奈良・大和高田 奈良盆地中西部の繊維工業都市

大和高田
やまとたかだ

日本国奈良県大和高田市

奈良・大和高田 奈良盆地中西部の繊維工業都市

 大和高田(やまとたかだ)市は、奈良(なら)県中西部にある人口約6万人の市。東が橿原(かしはら)市、南が御所(ごせ)市、南西が葛城(かつらぎ)市、北西が香芝(かしば)市、北が北葛城(きたかつらぎ)郡の広陵(こうりょう)町と接している。
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 大和高田市は、奈良盆地の中西部にあり、葛城(かつらぎ)地区の中心都市として発展している。かつては市域の多くが葛下郡(かつらぎしものこおり)に属し、古墳時代には第23代顕宗(けんぞう)天皇が埋葬されていると推定される築山古墳(磐園陵墓参考地)が市北西部にある。15世紀には当麻氏によって高田城が築城され、江戸時代は大和新庄藩の一部となったが、後に天領となった。

 高田町が昭和23年(1948年)に市制を施行した際、すでに新潟県に高田市(現・上越市)があったことから、旧国名の「大和」をつけて「大和高田市」となった。

 大和高田市には、近畿日本鉄道(近鉄)大阪線と南大阪線、JR西日本の和歌山線と桜井線(万葉まほろば線)が通り、近鉄大阪線の築山(つきやま)、大和高田、松塚(まつづか)、近鉄南大阪線の高田市(たかだし)、浮孔(うきあな)、JR和歌山線・桜井線の高田の各駅がある。

 最も早く開通したのはJR和歌山線で、明治24年(1891年)にその前身の大阪鉄道の高田~王寺(おうじ)が開業し、翌年に大阪鉄道によって桜井線の高田~桜井(さくらい)が開業した。さらに明治29年(1896年)にJR和歌山線の前身である南和鉄道の高田~葛(現・吉野口)が開業した。明治33年(1900年)に大阪鉄道は関西鉄道になり、明治37年(1904年)に南和鉄道が関西鉄道に編入され、明治40年(1907年)に関西鉄道が国有化され、国鉄和歌山線と桜井線になった。

 JR和歌山線は、高田から王寺を経由して関西本線(大和路線)の天王寺(てんのうじ)やJR難波(JRなんば)まで直通運転する電車も朝夕を中心に運行されており、大阪方面への通勤も便利である。高田から南は和歌山線と万葉まほろば線が分かれ、和歌山線は御所、吉野口(よしのぐち)、五条(ごじょう)方面、万葉まほろば線は畝傍(うねび)、桜井、天理(てんり)、奈良方面を結んでいる。

 近鉄大阪線の大和高田駅は、JR高田駅の約400m北にある。近鉄大阪線は、大正14年(1925年)に高田~八木(やぎ)に大阪電気軌道(大軌)の路線として開通し、昭和2年(1927年)に大阪方面につながった。一方、大阪鉄道(大鉄)が昭和4年(1929年)に近鉄南大阪線の前身の路線を開通させ、JR高田駅の約1キロ南に高田町駅(現・高田市駅)を開設した。大阪電軌と大鉄は吉野へのアクセス面でもライバルとなり、大軌が同年、吉野鉄道(現・近鉄吉野線)を買収し、大軌は戦時中の昭和16年(1941年)に大軌と参宮急行電鉄(参急)が合併して関西急行鉄道(関急)となり、さらに昭和18年(1943年)に関急が大鉄(南大阪線)を合併して昭和19年(1944年)に近畿日本鉄道(近鉄)となったのだった。

 近鉄大阪線・大和高田駅は、準急、急行、快速急行および一部の特急が停まる主要駅で、大阪方面へ通勤する住民も多い。駅の西側に飲食店が並ぶ商店街があるほか、駅前のバスターミナルの東側に「オークタウン大和高田」という商業施設があった。ここは、もともと繊維メーカーのユニチカ高田工場があったが、繊維工場の中国進出が進んで閉鎖され、その跡地に昭和50年(1970年)にオープンした。しかし、オープンから40年以上が経ち、建物が老朽化したため、平成29年(2017年)に建て替えが始まった。

 JR高田駅の南西には、「さざんかストリート」と呼ばれる天神橋筋商店街が伸びていて、付近に「さざんかホール」がある。近鉄南大阪線・高田市駅は準急、急行、特急が停車する主要駅で、高田市駅前にも商店街が伸びていて、高田市南部の商業の中心となっている。

大和高田エリアの主な駅

大和高田 / やまとたかだ 駅
近畿日本鉄道 大阪線

高田 / たかだ 駅
JR西日本 和歌山線、桜井線(万葉まほろば線)

高田市 / たかだし 駅
近畿日本鉄道 南大阪線

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近鉄大阪線・大和高田駅

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近鉄大阪線・大和高田駅

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大和高田駅前の商店街

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オークタウン大和高田

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JR高田駅

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大和高田・さざんかストリート

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大和高田・さざんかホール

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近鉄南大阪線・高田市駅

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近鉄南大阪線・高田市駅

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近鉄高田市駅前の商店街

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京都・竹田 地下鉄と近鉄が合流する竹田駅と竹田の子守唄

京都・竹田
きょうと・たけだ

日本国京都府京都市伏見区

京都・竹田 地下鉄と近鉄が合流する竹田駅と竹田の子守唄

 竹田(たけだ)は、京都(きょうと)市の伏見(ふしみ)区にある地区で、近畿日本鉄道(近鉄)京都線と京都市営地下鉄・烏丸線の竹田駅がある。

 竹田駅は2面4線のホームで、外側2線を近鉄京都線、内側2線を地下鉄烏丸線が使用している。近鉄は準急、急行も停車し、同一ホームで地下鉄烏丸線に乗り換えることができる。地下鉄烏丸線は京都駅まで近鉄京都線とルートが重なり、地下鉄烏丸線は竹田駅を出ると地下に潜り、くいな橋(くいなばし)、十条(じゅうじょう)、九条(くじょう)、京都へと続き、これらの駅は近鉄京都線の上鳥羽口(かみとばぐち)、十条、東寺(とうじ)、京都の各駅と近接しているが、烏丸線は京都駅から京都市中心部まっすぐ北へ、四条(しじょう)、烏丸御池(からすま おいけ)、今出川(いまでがわ)、北大路(きたおおじ)、国際会館(こくさいかいかん)方面へ乗り換えなしで行くことができる。

 地下鉄烏丸線が竹田まで延伸開業したのは昭和63年(1988年)のことで、一部の電車は竹田から近鉄京都線に直通運転している。烏丸線から近鉄奈良(なら)駅まで直通する急行電車もある。竹田駅の北西側には京都地下鉄烏丸線の車両基地がある。

 竹田は駅の真上を東西に名神高速道路が通り、駅の西側約300mのところを南北に阪神高速道路8号京都線が交差し、そのさらに西に名神高速の京都南IC(インターチェンジ)があり、国道1号線と連絡している。竹田駅の東側は住宅街が広がり、東高瀬川が流れている。

 竹田といえば、フォークグループの「赤い鳥」が歌ってヒットした「竹田の子守唄」の舞台として知られている。この歌は、もともと竹田地区の被差別部落に伝わる子守唄が原曲で、同地区の部落解放同盟の合唱団が歌うようになり、それが当時のフォーク歌手らに広まったようで、「赤い鳥」がレコード化し、ミリオンヒットした。ところが、被差別部落の歌が政治的に敏感であるとされ、長らく放送自粛曲にされていた。一方、台湾では日本在住の台湾人歌手ジュディ・オング(翁倩玉)によって「祈禱」(チータオ)というタイトルで中国語カバーされヒットした。自粛されていた日本では1990年代に入り、ようやく解禁され、地上波でも歌を放送するようになり、赤い鳥の元メンバーによる「紙ふうせん」でも歌い継がれ、今ではフォーク時代を代表する名曲として広く認められている。ただ、残念なのは「竹田の子守唄」のできた時代背景のためか、竹田駅周辺に「竹田の子守唄」に関する記念碑はない。歌の場所は実際には竹田駅から離れているとはいえ、被差別部落だったところもすでに再開発も進んだようなので、今の時代ならばもうそろそろ日本の歌謡史を記録する意味で「竹田の子守唄」の物語を伝える記念碑のようなものを建造してもよいのではないかと思う。

京都・竹田エリアの主な駅

竹田 / たけだ 駅
近畿日本鉄道 京都線
京都市営地下鉄 烏丸線 

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近鉄京都線と京都地下鉄烏丸線の竹田駅

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竹田駅の北に広がる京都地下鉄の車両基地

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竹田駅の近くを流れる東高瀬川

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京都・嵯峨 嵯峨天皇の大覚寺と嵯峨野観光トロッコ列車

京都・嵯峨
きょうと・さが

日本国京都府京都市右京区

京都・嵯峨 嵯峨天皇の大覚寺と嵯峨野観光トロッコ列車

 嵯峨(さが)は、京都(きょうと)市の右京(うきょう)区にある地区で、JR西日本・山陰本線(嵯峨野線)の嵯峨嵐山(さが あらしやま)駅と嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅、京福電鉄(嵐電)嵐山本線の嵐電嵯峨(らんでん さが)駅がある。

 京都を代表する観光地の一つである嵯峨と嵐山はよく混同されるが、厳密には桂川(かつらがわ)の南の西京区側が嵐山で、北の右京区側が嵯峨であり「嵯峨野」(さがの)とも呼ばれる。ところが実際には、見どころは嵯峨側に集中し、嵐電の嵐山駅や天龍寺(てんりゅうじ)、竹林の道などは嵯峨側にあり、しかも「嵐山」のイメージとして定着していることから、このエリアも含めて「嵐山」と呼ばれることが多い。

 嵯峨野は、平安時代に嵯峨天皇が離宮として嵯峨院を造営し、嵯峨天皇が崩御した後に「大覚寺」(だいがくじ)となった。大覚寺は大沢池が美しく、嵯峨天皇および歴代天皇の直筆の般若心経が収蔵されている。嵯峨の地名は、嵯峨天皇の嵯峨院に由来するもので、大覚寺周辺を嵯峨と呼ばれるようになった。

 JR西日本・山陰本線(嵯峨野線)の嵯峨嵐山駅は、明治30年(1897年)に京都鉄道の嵯峨駅として開業した(明治40年に国有化)。北約1キロに大覚寺があり、最寄り駅であるが、嵐山の象徴である渡月橋の近くに京福電鉄(嵐電)の嵐山駅が開設され、観光面では嵯峨駅は観光地の「嵐山」エリアと少し離れており、利用しにくかった。

 一方、その南を走る嵐電・嵐山本線は、明治43年(1910年)に嵐山電車軌道の嵯峨停車場前駅が開設され、大正14年(1925年)に嵯峨駅前駅となり、国鉄・嵯峨駅との乗り換えの便を図っていた。

 地味だったJR山陰本線・嵯峨駅が生まれ変わるきっかけとなったのが、平成元年(1989年)に嵯峨~保津峡(ほづきょう)~馬堀(うまほり)の保津川沿いを走る単線区間を新線トンネルにより複線化した。これにより、山陰本線の輸送力が増え、スピードアップも果たしたが、一方で景色がよかった保津川沿いの区間が廃止された。この廃線区間を観光に再活用しようと、嵯峨野観光鉄道が設立され、平成3年(1991年)から同区間をトロッコ列車が走るようになった。

 JR嵯峨駅のすぐ隣にトロッコ嵯峨駅が設けられ、嵯峨駅は嵯峨野観光トロッコ列車の乗り換え駅となった。その中で、JR嵯峨駅は平成6年(1994年)に嵯峨嵐山駅に改称され、嵐山観光の玄関駅としての知名度向上を図っている。平成23年(2011年)には、嵯峨野観光鉄道20周年を記念して、トロッコ嵯峨駅に京都をイメージした鉄道模型ジオラマの「ジオラマ・京都・JAPAN」が開設された。

京都・嵯峨エリアの主な駅

嵯峨嵐山 / さがあらしやま 駅
JR西日本 山陰本線(嵯峨野線)
トロッコ嵯峨 / トロッコさが 駅
嵯峨野観光鉄道 嵯峨野観光線

嵐電嵯峨 / らんでんさが 駅
京福電鉄(嵐電) 嵐山本線

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JR嵯峨野線・嵯峨嵐山駅

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JR嵯峨嵐山駅に隣接する嵯峨野観光鉄道トロッコ嵯峨駅

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JR嵯峨嵐山駅

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トロッコ嵯峨駅の京都をイメージした鉄道模型ジオラマ

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嵐電嵯峨駅
 

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京都・太秦 太秦広隆寺と映画村

京都・太秦
きょうと・うずまさ

日本国京都府京都市右京区

京都・太秦 太秦広隆寺と映画村

 太秦(うずまさ)は、京都(きょうと)市の右京(うきょう)区にある地区。太秦は、秦(中国)から渡来した豪族の秦(はた)氏が機(はた)織りの技術を持ち、絹の布を「うず高く」積み上げたことから、朝廷から「禹豆満佐」(うずまさ)の氏が与えられ、それが後に「太秦」と漢字が当てられ、それが地名となった。

 その秦氏の氏寺であるのが太秦の「広隆寺」(こうりゅうじ)で、平安京(へいあんきょう)の遷都より前の7世紀前半に建立された京都最古の寺と言われている。聖徳太子(しょうとくたいし)を本尊とし、霊宝殿には国宝の木造弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかぞう)が収蔵されている。

 広隆寺の楼門前には併用軌道で京福電鉄(嵐電)嵐山本線が走り、太秦広隆寺(うずまさ こうりゅうじ)駅がある。同駅は明治43年(1910年)に太秦駅として開業した駅で(大正3年~昭和19年は太子前駅)、平成19年(2007年)に太秦広隆寺駅に改称され、広隆寺の最寄り駅であることがより明確になった。

 JR西日本・山陰本線(嵯峨野線)の太秦駅は平成元年(1989年)に花園(はなぞの)~嵯峨嵐山(さが あらしやま)間に開設された。嵐電の太秦広隆寺駅からは北西に約600mほど離れている。JR太秦駅の200mほど南に嵐電の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅があり、嵐山(あらしやま)~帷子ノ辻~四条大宮(しじょう おおみや)を結ぶ嵐山本線と、帷子ノ辻~北野白梅町(きたの はくばいちょう)を結ぶ嵐電北野線が発着している。嵐電北野線には平成28年(2016年)に帷子ノ辻駅の北東約200mのところに撮影所前(さつえいしょまえ)駅が開設され、JR太秦駅との乗り換えがより近くなった。

 嵐電・撮影所前駅およびJR太秦駅は、映画スタジオである「東映京都撮影所」の最寄り駅であり、駅の東側に撮影スタジオが広がり、時代劇などのテレビドラマや映画の撮影が行われている。東映京都撮影所は大正14年(1925年)に阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所として開設され、新興キネマや大映、東横映画を経て、戦後の昭和26年(1951年)に東映京都撮影所となった。また、そのさらに東側には時代劇の世界を体験できるテーマパーク「東映太秦映画村」が京都らしい観光スポットとなっている。

 嵐電嵐山本線の蚕ノ社(かいこのやしろ)駅の四条大宮寄りの併用軌道に平成20年(2008年)に開設された嵐電天神川(らんでん てんじんがわ)駅は、同年に開業した京都市営地下鉄・東西線の太秦天神川(うずまさ てんじんがわ)駅との乗り換え駅。駅前に右京区役所がある。地下鉄東西線は、二条城(にじょうじょう)や、地下鉄烏丸線との乗り換え駅である烏丸御池(からすま おいけ)駅、京都市役所、京阪電車との乗り換えの三条京阪(さんじょう けいはん)、さらに京阪京津線に直通して大津(おおつ)市の浜大津(はまおおつ)駅まで結んでおり、京都の東西の移動が非常に便利になった。

 地下鉄東西線は今後、洛西ニュータウン方面への延伸構想があるが、膨大な建設費がかかることから計画は中断している。どうせなら、太秦広隆寺のあたりまで連絡線を造って嵐電と直通運転したほうが便利になるのではないか。京阪京津線も併用軌道があるので、嵐電もホーム延長などの改良をすればそのまま乗り入れられそうな感じもする。

京都・太秦エリアの主な駅

太秦広隆寺 / うずまさこうりゅうじ 駅
京福電鉄(嵐電) 嵐山本線

太秦 / うずまさ 駅
JR西日本 山陰本線(嵯峨野線)
撮影所前 / さつえいしょまえ 駅
京福電鉄(嵐電) 北野線
帷子ノ辻 / かたびらのつじ 駅
京福電鉄(嵐電) 嵐山本線、北野線

太秦天神川 / うずまさてんじんがわ 駅
京都市営地下鉄 東西線
嵐電天神川 / らんでんてんじんがわ 駅
京福電鉄(嵐電) 嵐山本線

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嵐電・太秦広隆寺駅

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嵐電と太秦広隆寺の楼門

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嵐電・帷子ノ辻駅

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嵐電・帷子ノ辻駅

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嵐電・帷子ノ辻駅

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嵐電天神川駅

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京都地下鉄東西線・太秦天神川駅

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京都・東寺 五重塔が美しい真言宗の東寺

京都・東寺
きょうと・とうじ

日本国京都府京都市南区

京都・東寺 五重塔が美しい真言宗の東寺

 東寺(とうじ)は、京都(きょうと)市の南(みなみ)区にある真言宗(しんごんしゅう)の寺院であり、近くに近畿日本鉄道(近鉄)京都線の東寺駅と、京都市営地下鉄烏丸線の九条(くじょう)駅がある。

 東寺は、平安京(へいあんきょう)遷都後まもない796年(延暦15年)、桓武(かんむ)天皇によって建立された。東寺は平安京鎮護のために建立された寺院で、平安京のメインストリートである朱雀大路(すざくおおじ/現在の千本通)が九条通と交わるところにあった羅城門(らじょうもん)の東に東寺、西に西寺(さいじ)が建てられた。西寺は現存せず、跡地は唐橋西寺公園となっている。

 東寺は、823年(弘仁14年)に嵯峨天皇より真言宗の宗祖である空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場となった。薬師如来(やくしにょらい)を本尊とし、金堂や講堂、五重塔、都七福神毘沙門堂などの建物があり、特に東海道新幹線からも見える五重塔は美しく、京都のシンボル的存在である。金堂および講堂の中の仏像も厳かで美しい。東寺は平成6年(1994年)に世界遺産に登録され、外国人観光客も多く訪れる京都観光の定番スポットとなっている。

 東寺の最寄り駅は、東寺から九条通を約300m東に近鉄京都線の東寺駅がある。東寺駅は2面2線の高架駅で、普通のほか準急と急行が停車する。東寺駅から九条通をさらに東へ約500m行ったところある烏丸通との交差点の地下には地下鉄烏丸線・九条駅がある。九条通には東山通(東福寺、京都国立博物館、清水寺、祇園、八坂神社、平安神宮)、丸太町通(京都御苑、丸太町駅)、西大路通(円山駅、西大路御池駅、西院駅、西大路駅)を経て九条通に戻る202番バスが走っており、京都環状線の役割を果たしており、京都観光に利用しやすい。

京都・東寺エリアの主な駅

東寺 / とうじ 駅
近畿日本鉄道 京都線

九条 / くじょう 駅
京都市営地下鉄 烏丸線

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東寺・五重塔

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東寺・五重塔

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東寺の門

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東寺・金堂

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都七福神・毘沙門堂

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近鉄京都線・東寺駅

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京都・桂 嵐山線が分岐する阪急桂駅と桂離宮

京都・桂
きょうと・かつら

日本国京都府京都市西京区

京都・桂 嵐山線が分岐する阪急桂駅と桂離宮

 桂(かつら)は、京都(きょうと)市の西京(にしきょう)区にある地区で阪急電鉄・京都本線と嵐山線の桂駅がある。

 桂駅は3面6線のホームを持つ地平の駅で、2面4線を京都線、1面2線を嵐山線が使用しているほか、西側と北側に車庫が広がっている。かつては特急が通過していたが、現在は特急や快速特急も停車する。また、嵐山線は桂~嵐山(あらしやま)の折り返し運転であるが、春や秋の行楽シーズンには大阪方面から嵐山線直通の臨時特急も運行されている。

 桂駅の周辺は住宅街が広がっている。大きな商業施設はなく、周辺の道路も広くないが、ライバル路線の駅が近くにないため、桂駅の利用者は多い。桂駅の南東側には西本願寺西山別院がある。また、桂駅から東へ約800mほど、桂川(かつらがわ)のそばに宮内庁が管理する「桂離宮」(かつらりきゅう)がある。

 桂駅の南の京都市南区との境に陸上自衛隊桂駐屯地があり、その南側にはかつてキリンビール京都工場があったが、その跡地を「京都桂川つむぎの街」として再開発され、平成26年(2014年)に「イオンモール京都桂川」がオープンした。この西側には阪急京都線の洛西口(らくさいぐち)駅が平成15年(2003年)に開業、続いて平成20年(2008年)にJR西日本・京都線(東海道本線)に桂川駅が開業し、桂地区の新しい商業の拠点となり、桂地区の西にある洛西(らくさい)ニュータウンからのバスのアクセスもよくなり、桂川駅の開業で阪急とJRの集客競争が激しくなってきている。

桂エリアの主な駅

/ かつら 駅
阪急電鉄 京都本線、嵐山線

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阪急・桂駅

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阪急・桂駅

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嵐山線を走る元京都線特急車両

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京都・西院 淳和天皇離宮の「さい」

京都・西院
きょうと・さい

日本国京都府京都市右京区、中京区

京都・西院 淳和天皇離宮の「さい」

 西院(さい)は京都(きょうと)市の右京(うきょう)区と中京(なかぎょう)区にまたがるエリアで、京福電気鉄道・嵐山本線(嵐電)の西院(さい)駅と、阪急電鉄・京都本線の西院(さいいん)駅がある。

 「西院」は「さい」と読むのが伝統的な呼び方で、「西院」とは、平安時代の823年(天長元年)~833年(天長10年)に天皇に在位した淳和(じゅんな)天皇の離宮の淳和院(じゅんないん)のことで、淳和天皇が別名「西院天皇」と呼ばれたことから淳和院も「西院」(さい)と呼ばれるようになった。淳和院は現存しないが、西院駅近くの右京四条二坊にあった。

 嵐電の西院駅は、中京区の壬生(みぶ)側に明治43年(1910年)に開業している。西大路三条(にしおおじ さんじょう)~西院~四条大宮(しじょう おおみや)は専用軌道の区間であるが、西院駅のすぐ北で四条通を横断する。

 一方、阪急の西院駅は、「さいいん」駅と難読地名を避けた音読みを採用している。理由は明確ではないが、外来人口が増えて「西院」を「さい」ではなく「さいいん」と読む人が増えたからではないかという説もある。阪急西院駅は2面2線の地下ホームで、昭和3年(1928年)に開業。昭和6年(1931年)に地下化され、四条通を東へ大宮(おおみや)へ延伸。さらに後に河原町(かわらまち)まで延伸された。阪急西院駅は以前は通過電車が多かったが、現在は特急、快速特急のみが通過し、普通のほか準急、快速、快速急行、通勤特急なども停車するようになった。

 西院駅の周辺には、京都外国語大学や島津製作所本社(西大路三条、西大路御池駅のほうが近い)などがあるほか、西大路を走るバスに乗換えて立命館大学衣笠キャンパスや金閣寺(きんかくじ)方面に行くこともできる。

京都・西院エリアの主な駅

西院 / さい 駅
京福電気鉄道(嵐電) 嵐山本線
西院 / さいいん 駅
阪急電鉄 京都本線

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嵐電・西院駅

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四条通を横断する嵐電

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阪急京都線・西院駅

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阪急京都線・西院駅

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京都・長岡京 幻の都「長岡京」と長岡天神と光明寺

長岡京
ながおかきょう

日本国京都府長岡京市

京都・長岡京 幻の都「長岡京」と長岡天神と光明寺

 長岡京(ながおかきょう)市は、京都(きょうと)府の中南部にある人口約8万人の市。南が乙訓(おとくに)郡の大山崎(おおやまざき)町、東が向日(むこう)市、北が京都市西京(にしきょう)区、西が大阪府三島(みしま)郡の島本(しまもと)町と接している。

 長岡京市は、かつて784年(延暦3年)に奈良の平城京から遷都された「長岡京」が10年間にわたり置かれたところ。平城京の肥大化により、水運の不便さが都の発展の妨げになると考えた桓武(かんむ)天皇の勅命で、山城国(やましろのくに)の桂川(かつらがわ)、宇治川(うじがわ)、木津川(きづがわ)が合流して淀川(よどがわ)がなる地点に近い長岡京に移転したものであるが、遷都後まもなく洪水など不吉なことが続き、長岡京は遷都からわずか10年の794年(延暦13年)に北東の「平安京」へ遷都され、満洲国よりも短命に終わっている。

 実際の長岡京は、長岡京市の市域よりも広く、向日市や大山崎町にもまたがっており、宮殿は向日市側にあった。長岡京は西山(にしやま)からの豊かな地下水があり、井戸も発達し、長岡京市のあたりは長岡京の市街地として栄えた。

 長岡京市は、昭和24年(1949年)に新神足(しんこうたり)村、海印寺(かいいんじ)村、乙訓(おとくに)村が合併して長岡(ながおか)町となり、昭和47年(1972年)に長岡町が市制を施行する際に、新潟県長岡市と区別するために「京」をつけて「長岡京」市が誕生した。

 市内の交通は、JR西日本・東海道本線(京都線)の長岡京(ながおかきょう)駅、阪急電鉄・京都本線の長岡天神(ながおかてんじん)駅と西山天王山(にしやま てんのうざん)駅がある。

 JR長岡京駅は、昭和6年(1931年)の駅開設時には神足(こうたり)駅であった。長岡京市の市街地からはやや東に離れており、村田製作所本社やニチユ三菱フォークリフトなどの工場の最寄り駅で、平成7年(1995年)に神足駅から長岡京駅に改称され、快速停車駅に格上げされ、駅西側も再開発されて、阪急電車との競争が激しくなっている。

 阪急京都線・長岡天神駅は、「天神さん」と親しまれている長岡天満宮(長岡天神)の最寄り駅で、長岡京市役所の最寄り駅でもある。2面4線のホームがあり、急行停車駅であったが、JR長岡京駅を意識して平成13年(2001年)から特急も停車するようになった。

 長岡天満宮は、長岡天神駅から西へ約300mのところにある。長岡京の南西の外れに位置し、長岡京の時代に創建されたのではなく、平安時代に菅原道真(すがわら の みちざね)が九州の大宰府(だざいふ)に左遷された際に、長岡のこの地に立ち寄り、名残惜しんだとされる。道真自作の木像が道真の死後に祀られたのが長岡天満宮の始まりとされ、徐々に篤く信仰されるようになり、規模が大きくなり、江戸時代の1638年(寛永15年)に八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)により「八条ヶ池」(はちじょうがいけ)が築造された。八条ヶ池には水上橋があり、ツツジが咲く庭園が美しい。本殿は、昭和16年(1941年)に京都市の平安神宮から移築されたものである。

 長岡天満宮から北西へ約3キロのところにある「光明寺」(こうみょうじ)は、西山浄土宗の総本山で、1198年(建久9年)に創建され、阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊とする。法然(ほうねん)初めて「念仏」(ねんぶつ)の教えを説いたとされている。ここは参道が美しく、秋の「紅葉」の名所の一つとして知られている。

 大山崎町との境近くに設置された阪急・西山天王山駅は、平成25年(2013年)に開設された新しい駅で、京都縦貫自動車道の長岡京IC(インターチェンジ)があり、高速長岡京バスストップも併設されている。大山崎町側には名神高速道路と京都縦貫自動車道、京滋バイパスの大山崎JCT(ジャンクション)があり、道路交通の結節点となっている。京滋バイパスは京都市中心部を通らない名神高速の迂回バイパスとして渋滞緩和に寄与している。「山崎」ウイスキーで知られるサントリーのウイスキー工場は大山崎町にあるが、サントリーの京都ビール工場が長岡京市側にあり、西山天王山駅からも近い。

長岡京エリアの主な駅

長岡天神 / ながおかてんじん 駅
阪急電鉄 京都本線

長岡京 / ながおかきょう 駅
JR西日本 東海道本線(京都線)

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長岡天満宮の鳥居

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長岡天満宮の八条ヶ池

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長岡天満宮の八条ヶ池

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長岡天満宮の参道

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長岡天満宮の本殿

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光明寺の門

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光明寺の参道

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光明寺

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奈良・生駒 生駒山地に開発された都市

生駒
いこま

日本国奈良県生駒市

奈良・生駒 生駒山地に開発された都市

 生駒(いこま)市は、奈良(なら)県北西部にある人口約12万人の市。南が生駒郡平群(へぐり)町、東が大和郡山(やまとこおりやま)市、奈良市、北東が京都府の相楽(そうらく)郡精華(せいか)町、京田辺(きょうたなべ)市、北が大阪府の枚方(ひらかた)市、交野(かたの)市、西が四条畷(しじょうなわて)市、大東(だいとう)市、東大阪(ひがしおおさか)市などと接している。

 生駒市は、奈良県と大阪府の境となっている生駒山地の東側に広がり、平地が極めて少ないが、大阪市と奈良市の中間に位置することから、大阪や奈良方面へ通勤する人が多く、生駒は交通の要衝でもあり、都市化が進んでいる。

 生駒市には近畿日本鉄道(近鉄)の奈良線、生駒線、けいはんな線、生駒鋼索線が走っており、生駒駅がこれらの鉄道交通の拠点となっている。

 近鉄奈良線は市内に生駒駅と東生駒(ひがしいこま)駅があり、生駒駅は3面6線のホームがあり、その中央のホームを奈良線が使用しており、南側が生駒線、北側がけいはんな線となっている。奈良線の生駒駅には準急、急行、快速急行、特急など全列車が停車する。生駒駅では追い抜きできないため、奈良寄りの東生駒駅と、大阪寄りの石切(いしきり)駅で普通電車の追い抜きを行っている。

 近鉄奈良線は大正3年(1914年)に大阪・上本町(うえほんまち)~奈良を結ぶ大阪電気軌道の路線として開業し、生駒駅が設置された。生駒から大阪方面へは生駒トンネル(約3.4キロ)で生駒山を抜けていた。大阪電気軌道は戦時中に関西急行鉄道に再編され、さらに昭和19年(1944年)に近畿日本鉄道(近鉄)に統合された。戦後、高度成長で近鉄奈良線の需要が急激に増加し、大型の通勤電車の運行を可能にするため、生駒トンネルの南側に新たに新生駒トンネルが掘られ、昭和39年(1964年)に開通した。昭和45年(1970年)には難波線が開業し、大阪難波(なんば)駅に乗り入れるようになり、平成21年(2009年)には難波駅が阪神なんば線とつながり、尼崎(あまがさき)や神戸・三宮(さんのみや)方面へ直通運転するようになった。

 近鉄生駒線は、生駒駅から南下し、奈良県三郷(さんごう)町のJR大和路線(関西本線)と連絡する王寺(おうじ)駅を結ぶ路線で、信貴生駒電鉄として昭和元年(1926年)に生駒駅まで開業した。信貴生駒電鉄は奈良線の新生駒トンネルが開業した昭和39年(1964年)に近鉄に合併され、近鉄生駒線となった。生駒線は生駒山地の東側の竜田川(たつたがわ)沿いに走り、平群(へぐり)、信貴山下(しぎさんした)、王寺などを結んでおり、生駒市内には、生駒、菜畑(なばた)、一分(いちぶ)、南生駒(みなみいこま)、萩の台(はぎのだい)、東山(ひがしやま)の各駅がある。

 近鉄けいはんな線は、混雑の激しい近鉄奈良線のバイパス路線として建設され、昭和61年(1986年)に生駒駅から東大阪市の長田(ながた)駅まで近鉄東大阪線として開業し、長田から大阪市営地下鉄・中央線と直通運転を開始した。生駒駅から新石切駅まで新たにトンネルが掘られたが、生駒側の入口付近が旧・生駒トンネルが再利用されている。同線は近鉄の路線ではあるが、地下鉄中央線が第三軌条方式で建設され、その規格に合わせて建設されたので、架線式の近鉄奈良線とは直通運転ができない。しかも急行が走る奈良線に比べ、各駅停車のみの近鉄東大阪線はスピード面でも値段面でも奈良線より劣っているので、効率よく奈良線のバイパスとして機能しているとは言い難い。せめて新石切駅の待避線を効率よく活用して森ノ宮(もりのみや)のあたりまで急行運転をしてほしい。

 近鉄東大阪線はその後、京阪奈ニュータウン・学研都市の開発と合わせて計画された京阪奈新線と一体化することになり、平成18年(2006年)に生駒~奈良学研登美ヶ丘(ならがっけんとみがおか)が開業し、東大阪線は「けいはんな線」と改称された。生駒市内には白庭台(しらにわだい)、学研北生駒(がっけん きたいこま)の各駅が開設された。奈良線の東生駒駅の北側には、けいはんな線の駅は設置されなかったが、けいはんな線の車両基地がある。

 生駒駅からは「生駒ケーブル」とも呼ばれる近鉄鋼索線の鳥居前(とりいまえ)駅が隣接していて、ここからケーブルで、生駒山上(いこまさんじょう)へ向かうことができる。生駒ケーブルは、宝山寺線と山上線があり、鳥居前駅からまず宝山寺線のケーブルカーで宝山寺(ほうざんじ)駅へ向かい、そこで山上線のケーブルカーに乗り換える。山上線は梅屋敷(うめやしき)、霞ヶ丘(かすみがおか)、生駒山上の各駅がある。宝山寺線は複線で、1号線は猫型の「ミケ」と犬型の「ブル」が走っていて生駒山への観光客を楽しませているほか、2号線は昔ながらのレトロなツートンカラーのケーブルカーが走り続けている。

 生駒市は生駒山地にあるため、大阪への道路交通は山を越える必要がある。古くからの奈良街道であった国道308号線は暗峠(くらがりとうげ)が石畳になっていたりと、実質的には登山ハイキング道であり、幹線道路としての国道の役割を果たしていない。奈良から大阪へ向かう一般道路の幹線は阪奈道路であるが、山越えのため急カーブが非常に多い、生駒市北部から四条畷市へ清滝峠をトンネルで抜ける国道163号線も奈良と大阪を結ぶ重要な道路である。平成9年(1997年)に実質的な高速道路である第二阪奈有料道路の阪奈トンネルが開通し、大阪方面への道路交通がかなり便利になった。

生駒エリアの主な駅

生駒 / いこま 駅
近畿日本鉄道 奈良線、生駒線、けいはんな線
鳥居前 / とりいまえ 駅
近畿日本鉄道 生駒ケーブル宝山寺線
 
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近鉄生駒駅の奈良線と生駒線

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近鉄けいはんな線・生駒駅に乗り入れる地下鉄中央線

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近鉄生駒駅

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生駒駅に隣接する生駒ケーブル鳥居前駅

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鳥居前駅の宝山寺線ケーブルカー「ミケ」

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鳥居前駅の宝山寺線ケーブルカー

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生駒ケーブル宝山寺線の眺め

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京都・蹴上 琵琶湖疏水インクラインと蹴上浄水場

京都・蹴上
きょうと・けあげ

日本国京都府京都市東山区、左京区、山科区

京都・蹴上 琵琶湖疏水インクラインと蹴上浄水場

 蹴上(けあげ)は、京都(きょうと)市の東山(ひがしやま)区にある地区で、京都市営地下鉄東西線の蹴上駅がある。駅の北東の南禅寺(なんぜんじ)側は左京(さきょう)区、駅の南の九条山(くじょうやま)側は山科(やましな)区となる。

 「蹴上」の地名の由来はさまざまな説があり、源義経(みなもとの よしつね)が京都を脱出した際に平家の武士らとすれ違い、そのときに平家の武士が湧水を蹴り上げた水が源氏にかかり、それが発端で源氏が平家の武士を惨殺したという説や、罪人を蹴り上げて九条山の刑場へ連れて行ったという説など、いずれもおっかない昔話が地名の由来となっている。

 蹴上駅は、南禅寺や哲学の道、京都市動物園、京都市国際交流会館、日向大神宮(ひむかい だいじんぐう)などの最寄り駅であり、駅前には「ウェスティン都ホテル京都」がある。

 滋賀県の琵琶湖(びわこ)の水を京都市内へ流し、水道、灌漑、水運、発電などに利用するための琵琶湖疏水が明治18年(1885年)に着工され、5年後の明治23年(1890年)に竣工した。琵琶湖疏水は琵琶湖から京都市内を通って宇治川へ抜ける運河ではあるが、山を抜けるためにトンネルが掘られ、高低差があることから、船を積んだまま移動できるケーブルカーのような「インクライン」が蹴上に設けられた。

 蹴上には、水流の高低差を利用した水力発電所である蹴上発電所が明治24年(1891年)に開設され、その電力を利用した路面電車が走るようになり、さらに電力と水道のさらなる整備のため第二疎水が明治45年(1912年)に完成し、蹴上浄水場が開設された。

 蹴上インクラインは、京都と琵琶湖を結ぶ水運を支えたが、鉄道や道路交通の発達で輸送量が減少し、戦後まもない昭和23年(1948年)にその役目を終え、現在は琵琶湖疏水記念館とともにその跡地が保存され、京都の産業近代化の歴史を伝えている。

 琵琶湖疏水の水力発電を用いた京都市電の前身の京都電気鉄道は、明治28年(1895年)に二条通から南禅寺まで鴨東線が開業し、明治40年(1907年)に南禅寺から蹴上まで延伸された。同線は、戦時中の昭和20年(1945年)に休止され、昭和40年(1965年)に廃止された。

 現在、三条通の地下を走る地下鉄東西線は、平成9年(1997年)に開業したもので、それ以前は、京阪電鉄・京津線が路面電車の形で走っていた。京津線は大正元年(1912年)に京津電気軌道として開業し、大正14年(1925年)に京阪電鉄の京津線となる。戦時中の京阪神急行時代を挟んで、戦後は再び京阪京津線となり、平成9年(1997年)まで運行された。京津線は、京阪三条~山科~四宮(しのみや)~浜大津(はまおおつ)を結び、各停が京阪三条~四宮、準急が京阪三条~浜大津を走っていて、蹴上駅の電停には各停のみが停車していた。

 地下鉄の開業は京津線の三条~山科の実質的な地下化であったが、京津線が山科から一つ三条寄りの御陵(みささぎ)駅から京都地下鉄東西線に乗り入れる形となったため、京阪の一体性が分断される状態となってしまっている。

 旧・京津線の蹴上~御陵は、三条通と並走して九条山の急勾配を走っていて、途中に九条山駅と日ノ岡駅があったが、地下鉄ではそこを地下で突っ切る形となったため、両駅は廃止された。旧・九条山駅があった場所からは東山ドライブウェイがあり、上っていくと京都大天文台や東山浄苑に行くことができる。

京都・蹴上エリアの主な駅

蹴上 / けあげ 駅
京都市営地下鉄 東西線

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京都市営地下鉄東西線・蹴上駅

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琵琶湖疏水・蹴上インクライン跡

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琵琶湖疏水・蹴上インクライン跡

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蹴上発電所

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ツツジが美しい蹴上浄水場

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日向大神宮

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旧・京阪京津線蹴上駅

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旧・京阪京津線蹴上駅

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旧・京阪京津線蹴上駅

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旧・京阪京津線九条山駅 

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