山形・酒田 最上川河口の酒田港と庄内空港、ケヤキ並木美しい庄内米の山居倉庫

酒田
さかた

日本国山形県酒田市

山形・酒田 最上川河口の酒田港と庄内空港、ケヤキ並木美しい庄内米の山居倉庫

 酒田(さかた)市は、山形(やまがた)県北西部の庄内地方にある人口約11万人の市。山形県の中では山形市、鶴岡(つるおか)市に次ぐ人口第3位の都市であり、南が鶴岡市と東田川(ひがしたがわ)郡の三川(みかわ)町、庄内(しょうない)町、東が最上(もがみ)郡の戸沢(とざわ)村、鮭川(さけがわ)村、真室川(まむろがわ)町、北が秋田(あきた)県の由利本荘(ゆりほんじょう)市、北西が飽海(あくみ)郡の遊佐(ゆざ)町と接している。

 酒田市は、古くは出羽国(でわのくに)の国府が置かれ、江戸時代の17世紀後半からは西廻り航路が寄港する港町として発展した。江戸時代より廻船問屋の鐙屋(あぶみや)や、地主の本間(ほんま)氏が力を持ち、東北地方の日本海側における主要都市の一つである。

 明治22年(1889年)に飽海郡酒田町が発足し、昭和8年(1933年)に酒田市となった。戦後は、飽海郡の飛島(とびしま)村、西荒瀬(にしあらせ)村、さらに昭和29年(1954年)末に飽海郡の東平田(ひがしひらた)村、北平田(きたひらた)村、中平田(なかひらた)村、上田(うえだ)村、本楯(もとたて)村、南遊佐(みなみゆざ)村、東田川郡の新堀(にいぼり)村、広野(ひろの)村、西田川郡の袖浦(そでうら)村が合併し、市域が拡大した。さらに「平成の大合併」で、旧・酒田市と飽海郡の八幡(やわた)町、松山(まつやま)町、平田(ひらた)町が合併し、新しい酒田市が発足し、現在の市域となった。

 酒田市は現在は山形県に属しているが、かつての羽前と羽後の境が最上川で、酒田が羽後側に属していた。酒田の旧市街は最上川の北にあるので、もともと秋田寄りの羽後国にあったが、昭和29年の合併で最上川より南の東田川郡などを市域に組み入れたため、酒田市南部は羽前側だった地区である。

 山形県の県庁所在地である山形市は内陸部にあり、日本海側の酒田とはかなり生活圏も異なるが、それをつないでいるのが最上川であり、最上川の流れをたどると、山形市と酒田市が同じ県にあるのも納得がいく。

 酒田市にはJR東日本・羽越本線が通り、南鳥海(みなみちょうかい)、本楯(もとたて)、酒田(さかた)、東酒田(ひがしさかた)、砂越(さごし)の各駅がある。酒田市の中心の駅である酒田駅は、羽越本線を走り、秋田(あきた)~酒田~新潟(にいがた)を結ぶ特急「いなほ」が停車する。また、運転本数は少ないが、陸羽西線に直通して山形新幹線の新庄(しんじょう)駅まで結ぶ快速「最上川」も酒田駅を起点としている。

 酒田から東京へのアクセスは、酒田から特急「いなほ」で新潟へ出て、そこから上越新幹線で向かうルートと、酒田・余目から陸羽西線(奥の細道最上川ライン)で新庄へ出て、そこから山形新幹線で向かうルートがある。酒田から新庄は直線距離で約50キロで、そんなに遠くないが、陸羽西線が非電化単線でスピードが遅く、本数も少ないため、酒田から山形新幹線は利用しにくいのが現実である。また、山形新幹線は新庄~山形~福島は在来線規格を標準軌に改軌したミニ新幹線であり、山形県内を走るスピードは在来線の特急と変わらない。酒田市では、新庄まで伸びた山形新幹線をさらに陸羽西線もミニ新幹線化して酒田まで伸ばすよう誘致しているが、陸羽西線の改造費用と、わずかなスピードアップ効果しかないことを考えるとなかなか実現は難しいようだ。しかしながら、酒田~山形~東京が一本のミニ新幹線電車で結ばれると県内の移動も便利になるので、新庄という中途半端な地点で終点にするよりは、思い切って酒田まで伸ばしたほうが長期的に見て山形新幹線の路線価値が上がるとも思う。

 また、高速道路の整備も近年進み、酒田市内には酒田みなとIC(インターチェンジ)、酒田中央IC、酒田IC、庄内空港ICがある。鶴岡市の鶴岡JCT(ジャンクション)から山形自動車道とつながっていて、月山花笠ライン経由で山形市方面を結んでいる。道路交通の改善により、山形への足は、陸羽西線・山形新幹線経由よりは、酒田~山形を直接結ぶ高速バスが約2時間半で結ばれ、高速バスのほうが便利となっている。高速バスは宮城県の仙台(せんだい)までも約3時間で結んでいる。酒田にはかつて東京方面を結ぶ寝台特急「あけぼの」「鳥海」などが運行されていたが、平成26年(2014年)までに廃止された。一方で、夜行の交通は、寝台特急より安い酒田~東京を結ぶ夜行バスにシフトしているのは時代の流れだろうか。

 酒田市の南部、鶴岡市との境にある庄内空港(おいしい庄内空港)は、山形県の日本海側の酒田・鶴岡などの庄内地方の玄関空港であり、東京羽田空港への便がある。庄内地方は、県庁所在地の山形市へ行くのさえも不便なように、陸路の交通が不便で、東京などの大都市へ行くのに非常に時間がかかっていた。この「陸の孤島」状態解消のために、空港建設を求める声が高まり、昭和63年(1988年)に着工、平成元年(1991年)に開港した。もともと庄内地方の人口が多くないため、定期便が維持できているのは庄内~東京羽田のみであるが、東京まで約1時間で結ばれる時短効果のインパクトは大きく、企業誘致やビジネスの活性化に寄与している。

 酒田駅は、日本海側の交通の拠点であることから構内は広く、駅東側は広い車両基地が併設されている。西側に駅舎とロータリーがあり、駅周辺にはホテルや八雲神社、「本間美術館」などがある。本間美術館は、江戸時代からの庄内地方最大の大地主だった本間(ほんま)家が収集した美術品コレクションを展示している。

 酒田市中心部の旧市街地は、酒田駅から南西約1キロのあたりに広がっている。旧市街地には浄徳寺、龍厳寺、蓮容寺、学仙院、正徳寺、海晏寺などの寺院が集まっている。その南側は羽州浜街道などの道が広くなるが、このあたりは昭和51年(1976年)の「酒田大火」で焼失した地区で、日本海側特有の強風で被害が広がった。その復興の際に防災都市と近代的な商店街の形成に重点が置かれ、防火のための道路拡張と緑地化が行われた。

 市街地の西側の小高い丘には、日枝神社や光丘神社、海向寺、日和山公園などがあり、日和山公園の北西には、酒田港の工業地区が広がり、東北東ソー化学酒田工場、米田物産酒田防腐工場、花王酒田工場などがある。

 市街地の南側にある新井田川の中洲にある山居(さんきょ)島は、酒田港と最上川の舟運の拠点だった。「山居倉庫」は、酒田米穀取引所の倉庫として明治26年(1893年)から明治30年(1897年)までに14棟が造られた。土蔵造りで、断熱性の高い二重屋根とにがりと塩で除湿効果もある土間、日差しを遮り季節風から守るケヤキ並木などが特徴的で、酒田市のシンボルとなっており、一部の倉庫が「庄内米歴史資料館」、「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽(くら)」となっている。

酒田エリアの主な駅

酒田 / さかた 駅
JR東日本 羽越本線

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JR羽越本線・酒田駅、特急「いなほ」

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酒田駅で出発を待つ羽越本線の普通気動車

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酒田駅

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車両基地が広がる酒田駅

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酒田駅の庄内米と山居倉庫のPR

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JR酒田駅の駅舎

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酒田駅の近くにある八雲神社

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酒田駅付近の街並み

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酒田駅付近の街並み

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山形・庄内 羽越本線と陸羽西線が分岐する余目駅、庄内平野と最上川

庄内
しょうない

日本国山形県東田川郡庄内町

山形・庄内 羽越本線と陸羽西線が分岐する余目駅、庄内平野と最上川

 庄内(しょうない)町は、山形(やまがた)県北西部の庄内地方にある人口約2万人の町。北が酒田(さかた)市、西と南が鶴岡(つるおか)市と西村山(にしむらやま)郡の西川(にしかわ)町、南東が最上(もがみ)郡の大蔵(おおくら)村、東が最上郡戸沢(とざわ)村と接している。また、西に東田川郡三川(みかわ)町とのわずかだが接している。

 庄内町は、平成17年(2005年)に東田川郡の余目(あまるめ)町と立川(たちかわ)町が合併して「庄内町」が発足した。

 庄内町にはJR東日本の羽越本線と陸羽西線(奥の細道最上川ライン)が通り、羽越本線の北余目(きたあまるめ)、余目(あまるめ)、西袋(にしぶくろ)、陸羽西線の余目、南野(みなみの)、狩川(かりかわ)、清川(きよかわ)の各駅がある。

 余目駅は旧・余目町の中心部にあり、庄内町役場の最寄り駅である。酒田(さかた)、秋田(あきた)方面と、鶴岡(つるおか)、村上(むらかみ)、新発田(しばた)方面を結ぶ羽越本線と、山形新幹線の新庄(しんじょう)方面を結ぶ陸羽西線が分岐しており、新潟~酒田~秋田を結ぶ羽越本線の特急「いなほ」が停車する。また、本数は少ないが、陸羽西線にも酒田~余目~新庄を結ぶ快速「最上川」が運行されている。

 庄内町から東京方面に出るには、羽越本線の特急「いなほ」に乗って新潟乗り換えの上越新幹線経由と、陸羽西線に乗って新庄で乗り換えの山形新幹線経由がある。JRの寝台特急は廃止されたが、駅前に東京都内を結ぶ高速バスが停車する。余目駅前また、酒田市の庄内空港から羽田空港の航空路線も利用しやすい。

 余目駅前(西側)には、「カフェ余目製パン」や庄内特産品を販売する「なんでもバザールあっでば」、庄内の食材を用いたレストラン「やくけっちゃーの」などが入る「庄内町新産業創造館クラッセ」や、「庄内町ギャラリー温泉町湯」などの施設がある。

 庄内町は庄内平野が広がり、羽越本線および陸羽西線の車窓からは田園風景が美しい。陸羽西線(奥の細道最上川ライン)の狩川駅は旧・立川町にある駅で、快速「最上川」も停車する。旧・立川町は風が強いことから風力発電が盛んである。

狩川~清川のあたりから最上川沿いを走り、峡谷の車窓が美しい。清川駅の東側では立谷沢川(たちやざわがわ)が最上川に合流している。旧・立川町の南は山深く、出羽の名山である標高1984mの「月山」(がっさん)がそびえ、鶴岡市や西川町との境となっている。

庄内エリアの主な駅

余目 / あまるめ 駅
JR東日本 羽越本線、陸羽西線(奥の細道最上川ライン)

狩川 / かりかわ 駅
JR東日本 陸羽西線(奥の細道最上川ライン) 

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庄内町の中心地にあるJR余目駅

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JR余目駅

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陸羽西線から見た雪の庄内平野

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狩川駅から見える風力発電所

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最上川に合流する立谷沢川

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福島・大熊 福島第一原発事故が発生した原発の町

大熊
おおくま

日本国福島県双葉郡大熊町

福島・大熊 福島第一原発事故が発生した原発の町

 大熊(おおくま)町は、福島(ふくしま)県浜通り地方の双葉(ふたば)郡にある町で、平成23年(2011年)の東日本大震災発生時まで人口約1.1万人が住んでいた町。

 北が双葉郡の双葉(ふたば)町と浪江(なみえ)町、西が田村(たむら)市、南が双葉郡の川内(かわうち)村と富岡(とみおか)町と接しており、東には太平洋が広がっている。

 大熊は、古くは「苦麻」(くま)と呼ばれ、かつての常陸国(ひたちのくに)の北限で、後に浜通り全体が石城国(いわきのくに)となった(その後、陸奥国に編入)。苦麻は、後に「熊川」(くまかわ)と呼ばれるようになり、鎌倉時代から戦国時代にかけては、標葉(しねは)氏に続いて相馬(そうま)氏の領土の南限となり、江戸時代には中村藩の南限で、大熊町と富岡町の境の夜ノ森(よのもり)が、中村藩と磐城平藩との境であった。江戸時代には浜街道(現・国道6号線)が整備され、熊川宿の宿場町として栄えた。

 「大熊」(おおくま)になったのは、昭和29年(1954年)に標葉郡の大野(おおの)村と熊川(くまかわ)村が合併し、頭文字を合わせて「大熊」(おおくま)町が発足した。

 大熊町にはJR東日本・常磐線が通り、町内に大野駅があり、大熊町役場、大熊町図書館、双葉病院などへの最寄り駅であったが、平成23年(2011年)3月の東日本大震災の際に発生した福島第一原子力発電所の爆発事故による放射能汚染で、運休が続いている。

 大熊町およびその周辺の福島県浜通り地区は、夜ノ森以南に広がっていた常磐炭田が衰退し、昭和30年代からの産業近代化と高度経済成長の波に乗り遅れて、大熊町は農業以外の目立った産業がなく、過疎化が進んでいた。一方で、高度経済成長を続ける日本は電力需要が急増し、石炭・石油の火力発電のほか、大きなエネルギーを生み出せる原子力発電の実用化の研究が進められていた。

 そこで、東京電力は1964年(昭和39年)より用地取得を開始し、翌年に原子力発電所の建設が可能であると判断する調査結果を発表し、原発の建設に向けて地元への説明と交渉を進めていった。この海岸段丘上にある用地は、もともと昭和16年(1941年)に建設された日本陸軍の磐城飛行場の跡地であり、戦後は民間に払い下げられ、国土計画興業(後のコクド)が塩田の用地として土地の多くを取得していたが、この時点ですでに製塩事業は行われていなかった。

 福島第一原発は、昭和46年(1971年)に完成し、1号機が稼働し始めた。その後、1~4号機が大熊町、5~6号機が双葉町の敷地に整備され、関東地方の電力を支える役割を果たした。首都圏に電気を供給する原発を、わざわざ東京電力の管轄外の福島県に造ったのは、万が一、大規模な原発事故が発生した場合に、首都東京への影響を軽減するためであった。そのリスクを地方が負うことになるが、雇用が増え、国から補助金により町の財政が豊かになるというメリットを天秤にかけ、原発の誘致が進められたのだった。原発があるおかげで、町には安定した産業と税収があり、平成の大合併でも、近隣都市と合併しなくても町の独立を維持できた。原発の安全性についても、日本の技術力は高く、町の生存を脅かすような大規模な事故は起こらないだろうと思われてきた。
 
 ところが福島第一原発は、平成23年(2011年)3月11日に東日本大震災発生後、自動的に緊急停止したものの、そのあと襲った大津波で非常用電源も壊れてしまい、全電源喪失状態となり、自動循環冷却機能が喪失した。それによって、原子炉の炉心の燃料棒が過熱し、メルトダウン(炉心溶融)する深刻な事態となった(日本政府や東電がメルトダウンを公式に認めたのは発生から約2ヶ月後)。

 震災で炉心溶融や水素爆発などの大事故を起こしたのは大熊町にある1号機~4号機で、大熊町は大部分が原発から10キロ以内、町すべてが20キロ以内に含まれ、原発事故による大規模な放射能汚染が発生したことから、大熊町全体が一般人立入禁止の警戒区域となり、平成25年(2013年)に帰還困難区域と避難指示解除準備区域に分けられたが、中心市街地が帰還困難区域にあり、立入が厳しく制限されている。

 日本政府は3月11日21時過ぎに原発から半径3キロ圏内に避難指示、半径3~10キロに屋内待機を指示した。さらに、翌日になると避難指示が半径10キロまで拡大。放射能放出のベントや、水素爆発発生後の12日20時過ぎに避難指示が半径20キロまで拡大され、大熊町は全域が避難対象となり、全町民が町を出なければならなくなった。

 福島第一原発では3月12日15時過ぎに1号機で水素爆発が発生し、建屋の上部が吹き飛んだ。その二日後の14日11時頃に3号機が1号機より激しく爆発し、建屋の上部が吹き飛んだ。2号機も15日に爆発し、格納容器が損傷し、4号機でも火災が発生した。これらによって、大量の放射能が漏れ出し、双葉町には放射性のヨウ素、セシウムなど高濃度の放射性物質が降り注ぎ、町全域が極めて深刻な放射能汚染にさらされた。

 大熊町にある双葉病院は、福島第一原発からわずか4.5キロの距離にあり、東日本大震災による原発事故が発生した際には、患者の避難とその輸送で大きく混乱した。特に原発事故による避難指示の影響で、避難を命じられた医療関係者の再入町が許可されず、困難な状況の中で自衛隊による救援作業が行われたが、移送中や搬送先の病院等で多くの患者が亡くなった。

 4月12日、日本政府の原子力安全・保安院は、事故後に放出された放射性物質が少なくとも37万テラベクレル(37京0000兆0000億0000万0000ベクレル)以上に及んだことを認め、福島第一原発事故のINES深刻度について、とうとう旧ソ連チェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」に引き上げた。4月21日には大熊町の全域を含む半径20キロ圏内が警戒区域となり、一般人立入禁止となった。

 このような経緯により、大熊町民は避難の準備もできないまま着の身着のままで避難を迫られたため、ペットが避難できず、一部は逃がされて野生化したほか、特に酪農や養豚の農家で、家畜を置き去りにせざるを得ず、一部は殺処分されたが、放置された状態が続いていた。また、処分されていない一部は野生化し、家畜の多くは餓死した。

 原発の警戒区域として全町民が町外に避難している大熊町などの住民は、地震や津波の後片付けもできず、復興の見通しすら立たない状態が続いている。大熊町役場は、福島県の会津若松市、いわき市、郡山市などに出張所や連絡事務所を設け、町民もこれらの町外で避難生活を続けている。大熊町の場合は、原発事故が収束しない限り、町に戻れるかどうかもわからない。福島第一原発では事故を収束させるための注水が続けられ、廃炉に向けた懸命な作業が続けられている。

 大熊町の復興計画によると、福島第一原発の南西側に除染廃棄物など放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設が進められている。大熊町はかつて、梨やキウイの栽培が盛んで、国道6号線から見える「フルーツの香り漂うロマンの里 おおくま町」と書かれた建物がむなしく廃墟になっている。もうこの町で農業の再開はできないだろうから、せめて大熊町のフルーツ栽培の技術が他の町で再び生かされて特産品となるよう願うしかない。

 大熊町の放射能汚染問題は何十年にもわたり尾を引くだろう。原発事故の代償は極めて大きく、大熊町の今後の展望はまだ見えない。町内の空間放射線量は依然非常に高く、平成28年(2016年)の大熊町の発表資料によると、福島第一原発周辺では、15μSv/h以上の区域もある。常磐線の大野駅や大熊町役場附近も依然3.8~9.6μSv/hと極めて高い線量のままである。だが、完成間近だった常磐自動車道は平成27年(2015年)に開通し、町内にも大熊ICが平成30年(2018年)に開設される予定である。これがきっかけとなり、町内の主要部の除染作業が加速するなど、少しでも前向きな光が差し込んでほしいものだ。

 JR常磐線は、平成32年(2020年)の運転再開に向けて除染および復旧作業が進められている。これが開通すれば、原発事故により十年近く続いた浜通り地区の南北の交通の分断が解消されることになり、常磐線は再び幹線の機能を取り戻すことになる。かつて特急「スーパーひたち」の一部も停車していた過去の原発都市の栄光は戻らないにしても、JR常磐線が再び大熊町を走る日が来て、大野駅の線量が下がって安全が確保され、再び大野駅が一般営業を再開できたなら、ぜひ途中下車して、もはや不可能と思われた大熊町の復興に向けて歩む町を見てみたい。

大熊エリアの主な駅

大野 / おおの 駅
JR東日本 常磐線(休止中)

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国道6号線から見た福島第一原発と雑草が生い茂る元農地

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国道6号線から福島第一原発へと続く道

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「フルーツの香り漂うロマンの里 おおくま町」と書かれた建物

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大熊町南部の風景

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福島・浪江 浪江焼きそばとDASH村と福島原発事故

浪江
なみえ

日本国福島県双葉郡浪江町

福島・浪江 浪江焼きそばとDASH村と福島原発事故

 浪江(なみえ)町は福島(ふくしま)県東部の双葉(ふたば)郡にある町で、平成23年(2011年)の東日本大震災発生前までは人口約2.1万人の町だった。浪江町は北が南相馬(みなみそうま)市と相馬郡の飯舘(いいたて)村、西が伊達(だて)郡の川俣(かわまた)町と双葉郡の葛尾(かつらお)村、南が双葉郡双葉(ふたば)町などと接している。

 浪江町は、平成23年(2011年)3月の東日本大震災の際に、南隣の双葉町にある福島第一原子力発電所の爆発事故により、放射性物質が飛散したため、福島第一原発半径20km圏内が警戒区域に指定され、町民全員が避難を余儀なくされ、多くの町民が福島県二本松(にほんまつ)市に集団避難した。平成25年(2013年)に警戒区域は、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに分けられた。浪江町ではこのうち、一番深刻な帰還困難区域が町の南部および西部に広がり、完全復興とは程遠い状況である。

 浪江町の市街地がある町の東部は、多くが避難指示解除準備区域または居住制限区域で、昼間の活動はできても居住は認められなかった。これらの地域で除染を集中的に進め、平成29年(2017年)3月に避難指示が解除されたことにより、再び浪江町での居住が可能になり、浪江町役場本庁舎の機能も戻り、町役場前に仮設商店街「まち・なみ・マルシェ」が設けられ、さまざまな困難の中で町が復興に向けてようやく再始動したのだった。

 浪江町中心部の避難指示解除に合わせて、JR東日本・常磐線の浪江~小高(おだか)が運行再開し、津波被害により内陸部に移設した相馬(そうま)~浜吉田(はまよしだ)も開通し、浪江より北の常磐線がつながり、仙台(せんだい)まで直通できるようになった。一方、浪江から双葉郡富岡(とみおか)町の竜田(たつた)駅までは放射能汚染のため不通となっており(竜田~富岡は2017年内に開通予定)、今後も引き続き、高線量区間の除染作業を進め、平成32年(2020年)の全区間開通を目指している。

 浪江駅より約3キロ西に常磐自動車道が通り、富岡街道(国道114号線)と交差する地点に浪江IC(インターチェンジ)がある。ここは、震災発生時には未開通で、平成26年(2014年)に浪江~南相馬が開通、平成27年(2015年)に浪江~常磐富岡が開通して常磐自動車道が全通。原発事故で南北に分断されていた浜通りがつながった。

 浪江町では、太めの麺が特徴的な焼きそばが浪江名物として有名になり、「浪江焼きそば」として積極的にPRし、B級グルメの「B-1グランプリ」でも上位にランクインするなど、町興しに貢献していた。しかし、震災と原発事故後は、当面本場の浪江で食べることはできなくなってしまったが、震災復興支援の意味も込めて知名度は上がり、平成25年(2013年)の「B-1グランプリ」で1位を獲得した。

 浪江町の山間部の津島(つしま)地区には、テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」での男性アイドルグループ「TOKIO」による企画で、農作物の栽培や動物の飼育、民家の再生などの村づくりに取り組む「DASH村」のコーナーが平成12年(2000年)よりスタートした。当時は、場所は非公開であったが、震災後、「DASH村」が原発事故の影響で避難指示区域(後に帰還困難区域)となったことから、場所を公表。同地区での企画の続行は不可能となり、同企画は場所を移して出張DASH村という企画に移行したが、浪江町の放射能汚染されてしまったDASH村の惨状は、視聴者に福島原発事故の深刻さを深く考えさせた。

浪江エリアの主な駅

浪江 / なみえ 駅
JR東日本 常磐線

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震災後、長らく立入が制限されていた浪江町

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浪江町を通過するバスの車窓。放射線量は目に見えない
 

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山形・鶴岡 庄内藩の城下町、庄内米とだだちゃ豆

鶴岡
つるおか

日本国山形県鶴岡市

山形・鶴岡 庄内藩の城下町、庄内米とだだちゃ豆

 鶴岡(つるおか)市は、山形(やまがた)県西部の庄内(しょうない)地方にある人口約13万人の市。北が酒田(さかた)市と東田川(ひがしたがわ)郡の三川(みかわ)町、東が東田川郡庄内(しょうない)町、西村山(にしむらやま)郡の西川(にしかわ)町、南が新潟(にいがた)県の村上(むらかみ)市と接しており、西には日本海が広がっている。

 鶴岡市は平成の大合併では、藤島(ふじしま)町、温海(あつみ)町、羽黒(はぐろ)町、櫛引(くしびき)町、朝日(あさひ)村と合併し、現在の市域となり、山形県第2の都市に拡大した。

 鶴岡は江戸時代、出羽国(でわのくに)の庄内藩が置かれ、鶴ヶ岡(つるがおか)城の城下町として発展した。鶴ヶ岡城は鶴岡駅の南西約1.5キロのところにあり、明治維新で鶴ヶ岡城は廃城となって建築物が解体撤去された。城址は鶴岡公園となり、東北地方有数の桜の名所となっている。

 鶴岡公園には、鶴岡護国神社、御城稲荷神社があるほか、鶴岡市出身の作家・藤沢周平の文学作品を紹介する「鶴岡市立藤沢周平記念館」、鶴岡アートフォーラム、慶應義塾大学先端生命科学研究所、鶴岡市役所、庄内藩の藩校であった「致道館」(ちどうかん)、庄内地方の歴史を伝える「致道博物館」などの施設がある。

 鶴岡市には、JR東日本・羽越本線が通り、鼠ヶ関(ねずがせき)、小岩川(こいわがわ)、あつみ温泉(あつみおんせん)、五十川(いらがわ)、小波渡(こばと)、三瀬(さんぜ)、羽前水沢(うぜん みずさわ)、羽前大山(うぜん おおやま)、鶴岡、藤島(ふじしま)の各駅がある。

 旧・温海町の鼠ヶ関は、出羽国と越後国の境目に位置し、東北地方の三関(白河関、勿来関、鼠ヶ関)の一つであった。現在は、山形県と新潟県の県境となっている。鼠ヶ関港は、古くより北前船の寄港地であった。鼠ヶ関は、かつては「念珠関」(ねずがせき)とも表記され、温海町発足以前は、鼠ヶ関周辺は念珠関村であった。鼠ヶ関駅の西の海岸には「マリンパークねずがせき」や「鼠ヶ関マリーナ」があり、マリンスポーツの拠点となっている。

 あつみ温泉駅は、旧・温海町の中心駅で、特急「いなほ」が停車する。あつみ温泉の最寄り駅であり、温海川沿いに温泉街が広がる。旧・温海町役場は、鶴岡市役所温海庁舎となった。駅の西側は日本海が広がり、温海海水浴場がある。あつみ温泉駅の北隣の五十川駅からは、かつて田川炭鉱があり、昭和35年(1960年)に閉山した。

 旧・温海町の日本海沿いは、風が強く、積雪は比較的少ないが、庄内平野が広がる鶴岡駅周辺は積雪が日本海沿岸と比べて多くなる。藤島駅は旧・藤島町の中心駅であり、西に広がる三川町からも利用しやすい。周辺は庄内平野の水田が広がる。

 鶴岡市は庄内平野の豊かな水田によって作られた「庄内米」の産地であるとともに、枝豆の一種である「だだちゃ豆」が特産品となっている。「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「おやじ」「お父さん」を意味し、江戸時代から庄内藩のお殿様に献上されていた枝豆が「だだちゃ豆」と呼ばれるようになり、鶴岡の高級枝豆としてブランド化された。

 鶴岡市から山形市へは、山形自動車道が鶴岡JCT(ジャンクション)~湯殿山(ゆどのさん)IC(インターチェンジ)が開通しており、その先の峠は国道112号線の月山花笠道路が西川町の月山ICまでつながっていて、月山ICから山形自動車道が山形市までっつながっている。また、日本海沿岸部の町を結ぶ日本海東北自動車道が建設されており、鶴岡市内には鶴岡JCT、鶴岡西IC、三瀬IC、いらがわIC、あつみ温泉ICがある。あつみ温泉ICより南は未開通である。

 鶴岡市と酒田市にまたがって庄内空港(おいしい庄内空港)があり、東京羽田空港を結ぶ定期路線が運航されている。

鶴岡エリアの主な駅

鶴岡 / つるおか 駅
JR東日本 羽越本線

あつみ温泉 / あつみおんせん 駅
JR東日本 羽越本線

鼠ヶ関 / ねずがせき 駅
JR東日本 羽越本線

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JR羽越本線・鶴岡駅

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雪深い冬の鶴岡

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雪の庄内平野を走る冬の羽越本線

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JR羽越本線・あつみ温泉駅

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羽越本線から見た日本海

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鼠ヶ関の町並み

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福島・富岡 ツツジと桜の夜ノ森、福島第二原発と積み上がる除染土の黒い袋の山

富岡
とみおか

日本国福島県双葉郡富岡町

福島・富岡 ツツジと桜の夜ノ森、福島第二原発と積み上がる除染土の黒い袋の山

 富岡(とみおか)町は、福島(ふくしま)県の浜通り地方の双葉(ふたば)郡にある町で、平成23年(2011年)の東日本大震災発生前の人口は約1.6万人だった。富岡町は北が双葉郡の大熊(おおくま)町、西が双葉郡の川内(かわうち)村、南が双葉郡の楢葉(ならは)町と接しており、東には太平洋が広がっている。

 平成23年(2011年)の東日本大震災の際に、北隣の大熊町にある福島第一原子力発電所の爆発事故により、放射性物質が飛散したため、福島第一原発半径20km圏内が警戒区域に指定され、全町民が避難を余儀なくされた。平成25年(2013年)に警戒区域は、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに分けられた。富岡町ではこのうち、一番深刻な帰還困難区域が福島第一原発に近い北東部に残り、町の完全復興とは程遠い状況である。

 比較的内陸部を走る常磐自動車道については、除染や復旧が進められ、平成26年(2014年)2月に広野IC(インターチェンジ)~常磐富岡ICが復旧、平成27年(2015年)3月には常磐富岡IC~浪江ICが開通し、福島第一原発より北の地域にも直接行けるようになった。

 富岡町の幹線道路である国道6号線(陸前浜街道)は、震災後数年間、警戒区域であったため許可車両以外は通行できなかったが、平成26年(2014年)9月以降、一般自動車が通行できるようになった。但し、町北部の国道6号線沿いも帰還困難区域の中を走ることから、周辺の放射線量も高く、人影はなく、震災前に商店があったところなどは時が止まったまま廃墟化している。

 鉄道は、JR東日本・常磐線が浜通り地方を南北に貫いていたが、原発事故後に運転を休止した。除染の進展や津波対策工事を経て、徐々に運行再開区間を伸ばしてきたが、平成29年(2017年)1月の時点で、竜田(楢葉町)~小高(南相馬市)が不通となっている。富岡町内には富岡駅と夜ノ森(よのもり)駅があるが、いずれも休止状態が5年以上続いている。

 町の南東にあった富岡駅は、震災の津波により駅舎も流され、大きな被害を受けていたが、原発事故で警戒区域となったことから長らくそのまま放置されていた。しかしながら、富岡駅の周辺が避難指示解除準備区域となってから、復旧計画が再始動し、津波対策の工事を進めた上で平成29年(2017年)末を目途に、竜田~富岡が復旧できる見通しとなった。
 
 夜ノ森駅については、比較的内陸側にあり、線路や駅の被害はほとんどなかったが、放射能汚染が深刻で、放射線量が非常に高い帰還困難区域内にあり、駅の東に広がる住宅地は残念ながら帰還が困難な状況にある。富岡町役場のウェブサイトで公開されている夜ノ森駅の放射線量は平成28年(2016年)12月の時点で約4μSv/hといまだ非常に高く、同様の調査で富岡駅が0.12μSv/hであることから、いかに夜ノ森駅の数値が高いかがわかる。

 夜ノ森地区は桜並木が美しいことで知られ、福島県の中でもよく知られるお花見スポットだった。しかし、原発事故後、その桜を自由に愛でることはできなくなった。平成28年(2016年)の春は、桜並木の大部分が帰還困難区域で立ち入りできないものの、桜並木のうち一部の居住制限区域にあるところは、日中の立ち入りが可能(宿泊は禁止)で、原発事故後も変わらない美しい桜を見ることができるようになった。

 夜ノ森駅はツツジの名所としても知られていたが、常磐線の除染と復旧工事の開始にともない伐採され、土壌ごと入れ替えることになった。常磐線は放射能汚染が深刻な富岡~小高の区間について除染を進め、東京オリンピックが開催される平成32年(2020年)に常磐線の全線再開を目指している。夜ノ森駅周辺の盛り土の表土が入れ替えられた後、ツツジが再植樹されることになっており、夜ノ森のツツジは復興の象徴となることだろう。

 一方、常磐線が中断している間、JR代行バス(原ノ町~竜田)が国道6号線を走っているが、車窓から見えるのは、帰還困難区域に立ち入らないように仕切るバリケードと、誰もいない抜け殻の住宅と商店、そして積み上げられた除染土の黒い袋の山だ。福島県は原発から比較的離れた多くの市町村で日常生活を取り戻し、復興が進んでいるのも事実だが、一方で福島第一原発20キロ圏内の町では、帰還が今後も困難で立ち入りすら自由にできない地区が今もあるというのもまた現実である。しかも、目をそむけたくなる大量の黒い袋の山の置き場にされているのも、これらの地区の現状だ。いったい今後この袋の中身をどうするのだろうか。

 富岡駅の南東の海沿い、楢葉町にまたがるように福島第二原子力発電所がある。富岡町の第二原発については、第一原発と同様に津波が押し寄せ、一部施設が浸水するなどの被害があり、原子炉冷却に必要な電源3本のうち2本が喪失するなど、一時危険な状態ではあったが、全電源喪失の事態は避けられ、冷温停止状態に抑えることができた。福島第一原発と第二原発は南に約12km離れているが、第二原発も警戒区域に入るなど、とても再稼働できる状況になく、再稼働は断念した。現在は福島第一原発の廃炉作業の後方支援基地として使用されている。国道6号線からは福島第二原発の様子は見えないが、第二原発へ向かう立派な橋が見える。原発事故前は原発が富岡町の経済を牽引していたであろうことが感じられる。

 富岡町の中心部には福島第二原発の安全性や原発の素晴らしさをPRする施設だった東京電力福島第二原発「エネルギー館」が国道6号線にあるが、ここも長らく警戒区域で立ち入りすらできなかったのは何とも皮肉だ。同エネルギー館は平成28年(2016年)よりJビレッジ(広野町)で担ってきた福島第一原発廃炉関連の後方支援機能の一部を移すほか、東京電力は富岡町に対し、同エネルギー館を将来的に「廃炉資料館」とする意向を示した。帰還困難地区を抱え、富岡町は震災前に戻ることはもはや不可能であるが、この現実を踏まえた上で、原発事故被害を乗り越える町としてどのように新しい町に生まれ変わるのか。現実から目をそらさず、今後のまちづくりに注目し、応援していきたい。

富岡エリアの主な駅

富岡 / とみおか 駅
JR東日本 常磐線(休止中)

夜ノ森 / よのもり 駅
JR東日本 常磐線(休止中) 

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国道6号線から見える除染土の黒い袋の山

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帰還困難区域のため放置されたまま荒れ果てる商業施設

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東京電力福島第二原発PR施設「エネルギー館」

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国道6号線から見た富岡町に広がる太平洋

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山の向こうが福島第二原発

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国道6号線から福島第二原発へつながる橋

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テーマ : 福島県
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山形・戸沢 芭蕉も旅した最上川舟下りの村

戸沢
とざわ

日本国山形県最上郡戸沢村

山形・戸沢 芭蕉も旅した最上川舟下りの村

 戸沢(とざわ)村は、山形(やまがた)県北部の最上(もがみ)郡にある人口約0.6万人の村。東が新庄(しんじょう)市、北が最上郡鮭川(さけがわ)村と酒田(さかた)市、西が東田川(ひがしたがわ)郡の庄内(しょうない)町、南が最上郡大蔵(おおくら)村と接している。

 戸沢村には東から西へ最上川(もがみがわ)が流れ、最上川沿いに国道47号線(鶴岡街道)とJR東日本・陸羽西線(奥の細道最上川ライン)が通り、陸羽西線の津谷(つや)、古口(ふるくち)、高屋(たかや)の各駅がある。

 津谷駅の南で鮭川が最上川に合流する。最上川はこのあたりで曲がりくねり、鶴岡街道沿いに「芭蕉ドライブイン」や道の駅「とざわ」などの施設がある。道の駅「とざわ」は、「モモカミの里『高麗館』」という愛称がある。「モモカミ」とはアイヌ語で「崖」の意味の「モモ」と「盆地」の「カミ」を合わせて「最上」とかけたもので、「高麗」とは、村が韓国から花嫁を募集したことから、戸沢村には韓国人妻が多く住んでおり、韓国文化を紹介するとともに、韓国料理や韓国物産を販売し、戸沢産のキムチなどで町おこしをはかっている。また、険しい崖の地すべり対策を長年にわたり行ってきたことから、「すべりどめ観音」が建てられ、受験生の人気スポットとなっている。

 古口大橋の西側に古口の市街地があり、古口駅と戸沢村役場がある。古口駅は上りと下りの列車交換ができる駅であり、快速「最上川」も停車する。古口駅の近くには最上川船番所があり、古口港から草薙港(川の駅・最上峡くさなぎ)まで約12キロを1時間かけて舟で下る「最上峡芭蕉ライン」があり、戸沢村観光の目玉となっている。戸沢村は冬は雪深いが、最上峡の雪景色も美しい。

 江戸時代の俳人・松尾芭蕉(まつお ばしょう)は、この最上川を舟下りし、「五月雨を集めて早し最上川」との俳句を詠んだ。古口から高屋の区間は、陸羽西線から最上峡の車窓が最も美しい区間であるが、峡谷が険しく、江戸時代はまだ道路を通すことができなかった。明治時代になり、ようやく鶴岡街道が通じ、大正3年(1914年)に国鉄陸羽西線の前身である国鉄酒田線が開業し、道路と鉄道で庄内地方と最上地方が結ばれるようになった。

 最上峡芭蕉ラインは、高屋駅の西側の草薙温泉がある「川の駅・最上峡くさなぎ」(旧・最上川リバーボート)で終点となる。ここには、レストランやお土産屋、近くに温泉旅館もある。但し、すぐ近くを走るJR陸羽西線の駅が近くにないので、ここに「草薙温泉」駅を新設してもよいのではないか。

戸沢エリアの主な駅

古口 / ふるくち 駅
JR東日本 陸羽西線(奥の細道最上川ライン)

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最上川

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JR陸羽西線・古口駅

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JR陸羽西線・古口駅

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雪景色の最上峡

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雪景色の最上峡

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川の駅・最上峡くさなぎ(旧・最上川リバーボート)

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テーマ : 山形県庄内地方
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福島・楢葉 原発事故の避難指示が解除された楢葉町、福島第2原発とJヴィレッジ

楢葉
ならは

日本国福島県双葉郡楢葉町

福島・楢葉 原発事故の避難指示が解除された楢葉町、福島第2原発とJヴィレッジ

 楢葉(ならは)町は、福島(ふくしま)県の浜通りの双葉(ふたば)郡にある町。北が双葉郡の富岡(とみおか)町、西が双葉郡川内(かわうち)村と いわき市、南が双葉郡広野(ひろの)町と接しており、東は太平洋が広がっている。

 楢葉町は、平成23年(2011年)3月の東日本大震災発生前は約8千人が住む町であったが、震災にともなう福島第一原子力発電所の爆発事故の影響で、市街地の大部分が警戒区域に指定され、避難を余儀なくされた。平成24年(2012年)8月に避難指示解除準備区域となり、除染等が進み、平成27年(2015年)9月に避難指示が解除され、再び居住できるようになったが、平成28年(2016年)6月の時点の町の人口は千人に満たない。

 町内にはJR東日本・常磐線が南北に走り、町内に木戸(きど)駅と竜田(たつた)駅がある。両駅とも東日本大震災で不通となり、原発事故による警戒区域および避難指示区域のため、復旧されないままとなっていたが、避難指示の区域(立入はできるが宿泊はできない)であったものの平成26年(2014年)6月に南隣の広野町の広野駅から竜田駅まで復旧し、いわき駅方面から電車でつながるようになった。そして、平成27年(2015年)9月の避難指示が解除され、町が本格的に復興に向けて進みつつある。

 平成27年(2015年)1月より、竜田駅と南相馬(みなみそうま)市の原ノ町(はらのまち)駅を結ぶ代行バスが運行を始めた。このバスは途中、大熊(おおくま)町や双葉(ふたば)町、浪江(なみえ)町など依然、高放射線量の区間を走るため、窓を開けることはできず、途中下車もできない。1日わずか2往復の運行であるが、原発事故で分断された常磐線の南北の駅がつながったのは画期的なことで、福島復興への希望を感じさせることとなった。

 平成28年(2016年)7月に原ノ町~小高(おだか)が運行再開し、常磐線の不通区間は竜田~小高となった。これに伴い、竜田~原ノ町の代行バスが小高駅にも停車するようになった。常磐線は平成29年(2017年)に竜田~富岡の運転再開を予定しており、同区間が再開すれば楢葉町内の全線が復旧することになる。

 竜田駅前は、放射線量を示す計器が設置されているほかは、震災時のまま時が止まっているようだ。住宅街が広がっているが、長らく避難指示の区域であったため、多くの住民が町外に避難しており、避難指示が解除されても、生活の不便さや、放射能への不安、仕事の関係などから戻って来る住民が少なく、町の復興や活性化にはまだまだ時間がかかりそうだ。

 楢葉町の山側には常磐自動車道が平成26年(2014年)に開通し、ならはPA(パーキングエリア)が開設された。

 楢葉町の北側の富岡町との境には福島第二原発がある。同原発も震災の津波の影響で一時危険な状態になったが、爆発には至らず、冷温停止となった。その後、原子炉内の燃料棒が使用済み燃料プールへと移動された。福島第一原発からわずか約15キロしか離れておらず、原発事故の福島県への影響の大きさから再稼働の見込みはない。

 楢葉町の南側の広野町との境には「Jヴィレッジ」と呼ばれるスポーツ施設があり、サッカーのナショナルトレーニング施設として使われていた。ここは日本サッカー協会、Jリーグ、福島県、東京電力が出資しており、原発に対する地元の貢献への見返りとして建設された。福島第一原発事故の際、「Jヴィレッジ」は原発事故の対応基地としての役割を担い、多くの原発職員や消防隊員らがここを拠点に出動し、事故への命がけの対応にあたった。

 避難指示が解除され、今後「Jヴィレッジ」は再びスポーツトレーニング施設として復旧が進められることになっており、平成32年(2020年)の東京オリンピックの際には、福島復興の象徴としてアピールされるものと思われる。

楢葉エリアの主な駅

竜田 / たつた 駅
JR東日本 常磐線

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JR常磐線・竜田駅と原ノ町への代行バス

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JR常磐線・竜田駅

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JR常磐線・竜田駅

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JR常磐線・竜田駅

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JR竜田駅から富岡方面を見る

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JR常磐線・竜田駅

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放射線量計と楢葉町の観光案内看板

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楢葉町・竜田駅前の街並み

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楢葉町・竜田駅前の街並み

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楢葉町の草が生い茂る神社

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福島・南相馬 相馬野馬追の町、原発事故で寸断された常磐線

南相馬
みなみそうま

日本国福島県南相馬市

福島・南相馬 相馬野馬追の町、原発事故で寸断された常磐線

 南相馬(みなみそうま)市は、福島(ふくしま)県の北東部の浜通りにある人口約6万人の市。北が相馬(そうま)市、西が相馬郡の飯舘(いいたて)村、南が双葉(ふたば)郡の浪江(なみえ)町と接しており、東は太平洋が広がっている。

 南相馬市は、平成18年(2006年)に原町(はらまち)市と相馬郡の小高(おだか)町および鹿島(かしま)町が合併して誕生した。合併後も、旧自治体が地域自治区とされ、北から「南相馬市鹿島区」、「南相馬市原町区」、「南相馬市小高区」となっている。

 JR東日本・常磐線が南北に走り、北から鹿島(かしま)、原ノ町(はらのまち)、磐城太田(いわき おおた)、小高(おだか)、桃内(ももうち)の各駅があり、南相馬市の中心駅は原ノ町駅である。「原町」は「はらまち」と読むが、宿場町だった「原町」は「はらのまち」とも呼ばれていたことから、駅名は「原ノ町」(はらのまち)が採用されている。

 平成23年(2011年)3月の東日本大震災では、南相馬市は沿岸部で津波の甚大な被害を受けた上、さらに福島第一原子力発電所の爆発事故により、放射線物質が飛来し、市域の多くが避難指示が出された。南相馬市は小高区の大部分が原発の20km圏内であり、原町区も原発の20~30km圏にある。市中心部の原町はなんとか原発事故による避難からは免れたが、市南部の小高区の原発20km圏内は警戒区域に指定されて避難指示が出され、住民は圏外に転居を迫られた。そのため、JR常磐線は原ノ町駅以南が運行できなくなり、小高駅などは長期休止せざるを得なかった。南相馬市には原町区に東北電力原町火力発電所があるが、こちらも被災はしたものの、火力発電所だったので2年後に稼働を再開している。

 JR常磐線の原ノ町駅はちょうど、いわき駅と仙台駅の中間地点にあたり、震災前は特急「スーパーひたち」も停車する主要駅であったが、東日本大震災により、原ノ町駅以南が原発事故の影響で不通となり、原ノ町より北は相馬駅以北で津波による線路および駅の流失により、長期間にわたり寸断されることになった。震災から9ヶ月後の平成23年(2011年)12月に原ノ町~相馬の短い区間が運転再開し、相馬から北は代行バスで亘理(わたり)駅まで行き、そこから再び電車で仙台へ向かう。相馬から北は、平成28年(2016年)12月に津波被害区間を内陸側に移転した新線が開通し、ようやく仙台まで直通できるようになった。

 一方、原ノ町以南については、平成27年(2015年)1月より、原ノ町駅より楢葉(ならは)町の竜田(たつた)駅まで警戒区域内を突っ切って走る代行バスが1日2往復運行されるようになり、常磐線の北と南がつながった。その後、除染作業が進み、平成28年(2016年)7月に南相馬市に残っていた避難指示の地域のうち、一部の帰還困難区域を除いて避難指示が解除された。それにより、原ノ町~小高の運転が再開された。小高駅以南は、平成29年(2017年)に浪江町の浪江駅まで運行再開が予定されている。常磐線の南北の線路が再びつながるのは平成32年(2020年)が目標とされている。

 原ノ町駅は、震災の影響で、原ノ町~相馬が他線とつながらない陸の孤島となっていたため、特急「スーパーひたち」の車両などが5年間にわたり野ざらしのまま留置されていたが、平成28年(2016年)に撤去された。

 南相馬市は、「相馬野馬追」(そうまのまおい)の祭りで知られる。「相馬野馬追」は相馬中村神社(相馬市)、相馬太田神社(南相馬市原町区)、相馬小高神社(南相馬市小高区)の3つの神社の祭礼であり、原町区の雲雀ヶ原祭場地で甲冑競馬や神旗争奪戦などの伝統神事が行われる。原ノ町駅前には「相馬野馬追」の像がある。

 原ノ町駅の周辺にはこのほか、「はらまち屋台広場」や「まちなかひろば」、旭公園などがある。また、駅から南西に1キロほど行けば東ヶ岡公園が広がり、南相馬博物館がある。

 南相馬市の内陸側を南北に貫く常磐自動車道は、震災後の平成24年(2012年)4月に開通したもので、南相馬IC(インターチェンジ)~相馬ICが先に開通。南相馬IC~浪江ICが平成26年(2014年)12月に開通。浪江IC~常磐富岡ICが平成27年(2015年)3月に開通し、全線開通となり、道路でいわき方面へ向かうのが便利になった。

 原ノ町駅から竜田駅を結ぶ代行バスは、国道6号線を南下する。20km圏内に入っていくと、人の数が急減し、津波をかぶった農地はそのまま放置されて雑草の荒地が広がっている。また、広大な除染土の入った大量の黒い袋の置き場が見えてくる。進む復興の一方で、原発事故の現実が横たわっている。

南相馬エリアの主な駅

原ノ町 / はらのまち 駅
JR東日本 常磐線

小高 / おだか 駅
JR東日本 常磐線

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JR常磐線・原ノ町駅

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震災の不通で留置されていた特急「スーパーひたち」

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JR常磐線・原ノ町駅

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相馬野馬追の像

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はらまち屋台広場

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原町の「まちなかひろば」

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代行バス乗り場

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原ノ町~竜田を結ぶ常磐線代行バス

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農地が再開できず雑草が広がる車窓

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20km圏内の警戒区域だった小高区

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テーマ : 福島県
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福島・新地 津波被害からかさ上げ進む福島浜通り最北端の町

新地
しんち

日本国福島県相馬郡新地町

福島・新地 津波被害からかさ上げ進む福島浜通り最北端の町

 新地(しんち)町は、福島(ふくしま)県の浜通りの北端、相馬(そうま)郡にある人口約0.8万人の町。南が相馬(そうま)市、西が宮城県伊具(いぐ)郡の丸森(まるもり)町、北が宮城県亘理(わたり)郡の山元(やまもと)町と接している。

 新地町は、相馬市とともに磐城国(いわきのくに)に属し、北の亘理郡も磐城国に属していた。一方、江戸時代は新地町まで仙台藩領だった。このような経緯から新地町と亘理郡山元町が福島県と宮城県の県境となったが、両町の行き来は盛んで、新地は仙台都市圏の一部ともいえる。

 新地町は、浜通りを南北に貫く幹線交通が通り、内陸側に常磐自動車道が走り、新地IC(インターチェンジ)がある。新地ICと連絡する国道113号線は新地町の南から西へと伸びて宮城県丸森町方面を結んでいる。海側には浜通りを貫く国道6号線とJR東日本・常磐線が通っている。

 JR常磐線は新地駅と駒ヶ嶺(こまがみね)駅があるが、平成23年(2011年)3月に発生した東日本大震災の津波による影響で、震災から5年が経過した平成28年(2016年)春の時点でも、相馬~浜吉田(宮城県亘理町)が不通となっており、新地町内の2駅は代行バスによる運行が行われていた。

 新地駅周辺は特に津波被害が甚大だった。駅舎とホームや線路は流失し、停車していた普通電車も流されて破壊された。乗客は乗員の誘導により高台に避難して難を逃れたが、駅周辺の町は跡形もなく破壊され、新地町では百名を超える犠牲者が出た。

 このため、新地町では震災復興プロジェクトとして、新地駅周辺の土地をかさ上げし、新地駅を内陸側へ約100m移転した上で復旧する工事が進められ、平成28年(2016年)12月に相馬~新吉田が新線でようやく復旧し、新しい新地駅も開業した。

 代行バスの新地駅停留場は、国道6号線に近い新地町役場前に設けられていた。新地町役場の北東側は大規模な土地かさ上げ工事が行われ、広大な盛り土作業が進められ、ここに新しい新地駅ができた。この盛り土に乗り入れる常磐線の高架橋が北側に造られた。この高架橋は津波で流失した旧線とは異なる内陸側へ移転する新線であり、山元町の坂元駅も内陸移転した新駅となった。

 旧・新地駅跡もかさ上げ工事が行われ、盛り土で駅跡はもうわからなくなっている。一方、旧駅の東側は、雑草の生えた何もない広大な空き地が広がっている。津波に浸ったところがそのまま放置されているようだ。ここは今後、どのように土地利用されるのだろうか。そして、海岸部でも大規模な盛り土工事が行われており、砂丘のようになっている。かさ上げ工事は行われていない旧・坂元駅周辺とは対照的な光景である。

 震災から5年が経過しても、未だに土を盛っている光景に、復興が進まないもどかしさも感じるが、今後どのように町が変貌を遂げるのだろうか。常磐線の復旧により、町がよみがえることを期待したい。

 新地町の南の駒ヶ嶺地区には新地発電所と相馬港があり、新地町の経済を支えている。その南は、浜通りの中心都市である相馬市で、相馬中核工業団地と接している。

新地エリアの主な駅

新地 / しんち 駅
JR東日本 常磐線 

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新地駅代行バス停留場

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新地町役場

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新地町の風景

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復旧工事が行われている常磐線

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かさ上げ工事が行われている新地駅周辺

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かさ上げ工事が行われている新地駅周辺

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復旧工事進むJR常磐線の新線

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旧新地駅のあたりから見た常磐線の新線

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かさ上げ工事が行われている常磐線の旧・新地駅跡地

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かさ上げ工事が行われている常磐線の旧線跡地

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海側から見た新地駅周辺の盛り土

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海側から見た新地駅周辺の盛り土

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新地の海岸部の盛り土工事

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新地の海岸部の盛り土工事

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