インドネシア 人口2億人を超える巨大な島国

Republik Indonesia
レプブリク インドネシア (インドネシア語)
インドネシア共和国

インドネシア 人口2億人を超える巨大な島国

 インドネシア共和国(Republik Indonesia/レプブリク インドネシア)は東南アジアの赤道周辺に広がる島国で、1945年にオランダより独立宣言し、1949年に独立を勝ち取った。人口は2013年の時点で約2億3000万人で、中国、インド、アメリカに次ぐ世界第4位の人口大国であり、日本の2倍近い人口を有し、島国では最多の人口を誇る。

 首都のジャカルタ(Jakarta)には東南アジア諸国連合(ASEAN)の本部が置かれ、インドネシアは東南アジアのリーダー国としての地位を築いている。シンガポールやマレーシアとつながりが深いほか、パプア島でパプアニューギニア、ティモール島で東ティモールと国境を接している。

 面積は191.9万平方キロメートルで、世界15位。1万8000以上の島嶼からなる。2012年の国内総生産(GDP)は約9000億ドルで、世界第16位の経済規模を持つが、一人当たりでは約3000ドルで世界平均を下回る105位、一人当たり購買力平価(PPP)換算でも約4400ドルの119位で世界平均より低い。インドネシアの通貨はルピア(IDR)。

 東西に5000km以上の広さを持つインドネシアは、主にジャワ(Jawa)島、スマトラ(Sumatera)島、カリマンタン(Kalimantan)島、スラウェシ(Sulawesi)島、バリ(Bali)島、パプア(Papua)島、ティモール(Timor)島、マドゥラ(Madura)などの島からなり、首都のジャカルタはジャワ島にある。

 インドネシアの主な都市は、ジャワ島に首都のジャカルタ(Jakarta、人口960万人)、スラバヤ(Surabaya/泗水、261万)、バンドン(Bandung、230万)、ブカシ(Bekasi、200万)、タンゲラン(Tangerang)、スマラン(Semarang、145万)、デポック(Depok、140万)、ジョグジャカルタ(Yogyakarta/Jogjakarta、50万)、スマトラ島にはメダン(Medan、205)、パレンバン(Palembang、135万)、バンダ・アチェ(Banda Aceh、25万)、カリマンタンにはバンジャルマシン(Banjarmasin、60万)、サマリンダ(Samarinda、60万)、スラウェシ島にはマカッサル(Makassar、120万)、バリ島にはデンパサール(Denpasar、55万)、マルク諸島にはアンボン(Ambon、25万)、パプア島にはジャヤプラ(Jayapura、20万)などの都市がある。

 インドネシアの気候は赤道の周辺に位置することから極めて蒸し暑い熱帯であり、米、ココナッツ、キャッサバ、コーヒー豆、大豆、トウモロコシなどの農業が盛んであるほか、鉱産資源も豊富で、石油、天然ガス、石炭、金、銅、スズ、ニッケルなどが産出されている。 インドネシアの最高峰はスマトラ島のクリンチ火山(3805m)。環太平洋火山帯にあることから火山が多く、地震も多い。特に2004年のスマトラ島沖地震は巨大な津波が発生し、インドネシアおよび周辺国にも大きな被害を与えた。インドネシアは近年、首都ジャカルタを中心に急速に開発が進んでおり、また、石油、繊維、食品加工などの工業が盛んであることから、インドネシアに進出する日系企業も多い。

 国土が広く、しかも多数の島嶼からなるため、インドネシアは多民族国家である。大部分はマレーシアのマレー系民族とも近い、マレー・オーストロネシア語系言語を話し、最大の民族はジャワ語(Basa Jawa)を話すジャワ人で人口の約45%を占める。中央ジャワ、東ジャワを中心に約7500万人がジャワ語を母語としている。スンダ語(Bahasa Sunda)を話すスンダ人は約14%で、インドネシア第2の民族であり、西ジャワを中心に約2700万人がスンダ語を話す。公用語のインドネシア語は、もともとインドネシアやマレーシアで交易語として用いられた言葉で、オランダによる統治の影響もあり表記はラテン文字表記で、インドネシア全国で通用する。もともと母語とする人は少なかったが、首都ジャカルタを中心に約2300万人が母語としている。このほかマドゥラ島やジャワ島東部ではマドゥラ人を中心にマドゥラ語が約1300万人話されている。スマトラ島では西スマトラでミナンカバウ語(Minangkabau)が約650万人、北スマトラでバタク文字を用いるバタク語が約600万人、スマトラ島アチェ州では約300万人がアチェ語を使用している。また、スラウェシ島では約400万人がロンタラ文字を用いるブギス語を使用。バリ島ではバリ語が話され、バリ語はラテン文字のほか、伝統的バリ文字による表記もある。カリマンタンではバンジャル語やダヤク語が用いられている。このほか、中国から移民したインドネシア華人が4%近く、約800万人を占め、福建(ホッケン)人、客家(ハッカ)人、広東(クォントン)人、潮州(ティオチウ)人が多い。

 インドネシアの宗教は、イスラム教徒が約77%で多数を占めているが、多民族国家であることから、キリスト教約13%、ヒンドゥー教約3%など、宗教の多様性がある。また、民族文化も多種多様で、伝統音楽ではバリ島のガムラン(gamelan)がよく知られている。インドネシア料理は、串焼き肉のサテ(sate)、焼き飯のナシゴレン(nasi goreng)などが有名であるほか、福建系華人がもたらしたミー(mi/麺)、ルンピア(lumpia/潤餅)、バッパウ(Bakpau/肉包)などもある。

 インドネシアの主要民族である、マレー・オーストロネシア語系民族は、台湾の先住民族とのつながりが深いとされ、マレーシア、フィリピンと近く、ミクロネシアやハワイ、マダガスカルなどに住む民族とも言語面や文化面で共通点が多い。

 紀元前1世紀のあたりからインド人との交流があり、ヒンドゥー教文化の影響を受け、カリマンタン島東部にクタイ王国(Kerajaan Kutai)、ジャワ島西部にタルマヌガラ王国(Kerajaan Tarumanagara)が興った。7世紀にはジャワ島西部にスンダ人によるスンダ王国が建国され、スマトラ島南部にシュリーヴィジャヤ王国(Kerajaan Sriwijaya)が7世紀~13世紀にマラッカ海峡に大きな影響力を持った。ジャワではその後、ヒンドゥー教の古マタラム王国(Kerajaan Mataram)、仏教のシャイレーンドラ朝(Wangsa Syailendra)が建国され、ジャワ東部にはヒンドゥー教のクディリ王国(Kerajaan Kediri)が建国された。ジャワでは1222年にシンガサリ王国(Kerajaan Singhasari)、1292年にマジャパヒト王国(Kerajaan Majapahit)が建国された。

 インドネシアの宗教は、古くはインドの影響を受けて、ヒンドゥー教や仏教が強かったが、11世紀頃からイスラム教(ムスリム)の商人との往来があり、マジャパヒト王国の時代に徐々にイスラム教への改宗が増えてきた。スマトラ島では15世紀末にアチェ王国(Kesultanan Aceh)がイスラム化しており、15世紀末にジャワ島でドゥマク王国(Kesultanan Demak)が建国されるとドゥマク王国がジャワ島で初めてのイスラム国となった。また、ジャワ島西部のバンテン王国もイスラム教を受容した。

 16世紀からポルトガル、イギリス、オランダなどヨーロッパ人が交易を求めてインドネシアに入ってくるようになり、17世紀にはオランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie)がジャカルタの前身であるバタヴィア(Batavia)を拠点に勢力を拡大し、ジャワ島のマタラム王国(Kesultanan Mataram)が分割され、衰退し、1799年にオランダ東インド会社が解散すると、インドネシアのほとんどの地域がオランダ領東インド諸島となった。

 オランダによるインドネシア統治は過酷な搾取が行われていたことから、後に民族独立運動の動きが起こり始めた。1908年にジャワ島で知識人らによるジャワ人の地位向上を求める団体「ブディ・ウトモ」(Budi Utomo)が結成された。1910年代にはイスラム同盟とも呼ばれる「サレカット・イスラム」(Sarekat Islam)が華僑商人に対抗するムスリム商業団体から民族主義団体へと進展、1923年にはサレカット・イスラム党へと発展した。1920年代には労働運動からインドネシア共産党(Partai Komunis Indonesia)が結成され、オランダ・東インド政府の弾圧を受けながら抵抗を続けた。そして1927年、インドネシアの民族独立を掲げるインドネシア国民党(Partai Nasional Indonesia)がスカルノ(Sukarno)によって結成され、スカルノはインドネシア独立(ムルデカ)運動のリーダーとなる。また、商家に生まれオランダ留学経験のあるエリートのハッタ(Hatta)もスカルノと対立しながらもインドネシアの民族独立啓蒙のリーダーとして活躍した。1930年代には、オランダ東インド政府にインドネシア独立指導者らが弾圧され、スカルノやハッタなども逮捕された。

 1941年にAmerica(アメリカ)、Britain(イギリス)、China(中国)、Dutch(オランダ)によるABCD包囲網で石油の禁輸等の経済封鎖をされた日本は、「大東亜戦争」と称して、中国のほか米国および米領フィリピン、英領マレーシア・ビルマ・インド、蘭領東インドなどへ侵攻した。インドネシアからオランダ人が駆逐され、蘭印作戦を指揮した今村均(いまむら ひとし)中将の軍政下に置かれた。日本軍政はスカルノやハッタを解放し、インドネシアの民族意識を鼓舞しながら日本への協力を求めた。大東亜戦争の戦況悪化で、日本が弱体化すると、日本はインドネシアの独立の準備を進めた。だが、1945年8月15日に日本が降伏すると、独立を反故にされてはならないと、スカルノらが8月17日に独立を宣言した。しかし、オランダが再び占領しに戻ってきたため、インドネシア独立戦争となり、インドネシア独立に共鳴した日本軍人も武器を横流ししたり、戦闘に参加するなどして、インドネシア独立を応援した。

 独立戦争と外交的宣伝の成果が実り、1949年のハーグ円卓会議でオランダがインドネシアの独立を承認し、正式に独立を果たした。初代大統領にスカルノが就任。1950年にインドネシア憲法を制定し、1955年に議会総選挙を実施した。しかし、多様で広大なインドネシアを治めることはさまざまな利害関係の調整が必要であり、中央に従わない地方の反乱が発生した。スカルノ大統領はやむを得ず1959年に1950年の新憲法を停止し、大統領に大きな権限を与える1945年の旧憲法を復活を宣言。国会を解散し、議員を任命制にしてインドネシア全土に戒厳令を敷いた。共産党にも接近して、「民族主義(Nasionalisme)」、「宗教(Agama)」「共産主義(Komunisme)」が一致団結する「ナサコム(NASAKOM)」を提唱した。

 スカルノはインドネシア独立の英雄であったが、植民地経済を自国民のものに取り戻すため、外資を排除し、輸入も規制して、自国産業の自立を図ろうとしたが、逆に経済が疲弊したほか、インドネシアの利権があった欧米のインドネシアに対する反感を強めた。また、1961年に英領だったマレーシアの建国をめぐり、「旧宗主国の植民地主義の復活」だと非難してインドネシア郡を派遣して軍事衝突を起こすなどし、国際的非難を招き、1965年には国連脱退した。スカルトは共産党に近づき、対立する国軍と共産党のバランスをとることで権力を維持していたが、1965年9月30日に大統領親衛隊第一大隊長率いる部隊が陸軍の将校ら6人を殺害して国営ラジオ局を選挙し、インドネシア革命評議会設置を宣言する事件が発生した。

 共産党に肩入れしていたスカルノ大統領は事件の関与を疑われ、陸軍最高位となったスハルト(Soeharto)に実権を譲ることになった。スハルトは徹底的な共産党狩りを実行し、共産党員の大虐殺を強行し、数十万人が犠牲になったといわれている。これによりインドネシア共産党は解体され、禁止された。親共路線の責任を追及されたスカルノ大統領は辞任に追い込まれ、1967年にスハルトが大統領代行に就任。1968年に第2代大統領に就任した。

 スハルト大統領は親米・親マレーシア・反共路線を採り、欧米諸国に歓迎され、国連にも復帰した。一方で、容赦ない共産党狩りで国民に恐怖心を植え付け、1974年にポルトガルが東ティモールを放棄し、内戦となり、東ティモール独立革命戦線が独立宣言するとスハルト大統領はインドネシア軍を派遣して東ティモールをインドネシアに併合した。また、アチェの独立運動も武力で抑えた。スハルト政権は独裁的な権力を行使し、「開発独裁」と言われながらも、産油国である強みを生かして工業化の基礎を築き、30年余りにわたって権力を維持した。

 1998年のアジア通貨危機でインドネシア経済が混乱し、スハルト政権が崩壊すると、インドネシアの民主化の流れが進んだ。スハルト政権末期の副大統領だったユスフ・ハビビ(Jusuf Habibie)が大統領に就任し、民主化を進めたが、総選挙でイスラム系組織の指導者でありアブドゥルラフマン・ワヒド(Abdurrahman Wahid)が第4代大統領に就任。東ティモールの独立運動に介入した。イスラエル訪問を果たし、共産主義解禁も提言したが、猛反発に遭い、議会の信任を失って2001年に解任された。ワヒド政権の副大統領だったスカルノの娘であるメガワティ(Megawati)が大統領に就任した。2002年に東ティモールが独立した。2004年にインドネシア初の直接選挙による大統領選挙が実施され、民主党のスシロ・バンバン・ユドヨノ(Susilo Bambang Yudhoyono)が大統領に当選し、2009年に再選された。

 国土が広く多様なインドネシアでは、分離独立運動もあり、1998年のスハルト政権崩壊をきっかけに、元ポルトガル領だった東ティモールでは国連主導の住民投票が実施され、2002年にテトゥン語とポルトガル語を公用語とする「東ティモール民主共和国」(Republika Demokratika Timor Lorosa'e / República Democrática de Timor-Leste)として独立を果たした。また、かつてアチェ王国があったスマトラ島北西部のアチェ(Aceh / اتچيه )でも独立運動が盛んであったが、スマトラ沖大地震の津波で壊滅的被害を受けたことから、休戦し、インドネシア国内にとどまることになった。そのほかパプア島でも独立を求める動きがある。


インドネシア共和国
Republik Indonesia(インドネシア語)
(1945年、オランダより独立)
面積:191.9万平方キロ
人口:2億2997万
通貨:ルピア
主要言語:インドネシア語、ジャワ語、スンダ語、マドゥラ語、ミナンカバウ語、ブギス語、バタク語、バリ語、アチェ語、福建語、客家語、(広東語、潮州語、ブタウィ語、ササク語、ダヤク語、パプア語、バンジャール語、ゴロンタロ語ほか)
首都:ジャカルタ/Jakarta(インドネシア語)(人口1101万)

(参考、Wikipedia、外務省HPほか) 

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マレーシア・ジョホールバル シンガポールに隣接するマレー半島南端の都市

Johor Bahru
جوهر بهارو
新山
ジョホール バル (マレーシア語)
シンサン (潮州語、客家語、福建語、マレーシア華語)

Malaysia・Majlis Bandaraya Johor Bahru
马来西亚柔佛州新山市
マレーシア ジョホール州ジョホールバル特別市

マレーシア・ジョホールバル シンガポールに隣接するマレー半島南端の都市

 ジョホール バル(Johor Bahru)は、マレーシアのジョホール(Johor)州にあるマレー半島南端の都市で、都市部の人口は約90万人。「JB」と略される。シンガポール共和国(新加坡/Singapura/சிங்கப்பூர்/Singapore)に隣接する国境の都市で、シンガポールとの往来が盛んだ。

 ジョホール海峡を挟んで対岸のシンガポールのウッドランズ(Woodlands/兀兰)とは、ジョホール・シンガポール・コーズウェイ(-Singapore Causeway/Tambak Johor/新柔长堤/シンゾウ ツァンティー)という道路で結ばれている。

 コーズウェイはジョホール海峡を土手で固めた道路で、コーズウェイの長さは約1キロ。イギリス統治時代の1923年に開通した。マレーシアとシンガポールはイギリスから独立して1963年にマレーシア連邦を建国したが、マレーシアはマレー人優遇政策を進めようとして、シンガポールは中国からの移民が多かったため、華人系との対立が強まり、1965年にシンガポールはシンガポール共和国としてマレーシア連邦から独立した。そして、コーズウェイはマレーシアとシンガポールの国境となった。

 コーズウェイは道路のほか、マレー鉄道(Keretapi Tanah Melayu)と水道のパイプラインが通っている。コーズウェイのウッドランズ側にシンガポールの出入国検査場が、ジョホールバル側にマレーシアの出入国検査場がある。ジョホールバルとシンガポールの往来は極めて緊密で、シンガポールからの日帰り旅行も可能だ。

 ジョホールバルは華語では「新山」(シンサン)と呼ばれている。もともと潮州(ティオチウ)人の移民が多い。声調は異なるが、潮州語や福建語、客家語の発音も「シンサン」で、広東語は「サンサーン」となる。ジョホールバルの民族別人口比率はマレー系約44%、華人系約42%、インド系約9%となっている。

 ジョホールバルにはマレー鉄道のジョホールバル駅があったが、2010年にジョホールバル・セントラル駅(Johor Bahru Sentral Railway Station)が東側に隣接して開業し、駅が未来的で美しくなった。ここから首都のクアラ ルンプール(Kuala Lumpur)を結ぶ列車が発着している。

 ジョホールバル・セントラル駅はジョホールバルの出入国検査場から続くトゥン アブドゥル ラザク通り(Jl. Tun Abdul Razak)に面しており、道路の向かいの「トゥン アブドゥル ラザク・コンプレックス」(Tun Abdul Razak Complex)や「ジョホールバル シティスクエア」(Johor Bahru City Square)などの複合商業施設とつながっている。

 ジョホールバルの街並みは、アルファベット表記のマレーシア語が目立つが、漢字の看板も多く、華人系の屋台マーケットもある。そのほか、アラビア文字のようなジャウィ文字を併記した道路標識があったり、インド(タミル)系の寺院もあったりと、多民族国家のマレーシアらしい風景が広がる。

 駅から西へ1キロほど行くと、ジョホール州を治めるサルタン(王)の王宮(Istana Besar)があり、広大な庭園に青い屋根と白壁の建築が美しい。そのサルタン王宮の裏手には「アブ・バカール・モスク」(Abu Bakar Mosque)と呼ばれるイスラム寺院があり、ここはマレーシアの中でも有数の美しい建築だと言われている。

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ジョホールバル駅の旧駅舎

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ジョホールバルの街並み

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ジョホールバルの街並み

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ジョホールバルのインド系寺院

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ジャウィ文字が併記されている道路標識


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マレーシア マレー半島とボルネオ島北部の多民族国家

Malaysia (マレーシア語)
مليسيا (ジャウィ文字マレーシア語)
马来西亚 (華語)
மலேசியா (タミル語)
マレーシア

マレーシア マレー半島とボルネオ島北部の多民族国家

 マレーシア(Malaysia)は東南アジアのユーラシア大陸の先端部にあたるマレー半島南部とボルネオ島北部にまたがる国で、ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国であるとともに、イギリス連邦(Commonwealth of Nations)の一員でもある。マレー半島では北にタイと接し、ジョホール海峡を挟んで南にシンガポールと接している。ボルネオ島では南をインドネシアと接し、北中部でブルネイとも接している。

 マレーシアには、古くは15世紀にマレー系のマラッカ王国(Malacca Sultanate)があり、明国に朝貢したほか、アジアのイスラム商船との交流の拠点となると国王もイスラム教に改宗し、マレーシアにイスラム教が広がった。16世紀からポルトガル、オランダなどに一部都市が占領され、19世紀にはイギリスも進出し、スマトラ島北部では1841年にイギリス人によってサラワク王国が建てられ、1874年にはマレー半島南部はイギリス領マラヤとなった。第二次世界大戦後、1946年にサラワク王国がイギリス領サラワクとなった。イギリス領マラヤは1947年にイギリス領マラヤ連邦となった。

 イギリスからは1957年にマラヤ連邦(Persekutuan Tanah Melayu/Federation of Malaya)として独立し、その後、イギリス領のシンガポールとサラワク(北ボルネオ)を統合して1963年にマレーシアが建国された。その2年後、華人系の比率の高いシンガポールがマレーシアから分離・独立した。

 マレーシアの人口は約2750万人。民族はマレー系住民が最も多く約65%、次に多いのが華人系で約25%、インド系が約8%となっている。マレー系は多数派のマレー人のほか、マレー半島の先住民族でありオラン・アスリ(Orang Asli)、サラワク州のイバン族なども含まれる。華人系は福建人、広東人、客家人、潮州人などが多い。インド系は南インドのタミル系が多い。多民族ではあるが、シンガポールに住む民族との共通点も多い。

 言語はマレーシアの国語はマレー語系のマレーシア語(bahasa Malaysia)とされている。インドネシア語と非常に近く、普段はアルファベットで表記されるが、アラビア文字を元にしたジャウィ文字による表記も一部で用いられている。そのほか、華人系では福建語、広東語、客家語、潮州語もよく話されているが、華人系の共通語として学校教育を通じて華語(北京語/中国語)も使われている。インド系ではタミル語がよく使われている。そのほか、イギリス統治の影響で、英語も比較的よく使われている。

 マレーシアの面積は約33.0万平方キロで、日本より若干狭い。通貨はリンギット(Ringgit、RYM)。首都はマレー半島中西部のクアラ ルンプール(Kuala Lumpur)。マレーシアの国土は赤道の前後から北に広がり、クアラルンプールは北緯3度で、一年中蒸し暑い熱帯雨林気候。

 マレーシアの一人当たり国内総生産(GDP)は約8400ドル、一人当たり購買力平価(PPP)換算では約1万4700ドルで、東南アジアの中ではシンガポール、ブルネイに次いで高いが、所得配分が民族でバラつきがあり、全体的に華人系が最も高く、次いでインド系で、先住民のマレー系が最も低い状態にある。その不平等のバランスをとることを目的として、マレー系を優遇するブミプトラ(bumiputera)政策が進められたが、それでもマレー系内の貧富の格差は依然大きい。

 マレーシアの政治は、立憲君主制であることから国王(Agong)がいるが、他国のような終身・世襲制の国王ではなく、各州の首長の輪番制となっており、任期は5年である。政治の実権を握っているのは首相で、与党連合の国民戦線(Barisan Nasional)の最大政党である統一マレー国民組織(Pertubuhan Kebangsaan Melayu Bersatu / United Malays National Organization、UMNO)の党首が首相を務める。

 特に1981年~2003年のマハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad)首相時代には、日本や韓国の集団精神や勤労倫理を見習おうとする「ルックイースト政策」(Dasar Pandang ke Timur)を推進した。2011現在の首相はナジブ・ラザク(Najib Razak)氏。

 このほか、与党系のマレー系以外の政党にマレーシア華人公会(马来西亚华人公会/Malaysian Chinese Association、MCA)、マレーシア人民運動党(马来西亚民政运动党/Parti Gerakan Rakyat Malaysia、Gerakan)、マレーシア・インド人会議(மலேசியா இந்தியா காங்கிரெஸ் / Malaysia Indian Congress、MIC)などがあり、このほか野党系は全マレーシア・イスラム党(Parti Islam Se Malaysia、PAS)、人民正義党(Parti Keadilan Rakyat、PKR)、民主行動党(民主行动党/Democratic Action Party、DAP)などがある。

 マレーシアの主な都市は、首都のクアラ ルンプール(Kuala Lumpur/吉隆坡)は現代的な高層ビルが建ち並び、都市鉄道などの交通の整備も進んでいる。マレー半島南端のジョホール バル(Johor Bahru/新山)はシンガポールと隣接しており、シンガポールとの交流が深い。このほか、ペナン島(Pulau Pinang/槟城)のジョージタウン(George Town/乔治市)。マラッカ海峡の港町のムラカ(Melaka/马六甲)。スラバヤ島、サラワク州のクチン(Kuching/古晋)、サバ州のコタ キナバル(Kota Kinabalu/亚庇)などの都市がある。マレー系はどの都市にも多いが、華人系はクアラルンプールに広東人が比較的多く、ジョホールバル、ペナン・ジョージタウン、ムラカ(マラッカ)は福建人が比較的多く、スラバヤ島のクチンやコタキナバル(アーピー)には客家人が比較的多い。

 
マレーシア
Malaysia(マレー語)
مليسيا(ジャウィ文字マレー語)
马来西亚(華語)
(1957年マラヤ連邦がイギリスから独立、1963年マレーシア建国)
面積:33.0万平方キロ
人口:2747万
通貨:リンギット
主要言語:マレー語、マレーシア華語、英語、福建語、広東語、客家語、(潮州語、タミル語、福州語、海南語、イバン語、ビダユ語、カダザン語など)
首都:
クアラルンプール/Kuala Lumpur/كوالا لومفور(マレー語)
カッロンポー/吉隆坡(広東語)
チーロンポー/吉隆坡(マレーシア華語)(人口189万)

(参考:Wikipediaほか)

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シンガポール・タンジュンパガール 廃止されたマレー鉄道タンジュンパガール駅

Singapra・Tanjung Pagar
新加坡・丹戎巴葛
シンガプラ・タンジュン パガール (マレー語)
シンガポール・タンジョン パガー/Singapore Tanjong Pagar (英語)
シンチアポー・タンゾンパーゴー (シンガポール華語/北京語)
シンカーポー・タンジョンパーカッ (福建語/閩南語)

新加坡共和国中新加坡社区(Central Singapore)
シンガポール共和国中央地区

シンガポール・タンジュンパガール 廃止されたマレー鉄道タンジュンパガール駅

 シンガポール(新加坡/Singapura/சிங்கப்பூர்/Singapore)の中心部に乗り入れていたマレー鉄道(Keretapi Tanah Melayu)のシンガプラ・タンジュン パガール(Singapura Tanjung Pagar / Singapore Tanjong Pagar)駅が2011年6月30日で廃止された。

 マレー鉄道はイギリス統治時代の1903年にシンガポールでの区間が建設され、シンガポール(Singapore)駅が開業。1932年にこの場所に移転した。シンガプラ・タンジュン パガール(シンガポール・タンジョン パガー)駅は、チャイナタウンに近い地下鉄東西線アウトラムパーク(Outram Park/欧南园)駅の南約1キロのケッペル・ロード(Keppel Road)のところにあった。また、マレー鉄道の駅から約1キロ強北西にも、地下鉄東西線に同名のタンジョン パガー(Tanjong Pagar/丹戎巴葛)駅がある。

 マレー鉄道はシンガポールからウッドランズ・トレイン・チェックポイント(Woodlands Train Checkpoint/兀兰)を経て、ウエストコースト線としてマレーシアのジョホールバル(Johor bahru/新山)やクアラルンプール(Kuala Lumpur/吉隆坡)方面を結んでいた。

 シンガポール共和国独立後も、マレー鉄道の施設はマレーシア側が所有していたため、シンガポールからマレーシアへ向かう国際列車は、同駅でマレーシアの入国審査を行っていた。また、マレーシアの出国審査はジョホールバル駅で、シンガポールの出入国審査はマレーシアとの国境に近いウッドランズ・トレイン・チェックポイントで行っていた。ウッドランズ~タンジュン パガール間(約25キロ)が廃止後は、ウッドランズがマレー鉄道の終点となり、ここでマレーシアとシンガポール両国の出入国審査が行われるようになった模様。

 2011年6月末に同駅廃止後、石造りの重厚な建築物であるタンジュン パガール駅の駅舎は歴史遺産として保存されるようだ。シンガポール市内をのんびり走るマレー鉄道が廃止されてしまうのは残念だが、いろいろ廃止後の再開発計画があるようなので、今後の変化に期待したい。

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マレーシア マレーシアの主な都市人口

Malaysia 
马来西亚/ மலேசிய / (マレーシア語、英語、広東語、福建語、客家語、潮州語、華語、タミル語等)
マレーシア

マレーシア マレーシアの主な都市人口

マレーシア語([粤]広東語、[福]福建語、[客]客家語、[潮]潮州語)
マレーシアの主な都市人口
146万 Kuala Lumpur/ كوالا لومڤور /吉隆坡 クアラルンプール([粤]カッロンポウ)
117万 Subang Jaya/梳邦再也 スバン ジャヤ
100万 Klang/ كلاڠ /巴生 クラン([福]パーシン)
87万 Johor Bahru/ جوهر بهارو /新山 ジョホールバル([潮][福]シンサン)
72万 Ampang Jaya/安邦 アンパン ジャヤ([客]オンパン)
70万 Ipoh/ ايڤوه /怡保 イポー([粤]イーポウ)
63万 Kuching/古晋 クチン([客]クウチン/[福]コォーチン)
62万 Shah Alam/莎阿南 シャーアラム
61万 Kuantan/ كوانتن /关丹 クアンタン
54万 Kota Kinabalu/ كوتا كينبالو /亚庇 コタキナバル([客]アーピー)
54万 Petaling Jaya/ ڤتاليڠ جاي /八打灵再也 プタリン ジャヤ

(参考:Wikipedia)

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シンガポール・ウッドランズ 国境のジョホール海峡コーズウェイ

Singapore・Woodlands
新加坡・兀兰
シンガポール・ウッドランズ (英語)
シンチアポー・ウーラン (シンガポール華語/北京語)
シンカーポー・グッラン (福建語/閩南語)
シンガプラ・ウッドランズ/Singapura Woodlands (マレー語)

新加坡共和国西北部社区(North West)
シンガポール共和国北西地区

シンガポール・ウッドランズ 国境のジョホール海峡コーズウェイ

 ウッドランズ(Woodlands/兀兰)は、シンガポール(新加坡/Singapura/சிங்கப்பூர்/Singapore)北部の住宅地で、隣国マレーシア(Malaysia)のジョホールバル(Johor Bahru/新山)と接する国境の町。

 ウッドランズとジョホールバルは、ジョホール・シンガポール・コーズウェイ(Johor-Singapore Causeway/Tambak Johor/新柔长堤/シンゾウ ツァンティー)という道路で結ばれている。

 コーズウェイはジョホール海峡を土手で固めた道路で、コーズウェイの長さは約1キロ。イギリス統治時代の1923年に開通した。シンガポールは第二次世界大戦で一時的に日本が占領し、戦後は再びイギリスの統治が続いたが、1959年にイギリスのシンガポール自治領となり、1963年にマラヤ連邦(1957年独立)などとマレーシア連邦を建国し、イギリスから独立した。マレーシアはマレー人優遇政策を進めようとしたが、シンガポールは中国からの移民が多かったため、華人系との対立が強まり、1965年にシンガポールはシンガポール共和国としてマレーシア連邦から独立した。そして、コーズウェイはマレーシアとシンガポールの国境となった。

 コーズウェイは道路のほか、マレー鉄道(Keretapi Tanah Melayu)と水道のパイプラインが通っている。コーズウェイのシンガポール側にシンガポール共和国の出入国検査場がある。マレー鉄道のウッドランズ・トレイン・チェックポイント(Woodlands Train Checkpoint)も併設され、マレー鉄道の乗客もここでいったん車両から下りてシンガポールの出入国審査を受ける。道路交通は、ブキッ・ティマ道路(Bukit Timah Expy)がコーズウェイにつながっていて、ここを経由してマレーシアのジョホールバル方面へ行くことができる。

 マレー鉄道はシンガポールのタンジョン・パガー(Tanjung Pagar/丹戎巴葛)駅がシンガポールのターミナル駅となっており、シンガポールの出入国審査はウッドランズ・トレイン・チェックポイントで行っているが、マレー鉄道の施設がマレーシア側の所有のため、マレーシアの入国審査は変則的にシンガポール・タンジョン・パガー駅で行われる(マレーシアの出国審査はジョホールバル駅)。しかし、今後新しいシンガポールのターミナル駅がウッドランズに移転し、ウッドランズ~タンジョン・パガー間は2011年中に廃止される予定となっている。

 シンガポールの都市鉄道(MRT)を使ってウッドランズ出入国検査場へ行く場合は、南北線(North South Line)のクランジ(Kranji/克兰芝)駅からバスで向かうと便利。

 ウッドランズの西側には林厝港(リムツウカン/Lim Chu Kang)という地区があるが、ここはもともと潮州(ティオチウ)人がプランテーションの農園を開いたところで、「林厝港/Lim Chu Kang」とは潮州語で林(リム)さんの家の港という意味であるが、林氏がこのプランテーションを管理していたということに由来する地名なのだという。MRT南北線の駅にも蔡厝港(ツォアツウカン/Choa Chu Kang)や楊厝港(イョーツウカン/Yio Chu Kang)という駅があるが、これも同様に潮州人のプランテーションがあったことが地名からわかる。潮州語と福建語(閩南語)は共通する点が多く、発音も似ている。

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シンガポールMRT

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シンガポールMRTの4言語標識

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ジョホール・シンガポール・コーズウェイから見たシンガポール

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テーマ : シンガポール
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シンガポール・牛車水 牛車水と呼ばれるチャイナタウン

新加坡・牛车水
シンカーポー・グウチアツイ (福建語/閩南語)
シンカーポー・ニウツァースイ (客家語)
センカーポウ・ンガウツェーソイ (広東語/粤語)
シンチアポー・ニョウツォースエイ (シンガポール華語/北京語)
シンガプラ・クレタ アヤ/Singapura・Kreta Ayer (マレー語)
シンガポール・チャイナタウン/Singapore・Chinatown (英語)

新加坡共和国中新加坡社区(Central Singapore)
シンガポール共和国中央地区

シンガポール・牛車水 牛車水と呼ばれるチャイナタウン

 シンガポール(新加坡/Singapura/சிங்கப்பூர்/Singapore)は華人、マレー人、タミル人などの住民が暮らす多民族国家であるが、そのなかでも「華人」(ホアレン)と呼ばれる民族が最も多くを占める。

 さらにシンガポール華人は中国の華南からシンガポールに渡ってきた移民であることから、華南の各出身地・言語別のエスニックグループに分かれる。そのなかで最も大きいのが福建語(閩南語)を話す福建(ホッケン)人で、そのほか広東省東南部の潮州語を話す潮州(ティオチウ)人、広東語を話す広東(クォントン)人、客家語を話す客家(ハッカ)人、福建省北東部の福州語(閩東語)を話す福州(フッチウ)人、海南語を話す海南(ハイラム)人などのエスニックグループがシンガポールに住んでいる。

 これらの多民族をまとめるためにシンガポール政府は英語と標準中国語(華語)の普及を優先する言語政策をとっているが、これらの言語はシンガポール人のいわゆる「母語」ではないため、言語が強く影響する伝統文化面での衝撃や、画一化の弊害も大きかった。

 そのなかで、マレー語でKreta Ayer(クレタ・アヤ)と呼ばれ、水を曳く牛車の意味で、19世紀あたりから中国華南地方からの移民が住むようになった。それが「牛車水」(牛车水/グウチアツイ/ニウツァースイ/ンガウツェーソイ)と呼ばれるようになり、ここが現在、シンガポールを代表するチャイナタウン(China Town)となっている。

 牛車水地区は、シンガポール地下鉄(新加坡地铁)牛車水(牛车水/Chinatown)駅(東北線、浜海市区線)、アウトラムパーク(Outram Park/欧南园)駅(東北線、東西線)、タンジョン・パガー(Tanjong Pagar/丹戎巴葛)駅(東西線)、ラッフルズ・プレイス(Raffles Place/莱佛士坊)駅(東西線、南北線)に囲まれた中にあり、ここにはシンガポール華人の文化が感じられるスポットが集まっている。

 ラッフルズ・プレイス駅から東に歩いていくと、北京路(パッキヤロォー/ペイチンルウ/Pekin St.)、福建路(ホッケンロォー/フウチエンルウ/HokKien St.)、厦門路(エームンロォー/シアメンルウ/Amoy St.)などの街路がある。

 厦門路には天福宮(テンホッキン/Thian Hock Keng Temple)という1822年に建てられたシンガポール最古の道教の福建寺院があり、ここには媽祖(マーツォー)が祭られている。ところで、「Thian Hock Keng Temple」を「シアン・ホッケン寺院」などと表記しているガイドブックがあるが、「Thian Hock Keng」は「天福宮」の福建語読みの「テンホッキン/Thian-hok-keng」が由来であり、「th」の英語読みと「福建」をミックスしたような「シアン・ホッケン」などという意味のわからない表記は変だ。

 橋南路(桥南路/キオラムロォー/チャオナンルウ/South Bridge Rd.)と新橋路(新桥路/シンキオロォー/シンチャオルウ/New Bridge Rd.)の間にチャイナタウン・コンプレックス(牛车水大厦/グウチアツイ タイハー/ニョウツォースエイ ターシア/Chinatown Complex)と呼ばれる複合商業施設がある。ここは市場や、衣料品、華人向け生活用品を売る店が集まり、シンガポール華人の生活風景が感じられる観光スポットとなっている。但し、観光客向けのやりとりは英語が使われることが多いが、このあたりで買い物する地元のシンガポール人の会話を聞いていると福建語や広東語が聞こえてくる。

 チャイナタウン・コンプレックスの周辺のスミス通り(Smith St./史密丝街)、テンプル通り(Temple St./邓波街)、パゴダ通り(Pagoda St./宝塔街)あたりには、シンガポール伝統の1階が店舗、2階が住宅の「ショップハウス」(Shophouse)が並ぶ。この近くにシンガポールからアジアに店舗を展開する肉乾(バーコワ)の老舗である「美珍香」(ビーチンヒャン/Bee Cheng Hiang)のお店がある。このほか牛車水地区の音楽CD屋は、台湾から輸入された福建語(台湾語)や客家語の歌謡曲のCDも売られている。

 以前シンガポールに行ったときに台湾製の客家語の歌のCDをチャイナタウンで買ったところ、その中に「十七十八田庄女」(スプチッスッパッ ティエンツォン ンー)という歌が入っていて、これが日本の「満州娘」という歌の客家語ヴァージョンだったのでびっくりした。

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牛車水の街並み

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シンガポール・リトルインディア 南インド・タミル文化の濃いセラングーン通り

சிங்கப்பூர்・லிட்டில் இந்தியா
シンガップール・リトル インディア (タミル語)
シンガポール・リトル インディア/Singapore・Little India (英語)
シンガプラ・リトル インディア/Singapura・Little India (マレー語)
シンチアポー・シャオイントゥー/新加坡・小印度 (シンガポール華語/北京語)
シンカーポー・ショーイントォー (福建語/閩南語)

新加坡共和国中新加坡社区(Central Singapore)
シンガポール共和国中央地区

シンガポール・リトルインディア 南インド・タミル文化の濃いセラングーン通り

 シンガポール(新加坡/Singapura/சிங்கப்பூர்/Singapore)の中心部の北部、セラングーン通り(Serangoon Rd./சிராங்கூன்)の周辺に、リトル・インディア(லிட்டில் இந்தியா/Little India)と呼ばれるインド南部出身のタミル人が集中するインド人街がある。

 2003年に地下鉄北東線(东北线/North East MRT Line)に(லிட்டில் இந்தியா/Little India/小印度)駅が開業し、リトル・インディアへのアクセスがよくなった。

 セラングーン通りにはテッカ・センター(Tekka Centre/竹脚中心)を挟んでリトル・インディア・アーケード(Little India Arcade)などのショッピングセンターがあり、インド音楽やアクセサリーなどを売るお店もある。このあたりの街路標識には英語とタミル語が併記されている。独特の丸い文字が印象的だ。タミル語はシンガポールの公用語の一つであり、シンガポール文化の一部を形成している。

 セラングーン通りは、シンガポールの伝統的なショップハウスが多く残り、商店にはタミル語と英語を並列した看板が多い。しばらく歩くと、極彩色が鮮やかで表情豊かな人や動物の人形がたくさん並ぶ塔門(ゴープラム/கோபுரம்)が美しいスリ・ヴィラマカリアマン寺院(ஸ்ரீ வீரமாகாளியம்மன் கோவில்/Sri Veeramakaliamman Temple)がある。

 この先、セラングーン通りを進むと、ムスタファ・センター(Mustafa Centre)や、セラングーン・プラザ(Serangoon Plaza)などの商業施設があり、さまざまな商品が売られているほか、インドの民族衣装サリーを売るお店もある。

 セラングーン通りの北側のレース・コース通り(Race Course Rd.)は、ナン・カレーなど本場のインド料理が食べられるレストランが並んでいる。また、レース・コース通りをまっすぐ進み、地下鉄北東線のファーラー・パーク(ஃபேரர் பார்க்/Farrer Park/花拉公园)駅の先には、「千燈寺院」とも呼ばれるシャカ・ムニ・ブッダガヤ寺院(Sakya Muni Buddha Gaya Temple)があり、ここには高さ15mの大仏がある。

 また、レース・コース通りを挟んだ北側には龍山寺(龙山寺/リョンサンシー/Leong San See Temple)という観音菩薩を御本尊とする福建式寺院があり、台湾の寺廟と非常によく似ている。

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セラングーン通りのタミル語表記

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リトルインディアの街並み

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スリ・ヴィラマカリアマン寺院

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シンガポール・オーチャード オシャレなショッピング街、オーチャードロード

Singapore・Orchard
新加坡・乌节
シンガポール・オーチャード (英語)
シンカーポー・オーツェッ (福建語/閩南語)
シンチアポー・ウーチエ (シンガポール華語/北京語)
シンガプラ・オーチャード (マレー語)

新加坡共和国中新加坡社区(Central Singapore)
シンガポール共和国中央地区

シンガポール・オーチャード オシャレなショッピング街、オーチャードロード

 シンガポール(新加坡/Singapura/சிங்கப்பூர்/Singapore)の中心部に、オーチャード・ロード(Orchard Road/Jalan Orchad/乌节路)というオシャレなストリートがある。「Orchad」は英語で果樹園の意味で、もともとこのあたりには果樹園が広がっていたが、いまはショッピングモールやホテルなどが集まるシンガポール観光の定番エリアとなっている。漢字は「烏節」(乌节)と書くが、福建語で「Orchad」の発音に近い漢字を当てたものだ。

 オーチャード・ロードは、シティホール(政府大厦/City Hall)の北西、シンガポール地下鉄(新加坡地铁/MRT)の南北線(North-South Line)でシティホール駅の一駅先のドビーゴート(多美歌/Dhoby Ghaut/டோபி காட்)駅のあたりから西に伸びる。

 ドビーゴート駅は1987年に開業した地下鉄南北線のほか、2003年に北東線、2010年に環状線が乗り入れる乗換駅となった。ドビーゴートはヒンディー語で「洗う場所」とのことで、インド人街のリトルインディア(லிட்டில் இந்தியா/Little India)にも近い。

 ドビーゴート駅の周辺にはオーチャード公園(乌节公园/Orchard Park)、フォート・カニング公園(福康宁公园/Fort Canning Park)、シンガポール歴史博物館(新加坡历史博物馆/Singapore History Museum)、日系のデパートの「大丸オーチャード」などがあるほか、駅の北にはマレー語で宮殿を意味する「イスタナ」(Istana)と呼ばれる大統領官邸がある。

 オーチャード・ロードを西に進んでいくと「コピティアム」(Kopi Tiam/咖啡店)と呼ばれるフードコートがある。「コピ」(Kopi)はマレー語で「コーヒー」を意味し、「Tiam」は福建語で「店」を意味し、ここでシンガポールの庶民料理が楽しめる。

 「コピティアム」の西側、南北線のサマセット(索美塞/Somerset)駅の周辺には、日本食レストランや日本式カラオケスナックなどが集まる「オーチャード・プラザ」(Orchard Plaza)や、「オーチャード・ポイント」(Orchard Point)、「センター・ポイント」(Centre Point)、「オーチャード・エメラルド」(Orchard Emerald)などのショッピング施設がある。

 ここからさらに西へ行くと、「パラゴン」(Paragon)、「高島屋SC」(Takashimaya SC)、「ニー・アン・シティ」(Ngee Ann City/义安城/ギーアンシヤ)、「伊勢丹オーチャード」(Isetan Orchard)、「ラッキープラザ」(Lucky Plaza)などのデパートやショッピングモールがあり、この先に南北線のオーチャード(乌节/Orchard)駅がある。

 オーチャード・ロードとスコッツ・ロード(Scotts Road)の交差点のところにオーチャード駅がある。駅周辺はマンダリン(Mandarin)、マリオット(Marriot)、グランド・ハイアット(Grand Hyatt)、グッドウッド・パーク(Goodwood Park/良木园大酒店)、ロイヤル・クラウン・プラザ(Royal Crown Plaza)、ヒルトン・インターナショナル(Hilton International)、フォーシーズンズ(Four Seasons)などの高級ホテルが集まるほか、「IONオーチャード」(ION Orchard/乌节弯)、「スコッツ・ショッピングセンター」(Scotts Shoppping Centre/史各士购物中心)、「伊勢丹スコッツ」(Isetan Scotts)、「ファー・イースト・プラザ」(Far East Plaza/远东商业中心)、「ショー・センター」(Shaw Centre/邵氏大厦)、「フォーラム・ザ・ショッピング・モール」(Forum The Shopping Mall/福临购物中心)、「オーチャード・タワー」(Orchard Tower/豪杰大厦)などの商業施設が集まっている。

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シンガポール・シティホール 英国時代の面影が残るシンガポール行政の中心とマーライオン

新加坡・政府大厦
シンカーポー・チンフウタイハー (福建語/閩南語)
シンチアポー・ツェンフウターシア (シンガポール華語/北京語)
シンガプラ・ドゥワン バンダラヤ/Singapura・Dewan Bandaraya (マレー語)
シンガポール・シティー ホール/Singapore・City Hall (英語)
சிங்கப்பூர்・நகர மண்டபம் (タミル語)

新加坡共和国中新加坡社区(Central Singapore)
シンガポール共和国中央地区

シンガポール・シティホール 英国時代の面影が残るシンガポール行政の中心とマーライオン

 シンガポール共和国(新加坡/Singapura/சிங்கப்பூர்/Singapore)の中央地区にあるシティーホール(政府大厦/City Hall)駅は、シンガポール地下鉄(新加坡地铁/MRT)の南北線(North-South Line)と東西線(East-West Line)が乗り入れる駅で、シンガポールの行政の中心であるシティーホール(政府大厦/City Hall)の最寄り駅。

 シティーホール駅の駅前にラッフルズ・シティ(Raffles City)というショッピングモールがある。その北側にあるラッフルズ・ホテル(Raffles Hotel/莱佛士酒店)は、イギリス領時代の1887年にアルメニア人によって開設された歴史ある高級ホテル。シンガポールを獲得後、1822~1823年にシンガポールの植民地建設に携わったトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿(Sir Thomas Stamford Raffles)から名づけられた。白亜の建物が美しい。同ホテルは第二次世界大戦(大東亜戦争)のとき、1942年にシンガポールを占領した日本軍に接収され、「昭南旅館」と名称変更された時期があった。

 ラッフルズ・シティの東側に広がる公園は戦争記念公園(War Memorial Park)。ここには高さ68mのシンガポール市民戦没者記念碑(The Civilian War Memorial)があり、日本占領時代に犠牲になったシンガポール人を追悼している。戦争記念公園の西側にはマリーナ・スクエア(Marina Square)や、サンテック・シティ・モール(Suntec City Mall)、ミレニア・ウォーク(Millenia Walk)などの大型商業施設が集まっている。

 戦争記念公園の南側はパダン(Padan)と呼ばれる芝生のシティーホール前広場が広がっている。パダンにあるタンキムセン噴水はマレーシア・マラッカ出身の福建系の陳金聲(Tan Kim-Seng/タン・キムシェン)氏の英領時代に中華系子弟のための学校を建てるなどシンガポールへの社会貢献を記念をしたもの。その北西側にある白いゴシック建築が美しいセント・アンドリュース教会(St. Andrew's Cathedral)は、1860年頃に建てられたイギリス教会。

 教会の南側にはビクトリア調の重厚な建物であるシティーホール(City Hall/政府大厦)と最高裁判所(Supreme Court/最高法院)があり、シンガポールの行政と司法の中心となっている。最高裁判所は2005年に新しい庁舎が建設され、旧庁舎の後ろ側にある。最高裁判所旧庁舎の南側に隣接する建物は国会議事堂(国会大厦/Dewan Parlimen/நாடாளுமன்ற மாளிகை/Parliament House)で、シンガポールの政治の中心である。シンガポールの与党は建国以来、人民行動党(人民行动党/Parti Tindakan Rakyat/The People's Action Party)で、実質的な独裁体制が続いている。

 シンガポール国会議事堂の東側に隣接して白亜の建物が美しいヴィクトリア・コンサート・ホール&シアター(Victoria Concert Hall & Theatre)がある。

 シンガポール川(新加坡河/Sungai Singapura/Singapore River)沿いにはラッフルズ卿が上陸した地点の記念碑(Sir Raffles Landing Site)があり、ラッフルズ像が立っている。アンダーソン橋(Anderson Bridge)の河口近くには第二次大戦時の抗日英雄となっている林謀盛(Lim Bo-seng/リム・ボーシェン)の記念碑があるほか、対岸には1972年に造られたマーライオン(Merlion/鱼尾狮)がある。

 マーライオンは上半身がライオンで下半身が魚、口から水を勢いよく吐く。シンガポールのシンガ(Singa)がライオンを意味することが由来となっている。マーライオンは高さ8mで、実際に見てみるとその小ささに驚く観光客も多いというが、シンガポールの象徴でもあり、小さくても大きな存在感がある。

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高層ビルが建ち並ぶシンガポール中心部

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シンガポール政府大厦(シティーホール)

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シンガポール最高裁判所

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マーライオン


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