ミクロネシア 太平洋の4つの州からなるミクロネシアの連邦国家

Federated States of Micronesia (英語、ポンペイ語、チューク語)
ミクロネシア連邦

ミクロネシア 太平洋の4つの州からなるミクロネシアの連邦国家

 ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia/ フェデレイテッド・ステイツ・オブ・マイクロニージア)は、太平洋のミクロネシア地域にある連邦国家で、海を挟んで西にパラオ共和国、北にアメリカ合衆国のグアム準州、東にマーシャル諸島共和国とキリバス共和国、南にナウル共和国とパプアニューギニアなどがある。

 ミクロネシア連邦は、ポンペイ(Pohnpei)、チューク(Chuuk)、ヤップ(Yap)、コシャエ(Kosrae)の4州からなる連邦国家で、人口は約11万人。国旗は水色に4つの星が描かれており、4つの州を表現している。陸地面積はわずか0.07万平方キロメートルで、非常に小さいが、東西に約3200キロ、南北に約1200キロと、広大な太平洋に島が点在する海洋国家である。アメリカ合衆国(米国)の信託統治領から安全保障を米国に委託する自由連合盟約国として、1986年に「ミクロネシア連邦」が独立した。1991年には国連にも加盟した。通貨は米国ドルが用いられている。

 ミクロネシア連邦各州の位置は、西からヤップ州、チューク州、ポンペイ州、コシャエ州であり、首都は、ポンペイ州ポンペイ島のパリキール(Palilir)。ミクロネシアの産業は主に農業と漁業で、農業はココナッツやキャッサバの栽培が盛んで、漁業は海産物を日本にも輸出している。米国と関係が深いため、生活用品は米国からの輸入品が多い。経済を自立させるため、観光業にも力を入れようとしているが、日本からのツアーは安くないので、日本人観光客は多くないので、今後の受け入れ体制の整備が課題である。

 ミクロネシア連邦の住民は、ミクロネシア系住民が大部分でいずれもフィリピンや台湾先住民族と近いオーストロネシア語系(南島語系)の言葉を話すが、島ごとに言葉の違いが大きく、チューク語、ポンペイ語、コシャエ語、ヤップ語などが日常生活で用いられ、英語が共通の公用語となっている。また、日本統治時代に日本語教育が行われていたことや、日系人も約2割と多く、主に年配者で日本語を話せる人もいる。近年は、フィリピンや中国からの移民も増えている。ミクロネシア連邦の隣国のパラオやマーシャル諸島、キリバスなどは台湾(中華民国)と国交を有しているが、ミクロネシア連邦は中華人民共和国と国交がある。

 ミクロネシアは、16世紀にポルトガル人やスペイン人に発見され、1595年にマリアナ諸島(グアム、サイパン等)とカロリン諸島(ミクロネシア連邦、パラオ)がスペイン領とされた。とはいえ、実際には積極的な統治は行われていなかった。1869年にドイツがヤップ島に貿易の拠点を作ろうとして1885年にスペインが派兵したが、1899年にスペインは米西戦争で敗れ、太平洋における影響力を消失し、グアムを除くマリアナ諸島、カロリン諸島などをドイツに売却し、ドイツはこれらの島々をドイツ領ニューギニアの一部とした(グアムは米西戦争に敗れたスペインが米国に割譲した)。マーシャル諸島もスペインからドイツの影響下に入った。

 1914年に第一世界大戦で、ドイツ帝国と戦う連合国側だった日本が太平洋のドイツ領の島々に出兵した。1920年、国際連盟が日本に北マリアナ諸島(グアムを除くマリアナ諸島)、カロリン諸島、マーシャル諸島などの旧ドイツ領の統治を委任し、日本は南洋庁を設置してこれらの島々の統治を始めた。

 日本時代の南洋庁は、パラオのコロールに南洋庁庁舎が置かれ、サイパン、パラオ、ヤップ、トラック、ポナペ、ヤルートの各支庁が置かれた。このうち、現在のミクロネシア連邦に相当するのは、ヤップ、トラック、ポナペの各支庁である。南洋庁は、各地に公学校を建てて、現地の人々に日本語で教育を行い、日本人も積極的に移民して農業、漁業が近代化され、商業も盛んになった。第二次世界大戦では、日本と米国の太平洋戦争の戦場となり、1944年2月にトラック(チューク)諸島が米軍による空襲を受け、日本軍の軍事基地が破壊された。

 1945年に日本が敗戦すると、米国の信託統治が始まり、旧・南洋庁は太平洋諸島信託統治領(Trust Territory of the Pacific Islands)となった。1970年代より、自治や独立が模索され、サイパンの北マリアナ諸島が1978年に米自治領(コモンウェルス)となったほか、1978年にミクロネシアについてはミクロネシアの憲法制定について住民投票が行われ、ヤップ、トラック(チューク)、ポナペ(ポンペイ)、クサイエ(コシャエ)で可決、パラオとマーシャルは否決した。これによって、賛成した4地域によりミクロネシア連邦を自治政府が発足し、パラオとマーシャル諸島はそれぞれ別の国として独立を目指した。

 1979年に米国の信託統治下でミクロネシア連邦憲法が発効し、ミクロネシア議会の議長だったトシオ・ナカヤマ(Tosiwo Nakayama/中山利雄)がミクロネシア連邦自治政府の初代大統領に就任した。トシオ・ナカヤマはチューク島生まれで、父が日本人の日系2世で、ミクロネシア連邦が1986年に正式に独立を果たした翌年の1987年まで大統領を務めた。ミクロネシア連邦は1986年に米国と自由連合盟約国を結び、米国から独立を果たし、1990年に国連安保理が信託統治の終了を宣言し、翌1991年に国連加盟も果たした。

 ポンペイ州は人口約3.5万人。かつてポナペと呼ばれたポンペイ(Pohnpei)島が最大の島で、グアム島の南東約1700キロにある。首都のパリキール(Palikir)がこの島にあり、パリキールにはミクロネシア連邦の政府・行政機関が集まっている。一方、ポンペイ島の最大の町はコロニア(Kolonia)。ポンペイ島では主にポンペイ語が話されている。

 ポンペイ島にはポンペイ国際空港がある。ミクロネシア連邦には米国ユナイテッド航空により、グアムから、ミクロネシア連邦のチューク、ポンペイ、コシャエを経由してマーシャル諸島のクワジェリン、マジュロ、米国ハワイ州のホノルルの各島を順番に結ぶ「アイランド・ホッパー」(Island Hopper)と呼ばれる便が運航されている。また、ナウル航空によりナウルやキリバスのタラワを結ぶ国際便もあり、広大な太平洋の島々を結ぶネットワークが形成されている。

 コシャエ(Kosrae)島があるコシャエ州は、日本時代はポナペ支庁の一部であったが、戦後はコシャエ州として分離している。同州の人口は約7000人。コシャエ語が用いられ、コシャエ国際空港には「アイランド・ホッパー」のユナイテッド航空やナウル航空が経由し、首都のあるポンペイ島やグアム、ナウル、マーシャル諸島などが結ばれている。

 チューク(Chuuk)州は、人口約5.4万人で、1989年にトラック(Truk)からチューク(Chuuk)に改名した。チューク語が用いられ、州人口の4分の3がチューク諸島に住んでいる。世界最大の堡礁のチューク環礁があり、248の小さな島が点在している。ダイビングのスポットとしてダイバーに人気がある。州都は日本時代に春島と呼ばれたウェノ(Weno)島にあるウェノ(Weno)。ウェノの人口は約1.4万人。ウェノにあるチューク国際空港は、「アイランド・ホッパー」がポンペイおよびグアムを直結しており、航空の便は比較的便利である。チューク国際空港は、日本統治時代に春島第一飛行場として建設されたのを再整備して使用している。

 チューク環礁に囲まれたチューク諸島は日本統治時代に日本海軍の重要な拠点となり、特に太平洋戦争中はその軍事拠点としての役割を大いに発揮したが、戦況悪化により主力艦はパラオに撤退し、1944年2月に米軍による大規模な空襲を受けて、軍事基地の能力を失った。日本時代には夏島と呼ばれたトノワス(Tonowas)島が非常に栄えていた。

 チューク諸島の各島は、日本統治時代に現地の伝統を無視して日本風の名称を付けていた。春島、夏島、秋島、冬島の四季諸島、日曜島、月曜島、火曜島~土曜島の七曜諸島、さらには子島、丑島、寅島~亥島などもあった。

 ヤップ(Yap)州は、人口約1.1万人で、州都はヤップ島にあるコロニア(Colonia)。ヤップ島にはヤップ国際空港があるが、ヤップからミクロネシア連邦首都があるポンペイ島には直航便が飛んでおらず、ユナイテッド航空がグアムからヤップを経由してパラオを結んでいる。このため、ヤップからポンペイへ行くには、米領グアムでトランジットすることになる。

ミクロネシア連邦
Federated States of Micronesia(英語)
(1914~1945日本委任統治、1986年米信託統治から独立)
面積:0.07万平方キロ
人口:11万
通貨:米ドル
主要言語:英語、チューク語、ポンペイ語、コシャエ語、ヤップ語、(ウリシ語、ウォレアイ語、カピンガラマンギ語、ヌクオロ語、日本語など)
首都:パリキール/Palikir(英語、ポンペイ語)(人口0.6万)

参考:Wikipediaなど

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米国ハワイ州ワイマナロ 横綱曙の銅像があるワイマナロショッピングセンター

Waimānalo
ワイマナロ (ハワイ語、英語)

City and County of Honolulu, State of Hawaii,United States of America
Honolulu, Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡

米国ハワイ州ワイマナロ 横綱曙の銅像があるワイマナロショッピングセンター

 ハワイ(Hawaiʻi)州のオアフ(Oʻahu)島の南東部、マカプウ(Makapuu)岬から、カラニアナオレ・ハイウェイ(Kalanianaʻole Hwy.)を北西に海沿いに進んでいくと、ワイマナロ・ビーチ・パーク(Waimānalo Beach Park)の砂浜が広がる。

 その先にワイマナロの市街地があり、そこにワイマナロ・ショッピングセンター(Waimānalo Shopping Center)がある。ドライブの休憩に多くの人がここに立ち寄る。

 ワイマナロは、日本の大相撲で横綱力士として活躍し、2001年(平成13年)に引退した曙太郎(あけぼの たろう)の出生地として知られ、ワイマナロ・ショッピングセンターには力士として闘う姿の曙の銅像が建立され、故郷に錦を飾っている。曙は、小錦や武蔵丸らとともに日本大相撲のハワイ出身力士の黄金時代を築いた。引退後は、プロレスラーや総合格闘家に転向し、タレントとしても活躍している。

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ワイマナロ・ショッピングセンター

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曙の銅像

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ワイマナロの海岸

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米国ハワイ州ハワイイカイ ハワイアンブルーのハナウマ湾とココヘッド

Hawaiʻi Kai
ハワイイ カイ (ハワイ語、英語)

City and County of Honolulu, State of Hawaii,United States of America
Honolulu, Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡

米国ハワイ州ハワイイカイ ハワイアンブルーのハナウマ湾とココヘッド

 ハワイイ カイ(Hawaiʻi Kai)は、ハワイ(Hawaiʻi)州のオアフ(Oʻahu)島の南東部の地区で、ホノルル(Honolulu)のワイキキ(Waikīkī)の東約20キロのところにある。

 ワイキキからカラニアナオレ・ハイウェイ(Kalanianaʻole Hwy.)を進んでいくと、南側にマウナルア湾(Maunalua Bay)が広がり、ハワイカイ・ショッピングセンター(Hawaiʻi Kai S.C.)やココ・マリーナ・ショッピングセンター(Koko Marina S.C.)がある。

 そこから丘を上って行くと右手にココ・ヘッド(Koko Head)と呼ばれる山とハナウマ湾(Hanauma Bay)が見えてくる。ハナウマ湾は熱帯らしい珊瑚礁が美しい海岸があり、その青い海は、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)主演の映画「ブルー・ハワイ」(Blue Hawaii)が撮影された場所でもあり、まさにブルーハワイという言葉がぴったりだ。

 その先にはモロカイ(Molokai)展望台やラナイ(Lanai)展望台があり、ハワイ南東部の大自然が残る荒々しい海岸風景が堪能できる。山側にはココ・クレーター(Koko Creater)の山が広がる。その東にはココヘッド・サンディ・ビーチパーク(Koko Head Sandy Beach Park)が続き、その先にオアフ島最東端のマカプウ岬(Makapuu Pt.)がある。

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マウナルア湾

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ブルーハワイのハナウマ湾

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荒々しいココクレーター

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展望台から見たハワイイカイの海岸風景

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展望台から見たハワイイカイの海岸風景

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展望台から見たハワイイカイの海岸風景

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マカプウ岬

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米国ハワイ州パールハーバー 米海軍太平洋の拠点と真珠湾攻撃

Wai Momi (ハワイ語)
Pearl Harbor (英語)
ワイ モミ(パール ハーバー)

City and County of Honolulu, State of Hawaii,United States of America
Honolulu, Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi

米国ハワイ州パールハーバー 米海軍太平洋の拠点と真珠湾攻撃

 ワイ モミ(Wai Momi)は、ハワイ(Hawaiʻi)のオアフ(Oʻahu)島、ホノルル(Honolulu)の市街地の西約10キロにある湾であり、ハワイ語で「Wai Momi」が「真珠の水域」という意味であることから、英語で「Pearl Habor」(パールハーバー)と呼ばれるようになった。日本語でもその直訳で「真珠湾」と呼ばれている。

 真珠湾にはアメリカ合衆国(米国)海軍太平洋艦隊および米国太平洋空軍の基地があり、米国太平洋軍(United States Pacific Command)司令部が置かれている。

 空軍のヒッカム空軍基地(Hickam Field)は、ホノルル国際空港(Honolulu International Airport)に併設されている。ヒッカム基地の名称はホレース ミーク ヒッカム(Horace Meek Hickam)中佐から来ており、同基地はアメリカ本土と太平洋を結ぶ中継地点の重要な役割を果たしている。

 真珠湾は、1941年(昭和16年)に大日本帝国海軍が米国海軍を奇襲した真珠湾攻撃が知られている。当時の国際情勢は、日中戦争が泥沼化し、日本は日独伊三国同盟が英米の不信を招き、日本に対する国際包囲網が深刻化していた。米国は日本に対して禁輸措置などで圧力をかけていた。日本は石油などの国家の生命線となる資源を確保するため、蘭印(オランダ領インドネシア)を含む「大東亜共栄圏」を掲げ、東アジアを巻き込んで米国による干渉に対抗しようとしていた。ところが、米国は中国の蒋介石政権を軍事的に支援し、イギリス、オランダとともに日本に対する石油禁輸措置をとり日本を締め上げようとした。

 米国は1941年における日米交渉の中で同年11月にコーデル・ハル(Cordell Hull)国務長官が日本側の提案の回答にあたる「ハル・ノート」で、日本側の禁輸措置解除や対中不干渉などの要望を完全に拒否した上に、中国汪兆銘南京政府の否定と日本軍の全面撤兵要求を突き付けたことから、日米交渉は頓挫した。日本はこれを全面屈服か戦争かの強要である最後通牒と受け止め、日本政府は開戦へと傾いていった。特に日本政府は米国のルーズベルト大統領が日中間の和平の紹介を行うと提案した過去の立場を捨て去り、汪兆銘南京政府を否定し、日本と戦争中の蒋介石重慶政府を支援する方針を明確にしたことが遺憾で容認できなかったようだ。また、日本側は米国に満洲国からの全面撤退も要求されたと受け止めていた。

 日本はこの状況を打破するため、日本の東條英機(とうじょう ひでき)内閣は1941年12月1日にの御前会議で対米開戦を決定したのであるが、11月から米国との交渉不成立を見越して、開戦準備は進められていた。11月下旬には北海道の択捉(えとろふ)島(現・ロシア統治下にある北方四島の一つ)の単冠(ひとかっぷ)湾に日本海軍の軍艦が集結し、11月26日からハワイに向けて出発していた。12月1日の開戦決定により、これらの軍艦はそのまま前進を続けた。この真珠湾攻撃の連合艦隊司令官は山本五十六(やまもと いそろく)大将、ハワイに向かった第一航空艦隊指揮官は南雲忠一(なぐも ちゅういち)中将が務めた。米ハワイ時間の12月7日(日本時間12月8日)、ハワイ近海から第一波空中攻撃隊の軍機が発進し、7日朝に真珠湾の米軍艦を奇襲した。これにより軍艦「アリゾナ」(USS Arizona)などが1千人以上の兵士もろとも沈没したのをはじめ、真珠湾に停泊していた軍艦や主力戦闘機が破壊され、日本軍の真珠湾攻撃は作戦的には大成功だった。

 真珠湾攻撃の成功により、日本軍が大東亜戦争(太平洋戦争)の序盤を有利に進めたが、奇襲を受けた米軍は徐々に体制を立て直し、日本軍を追い込んでいった。日本は有利なうちに米国と講和するシナリオは崩れ、1944年(昭和19年)に南雲中将が戦死したサイパンの戦いで形成は完全に逆転し、日本各都市の空襲、沖縄地上戦と米軍上陸、広島・長崎への原爆投下と日本人の民間人への膨大な無差別爆撃という悲惨な結末をたどり、1945年(昭和20年)に日本は米国に降伏したのだった。

 真珠湾にある「パールハーバー・ビジターセンター」(Pearl Harbor Visitor Center)では、真珠湾が一望できるほか、「Exhibit Gallery Road To War」(戦争への道博物館)や「Exihbit Gallery Attack」(攻撃時資料博物館)があり、真珠湾攻撃をその経緯も含めて展示している。中国の反日的な展示とは異なり、日本軍がどのような作戦で米軍の攻撃に成功したかという戦術についてわりと客観的に分析しているのが興味深い。また、日本の軍艦「赤城」などの緻密な模型も見ごたえがある。

 外に展示されている軍艦「アリゾナ」の記念碑には、「DECEMBER 7,1941 WE WILL NEVER FORGET」(1941年12月7日を我々は決して忘れない)と刻まれている。その近くには、潜水艦「ボウフィン」(USS Bowfin)の展示と潜水艦ボウフィン号博物館がある。潜水艦「ボウフィン」は、1944年(昭和19年)に沖縄から長崎に向けて学童疎開者を乗せて航行していた「対馬丸」を撃沈した潜水艦として知られており、米軍の日本民間人1500人近い犠牲者を出した無差別攻撃が真珠湾攻撃に対する復讐のように英雄視されているのは違和感を覚えるところでもある。

 軍艦「アリゾナ」の見学ツアーは、パールハーバー・メモリアルシアター(Pearl Harbor Memorial Theater)で約20分の映像を見た後、船に乗って、対岸のフォード島(Ford Island)側の実際に軍艦「アリゾナ」が沈没した地点に向かうここにアリゾナ記念館(U.S.S. Arizona Memorial)がああり、その海中にいまも沈没した軍艦「アリゾナ」が眠っている。またビジターセンターからバスでフォード島へ行くと、日本が降伏文書にサインした戦艦「ミズーリ」号の記念館「戦艦ミズーリ記念館」(Battleship Missouri Memorial)もある。ミズーリ号は太平洋戦争後も朝鮮戦争や1990年代の湾岸戦争でも主戦艦となった軍艦で、アメリカ海軍の象徴でもある。このほか、フォード島にる太平洋航空博物館(Pacific Aviation Museum)には、日本軍の「零戦」や米軍のB-25爆撃機などの戦闘機が展示されている。

 ホノルル国際空港からパールハーバー(真珠湾)方面へ伸びるカメハメハ通り(Kamehameha Hwy.)には、ホノルルのアラモアナセンター(21.Ala Moana Center)からホノルル国際空港を経由してパールハーバーの先のアロハスタジアム(Aloha Stadium)、カポレイ(Kapolei)方面を結ぶハワイ初の鉄道が建設中であり、カメハメハ通りではその建設中の土木構造物が見える。

 アロハスタジアムは、5万人収容の多目的スタジアムであり、主にアメリカンフットボールの試合が行われている。また、この場外で、毎週定期的にスワップミート「Swap Meet」と呼ばれる蚤の市が開かれており、いろいろ掘り出し物があるほか、ハワイらしいお土産も手頃な値段で買うことができる。

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パールハーバー・ビジターセンター

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軍艦「アリゾナ」の記念碑

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アリゾナの記念碑と潜水艦ボウフィン

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潜水艦ボウフィン

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真珠湾とアリゾナ記念館

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展示されている軍艦「赤城」の模型

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カメハメハ通り沿いに建設進む鉄道

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アロハスタジアム

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アロハスタジアムのスワップミート

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アロハスタジアムのスワップミート

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米国ハワイ州ホノルル・アラモアナ ハワイ最大のショッピングモール、アラモアナセンター

Honolulu・Ala Moana 
ホノルル・アラ モアナ (ハワイ語、英語)

City and County of Honolulu, State of Hawaii,United States of America
Honolulu, Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡

米国ハワイ州ホノルル・アラモアナ ハワイ最大のショッピングモール、アラモアナセンター

 ホノルル(Honolulu)市のワイキキ(Waikīkī)の西にあるアラモアナ(Ala Moana)地区は、ハワイ最大のショッピングモールであるアラモアナセンター(Ala Moana Center)がある。

 ここは、メイシーズ(Macy's)、ニーマン・マーカス(Neiman Marcus)、ノードストローム(Nordstrom)、日系の白木屋(Shinokiya)などのデパートを核に、ブランドショップが並ぶ大規模なショッピングモールで、マカイ・マーケット・プレイス(Makai Market Place)という大きなフードコートもある。ハワイ土産専門店の「ABC Store」も入っている。日本のアウトレットモールのような雰囲気もあり、ショッピングモールは開放式の吹き抜けで南国らしく、散歩するだけでも楽しい。

 アラモアナセンターは、ショッピングだけでなく、バスターミナルとしての役割を果たしており、ホノルル市内を走る「The Bus」のさまざまな系統がアラモアナセンターに乗り入れていることから、ここを拠点に乗り換えると、いろんなスポットへ行くことができる。

 アラモアナセンターの南側は、アラモアナ・ビーチパーク(Ala Moana Beach Park)が広がっていて、南国らしい公園と海辺が美しい。アラモアナセンターの北側には、スーパーマーケット「Walmart」(ウォルマート)があり、こちらもかなり大規模だ。アラモアナセンターは巨大であることが魅力の一つであるが、バス停などを探して迷うと、かなりの距離を歩くことになる。特に夜は意外と早く営業が終了するので、ワイキキの市街地と少し離れているので注意が必要だ。

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アラモアナセンター

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アラモアナセンター

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アラモアナセンター

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米国ハワイ州ホノルル・カピオラニ カピオラニ公園のワイキキ水族館とホノルル動物園

Honolulu・Kapiʻolani (ハワイ語)
Honolulu・Kapiolani (英語)
ホノルル・カピオラニ

City and County of Honolulu, State of Hawaii,United States of America Honolulu, Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡

米国ハワイ州ホノルル・カピオラニ カピオラニ公園のワイキキ水族館とホノルル動物園

 ホノルル(Honolulu)のワイキキ(Waikīkī)ビーチの東側にあるカピオラニ(Kapiʻolani)地区は、ハワイ(Hawaiʻi)で最も歴史のある大公園であるカピオラニ公園(Kapiʻolani Park)が広がっている。

 同公園は、ハワイ国王のカラカウア(Kalākaua)王の愛妻であるカピオラニ女王(Queen Kapiʻolani)から名付けられた。公園は芝生が広がり、ボダイジュ(バニヤンツリー/Banyan Tree)やネムノキ(モンキーポッド/Monkey Pod)、ハワイ松(アイアンウッド/Ironwood)などの樹木が木陰をつくり、市民の憩いの場となっている。ここから眺めるダイヤモンドヘッド(Diamond Head / Lēʻahi)の丘も美しい。

 カピオラニ公園には、ハワイ松の並木があり、その南側ではエメラルドの海沿いの道を散歩できる。その東側にあるワイキキ水族館(Waikiki Aquarium)は、ハワイをはじめとする太平洋の魚介類の海洋生物が紹介されており、特にさまざまな種類のサンゴが美しい。アザラシなども飼育されている。

 カピオラニ公園の北側には、ホノルル動物園(Honolulu Zoo)もあり、ゾウやシマウマ、キリンなどさまざまな動物が飼育されている。園内はトロピカルな雰囲気があり、散策が楽しい。

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カピオラニ公園から見たダイヤモンドヘッド

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ワイキキ水族館

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ワイキキ水族館

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カピオラニ公園のハワイ松並木

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カピオラニ公園とワイキキビーチ

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ホノルル動物園

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ホノルル動物園

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ホノルル動物園のゾウ

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ホノルル動物園のシマウマとキリン

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米国ハワイ州ホノルル・ダイヤモンドヘッド ワイキキビーチが見渡せる火山クレーター

Honolulu・Lēʻahi (ハワイ語)
Honolulu・Diamond Head (英語)
ホノルル・レーアヒ(ダイヤモンドヘッド)

City and County of Honolulu, State of Hawaii,United States of America Honolulu, Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡

米国ハワイ州ホノルル・ダイヤモンドヘッド ワイキキビーチが見渡せる火山クレーター

 ハワイ(Hawaiʻi)のオアフ(Oʻahu)島、ホノルル(Honolulu)の南東にあるダイヤモンドヘッド(Diamond Head)の山頂展望台は、ワイキキ(Waikīkī)ビーチが見渡せるハワイ観光の定番スポットの一つである。

 ダイヤモンドヘッドは、火山の噴火によって形成されたクレーターで、地元のハワイ語では「マグロの眉」を意味する「Lēʻahi」(レーアヒ)と呼ばれている。ダイヤモンドヘッドとは19世紀初めにイギリス人の水夫らによって命名され、そう呼ばれるようになった。

 ダイヤモンドヘッドの展望台へは、ホノルル・ワイキキからバスでクレーターの北東側にあるダイヤモンドヘッド通り(Diamond Head Rd.)にあるバス停から歩いていく。クレーターの丘をくぐるトンネルを抜けると、クレーター内部の広大な荒涼とした平原が広がる。ここに駐車場があり、観光バスのワイキキ・トロリーはここまで乗り入れる。

 ここからは「ダヤモンドヘッド・トレイル」と呼ばれる登山道となり、展望台へは約30分のハイキングだ。クレーターの山では傾斜がきつくなるが、登れば登るほど素晴らしい景色が広がる。途中に2か所ずつ、長い階段とトンネルがあり、そこを登ると標高232mの頂上の展望台に着く。そこからは、ダイヤモンドヘッドのクレーターの地形や、美しいワイキキビーチと高層リゾートホテルが建ち並ぶワイキキの市街地などが見渡せる。熱帯気候のハワイでの登山は暑く、汗が流れるので十分な水分補給に気をつけたい。展望台に着けば、その暑さはすっかり忘れて風がさわやかだ。

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周辺の道路から見たダイヤモンドヘッド

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ダイヤモンドヘッドの登山口

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ダイヤモンドヘッドの登山道

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ダイヤモンドヘッドの登山道

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ダイヤモンドヘッドの登山道

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登山道から見たダイヤモンドヘッドのクレーター

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登山道の階段

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登山道の階段(上から)

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ダイヤモンドヘッド展望台からの景色

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ダイヤモンドヘッド展望台から見たワイキキ

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ダイヤモンドヘッド展望台から見たワイキキ

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ダイヤモンドヘッド展望台からの景色

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米領北マリアナ諸島サイパン・バナデロ 戦没者慰霊碑が並ぶ激戦の跡

Saipan・Banadero (チャモロ語)
Saipan・Last Command Post (英語)
サイパン・バナデロ(ラスト コマンド ポスト)

Sankattan Siha Na Islas Mariånas
Commonwealth of the Northern Mariana Islands
アメリカ合衆国北マリアナ諸島自治連邦区

米領北マリアナ諸島サイパン・バナデロ 戦没者慰霊碑が並ぶ激戦の跡

 バナデロ(Banadero)は、サイパン(Saipan)島北端のマッピ(Marpi)山の崖下にある太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)6月~7月のサイパンの戦いで、最後に日本軍や民間人がアメリカ軍に追い込まれた場所で、英語では最後の日本軍司令部という意味で「Last Command Post」(ラスト コマンド ポスト)とも呼ばれる戦跡である。

 バナデロには、洞窟を利用して作られたトーチカがあり、ここで日本軍と米軍の激しい戦闘が行われた。戦後、ここが日本軍最後の司令部が置かれたと伝えられ、「Last Command Post」と呼ばれるようになったのであるが、中部太平洋方面艦隊司令長官の南雲忠一(なぐも ちゅういち)中将が「止まるも死、進むも死…」「断固進んで米鬼に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす…」と訓示し、サイパン守備隊に最後の攻撃を命令し、サイパン防衛にあたっていた第43師団斎藤義次(さいとう よしつぐ)中将らとともに自決した最後の日本軍司令部はここではなく、バナデロより南のサン ロケ(San Roque)の内陸部の「地獄谷」の洞窟であるとの説が有力である。一方、バナデロでは、「最後の司令部跡」との日本語表記が今もあり、ガイドブックにもそのようにそのまま解説されていることが多い。最近はチャモロ語の地名である「Banadero」(バナデロ)と呼ばれることが多くなっているようだ。

 バナデロは、日本軍が最後の力をふりしぼって戦った洞窟のトーチカ跡が戦跡として整備されており、洞窟の中に入ることもできる。ここで最後まで戦った兵士のことを思うと胸に迫るものがある。また、外側には当時の砲台が並べられ、日本兵がサイパンの戦いでどのように反撃しようとしたのかを解説する説明板もあり、地図とともに英語と日本語で解説されている。

 この近くには、1974年(昭和49年)に日本国政府により建てられた「中部太平洋戦没者の碑」があり、「さきの大戦において中部太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび、平和への思いをこめてこの碑を建立する」との説明が書かれている。2005年(平成17年)には天皇・皇后両陛下が慰霊のため訪問した。慰霊碑は遺骨箱をかたどったデザインは、厚生労働省によると「勇敢に戦い祖国の礎となられた勇士の霊を象徴している」という。また、台座の下には飯盒などの遺品が収められている。このあたりは、マッピ山の崖の下にあたり、この崖、ラデラン バナデロ(Laderan Banadero)は、アメリカ人によって自殺の崖を意味する「Suicide Cliff」(スーサイド クリフ)と呼ばれ、米軍に追い詰められた多くの在サイパン日本人が崖の上から身を投げた。その真下にあたることから、ここに慰霊碑が造られたようだ。その裏には、たくさんの鎮魂碑や地蔵があり、お花や千羽鶴などが捧げられている。

 また、このほか、1968年に米国統治下にあった琉球政府によって建てられた慰霊碑「おきなわの塔」がある。サトウキビ栽培などのノウハウがある沖縄人は、日本統治下のサイパンに多く移住していたことから、サイパンの戦いでは沖縄人の犠牲者が特に多かった。「おきなわの塔」の近くには韓国人の犠牲者を追悼する「韓国人慰霊平和塔」もあり、民間人を巻き込んだ激戦地の傷跡の深さが身にしみる。サイパンはリゾート地であるとともに、南洋の島々がたどった歴史も忘れないようにしたい。

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中部太平洋戦没者の碑

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中部太平洋戦没者の碑の裏にあるさまざまな慰霊鎮魂の碑

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天皇・皇后両陛下ご訪問の記念碑

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おきなわの塔

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バナデロの日本軍施設跡(ラスト コマンド ポスト)

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そのままの姿で展示されている砲台

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そのままの姿で展示されている砲台

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バナデロの日本軍施設跡

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バナデロの日本軍施設跡

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バナデロの日本軍施設跡

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日本兵反撃計画の説明板

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米国ハワイ州ホノルル・ワイキキ ハワイ観光の定番リゾート、ワイキキビーチ

Honolulu・Waikīkī (ハワイ語)
Honolulu・Waikiki (英語)
ホノルル・ワイキーキー (ハワイ語)
ホノルル・ワイキキ (英語)

City and County of Honolulu, State of Hawaii,United States of America Honolulu, Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市郡

米国ハワイ州ホノルル・ワイキキ ハワイ観光の定番リゾート、ワイキキビーチ

 ハワイ(Hawaiʻi)のオアフ(Oʻahu)島、ホノルル(Honolulu)の南東にあるワイキキ(ワイキーキー/Waikīkī)は、ハワイ観光の旅行者が必ず訪れる定番の地。ハワイを代表するリゾート地であるワイキキビーチがある。

 ワイキキの地名は、ハワイ語の「ワイキーキー」(Waikīkī)で、「水が湧くところ」という意味。もともとワイキキはハワイ王国の王族の保養地であったが、米国の影響が強まり、ワイキキの土地が白人によって所有が進み、1898年にハワイがアメリカ合衆国の自治領となると、1901年に初のリゾートホテルとなるモアナホテル(Moana Hotel)が開業した。このホテルは現在、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ(Moana Surfrider A Westin Resort and Spa)となっている。

 ワイキキのメインストリートは、ワイキキを東西に貫くカラカウア通り(Kalakaua Ave.)と、その北側に平行するクヒオ通り(Kuhio Ave.)。カラカウア通り沿いにはワイキキビーチに面するハイアット・リージェンシー・ワイキキ・ビーチ・リゾート・アンド・スパ(Hyatt Regency Waikiki Beach Resort Resort and Spa)、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ、ロイヤル・ハワイアン(The Royal Hawaiian)、 シェラトン・ワイキキ(Sheraton Waikiki)などの豪華リゾートホテルが並ぶ。今は完全に観光リゾートホテルとなってしまっているが、ロイヤル・ハワイアンのホテルの敷地はハワイ王国のカメハメハ大王の邸宅跡である。

 また、カラカウア通りには、ロイヤル・ハワイアン・センター(Royal Hawaiian Center)やTギャラリア・ハワイby DFS(T Gallaria Hawaii by DFS)などの大型ショッピングモールがあり、多くの観光客がショッピングに訪れる。

 クヒオ通り側には、カイラウニ(Kaʻiulani)女王の邸宅跡にカイウラニ女王の像が立っているほか、近くにはカラカウア王邸宅跡がキングズ・ビレッジ(King's Village)という小規模なショッピングモールとなっており、1960年代のアメリカが蘇る米国式のバー「Rock Island Cafe」(ロック アイランド カフェ)や、ハワイ版「餃子の王将」などもある。

 ハイアット・リージェンシーの前にあるビーチはクヒオ・ビーチ・パーク(Kuhio Beach Park)と呼ばれ、クヒオ(クーヒオー/Kūhiō)王子の所有する土地であったことから名付けられ、フラ・ステージでは夕方にフラダンスとハワイ音楽のクヒオ・ビーチ・フラショー(Hula Show)が行われる。また、近くにはサーフィンの神様であるビーチボーイ、デューク・カハナモク(Duke Kahanamoku)の像がある。いま国際的に知られるハワイアン・ミュージックは、ウクレレやスチールギターを多用し、フラダンスと合わせて独特のジャンルを確立し、その優しく明るくのんびりとした音色と歌声が観光客を癒している。

 ワイキキの西側は、「トランプ・インターナショナル・ホテル・ワイキキ・ビーチ・ウォーク」(Trump International Hotel Waikiki Beach Walk)の西側にフォート・デルッシ公園が広がっている。この辺りは、以前は米軍の閲兵場であり、ハワイ出身日系人の米軍曹長ロバート・クロダ(第2次大戦中に戦死)を記念してクロダ・フィールド(Kuroda Field)とも呼ばれる広場があり、芝生が美しい。

 その南側、日本や中華風の建物のショッピングゾーン「レインボー・バザール」(Rainbow Bazar)もあるリゾートホテル「ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキ・ビーチ・リゾート」(Hilton Hawaiian Village Waikiki Beach Resort)の海側には、デューク・カハナモク・ビーチ(Duke Kahanamoku Beach)があり、白く美しいビーチが広がり、その美しさはまさにハワイのリゾートのイメージとぴったりだ。

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ハイヤット・リージェンシーから見たワイキキビーチ

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歴史あるモアナホテルとカラカウア通り

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ワイキキビーチ

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クヒオビーチでのハワイアン音楽の演奏

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夕暮れのワイキキビーチ

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カメハメハ大王邸宅跡の「ロイヤル・ハワイアン」

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ショッピングモール「ロイヤル・ハワイアン・センター」

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カラカウア通りとハワイ銀行のビル

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カイウラニ女王の像

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キングズ・ビレッジにある「餃子の王将」

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ワイキキのトランプホテル

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フォート・デルッシ公園とトランプホテル

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クロダ・フィールド

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フォート・デルッシ公園とクロダ・フィールド

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日本風の建物があるヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキのショッピングゾーン

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中華風のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキのショッピングゾーン

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日本の神社風の鳥居があるヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキ

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デューク・カハナモク・ビーチ

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デューク・カハナモク・ビーチ

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米領北マリアナ諸島サイパン・ラデランバナデロ マッピ山の断崖に並ぶスーサイドクリフの慰霊碑

Saipan・Laderan Banadero (チャモロ語)
Saipan・Suicide Cliff (英語)
サイパン・ラデラン バナデロ(スーサイド クリフ)

Sankattan Siha Na Islas Mariånas
Commonwealth of the Northern Mariana Islands
アメリカ合衆国北マリアナ諸島自治連邦区

米領北マリアナ諸島サイパン・ラデランバナデロ マッピ山の断崖に並ぶスーサイドクリフの慰霊碑

 ラデラン バナデロ(Laderan Banadero)は、サイパン(Saipan)島最北端のマッピ(Marpi)山(標高249m)にある断崖で、英語では自殺の崖を意味する「Suicide Cliff」(スーサイド クリフ)とも呼ばれる。ここは、マッピ山からの景色が一望できる絶景スポットであると同時に、「Banzai Cliff」(バンザイ クリフ)と呼ばれるプンタン サバネタ(Puntan Sabaneta)と同様の悲しい歴史を持つ戦跡でもある。

 ラデラン バナデロは、スペイン語の影響を受けたチャモロ語でバナデロの崖というような意味となるようだ。ここも、プンタン サバネタ(バンザイクリフ)と同じく、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)6月15日~7月9日にかけての「サイパンの戦い」で、米軍はサイパン島の北端へ掃討作戦を行い、生き残ったわずかな日本兵が洞窟などで抵抗を試みるものの、殲滅され、北端に追い詰められ、鬼畜米軍の捕虜になると辱めを受けると恐れ、死を覚悟したサイパン在住日本人らが、どうしようもなくなって、この崖から身を投げて自決(自殺)した。その後、サイパン島を占領したアメリカは、この丘を「自殺の崖」を意味する「Suicide Cliff」と名付けた。

 ラデラン バナデロからは、サイパン島北端のマッピ岬のプンタン サバネタや、日本軍が建設した飛行場跡などが見渡せる。日本軍が建造した滑走路は、占領した米軍によって日本本土への攻撃のための飛行場として拡張された。絶景スポットであり、今では観光スポットでもあるが、ここで米軍に追い詰められた日本人が身を投げた戦史もしっかりと理解しておきたい。

 広場には十字架が背景にある観音像があり、その周りにさまざまな慰霊碑が並んでいる。この像については「この慰霊碑は、日本の委任統治領時代に、ここに住んでいた人々によって発起され~中略~このあたり一帯は、太平洋戦争の際、最も激しい戦場となりその犠牲者はミクロネシアと日本の一般市民、アメリカと日本の軍人、軍属など数万人に達しました。この像は、国籍のいかんを問わず、なくなられた方々の霊を慰め、この世に再びおろかで悲惨な戦争が起こりませんように永遠の平和を祈願するためのものであります。」と建立記が日本語で刻まれている。

 このほかの観音像の周辺にある民間による慰霊碑は元サイパン在住日本人が建てたものが多く、日本語で書かれたものや英語で併記されたものもある。ただ、中には壊されているものもあったりと、台風による被害なのかもしれないが、慰霊碑が折れているのは心が痛む。

 日本語、英語、チャモロ語、カロリン語の4言語による説明板もあり、この日本語版には、「侵攻してくるアメリカの兵士や海兵隊員によって北に追いやられました。行き場所を失ったかれらは、もし捕われたならば、アメリカ人に虐待され殺されると信じ、たくさんの人が自決しました。ある人は自分自身に銃を向け、または手榴弾を使い、その他の人達は、この断崖或いは北側の海岸沿いにあるバンザイクリフから飛び込み自決しました。」と書かれている。この説明板は日に焼けてかなり色あせている。地元のチャモロ語やカロリン語でも書かれている説明板は少ないので、ぜひ更新してこの島の次の世代にもこの島の歴史を(アメリカの視点ではなくサイパン島の視点で)語り継いでほしいと思う。

 ところで、サイパンは南国の島であり、熱帯の果物などがよく獲れそうな気候ではあるが、農園は少なく、果物は輸入に頼っている。そういうところが米国化しているようで、ここまでの道路の周辺で果物などが栽培されていないのがもったいなく感じる。ラデランバナデロの北側には平地が広がっているので、果樹園などを開設すればサイパン・ブランドの南国フルーツが名物になるように思えるのだが。このあたりで今後、日本との農業協力などが深まればいいなと思った。

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ラデランバナデロ(スーサイドクリフ)から見たバンザイクリフと軍用飛行場跡

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ラデランバナデロからの眺め

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慰霊の観音像

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日本語で書かれた観音像の建立記

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折れている慰霊碑

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英語、日本語、チャモロ語、カロリン語で書かれた説明板

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日本語で書かれているスーサイドクリフの説明板

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