時の旅・2017年(平成29年) 都民ファーストと希望の党の明暗、米国と韓国で政権交代、核実験とミサイル発射続ける北朝鮮、カタルーニャとクルドで独立投票

2017年
平成29年

時の旅・2017年(平成29年) 都民ファーストと希望の党の明暗、米国と韓国で政権交代、核実験とミサイル発射続ける北朝鮮、カタルーニャとクルドで独立投票

当時の日本国首相 安倍晋三(自由民主党)

 平成29年(2017年)は、安倍晋三(あべ しんぞう)内閣総理大臣(首相)の下、自由民主党(自民党)が多数を維持し、国内の政治基盤は安定する一方で、アメリカ合衆国(米国)と大韓民国(韓国)が政権交代で新しい大統領が就任し、北朝鮮がミサイル発射を繰り返すなど、外交面では変化の激しい一年だった。

 1月に小池百合子・東京都知事を支持する地域政党「都民ファーストの会」が設立され、7月に実施された東京都議会選挙で都議会の第一党勢力だった自民党を破って最大勢力に躍進し、小池知事の政治的求心力が高まった。一方、国政では、大阪の森友学園、愛媛の加計学園の学校新設を巡る特例措置や安倍首相との人間関係の近さなどが野党から厳しく追及されたが、最大野党・民進党の蓮舫・代表(党首)が台湾との二重国籍疑惑の対応が明確でなかったことから7月に党首を辞任した。

 そんな中で、「都民ファーストの会」が国政進出を目指し「日本ファーストの会」を立ち上げ、民進党からも離党者が新党結成を模索。9月に前原誠司氏が民進党の新代表に選出されたが、9月下旬に「日本ファーストの会」を中心に小池百合子知事を代表とする「希望の党」が結成された。安倍首相は米国のトランプ大統領との信頼関係を築き、北朝鮮からのミサイル脅威に日米で緊密に対処する姿勢が国民から信頼され、支持率が好調の中、先手を打って衆議院を解散した。共産党を含めた野党共闘を行うべきかで意見が分かれていた民進党の前原代表は「希望の党」への合流を提案し、衆議院の民進党は実質的な解党となった。

 しかし、10月に入り、安保問題で現実路線を強調する希望の党は、安保に対する姿勢などで民進党の候補者を公認するか選別する「排除の論理」について小池代表が言及。排除される側となった元民進党の枝野幸男氏が「立憲民主党」を立ち上げた。選挙のために小池人気に乗っかって「希望の党」に合流した民進党の姿勢が批判される中、立憲民主党は中道左派の理念の支持層の受け皿の役割を取り戻した。ごちゃ混ぜ政党だった旧・民進党が理念で分かれて対立軸が明確になった。筋を通した「立憲民主党」が逆に伸びる中、立憲民主党と自民党の中間に挟まれた「希望の党」は、日本ファースト系の候補者が無名だったこともあり、選挙戦後半で急失速した。

 選挙権が18歳に引き下げられて初めて実施されたこの衆議院選挙の結果は、自由民主党284(±0)、立憲民主党55(+40)、希望の党50(-7)、公明党29(-5)、日本共産党12(-9)、日本維新の会11(-3)、社会民主党2(±0)、無所属22となり、自民党が前回と同様に圧勝し、議席の現状を維持し、安倍首相が信任される形となった。一方、野党は立憲民主党が希望の党の議席を追い抜き、第2党に躍進した。希望の党は支持基盤がある元・民進党系議員の粘りで50議席を死守したものの、日本ファースト系の新人が当選できず、小池代表も辞任に追い込まれ、元・民進党の玉木雄一郎氏が代表に選出された。

 皇室については、天皇陛下が退位の意向を示されたことを受け、6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、退位した天皇は「上皇」とすることが決められた。12月の皇室会議で、退位日は平成31年(2019年)4月30日となることが決定された。また、5月に眞子(まこ)内親王が結婚を予定していることが報道され、9月に婚約内定会見が行われた。

 交通は、鉄道は3月にJR西日本・可部線の可部~あき亀山が開業し、2003年の廃線区間の一部復活となった。西武鉄道・東京メトロ・東急電鉄・横浜高速鉄道の4社を直通する座席指定特急「S-TRAIN」が運行開始し、平日は所沢~豊洲、休日は西武秩父~元町中華街を結ぶようになった。4月に東武の新型特急「リバティ」がデビューした。8月に京阪電鉄の特急に「プレミアムカー」が連結されるようになった。

 音楽は、AKB48「願いごとの持ち腐れ」「♯好きなんだ」「11月のアンクレット」「シュートサイン」、乃木坂46「逃げ水」「インフルエンサー」、欅坂46「不協和音」、嵐「Doors~勇気の軌跡~」、SKE48「意外にマンゴー」、NMB48「僕以外の誰か」、関ジャニ∞「なぐりガキBEAT」、Hey!Say!JUMP「OVER THE TOP」などのアイドルグループの歌が上位を独占する中、星野源「Family Song」、Mr.Children「himawari」、B'z「声明」、氷川きよし「男の絶唱」などがヒットした。また、SMAPが解散したことからSMAP「世界に一つだけの花」が再ヒットした。

 映画は、邦画は「この世界の片隅に」、洋画は「ハドソン川の奇跡」などがヒットした。

 スポーツは、プロ野球セリーグで広島東洋カープがペナントレースで圧勝したものの、クライマックスシリーズで3位の横浜DeNAベイスターズが2位の阪神、1位の広島を破る下剋上となった。パリーグは福岡ソフトバンクホークスが優勝し、日本シリーズではDeNAはソフトバンクにかなわず、ソフトバンクが日本一となった。

 大相撲は、1月場所と3月場所で稀勢の里が優勝し、日本人横綱が活躍したが、5月場所と7月場所では白鵬、9月場所では日馬富士が優勝し、モンゴル人横綱の強さを見せつけた。しかし、11月に日馬富士が酒の席でモンゴル人後輩力士の貴ノ岩に暴力をふるったことが問題となり、日馬富士が引退した。

 世界の動きは、米国(アメリカ合衆国)では、1月に民主党のバラク・オバマ(Barack Obama)大統領が任期満了で退任し、共和党のドナルド・トランプ(Donald Trump)氏が大統領に就任した。「アメリカ第一優先」を掲げるトランプ大統領は、公約であった「環太平洋連携協定」(TPP)からの離脱を表明した。トランプ大統領は北朝鮮の核兵器および大陸間弾道ミサイルの開発をやめさせるため、圧力を強化する路線に転じ、4月に訪中して中国の習近平(习近平/シー チンピン)国家主席と会談し、対北朝鮮での協力を求めた。その最中、米軍はシリアのアサド政権が化学兵器を使用したとしてシリアのシャイラト空軍基地をトマホークミサイルで攻撃した。これは北朝鮮へのメッセージとも受け止められた。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2月に最高指導者・金正恩(김정은/キム ジョンウン)委員長の異母兄である金正男(김정남/キム ジョンナム)氏がマレーシアのクアラルンプール国際空港で、何者かに顔を襲われ、その後倒れて死去した。調査の結果、殺害の際に顔に塗ったのがVXガスであると判明し、北朝鮮当局による暗殺の可能性が世界的に報道された。

 4月に入ると、北朝鮮は日本海に向けて弾道ミサイルを発射し、日米韓との軍事的緊張が高まった。米軍が北朝鮮への圧力を強める中、大韓民国(韓国)の朴槿恵(박근혜/パク クネ)大統領罷免に伴い5月9日に韓国大統領選挙が前倒しで行われ、「共に民主党」の文在寅(문재인/ムン ジェイン)候補が41%、自由韓国党の洪準杓(ホン ジュンピョ)候補が24%、「国民の党」の安哲秀(アン チョルス)候補が21%で、市民派弁護士から政界に入った北朝鮮との和解を目指す文候補が圧勝し、翌5月10日に文在寅大統領が就任した。

 5月14日、北朝鮮は「火星12号」ミサイルをあえて高い角度で飛ばして飛距離を抑えるロフテッド軌道で発射し、高度2111キロに達し、日本海に落下した。これは、米国本土まで届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実験であるとして、米国は警戒を強めた。北朝鮮は21日、29日にも日本海に向けてミサイルを発射した。

 6月に入ると、国連安保理が北朝鮮のミサイル発射を避難し、制裁強化を採択したが、これに反発するように北朝鮮は6月8日に日本海に向けて地対艦巡航ミサイルを数発発射した。7月には、北朝鮮は4日に弾道ミサイルを発射し、このミサイルは約930キロ飛行して日本海の日本の排他的経済水域(EEZ)に落下したとされ、日本も警戒が高まる中、さらに28日にも再び弾道ミサイルが発射され、日本のEEZに落下した。

 8月8日にトランプ大統領は、北朝鮮による米国を狙う核兵器保有の動きに対して「世界が見たこともないような炎と怒りに見舞われることになる(with fire and fury like the world has never seen)」と軍事的行動を警告した。一方、北朝鮮は米国のトランプ大統領を非難し、「日本列島の一瞬での焦土化」に言及するとともに米領グアム島へミサイルを発射を検討していることを発表し、日本の島根、広島、高知の上空を通過することを予告した。米朝の緊張が高まる中、15日に金正恩委員長は「愚かな米国の行動をもう少し見守る」と発表し、ミサイル発射を保留し、21日からの米韓軍事合同演習を牽制した。29日早朝、北朝鮮は「火星12号」を日本海に向けて発射。日本北海道上空を飛び越え、高度約550キロ、飛距離約2700キロで、中距離弾道ミサイルである「火星12号」をロフテッドではない通常軌道で発射した模様で、グアムに近い距離でグアムとは異なる方向に飛ばすことにより、米国のレッドラインを避けたと見られた。しかし、日本では初めてミサイル空襲警報に相当する「Jアラート」が北海道・東北地方など鳴り響き、北朝鮮ミサイルに関する緊急番組が放送され、かつてない緊張に包まれた。

 9月3日、北朝鮮は6回目となる核実験を強行した。北朝鮮北東部の豊渓里(プンゲリ)地下核実験施設で行われた核実験は、これまでの最大規模であり、北朝鮮は「水爆」実験に成功したと発表した。11日に国連安保理は、北朝鮮への禁輸を強化する決議案を採択したが、石油全面禁輸は中国やロシアの反対から見送られた。15日朝、北朝鮮の平壌近郊から弾道ミサイルが発射され、高度約800キロ、飛距離約3700キロ飛行し、日本北海道上空を通過し、北海道・東北地方などに再びJアラートが響いた。北朝鮮から約3400キロのグアムを射程に収めるものであり、北朝鮮のミサイル技術の着実な向上を見せつけた。国連総会でトランプ大統領は北朝鮮を「ならずもの国家(rogue state)」と批判し、金正恩委員長を「ロケットマン」と呼び、軍事行動に踏み切れば「完全に破壊される」と警告し、北朝鮮による日本人拉致問題についても言及した。21日、金正恩委員長は、「史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に検討する」との声明を発表した。

 日本では安倍首相がこのタイミングで衆議院を解散したので、米軍の北朝鮮攻撃が始まると選挙どころではないので、その前に政権基盤を固めるためではないかと噂され、そういう空気感の中、米国と協調しての北朝鮮への圧力路線を主張する与党・自民党が10月の衆議院選挙で圧勝した。

 11月にトランプ大統領がアジアを歴訪。日本では在日米軍横田基地から入国し、安倍首相とゴルフをしながら意見交換した。韓国では文在寅大統領と会談したが、予定されていた軍事境界線の視察については悪天候を理由に中止された。トランプ大統領は中国も訪問して習近平国家主席と会談し、北朝鮮問題に対する協力を話し合った。20日、米国は北朝鮮を「テロ支援国家」に再指定した。11月29日未明、北朝鮮はロフテッド軌道で最高高度4475キロに達する弾道ミサイルを発射した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15号」とされ、通常軌道で発射した場合、約1万3000キロ飛行して米国東海岸まで射程に収める可能性がある。北朝鮮は、政府声明で「国家核戦力完成」を宣言した。

 中国(中華人民共和国)は、5月にシルクロードの経済圏強化を目指す「一帯一路」の国際協力サミットフォーラムが北京で開かれ、習近平(习近平/シー チンピン)国家主席が国際協力を呼びかけた。6月に香港の中国復帰20周年を記念して習近平国家主席が香港を視察した。10月に中国共産党第19回全国代表大会が北京で開催され、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」が中共の党の指導思想として盛り込まれた。中共総書記を務める習近平国家主席の党内の権力基盤がより強固なものとなったが、国際的には習近平独裁が強まるのではないかとの懸念も広がった。香港では、3月に行政長官選挙が実施され、制限された間接選挙制度の中で親中共派の林鄭月娥(ラムツェン ユッンゴー/キャリー・ラム)が当選した。

 台湾(中華民国)は、2月に桃園メトロ空港線の(台北~桃園空港~環北)が開業した。6月にパナマが中華民国(台湾)と断交し、中華人民共和国と国交を樹立した。これを受けて外交政策の見直しを求める声が高まった。7月に桃園、台中、台南、高雄など地方都市の都市鉄道建設促進を盛り込んだ計画が立法院(国会)で可決した。8月に台湾の広範囲で大停電が発生し、林全・行政院長(首相)のエネルギー政策への責任を求める声が高まった。台北で「2018ユニバーシアード台北大会」が開催された。9月に蔡英文(ツァイ インヴン/ツォア インブン)総統(大統領)は、頼清徳・台南市長を行政院長に任命した。頼行政院長は閣僚のほとんどを留任し、政策の継続性を重視したため新鮮味には欠けたが、頼氏の台湾独立の明確な意志と、国会で真摯に答弁する姿勢から支持率が上昇した。頼行政院長は、週休2日の規定をより弾力性が持てるよう法改正を推進した。企業側に有利で労働者側に不利になるとして、野党の時代力量や中国国民党が強く反対したが、与党・民主進歩党の賛成多数で成立した。日台関係では、1月に日本側の対台窓口機関の「交流協会」が「日本台湾交流協会」に、5月に台湾側の対日窓口機関の「亜東関係協会」が「台湾日本関係協会」にそれぞれ改名され、日台の交流窓口であることがより明確になった。
 
 スペインでは、スペイン・カタルーニャ自治州で10月に独立を問う住民投票が実施され、スペイン当局が警察を動員して投票を阻止する中、投票率43%で独立賛成が92%となった。これを受けてカルラス・プッチダモン(Carles Puigdemont)州首相がカタルーニャ共和国の独立宣言に署名する一方で、それを凍結してスペイン中央政府との対話を模索したが、スペインのマリアーノ・ラホイ(Mariano Rajoy)首相の中央政府はスペイン憲法155条の自治権停止措置を決定した。これを受けてカタルーニャ自治州議会はカタルーニャ共和国の独立宣言を可決したが、スペインにより自治権が停止が発動され、プッチダモン首相はスペインにより解任され、国家反逆罪と扇動罪で起訴され、EU本部のあるベルギーに脱出し保護を求めた。スペイン高等裁判所は独立宣言を無効と宣言し、12月にカタルーニャ自治州議会の選挙を実施した。その結果、カタルーニャ独立派が再び過半数を占め、ベルギーでプッチダモン氏はカタルーニャ共和国の勝利宣言を行ったが、スペインはカタルーニャに譲歩する姿勢は見せず、プッチダモン氏の帰国もこの時点では実現しなかった。

 このほか、世界は、1月にポルトガルのアントニオ・グテーレス(António Guterres)元首相が国連事務総長が就任した。4月にロシアのサンクトペテルブルクで地下鉄爆破テロ事件が発生した。フランス大統領選挙の1回目投票で、EU協調派のエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)候補と右派のマリーヌ・ル・ペン(Marine Le Pen)候補の上位2者で決選投票が5月に行われ、マクロン氏が勝利し、大統領に就任した。6月にイギリス総選挙が行われ、与党の保守党が過半数割れして労働党が伸びたが議席は逆転せず、テリーザ・メイ(Theresa May)首相の政権は維持された。7月にイラクは「イスラム国(IS)」の拠点都市だったモスルの奪還を宣言した。9月にシンガポールで前国会議長のハリマ・ヤコブ(Halimah Yacob)氏が大統領に選出された。イラク・クルド自治区で独立を問う住民投票が実施され、独立賛成が約93%に達したが、イラク当局はこの投票結果を認めず、クルド自治区に乗り入れる航空路線停止などの措置を強行してクルド自治区を孤立させ、独立を断念させようとし、10月にクルド自治政府は独立を凍結することを表明した。シリア民主軍が「イスラム国(IS)」の首都とされるラッカを解放したと発表した。カザフスタンのナザルバエフ大統領がカザフ語をキリル文字からラテン文字に変更する方針を発表した。11月に国連安保理がミャンマー当局によるロヒンギャ族への迫害をやめるよう求める議長声明を採択した。アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議がベトナム・ダナンで開催された。12月に米国がエルサレムをイスラエルの首都として認定し、東エルサレムを将来の首都と位置づけるパレスチナ側が強く反発した。

(参考:Wikipedia)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1975年(昭和50年) 山陽新幹線が博多まで全通、国鉄蒸気機関車が引退、サイゴン陥落でベトナム戦争終結、台湾の蒋介石総統が死去

1975年
昭和50年

時の旅・1975年(昭和50年) 山陽新幹線が博多まで全通、国鉄蒸気機関車が引退、サイゴン陥落でベトナム戦争終結、台湾の蒋介石総統が死去

当時の日本の首相 三木武夫(自由民主党)

 1975年(昭和50年)は、三木武夫(みき たけお)内閣総理大臣(首相)をトップとする自由民主党(自民党)政権は、与党が長い自民党の金脈政治を払拭するため、党内の反対を押し切って「政治資金規正法」を改正した。三木首相は戦争終結から30周年にあたる8月15日に、総理としては初めて終戦記念日に靖国神社を参拝した。三木首相はこの参拝を「私的参拝」であるとした。

 一方で野党は、7月に対立していた日本共産党が公明党の支持母体「創価学会」と「相互不干渉・共存」十年協定を公表したが、8月に公明党は共産党との政治共闘を否定した。

 戦後30年にあたり、7月に皇太子の明仁親王は美智子妃とともに沖縄を訪問。戦後初の皇族の沖縄訪問となったが、左翼および「沖縄人自身による沖縄解放」を掲げる沖縄解放同盟準備会などは皇太子の沖縄訪問に反対し。糸満市の「ひめゆりの塔」で過激派から火炎瓶を投げられたが、皇太子にケガはなかった。一方、昭和天皇は9月に香淳皇后とともにアメリカ合衆国を訪問した。

 4月の統一地方選挙では、東京都知事選で革新派で社会党、公明党、共産党の推薦を受けた美濃部亮吉知事が、自民党推薦の石原慎太郎を破って再選された。また、大阪府知事に黒田了一、神奈川県知事に長洲一二がそれぞれ当選し、革新派の首長の当選が目立った。

 交通については、鉄道は、3月に国鉄山陽新幹線の岡山~博多が延伸開業し、山陽新幹線が全通。東京から九州まで新幹線がつながった。山陽本線を走っていた特急「つばめ」「はと」「しおじ」などは廃止され、新幹線「ひかり」「こだま」に移された。一方で、12月に国鉄室蘭本線で国鉄最後の蒸気機関車による旅客列車(室蘭→岩見沢の普通)が運行され、廃止。同月に国鉄最後の蒸気機関車による貨物列車(夕張→追分)が運行され、廃止となり、蒸気機関車はディーゼル機関車化され、長年の雄姿を惜しまれながら、その役割を終えた。

 また、3月に静岡鉄道の清水市内線(港橋~新清水~清水前~横砂)が廃止された。北大阪急行の緑地公園駅が開設された。4月に北海道炭礦汽船・夕張鉄道線の野幌~鹿ノ谷が廃止された。庄内交通・湯野浜線の鶴岡~湯野浜温泉が廃止。越後交通の栃尾線(長岡~上見附)、長岡線(越後関原~大河津)が廃止。富山地方鉄道・笹津線(南富山~地鉄笹津)が廃止された。小田急電鉄・多摩線の小田急永山~小田急多摩センターが延伸開業。京急電鉄・久里浜線の三浦海岸~三崎口が延伸開業した。5月に阪神電鉄・国道線(野田~上甲子園)、北大阪線(野田~天神橋筋六丁目)が廃止された。7月に国鉄久慈線の久慈~普代が開業した。8月に国鉄三江北線の浜原と三江南線の口羽の間が開業し、国鉄三江線が全通した。11月に西鉄福岡市内線の貫線(九大前~姪の浜)、呉服町線(呉服町~祇園)、城南線(渡辺通一丁目~西新)が廃止された。
  
 文化については、音楽は、さくらと一郎「昭和枯れすゝき」、布施明「シクラメンのかほり」、小坂恭子「思い出まくら」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、岩崎宏美「ロマンス」、風「22才の別れ」、細川たかし「心のこり」、かまやつひろし「我が良き友よ」、山口百恵「冬の色」、バンバン「『いちご白書』をもう一度」、五木ひろし「千曲川」などがヒットした。また、アルバムでは井上陽水の「氷の世界」がミリオンヒットとなった。3億円事件の時効に合わせて発売予定だったアルフィー「府中捕物控」がレコード会社の都合で発売中止となった。

 映画は、洋画は「タワーリング・インフェルノ」、「大地震」、「エマニエル夫人」、「007 黄金銃を持つ男」、邦画は「男はつらいよ 寅次郎子守唄」、「伊豆の踊子」などがヒットした。

 スポーツは、野球はセリーグは広島東洋カープ、パリーグは阪急ブレーブスがペナントレースで優勝し、日本シリーズで阪急が初優勝した。日本ハムの張本勲がプロ通算400本本塁打、300盗塁、4000塁打、17年連続100本安打などを達成し、大活躍した。大相撲は北の湖と貴ノ花が2場所ずつ優勝するなど強さを見せつけたほか、三重ノ海が年間最優秀力士賞を獲得した。

 世界は、ベトナム戦争が続く南北ベトナムで、北ベトナム(ベトナム民主共和国)は、アメリカ合衆国(米国)の後ろ盾を失くした南ベトナム(ベトナム共和国)に対し、ラオスやカンボジアからも攻め込み、3月にフエ(Huế)とダナン(Đà Nẵng)が陥落した。4月からは「ホーチミン作戦」が決行され、ベトナム南部のカントー(Cần Thơ)、ビエンホア(Biên Hòa)、サイゴン国際空港(タンソンニャット基地)などを占領して、南ベトナムの首都サイゴン(Sài Gòn/柴棍)市内に攻め込んで戦車部隊が南ベトナム大統領府に突入し、サイゴンが陥落した。

 サイゴン陥落の直前に南ベトナムのグエン・バン・チュー(Nguyễn Văn Thiệu/阮文紹)大統領が辞任し、チャン・バン・フォン(Trần Văn Hương/陳文香)大統領が引き継ぎ、グエン・ヴァン・チュー前大統領を台湾に脱出させた上で、北ベトナムと停戦を求めた。しかしこれが実現せず、わずか一週間で北の要求を受け入れて辞任した。在越アメリカ人は「フリークエント・ウィンド作戦」でサイゴンからヘリコプター等で南シナ海の米海軍の艦船へと脱出した。北がサイゴンに突入すると、停戦のために大統領に就任した南ベトナムのズオン・バン・ミン(Dương Văn Minh/楊文明)大統領は、北ベトナム軍が作成した降伏声明を読み上げ、ベトナム戦争は北ベトナムの勝利により終戦を迎えた。

 ベトナム共和国が崩壊した南ベトナムは、北ベトナム主導で「南ベトナム共和国」臨時政府が設立され、北の「ベトナム民主共和国」との統一の準備が進められた。南ベトナムの首都だったサイゴンは、5月に北ベトナムの指導者であったホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh/胡志明)の名をとってホーチミン市に改名された。

 ベトナムの隣国のクメール共和国(カンボジア)では、4月にクメール・ルージュ(カンプチア共産党)によるカンプチア民族統一戦線が首都プノンペンを占領し、クメール共和国のロン・ノル政権が崩壊し、ロン・ノルは米国に亡命した。クメール・ルージュは「民主カンプチア」を建国し、前政権幹部・警察・軍人らを殺害し、ポル・ポト(ប៉ុល ពត)が実権を握るようになる。

 台湾(中華民国)では、1949年に中国の国共内戦に敗退し、台湾に中華民国政府を移転し、台湾で「大陸反抗」をスローガンに中国国民党独裁体制を築き、万年総統(大統領)だった蒋介石(蔣中正/チャン ツォンツェン)が1月に死去した。副総統だった厳家淦(嚴家淦/イエン チアカン)が総統に就任したが、実権は蒋介石の息子の蒋経国(蔣經國/チャン チンクオ)が握っていた。

 中国(中華人民共和国)は、1月に中国共産党(中共)の毛沢東(毛泽东/マオ ヅォートン)主席により鄧小平(邓小平/テン シャオピン)が中共中央軍事委員会副主権兼中国人民解放軍参謀総長に任命された。同月、中華人民共和国第4期全国人民代表大会第一次会議が北京で開かれ、周恩来(ツォウ エンライ)が国務院総理(首相)、鄧小平が国務院副総理(副首相)に任命され、文革路線を進めた「四人組」は政権の中枢を固めることはできなかった。

 そのほか世界は、4月にシッキム王国で王の退位を求めるデモ隊に王軍が発砲し、その混乱を収めるためにインド軍が介入し、シッキム王軍が武装解除され、インドに編入が議決され、国民投票でも賛成多数となり、翌月シッキム州としてインドに編入された。5月にイギリスのエリザベス2世夫妻が日本を初訪問した。6月にフィリピンが中華人民共和国と国交を樹立し、台湾(中華民国)と断交した。ポルトガル領モザンビークが共産主義体制の「モザンビーク人民共和国」として独立した。7月にポルトガル領サントメ・プリンシペが「サントメ・プリンシペ民主共和国」として独立した。8月にマレーシアで日本赤軍がアメリカ大使館を占拠する事件が発生した。10月にバングラデシュでクーデターが発生し、ムジブル・ラフマン大統領が暗殺された。11月にポルトガル領東ティモールが「東ティモール民主共和国」として独立を宣言したが自国領と主張するインドネシアが介入し、インドネシア軍が東ティモール全域を制圧し、併合した。12月にラオスで王制が廃止され、ラオス人民民主共和国が樹立された。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1976年(昭和51年) ロッキード事件で政界激震、自民党過半数割れで三木内閣退陣、南北ベトナムが統一、中国の毛沢東主席死去

1976年
昭和51年

時の旅・1976年(昭和51年) ロッキード事件で政界激震、自民党過半数割れで三木内閣退陣、南北ベトナムが統一、中国の毛沢東主席死去

当時の日本の首相 三木武夫(自由民主党)→ 福田赳夫(自由民主党)

 1976年(昭和51年)は、三木武夫(みき たけお)内閣総理大臣(首相)をトップとする自由民主党(自民党)政権は、金脈政治を払拭するため、前年に政治資金規正法を改正を行ったが、2月に「ロッキード事件」が明るみになった。

 「ロッキード事件」は、アメリカ合衆国(米国)の大手航空機メーカーであるロッキード社の旅客機受注をめぐる国際的な汚職事件で、日本でも政財界を巻き込む大スキャンダルとなった。三木首相は、事件の解明のための捜査を指示し、米国にも捜査協力を要請し、米国側の資料提出を求め、米国側と合意した。これに田中角栄(たなか かくえい)前首相が受託収賄に関わり、外国貿易管理法違反をしたなどの疑いで7月に逮捕された。首相経験者の逮捕に日本国内の報道は大騒ぎとなった。

 田中前首相逮捕の前後、このような党内の不祥事に反発して自民党を離党した河野洋平、西岡武夫らが「保守政治の刷新」を掲げて「新自由クラブ」を結党した。また、自民党の内部では、田中派をはじめとする反三木派が三木首相の退陣を求める「三木おろし」が盛り上がりった。三木首相は党内の分裂をまとめられず、ロッキード事件の逆境の中で任期満了で12月に第34回衆議院選挙が実施された。その結果、定数511で与党の自由民主党は249議席しか獲得できず、過半数割れした。野党その他の獲得議席は、日本社会党123、公明党55、民社党29、日本共産党17、新自由クラブ17、無所属21だった。保守系の無所属を取り込んで、自民党政権はかろうじて過半数の勢力を維持した。

 自民党敗北の責任をとり、三木首相が辞任し、後任には田中派と対立していた福田派と田中派と協力関係にある大平派が協力し、先に福田赳夫(ふくだ たけお)が首相をやり、2年後に大平正芳(おおひら まさよし)が首相をやるという「大福密約」で協力することになり、田中角栄とライバル関係にあった福田赳夫が首相に就任した。

 経済は、1月に伊藤忠商事が経営難に陥った安宅産業を合併前提に業務提携した。大和運輸が「宅急便」事業を開始した。10月に日本ビクターが「VHS」ビデオテープレコーダを発売し、ソニーの「ベータマックス」とのビデオテープ規格戦争が勃発し、当初はベータが大きなシェアを占めていたが、後にVHSが逆転し、DVDが普及していく20世紀末までビデオテープの標準を地位を築くことになる。

 交通については、鉄道は、2月に名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線の東大手~堀川が廃止され、東大手~栄町の地下路線の建設が本格化した。3月に仙台市電の循環線、長町線、八幡町仙、原の町線が廃止され、全廃された。4月に京都市電の今出川線(白梅町~銀閣寺)、白川線(銀閣寺道~天王町)、丸太町線(天王町~円町)が廃止された。相模鉄道いずみ野線の二俣川~いずみ野が開業した。国鉄岡多線の北野桝塚~新豊田が延伸開業した。5月に東京都営地下鉄・三田線の高島平~西高島平が開業した。札幌市営地下鉄・東西線の琴似~白石が開業した。9月に横浜市営地下鉄1号線・3号線(現・ブルーライン)の上大岡~上永谷、伊勢佐木長者町~横浜が延伸開業した。10月に東急電鉄・田園都市線の すずかけ台~つきみ野が延伸開業した。

 航空は、フランスとイギリスが共同開発した超音速旅客機である「コンコルド」がエールフランスとブリティッシュエアウェイズから定期路線に就航した。

 文化については、音楽は、フジテレビ系の子ども向け番組「ひらけ!ポンキッキ」の番組中に流れていた子門真人「およげ!たいやきくん」が子どもから大人まで世代を超えて愛され、史上最高の400万枚を超える売上枚数を記録した。そのほか、ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」、都はるみ「北の宿から」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、二葉百合子「岸壁の母」、中村雅俊「俺たちの旅」、あおい輝彦「あなただけを」、山口百恵「横須賀ストーリー」、荒井由実「あの日にかえりたい」、イルカ「なごり雪」、斎藤こず恵「山口さんちのツトム君」、キャンディーズ「春一番」、桜田淳子「夏にご用心」、グレープ「無縁坂」などがヒットした。また、ピンクレディーが「ペッパー警部」でデビューした。

 映画は、洋画が「ジョーズ」、「グレートハンティング」、「ミッドウェイ」などがヒットした。邦画は横溝正史の推理小説を映画化した「犬神家の一族」や、創価学会の池田大作会長の小説「人間革命」の映画化第2弾の「続・人間革命」がヒットした。

 スポーツは、オーストリアで開催されたインスブルック・冬季オリンピックは、日本は残念ながらメダルを獲得できなかった。また、夏にカナダで開催されたモントリオール・オリンピックは、日本は柔道、レスリング、体操などで金メダルを獲得した。野球は、読売ジャイアンツと阪急ブレーブスがペナントレースを制し、日本シリーズでは、阪急ブレーブスが2年連続の日本一となった。巨人の王貞治がベーブルースを追い抜く通算715本塁打を記録した。福岡を本拠地とする「太平洋倶楽部ライオンズ」が「クラウンライター・ライオンズ」に球団名を変更した。大相撲は北の湖と輪島が強さを競い合った。

 世界の動きは、中華人民共和国(中国)では、1月に周恩来(ツォウ エンライ)国務院総理(首相)が死去した。周氏は中華人民共和国を建国した毛沢東(毛泽东/マオ ヅォートン)主席の信頼が厚く、1949年の中華人民共和国建国後、27年間にわたり国務院総理を務め、中国の共産主義革命を指導してきた。周恩来は、中国に大混乱を招いた「文化大革命」と距離を置いていたことから失脚せずに切り抜け、中国国民の尊敬を得ていたが、それが文化大革命を主導した毛派「四人組」の嫉妬を買い、周氏の死去後、4月に北京の天安門での追悼集会で文革「四人組」への批判活動も兼ねた2万人近く集まる大集会となり、これに四人組が巻き返して「反革命行為」とされ、弾圧される「四五天安門事件」となった。鄧小平(邓小平/テン シャオピン)副総理が「反革命」の首謀者とされ、全職務を剥奪されて失脚した。

 そんな中、中国河北省唐山市でマグニチュード7.5の直下型大地震が発生し、地震災害の犠牲者としては過去最悪の25万人以上が犠牲となった。この地震発生の際、権力闘争に明け暮れていた中国は外国からの援助を拒否し、情報もほとんど明らかにされなかったため、これが被害の深刻化を招き、実際には60万~80万人が死去したと言われている。9月には、中国共産主義革命の指導者である毛沢東・中国共産党主席が死去。これにより、再び中国の政治バランスが動き、10月に文化大革命を指導した「四人組」の江青、張春橋(张春桥)、姚文元、王洪文が逮捕された。周恩来の後任だった華国鋒(华国锋/ホア クオフォン)首相が中国共産党主席に就任し、それを支持した鄧小平が復活することになる。

 一方、前年の1975年に蒋介石(蔣中正/チャン ツォンツェン)総統(大統領)が死去した台湾(中華民国)では、厳家淦(嚴家淦/イエン チアカン)副総統が総統に昇格したが、実質的な権利は蒋介石の息子である蒋経国(蔣經國/チャン チンクオ)行政院長(首相)が握っていた。カナダ・モントリオール五輪の際、主催国のカナダが台湾に「中華民国」の国旗と国号の使用を禁止し、「台湾」名義での出場を要求したことに中華民国政府が反発し、オリンピック出場をボイコットした。10月に謝東閔・台湾省主席が王幸男(民主化後、国会議員となる)から送られた郵便の中に入っていた爆弾で手を負傷する爆弾暗殺未遂事件が発生した。

 大韓民国(韓国)では、3月に民主派の政治家・金大中(김대중/キム デジュン)らが尹潽善(윤보선/ユン ボソン)元大統領とともにソウルの明洞聖堂の3・1記念ミサで朴正煕(박정희/パクチョンヒ)独裁政権を批判する「民主救国宣言」を発表し、韓国政府は「憲法秩序を破壊する非合法活動」と非難し、立件、起訴し、関わった被告らは実刑判決が宣告され、民主化運動が弾圧が続いた。

 ベトナム戦争が続いていたベトナムでは、1975年に南ベトナム(ベトナム共和国)の首都サイゴン(Sài Gòn/現・ホーチミン市)が陥落し、南ベトナムのズオン・バン・ミン(Dương Văn Minh/楊文明)大統領が降伏すると、ベトナム戦争が終結し、ベトナム共和国が崩壊し、北ベトナム(ベトナム民主共和国)はベトナム共和国政権崩壊後の北ベトナム傀儡政権である「南ベトナム共和国」を通して南北ベトナム統一へと動き、4月に統一選挙を実施し、7月に南北ベトナムを統一した「ベトナム社会主義共和国」の建国を宣言した。一方、南ベトナムからは社会主義政権樹立の混乱から、多くの南ベトナム人が難民となり、ボートピープルとして国外に脱出し、日本にも多くのベトナム人が亡命した。

 カンボジアでは、中国からの支援を受けたカンボジア民族統一戦線が政権を握って崩壊した「クメール共和国」が1月に新憲法を公布して国名を「民主カンプチア」に改名し、4月にカンプチア共産党(クメール・ルージュ)がポル・ポト(ប៉ុល ពត)を首相に選出した。王族のシハヌークは実質的な権限は与えられず、王宮に幽閉された状態だった。ポル・ポト政権は資本主義を完全否定する急進的な破壊を進め、通貨廃止、私有財産没収、伝統的仏教も弾圧され、内戦で農村が荒れて食糧危機となり、栄養失調の国民が続出したが、ポル・ポト政権は政府への反対者を反革命的として粛清、虐殺し、国を大混乱に陥れた。

 このほか世界は、3月にアルゼンチンでクーデターが発生し、イサベル・ペロン大統領が失脚した。6月に南アフリカ共和国南東部のソウェトで白人系住民が話すアフリカーンス語を学校教育で強制することに反発したアフリカ系住民が蜂起する「ソウェト蜂起」暴動事件が発生した。12月に米国大統領選挙で民主党のジミー・カーター(Jimmy Carter)が共和党の現職ジェラルド・R・フォード(Gerald R. Ford)大統領を破って米国大統領に当選した。
(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1977年(昭和52年) 王貞治が世界のホームラン王に、白黒テレビ放送終了、ダッカ日航機ハイジャック事件、中国で文革終結宣言

1977年
昭和52年

時の旅・1977年(昭和52年) 王貞治が世界のホームラン王に、白黒テレビ放送終了、ダッカ日航機ハイジャック事件、中国で文革終結宣言

当時の日本の首相 福田赳夫(自由民主党)

 1977年(昭和52年)は、福田赳夫(ふくだ たけお)内閣総理大臣(首相)をトップとする自由民主党(自民党)政権は、参議院で与野党伯仲となっていたが、7月の第11回参議院議員選挙で改選議席126のうち、自由民主党が半数の63議席を獲得。選挙後の参議院の議席は、定数249のうち、与党の自由民主党124、野党が日本社会党56、公明党25、日本共産党16、民社党11、新自由クラブ3、社会市民連合1、無所属13となった。自民党は無所属議員を引き込むことでなんとか過半数の勢力を維持した。

 共産党以外の野党協力を求めた社会党の江田三郎は、社会党内の労農派マルクス主義の「社会主義協会」に強く反対されて離党し、3月に菅直人らと社会市民連合を結成。参議院選挙前に江田三郎が急死したが、息子の江田五月が当選を果たした。また、社会党を離党した田英夫らによって新会派の「社会クラブ」が結成された。

 9月には、フランス・パリ発エジプト、パキスタン、インド、タイ、英領香港経由東京行きの日本航空機がインドのムンバイ(ボンベイ)を離陸後に、武装した日本赤軍を名乗る5名にハイジャックされ、バングラデシュの首都ダッカに非常着陸する「ダッカ日航機ハイジャック事件」が発生した。犯人らは。日本で服役または勾留されている仲間9名の釈放と、人質の身代金600万ドル(当時のレートで約16億円)を要求した。これに対し、福田首相は「一人の生命は地球より重い」と述べ、身代金を準備し、超法規的に釈放にも応じた。バングラデシュ軍による軍事クーデターなどのハプニングもあったが、交渉により乗客の人質は全員釈放され、身代わりとなった日本代表を乗せて犯人の亡命先のアルジェリアへ飛び、経由地で段階的に釈放され、アルジェリアで全員釈放となった。結果的に人質は無事救出されたが、テロリストの要求に応じた判断には賛否両論あり、1カ月後に起こった西ドイツ赤軍によるルフトハンザ航空ハイジャック事件では、特殊部隊がテロリストらを制圧した。

 経済では、日本の大手商社の一つであった安宅産業が1975年にカナダの製油所プロジェクトがオイルショックにより失敗し、それにより経営が悪化し、破綻。1977年10月に伊藤忠商事に吸収合併された。

 交通については、鉄道は、3月に神戸市営地下鉄西神線の新長田~名谷が開業。名古屋市営地下鉄鶴舞線の伏見~八事が開業した。石川県の尾小屋鉄道の新小松~尾小屋が廃止された。4月に大阪市営地下鉄谷町線の都島~守口が延伸開業。東急電鉄新玉川線の渋谷~二子玉川園が開業した。8月に大阪府都市開発泉北高速鉄道線の栂・美木多~光明池が延伸開業した。10月に京都市電の河原町線(七条河原町~洛北高校前)、七条線(西大路七条~七条河原町)、烏丸線(七条烏丸~京都駅前)の区間がそれぞれ廃止された。12月に国鉄気仙沼線の柳津~本吉が延伸開業した。リニアモーターカーが宮崎実験線で世界初の浮上走行に成功した。

 文化については、音楽は、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「カルメン'77」「S・O・S」などが大ヒット曲を連発したほか、森田公一とトップギャラン「青春時代」、沢田研二「勝手にしやがれ」、小林旭「昔の名前で出ています」、さだまさし「雨やどり」、清水健太郎「失恋レストラン」、都はるみ「北の宿から」、小柳ルミ子「星の砂」、狩人「あずさ2号」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、松崎しげる「愛のメモリー」、山口百恵「赤い衝撃」「イミテーション・ゴールド」「夢先案内人」、研ナオコ「あばよ」などがヒットした。

 映画は、「八甲田山」、「人間の証明」、「八つ墓村」などの邦画や米国の「キングコング」などがヒット。海外では米国で「スター・ウォーズ」が大ヒットした。日本のテレビでは、フジテレビ系でザ・ドリフターズによる「ドリフ大爆笑」がスタートした。9月末でNHK教育の白黒テレビ放送が終了し、カラーテレビに完全移行した。

 スポーツは、プロ野球はセリーグでは読売ジャイアンツ、パリーグでは阪急ブレーブスが優勝し、日本シリーズでは阪急ブレーブスが3年連続3回目の日本一となった。巨人の王貞治は9月にハンク・アーロンの記録を抜く通算756号本塁打を打ち、世界のホームラン王となり、第1回目の国民栄誉賞も受賞した。ロッテの投手・村田兆治が1000奪三振の記録を達成した。大相撲は輪島と北の湖が優勝を競い合った。

 世界の動きは、中華人民共和国(中国)で7月に北京で中国共産党第10期三中全会が開催され、「文化大革命」を主導して社会を混乱させた王洪文(ワン ホンウェン)、張春橋(张春桥/チャン チュンチャオ)、江青(チャン チン)、姚文元(ヤオ ウェンユエン)の4人組の党籍を除名し、党職をすべて剥奪した。そして、失脚していた鄧小平(邓小平/テン シャオピン)が復活し、中共中央委員会副主席、国務院副総理、中央軍事委員会副主席などの職務に復帰し、8月の中国共産党第11回全国代表大会で中共中央委員会主席に選出された華国鋒(华国锋/ホア クオフォン)総理(首相)が「文化大革命」の勝利と終結を宣言した。

 ソビエト連邦(ソ連)では、1936年のスターリン時代に制定された憲法を置き換える1977年憲法が10月にレオニード・ブレジネフ(Леонид Брежнев)政権下のソビエト連邦最高会議で制定された。

 台湾(中華民国)では、11月に実施された県市長(知事)選挙の桃園県長選の開票の際に当時の独裁政党・中国国民党が有利となるよう不正が行われたとして騒動になり、中壢警察分局が焼き討ちに遭った「中壢事件」が発生。桃園県の票数を改めて数え直した結果、逆転して無所属の許信良が当選した。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では、北朝鮮当局の指示で北朝鮮からの工作員が日本に侵入し、北朝鮮における日本語工作活動等のために日本人を拉致していた。11月に新潟で横田めぐみさんが北朝鮮工作員に拉致され、北朝鮮へ連れて行かれたが、当時はそのような拉致事件が知られていなかった。

 このほか世界は、1月にアメリカ合衆国(米国)のジミー・カーター(Jimmy Carter )大統領が就任した。2月にスペインとソ連が国交回復した。6月に北東アフリカのフランス領アファル・イッサがジブチとして独立した。9月に米国NASAの無人宇宙探査衛星の「ボイジャー1号」が打ち上げられた。日本航空がマレーシア・クアラルンプール郊外で墜落事故。その翌日にバングラデシュ・ダッカで日本赤軍による日航機ハイジャック事件が発生した。ベトナムが国連に加盟した。11月に西ドイツ赤軍を背景とするルフトハンザ航空ハイジャック事件が発生した。エジプトのアンワル・サダト( محمد أنور السادات )大統領が敵対していたイスラエルを訪問し、和平交渉を開始した。12月に中央アフリカ共和国のジャンベデル・ボカサ(Jean-Bédel Bokassa)大統領が中央アフリカ帝国に国名変更し、皇帝ボカサ1世として即位した。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1978年(昭和53年) 成田空港開港、沖縄車線変更、京都市電廃止、スペイン民主化新憲法制定、ソ連軍が大韓航空機攻撃

1978年
昭和53年

時の旅・1978年(昭和53年) 成田空港開港、沖縄車線変更、京都市電廃止、スペイン民主化新憲法制定、ソ連軍が大韓航空機攻撃

当時の日本の首相 福田赳夫(自由民主党) → 大平正芳(自由民主党)

 1978年(昭和53年)は、福田赳夫(ふくだ たけお)内閣総理大臣(首相)の下、成 田国際空港の開港や「日中平和友好条約」の調印など、内政および外交で大きな成果を上げたものの、自由民主党(自民党)の党内基盤が弱かった福田首相は、自民党総裁選で田中派が推す大平正芳(おおひら まさよし)氏に敗れ、大平内閣が発足した。

 日本社会党からの離党者により前年に結成されていた社会市民連合と社会クラブが3月に合流し、田英夫氏を党首とする社会民主連合(社民連)が結成され、反共の立場で社会党、公明党、民社党と連携して政権交代を目指す社公民路線を掲げた。一方、日本社会党の飛鳥田一雄・委員長(党首)はこの時点では日本共産党も共闘の対象としており、飛鳥田委員長は5月に北朝鮮も訪問した。

 福田首相は8月に中華人民共和国(中国)と「日中平和友好条約」を調印し、相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉と経済・文化関係の発展が強調され、ソ連と対立を強めていた中国との関係を改善した。中国から鄧小平(邓小平/テン シャオピン)副首相が来日し、日中平和条約の批准書を交換した。

 一方、内政では自民党の福田派と田中派の派閥争いが続き、福田政権の長期化を嫌う田中派が11月の自民党総裁選で大平正芳氏を支持し、票固めを進めた結果、一般党員の投票が同回から始まり、脱派閥政治が図られたにもかかわらず、福田首相の意に反して大平氏が総裁選で勝利し、福田首相が辞任し、12月に大平正芳首相が就任した。

 交通については、激しい反対運動が展開されながら建設が進められていた千葉県成田市の成田新空港が完成間近となったところで、過激派が成田空港管制塔に乱入し、機器を破壊した。この影響で、成田空港の開港が2カ月延期されたが、5月20日に新東京国際空港として開港を迎え、東京羽田空港から国際線が成田空港に移転した。

 昭和47年(1972年)にアメリカ合衆国(米国)から日本に返還された沖縄県では、米国式の右側通行が続いていたが、昭和53年(1978年)7月末に一斉に日本式の左側通行に変更された。このため、あらかじめ新しい標識や信号がカバーで覆われた形で準備され、7月30日未明に一斉に作業が進められ、左側通行に切り替えられた。

 東京・東池袋の巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)跡に再開発された60階建ての超高層ビル「サンシャイン60」が4月に完成した。

 鉄道は、3月に札幌市営地下鉄南北線の北24条~麻生が延伸。営団地下鉄千代田線の代々木公園~代々木上原が延伸開業し、小田急電鉄と直通運転を開始した。京成電鉄京成本線の京成成田~成田空港(旧)が開業した。8月に営団地下鉄半蔵門線の渋谷~青山一丁目が開業した。名古屋鉄道瀬戸線の東大手~栄町が開業した。9月に北恵那鉄道の中津町~下付知が廃止された。10月に名古屋市営地下鉄鶴舞線の八事~赤池が延伸開業した。京都市電の河原町線(京都駅前~七条河原町)、七条線(七条河原町~東山七条)、東山線(東福寺~高野)、北大路線(高野~千本北大路)、西大路線(千本北大路~西大路九条)、九条線(西大路九条~東福寺)が廃止された。国鉄武蔵野線の新松戸~西船橋が延伸開業した。京王帝都電鉄京王新線の笹塚~新線新宿が開業した。11月に貨物営業のみ続けていた東濃鉄道笠原線の多治見~笠原が廃止された。12月に能勢電鉄日生線の山下~日生中央が開業した。東京都営地下鉄新宿線の岩本町~東大島が開業した。

 文化については、音楽は、ピンク・レディーの「UFO」「サウスポー」「モンスター」が大ヒット。堀内孝雄「君のひとみは10000ボルト」、キャンディーズ「微笑がえし」、平尾昌晃・畑中葉子「カナダからの手紙」、サーカス「Mr.サマータイム」、矢沢永吉「時間よ止まれ」、中島みゆき「わかれうた」、アリス「冬の稲妻」、世良公則&ツイスト「銃爪」「あんたのバラード」、山口百恵「プレイバックPart2」、庄野真代「飛んでイスタンブール」、渡辺真知子「かもめが翔んだ日」、紙ふうせん「冬が来る前に」、沢田研二「LOVE(抱きしめたい)」などがヒットした。サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューした。キャンディーズが解散した。

 映画は、「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」「007 私を愛したスパイ」などの洋画や、「野性の証明」「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」などの邦画やアニメ映画がヒットした。

 スポーツは、セリーグはヤクルトスワローズ、パリーグは阪急ブレーブスが優勝し、日本シリーズではヤクルトスワローズが勝利し、初優勝を成し遂げた。巨人の王貞治がプロ野球史上初の8 00号本塁打を達成した。大洋ホエールズの新本拠地球場である横浜スタジアムが完成した。大相撲は北の湖が5場所連続優勝し、強さを見せつけた。

 世界の動きは、4月にフランス・パリから米国アラスカ・アンカレッジを経由韓国ソウル行きの大韓民国(韓国)の大韓航空機がアイスランドから北極圏を抜けるはずが、トラブルにより間違った方向に飛行し、航路を逸脱した結果、ソビエト連邦(ソ連)の領空に侵入した。その結果、ソ連軍機に追尾され、威嚇射撃の後、軍機から発射された空対空ミサイルが翼の先端に当たり、破片が客室も破壊し、乗客2名が死亡した。機体は一部が破壊されたが飛行できる状態だったため、ソ連ムルマンスク郊外の凍結した湖に強制着陸させられた。この事件は冷戦下の相互不信と恐怖を増幅させた。

 中華人民共和国は、3月に第5期全国人民代表大会第1回会議が開かれ、中国共産党(中共)中央委員会主席である華国鋒(华国锋/ホア クオフォン)国務院総理(首相)の主導の下、憲法が改正され、「工業、農業、国防、科学技術」の近代化を進める「四つの近代化」を明記した。華首相は、ソ連と対立し、米国と接近する外交政策を進め、その流れの中で8月に日本と「日中平和友好条約」に調印した。中国は米国に接近し、ついに12月に米国との国交樹立(1979年1月から)の発表に至った。一方で、中共内部の権力闘争が激しくなり、12月に開催された中共第11期中央委員会第3回会議で、文化大革命(文革)が否定され、毛沢東路線の堅持により地位を確立していた華首相は「反毛沢東」や「反文革」で失脚した幹部の名誉回復を迫られ、鄧小平批判の誤りなど、自己批判を強いられた。一方で、鄧小平・副首相が権力を掌握し、改革開放路線へとかじを切った。

 台湾(中華民国)は、1975年の蒋介石(蔣中正/チャン ツォンツェン)総統(大統領)の死後、中国国民党の独裁政権下で副総統だった厳家淦(嚴家淦/イエン チアカン)が総統を引き継いでいたが、2月に国民大会が開催され、蒋介石の息子である蒋経国(蔣經國/チャン チンクオ)行政院長(首相)が総統候補に指名され、3月に正式に選出、5月に就任し、蒋親子2代にわたる独裁政権となった。蒋経国総統は中共政権とは交流しない「反共」の国策を改めて表明した。10月に台湾を南北に縦断する中山高速道路の全線開通や、12月に台湾北部の第一原発が稼働するなど、蒋経国が行政院長時代に取り組んだ国内のインフラ建設は着実に整備された一方で、外交面では中華人民共和国による圧迫で孤立化が進み、12月に米国のジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領が中華人民共和国との国交樹立と中華民国との断交を表明し、米華相互防衛条約が12月末で終了した。

 そのほか世界は、4月にアフガニスタンで人民民主党による軍事クーデターが発生し、ムハンマド・ダーウード( سردار محمد داود خان )大統領が処刑され、社会主義政権が樹立され、ヌール・ムハンマド・タラキー( نور محمد ترکی )革命評議会議長が大統領兼首相に就任し、アフガニスタン民主共和国に国名が変更された。9月に米国でカーター大統領とイスラエル首相、エジプト大統領が会談し、和平合意に達した。11月にドミニカ国がイギリスから独立した。10月にスペインで地方分権や多民族の共生、連邦主義などを柱とする民主化の憲法が国民投票で可決され、12月に施行された。12月に民主カンプチア(カンボジア)からベトナムに亡命していた反ポル・ポト派などにより「カンプチア救国民族統一戦線」が結成され、ベトナム軍の支援を受けて、ベトナム軍がポル・ポト(ប៉ុល ពត)政権下の「民主カンプチア」へ攻撃を開始した。韓国で実施された第10代総選挙では、朴正煕(박정희/パク チョンヒ)大統領の与党・民主共和党が議席数では第一党となったが得票数では野党の新民党に敗北し、韓国国民の朴政権への不満が示された。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1979年(昭和54年) 自民党過半数割れで党内抗争、米中国交樹立、イラン革命、韓国朴正煕大統領が暗殺、中越戦争、ソ連がアフガン侵攻

1979年
昭和54年

時の旅・1979年(昭和54年) 自民党過半数割れで党内抗争、米中国交樹立、イラン革命、韓国朴正煕大統領が暗殺、中越戦争、ソ連がアフガン侵攻

当時の日本の首相 大平正芳(自由民主党)

 1979年(昭和54年)は、大平正芳(おおひら まさよし)内閣総理大臣(首相)の下、消費税の導入を示唆して第35回衆議院選挙に突入した結果、定数511の内、自由民主党248、日本社会党107、公明党57、日本共産党39、民社党35、新自由クラブ4、社会民主連合2、無所属19で、与党の自由民主党(自民党)が過半数割れした。

 自民党では、大平首相の責任を問う声が福田派、三木派、中曽根派といった反主流派から上がり、「四十日抗争」と呼ばれる党内抗争が勃発した。主流派(大平派、田中派等)は大平首相の続投を、反主流派は福田赳夫(ふくだ たけお)元首相を擁立しようとした。自民党は真っ二つに割れ、自民党の両院議員総会の開催を阻止するためにバリケードが築かれる騒ぎとなった。結局、自民党は首相指名で大平正芳と福田赳夫に票が分かれ、僅差で大平氏が勝ち、首相続投が決まった。大平首相は新自由クラブと連立を組んで政権を安定させようとしたが、反主流派が連立に反対したため、大平首相は新自由クラブからの閣僚起用を断念した。大平首相は外交的には冷戦下の環境の中で、ソビエト連邦(ソ連)と対立する中華人民共和国(中国)との関係を強化し、日中文化交流協定を調印した。

 交通については、鉄道は、1月に建設中の上越新幹線の大清水トンネルが貫通した。2月に西日本鉄道(西鉄)福岡市内線の循環線と貝塚線が廃止された。3月に北総開発鉄道の北初富~小室が開業した。7月に名古屋鉄道(名鉄)豊田線の赤池~梅坪が開業した。9月に営団地下鉄・半蔵門線の青山一丁目~永田町が延伸開業した。12月に営団地下鉄・千代田線(北綾瀬支線)の綾瀬~北綾瀬が開業した。

 文化については、音楽は、渥美二郎「夢追い酒」、ジュディ・オング「魅せられて」、小林幸子「おもいで酒」、さだまさし「関白宣言」、千昌夫「北国の春」、ゴダイゴ「ガンダーラ」「銀河鉄道999 (THE GALAXY EXPRESS 999)」「MONKEY MAGIC」、西城秀樹「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」、アリス「チャンピオン」、牧村三枝子「みちづれ」、ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」、サザンオールスターズ「いとしのエリー」、山口百恵「いい日旅立ち」、桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」、円広志「夢想花」、ツイスト「燃えろいい女」、チューリップ「虹とスニーカーの頃」などがヒットした。映画は、「スーパーマン」、「ジョーズ2」、「エイリアン」などの洋画と、「銀河鉄道999」、「あゝ野麦峠」、「男はつらいよ」シリーズなどの邦画がヒットした。チャゲ&飛鳥が「ひとり咲き」でデビューした。

 スポーツは、江川卓のプロ野球入りをめぐって巨人がドラフト対象外の盲点を突いてドラフト会議前日に入団契約するという「空白の一日」が問題となり、ドラフトで指名権を得た阪神タイガースに一旦入団し、すぐ巨人にトレードするという電撃的な展開となり、巨人の強引なやり方に批判が上がった。埼玉県所沢市に西武ライオンズの本拠地となる西武球場が完成した。ペナントレースは、セリーグが広島東洋カープ、パリーグが近鉄バッファローズがそれぞれ優勝し、日本シリーズでは広島が初の日本一となった。大相撲は、北の湖が3場所で優勝し、強さを見せつけた。

 世界の動きは、1月にアメリカ合衆国(米国)が中華人民共和国(中国)と国交を樹立。同時に中華人民共和国側の要求で中華民国(台湾)と断交したが、米国は「台湾関係法」を制定し、台湾との関係維持に努め、台湾への武器売却を含む防衛に協力の余地を残した。しかし、すでに国連からも排除された中華民国(台湾)は最大の後ろ盾だった米国とも国交断絶し、蒋経国(蔣經國/チャン チンクオ)総統の中国国民党独裁体制が続く台湾は、ますます国際的孤立の危機に瀕することとなった。米中国交樹立により、中国の実質的な最高指導者である鄧小平(邓小平/テン シャオピン)副総理が米国を訪問し、ジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領と会談した。

 台湾では、黄信介(ンー シンカイ)が創刊した党外(国民党以外の無所属)活動家を応援する政治雑誌である雑誌『美麗島』が評判を呼び、12月の世界人権デーに高雄市でデモ活動を行ったところ、治安部隊に包囲され、党外活動家が逮捕される「美麗島事件」が発生した。美麗島事件では、黄信介、施明徳、呂秀蓮、陳菊、姚嘉文、林義雄らが逮捕され、この当時の党外活動家および彼らを弁護した陳水扁、謝長廷、蘇貞昌、張俊雄らからなる弁護士グループが後に台湾政治を大きく変える政治家として活躍することになる。

 イランでは、イラン革命が起こり、皇帝制が倒れた。イランは、1941年に即位したモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー( محمدرضا شاه پهلوی )皇帝により、1960年代から米国の支援を受けながら農地改革や工業化、女性権利向上、イスラム色を抑えた世俗主義を取り入れるなどの近代化が進められたが、貧富の差が深刻化し、シーア派の宗教学者でイラン革命の指導者となるルーホッラー・ホメイニー( روح‌الله خمینی )師は国王を批判し、1964年に逮捕され、国外追放されていた。パフラヴィー皇帝による開発独裁とオイルショック後の貧富の差拡大は、イスラム主義者や共産主義者らによる反体制運動のうねりとなり、デモやストライキが頻発し、1979年1月に戒厳令が敷かれたが収拾できず、皇帝はエジプトに脱出し、国外逃亡した。ホメイニー師がイランに帰国し、イスラム革命評議会を設立し、皇帝派を制圧し、イスラム共和制のイラン・イスラム共和国が樹立された。パフラヴィ―元皇帝は海外を転々とした後、癌の治療名目で米国に亡命しようとし、10月にカーター大統領も人道的見地から入国を認めたが、これが革命を成功させたイラン国民らの反米感情に火をつけ、駐イラン米国大使館がイラン人学生らにより占領され、パフラヴィ―元皇帝の引き渡しを要求する「イラン米国大使館人質事件」が発生した。

 韓国では、第二次オイルショックによる特に釜山(プサン)における経済悪化と、釜山を基盤とする野党・新民党の金泳三(김영삼/キム ヨンサム)総裁が与党により議員除名案を可決され、野党が国会をボイコットし、釜山大学などの学生らが釜山市内でデモを行い、警察と衝突し、鎮圧されると、近隣の馬山(マサン)でも大規模な学生デモが発生した。このデモの処理をめぐり、強硬に鎮圧を求める朴正煕(박정희/パク チョンヒ)大統領が、対応が生ぬるいと金載圭(김재규/キム ジェギュ)中央情報部長を叱責し、これがきっかけとなり、10月に大統領晩餐会の席で金載圭が朴大統領を銃撃して殺害した。

 朴大統領暗殺事件により、崔圭夏(최규하/チェ ギュハ)国務総理が大統領代行となり、12月に統一主体国民会議代議員会で第10代大統領に選出された。崔大統領は文民出身であることから、政治犯や民主運動家の金大中(김대중/キム デジュン)の自宅軟禁を解除するなど、民主化ムードがもたらされ、「ソウルの春」(서울의 봄)と呼ばれた。一方で、軍の実権をめぐって韓国軍内部の権力争いが起こり、軍内部で反乱が起こり、全斗煥(전두환/チョン ドゥファン)保安司令官が軍の実権を握る「粛軍クーデター」が発生した。

 1975年にカンボジアで政権を握り「民主カンプチア」に国名変更したカンプチア共産党(クメール・ルージュ)のポル・ポト(ប៉ុល ពត)首相は、毛沢東主義の急進的な共産主義化を進めた結果、国内が大混乱し、大虐殺が発生していた。隣国のベトナムに逃れたカンボジア人らによるカンプチア救国民族統一戦線がベトナムの支援を受けて、1978年12月に民主カンプチアに進攻し、カンプチア革命軍を撃退し、79年1月にベトナム軍がプノンペンを占領して、ポル・ポト政権は崩壊し、ベトナムの影響下で親ベトナムのヘン・サムリン(ហេង សំរិន)を国家元首とする「カンプチア人民共和国」が樹立された。これに対して、カンボジアのポル・ポト政権を支援していた中華人民共和国がベトナムに懲罰を与えるとして2月に中越戦争が勃発。中国人民解放軍がベトナム北部に侵攻したが、実戦経験が豊富なベトナム軍は強く、激しい戦闘を経て、中国軍は1カ月で撤退した。

 アフガニスタンでは、1978年に共産主義のアフガニスタン人民民主党が政権を握ったが、武装勢力の抵抗に遭い内戦状態となり、抵抗勢力が優勢となっていた。アフガニスタン当局はソビエト連邦(ソ連)に介入を求め、ソ連軍が12月にアフガニスタンに侵攻した。アフガニスタンのハフィーズッラー・アミーン( حفيظ الله امين )大統領・革命評議会議長に収拾能力がないと見たソ連はアミーン大統領をソ連KGB特殊部隊が殺害。バブラク・カールマル( ببرک کارمل )を大統領・革命評議会議長に据えた。その後、ソ連は約10年間アフガニスタンに軍事介入を続けることになる。

 このほか、3月にエジプトとイスラエルがエジプト・イスラエル平和条約に調印した。米国のスリーマイル島原子力発電所で冷却機能喪失による燃料棒溶解で炉心溶融(メルトダウン)となり爆発まで危機一髪の、重大な放射能漏れの事故が発生した。5月にイギリスで保守党のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)首相が就任した。7月に太平洋のキリバス共和国がイギリスから独立した。イラクでサダム・フセイン( صدام حسين )大統領が就任した。9月に中央アフリカ帝国で、反帝政の学生デモが鎮圧され、フランスも帝政打倒を支援し、フランス軍による無血クーデターでボカサ(Bokassa)皇帝が亡命し、帝政が廃止され、中央アフリカ共和国に国名も戻された。10月にパナマ運河の米国海外領土がパナマ共和国に施政権が返還された。11月にサウジアラビアでメッカのアル・ハラム・モスクが反王政イスラム主義者らの武装集団に占領される事件が発生した。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1980年~1989年 国鉄民営化と青函トンネルと瀬戸大橋開通、中国北京で天安門事件、米ソ冷戦終結でベルリンの壁崩壊

1980年~1989年
昭和55年~平成元年

時の旅・1980年~1989年 国鉄民営化と青函トンネルと瀬戸大橋開通、中国北京で天安門事件、米ソ冷戦終結でベルリンの壁崩壊

当時の日本の首相 大平正芳(自由民主党) → 鈴木善幸(自由民主党) → 中曽根康弘(自由民主党) → 竹下登(自由民主党) → 宇野宗佑(自由民主党) → 海部俊樹(自由民主党)

 1980年代は、昭和50年代後半から昭和60年代に入り、高度経済成長で発展し、経済的にゆとりのできた日本は娯楽も充実し、東京ディズニーランドが開園し、家庭用ゲーム機のファミリーコンピューター(ファミコン)が発売され、日本初のドーム球場である東京ドームもオープンした。東北・上越新幹線が開業し、青函トンネルと瀬戸大橋の開通で北海道と四国が本州と陸続きになった。昭和64年(1989年)1月に昭和天皇が崩御し、64年間の昭和時代が遂に終わり、平成時代がスタートした。

 国際的には、東西冷戦が依然続く中、北朝鮮による大韓航空機爆破とラングーンテロ事件が発生。一方、韓国大統領の初来日が実現し、日韓の和解が進み、ソウルオリンピックの開催で開かれた韓国がアピールされた。ソ連ではウクライナのチェルノブイリ原発事故の後、ペレストロイカと呼ばれる改革が始まり、民主化の機運が高まった。台湾では38年に及ぶ戒厳令が解除されたが、一方で中華人民共和国では民主化を求める学生運動を戦車で弾圧した天安門事件が発生した。

 日本の政治は、大平首相の急死により鈴木内閣が発足し、「和の政治」で党内派閥のバランスに配慮しながら、行政改革に着手するとともに、冷戦下の安全保障については「総合安全保障」を掲げ、軍事力のほかにも経済や外交を含めた総合的な安全保障を目指した(80年)。どんどん増え続ける国債から財政を立て直すため、「増税なき財政再建」を目指す行政改革に取り組み、国鉄や電電公社、専売公社など官業民営化の方向性が提言された(81年)。鈴木内閣で行政改革に取り組んでいた中曽根康弘氏が自民党総裁で圧勝し、11月に首相に就任し、中曽根内閣が発足した(82年)。ロッキード事件の裁判で、田中角栄・元首相が10月に有罪判決を受け、12月に実施された第37回衆議院議員総選挙で、自民党が敗北して過半数を割り、28年間続いていた自民党単独政権が終焉し、新自由クラブとの連立政権となった(83年)。専売公社や電電公社の民営化法案が成立した(84年)。

 日本電信電話公社(電電公社)が日本電信電話株式会社(NTT)、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社(JT)にそれぞれ民営化された。中曽根首相が靖国神社を公式参拝した。終戦40周年の節目ということで、靖国神社をきちんと参拝することを強調する形となったが、中国が靖国神社にいわゆる「戦犯」が祀られていることに強く反発したため、結果的に翌年以降の日本の首相による参拝が政治問題となって難しくなってしまった(85年)。第38回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、自民党単独政権に返り咲き、国鉄分割民営化関連8法が成立し、来年度からの国鉄民営化が確定した。社会党に初の女性党首が就任した(86年)。国鉄が6つ(JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州)に分割民営化され、貨物部門はJR貨物となった。前後して地方の赤字ローカル線の廃止や第3セクター鉄道への移管が相次いだ(87年)。竹下首相の下、消費税の導入を柱とする税制改革法案が野党が強く反対する中で成立した(88年)。昭和天皇の崩御で昭和時代が終わり、平成時代が始まった。「消費税」が税率3%で施行された(89年)。

 経済は、トヨタ、ホンダ、日産、ダイハツなどが相次いで自動車の新ブランドを発売し、日本の自動車生産台数が世界1位となった(80年)。神戸の人工島・ポートアイランドで「新しい“海の文化都市”の創造」をテーマとする博覧会「ポートピア'81」がに開催された(81年)。所得向上と物価上昇が進む日本経済において、500円紙幣が硬貨化されることになり、500円硬貨がこの年から発行が始まった(82年)。千葉県浦安市に米国ディズニーのテーマパークである「東京ディズニーランド」が開園した。任天堂が「ファミリーコンピューター」(ファミコン)を発売し、家庭用ゲームのブームに火をつけた(83年)。日経平均株価が初めて1万円の大台を突破した。東京芝浦電気が「東芝」に社名を改名し、世界的ブランド「TOSHIBA」が社名としても定着した。広島を拠点とする東洋工業も「MATZDA」のブランド名に合わせる形で「マツダ」に社名変更した。好景気が続く日本で、偽造防止などの需要から紙幣のデザインが刷新され、11月からは、福沢諭吉の1万円札、新渡戸稲造の5千円札、夏目漱石の1千円札の発行が始まった(84年)。

 G5プラザ合意をきっかけに円高ドル安へと誘導され、1ドル200円台だったのが1ドル100円台に高騰した。その結果、後に日本の海外投資や海外資産買収などが加速する。茨城県筑波郡谷田部町(現・茨城県つくば市)の御幸が丘で国際科学技術博覧会(つくば万博85)が開催された(85年)。男女雇用機会均等法が施行された(86年)。自民党の有力政治家にもリクルート・コスモス株が譲渡されていたことが発覚し、「リクルート疑惑」として大問題になった(88年)。好景気の流れに乗り、土地や株価は値上がりを続けた。12月29日の日経平均株価は3万8915円の最高記録を樹立した(89年)。

 重大事件や災害は、静岡駅前の地下街でメタンガスと都市ガスによる大規模なガス爆発事故が発生し、15人が死亡し、200人以上が負傷する大惨事となった(80年)。北海道の北炭夕張新鉱でガス火災事故が発生し、坑内火災が収まらず不明者を残したまま注水を決断し、最終的に93人が死亡する大惨事となった(81年)。福岡県の三井三池鉱業所有明鉱坑の火災による一酸化炭素中毒で83名が死亡する事故が発生した。江崎グリコの江崎勝久社長が誘拐される事件が発生、江崎社長は自力で逃げ出し無事保護されたが犯人は見つからず、社会を混乱させた「グリコ・森永事件」が発生した(84年)。東京羽田から大阪伊丹に向かっていた日本航空機が群馬県上野村の高天原山の御巣鷹の尾根に墜落した。ボーイング社のジャンボジェットで520名が死亡する大惨事となった。また、奇跡的に4名が生還した(85年)。東京都の伊豆大島・三原山で大規模な噴火が発生した(86年)。

 鉄道は、東京都営地下鉄新宿線の新宿~岩本町が開業し、京王帝都電鉄京王線と直通運転を始めた。品鶴貨物線(品川~鶴見)が旅客化され、横須賀線が品鶴線経由となり、東海道本線から分離した。西日本鉄道(西鉄)北方線の魚町~北方が廃止。大阪市営地下鉄・谷町線の天王寺~八尾南が延伸開業し、南海電鉄平野線の今池~平野が廃止された(80年)。神戸新交通ポートアイランド線の三宮~南公園~中公園が開業。大阪市営地下鉄南港ポートタウン線の住之江公園~中ふ頭が開業。京都市営地下鉄烏丸線の京都~北大路が開業。福岡市地下鉄1号線の天神~室見が開業。国鉄石勝線の千歳空港~追分、新夕張~新得が開業し、新しい札幌~帯広のメインルートとなった(81年)。東北新幹線の大宮~盛岡が開業し、上越新幹線の大宮~新潟が開業した。札幌市営地下鉄東西線の白石~新さっぽろが延伸開業。国鉄伯備線が電化された(82年)。筑肥線の博多~姪浜が廃止され、福岡市地下鉄空港線(博多~中洲川端~姪浜)との直通運転を開始した。営団地下鉄有楽町線の池袋~営団成増が延伸開業。西武鉄道有楽町線の新桜台~小竹向原が開業した(83年)。国鉄久慈線と宮古線、盛線が三陸鉄道に移管され、三陸鉄道の北リアス線(宮古~久慈)、南リアス線(釜石~盛)が開業。東急電鉄田園都市線のつきみ野~中央林間が延伸開業。国鉄神岡線(猪谷~神岡)が神岡鉄道に移管。国鉄樽見線(大垣~美濃神海)が樽見鉄道に移管。国鉄黒石線(川部~黒石)が弘南鉄道に移管された(84年)。

 北九州高速鉄道(モノレール)の小倉(現・平和通)~企救丘が開業。東北・上越新幹線の大宮~上野が延伸開業、鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線の水戸~北鹿島が開業、横浜市営地下鉄3号線(ブルーライン)の横浜~新横浜が延伸開業。国鉄北条線の粟生~北条町が北条鉄道に、国鉄三木線の厄神~三木が三木鉄道に移管。西武鉄道山口線の西武遊園地~西武球場前が開業。神戸市営地下鉄の西神・山手線の新神戸~大倉山と名谷~学園都市が延伸開業。国鉄大畑線の下北~大畑が下北交通に移管。国鉄埼京線の大宮~赤羽が開業。西日本鉄道の北九州市内線である枝光線、北九州本線、戸畑線がそれぞれ廃止。国鉄明知線の恵那~明知が明知鉄道に移管。東海道山陽新幹線に新型の100系がデビューした(85年)。国鉄京葉線・西船橋~千葉港が開業。国鉄甘木線・基山~甘木が甘木鉄道に移管。国鉄高森線・立野~高森が南阿蘇鉄道に移管。国鉄丸森線・槻木~丸森が阿武隈急行に移管。近鉄東大阪線・長田~生駒が開業し、大阪市営地下鉄中央線・長田~大阪港と相互直通運転を開始した。野岩鉄道・新藤原~会津高原が開業。国鉄阿仁合線・鷹ノ巣~比立内が秋田内陸縦貫鉄道に移管。国鉄越美南線・美濃太田~北濃が長良川鉄道に移管された(86年)。国鉄二俣線の掛川~新所原が天竜浜名湖鉄道に移管。国鉄伊勢線の河原田~津が伊勢鉄道に移管。神戸市営地下鉄西神線の学園都市~西神中央が延伸開業。国鉄が民営化されJRが発足した。大阪市営地下鉄御堂筋線の我孫子~中百舌鳥が延伸開業。京阪電鉄本線の七条~三条が地下化。JR西日本・信楽線の貴生川~信楽が信楽高原鉄道に移管。JR西日本・岩日線の川西~錦町が錦川鉄道に移管。営団地下鉄有楽町線の営団成増~和光市が延伸開業し、東武東上線との直通運転を開始した。JR西日本・若桜線の郡家~若桜が若桜鉄道に移管された(87年)。

 JR東海・岡多線の岡崎~新豊田が愛知環状鉄道に移管。同時に愛知環状鉄道の新豊田~高蔵寺が開業し、岡崎~新豊田~高蔵寺で運行開始。青函トンネルが開通し、JR北海道・海峡線(津軽海峡線)の木古内~中小国が開業。寝台特急「北斗星」運行開始。JR西日本・能登線の穴水~蛸島が、のと鉄道に移管。千葉都市モノレールのスポーツセンター~都賀~千城台が開業。JR四国の窪川~中村が、土佐くろしお鉄道に移管。JR九州・松浦線の有田~佐世保が松浦鉄道に移管。北神急行電鉄の新神戸~谷上が開業。瀬戸大橋が開通し、本四備讃線(瀬戸大橋線)の児島~宇多津が開業。JR東日本・真岡線が真岡鉄道に移管した。営団地下鉄・有楽町線の新富町~新木場が延伸開業。京都市営地下鉄の京都~竹田が延伸開業。JR東日本・長井線が山形鉄道に移管。JR東日本・京葉線の新木場~南船橋、市川塩浜~西船橋が延伸開業。札幌地下鉄・東豊線の栄町~豊水すすきのが開業した(88年)。JR東日本の足尾線が「わたらせ渓谷鉄道」に移管。JR九州高千穂線が高千穂鉄道に移管。JR北海道の天北線(音威子府~浜頓別~南稚内)と名寄本線(名寄~遠軽)が廃止。JR北海道池北線が「ちほく高原鉄道」に移管。横浜新都市交通金沢シーサイドライン(新杉田~金沢八景)が開業。名古屋市営地下鉄桜通線(中村区役所~今池)が開業。JR九州の井田線・糸田線・田川線が「平成筑豊鉄道」に移管。JR九州湯前線が「くま川鉄道」に移管。京阪電鉄鴨東線(三条~出町柳)が開業。東海道山陽新幹線100系「グランドひかり」、大阪~札幌の豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」が運行開始した(89年)。

 その他交通は、秋田空港が開港。宮崎自動車道が全線開通した(81年)。中国自動車道が全線開通した(83年)。四国に初めての高速道路である松山自動車道の三島川之江IC~土居ICが開通。6月に淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋が開通した(85年)。瀬戸大橋で本州と四国をつなぐ瀬戸中央自動車道が開通。北陸自動車道の朝日IC-名立谷浜ICが開通により全線開通した(88年)。神奈川県横浜市に「横浜ベイブリッジ」が開通した(89年)。

 スポーツは、ソ連モスクワでモスクワ・夏季オリンピックが開催されたが、前年のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や日本、韓国、西ドイツ、さらには中華人民共和国、イラン、パキスタンなどもボイコットした。広島東洋カープが、2年連続2回目の優勝を果たした(80年)。千代の富士が初優勝。横綱の輪島が引退した(81年)。第1回大阪国際女子マラソンが開催。岡本綾子がゴルフLPGAツアーで初優勝(82年)。青木功がハワイアンオープンで優勝し、日本人男性初の全米ツアー(PGA)優勝。阪急ブレーブスの福本豊が盗塁939で世界新記録更新を達成した(83年)。ユーゴスラビアでサラエボ冬季五輪が開催された。米国のロサンゼルスで開催されたロス夏季五輪では、共産主義の東側諸国がボイコットして不参加となり、東西冷戦の影響がスポーツ界でも続いた。東京・蔵前国技館が閉館した(84年)。

 両国国技館が竣工。北の湖が引退した。高校野球甲子園大会でPL学園(大阪)の桑田と清原が大活躍し、同校が優勝した。阪神タイガースが真弓、バース、岡田、掛布といったベストメンバーによって初の悲願の日本一となり、大阪は阪神フィーバーで沸いた(85年)。小錦が外国人力士で初の大関に昇進した。巨人の本拠地である後楽園球場が50年の歴史に幕を閉じた(87年)。カナダ・カルガリーで冬季オリンピック(カルガリー五輪)が開催。韓国ソウルで夏季オリンピック(ソウル五輪)が開催され、日本はレスリングで2個金メダルを獲得したほか、柔道男子95キロで斉藤仁、競泳男子100m背泳ぎで鈴木大地がそれぞれ金メダルを獲得した。ソウル五輪では、カナダのベン・ジョンソンが陸上男子100mで9秒79の世界新記録を出したが、後にドーピング問題で金メダルと記録を剥奪された。東京ドームが日本初のドーム球場としてオープン。大阪球場を本拠地とする南海ホークスが、ダイエーに買収された。西宮球場を本拠地とする阪急ブレーブスが、オリックスに買収された(88年)。ハワイ出身の小錦が初優勝した(89年)。

 音楽のヒット曲や名曲は、音楽は、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」、久保田早紀「異邦人」、クリスタルキング「大都会」、シャネルズ「ランナウェイ」、海援隊「贈る言葉」、ロス・インディオス&シルヴィア「別れても好きな人」、オフコース「さよなら」、谷村新司「昴」、松田聖子「青い珊瑚礁」、さだまさし「道化師のソネット」、山口百恵「さよならの向う側」(80年)、寺尾聰「ルビーの指環」、都はるみ「大阪しぐれ」、五輪真弓「恋人よ」、松任谷由美「守ってあげたい」、チャゲ&飛鳥「万里の河」、石川ひとみ「まちぶせ」(81年)、あみん「待つわ」、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」、松田聖子」「赤いスイートピー」、中森明菜「少女A」、山本譲二「みちのくひとり旅」、サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」(82年)、大川栄策「さざんかの宿」、細川たかし「矢切の渡し」、わらべ「めだかの兄弟」、杏里「CAT'S EYE」、松田聖子「SWEET MEMORIES」、中森明菜「セカンド・ラブ」、ラッツ&スター「め組のひと」、原田知世「時をかける少女」、葛城ユキ「ボヘミアン」、アルフィー「メリーアン」(83年)、チェッカーズ「涙のリクエスト」「星屑のステージ」「ギザギザハートの子守唄」、中森明菜「十戒(1984)」「北ウイング」、アルフィー「星空のディスタンス」「恋人達のペイヴメント」、芦屋雁之助「娘よ」、五木ひろし「長良川艶歌」、石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」、高橋真梨子「桃色吐息」、小柳ルミ子「お久しぶりね」(84年)。

 チェッカーズ「ジュリアに傷心」「あの娘とスキャンダル」、中森明菜「ミ・アモーレ」「飾りじゃないのよ涙は」、小林明子「恋におちて-Fall in love-」、C-C-B「Romanticが止まらない」、安全地帯「恋の予感」「碧い瞳のエリス」、松田聖子「天使のウィンク」、菊池桃子「卒業-GRADUATION-」、小泉今日子「The Stardust Memory」、サザンオールスターズ「Bye Bye My Love」「メロディ(Melody)」、アルフィー「シンデレラは眠れない」「霧のソフィア」、斉藤由貴「卒業」、おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」、岩崎良美「タッチ」、アン・ルイス「六本木心中」(85年)。石井明美「CHA-CHA-CHA」、中森明菜「DESIRE-情熱-」、少年隊「仮面舞踏会」、KUWATA BAND「BAN BAN BAN」、渡辺美里「My Revolution」、小林明子「恋におちて-Fall in Love-」、チェッカーズ「Song for U.S.A.」、荻野目陽子「ダンシング・ヒーロー」、国生さゆりwithおニャン子クラブ「バレンタイン・キッス」、TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」、1986 OMEGA TRIBE「君は1000%」、小林旭「熱き心に」、小泉今日子「なんてったってアイドル」、チャゲ&飛鳥「モーニングムーン」、THE ALFEE「SWEAT&TEARS」(86年)、瀬川瑛子「命くれない」、中森明菜「難破船」、吉幾三「雪國」、光GENJI「STAR LIGHT」、松田聖子「Strawberry Time」、五木ひろし「追憶」、少年隊「君だけに」、小泉今日子「木枯しに抱かれて」、チェッカーズ「I Love you, SAYONARA」、中山美穂「WAKU WAKUさせて」、 BOOWY「MARIONETTE (マリオネット)」、TUBE「SUMMER DREAM」、TM NETWORK「Get Wild」、本田美奈子「Oneway Generation」、森川由加里「SHOW ME」、THE ALFEE「サファイアの瞳」、近藤真彦「愚か者」、荻野目陽子「六本木純情派」、テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」(87年)。

 光GENJI「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「剣の舞」、長渕剛「乾杯」、工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」「抱いてくれたらいいのに」、、中山美穂「人魚姫」「You're My Only Shinin' Star」、南野陽子「吐息でネット」「はいからさんが通る」、サザンオールスターズ「みんなのうた」、中森明菜「TATTO」「AL-MAUJ (アルマージ)」、浅香唯「C-Girl」、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」、瀬川瑛子「命くれない」、少年隊「ふたり」、小林幸子「雪椿」(88年)。プリンセス・プリンセス「Diamonds(ダイアモンド)」「世界でいちばん熱い夏」、長渕剛「とんぼ」、光GENJI「太陽がいっぱい」、Wink「愛が止まらない~Turn It Into Love~」「淋しい熱帯魚~Heart On Wave~」、工藤静香「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」、男闘呼組「TIME ZONE」、松任谷由実「ANNIVERSARY~無限にCALLING YOU」、爆風スランプ「リゾ・ラバ-Resort Lovers-」、竹内まりや「シングル・アゲイン」、田原俊彦「ごめんよ涙」、吉幾三「酒よ」、THE BLUE HEARTS「TRAIN TRAIN」、サザンオールスターズ「さよならベイビー」、美空ひばり「川の流れのように」、少年隊「まいったネ今夜」、森高千里「17才」、米米CLUB「FUNK FUJIYAMA」、和田アキ子「だってしょうがないじゃない」、B'z「BAD COMMUNICATION」、斉藤由貴「夢の中へ」、小泉今日子「学園天国」(89年)。

 ヒット映画は、「エレファントマン」、「007ユア・アイズ・オンリー」、「スーパーマンII」(81年)。「ロッキー3」、「少林寺」(82年)。「E.T.」、「南極物語」、「スター・ウォーズ」、「探偵物語 時をかける少女」(83年)。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」、「里見八犬伝」(84年)。「ゴーストバスターズ」、「グレムリン」、「ビルマの竪琴」、「ランボー/怒りの脱出」、「ネバーエンディングストーリー」(85年)。「子猫物語」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ロッキー4」、「グーニーズ」、「コブラ」(86年)、「トップガン」、「ハチ公物語」(87年)。「敦煌」、「ラストエンペラー」、「ランボー3/怒りのアフガン」「いこかもどろか」(88年)。「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」、「レインマン」、「魔女の宅急便」(89年)。

 世界の動きは、大韓民国(韓国)は、全斗煥(전두환/チョン ドゥファン)陸軍少将が「粛軍クーデター」で軍の実権を握り、戒厳令を布告。野党指導者の金泳三(김영삼/キム ヨンサム)や金大中(김대중/キム デジュン)を逮捕した。全羅南道の光州(광주/クァンジュ)の大学を封鎖した陸軍空挺部隊と学生らが衝突。さらに鎮圧と学生らを支援する光州市民らの対立がエスカレートし、市民がバリケードを築き鉄パイプや火炎瓶で応戦する中、軍は一斉射撃を開始し、市民は武器庫から武器を奪って武装。市民に占拠された全羅南道庁を軍は鎮圧。この「光州事件」後、首謀者とされた金大中に死刑判決が下されるが、金大中を支援する海外メディア論調と国際世論などの影響により、後に減刑され、死刑は執行されなかった(80年)。米国ニューヨークからアラスカ・アンカレッジを経由して韓国ソウルに向かっていた大韓航空機が飛行ルートがずれてソビエト連邦の領空内に入ってしまい、ソ連軍機が大韓航空の旅客機を迎撃し、乗客乗員全員が死亡する事件が発生した。1988年に韓国ソウルで開催が決まっていたソウルオリンピックを妨害するため、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の工作員により、ビルマ・ラングーン(ヤンゴン)を訪問中の韓国訪問団を狙った爆破事件(ラングーン事件)が発生した。遅れて会場に到着した全斗煥大統領は難を逃れたものの、韓国の閣僚4名が死亡し、ビルマの閣僚や政府関係者も死亡する大惨事となった。北朝鮮は韓国側の自作自演と主張したが、北朝鮮の工作員による犯行が明らかとなり、朝鮮半島の緊張が極度に高まった(83年)。

 全斗煥(전두환/チョン・ドゥファン)大統領の後継者となっていた盧泰愚(노태우/ノ テウ)氏が6月に「6・29民主化宣言」を発表して大統領選挙を実施が決まった。アラブ首長国連邦アブダビから韓国ソウルへ向かう大韓航空に爆弾を仕掛けて爆発させて乗客・乗員115名が全員死亡したテロ事件である「大韓航空機爆破事件」が発生し、実行犯が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員の金賢姫(キム・ヒョンヒ)らが逮捕された。韓国大統領選挙が16年ぶりに実施され、民主正義党の盧泰愚氏が当選した(87年)。軍人上がりの盧泰愚(ノ テウ)大統領が就任した。盧大統領は軍人退役後に体育相・ソウル五輪組織委員長としてソウル五輪の実務をとりしり、盧氏は1987年6月に「6・29民主化宣言」を発表して大統領選挙を実施し、民主派が分裂したこともあり当選した。盧大統領は、ソウル五輪を成功へと導き、韓国の急速な発展を世界にアピールすることに成功した。韓国第13代総選挙で、与党の民主正義党が過半数を割り込んで敗北し、金大中をリーダーとする野党・平和民主党が野党第二党となった(88年)。

 台湾(中華民国)は、嘉義市と新竹市が嘉義県及び新竹県から分離して省轄市に昇格した(82年)。戒厳令が続くなか、立法委員(国会議員)増補選挙が行われたが、依然、蒋経国(蔣經國/チャン チンクオ)総統をトップとする中国国民党の選挙における力は強く、国民党が勝利し、独裁体制は揺るがなかった(83年)。「Chinese Taipei(中華台北)」名義でオリンピックに復帰することになり、サラエボ五輪、ロス五輪に参加した(84年)。戒厳令下にありながら、初めての野党である民主進歩党(民進党)が結成された。12月に戒厳令下で実施された立法委員(国会議員)追加選挙では、民進党は無党籍(党外)候補を支援し、改選議席100議席のうち、独裁政権与党の中国国民党が79議席、無党籍が12議席当選し、台湾の民主化への流れが加速するきっかけとなった(86年)。蒋経国総統が1949年以来38年間続いていた戒厳令の解除を宣言した。台湾在住の中国大陸出身者の里帰りが許可された(87年)。新聞の「報禁」が正式に完全解除され、報道の自由と新聞発行の自由が認められた。1月13日に蒋経国総統が死去し、李登輝(リー ティンフイ)副総統が総統を引き継いだ。4月に野党・民主進歩党は四一七決議文を発表し、台湾の主権独立と、北京を首都とする中華人民共和国に台湾が属さないことを主張した(88年)。雑誌『自由時代』を出版する鄭南榕が「台湾共和国憲法草案」を掲載したことにより、当時の中国国民党政権下で反乱罪とされ、「100%の言論の自由」を求める鄭南榕はそれに反抗するために出頭を拒否して自社の事務所に立てこもった。警察が強行突入しようとしたところ、鄭南榕はガソリンをかぶって火をつけて抗議の焼身自殺をはかった。嘉義市に1947年に発生した「二二八事件」の記念碑が立てられた。10月に台湾初のプロ野球リーグ「中華プロ野球連盟」が設立された。12月に中華民国立法委員(国会議員)増員選挙(130議席)が実施され、与党・中国国民党が94議席、野党・民主進歩党が21議席獲得し、鄭南榕の夫人である葉菊蘭も台北市から当選した(89年)。

 中華人民共和国(中国)は、中国共産党の最高指導者だった毛沢東(毛泽东/マオ ヅォートン)の妻である江青(チャン チン)に死刑判決(後に減刑)。6月の中共第11期6中全会で「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」が採択され、毛沢東が進めた「文化大革命」を完全否定した(81年)。第5回全国人民代表大会で文化大革命の時代を払拭した時代に即した新しい「中華人民共和国憲法」が可決され、「義勇軍行進曲」が正式に中華人民共和国の国歌に制定された(82年)。李先念(リー シエンニエン)が国家主席に選出され、趙紫陽(赵紫阳/ツァオ ツーヤン)が国務院総理に再選されたが、実質的な最高指導者は中共中央軍事委員会主席の鄧小平(邓小平/テン シャオピン)が握る状態が続いた(83年)。南京大虐殺記念館を開設し、中曽根首相の靖国参拝に反発した(85年)。第7期全国人民代表大会第1回会議が開かれ、趙紫陽(赵紫阳/ツァオ・ツーヤン)国務院総理(首相)の辞任が認められ、鄧小平(邓小平/テン・シャオピン)中央軍事委員会主席、陽尚昆(杨尚昆/ヤン サンクン)国家主席、李鵬(李鹏/リー ポン)首相などの人事が決まった。銭其琛外相がソ連を訪問し、中ソ関係の改善を進めた(88年)。

 英領香港では、香港の地下鉄や公共住宅を建設し、最低限の社会基盤は確保しながらも自由経済を重視する「積極的不介入」の統治を行ったクロフォード・マレー・マクレホース(Crawford Murray MacLehose/麥理浩)香港総督が5月に退任し、サー・エドワード・ユード(Sir Edward Youde/尤德)が香港総督に就任した。香港地下鉄荃湾線が開業した。初の香港市区区議会選挙が実施された(82年)。イギリスのマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)首相が中国の趙紫陽(ツァオ・ツーヤン)国務院総理と香港(ホンコン)返還合意文書に調印し、1997年に香港が中国に“返還”されることが決まった(84年)。中国の天安門事件に抗議する大規模な集会が開かれた(89年)。

 政治改革を進めて中国の民主化にも理解を示していたことから党内で批判を受け失脚した胡耀邦(フウ ヤオパン)が4月に死去すると、胡耀邦を追悼する学生デモの規模が徐々に拡大し、デモの参加者が北京の天安門広場に集まるようになり、中国共産党政権への批判が盛り上がっていた。これに対して中国共産党政権は戒厳令を敷き、6月4日に中国人民解放軍が市民に向かって発砲し、装甲車で市民を轢き殺した「天安門事件」が発生。民主化デモは残虐な武力で鎮圧された。天安門事件の処理をめぐって学生運動に一定の理解を示して武力弾圧に反対していた趙紫陽(赵紫阳/ツァオ ツーヤン)総書記は6月23日に解任され、中国の事実上の最高指導者であった鄧小平(邓小平/テン シャオピン)は、天安門事件の武力弾圧に理解を示し上海の学生デモをうまく処理したと評価された江沢民(江泽民/チャン ツォーミン)上海市党委書記を中国共産党総書記に抜擢した。また、天安門事件の民主化運動の指導者だった王丹(ワン タン)、柴玲(ツァイ リン)、ウルケシュ( ئۆركەش دۆلەت /吾尔开希)らは海外に亡命を余儀なくされた。東欧のような民主化ドミノは中国では成功せず、中国はその後も中国共産党一党独裁体制が維持され、戒厳状態の中、中華人民共和国建国40周年の記念式典が行われた(89年)。

 ソビエト連邦(ソ連)は、ロシアのモスクワでモスクワ・夏季オリンピックが開催されたが、前年のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や日本、韓国、西ドイツ、さらには中華人民共和国、イラン、パキスタンなどもボイコットした(80年)。レオニード・ブレジネフ(Леонид Брежнев)ソ連共産党中央委員会書記長が心臓発作を起こし、健康状態が悪化。書記長の座は維持していたが、再び心臓発作となり死去した。これにより1964年より続いたブレジネフ時代が幕を下ろし、元KGB議長のユーリ・アンドロポフ(Юрий Андропов)がソ連共産党中央委員会書記長に就任した。アンドロポフ書記長は就任後、経済再建のための労働規律強化に着手し、ウォッカを値上げして酒離れを進めて労働生産性向上を図ろうとした(82年)。ユーリ・アンドロポフソ連共産党書記長が死去した(84年)。

 コンスタンティン・チェルネンコ(Константин Черненко)ソ連共産党書記長が死去し、後任にミハイル・ゴルバチョフ(Михаил Горбачёв)がソ連共産党書記長に就任した。ゴルバチョフ書記長は中距離核兵器の欧州向けの配備の凍結を発表し経済発展を加速させる方針を発表した、一方でソ連カザフスタンで核実験を行った。米国のレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がスイス・ジュネーブで初会談した(85年)。ミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長が三段階核兵器全廃を提案した。ゴルバチョフ書記長が「ペレストロイカ」(改革)を提唱。ソ連ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が発生、ソ連のウクライナおよびベラルーシで甚大な放射能汚染の被害が出た。アイスランドで米ソ首脳会談が行われ、ゴルバチョフ書記長と米レーガン大統領が会談したが、軍縮交渉は合意できなかった(86年)。ソ連共産党中央委員会総会で複数政党制などの政治改革を決定した。ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長がチェコスロバキアを訪問し、プラハで「欧州共通の家」構想を発表した。企業に自主運営と競争原理を導入する国家企業法が決定した。ゴルバチョフ書記長が訪米し、アメリカ合衆国(米国)のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)大統領と中距離核戦力全廃条約に調印した(87年)。

 「ペレストロイカ」と呼ばれる体制改革がスタートした。「グラスノチ」(гласность)と呼ばれる情報公開を進め、それまでの閉鎖秘密主義からの脱却をはかり、政府への信頼を再構築しようとした。アフガニスタンから軍撤退開始。ソ連共産党協議会が開催され、人民代議員大会と最高会議議長の創設が承認された。バルト海のソ連リトアニアのヴィリニュスのゲディミナス城でリトアニア国旗が掲げられた。ラトビアで人民戦線が結成された。11月にソ連エストニアで主権宣言が発表され、独立への意志が示された(88年)。バルト海のエストニア、ラトビア、リトアニアで200万人が参加して手をつなぎ、600キロに及ぶ人間の鎖「バルトの道」を作り、ソ連併合50周年に抗議した。一連の東欧諸国の民主化と共産党政権崩壊の流れを受けて、12月にソ連のゴルバチョフ最高会議議長とアメリカのジョージH.W.ブッシュ(George Herbert Walker Bush)大統領がマルタ共和国のマルタ島で「マルタ会談」を行い、「冷戦」の終結を宣言した(89年)。

 アメリカ合衆国(米国)は、米国大統領選挙で現職の民主党のジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領が共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)に敗れた(80年)。共和党のロナルド・レーガン大統領が就任。減税と市場原理を重視する経済政策(レーガノミクス)を推進した。就任まもない3月に、ワシントンDCで銃撃されたが、運よく一命をとりとめた(81年)。米国大統領選挙で共和党のロナルド・レーガン大統領が再選された(84年)。米国ニューヨークでのG5プラザ合意により、ドル安円高へ誘導される。米国のレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がスイス・ジュネーブで初会談した(85年)。米国大統領選挙が実施され、野党・共和党のジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(George Herbert Walker Bush)候補が与党・民主党のマイケル・デュカキス(Michael Dukakis)候補を破って当選した(88年)。

 ヨーロッパは、ポーランドのグダニスク・レーニン造船所で労働者によるストライキが発生し、独立自主管理労働組合「連帯」(Solidarność)が設立され、ポーランドの民主化運動のきっかけとなった(80年)。フランス大統領選挙でフランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)氏が当選した。英国でチャールズ(Charles)皇太子とダイアナ(Diana)妃が結婚した。フランスのパリ~リヨンに高速鉄道TGVが運行開始した。(81年)。バチカン市国のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(Ioannes Paulus PP. II)が英国を訪問し、カトリック教会とイングランド国教会が450年ぶりに和解した。社会民主主義路線を強めていた西ドイツのヘルムート・シュミット(Helmut Schmidt)首相が自由主義経済と財政再建の主張と対立して議会で不信任となり、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)が13年ぶりに政権に復帰し、ヘルムート・コール(Helmut Kohl)首相が就任した(82年)。ユーゴスラビアでサラエボ五輪が開催された。欧州共同体(EC)加盟10ヶ国で欧州議会議員選挙が実施された(84年)。スペインとポルトガルがECに加盟した。フランス議会選挙で与党の社会党が惨敗し、大統領は社会党のミッテラン大統領、首相は共和国連合のシラク首相という保革共存のコアビタシオンとなった。スイスが国民投票で国連加盟を否決した(86年)。西ドイツ連邦議会選挙で与党のキリスト教民主・社会同盟と自由民主党が勝利した。イギリスの総選挙でサッチャー首相の与党・保守党が野党・労働党に大きく差をつけて大勝した(87年)。

 チェコスロバキアのブラチスラバで共産党政権に反対する大規模な民主化デモが発生した(88年)。ポーランドで自由選挙が実施され、反共の「連帯」が勝利し、民主化への流れが進んだ。ハンガリーで「汎ヨーロッパ・ピクニック」と呼ばれた民主化活動で集団で「鉄のカーテン」を突破してオーストリアに亡命するパフォーマンスを行った。東ドイツがベルリンの壁の通行を自由化し、翌日にベルリンの壁が崩壊した。チェコスロバキアで「ビロード革命」が発生し、ヴァーツラフ・ハヴェル(Václav Havel)氏らを中心に市民による共産党政権に対するデモやゼネストの抗議運動が広まり、平和的に共産党政権が崩壊し、チェコスロバキア共産党と「市民フォーラム」と「暴力に反対する公衆」が国家体制の円滑な転換を協議し、複数政党制が導入されるようになった。ルーマニアで東欧の民主化の流れを恐れたルーマニア共産党のニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceaușescu)大統領は民主化運動に対してソ連軍の介入を求めたがソ連に断られ、その後ルーマニア軍がチャウシェスク政権に反旗を翻した「ルーマニア革命」でチャウシェスク政権が崩壊し、チャウシェスク大統領とエレナ夫人が公開処刑された(89年)。

 そのほか世界は、イランでは、1979年にシーア派によるイラン革命により親米政権が倒され、イラン革命の指導者であるルーホッラー・ホメイニー( روح‌الله خمینی )が最高指導者となり、イスラム共和制を敷き、一方イラクではサダム・フセイン( صدام حسين )が反対派を粛清して独裁体制を築き、9月にイラクがイランに攻め込む形でイラン・イラク戦争が始まった。ジンバブエがイギリスから独立した。バヌアツがイギリスとフランスの共同統治領から独立した(80年)。マレーシアにマハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad)首相が就任し、日本を見習おうと呼びかける「ルック・イースト政策」を進めた。中米の英領ホンジュラスからベリーズが独立した。エジプトでアンワル・サダト( أنور السادات )大統領が暗殺され、ホスニー・ムバラク( حسني مبارك )副大統領が大統領を引き継いだ。カリブ海のアンティグア・バーブーダが英国から独立した(81年)。

 南米大陸東沖のイギリス(英国)が実効支配するフォークランド諸島にアルゼンチン海軍が寄港してアルゼンチン国民を上陸させるなどし、これに対して英国のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)首相がアルゼンチン人の退去を命令し、4月に入るとアルゼンチンが派兵して島を制圧した。これに対し、英国は機動部隊と空母を派遣し、英国軍とアルゼンチン軍の戦闘となり、アルゼンチンが降伏した。メキシコのエルチチョン山が大噴火し、火砕流で数千人が犠牲になった(82年)。マルコス政権下のフィリピンでベニグノ・アキノ上院議員が帰国した際に暗殺された。南アフリカ共和国で人種別三院制議会導入を問う国民投票が実施され、可決により印僑やカラードにも参政権が拡大されたが、依然として黒人には投票権が付与されない状態が続いた(83年)。アフリカのオートボルタがブルキナファソに改名した。フィリピンでフェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)大統領に対する大規模な抗議デモが発生した。10月にインドのパンジャブ州のシク教分離主義運動に軍を動員して攻撃したインディラ・ガンディー(इंदिरा प्रियदर्शिनी गाँधी)首相が暗殺された。インド中部のマディヤ・プラデーシュ州のボーパールの殺虫剤化学工場で爆発事故が発生し約2万人が死亡する大惨事となった(84年)。

 人種差別が公然と続いていた南アフリカ共和国で異民族間の結婚を禁止する法律を廃止した。メキシコでM8.1の大地震が発生し、メキシコシティの付近で甚大な被害が出た。コロンビアのネバドデルルイス火山が噴火し、2万人超が死亡した(85年)。フィリピンでマルコス大統領が国外亡命し、アキノ大統領が就任した(86年)。世界の人口が50億人を突破した。アフリカのエチオピアで、エチオピア労働者党独裁のエチオピア人民共和国が樹立された(87年)。イラン・イラク戦争でイラクのサダム・フセイン政権がクルド人が多く住むハラブジャで化学兵器を使用して一般市民を殺害したハラブジャ事件を起こした。イラン・イラク戦争が停戦となった。ビルマで8888民主化運動が発生し、アウンサンスーチーが民主化運動の象徴的存在となったが、軍事クーデターが起こって、民主化運動は武力鎮圧された。パキスタンでベーナズィール・ブットー首相が就任し、イスラム国家で初の女性首相となった(88年)。ビルマの軍事政権が、対外的な国名呼称をビルマ「Burma」からミャンマー「Myanmar」に改名したが、軍事政権を批判する側はこの改名を認めない動きがみられた。インドに亡命中のチベット亡命政府の指導者ダライ・ラマ14世(བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་)にノーベル平和賞が贈られた(89年)。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1980年(昭和55年) 大平首相急死で自民党大勝、モスクワ五輪をボイコット、韓国で光州事件、イランイラク戦争開戦

1980年
昭和55年

時の旅・1980年(昭和55年) 大平首相急死で自民党大勝、モスクワ五輪をボイコット、韓国で光州事件、イランイラク戦争開戦

当時の日本の首相 大平正芳(自由民主党)→ 鈴木善幸(自由民主党)

 1980年(昭和55年)は、大平正芳(おおひら まさよし)内閣総理大臣(首相)の下、1979年のソビエト連邦(ソ連)のアフガニスタン侵攻で冷戦の緊張が高まる中、日本政府はアメリカ合衆国(米国)との「同盟国」関係を強調し、この年にソ連・モスクワで開催されたモスクワ・オリンピックを西側諸国と足並みを揃えてボイコットすることを決定した。

 当時、与党の自由民主党(自民党)は、田中(角栄)派の流れをくむ大平首相派と、それに反対する福田(赳夫)派、三木(武夫)派、中曽根(康弘)派などが対立しており、大平内閣は実質的には少数与党となっていた。そこに最大野党の社会党が5月に内閣不信任案を提出したところ、反大平派が欠席したため不信任案が可決した。これにより大平首相は衆議院を解散し、6月に衆参同時選挙が行われることになった。ところが、大平首相は選挙運動に突入した直後に街頭演説で気分が悪くなり入院。選挙期間中に与党内から大平首相は辞任すべきだという「大平おろし」が起こった。その最中、投票日の10日前に大平首相の容態が急変し、死去した。

 大平首相の急死により、伊東正義・官房長官が総理臨時代理となり、選挙は「弔い選挙」となり自民党が団結し、自民党の同情票も入り、衆参両院で自民党が大勝した。獲得議席は第36回衆議院選挙(定数511)が自由民主党284、日本社会党107、公明党33、民社党32、日本共産党29、新自由クラブ12、社会民主連合3、無所属11だった。第12回参議院選挙(定数250)は、自由民主党135、日本社会党47、公明党26、日本共産党12、民社党11、新自由クラブ3、社会民主連合2、無所属14だった。

 選挙後、自民党は大平首相を追い込んだ反大平派が名乗り上げにくい空気となり、大平首相と田中派を結んだ鈴木善幸(すずき ぜんこう)総務会長が自民党総裁となり、首相に就任した。鈴木首相は最後の明治生まれの首相だった。鈴木首相は、「和の政治」を掲げて派閥のバランスをとりながら組閣した。行政改革に積極的に取り組むとともに、冷戦下の安全保障については「総合安全保障」を掲げ、軍事力のほかにも経済や外交を含めた総合的な安全保障を目指した。

 経済は、トヨタ、ホンダ、日産、ダイハツなどが相次いで自動車の新ブランドを発売し、日本の自動車生産台数が世界1位となった。社会は、静岡駅前の地下街でメタンガスと都市ガスによる大規模なガス爆発事故が発生し、15人が死亡し、200人以上が負傷する大惨事となった。

 交通については、鉄道は3月に東京都営地下鉄新宿線の新宿~岩本町が開業し、京王電鉄京王線と直通運転を始めた。4月に富山地方鉄道・射水線の新富山~新港東口が廃止された。6月に名古屋鉄道(名鉄)知多新線の野間~内海が延伸開業した。9月に北陸鉄道・能美線の鶴来~新寺井が廃止された。10月に品鶴貨物線(品川~鶴見)が旅客化され、横須賀線が品鶴線経由となり、東海道本線から分離した。11月に西日本鉄道(西鉄)北方線の魚町~北方が廃止された。大阪市営地下鉄・谷町線の天王寺~八尾南が延伸開業し、南海電鉄平野線の今池~平野が廃止された。12月、南海電鉄の阪堺線と上町線が阪堺電気軌道となった。

 文化については、音楽は、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」、久保田早紀「異邦人」、クリスタルキング「大都会」、シャネルズ「ランナウェイ」、長渕剛「順子」、海援隊「贈る言葉」、五木ひろし「おまえとふたり」、ロス・インディオス&シルヴィア「別れても好きな人」、オフコース「さよなら」、谷村新司「昴」、松田聖子「青い珊瑚礁」、さだまさし「道化師のソネット」、田原俊彦「ハッとして!Good」、八代亜紀「雨の慕情」、小林幸子「おもいで酒」、高田みづえ「私はピアノ」、松山千春「恋」、沢田研二「TOKIO」、山口百恵「さよならの向う側」、都はるみ「大阪しぐれ」などがヒットした。1月にイギリスの元ビートルズ(The Beatles)のポール・マッカートニー(Paul McCartney)が14年ぶりに来日したが、成田空港でマリファナ所持で逮捕され、強制送還された。3月に山口百恵が婚約を機に引退を発表した。12月に元ビートルズのジョン・レノン(John Lennon)が米国ニューヨークの自宅前でファンに銃撃されて死亡した。

 スポーツは、ソ連モスクワでモスクワ・夏季オリンピックが開催されたが、前年のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や日本、韓国、西ドイツ、さらには中華人民共和国、イラン、パキスタンなどもボイコットした。その結果、各国のメダル獲得数の上位国はソ連80、東ドイツ47、ブルガリア8、キューバ8、イタリア8、ハンガリー7、ルーマニア6、フランス6、イギリス5、ポーランド3と、東側諸国のメダル獲得が特に目立った。

 野球はセリーグでは広島東洋カープが、パリーグではプレーオフの末、近鉄バッファローズが優勝。日本シリーズでは4勝3敗で広島が逆転優勝し、2年連続2回目の優勝を果たした。大相撲は北の湖が3場所で優勝し、年間最多勝を獲得した。

 世界の動きは、大韓民国(韓国)で1979年に朴正煕(박정희/パク・チョンヒ)大統領が暗殺されてから、「ソウルの春」(서울의 봄)と呼ばれる民主化のムードが高まっていたが、1979年12月に全斗煥(전두환/チョン・ドゥファン)陸軍少将が「粛軍クーデター」で軍の実権を握り、5月に戒厳令を布告。野党指導者の金泳三(김영삼/キム・ヨンサム)や金大中(김대중/キム・デジュン)を逮捕した。同月、全羅南道の光州(광주/クァンジュ)の大学を封鎖した陸軍空挺部隊と学生らが衝突。さらに鎮圧と学生らを支援する光州市民らの対立がエスカレートし、市民がバリケードを築き鉄パイプや火炎瓶で応戦する中、軍は一斉射撃を開始し、市民は武器庫から武器を奪って武装。市民に占拠された全羅南道庁を軍は鎮圧。事件後、首謀者とされた金大中に死刑判決が下されるが、金大中を支援する海外メディア論調と国際世論などの影響により、後に減刑され、死刑は執行されなかった。日本の鈴木首相も、11月に韓国駐日大使と会談した際に懸念を伝えた。光州事件は、後に韓国民主化の重要なターニングポイントとなるが、実際の民主化にはまだ1980年代後半まで待たなければならなかった。

 イランでは、1979年にシーア派によるイラン革命により親米政権が倒され、イラン革命の指導者であるルーホッラー・ホメイニー( روح‌الله خمینی )が最高指導者となり、イスラム共和制を敷き、一方イラクではサダム・フセイン( صدام حسين )が反対派を粛清して独裁体制を築き、9月にイラクがイランに攻め込む形でイラン・イラク戦争が始まった。イランはイラクの石油施設や首都バグダッドを攻撃して反撃を開始。イラン革命に否定的だった米穀や欧州、ソ連はイラクを支援。イラクの隣の産油国であるクウェートもイラクを支援した。一方、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、西側が支持するイラクと断交し、イランに接近した。

 このほか、1月にエジプトとイスラエルが国交を樹立した。4月にジンバブエがイギリスから独立した。7月にバヌアツがイギリスとフランスの共同統治領から独立した。独立後バヌアツはメラネシア社会主義を掲げてソ連に傾斜した。8月にポーランドのグダニスク・レーニン造船所で労働者によるストライキが発生し、独立自主管理労働組合「連帯」(Solidarność)が設立され、ポーランドの民主化運動のきっかけとなった。11月に米国大統領選挙で現職の民主党のジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領が共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)に敗れた。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1981年(昭和56年) 神戸と大阪で新交通システム、京都と福岡で地下鉄開業、レーガン米大統領就任、中国が文化大革命を否定

1981年
昭和56年

時の旅・1981年(昭和56年) 神戸と大阪で新交通システム、京都と福岡で地下鉄開業、レーガン米大統領就任、中国が文化大革命を否定

当時の日本の首相 鈴木善幸(自由民主党)

 1981年(昭和56年)は、鈴木善幸(すずき ぜんこう)内閣総理大臣(首相)の下、どんどん増え続ける国債から財政を立て直すため、「増税なき財政再建」を目指す行政改革に取り組み、第二次臨時行政調査会を発足させた。この中で、国鉄や電電公社、専売公社など官業民営化の方向性が提言された。

 アメリカ合衆国(米国)では、政権交代により1月に共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)大統領が就任。減税と市場原理を重視する経済政策(レーガノミクス)を推進した。就任まもない3月に、ワシントンDCで銃撃されたが、運よく一命をとりとめた。

 鈴木首相は5月にレーガン大統領と会談し、その共同声明の中にあった「同盟関係」という文言について、軍事同盟かと野党に批判され、鈴木首相は米国の対ソ連軍事戦略に巻き込まれず、集団的自衛権行使には進まないことなど軍事的意味について否定した。6月の日米安保事務レベル協議で米側から日本のシーレーン防衛能力強化など要求されたが、園田外相が財政状況が厳しいことから困難と要求を拒否し、米国からの信用を落とす形となった。

 社会は神戸の人工島・ポートアイランドで「新しい“海の文化都市”の創造」をテーマとする博覧会「ポートピア'81」が3月~9月に開催された。10月には北海道の北炭夕張新鉱でガス火災事故が発生し、坑内火災が収まらず不明者を残したまま注水を決断し、最終的に93人が死亡する大惨事となった。

 交通については、鉄道は2月に神戸新交通ポートアイランド線の三宮~南公園~中公園が開業。3月に大阪市営地下鉄南港ポートタウン線の住之江公園~中ふ頭が開業し、日本初のゴムタイヤ式の新交通システムが2つ開業し、都市交通の新時代の幕開けとなった。また、3月には、長野電鉄長野線の善光寺下~長野が地下化された。5月は、京都市営地下鉄烏丸線の京都~北大路が開業した。7月に福岡市地下鉄1号線の天神~室見が開業した。10月には国鉄石勝線の千歳空港~追分、新夕張~新得が開業し、新しい札幌~帯広のメインルートとなった。12月には大阪市営地下鉄千日前線の新深江~南巽が延伸開業。能勢電鉄の川西能勢口~川西国鉄前が廃止された。このほか、航空は6月に秋田空港が開港した。10月に宮崎自動車道が全線開通した。

 文化については、音楽は、寺尾聰「ルビーの指環」、竜鉄也「奥飛騨慕情」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」、松山千春「長い夜」、都はるみ「大阪しぐれ」、シャネルズ「街角トワイライト」、五輪真弓「恋人よ」、松田聖子「チェリーブラッサム」、松任谷由美「守ってあげたい」などが大ヒットした。また、チャゲ&飛鳥「万里の河」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、石川ひとみ「まちぶせ」などもヒットした。映画は英米合作の「エレファントマン」や「007ユア・アイズ・オンリー」、米国の「スーパーマンII」などがヒット。邦画は「連合艦隊」やアニメの「ドラえもん のび太の宇宙開拓使」などがヒットした。

 スポーツは、野球はセリーグでは読売ジャイアンツが4年ぶり、パリーグでは日本ハムファイターズが19年ぶりに優勝。日本シリーズでは巨人が勝ち、V9以来の日本一となった。阪神の名投手だった江本孟紀が「ベンチがアホやから野球がでけへん」の発言を残して引退した。大相撲は1月場所で千代の富士が初優勝した。横綱の輪島が引退した。

 世界の動きは、中華人民共和国(中国)で1月に中国共産党の最高指導者だった毛沢東(毛泽东/マオ ヅォートン)の妻である江青(チャン チン)に死刑判決(後に減刑)。6月の中共第11期6中全会で「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」が採択され、毛沢東が進めた「文化大革命」を完全否定した。

 このほか、1月にイランが1979年11月から拘束していた米軍兵士52人を米国新大統領就任に合わせて釈放した。4月に米国のスペースシャトル「コロンビア」が打ち上げ。5月は、フランス大統領選挙でフランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)氏が当選した。6月にイスラエルがイラクの原子炉を爆撃した。マレーシアにマハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad)首相が就任し、日本を見習おうと呼びかける「ルック・イースト政策」を進めた。7月に英国でチャールズ(Charles)皇太子とダイアナ(Diana)妃が結婚した。8月に台湾で遠東航空機が墜落し、日本人作家の向田邦子が犠牲になった。9月に中米の英領ホンジュラスからベリーズが独立した。フランスのパリ~リヨンに高速鉄道TGVが運行開始した。10月にエジプトでアンワル・サダト( أنور السادات )大統領が暗殺され、ホスニー・ムバラク( حسني مبارك )副大統領が大統領を引き継いだ。11月にカリブ海のアンティグア・バーブーダが英国から独立した。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

時の旅・1982年(昭和57年) 東北上越新幹線が開業、500円硬貨発行、ソ連指導者死去で交代、フォークランド紛争勃発

1982年
昭和57年

時の旅・1982年(昭和57年) 東北上越新幹線が開業、500円硬貨発行、ソ連指導者死去で交代、フォークランド紛争勃発

当時の日本の首相 鈴木善幸(自由民主党)→ 中曽根康弘(自由民主党)

 1982年(昭和57年)は、鈴木善幸(すずき ぜんこう)内閣総理大臣(首相)の下、自由民主党(自民党)政権は、増え続ける国債からの財政再建を推し進め、9月に「財政非常事態宣言」を発表。歳出削減と行政改革の重要性を訴えた。鈴木首相は1981年の「日米同盟」に関する発言から、園田直外相が日米共同声明の外交上の拘束力を否定する発言などをめぐり米国の対日不信を招いたことや、自民党の党内融和を重視して自民党の総裁選に不出馬を決め、10月に退陣を表明。鈴木内閣で行政改革に取り組んでいた中曽根康弘(なかそね やすひろ)行政管理庁長官が自民党総裁で圧勝し、11月に首相に就任し、第1次中曽根内閣が発足した。

 経済面では、所得向上と物価上昇が進む日本経済において、500円紙幣が硬貨化されることになり、500円硬貨がこの年から発行が始まった。

 交通については、6月に東北新幹線の大宮~盛岡が開業し、さらに11月には上越新幹線の大宮~新潟が開業した。これにより、関東地方から東北地方や日本海側の新潟県への所要時間が大幅に短縮された。一方で、東北本線や上越線を走る特急の多くが新幹線に移り、青色の帯の東海道山陽新幹線0系と対照的な緑色の帯の東北上越新幹線200系は、新しい新幹線時代の幕開けを感じさせた。東北本線の上野~仙台を走っていたL特急「ひばり」は廃止され、上野~青森のL特急「はつかり」は盛岡~青森に短縮され、東北新幹線は速達タイプが「やまびこ」、各駅停車タイプが「あおば」となった。上越線のL特急「とき」は上越新幹線の各駅停車タイプの「とき」となり、速達タイプは「あさひ」となった。これらの新幹線開業は田中角栄・元首相の「日本列島改造論」の一部の実現でもあった。

 このほか鉄道は、3月に札幌市営地下鉄東西線の白石~新さっぽろが延伸開業、4月に福岡市地下鉄の1号線の天神~中洲川端と2号線の中洲川端~呉服町が開業した。7月には国鉄伯備線(倉敷~伯耆大山)と山陰本線(伯耆大山~知井宮)が電化され、特急「やくも」に振り子式の特急電車が導入され、岡山から山陰方面が大幅にスピードアップされた。9月に名古屋市営地下鉄東山線の中村公園~高畑が延伸開業した。11月に千葉県のユーカリが丘に山万ユーカリが丘線が開業した。12月に営団地下鉄半蔵門線の永田町~半蔵門が延伸開業した。名鉄羽島線の江吉良~新羽島が開業し、東海道新幹線の岐阜羽島駅へのアクセスが便利になった。

 文化については、音楽は、あみん「待つわ」、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」、中村雅俊「心の色」、細川たかし「北酒場」、中島みゆき「悪女」、近藤真彦「ハイティーン・ブギ」「ギンギラギンにさりげなく」、サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」、松田聖子「渚のバルコニー」「赤いスイートピー」、郷ひろみ「哀愁のカサブランカ」、中森明菜「少女A」、山本譲二「みちのくひとり旅」などがヒットした。映画は、薬師丸ひろ子が主演する「セーラー服と機関銃」や近藤真彦主演の「ハイティーン・ブギ」が大ヒット。洋画は、南アフリカ共和国のコメディ映画「ミラクル・ワールドブッシュマン」、米国映画の「ロッキー3」、香港映画の「少林寺」などがヒットした。

 スポーツは、1月に第1回大阪国際女子マラソンが開催された。2月に岡本綾子がゴルフLPGAツアーで初優勝した。大相撲は千代の富士が4場所で優勝し、安定した強さを誇った。プロ野球はセリーグが中日ドラゴンズ、パリーグは西武ライオンズが優勝し、日本シリーズでは西武ライオンズが24年ぶりに日本一となった。

 世界の動きは、3月に南米大陸東沖のイギリス(英国)が実効支配するフォークランド諸島にアルゼンチン海軍が寄港してアルゼンチン国民を上陸させるなどし、これに対して英国のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)首相がアルゼンチン人の退去を命令し、4月に入るとアルゼンチンが派兵して島を制圧した。これに対し、英国は機動部隊と空母を派遣し、英国軍とアルゼンチン軍の戦闘となり、6月にアルゼンチンが降伏した。アルゼンチンのレオポルド・ガルチェリ(Leopoldo Galtieri)大統領は戦闘終結の際に主権がアルゼンチンにあることを強調したが、敗戦の責任を問われ辞任した。

 英領香港では、香港の地下鉄や公共住宅を建設し、最低限の社会基盤は確保しながらも自由経済を重視する「積極的不介入」の統治を行ったクロフォード・マレー・マクレホース(Crawford Murray MacLehose/麥理浩)香港総督が5月に退任し、サー・エドワード・ユード(Sir Edward Youde/尤德)が香港総督に就任した。5月には香港地下鉄荃湾線が開業した。9月には初の香港市区区議会選挙が実施された。

 中華人民共和国(中国)では、第5回全国人民代表大会で文化大革命の時代を払拭した時代に即した新しい「中華人民共和国憲法」が可決され、「義勇軍行進曲」が正式に中華人民共和国の国歌に制定された。

 台湾(中華民国)では、嘉義市と新竹市が嘉義県及び新竹県から分離して省轄市に昇格した。

 ソビエト連邦(ソ連)では、レオニード・ブレジネフ(Леонид Брежнев)ソ連共産党中央委員会書記長が3月に心臓発作を起こし、健康状態が悪化。書記長の座は維持していたが、11月に再び心臓発作となり死去した。これにより1964年より続いたブレジネフ時代が幕を下ろし、元KGB議長のユーリ・アンドロポフ(Юрий Андропов)がソ連共産党中央委員会書記長に就任した。アンドロポフ書記長は就任後、経済再建のための労働規律強化に着手し、ウォッカを値上げして酒離れを進めて労働生産性向上を図ろうとした。

 このほか、各国の動きは、3月にメキシコのエルチチョン山が大噴火し、火砕流で数千人が犠牲になった。5月にバチカン市国のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(Ioannes Paulus PP. II)が英国を訪問し、カトリック教会とイングランド国教会が450年ぶりに和解した。10月に社会民主主義路線を強めていた西ドイツのヘルムート・シュミット(Helmut Schmidt)首相が自由主義経済と財政再建の主張と対立して議会で不信任となり、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)が13年ぶりに政権に復帰し、ヘルムート・コール(Helmut Kohl)首相が就任した。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

drughba

Author:drughba
日本国内・世界各国の行って面白かったところ、行ってみたいところ、興味深い都市、交通、地理、文化等。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード