2011年平成23年時の旅・2011年(平成23年) 津波と原発事故の東日本大震災、地デジ移行、九州新幹線全通、アラブ社会のジャスミン革命
当時の日本国首相 菅直人(民主党) → 野田佳彦(民主党)
平成23年(2011年)は激動の一年だった。1月に北アフリカのチュニジアで民衆のデモによって長期独裁政権が倒され、それに触発されたエジプトでもムバラク( محمد حسني مبارك )政権に反対する大規模反体制デモが発生、イエメン、ヨルダンにも反政府デモが飛び火した。さらに内戦が続いていたスーダンではスーダン南部の独立を問う住民投票の結果、圧倒的多数で独立が決まった。2月にはエジプトのムバラク大統領が辞任し、アルジェリアでも非常事態宣言が解除された。40年以上にわたりカダフィ大佐による独裁政権が続いていたリビアでも2月から内戦となり、8月にカダフィ政権が倒され、10月にカダフィ氏が反体制派に拘束され殺害された。これらの北アフリカ、アラブの一連の民主化の動きは「ジャスミン革命」と呼ばれ、その原動力となった群衆の動員には携帯電話とツイッター、フェイスブックなどのツールが大きな役割を果たした。
2月下旬、ニュージーランドのクライストチャーチでマグニチュード6.3の地震が発生。クライストチャーチ市内の建物に倒壊などの被害が出て、日本人にも犠牲者が出た。3月に入ると3月9日に東北地方の三陸沖でマグニチュード7.3の地震が発生。宮城県北部で震度5弱を記録した。日本でも比較的大きな地震が来たことに驚いたが、まさかこれが大地震の予兆だとはこの日に気づいた人はほとんどいなかった。
3月11日14時46分、日本の東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0のとてつもなく巨大な地震が発生した。主な都市の震度は、宮城県栗原市が震度7、宮城県仙台市宮城野区、大崎市、名取市、塩竈市、東松島市、福島県白河市、須賀川市、二本松市、茨城県日立市、笠間市、筑西市、鉾田市、栃木県宇都宮市、大田原市、真岡市などが震度6強を記録し、ほかに仙台市の大部分、福島県郡山市、水戸市、千葉県成田市などが震度6弱、青森県八戸市、秋田県秋田市、福島県福島市、栃木県日光市、群馬県前橋市、埼玉県さいたま市、千葉県千葉市、東京都(23区)、神奈川県横浜市、川崎市、山梨県中央市などで震度5強を観測するなど、広範囲ですさまじい揺れとなった。
今回の地震は特に強烈な揺れによって引き起こされた大津波が太平洋沿岸の町を呑み込み、想像を絶する甚大な被害をもたらした。地震の強さは平成7年(1995年)の阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)のマグニチュード7.3をはるかに上回り、死者・行方不明者数合わせて平成24年3月の時点で1万9千人を超え、阪神淡路大震災を大きく上回る戦後最悪の災害となった。
東京では電車がほぼ全線で運休し、大量の帰宅難民が発生した。駅周辺は大混乱となり、歩いて帰るサラリーマンが歩道にいっぱいとなった。夜9時過ぎにようやく地下鉄の一部路線が動き始めたが、混乱は終日続いた。
岩手県は北から岩手県の洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市などの海岸沿いの市町村が大津波被害を受けた。海沿いの集落は津波にことごとく破壊されたが、その後も津波の恐れがあったため、捜索救援活動も遅れた。場所によっては防波堤の想定をはるかに超える10m以上の高さの津波が集落に押し寄せた。特に大槌町役場や陸前高田市役所は津波が建物を直撃し、3階を越える高さまで押し寄せたのだという。このため、市街地が壊滅状態となった。陸前高田市の高田松原も津波でなぎ倒され、壊滅した。宮城県は、北から気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、松島町、利府町、塩竈市、七ヶ浜町、多賀城市、仙台市宮城野区、若林区、名取市、岩沼市、亘理町、山元町などの市区町が津波の被害を受けた。沿岸部は津波によって壊滅状態で、気仙沼市では大規模な火災も発生した。名取川周辺も津波が押し寄せ、名取市の仙台空港の滑走路まで津波が押し寄せた。 福島県については、北から新地町、相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、いわき市などの海沿いの市街地が津波によって破壊された。また、茨城県の北茨城市、日立市、大洗町、鹿嶋市、千葉県旭市などでも津波被害があった。
また、地震により、福島県大熊町・双葉町にある東京電力福島第一原子力発電所が自動的に緊急停止したものの、そのあと襲った大津波で非常用電源も壊れてしまい、全電源喪失状態となり、自動循環冷却機能が喪失した。それによって、原子炉の炉心の燃料棒が過熱し、メルトダウン(炉心溶融)する深刻な事態となった(日本政府や東電がメルトダウンを公式に認めたのは発生から約2ヶ月後)。福島第一原発では3月12日に1号機でベント(非常手段としての放射性物質を含む気体の排気による圧力緩和)を実施したものの、15時過ぎに1号機で水素爆発が発生し、建屋の上部が吹き飛んだ。その二日後の14日11時頃に3号機が1号機より激しく爆発し、建屋の上部が吹き飛んだ。2号機も15日に爆発し、格納容器が損傷し、4号機でも火災が発生した。これらによって、大量の放射能が放出された。そんな中、原子炉自体が爆発する最悪の事態を食い止めようと、名もなき作業員たちが高い放射線量の中、懸命に危険な放水作業にあたった。実際に最前線の作業にあたったのは下請け、孫請けの作業員が多かった。
4月12日、日本政府の原子力安全・保安院は、事故後に放出された放射性物質が少なくとも37万テラベクレル(37京0000兆0000億0000万0000ベクレル)以上に及んだことを認め、福島第一原発事故のINES深刻度について、とうとう旧ソ連チェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」に引き上げた。4月21日には福島第一原発から半径20キロ圏内が警戒区域となり、一般人立入禁止となった。この原発事故によって、福島県は放射能汚染に悩まされることになり、特に警戒区域内では今後数十年にわたって放射能を除染しなければ、原状回復できない状況になってしまった。平成23年末現在、福島第一原発から周辺20キロ以内(大熊町、双葉町、富岡町、楢葉町、南相馬市の一部、浪江町の一部、広野町の一部、葛尾村の一部、川内村の一部、田村市の一部)は警戒区域となっており、一般人の立入が禁止されている。また、20キロ~30キロ(南相馬市の一部、飯舘村の一部、浪江町の一部、広野町の一部、葛尾村の一部、川内村の一部、田村市の一部、いわき市の一部)は緊急時避難準備区域とされていたが、これについては9月30日に解除された。なお、20キロ圏外でも年間20ミリシーベルト以上の放射線量がある南相馬市の一部、浪江町の一部、川俣町の一部、葛尾村の全域、飯舘村の全域は計画的避難区域として住民の避難が実施されている。
原発の危機時には、東京でも一時、水道水から基準値を超える放射線量が検出され、ヨーロッパ等の一部の大使館が一時東京から大阪など関西に移された。航空機も、放射線量の高い東京を避け、ソウルや関西空港発着に変更したり、関西経由にして大阪で乗務員交代を行う航空会社も現れた。
震災と原発事故で混乱が続いていた3月16日、天皇陛下は震災に関するおことば(ビデオメッセージ)を発表された。天皇陛下は、余震が続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている自衛隊、警察、消防、海上保安庁や国・地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々らをねぎらい、「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」と述べられた。天皇陛下と皇后さまはその後避難生活を送る被災者らを励ますため何度も被災地へ足を運ばれた。
震災発生後、3月下旬まで東京電力管内の関東では電力供給不足により、計画停電が実施された。首都機能が集まる都心はその対象から排除されたが、東京都でも比較的郊外では計画停電の対象となった。町中から電気がすべて消え、真っ暗闇になったことは、震災が緊急事態であることを人々に感じさせた。首都圏では、3月下旬に水道水が一時放射能規制値を超えたことから、ミネラルウォーター購入希望者が殺到し、町中からミネラルウォーターが消えた。買いだめした人はわずかだと思われるが、多くの人が同じ行動をとるとあっという間に足りなくなることがわかった。そのほか、ヨーグルトや納豆なども震災後一時供給が追いつかなくなってスーパーから消えた。夏には主にクーラー使用による電力不足が心配され、節電が呼びかけられ、電力会社は電気予報を発表し、供給電力量と使用電力量をリアルタイムで伝え、節電を求めた結果、大規模停電の事態は避けられた。一方、原発再稼働がなくても電力は間に合うのではないか、電力不足を煽るのは原発を再稼働させるための口実だという論調もみられた。
平成23年の政治は、震災により混乱が続いた。1月31日には民主党の小沢一郎・元代表が土地購入にからむ汚職疑惑で強制起訴された。前原誠司・外務大臣が在日外国人から政治献金を受け取っていた疑惑が発覚し、外相を辞任した。菅直人(かん なおと)内閣総理大臣(首相)にも同様の疑惑が持ち上がったところ、東日本大震災が発生した。また、この日は石原慎太郎・東京都知事が引退を撤回して都知事選再出馬を発表した日でもあった(石原知事は4月の選挙で再選された)。
菅首相は、ただちに震災救援に取り組んだが、福島第一原発事故が危機的状況となったことからその対応にも追われた。翌12日に菅首相は福島第一原発の視察へ赴いたが、原発側が菅首相への対応に追われ、それがベントの遅れにつながったとの批判もある。枝野幸男・官房長官は、震災後十分な睡眠をとらずに政府発表に追われ、その姿は国民の共感を呼び高く評価されたものの、原発事故の放射能漏出の影響については、「ただちに影響はない」という表現でごまかしたため、国民は政府発表への不信を高めた。また、原発事故の報道ではテレビまでもが原発擁護学者ばかり登場して実際に起こっていたメルトダウンを正しく報道しなかったことから、国民のマスコミ不信がいっきに高まった。菅首相は原発の危機的状況に対して東京電力に自ら乗り込んで撤退しないよう迫り、現地の作業員の粘りと、自衛隊や東京消防庁などの勇敢な放水の応援で、最悪の状況はまぬがれた。東電の清水正孝社長は一番肝心なときに入院し、最前線に立つこともなく、東電の無責任で不誠実な体質を際立たせた。一方、現場で最前線の対応にあたった吉田昌郎所長は海水注入を続けて踏ん張り、原発事故の原子炉爆発を食い止めたことから、国民の評価は高かった。菅政権は原発の放射能影響予測マップ「SPEEDI」を国民に公開しなかったことや、震災に関する会議を乱立させながらも肝心の議事録を残していなかったことが情報隠蔽体質と受け取られ、政府への国民の信頼を失わせた。
一方、震災の救援に献身的に取り組んだ自衛隊や駐日米軍は高く評価された。自衛隊の若者隊員は頼もしく、孤立した生存者を救出し、がれきの中から残念ながら遺体で発見されても、遺体を家族のもとへ戻してくれた自衛隊員に感謝の気持ちが伝えられた。アメリカ軍による「トモダチ作戦」は米軍の最新装備を駆使して、最速で津波のがれきに埋もれた仙台空港の滑走路を使用可能な状態に復旧してくれた。また、隣国台湾からは馬英九(マー インチョウ)総統自ら台湾国民に義援金を呼びかけ、世界最大の約200億円もの義捐金を日本へ寄せてくれたほか、慈善団体が何度も被災地へ赴き、義捐金を配布したり、ボランティア活動を行ったりした。そのほか、クウェートが石油を大量に支援してくれた。菅首相は海外からの支援に対し感謝のメッセージを発信し、そのタイトルとなった「絆」(きずな)が流行語にもなった(日本政府が各国に出した感謝の広告に最大支援国の台湾が抜けていたという批判もある)。
菅首相は5月に今後地震で津波被害を受ける懸念のある静岡県御前崎市の浜岡原発を政治判断で停止させた。その後、脱原発路線を鮮明にし、太陽光エネルギーの推進を掲げたが、原発がまかなうエネルギー量を代替するエネルギー政策については具体性を欠いたため、原発依存を減らしていくことに対して日本国民は大きく支持しているが、震災対応で不信を招いた菅首相の支持率は下がり続けた。6月に野党および民主党内の小沢・鳩山グループから菅政権の運営への批判が高まり、内閣不信任案可決の可能性が出てきたが、土壇場で鳩山由紀夫・元首相が菅首相と党内分裂を回避することで合意し、民主党内の反菅の勢いがしぼみ、内閣不信任案は否決された。しかし、その後、菅首相が内閣不信任案が否決されたことで早期辞任を否定し、原発事故収束まで辞任しない姿勢を見せたことから、再び菅首相の辞任を求める声が民主党内からも高まり、菅首相は2次補正予算、特例公債法案、再生エネルギー特別措置法案などの通過を辞任条件とし、法案通過のめどが立った8月27日に辞任した。
その後、民主党代表選挙が実施され、5人が立候補し、野田佳彦(のだ よしひこ)財務大臣が、海江田万里・経済産業大臣、前原誠司・前外務大臣、鹿野道彦・農林水産大臣らを『破って党代表に選出され、8月30日に野田佳彦氏が第95代内閣総理大臣に選出され、9月2日に野田内閣が発足した。野田首相は代表選挙の中で相田みつを氏の詩から引用して、どじょうのように泥臭く仕事を進めていくと表明したことが好感を呼び、内閣支持率は50%以上に回復した。小沢グループからも重用し、民主党内の党内融和をはかったが、その後、消費税増税方針と、高度な自由貿易協定である環太平洋連携協定(TPP)の参加をめぐって対立することになる。特に民主党のマニフェスト(公約)になかった消費税増税について、法案成立後に選挙という説明には消費税増税の必要性は認めながらも国民の多くが不信感を抱いた。
TPPについては、例外なき関税撤廃が、関税自主権を奪い、日本の農業を破壊するものだとして反対論が根強く、食品添加物表示の規制緩和、政府公共事業への外国企業の参入、医療自由化による保険制度解体や医療格差拡大、投資家対国家の紛争解決(ISD)条項の訴訟リスク等、アメリカ有利なルールになるだけだなど反対論が続出していたが、野田内閣はそれらの懸念に十分説明することなく、11月に米国ハワイで開かれたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議出席の際に交渉参加の方針を関係国に伝えた。TPPについては、マスコミでもTPP賛成派の大企業の広告を得ているかで対応が分かれたのか、大手マスコミの社説は賛成一色で、地方紙はTPP反対の論調が多かった。また、TPPは輸出に頼る大企業や経団連などが積極的に賛成していたほか、TPP反対については行き過ぎた新自由主義に反対し、食品安全基準などを重視する左派から、アメリカ等外国に従属するのではなく日本らしい国柄を守るべきという右派まで、珍しく左右合同で反対運動を展開していたのは画期的だった。野田内閣と小沢グループの路線対立が激しくなると、年末に民主党から9名が離党して消費税増税反対、TPP参加反対、原発再稼働反対などを掲げる「新党きづな」が結成された。
平成23年(2011年)は震災だけでなく、台風による水害にも見舞われた。台風12号は9月3日から4日にかけて四国・近畿地方を直撃し、特に紀伊半島は豪雨となり、熊野川が氾濫し、和歌山県の新宮市、那智勝浦町などで大きな被害が出たほか、奈良県十津川村が一時孤立状態となった。続く9月20日の台風15号では名古屋市で庄内川と天白川が危険水位となったほか、21日には夕方に関東を直撃し、東京では帰宅時間の交通機関が乱れた。
このほか平成23年(2011年)は地方政治も大きく動いた。住民税10%減税恒久化、市議会議員報酬削減、地域委員会による住民自治強化などを公約している河村たかし・名古屋市長は、市議会議員の反対で政策が実現できなかったことから、河村市長は平成22年(2010年)に地域政党「減税日本」を結成し、市長が率先して市議会リコール署名運動を始め、35万人以上の署名が集まり、2月に住民投票が実施されることになった。河村市長も辞任し、もう一度名古屋市長選挙に出馬して民意を問うことになった。そして2月6日にもともと予定されていた愛知県知事選挙に加えて、名古屋市長選挙と名古屋市議会解散住民投票が同時に実施され、愛知県知事には河村市長と共同戦線を張った元自民党国会議員の大村秀章氏が当選。名古屋市長選挙は河村たかし市長が再選。住民投票は市議会解散賛成が過半数を上回って名古屋市議会解散が決定した。名古屋市議会の出直し選挙が3月に実施され、定数75議席のうち、河村市長派の「減税日本」が28議席当選して過半数には及ばなかったが第1党に躍進した。それまで第1党だった民主党は半分以下になった。4月の愛知県議会選挙では、名古屋市や周辺地域で減税日本の候補が擁立されたほか、大村知事派の地域政党「日本一愛知の会」も候補を擁立して共闘したが、減税日本と日本一愛知の会を合わせても第1党には及ばなかった。愛知県と名古屋市の二重行政についても大村知事と河村市長が「中京都」構想を掲げたが、中京都と名古屋市の関係などをどう位置付けるのかは東京都型を目指す「大阪都」に比べて具体的ではない。名古屋市議会は12月下旬に市民税5%減税条例案をついに可決した。
11月は大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙があった。橋下徹・大阪府知事はもともと大阪市を解体して大阪府と一体化して「大阪都」を実現することを主張していたが、平松邦夫・大阪市長は反対し、大阪府VS大阪市の対決構造が逆に強まっていた。その状況を打破するため、橋下知事は任期満了前に大阪府知事を辞めて自ら大阪市長選挙に鞍替え出馬して、橋下氏VS平松氏との直接対決となり、橋下氏が圧勝した。大阪府知事選は、橋下氏の後を継ぐ「大阪維新の会」の松井一郎氏と、前池田市長の倉田薫氏、共産党推薦の梅田章二氏の戦いとなったが、やはり橋下人気で「大阪維新の会」に追い風が吹き、松井氏が圧勝した。それにより大阪府知事と大阪市長が共に「大阪維新の会」になって、「大阪都」構想が急速に前進することになった。
鉄道については、東日本大震災の影響で東北太平洋側沿岸部で甚大な被害を受けた。岩手県については、田野畑村で三陸鉄道北リアス線の島越駅が津波にさらわれたほか、宮古市でJR東日本山田線の宮古~磯鶏間の鉄橋が流され、大槌町の大槌駅でも津波による大きな被害を受けた。釜石市ではJR釜石線、三陸鉄道南リアス線と合流する釜石駅に津波が到達したほか、南リアス線の唐丹駅でも津波が到達した。大船渡市、陸前高田市ではJR大船渡線が甚大な被害を受け、大船渡市は盛駅に津波が到達したほか、大船渡駅が津波で壊滅、陸前高田市の陸前高田駅も津波で壊滅した。宮城県については、気仙沼市のJR気仙沼線の南気仙沼駅が津波で壊滅的な被害を受けたほか、津波で市街地が壊滅的被害を受けた南三陸町の清水浜駅、志津川駅も大きな被害が出た。女川町の石巻線の女川駅は津波で跡形もなく破壊され、ディーゼルカーが数百メートル流されて発見された。石巻市ではJR石巻線・仙石線の石巻駅が津波で浸水した。東松島市では仙石線の野蒜~東名間で電車が津波に流され車体が折れ曲がった。このほか、塩竈市で仙石線の本塩釜駅のコンコースに津波が押し寄せた。仙台空港のある名取市では仙台空港まで津波が押し寄せたことから、仙台空港アクセス鉄道も空港近くのトンネルなどが津波の被害を受けた。東北本線の岩沼から海沿いに分岐する常磐線は山元町の山下駅付近で貨物列車が津波に巻き込まれ、コンテナが流されたほか、坂元駅が津波で破壊された。福島県では、常磐線が新地町の新地駅が津波に呑み込まれ、停車していた電車が巻き込まれて横転した。乗客は避難して無事だった。相馬市や南相馬市のほうは常磐線は比較的陸側を走っているのだが、福島第二原発に近い富岡町の富岡駅の駅舎が津波で流失した。いわき市は市北部の常磐線の区間が海に近く、津波の影響を受けているようだ。そのほか、原発の影響で常磐線は原ノ町駅(南相馬市)~広野駅(広野町)間が警戒区域のため復旧の見込みが立たなくなっている。
平成22年(2010年)12月に全通したJR東日本の東北新幹線の次世代列車として時速300キロの「はやぶさ」が3月5日にデビューしたが、デビューから一週間もたたないうちに東日本大震災で運休せざるを得なくなった。JR九州の九州新幹線鹿児島ルートの博多~新八代が3月12日に開業し、博多~鹿児島中央が全通し、JR西日本の山陽新幹線の新大阪から九州新幹線鹿児島中央まで直通する「さくら」と「みずほ」が運行を開始した。震災発生直後ということで静かな出発となった。3月はこのほか名古屋の、あおなみ線の金城ふ頭駅前にJR東海の「リニア・鉄道館」がオープンした。震災で東北地方の鉄道の多くが不通となったが、3月から4月にかけて津波の被害を受けなかった多くの区間では復旧が進んだ。東北新幹線は部分開業しながら4月29日に全線復旧した。部分開業の期間には東北新幹線開業時のグリーンと白の塗色の東北新幹線200系や、未復旧区間の代役として583系特急車両がリレー号として代走した。その後、7月にはひたちなか鉄道や鹿島臨海鉄道が全線復旧し、宮城県の沿岸部を走る仙石線も高城町~矢本を除いて復旧した。しかしながら三陸沿岸では市街地の被害が甚大であり、都市計画も定まっていないことから復旧が数年単位となる見通しで、そのほか、常磐線は原発事故の影響で原ノ町~広野の復旧の見込みが立たず、相馬以北は津波の影響もあるため、年末の時点で上野~広野、原ノ町~相馬、亘理~岩沼の3区間に分断された状態となっている。このほか5月に大阪駅の新しい駅ビルが完成し、「大阪ステーションシティ」がオープンした。
文化面では、音楽は秋葉原系のアイドルグループ「AKB48」が大ブレークし、「フライングゲット」「Everyday、カチューシャ」「風は吹いている」「上からマリコ」「桜の木になろう」とCD売上トップ5を独占した。名古屋・栄の「SKE48」、大阪・難波の「NMB48」も姉妹グループとしてヒットした。このほか、嵐の「果てない空」、ドラマ「マルモのおきて」の主題歌になった「マル・マル・モリ・モリ」などがヒットした。また韓流ブームで韓国アイドルグループが押し寄せ、KARAの「GO GO サマー」「ジェットコースターラブ」、少女時代の「MR.TAXI」「Gee」などがヒットした。また、アルバムでは食道がんを克服した桑田佳祐「MUSICIAN」、いきものがかりのベストアルバム、来日してブームを巻き起こしたレディー・ガガのアルバム「ボーン・ディス・ウェイ(Born This Way)」などがヒットした。
文学は、破天荒な人生を描いた西村賢太の私小説「苦役列車」が芥川賞を受賞し、大きな話題を呼んだ。 震災発生後しばらく、テレビCMの自粛が相次ぎ、ACジャパンの公共広告ばかりが流されたが、その中で「『遊ぼう』っていうと、『遊ぼう』っていう。『ばか』っていうと、『ばか』っていう。『ごめんね』っていうと、『ごめんね』っていう。こだまでしょうか、いいえ誰でも…」という人間の心理を金子みすゞの詩「こだまでしょうか」がこのCMをきっかけに再び注目を集めた。
テレビドラマは江戸時代にタイムスリップした医者を描いた「JIN-仁-」がヒットした。8月に島田紳助が暴力団と関係があったとして芸能界を引退し、司会を務めていた「クイズ!ヘキサゴン」などが終了した。9月には平成2年(1990年)から続いてきた橋田壽賀子のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズが完結した。時代劇ドラマ「水戸黄門」もシリーズが終了した。松島菜々子が笑顔を見せない家政婦役を演じたドラマ「家政婦のミタ」も高視聴率を記録した。テレビについては東北の被災地を除いて地上波アナログ放送が7月24日に終了し、地デジに切りかわった。
スポーツは、いままで注目されることが少なかった女子サッカーで、2011FIFAワールドカップ決勝で日本がアメリカを破り優勝すると「なでしこJAPAN」が大きく注目されるようになった。野球は東日本大震災の影響で開幕が遅れたものの、ペナントレースは順調に行われ、パリーグはソフトバンク・ホークスが優勝。セリーグは中日ドラゴンズが2年連続で優勝した。クライマックスシリーズでも両者結果は変わらず、ソフトバンクと中日が日本シリーズを戦った。中日は落合監督の退任が決まっていたが、日本シリーズを勝ち抜くことができず、ソフトバンクが優勝した。台湾で開かれたアジアシリーズでは日本代表のソフトバンクが韓国のサムスンに敗れ、優勝を逃した。横浜ベイスターズの経営権をDeNAが取得し、2012年度から横浜DeNAベイスターズになった。大相撲は、八百長問題で春の大阪場所を休止、相撲界の不祥事が次々明るみになる中、モンゴル人の白鵬が安定した強さを見せた。
海外の動きについては、朝鮮半島情勢は、韓国はウォン安を活かして三星(삼성/サムソン)などの大企業が輸出を伸ばし、李明博(이명박/イ ミョンバク)政権がアメリカとの自由貿易協定(FTA)を推進し、円高ドル安で輸出不振にあえぐ日本企業を追い込んでいった。アメリカが10月に同協定が議会で可決され、韓国の批准を待つだけとなったが、農業問題やさまざまな規制緩和要求が国内を基盤にする中小企業など一部の韓国国民にとって受け入れがたいものであるため、野党が激しく反対した。しかしながら与党が強行採決して米韓FTA批准案が可決された。与党ハンナラ党の呉世勲(오세훈/オ セフン)ソウル市長が野党民主党が進めた小中学校給食無償化決議に反対して住民投票を実施したが野党派のボイコットに遭って不成立となり、市長を辞任。10月に実施されたソウル市長選挙では野党が支持した無所属の朴元淳(박원순/パク ウォンスン)が与党ハンナラ党の羅卿瑗(나경원/ナ ギョンウォン)を7%差で勝利した。
北朝鮮では12月19日に朝鮮中央テレビが特別放送で金正日(김정일/キム・ジョンイル)総書記が12月17日に心筋梗塞で死去したことを発表した。北朝鮮では2010年から三男の金正恩(김정은/キム・ジョンウン)を後継者として地位を固めてきて、金正恩が金正日の視察に同行したりしてきた。金正日総書記が死去後、12月28日に平壌(ピョンヤン)で国葬が行わた際につきそい、12月29日に序列2位の金永南(김영남/キム ヨンナム)最高人民会議常任委員長は金正恩が「党・軍・人民の最高指導者」であると宣言し、翌30日に金正恩が朝鮮人民軍最高司令官に就任した。
台湾は、4月下旬に野党・民主進歩党(民進党)の蔡英文主席が党内選挙に勝利して総統選挙の候補者となった。6月中旬に馬英九(マー インチョウ)総統は副総統候補に呉敦義・行政院長(首相)を指名した。蔡候補は台中両岸には、両岸が『一つの中国』を認め中身をそれぞれ解釈し、台湾は『中華民国』、中国大陸は『中華人民共和国』とする「1992年コンセンサス(九二共識)」なるものが存在しない(中国が認めないので存在しない)と主張。蔡主席は台湾国内で民主的な手続きで与野党のコンセンサスを求める「台湾コンセンサス」を掲げた。9月には蔡英文氏とペアを組む民進党の副総統候補に蘇嘉全・民進党秘書長が選ばれた。日本統治時代のセデック族の霧社事件を映画化した魏徳聖監督「セデック・バレ」が話題を呼び、先住民族のセデック語や日本語が全編にわたって出てくる台湾映画となった。10月10日、「中華民国」建国100周年を祝う国慶節祝賀式典が盛大に行われ、日本で孫文の活動を主に金銭面で支えた梅屋庄吉が台湾でも見直された。総統選には親民党の宋楚瑜主席も出馬表明し、3つどもえの争いとなったが、世論調査では馬総統がややリードで民進党の蔡候補がそれを僅差で追う形で、宋候補は泡沫候補とみられた。東日本大震災では台湾から200億円を超える義援金が寄せられ、馬英九総統も自らチャリティー番組に出演して台湾国民に募金を呼びかけた。また、慈済や仏光山などの仏教団体などの宗教団体も被災地でボランティア活動や義援金配布活動などを積極的に行った。改めて日台関係の強い絆が確認される形となり、秋に日台投資協定や日台オープンスカイ協定が結ばれ、ビジネス面でも日台協力がより促進された。そのほか、1月に台湾高鉄(台湾新幹線)の台南駅(沙崙駅)と台南市内のを結ぶ台鉄(在来線)の沙崙線が開業、11月に台湾高鉄の新竹駅(六家駅)から内湾線の竹中駅を経て台鉄新竹駅を結ぶ六家線が開業し、台南と新竹の新幹線の駅から市内へのアクセスがより便利になった。
中国は、2010年の国内総生産(GDP)が日本を抜き、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に躍り出た。しかしながら中国国民の貧富の格差は激しく、言論の自由も極めて制限されている状況に変化はなく、2008年北京オリンピック・メインスタジアム「鳥の巣」を設計した芸術家・艾未未(アイ ウェイウェイ)氏が3月に当局に拘束された。北アフリカやアラブで民主化の波となった「ジャスミン革命」は、統制が厳しい中国では大規模な騒動にはならず、不発に終わった。深圳では6月に深圳地下鉄・都市鉄道の羅宝線、竜華線、環中線、蛇口線、竜崗線が相次いで開業。開業ラッシュとなった。6月30日には首都北京と最大都市上海を結ぶ大動脈である京滬高速鉄道(中国版新幹線)の北京南駅~上海虹橋駅が開業した。ところが、7月には上海から福州方面を結ぶ中国版新幹線が浙江省の温州付近で追突事故を起こし、追突した先頭車両などが高架橋から地上に落下し、約40人が死亡した。当局は事故車両を埋めるなどして事故原因隠蔽に躍起となったが、中国の記者らの抵抗により、中国のネット社会に暴露され、当局の信用失墜となったばかりか、当局の統制をメディアが突破したのは画期的なことと国際社会で受け止められ、中国当局も国民の世論を意識せざるを得なくなるまで追い詰められた。中国はこの事故によって鉄道建設ペースを落とすようになったが、12月には広州と深圳を結ぶ高速鉄道の広州南駅~深圳北駅が開業した。
世界の動きは、1月から旧ソ連諸国で初めてエストニアがユーロを導入した。1月下旬にチュニジアの反体制デモがエジプトにも飛び火、イエメン、ヨルダンでも反政府デモ実施。スーダン南部で実施された独立の是非を問う住民投票にほとんどの南スーダン住民が独立に投票した。2月にはミャンマーで軍出身のテイン・セインが首相に選出され、軍部の権益を守りながらも野党を容認して民主化へと歩み始めた。ニュージーランドのクライストチャーチでM6.3地震が発生し、市街地で建物倒壊の被害が出た。リビアでも長年独裁政権をしいてきたカダフィ( مُعَمَّر القَذَّافِي )政権を打倒する動きが起こり内戦となり、後にNATO(北大西洋条約機構)が反体制派を軍事支援した。4月にキューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長がキューバ共産党第一書記からも退任し、公職から引退した。米ニューヨーク911テロなどの国際テロを主導してきたアルカイダの指導者であるウサマ・ビンラディン( أسامة بن لادن )が5月にアメリカ当局の主導でパキスタン領内で殺害された。7月に南スーダン共和国がスーダンから独立。タイで実施された総選挙で政権交代が起こり、8月にタクシン元首相の妹であるインラック・シナワトラ( ยิ่งลักษณ์ ชินวัตร )が首相に就任した。リビアで反体制派が首都トリポリを制圧し、カダフィ政権が崩壊した。9月には行き過ぎた新自由主義による貧富の格差拡大に怒るデモが米ニューヨークのウォール街で発生、10月には世界各地にも飛び火する。タイで国土の3分の1が水没し、日系企業の工場にも大きな被害が出た。逃亡していたリビアのカダフィ氏が拘束された際に殺害された。トルコ東部でM7.1の地震が発生した。11月には、欧州連合(EU)のギリシャとイタリアの財政危機が表面化した。12月は、ロシアの総選挙で与党の統一ロシアが過半数を維持して勝利した。アメリカ軍がイラクからの撤退を完了した。そのほか、10月に世界人口が70億人を突破した。
(参考:Wikipediaほか)
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