千葉・鎌ケ谷 鎌ケ谷大仏と初富開墾地、北総と成田へのアクセスルート

鎌ケ谷
かまがや

日本国千葉県鎌ケ谷市

千葉・鎌ケ谷 鎌ケ谷大仏と初富開墾地、北総と成田へのアクセスルート

 鎌ケ谷(かまがや)市は、千葉(ちば)県北西部の東葛(とうかつ)地方にある人口約11万人の市。

 北が柏(かしわ)市、西が松戸(まつど)市と市川(いちかわ)市、南が船橋(ふなばし)市、東が白井(しろい)市と接している。

 鎌ケ谷は、木下街道の鎌ケ谷宿の宿場町として町が形成され、江戸時代の1776年(安永5年)に、福田文右エ門によって鎌ケ谷大仏が建立された。この大仏は高さ1.8m、台座を入れても2.3mであり、奈良や鎌倉の大仏と比べると小さいが、鎌ケ谷のシンボルとなっている。

 明治時代になると、下総国(しもうさのくに)の徳川幕府放牧地だった小金牧(こがねまき)および佐倉牧(さくらまき)の開墾が進められ、その第一弾として明治2年(1869年)に「初富」(はつとみ)と命名された小金牧の開墾村に入植がはじまった。小金牧の開墾村は、二和(ふたわ)、三咲(みさき)、豊四季(とよしき)、五香(ごこう)、六実(むつみ)と続いた。このうち、二和と三咲は現在の船橋市、豊四季は柏市、五香と六実は松戸市にあり、新京成線や東武野田線の駅名をたどって探すこともできる。

 この開墾事業は江戸(東京)の貧民対策の一環として明治新政府が実施した政策であったが、結局その後、東京に戻る者が多く、開墾はあまりうまく定着しなかったようだ。明治22年(1889年)に鎌ケ谷村、初富村など6村が合併し、新しい鎌ケ谷村が発足した。鎌ケ谷村には、貨物の輸送のため、市川の中山(なかやま)まで、木下街道沿いに東葛人車鉄道が敷かれたが、大正6年(1917年)に廃止された。

 鎌ケ谷の人口増加のきっかけとなったのは、大正12年(1923年)に北総鉄道船橋線(現・東武鉄道野田線)が開業し、鎌ケ谷駅が開設された。これにより、船橋や柏方面が鉄道で結ばれた。このほか、小金牧の台地の分水嶺に沿って昭和初期に陸軍鉄道連隊演習線が津田沼(つだぬま)~松戸に建設されたが、戦後にこの路線が京成電鉄に払い下げられ、新京成電鉄・新京成線として旅客化され、津田沼方面から徐々に伸ばされ、昭和24年(1949年)に鎌ケ谷大仏(かまがやだいぶつ)駅まで開業。同年に鎌ケ谷大仏~鎌ケ谷初富(現・初富)が延伸された。そして、昭和30年(1955年)に初富~松戸が延伸されて全通した。この両路線の開業により、沿線開発が進み、鎌ケ谷の人口は急速に増加し、昭和33年(1958年)に鎌ケ谷町に、昭和46年(1971年)に鎌ケ谷市となった。

 鎌ケ谷市には、東武鉄道・野田線(東武アーバンパークライン)の鎌ケ谷駅と新鎌ケ谷(しんかまがや)駅、新京成電鉄・新京成線の鎌ケ谷大仏、初富、新鎌ケ谷、北初富(きたはつとみ)、くぬぎ山(くぬぎやま)の各駅、北総鉄道北総線・京成電鉄成田スカイアクセスの新鎌ケ谷駅があり、新鎌ケ谷駅で各路線との乗り換えができる。

 東武野田線と新京成線は、もともと市内に連絡する駅がなく、東武・鎌ケ谷駅と新京成・初富駅の間が徒歩約10分を要していた。千葉ニュータウン開発のため建設された北総鉄道が昭和54年(1979年)に北初富~小室(こむろ)が開業した際、北総鉄道は暫定的に北初富駅から新京成線の松戸駅まで乗り入れ、そこから国鉄常磐線に乗り換えることによって東京都心へのアクセスとしていた。北総鉄道は平成3年(1991年)に新鎌ケ谷(新京成との接続点)~京成高砂(けいせい たかさご)が開業し、京成高砂から京成押上線、東京都営地下鉄・浅草線方面に直通運転を開始し、平成4年(1992年)に新京成・松戸駅方面への直通運転を取りやめた。これに合わせて北総線と新京成線の乗り換え駅として開設されたのが新鎌ケ谷駅であった。

 東武野田線は、新鎌ケ谷駅のすぐそばを南北に通っていたが、駅が設置されていなかった。そこで駅設置を求める住民の声が高まり、平成11年(1999年)に新鎌ケ谷駅が開設され、乗り換えの利便性が大幅に向上した。

 さらに平成22年(2010年)に北総線は、京成成田空港線(成田スカイアクセス)の一部に組み込まれ、新鎌ケ谷駅は東京都心から成田スカイアクセス経由で成田空港を結ぶ「アクセス特急」の停車駅となった。北総線の新鎌ケ谷駅のホームは2面4線の高架駅で、北総線普通電車とアクセス特急の緩急接続が行われ、都心にも、千葉ニュータウンにも、成田空港にも非常に便利な立地として注目されるようになった。また、隣接して新京成線の高架化工事も進められており、平成31年(2019年)に完成予定である。新京成線は、津田沼から京成千葉線に直通運転しており、千葉市の千葉中央(ちばちゅうおう)まで乗り換えなしで行くことができる。

 新鎌ケ谷駅周辺には、鎌ケ谷市役所や、イオン鎌ケ谷ショッピングセンター、アクロスモール新鎌ケ谷などの大型商業施設も充実しており、発展を続けている。

 新京成線くぬぎ山駅の北側には松戸市の五香六実にまたがって陸上自衛隊松戸駐屯地があり、新京成線の前身が陸軍鉄道連隊演習線であった歴史を感じさせる。

鎌ケ谷エリアの主な駅

新鎌ヶ谷 / しんかまがや 駅
北総鉄道 北総線(成田スカイアクセス)
京成電鉄 成田空港線(成田スカイアクセス)
新京成電鉄 新京成線
東武鉄道 野田線(アーバンパークライン)

鎌ヶ谷 / かまがや 駅
東武鉄道 野田線(アーバンパークライン)

初富 / はつとみ 駅
新京成電鉄 新京成線

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北総線成田スカイアクセス・新鎌ケ谷駅

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北総線成田スカイアクセス・新鎌ケ谷駅

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北総線・新鎌ケ谷駅に停車する京成アクセス特急

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新京成線・新鎌ケ谷駅

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東武野田線・新鎌ケ谷駅

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新鎌ケ谷駅前のアクロスモール新鎌ケ谷

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イオン新鎌ケ谷

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埼玉・越生 越生梅林と花とハイキングの町

越生
おごせ

日本国埼玉県入間郡越生町

埼玉・越生 越生梅林と花とハイキングの町

 越生(おごせ)町は、埼玉(さいたま)県の入間(いるま)郡にある人口約1万人の町。北が比企(ひき)郡ときがわ町、東が比企郡鳩山(はとやま)町、南が入間郡の毛呂山(もろやま)町、西が飯能(はんのう)市と接している。

 難読地名である「越生」(おごせ)の由来は、「尾根越し」(おねごし)が、「尾越し」(おごし)になって、それがさらに「おごせ」になったと言われている。その名の通り、越生は山に囲まれ、東は秩父山地の尾根が連なる。

 越生町にはJR東日本・八高線の越生駅があり、小川町(おがわまち)、寄居(よりい)、高崎(たかさき)方面と、高麗川(こまがわ)、八王子(はちおうじ)方面を結んでいる。八高線は、高麗川以南が電化され、八王子~高麗川と川越線の高麗川~川越が一体運行されており、非電化の高麗川~越生~高崎はディーゼルカーがのんびり走るローカル線となっている。沿線住民は多くないが、自然豊かな沿線にはハイキングスポットが多く、行楽客も多い。

 また、越生駅からは東武鉄道・越生線が東武東上線の坂戸(さかど)まで結んでいて、越生町内には越生駅と武州唐沢(ぶしゅう からさわ)駅がある。東武越生線は昭和9年(1934年)に越生鉄道として越生まで開業し、戦時中の昭和18年(1943年)に東武鉄道に合併された。東武越生線は坂戸で東上線に乗り換えれば東京・池袋へ行けるので、通勤・通学客の利用が多い。

 越生駅から西に駅前の通りを歩いて行くと法恩寺がある。そこからさらに西へ歩いて行くと、越生神社や、越生大黒天「正法寺」があり、越生町役場の裏には「さくらの山公園」があり、春には桜の花見客でにぎわう。越生町役場の北約500mの五大尊(ごだいそん)の小高い山には「五大尊つつじ公園」が広がり、5月~6月には一面にツツジが咲く。このあたりは駅から歩いて散策するのにちょうどよい。

 越生は、九州の大宰府天満宮より分祀した天満宮に梅を植えたことから広がった関東三大梅林の「越生梅林」があり、梅の栽培も盛んで2~3月の梅の花の季節には多くの観梅客が訪れる。越生梅林は越生駅から約3キロ北西の小杉地区にある。越辺川(おっぺがわ)を上っていった黒山(くろやま)地区には男滝(おだき)、女滝(めだき)、天狗滝(てんぐたき)からなる「黒山三滝」がある。

越生エリアの主な駅

越生 / おごせ 駅
JR東日本 八高線
東武鉄道 越生線

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JR八高線と東武越生線が連絡する越生駅

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越生駅で出発を待つ東武電車

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越生駅の駅舎

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越生駅前通り

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越生・法恩寺

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越生大黒天「正法寺」

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越生大黒天「正法寺」

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越生・さくらの山公園

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越生・さくらの山公園

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神奈川 横浜・西谷 JR東急直通線がつながる相鉄西谷駅

横浜・西谷
よこはま・にしや

日本国神奈川県横浜市保土ケ谷区

神奈川 横浜・西谷 JR東急直通線がつながる相鉄西谷駅

 西谷(にしや)は、横浜(よこはま)市の保土ケ谷(ほどがや)区にある地区で、相模鉄道・相鉄本線の西谷駅がある。

 西谷駅のホームの真上を東海道新幹線が横切っており、ホームに新幹線の橋脚が立っており、ホーム上から高速で走る新幹線の姿も見える。西谷駅は特急、急行、快速などは通過し、各停のみ停車する駅であるが、もともと2面4線のホームで、各停が通過列車の待避を行っていた。西谷駅からは、横浜市の東西を貫通する相鉄の新線計画があり、その工事にともない、外側の2線が新線工事のために使用を中止しており、本線は内側2線のみの使用となっている。

 相鉄は西谷駅から約3キロ東の羽沢(はざわ)駅へ地下新線を建設し、JR東日本・東海道貨物線とつないで湘南新宿ラインの渋谷(しぶや)、新宿(しんじゅく)方面へ直通する相鉄JR直通線を建設中で、平成31年(2019年)の完成を目指して工事が進められている。さらに、羽沢から約4キロ北東の新横浜(しんよこはま)駅までほぼ東海道新幹線に沿って地下新線を建設し、東急電鉄が目黒線を延長する形で日吉(ひよし)~新横浜に建設する新線とつなげる相鉄東急直通線が平成34年(2022年)に完成する予定である。相鉄東急直通線については、目黒線の目黒(めぐろ)駅のほか、東横線の渋谷や、東京都営地下鉄三田線や東京メトロ南北線への直通運転も行われる予定となっている。

 相鉄JR直通線および相鉄東急直通線が完成すると、相鉄沿線から横浜駅を経由せずに直接東京都心に向かうことが可能となり、横浜駅の混雑緩和のほか、東京方面への通勤の大幅なスピードアップとなる。また、新横浜駅とつながることにより、東海道新幹線の利用が非常に便利となる。これらの路線が開業すれば、相鉄沿線の人口増加も期待され相鉄の輸送量も飛躍的に伸びるだろうから、相鉄の社運を賭けたともいえる横浜市西部のヒトの流れを変えうる一大プロジェクトだ。西谷駅はそのスタート地点であり、この工事風景から未来の想像がいろいろふくらむ。

横浜・西谷エリアの主な駅

西谷 / にしや 駅
相模鉄道 相鉄本線

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西谷駅を通過する相鉄特急

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西谷駅の真上を走る東海道新幹線

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工事が進む相鉄JR東急直通線

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工事が進む相鉄JR東急直通線

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茨城・常陸太田 久慈川と阿武隈高地、常陸秋そばとけんちんそば

常陸太田
ひたちおおた

日本国茨城県常陸太田市

茨城・常陸太田 久慈川と阿武隈高地、常陸秋そばとけんちんそば

 常陸太田(ひたちおおた)市は、茨城(いばらき)県北部(県北地域)にある人口約6万人の市。東が高萩(たかはぎ)市と日立(ひたち)市、南が那珂(なか)市、西が常陸大宮(ひたちおおみや)市と久慈(くじ)郡の大子(だいご)町、北が福島県東白川(ひがししらかわ)郡の矢祭(やまつり)町、塙(はなわ)町と接している。

 常陸太田市は、平成の大合併で、久慈郡の金砂郷(かなさごう)町、水府(すいふ)村、里美(さとみ)村を編入合併し、現在の市域となった。久慈川の北側に常陸太田の市街地があり、その北の阿武隈高地に旧・水府村、旧・里美村などの地域が広がり、南北に長い。

 常陸太田市には、那珂市の上菅谷(かみすがや)から常陸太田を結ぶJR東日本・水郡線常陸太田支線が通り、市内に河合(かわい)、谷河原(やがわら)、常陸太田の各駅がある。

 常陸太田駅は、もともと明治32年(1899年)に太田鉄道の太田駅として開業し、明治34年(1901年)に水戸鉄道に譲渡され、昭和2年(1927年)に国有化され、駅名も他県の太田駅との混同を避けるために常陸太田駅に改称された。常陸太田支線は、朝夕は水戸方面への直通列車が走っているが、日中は常陸太田~上菅谷の折り返し運転となっている。

 常陸太田駅の駅舎は平成23年(2011年)に改築され、「水戸黄門」こと徳川光圀(とくがわ みつくに)水戸藩第2代藩主の隠居所であった「西山荘」(せいざんそう)をイメージしたデザインとなっている。「西山荘」は常陸太田駅の北西約2キロのところにある。

 太田の市街地は、常陸太田駅の北の小高い丘にあり、商店街がまっすぐ続いている。また、常陸太田駅から道路を挟んで、すぐ近くに平成17年(2005年)まで日立電鉄の常北太田(じょうほく おおた)駅があった。日立電鉄は常北太田駅から日立市の久慈浜(くじはま)、JR常磐線・大甕(おおみか)駅を経由して鮎川(あゆかわ)まで結んでいた。日立市の工業地帯を走り、常陸太田市は日立の工場への通勤も便利であった。廃止後はバスが運行されているが、自家用車で通勤する社員が多いためか、日立市内は通勤時間帯の渋滞が激しい。

 常陸太田市の北西部の赤土町は、「常陸秋そば」(ひたちあきそば)の発祥の地。ここでは昭和53年(1978年)に茨城県農業試験場が赤土町の優れた蕎麦(そば)の種をもとに高品質な蕎麦ブランド「常陸秋そば」を育成し、県北地域の特産品となった。また、けんちん汁にざる蕎麦をつけて食べる「つけけんちん」や「けんちんそば」が常陸太田の郷土名物料理として町おこしに一役買っている。

常陸太田エリアの主な駅

常陸太田 / ひたちおおた 駅
JR東日本 水郡線(常陸太田支線)

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JR水郡線常陸太田支線・常陸太田駅

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常陸太田の街並み

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テーマ : 茨城県
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群馬・長野原 草津温泉の玄関口、八ッ場ダム建設と川原湯温泉

長野原
ながのはら

日本国群馬県吾妻郡長野原町

群馬・長野原 草津温泉の玄関口、八ッ場ダム建設と川原湯温泉

 長野原(ながのはら)町は、群馬(ぐんま)県の北西部、吾妻(あがつま)郡にある人口約0.5万人の町。西が吾妻郡の嬬恋(つまごい)村、北が吾妻郡の草津(くさつ)町、中之条(なかのじょう)町、東が吾妻郡の東吾妻(ひがしあがつま)町、高崎(たかさき)市、南が長野県北佐久(きたさく)郡の軽井沢(かるいざわ)町と接している。

 町の北部に吾妻川が流れ、川沿いにJR東日本・吾妻線が通り、川原湯温泉(かわらゆおんせん)、長野原草津口(ながのはら くさつぐち)、群馬大津(ぐんまおおつ)、羽根尾(はねお)の各駅がある。

 長野原草津口駅は、長野原町の中心駅であるとともに、草津温泉の最寄り駅でもあり、特急「草津」が停車する。草津温泉は、北隣の草津町にあり、長野原草津口駅からバスに乗り換えて約25分かかる。

 長野原草津口駅からは、かつて日本鋼管群馬鉄山専用線が六合村(旧・中之条町)の太子(おおし)まで伸びていて、同線は昭和20年(1945年)に開業。昭和27年(1952年)に国有化され、国鉄長野原線の一部となり、昭和36年(1961年)には長野原~太子の旅客営業も開始したが、鉄鉱石が枯渇して群馬鉄山が閉山となり、昭和46年(1971年)に長野原~太子が廃止された。一方で、長野原~大前(おおまえ)が開業し、国鉄長野原線から路線名が吾妻線に改称された。

 長野原町を流れる吾妻川には、平成32年(2020年)の完成を目指して八ッ場(やんば)ダムの建設が進められている。八ッ場ダムは、平成21年(2009年)の政権交代で民主党政権が発足した際に、事業仕分けで、無駄な事業としてやり玉に挙げられたが、すでにダム建設の準備が進められた途中での突然の中止方針は地元の強い反発を招き、その後、結局建設が再開されることになった。

 JR吾妻線は八ッ場ダムの建設に合わせて、ダム湖水没区間を迂回する新線の建設が進められ、長野原草津口~川原湯温泉~岩島(いわしま)が平成26年(2014年)に新線に切り替わった。また、ダム完成後の新たな交通を確保するための高い橋がいくつか架けられているのが吾妻線の旧線から見えた。

 川原湯温泉駅は、ちょうどダムに水没する地区にあり、新線に切り替わる際には、南西に約1.5キロ移転、標高も約70m高い位置になった。川原湯温泉は1193年に源頼朝(みなもと の よりとも)が発見したという歴史ある温泉で、駅周辺に温泉街が形成されていたが、これらはすべて廃止され、新駅のほうに移転することになる。移転先の新・川原湯温泉は、新たに掘削した泉源を利用しており、「王湯」がすでに移転開業している。廃止された旧・川原湯温泉駅は水没する予定だが、駅舎が新駅のほうに移築して保存する計画がある。川原湯温泉は八ッ場ダムの最寄り駅として、数年後にはまた異なる風景に変貌していることだろう。

長野原エリアの主な駅

長野原草津口 / ながのはらくさつぐち 駅
JR東日本 吾妻線

川原湯温泉 / かわらゆおんせん 駅
JR東日本 吾妻線

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JR吾妻線・長野原草津口駅

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JR吾妻線・長野原草津口駅

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JR吾妻線・長野原草津口駅

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八ッ場ダム建設に向けて架けられた橋

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八ッ場ダム建設に向けて架けられた橋

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八ッ場ダムに水没予定の旧・川原湯温泉駅

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八ッ場ダムに水没予定の旧・川原湯温泉駅

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神奈川・厚木 相模川の西の小田急のまち「本厚木」

厚木
あつぎ

日本国神奈川県厚木市

神奈川・厚木 相模川の西の小田急のまち「本厚木」

 厚木(あつぎ)市は、神奈川(かながわ)県の中部にある人口約23万人の市。東が相模原(さがみはら)市、座間(ざま)市、海老名(えびな)市、南が平塚(ひらつか)市、伊勢原(いせはら)市、西が愛甲(あいこう)郡の清川(きよかわ)村、北が愛甲郡愛川(あいかわ)町と接している。

 厚木は、伊勢原の阿夫利(あふり)神社への大山(おおやま)詣の大山街道が通り、さらに海側の平塚(ひらつか)から山側の津久井(つくい)へ相模川の西を通る街道が交差する交通の要衝として発展した。また、相模川(さがみがわ)の水運も利用された。

 厚木は、明治時代に愛甲(あいこう)郡の厚木町となり、愛甲郡の郡役所が置かれていた。厚木町は昭和30年(1955年)に愛甲郡の小鮎(こあゆ)村、玉川(たまがわ)村、南毛利(なんもうり)村、睦合(むつあい)村と合併して厚木市となった。

 愛甲郡の中心都市だった厚木は、神奈川県中部の主要都市であり、厚木の市街地は相模川の西側にあったが、大正15年(1926年)に相模川の東の海老名(えびな)側に神中鉄道(現・相模鉄道本線)と相模鉄道(現・JR相模線)が開業した際に厚木(あつぎ)駅が開設された。厚木駅は、厚木町ではなく、相模川東岸の海老名側にあったにもかかわらず、当時は厚木が中心都市だったため、厚木町への最寄り駅ということで命名されたのだった。つまり、当時は厚木は神奈川県中部の広域名称としても通用していたことがわかる。米軍厚木基地や日本海上自衛隊・厚木航空基地も厚木市ではなく、海老名よりさらに東の綾瀬(あやせ)市にある。

 その後、昭和2年(1927年)に小田原急行鉄道(小田急)小田原線が開業し、相模川を渡って厚木町に乗り入れるようになり、厚木町に相模厚木(さがみ あつぎ)駅が開設された。厚木の中心部への乗り入れを望んでいた神中鉄道は、昭和16年(1941年)に海老名駅から小田急に直通して相模厚木駅への乗り入れを果たした。

 厚木町になり厚木駅に対し、小田急の相模厚木駅は、ホンモノの厚木にある駅であることを強調するために、昭和19年(1944年)に本厚木(ほんあつぎ)駅に改称された。以来、本厚木駅が厚木の中心駅としての地位を確立したのだが、駅名変更についてはなぜ戦時中にわざわざ不要不急の改名をという疑問が湧くが、それは昭和18年(1943年)に相模鉄道と神中鉄道が合併して相模鉄道となり、翌昭和19年(1944年)に旧・相模鉄道の区間が国有化されて国鉄相模線となり、旧・神中鉄道が相模鉄道となったからで、小田急の区間である相模厚木駅が相模鉄道と区別するために本厚木駅に改称されたのだろう。同時に厚木駅に隣接していた海老名の河原口駅が厚木駅と改称されて国鉄相模線との乗換駅となった。

 本厚木駅は、東京まで約1時間で行けることから、東京への通勤圏内であり、小田急を利用して東京まで通勤する人が多い。本厚木駅は2面4線の高架駅で、特急ロマンスカー「ホームウェイ」、「さがみ」「あさぎり」などが停まり、「はこね」も多くが停車し、新宿方面からの普通電車のほとんどが本厚木で折り返し、小田原直通の急行や快速急行が本厚木から小田原寄りの新松田(しんまつだ)まで各駅に停車している。

 本厚木駅は駅ビルが商業施設「本厚木ミロード1」となっている。本厚木駅は、他線との乗り換えや分岐がないにもかかわらず乗降客数が非常に多く、いつも駅前はにぎわっている。駅から北へ商店街が伸びており、飲食店が集まっている。本厚木駅の北東約300mのところに厚木バスセンターがあり、神奈川工科大学、東京工科大学、広沢寺温泉、内陸工業団地などの方面へのバスが発着している。また、周辺には厚木市立中央図書館、厚木市子ども科学館がある「厚木シティプラザ」や、「イオン厚木店」、「アミューあつぎ」などの商業施設が集まっている。

 本厚木駅から一つ小田原寄りの愛甲石田(あいこう いしだ)駅は、伊勢原市との境にあり、愛甲が厚木市側、石田が伊勢原市側の地名で、二つ合わせた駅名となった。普通電車はほとんどが本厚木で折り返しているが、愛甲石田駅は約10分間隔で新宿直通の急行や快速急行が停車するので、不便さは感じない。

 このほか、道路交通は、厚木市内に東名高速道路の厚木IC(インターチェンジ)があり、そこから、小田原方面に向かう小田原厚木道路が分岐している。また、相模川の東岸には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が相模川沿いに南北に通り、海老名JCT(ジャンクション)で東名高速道路と連絡している。

厚木エリアの主な駅

本厚木 / ほんあつぎ 駅
小田急電鉄 小田原線

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小田急・本厚木駅

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小田急・本厚木駅ビルの「ミロード1」

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本厚木駅前の「なかちょう通り」

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本厚木駅前の商店街

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厚木バスターミナルと厚木シティプラザ

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「アミューあつぎ」と「イオン厚木店」

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テーマ : 神奈川
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千葉・大多喜 房総半島を横断するいすみ鉄道と小湊鉄道

大多喜
おおたき

日本国千葉県夷隅郡大多喜町

千葉・大多喜 房総半島を横断するいすみ鉄道と小湊鉄道

 大多喜(おおたき)町は、千葉(ちば)県南部の夷隅(いすみ)郡にある人口約1万人の町。南が勝浦(かつうら)市、東が いすみ市、北が長生(ちょうせい)郡の睦沢(むつざわ)町と長南(ちょうなん)町、西が市原(いちはら)市と接している。

 上総国(かずさのくに)の大多喜は、戦国時代に小田喜(おだき)城が築城され、後に大多喜(おおたき)と呼ばれるようになり、大多喜城の城下町として発展した。町内には、夷隅川が蛇行しながら流れており、西に行くほど山深くなる。大多喜町の西に流れる養老川は市原市へ流れていく。

 大喜多町には、いすみ鉄道と小湊鉄道が走っており、上総中野(かずさ なかの)駅で連絡している。町内には、いすみ鉄道の城見ヶ丘(しろみがおか)、大多喜、小谷松(こやまつ)、東総元(ひがしふさもと)、久我原(くがはら)、総元(ふさもと)、西畑(にしはた)、上総中野の各駅と、小湊鉄道の上総中野駅がある。

 いすみ鉄道は、上総中野から東へ、夷隅川に沿って大多喜からいすみ市へ、JR東日本・外房線の大原(おおはら)駅を結び、小湊鉄道は上総中野から北へ、養老川沿いに市原市のJR東日本・内房線の五井(ごい)駅を結んでおり、両線を乗り継げば、房総半島を横断できる。

 いすみ鉄道は、国鉄木原線として建設された路線で、昭和5年(1930年)に大原~大多喜が開業、昭和8年(1933年)に大多喜~総元が延伸開業。さらに昭和9年(1934年)に総元~上総中野まで延伸された。国鉄木原線は本来、ここから西へ、君津(きみつ)市の上総亀山(かずさ かめやま)駅まで建設して国鉄久留里線とつなげて内房線の木更津(きさらづ)まで結ぶ構想があり、なので路線名が木原線だったのだが、小湊鉄道が昭和3年(1928年)にすでに上総中野駅まで開業しており、木原線が上総中野まで開業した時点で房総半島横断鉄道の目的が達成されたので、上総中野~上総亀山は建設されなかった。小湊鉄道はもともと上総中野からさらに南下して外房線の安房小湊(あわ こみなと)まで建設する構想があったが、結局、木原線と接続できたので、その先の建設を断念した。

 沿線に大きな町がない国鉄木原線は、赤字ローカル線のためJR東日本になった翌年の昭和63年(1988年)にJR木原線が第3セクターの「いすみ鉄道」に転換され、いすみ鉄道いすみ線となった。しかし、沿線人口が少ないことから経営が苦しく廃止の危機が迫ったが、沿線をムーミン谷に見立て、ムーミンのキャラクターを駅や車両に散りばめたムーミン列車や、JRを引退した国鉄時代から走る旧型気動車を国鉄時代の塗色で走らせる観光急行列車、菜の花と桜が美しい沿線イメージをPRするなど経営努力を続けた結果、観光客の増加で収支が改善したようだ。また、近年では台湾の台鉄集集線と姉妹鉄道協定を締結し、台湾での知名度が上がり、台湾人観光客も増えつつある。

 大多喜駅は、大多喜町の中心部にある駅で、ホームには大多喜城を城主となり大多喜藩の初代藩主だった本多忠勝(ほんだ ただかつ)の像が置かれている。駅舎にあるお土産屋では、ムーミンやいすみ鉄道オリジナルグッズなどが販売されている。駅の向かいには「大多喜町観光本陣」があり、観光客向けの無料休憩スペースとなっており、大多喜町の特産品も販売されている。

 城下町らしく、大多喜には古い町並みが残り、散策が楽しい。大多喜駅周辺には大多喜町役場、地酒「大多喜城」の酒蔵、夷隅神社、美しい瓦屋根を校舎の建物のデザインに採り入れた大多喜小学校などがある。大多喜駅の西側の小高い丘の上にあった大多喜城は明治4年(1871年)に廃城になったが、昭和50年(1975年)に天保時代の絵図などの資料を参考に、天守を復元した。

 大多喜駅から夷隅川、西畑川を上流へさらに進んだ、いすみ鉄道の終点である上総中野駅は、小湊鉄道との乗り換え駅で、駅舎も趣があり、ローカルムードがいっぱいだ。本数は多くないが、この駅で乗り継げば、房総半島を鉄道で横断できる。乗り換えの待ち時間に周辺を散歩するのも悪くない。

 小湊鉄道は、ベージュと朱色のツートンカラーの昔ながらの気動車が走っており、上総中野駅から市原市の養老渓谷(ようろうけいこく)を経て、養老川に沿って下り、JR内房線の五井駅まで結んでいる。沿線は、いすみ鉄道と同様に菜の花が美しい。

大多喜エリアの主な駅

大多喜 / おおたき 駅
いすみ鉄道 いすみ線

上総中野 / かずさなかの 駅
いすみ鉄道 いすみ線
小湊鉄道 小湊鉄道線

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いすみ鉄道・大多喜駅

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いすみ鉄道・大多喜駅

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ムーミン列車

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いすみ鉄道と台鉄集集線の交流企画ポスター

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大多喜駅のホームにある本多忠勝像

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いすみ鉄道・大多喜駅

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大多喜町観光本陣

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大多喜の街並み

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大多喜の街並み

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城下町風になった銚子信用金庫

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地酒「大多喜城」酒蔵

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夷隅神社

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大多喜小学校と大多喜城

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菜の花が美しいいすみ鉄道(城見ヶ丘駅)

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上総中野駅で折り返すいすみ鉄道のディーゼルカー

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上総中野駅で折り返す小湊鉄道のディーゼルカー

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上総中野駅で折り返す小湊鉄道のディーゼルカー

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上総中野駅の駅舎

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埼玉・熊谷 埼玉県北部の中心都市、荒川の桜と暑い夏

熊谷
くまがや

日本国埼玉県熊谷市

埼玉・熊谷 埼玉県北部の中心都市、荒川の桜と暑い夏

 熊谷(くまがや)市は、埼玉(さいたま)県北部にある人口約20万人の市。西が深谷(ふかや)市、南が比企(ひき)郡の嵐山(らんざん)町、滑川(なめがわ)町、吉見(よしみ)町と東松山(ひがしまつやま)市、東が鴻巣(こうのす)市と行田(ぎょうだ)市、北が利根川(とねがわ)を挟んで群馬(ぐんま)県邑楽(おうら)郡の千代田(ちよだ)町、大泉(おおいずみ)町、太田(おおた)市と接している。

 熊谷市は平成の大合併で、平成17年(2005年)に大里(おおさと)郡の大里町および妻沼(めぬま)町と合併、さらに平成19年(2007年)に大里郡江南(こうなん)町を編入合併し、現在の市域となった。

 熊谷は江戸時代に中山道(なかせんどう)の宿場町として栄え、現在は埼玉県北部の交通の要衝として発展している。熊谷駅にはJR東日本の上越新幹線と高崎線、秩父鉄道秩父本線が乗り入れ、鉄道のターミナル駅となっているほか、東松山市や群馬県太田市方面へのバスも充実している。

 熊谷は盆地であることから寒暖の差が激しく、冬は「赤城おろし」の北風が吹き寒く、夏は岐阜県多治見(たじみ)市と日本一暑い町を競うほど最高気温が上がる。一方、春には荒川の河川敷の桜並木が美しく、日本の四季がより色濃く感じることができる都市だともいえる。

 熊谷市には、JR東日本の上越(北陸)新幹線、高崎線、秩父鉄道・秩父本線が走り、上越(北陸)新幹線の熊谷駅、高崎線の熊谷駅と籠原(かごはら)駅、秩父鉄道線の熊谷、上熊谷(かみくまがや)、石原(いしわら)、ひろせ野鳥の森(ひろせやちょうのもり)、大麻生(おおあそう)の各駅がある。

 熊谷駅は上越(北陸)新幹線、高崎線、秩父鉄道線が乗り入れる熊谷市の玄関駅である。高崎線のホームは上越新幹線の高架下にあり、高崎から熊谷を経由して大宮(おおみや)、浦和(うらわ)から上野(うえの)、東京(とうきょう)を通って東海道本線に入って横浜(よこはま)方面に向かう上野東京ラインと、浦和から池袋(いけぶくろ)、新宿(しんじゅく)、渋谷(しぶや)を通って横須賀線経由で横浜へ向かう湘南新宿ラインの2つの系統の電車が走っている。東京都へはある程度距離があり、朝は混雑するが、熊谷の一つ高崎寄りの籠原で増結され空席が多いほか、どうしても座りたい場合は追加料金で2階建てのグリーン車が利用できる。

 上越新幹線は、上野・東京駅まで最速で行けるが、高崎線も便利であることと、大宮駅から先が速度制限があり在来線とそう変わらないスピードであることから、新幹線としての高速性が発揮しきれていないところがある。高崎線の在来線を走る特急「スワローあかぎ」と上野まで時間はあまり変わらない。このため、上越・北陸新幹線の速達列車の多くは熊谷駅を全速力で通過していく。秩父鉄道は、羽生(はにゅう)~熊谷~寄居(よりい)~秩父(ちちぶ)~三峰口(みつみねぐち)を結び、埼玉県北部を東西につなぐ役割を果たしている。

 熊谷駅は北口に繁華街が広がり、にぎわっている。駅の北約200mに、星川という用水が東西に流れ、その流域が親水公園になっている。平行して南本町商店街が伸びているが、商店街というほど商店は密集していない。

 熊谷駅から西へ約500m行ったところに秩父鉄道の上熊谷(かみくまがや)駅がある。この区間は秩父鉄道とJR高崎線および上越新幹線が並走しているが、ホームがあるのは秩父鉄道のみである。

 上熊谷駅の北側に、星川の水源である玉の池を中心に回遊式庭園が江戸時代末期に造られ「星溪園」(せいけいえん)という庭園として整備され、現在は無料開放されている。その北側には埼玉県初の百貨店として明治30年(1897年)に八木橋本次郎が熊谷に創業した老舗である「八木橋百貨店」がある。現在は、熊谷市中心部からやや外れているが、近くに「イオン熊谷店」があり、上熊谷の商圏として相乗的に機能しているようで、堅実経営を続けている。八木橋百貨店の北側には、浄土宗の「熊谷寺」(ゆうこくじ)がある。

 JR高崎線は熊谷駅から一つ高崎寄りの籠原駅に籠原車両基地があることから、東京方面から籠原で折り返す電車も多く運行されている。また、籠原から高崎方面へ向かう電車は、15両編成のうち前5両が籠原止まりとなり、切り離され、10両編成で高崎方面へ運行されている。熊谷~籠原には熊谷貨物ターミナルがあり、秩父鉄道の貨物列車もここに乗り入れている。

熊谷エリアの主な駅

熊谷 / くまがや 駅
JR東日本 上越(北陸)新幹線、高崎線
秩父鉄道 秩父本線

上熊谷 / かみくまがや 駅
秩父鉄道 秩父本線

籠原 / かごはら 駅
JR東日本 高崎線

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上越新幹線の高架下にあるJR高崎線・熊谷駅

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秩父鉄道・熊谷駅

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上越(北陸)新幹線・熊谷駅

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熊谷駅

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熊谷駅前

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熊谷の街並み

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熊谷・星川通り

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秩父鉄道・上熊谷駅

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秩父鉄道・上熊谷駅

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上熊谷駅の横を並走するJR高崎線

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星溪園

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星溪園

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八木橋百貨店

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熊谷寺

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JR高崎線・籠原駅

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JR高崎線・籠原駅

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神奈川 横浜・大倉山 港北区役所と梅の花咲く大倉山

横浜・大倉山
よこはま・おおくらやま

日本国神奈川県横浜市港北区

神奈川 横浜・大倉山 港北区役所と梅の花咲く大倉山

 大倉山(おおくらやま)は、横浜(よこはま)市の港北(こうほく)市にある地区で、東急電鉄・東横線の大倉山駅がある。

 駅の北側に大倉山の丘があり、改札がある駅の南側(横浜寄り)は高架になっているが、北側(渋谷寄り)は地平ホームになっている。

 大倉山の一帯は、もともと「太尾」(ふとお)とよばれる地域で、大正15年(1926年)に太尾(ふとお)駅として開業した。東急電鉄の前身の東京横浜電鉄が梅林を整備していた「太尾公園」に、昭和7年(1932年)に実業家の大倉邦彦(おおくら くにひこ)が「大倉精神文化研究所」を開設したことをきっかけに、「太尾公園」を「大倉山公園」に改名し、駅名も昭和7年(1932年)に太尾駅から大倉山駅に改称された。「大倉精神文化研究所」の本館の建物は、重厚な近代建築で、現在は横浜市に寄贈され、昭和59年(1984年)より文化施設「横浜市大倉山記念館」となっている。大倉山公園は春には梅園に梅の花が咲き、行楽客でにぎわう。

 大倉山駅は、港北区役所の最寄り駅であるが、隣がJR横浜線と乗り換えできる菊名(きくな)駅と、大倉山駅より利用者の多い綱島(つなしま)駅とに挟まれているため、急行や特急は通過する。

 港北区役所へは、大倉山駅から東に伸びる商店街「レモンロード」を歩き、東海道新幹線の高架を抜けると綱島街道に出て、その南の大豆戸(まめど)にある。一方、大倉山駅から西へは「エルム通」、「オリーブ通」などの商店街が伸びていて、大倉山の南側に歓成院や太尾神社、スーパーマーケット「ライフ」などがある。この先の新羽橋で鶴見川を渡った先に横浜市営地下鉄ブルーラインの新羽(にっぱ)駅があり、大倉山駅から新羽駅方面を結ぶバスが走っている。

横浜・大倉山エリアの主な駅

大倉山 / おおくらやま 駅
東急電鉄 東横線

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東急東横線・大倉山駅

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東急東横線・大倉山駅

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大倉山駅と「レモンロード」

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大倉山商店街「エルム通」

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横浜市大倉山記念館

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梅の花咲く大倉山公園

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梅の花咲く大倉山公園

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テーマ : 神奈川
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山梨・山梨 笛吹川の万力公園とフルーツ公園

山梨
やまなし

日本国山梨県山梨市

山梨・山梨 笛吹川の万力公園とフルーツ公園

 山梨(やまなし)市は、山梨(やまなし)県の中北部にある人口約3万人の市。東が甲州(こうしゅう)市、南西が笛吹(ふえふき)市、北西が甲府(こうふ)市、北が長野県南佐久郡の川上(かわかみ)村と埼玉県秩父(ちちぶ)市と接している。

 山梨市は、昭和29年(1954年)に東山梨(ひがしやまなし)郡の日下部(くさかべ)町、加納岩(かのいわ)町、山梨(やまなし)村、八幡(やわた)村、岩手(いわで)村、後屋敷(ごやしき)村、日川(ひかわ)村が合併して発足した。平成の大合併では東山梨郡の北部の牧丘(まきおか)町、三富(みとみ)村を合併して新しい山梨市となった。

 山梨市は、「山梨」を名乗りながらも、山梨県の県庁所在地ではないが、江戸時代から甲斐国(かいのくに)の山梨郡に属していたことから、山梨県よりも「山梨」という地名の縁は古い。

 山梨市には、JR東日本・中央本線の山梨市駅と東山梨駅がある。山梨市駅は、特急「かいじ」と一部の特急「あずさ」が停車する主要駅で、山梨市の玄関駅である。山梨市駅は明治36年(1903年)の開業時には日下部(くさかべ)駅(駅は日下部町に隣接する加納岩町にあった)であったが、町村合併で山梨市として市制が施行された後、昭和37年(1962年)に山梨市駅に改称された。

 駅前広場の北側には「山梨市地域交流センター街の駅 やまなし」があり、そのほか周辺には山梨県名物料理「ほうとう」が食べられる飲食店などがある。笛吹川の西岸には甲斐国の武田信玄(たけだ しんげん)が防水林として赤松を植えたものがのちに「万力林」(まんりきりん)と呼ばれるようになり、それらの林が広がる「万力公園」がある。

 万力公園の東の丘の上には「笛吹川フルーツ公園」があり、ここには山梨県農業果樹試験場があるほか、「フルーツパーク富士屋ホテル」があり、甲府盆地の夜景が特に美しい。そこからさらに上って行くと、「ほったらかし温泉」と呼ばれる温泉施設があり、そこからも夜景と日の出が美しい。

 山梨市中心部からは笛吹川沿いに「雁坂みち」と呼ばれる国道140号線が、合併した旧・牧丘町や旧・三富村を結んでおり、三富温泉、広瀬ダムを越えて雁坂トンネルを抜けると埼玉県秩父市に抜けられる。

山梨エリアの主な駅

山梨市 / やまなしし 駅
JR東日本 中央本線

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JR中央本線・山梨市駅

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JR中央本線・山梨市駅

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JR中央本線・山梨市駅

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山梨市地域交流センター街の駅やまなし

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