城・名取 仙台空港と閖上港

 名取(なとり)市は、宮城(みやぎ)県の中南部にある人口約8万人の市。北が仙台(せんだい)市の太白(たいはく)区、西が柴田(しばた)郡の村田(むらた)町、南が岩沼(いわぬま)市に接しており、東には太平洋が広がっている。

 名取市は、仙台市に接していることから仙台のベッドタウンとして発展しており、さらに仙台空港があり、仙台および宮城県、東北地方の玄関口となっている。

 南北にJR東日本の東北本線が走り、市内に名取駅と館腰(たてこし)駅がある。また、平成19年(2007年)に仙台空港鉄道・仙台空港線が開業し、JR名取駅から分岐して杜せきのした(もり せきのした)、美田園(みたぞの)、仙台空港の各駅が開設された。

 名取駅は名取市の中心部にある駅で、名取市役所の最寄り駅である。駅の北西側にはサッポロビール仙台工場がある。

 仙台空港鉄道は仙台空港アクセス線として仙台駅までJR東北本線と直通運転しており、名取~仙台は普通電車の運転本数も多くなる。仙台空港鉄道の杜せきのした駅は、「イオンモール名取」の最寄り駅であり、ショッピングの利用客が多い。美田園駅は「なとりりんくうタウン」として都市開発が進められている。この先は仙台空港の滑走路の東側をトンネルでくぐって仙台空港駅に到着する。仙台空港アクセス線の開業により、仙台空港の利便性が大幅に向上した。

 仙台空港は、昭和15年(1940年)に日本陸軍によって名取飛行場として開設され、戦後はアメリカ軍に接収。昭和31年(1956年)に返還され、翌年に旅客輸送が始まり、昭和39年(1964年)に仙台飛行場から仙台空港に改称された。平成2年(1990年)より国際化され、現在は国内線が主に札幌(新千歳)、大阪(伊丹、関西)、名古屋(中部)、福岡、那覇、成田など、国際線が台北、ソウル(仁川)、上海、北京、グアムなどへ運航されている。

 平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災では、仙台空港に津波が押し寄せた。駐車場の車両は流され、滑走路にも大量のガレキが流れ込み、周辺が冠水し、仙台空港のターミナルビルが一時孤立した。仙台空港鉄道も、空港周辺のトンネルが水没した。しかし、自衛隊がまもなくガレキの撤去を開始し、さらに日本の震災支援に駆けつけたアメリカ軍が3月16日から仙台空港のガレキ除去を開始。わずか数日で滑走路の一部が使用可能となった。米軍は仙台空港を輸送機発着の拠点として、日本への緊急救援活動「トモダチ作戦」(Operation Tomodachi)を展開した。仙台空港の復旧作業も同時に進められ、4月13日から33日ぶりに旅客便の運航が再開された。仙台空港鉄道の仙台空港駅は約半年後の同年10月に全線復旧した。

 仙台空港の東側には阿武隈川から広浦、名取川へとつながる貞山運河がある。これは江戸時代に仙台藩の伊達政宗(だて まさむね)の命によって建設された堀であり、名取川の北もずっと海沿いに伸びている。仙台空港の南側は岩沼市で、津波で被害を受けた集落の跡地に慰霊碑と避難丘を建設した「千年希望の丘」が約1キロ離れたところにある。

 名取川の河口に近い閖上(ゆりあげ)地区には閖上港があり、漁港と朝市でにぎわう町であったが、ここも津波で大きな被害を受けた。「ゆりあげ港朝市」は平成25年(2013年)5月に再開し、復興に向けて仮設店舗「閖上さいかい市場」が営業している。閖上地区を見渡すことができる日和山(標高約6m)にあった富主姫神社は津波で流失し、日和山には震災慰霊碑が建立された。

 名取市は平野が広がっていることから、津波によって多くの人命が奪われ、津波をかぶった土地の再活用も遅れており、復興はまだまだだ。一方、下増田地区の宮城農高跡地には大規模な名取第一・第二太陽光発電所が建設されることになり、復興の希望の光を生み出すプロジェクトが進められている。
 
名取エリアの主な駅

名取 / なとり 駅
JR東日本 東北本線
仙台空港鉄道 仙台空港線

仙台空港 / せんだいくうこう 駅
仙台空港鉄道 仙台空港線

杜せきのした / もりせきのした 駅
仙台空港鉄道 仙台空港線

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JR名取駅

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JR名取駅

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名取駅前にあるサッポロビール仙台工場

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杜せきのした駅前のイオンモール名取

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仙台空港駅

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仙台空港

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仙台空港

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仙台空港の滑走路

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仙台空港から見た「千年希望の丘」

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