石川・小松 小松城の城下町、小松空港と機械のコマツ

小松
こまつ

日本国石川県小松市

石川・小松 小松城の城下町、小松空港と機械のコマツ

 小松(こまつ)市は石川(いしかわ)県南西部にある人口約11万人の市。北が能美(のみ)市、東が白山(はくさん)市、西が加賀(かが)市、南が福井県勝山(かつやま)市と接している。北西には日本海が広がっている。

 小松は、平安時代に花山天皇が巡幸したときに、梯川(かけはしがわ)の畔に松を植えたことが地名の由来で、小松城は加賀一向一揆の若林氏によって築かれたとされるが、江戸時代の1615年(元和元年)の一国一城令で一旦廃城になったが、加賀藩第2代藩主だった前田利常(まえだ としつね)の隠居地として1639年(寛永16年)に小松城が再築され、小松城は金沢城の支城となり、小松は小松城の城下町として発展した。

 明治時代になると小松城は廃城となり、城址は石川県立小松高校、小松市役所、芦城(ろじょう)公園などになっている。芦城公園は、小松城三の丸の跡地で、小松城廃城後に明治5年(1872年)に刑務所(徒刑場)となったが、刑務所が金沢に移転後に明治37年(1904年)に公園となった。園内には小松市立博物館、小松市立図書館、小松市公会堂、小松市立本陣記念美術館などの施設がある。

 小松市にはJR西日本・北陸本線が通り、市内に明峰(めいほう)、小松(こまつ)、粟津(あわづ)の各駅がある。小松駅は、特急「サンダーバード」や「しらさぎ」が停車する主要駅で、平成14年(2002年)に高架化され、2面3線の高架駅となった。北陸地方は雪が多いため、福井駅や金沢駅と同様にホーム部分は屋根と壁で覆われている。北陸新幹線の金沢~敦賀(つるが)の延伸時には小松駅にも北陸新幹線の駅が設置される予定である。

 小松の市街地は主に駅の西側に広がり、駅周辺には三日市商店街や中央通り商店街が伸びている。また、城下町の歴史から旧市街地に寺院が多く、小松駅の西側には稱名寺、勝光寺、勧帰寺などがある。

 小松駅の東側は以前、小松製作所の小松工場があったが、平成22年(2010年)に閉鎖して小松市内の粟津工場に機能を移転した。その跡地が、「こまつの杜」として再開発され、小松製作所の建設機械などの展示など体験形の「わくわくコマツ館」が開設された。また、公共施設「サイエンスヒルズこまつ」も建てられ、平成26年(2014年)に「ひととものづくり科学館」がオープンした。

 小松製作所は、大正6年(1917年)に銅山を所有していた竹内鉱業が機械を生産するために小松駅の近くに小松鉄工所を開設し、大正10年(1921年)に小松鉄工所が小松製作所となり、機械メーカーとなり、トラクターやブルドーザーなどの国産化を実現。戦後はパワーショベルやフォークリフトなど、日本の産業に欠かせない機械を製造し、「コマツ(KOMATSU)」ブランドでグローバルに展開する企業に成長した。

 小松の東には銅山があり、小松駅から東へ。明治40年(1907年)に小松~遊泉寺~鉱山口に遊泉寺銅山専用鉄道が開業。銅鉱山の閉山により、大正7年(1918年)に梯川遊泉寺~鉱山口が廃止されたが、小松~梯川遊泉寺は白山電気鉄道、小松電気鉄道を経て昭和20年(1945年)に北陸鉄道小松線となり、昭和61年(1986年)に全線廃止された。

 また、小松駅からは銅山の尾小屋(おごや)鉱山への鉱山鉄道が大正8年(1919年)に開業し、横山工業部鉄道を経て昭和4年(1929年)に尾小屋鉄道となり、昭和52年(1977年)に廃止された。

 小松駅から一つ福井寄りの粟津駅は、小松製作所粟津工場の最寄り駅で、駅西側の粟津公園には旧・尾小屋鉄道の車両が「なかよし鉄道」として動態保存されている。かつては粟津軌道、温泉電軌を前身とする北陸鉄道粟津線が新粟津~粟津温泉の約3.5キロを運行していたが、昭和37年(1962年)に廃止された。

 小松市の日本海側、小松駅から国道360号線を約4キロ西に行ったところに小松空港がある。小松空港は、航空自衛隊小松基地と共用している空港で、金沢県民のみならず福井県からの利用も多い。以前は石川県から東京への交通が不便であったことから小松~東京羽田がドル箱路線であったが、北陸新幹線の開業により、小松~東京羽田の利用者数が減った。一方で、台湾・台北桃園、韓国ソウル仁川、中国・上海浦東などを結ぶ定期路線があり、金沢・富山などを巡る外国人ツアー客が多く利用するようになった。 

小松エリアの主な駅

小松 / こまつ 駅
JR西日本 北陸本線

粟津 / あわづ 駅
JR西日本 北陸本線 

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小松駅に停車する特急「サンダーバード」

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JR北陸本線・小松駅

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JR北陸本線から見た小松の街並み

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JR北陸本線から見た小松の街並み

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小松・三日市商店街

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小松・三日市商店街

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福井・田原町 えちぜん鉄道に乗り入れる福井鉄道

福井・田原町
ふくい・たわらまち

日本国福井県福井市

福井・田原町 えちぜん鉄道に乗り入れる福井鉄道

 田原町(たわらまち)は、福井(ふくい)市にある地区で、福井鉄道・福武線と、えちぜん鉄道・三国芦原線の田原町駅がある。

 えちぜん鉄道・三国芦原線の田原町駅は、もともと三国芦原電鉄として昭和12年(1937年)に開業した。三国芦原電鉄は、昭和17年(1942年)に京福電気鉄道に合併された。京福電鉄は、夜の街の電気需要が多い京都(きょうと)と、昼の織物工場の電気需要が多い福井の間の電気を融通し合っていた京都電燈の「京福送電線」を由来とし、京都と福井の両都市で電車を運行する会社であった。

 福井の京福電鉄は三国芦原線(福井~三国港)のほか、越前本線(現・勝山永平寺線)と永平寺線を運行していたが、越前本線で平成12年(2000年)と平成13年(2001年)に相次いで正面衝突事故を起こしたため全区間で2年間にわたり運転休止となり、赤字の永平寺線を廃止したうえで、平成15年(2003年)より第3セクターの「えちぜん鉄道」として再スタートした。

 福井鉄道・福武線のうち、市役所前~田原町は、第二次世界大戦の空襲と、戦後まもない昭和23年(1948年)の福井地震の2度にわたって街が壊滅しながらも復興した「不死鳥」(フェニックス)の意味を込めて名付けられた「フェニックス通り」を走る路面電車として昭和25年(1950年)に開業した。福武線は、田原町駅からフェニックス通りを南下し、市役所前駅から一度、福井駅に立ち寄ってからもう一度、市役所前駅に戻り、再び南下して、赤十字前駅から専用軌道になって、越前市の越前武生(えちぜん たけふ)駅を結んでいる。

 田原町から福井駅へは、えちぜん鉄道は、まつもと町屋(まつもとまちや)、福井口(ふくいぐち)など東に大回りして向かっているのに対し、福井鉄道は、フェニックス通りをまっすぐ南下し、西回りで福井駅に達する。また、福井駅以南も福井鉄道は乗り換えなしでそのまま行くことができる。福井市では、この福井鉄道の利便性を生かすため、えちぜん鉄道と福井鉄道の直通運転を計画し、えちぜん鉄道の既存のホームに、路面電車規格の福井鉄道用の低床ホームを増設し、直通運転に対応した。これにより、平成28年(2016年)3月より、福井鉄道がえちぜん鉄道三国芦原線の福井市北端の鷲塚針原(わしづかはりばら)駅まで直通運転が実現した。

 田原町駅は北側の1面1線が、えちぜん鉄道、南側の2面2線が福井鉄道のホームとなっている。えちぜん鉄道はフェニックス通りを踏切で渡り、福井鉄道は90度曲がってフェニックス通りの路面を走る。駅前にはそう目立った施設はないが、駅周辺には「福井市体育館」、「福井市立図書館」、「福井県立美術館」などがある。

福井・田原町エリアの主な駅

田原町 / たわらまち 駅
えちぜん鉄道 三国芦原線
福井鉄道 福武線

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福井鉄道福武線・田原町駅

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福井鉄道とえちぜん鉄道が乗り入れる田原町駅

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フェニックス通りを走る福井鉄道福武線

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田原町駅に到着するえちぜん鉄道の電車

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新潟・村上 三面川の鮭と北限の茶、日本海を走る羽越本線

村上
むらかみ

日本国新潟県村上市

新潟・村上 三面川の鮭と北限の茶、日本海を走る羽越本線

 村上(むらかみ)市は、新潟(にいがた)県の北東部にある人口約6万人の市。南が胎内(たいない)市、と岩船(いわふね)郡の関川(せきかわ)村、東が山形(やまがた)県の西置賜(にしおきたま)郡の小国(おぐに)町、北が山形県鶴岡(つるおか)市と接しており、西は日本海が広がっている。

 村上は、江戸時代に越後国(えちごのくに)の村上藩・村上城の城下町として発展し、現在はJR東日本・羽越本線の村上駅が直流電化と交流電化の切り替え駅として交通の拠点となっているほか、坂町(さかまち)駅から山形県の米沢(よねざわ)を結ぶJR米坂線が分岐し、交通の接点となっている。

 村上市は昭和29年(1954年)に岩船郡の村上町、岩船町、瀬波(せなみ)町、山辺里(さべり)村、上海府(かみかいふ)村が合併して発足した。そして平成の大合併で、岩船郡の荒川(あらかわ)町、山北(さんぽく)町、神林(かみはやし)村、朝日(あさひ)村を編入合併し、現在の市域となった。

 村上市にはJR羽越本線と米坂線が通り、羽越本線の坂町、平林(ひらばやし)、岩船町(いわふねまち)、村上、間島(まじま)、越後早川(えちご はやかわ)、桑川(くわがわ)、今川(いまがわ)、越後寒川(えちご かんがわ)、勝木(がつぎ)、府屋(ふや)の各駅および米坂線の坂町駅がある。

 新潟方面から北上すると村上市に入って最初の駅が坂町駅。ここは旧・荒川町の中心駅で、羽越本線を走る特急「いなほ」の停車駅となっている。また、羽越本線と米坂線が分岐する。米坂線は、豪雪地帯を走るローカル線であるが、新潟と山形を結ぶ使命を担い、新潟~坂町~米沢を結ぶ快速「べにばな」も運行されている。本来、米沢からそのまま奥羽本線に入って山形まで直通したいところだが、奥羽本線は山形新幹線のために標準軌化されたため直通できなくなってしまった。これは山形新幹線の副作用といえる。

 荒川を渡って岩船町駅は旧・神林村にあったが、旧・岩船町の最寄り駅でもあり、駅名は岩船町を名乗り、岩船町が村上市に合併されてもそのまま岩船町駅が維持されている。

 村上駅は、羽越本線が昭和47年(1972年)に電化された際に、村上以南が直流、以北が交流となった。このため、村上駅で普通電車の運行系統が分かれ、鉄道交通の拠点となっていて、特急「いなほ」も停車する。実際には、直流電化区間の運転本数が多く、村上駅からは新潟方面に多く電車が運行されている。一方、村上以北は交直流電車を用いる特急「いなほ」が直通するほかは、普通列車は経費削減のためか気動車が用いられることが多い。

 村上駅前は伝統的な町屋の建物が美しい観光案内所「むらかみ旅なび館」があり、鮭や茶、地酒など村上の特産品を紹介、販売している。村上は村上駅の北を流れる三面川の鮭が有名であるほか、茶も「北限の茶」として知られる。また、村上牛もブランド化している。

 村上の市街地は村上駅の東約1キロのところにあり、村上市役所や武家町、商人町などの城下町の面影が残る街並みの散歩が楽しい。村上城は標高135mの臥牛山(がぎゅうざん)の頂上に築城されていたが、明治維新の戊辰戦争で幕府側と明治政府側で分裂し、最後に幕府派が火を放って退去したため、焼失し、その後、明治政府によって村上城は解体・撤去され、現在は石垣などが残るだけとなっている。また、村上駅の西の日本海側には、瀬波温泉と海水浴場がある。

 羽越本線の村上駅より北は、日本海側を走る絶景区間となっている。断崖絶壁が迫り、荒々しい日本海を感じることができる。「笹川流れ」と呼ばれる景勝スポットは、夕日が特に美しく、羽越本線のハイライトである。桑川駅は国道345号線(坂町鼠ヶ関道)の道の駅「笹川流れ・夕日会館」と併設されている。府屋駅は特急「いなほ」が停車する新潟県最北の駅で、旧・山北町の中心駅である。その先、一山越えて鼠ヶ関(ねずがせき)が新潟県(越後国)と山形県(羽前国)の境となる。鼠ヶ関駅は山形県鶴岡市側にある。

村上エリアの主な駅

村上 / むらかみ 駅
JR東日本 羽越本線

坂町 / さかまち 駅
JR東日本 羽越本線、米坂線

府屋 / ふや 駅
JR東日本 羽越本線

桑川 / くわかわ 駅
JR東日本 羽越本線

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JR羽越本線・村上駅

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羽越本線を走る気動車

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村上駅

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村上駅前の汽車の碑

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町屋建築が美しい「むらかみ旅なび館」

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村上名物の鮭

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村上ふれあい市「よれっしゃ こいっちゃ」

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JR米坂線が分かれる坂町駅

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坂町駅

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羽越本線の村上市内の風景

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羽越本線からの日本海の眺め

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「笹川流れ」の絶景が続く羽越本線

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JR羽越本線・府屋駅

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旧・山北町の府屋駅

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府屋駅近くから見た日本海

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新潟・新発田 越後平野と新発田城の城下町

新発田
しばた

日本国新潟県新発田市

新潟・新発田 越後平野と新発田城の城下町

 新発田(しばた)市は、新潟(にいがた)県北部の下越(かえつ)地方にある人口約10万人の市。北が胎内(たいない)市、西が北蒲原(きたかんばら)郡の聖籠(せいろう)町と新潟市北(きた)区、南が阿賀野(あがの)市と東蒲原郡(ひがしかんばら)郡の阿賀(あが)町と接している。

 越後平野の阿賀野川の東に開けた新発田は、新発田(しばた)氏が新発田城を拠点に治めていた。江戸時代には新発田藩が置かれ、溝口(みぞぐち)氏が藩主となり、新発田城の城下町として発展するとともに、郊外は新田開発が進められた。

 明治時代に入ると、新発田藩は新潟県の一部となり、新発田城は廃城となり、城址には陸軍歩兵第16連隊が置かれ、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、満洲事変、日中戦争、太平洋戦争へと、数々の戦争で出兵した主力部隊であった。戦後は陸上自衛隊新発田駐屯地となっている。

 新発田市には、JR東日本の羽越本線と白新線が通っており、羽越本線の月岡(つきおか)、中浦(なかうら)、新発田(しばた)、加治(かじ)、金塚(かなづか)の各駅、白新線の新発田、西新発田(にししばた)、佐々木(ささき)の各駅がある。

 新発田市の中心にあるのが新発田駅で、新潟~酒田・秋田を結ぶ特急「いなほ」や新潟~米沢を結ぶ快速「べにばな」などが停車し、羽越本線から白新線が分岐している。羽越本線は秋田、酒田方面から新発田を経由して新津(にいつ)まで結び、新津からそのまま信越本線に入って長岡(ながおか)方面へ直行することができ、かつて寝台特急「日本海」などがこのルートを通っていたが、新潟駅を通らないことから、特急「いなほ」や快速「べにばな」は、新発田駅から白新線に入って新潟駅へ向かう。このため、羽越本線の新発田~新津はローカル線化しており、普通列車は経費節減でディーゼルカーで運行されることが多い。白新線は新発田~新潟を結ぶ路線であるが、「白」は新潟駅から越後線に入って一つ先の白山(はくさん)駅のことを指しているが、実質的に新潟~新発田の新新線であっても、習慣的に白新線の路線名が今も使用されている。 新発田駅は、昭和59年(1984年)まで国鉄赤谷線が走っており、鉄鉱石の鉱山があった東赤谷(ひがしあかたに)を結んでいた。

 新発田の市街地は、主に新発田駅の北側に広がっており、新発田駅の北西約1キロのところに新発田市役所があり、さらに行くと新発田城址と陸上自衛隊新発田駐屯地がある。新発田城は平成16年(2004年)に三階櫓と辰巳櫓が復元された。

 白新線の佐々木駅は、北隣の聖籠町への最寄り駅であるが、聖籠町は新潟東港や東新潟火力発電所などがあり、財政が安定しているため、新発田市との合併という話にはならなかった。聖籠町側に日本海東北自動車道の聖籠新発田インターチェンジ(IC)がある。

 羽越本線の月岡駅は、月岡温泉の最寄り駅で、同駅からタクシーで10分ほど。硫黄とナトリウムを多く含み、肌がスベスベすることから、美人の湯として知られる。月岡駅の北の新潟市北区側には福島潟(ふくしまがた)が広がり、湿性植物の宝庫であるとともに渡り鳥の飛来地であり、その豊かな自然の湿地は、阿賀野川の東の地域の治水機能も兼ね備えている。

新発田エリアの主な駅

新発田 / しばた 駅
JR東日本 羽越本線、白新線

月岡 / つきおか 駅
JR東日本 羽越本線

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新発田駅に停車する特急「いなほ」

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羽越本線の新発田~新津を走るディーゼルカー

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JR新発田駅

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新発田駅前

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JR羽越本線・月岡駅

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新潟・新津 3つの幹線が集まる鉄道の町、新津温泉と新津油田

新潟・新津
にいがた・にいつ

日本国新潟県新潟市秋葉区

新潟・新津 3つの幹線が集まる鉄道の町、新津温泉と新津油田

 新津(にいつ)は、新潟(にいがた)市の秋葉(あきは)区にある地区で、JR東日本の信越本線・羽越本線・磐越西線の3つの幹線が集まる新津駅がある。

 新津は、もともと新潟市の南に隣接する新津市であったが、平成17年(2005年)に隣接する中蒲原(なかかんばら)郡の小須戸(こすど)町とともに新潟市に編入され、新潟市秋葉区の一部となった。

 秋葉区は、西に信濃川(しなのがわ)、東に阿賀野川(あがのがわ)が流れる豊かな平原が広がり、稲作が盛んであるほか、新潟市中心部に近いことから、近年は新潟のベッドタウンとして住宅開発が進んでいる。

 秋葉区内には、JR信越本線、羽越本線、磐越西線の3路線が通っており、信越本線は荻川(おぎかわ)、さつき野(さつきの)、新津、古津(ふるつ)、矢代田(やしろだ)の各駅、羽越本線は新津駅、磐越西線は新津、東新津(ひがしにいつ)、新関(しんせき)の各駅がある。このうち、矢代田駅が旧・小須戸町にあった駅で、そのほかの駅は旧・新津市にあった。

 新津駅は、旧・新津市、現・秋葉区の中心にある駅であり、3路線が集まることから、北西に新潟地区の気動車や機関車の広大な車両基地があり、また、駅の南西には鉄道車両工場の総合車両製作所新津事業所があり、新津は「鉄道の町」として発展してきた。

 信越本線を走る特急「しらゆき」や、磐越西線の快速「あがの」などが停車する。新津駅は磐越西線の起点ではあるが、多くの列車がそのまま信越本線に乗り入れて新潟駅まで直通運転している。信越本線は新潟~長岡を走る普通電車が新潟市郊外の住宅地を結んでおり、通勤・通学客の利用が多い。また、特急「しらゆき」が長岡を経由して柏崎(かしわざき)、直江津(なおえつ)を結び、さらに「えちごトキめき鉄道」妙高はねうまラインに直通して北陸新幹線の上越妙高(じょうえつみょうこう)駅まで結んでいる。

 羽越本線はかつては寝台特急「日本海」、「トワイライトエクスプレス」などが信越本線と直通運転していたが、新津から羽越本線を行くと新潟駅を素通りしてしまうため、秋田(あきた)・酒田(さかた)方面から羽越本線を走る特急「いなほ」は新発田(しばた)から白新線を経由して新潟駅に乗り入れている。かつて大阪~青森を走破していた特急「白鳥」も、信越本線で新津から一旦新潟まで行って、そこから向きを変えて白新線で新発田から羽越本線に入っていた。現在は、直通する寝台特急がなくなり、羽越本線の新津~新発田はローカル線化しており、普通列車は電化区間ではあるがディーゼルカーで運行されることが多い。一方、新潟駅を通らずショートカットできるこの区間が貨物列車の幹線であることは昔も今も変わらない。

 磐越西線は非電化路線ではあるが、五泉(ごせん)市の五泉駅までは利用客が多く、運行本数も多い。五泉より先は福島県の喜多方(きたかた)、会津若松(あいづわかまつ)方面を結んでいるが運転本数は少ない。行楽シーズンは臨時で「SLばんえつ物語」号が運行されている。

 東新津駅に近い秋葉(あきは)公園は、小高い丘になっており、秋葉区の地名の由来となった秋葉神社がある。また、新津はかつては「石油の町」としても知られ、新津油田があった。新津駅の南東約1キロにある新津温泉は、もともと油田を採掘しようとして掘り当てた温泉なのだそうで、油の臭いがする珍しい温泉だ。このほか、矢代田駅の東約1キロの金津地区も平成8年(1996年)まで石油の掘削・精製が行われていたところで、石油文化遺産を展示する「石油の里公園」がある。

新潟・新津エリアの主な駅

新津 / にいつ 駅
JR東日本 信越本線、羽越本線、磐越西線

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JR新津駅

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新津駅に停車する信越本線の普通電車

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新津駅で出発を待つ羽越本線のディーゼルカー

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新津駅に隣接する新津車両区

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新潟・三条 金物工業と三条カレーラーメン

三条
さんじょう

日本国新潟県三条市

新潟・三条 金物工業と三条カレーラーメン

 三条(さんじょう)市は、新潟(にいがた)県の中部にある人口約10万人の市。平成17年(2005年)に南蒲原(みなみかんばら)郡の栄(さかえ)町および下田(しただ)村が合併し、現在の市域となった。東が加茂(かも)市、北が新潟市の南(みなみ)区、西が燕(つばめ)市、南が見附(みつけ)市および長岡(なかおか)市と接している。

 信濃川や中ノ口川を境に燕市と隣接し、ともに金属加工業が盛んであるなど、共通点も多いが、どちらかといえば燕市が職人気質なのに対し、三条市が商業都市であるため、相互補完関係にありながらも両市はライバル関係にある。三条市は工場労働者の元気の源として発展した三条カレーラーメンがご当地グルメとして有名である。

 三条市には、JR東日本の信越本線が通り、東三条(ひがしさんじょう)駅から燕市を通り、弥彦(やひこ)まで結ぶ弥彦線が伸びているが、弥彦線の三条市と燕市のあたりに上越新幹線の駅が建設される際には、名称をめぐって紛糾し、燕と三条の両方を入れ、駅も燕市と三条市にまたがるように設置することで折り合ったが、今度は燕と三条どちらを先にするかで対立し、駅名を「燕三条」、駅長室所在地を三条市とすることで折り合った。さらに、後に建設された北陸自動車道のインターチェンジ(IC)名称を、「三条燕IC」とすることで燕三条駅とのバランスをとっている。

 このような経緯から、平成の大合併においても、燕市と三条市の合併話があり、「燕三条市」の実現に向けて動き出したこともあったが、やはり双方の市民が合併に消極的であり、実現しなかった。(結局、三条市は栄町と下田村を合併した)

 三条市内には、JR東日本・上越新幹線の燕三条駅があるほか、JR信越本線の保内(ほない)、東三条、三条、東光寺(とうこうじ)、帯織(おびおり)の各駅、弥彦線の燕三条、北三条、東三条の各駅がある。

 燕三条駅は、昭和57年(1982年)の上越新幹線開業の際に、弥彦線との交差地点に開設された。上越新幹線のホームは、中間に通過線を挟んで、両側にホームがある構造で、ホームの南側が三条市、北側が燕市となっている。弥彦線のホームは燕市側にある。燕三条駅は以前は通過する新幹線列車が多かったが、近年はほとんどの列車が停車するようになった。駅のコンコースには、燕市や三条市の特産品を紹介するコーナーが設けられている。燕三条駅の西側には北陸自動車道が通り、燕三条駅の北側に三条燕ICがある。燕三条駅の周辺は東に信濃川、西に中ノ口川が流れ、南東に三条市、北西に燕市の市街地が広がっている。駅周辺はビジネスホテルやショッピングセンターが集まっている。

 燕三条駅から信濃川を渡って東に弥彦線の北三条駅がある。北三条駅は三条市役所の最寄り駅で、周辺は住宅街が広がり、駅の南側には三条八幡宮や本願寺三条別院などがあり、また、北三条駅のすぐ南側に古墳などの遺跡から金物産業まで紹介する三条市歴史民俗産業博物館がある。

 東三条駅は、北越鉄道(現・信越本線)の一ノ木戸(いちのきど)駅として明治30年(1897年)に開業した。北越鉄道は明治40年(1907年)に国有化、大正14年(1925年)に越後鉄道(現・弥彦線)が開通すると、翌年に東三条駅と改称された。越後鉄道はかつて、東三条から先、旧・下田村の越後長沢(えちご ながさわ)駅まで伸びており、開通した昭和2年(1927年)に国有化された。弥彦線の東三条~越後長沢は、弥彦~東三条が電化された翌年の昭和60年(1985年)に廃止された。

 東三条駅は新潟~長岡~柏崎(かしわざき)~直江津(なおえつ)~上越妙高(じょうえつみょうこう)を結ぶ信越本線の特急「しらゆき」が停車する主要駅であり、駅の北側に市街地が広がっているが、駅前に大きな商業施設はない。

 信越本線の三条駅は、東三条駅が弥彦線の乗り換え駅となっていることから、東三条駅より乗降者数が少ない。このほか市南部の帯織駅は、かつて近くに大面(おおも)油田があり、原油の輸送基地となっていたが、大面油田は昭和38年(1963年)に廃止され、その面影を見つけるのは難しい。

三条エリアの主な駅

燕三条 / つばめさんじょう 駅
JR東日本 上越新幹線、弥彦線

北三条 / きたさんじょう 駅
JR東日本 弥彦線

東三条 / ひがしさんじょう 駅
JR東日本 信越本線、弥彦線

三条 / さんじょう 駅
JR東日本 信越本線

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上越新幹線・燕三条駅

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JR弥彦線・燕三条駅

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JR弥彦線・燕三条駅

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三条側から見た燕三条駅

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三条市を流れる信濃川

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北三条駅の街並み

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東三条駅

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東三条駅

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東三条駅

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東三条駅前の街並み

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ご当地グルメ「三条カレーラーメン」

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新潟・燕 金属加工と洋食器の工業都市


つばめ

日本国新潟県燕市

新潟・燕 金属加工と洋食器の工業都市

 燕(つばめ)市は、新潟(にいがた)県のほぼ中央にある人口約8万人の市。北が新潟市の西蒲(にしかん)区、東が三条(さんじょう)市、西が西蒲原(にしかんばら)郡の弥彦(やひこ)村と接している。

 燕市は、平成18年(2006年)に西蒲原郡の吉田(よしだ)町、分水(ぶんすい)町と合併し、現在の市域となった。

 燕は、古くは「津波目」(つばめ)と表記され、信濃川(しなのがわ)の港町として米の集積地と水運で発展した。

 燕市は、新潟県の中でも特に金属加工工業が発達した工業都市であり、機械や自動車部品の製造が盛んであるほか、ステンレスの加工も盛んで、洋食器の国内生産シェアが90%以上を占める洋食器が特産品となっている。

 一方、隣接する三条(さんじょう)市は商売の町であり、相互補完の関係にありながらも燕市とのライバル関係にある。上越新幹線が建設されたとき、長岡~新潟の間に駅が設置されることになり、三条市と燕市の付近に建設される計画となったが、その駅の名称をめぐって紛糾したことがある。燕と三条の両方を入れ、駅も燕市と三条市にまたがるように設置することで折り合ったが、今度は燕と三条どちらを先にするかで対立し、駅名を「燕三条」、駅長室所在地を三条市とすることで折り合った。さらに、後に建設された北陸自動車道のインターチェンジ(IC)名称を、「三条燕IC」とすることで燕三条駅とのバランスをとっている。

 このような経緯から、平成の大合併においても、燕市と三条市の合併話があり、「燕三条市」の実現に向けて動き出したこともあったが、やはり双方の市民が合併に消極的であり、実現しなかった。(結局、燕市は吉田町、分水町を編入合併した)

 燕市内には、JR東日本・上越新幹線の燕三条駅があるほか、JR弥彦線の燕三条、燕、西燕(にしつばめ)、吉田(よしだ)の各駅と、JR越後線の北吉田(きたよしだ)、吉田、南吉田(みなみよしだ)、粟生津(あおうづ)、分水(ぶんすい)の各駅がある。

 燕市の玄関口である燕三条駅は、昭和57年(1982年)の上越新幹線開業の際に、弥彦線との交差地点に開設された。上越新幹線のホームは、中間に通過線を挟んで、両側にホームがある構造で、ホームの南側が三条市、北側が燕市となっている。弥彦線のホームは燕市側にある。燕三条駅は以前は通過する新幹線列車が多かったが、近年はほとんどの列車が停車するようになった。駅のコンコースには、燕市や三条市の特産品を紹介するコーナーが設けられている。また、弥彦神社への玄関駅であることも強調されている。燕三条駅の西側には北陸自動車道が通り、燕三条駅の北側に三条燕ICがある。燕三条駅の周辺は東に信濃川、西に中ノ口川が流れ、南東に三条市、北西に燕市の市街地が広がっている。駅周辺はビジネスホテルやショッピングセンターが集まっている。

 燕三条駅からJR弥彦線で中ノ口川を渡った先に燕駅がある。ここは燕市の旧市街地にあたる。弥彦線は越後線とともに越後鉄道として建設され、大正11年(1922年)に燕~西吉田(現・吉田)が開業し、さらに大正14年(1926年)に国鉄信越本線の東三条(ひがしさんじょう)まで結ばれ、弥彦線は越後鉄道越後線と国鉄信越本線を結び、さらには弥彦神社(越後国一宮)を結ぶ役割を果たすようになった。弥彦線が越後線とともに国有化されたのは昭和2年(1927年)のことで、同年に東三条~越後長沢(えちご ながさわ)が延伸開業している。東三条~越後長沢は昭和60年(1985年)に廃止された。

 燕から新潟の物流が信濃川の水運から陸運へと切り替わる流れの中で建設されたのが新潟交通電車線で、昭和8年(1933年)に燕~県庁前(後の白山前)が開業した。燕駅から直接新潟市内を結ぶ電車路線であったが、昭和57年(1982年)に上越新幹線が開業すると燕三条~新潟が非常に速くなり、高速道路網の発達で旅客および貨物も道路交通に移り、新潟交通電車線の貨物営業も廃止されたことから、平成5年(1997年)に燕~月潟(つきがた)が廃止され、残る区間も平成11年(1999年)に全廃された。

 弥彦線と越後線が連絡する吉田駅は、旧・吉田町にあり、燕市との合併で燕市内の駅となった。越後線は新潟~吉田~柏崎(かしわざき)の海沿いの区間を結んでいる。電化はされているが単線のため、高速運転には向かず、本数も少ないローカル線である。新潟~柏崎は信越本線のほうが速く本数も多い。

燕エリアの主な駅

燕三条 / つばめさんじょう 駅
JR東日本 上越新幹線、弥彦線

/ つばめ 駅
JR東日本 弥彦線

吉田 / よしだ 駅
JR東日本 弥彦線、越後線

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燕三条駅上越新幹線ホーム

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燕三条駅弥彦線ホーム

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燕三条駅弥彦線ホーム

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燕三条駅にある燕市と三条市の特産品の紹介

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燕三条駅にある弥彦神社のPRモニュメント

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燕三条駅から見た燕市側の市街地

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新潟・長岡 豪雪地帯の中越地方の中心都市

長岡
ながおか

日本国新潟県長岡市

新潟・長岡 豪雪地帯の中越地方の中心都市

 長岡(ながおか)市は、新潟(にいがた)県中部にある人口約27万人の市で、中越(ちゅうえつ)地方の中心都市である。

 長岡市は平成の大合併により、市域を拡大した。平成17年(2005年)に南蒲原(みなみかんばら)郡の中之島(なかのしま)町、三島(みしま)郡の三島町、越路(こしじ)町、古志(こし)郡の山古志(やまこし)村、刈羽(かりわ)郡の小国(おぐに)町を編入し、さらに平成18年(2006年)に栃尾(とちお)市と三島郡の寺泊(てらどまり)町、与板(よいた)町、和島(わしま)村を編入した。さらに平成22年(2010年)に北魚沼郡の川口(かわぐち)町を飛び地編入し、現在の市域となった。

 このように編入合併により、市域を拡大したため隣接している自治体が多く、北が新潟(にいがた)市の西蒲(にしかん)区、燕(つばめ)市、見附(みつけ)市、三条(さんじょう)市、南東が魚沼(うおぬま)市、南が十日町(とおかまち)市、小千谷(おぢや)市、西が柏崎(かしわざき)市、三島郡出雲崎(いずもざき)町と接しており、北西側には日本海が広がっている。

 長岡市は中越地方最大の都市であり、上越線と信越線が合流する交通の要衝である。道路も関越自動車道と北陸自動車道が長岡JCTで合流する。上越新幹線の長岡駅があり、冬季の積雪が2mを超える年もあるなど、海側の新潟市などと比べて豪雪地帯であるにもかかわらず、都市として発展しており、日本の中でも珍しい豪雪都市の一つである。市の南北に信濃川(しなのがわ)が流れ、川の東側に長岡の市街地が広がっている。市東部は旧・栃尾市で山間部となっている。市の南西には、南長岡ガス田があり、石油や天然ガスが産出され、日本では珍しい石油鉱業が盛んである。

 長岡市にはJR東日本の上越新幹線、信越本線、上越線、越後線、飯山線の各線が走っており、上越新幹線の長岡駅、信越本線の押切(おしきり)、北長岡(きたながおか)、長岡、宮内(みやうち)、前川(まえかわ)、来迎寺(らいこうじ)、越後岩塚(えちご いわつか)、塚山(つかやま)の各駅、上越線の宮内、越後滝谷(えちご たきや)、越後川口(えちご かわぐち)の各駅、飯山線の越後川口駅、越後線の寺泊(てらどまり)、桐原(きりはら)、小島谷(おじまや)、妙法寺(みょうほうじ)の各駅がある。

 長岡市の中心ターミナル駅は長岡駅で、JR東日本の上越新幹線・信越本線・上越線の各列車が発着している。3階にある上越新幹線の高架ホームは、雪の防ぐためのシェルターで覆われ、相対式ホームの2面4線(中間が通過線)の構造となっていて、将来的にはホームの両側を増線して2面6線にできる設計となっている。これは羽越新幹線構想の余地を残すためだが、現在の需要では、建設されることはなさそうだ。上越新幹線は昭和57年(1982年)に開業し、東京への所要時間を飛躍的に短縮させた。開業時は、東京から北陸方面へ向かう最短ルートとして、長岡で上越新幹線から特急「北越」「かがやき」などに乗り継ぐ旅客が多かった。しかし、平成9年(1997年)に北越急行ほくほく線が開業すると、北陸への最短ルートは、越後湯沢で上越新幹線から特急「はくたか」へ乗り換えるルートが主流となり、長岡は東京~北陸のルートから外れることになった。現在は上越新幹線「とき」のほとんどが停車する。

 在来線は地平で、一部ホームは上越新幹線の高架下にホームがある。信越本線は、かつては新潟~長岡~富山~金沢を結ぶ特急「北越」が走っていたが、平成27年(2015年)の北陸新幹線開業により、特急「北越」は廃止され、新潟~長岡~直江津~上越妙高を結ぶ特急「しらゆき」が運行されるようになった。普通電車は長岡~新潟は新潟への通勤路線として運転本数も多い。上越線は一つ先の宮内駅から分岐しているが、全列車が長岡駅に乗り入れている。このほか、かつては越後交通の栃尾線が乗り入れ、旧・栃尾市の栃尾(とちお)まで結んでいたが、昭和50年(1975年)に廃止された。

 長岡駅は、上越新幹線の駅ホームの高架下を活用した駅ビルに「CoCoLo長岡」などの商業施設が入る。新幹線側(西側)の出口は大手口で、その西側にはバスターミナルが広がり、そこからメインストリートの大手通りが伸びている。大手通りは、雪国ならではの雪対策が施されており、雁木(がんぎ)の知恵を活用したアーケードが続く商店街となっている。

 長岡の中心部は、長岡藩・長岡城の城下町として発展した。長岡城は幕末の1868年(慶応4年)、戊辰戦争の北越戦争で戦闘となり、長岡城の大半が焼失した。明治時代に入り、長岡城は廃城となり、本丸跡に長岡駅が建設された。そして二の丸跡などは市街地となり、長岡城の痕跡はほとんどなくなっている。

 長岡市では長岡市南部で大きな被害が出た平成16年(2007年)の新潟県中越地震と、平成大合併による市域拡大により、それまで空洞化が進んでいた長岡駅周辺の再開発を進め、平成21年(2009年)に閉館した旧・二の丸の長岡市厚生会館の跡地を再開発し、ここに長岡市役所、アリーナ、市民交流ホール、広場「ナカドマ」などからなる長岡市シティホールプラザ「アオーレ長岡」が平成24年(2012年)に完成した。「アオーレ長岡」は、建築家の隈研吾(くま けんご)が「まちの中土間」をコンセプトに長岡城の市松模様をデザインに取り入れた斬新な建築で、長岡市の新しい象徴となっている。「アオーレ長岡」の「アオーレ」は、「会いましょう」の新潟・長岡方言の「会おうれ」の意味が込められている。

長岡エリアの主な駅

長岡 / ながおか 駅
JR東日本 上越新幹線、信越本線、(上越線)

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上越新幹線・長岡駅に到着する「Maxとき」

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上越新幹線の高架下の長岡駅ホーム

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信越本線・長岡駅

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長岡駅大手口

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長岡駅前

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長岡・大手通り

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アオーレ長岡

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アオーレ長岡

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長岡駅東口

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新潟・上越 高田城と直江津港、北陸新幹線が通る上越地方の中心都市

上越
じょうえつ

日本国新潟県上越市

新潟・上越 高田城と直江津港、北陸新幹線が通る上越地方の中心都市

 上越(じょうえつ)市は、新潟(にいがた)県の南西部にある人口約20万人の市で、県内では新潟市、長岡(ながおか)市に次ぐ第3の人口を擁する上越地方の中心都市である。西が糸魚川(いといがわ)市、南が妙高(みょうこう)市と長野県飯山(いいやま)市、東が十日町(とおかまち)市、柏崎(かしわざき)市と接している。

 上越市は昭和46年(1971年)に高田(たかだ)市と直江津(なおえつ)市が合併して発足した。平成17年(2005年)には、周辺の東頸城(ひがしくびき)郡の安塚(やすづか)街、浦川原(うらがわら)村、大島(おおしま)村、牧(まき)村、中頸城郡の柿崎(かきざき)町、大潟(おおがた)町、吉川(よしかわ)町、板倉(いたくら)町、頚城(くびき)村、中郷(なかごう)村、清里(きよさと)村、三和(さんわ)村、西頸城郡の名立(なだち)町を合併して現在の市域となった。

 新潟県の旧国名である越後国(えちごのくに)は、南から北へ上越(じょうえつ)、中越(ちゅうえつ)、下越(かえつ)と地域が分けられ、上越は上越市、中越は長岡市、下越は新潟市をそれぞれ中心都市として発展している。特に上越は越後国の国府が置かれた古都であり、春日山城や高田城の城下町として栄えた。一方、直江津は関川が注ぐ河口の町で、北前船が立ち寄る港町として発展した。

 関東から新潟を結ぶ上越(じょうえつ)新幹線などの「上越」は、群馬県を意味する「上野」(こうずけ)と、新潟県を意味する「越後」(えちご)を合わせたものであり、越後の中の「上越」「中越」「下越」とは意味が異なる。平成27年(2015年)に北陸新幹線が開業し、上越市内に上越妙高(じょうえつみょうこう)駅が開設されたが、この駅名決定までにはいろいろ議論があった。それは上越新幹線は上越市を通らず、北陸新幹線に「上越」が付く駅ができることで旅客の混乱を招くというものだった。

 そこで、上越市でも市名改名を求める動きがあって、「頸城野(くびきの)市」などの候補も検討されたことがある。北陸新幹線の駅名も慎重に検討された結果、上越市と近接する妙高市の双方に配慮して「上越妙高」駅となった。上越新幹線との混乱を招く点は結局改善されていない。一方、上越新幹線こそ改名すべきだとして、「新潟新幹線」や「関越新幹線」に改名してはどうかという意見もある。関越自動車道もあるので、「関越新幹線」への改名はよいアイデアだと思う。

 上越市は市域が広く、鉄道の路線や駅もたくさんある。北陸新幹線の上越妙高駅はJR東日本とJR西日本の境界となっている。JR東日本はこのほか信越本線の直江津、黒井(くろい)、犀潟(さいがた)、土底浜(どそこはま)、潟町(かたまち)、上下浜(じょうげはま)、柿崎(かきざき)の各駅がある。犀潟駅からは北越急行ほくほく線が分岐し、くびき、大池いこいの森(おおいけいこいのもり)、うらがわら、虫川大杉(むしがわおおすぎ)、ほくほく大島(ほくほくおおしま)の各駅がある。

 直江津駅より南へ長野方面へは、JR東日本の信越本線であったが、平成27年(2015年)の北陸新幹線開業を機に新潟県内の区間が「えちごトキめき鉄道」妙高はねうまラインに移管され、市内に春日山(かすがやま)、高田、南高田(みなみたかだ)、上越妙高の各駅と妙高市を経由してその先に二本木(にほんぎ)駅がある。

 直江津から富山、金沢方面を結ぶJR西日本の北陸本線も、北陸新幹線開業を機にJRから切り離され、新潟県内の区間は「えちごトキめき鉄道」日本海ひすいラインとなった。市内には谷浜(たにはま)、有間川(ありまがわ)、名立(なだち)の各駅がある。

 上越市には、新潟から富山・金沢を結ぶ特急「北越」が走り、東京から金沢へ向かうには上越新幹線の長岡駅から特急「北越」を利用すると便利だった。北越急行ほくほく線が平成9年(1997年)に開業すると、同線経由で越後湯沢駅から金沢を結ぶ特急「はくたか」が北陸への最速アクセスとなり、ほくほく線は関東から北陸を結ぶ大動脈となった。そして、平成27年(2015年)に北陸新幹線が開業すると、「はくたか」は北陸新幹線の列車名として引き継がれ、速達タイプの列車は「かがやき」となった。北陸新幹線の開業で、北陸本線は特急街道からローカル線の日本海ひすいラインとなった。ほくほく線も大動脈としての役割は終え、旧・頸城村、浦川原村、大島村などの雪深い過疎地と上越市中心部を結ぶ地方輸送の役割を担うローカル線に生まれ変わった。

 上越市を南北に走る妙高はねうまラインは、上越市の鉄道交通の要衝である直江津駅を起点に、上越市役所がある春日山駅、高田地区の中心駅である高田駅、北陸新幹線との乗換え駅である上越妙高駅などを結んでいる。また、旧・中郷村の二本木駅は珍しいスイッチバックの駅としても知られている。上越妙高駅は旧・脇野田(わきのだ)駅を移設し、北陸新幹線の新駅に連絡するために設置された。上越市の中心部ではないため、妙高はねうまラインが高田、直江津方面を結ぶ利用価値が高まり、新潟から信越線を走る特急「しらゆき」も上越妙高やその先の新井(あらい)まで乗り入れるようになった。また、ほくほく線の電車も一部が妙高はねうまラインに乗り入れている。北陸新幹線の上越妙高駅は「はくたか」が停車し、速達タイプの「かがやき」は通過する。

 道路交通は、海沿いを国道8号線、長野方面へ国道18号線が伸びている。また、高速道路は北陸自動車道と上信越自動車道が上越JCT(ジャンクション)で連絡しており、北陸自動車道は名立谷浜IC(インターチェンジ)、上越IC、大潟PA(パーキングエリア)、柿崎ICがあり、上信越自動車道は上越高田IC、中郷ICがある。このほか、直江津港からは佐渡(さど)の小木港への高速カーフェリーが運航されている。
 
 上越市は、妙高山に近い市南部が豪雪地帯であり、金谷山は日本スキー発祥の地としても知られている。また、春日山城の城主だった戦国武将の上杉謙信(うえすぎ けんしん)、上杉家の家老である直江兼続(なおえ かねつぐ)、高田藩の初代藩主である松平忠輝(まつだいら ただてる)などが有名である。

上越エリアの主な駅

上越妙高 / じょうえつみょうこう 駅
JR東日本 JR西日本 北陸新幹線
えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン

直江津 / なおえつ 駅
JR東日本 信越本線、(北越急行ほくほく線)
えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン、日本海ひすいライン

高田 / たかだ 駅
えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン

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北陸新幹線・上越妙高駅

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北陸新幹線・上越妙高駅付近の車窓

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上越妙高駅に移転前の旧・脇野田駅

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建設中のときの妙高はねうまライン上越妙高駅

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上越妙高駅の駅舎

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直江津駅から長野を結んでいた国鉄特急車両の快速「妙高」

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直江津駅に停車していた北越急行経由の特急「はくたか」

 

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石川 金沢・香林坊 金沢最大の繁華街

金沢・香林坊
かなざわ・こうりんぼう

日本国石川県金沢市

石川 金沢・香林坊 金沢最大の繁華街

 香林坊(こうりんぼう)は、金沢(かなざわ)市の中心部にある地区で、金沢最大の繁華街となっている。

 国道157号線と金沢市役所、兼六園方面に伸びる「百万石通り」(ひゃくまんごくどおり)との分岐点が香林坊交差点で、石川県中央公園、金沢市役所、金沢21世紀美術館、四高記念文化交流館、石川県政記念しいのき迎賓館(旧・石川県庁)、金沢城なども近い。

 「香林坊」という地名は、もともと比叡山(ひえいざん)の僧であった香林坊が還俗して、目薬の製造・販売で成功したというのを由来とする説がある。

 香林坊は金沢城に近いことから、市街地が発展し、明治時代に入ると旧制第四高等学校ができたことから、それ以来、喫茶店や映画館など学生向けの店が増え、若者が集まる繁華街となった。

 近年は再開発が進み、香林坊交差点周辺には、「香林坊アトリオ」(香林坊大和)や「KOHRINBO 109」などの商業施設が集まり、「金沢エクセルホテル東急」や「東横イン金沢兼六園香林坊」などのホテルもある。「KOHRINBO 109」の西側には小川が流れていて、周辺の古い街並みとよく合っていて美しい。

 そのほか、香林坊から北へ進んでいくと「南町」(みなみちょう)というエリアで、石川県を代表する地方紙である「北國新聞」(ほっこく しんぶん)の本社および「北國新聞赤羽ホール」などがあるほか、この周辺は金融・オフィス街となっている。また、東側の尾山町には、加賀藩の藩祖である前田利家(まえだ としいえ)を主祭神とする尾山神社(おやま じんじゃ)がある。

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香林坊アトリオ

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「KOHRINBO 109」の裏を流れる川

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尾山神社


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