ロシア・モスクワ 雀が丘に聳えるモスクワ大学

Москва・Воробьёвы горы
モスクヴァー・ヴォロビヨーヴイ ゴールィ (ロシア語)
モスクワ・雀が丘

Российская Федерация
Центральный федеральный округ
Город федерального значения Москва
ロシア連邦中央連邦管区モスクワ連邦市

ロシア・モスクワ 雀が丘に聳えるモスクワ大学

 ヴォロビヨーヴイ・ゴールィ(Воробьёвы горы)は、ロシアの首都モスクワ(モスクヴァー/Москва)の南西部にある小高い丘で、日本語訳で「雀の丘」とも呼ばれる。

 ここには、ロシアを代表する国立名門大学であるモスクワ総合大学(Московский государственный университет имени М.В. Ломоносова)がある。同大学のロシア語名の最後にある「Ломоносов」(ロモノーソフ)は、18世紀のロシアの科学者で、金星の大気を発見した。ロモーソフの提言により、モスクワ大学は1755年に創設された。雀が丘に建つスターリン様式の重厚な建物はレフ・ルードネフ(Лев Руднев)により設計され、1953年に完成し、その際にほとんどの学部がこの地に移転した。

 雀が丘は、ロシア文学者のレフ・トルストイ(Лев Толстой)の「戦争と平和」(Война и мир)など、ロシア文学にもよく描かれる。展望台からはカーブするモスクワ川(Москва-река)とモスクワの市街地を一望でき、1980年のモスクワ五輪のメインスタジアムとして使われたルジニキ・スタジアム(スタヂオーン・ルジニキー/Стадион Лужники)が見える。

 雀が丘は、ソビエト連邦時代の1935年に「レーニン丘」(リェーニンスキエ・ゴールィ/Ленинские горы)と改称されていたが、ソ連崩壊後、1999年に旧称の「雀が丘」(ヴォロビヨーヴイ・ゴールィ/Воробьёвы горы)に戻された。

 モスクワ川に架かるルージキニ橋は2層構造になっていて、上が道路(ヴェルナツコヴォ通り/Проспект Вернадского )、下がモスクワ地下鉄1号線のヴォロビヨーヴイ・ゴールィ駅となっていて、モスクワ地下鉄では珍しい地上の高架駅となっている。モスクワ総合大学へは、ウニヴェルシチェート(Университет)駅のほうが近い。

モスクワ・ヴォロビヨーヴイ ゴールィ エリアの主な駅

Воробьёвы горы / ヴォロビヨーヴイ ゴールィ 駅
モスクワ地下鉄 1号線

Университет / ウニヴェルシチェート 駅
モスクワ地下鉄 1号線

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スターリン様式建築のモスクワ総合大学

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モスクワ大学近くの雪の並木道

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雀が丘から見たモスクワ川とルジニキ・スタジアム

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ヴェルナツコヴォ通り

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ロシア・モスクワ 歴史あるアルバート通りとソ連の新アルバート通り

Москва・Арбат
モスクヴァー・アルバート (ロシア語)
モスクワ・アルバート

Российская Федерация
Центральный федеральный округ
Город федерального значения Москва
ロシア連邦中央連邦管区モスクワ連邦市

ロシア・モスクワ 歴史あるアルバート通りとソ連の新アルバート通り

 アルバート(Арбат)は、モスクワ(モスクヴァー/Москва)の中心部の中でも、特に歴史ある地区で、モスクワ地下鉄アルバーツコ・ポクローフスカヤ(Арбатско-Покровская)線(3号線)、フィリョーフスカヤ(Филёвская)線(4号線)のアルバーツカヤ(Арбатская)駅、さらに1号線のレーニン図書館(Библиотека имени Ленина)駅、9号線のボロヴィツカヤ(Боровицкая)駅、4号線のアレクサンドロフスキー庭園(Александровский сад)駅などが近くにある。

 アルバート通り(ウーリツァ アルバート/Улица Арбат)は、15世紀にできた歴史ある通りであり、古くからモスクワの商売の中心地であった。18世紀からは貴族が住むようになり、19世紀末からは芸術家や資産家らが住むようになった。ソ連時代は、近くに政府機関が多かったことから高級役人が住むようになり、1980年代にペレストロイカ(перестройка)による民主化の動きが始まるとアルバート通りは若者が集まる繁華街となり、ソ連時代初の歩行者天国の通りとなった。近年は、お土産屋やカフェ、レストランが集まるモスクワの定番観光スポットとなっている。アルバート通りの西端には地下鉄3号線、4号線のスモーレンスカヤ(Смоленская)駅がある。

 歴史あるアルバート通りの北には、ソ連時代の1962年に完成した新アルバート通り(ウーリツァ ノーヴィ アルバート/Улица Новый Арбат)がある。この通りはソ連時代はソ連革命家でソ連最高会議幹部会議長だったミハイル・カリーニン(Михаил Калинин)からとって「カリーニン大通り」(プロスピェクタ カリーニナ/проспекта Калинина)と呼ばれていた通りで、広い通りに巨大高層ビルが並び、ソ連の社会主義都市の象徴であった。

 新アルバート通りには、かつて地球儀が載った建物が印象的なレストラン「アルバート」(Арбат)があった。その後、アルファ銀行(Альфа‐банк)の建物に変わったようだが、地球儀が残っている。

 モスクワ川の橋のところにあるモスクワ市役所の建物は、旧コメコン・経済相互援助会議(СЭВ, Совет экономической взаимопомощи)本部があった建物で、東欧民主化が進んだ1991年に解散し、ソ連崩壊後にモスクワ市役所となった。モスクワ川の対岸には、「ホテル・ウクライナ」(Гостиница Украина)(現・ラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワ)として建てられたスターリン様式の重厚なホテルがある。また、南にはロシア外務省ビル(Здание Министерства иностранных дел РФ)、北には文化人アパート(Жилой дом на Кудринской площади)といったスターリン様式の巨大建築が見える。

 モスクワ川の橋の北西側にある大きな建物はロシア連邦政府庁舎(Правительство Российской Федерации)で、ロシア語で「白い建物」を意味する「Белый дом」(ビェールィ ドーム)という別名がある。ここは、ソ連時代にソビエト連邦を構成する15カ国の一つであるロシア連邦共和国の最高機関である「ロシア連邦共和国閣僚会議」(Совет министров РСФСР)があったビルで、1981年に完成した。

 1991年、ソ連の8月クーデターが発生した際、当時のソ連ロシア共和国のボリス・エリツィン(Борис Ельцин)大統領がクーデターに徹底抗戦し、このビルの前で戦車の上に立ち、ロシア国民にゼネストを呼びかけ、クーデターを失敗に終わらせた。そして、エリツィン大統領はウクライナ、ベラルーシの大統領とともにソ連からの離脱を発表してソ連を崩壊させ、ロシアを独立させた。エリツィン氏はソ連崩壊後のロシア連邦大統領に就任したが、今度は1993年に経済改革をめぐりエリツィン大統領がルツコイ(Руцкой)副大統領やハズブラートフ(Хасбулатов)最高会議議長と対立。エリツィン大統領がロシア最高会議を解散すると、ハズブラートフ議長がルツコイ副大統領に大統領全権を付与し、このビルに立てこもる10月政変が発生。これに対し、皮肉にもソ連のクーデターとは逆にエリツィン大統領はこの建物を砲撃して鎮圧した。これにより、同ビルの上層階が燃えて黒焦げになったが、事件後に改修され、ロシア連邦政府行政庁舎となった。

モスクワ・アルバート エリアの主な駅

Арбатская / アルバーツカヤ 駅
モスクワ地下鉄 3号線4号線
Боровицкая / ボロヴィツカヤ 駅
モスクワ地下鉄 9号線
Библиотека имени Ленина / ビブリオチェカ イミェニ リェーニナ 駅
モスクワ地下鉄 1号線
Александровский сад / アレクサンドロフスキー サート 駅
モスクワ地下鉄 4号線

Смоленская / スモーレンスカヤ 駅
モスクワ地下鉄 3号線4号線

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ソ連時代に建てられた巨大高層ビルが並ぶ新アルバート通り

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新アルバート通り

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モスクワ市役所(旧コメコン本部ビル)

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モスクワ川から見たホテル・ウクライナ

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文化人アパート

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ロシア連邦政府庁舎

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冬の凍結したモスクワ川

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ロシア・モスクワ ウクライナ方面へ向かうキエフスキー駅とウクライナホテル

Москва・Киевская
モスクヴァー・キーエフスカヤ (ロシア語)
モスクワ・キエフスカヤ

Российская Федерация
Центральный федеральный округ
Город федерального значения Москва
ロシア連邦中央連邦管区モスクワ連邦市

ロシア・モスクワ ウクライナ方面へ向かうキエフスキー駅とホテルウクライナ

 ロシア連邦の首都モスクワ(モスクヴァー/Москва)にあるターミナル駅の一つであるキエフスキー(キーエフスキー/Киевский)駅は、旧ソ連のウクライナ共和国の首都キエフ(ロシア語:Киев、ウクライナ語:Київ/キーイウ)方面の列車が発着する長距離列車のターミナル駅であり、キエフ方面を結ぶ「ウクライナ号」、ウクライナ南部のオデッサ(ロ:Одесса、ウ:Одеса/オデーサ)方面を結ぶ「オデッサ号」、旧ソ連のモルドバ共和国の首都キシナウ(ロ:Кишинёв/キシニョフ、モルドバルーマニア語:Chişinău)を結ぶ「モルドバ号」などが運行されている。また、モスクワ郊外のカルーガ(Калуга)や、ロシア西部のウクライナとベラルーシとの国境に近いブリャンスク(Брянск)を結ぶ列車も運行されている。

 ロシアとウクライナは、2014年にクリミア半島およびウクライナ東部にロシアが軍事介入し、クリミア半島がロシアに併合され、ロシア系が多いウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州もウクライナから分離してドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国からなるノヴォロシア人民共和国連邦を成立させたが、ウクライナ号はこれらの紛争地域よりだいぶん北を走っているので、紛争が続く中でも国際列車の運行は継続されている。このあたりのさじ加減は、国境を接する距離が長い大陸国家の知恵なのだろうか。

 このほか近郊電車は、アプレレフカ(Апрелевка)やナロ・フォミンスク(Наро-Фоминск)、オブニンスク(Обнинск)などを結んでいる。首都第3空港の役割を果たしているモスクワ西部にあるモスクワ・ヴヌーコヴォ国際空港(Аэропорт Внуково)を35分で結ぶアエロエクスプレス(Аэроэкспресс)も運行されている。

 モスクワ・キエフスキー駅の白く美しい駅舎は、イワン・レルベルグ(Иван Рерберг)とウラジーミル・シューホフ(Владимир Шухов)による設計で、1918年に完成したロシアを代表する名駅舎の一つである。

 キエフスキー駅はモスクワ地下鉄環状線(Кольцевая линия/茶5号線)のキエフスカヤ(Киевская)駅と連絡と乗り換えができる。キエフスカヤ駅は環状線の西部に位置し、キエフスカヤ駅の壁画は、ウクライナとロシアの連帯をイメージしたモザイク画が描かれている。同駅には、地下鉄アルバーツコ・ポクローフスカヤ線(Арбатско-Покровская линия/青3号線)、フィリョーフスカヤ線(Филёвская линия/水色4号線)も乗り入れており、モスクワ市中心部およびモスクワ市西部をそれぞれ結んでいる。

 キエフスキー駅の北側のクトゥーゾフ(Кутузов)大通りには、ソビエト連邦を象徴する重厚な超高層建築、モスクワ7大スターリン様式の一つである「ホテル・ウクライナ」(ゴスツィーニツァ ウクライナ/Гостиница Украина)がある。「ホテル・ウクライナ」は、ソ連時代の独裁者、ヨシフ・スターリン(Иосиф Сталин)が死去した1953年に着工された最後のスターリン様式建築で、1957年に完成した。ウクライナ・キエフ方面の列車が出発するキエフスキー駅の近くに「ホテル・ウクライナ」ができたのは合理的で、ヴャチェスラフ・オルタルジェーフスキー(Вячеслав Олтаржевский)による設計で、同建物にはウクライナ伝統のデザインが施されており、ソ連時代のウクライナの重要性を示しているともいえる。「ホテル・ウクライナ」は近年は「カールソン・レジドール・ホテルズ」グループに入り、ラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワ(Radisson Royal Hotel, Moscow / Гостиница «Рэдиссон Ройал, Москва»)というホテル名称になったが、建築物としては「ホテル・ウクライナ」の名称も呼ばれ続けている。

モスクワ・キエフスカヤ エリアの主な駅

Киевский / キエフスキー 駅
ロシア鉄道 モスクワ・キエフ線
アエロエクスプレス ヴヌーコヴォ空港線

Киевская / キエフスカヤ 駅
モスクワ地下鉄 3号線4号線5号線

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ウクライナ・モルドバ方面の列車が発着するモスクワ・キエフスキー駅

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キエフスキー駅(地下鉄キエフスカヤ駅)近くのマクドナルド

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クトゥーゾフ大通りにあるホテルウクライナ(ラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワ)

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モスクワ川から見たホテルウクライナ

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ロシア・ソチ 2014ソチ冬季五輪の開催地、黒海沿岸のリゾート地

Сочи (ロシア語)
სოჭი (グルジア語)
ソチ

Российская Федерация
Южный федеральный округ
Краснодарский край
ロシア連邦南部連邦管区クラスノダール地方ソチ市

ロシア・ソチ 2014ソチ冬季五輪の開催地、黒海沿岸のリゾート地

 ソチ(Сочи/ სოჭი )は、ロシア連邦(Российская Федерация)の南東部、南部連邦管区(Южный федеральный округ)のクラスノダール地方(クラスノダルスキー クライ/Краснодарский край)にある人口約40万人の都市。

 ソチは、黒海(チョールノイェ モリェー/Чёрное море)に面するロシア連邦を代表するリゾート地の一つであり、2014年2月のソチ冬季オリンピックの開催地となった。

 ソチはロシア連邦領であるが、30キロほど南東でアブハジア共和国(Аҧсны/Абхазия/ აფხაზეთი )と接している。アブハジア共和国は、人口約25万人の国であるが、グルジア(サカルトヴェロ/ საქართველო )は、グルジア領であると主張している。アブハズ人が住むアブハジアは、古くはオスマン帝国やグルジアの支配を受け、19世紀にカフカス(コーカサス)地方へのロシアの進出が進み、19世紀半ばにアブハジアはロシア帝国の保護下に置かれた。ロシア革命によってソビエト連邦が成立すると、自治権が与えられたが、1930年代のグルジア出身のヨシフ・スターリン(Иосиф Сталин/ იოსებ ბესარიონის ძე სტალინი )の時代にアブハジアはグルジア化が進められた。スターリンの死後は、自治が回復し、ソ連のアブハジア自治共和国であったが、ソ連崩壊によって1991年にグルジアが独立宣言すると、アブハジア自治共和国もグルジアの一部としてソ連から分離した。

 だが、グルジアがアブハジアのグルジア化を進めようとしたことから、1992年にアブハジア共和国として独立を宣言、グルジアとの激しい戦闘となり、大量の難民も発生した。1994年に停戦し、その後、実質的にグルジアからの独立状態が続いていて、2008年にはロシアがグルジアが自国領と主張する南オセチア共和国をめぐって軍事介入し、南オセチアとアブハジアの独立を承認し、ロシアとグルジアは険悪な関係が続いている。そのほか、中米のニカラグアやベネズエラ、太平洋のナウルやツバル、旧ソ連・モルドバから実質的に独立している沿ドニエストル共和国や、アブハジアと同様にグルジアが自国領と主張している南オセチア共和国などがアブハジア共和国を国家承認している。日本はアブハジア共和国を承認していないが、オリンピックが開催されているソチのすぐ近くに、このような情勢の国があることを理解したほうがよいだろう。

 ソチは古くはグルジアに栄えたコルキス王国やアブハジア王国、グルジア王国に属したが、15世紀にオスマン帝国の一部となった。その後、ロシア帝国とオスマン帝国の戦争で1829年に黒海沿岸部がロシアに割譲された。ソチにはその後もオスマン帝国の影響力が残り、ロシア革命ではロシアの反革命派の白軍と革命派のボリシェビキ、グルジアが争い、その後はソ連のクラスノダール地方となり、ソ連崩壊後はロシア連邦の一部となっている。

 ソチは、ソ連のスターリン時代、グルジア出身のスターリンがソチに別荘(ダーチャ/дача)を設けるなど、スターリンお気に入りの地であったことから、保養地、リゾート地として開発・整備された。

 ロシアの中では気候が比較的温暖であるため、スターリンだけでなく、旧ソ連・ロシアの指導者らも休暇をソチで過ごすことが多く、黒海の海岸や温泉など、ロシアを代表するリゾート地として発展し、2014年の冬季オリンピックの開催地に選ばれた。寒冷気候のイメージがあるロシアであるが、意外にも、冬季五輪が開催されるのはソチが初めて。

 ソチ五輪は、黒海沿岸のソチ・オリンピックパーク(メイン会場)でアイスホッケーやスケート等の競技、西カフカス山脈のクラースナヤ・ポリャーナ(Красная Поляна)会場でスキーやスノーボード、ボブスレー等の競技が行われている。

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ロシア・モスクワ ボリショイ劇場とカールマルクス像と革命広場と旧KGB本部

Москва・Большой театр
モスクヴァー・ボリショイ チェアトル (ロシア語)
モスクワ・ボリショイ劇場

Российская Федерация
Центральный федеральный округ
Город федерального значения Москва
ロシア連邦中央連邦管区モスクワ連邦市

ロシア・モスクワ ボリショイ劇場とカールマルクス像と革命広場と旧KGB本部

 日本でもよくその名が知られている「ボリショイ劇場」(ボリショイ チェアトル/Большой театр)は、ロシア連邦の首都モスクワ(モスクヴァー/Москва)中枢のクレムリン(クリェームリ/Кремль)の北東側にある。

 モスクワ地下鉄2号線のチェアトラリナヤ(Театральная)駅、3号線のプローシチャチ リェヴォリューツィー(Площадь Революции)駅、1号線のオホートヌィ リャート(Охотный ряд)駅が最寄り駅である。

 劇場通り(チェアトラリヌイー プロイェズド/Театральный Проезд)の北側に建つ重厚な「ボリショイ劇場」の正式名称は「国立アカデミー・ボリショイ劇場」(Государственный академический Большой театр России)。

 「ボリショイ」とは「大きい」という意味なので、単に「ボリショイ劇場」だと「大劇場」という意味になるが、海外で「ボリショイ劇場」(Bolshoi Theatre)といえば、この「国立アカデミー・ボリショイ劇場」のことを指すことが多い。

 ピョートル・チャイコフスキー(Пётр Чайковский)の「白鳥の湖」(Лебединое озеро)で知られる「ボリショイ・バレエ団」の本拠地であり、そのほかオペラや管弦楽団の公演が行われている。

 ボリショイ劇場の前身は、1776年にピョートル・ウルソフ公爵邸でオペラやバレエの上演が行われたのが始まりで、1780年にペトロフカ劇場が建てられ、その後、ナポレオンのモスクワ侵攻など数度、火災などで移転を繰り返し、1825年にボリショイ劇場が完成した。その後、1853年に火災で大きな被害を受けたものの、改修されて現在の形になった。老朽化が進んだことから2005年から6年間かけて大規模な修繕工事が行われた。

 劇場通りのすぐそばの劇場広場にはソビエト連邦時代に立てられた共産主義社会の必然性を説いたドイツ人哲学者のカール・マルクス(Karl Marx)像がある。ソ連崩壊時もマルクス像は破壊されなかったようで、共産主義のソ連時代からの歴史を伝えている。

 劇場通りはソ連時代は「マルクス大通り」(пр. Маркса)と呼ばれていた。マルクス像の南側には、革命広場(プローシチャチ リェヴォリューツィー/Площадь Революции)が広がっている。

 劇場通り(旧マルクス大通り)の東端には、KGB(КГБ/カーゲーベー)の本部があった。KGBは「ソ連国家保安委員会」(Комитет государственной безопасности)のことで、ソ連共産党独裁統治を支えた秘密警察の本部であった。このKGB前の広場は、ソ連初代内務相としてKGBの前身の秘密警察機関を設立したフェリックス・ジェルジンスキー(Феликс Дзержинский)の像が立ち、広場は「ジェルジンスキー広場」(пл. Дзержинского)と呼ばれていたが、ソ連解体とともに、ジェルジンスキー像は倒され、ジェルジンスキー広場は「ルビャンカ広場」(пл. Лубянка)に改名された。

 「ルビャンカ」(Лубянка)とは1898年に全ロシア保険会社の本社として建てられたネオバロック様式のビルで、1917年のロシア革命後、秘密警察機関のチェーカー(ЧК)本部となり、ソ連時代にKGB(КГБ)本部として使用された。ソ連崩壊後はロシア連邦保安庁(FSB/ФСБ)本部として引き続き使用されている。

モスクワ・ボリショイ劇場エリアの主な駅

Театральная / チェアトラリナヤ 駅
モスクワ地下鉄 2号線
Площадь Революции / プローシチャチ リェヴォリューツィー(革命広場) 駅
モスクワ地下鉄 3号線
Охотный ряд / オホートヌィ リャート 駅
モスクワ地下鉄 1号線

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モスクワ・ボリショイ劇場

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カールマルクス像


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ロシア・モスクワ 旧ロシア帝国宮殿とロシア政治の中枢、クレムリン

Москва・Кремль
モスクヴァー・クリェームリ (ロシア語)
モスクワ・クレムリン

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ロシア・モスクワ 旧ロシア帝国宮殿とロシア政治の中枢、クレムリン

 クレムリン(クリェームリ/Кремль)は、ロシア連邦の首都モスクワ(モスクヴァー/Москва)にある旧ロシア帝国の宮殿があった場所。現在、ロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれ、ロシアの政治の中枢となっている。

 クレムリンはロシア語では「クリェームリ」(Кремль)と呼ばれ、城塞を意味する。「クレムリン」は英語表記の「Kremlin」から来ていると思われる。

 クレムリンは、「赤の広場」(Красная площадь/クラースナヤ プローシシャチ)に隣接しており、赤レンガの城壁に囲まれている。

 クレムリンの城塞は12世紀に築かれ、1366年に第4代モスクワ大公ドミートリー・ドンスコイ(Дмитрий Донской)によって再建された。15世紀後半のイヴァン3世(Иван III)の時代にルネサンス風に改築され、1479年にロシア皇帝が戴冠式を行うウスペンスキー(生神女就寝)大聖堂(Успенский Собор)が再建され、そのほか現在も残る建築物が建造された。クレムリン大宮殿は1849年に完成した。

 1917年にロシア革命が発生すると、クレムリンはソビエト連邦政府の中枢部となった。クレムリン大宮殿のアレクサンドロフの間とアンドレーエフの間は1939年に一つのホールとなり、ソビエト連邦最高会議とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議の議場して用いられた。

 現在のロシア大統領官邸は、帝政ロシア時代の元老院、ソ連時代の閣僚会議館して用いられ、歴代ソ連指導者が執務を行った。ロシア大統領府は、ソ連時代の1934年に建造され、ソ連最高会議幹部会館として使用されていた。

 国立クレムリン宮殿は、ソ連時代の1961年に建造された社会主義モダニズム建築で、ソ連共産党大会や国際会議場、ボリショイ劇場のホールとしても使用されてきた。

 このほか、クレムリンの周囲を囲む城壁にはいくつもの尖塔があり、屋根の先端にはルビーの赤い星が印象的である。

モスクワ・クレムリン エリアの主な駅

Площадь Революции / プローシチャチ リェヴォリューツィー(革命広場) 駅
モスクワ地下鉄 3号線
Театральная / チェアトラリナヤ 駅
モスクワ地下鉄 2号線
Охотный ряд / オホートヌィ リャート 駅
モスクワ地下鉄 1号線

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モスクワ・クレムリンの城壁
 

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ロシア・モスクワ 赤の広場の聖ワシリー大聖堂、レーニン廟、グム百貨店

Москва・Красная площадь
モスクヴァー・クラースナヤ プローシシャチ (ロシア語)
モスクワ・赤の広場

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ロシア・モスクワ 赤の広場の聖ワシリー大聖堂、レーニン廟、グム百貨店

 「赤の広場」(Красная площадь/クラースナヤ プローシシャチ)は、ロシア連邦の首都・モスクワ(Москва/モスクヴァー)の中枢であるクレムリン(Кремль/クリェムリ)城壁の外側(北東側)にある広場。

 モスクワの市街地は、クレムリンを中心として、放射状に広がっており、「赤の広場」はまさにロシアの中心の広場だ。

 「赤の広場」は、ソビエト連邦時代、ソ連共産党のイメージカラーの「赤」色から連想されるソ連の象徴でもあった。確かにクレムリンの赤レンガの赤い城壁からも「赤の広場」という表現はぴったりであるが、ロシア語で赤を意味する「Красная」(クラースナヤ)には、「赤い」のほかにもともと「美しい」という意味もあり、「Красная площадь」は本来は「美しい広場」という意味なのだそうだ。しかしながら「赤の広場」のほうが当時のソ連のイメージと重ねやすかったのだろう。

 「赤の広場」の象徴といえば、葱坊主のような円形の屋根が乗った塔がいくつもとりまいているメルヘンチックな「聖ワシリー大聖堂」(Собор Василия Блаженного/ソボル ヴァシリヤ ブラジェンノゴ)。この建物は、16世紀にイヴァン4世・雷帝(Иван IV Васильевич)がカザン・ハン国(Qazan xanlığı/Казанское ханство)に勝利したことを記念して建てられたもの。中央の主聖堂を8つの小聖堂が囲んでいるのだが、これらの小聖堂の高さが不均衡で、それが独特の美しさとなっていて、モスクワを代表する名建築物の一つとなっている。

 この建物を設計したのはポストニク ヤコヴレフ(Постник Яковлев)で、イヴァン4世は、何を思ったのか、この建物があまりにも美しかったことから、これより美しい建物ができないようにヤコヴレフの目をくり抜いてしまったのだという。

 「赤の広場」のもう一つの顔といえば、クレムリンの城壁側にある「レーニン廟」(Мавзолей В. И. Ленина)だ。ここは、ソ連建国の指導者、ウラジーミル・レーニン(Владимир Ленин)の遺体を安置する廟である。

 レーニンは、1870年にウリヤーノフスク(Ульяновск)で生まれ、大学時代にカール・マルクス(Karl Marx)の「資本論」(Das Kapital)などの著作に影響され、労働者階級解放運動を始め、社会主義革命を目指し、活動を続けた。1917年のロシア革命で主導的役割を果たし、ロシア共産党を指導し、1919年に共産主義インターナショナル(コミンテルン/Коминтерн、Коммунистический Интернационал)を創設し、1922年にソビエト社会主義連邦共和国(Союз Советских Социалистических Республик)を建国し、ソ連の初代指導者となり、1924年に死去した。

 レーニンはソ連を建国した功績から神格化されてきた。一方、レーニンの次にソ連指導者となったヨシフ・スターリン(Иосиф Сталин)も、1953年に死去するとレーニン廟に安置されたが、1961年の当時のソ連指導者・ニキータ・フルシチョフ(Никита Хрущёв)による「スターリン批判」によって、スターリンの遺体は撤去され、別の場所に埋葬された。

 1991年にソ連が解体され、ロシアはロシア連邦となったが、社会主義体制から資本主義への急激な変化は、自由化は進んだものの、ロシア社会に混乱をもたらし、ソ連時代を懐かしむロシア人もいて、赤の広場のレーニン廟前では、ロシア連邦時代になっても赤旗を持った共産主義者らのデモが行われることがある。

 レーニン廟の向かいにある横長の大きな建物は歴史ある「グム百貨店」(ГУМ、Главный Универсальный Магазин)。帝政ロシア時代の1893年に開設され、ソ連時代は国有化され、ソ連経済のショーウィンドーでもあった。内部はレトロな雰囲気のある店舗が商店街のように並んでいる。

 そのほか、赤の広場には「国立歴史博物館」(Государсивенный исторический музей)があり、ロシア革命以前のロシアの歴史が主に展示されている。

 赤の広場には、モスクワ地下鉄3号線(Арбатско-Покровская линия)の革命広場(プローシチャチ リェヴォリューツィー/Площадь Революции)駅、2号線(Замоскворецкая линия)のチェアトラリナヤ(Театральная)駅、1号線(Сокольническая линия)のオホートヌィ リャート(Охотный ряд)駅などが近い。

モスクワ・赤の広場エリアの主な駅

Площадь Революции / プローシチャチ リェヴォリューツィー(革命広場) 駅
モスクワ地下鉄 3号線
Театральная / チェアトラリナヤ 駅
モスクワ地下鉄 2号線
Охотный ряд / オホートヌィ リャート 駅
モスクワ地下鉄 1号線

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赤の広場の聖ワシリー大聖堂

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レーニン廟(左)とロシア国立歴史博物館と赤い旗のデモ隊

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グム百貨店

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グム百貨店の内部


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ロシア 世界最大の面積をもつ連邦国家

Российская Федерация
ロッシースカヤ フィェヂェラーツィヤ (ロシア語)
ロシア連邦

ロシア 世界最大の面積をもつ連邦国家

 ロシア連邦(Российская Федерация/ロッシースカヤ フィェヂェラーツィヤ)は、ユーラシア大陸北部に広がる国で、1991年にソビエト社会主義共和国連邦(Союз Советских Социалистических Республик/ソユーズ ソヴィェーツキフ ソツィアリスチーチェスキフ リェスプーブリク)が崩壊した際に、ソ連の中心であったロシアがその多くの領土を引き継いぎ、大統領制の連邦国家であるロシア連邦が建国された。

 世界で最も広い1707.5万平方キロメートルの面積をもつが、大部分が寒帯や冷帯紀気候に属するため人口密度は低く、人口は日本よりやや多い約1億4200万人で、世界第9位。ソ連時代の冷戦中はアメリカと張り合う科学技術力をもっていたが、社会主義体制によって国民経済は伸び悩んでいた。ロシア連邦となってからは市場経済化改革が進められ、初期にはインフレなど混乱もあったが徐々に軌道に乗りだした。国内総生産(GDP)は約1兆8800億ドルほどで世界第9位の経済大国であるが、IMFの2010年の一人あたりGDPは1万0400ドルで第55位であり、購買力平価(PPP)換算でも1万5837ドルの第51位で、世界平均よりは高いが、科学技術先進国のなかでは国民の豊かさは比較的低い。ロシアの通貨はルーブル(Рубль)で、補助単位はコペイカ(Копейка)が使われている。ソ連時代もソ連ルーブルが用いられていた。

 日本とは日本海を挟んでユーラシア大陸極東(Дальний Восток/ダーリニー ヴォストーク)の沿海地方(Приморский край/プリモルスキー クラーイ)が広がっており、日本の隣国の一つである。ウラジオストク(Владивосток)やハバロフスク(Хабаровск)は比較的日本海側の新潟などと交流があり、北海道はその北の樺太(Сахалин/サハリン)の南半分が旧日本領だったこともあり交流がある。しかしながら、日本とロシアは領土問題を抱えていて、日露外交の大きな壁となっている。

 日本は北海道根室沖の歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の各島および付属の島嶼(北方四島)が1945年(昭和20年)に敗戦のどさくさにまぎれてソビエト連邦に占領され、ソ連崩壊後もロシアが引き続き占領状態を続けており、日本政府はロシア政府に対してこれら北方四島の返還を求め続けている。領土・領海問題は北海道沖の漁業にも大きな影響をもたらすものであり、漁船の拿捕問題がたびたび発生している。

 また、日本は江戸時代からロシアと領有権をめぐって係争になったことがあった千島列島(クリル列島/Курильские острова)および北緯50°以下の南樺太を「放棄」したが、ロシアに「返還」したわけではなく、ロシアと北方領土問題が未解決のため、ロシアの領有については正式には認めず、日本製の世界地図では帰属未定の白色になっていることが多い。しかしながら、日本は2001年(平成13年)に南樺太の豊原(ユジノサハリンスク/Южно-Сахалинск)に総領事館を開設し、事実上はロシア領と認めている。

 ロシアの首都が日本から遠く離れたヨーロッパ側のモスクワ(Москва)であることから、日本からモスクワは遠いイメージがあり、日本のその他の隣国の首都である韓国・ソウルや台湾・台北、中国・北京ほどの緊密な交流はない。また、韓台中は黄色人種・漢字文化圏で日本人にとって親近感があるのに対し、ロシアはヨーロッパ人系が主流でロシア語も日本ではなじみが薄いため、心理的な距離は韓台中に比べて遠いように思われる。

 冷戦時代は社会主義思想に傾倒する人がソ連・ロシアに親近感を抱くことがあったが、逆に反共親米の人はソ連・ロシアを毛嫌いしたし、敗戦のどさくさにまぎれて北方領土を占領し、日本兵をシベリアに抑留したソ連を快く思わない日本人は多かった。ソ連が崩壊しロシアも自由化が進むと、日露は新しい時代に入りつつあり、ユーラシア大陸の東西をつなぐシベリア鉄道やロシアの雄大な自然、歴史建築、雑貨、ロシア料理などに興味を持つ日本人も増え、観光を通じた交流はソ連時代に比べて大きく増えている。また、日本からヨーロッパへ行く際にモスクワでトランジットする人も多い。

 ロシア連邦は広大な領土を有するため、ノルウェー、フィンランド、エストニア●、ラトビア●、リトアニア●、ポーランド、ベラルーシ●、ウクライナ●、グルジア●、アゼルバイジャン●、トルクメニスタン●、カザフスタン●、モンゴル、中国、北朝鮮、日本、アメリカなど多くの国と国境を接している(旧ソ連は●)。さらに旧ソ連時代は旧チェコスロバキア(現スロバキア)、ハンガリー、ルーマニア、トルコ、イラン、アフガニスタンとも国境を接していた。

 ソビエト連邦はロシアを中心とした社会主義国家の集合体であったが、崩壊してソビエト連邦を構成していたソビエト社会主義共和国であったエストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、グルジア(サカルトヴェロ)、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギスが独立し、残りがロシア連邦となった。また、モルドバから親ソの沿ドニエストル、グルジアから南オセチアとアブハジアが分離し、独立状態であるが承認している国は極めて少ない。

 このほか、ソ連時代にソビエト連邦の自治共和国であったが、ロシア人居住地域に囲まれたり、民族比率がロシア人が多数派になるなどして独立を達成できなかった自治共和国も多い。タタールスタンは1992年に独立を宣言したがロシアから有利な権限を勝ち取る交渉を経たうえで1994年にロシア連邦内に残った。チェチェンも独立の動きを見せたがロシアが軍事介入し、独立運動が抑え込まれている。また、ロシアとの共存を選択した民族もあり、ロシア連邦内にはロシア以外の多くの共和国が存在する。これらは大部分がソ連時代の自治共和国だったところである。

 このうち最も人口が多いのがバシコルトスタン共和国(Башкортостан)で人口約410万人(テュルク系のバシキール人約30%、ロシア人約36%)で首府はウファ(Өфө/Уфа)。次に大きいのがタタールスタン共和国(Татарстан)で人口約380万人(テュルク系のタタール人約53%、ロシア人約40%)、首府はカザン(Казан/Казань)。その次がダゲスタン共和国(Дагестан)で人口約260万人(カフカス系のアヴァル人など非ロシア系約86.6%、ロシア人約5%)で首府はマハチカラ(Махачкала)。第4はウドムルト共和国(Удмурт Элькун)で人口約157万人(フィン・ウゴル系のウドムルト人約29%、ロシア人約60%)、第5はチュヴァシ共和国(Чăваш Республики)で人口約131万人(テュルク系のチュヴァシ人約68%、ロシア人約27%)、第6がチェチェン(ノフチー)共和国(Нохчийн Республика)で人口110万人(カフカス系のチェチェン人約94%、ロシア人約4%)、第7がコミ共和国(Коми)で人口102万人(フィン・ウゴル系のコミ人約25%、ロシア人約60%)。

 100万人以下の共和国の、ブリヤート共和国(Буряад)は人口98万人(モンゴル系のブリヤート人約28%、ロシア人約68%)、サハ共和国(Саха)は人口95万人(テュルク系のヤクート人約46%、ロシア人約41%)で面積が最大。そのほか、ガバルダ・バイカル共和国(人口約90万人)、モルドヴィア共和国(約89万人)、マリ・エル共和国(約73万人)、カレリア共和国(約72万人)、北オセチア共和国(約71万人)、ハカス共和国(約55万人)、イングーシ共和国(約47万人)、アディゲ共和国(約45万人)、カラチャイ・チェルケス共和国(約44万人)、トゥヴァ共和国(約31万人)、カルムイク共和国(約29万人)、アルタイ共和国(約29万人)などがある。

 ロシア連邦の国土は、主にヨーロッパ部とアジア部(シベリア)に分かれ、ウラル山脈(Уральские горы)がその境となっている。北の海は北極海へとつながり、冬は多くが凍結する。アムール(Амур)川やウスリー(Уссури)川は中華人民共和国との国境になっている。モンゴルとの境の少し北にはアジア最大のバイカル(Байкал)湖が広がる。シベリアは南部が草原が広がるステップ気候、北は針葉樹林のタイガ(Тайга)が広がっている。さらに北へ行くと永久凍土で樹木が育たないツンドラ(тундра)となる。日本からヨーロッパへ飛行機で行くと、シベリアのタイガやツンドラ、果てしなく続く白い大地が空から眺めることができる。ウラル山脈の南東、カスピ海(Каспийское море)からカフカス(Кавказ)山脈、黒海(Чёрное море)にかけてはカフカス系やテュルク系民族が複雑に入り混じり、アゼルバイジャンやグルジア(サカルトヴェロ)と国境を接していて、チェチェンやオセチアなど紛争が続く地域もある。ウラル山脈の西はヨーロッパ・ロシアであり、首都モスクワや古都サンクトペテルブルクを含むロシア人の古くからの根拠地であり、さらに西にはスラヴ系民族としてロシア人と比較的近いベラルーシやウクライナと国境を接している。

 ロシア連邦最大の民族であるロシア人(民族)はスラヴ語系のロシア語を話し、ロシア語の文字はキリル文字(Кириллица)を用いる。スラヴ系民族はこのほか、東スラヴ系のベラルーシ人、ウクライナ人、西スラヴ系のポーランド人、スロバキア人、チェコ人、南スラヴ系のブルガリア人、マケドニア人、セルビア人、モンテネグロ人、ボスニア人(ボシュニャク人)、スロベニア人、クロアチア人などに分かれ、そのうち、ベラルーシとウクライナは旧ソビエト連邦を構成していたが、ソ連崩壊後はベラルーシ共和国、ウクライナとして独立国家となった。ブルガリア、ポーランドなどはソ連とは別の共産主義国を経て民主化、チェコとスロバキアはチェコスロバキア共和国を経て民主化後にチェコ共和国とスロバキア共和国に分かれた。マケドニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア、スロベニア、クロアチアなどは旧ユーゴスラビア連邦を構成していたが、内戦を経ながらそれぞれ独立した。スラヴ語系の言語は文法や発音、語彙などで類似点が多いが、文字表記はキリル文字系とラテン文字系に分かれ、ロシア語、ベラルーシ語、ウクライナ語、ブルガリア語、セルビア語、マケドニア語、モンテネグロ語などはキリル文字で表記され、ポーランド語、スロバキア語、チェコ語、ボスニア語、スロベニア語、クロアチア語などがラテン文字で表記される。

 ロシア連邦の民族比率はロシア人(約1億1100万人、80.9%)が大多数を占めロシア語が全土で通用し公用語となっているほか、そのほかタタール人(約530万人、3.9%)、ウクライナ人(約190万人、1.4%)、バシキール人(約160万人、1.2%)、チュヴァシ人(約145万人、1.0%)、チェチェン人(約140万人、1.0%)、アルメニア人(約120万人、0.9%)、アヴァール人(約90万人、0.7%)、モルドヴァ人(約75万人、0.6%)、カザフ人(約65万人、0.5%)と続いている。各民族語はソ連時代に基本的にはロシア語と同じキリル文字を用いた表記法が使われているが、一部には例外もあり独自の文字を持つものもある。

 ロシア連邦は国土が広大であることから、8つの連邦管区(Федеральный округ)がある。中央連邦管区(Центральный федеральный округ)は首都モスクワに本部を置き、ロシア連邦の西部に位置しているが、人口が集中し、ロシアの中心である。北西連邦管区(Северо-западный федеральный округ)はサンクトペテルブルク(Санкт-Петербург)に本部を置き、カレリア共和国、コミ共和国、ネネツ自治管区が含まれる。南部連邦管区(Южный федеральный округ)はロストフ(Ростов)に本部を置き、アディゲ共和国、カルムイク共和国が含まれる。北カフカス連邦管区(Северо-Кавказский федеральный округ)は2010年に南部連邦管区から分離し、スタヴロポリ地方のピャチゴルスク(Пятигорск)に本部が置かれ、そのほかタゲスタン共和国、イングーシ共和国、カバルダ・バイカル共和国、カラチャイ・チェルケス共和国、北オセチア共和国、チェチェン共和国が含まれ、ロシア人比率は他の連邦管区と比べて低い。沿ヴォルガ連邦管区(Приволжский федеральный округ)はニジニー・ノヴゴロド(Нижний Новгород)に本部が置かれ、バシコルトスタン共和国、チュヴァシ共和国、マリ・エル共和国、モルドヴィア共和国、タタールスタン共和国、ウドムルト共和国などが含まれる。

 ウラル山脈以東のアジア部については、ウラル連邦管区(Уральский федеральный округ)はエカテリンブルク(Екатеринбург)に本部が置かれ、ハンティ・マンシ自治管区やヤマロ・ネネツ自治管区などが含まれる。シベリア連邦管区(Сибирский федеральный округ)はノヴォシビルスク(Новосибирск)に本部が置かれ、アルタイ共和国、ブリヤート共和国、ハカス共和国、トゥヴァ共和国などが含まれる。極東連邦管区(Дальневосточный федеральный округ)はハバロフスク(Хабаровск)に本部が置かれ、サハ共和国、ユダヤ自治州、チュクチ自治管区などが含まれる。

 ロシア連邦の主な都市は人口順で1位モスクワ(Москва、約1050万人、中央連邦管区)、2位サンクトペテルブルク(Санкт-Петербург、約460万人、北西)、3位ノヴォシビルスク(Новосибирск、約140万人、シベリア)、4位エカテリンブルク(Екатеринбург、約133万人、ウラル)、5位ニージニーノヴゴロド(Нижний Новгород、約127万人、沿ヴォルガ)、6位サマーラ(Самара、約113万人、沿ヴォルガ)、7位カザン(Казань、約113万人、タタールスタン)、8位オムスク(Омск、約113万人、シベリア)、9位チェリャビンスク(Челябинск、約109万人、ウラル)、10位ロストフ(Ростов、約105万人、南)などがある。

 ロシア連邦の建国は1991年であるが、ロシアの歴史は古く、激動の時代を超えてきた。ロシア民族のルーツは東スラヴ系民族であるが、東スラヴで古くから栄えたのはウクライナのキエフ(キーフ)公国だった。10世紀末にキエフのウラジーミル1世がキリスト教を受容し、キリル文字でロシア語の前身のスラヴ語が表記されるようになった。12世紀にキエフ公国が衰退し、ウラジーミル大公国やノヴゴロド公国などに分かれ、13世紀にはモンゴル帝国の支配を受けた。14世紀から15世紀にかけてモスクワ大公国が勢力を拡大し、キプチャク・ハンの支配から脱却し、ノヴゴロド公国も併合し、その頃からロシア・ツァーリ国(Царство Русское)を自称するようになり、16世紀にカザン・ハン、1556年にアストラハン・ハンを滅亡させ、シベリアへ領土を拡げていた。その後大貴族の抗争による動乱時代となり、一時はロシア・ポーランド戦争(1605年~1618年)でポーランド・リトアニア共和国に占領された。

 1613年にロシア帝国(Российская империя)のロマノフ朝が成立すると農奴制の封建帝国が形成された一方で、ピョートル1世(Пётр I Алексеевич)が近代化を進め、サンクトペテルブルクの都市を建設し、1700年~1721年の大北方戦争でロシアがスウェーデンを破り、ロシア帝国の国際的地位を高めた。エカチェリーナ2世(Екатерина II Алексеевна)の時代の1768年~1774年にはオスマン帝国との戦いに勝利し、ポーランドを分割したほか、ウクライナ、クリミア・ハンなども併合していった。アレクサンドル1世(Александр I)は年からのナポレオン戦争に参戦し、1812年にナポレオンのフランス軍に一時侵攻されたが押し返し、戦後はフィンランドやポーランドも支配するようになった。1853年~1856年のクリミア戦争は南へ拡張したいロシアがオスマン帝国・フランス・イギリスなどと対戦し、敗退した。近代化の必要性を感じたアレクサンドル2世が農奴解放を宣言し、近代化を進めようとした。シベリア鉄道の建設を進め、改革を進める一方、不凍港を求めて南下政策を進め、朝鮮や満洲をめぐって日本と対立して日露戦争となり、バルチック艦隊が日本に沈められ、サンクトペテルブルクの血の日曜日事件(労働者群衆への発砲事件)などでニコライ2世(Николай II)への反発が高まり社会主義運動が盛り上がり、1917年のロシア革命によってロシア帝国が倒された。

 ロシア革命によって左派のボリシェヴィキ(Большевики)政権が樹立され、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика)が建国され、マルクス主義(共産主義)者のウラジミール・レーニン(Владимир Ленин)が指導者となった。ボリシェヴィキはロシア共産党となり、1919年に共産主義インターナショナルの「コミンテルン」(Коминтерн)が設立され、国際的に共産党によるプロレタリア革命を支援した。一方でロシアは内戦状態となり、共産党による戦時共産主義で経済・国民生活が混乱したが、1921年に税納付後の農産物の売買自由化など市場経済を一部採り入れたネップ(НЭП)によって少しましになった。また、レーニンはロシア正教などの宗教を弾圧するなど、思想統制も進めた。

 1922年にロシアと白ロシア(ベラルーシ)、ウクライナ、ザカフカス(アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア)の4つの各ソビエト社会主義共和国によってソビエト社会主義共和国連邦(Союз Советских Социалистических Республик)が建国された。レーニンはソ連成立後まもない1924年に死去した。

 レーニンの後を継いだのはザカフカス・グルジア出身のヨシフ・スターリン(იოსებ სტალინი/Иосиф Сталин)で、ソ連共産党中央委員会書記長として1953年に死ぬまで独裁体制を敷いた。スターリンはネップを廃止し、コルホーズ(Колхоз)と呼ばれる集団農場制度を強引に導入し、計画経済化を進めた。また、スターリンは強制収容所と思想統制による恐怖政治で独裁体制を固めた。

 ソ連の構成国は1924年にウズベク、トルクメン、1929年にはウズベクから分かれたタジクが加盟、1936年にザカフカスがアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアに分割されたほか、ロシアからカザフとキルギスに分割された。第二次世界大戦中の1940年には周辺国を占領し、カレロ・フィン(カレリア)、エストニア、モルダビア(モルドバ)、ラトビア、リトアニアを編入し、構成国は16ヶ国(後にカレリアが自治共和国に降格して15ヶ国)となった。

 ソ連は第二次世界大戦を経て東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラビアなど東欧各国を社会主義化させ、衛星国化した。アジアではモンゴル、中国(中華人民共和国)、北朝鮮、北ベトナムなどを社会主義化し、アメリカや西欧を中心とする自由主義陣営と対立する冷戦構造が第二次世界大戦後に長らく続いた。

 また、ソ連は第二次世界大戦末期に満洲国に攻め込み、日本人捕虜らをシベリアへ連行し、強制労働させた。このシベリア抑留によってシベリア各地で亡くなった日本人抑留者は少なくとも6万人以上で数十万人にのぼるという説もあり、所在がわからない死者も多い。

 1953年にスターリンが死去するとニキータ・フルシチョフ(Никита Хрущёв)がソ連の最高指導者となり、スターリン批判を行って全体主義的な政策を調整した。しかし、対外的にはアメリカと激しく対立し、核開発競争やベトナム戦争、キューバ危機など一触即発の冷戦の緊張を招いた。ソ連は1949年に初めて原爆実験を行い、1950年代には水爆実験も実施し、核兵器を大量に保有し、軍事的にアメリカと対抗した。しかしながら全面的な武力衝突や核戦争には至らず、冷戦状態が長らく続いた。また、ソ連以外では共産勢力と反共勢力の戦争も相次いだ。

 フルシチョフが1964年に失脚するとレオニード・ブレジネフ(Леонид Брежнев)が最高指導者となるが、中国との関係が悪化し、1970年代にアメリカと中国が接近した。ソ連は宇宙開発分野で先進的な地位を築き、1960年代から宇宙船ソユーズ(Союз)の開発が始まり、1971年に初の宇宙ステーション「サリュート1号」(Салют-1)の打ち上げに成功した。1986年の次期宇宙ステーション「ミール」(Мир)が打ち上げられた。

 1980年代にはソ連の硬直した社会が経済的にもアメリカ等西側諸国と大きく差をつけられるようになった。1982年にユーリ・アンドロポフ(Юрий Андропов)、1984年にコンスタンティン・チェルネンコ(Константин Черненко)が最高指導者となったが、二人とも老人で短命政権に終わる。1985年にミハイル・ゴルバチョフ(Михаил Горбачёв)が最高指導者となると、1986年のウクライナでのチェルノブイリ原発爆発事故でソ連の閉鎖性が国外から批判され、「ペレストロイカ」(перестройка)と呼ばれる政治改革と、「グラスノチ」(гласность)と呼ばれる情報公開を進め、ソ連の民主化を推進した。対外的には冷戦を終結させ、西側との和解を実現したが、民主化はソ連構成国の民族主義を高めることにもつながり、構成国が次々独立し、1991年にソビエト連邦が崩壊した。

 ソ連崩壊により、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスが独立し、残りがロシア連邦となった。ロシア連邦の大統領には、ロシア共和国の最高会議議長を経てロシア共和国大統領となりソ連守旧派クーデターを抑え民主派を支持したボリス・エリツィン(Борис Ельцин)がソ連崩壊後にロシア連邦大統領となった。

 エリツィン大統領は市場経済化を急速に進めたが、急激な改革は混乱をともなった。一方、宗教の自由化が進み、ソ連時代に比べて民主化が進み、急激なインフラなどを伴いながらも市場経済が定着した。

 2000年にソ連のスパイ機関KGB(КГБ)出身のウラジミール・プーチン(Владимир Путин)が大統領に就任し、自由や人権面で後退がみられたが、経済成長をつづけ、2004年に再選され、2008年まで大統領を続けた。2008年からはドミートリ―・メドヴェージェフ(Дмитрий Медведев)が大統領となったが、プーチン前大統領が首相に就いて影響力を保った。そして2012年、ロシア大統領選挙でプーチン首相が再びロシア連邦大統領に当選した。

 ロシアの政治は、国民からの直接選挙で選ばれる大統領が国家元首で、強いリーダーシップを発揮し、首相は主に内政を担当する。ロシア連邦議会(Федеральное Собрание Российской Федерации)は二院制で、上院にあたるのがロシア連邦の83連邦構成主体(23共和国、9地方、46州、2連邦市、1自治州、4自治管区)の立法府と行政府から1人ずつ166名からなる連邦会議(Совет Федерации)で、下院にあたるのが完全比例代表制(2007年から)の国家会議(Государственная Дума)がある。

 ロシア連邦の国家会議は、得票率7%以上の政党に議席が配分され、議席を有している政党は4つ。与党はプーチン派の「統一ロシア」(Единая Россия)で、路線は中道保守に近い。2011年の議会選挙での得票率は49%。最大野党は「ロシア連邦共産党」(Коммунистическая партия Российской Федерации)で、旧ソ連共産党の流れを引き継ぎマルクス・レーニン主義を掲げ、社会主義体制の復活を目指していて、資本主義化の流れの中で混乱したロシアの批判の受け皿となっているが、政権を取り返すほどの勢力はなく2011年の得票率は19%。第3党は「公正ロシア」(Справедливая Россия)で、中道左派で貧困撲滅、汚職追放、環境保護などを重視し2011年の得票率は13%。第4党は「ロシア自由民主党」(Либерально-Демократическая Партия России)で、旧ロシア帝国の版図復活を主張し反日、反米色の強いロシア民族主義政党であるが、一定の支持基盤があり2011年の得票率は12%だった。

ロシア連邦
Российская Федерация(ロシア語)
(1991年ソビエト連邦解体により独立)
面積:1707.5万平方キロ
人口:1億4190万
通貨:ロシア・ルーブル
主要言語:ロシア語、(タタール語、ウクライナ語、チェチェン語、チュヴァシ語、アルメニア語、アヴァル語、モルドヴィン語、ガバルド語、バシキール語、ウドムルト語、マリ語、オセット語、ダルギン語、ブリヤート語、ヤクート語、イングーシ語など)
首都:モスクワ(モスクヴァー)/Москва(ロシア語)(人口1047万)

(参考:Wkipediaほか)

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ロシア・モスクワ イズマイロフスキー公園

Москва・Измайловский парк
モスクヴァー・イズマイロフスキー パルク(ロシア語)
モスクワ・イズマイロフスキー公園

Российская Федерация
Центральный федеральный округ
Город федерального значения Москва
ロシア連邦中央連邦管区モスクワ連邦市

ロシア・モスクワ イズマイロフスキー公園

 モスクワ地下鉄の環状線である5号線([茶]コリツェヴァーヤ線/Кольцевая линия)の東側にあたるクールスカヤ(Курская)駅から3号線([青]アルバーツコ・ポクローフスカヤ線/Арбатско-Покровская)で4つほど北東へ進んでいくと、パルチザンスカヤ(Партизанская)駅に着く。

 この駅は2005年までイズマイロフスキー公園(イズマイロフスキー パルク/Измайловский парк)駅と呼ばれていた。パルチザンスカヤ駅に改名されたのは、パルチザンがナチスドイツに戦勝して60周年を記念してということのようだが、旧駅名の通り、ここはイズマイロフスキー公園の最寄り駅である。

 イズマイロフスキー公園のパルチザンスク駅のすぐ近くに、巨大なビル群が並んでいるが、ここはイズマイロヴォ・ホテル(ゴスチニチヌィ コンプリェクス イズマイロヴォ/Гостиничный комплекс «Измайлово»)で、1980年のモスクワ・オリンピックの開催に合わせて建設された。当時はさぞかし立派だったのだろうと思われるが、すでに築40年を経ているので、建物も古くなっている。部屋からの眺めは特に冬はイズマイロフスキー公園の雪景色が広がり、なかなか美しい。

 イズマイロフスキー公園は広大な森林が広がる自然豊かな公園であるが、週末にはバザール(Базар)も開かれ、マトリョーシカ(Матрёшка)などのお土産、雑貨、骨董品などが並び、多くの買い物客でにぎわう。

 地下鉄3号線のパルチザンスクから一つ東のイズマイロフスカヤ(Измайловская)駅はモスクワ地下鉄では珍しい地上駅となっている。 

モスクワ・イズマイロフスキー公園エリアの主な駅

Партизанская / パルチザンスカヤ 駅
モスクワ地下鉄 3号線

izmaylovo1
モスクワ・イズマイロヴォホテル

izmaylovo2
イズマイロヴォホテルから見たイズマイロフスキー公園周辺の眺め


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テーマ : ロシア生活
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ロシア・モスクワ 地下鉄コムソモーリスカヤ駅とシベリア鉄道の駅

Москва・Комсомольская
モスクヴァー・コムソモーリスカヤ(ロシア語)
モスクワ

Российская Федерация
Центральный федеральный округ
Город федерального значения Москва
ロシア連邦中央連邦管区モスクワ連邦市

ロシア・モスクワ 地下鉄コムソモーリスカヤ駅とシベリア鉄道の駅

 モスクワ(モスクヴァー/Москва)の地下鉄コムソモーリスカヤ(Комсомольская)駅は、環状線(5号線)であるコリツェヴァーヤ線(茶)/Кольцевая линия)の北東側に位置する駅で、1号線のソコーリニチェスカヤ線(赤)/Сокольническая линия)と乗換えができる。

 コムソモーリスカヤ駅は歴史の古い駅のため、モスクワ地下鉄の名物である重厚で豪華な地下宮殿のようなホームとなっている。

 コムソモーリスカヤ駅はコムソモーリスカヤ広場(Комсомольская площадь)の最寄り駅で、コムソモーリスカヤ駅の周りは、モスクワ発の長距離鉄道が発着するターミナル駅が集まっており、ヤロスラフスキー(Ярославский)駅、カザンスキー(Казанский)駅、レニングラーツキー(Ленинградский)駅(サンクトペテルブルク、フィンランドのヘルシンキ、エストニアのタリン方面)の3つのターミナル駅がある。

 ヤロスラフスキー(Ярославский)駅は、ヤロスラヴリ(Ярославль)方面の駅という意味だが、極東のウラジオストク(ヴラヂヴォストーク/Владивосток)まで走破するシベリア鉄道(Транссибирская магистраль)の「ロシア号」の列車が発着する駅として知られている。モンゴルのウランバートル、中国の北京、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)などを結ぶ国際列車もある。駅舎は茶色と白の壁面と大きな立体的な黒い屋根が印象的。

 隣接するカザンスキー(Казанский)駅は、灰色の低層階の上に赤い塔がのっかり、黒いとんがった屋根のオシャレな建物。ロシア連邦内のタタールスタン共和国の首都カザン(Qazan/Казань)方面への列車や、中央アジア方面の国際列車が発着している。

 レニングラーツキー(Ленинградский)駅は、サンクト・ペテルブルク(Санкт-Петербург)方面を結ぶ列車や、フィンランドのヘルシンキ(Helsinki)、エストニアのタリン(Tallinn)方面を結ぶ国際列車が発着している。2009年よりモスクワ・レニングラーツキー駅~サンクトペテルブルクを結ぶロシア版新幹線車両の「サプサン号」(Сапсан)が最高時速250キロで運行を始め、両区間を約3時間45分で結ぶようになった。「サプサン」とはロシア語で「はやぶさ」の意味。

 サンクトペテルブルクはロシア連邦でモスクワに次ぐ第2の都市であり、旧ロシア帝国の古都でもある。第一次世界大戦後の1914年~1924年はペトログラード(Петроград)と呼ばれ、ソビエト連邦時代はソ連の指導者レーニン(Ленин)の名前をとって、ソ連崩壊の1991年までレニングラード(Ленинград)と呼ばれていた。レニングラーツキー駅(レニングラード駅)は、サンクトペテルブルクの旧称であるレニングラード方面の駅という意味である。

 モスクワのレニングラーツキー駅は、1851年の開業時はペテルブルクスキー(Петербургский)駅であったが、その後数回名前が変わり、ペトログラードがレニングラードに改名された1924年に駅もレニングラーツキー駅となった。ソ連崩壊後、レニングラードの都市名はサンクトペテルブルクに戻されたが、駅名はレニングラーツキー駅のまま維持されている。

 ロシアの大都市の鉄道のターミナル駅は行き先の地名を駅名につける習慣がある。したがって、サンクトペテルブルクにあるモスクワ方面の駅はモスクワ(Москва)駅となる。

モスクワ・コムソモーリスカヤ エリアの主な駅

Ярославский / ヤロスラフスキー 駅
ロシア鉄道 モスクワ・ヤロスラヴリ線(シベリア鉄道)
Казанский / カザンスキー 駅
ロシア鉄道 モスクワ・カザン線
Ленинградский / レニングラーツキー 駅
ロシア鉄道 モスクワ・サンクトペテルブルク線

Комсомольская / コムソモーリスカヤ 駅
モスクワ地下鉄 1号線5号線

moskvayaroslavskii
モスクワ・ヤロスラフスキー駅

moskvakazan
モスクワ・カザン駅

moskvaleninglad
モスクワ・レニングラーツキー駅

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