台湾 麗しの島国、台湾化した中華民国、日本と国交がない隣国

臺灣・中華民國
タイワン/Tâi-oân (台湾語/ホーロー語)
トイヴァン/Thoi-van (台湾客家語)
タイワン/ㄊㄞˊㄨㄢ (台湾華語/北京語)
タイワン/Taywan (アミ語、タイヤル語)
台湾・中華民国

台湾 麗しの島国、台湾化した中華民国、日本と国交がない隣国

 台湾(臺灣/タイワン)は、東アジアに位置する島国で、憲法上は「中華民国」(中華民國/ツォンホアミンクオ)を国号としている。1949年にもともとの中華民国領土に中華人民共和国が建国され、中国共産党に敗退した中国国民党の中華民国政府がもともとの領域から追い出され、台湾に移転して以来、中華民国政府が台湾本島と周辺の島嶼を実効統治する状況が続き、民主化後は台湾人による投票で国会議員や国家元首の総統(大統領)が選出されており、実質的には「中華民国≒台湾」となって久しく、中華民国政府も自国のことを「台湾」と呼ぶことが多い。中華民国国旗(青天白日満地紅旗)は旧中国国旗であり、国名の英語表記も「Republic of China」と「China」が入り、中国と混同されるため、「中華民国」ではなく「台湾」(Taiwan)または「台湾共和国」(Republic of Taiwan)を正式国名にして新憲法を制定して完全独立建国すべきという民意も根強いが、台湾を統治したことのない中華人民共和国が台湾を自国領と一方的に主張して「台湾独立」の動きに対して武力行使も辞さないと威嚇しており、台湾は「中華民国」体制の現状を維持しながら国のあり方を模索している。

 台湾の人口は約2350万人で、世界の国々の中で約55番目の人口規模を誇る。面積は約3.6万平方キロメートルで、日本の約10分の1、九州とほぼ同じ面積で、人口密度は極めて高い。国内総生産(GDP)は、約5700億ドルで世界第22位前後、一人当たりGDPは約2万4000ドルで世界第34位前後であるが、一人当たり購買力平価(PPP)は約4万9900ドルで世界第16位前後と日本より高いように、所得は日本より低いが物価は日本より安く、生活水準は先進国であるといえる。漢字文化圏でもあり、日台双方非常に親近感を抱きやすく、50年間の日本統治の歴史もあり、日本との関係が極めて密接な親日国であるが、中華人民共和国からの強い圧力により日本との国交がない。

 通貨は「新臺幣」(シンタイピー)と呼ばれ、日本語では台湾元やニュータイワンドルとも呼ばれる。通貨の単位は「圓」(ユエン)であるが、口語では華語は「クワイ」、台湾語では「コー」と呼ぶことが多い。「圓」は同じ発音の「元」(ユエン)と略されることもあるが、「圓」は「円」の旧字体(正字体)である。但し、日本では「日本円」と混同しないよう「台湾元」と呼ぶことが多い。

 台湾の名は、台湾南部の現在の台南・安平(アンピン)のあたりにあった先住民族シラヤ族のタイオワン(Taivoan)村が由来になっているとされ、オランダ統治時代に台湾全体を指して「タイワン」と呼ばれるようになったのだという。タイワンは、福建南部の福建語(閩南語)と共通する台湾語(ホーロー語)で「大員」(タイワン)と表記されるようになり、後に清国時代に「臺灣」(台湾)という表記が定着した。

 台湾本島は四方を海に囲まれ、太平洋の東に日本の沖縄県、台湾海峡を挟んで西に中華人民共和国、バシー海峡を挟んで南にフィリピンがある。台湾は南北に細長く、西部は平原が広がり、東部は山がちで、中央部は3000m級の山が連なる中央山脈があり、最高峰は3952mの玉山(ギョクサン/ユィーサン)。先住民族のツォウ語ではパットンカン(Patungkuonʉ)、ブヌン語ではトンク・サヴェク(Tongku Saveq)と呼ばれる。日本統治時代には、富士山より高いことから、明治天皇により「新高山」(にいたかやま)と命名された。北緯23.5度の北回帰線が通り、その北が亜熱帯、南が熱帯気候で、台湾北部は冬は雨が多くわりと寒いが、南部は冬も暖かく天気もよい。山地は温帯で、茶畑や竹林が多い。高山部ではヒノキが多く、冬は雪が降ることもある。また、台湾は夏場に台風がよく襲来する。台湾はタロコ(太魯閣)峡谷の大理石の断崖絶壁、阿里山や太平山のヒノキの神木、時間ごとに幻想的に色が変わる「日月潭」(ジッゴワッタム/ズーユエタン)など世界遺産級の素晴らしい自然があるが、台湾は中国の圧力により国連から排除されており、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に加盟できないため、世界遺産に一つも登録されていない。

 台湾の主な都市は、新北(台:シンパッ/華:シンペイ)398万人、台中(臺中/タイテョン/タイツォン)278万人、高雄(コーヒョン/カオション)277万人、台北(臺北/タイパッ/タイペイ)269万人、桃園(トーフン/客:トーイェン/タオユエン)218万人、台南(臺南/タイラム/タイナン)189万人の6直轄市(6都)で台湾人口の約半数を占める。また、基隆(ケーラン/チーロン)、新竹(シンティッ/客:シンツゥッ/シンツウ)、嘉義(カーギー/チアイー)の各市も、県と同等の自治体となっている。県はこのほか、宜蘭(ギーラン)、新竹(客:シンツゥッ/シンティッ)、苗栗(客:メウリッ/ビャウリッ)、彰化(チョンホア)、南投(ラムタウ)、雲林(フンリム)、嘉義(カーギー)、屏東(ピントン)、台東(臺東/タイタン)、花蓮(ホアレン)の各県がある。

 台湾本島の周辺には台東県に緑島(リットー)、蘭嶼(ポンソノタオ)などの離島があり、宜蘭県の北東の海上にある尖閣諸島(せんかくしょとう/沖:イーグンクバシマ)は、台湾と中国(中華人民共和国)も領有権を主張しており、台湾側は「釣魚台」(ティオヒータイ/ティアオユィータイ)と呼び、中国側は「釣魚島」(ティアオユィータオ)と呼んでいる。台湾側は尖閣周辺は台湾漁民の伝統的漁業海域であると主張しており、日本側との漁業資源の共有を呼びかけている。一方、中国側の領有の根拠は、台湾を中国領と主張しているからで、実際は違うのだから中国側の領有権の根拠は弱い。

 さらに台湾海峡には離島の澎湖(ピィオー)があり、福建省側には中華民国(台湾)側が統治している金門(キンムン/チンメン)と連江(福:リエンンゴン/リエンチャン)の各県がある。金門は福建省アモイ(廈門/エームン/シアメン)の対岸にある島で、小三通の交通の拠点である。金門や廈門は台湾語が通じる一方で、連江県は馬祖(マーヅウ)列島とも呼ばれ、言語的には福州語(閩東語)文化圏に属し、台湾語とはまた異なる福州語が話されている。

 台湾の交通は、台鉄(臺鐵)が台湾を一周する路線があり、特に西部幹線(縦貫線)が基隆、台北、桃園、新竹、苗栗、台中、彰化、嘉義、台南、高雄などの主要都市を結んでいる。台鉄は日本統治時代に多くの路線が建設され、JR在来線と同じ狭軌(1067mm)である。また、2007年に開業した台湾新幹線(高鐵)は線路幅が日本の新幹線と同じ標準軌(1435mm)で、日本製の新幹線車両が採用され、台北~高雄(左営)を約100分で結んでいる。都市鉄道は、台北、新北、桃園、高雄に地下鉄・高架電車などがあり、高雄にはライトレール(LRT)も2016年に開業した。台中に高架電車が建設中であり、今後は新竹、基隆、新北などにライトレール建設計画、台南にモノレール建設計画もある。台湾の鉄道のアナウンスは、華語、台湾語、客家語、英語のアナウンスがあり、台湾東部ではアミ語のアナウンスも加わる。

 高速道路は、基隆・台北から高雄・屏東まで中山高速道路(1号線)とフォルモサ高速道路(3号線)がメインルートであり、そのほか桃園国際空港を結ぶ高速道路や1号線と3号線を東西につなぐ支線がある。高速道路の発達により、各都市を結ぶ高速バスも充実している。

 台湾の空港は、桃園市の台湾桃園国際空港が最も大きく、首都・台北および台湾北部の空の玄関口となっている。桃園空港からは高鉄桃園駅や台北駅を桃園メトロ空港線が結んでいる。台北松山空港は、以前は台湾の国内線用であったが、松山空港は台北市中心部にあり非常に交通の便がよいことから、台湾新幹線の開業で空に余裕ができた後に、中国各地の路線および東京羽田、ソウル金浦、上海虹橋への国際シャトル便を開設し、再国際化した。台湾南部の玄関口は、高雄国際空港で、東京成田や大阪などへの直行便もある。高雄国際空港は高雄メトロ紅線が高雄市中心部を結んでいて非常に便利である。このほか、台湾中部の台中国際空港は中国路線が多いが、今後は日本路線も増加が見込まれている。花蓮空港や台東空港は、台湾東部の交通が不便であることから、台北松山への便が多い。台東空港は緑島や蘭嶼など離島を結ぶ便も発着している。このほか澎湖、金門、馬祖(南竿、北竿)の各空港は台北や高雄を主に結んでおり、金門と馬祖は、中国福建省との「小三通」の旅客も利用している。「中華航空(チャイナエアライン)」と「長榮航空(エバー航空)」が台湾の2大大手航空会社である。

 台湾の産業は、スマートフォンや薄型テレビを受託生産する「鴻海(ホンハイ)」や、スマホ製造の「宏達(HTC)」、ノートパソコンの「華碩(ASUS)」、「宏碁(acer)」、半導体の「台積電(TSMC)」、石油化学や電子部品などの「奇美」や「台塑(台湾プラスチック)」などの大手企業があり、台湾経済を牽引している。日本から機械を輸入して、台湾で部品を作り、中国で組み立てて米国や日本に販売する貿易構造が確立されているほか、近年は東南アジアや南アジアの進出も積極的に行われている。新竹サイエンスパークでのハイテク工業やバイオテクノロジー、高雄の石油化学工業と輸出加工区、台湾中部や南部の工業団地など、工業が発達している。

 農業は、豊富なフルーツが台湾の特産物となっており、特にマンゴー(芒果/檨仔/ソワイアー)やバナナ(香蕉/弓蕉/キンチオ)、パイナップル(鳳梨/オンライ)は日本にも多く輸出されている。そのほかパパイヤ(木瓜/ボッコエ)、グアバ(芭樂/菝仔/パラー)、スターフルーツ(楊桃/イウトー)、アテモヤ(釋迦/シッキア)など南国ならではの果物が豊富だ。米は日本時代に台湾の在来米と日本米を掛け合わせて改良された「蓬莱米」が台湾の最も主流の米として食されている。かつてはサトウキビの栽培が盛んであり、製糖鉄道が各地に張り巡らされていたが、近年は衰退し、国営製糖会社の広大な用地が工業区に転用されたりしている。畜産は、養豚と養鶏が盛んで、羊肉(ヤギ肉)もよく食される。牛肉はかつては食べる人が少なかったが、新華人の食文化の影響や食の西洋化などで牛肉を食べる人も増えた。ガチョウ(鵝肉)やアヒル(鴨肉)もよく食される。山の中腹ではお茶の栽培が盛んで、烏龍茶(オーリョンテー/ウーロンツァー)は台湾の特産品の一つである。

 スポーツは、野球が盛んで、日本時代に嘉義農林学校が甲子園で準優勝したほか、戦後も台湾東部の台湾原住民族の少年野球チームが国際大会で優勝し、台湾の子どもたちに夢を与えた。郭源治、郭泰源、大豊泰明(陳大豐)、陽岱鋼など台湾から日本のプロ野球で活躍する選手も多い。また、世界のホームラン王の王貞治が中華民国(台湾)籍であることも台湾人の憧れとなっている。このほか、ゴルフ、テニス、バドミントン、囲碁、重量挙げなどの競技でも台湾選手が国際舞台で活躍している。国際スポーツの場では、台湾チームは中国チームとの兼ね合いから「オリンピック方式」として「Chinese Taipei(中華台北)」名義で出場することになっているが、これが台湾を矮小化するものとして台湾人からの不満が年々高まっており、堂々と「Taiwan(台湾)」として国際舞台に出場できるかが今後の課題となっている。

 宗教は、島国であるため、海の神様である媽祖(マーツォー)信仰が篤く、道教の廟がたくさんある。媽祖廟(マーツォービョー)のほか関帝廟や孔子廟も各地にある。また客家地区では三山國王(サムサンクェッヴォン)の廟や義民廟(ニーミンメウ)がある。また、仏教も広く根付いていて、素食(ベジタリアン)の人も多い。仏教団体の慈済や佛光山は国際ボランティア活動も積極的に行っていることでも知られる。キリスト教も根付いており、プロテスタントが「基督教」、カトリックが「天主教」と区別されている。長老教会は台湾で最大のキリスト教宗派であり、台湾教会ローマ字の普及にも貢献している。山間部の台湾原住民族にもキリスト教が根付いており、それぞれの部族語での礼拝が行われている。

 台湾は異なる時代に異なる移民がやって来たことから、面積は小さいがかなり複雑な多民族社会である。古くから住んでいるのは「台湾原住民族」と呼ばれる先住民であり、日本時代には高砂族(たかさごぞく)と呼ばれ、中華民国統治時代になってから高山(カオサン)族と呼ばれるようになったが、民主化の進展とともに「台湾原住民族」が正式名称となった。現在は、固有の言語が現代も残るアミ、パイワン、タイヤル、ブヌン、タロコ、プユマ、ルカイ、セデック、ツォウ、サイシヤット、タオ、カバラン、サキザヤ、サオ、サアロア、カナカナブの16族が政府認定されており、主に台湾東部と中部の山間部に住み、台湾の人口の約2%を占める。台湾原住民族は、言語的には南島語族(マレー・オーストロネシア語族)に属し、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシア、ニュージーランド、マダガスカルへと太平洋に広がる南島語族の古い祖先は、台湾から派生したという説が有力である。海を越えて数字の5を「lima(リマ)」と呼ぶなど、その南島語族の共通点は興味深い。2005年に原住民族テレビ(原視)が開局され、台湾原住民各族の族語でニュースや番組が制作・放送されるようになった。

 台湾原住民族は、広義では政府認定16族のほかにも、台湾の平地に住む平埔(ペェポー)族を含む。平埔族は、血統的には台湾原住民族であるが、言語的には台湾語を話すホーロー人(Holo人)や客家(ハッカ)語を話す客家人にほぼ同化した民族で、ケタガラン、タオカス、パゼッヘ、パポラ、バブザ、ホアニヤ、シラヤ、マカタオなどの部族があり、台湾の多くの地名は平埔族の言語が由来になっている。サオ族とカバラン族はもともと平埔族として分類されていたが、台湾原住民族として認定されたように、平埔族と高砂族の区別は崩れており、台湾原住民族の政府認定は族語の復興の意味合いが強かったが、今後は台湾民族文化復権の意味合いから平埔族についても文化復興が盛んになりそうだ。

 台湾の言語は、中華民国の「国語」として1945年以降に台湾で教育やマスメディアを通して普及が進んだ「華語」(ホアユィー)が事実上の公用語となっている。中華民国式の中国語(北京語)のことで、中華人民共和国(中国)の中国語(北京語、普通話)と会話は通じるが、中華民国の華語は台湾語や台湾社会の影響を受けて語彙や発音に若干の違いがあることから、中華民国の華語は中国語と区別して「台湾華語」と呼ぶこともある。

 台湾華語と中国の中国語との最大の違いは漢字であり、台湾華語は正体字や繁体字と呼ばれる伝統的な旧字体を維持しているのに対し、中国の中国語は簡体字と呼ばれる簡略化された漢字を正式表記としており、この区別は一目瞭然であり、文字表記だけを見るとまったく別の言語である。また、発音表記についても、台湾華語は「ㄅㄆㄇㄈ(ボポモフォ)」と呼ばれる注音符号を用いていることも、ローマ字に声調記号を組み合わせた漢語ピンインを用いる中国語とは異なる。

 台湾の多数派民族は、主に福建省南部から400年ほど前から台湾に移民し、平埔族と融合したHolo人(ホーローラン)と呼ばれる人たちで、台湾人口の約75%を占める。台湾語(ホーロー語)を日常生活で話しているが、近年は華語の普及で、華語を日常会話でも併用している。

 台湾語(ホーロー語)は、多数派のHolo人(ホーローラン)の母語であり、「台語」(タイギー)や「Holo話」(ホーローオエ)と呼ばれる。台湾語は中国福建省南部廈門(エームン)、漳州(チャンチウ)、泉州(ツォワンチウ)などで話されている福建語(閩南語/バンラムギー)と意思疎通が可能だが、日本統治の影響や別の国となって久しいことから語彙が異なるものも多い。

 もともと台湾の多数派言語であったが、1895~1945年の日本統治時代は、日本語が国語とされてきたため、公的文書や学校教育での普及などを国家権力で推進していく機会がなく、中華民国時代になると、公的機関や教育普及でのノウハウがある華語が日本語に代わって「国語」とされたため、台湾語は公用語としての地位を長年得られなかった。生活会話、歌や芝居などの民間では使用されてきたが、学校教育やテレビ放送などでは中国国民党独裁時代の政策で台湾語の使用が制限され、台湾語文化に大きな世代間断絶が発生してしまった。長年、台湾語の教育体制が整っていなかったことから、漢字表記が統一されておらず、しかも華語とかなり違う表現があり、漢字を当てるのが難しい表現もあり、文書で書かれることは少ない。台湾の長老教会などでは教会ローマ字(白話字、pe̍h-ōe-jī/POJ)というローマ字による台湾語表記が用いられており、民主化後の台湾語教育でも広く用いられている。台湾語のローマ字発音表記をめぐっては、さまざまな表記法が対立してきたが、歴史ある教会ローマ字(POJ)か教育部台湾ローマ字(台羅/Tâi-lô)の二つが主流になりつつある。

 台湾語は、民主化とともに復権しつつあるが、華語の普及に慣れた人々からは抵抗もあり、多数派言語でありながら若い世代では話せない人も増えている。しかしながら、華語がもともと外来言語であることから、台湾語は台湾人のアイデンティティーとして欠かせないものであり、テレビ放送や学校教育の充実などを通じた台湾語文化の復興を進める動きもある。華語が日常会話にも浸透する中、台湾語を混ぜながらの会話は台湾人にとっては自然な会話である。また、一般的傾向として台湾北部では華語勢力が優勢で、中南部では台湾語勢力が優勢といえる。台湾の伝統芸能である台湾歌劇の「歌仔戲」(コアヒー)や、人形芝居の「布袋戲」(ポーテーヒー)は、台湾語で演じられる。

 第2のエスニックグループは客家(ハッカ)人と呼ばれる民族で、ホーロー人より遅れて主に広東省東部から台湾に移民し、台湾人口の約15%を占める。客家語を話すが、少数派であるため、客家語を話せない人も多い。また、血統は客家人であるがホーロー人が多数の地区に住んで言語的にホーロー人化した人たちはHolo客(ホーローケ)とも呼ばれる。客家人は桃園、新竹、苗栗、台中、高雄、屏東、花蓮、台東などの山麓部に多く住んでおり、質素倹約を美徳とし、アブラギリの花「油桐花」(ユートンファー)は台湾客家の象徴となっている。

 客家語は、主に四県(シーイェン)方言と海陸(ホイリュッ)方言に分かれ、四県方言が苗栗(メウリッ)県、桃園(トーイェン)市、および高雄市・屏東県の六堆(リュットゥイ)地区、海陸方言が主に新竹県、桃園市などで話されている。四県方言は、中国広東省の梅州(モイツウ)で話されている客家語と近く、客家語の標準語の地位を築いており、鉄道や飛行機の客家語アナウンスは四県方言が用いられる。マイノリティーである客家語は、伝承の危機にあり、「客家語なくして客家人なし」とのことで客家語文化の復興が、政府機関の「客家委員会」により進められている。特に2003年に開局した「客家テレビ」(客家電視台/ハッカー ティエンスートイ)は世界初の24時間客家語放送テレビであり、客家語のドラマやバラエティー番組も放送されるようになり、客家語文化の復権に大きな役割を果たしている。「客家テレビ」のニュース番組などは時間帯によって四県や海陸、その他方言でも放送されており、どの方言を用いているかが表示される。

 3番目に多いエスニックグループは、1945年以降に中国国民党軍、中華民国政府とともに中国各地から渡って来た人たちで、華語を台湾に持ち込んだが、実際には中国各地方の言葉を話す人も多く、多様な文化が混在している。中国国民党軍の兵士として日中戦争や国共内戦を戦い、中国国民党とともに台湾に渡って来た人が多く、当時の政府幹部は非常に優遇されたが、下級兵士たちは台湾に来たものの住居にも困るほどで、家族とも離散した人も多い。「外省人」(ワイセンレン)と呼ばれてきたが、台湾の国家意識が高まる中、「省」の位置づけや、「外」という表現が現代にふさわしいか議論があり、台湾に新たに移り住んだ華人(ホアレン)なので、「台湾新華人」と呼んだほうが、台湾人意識が強まる外省人の2世、3世の意識ともマッチするだろう。

 このほか近年は、ベトナム、フィリピン、インドネシア、マレーシア、タイなどからの移民も多い。また、これらの国々には福建語(≒台湾語)や客家語が母語の東南アジア華人も多く、これらのネットワークも東南アジアとのビジネスに有利となる要素である。また、中国人との婚姻も増えている。

 台湾の食文化は、これら台湾の多様なエスニックグループにより、多彩な進化を遂げてきた。一般的な台湾料理は、「米粉」(ビーフン)がよく知られている。このほか、「切仔麵」(ツェガミー)、「擔仔麵」(タアミー)などのスープ麺、「滷肉飯」(ローバープン)、「雞肉飯」(ケーバープン)、「排骨飯」(パイクップン)などの丼料理、おこわの「筒仔米糕」(タンガービーコー)や、ちまきの「肉粽」(バーツァン)、「魚丸湯」(ヒーワントゥン)、「貢丸湯」(コンワントゥン)などのスープ、「肉羹」(バーケェ)、「花枝羹」(ホエキーケェ)などのとろみスープ、ホルモン入りとろみにゅうめんの「大腸麵線」(トアトゥンミーソワ)、切干大根入り卵焼きの「菜脯蛋」(ツァイポーヌン)、大根もちの「菜頭粿」(ツァイタウコエ)、カキの入ったお好み焼きの「蚵仔煎」(オアツェン)、肉の餡をぷるんとした皮で包んだ「肉圓」(バーワン)など豊富な料理がある。

 客家料理は、「粄條」(パンテャウ)というお米のうどん料理があり、高菜を発酵させた「福菜」(ポクツォイ)や「鹹菜」(ハムツォイ)を料理に用いるのが特徴であり、「鹹菜」を干した「鹹菜干」(ハムツォイコン)は華語で「梅干」(メイカン)と呼ばれ、これと豚三枚肉を煮込んだのが「梅干扣肉」(ハムツォイコン ケウニュク)。そのほか、豚の大腸をショウガと酢で炒めた「薑絲炒大腸」(キョンシーツァウタイツォン)、スルメと豚肉とセロリとネギの炒め物「客家小炒(炒肉)」(ツァウニュク)などの料理がある。また、台湾北部の客家は、「桔醤」(キッチョン)という柑橘ソースを多用する。お茶の葉とゴマやピーナッツなどを擂り潰して飲む「擂茶」(ルイツァー)も特色ある客家飲食文化の一つである。

 台湾原住民料理は、部族によって異なるが、竹筒飯、焼きイノシシ肉、ビンロウ花の炒め物、キョン(羌)肉の炒め物、カタツムリの炒め物、粟ちまきの「アバイ」や「チナブ」など、独特の料理がある。

 台湾料理は日本統治時代の影響もあり、おでんが「黒輪」(オレン)や「關東煮」(クワントンツウ)、てんぷらが「甜不辣」(テンプラ)などそのまま音訳されて定着している。但し、「甜不辣」はさつま揚げを煮込んだもので、日本の天婦羅とは異なり、台湾料理化している。

 台湾をグルメ天国にしたのは、新華人(外省人)が中国各地方から持ち込んだ中華料理である。特に中華民国政府は一流シェフも連れてきており、北方料理、上海料理、広東料理、湖南料理、四川料理など、中国各地のレストランが台湾にできた。さらに中国各地の料理が台湾の地で融合し、新たな台湾の飲食文化が生まれた。台湾の湖南料理は本場中国湖南省の激辛湖南料理とは異なる、湖南出身のシェフが宴会料理として考案した食べやすい高級料理であるし、もともと激辛の四川料理も台湾人の嗜好に合わせて甘辛く変わり、「宮保雞丁」(コンパオチーティン)や「蒜泥白肉」(スワンニーパイロウ)なども甘辛い台湾風四川料理となった。上海料理の「小籠包」(ショーロンポー/シャオロンパオ)は、台湾では北方餃子の技術と台湾人の好みの味を融合しながら発展し、「鼎泰豊」(ティンタイフォン)をはじめ今や台湾を代表するグルメの一つとなっている。また、「牛肉麺」(ニョウロウミエン)も四川出身の老兵が改良した紅焼牛肉麺が広まり、台湾を代表するグルメとなった。「葱油餅」(ツォンヨウピン)や「水餃」(スエチャオ)も台湾の庶民食として定着している。

 このほか、台湾は豊富なフルーツがあることからスイーツ天国としても知られており、マンゴーかき氷「芒果冰」(マングオピン)、愛玉ゼリー「愛玉」(オーギョー/アイユィー)、タピオカミルクティー「珍珠奶茶」(ツェンツウナイツァー)、やわらか豆腐にシロップをかけた「豆花」(タウホエ)など、台湾ならではのスイーツがある。

 台湾の音楽文化も同様に、華語歌謡曲の流行発信基地であるのみならず、台湾原住民族音楽、台湾語歌謡、客家語歌謡など多様な音楽文化がある。台湾原住民音楽は、アミ族のディファン(Difang/郭英男)の歌声がエニグマの「リターン・トゥ・イノセンス」にサンプリングされ、1996年のアトランタ五輪のプロモーションソングとなり、注目を集めた。プユマ族の阿妹(アメイ)こと張惠妹(Kulilay Amit)は台湾を代表する歌姫としてアジア各地で活躍している。また、近年はブヌン族の8部合唱の美しさが注目されたり、プユマ族のサミンガ(Samingad)やアミ族のスミン(Suming)など部族の言葉で創作し、日本でもファンが増えてきている。また、原住民族の児童合唱団が国際コンクールで入賞したり国際的に活躍している。

 台湾語歌謡は、伝統楽器の演奏に合わせて台湾語の歌を歌いながら演じる台湾伝統歌劇である「歌仔戲」(コアヒー)の歌曲のほか、日本時代に台湾客家人の鄧雨賢(テン イーヒエン)が作曲した「雨夜花」(ウーヤーホエ)や「望春風」(バンツンホン)といった名曲が生まれ、戦後は日本の演歌を台湾語に訳して歌う歌謡曲が流行した。また、その影響で台湾独自の台湾語演歌文化も生まれていった。中国国民党独裁時代に台湾語が弾圧されたことから、華語歌謡に比べて古臭くて市場が狭いというネガティブなイメージもあったが、特に1990年代より江蕙(カン フイ)が台湾語歌謡の女王の地位を築き上げ、カラオケでは台湾語歌謡の人気は強い。また、2000年代に最も人気のバンドの「五月天」(メイデイ)は台湾語でポップスを歌い、若者層にも支持された。また、伍佰(ゴーパ/ウーパイ)も台湾語ロックのスターとして国際的に人気がある。台湾語歌曲は台湾が市場の中心であるが、シンガポールなど東南アジアや香港、中国でも一定の市場がある。

 客家語歌謡は、市場が狭いことから台湾語歌謡に比べて少ないが、「山歌」(サンコー)と呼ばれる民謡のほか、「客家本色」(ハッカープンセッ)という歌は台湾客家精神が込められているとして、客家の集会でよく歌われる。近年は客家文化振興の観点から政府が客家語歌曲の創作を奨励しており、さまざまな音楽ジャンルで新しい客家語の歌が生まれている。客家語歌曲の市場は、台湾の客家地区が中心であるが、台湾語と同様に東南アジアや中国広東・江西などに客家人が多く住むことから、これらの地域にも一定の市場がある。

 華語歌謡は、台湾における華語普及の観点から奨励され、ラジオやテレビを通じて広く流行し、1980年代にはテレサ・テン(鄧麗君/テン リーチュン)やオーヤン・フィーフィー(歐陽菲菲/オウヤン フェイフェイ)など台湾出身の歌手が日本でも活躍した。華語歌謡は、市場が台湾のみならず、中国全土や東南アジアの華僑・華人も需要があることから、台湾で制作される音楽市場は華語の歌が優勢的な地位にある。

 台湾のマスメディアは、「自由時報」「聯合報」「頻果日報」「中國時報」などの4大大手紙のほか、国営通信社の「中央通信社」、ネットメディアの「民報」「上報」などのネットメディアも影響力がある。また、テレビは「台視」「中視」「華視」の歴史ある3大地上派テレビ局と民主化後にできた「民視」、公共テレビの「公視」、さらにケーブルテレビの「TVBS」「東森」「三立」「中天」などのテレビ局もニュース専門チャンネルがあり、メディア間の競争が激しい。また、24時間客家語で放送する「客家電視」、台湾原住民族の専門チャンネル「原住民族電視」などもある。

 台湾の政治は、かつては中国国民党の独裁体制であったが、1980年代から民主化が進み、2017年現在は与党が民主進歩党、最大野党が中国国民党であり、そのほか第3勢力として時代力量、親民党などの政党がある。台湾は総統(大統領)を元首とし、行政院長(首相)を内政のトップとしており、総統は国民の直接選挙で選出され、行政院長は総統が任命する。総統は内政の方針も打ち出すが、特に外交、国防は総統が大きな権限を持つ。立法院(国会)は「立法委員」が国会議員、「立法院長」が国会議長に相当する。

 台湾の憲法は、1946年に中国大陸で中国国民党政権により制定された「中華民国憲法」をそのまま台湾で使用しているが、中華民国政府が台湾に移ってからは38年間戒厳令が敷かれ、事実上は凍結されてきた。1987年に戒厳令が解除され、民主化が進むと、台湾の実情に合わせて2006年までに憲法が7回改正され、条文を書き加えることで中華民国憲法の台湾化が進められた。その結果、中華民国を「自由地区(台湾地区)」と「大陸地区」に分けることにより、台湾のみで国政選挙を実施することを合法化し、統治権が及ばない「大陸地区」(中華人民共和国が統治する地区等)については外交部(外務省)とは別に大陸委員会を設けて関係構築を進めているが、実際に統治が及んでいない大陸地区を領土に含める建前はおかしいとして、中華人民共和国を正式に認め、台湾の主権をはっきりさせる憲法を制定すべきとの民意もある。

 台湾の外交は、1971年に国連を脱退して以来、中華人民共和国の国際的存在感が高まる一方で台湾の中華民国と断交する国が続出し、台湾の国交国は2017年現在わずか20カ国となっている。日本は1972年に中華人民共和国と国交を結んだ際に台湾の中華民国と断交している。これは、中華人民共和国が諸外国と国交を樹立する際に、中華人民共和国を唯一の中国の合法政府であることと、台湾が中国の不可分の一部であることを認めるよう要求し、台湾の中華民国と断交するよう迫るためで、この中華人民共和国の強引な態度が両国の国際社会における平和共存を困難にしている。このため、台湾は国連をはじめとする国際機関への参加が中国の反対により制限されており、台湾は外交的に孤立している。しかし、一方で正式な外交関係がなくても国と国の交流の窓口が必要であることから、国交がない国とは、大使館のかわりに「代表処」、総領事館のかわりに「弁事処」を置いている。日本では東京にある台北駐日経済文化代表処が駐日台湾大使館の役割を果たしている。台北市の出先機関ではないことから、「台北」を「台湾」に変えるよう求める要望もある。また、日本は「日本台湾交流協会」台北事務所が駐台日本大使館の役割を果たしている。しかしながら台湾の国連加盟や、日本、米国等の主要国との国交樹立は台湾の人々の悲願であり、外交関係の正常化および中華人民共和国との平和共存のために国際社会の支持を必要としている。

 台湾の歴史は、台湾原住民族の時代と、福建・広東からの移民による漢字文化圏の時代に大別される。台湾人は母なる台湾原住民文化と、父なる漢人系文化が融合したものであることが歴史を見ていくとよく分かる。

 台湾は古くから南島語系(マレー・オーストロネシア系)の民族が住み、山深い台湾ではいくつもの部族に分かれている一方で、長い年月をかけて太平洋の島々に広がっていった。なので、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ミクロネシアなどに住む人々と民族的、言語的に近い。また、沖縄とも地理的に近いことから、やはり民族的に近いと考えられる。

 台湾は、さまざまな部族が別々に暮らしていたため、台湾の島を統一する国がなく、島全体を統治する国王もいなかった。日本は豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の時代に「高山国」(たかさぐに)宛に朝貢を要求する文書を届けようとしたが、台湾の国王に該当する人物がいなかったため失敗したという。ヨーロッパ人に台湾が発見されたのは16世紀中頃のことで、ポルトガル人が水平線に緑に覆われた島を発見し、その美しさに「Ilha Formosa!(イラ、フォルモサ!)」(美しい島だ!)と叫んだことから台湾はヨーロッパで「Formosa(フォルモサ)」と呼ばれるようになったという。その「Formosa」の音訳である「福爾摩沙」や意訳の「美麗島(ビーレートー)」は、台湾の代名詞でもある。

 大航海時代からヨーロッパの国々がアジアにも進出するようになり、17世紀に入ると、「東インド会社」でアジアに勢力を伸ばすオランダが1622年に明国を追い払い、澎湖諸島を占領。その後、明との戦いを経て、オランダは1624年に拠点を澎湖から台湾南部に移した。そして、台南の安平にゼーランディア(Zeelandia)城を築いた。さらに、台湾北部では1626年にスペインが台湾にやって来て、滬尾(淡水)にサント・ドミンゴ(Santo Domingo)城を築城した。もし、この後、ヨーロッパ人の統治が続き、漢人が台湾に移住しなかったら、オランダ領ならインドネシア、スペイン領ならフィリピンにようになっていたかもしれない。オランダが建てたゼ―ランディア城は現在の台南「安平古堡」(アンピンコーポー)、スペインが建てたサント・ドミンゴ城は現在の淡水・「紅毛城」(アンムンシヤ)としてその歴史を伝えている。

 オランダは、台湾からさらに日本に進出する際に邪魔になる台湾北部のスペイン勢力を1642年に駆逐した。オランダによる統治は、プランテーションのために明の福建省から労働者を連れて来た。これが台湾における漢人系移民の始まりであり、福建系の台湾ホーロー人となっていく。オランダは、キリスト教の布教も行った。台南のあたりでは、宣教師がローマ字を用いて先住民シラヤ族のシラヤ語を用いて布教や交易を行った。1652年にオランダの重税に反抗した福建系の郭懷一(コエ ホワイイッ)による乱が発生し、オランダとシラヤ族の軍により鎮圧された。翌1653年に台南のチャカム(赤崁)にプロヴィンティア(Provintia)城が築かれた。

 福建出身の鄭芝龍(テェ チーリョン)を父に、日本長崎平戸出身の田川マツを母とする鄭成功(テェ シンコン)は、シナ大陸で漢人による明国が満洲人による清国に滅ぼされることに抵抗し、1661年に台湾・台南のプロヴィンティア城を攻め、チャカムを「東都」(タントー)と改め、プロヴィンティア城は「承天府」(シンテンフウ)と改められた。翌1662年に台南のゼ―ランディア城を攻撃し、オランダを追放し、漢人系の鄭氏政権が反清の拠点として台湾を統治するようになった。この歴史は日本でも近松門左衛門の人形浄瑠璃「国姓爺合戦」として知られ、鄭成功は英語では福建語≒台湾語読みの「Koxinga」(國姓爺/コクシンヤー)と呼ばれている。

 実際には、鄭成功はオランダを追放したその年に病没し、台湾における鄭氏政権は息子の鄭経(鄭經/テェ キン)によって引き継がれる。鄭経は台湾を「東寧(タンリン)王国」と名乗り、台湾では明が滅んだ後も明の元号「永暦」を使い続けていたが、「東寧国」は台湾を領土とする独立国家であった。鄭経は1681年に死去。次男の鄭克塽(テェ キクソン)が継いだが、まもなく清国が台湾に侵攻し、鄭氏は清国に降伏し、東寧王国は滅び、清国の統治が始まった。

 満洲人政権である清国にとっては、台湾ははるか遠く、清に反抗する鄭氏が投降した後は、「化外の地」だとしてあまり重要視せず、福建省の一部とし、開発には積極的ではなかった。平地には福建省や広東省からのホーロー系、客家系の移民が増え、米、砂糖、樟脳などの栽培が行われるようになった。一方、山地は台湾原住民族の各部族が清国人を寄せ付けず、独自の生活圏を維持していたため、実際に清国の支配が及んだのは国土の一部に過ぎなかった。清国時代には1721年の朱一貴(ツウ イックイ)の乱、1786年の林爽文(リム ソンブン)の乱、1862年の戴潮春(テー ティオツン)の乱など、台湾人が清国統治に反抗する事件もたびたび起こった。また、台湾原住民と福建・客家系漢人の衝突、福建人(ホーロー人)と客家人の衝突、福建の泉州(ツォワンチウ)出身者と漳州(チャンチウ)出身者による衝突など「分類械鬥」と呼ばれる民族間の対立事件もあった。

 19世紀前半には台南・府城(フウシヤ)、彰化・鹿港(ロッカン)、台北・艋舺(バンカ)が商業の港町として発展した。平地に住むシラヤ族やケタガラン族などの先住民族は言語的にはホーロー、客家と同化が進み、平埔(ペェポー)族と呼ばれるようになった。清国は、1874年に日本は漂流した琉球漁民がパイワン族に殺害され、その責任をめぐり、責任逃れする清に対し日本が台湾に出兵した「牡丹社事件」が発生し、そのほか欧米列強のアジア進出が活発になってきたことから1885年に清国は台湾を福建省から分離して台湾省を設置した。この後、劉銘伝(劉銘傳/リョウ ミンツォワン/ラウ ビントワン)巡撫の時代に台湾にも電気や鉄道などのインフラ建設が着手された。

 1895年(明治28年)の日清戦争は、朝鮮の独立をめぐる日本と清国の戦争で、台湾は直接の戦場にはならなかったが、4月の「下関条約」で台湾が清国から日本に割譲されることになった。日本は台湾を占領するために軍隊を派遣。台湾割譲に反対する台湾に残った清国の幹部らが台湾住民と協力して同年、「台湾民主国」の独立を宣言し、唐景崧(タン チンソン/トゥン キンション)が初代総統(大統領)に就任し、元号を「永清」とした。日本軍が上陸すると、台湾民主国軍は近代化された日本軍の兵力にかなわず、唐総統は6月に清国福建に逃亡してしまい、基隆や台北に日本軍が入る。台湾人は台湾南部で抵抗を続け、清国の軍人で太平天国の乱にも参加した広西省出身の客家人である劉永福(リュウ ユンフッ/ラウ インホッ)を総統に据えたが、日本軍はじわじわ南下し、10月に清国へ逃亡し、台湾民主国はわずか半年で崩壊した。

 日本は台湾に台湾総督府を置き、樺山資紀(かばやま すけのり)海軍大将が初代台湾総督に任命され、初期の頃は軍部が中心となって台湾統治の基礎を築いた。1898年(明治31年)に就任した児玉源太郎(こだま げんたろう)総督(第4代)は、民政長官に後藤新平(ごとう しんぺい)を抜擢し、台湾各地の調査事業を行い、各地の地理的特徴や風習などを理解した上で、公衆衛生の改善、インフラ建設や殖産興業に取り組んだ。さらに技師として来台した新渡戸稲造(にとべ いなぞう)が台湾のサトウキビ栽培と製糖産業の発展の基礎を作った。台湾各地に学校が作られ、日本語がはじめからできる内地人は小学校、日本語がわからない台湾人は公学校に入学した。これにより台湾での識字率が上昇し、商業、工業、農業などの職業学校も整備された。交通も台湾の南北を結ぶ縦貫線が1908年(明治41年)に完成した。1906年(明治39年)より約9年間総督を務めた佐久間左馬太(さくま さまた)総督(第5代)は、阿里山の森林開発や、山間部の台湾原住民族を日本に帰順させ日本式学校教育を受けさせる「理蕃事業」などを行った。安東貞美(あんどう さだよし)総督(第6代)の時代には、1915年(大正4年)に台南で余清芳(ウー チンホン)を首謀者とする抗日武装蜂起「タパニー事件」が発生した。1918年(大正7年)に就任した明石元二郎(あかし もとじろう)総督(第7代)のは、台湾電力を設立し、日月潭に大規模な水力発電所が着工された。また、八田與一(はった よいち)技師が計画する嘉南平原を潤すための烏山頭ダムと嘉南大圳(カーラム トアツン)の建設を承認した。明石総督は死後に台北市内に墓を建てた。

 第8代以降の総督は文民となり、田健治郎(でん けんじろう)総督(第8代)は、内地と台湾の差別解消のため「内台一体」の方針で融合を進め、1920年(大正9年)には行政区画の改正も行い、打狗(タアカウ)→高雄(たかお)、葫蘆墩(コロトゥン)→豊原(とよはら)、阿猴(アカウ)→屏東(へいとう)など、台湾語の一部の地名が日本風に改められた。大正時代の台湾は、日本の大正デモクラシーの流れもあり、社会が比較的安定していた。1921年(大正10年)には、林獻堂(リム ヘントン)を総理とする台湾文化協会が設立され、台湾文化の発揚運動が行われた。林獻堂は蒋渭水(チウ ウイスイ)、蔡培火(ツォア ポエホエ)らとともに台湾議会設置運動を行い、蔡培火は1920年(大正9年)に「台湾青年」を1923年(大正12年)に「台湾民報」を出版し、台湾民族意識を啓発した。林獻堂らは1927年(昭和2年)に政治結社「台湾民衆党」を結成し、日本統治時代における台湾の自治を追求した。台湾人による自治運動は1912年に清国を倒して中華民国を建国した中国国民党の影響も大きかった。一方、1928年(昭和3年)には台北帝国大学が開設され、台湾における高等教育も充実してきた。

 石塚英蔵(いしづか えいぞう)総督(第13代)の時代の1930年(昭和5年)には、当時世界最大規模の烏山頭ダムが完成した。一方で、セデック族のモナ・ルド(Mona Rudo)による大規模な蜂起事件である「霧社事件」が発生した。日本軍が動員され、日本側に参加するセデック族も動員して鎮圧し、反抗したセデック族の多くは自殺するなど、深い傷を残し、石塚総督は引責辞任した。最後の文民総督である中川健蔵(なかがわ けんぞう)総督(第16代)は昭和10年(1935年)に「始政40周年」を記念する台湾博覧会を開催した。

 満洲事変後に東アジア情勢が緊迫化し、昭和11年(1936年)以降の総督は再び軍人となり、小林躋造(こばやし せいぞう)総督(第17代)より皇民化教育が進められ、長谷川清(はせがわ きよし)総督(第18代)の時代に台湾が南進基地化していく。大東亜戦争中の台湾では、志願兵制度や徴兵も行われ、特に台湾原住民族(高砂族)で構成される高砂義勇隊は南方の戦線で大活躍したが多大な犠牲が出た。また、台湾の軍用飛行場は神風特攻隊の軍機の出発基地となった。米軍による空爆も受けた。最後の台湾総督となった安藤利吉(あんどう りきち)総督(第19代)は台湾軍司令官も兼務しており、1945年(昭和20年)に日本が連合国に降伏した後、10月25日に安藤総督が中華民国政府および連合国への降伏文書に調印した。安藤総督は中華民国に拘束され、翌1946年に上海の監獄で自決した。

 戦後、台湾を占領した中華民国は、満洲人支配の「清」を打倒するため孫文(孫中山/スン ツォンサン)らが1911年に辛亥革命を起こし、1912年に「中華民国」が建国されたのをルーツとし、中華民国は清国の領土の大部分を継承していた。しかし中華民国政府も建国後、混乱と分裂状態が続いた。臨時大総統だった孫文は南北統一のために袁世凱(ユエン スーカイ)に臨時大総統の座を譲ったが、袁世凱は1915年に一時的に国名を「中華帝国」に改めるなど独裁的体制であった。そのあと軍閥が各地で割拠する内戦状態となり、孫文は1919年に中国国民党を結成し、1921年に広州で革命政府を樹立し、1925年に孫文が死去すると、1926年から蒋介石(蒋中正/チャン ツォンツェン)が北伐を開始し、1928年に南京に中華民国国民政府が樹立された。それまで「五色旗」だった中華民国国旗は1928年に「青天白日満地紅旗」に変更された。その後、1937年の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争となり、その際には蒋介石の中国国民党軍を米国が支援し、毛沢東の中国共産党軍をソ連が支援し、日本は汪兆銘政権を支援していた。1945年に日本が敗戦となると、中国国民党の中華民国政府は米国を中心とする連合国とともに日本を降伏させ、中華民国は当時日本領だった台湾を接収した。日本人は基本的に残留を許されず、日本の内地へ引き揚げ、台湾に生まれ育った日本人は「湾生」(わんせい)と呼ばれた。

 台湾は中華民国による接収後、中華民国に「祖国復帰」したこととされ、戦後の帰属について日本と話し合われることもなく、陳儀(ツェン イー)行政長官の下、着々と脱日本化が進められ、街路名が日本風から中国風に改められ、台湾原住民族も中国名を名乗ることとされた。学校教育も日本教育から中華民国式教育に変わったが、台湾人にとっては、台湾語も客家語も理解せず中国語を話す中国人が同胞には思えなかった。中国語を話す中国人が政府機関を独占するのは、支配者が日本人から中国人に変わっただけだった。1947年、中国人統治に不満を持つ台湾人が蜂起した「二二八事件」が発生し、これを鎮圧するために中国国民党軍を台湾に増派し、徹底的に台湾人を弾圧し、蜂起に関わった人を処刑し、その際に台湾人のエリート層を拉致して殺害するなど、数万人が犠牲になった。

 そんな中、中国大陸では1946年に中国国民党が主導して「中華民国憲法」が制定されたが、すぐに中国共産党との内戦が勃発し、憲法は事実上凍結。1949年に北京や南京、上海が中共軍に占領されると中国国民党は台湾に敗走した。1949年に中共の毛沢東が「中華人民共和国」の建国を宣言すると、国民党は台北を臨時首都として1950年に蒋介石が中華民国総統に復帰した。これにより、中華人民共和国と中華民国の二つの国が併存する形となったが、実際には中華人民共和国が中華民国のほとんどを継承し、中華民国は台湾周辺のみを実効支配領域とした。

 中華民国中央政府の台湾移転により、多くの中国人(外省人/新華人)が中華民国政府関係者および中国国民党軍とともに台湾に移住した。新華人らは日本人が住んでいた宿舎などにも住んだが、下級軍人らは宿舎を建てても収まりきらずバラックに住む人もいた。中国出身の元兵士らは来台当初は台湾人と対立する存在であったが、国民党軍に従事するなかで、多くの戦友や親戚を日中戦争や国共内戦で亡くしており、台湾にたどりつけただけでも大変なことだった。しかも、多くの人が中国大陸の家族と離れ離れになった悲哀を抱えていた。

 蒋介石総統は、台湾に戒厳令を敷き、中国国民党の独裁体制で台湾における中華民国体制を安定させようとした。このため、台湾は他のアジアの国々のような民族自決の原則による独立ができなくなり、外来政権の中華民国を受け入れざるをえなかった。さらに朝鮮戦争の勃発による東西対立がピークになり、米国が中華民国を防衛する方針をとり、1952年のサンフランシスコ条約で日本が主権を回復すると、日本も台湾の中華民国と「日華平和条約」を結び、国交を樹立した。

 日本時代に日本の台湾総督府だった建物は中華民国総統府となった。蒋介石政権は、中華民国こそが中国の正統な政権であると主張し、「大陸反抗」を掲げ、中華民国憲法制定時の中国大陸を含む広大な領土を自国領と主張し続けた。中国各地方から選出された議員の正当性を維持し、選挙区が共匪に占領させているため選挙ができないとして万年議員と呼ばれる国会非改選の状況が続いた。中国共産党のスパイを厳しく取り締まると同時に、中国人による台湾支配体制を維持するために「台湾独立」に強く反対し、台湾独立運動を厳しく取り締まった。台湾語・客家語などの使用を制限し、中国語(華語)教育や華語のメディア独占により、台湾人の中国人化を進めた。結党の自由はなく、中国国民党独裁体制と、蒋介石総統の個人崇拝化が進められ、特務が民衆を常に監視し、冤罪の政治犯が多く捕らえられた「白色テロ」と呼ばれる恐怖政治が続いた。このような中、二二八事件後、白色テロが続く時代に海外に逃れた台湾人留学生らが中心となり、日本や米国で台湾独立運動も進められた。参加した幹部らは中華民国政府からブラックリストにされ、台湾が民主化されるまで長らく帰国できなかった。

 一方、国共の対立は続き、1954年に中華民国が統治を続けている福建省側の金門島に中共軍が砲撃する九三砲戦が勃発。1955年には中華民国が統治していた浙江省の離島である一江山島が中共軍に攻められ、激しい戦闘の上、占領されると、大陳島の補給が困難になり、島民を台湾に移して大陳島と一江山島を放棄した。1958年にも金門島に中共軍が砲撃を行う八二三砲戦が勃発し、中華民国軍も反撃した。中華民国は大陳を除き、国土を防衛していたが、「大陸反抗」はもはや現実性がなかった。1964年には台湾大学の彭明敏(ペェ ビンビン)教授が、国民党でも共産党でもない台湾自救の民主国家を建てるべきとの「台湾自救宣言」を発表し、反乱罪で逮捕されたが、その後、彭教授は日本人と協力して出国に成功した。

 国連で中華民国が「中国」代表権を持ち、安保理常任理事国となっているのは、支配領域の現実から見てもあまりにおかしいとして、「中華人民共和国」を国連に加盟させるべきだという声が強まり、1971年に国連でアルバニア決議案(2758号決議)が採択された。中華人民共和国を国連における中国の唯一の合法的な代表とし、国連に加盟するとともに、国連安保理の常任理事国のポストを得た。一方で、台湾の中華民国は、中華人民共和国が中国の唯一の合法的な代表であることを承認して「蒋介石の代表を追放する」とされた。蒋介石総統は「台湾」として国連に残るよう日本や米国から説得されていたが、台湾独立に反対する蒋総統が拒否していた。結局、中華民国は国連から脱退し、この流れを受けて日本は翌1972年に中華人民共和国と国交を樹立し、台湾の中華民国と断交した。米国も中ソ対立から中国に接近し、1975年に蒋介石総統が死去した後、1979年に中華人民共和国と国交を樹立した。米国はその際に「台湾関係法」を制定して台湾への防衛武器の輸出を続けることや台湾との関係維持に努めた。

 蒋介石総統の死後、厳家淦(嚴家淦/イエン チアカン)副総統が総統に昇格したが、実質的な権力は息子の蒋経国(蔣經國/チャン チンクオ)行政院長(首相)が握っていた。台北市内には故・蒋介石(蒋中正)元総統を称える巨大な「中正紀念堂」が建てられた。蒋経国・行政院長は中山高速道路や中正国際空港(桃園国際空港)の建設、台中港の築港、台湾の鉄道を一周できるようつなぐ路線の建設など「十大建設」を進め、台湾経済発展の基礎を築いたことで政治的な権力基盤を確固たるものにした。1978年に蒋経国が総統に選出された。その翌年の1979年、黄信介(ンー シンカイ)が創刊した党外(国民党以外の無所属)活動家を応援する政治雑誌である雑誌『美麗島』が評判を呼び、同年12月の世界人権デーに高雄市でデモ活動を行ったところ、治安部隊に包囲され、党外活動家が逮捕される「美麗島事件」が発生した。この当時の党外活動家および彼らを弁護した弁護士グループが後に台湾政治を大きく変える政治家として活躍することになる。

 蒋経国総統の時代は、中国国民党による独裁体制は続いたが、「大陸反抗」がもはや不可能と悟った蒋経国総統は、台湾人の人材を抜擢し始め、中華民国の台湾化の流れはもはや止めることができなくなった。1986年には戒厳令下にありながら、初めての野党である民主進歩党(民進党)が結成された。1987年には蒋経国総統が、1949年以来38年間続いていた戒厳令の解除を宣言した。台湾在住の中国大陸出身者の里帰りも許可された。1988年には、蒋経国総統が死去し、李登輝(リー ティンフイ)副総統が総統を引き継いだ。新聞の「報禁」が正式に完全解除され、報道の自由と新聞発行の自由が認められた。野党・民主進歩党は台湾の主権独立と、北京を首都とする中華人民共和国に台湾が属さないことを主張した。1989年は、雑誌『自由時代』を出版する鄭南榕(テェ ラムヨン/ツェン ナンロン)が「台湾共和国憲法草案」を掲載したことにより、当時の中国国民党政権下で反乱罪とされ、「100%の言論の自由」を求める鄭南榕はそれに反抗するために出頭を拒否して自社の事務所に立てこもった。警察が強行突入しようとしたところ、鄭南榕はガソリンをかぶって火をつけて抗議の焼身自殺をはかった。この事件は台湾社会に衝撃を与え、さらに民主化を求める流れが加速した。

 1990年には、第8代総統選挙が国民大会の間接選挙で実施され、中国国民党の李登輝総統が再選された。李登輝総統の主導で、1991年に「動員戡乱時期臨時条款」が廃止され、中共当局との内戦状態を終了させ、民主化の道を開くとともに、台湾の国内で「台湾独立」を主張することも容認されるようになった。第2回国民大会代表選挙が実施され、立法院(国会)全面改選への第一歩を踏み出した。台湾は中華民国憲法改正によって憲法の及ぶ範囲が統治権の及ぶ範囲に限られるようになり、1992年に立法院(国会)の全面改選が始めて実現し、12月に立法委員(国会議員)選挙が実施された。「万年議員」が一掃され、全国会議員が民主的な選挙で選ばれた台湾の民主化時代が到来した。

 1996年には初めて「中華民国自由地区」(台湾本島、澎湖、金門、馬祖)において総統直接選挙を実施し、現職の中国国民党の李登輝総統が当選した。中国がミサイルで台湾を威嚇したことが、逆に現職の李登輝総統の求心力を高め、台湾独立派も一部が李総統支持に回ったことから、李登輝総統の圧勝につながった。李総統は5月20日に初の民選総統として就任した。李総統は中華民国の台湾化路線を進め、台湾の民主化が国際社会に大きくアピールされた。1998年には「台湾省」が機能凍結され、中央政府との二重行政が大幅に解消された。1999年には李登輝総統が台湾(中華民国)と中国大陸(中華人民共和国)を「特殊な国と国」と位置づける「二国論」を発表。またこの年、マグニチュード7.7の台湾中部大地震が発生した。

 2000年の2回目となる総統選挙で野党・民主進歩党(民進党)の陳水扁(タン ツイ ピィ)氏が当選。中国国民党が下野し、政権交代。国民党の李登輝総統が引退。総統選挙で次点だった宋楚瑜(ソン ツウユィー)が親民党を結成。国民党籍の行政院長(首相)を起用した陳水扁・大連立政権がスタートしたが、第4原発建設をめぐって民進党と国民党が対立し、民進党籍の行政院長が就任した。2001年に李登輝前総統を支持するグループが台湾団結連盟(台連)を結成。立法委員(国会議員)選挙で国民党が大敗して過半数割れ、民進党が第一党となり、親民党も躍進し、台連も議席を得た。しかし、民進党は台連を足しても過半数を制することができず、少数与党の「ねじれ」を解消できず、野党の国民党と親民党が接近した。2002年には陳水扁総統が「台湾と中国は『一邊一國』(チッピンチッコッ/それぞれ別の国)である」と表明。2003年は、中国で発生したSARSが流行し、台湾のWHO(世界保健機関)加盟問題が注目される。24時間客家語で放送する客家テレビが開局した。

 2004年には陳水扁総統が僅差で再選。投票日前日に銃撃事件が起こったことから、国民党候補が選挙結果を受け入れず、選挙後に票の数え直し等で混乱した。総統選挙と同時に台湾で初めて「反ミサイルの自己防衛強化」と「両岸(台中)の対等協議」の国民投票が行われたが野党陣営が投票をボイコットしたため両案とも不成立。立法委員選挙で与党の民進党は台連を加えても過半数を獲得できず、与党が敗北。また、当時世界最高の「台北101ビル」が竣工した。2005年には国民大会廃止・立法委員(国会議員)半減・立法委員選挙の小選挙区比例並立制導入などの中華民国憲法改正のための国民大会代表選挙(比例代表)が行われ、大政党に有利な小選挙区導入等の憲法改正が通過した。2007年には、日本の新幹線技術を導入した台湾新幹線(台湾高鉄)が開業。陳総統は脱中華民国の「台湾正名」政策を進め、「中華郵政」を「台湾郵政」に、「中国石油」を「台湾中油」に、「中正紀念堂」を「台湾民主紀念館」に改名。初めて「台湾」の名義で世界保健機関(WHO)に正式加盟申請。初めて「台湾」名義で国連に正式加盟申請した。

 2008年には台湾で初めて小選挙区制が導入された立法委員選挙で野党・国民党が圧勝。民進党は大敗し、小政党の台連は議席をすべて失った。続く総統選挙で民進党を破って、国民党の馬英九(マー インチョウ)元台北市長が当選。総統選挙と同時に実施された台湾国連加盟、中華民国国連復帰等の国民投票は野党のボイコットでいずれも不成立となった。馬英九総統は、「一つの中国の解釈を各自表明する」(一中各表、台湾は中国=中華民国)とした「1992年合意」に基づき、対中関係の改善を模索した。中華人民共和国のことを「中国」と呼ぶのをやめて、「中国大陸」という地域名称で呼ぶことを復活させた。また、陳水扁総統時代に名称変更された「台湾民主紀念館」が「中正紀念堂」に、「台湾郵政」が「中華郵政」に戻された。呉伯雄・中国国民党主席と中国の胡錦濤・中国共産党書記長(国家主席)の国共トップ会談が実現。中国人の台湾観光が解禁され、中台直直航週末チャーター便が就航した。

 2009年には両岸チャーター便が定期便化。世界保健機関(WHO)年次総会に、国連未加盟の台湾が「中華台北」(Chinese Taipei/チャイニーズタイペイ)名義でオブザーバーとして参加した。2010年は台湾と中華人民共和国が「両岸経済協力枠組み協定」(ECFA)を締結した。2011年は台湾で中華民国建国100周年の祝賀行事が行われ、日本で孫文の活動を主に金銭面で支えた梅屋庄吉(うめや しょうきち)らが台湾でも見直された。日本で発生した東日本大震災に対して台湾から200億円を超える義援金が寄せられ、馬英九総統も自らチャリティー番組に出演して台湾国民に募金を呼びかけた。また、慈済や仏光山などの仏教団体などの宗教団体も被災地でボランティア活動や義援金配布活動などを積極的に行った。改めて日台関係の強い絆が確認される形となり、秋に日台投資協定や日台オープンスカイ協定が結ばれ、ビジネス面でも日台協力がより促進された。

 2012年の総統選挙で馬英九総統が再選され、2期目の馬英九政権は、尖閣問題をめぐり日本と対立した。馬政権は尖閣(釣魚台)の領有権を主張する一方で、「東シナ海平和イニシアチブ」を提起し、関係国との対話と主権争議の棚上げ、資源の共有などを呼びかけた。また、日台漁業交渉の再開合意をきっけに日本との関係修復に取り組んだ。2013年は、日本と日台漁業協定に調印し、重複する東シナ海の排他的経済水域(EEZ)内の日台の共同漁業操業について合意した。中国と「両岸サービス貿易協定」に調印したが、台湾国内への説明不足で反発が強く、立法院(国会)での審議が進まない状況となった。2014年に両岸サービス貿易協定に反対する大学生らが立法院(国会)の強行採決に抗議して立法院に突入、占拠した。学生らはインターネット中継を駆使して海外に自らの主張を発信し、「ひまわり学生運動」(太陽花學運)と呼ばれるようになり、台湾の民意は大きな転機を迎えた。経済的にも中国に吞み込まれたくない台湾の若者の声が世界中に発信され、台湾国内でも若者らを支持する動きが強まり、王金平(オン キムピン)立法院長(国会議員)は学生らを排除せず、約3週間にわたり学生らが立法院に居座り抗議を続けた。王院長は学生側の要求に応じて「両岸協定監督条例」が法制化されるまでサービス貿易協定の国会承認審議を行わないと約束して学生らと合意し、平和的に立法院から退去した。これによって中台両岸の経済自由化の動きは停滞するが、これ以上の開放を望まない適度な開放でよしとする台湾国民の支持を得て、野党の民主進歩党(民進党)が12月の地方選挙で6都のうち4都を獲得。首都台北市も民進党が支持する無所属候補が勝利し、与党の中国国民党は新北市しか守れず大敗を喫した。

 2015年は、第二次世界大戦終戦70周年を迎え、台湾では、7月より中華民国抗日戦争勝利70周年の関連行事を開催。当時の中国大陸で抗日戦争に参加し、戦後中国国民党とともに台湾に渡って来た元国民党軍兵士らをねぎらうとともに、馬総統が戦時中の米軍の蒋介石政権への支援に感謝し、当時の日本軍の侵略を批判した。馬総統は11月にシンガポールで中国の習近平(习近平/シー チンピン)国家主席と会談し、1949年の中華人民共和国建国後初の中台両国の首脳会談が実現したが、馬総統は中台交流の基礎とする「92年合意」についてもともと台湾側が強調していた「一中各表」(一つの中国の解釈をそれぞれ表明する)の「各表」や現存する「中華民国」を習主席を前にした公開発言で述べず、「一つの中国」のみが強調されたため、台湾で批判され、与党の支持率回復にはつながらなかった。中国側は台湾に「同属一中」(同じ一つの中国に属する)を表明するよう再三圧力をかけていた。

 2016年は総統選挙で民主進歩党の蔡英文(客:ツァイ インヴン/台:ツォア インブン)が当選し8年ぶりに政権交代し、台湾初の女性リーダーの誕生となった。また、国会選挙も民主進歩党が初めて過半数を制し、ひまわり学生運動を支持基盤とする新政党「時代力量」も議席を獲得した。対日関係においては日本留学経験のある謝長廷(チア テョンティン)元行政院長(元首相)を駐日大使として派遣し、日本重視の姿勢を示した。中台関係について「現状維持」を公約として当選した蔡総統は、中華人民共和国(中国)が台湾に受け入れを迫る「一つの中国」を認める「1992年合意」について、前政権が主張していた「一中各表」(一つの中国の解釈を各自表明する)に基づく「一つの中国=中華民国」という路線を修正し、中華民国憲法と両岸人民関係条例に基づき両岸実務を処理し、「1992年会談」の歴史的事実を尊重するという立場をとり、中国との対話を呼びかけた。しかし、中国は台湾との対話を拒否し、国際機関からの台湾排除の圧力をかけ、台湾に「一つの中国」の受け入れを迫っている。台湾は、台湾化された「中華民国」の現状を維持しながら、国際社会に認められる正常な国を目指して、国のあり方を模索している。

台湾(中華民国)
タイワン
臺灣(中華民國)(台湾華語)
(1895~1945年日本が統治、1949年に中華民国政府が移転)
面積:3.6万平方キロ
人口:2350万
通貨:台湾元
主要言語:台湾語、台湾華語、客家語、(アミ語、タイヤル語、パイワン語、ブヌン語、セデック語、タロコ語、ルカイ語、ツォウ語、プユマ語、タウ語、サイシヤット語など)
首都:台北/臺北
タイパッ/Tâi-pak(台湾語)
タイペイ/ㄊㄞˊㄅㄟˇ (台湾華語)(人口262万)

(参考:Wikipediaなど)

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中国 漢字発祥の国、広大で多様な中華人民共和国

中华人民共和国 (簡体字中国語)
中華人民共和國 (繁体字中国語・香港澳門広東語)
Cunghvaz Yinzminz Gunghozgoz (チワン語)
جۇڭخۇا خەلق جۇمھۇرىيىتى  (ウイグル語)
ཀྲུང་ཧྭ་མི་དམངས་སྤྱི་མཐུན་རྒྱལ་ཁབ། (チベット語)
ツォンホアレンミンコンホークオ/Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó (中国語/北京語読み)
中華人民共和国(中国)

中国 漢字発祥の国、広大で多様な中華人民共和国

 中華人民共和国(中华人民共和国/ツォンホアレンミンコンホークオ)は、ユーラシア大陸東部に位置する東アジアを代表する国の一つで、1949年に建国された。一般的には「中国」(ツォンクオ)と呼ばれている。

 世界最大の約14億人の人口を抱え、面積は約956.1万平方キロメートルでロシア連邦、カナダ、アメリカ合衆国に次いで第4位。国内総生産(GDP)は2010年に日本を抜いてアメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の経済大国となったが、一人あたりGDPは米ドル換算で約4400ドル(2010年)に過ぎず、日本の約9~10分の1に過ぎない。また、一人当たり購買力平価(PPP)換算でも約7500ドルで、日本の約4~5分の1である。富裕層の人口数は多く(割合は少ない)、世界経済にも影響を与えているが、国民全体が豊かとは言い難い。

 日本とは海を挟んで隣接しており、日本との人的往来も極めて緊密であり、日本文化も中国文化の影響を大きく受けている。特に漢字や漢文は、日本と中国をつなぐ文化の架け橋となっているほか、日本語の「ひらがな」や「カタカナ」も漢字がもとになっている。日本語の漢字の音読み発音は、現代中国語(北京語)とはかなり異なるが、共通する部分も多く、また、北京語よりも福建語や客家語、広東語などの漢字発音のほうが日本語の漢字の発音に近い。また、日本では中華料理店がたくさんあり、ラーメンや餃子はすでに日本化して日本人の食生活に定着している。これらのことから、日本人はほかの外国人よりも比較的深いところまで中国文化に興味を持ちやすく、文化交流も盛んである。

 中国は長江(长江/ツァンチャン)や黄河(ホアンホー)という大きな川が流れ、大陸を潤している。広大な面積を持つ中国の気候は、大ざっぱに満洲(東北)は亜寒帯、華北、華中は温帯、華南は亜熱帯、内モンゴルはステップ気候、新疆ウイグルは砂漠気候、チベットは高山気候というふうに多様性に富んでいる。そのため、北方中国ではどちらかといえば小麦が主食、南方中国ではどちらかといえば米が主食というように、食文化の違いも大きい。食文化は水餃子(水饺/スエイチャオ)や北京ダック(北京烤鸭/ペイチン カオヤー)、羊肉鍋(ヤンロウクオ)などの北方料理、小籠包(小笼包/ショーロンポウ)や東坡肉(东坡肉/トンポーロウ)などの上海料理、麻婆豆腐(マーポートウフー)、担担麺(担担面/タンタンミエン)、青椒肉絲(青椒肉丝/チンチャオ ロウスー)などの四川料理、焼売(シューマイ)、雲呑(ワンタン)、叉焼(チャーシュー)などの広東料理が有名である。

 中華人民共和国の領土は広大であり、いくつかの地域に分かれる。
首都・北京(ペイチン)、天津(ティエンチン)市、河北(ホーペイ)省、山西(サンシー)省などの華北地方、遼寧(リャオニン)省、吉林(チーリン)省、黒竜江(龙江/ヘイロンチャン)省などの旧満洲の東北(东北/トンペイ)地方、山東(山东/サントン)省、江蘇(江苏/チャンスウ)省、安徽(アンホエイ)省、上海(サンハイ/サァヘー)市、浙江(ツォーチャン/ツェッカァ)省などの華東地方、陕西(サンシー)省、河南(ホーナン省)、甘粛(甘肃/カンスウ)省などの華西地方、湖北(フウペイ)省、湖南(フウナン)省、江西(チャンシー/コンシー)省などの華中地方、福建(フゥーチエン/ホッケン/フッキョン)省、広東(广东/クァントン/クォントン)省などの華南地方、重慶(重庆/ツォンチン)市、四川(スーツォワン)省、貴州(贵州/クエイツォウ)省、雲南(云南/ユンナン)省などの西南地方のほか、北東部に内モンゴル自治区、北西部に新疆ウイグル自治区( شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونى )、寧夏回族自治区、南西部にチベット自治区(བོད་རང་སྐྱོང་ལྗོངས་)、南部に広西チワン族自治区(Gvangjsih Bouxcuengh Swcigih)、香港(ホンコン)特別行政区、マカオ(澳門/オウムン)特別行政区などの自治区・特別区が置かれている。このほか中華人民共和国は、1949年の建国時に内戦で敗れた中国国民党が逃れた台湾の領有権を主張しているが、建国以来実際には支配したことがなく、中華人民共和国の領土ではない。

 中華人民共和国にはさまざまな民族が住んでいる。漢族が最大民族で人口の94%を占めるほか、55の少数民族を認定している。漢語系の漢族についても、実際には地方によって民族(言語)集団が異なり、同じ漢字を使っていても漢字の発音や語彙が異なるなど、外国語並みの違いがある。北京語系の言葉を母語とする北方(華夏)系族が最大集団(約8億5000万人)であるが、上海市や浙江省、江蘇省南部などに住む呉語系族(約8000万人)、広東省、広西チワン族自治区南部、香港、澳門などの広東語系族(約7000万人)、広東省東部から福建省西南部、江西省南部の客家(ハッカ)語系族(約4500万人)、福建省南部の福建語(閩南語)系族(約2000万人)、福建省北東部の福州語(閩東語)系族(約500万人)、広東省南東部の潮州語系族(約1500万人)、湖南省の湖南語(湘語)系族(約3500万人)、江西省の江西語(贛語)系族(約2000万人)などに分かれている。そのほか、四川省の四川語など南東部の方言は基本的には北方系の言葉ではあるが北京語と比べると方言の差が極めて大きい。このように「漢族」とされる人々だけでも実に多様性に富んでいる。

 このほか海外でも、台湾、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシア等には中国南部(主に福建省、広東省)からの移民が多く定住している。特に福建人(閩南人)、客家人、広東人、潮州人、福州人の移民が多く、東南アジアでは華僑や華人と呼ばれている。台湾では主に清の時代に福建省南部(閩南)から移民して平地の先住民と融合した福建系(ホーロー人)が多数派であり、広東省東部からの客家系も次いで多い。また、日本、イギリス、アメリカ、カナダ等にも中国からの移民が住み、日本でも横浜、神戸、長崎などに中華街が形成されているほか、イギリスのロンドンは香港統治の関係から広東系が多い。

 中華人民共和国では少数民族についても人口100万人を超える“多数”民族が17あり、最も多いのがチワン族(約1620万人/広西チワン自治区等)で、そのあとは人口順に満洲族(約1070万人/遼寧、吉林、黒竜江、河北の各省、北京市等)、回族(約980万人/寧夏回族自治区、甘粛省等)、ミャオ(モン)族(約900万人/貴州、湖南、雲南、湖北、四川、広東、海南の各省、広西チワン族自治区、重慶市等)、ウイグル族(約840万人/新疆ウイグル自治区等)、トゥチャ族(約810万人/湖南、湖北、貴州の各省、重慶市等)、イ(ノス)族(約780万人/雲南、四川、貴州の各省等)、モンゴル族(約580万人/内モンゴル自治区、遼寧、吉林、河北、新疆、黒竜江、青海の各省・自治区等)、チベット族(約580万人/チベット自治区、青海、四川、甘粛、雲南の各省等)、プイ族(約300万人/貴州、雲南の各省等)、トン族(約300万人/貴州、湖南、広西の各省・自治区等)、ヤオ族(約260万人/広西チワン族自治州、湖南、広東、雲南の各省等)、朝鮮族(約200万人/吉林、黒竜江、遼寧の各省等)、ペー族(約190万人/雲南、貴州、湖南の各省等)、ハニ族(約145万人/雲南省等)、カザフ族(約130万人/新疆ウイグル自治区等)、リー族(約125万人/海南省等)、タイ族(約120万人/雲南省等)などの民族が住んでいる。そのほかにもさまざまな少数民族が住んでいる。

 言語事情は、各地で各民族の言語が話されているが、中華人民共和国では中国語(北京語)が「普通話」(プウトンホア)として実質的には共通語の役割を担っている。中国語は複雑な漢字を用いる言語で、古くは「官話」と呼ばれる官吏の共通語が地方ごとにいくつかあり(華北官話、西北官話、南西官話、江淮官話など)、これが進化して現代中国語の基礎となった。中華民国時代には1926年に「国語」として(華北官話をベースにした)北京語が採用され、普及が進められた。中華人民共和国成立後は、1956年に漢字の簡略化が行われ、1960年代に定着した。また、中国語の発音記号は中華民国時代はカタカナに似た注音符号(ㄅㄆㄇㄈ)が使われていたが、中華人民共和国になってからは1958年にローマ字の漢語ピンイン(汉语拼音/Hànyǔ pīnyīn)が正式に採用され、注音符号が廃止された。中華人民共和国では簡体漢字とピンインを使って強力な中国語(北京語)普及が進められ、共通語としての地位を築いたが、一方で中国語優先社会を強引に推し進めた結果、郷土言語の不尊重と、少数言語の消失の危機を招いた。

 民族自治区では中国語と民族言語が併記され、学校で民族語による教育も行われてきたが、高等教育は中国語のみであったり、中国語優先社会が結果として漢族有利社会につながり、各自治区ではまるで植民地支配のようだとしてチベットやウイグル、内モンゴルでは独立や、より高度な自治を求める動きも根強くあり、そのたび当局が鎮圧を繰り返してきた。一方で、中国の北に隣接するモンゴル国ではソビエト連邦との関係が深かったモンゴル人民共和国時代の1941年にモンゴル語をロシア語と同じキリル文字化したが、中国の内モンゴル自治区では伝統的なモンゴル文字が今も使用されている。しかしながら、内モンゴル自治区には漢族の流入が進み、先住民のモンゴル族が少数派になってしまい、モンゴル語が少数派言語になっている。

 そのほか、香港(ホンコン)はイギリス、澳門(マカオ)はポルトガルに統治されていたことから、香港は英語、澳門はポルトガル語が通用するほか、いずれも地元言語である広東語が公的言語として使用されていて、広東語優先社会が形成されている。また、中華人民共和国の漢字簡略化政策が及ばなかったことから、現在も香港と澳門では旧字体(繁体漢字)が使用されている。一方、広東省は広東語の中心地であるが、社会的には中国語が優先され、広東語を話さない出稼ぎ労働者も多く流入している。しかしながら、テレビでは広東語の放送もあるし、地下鉄やバスのアナウンスでも、中国語の次に広東語がアナウンスされる(香港や澳門では広東語が先)。広東省の潮州語圏でも潮州語が併用されていて、福建省でも最近、福建語(閩南語)などでテレビ放送したり、アナウンスで併用する動きがある。一方、上海では呉語系の上海語を地元の住民が話しているが、上海語は公的言語にはなっておらず、上海語によるテレビニュースもなく、地下鉄などの自動アナウンスにも採用されていないため、上海語の使用範囲拡大を求める地元の声もある。

 中国の主要都市は、行政区画と実際の都市部が必ずしも一致していないのでわかりにくいが、省と同格で市として独立している「市」は日本のでいう「府」や「都」のような感じの広域市であり、そのなかに「区」や「県」、「鎮」などの行政区画がある。区がまとまたのを都市部と考えると、大まかに見れば、都市部の人口約1000万人の上海が最大都市で、上海市全体では約1400万人に達し、高層ビルや高層マンションが林立し、急速な経済発展を遂げている。次いで第2の都市が首都の北京で都市部の人口約750万人、市区人口は約1150万人、北京市全体では約1200万人を超える。古くからの政治の中心都市で中心部は紫禁城「故宮」など歴史建築も多いが、上海と同様に、近年は郊外まで急速に都市化が進んでいる。第3位は湖北省の武漢(武汉/ウーハン)で、都市部人口約830万人。第4位は人口約700万人の香港で、イギリス統治下で発展した世界有数の金融都市であるとともに、広東語文化圏の中心都市でもある。島や半島の限られた土地に高層ビルが立体的に林立するのが独特の景観を生み、観光都市としても人気が高い。5位は広東省の広州で、都市部(市区)人口約640万人で広州市全体では約800万人。香港とともに広東語圏の主要都市である。6位は都市部人口約590万人の重慶で、内陸部の最重要都市となっている。7位は天津で、都市部人口約500万人、市区人口約790万人、天津市全体では約960万人で、北京と近接し、国際港の重要な役割を果たしている。8位は遼寧省の瀋陽(沈阳/センヤン)で、都市部(市区)約500万人、市全体で約700万人、満洲(東北)地方最大の都市である。

 中国には鉄道路線が各地に張り巡らされ、交通の主力となっており、大陸的な客車列車が走っているほか、近年は主要各都市で地下鉄・近郊電車など都市型鉄道の整備が急ピッチで進められているほか、高速道路や高速鉄道(中国版新幹線)の建設も急速に進んでいる。航空路線は、中国国際航空や中国東方航空、中国南方航空が主に国際路線を運航し、キャセイパシフィック航空(國泰航空)は香港を拠点としている。

 中華人民共和国の通貨は香港・澳門以外で人民元が使われている。人民元は多民族国家であることを象徴して、中国語の漢字(簡体字中国語)のほか、モンゴル語、チベット語、ウイグル語、チワン語も併記されている。香港では香港ドル(繁体字中国語、英語が併記)、澳門ではマカオ・パタカ(繁体字中国語、ポルトガル語が併記)が使用されている(近年は人民元も流通している)。 

 中華人民共和国の建国は1949年であるが、広大な中華の歴史は古く、多様、複雑である。多数派の漢族中心の歴史で見れば、北京原人や黄河・長江文明から、「夏」(紀元前約2000年前)、「殷」(紀元前17世紀~紀元前11世紀頃)、「周」(紀元前1046年~紀元前256年)、春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)、「秦」(紀元前771年~紀元前207年)、「漢」(紀元前(紀元前206年~263年)、「魏」・「呉」・「蜀」の三国時代(220年~280年)、「晋」(265年~420年)、「北魏」(386年~534年)、南北朝時代(439年~589年)、「宋」(南朝)(420年~479年)、「斉」(南朝)(479年~502年)、「梁」(南朝)(502年~557年)、「陳」(南朝)(557年~589年)、北朝(西魏、東魏、北周、北斉など)、「隋」(581年~618年)、「唐」(618年~907年)、五代十国時代(呉、呉越、閩、楚、荊南、前蜀、南漢、安南など)(907年~960年)、「宋」(960年~1279年)、「元」(1271年~1368年)、「明」(1368年~1644年)、「清」(1644年~1912年)、「中華民国」(1912年~1949年)、「中華人民共和国」(1949年~)と続いている。このうち、「元」はモンゴル人による王朝、「清」は満洲人による王朝であった。

 満洲人支配の「清」を打倒するため孫文(孫中山)らが1911年に辛亥革命を起こし、1912年に「中華民国」が建国された。中華民国は漢族、満洲族、モンゴル族、回(ウイグル)族、チベット族の「五族共和」を掲げ、清国の領土の大部分を継承した(チベットは実効統治されておらず、外モンゴルは1924年にモンゴル人民共和国として独立)。1933年と1944年にはウイグルも「東トルキスタン共和国」として独立へ動いたが、いずれも中国側に壊滅にさせられた。中華民国政府も建国後、混乱と分裂状態が続いた。臨時大総統だった孫文は南北統一のために袁世凱に臨時大総統の座を譲ったが、袁世凱は1915年に一時的に国名を「中華帝国」に改めるなど独裁的体制であった。そのあと軍閥が各地で割拠する内戦状態となり、孫文は1919年に中国国民党を結成し、1921年に広州で革命政府を樹立し、1925年に孫文が死去すると、1926年から蒋介石が北伐を開始し、1928年に南京に中華民国国民政府が樹立された。それまで「五色旗」だった中華民国国旗は1928年に「青天白日満地紅旗」に変更された。その後、日中戦争となり、満洲には日本の関東軍主導で「満洲国」(1932年~1945年)が建国され、満洲人の清朝のラストエンペラーである愛新覚羅溥儀が皇帝に即位したが、日本敗戦により1945年に崩壊した。また、日中戦争時に1940年に南京で成立した汪兆銘政権が日本側と協力したが日本の敗戦で崩壊した。

 1949年に中華人民共和国を建国する中国共産党(中共)は1921年に結成され、ソビエトのコミンテルン(国際共産主義組織)の指導を受けながら活動し、1924年の第一次国共合作で国民党と協力したが、その後敵対し、農村に拠点を置き、日中戦争時に第二次国共合作を行ったが、戦後は国共内戦となり、満洲をソ連が一時占領したことから共産党は満洲から南へ攻め、蒋介石を指導者とする国民党の中華民国政府は、内戦に敗れて台湾へ逃れた(台湾は日清戦争後の1885年に清国から日本へ割譲され、日本は台湾総督府を置いて統治した。1945年の日本敗戦後、台湾は中華民国に移管されていた。1949年に台湾に逃れた蒋介石は台湾に政権を築き、台湾で「中華民国」総統として「大陸反攻」を主張した)。

 1949年に中共の指導者・毛沢東(毛泽东/マオ・ツォートン)が「中華人民共和国」の建国を宣言した。中華人民共和国の国旗は「五星紅旗」となった。中華人民共和国は建国後、中国共産党による独裁体制を築いた。社会主義を掲げ人民公社などの農村集団化がはかられた。中共の人民解放軍はウイグルとチベットを制圧し、チベット仏教やイスラム教も弾圧された。1959年にチベット動乱で、チベットの宗教指導者であるダライ・ラマ14世と多くのチベット人がインドに亡命し、インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立した。毛沢東国家主席の号令によって農工業の大増産を目指す大躍進政策(1958年~1960年)で国内が大混乱したほか、1966年~1978年の資本主義者や右派を批判する文化大革命では紅衛兵による全国的な粛清運動が巻き起こり、膨大な犠牲者が出た。そのような中、中華人民共和国は1971年に国連に加盟し(台湾の「中華民国」が脱退)、1972年に日本と国交を樹立した。

 1976年に毛沢東が死去し、文化大革命が終息すると、小平(邓小平/テン・シャオピン)が実権を握るようになり、「改革・開放」路線へと舵が切られ、人民公社は生産責任制へと移行し、経済特別区を設置して外国資本・技術を積極的に取り込むようになり、沿岸部の経済発展が始まった。東欧の共産主義政権崩壊の流れで1980年代後半に中国の民主化を求める学生運動が盛り上がったが、1989年の「天安門事件」では軍の戦車が民主化を求める学生らを鎮圧した。

 その後、江沢民(江泽民/チャン・ツォーミン)が1993年から2003年まで国家主席を務め、1997年に香港がイギリスから、1999年に澳門(マカオ)がポルトガルから移管され、一国二制度による統治が始まった。2003年からは胡錦濤(胡锦涛/フウ・チンタオ)が国家主席を務め、積極的な経済発展に力を入れ、輸出入は活発となって世界の工場としての地位を確立した。また、台湾とは2008年に台湾で中国国民党が与党に復帰したのをきっかけに関係改善が進み、2009年に両岸直行便が定期便化され、2010年に「両岸経済枠組み協定」が結ばれた。しかしながら、中国共産党の独裁体制は変わらず、インターネットを規制するなど公的な場での報道・言論の自由が厳しく制限されている。経済は発展途上にあるが、急速な経済発展が深刻な貧富の格差を生むなど、中国は世界の工場としての役割を担っているが、経済発展とともに物価・賃金も上昇傾向にあり、大量の安い労働力を利用したビジネスモデルからの転換が必要となっており、富の分配の不公平さの改善が社会的安定の課題となっている。


(参考Wikipediaほか)

中華人民共和国(中国)
ツォンホア・レンミンコンホークオ
中华人民共和国(中国語)
中華人民共和國(香港澳門・広東語)
(1949年まで中華民国、1949年独立)
面積:956.1万平方キロ
人口:13億4575万
通貨:人民元、香港ドル
主要言語:中国語、(広東語、上海語、福建語、客家語、潮州語、チベット語、ウイグル語、南モンゴル語、チワン語、福州語、湖南語、江西語、ミャオ語、朝鮮語、イー語、英語、ポルトガル語など)
首都:ペキン(ペイチン)/北京(中国語)(人口1145万)


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アジア各国情報 東アジア

アジア各国情報 東アジア

(参考:Wikipedia、外務省HPほか)

日本国
にっぽんこく(日本語)
面積:37.8万平方キロ
人口:1億2739万
通貨:日本円
主要言語:日本語(関東方言、関西方言、中部方言、九州方言、東北方言、中国方言、四国方言、北陸方言、沖縄語、アイヌ語、韓国・朝鮮語など)
首都:東京/とうきょう (日本語)(人口880万)

中華人民共和国(中国)
ツォンホア・レンミンコンホークオ
中华人民共和国(中国語)
中華人民共和國(香港澳門・広東語)
(1949年まで中華民国、1949年独立)
面積:956.1万平方キロ
人口:13億4575万
通貨:人民元、香港ドル
主要言語:中国語、(広東語、上海語、福建語、客家語、潮州語、チベット語、ウイグル語、南モンゴル語、チワン語、福州語、湖南語、江西語、四川語、ミャオ語、朝鮮語、イー語、英語、ポルトガル語など)
首都:ペキン(ペイチン)/北京(中国語)(人口1145万)

台湾(中華民国)
タイワン
臺灣(中華民國)(台湾語、台湾華語)
(1895~1945年日本が統治、1949年に中華民国政府が移転)
面積:3.6万平方キロ
人口:2300万
通貨:台湾元
主要言語:台湾語、台湾華語、客家語、(アミ語、タイヤル語、パイワン語、ブヌン語、セデック語、タロコ語、ルカイ語、ツォウ語、プユマ語、タウ語、サイシヤット語など)
首都:台北/臺北
タイパク/Tâi-pak(台湾語)
タイペイ/ㄊㄞˊㄅㄟˇ (台湾華語)(人口262万)

大韓民国(韓国)
テハンミングク
대한민국(韓国・朝鮮語)
(1910~1945年日本が統治、1948年独立)
面積:9.8万平方キロ
人口:4833万
通貨:韓国ウォン
主要言語:韓国・朝鮮語
首都:ソウル/서울(韓国語)(人口1042万)

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
チョソン・ミンジュジュウィインミンゴンファグク
조선민주주의인민공화국(朝鮮語)
(1910~1945年日本が統治、1948年独立)
面積:12.1万平方キロ
人口:2391万
通貨:朝鮮ウォン
主要言語:朝鮮語
首都:ピョンヤン(平壌)/평양(朝鮮語)(人口326万)

モンゴル国
Монгол Улс(モンゴル語)
(1924年モンゴル人民共和国独立、1992年モンゴル国に改名)
面積:156.5万平方キロ
人口:267万
通貨:トゥグルグ
主要言語:モンゴル語(キリル文字)
首都:ウランバートル(ウラーンバータル)/Улаанбаатар(モンゴル語)(人口104万)

中華人民共和国の地域

内モンゴル自治区(南モンゴル)
ovormonggol(南モンゴル語)
内蒙古自治区(中国語)
(1939年蒙古連合自治政府成立、1947年内蒙古自治区人民政府、1949年より中華人民共和国が統治)
面積:118.3万平方キロ
人口:2384万
通貨:人民元
主要言語:南モンゴル語(モンゴル文字)、中国語
首府:
huhhot
フフホト(南モンゴル語) (人口:258万)

新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)
شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونى(ウイグル語)
新疆维吾尔自治区(中国語)
(1933年と1944年に東トルキスタン共和国独立宣言、1949年に中華人民共和国に併合)
面積:166万平方キロ
人口:1963万
通貨:人民元
言語:ウイグル語、中国語、(カザフ語、キルギス語、オイラト・モンゴル語)
首府:
ウルムチ/ئۈرۈمچی(ウイグル語)
ウールームーチー/乌鲁木齐(中国語)(人口231万)

チベット自治区(プー)
བོད་རང་སྐྱོང་ལྗོངས་(チベット語)
西藏自治区(中国語)
(1951年中国人民解放軍がラサ占領、1959年ダライラマ亡命チベット地方政府廃止、中華人民共和国による直接統治始まる)
面積:122.8万平方キロ
人口:274万
通貨:人民元
主要言語:チベット語、中国語
首府:
ラサ(レーサ)/ལྷ་ས་(チベット語)
ラーサー/拉萨(中国語)(人口42万)

広西チワン族自治区(クヴァンスィー)
Gvangjsih Bouxcuengh Swcigih(チワン語)
广西壮族自治区(中国語)
(1958年、広西省から広西チワン族自治区に改編)
面積:23.6万平方キロ
人口:4857万
通貨:人民元
主要言語:チワン語、広東語、中国語
首府:南寧
ナムニン/Namzningz(Nanzningz)(チワン語)
ナムニン/南宁(広東語)
ナンニン/南宁(中国語)(人口245万)

香港特別行政区(ホンコン)
香港特別行政區(広東語)
香港特别行政区(中国語/北京語)
Hong Kong Special Administrative Region(英語)
(1997年イギリスから中華人民共和国に移管)
面積:0.1万平方キロ
人口:701万
通貨:香港ドル
主要言語:広東語、中国語、英語
首府:香港
ホンコン(ヘョンコン)/香港(広東語)
シャンカン/香港(中国語)
ホンコン/Hong Kong(英語)(人口701万)

マカオ特別行政区(マカオ/オウムン)
澳門特別行政區(広東語)
澳门特别行政区(中国語)
Região Administrativa Especial de Macau(ポルトガル語)
(1999年ポルトガルから中華人民共和国に移管)
面積:0.003万平方キロ
人口:56万
通貨:マカオパタカ
主要言語:広東語、中国語、(ポルトガル語)
首府:
オウムン/澳門(広東語)
アオメン/澳门(中国語/北京語)
マカオ/Macau(ポルトガル語)(人口56万)

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東アジアの国の首都(現地語表記)

東アジアの国の首都


国名:にっぽん/日本
正式国名:にっぽんこく/日本国
首都:
とうきょう/東京 (日本語)


国名:한국/韓國
ハングク/韓国
正式国名:대한민국/大韓民國
テハンミングク/大韓民国
首都:
서울 (韓国語/朝鮮語)
ソウル


国名:조선/朝鮮
チョソン/朝鮮
正式国名:조선민주주의인민공화국
朝鮮民主主義人民共和国
首都:
평양 (朝鮮語)
ピョンヤン/平壌


国名:臺灣/Tâi-oân
(中華民國/ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊ ㄍㄨㄛˊ)
タイワン/台湾
(中華民国)
首都:
臺北
Tâi-pak/タイパク (台湾語/ホーロー語)
ㄊㄞˊ ㄅㄟˇ/タイペイ (台湾華語/北京語)
Thoi-pet/トイペッ (台湾客家語)
たいほく/台北


国名:Монгол
モンゴル
正式国名:Монгол Улс
モンゴル国
首都:
Улаанбаатар (モンゴル語)
ウランバートル(ウランバータル)


国名:中国
ツォンクオ/中国
正式国名:中华人民共和国
中華人民共和国
首都:
北京 
Bĕijīng/ペイチン (中国語/北京語)
ペキン/北京

その他・主要地域と主要都市

香港
Heung Kong/ヘョンコン (広東語)
Xianggang/シャンカン (中国語/北京語)
Hong Kong (英語)
ホンコン/香港
(中華人民共和国香港特別行政区)

澳門
Ou Mun/オウムン (広東語)
Àomén/アオメン (中国語/北京語)
Macau (ポルトガル語)
マカオ/澳門
(中華人民共和国澳門特別行政区)

ལྷ་ས་ (チベット語)
ラサ(レーサ)
拉萨/ラーサー (中国語)
(チベット・中華人民共和国チベット自治区)

ئۈرۈمچی‎, (ウイグル語)
ウルムチ
乌鲁木齐/ウールームーチー (中国語)
(東トルキスタン・中華人民共和国新疆ウイグル自治区)

Nanzningz (チワン語)
ナンニン
南宁
ナムネン (広東語)
ナンニン (中国語)
(チワン・中華人民共和国チワン族自治区)

huhhot
(南モンゴル語)
フフホト
Хөх хот/フフホト (モンゴル語)
呼和浩特/フウホーハオトー (中国語)
(南モンゴル・中華人民共和国内モンゴル自治区)

长春
Chángchūn/ツァンツン (中国語)
ちょうしゅん/長春
(旧満州国の首都・中華人民共和国吉林省)

大连
Dàlián/ターリエン (中国語)
だいれん/大連
(旧関東州・中華人民共和国遼寧省)

南京
Nánjīng/ナンチン (中国語)
なんきん/南京
(旧中華民国の首都・中華人民共和国江蘇省)

上海
zɑ̃ hɛ/サァヘー (上海語)
Shànghăi/サンハイ (中国語)
シャンハイ/上海
(中国最大の都市・中華人民共和国上海市)

福州
Hók-ciŭ/ホッチウ (閩東語/福州語)
Fúzhōu/フウツォウ (中国語) 
ふくしゅう/福州
(福建省の省都、閩東系の中心都市・中華人民共和国福建省)

厦门
Ē-mn̂g/エームン (閩南語/福建語)
Xiàmén/シアメン (中国語)
アモイ/厦門
(福建閩南系の中心都市・中華人民共和国福建省)

梅州
Moi-tsu/モイツウ (客家語)
Méizhōu/メイツォウ (中国語)
ばいしゅう/梅州
(客家系の中心都市・中華人民共和国広東省)

汕头
Soann-thau/ソワタウ (潮州語)
Shàntóu/サントウ (中国語)
スワトウ/汕頭
(潮州系の中心都市・中華人民共和国広東省)

广州
Kwong Chau/クォンツァウ (広東語)
Guăngzhōu/クァンツォウ (中国語)
こうしゅう/広州
(広東系の中心都市・中華人民共和国広東省)

西安
Xī'ān/シーアン (中国語)
せいあん/西安
(古代中国の都・中華人民共和国陝西省)

重庆
Chóngqìng/ツォンチン (中国語)
じゅうけい/重慶
(蒋介石時代の中華民国臨時首都・中華人民共和国重慶市)

那覇
ナファ (沖縄語)
なは (日本語)
(ウチナー・沖縄の首府・日本国沖縄県)

Хабаровск (ロシア語)
ハバロフスク
(極東の首府・ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方)

Южно-Сахалинск (ロシア語)
ユジノ・サハリンスク
豊原 (日本語)
とよはら
(樺太・サハリンの首府・ロシア連邦極東連邦管区サハリン州・樺太庁豊原支庁)

Улаан-Үдэ (ブリヤート語)
Улан-Удэ (ロシア語)
ウラン・ウデ
(ロシア連邦ブリヤート共和国の首都)

Кызы́л (トゥヴァ語、ロシア語)
クィズィール
(ロシア連邦トゥヴァ共和国の首都)

Дьокуускай (サハ語)
Якутск (ロシア語)
ヤクーツク
(ロシア連邦サハ共和国の首都)

Го́рно-Алта́йск (ロシア語)
ゴルノ・アルタイスク
(ロシア連邦アルタイ共和国の首都)

ביראָבידזשאן (イディッシュ語)
Биробиджа́н (ロシア語)
ビロビジャン
(ロシア連邦ユダヤ自治州の州都)

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