時の旅・2002年(平成14年) 欧州の新通貨ユーロが誕生、ワールドカップ日韓共同開催、ゆとり教育スタート

2002年
平成14年

時の旅・2002年(平成14年) 欧州の新通貨ユーロが誕生、ワールドカップ日韓共同開催、ゆとり教育スタート

当時の日本国首相 小泉純一郎(自由民主党)

 2002年(平成14年)は、欧州連合(EU)圏の通貨統合が進み、新しい通貨ユーロ(Euro)が誕生し、ヨーロッパ統合が大きく進んだ一年となった。

 ユーロ紙幣と硬貨が1月から流通し始め、ドイツのマルク、フランスのフラン、イタリアのリラ、スペインのペセタ、ポルトガルのエスクード、オーストリアのシリング、オランダのギルダーなどがユーロに切り替わった。

 日本ではバブル崩壊後に大量の不良債権を抱えた銀行の再編が進み、効率化と競争力強化のため合併による統合などが進んだ。三菱東京UFJ銀行の前身であるUFJ銀行が、1月に大阪の三和銀行と名古屋の東海銀行が合併して誕生したほか、4月には「みずほホールディングス」傘下の第一勧業銀行と、富士銀行、日本興業銀行が統合して「みずほ銀行」が誕生した。宝くじを委託発行していた第一勧業銀行の業務は「みずほ銀行」に引き継がれた。

 新学習指導要領の実施により、「ゆとり教育」がスタート。暗記偏重から考えさせる教育への転換が目指されたが、教科書の学習内容が大幅に削減され、後に子どもの基礎学力低下が大きな社会問題となる。8月には住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)がスタートした。9月には小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)首相が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪問し、金正日(김정일/キム ジョンイル)総書記との日朝首脳会談が行われ、金正日総書記が北朝鮮による日本人拉致を公式に認めて謝罪。一部の生存者を公表した。「日朝平壌宣言」で国交正常化交渉再開に合意した。平壌に乗り込んで金正日総書記に拉致を認めさせ、10月には拉致被害者5人の帰国も実現し、小泉首相の行動力は日本国民に高く評価され、外交面でも頼れる首相というイメージ強化につながった。小泉首相の訪朝を機に日本では北朝鮮関連・拉致問題関連の報道が激増し、北朝鮮の国家体制の異常さが日本国民に広く知れ渡った。北朝鮮は「一時帰国」を認めた5人を日本が北朝鮮へ戻さなかったことに抗議し、交渉は一時中断したが、その後も日本は北朝鮮に残る5人の家族の帰国を求めて交渉を続けた。

 交通は4月に東京成田空港の暫定B滑走路が使用開始となり、成田空港の国際線容量が増えた。鉄道については、5月に南海電鉄和歌山港線の和歌山港~水軒が廃止された。7月に高知県の土佐くろしお鉄道阿佐線の御免~奈半利が開業した。10月には京成電鉄と直通する芝山鉄道の東成田~芝山千代田が開業した。12月に東北新幹線の盛岡~八戸が開業し、青森県乗り入れが実現。同時に並行在来線である東北本線だった盛岡~目時が「IGRいわて銀河鉄道」、目時~八戸が「青い森鉄道」に転換された。東京臨海高速鉄道の大崎~天王洲アイルが開業し、大崎~新木場が全通し、埼京線と直通運転を開始した。

 スポーツは2月にアメリカ合衆国ユタ州のソルトレイクシティ(Salt Lake City)で冬季オリンピックが開かれた。日本勢は前回の長野オリンピックに比べて不振であったが、清水宏保が男子スピードスケートで銀メダル、里谷多英が女子モーグルで銅メダルを獲得した。5月末からは、サッカーのFIFAワールドカップは日韓共同で開催され、日本と韓国それぞれ10ヶ所、日本では札幌、仙台、鹿嶋、さいたま、横浜、袋井、新潟、大阪、神戸、大分の各都市で試合が行われた。FIFAワールドカップではブラジルが優勝したが、日本は開催国としてサッカーブームが大いに盛り上がった。大相撲は栃東、武蔵丸、千代大海などが活躍したほか、朝青龍が7月に大関に昇進し、11月場所で初優勝した。野球は、日本シリーズを読売ジャイアンツ(巨人)と西武ライオンズが戦い、巨人が西武を破って2年ぶりの日本一となった。

 2002年の音楽は、浜崎あゆみ「H」「Voyage」、宇多田ヒカル「traveling」、奄美大島出身の元ちとせ「ワダツミの木」などが大ヒット。そのほか、平井堅の童謡のカバー「大きな古時計」や、島谷ひとみのヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」のカバー、氷川きよしの「きよしのズンドコ節」、森山良子「さとうきび畑」などがヒットした。また小田和正の「キラキラ」やベストアルバム「自己ベスト」もヒットし、話題を集めた。

 映画は、邦画がジブリのアニメ映画「猫の恩返し」以外は低迷し、ランキングでは洋画が上位を占め、「ハリーポッターと賢者の石」、「モンスターズ・インク」、「ロード・オブ・ザ・リング」、「スパイダーマン」などがヒットした。

 台湾は1月に「台湾・澎湖・金門・馬祖独立関税領域」の名義で世界貿易機関(WTO)に加盟した。台湾のWTO加盟は、台湾の国際機関参加の大きな前進ではあったが、貿易自由化のための市場開放を進めるものであったことから、影響を受ける農業などのケアが重要な課題となった。5月には台湾から香港へ向かっていた中華航空が空中で壊れ、乗客乗員全員が犠牲となり、中華航空の安全面が厳しく批判された。台湾北部では梅雨になっても深刻な水不足が続き、台北などでも給水制限が実施された。夏に入ると台風でまとまった雨が降り、ダムの水位が満たされ解消した。8月に陳水扁(タン ツイピィ)総統が世界台湾同郷会連合会(世台会)の会合で「台湾と中国は『一辺一国』(それぞれ別の国)である」と発言、台湾が中国とは別の独立国家であることを明確にした。12月には台北市と高雄市の市長選挙が行われ、台北市では現職の国民党・馬英九市長が民進党・李応元候補を破って圧勝。高雄市では現職の民進党・謝長廷市長が国民党・黄俊英候補らを僅差で破って再選した。

 中華人民共和国は、11月に北京で中国共産党第16回全国代表大会が開催され、江沢民(江泽民/チャン ツォーミン)国家主席が「3つの代表」を提案し、中国共産党が中国の先進的な社会生産力の発展、先進文化の前進方向、最も広い人民の根本利益を代表していると位置付け、私営企業家も中国共産党に入党できる道を開いた。そして、新しい中国共産党総書記に胡錦濤(胡锦涛/フウ シンタオ)国家副主席が選ばれ、次期国家主席の地位を確実なものにした。このほか5月に遼寧省瀋陽市の日本国総領事館に北朝鮮亡命者が逃げ込む事件があり、日本でも中国における脱北者に対する関心が高まった。

 香港は董建華(トン キンワー)行政長官の再選が2月に決まり、7月から2期目に入った。8月に香港地下鉄の将軍澳(ツョンクワンオー)線の北角(パッコク)から将軍澳方面が開業し、観塘線の終点が北角から将軍澳線の調景嶺(ティウケンレン)駅に変更された。

 韓国は4月に京義線の臨津江(イムジンガン)から都羅山(トラサン)が開業し、北朝鮮への鉄道連絡の準備が進められた。12月には韓国大統領選挙が実施され、第16代大統領に新千年民主党の盧武鉉(노무현/ノ ムヒョン)候補がハンナラ党の李会昌(イ フェチャン)候補を破り、当選した。

 このほか世界の動きは、1月にアメリカのジョージWブッシュ(George W. Bush)大統領がイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、大量破壊兵器の開発等を進め、テロを支援していることなどを批判した。5月には、フランス大統領に右派国民運動連合のジャック・シラク(Jacques Chirac)が当選した。インドネシアから東ティモール民主共和国が独立し、21世紀初の新たな独立国家誕生となったた。7月にエチオピアのアディスアベバに本部を置くアフリカの政治的経済的社会的統合を目指すアフリカ連合(AU)が成立した。8月には南アフリカのヨハネスブルクで「地球サミット2002」(持続可能な開発に関する世界首脳会議)が開かれた。9月にスイスが国民投票で国連加盟賛成が可決し、国連に加盟した。

(参考:Wikipediaほか)

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時の旅・2003年(平成15年) 東海道新幹線100系引退、世界で新型肺炎(SARS)大流行、米国がイラクに開戦

2003年
平成15年

時の旅・2003年(平成15年) 東海道新幹線100系引退、世界で新型肺炎(SARS)大流行、米国がイラクに開戦

当時の日本国首相 小泉純一郎(自由民主党)

 2003年(平成15年)は、日本の大動脈である東京~新大阪を結ぶJR東海の東海道新幹線から100系が引退し、270キロ運転の300系、500系、700系に統一され、高速運転の「のぞみ」が大増発された。日本は小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)内閣総理大臣(首相)が高い支持を得て衆議院選挙でも連立与党が勝利し、安定感のある政権を築いた。海外では、中国南部から広がったSARS(重症急性呼吸器症候群、新型肺炎)の感染が世界に広まり、32ヶ国で800人近い死者を出すなど、世界中が不安と緊張に包まれた。イラクの大量破壊兵器保有を疑うアメリカは、イラクのサダム・フセイン政権を倒すため、イラクへ進攻し、イラク戦争が始まった。

 郵政民営化を志向する小泉首相は郵政改革に取り組んだが、その段階的措置として総務省郵政事業庁が公社化され、4月に郵政三事業(郵便・郵便貯金・簡易保険)を行う日本郵政公社が発足した。4月に実施された統一地方選挙では、首都・東京都で石原慎太郎知事が再選を果たした。小泉政権は、5月にプライバシー保護の重要性の高まりを受けた個人情報保護法を成立させたほか、そのほか2001年のアメリカでのテロ事件を受けて有事の際の法制を整備する必要性が高まり、6月には武力攻撃事態対処関連3法を通過した。さらに7月にはイラクの非戦闘地域の人道支援を行うためのイラク復興支援特別措置法が成立した。7月下旬には一日3回、震度6を記録した宮城県北部地震が連続して発生した。8月には、住民票などの個人情報について行政機関を結べるようネットワーク化した住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)がスタートした。

 2002年に北朝鮮当局に日本人拉致事件を認めさせ、拉致被害者の一部の日本への帰国を実現させた小泉首相の人気は高く、野党が政権をとるためには野党どうしが結集する必要があった。そこで、民主党と自由党が合併することになり、民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎代表が合意し、9月に自由党が民主党に吸収された。9月に自由民主党(自民党)総裁に再任された小泉首相は10月に衆議院を解散した。11月に実施された第43回衆議院議員総選挙では、民由合併を果たして勢力を拡大した民主党が年金一元化や高速道路無料化などを掲げ、二大政党や政権選択をアピールして戦った。その結果、連立与党が過半数を占めて勝利したものの、存在感を高めた民主党が大幅に躍進した。獲得議席は、自由民主党が237(前回比-10)、公明党が34(+3)、保守新党が4(-5)で、連立与党は275議席(-12)。野党は民主党が177(+40)、日本共産党が9(-11)、社会民主党が6(-12)、無所属の会が1(-4)、自由連合が1(±0)で、野党合計は205(+17)だった。民主党が躍進したものの、自民党を中心とする連立与党が絶対安定多数を確保したことから小泉首相の続投が決まり、小泉政権の基盤はさらに強化され、第2次小泉内閣が発足した。

 交通については、鉄道は、1月には和歌山県の藤並~金屋口を結んでいた有田鉄道が廃止された。2月は京福電気鉄道の福井~勝山と福井口~三国港が「えちぜん鉄道」に移管された。3月は営団地下鉄の半蔵門線の水天宮前~押上と東武伊勢崎線連絡線の曳舟~押上が開業し、地下鉄半蔵門線と東武伊勢崎線が直通運転するようになった。名古屋地下鉄上飯田線の平安通~上飯田が開業し、犬山~上飯田を結ぶ名鉄小牧線と直通運転を始めた。4月は近鉄北勢線の西桑名~阿下喜が三岐鉄道に移管された。8月は沖縄県に戦後初の鉄道交通となる沖縄都市モノレール(ゆいレール)が那覇空港~首里が開業した。10月はJR東海・東海道新幹線に1985年(昭和60年)にデビューした100系が引退したことにより、全車両(300系、500系、700系)の270キロ運転が実現し、それに合わせて東京に品川駅が開業した。12月はJR西日本・可部線の可部~三段峡が廃止された。名古屋地下鉄名城線の砂田橋~名古屋大学前が開業した。

 経済については、3月に大和銀行とあさひ銀行が合併して「りそな銀行」が発足し、あさひ銀行の前身が協和銀行と埼玉銀行であったことから、埼玉県内は「埼玉りそな銀行」として分割された。4月に東京都港区六本木に森ビルが再開発した「六本木ヒルズ」がオープンし、オフィス棟の森タワーにはITベンチャー企業などのオフィスが多数入り、テレビ朝日の本社も六本木の同エリアに移転した。六本木ヒルズの住居棟は高所得者が集まり、ヒルズ族と呼ばれるようになった。そのほか、東京ディズニーランドが開園20周年を迎える一方で、兵庫県宝塚市の宝塚ファミリーランドが閉園した。

 文化については、音楽は、SMAP「世界に一つだけの花」、福山雅治「虹」、宇多田ヒカル「COLORS」、森山直太朗「さくら」、サザンオールスターズ「涙の海で抱かれたい」、浜崎あゆみ「&」、Mr.Children「HERO」、中島みゆき「地上の星」、B'z「IT'S SHOW TIME!!」、一青窈「もらいなき」などがヒットした。映画は、邦画は織田裕二主演の「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」、洋画は「ハリー・ポッターと秘密の部屋」、「マトリックス リローデッド」、「ターミネーター3」、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」などが日本でもヒットした。

 スポーツについては、読売ジャイアンツに在籍していた松井秀樹が米大リーグのニューヨーク・ヤンキース(New York Yankees)に移籍した。星野仙一監督率いる阪神タイガースが18年ぶりにセリーグ優勝を決め、大阪が大いに盛り上がった。パリーグは王貞治監督率いるダイエー・ホークスが優勝し、日本シリーズで阪神と対戦し、最後はダイエーが日本一となった。大相撲は、1月に横綱・貴乃花が引退し、朝青龍がモンゴル人初の横綱に昇進した。12月にはハワイ出身の横綱・武蔵丸が引退した。

 2003年、世界を最も混乱させたのはSARS(重症急性呼吸器症候群、新型肺炎)の大流行である。SARSは2002年11月に中国広東省で発生したとされ、2003年夏までに世界で8000人以上の感染者を出し、774人が死亡した。中国はSARSという治療法がわからない新しい伝染病に適切に対処できず、報道規制するなど隠蔽したため、被害の拡大を招いてしまった。SARSは広東から香港、北京などに広まり、さらにカナダ、シンガポール、ベトナム、台湾などへ広まった。中国、台湾、シンガポールでは感染が広がる一方、韓国、日本などではほとんど感染が広まらなかったのは不思議だった。結局はSARSのウイルスは熱に弱く夏になると収束したが、世界保健機関(WHO)などの発表によると中国の死者が647人(うち中国本土348人、香港299人)、台湾が73人、カナダ38人、シンガポール32人、ベトナム5人などの犠牲者が出た。

 台湾では、SARSの広がりにより、観光客や外国人が激減し、経済的にも大きなダメージを受けた。道行く人はマスクをして、バスは窓を開けて運行されるなど、夏まで緊迫した状態が続いた。台湾はWHOへの加盟を求めているが、中国による妨害で加盟が認められず、SARS感染拡大の緊急事態のなかでもWHOから台湾への情報提供や専門家派遣が遅れたため、台湾の被害拡大を招いた。5月のWHO年次総会に台湾は参加できなかったが、台湾のWHO参加に理解を示す国は増加した。

 そのほか台湾では、7月に台湾第2のエスニックグループである客家人の客家語文化の振興のため世界初の24時間客家(ハッカ)語による放送を行う「客家電視台」(ハッカ・テレビ)が開局した。これは母語人口の減少が進む少数民族の言語振興の面で画期的なできごとだった。2004年に実施される4年に1回の総統(大統領)選挙の候補者が決まり、現職の民主進歩党(民進党)の陳水扁(タン ツイピィ)総統と呂秀蓮副総統のペアに対し、野党の中国国民党と国民党から分裂した親民党が和解して候補者を一本化し、中国国民党の連戦主席(総統候補)と親民党の宋楚瑜主席(副総統候補)のペアが挑む与野党一騎打ちの形となった。陳総統は台湾初の国民投票実施と「新憲法制定」を掲げ、台湾の主体性を強調し、国民党の党営事業や党産問題も批判した。9月には「台湾正名」大集会が台北で開催され、李登輝前総統も参加し、「台湾と中国はそれぞれ別の国」とアピールした。対する連戦候補は台湾経済の悪化や陳政権が台湾人か中国人かという民族対立を煽っていると批判し、「一中各表」(一つの中国の解釈を各自表明する、台湾が指す中国は中華民国)や中国との両岸直航支持など両岸関係改善を掲げた。国民投票については野党も反対し続けるのは総統選挙にマイナスとなることから、行政機関からの提案を制限する等の条件を加えた上で賛成に回って11月下旬に成立した。

 中国では3月に胡錦濤(胡锦涛/フウ チンタオ)国家副主席が中華人民共和国の国家主席に選出され、温家宝(ウェン チアパオ)氏が国務院総理(首相)に選出された。4月はSARSが中国で流行した。6月には世界最大規模の湖北省の三峡(サンシア)ダムで貯水を開始した。10月に中国初の有人宇宙船「神舟5号」の打ち上げに成功した。

 香港では4月にSARSが発生し、6月にかけて出入国の発熱検査の徹底や患者の隔離など厳しい管理が続けられた。叛乱罪、国家分裂罪、国家転覆罪など国家安全に関する内容を定める香港行政区基本法第23条の立法が香港の民主主義を後退させるとして、民主派から強い反発が起き、7月には約50万人が参加する「香港七一デモ」が発生し、9月にようやく董建華・行政長官(特首)が同条例の撤回を表明した。

 韓国では2月に大邱(대구/テグ)市の地下鉄で放火による車両火災事件があり、200人近くが犠牲となった。北朝鮮は1月に核拡散防止条約(NPT)の脱退を宣言し、2月には日本海に向け地対艦ミサイルを発射し、瀬戸際外交を継続した。

 世界の情勢は、アメリカがイラクのサダム・フセイン( صدام حسين )政権が大量破壊兵器を保有している疑惑を強め、3月にアメリカはイギリスとともにイラクを空爆し、「イラクの自由作戦」などと命名して3月19日からイラクへ進攻した。アメリカのジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)大統領は、イラク開戦の理由について、生物・化学兵器、大量破壊兵器を保有しながら査察団への協力に消極的であることや、イラク国民をサダム・フセイン政権からの圧政から解放し、テロ支援国であるイラクを民主的な国に変えるなどと主張した。アメリカの圧倒的な武力によってサダム・フセイン政権は4月上旬に崩壊し、5月にアメリカは「戦闘終結宣言」を発表し、アメリカおよび連合国暫定当局の統治に入り、7月にはイラク人による統治評議会が発足し、イラクの再建が進められることになったが、結果的に占領は混乱を極め、自爆テロなどが多発し、占領軍や一般市民にも大きな被害が出た。しかもイラクから大量破壊兵器は発見できず、後にアメリカのイラク開戦の正当性が疑われることになった。
  
 そのほか世界の動きは、2月にユーゴスラビア連邦共和国がセルビア・モンテネグロに改称した。10月に米国カリフォルニア州知事に俳優のアーノルド・シュワルツネッガー氏が当選した。12月にリビアが大量破壊兵器の破棄を宣言した。

(参考:Wikipediaほか)

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時の旅・2011年(平成23年) 津波と原発事故の東日本大震災、地デジ移行、九州新幹線全通、アラブ社会のジャスミン革命

2011年
平成23年

時の旅・2011年(平成23年) 津波と原発事故の東日本大震災、地デジ移行、九州新幹線全通、アラブ社会のジャスミン革命

当時の日本国首相 菅直人(民主党) → 野田佳彦(民主党)

 平成23年(2011年)は激動の一年だった。1月に北アフリカのチュニジアで民衆のデモによって長期独裁政権が倒され、それに触発されたエジプトでもムバラク( محمد حسني مبارك‎ )政権に反対する大規模反体制デモが発生、イエメン、ヨルダンにも反政府デモが飛び火した。さらに内戦が続いていたスーダンではスーダン南部の独立を問う住民投票の結果、圧倒的多数で独立が決まった。2月にはエジプトのムバラク大統領が辞任し、アルジェリアでも非常事態宣言が解除された。40年以上にわたりカダフィ大佐による独裁政権が続いていたリビアでも2月から内戦となり、8月にカダフィ政権が倒され、10月にカダフィ氏が反体制派に拘束され殺害された。これらの北アフリカ、アラブの一連の民主化の動きは「ジャスミン革命」と呼ばれ、その原動力となった群衆の動員には携帯電話とツイッター、フェイスブックなどのツールが大きな役割を果たした。

 2月下旬、ニュージーランドのクライストチャーチでマグニチュード6.3の地震が発生。クライストチャーチ市内の建物に倒壊などの被害が出て、日本人にも犠牲者が出た。3月に入ると3月9日に東北地方の三陸沖でマグニチュード7.3の地震が発生。宮城県北部で震度5弱を記録した。日本でも比較的大きな地震が来たことに驚いたが、まさかこれが大地震の予兆だとはこの日に気づいた人はほとんどいなかった。

 3月11日14時46分、日本の東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0のとてつもなく巨大な地震が発生した。主な都市の震度は、宮城県栗原市が震度7、宮城県仙台市宮城野区、大崎市、名取市、塩竈市、東松島市、福島県白河市、須賀川市、二本松市、茨城県日立市、笠間市、筑西市、鉾田市、栃木県宇都宮市、大田原市、真岡市などが震度6強を記録し、ほかに仙台市の大部分、福島県郡山市、水戸市、千葉県成田市などが震度6弱、青森県八戸市、秋田県秋田市、福島県福島市、栃木県日光市、群馬県前橋市、埼玉県さいたま市、千葉県千葉市、東京都(23区)、神奈川県横浜市、川崎市、山梨県中央市などで震度5強を観測するなど、広範囲ですさまじい揺れとなった。

 今回の地震は特に強烈な揺れによって引き起こされた大津波が太平洋沿岸の町を呑み込み、想像を絶する甚大な被害をもたらした。地震の強さは平成7年(1995年)の阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)のマグニチュード7.3をはるかに上回り、死者・行方不明者数合わせて平成24年3月の時点で1万9千人を超え、阪神淡路大震災を大きく上回る戦後最悪の災害となった。

 東京では電車がほぼ全線で運休し、大量の帰宅難民が発生した。駅周辺は大混乱となり、歩いて帰るサラリーマンが歩道にいっぱいとなった。夜9時過ぎにようやく地下鉄の一部路線が動き始めたが、混乱は終日続いた。

 岩手県は北から岩手県の洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市などの海岸沿いの市町村が大津波被害を受けた。海沿いの集落は津波にことごとく破壊されたが、その後も津波の恐れがあったため、捜索救援活動も遅れた。場所によっては防波堤の想定をはるかに超える10m以上の高さの津波が集落に押し寄せた。特に大槌町役場や陸前高田市役所は津波が建物を直撃し、3階を越える高さまで押し寄せたのだという。このため、市街地が壊滅状態となった。陸前高田市の高田松原も津波でなぎ倒され、壊滅した。宮城県は、北から気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、松島町、利府町、塩竈市、七ヶ浜町、多賀城市、仙台市宮城野区、若林区、名取市、岩沼市、亘理町、山元町などの市区町が津波の被害を受けた。沿岸部は津波によって壊滅状態で、気仙沼市では大規模な火災も発生した。名取川周辺も津波が押し寄せ、名取市の仙台空港の滑走路まで津波が押し寄せた。 福島県については、北から新地町、相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、いわき市などの海沿いの市街地が津波によって破壊された。また、茨城県の北茨城市、日立市、大洗町、鹿嶋市、千葉県旭市などでも津波被害があった。

 また、地震により、福島県大熊町・双葉町にある東京電力福島第一原子力発電所が自動的に緊急停止したものの、そのあと襲った大津波で非常用電源も壊れてしまい、全電源喪失状態となり、自動循環冷却機能が喪失した。それによって、原子炉の炉心の燃料棒が過熱し、メルトダウン(炉心溶融)する深刻な事態となった(日本政府や東電がメルトダウンを公式に認めたのは発生から約2ヶ月後)。福島第一原発では3月12日に1号機でベント(非常手段としての放射性物質を含む気体の排気による圧力緩和)を実施したものの、15時過ぎに1号機で水素爆発が発生し、建屋の上部が吹き飛んだ。その二日後の14日11時頃に3号機が1号機より激しく爆発し、建屋の上部が吹き飛んだ。2号機も15日に爆発し、格納容器が損傷し、4号機でも火災が発生した。これらによって、大量の放射能が放出された。そんな中、原子炉自体が爆発する最悪の事態を食い止めようと、名もなき作業員たちが高い放射線量の中、懸命に危険な放水作業にあたった。実際に最前線の作業にあたったのは下請け、孫請けの作業員が多かった。

 4月12日、日本政府の原子力安全・保安院は、事故後に放出された放射性物質が少なくとも37万テラベクレル(37京0000兆0000億0000万0000ベクレル)以上に及んだことを認め、福島第一原発事故のINES深刻度について、とうとう旧ソ連チェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」に引き上げた。4月21日には福島第一原発から半径20キロ圏内が警戒区域となり、一般人立入禁止となった。この原発事故によって、福島県は放射能汚染に悩まされることになり、特に警戒区域内では今後数十年にわたって放射能を除染しなければ、原状回復できない状況になってしまった。平成23年末現在、福島第一原発から周辺20キロ以内(大熊町、双葉町、富岡町、楢葉町、南相馬市の一部、浪江町の一部、広野町の一部、葛尾村の一部、川内村の一部、田村市の一部)は警戒区域となっており、一般人の立入が禁止されている。また、20キロ~30キロ(南相馬市の一部、飯舘村の一部、浪江町の一部、広野町の一部、葛尾村の一部、川内村の一部、田村市の一部、いわき市の一部)は緊急時避難準備区域とされていたが、これについては9月30日に解除された。なお、20キロ圏外でも年間20ミリシーベルト以上の放射線量がある南相馬市の一部、浪江町の一部、川俣町の一部、葛尾村の全域、飯舘村の全域は計画的避難区域として住民の避難が実施されている。

 原発の危機時には、東京でも一時、水道水から基準値を超える放射線量が検出され、ヨーロッパ等の一部の大使館が一時東京から大阪など関西に移された。航空機も、放射線量の高い東京を避け、ソウルや関西空港発着に変更したり、関西経由にして大阪で乗務員交代を行う航空会社も現れた。

 震災と原発事故で混乱が続いていた3月16日、天皇陛下は震災に関するおことば(ビデオメッセージ)を発表された。天皇陛下は、余震が続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている自衛隊、警察、消防、海上保安庁や国・地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々らをねぎらい、「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」と述べられた。天皇陛下と皇后さまはその後避難生活を送る被災者らを励ますため何度も被災地へ足を運ばれた。

 震災発生後、3月下旬まで東京電力管内の関東では電力供給不足により、計画停電が実施された。首都機能が集まる都心はその対象から排除されたが、東京都でも比較的郊外では計画停電の対象となった。町中から電気がすべて消え、真っ暗闇になったことは、震災が緊急事態であることを人々に感じさせた。首都圏では、3月下旬に水道水が一時放射能規制値を超えたことから、ミネラルウォーター購入希望者が殺到し、町中からミネラルウォーターが消えた。買いだめした人はわずかだと思われるが、多くの人が同じ行動をとるとあっという間に足りなくなることがわかった。そのほか、ヨーグルトや納豆なども震災後一時供給が追いつかなくなってスーパーから消えた。夏には主にクーラー使用による電力不足が心配され、節電が呼びかけられ、電力会社は電気予報を発表し、供給電力量と使用電力量をリアルタイムで伝え、節電を求めた結果、大規模停電の事態は避けられた。一方、原発再稼働がなくても電力は間に合うのではないか、電力不足を煽るのは原発を再稼働させるための口実だという論調もみられた。

 平成23年の政治は、震災により混乱が続いた。1月31日には民主党の小沢一郎・元代表が土地購入にからむ汚職疑惑で強制起訴された。前原誠司・外務大臣が在日外国人から政治献金を受け取っていた疑惑が発覚し、外相を辞任した。菅直人(かん なおと)内閣総理大臣(首相)にも同様の疑惑が持ち上がったところ、東日本大震災が発生した。また、この日は石原慎太郎・東京都知事が引退を撤回して都知事選再出馬を発表した日でもあった(石原知事は4月の選挙で再選された)。

 菅首相は、ただちに震災救援に取り組んだが、福島第一原発事故が危機的状況となったことからその対応にも追われた。翌12日に菅首相は福島第一原発の視察へ赴いたが、原発側が菅首相への対応に追われ、それがベントの遅れにつながったとの批判もある。枝野幸男・官房長官は、震災後十分な睡眠をとらずに政府発表に追われ、その姿は国民の共感を呼び高く評価されたものの、原発事故の放射能漏出の影響については、「ただちに影響はない」という表現でごまかしたため、国民は政府発表への不信を高めた。また、原発事故の報道ではテレビまでもが原発擁護学者ばかり登場して実際に起こっていたメルトダウンを正しく報道しなかったことから、国民のマスコミ不信がいっきに高まった。菅首相は原発の危機的状況に対して東京電力に自ら乗り込んで撤退しないよう迫り、現地の作業員の粘りと、自衛隊や東京消防庁などの勇敢な放水の応援で、最悪の状況はまぬがれた。東電の清水正孝社長は一番肝心なときに入院し、最前線に立つこともなく、東電の無責任で不誠実な体質を際立たせた。一方、現場で最前線の対応にあたった吉田昌郎所長は海水注入を続けて踏ん張り、原発事故の原子炉爆発を食い止めたことから、国民の評価は高かった。菅政権は原発の放射能影響予測マップ「SPEEDI」を国民に公開しなかったことや、震災に関する会議を乱立させながらも肝心の議事録を残していなかったことが情報隠蔽体質と受け取られ、政府への国民の信頼を失わせた。

 一方、震災の救援に献身的に取り組んだ自衛隊や駐日米軍は高く評価された。自衛隊の若者隊員は頼もしく、孤立した生存者を救出し、がれきの中から残念ながら遺体で発見されても、遺体を家族のもとへ戻してくれた自衛隊員に感謝の気持ちが伝えられた。アメリカ軍による「トモダチ作戦」は米軍の最新装備を駆使して、最速で津波のがれきに埋もれた仙台空港の滑走路を使用可能な状態に復旧してくれた。また、隣国台湾からは馬英九(マー インチョウ)総統自ら台湾国民に義援金を呼びかけ、世界最大の約200億円もの義捐金を日本へ寄せてくれたほか、慈善団体が何度も被災地へ赴き、義捐金を配布したり、ボランティア活動を行ったりした。そのほか、クウェートが石油を大量に支援してくれた。菅首相は海外からの支援に対し感謝のメッセージを発信し、そのタイトルとなった「絆」(きずな)が流行語にもなった(日本政府が各国に出した感謝の広告に最大支援国の台湾が抜けていたという批判もある)。

 菅首相は5月に今後地震で津波被害を受ける懸念のある静岡県御前崎市の浜岡原発を政治判断で停止させた。その後、脱原発路線を鮮明にし、太陽光エネルギーの推進を掲げたが、原発がまかなうエネルギー量を代替するエネルギー政策については具体性を欠いたため、原発依存を減らしていくことに対して日本国民は大きく支持しているが、震災対応で不信を招いた菅首相の支持率は下がり続けた。6月に野党および民主党内の小沢・鳩山グループから菅政権の運営への批判が高まり、内閣不信任案可決の可能性が出てきたが、土壇場で鳩山由紀夫・元首相が菅首相と党内分裂を回避することで合意し、民主党内の反菅の勢いがしぼみ、内閣不信任案は否決された。しかし、その後、菅首相が内閣不信任案が否決されたことで早期辞任を否定し、原発事故収束まで辞任しない姿勢を見せたことから、再び菅首相の辞任を求める声が民主党内からも高まり、菅首相は2次補正予算、特例公債法案、再生エネルギー特別措置法案などの通過を辞任条件とし、法案通過のめどが立った8月27日に辞任した。

 その後、民主党代表選挙が実施され、5人が立候補し、野田佳彦(のだ よしひこ)財務大臣が、海江田万里・経済産業大臣、前原誠司・前外務大臣、鹿野道彦・農林水産大臣らを『破って党代表に選出され、8月30日に野田佳彦氏が第95代内閣総理大臣に選出され、9月2日に野田内閣が発足した。野田首相は代表選挙の中で相田みつを氏の詩から引用して、どじょうのように泥臭く仕事を進めていくと表明したことが好感を呼び、内閣支持率は50%以上に回復した。小沢グループからも重用し、民主党内の党内融和をはかったが、その後、消費税増税方針と、高度な自由貿易協定である環太平洋連携協定(TPP)の参加をめぐって対立することになる。特に民主党のマニフェスト(公約)になかった消費税増税について、法案成立後に選挙という説明には消費税増税の必要性は認めながらも国民の多くが不信感を抱いた。

 TPPについては、例外なき関税撤廃が、関税自主権を奪い、日本の農業を破壊するものだとして反対論が根強く、食品添加物表示の規制緩和、政府公共事業への外国企業の参入、医療自由化による保険制度解体や医療格差拡大、投資家対国家の紛争解決(ISD)条項の訴訟リスク等、アメリカ有利なルールになるだけだなど反対論が続出していたが、野田内閣はそれらの懸念に十分説明することなく、11月に米国ハワイで開かれたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議出席の際に交渉参加の方針を関係国に伝えた。TPPについては、マスコミでもTPP賛成派の大企業の広告を得ているかで対応が分かれたのか、大手マスコミの社説は賛成一色で、地方紙はTPP反対の論調が多かった。また、TPPは輸出に頼る大企業や経団連などが積極的に賛成していたほか、TPP反対については行き過ぎた新自由主義に反対し、食品安全基準などを重視する左派から、アメリカ等外国に従属するのではなく日本らしい国柄を守るべきという右派まで、珍しく左右合同で反対運動を展開していたのは画期的だった。野田内閣と小沢グループの路線対立が激しくなると、年末に民主党から9名が離党して消費税増税反対、TPP参加反対、原発再稼働反対などを掲げる「新党きづな」が結成された。

 平成23年(2011年)は震災だけでなく、台風による水害にも見舞われた。台風12号は9月3日から4日にかけて四国・近畿地方を直撃し、特に紀伊半島は豪雨となり、熊野川が氾濫し、和歌山県の新宮市、那智勝浦町などで大きな被害が出たほか、奈良県十津川村が一時孤立状態となった。続く9月20日の台風15号では名古屋市で庄内川と天白川が危険水位となったほか、21日には夕方に関東を直撃し、東京では帰宅時間の交通機関が乱れた。

 このほか平成23年(2011年)は地方政治も大きく動いた。住民税10%減税恒久化、市議会議員報酬削減、地域委員会による住民自治強化などを公約している河村たかし・名古屋市長は、市議会議員の反対で政策が実現できなかったことから、河村市長は平成22年(2010年)に地域政党「減税日本」を結成し、市長が率先して市議会リコール署名運動を始め、35万人以上の署名が集まり、2月に住民投票が実施されることになった。河村市長も辞任し、もう一度名古屋市長選挙に出馬して民意を問うことになった。そして2月6日にもともと予定されていた愛知県知事選挙に加えて、名古屋市長選挙と名古屋市議会解散住民投票が同時に実施され、愛知県知事には河村市長と共同戦線を張った元自民党国会議員の大村秀章氏が当選。名古屋市長選挙は河村たかし市長が再選。住民投票は市議会解散賛成が過半数を上回って名古屋市議会解散が決定した。名古屋市議会の出直し選挙が3月に実施され、定数75議席のうち、河村市長派の「減税日本」が28議席当選して過半数には及ばなかったが第1党に躍進した。それまで第1党だった民主党は半分以下になった。4月の愛知県議会選挙では、名古屋市や周辺地域で減税日本の候補が擁立されたほか、大村知事派の地域政党「日本一愛知の会」も候補を擁立して共闘したが、減税日本と日本一愛知の会を合わせても第1党には及ばなかった。愛知県と名古屋市の二重行政についても大村知事と河村市長が「中京都」構想を掲げたが、中京都と名古屋市の関係などをどう位置付けるのかは東京都型を目指す「大阪都」に比べて具体的ではない。名古屋市議会は12月下旬に市民税5%減税条例案をついに可決した。

 11月は大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙があった。橋下徹・大阪府知事はもともと大阪市を解体して大阪府と一体化して「大阪都」を実現することを主張していたが、平松邦夫・大阪市長は反対し、大阪府VS大阪市の対決構造が逆に強まっていた。その状況を打破するため、橋下知事は任期満了前に大阪府知事を辞めて自ら大阪市長選挙に鞍替え出馬して、橋下氏VS平松氏との直接対決となり、橋下氏が圧勝した。大阪府知事選は、橋下氏の後を継ぐ「大阪維新の会」の松井一郎氏と、前池田市長の倉田薫氏、共産党推薦の梅田章二氏の戦いとなったが、やはり橋下人気で「大阪維新の会」に追い風が吹き、松井氏が圧勝した。それにより大阪府知事と大阪市長が共に「大阪維新の会」になって、「大阪都」構想が急速に前進することになった。

 鉄道については、東日本大震災の影響で東北太平洋側沿岸部で甚大な被害を受けた。岩手県については、田野畑村で三陸鉄道北リアス線の島越駅が津波にさらわれたほか、宮古市でJR東日本山田線の宮古~磯鶏間の鉄橋が流され、大槌町の大槌駅でも津波による大きな被害を受けた。釜石市ではJR釜石線、三陸鉄道南リアス線と合流する釜石駅に津波が到達したほか、南リアス線の唐丹駅でも津波が到達した。大船渡市、陸前高田市ではJR大船渡線が甚大な被害を受け、大船渡市は盛駅に津波が到達したほか、大船渡駅が津波で壊滅、陸前高田市の陸前高田駅も津波で壊滅した。宮城県については、気仙沼市のJR気仙沼線の南気仙沼駅が津波で壊滅的な被害を受けたほか、津波で市街地が壊滅的被害を受けた南三陸町の清水浜駅、志津川駅も大きな被害が出た。女川町の石巻線の女川駅は津波で跡形もなく破壊され、ディーゼルカーが数百メートル流されて発見された。石巻市ではJR石巻線・仙石線の石巻駅が津波で浸水した。東松島市では仙石線の野蒜~東名間で電車が津波に流され車体が折れ曲がった。このほか、塩竈市で仙石線の本塩釜駅のコンコースに津波が押し寄せた。仙台空港のある名取市では仙台空港まで津波が押し寄せたことから、仙台空港アクセス鉄道も空港近くのトンネルなどが津波の被害を受けた。東北本線の岩沼から海沿いに分岐する常磐線は山元町の山下駅付近で貨物列車が津波に巻き込まれ、コンテナが流されたほか、坂元駅が津波で破壊された。福島県では、常磐線が新地町の新地駅が津波に呑み込まれ、停車していた電車が巻き込まれて横転した。乗客は避難して無事だった。相馬市や南相馬市のほうは常磐線は比較的陸側を走っているのだが、福島第二原発に近い富岡町の富岡駅の駅舎が津波で流失した。いわき市は市北部の常磐線の区間が海に近く、津波の影響を受けているようだ。そのほか、原発の影響で常磐線は原ノ町駅(南相馬市)~広野駅(広野町)間が警戒区域のため復旧の見込みが立たなくなっている。

 平成22年(2010年)12月に全通したJR東日本の東北新幹線の次世代列車として時速300キロの「はやぶさ」が3月5日にデビューしたが、デビューから一週間もたたないうちに東日本大震災で運休せざるを得なくなった。JR九州の九州新幹線鹿児島ルートの博多~新八代が3月12日に開業し、博多~鹿児島中央が全通し、JR西日本の山陽新幹線の新大阪から九州新幹線鹿児島中央まで直通する「さくら」と「みずほ」が運行を開始した。震災発生直後ということで静かな出発となった。3月はこのほか名古屋の、あおなみ線の金城ふ頭駅前にJR東海の「リニア・鉄道館」がオープンした。震災で東北地方の鉄道の多くが不通となったが、3月から4月にかけて津波の被害を受けなかった多くの区間では復旧が進んだ。東北新幹線は部分開業しながら4月29日に全線復旧した。部分開業の期間には東北新幹線開業時のグリーンと白の塗色の東北新幹線200系や、未復旧区間の代役として583系特急車両がリレー号として代走した。その後、7月にはひたちなか鉄道や鹿島臨海鉄道が全線復旧し、宮城県の沿岸部を走る仙石線も高城町~矢本を除いて復旧した。しかしながら三陸沿岸では市街地の被害が甚大であり、都市計画も定まっていないことから復旧が数年単位となる見通しで、そのほか、常磐線は原発事故の影響で原ノ町~広野の復旧の見込みが立たず、相馬以北は津波の影響もあるため、年末の時点で上野~広野、原ノ町~相馬、亘理~岩沼の3区間に分断された状態となっている。このほか5月に大阪駅の新しい駅ビルが完成し、「大阪ステーションシティ」がオープンした。

 文化面では、音楽は秋葉原系のアイドルグループ「AKB48」が大ブレークし、「フライングゲット」「Everyday、カチューシャ」「風は吹いている」「上からマリコ」「桜の木になろう」とCD売上トップ5を独占した。名古屋・栄の「SKE48」、大阪・難波の「NMB48」も姉妹グループとしてヒットした。このほか、嵐の「果てない空」、ドラマ「マルモのおきて」の主題歌になった「マル・マル・モリ・モリ」などがヒットした。また韓流ブームで韓国アイドルグループが押し寄せ、KARAの「GO GO サマー」「ジェットコースターラブ」、少女時代の「MR.TAXI」「Gee」などがヒットした。また、アルバムでは食道がんを克服した桑田佳祐「MUSICIAN」、いきものがかりのベストアルバム、来日してブームを巻き起こしたレディー・ガガのアルバム「ボーン・ディス・ウェイ(Born This Way)」などがヒットした。

 文学は、破天荒な人生を描いた西村賢太の私小説「苦役列車」が芥川賞を受賞し、大きな話題を呼んだ。 震災発生後しばらく、テレビCMの自粛が相次ぎ、ACジャパンの公共広告ばかりが流されたが、その中で「『遊ぼう』っていうと、『遊ぼう』っていう。『ばか』っていうと、『ばか』っていう。『ごめんね』っていうと、『ごめんね』っていう。こだまでしょうか、いいえ誰でも…」という人間の心理を金子みすゞの詩「こだまでしょうか」がこのCMをきっかけに再び注目を集めた。

 テレビドラマは江戸時代にタイムスリップした医者を描いた「JIN-仁-」がヒットした。8月に島田紳助が暴力団と関係があったとして芸能界を引退し、司会を務めていた「クイズ!ヘキサゴン」などが終了した。9月には平成2年(1990年)から続いてきた橋田壽賀子のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズが完結した。時代劇ドラマ「水戸黄門」もシリーズが終了した。松島菜々子が笑顔を見せない家政婦役を演じたドラマ「家政婦のミタ」も高視聴率を記録した。テレビについては東北の被災地を除いて地上波アナログ放送が7月24日に終了し、地デジに切りかわった。

 スポーツは、いままで注目されることが少なかった女子サッカーで、2011FIFAワールドカップ決勝で日本がアメリカを破り優勝すると「なでしこJAPAN」が大きく注目されるようになった。野球は東日本大震災の影響で開幕が遅れたものの、ペナントレースは順調に行われ、パリーグはソフトバンク・ホークスが優勝。セリーグは中日ドラゴンズが2年連続で優勝した。クライマックスシリーズでも両者結果は変わらず、ソフトバンクと中日が日本シリーズを戦った。中日は落合監督の退任が決まっていたが、日本シリーズを勝ち抜くことができず、ソフトバンクが優勝した。台湾で開かれたアジアシリーズでは日本代表のソフトバンクが韓国のサムスンに敗れ、優勝を逃した。横浜ベイスターズの経営権をDeNAが取得し、2012年度から横浜DeNAベイスターズになった。大相撲は、八百長問題で春の大阪場所を休止、相撲界の不祥事が次々明るみになる中、モンゴル人の白鵬が安定した強さを見せた。

 海外の動きについては、朝鮮半島情勢は、韓国はウォン安を活かして三星(삼성/サムソン)などの大企業が輸出を伸ばし、李明博(이명박/イ ミョンバク)政権がアメリカとの自由貿易協定(FTA)を推進し、円高ドル安で輸出不振にあえぐ日本企業を追い込んでいった。アメリカが10月に同協定が議会で可決され、韓国の批准を待つだけとなったが、農業問題やさまざまな規制緩和要求が国内を基盤にする中小企業など一部の韓国国民にとって受け入れがたいものであるため、野党が激しく反対した。しかしながら与党が強行採決して米韓FTA批准案が可決された。与党ハンナラ党の呉世勲(오세훈/オ セフン)ソウル市長が野党民主党が進めた小中学校給食無償化決議に反対して住民投票を実施したが野党派のボイコットに遭って不成立となり、市長を辞任。10月に実施されたソウル市長選挙では野党が支持した無所属の朴元淳(박원순/パク ウォンスン)が与党ハンナラ党の羅卿瑗(나경원/ナ ギョンウォン)を7%差で勝利した。

 北朝鮮では12月19日に朝鮮中央テレビが特別放送で金正日(김정일/キム・ジョンイル)総書記が12月17日に心筋梗塞で死去したことを発表した。北朝鮮では2010年から三男の金正恩(김정은/キム・ジョンウン)を後継者として地位を固めてきて、金正恩が金正日の視察に同行したりしてきた。金正日総書記が死去後、12月28日に平壌(ピョンヤン)で国葬が行わた際につきそい、12月29日に序列2位の金永南(김영남/キム ヨンナム)最高人民会議常任委員長は金正恩が「党・軍・人民の最高指導者」であると宣言し、翌30日に金正恩が朝鮮人民軍最高司令官に就任した。

 台湾は、4月下旬に野党・民主進歩党(民進党)の蔡英文主席が党内選挙に勝利して総統選挙の候補者となった。6月中旬に馬英九(マー インチョウ)総統は副総統候補に呉敦義・行政院長(首相)を指名した。蔡候補は台中両岸には、両岸が『一つの中国』を認め中身をそれぞれ解釈し、台湾は『中華民国』、中国大陸は『中華人民共和国』とする「1992年コンセンサス(九二共識)」なるものが存在しない(中国が認めないので存在しない)と主張。蔡主席は台湾国内で民主的な手続きで与野党のコンセンサスを求める「台湾コンセンサス」を掲げた。9月には蔡英文氏とペアを組む民進党の副総統候補に蘇嘉全・民進党秘書長が選ばれた。日本統治時代のセデック族の霧社事件を映画化した魏徳聖監督「セデック・バレ」が話題を呼び、先住民族のセデック語や日本語が全編にわたって出てくる台湾映画となった。10月10日、「中華民国」建国100周年を祝う国慶節祝賀式典が盛大に行われ、日本で孫文の活動を主に金銭面で支えた梅屋庄吉が台湾でも見直された。総統選には親民党の宋楚瑜主席も出馬表明し、3つどもえの争いとなったが、世論調査では馬総統がややリードで民進党の蔡候補がそれを僅差で追う形で、宋候補は泡沫候補とみられた。東日本大震災では台湾から200億円を超える義援金が寄せられ、馬英九総統も自らチャリティー番組に出演して台湾国民に募金を呼びかけた。また、慈済や仏光山などの仏教団体などの宗教団体も被災地でボランティア活動や義援金配布活動などを積極的に行った。改めて日台関係の強い絆が確認される形となり、秋に日台投資協定や日台オープンスカイ協定が結ばれ、ビジネス面でも日台協力がより促進された。そのほか、1月に台湾高鉄(台湾新幹線)の台南駅(沙崙駅)と台南市内のを結ぶ台鉄(在来線)の沙崙線が開業、11月に台湾高鉄の新竹駅(六家駅)から内湾線の竹中駅を経て台鉄新竹駅を結ぶ六家線が開業し、台南と新竹の新幹線の駅から市内へのアクセスがより便利になった。

 中国は、2010年の国内総生産(GDP)が日本を抜き、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に躍り出た。しかしながら中国国民の貧富の格差は激しく、言論の自由も極めて制限されている状況に変化はなく、2008年北京オリンピック・メインスタジアム「鳥の巣」を設計した芸術家・艾未未(アイ ウェイウェイ)氏が3月に当局に拘束された。北アフリカやアラブで民主化の波となった「ジャスミン革命」は、統制が厳しい中国では大規模な騒動にはならず、不発に終わった。深圳では6月に深圳地下鉄・都市鉄道の羅宝線、竜華線、環中線、蛇口線、竜崗線が相次いで開業。開業ラッシュとなった。6月30日には首都北京と最大都市上海を結ぶ大動脈である京滬高速鉄道(中国版新幹線)の北京南駅~上海虹橋駅が開業した。ところが、7月には上海から福州方面を結ぶ中国版新幹線が浙江省の温州付近で追突事故を起こし、追突した先頭車両などが高架橋から地上に落下し、約40人が死亡した。当局は事故車両を埋めるなどして事故原因隠蔽に躍起となったが、中国の記者らの抵抗により、中国のネット社会に暴露され、当局の信用失墜となったばかりか、当局の統制をメディアが突破したのは画期的なことと国際社会で受け止められ、中国当局も国民の世論を意識せざるを得なくなるまで追い詰められた。中国はこの事故によって鉄道建設ペースを落とすようになったが、12月には広州と深圳を結ぶ高速鉄道の広州南駅~深圳北駅が開業した。

 世界の動きは、1月から旧ソ連諸国で初めてエストニアがユーロを導入した。1月下旬にチュニジアの反体制デモがエジプトにも飛び火、イエメン、ヨルダンでも反政府デモ実施。スーダン南部で実施された独立の是非を問う住民投票にほとんどの南スーダン住民が独立に投票した。2月にはミャンマーで軍出身のテイン・セインが首相に選出され、軍部の権益を守りながらも野党を容認して民主化へと歩み始めた。ニュージーランドのクライストチャーチでM6.3地震が発生し、市街地で建物倒壊の被害が出た。リビアでも長年独裁政権をしいてきたカダフィ( مُعَمَّر القَذَّافِي )政権を打倒する動きが起こり内戦となり、後にNATO(北大西洋条約機構)が反体制派を軍事支援した。4月にキューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長がキューバ共産党第一書記からも退任し、公職から引退した。米ニューヨーク911テロなどの国際テロを主導してきたアルカイダの指導者であるウサマ・ビンラディン( أسامة بن لادن )が5月にアメリカ当局の主導でパキスタン領内で殺害された。7月に南スーダン共和国がスーダンから独立。タイで実施された総選挙で政権交代が起こり、8月にタクシン元首相の妹であるインラック・シナワトラ( ยิ่งลักษณ์ ชินวัตร )が首相に就任した。リビアで反体制派が首都トリポリを制圧し、カダフィ政権が崩壊した。9月には行き過ぎた新自由主義による貧富の格差拡大に怒るデモが米ニューヨークのウォール街で発生、10月には世界各地にも飛び火する。タイで国土の3分の1が水没し、日系企業の工場にも大きな被害が出た。逃亡していたリビアのカダフィ氏が拘束された際に殺害された。トルコ東部でM7.1の地震が発生した。11月には、欧州連合(EU)のギリシャとイタリアの財政危機が表面化した。12月は、ロシアの総選挙で与党の統一ロシアが過半数を維持して勝利した。アメリカ軍がイラクからの撤退を完了した。そのほか、10月に世界人口が70億人を突破した。

(参考:Wikipediaほか)

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テーマ : 歴史
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名古屋 でら名古屋2011

名古屋・2011年(平成23年)

名古屋 でら名古屋2011

(名古屋の雰囲気を出すため、会話調の名古屋弁で愛知県の2011年(平成23年)を振り返ります)

 名古屋の2011年は、まーいろいろあったんだわー。2009年に住民税10%減税恒久化、市議会議員報酬削減、地域委員会による住民自治強化などを公約して当選した河村たかし(かわむら たかし)名古屋市長は、市議会議員の反対でなかなか政策が実現できーせんかったもんで、河村市長は2010年に地域政党「減税日本」を結成してよ、市長が率先して「減税解散やろまい」と呼びかけて市議会リコール署名運動を始めたんだわ。ほいで35万人以上の署名が集まったもんだで、2011年2月に住民投票が実施されることになったんだわさ。それでよ、河村市長も辞任して、まっぺん名古屋市長選挙に出馬して民意を問うことになったんだわ。

 2月6日はもともと予定されていた愛知県知事選挙に加えて、名古屋市長選挙と名古屋市議会解散住民投票が同時に実施されたんだけどよ、愛知県知事には河村市長と共同戦線を張った元自民党国会議員の大村秀章(おおむら ひであき)氏が当選。名古屋市長選挙は河村たかし市長が再選。住民投票は市議会解散賛成が過半数を上回って名古屋市議会解散が決定し、河村陣営の思惑通りのトリプル勝利となったんだわ。

 名古屋市議会の出直し選挙は、東日本大震災の2日後の3月13日に投開票が実施されたんだけどよ、定数75議席のうち、河村市長派の「減税日本」が28議席当選して過半数には及ばんかったんだけど第1党に躍進したんだわ。ほいで第2党派の自民党は23議席から19議席に微減、それまで第1党だった民主党は27議席から11議席へと半分以下になってまったでよ、でらわかりやすく民意が示されたというわけだわさ。

 市議会選挙の翌日の3月14日、名古屋市港区の金城ふ頭に「リニア・鉄道館」がオープンしたんだわ。ここはよ、JR東海のむかしの車両や開発中のリニアモーターカーを展示しとるとこなんだけど、東山公園から移ってきたC62形蒸気機関車もええけどよ、昔の特急「ひだ」や「しなの」がなっつかしいでしょー。JR東海といえば日本初の新幹線、東海道新幹線だでよ、丸いボディの0系はいつまでもかっこええし、2階建て食堂車のあった100系もかっこよかったがや。300系はまだ最近の新型車両のイメージで博物館に入るのは早すぎるんじゃにゃーの。

 「リニア・鉄道館」が、あおなみ線の終点の金城ふ頭にできたのも、利用客が伸び悩んどったあおなみ線にとっては明るいニュースだがね。どうせなら、名駅からあおなみ線にも面白い観光列車を走らせればええんでにゃーの。

 4月の愛知県議会選挙では、名古屋市や周辺地域で減税日本の候補が擁立されたほか、大村知事派の地域政党「日本一愛知の会」も候補を擁立して、共闘したんだわ。結局、減税日本が13議席、日本一愛知の会が5議席で18議席の共通会派「減税日本一愛知」を愛知県議会で組むようになったんだけど、自民党が52議席で圧倒的に強く、民主党も26議席あるもんで、愛知県の議会運営は名古屋市より難しくなりそうだわね。

 大阪では橋下徹・大阪市長(元大阪府知事)が大阪府と大阪市の二重行政を解決するために「大阪都」構想というものをぶちあげとるんだけど、愛知県と名古屋市の二重行政についても大村知事と河村市長が「中京都」構想というものを掲げとるんだわ。でも、これがいまいち具体的でにゃーもんで、中京都と名古屋市の関係がどうなるんかとか、わからんのだわ。まあ、今後の展開に注目せなかんな。

 名古屋は東日本大震災の直接的な被害はなかったもんで、被災地をサポートする役割を果たさにゃかんということで、名古屋市から津波で行政機能がマヒしとった岩手県陸前高田市へ職員が派遣されたんだわ。それをきっかけに陸前高田市の子どもたちを名古屋市に招待したりと交流が続いとる。震災で大変な被害を受けた被災地の復興に名古屋市が少しでも貢献できればええことだがね。

 9月の台風シーズンは、名古屋も大きな被害に遭ってまったんだわ。9月20日に名古屋を襲った台風15号は、秋雨前線を刺激してまってよ、どえりゃー雷雨になって、庄内川や天白川が溢れそうになってまったんだわ。そんときは、一時名古屋市内12区の100万人以上に避難勧告が出てよ、でら驚いたでかんわ。避難っていっても100万人も急に台風の中、どこに避難しやええのー。守山区や春日井の庄内川流域ではあふれてまったけど、ほかのところではひどい洪水にはならんかったもんだで、大災害がまぬがれたのは不幸中の幸いだったわー。

 中日ドラゴンズはこの年で落合博満監督が最後だったもんだで、みんな中日が優勝するよう応援しとったんだわー。10月にリーグ優勝を決めたのはええんだけどよ、まだクライマックスシリーズがあるもんで落ち着けんかっただわ。ドラゴンズはクライマックスシリーズでヤクルトを打ち負かし、日本シリーズに出場。日本シリーズはソフトバンクと対戦したんだけどよ、まあ打てーせん。息を呑む投手戦が続いとったんだけど、肝心なところで点とれーせんもんで、最後にはソフトバンクに打たれてまって、逆転もできーせんと負けてまっただわ。落合監督はセリーグで優勝したときは嬉しそうだったけど、最後に日本一逃してまって残念だったわね。

 フィギュアスケートでは名古屋出身の浅田真央、安藤美姫、小塚崇彦、豊橋出身の鈴木明子など愛知県の選手が多く活躍しとるもんだで、みんな応援しとるでよ。次のソチ・オリンピックでは金メダルとってちょーよ。期待しとるでな。

 12月22日、名古屋市議会が市民税5%減税条例案をついに可決したんだわ。もともと河村市長は10%減税を主張しとったんだけど、野党が反対して否決するもんで7%に圧縮したんだけど、それでも通らんもんだで、5%で減税日本、自民、公明、民主と話つけて「3年以内の検証」という条件をつけてようやく可決、成立したんだわ。これで河村市長の減税公約がだいぶ妥協したとはいえ実現できたで、まあようやったがね。減税効果が市民のためにプラスになるかどうかはっきりするのはまだ先のことだけどよ、税金の安い名古屋に企業が集まって名古屋経済が活性化すりゃー、まあええことだでね。

 だもんだで、今年も、中日ドラゴンズの優勝祈願して、がんばろみゃー名古屋!
 

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大阪 好きやねん大阪2011

大阪・2011年(平成23年)

大阪 好きやねん大阪2011

(大阪の雰囲気を出すため、会話調の大阪弁で関西地方の2011年(平成23年)を振り返ります。)

 大阪の2011年はまあいろいろあったけど、やっぱり3月11日の東日本大震災が一番衝撃を受けたな。震源が東北の三陸沖やったから、大阪は震度3で、あんまり揺れへんかったんやけど、あの長い長い揺れは、どこか遠いところでとんでもない地震が起こったんとちゃうかと直感した人が多かっんとちゃうかな。

 大阪も1995年に阪神大震災の経験あるから、大阪人は地震には敏感やねん。でもな、今回の東日本大震災は阪神大震災とはだいぶちゃうかったで。阪神大震災は直下型地震で縦揺れで建物が倒壊し、高速道路の橋脚が折れて、新幹線の橋桁も落ちてもうたんやけど、東日本大震災は震源が沖やったから横揺れで、あんなに震度6以上の揺れの範囲が広かったのに、建物の倒壊が少なかったのは意外やったな。やっぱり日本の建てものは横揺れには強く設計されてるんやなと思った。

 地震のとき真っ先に心配したのは東北新幹線は大丈夫かということやったけど、阪神大震災のときのように橋桁が落ちることはなかったのは、阪神大震災の教訓が生かされてよかったなと思ったで。

 せやけど阪神大震災を経験してても津波と原発事故は想像つかへんかったなあ。津波は1993年の北海道の奥尻島でその怖さを知ってたつもりやったけど、あんなに広範囲で町もろとも呑み込まれるとは、ほんまに心が痛かった。原発事故についても津波で原発があかんようになるとは初めて知ったし、原発のリスクというのも改めて考えたわ。関西も福井県に原発が集中してるし、万一深刻な事故が起こった場合、琵琶湖まで被害が及ぶ恐れがあるからちゃんともう一回関西のエネルギー政策を考えなあかんと思ったわ。特にナトリウムで冷却する高速増殖炉の「もんじゅ」はリスクが高すぎるんちゃうかと思ったで。

 ところで、東日本大震災で、大阪は震源から遠いから全然大丈夫やったはずなんやけど、なぜか南港のWTCビルに一部移転した大阪府庁咲洲庁舎で被害が出てん。阪神大震災でもそうやったけど、埋め立て地に開発されたところは地盤がゆるくて液状化が起こりやすいねん。でも震度3くらいやったら普通はどうもないねんけど、東日本大震災では大阪府庁咲洲庁舎の超高層ビルが長周期地震動っちゅうのとな、共鳴してえらい揺れたんやって。それで咲洲庁舎は災害拠点にはふさわしくないっていう話になって、橋下徹(はしもと とおる)大阪府知事はもともと咲洲への府庁全面移転を進めようとしててんけど、全面移転を断念することになってもうてん。府庁の咲洲WTCビル移転問題は反対意見も強くて、反対していた大阪府議会議長は「地震が起こってよかった」ちゅうアホな発言して後の府議会議員選挙で公認取り消されたんやけど、大手前の大阪府庁老朽化問題は先送りされる形になったままやから、いずれにせよ今後府庁をどうすんのか真剣に考えなあかんことには変わりないわな。

 橋下知事も脱原発依存の立場を表明して、関西電力が夏場に節電を要請した際には、原発を稼働させる口実だとして、節電必要量の根拠が不明確だとして節電要請を拒否したんやで。さらに橋下知事は「もし原発が本当に必要なら、電力消費地の大阪に造るという話にして、府民に問いかけるしかない」、「原発が必要だと府民が決めて大阪湾に造るなら、それなりのリスクは覚悟しないといけない」と述べて、府民に自分の話として原発問題を考えさせたのは、確かにそうやと思ったな。原発に代わる新しいエネルギー確保の手段をぜひ大阪の企業が率先して開発してほしいもんやな。

 震災直後の3月12日、九州新幹線の博多~新八代が開業し、新大阪駅から鹿児島中央駅まで一本のレールでつながってん。静かなスタートやったけど、JR西日本の山陽新幹線からJR九州の九州新幹線への直通運転が始まって、「さくら」と「みずほ」が新大阪駅から鹿児島中央駅まで乗り入れるようになったんやで。「さくら」と「みずほ」はもともと東京から九州を結ぶ寝台特急の愛称で、寝台特急が廃止されてから九州新幹線で復活したのはうれしいんやけど、「みずほ」が「さくら」より速いというのはイメージがいまいち湧かへんな。やっぱりイメージ的に一番速いのはやっぱり「ひかり」やと思うで。「のぞみ」と「ひかり」も入れ替えたらええのにな。

 5月4日、JRの大阪駅の駅ビルが新しく生まれ変わって、「大阪ステーションシティ」がオープンしてん。あの大阪駅に大きな屋根ができて、さらに北側に「ノースゲートビルディング」ちゅうのができたんやで。昔の大阪駅のイメージとはえらい変わって未来的になったもんやな。このビルには「JR大阪三越伊勢丹」デパートや専門店街の「ルクア」もできて、1階には高速バスターミナルも移ってきてん。近年の大阪は元気ないなあって言われとったんやけど、久しぶりに明るいニュースやったな。

 この「ノースゲートビルディング」は吹き抜けを斜めにエレベーターで上って行くねんけど、後ろは大阪駅の上にできた「時空(とき)の広場」で、えらい大阪駅も恰好ようなったもんやな。ビルに上ると梅田貨物駅が見下ろせるんやけど、ここは今後「うめきた(梅北)」地区として再開発されるんやって。10年後、20年後にどんなふうになってのか楽しみやな。ビルの11階から14階の「天空の農園」につながる道があるんやけど、これがまた階段しかないねん。苦労して階段登って行ってみたら、まあ野菜とかが栽培されてて、一回行ったらもうええかなという感じなんやけど、なんでか知らんけど、また誰かを連れて行きたくなるねん。ほんでわざわざもう何回も登ったわ。

 10月30日、大阪あげての市民マラソンである第1回「大阪マラソン」が開催されたで。東京マラソンに倣ったような感じもするんやけど、大阪城、御堂筋、通天閣、京セラドーム大阪、インテックス大阪と、大阪の見どころ満載のコースが好評で、大阪独自の魅力ある市民マラソン大会やったと思う。毎年アルフィーがテーマソングを作ってる「大阪国際女子マラソン」と並んで、大阪の毎年定番のマラソン大会として成長していってほしいな。

 東京では近年、巨人の野球中継を地上波のテレビがあんまりやらへんようになったみたいやけど、阪神タイガースはサンテレビでいっつも最後まで中継してくれるから、ファンは毎日選手の活躍を最後まで熱心に応援してるんやで。せやけど、2011年の阪神は最後に失速して巨人にも負けてAクラスにも入られへんかったのは情けなかったな。これで真弓明信監督の退陣が決まり、2012年からは和田豊・元阪神内野手が新監督に就任することになってん。今度こそ優勝頼んまっせ。

 11月は大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙があってん。橋下徹・大阪府知事はもともと大阪市を解体して大阪府と一体化して「大阪都」を実現することを主張しとったんやけど、平松邦夫(ひらまつ くにお)大阪市長が大反対して、大阪府VS大阪市の対決構造が逆に強まってうまく進まへんかってん。それで橋下知事は任期満了前に大阪府知事を辞めて自ら大阪市長選挙に鞍替え出馬して、橋下氏VS平松氏の直接対決になったんやで。

 橋下氏は知事の任期中に「大阪都」構想を進めるために地方政党「大阪維新の会」を2010年(平成22年)に立ち上げたんやけど、4月10日の大阪府議会選挙で「大阪維新の会」が過半数を制覇する大勝利を収めてん。ほんで、大阪市議会選挙では過半数は取れへんかってんけど第一党になってん。さらに同月下旬の吹田市長選挙では「大阪維新の会」公認候補が市長に当選したんやけど、既成政党の枠組みを超えて変革を求める大阪府民の声を代弁してるようやったな。

 一方、平松氏は大阪市長選挙で、民主党のほか自民党、共産党も相乗りしたんやで。そないなったら、既成政党の野合の平松氏と、それを打破する橋下氏という対立構造になるから、まあ橋下氏の新鮮なイメージが選挙では有利に働くやろなとは思ったで。東京のメディアでは橋下氏の「今必要なのは独裁なんです」みたいな発言ばっかり流しとったけど、関西ではそんなうわべの内容だけでなく、やしきたかじん氏が司会の番組とかでかなり真面目に討論されとったから、口は悪くてもやることはわりとちゃんとやっとるなというイメージが橋下知事にはあったから、結果的に大阪市長選挙では橋下氏が圧勝したのはまあ予想通りやったな。

 大阪府知事選は、橋下氏の後を継ぐ「大阪維新の会」の松井一郎(まつい いちろう)氏と、前池田市長の倉田薫氏、共産党推薦の梅田章二氏の戦いとなってんけど、やはり橋下人気で「大阪維新の会」に追い風が吹き、知名度はそう高うなかってんけど松井氏が圧勝したわ。そんで、大阪府知事と大阪市長が共に「大阪維新の会」になって、「大阪都」構想が急速に前進することになったんやで。松井知事と橋下市長の手腕にまずは期待したいとこやな。

 「大阪都」構想って何やねんという声は、大阪府民の間でも多いんやけど、簡単に言うたら、大阪府と大阪市の二重行政を解消して東京都のように特別区制度を導入しようというもんやねん。東京は、多摩地区は一般と同じ市があるねんけど、東京23区は本来の東京市が解体されて、市に近い権限を委譲された23特別区になってんねん。大阪は大阪市の権限が強すぎて大阪市内に市立の施設と府立の施設が混在して、さらに最近は市立の施設が市内に、府立の施設が市外(堺市や東大阪市等)に設置されるなどの二重行政になってるから、これが無駄なんとちゃうかと多くの府民は思ってんねん。

 「大阪都」構想は、東京をモデルに大阪市を解体して、大阪市の下に置かれている区を特別区に昇格させて、これまで大阪府大阪市○○区やったもんを、大阪都○○区とするもんなんやけど、最も重要なのは区長が公選制になって、従来の代わりに区議会も置かれて、区がよりきめ細かい住民サービスを行うことになり、広域行政を大阪都(大阪府)が担当するようになるっていうもんやねん。せやけど、そないすると今までの大阪市議員より新しい大阪都各区議員のほうが多くなるかもしれへんな。まあ地元の陳情は便利になるから地域サービスがきめ細かくなるのはええことやと思うんやけど、果たして行政コストの削減にはなるかなあ。それは今後の議論によるわな。

 「大阪都」構想の方向性の下、大阪府と大阪市は、これまで管轄が分かれていた大阪府と大阪市の水道局を一体化することに早速取り組み始めたんやで。これがうまくいけば、次は大阪市営地下鉄の民営化やな。大阪市営地下鉄は、昔から融通のきかへんところがあって、トンネル断面が比較的小さい第三軌条方式にこだわったもんやから、京阪電車が谷町線、阪神・近鉄電車が千日前線に乗り入れられへんくて、えらい使い勝手が悪いし、これらの地下鉄路線も乗客が伸び悩むという効率の悪い結果になってしまってんねん。中央線は近鉄けいはんな線の相互直通運転してるけど、それは近鉄側が地下鉄に規格を合わせたから直通できてるだけで、急行はあらへんし、近鉄奈良線のバイパス路線としてあんまり分散されてへんように感じるのは、やっぱり近鉄奈良線と直通運転できへんからやねん。そういう失敗は早うから大阪市が大阪府に広域行政をまかせてたら解決できたことやから、「都構想」もしくは府市一体化は遅すぎると言ってもええくらいかもしれへんな。一方、政令指定都市の堺(さかい)市は現在堺市の下に6区に分かれてるんやけど、これが大阪都になったら堺の地名が消えてしまうんとちゃうかという地元感情があり、大阪都構想にいまいち乗れへんみたいやな。これらの問題は今後じっくり地元の理解が得られる形に議論せなあかんやろな。

 自ら解体すると主張した大阪市長に就任した橋下市長。これから大阪市をどないして改革・解体していくんか楽しみにしてまっせ。ほなみなさん新年も、頑張りまひょ大阪!

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時の旅・2004年(平成16年) アテネ五輪で日本大活躍、近鉄球団が消滅、冬ソナブーム、僅差の台湾総統選、スマトラ島沖大地震発生

2004年
平成16年

時の旅・2004年(平成16年) アテネ五輪で日本大活躍、近鉄球団が消滅、冬ソナブーム、僅差の台湾総統選、スマトラ島沖大地震発生

当時の日本国首相 小泉純一郎(自由民主党)

 2004年(平成16年)は、夏季オリンピックの開催年であり、ギリシャでアテネオリンピックが開催された。日本では九州新幹線の南半分(新八代~鹿児島中央)が開業、東京の地下鉄を運営する帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が株式会社化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)が誕生した。プロ野球の近鉄バッファローズがオリックスに売却され、仙台に新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。海外では、ロシアや台湾で国家元首を選ぶ選挙が行われ、ロシアではウラジミール・プーチン大統領が再選され、台湾では陳水扁総統が僅差で再選された。

 小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)内閣総理大臣(首相)は、第二次世界大戦で亡くなった日本兵の英霊の慰霊のため、靖国神社への参拝を公約としており、平成16年は元旦に参拝した。日本は米国の意向を受けて、イラクへの自衛隊派遣を1月から開始した。小泉首相が進めた規制緩和政策により、3月から製造業への派遣労働が解禁された。これによって経営者側には人員調整が柔軟にできるようになり、人件費を削った企業側の業績は回復していったが、派遣を利用した非正規雇用が大量に増えた。派遣業者にピンハネされる構造の派遣労働者は雇い側が払う賃金ほどもらえず、正社員より賃金が安く雇用が不安定な派遣労働者のワーキングプアという社会問題を招くきっかけとなった。

 一方、小泉首相が外交面で行動力を発揮し、5月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を再訪問し、平壌(ピョンヤン)で日朝首脳会談を行い、北朝鮮に拉致された日本人5人を奪還することに成功した。この成果によって、小泉首相の実行力が高く評価され、国民の信頼感が高まり、支持率もまれにみる高水準を維持した。

 年金制度改革の議論の中で、国会議員や閣僚の年金未納問題が次々発覚し、与野党ともに対応に追われ、年金制度や社会保険庁、国会議員への不信感が高まった。5月に未納が発覚した福田康夫官房長官が辞任し、菅直人・民主党代表も辞任し(菅氏の場合は後に行政側のミスと判明)、年金制度改革関連法案が通過した。

 そのあと7月に実施された第20回参議院選挙は、岡田克也・新代表となった民主党が議席を伸ばし、改選議席で50となり、最大与党の自由民主党の49を上回った。結果的には民主党が伸びたぶん野党の共産党の議席が減り、自民・公明の連立与党は議席を現状維持し、過半数を維持した。参議院選挙後の新勢力(当選議席)は、自由民主党115(49)、民主党82(50)、公明党24(11)、日本共産党9(4)、社会民主党5(2)、無所属諸派7(5)。

 8月には沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落し、翌9月に大規模な抗議集会が行われ、米軍の対応への批判が高まった。このほか10月は2つの自然災害が襲った。台風23号は兵庫県北部、京都府北部、徳島県、岐阜県などで大きな被害をもたらし、特に兵庫県豊岡市では円山川の堤防が決壊し、冠水被害が甚大だった。10月23日夕方にはマグニチュード6.8の直下型地震である新潟県中越地震が発生、新潟県の川口町(現・長岡市)で震度7、小千谷市、小国町、山古志村で震度6強を記録し、70人近い死者が出る震災となった。走行中だった上越新幹線(200系車両)が脱線し、新幹線開業以来初の脱線事故となったが、幸い線路から大きく逸脱せず、負傷者も出なかった。

 11月は日本の紙幣が久々に新しいデザインとなった。肖像画は1万円札は福沢諭吉のまま維持されたが、5千円札が新渡戸稲造から樋口一葉に、千円札が夏目漱石から野口英世に変更された。平成12年(2000年)に発行されたばかりの2千円札については、変更はなかった。

 日本の鉄道については、横浜高速鉄道みなとみらい21線の開業にともない、1月末で東急東横線の横浜~桜木町が廃止され、2月1日に開業したみなとみらい21線の横浜~元町・中華街と東急東横線が直通(渋谷~横浜~元町・中華街)するようになった。3月は、JR九州の九州新幹線の南半分にあたる新八代~鹿児島中央が開業した。九州新幹線の愛称は「つばめ」とされ、博多~新八代に特急「リレーつばめ」が運行されるようになった。九州新幹線の並行在来線である八代~川内が肥薩おれんじ鉄道に転換された。4月は東京の地下鉄を運行していた帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が株式会社化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)となった。名鉄の三河線の南側(碧南~吉良吉田)と北側(猿投~西中金)が廃止された。10月は、名古屋で「あおなみ線」(名古屋~金城ふ頭)が開業。名古屋市営地下鉄名城線の名古屋大学~新瑞橋も開業し、名城線が環状線化してループ運転を開始した。さらに翌年の中部国際空港開港に合わせて建設された名鉄空港線(常滑~中部国際空港)が開業した。11月は京都市営地下鉄東西線の醍醐~六地蔵が開業しJR奈良線との連絡がよくなった。12月は羽田空港第2ビルの開業で東京モノレール羽田空港(第1ビル)~羽田空港第2ビルが延伸された。そのほか、航空関係は4月に東京成田空港の正式名称が新東京国際空港から成田国際空港に変更され、日本エアシステムが日本航空に統合された。

 文化の動きについて、音楽は、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の主題歌となった平井堅「瞳をとじて」が大ヒットしたほか、Mr.Childrenの「Sign」、平原綾香の「Jupiter」、ORANGE RANGEの「花」「ロコモーション」、アテネオリンピックのイメージソングになった ゆず「栄光の架橋」、一青窈の「ハナミズキ」、宇多田ヒカルのシングル曲を集めたベストアルバムなどがヒットした。また、韓国のドラマ「冬のソナタ(겨울연가)」の主題歌であるリュウの「最初から今まで(처음부터 지금까지)」「My Memory」がヒットした。アルフィー(THE ALFEE)がデビュー30周年を迎えた。

 映画は渡辺謙が主演する米映画「ラストサムライ」、長澤まさみ主演の「世界の中心で、愛をさけぶ」、ホラー映画「着信アリ」などがヒットした。テレビドラマでは山崎豊子原作で唐沢寿明と江口洋介が主演する「白い巨塔」が高い視聴率を収めたほか、NHKで韓国ドラマ「冬のソナタ」が放送され、主演のペ・ヨンジュン(배용준)が「ヨン様」と呼ばれ、韓流ブームとなった。

 スポーツは、8月にギリシャのアテネ(Αθήνα)でアテネオリンピックが開催され、日本は金メダル16枚で世界第5位と好成績を収めた。柔道では野村忠成が3大会連続金メダル、女子柔道も谷亮子が2大会連続金メダルを獲得した。北島康介が競泳100mと200mの平泳ぎで金メダル。そのほか日本は女子競泳800m自由形、女子レスリング、陸上ハンマー投げ、女子マラソンなどで金メダルを獲得した。野球は中畑清・日本代表代理監督の下、銅メダルを勝ち取った。

 プロ野球はパリーグの大阪を本拠地とする近鉄バッファローズが、神戸・大阪を本拠地とするオリックス・ブルーウェーブに売却され、両チームが合併することになった。実質的に近鉄球団が消滅することからセ・パ両リーグを合併して1リーグ制にする議論も起こったが、2リーグ12球団維持を求める選手側の意向もあり、ストライキも決行された。結局、ライブドア社と楽天が新規参入を競い、楽天が仙台を本拠地に新球団を設立することになり、近鉄・オリックス合併球団はオリックス・バッファローズ、新球団は東北楽天ゴールデンイーグルスとなった。ペナントレースは落合博満監督就任1年目の中日ドラゴンズがセ・リーグ優勝。パリーグはダイエー・ホークスが首位となったがプレーオフで西武ライオンズが逆転優勝した。そして日本シリーズでは中日と西武が戦い、西武が日本一となった。また、経営が悪化していたダイエーが球団を手放し、ソフトバンクに売却されることになり、ダイエー・ホークスは翌年からソフトバンク・ホークスとなった。

 大相撲はモンゴル出身の朝青龍が9月場所を除き5回優勝し、年間最優秀力士賞を受賞。9月場所では魁皇が優勝して朝青龍の連勝を阻止した。

 アジアの動きについては、台湾は3月20日に4年に1回の総統(大統領)選挙が行われた。現職の民主進歩党(民進党)の陳水扁(タン ツイピィ)総統と呂秀蓮副総統のペアに対し、中国国民党の連戦主席(総統候補)と親民党の宋楚瑜主席(副総統候補)のペアが挑む与野党一騎打ちの形となった。陳水扁陣営は2月28日に約200万人を動員して台湾を北から南へつなぐ「手護台湾」活動を成功させ、李登輝・前総統もこれを支持した。投票日前日の3月19日に陳水扁総統と呂秀蓮副総統が台南市内で選挙カーに乗って選挙活動中に何者かに銃撃され、陳総統の腹部、呂副総統のひざをかすった。幸い重症には至らなかったが、選挙のお祭りムードが一転した。そんな中、3月20日に投票が実施され、陳水扁50.1%、連戦49.9%の僅差で陳水扁総統が再選されたが、連戦陣営は陳水扁銃撃事件は自作自演で選挙は無効だと主張し、総統府前で抗議活動を開始した。また、総統選挙と同時に台湾で初めて国民投票が行われ、「反ミサイルの自己防衛強化」と「両岸(台中)の対等協議」の是非を問うて実施されたが、可決のハードルが投票者の過半数ではなく有権者の過半数と定められていることから野党陣営が投票をボイコットしたため両案とも投票数が有権者の過半数に達せず不成立となった。陳総統は総統選挙の票の数えなおしに同意し、再集計が行われる中、5月20日に総統就任式が行われた。結局、再集計後も結果は変わらず、台湾の高等裁判所は選挙は有効と判断した。

 これで勢いに乗った民進党は12月の立法委員(国会議員)選挙で友好政党の台湾団結連盟(台連)と足して過半数確保を目指したが、台連が中華民国を台湾に変える「台湾正名」と新憲法制定を強調して民進党との違いを出したが、選挙直前に陳水扁総統が国営企業等の「台湾正名」や新憲法制定に言及し、台連と票の取り合いとなり、中間派の票が逃げたと言われている。苦戦が予想された国民党は現職を優先して候補者数を抑え、親民党は国民党より強硬路線をアピールし、国民党は中間派であるとアピールした。その結果、中選挙区の特色が結果に表れ、民主進歩党89(+2)、中国国民党79(+11)、親民党34(-12)、台湾団結連盟12(-1)、無党団結連盟6(±0)、新党1(±0)、無所属4(±0)となり、民進党は台連を足しても過半数に届かず、陳水扁総統の任期満了まで国会少数与党の「ねじれ」状態が続くことになった。そのほか、12月末に当時世界最高の台北101ビル(508m)が完成した。12月末には李登輝前総統が来日し、名古屋、金沢、京都を家族観光した。

 中国は、9月に江沢民(江泽民/チャン ヅォーミン)氏が中央軍事委員会主席を引退し、胡錦濤(胡锦涛/フウ チンタオ)国家主席が軍も掌握して、権力移譲が完成した。12月に広東省の深圳(サムツァン/センツェン)市に深圳地下鉄1号線と4号線が開業した。香港は、10月に九広東鉄の紅磡(ホンハム)駅から尖東(ツィムトン)駅へ延伸されたほか、12月に馬鞍山線が開業し、大囲(大圍/タイワイ)~烏渓沙(烏溪沙/ウーカイサー)間が開業した。

 韓国は4月に韓国版新幹線である韓国高速鉄道が開業し、ソウル(서울)郊外から大田(대전/テジョン)を経由して東大邱(봉대구/トンデグ)まで高速新線化され、暫定的に東大邱~釜山(부산/プサン)は在来線を走ってソウル~釜山が大幅に時間短縮され、大田まで高速新線を通り光州(광주/クァンジュ)を結ぶ高速列車も運行されるようになった。4月下旬に光州では光州地下鉄1号線も開業した。

 北朝鮮では4月に平安北道の国際列車も走る平義線の竜川(룡천/リョンチョン)駅で大爆発事件が発生した。テロ説も流れたが、硝酸アンモニウムを積んだ貨車と石油を積んだ貨車がぶつかり、電線から引火し爆発に至ったとされている。北朝鮮では5月に平壌(평양/ピョンヤン)で日朝首脳会談が行われ、日本の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日(김정일/キム ジョンイル)総書記が会談。北朝鮮による日本人拉致被害者5人が日本に帰国を果たした。

 そのほか世界の動きについては、3月にロシア連邦大統領選挙でウラジミール・プーチン(Владимир Путин)大統領が再選された。イスラエル軍がパレスチナ・ガザでハマスの指導者アフマド・ヤースィーンを襲撃して暗殺し、続けて4月にもハマスの後継指導者アンティスィーを襲撃して暗殺するなど、イスラエルとパレスチナの情勢が極度に緊迫した。また、4月にはイラクで日本人人質事件が発生した。5月はロシア連邦チェチェン共和国でカディロフ大統領がチェンチェン独立派によって暗殺された。5月に実施されたフィリピン大統領選挙でグロリア・アロヨ大統領が再選した。6月にアメリカ軍占領下でイラクを暫定統治するイラク人によるイラク統治評議会が解散し、イラク暫定政権に移行した。6月には欧州連合(EU)で欧州議会議員選挙が各加盟国で実施された。8月はシンガポールの新しい首相にリー・シェンロン(李显龙)氏が就任した。11月にパレスチナ解放機構の指導者であるヤーセル・アラファト議長が死去した。11月のウクライナ大統領選挙で現職のヤヌコーヴィチ首相が当選とされたが、選挙不正発覚で大規模な抗議活動が起こり、12月に選挙をやり直し、野党のヴィクトル・ユシチェンコ氏が当選した。

 12月26日にインドネシア・アチェのスマトラ島北西沖のインド洋でマグニチュード9.1の巨大地震が発生した。この地震によりインドネシア・アチェ州が甚大な被害を受け、さらに地震による大津波が周辺各国を襲い、インドネシアでは地震と津波合わせて十数万人が死亡・行方不明となり、津波を受けたスリランカで3万5千人以上、インドで2万人以上、タイで5千人以上が死亡・行方不明となり、特に大きな被害を受けたほか、ミャンマー、マレーシア、モルディブ等でも津波による死者が出た。この巨大地震の影響で、スマトラ島沖では数年後にも関連があるとみられる大地震が発生している。

(参考:Wikipediaほか) 

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時の旅・2005年(平成17年) 中部国際空港開港、愛知万博が開催、郵政解散で自民党大勝

2005年
平成17年

時の旅・2005年(平成17年) 中部国際空港開港、愛知万博が開催、郵政解散で自民党大勝

当時の日本国首相 小泉純一郎(自由民主党)

 2005年(平成17年)は、21世紀初となる国際博覧会である愛知万博「愛・地球博」が3月~9月に愛知県(長久手町・豊田市・瀬戸市)で開催された。また、これに合わせて愛知県常滑市で建設が進められていた中部国際空港(セントレア)が2月に開港した。

 小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)内閣総理大臣(首相)は、郵政民営化が公約であり、1月の施政方針演説で郵政民営化法案を国会提出することを発表した。7月の衆議院本会議では自民党から反対・棄権合わせて50票以上の造反があったが賛成233票、反対228票の5票差で可決した。しかし、8月の参議院本会議では、自民党から反対・棄権合わせて30票の造反が出て、賛成108票、反対125票で否決された。この結果に対して、小泉首相は衆議院を解散して民意を問うと宣言した。

 最大与党の自由民主党(自民党)は郵政民営化法案に造反した議員を公認せず、民営化に賛成する「刺客」を送りこんだ。一方、自民党の公認が得られなかった議員は無所属のほか、民営化に反対する綿貫民輔・元衆議院議長や亀井静香・元建設相が「国民新党」を結成、小林興起氏らは田中康夫・長野県知事と組んで「新党日本」を結成した。そのほか、鈴木宗男・元衆院議員が北海道で「新党大地」を結成した。一方、最大野党の民主党は郵政民営化法案には反対していたが、民営化自体には曖昧な立場で、自民党内の対立が注目され、存在感を示せなかった。
 
 9月に実施された第44回衆議院議員通常選挙では、連立与党の自民党と公明党の当選議席が3分の2を超え、最大野党の民主党の当選議席を大きく上回り、連立与党はダブルスコアで圧勝した。衆議院選挙後の新勢力(増減)は、自由民主党296(+47)、民主党113(-62)、公明党31(-3)、日本共産党9(±0)、社会民主党7(+1)、国民新党4(+4)、新党日本1(+1)、新党大地1(+1)、無所属18(+15)となり、与党327(+44)、野党153(-41)という構図になった。

 この結果を受けて郵政民営化法案は10月に衆議院を賛成多数で可決され、そのあと参議院でも選挙前に造反した自民党議員が賛成に回り、賛成134、反対100で可決した。自民党はその後、郵政民営化に反対した議員のうち、新党結成組を除名処分したほか造反議員に離党勧告が出された。

 こうして郵政民営化方針を有言実行で果たした小泉首相の求心力は高まり、支持率は約6割の高水準に達した。このほか小泉首相は親米路線で日米関係の信頼を強化し、米国の期待でもあった規制緩和や郵政民営化を実現させ、10月には米側と沖縄県宜野湾市の普天間基地の移転先を沖縄県名護市の辺野古とすることで合意した(後に2009年の政権交代後に民主党政権によって一時撤回された)。12月に2003年から2年間にわたって狂牛病(BSE)発生のため輸入禁止していた米国産牛肉の輸入を解禁した。

 愛知万博(愛・地球博)が3月25日~9月25日に愛知県(長久手町・豊田市・瀬戸市)で開催され、会期中に2204万人が来場し、目標としていた1500万人を大きく上回った。キャラクターの「モリゾー」と「キッコロ」も好評だった。「自然の叡智」をメインテーマとし、120を超える国が参加し、トヨタやJR東海など愛知県を基盤とする企業も未来の交通としてIMTS(電波磁気誘導式バス)やリニアモーターカーなどの展示が注目を集めた。愛知万博のアクセスとして愛知高速交通(リニモ)の藤が丘~万博会場~万博八草が建設され、名古屋市内からは地下鉄東山線→リニモ、JR中央線・愛知環状鉄道→リニモが主なルートとなった。万博終了後はパビリオン等を撤去したうえで「愛・地球博記念公園」として再整備された。

 経済は、ライブドアがニッポン放送株を大量取得し、ニッポン放送の親会社であるフジテレビと対立し、最終的にライブドアが取得した株をフジテレビが全株取得する形で和解した。また、村上ファンドが阪神電鉄株を大量取得して阪神の経営が混乱するなど、ライブドアや村上ファンドの強引な株取得行為が批判を受けた。

 交通は、2月に愛知県常滑市に中部国際空港(セントレア)が開業し、それに合わせて知多横断道路・中部国際空港連絡道路などが開通した。中部国際空港の開港により、名古屋空港(小牧空港)は国内線用空港となり、県営名古屋空港となった。また、愛知万博に合わせて東海環状自動車道の豊田東IC~美濃関JCTが開通した。

 鉄道は、1月末に中部国際空港開業に合わせて名鉄常滑駅から中部国際空港まで延伸され、岐阜・名古屋方面から特急「ミュースカイ」の運行が始まった。2月に福岡市地下鉄の七隈線(天神南~橋本)が開業した。3月のJRダイヤ改正では東京と九州を結ぶ寝台特急「あさかぜ」「さくら」が廃止になった。愛知万博のアクセスとして愛知高速交通(リニモ)の藤が丘~万博会場~万博八草が開業した。4月は地方鉄道の廃止が相次ぎ、日立電鉄(常北太田~鮎川)、のと鉄道(穴水~蛸島)、名鉄の岐阜市内線(岐阜駅前~徹明町~忠節)・揖斐線(忠節~黒野)・美濃町線(徹明町~競輪場前~関)・田神線(田神~競輪場前)が惜しまれながら廃止された。7月は大阪市にありながら大阪市営地下鉄と別会社で割増運賃が不評だった大阪港トランスポートシステム(OTS)の大阪港~コスモスクエア~中ふ頭が大阪市営地下鉄に編入された。8月には、首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)の秋葉原~つくばが開業した。このほか、4月にJR西日本・福知山線(宝塚線)の塚口~尼崎で急カーブを速度超過で曲がりきれなかった電車がマンションに突っ込み、1両目、2両目が大破し、死者100名以上、負傷者560名以上を出す大惨事となった。

 芸能・文化は、音楽ではORANGE RANGEの「キズナ」「花」、D-51の「NO MORE CRY」などがヒット。また、KAT-TUNの亀梨和也とNEWSの山下智久のユニット「修二と彰」の「青春アミーゴ」、映画「NANA」の劇中歌であるREIRA starring YUNA ITO(伊藤由奈)の「ENDLESS STORY」などがヒットした。映画はアキバ系ヲタクの恋を描いた「電車男」、反町隆史主演の「男たちの大和」、中島美嘉・松田龍平主演の「NANA」などがヒットした。テレビでは、阪神大震災から10年が経ち都心の大地震を想定した医療ドラマ「救命病棟24時」が放送されたほか、ドラマ版「電車男」、シリーズものでは仲間由紀恵主演の「ごくせん」、高橋克典主演の「特命係長―只野仁」などがヒットした。2000年から5年間にわたって日本人の開発プロジェクトにスポットを当てて人気を博したNHKの「プロジェクトⅩ」が番組最終回を迎えた。

 スポーツは、プロ野球で、2004年に関西のパリーグ2球団(近鉄バッファローズとオリックス・ブルーウェーブ)が合併してオリックス・バファローズとなることが決まったため、東北の仙台を本拠地とする新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」が誕生し、2005年から参戦した。近鉄バッファローズの本拠地だった藤井寺球場はこれにより1月に閉鎖された。この年からペナントレースの途中にセパ交流戦が行われるようになり、パリーグの存在感も高まった。パリーグは福岡ソフトバンク・ホークスがリーグ戦で1位となったが、プレーオフで千葉ロッテ・マリーンズが逆転優勝した。新規参入の楽天は最下位だった。セリーグは阪神タイガースが優勝した。日本シリーズでは千葉ロッテが阪神に4連勝して日本一となった。大相撲では、モンゴル出身の横綱・朝青龍が年間6場所を制覇し、史上初の7連覇を達成。

 台湾は1月に謝長廷・高雄市長が行政院長(首相)に就任。台湾新幹線の試運転が始まった。3月に中国で台湾独立への「非平和的手段」を法制化した「反国家分裂法」が通過し、台湾で「反国家分裂法」に反対する大規模なデモ集会が行われた。4月に台湾団結連盟(台連)の議員らが来日し、靖国神社を参拝した。5月には台湾の国民大会廃止・立法委員(国会議員)半減・立法委員選挙の小選挙区比例並立制導入などの中華民国憲法改正のための国民大会代表選挙(比例代表)が行われ、定数300のうち改正賛成の最大与党・民主進歩党(民進党)127と最大野党・中国国民党117が圧倒的多数を占め、少数政党の台連21、親民党18は小政党に不利となる選挙制度改革に反対したが、大政党に有利な小選挙区導入等の憲法改正が通過した。7月は野党の中国国民党の党主席選挙が行われ、王金平・立法院長を破って馬英九・台北市長が党内選挙で勝利した。8月に日本の国会で愛知万博後も台湾人への観光入国ノービザ措置が続けられる法案が通過し、9月に発効した。10月は台湾新幹線の試運転で時速300キロ達成。12月の地方選挙では、台北市と高雄市を除く県市長選挙で、国民党14、民進党6、親民党1、新党1、無所属1という結果となり、与党の民進党が惨敗した。

 韓国は、1月に韓国国鉄が公社化され、韓国鉄道公社が発足し、ソウル特別市地下鉄公社はソウルメトロ(서울메트로)に改名された。10月に大邱(대구/テグ)地下鉄の2号線の汶陽(문양/ムニャン)~半月堂(반월당/パヌォルダン)~沙月(사월/サウォル)が開業した。11月には釜山地下鉄3号線も開業した。このほか7月に李王の王世子の李玖(이구/イ グ)が東京で死去した。

 中国は1月に国務院総理(首相)や中国共産党総書記を務め天安門事件で民主派側を支持して失脚した趙紫陽(赵紫阳)氏が死去した。4月に北京で反日デモが行われ、上海や広東省にも飛び火し、日本大使館や総領事館、日本料理店、日系スーパーなど投石などの攻撃に遭った。中国政府は当初は日本の歴史認識に対する不満としてデモを許容していたが、広東省では日系企業の賃金不満などの声も上がってそれが国営企業や共産党批判に転化することを恐れた中国当局がデモを封じ、収束に向かった。香港では、9月に香港ディズニーランドがオープンし、中国大陸からの観光客の人気スポットになった。12月には広州と上海の地下鉄の新線が相次いで開業し、地下鉄ネットワークが充実するようになった。

 このほか世界の動きは、1月にイラクで国民議会選挙が実施された。2月には、地球温暖化防止の国際取り決めである「京都議定書」が発効した。2004年12月のM9.1を記録したスマトラ沖大地震に続き、3月にM8.6のスマトラ沖地震が発生し、津波も発生し、特にインドネシアの沿岸部で建物倒壊など大きな被害が出た。7月にイギリス・ロンドンで地下鉄とバスの同時爆破テロ事件が発生した。8月にハリケーン「カトリーナ」がルイジアナ州のニューオーリンズに冠水など大きな被害をもたらした。10月にインドネシアのバリ島で同時爆破テロが発生した。フランスでは失業や人種差別に不満を持つ若者らの暴動が発生した。11月はドイツでキリスト教民主同盟と社会民主党の連立政権が発足し、女性のアンゲラ・メルケル(Angela Dorothea Merkel)首相が誕生した。

(参考:Wikipediaなど)

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時の旅・2006年(平成18年) 総裁任期満了で小泉首相から安倍首相へ、イラク新政権発足

2006年
平成18年

時の旅・2006年(平成18年) 総裁任期満了で小泉首相から安倍首相へ、イラク新政権発足

日本国首相 小泉純一郎(自由民主党) → 安倍晋三(自由民主党)

 2006年(平成18年)は、5年余りの長期政権を築いた小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)内閣総理大臣(首相)が自由民主党(自民党)総裁任期満了に伴い内閣を総辞職し、新しい自民党総裁に選ばれた安倍晋三(あべ しんぞう)氏に首相が引き継がれた。また、9月6日には秋篠宮文仁親王と紀子さまの第一男子である悠仁(ひさひと)親王殿下が誕生された。

 2月、野党・民主党の議員がライブドア元社長の堀江貴文氏が自民党の武部幹事長の次男に金銭の振込を指示するメールを送っていたと指摘したが、後にそれが偽物だったことがわかり、このメールが偽物であることを見抜けなかった前原誠司・民主党代表が3月末に辞任に追い込まれた。4月に新しい民主党代表として小沢一郎氏が就任した。

 小泉首相は「後期高齢者医療制度」などの法案を成立させ、8月15日の「終戦の日」に靖国神社を参拝し、9月下旬に自民党総裁任期満了に伴い、内閣総辞職した。9月26日に安倍晋三・前官房長官が第90代内閣総理大臣に就任、小泉政権からの自民党・公明党の連立政権が発足した。

 安倍首相は「美しい国」を掲げ、塩崎恭久氏を内閣官房長官に起用し、麻生太郎・外務大臣は留任した。また、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、教育基本法改正や、防衛庁の防衛省昇格などに取り組んだ。また、小泉首相時代に郵政民営化に反対して除名された元自民党議員の復党を認め、党の団結を重視したが、また古い自民党に戻ったのではないかなどの批判も浴びた。

 経済については、1月に東京三菱銀行とUFJ銀行が合併し、三菱東京UFJ銀行が発足した。2007年10月の郵政民営化に向け、1月に日本郵便株式会社が設立された。

 2006年の交通は、2月に神戸沖に神戸空港が開港、3月に福岡県北九州市の北九州空港が海上に移転し、開港した。鉄道は、神戸空港開港にともない2月にポートライナーの市民広場~神戸空港間が延伸開業した。3月にJR西日本富山港線(富山~岩瀬浜)が富山ライトレールに移管された(4月下旬に再開業)。3月下旬に近鉄けいはんな線(生駒~学研奈良登美ヶ丘)が開業した。4月に南海電鉄貴志川線(和歌山~貴志)が和歌山電鉄に移管された。第3セクターの北海道ちほく高原鉄道(池田~北見)が廃止された。9月にJR西日本の北陸本線(長浜~敦賀)と湖西線(永原~近江塩津)が交流から直通電化に切り替えられ、敦賀まで新快速が乗り入れるようになった。10月に新交通システムの桃花台新交通・ピーチライナー(小牧~桃花台東)が廃止された。12月に第3セクターの神岡鉄道神岡線(猪谷~奥飛騨温泉口)が廃止された。12月下旬に大阪市営地下鉄の今里筋線(今里~井高野)が開業した。

 芸能・文化については、音楽はKAT-TUN『Real Face』、レミオロメン『粉雪』、修二と彰『青春アミーゴ』、山下智久『抱いてセニョリータ』、EXILE『ただ…逢いたくて』、Mr. Children『しるし』、TOKIO『宙船(そらふね)』などがヒットした。また、アルバムでは平井賢のべ10周年ベストアルバムや、コブクロのオールシングルベストがヒットした。

 スポーツは2月にイタリア・トリノでトリノ冬季オリンピックが開催され、女子フィギュアスケートで荒川静香が金メダルを獲得した。サッカーは6月に2006FIFAワールドカップがドイツで開催され、イタリアが優勝した。日本は決勝には進出dきず、世界で活躍していた中田英寿選手がこれを機に現役引退を表明した。野球は、3月に第1回ワールド・ベースボール・クラシックが行われ、王貞治監督の下で日本がキューバを破って初優勝した。セリーグは中日ドラゴンズ、パリーグは日本ハムファイターズが優勝し、日本シリーズでは日本ハムが勝利し、日本一となった。

 台湾は1月に民進党主席に游錫堃・元行政院長が選出。謝長廷・行政院長が辞任し、蘇貞昌・台北県長が行政院長に就任した。2月下旬に国家統一委員会と国家統一綱領が終了した。5月に台北地下鉄の新埔(台北県板橋市)~永寧(台北県土城市)が開業。6月に陳水扁総統の汚職をめぐる罷免案が立法院臨時会で議案化され、立法院で表決されたが与党のボイコットで通過せず。9月に台湾の空の玄関口「中正国際空港」が「台湾桃園国際空港」に改名された。また、国連加盟では陳総統が「台湾」名義の国連新規加盟を検討すると表明。9月から施明徳・元民進党主席らが中心となり、陳水扁総統の辞任を求める「倒扁」赤シャツ部隊が総統府前のケタガラン大通りに出現。11月台湾の検察が陳総統と呉淑珍総統夫人を汚職と文書偽造、国務機密費横領罪などを認定、陳総統の任期満了後に追訴されることが濃厚となった。12月には台北・高雄市長選挙が行われ、高雄市では与党・民進党、台北市では野党・国民党の候補が当選し、それぞれの基盤を維持した。12月に陳総統が出廷し、嫌疑を否認した。

 中国は7月に青海省のゴルムドからラサへつながる青蔵鉄道が開業。WHOの事務局長に中国が推薦する香港の陳馮富珍(ツァンフォン フゥーツァン/マーガレット チャン)が選出された。

 韓国では10月に潘基文(반기문/パン ギムン)氏が第8代国連事務総長に選出された(就任は2007年1月から)。一方、北朝鮮は7月にテポドン2号を含む7発の弾道ミサイルを日本海に向けて発射したほか、10月に核実験を強行した。日本はこれへの対抗措置として北朝鮮への経済制裁を発動した。

 世界は、2月に世界の人口が65億人を突破した。5月にイラクで民主選挙により選出された新政権が発足した。インドネシアのジャワ島ジョグジャカルタでマグニチュード6.3の地震で5000人以上が死亡した。6月にモンテネグロが独立宣言し、セルビアと分離した。9月にタイのバンコク・スワンナプーム国際空港が開港した。11月にアメリカ合衆国中間選挙で野党の民主党が上院・下院ともに多数派を占めた。ベトナムのハノイでアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議が開催された。12月にイラクでサダム・フセイン( صدام حسين )元大統領の死刑が執行された。

(参考:Wikipediaほか)

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時の旅・2007年(平成19年) 台湾新幹線開業と「台湾」国連加盟申請、自民が参院選大敗で「ねじれ国会」

2007年
平成19年

時の旅・2007年(平成19年) 台湾新幹線開業と「台湾」国連加盟申請、自民が参院選大敗で「ねじれ国会」

当時の日本国首相 安倍晋三(自由民主党) → 福田康夫(自由民主党)

 2007年(平成19年)は、安倍首相の下で保守志向の政治改革が積極的に進められたが、自公連立政権が参議院選挙選挙で惨敗し、参議院で野党が多数を占める「ねじれ国会」が形成され、安倍首相の後を引い継いだ福田首相が苦しい国会運営を強いられた。また、台湾で1月に日本の新幹線技術を採り入れた台湾新幹線が開業。台湾は初めて「台湾」名義で世界保健機関(WHO)と国連に正式加盟を申請するなど、結果的に中国の強い反対により加盟には至らなかったが、台湾が中国とは異なる独立国であることが国際社会に強くアピールされた。

 2007年の日本の国内政治は、「宮崎をどげんかせんといかん!」と訴えた元タレント・そのまんま東の東国原英夫(ひがしこくばる ひでお)氏が1月に宮崎県知事に当選。宮崎のセールスマンとして、テレビ出演を通して宮崎の特産品を宣伝し、宮崎に活気を与え、知事就任後にさらに高い評価を得た。一方で、中央政府は、安倍晋三(あべ しんぞう)総理大臣は「美しい国」を掲げ、教育基本法改正、防衛庁の防衛省昇格、日本国憲法改正のための国民投票法、パートタイム労働法改正、社会保険庁改革関連法、教育改革関連三法改正など一定の改革の成果を上げたが、小泉純一郎首相時代に進められた規制緩和による非正規雇用増大による格差拡大とワーキングプア問題には有効な改善策を打ち出せなかったほか、厚労相の「(女性)は産む機械」という失言や、政治とカネ疑惑を追及されていた農相の自殺などが影響し、安倍内閣の支持率は低迷した。野党・民主党は社会保険庁のずさんな年金記録漏れ問題を攻撃し、年金改革、「子供手当て」、農家戸別所得補償などを主張し、与党を追い込んだ。

 7月に実施された第21回参議院議員通常選挙では、連立与党の自民党と公明党の当選議席が最大野党の民主党の当選議席を大きく下回り、非改選の議席を合わせても連立与党は大敗し、民主党の議席を下回った。参議院選挙後の新勢力(当選議席)は、民主党109(60)、自由民主党83(37)、公明党20(9)、日本共産党7(3)、社会民主党5(2)、国民新党4(2)、新党日本1(1)、無所属諸派13(7)となった。

 これにより「ねじれ国会」となったが安倍首相は続投を表明した。ところが9月に機能性胃腸障害のため入院し、辞任した。そして、9月26日に福田康夫(ふくだ やすお)氏が総理大臣に就任した。福田首相は安倍内閣時代の主要閣僚をそのまま引き継ぎ、「ねじれ国会」を突破するために民主党との大連立を模索し、民主党の小沢一郎代表と水面下で接触するが、民主党内の反対が強く実現には至らなかった。

 経済については、10月に郵政三事業の民営化され、日本郵政公社から日本郵政グループ(JP)として、日本郵政、郵便局、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険などに分割され、民営化がスタートした。

 鉄道は、日本の新幹線技術を導入した台湾新幹線(台湾高鉄)が1月5日に板橋(台北県、現・新北市)~左営(高雄市)で先行開業、東海道新幹線700系をモデルにした台湾新幹線700T型がデビューし、3月に板橋~台北も正式開業した。また、台湾では5月に日本の振り子式車両導入した特急「タロコ」号がデビューした。3月にはこのほか、名取~仙台空港を結ぶ仙台空港アクセス鉄道が開業し、仙台駅~仙台空港駅の直通運転が始まった。大阪府茨木市ニュータウン「彩都」を結ぶ大阪モノレールの阪大病院前~彩都西が開業した。4月には地方鉄道である、くりはら田園鉄道(石越~細倉マインパーク前)、鹿島鉄道(石岡~鉾田)が廃止された。10月に埼玉県さいたま市に鉄道博物館がオープンした。

 このほか交通は、8月に大阪の関西国際空港の第2滑走路が供用開始となったほか、那覇空港で8月20日に台湾の中華航空が着陸後にエンジンから出火、炎上する事故が起こったが、乗客・乗員は間一髪で脱出して全員無事だった。11月に台湾に飛んでいた日本アジア航空が日本航空に統合された。

 7月にマグニチュード6.8の新潟県中越沖地震が発生。新潟県の柏崎市、長岡市、刈羽村、長野県飯綱町などで震度6強を記録した。東京電力の柏崎刈羽原発で変圧器火災などの被害が出て、原発の耐震性のさらなる強化が求められた。

 芸能・文化については、音楽は、秋川雅史「千の風になって」、宇多田ヒカル「Flavor Of Life」、コブクロ「蕾(つぼみ)」、Mr.Children「旅立ちの唄」などがヒットし、奄美大島出身の中孝介「花」もロングヒットした。また、X-JAPANが10年ぶりに復活した。映画は、邦画は「硫黄島からの手紙」、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」、「西遊記」など、洋画は「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」、「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」などがヒットした。スポーツは、プロ野球で中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズが日本シリーズで対戦し、中日ドラゴンズが優勝した。

 外国のできごとについては、台湾では、2008年に控えた総統(大統領)選挙戦がスタート。陳水扁(タン ツイピィ)総統は8年間の任期の総仕上げとして、台湾正名政策を加速させた。1月に第13番目の原住民族としてサキザヤ族を認定。2月に「中華郵政」を「台湾郵政」に、「中国石油」を「台湾中油」に改名した。台湾の切手に「台湾/TAIWAN」の文字が入るようになった。5月には「中正紀念堂」が「台湾民主紀念館」に改名されたほか、初めて「台湾」の名義で世界保健機関(WHO)に正式加盟申請をした。WHO年次総会で却下されたが、日、米、EUは台湾のWHOへの有意義な参加への支持を表明した。5月には2008年総統選挙の候補として与党・民主進歩党は謝長廷氏、野党・中国国民党は馬英九氏が正式に選出され、「台湾」路線か「中華民国」路線かが選挙の大きな争点となった。7月は台北市に猫空ロープウェーが開業。9月には初めて「台湾」名義で国連に正式加盟申請を行った。国連総会一般委員会で議論されたが、総会の議題に組み込まないことが決議された。そのあと、陳総統は総統選挙に合わせて「台湾」名義による国連加盟の是非を問う国民投票の実施を推進。一方、野党の国民党は「中華民国」等の名義の実務的な国連復帰を求める国民投票案で対抗した。12月には台湾民主紀念館(旧・中正紀念堂)前広場の「大中至正」の扁額を外して「自由広場」に付け替えた。高雄県三民郷が原住民族語の地名を復活させてナマシア(那瑪夏)郷に改名された。

 韓国では、3月に仁川(インチョン)国際空港~金浦(キムポ)空港を結ぶ空港アクセス鉄道が開業し、仁川国際空港がより便利になった。5月に韓国と北朝鮮の鉄道(京義線)を結ぶ列車が試運転された。12月に韓国から北朝鮮開城市の板門駅を結ぶ貨物列車の運行が始まった。10月に北朝鮮の平壌(ピョンヤン)で韓国の盧武鉉(ノ ムヒョン/노무현)大統領と北朝鮮の金正日(キム ジョンイル/김정일)総書記による7年ぶりの南北首脳会談が行われた。12月に実施された韓国大統領選挙では、野党・ハンナラ党の李明博氏が48.7%を獲得し、与党系・大統合民主新党の鄭東泳(チョン ドンヨン)氏26.1%、無所属の李会昌(イ フェチャン)氏15.1%を大差で破り、政権交代を果たした。李明博氏はソウル市長時代の改革手腕が高く評価され、元企業経営者として韓国経済の回復に期待が集まった。

 中国は、1月に日本の東北新幹線をモデルにした中国高速鉄道CRH2型がデビュー。2008年に控えた北京オリンピックに向け、北京の地下鉄等の整備が急ピッチで進められた。台湾の総統選挙には直接は介入せず、国連では国交のある国を動員して台湾の加盟を阻止し、台湾の国民投票などについても中国を挑発することで台湾海峡の軍事緊張が高まるなどの論理で、アメリカを通じて台湾に圧力をかけた。香港では、3月に行政長官(特首)を選ぶ間接選挙が実施され、曽蔭権(ツァン ヤムキュン)行政長官が再選された。8月に九広東鉄(現・香港鉄道)の上水(ションソイ)~落馬洲(ロクマーツァウ)が開業し、落馬洲から中国広東省深セン市への渡航が便利になった。12月に香港地下鉄と九広鉄道が統合され、香港鉄道に一体化された。 

 そのほか海外の動きは、1月にブルガリア、ルーマニアが欧州連合(EU)に加盟した。国連事務総長に韓国人の潘基文(パン・ギムン/반기문)氏が就任した。アメリカでは、2月まで大統領予備選挙に、民主党からヒラリー・クリントン氏とバラク・オバマ(Barack Obama)氏が予備選出馬を表明、共和党はジョン・マケイン氏が出馬を表明した。4月にフランス大統領選挙が実施され、ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarközy)氏(国民運動連合)とセゴレーヌ・ロワイヤル氏(社会党)の決選投票となり、5月の決選投票でサルコジ氏が当選し、同月就任した。9月に2004年と05年にも大地震が起こったインドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード8.5の大地震が発生し、津波も発生した。ミャンマー(ビルマ)で僧侶たちが軍事政権への抗議デモ発生。11月にイギリスでロンドンとユーロトンネルを結ぶ高速鉄道(CTRL)が開業した。12月にEU加盟国首脳がEU統合のルールを定めたリスボン条約に調印した。

(参考:Wikipediaほか)

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時の旅・2008年(平成20年) 0系新幹線引退、韓台米で政権交代、北京五輪開催、世界金融危機

2008年
平成20年

時の旅・2008年(平成20年) 0系新幹線引退、韓台米で政権交代、北京五輪開催、世界金融危機

当時の日本国首相 福田康夫(自由民主党) → 麻生太郎(自由民主党)

 2008年(平成21年)は、東アジア情勢に大きな変化が起こった一年だった。台湾で4年に1回の総統(大統領)選挙が3月に実施され、馬英九(マー インチョウ)氏が当選して野党の中国国民党が8年ぶりに政権を奪回し、5月に就任後、中華人民共和国(中国)との緊張関係が緩和し、中台関係が急接近した。夏には中国で北京オリンピックが開催され、中国の急速な経済発展を感じさせる国威発揚イベントとなったが、一方でチベットやウイグル(東トルキスタン)への民族弾圧が表面化するなど、中国の非民主的な民族政策が世界中に知られることとなった。

 2008年の日本国内政治は、与党・自由民主党(自民党)が安倍晋三首相の下で参議院選挙で惨敗した後の2007年(平成20年)9月に就任した福田康夫(ふくだ やすお)首相(内閣総理大臣)は、自民党・公明党の連立政権で衆議院は小泉純一郎首相時代に得た優位な議席を占めていたが、参議院で野党が多数の「ねじれ内閣」となっていた。2007年末に福田首相は民主党の小沢一郎代表と会談し、大連立を模索したが、民主党内の反対が根強く、結局実現には至らなかった。福田首相は6月に参議院で問責決議が可決されるなど苦しい政権運営を強いられ、国内政治では大胆な政策を実行することができなかった。一方で、8月には民主党の一部議員が離党し、新党「改革クラブ」が結成された。外交では、7月に洞爺湖サミットが開催され、アメリカのジョージ・ブッシュ(George W. Bush)大統領、フランスのニコラ・サルコジ(Nicolas Sarközy)大統領、ロシアのドミートリー・メドベージェフ(Дмитрий Медведев)大統領、イギリスのゴードン・ブラウン(Gordon Brown)首相、ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)首相、カナダのスティーヴン・ハーパー(Stephen Harper)首相らと首脳会談を行った。

 衆議院解散への野党の圧力が強まる中、自民党はこの政局を突破するため、福田首相は9月上旬に辞任を表明し、記者会見で「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたと違うんです」との捨てゼリフを残して首相の座を下りた。自民党の代表選で勝利した麻生太郎(あそう たろう)氏が9月下旬に第92代内閣総理大臣に就任した。

 麻生首相の就任後、解散総選挙を求める声が強まり、麻生人気が高いうちに解散すれば自民党に有利という見方もあったが、その後アメリカのリーマン・ショックをきっかけとする世界金融危機となり、日本経済にも悪影響が及び、もともと自民党は衆議院で圧倒的優位な議席を占めており、解散すれば議席減は確実だから、麻生首相が解散を先送りした結果、就任当初50%近くあった支持率が年末までに30%割ると、解散を打ち出すタイミングを失ってしまった。麻生首相は「自由と繁栄の弧」という外交戦略を打ち出し、米国や韓国、ヨーロッパ、インドなど、民主主義、自由、人権、法治、市場経済等の価値観を共有する国との連携に力を入れ、中国とは現実的な関係を構築しようとした。また、麻生首相は不況の中、景気対策を優先し、ETC装備車の高速道路1000円や、給付金支給などの経済政策を打ち出した。

 地方政治では1月に弁護士でタレントの橋下徹氏が大阪府知事に当選し、大阪に発信力の強い個性派知事が誕生した。橋下知事は赤字体質の大阪府の財政立て直しに取り組み、痛みを伴う予算カットに厳しく切り込み、府民から高い評価を得た。

 経済については、1月に松下電器産業株式会社が社名をブランド名に合わせて「パナソニック」とすることを発表し、10月から「パナソニック株式会社」がスタートした。9月のリーマン・ショック後、日本は株価が暴落する一方で、急速に円高が進み、10月8日に1ドル100円を切り、10月10日に日経平均株価が2003年以来の9000円を割り込み、10発22日に8000円を割り込んだ。不況下で、非正規社員の契約解除が相次ぎ、深刻な問題となり、立場の弱い非正規雇用・派遣社員問題が浮き彫りになり、年末には東京の日比谷公園に「年越し派遣村」が開設された。

 交通建設については、2月に新名神高速道路の亀山JCT~草津田上ICが開業し、名神間に新しいルートが誕生し、従来の名神の関ヶ原経由と、新名神の鈴鹿経由で分散され、大雪などによる通行止めの際に有用なバイパス機能が強化された。一方で名古屋側の第二名神ルートが未完成のため、接続する東名阪自動車道の交通量が増した。このほか、7月に東海北陸自動車道の飛騨清見IC~白川郷ICが開通し、全線開通となった。

 鉄道については、3月のダイヤ改正で、東海道新幹線の「のぞみ」「ひかり」の全列車が品川、新横浜停車となった。東京~大阪の寝台急行「銀河」が廃止され、大阪から九州方面を結ぶ寝台特急「あかつき」「なは」も廃止された。このほか、大阪では城東貨物線を旅客化した「おおさか東線」の一部区間(放出~久宝寺)が開業した。関東圏では鉄道の開業ラッシュが続き、3月には、新交通システムの「日暮里舎人ライナー」が開業したほか、横浜地下鉄グリーンライン(中山~日吉)が開業した。6月には東急目黒線の東横線と並走する武蔵小杉~日吉が開業して、横浜地下鉄グリーンラインとの接続が便利となった。また、6月には池袋~和光市を東京メトロ有楽町線と共有し、西武有楽町線・池袋線、東武東上線と直通する東京メトロ副都心線(渋谷~池袋)が開業した。10月には大阪で京阪電鉄中之島線(天満橋~中之島)が開業し、京都方面から中之島線に直通する準急や快速急行が設定され、淀屋橋の混雑緩和や中之島地区の利便性向上が期待された。12月には日本の新幹線の初代モデルである0系が最後まで残っていた山陽新幹線の運用から外れ、正式に引退となった。

 芸能では、音楽については、「サザンオールスターズ」がデビュー30周年を迎え、シングル「I AM YOUR SINGER」を発売した後、翌年より活動休止となった。CD売り上げではジャニーズ系アイドルの「嵐」や「KAT-TUN」が好調であったほか、Mr.Childrenの「HANABI」などがヒットした。アルバム売り上げではEXILEの「EXILE LOVE」が1位に輝いた。バラエティークイズ番組「ヘキサゴン」から生まれたユニット・羞恥心の「羞恥心」もヒットした。このほか、黒人演歌歌手ジェロの「海雪」がヒットし、話題を呼んだ。映画については、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」が大ヒットし、主題歌の藤岡竜巻と大橋のぞみによる同名の歌もヒットした。このほか「花より男子ファイナル」や「相棒劇場版」、「20世紀少年」などが話題を呼んだほか、金城武が出演している中国映画の「レッドクリフPart1」(赤壁)もヒットした。

 2008年の世界は変化の激しい年だった。台湾では、3月に総統(大統領)選挙を控える与党の民主進歩党が1月に実施された立法委員(国会議員)選挙で、台湾で初めて導入された小選挙区比例並立制と定数半減が裏目に出て、小選挙区で大惨敗し、野党の中国国民党が飛躍的に議席を伸ばし、中国国民党81席、民主進歩党27席、無党団結連盟3席、親民党1席という結果となった。台湾での選挙制度改革で、第3政党以下の親民党は大幅に議席を減らし、比例代表もミニ政党が乱立して票が分散したこともあり、台湾団結連盟は全議席を失った。また、親民党の一部議員は国民党に党籍を移籍する選挙協力で比例代表で国民党議員として当選した。また、立法委員選挙と同時に実施された「不当取得党産の処分」と「国家指導者や関連機関の汚職を処罰する「反汚職」の2案の国民投票は、野党側が投票ボイコットを呼びかけたため、投票率が規定に達せず不成立となった。立法院選挙の野党圧勝で台湾の政権交代はほぼ確実となり、3月に実施された総統選挙では、中国国民党の馬英九氏(58.5%)が与党・民主進歩党の謝長廷氏(41.6%)を破って総統に当選した。

 総統選挙と同時に実施された、陳水扁(タン ツイピィ)総統が強く推進してきた「台湾」名義による「国連加盟」を推進する国民投票は、野党側から「中華民国」や「台湾」、その他名義を排除しない「実務的な国連復帰」を推進する対案の国民投票が同時に実施された結果、総統選挙と同時ということで台湾国内の与野党を超えたコンセンサスが得られず、両案とも規定の投票率に達せず不成立となり、台湾の民主進歩党政権が進めてきた「台湾」が中国と異なる主権国家であることを世界にアピールする脱中華民国政策は政権交代によって大きく路線変更されることになった。

 総統選挙後、5月の総統就任までの間に、馬氏とペアを組む蕭万長・次期副総統が両岸共同市場基金会理事長の名義で中国海南島で開かれた博鰲アジアフォーラムに出席し、胡錦濤(フウ チンタオ/胡锦涛)中国国家主席と面会し、中台関係改善のサインとなった。5月20日に就任した馬英九総統は、「一つの中国の解釈を各自表明する」(一中各表)とした「1992年合意」に基づき、台湾地区と大陸地区が中華民国憲法上中華民国(台湾側がいう中国)の領土であるという認識のもと、(中華人民共和国と)統一せず、(台湾国として)独立せず、(両岸は)武力行使せずの「不統、不独、不武」政策で、「中華民国」の現状維持をはかりながら、対中関係の改善を模索した。台湾と中華人民共和国は、実際には別々の国であるが、「一中各表」の建前のために、中華人民共和国のことを「中国」と呼ぶのをやめて、「中国大陸」という地域名称で呼ぶことを復活させた。また、陳水扁総統時代に名称変更された「台湾民主紀念館」が「中正紀念堂」に、「台湾郵政」が「中華郵政」に戻された。

 馬総統が就任してすぐの5月下旬、台湾の呉伯雄・中国国民党主席と中国の胡錦濤・中国共産党主席(国家主席)の国共トップ会談が実現。6月に台湾の対中窓口機関である海峡交流基金会(海基会)の江丙坤理事長と中国の対台窓口機関である海峡両岸関係協会(海協会)の陳雲林会長が中国北京で会談し(第1回江陳会談)、中国人の台湾観光解禁と中台直直航週末チャーター便の就航で合意し、7月に第一便が飛び、中台関係改善の象徴となった。

 一方、野党に転落した民進党の主席に女性の蔡英文氏が就任し、民進党に新しいイメージをもたらした。陳水扁前総統は退任後、マネーロンダリングや国務機密費横領等の罪状で起訴され、11月に勾留された。馬総統が進める対中接近政策に台湾ではとまどいも強く、与野党の対立が激化した。台北で開催された第2回江陳会談では中台の空運、海運の直航等で合意したが、大規模な抗議デモも起こった。また、有毒なメラミンが含まれた中国産粉ミルクが台湾に入ってきたことも対中感情の悪化を招く要因となった。

 日台関係については、馬総統が就任して間もない6月に尖閣列島沖に入った台湾漁船「聯合号」が日本の海上保安庁の巡視船に拿捕される際に衝突で沈没した。乗組員は無事であったが、領土問題とからんで、日台間に感情的な緊張が高まったが、沈没させた日本側が謝罪し、台湾側が主権問題を棚上げすることで、日台関係の悪化は回避された。そのほか、秋から冬にかけて台湾で日本人の田中千絵や中孝介が出演する映画「海角七号」が大ヒットし、台湾語のかけ合いや、時代を超えた日本人と台湾人の恋愛物語が台湾に感動をもたらし、後に日本でも公開された。

 韓国では2007年12月の大統領選挙で勝利したハンナラ党の李明博(イ ミョンバク/이명박)氏が大統領に就任し、政権交代した。李政権はアメリカとの自由貿易協定(FTA)推進のために狂牛病の懸念が続く米国産牛肉の輸入再開方針を示したところ、韓国国民の反発が高またほか、秋から米国のリーマンショックによる金融危機と不況で支持率が低迷したが、貿易の自由化政策は後に韓国経済復活の原動力となった。

 中国は、1月に河北省の工場で製造された日本向けの冷凍餃子に有毒なメタミドホスが検出され、日本人の対中感情が悪化を招いた。3月にはチベット自治区でチベット人による抗議活動を中国当局が弾圧し、暴動に発展した。北京オリンピック開催を前に、中国のチベットへの人権迫害が世界中に知れ渡った。5月には胡錦濤・国家主席が来日したほか、四川省西部を震源とするマグニチュード8.0の大地震が発生し、チベット人が多く住む県も大きな被害を受けた。8月に北京オリンピックが開催され、北京ではこれに合わせて大規模なスタジアムや関連施設が整備された。また、上海では8月に101階建ての「上海環球金融センタービル」が竣工した。北京オリンピックの開催前後に新疆ウイグル自治区でも爆発事件などが起こり、中国のウイグルへの人権弾圧によって起こった民族対立が深刻化していることが世界に知れ渡った。

 アメリカは、大統領選挙の年となり、共和党はジョージ・ブッシュ大統領の後継としてジョン・マケイン氏、民主党はバラク・オバマ氏を公認し、選挙戦が展開された。9月に米大手証券会社のリーマン・ブラザーズが経営破綻したことをきっかけに、金融危機が世界的に拡大した。10月に米大手航空会社のノースウエスト航空がデルタ航空に経営統合し、世界最大の航空会社となった。オバマ氏は社会保障を充実させる改革を主張、イラクへ派遣している米軍の早期撤退も訴え、「Change」(変革)と「Yes, we can.」(我々はやればできる)というわかりやすいスローガンで支持を広げた。一方、マケイン氏は投資活動の活性化、原発推進、イラクの米軍早期撤退に慎重などの政策の違いを見せた。11月4日の投票結果は、民主党のオバマ氏が365人(52.7%)、共和党のマケイン氏が173人(45.9%)で、オバマ氏が初めて黒人系の米国大統領として当選を果たした。これにより共和党は下野し、クリントン大統領以来再び民主党政権へと交代することになった。

 そのほか海外の動きは、2月にコソボ共和国がセルビア共和国からの独立を宣言した。3月にロシア連邦の大統領選挙が行われ、ドミートリー・メドヴェージェフ氏が当選し、5月に就任した。プーチン前ロシア大統領は、首相になって影響力を維持した。5月下旬にネパールで王制が廃止され、共和制に移行した。8月にグルジアが南オセチアに侵攻し、これに対して南オセチアを支援するロシアがグルジアに空爆した。

(参考:Wikipediaほか)
 
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