ロシア・ナホトカ 環日本海の貿易港、シベリア抑留帰還の駅

Находка
ナホトカ (ロシア語)

Российская Федерация
Дальневосточный федеральный округ 
Приморский край
ロシア連邦極東連邦管区プリモルスキー地方ナホトカ市

ロシア・ナホトカ 環日本海の貿易港、シベリア抑留帰還の駅

 ナホトカ(Находка)は極東連邦管区(Дальневосточный федеральный округ)の沿海州(プリモルスキー クライ/Приморский край)にある日本海に面する都市で、人口は約15万人。

 ナホトカは19世紀後半に開発され、ウラジオストク(ヴラヂヴォストーク/Владивосток)を補完する港町として発展してきた。ソビエト連邦時代は、ウラジオストクは軍港、ナホトカは商港と役割分担され、ウラジオストクは長らく外国人観光客に開放されず、日本からの船はナホトカ港に着き、シベリア鉄道に乗る日本人はナホトカから列車でハバロフスク(Хабаровск)へ向かっていた。

 ソ連が崩壊し、1992年にウラジオストクが開放されるようになると、沿海州の玄関口はウラジオストクに移り、ナホトカはさびれてしまったようだ。しかし、1990年代後半に環日本海経済圏構想が盛り上がると、ナホトカも環日本海の主要都市・港の一つとして注目されるようになった。環日本海構想自体は閉鎖的な北朝鮮に変化がないため進んでいないが、ロシアと日本の行き来は増え、2012年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)はウラジオストクで開催される。

 ナホトカの市街地は海沿いに細長く続いていて、その中心にあたるところが、チーホオケアンスカヤ(Тихоокеанская)で、ナホトカ市の主要駅であるチーホオケアンスカヤ駅がある。

 駅近くのウラジオストクスカヤ通り(ул. Владивостокская)のあたりに日本との姉妹都市の碑があり、ナホトカ、舞鶴、敦賀、小樽の文字と市章が刻まれていた。シベリア抑留者の帰還船はナホトカ港から出発し、舞鶴へ送られた。そのような歴史的経緯で特にナホトカと舞鶴市との縁は深い。

 ウラジオストクスカヤ通りの一本南側のレーニンスカヤ通り(ул. Ленинская)のゆるやかな坂を上っていくと、つきあたりに船員宮殿(ドヴォリェーツ クリィトゥルィ /Дворец культуры Моряков)があり、ここはサーカスやバレエなどが行われる文化ホールのようだ。船員宮殿前広場には首から上だけの大きなレーニン像がある。

 チーホオケアンスカヤ駅はナホトカ港に近接しているナホトカの中心駅で、一日数本ウラジオストク方面への電車が走っている。かつて横浜からナホトカにフェリーが乗り入れていて、シベリア鉄道に乗る外国人観光客はチーホオケアンスカヤ駅からハバロフスクへ向かった。日本の敗戦の混乱時にソ連によってシベリア抑留された日本人が日本へ帰還する際にもこの駅から舞鶴へ向かった。

 ナホトカの海沿いの高台を走るメインストリートであるナホトキンスキー大通り(Находкинский Проспект)は、両側の歩道が公園のように整備されていて、特に海側はナホトカ湾が見えて美しい。港には古タイヤが高く積まれ、貨物船が停泊していた。

 山側にはナホトカと敦賀の友好の碑がある。これは1983年に敦賀市とナホトカ市の姉妹都市1周年を記念して平和と友好の強化のため友好の庭を贈ったことを記念した碑。そのほか、ナホトカと舞鶴の友好の碑もあり、「日本海が永久に平和と友情の海であるように舞鶴とナホトカとの友好的結びつきを記念し、十月社会主義大革命六十周年にあたりこの碑を建立する」と刻まれ、1978年に建立されていた。ソ連時代のものであるが、やはり当時の時代のムードを感じる文面である。

ナホトカ・エリアの主な駅

Тихоокеанская / チーホオケアンスカヤ 駅

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ナホトカ・チーホオケアンスカヤ駅

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ナホトカ・チーホオケアンスカヤ駅

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ナホトカ・舞鶴・敦賀・小樽 友好都市の碑

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船員宮殿前広場のレーニン像

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ナホトカ港

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ナホトカ・敦賀の友好の碑


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ロシア・ウラジオストク フトラヤレチカのバスターミナル

Владивосток
ヴラヂヴォストーク (ロシア語)
ウラジオストク

Российская Федерация
Дальневосточный федеральный округ 
Приморский край
ロシア連邦極東連邦管区プリモルスキー地方ウラジオストク市

ロシア・ウラジオストク フトラヤレチカのバスターミナル

 ウラジオストク(ヴラヂヴォストーク/Владивосток)から沿海州(プリモルスキー クライ/Приморский край)の日本海に面するもう一つの主要都市であるナホトカ(Находка)へ向かうには、ウラジオストク駅から近郊電車に乗って、3つ目のフトラヤレチカ(ヴトラヤ リェーチカ/Вторая Речика)駅まで行き、そこからバスで向かうと行きやすい。

 ウラジオストク駅からはウラジオストク近郊のウゴリナヤ(Угольная)駅やアルチョム(Артём)駅行きの電車は結構多くて便利。そして一日に数本、ウスリースク(Уссурийск)や、ウラジオストクとナホトカの間にあるパルチザンスク(Партизанск)、ナホトカのチーホオケアンスカヤ(Тихоокеанская)駅への電車もある。

 ウラジオストク駅からフトラヤレチカ駅までの運賃は1999年の当時で4ルーブル(チェトゥイリェ ルブリャー)(約20円)だった。車両は深緑の旧ソ連色で、車両の前面には「СССР」(エスエスエスエル)つまり「ソ連」と書いてあった。車内は薄暗く、3&3のボックス席が並んでいた。

 ウラジオストク駅を出発すると、ゆっくり市街地を走り、大きく右に曲がるとピェルヴァヤリェチカ(Первая Речика)駅。このあたりは広大な車両基地があり、そこから今度は180度左に向きを変え、モルゴロドク(Моргородок)駅から海沿いを走ってフトラヤレチカ駅に到着する。

 ここからウラジオストク・バスターミナル(アフトーヴォグザール ヴラヂヴォストーク/Автовокзал Владивосток)まで歩いて2分ほど。ナホトカまでは1999年の時点で40.5ルーブル(約203円)だった。

 ナホトカ行きのバスは、バスターミナルを出発すると、モコフスク通り(ул. Моковского)を走り、ウラジオストク市の門を抜けて、ウラジオストク空港があるアルチョム市に入る。そこからボリショイカミェニ(Бол. Камень)に寄って、海側を走って約5時間でナホトカに着く。

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フトラヤレチカ駅

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ウラジオストク・バスターミナル


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ロシア・ハバロフスク トラムヴァーイで行くニュータウンと白樺並木

Хабаровск
ハバロフスク (ロシア語)

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Дальневосточный федеральный округ
Хабаровский край

ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方ハバロフスク市

ロシア・ハバロフスク トラムヴァーイで行くニュータウンと白樺並木

 ハバロフスク(Хабаровск)駅前から路面電車(トラムヴァーイ/Трамвай)に乗って終点まで行ってみた。

 ハバロフスクのトラムヴァーイ(1999年当時)は、どこまで乗っても2р(ドヴァー ルブリャー)。ハバロフスク駅前を出発したトラムヴァーイはアムール並木道(Амурский бульвар)からジャムブル通り(ул. Джамбула)に入り、坂を上る。しばらく乗っているとチーホオケアン通り(ул. Тихоокеанская)に入り、シベリア鉄道をまたぐ。そして、10分ほど乗っていると、薄いエメラルドグリーンの大規模なマンション群が見えてくる。そしてルドネフ通り(ул. Руднева)の終点に到着する。

 ハバロフスクの郊外は空が広く、白樺並木の散歩道の新緑も美しかった。アムール川に架かるシベリア鉄道の鉄橋も見えた。しばらく歩くと、ロシア革命50周年の碑があった。ソビエト連邦は1991年に崩壊したが、50周年の日に、誰が24年後にソ連が崩壊すると予想しただろうか。

 ニュータウンのマンション群は遠くから眺めるときれいだったが、近くで見るとやや古くみえた。壁のブロックが印象的な寒い地方ならではの建築様式である。

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アムール並木道を走る路面電車

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白樺並木の散歩道

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ロシア革命50周年の記念碑

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ハバロフスク郊外のマンション群

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ロシア・ハバロフスク 2つの並木道とレーニン広場とロシアの酒

Хабаровск
ハバロフスク (ロシア語)

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ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方ハバロフスク市

ロシア・ハバロフスク 2つの並木道とレーニン広場とロシアの酒

 ウラジオストク(ヴラヂヴォストーク/Владивосток)からのシベリア鉄道の車内で知り合ったロシア人のサーシャ(Саша)さんにハバロフスク(Хабаровск)を案内してもらった。アムール(Амур)川の公園を散歩した。私のロシア語能力では話が続かないので、どうしようかと思ったところ、やはりロシアといえばウォッカかと思い、ヴォートカ(водка)とつぶやいたところ、サーシャさんが敏感に反応してくれて、さっそく酒屋に向かうことになった。そこでアルコール度40%のコニャック(Коньяк)と青りんごジュースを購入。

 サーシャさんのお宅に招かれ、そこで飲むことになった。さすが極寒の地のロシアだけあって防寒対策は万全である。アパートの入り口に重い鉄の扉があって、それを開けて中に入ると玄関がある。窓ももちろん二重で、窓の下に大きな暖房がついていた。

 細長いグラスにコニャックを注ぐ。そしてもう一つに青りんごジュースを注ぐ。そして「Тост!」(トースト)と乾杯し、一気にキュッとコニャックを飲む。思ったより結構飲みやすいものだ。しかし飲んだあと、カーッとのどが熱くなる。そこですぐに青りんごジュースを飲む。こうやって胃の中でアルコールを薄めるのだ。いかにもロシアらしい。

 サーシャさんと散歩に出かけた。ハバロフスクは坂の多い街である。街の地形の凹凸に合わせて街路が設計されているので街並みがなんとも美しい。凸の尾根に沿ってムラビヨフアムールスキー通り(ул. Муравьёв-Амурский)とレーニン通り(ул. Ленина)、凹の谷に沿ってアムール並木道(Амурский бульвар)とウスリー並木道(Уссурийский бульвар)が通っている。冬はこの並木道に寒気がたまるようになっている。非常によくできた都市設計だ。

 シェロノフ通り(ул. Шеронова)を走る路面電車(トラムヴァーイ/Трамвай)は、ムラビヨフアムールスキー通りからウスリー並木道へと坂を下り、そこからレーニン通りへと上っていく。この区間は絶景で、自然地形と街路のマッチングが美しい。

 レーニン通りはムラビヨフアムールスキー通りに比べると殺風景で、同じような形の10階建てくらいの集合住宅が並んでいた。

 ハバロフスクのレーニン広場(Пл. Ленина)は、公官庁の建物に囲まれた都会的な大きな広場であり、その乾いた広場を潤してくれるのが噴水である。このレーニン広場には小噴水が両側に4つずつ、中央に大噴水がある。

 ところで、ウラジオストクのレーニンスカヤ通り(ул. Ленинская)はソビエト連邦崩壊後は、スヴェトランスカヤ通り(ул. Светланская)という革命前の街路名に戻されたが、ハバロフスクではレーニン通りもレーニン広場もそのままである。ソ連共産党への支持が他都市に比べて強かったのかもしれない。

 サーシャさんとムラビヨフアムールスキー通りを歩いた。途中の売店でビール(Пиво/ピーヴォ)を買った。瓶のままラッパ飲みした。そこから坂を下りて、ウスリースキー並木道を歩いた。ビールを飲み終わって、ゴミをどうしようかと迷っていたら、サーシャさんはゴミ箱はここだとばかりにビンを並木道に投げ捨てた! さすがロシアだ…。

 そのあとさらに飲んでしまい、ひどく酔っ払ってしまった。酒豪のロシア人と同じペースで飲むと、日本人はつぶれてしまう…。 

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レーニン通りからムラビヨフアムールスキー通りを望む
シェロノフ通りを走る路面電車

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ハバロフスク・レーニン広場

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ロシア・ハバロフスク 中央市場とさっぽろラーメン

Хабаровск
ハバロフスク (ロシア語)

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Хабаровский край
ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方ハバロフスク市

ロシア・ハバロフスク 中央市場とさっぽろラーメン

 ハバロフスク(Хабаровск)で最も活気にあふれているのが中央市場(ルィノク/Рынок)だ。この市場の特色は、朝鮮系のおばさんが多いことで、市場は肉や魚が中心だったが、韓国のコチュジャンなども売られていた。顔が明らかに朝鮮系とわかる人もいるが、しゃべっている言葉はほとんどロシア語だった。

 市場の駅側の屋外市場(バザール/Базар)では、色とりどりの果物が売られていた。アムール並木通り(Амурский бульвар)側のバザールにも韓国・中国からの輸入品が並べてあった。そのなかでも、中国黒竜江省牡丹江(ムウタンチャン)市からの段ボール箱に、はっきり日本語で「にんじん」とじ書かれていたのを見つけたのは興味深かった。牡丹江といえば、かつて満洲国時代に移民した日本人が多かった町で、日本語で「にんじん」と書かれていたのは親日感情の表れか、日本向けの輸出用がロシアに回されたのかわからないが、意外なところで日本語に出会ってうれしかった。

 中央市場のそばに、「さっぽろラーメン」(Саппоро Рамэн)というレストランがある。はたして日本のラーメンがどのようにアレンジされているだろうか。

 店に入ると店員はロシア人ばかり、客もロシア人ばかりだった。食券制なので、まず食券を買う。ラーメンは「Рамэн Мисо」(ラーメン・ミソ)と「Рамэн Ссёю」(ラーメン・ショーユ)があった。ラーメン・ミソを食べてみたところ、日本の麺ほどコシはなく、具にはワラビが入っていた。お箸はなく、フォークとスプーンで食べる。このようにラーメンがロシア化されているのも面白いものだ。

 飲み物がついていなかったので、横のおじいさんが飲んでいる赤紫色の飲み物が気になった。「すみません、これは何ですか?」(Извините, Что это?/イズヴィニーチェ、シトー エータ?)とカタコトのロシア語で聞いてみたところ、「компот」(コムポート)という答えが返ってきた。辞書で調べてみると、「乾燥果物を砂糖で煮出した飲み物」と書いてあった。「компот」の食券を買って飲んでみたら、甘酸っぱくて、なかなかおいしかった。

 宿泊先のホテル・サッポロで、2人の日本人商社マンと出会った。「どういうお仕事で、来られたんですか?」と聞いてみたところ、「ハバロフスクの朝鮮の方からワラビの買い付けに来たんですよ」と教えてくれた。そういえば「さっぽろラーメン」でもワラビは入っていた。ハバロフスクはワラビが特産のようだ。

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中央市場(ルィノク)と「さっぽろラーメン」

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ハバロフスクのホテル「サッポロ」

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ロシア・ハバロフスク ハバロフスクの朝鮮料理レストラン「ピョンヤン」

Хабаровск
ハバロフスク (ロシア語)

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ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方ハバロフスク市

ロシア・ハバロフスク ハバロフスクの朝鮮料理レストラン「ピョンヤン」

 ハバロフスク(Хабаровск)市内とハバロフスク空港を結ぶカールマルクス通り(ул. Карла Маркса)で、トロリーバス(トロリェーリブス/Троллейбус)でシベリア鉄道の線路を越えた北側(空港側)のボルィシャヤ通り(ул. Большая)近くに、「ピョンヤン」(Пхеньян/평양)という朝鮮料理レストランがあった。

 このお店は旅行ガイドブック「地球の歩き方 シベリア」に載っていたので、10数年前にハバロフスクへ行ったときに、立ち寄ってみたのであるが、そこには立派なコンクリート造りの建物があり、ロシア語と朝鮮語で「평양 Пхеньян」と書かれた看板があった。

 せっかく来たので中に入ってみたのだが、受付の人がいない。あやしいなあと思いながら階段を上ると、北朝鮮の金日成(김일성/キム イルソン)主席が描かれた絵があった。店内は広いが、改装中だったらしく食事ができそうな雰囲気ではなかった。

 下の階に下りて、店員さんがいるかと思い、近くの部屋のドアを開けてみた。すると中では朝鮮人の人たちが会合をしていたらしく、急いでドアを閉めて、店を出た。

 ところで、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の現在の最高指導者である金正日(김정일/キム ジョンイル)は、北朝鮮の公式発表では朝鮮両江道三池淵郡の白頭山で生まれとされているが、実際には1941年にソビエト連邦のハバロフスク郊外北星約70キロのビヤツコエ(ヴィヤツコイェВятское)村の軍事キャンプで生まれたらしい。金正日は幼年時代はユーラと呼ばれ、ロシア語でユリー・イルシェノヴィチ・キム(Юрий Ирсенович Ким)と名付けられていた。父の金日成(金成柱)がソ連で共産主義活動をして、訓練を受けていた。後に当時のソ連の指導者ヨシフ・スターリン(Иосиф Сталин)の後ろ盾で、金日成は北朝鮮の指導者となった。


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朝鮮料理レストラン「ピョンヤン」

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ロシア・ハバロフスク トロリーバスとハバロフスク空港と日本人墓地

Хабаровск
ハバロフスク (ロシア語)

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ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方ハバロフスク市

ロシア・ハバロフスク トロリーバスとハバロフスク空港と日本人墓地

 アムール(Амур)川に近いコムソモール広場(Комсомольская Пл.)からハバロフスク空港(アエロポールト/Аэропорт)行きのトロリーバス(トロリェーリブス/Троллейбус)に乗った。

 日本のトロリーバスは都市では全廃されてしまったが、富山県と長野県を結ぶアルペンルートの黒部第四ダム~扇沢に、トンネルを走るトロリーバスがある。

 トロリーバスは排気ガスが出ないのが最大の長所であるが、路面電車とバスを足して2で割ったようなもので、架線のないところは走ることができないため、日本の都市では廃れてしまったが、ロシアではまだまだ都市の主要な足として現役である。1999年頃のハバロフスクのトロリーバスの運賃はわずか2ルーブル(約10円)だった。

 音は一般のバスより静かで、乗り心地はまあまあだった。トロリーバスは白樺並木を20分くらい走って、ハバロフスク空港(Аэропорт Хабаровск)に到着した。

 ハバロフスク(Хабаровск)はソビエト連邦時代のウラジオストク(Владивосток)が未開放のとき、極東の玄関口は、船はナホトカ(Находка)、飛行機はハバロフスクだった。当時から新潟(にいがた)~ハバロフスクの航路があって、ソ連の各都市へはハバロフスク空港で乗り継いでいた。ハバロフスクは古くから極東の交通の要衝で、ロシア各地への路線も多く、日本との結びつきも強く、新潟、札幌へ定期便が飛んでいるほか、韓国のソウルや、中国満洲のハルビンにも国際便がある。

 空港から市内を結ぶマトヴェーフスコイェ ショッセ(Матвеевское Шоссе)は白樺の並木道で、いかにもシベリアらしい風景。空港の近くにはソ連によるシベリア抑留で亡くなった日本人の墓地があり、墓参団が立てた慰霊碑がある。ここに埋葬されているのは191人であるが、シベリア各地で亡くなった日本人抑留者は少なくとも6万人以上で数十万人にのぼるという説もあり、所在がわからない死者も多い。この日本人墓地はシベリア抑留で亡くなった方々全体を慰霊する象徴でもあり、遺族会等の墓参団やハバロフスク在住の日本人らによって大切に管理されているようだ。

 このほか、ハバロフスク郊外には平和慰霊公苑があり、そこには「シベリヤ戦没者慰霊碑」のほか、1995年(平成7年)に日本政府が立てた「日本人死亡者慰霊碑」があり、2003年(平成15年)には当時の小泉純一郎首相がここを訪問し、献花した。在ハバロフスク日本総領事館のホームページによると2010年11月に同公苑の平和慰霊碑の補修工事が行われた。

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ハバロフスク郊外の白樺並木道とトロリーバス

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ロシア・ハバロフスク アムール川とムラヴィヨフアムールスキー通り

Хабаровск
ハバロフスク (ロシア語)

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ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方ハバロフスク市

ロシア・ハバロフスク アムール川とムラヴィヨフアムールスキー通り

 シベリア鉄道のハバロフスク(Хабаровск)駅から寝台列車オケアン(Океан)号で同じコンパートメントだったサーシャ(Саша)さんとアムール(Амур)川のほうへ行った。

 バス(アフトーブス/автобус)でレニングラードスカヤ通り(ул. Ленинградская)からカールマルクス通り(ул. Карла Маркса)を経て、レーニン広場(Пл. Ленина)に着いた。

 ソ連崩壊後だったが、ハバロフスクのレーニン広場の名前はそのまま残された。といっても、レーニン像は見当たらなかった。ここから、アムール川までまっすぐ伸びるムラヴィヨフ・アムールスキー通り(ул. Муравьёв-Амурский)をコムソモール広場(Комсомольская Пл.)に向かって歩いた。

 アムール川とウスリー川の合流点に1858年に建設された都市であるハバロフスクは、ロシア人探検家のエロフェイ・ハバロフ(Хабаров, Ерофей Павлович)にちなんで名づけられた。ハバロフスク一帯はもともと清国領の外満州であったが、1860年の北京条約でロシア帝国に割譲された。北京条約の基礎となった外満州のロシアへの割譲を含む1858年のアイグン条約の交渉にあたったのがニコライ・ムラヴィヨフ・アムールスキー(Николай Николаевич Муравьёв-Амурский)であり、ハバロフスクのロシア領有を成し遂げたムラヴィヨフ伯爵を記念して、ハバロフスクのメインストリートの一つが「ムラヴィヨフ・アムールスキー通り」と名づけられたというわけだ。

 コムソモール広場の先はアムール川の河川敷に広がる「文化と憩いの公園」。アムール川はとにかく広い。瀬戸内海のように広い川だ。アムール川は中国語では黒竜江(ヘイロンチャン)と呼ばれ、ハバロフスクより東はロシア連邦と中華人民共和国の国境となっている。川は西に向かって流れ、オホーツク海(Охотское море)に注ぐ。

 アムール川は冬には凍結し、対岸へと渡れるのだという。以前、ハバロフスクへ行ったときは5月だったので、冬の寒さは想像できなかった。公園に日本と同じようにハトがいたが、このハトはどうやって冬を越すのだろうか。

 アムール川の船着場からは長距離航路があり、約6時間でコムソモーリスク・ナ・アムーリェ(Комсомольск-на-Амуре)、約12時間でニコラーイェフスク・ナ・アムーリェ(Николаевск-на-Амуре)まで行けるらしい。

 船着場からウスリー並木通り(Уссурийский бульвар)を歩いた。この通りは大通りと公園が一体になった通りで、こういう自然豊かな大通りを日本でも造ってほしいと思う。ウスリー並木通りから坂を上るとムラヴィヨフ・アムールスキー通りに出る。途中の露店で買ったアイスクリーム(モロージェノエ/мороженое)は4ルーブル(チェトゥィリェ ルブリャー)だった。ロシアのアイスクリームは濃厚でおいしい。レーニン広場近くの売店で地図(カルタ/карта)も買えた。

 5月下旬のハバロフスクの気温は10℃~20℃くらいで、散歩するにはちょうど気持ちいい。レーニン広場の周りの官公庁の建物にはロシア連邦国旗と並んで白、水色、緑のハバロフスク地方(Хабаровский край)旗も掲揚されている。

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ムラヴィヨフアムールスキー通り

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ハバロフスク・レーニン広場

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ロシア・ハバロフスク シベリア鉄道オケアン号でハバロフスク駅到着

Хабаровск
ハバロフスク (ロシア語)

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ロシア連邦極東連邦管区ハバロフスク地方ハバロフスク市

ロシア・ハバロフスク シベリア鉄道オケアン号でハバロフスク駅到着

 朝、目覚めると、シベリア鉄道(トランスシビルスカヤ マギストラルィ/Транссибирская магистраль)のオケアン(Океан)号の車内にいた。列車はシベリアの大地を走り続けていた。外はタイガというほど木は多くなく、ずっと湿原が続いていた。満州の大地ように耕地になっているわけではなく、ただ荒れた湿原が広がっている。

 ハバロフスク(Хабаровск)近郊に入ると、郊外電車が走っていて、駅もいくつかある。そういえば途中で車両基地があったが、戦車を載せた列車があってびっくりした。

 ハバロフスクは北緯48°であり、日本最北端の稚内は北緯45°、満州のハルビンは46°で、それよりも北にいることになる。

 北の大都市、ハバロフスクを訪れたのは5月下旬だったが、ダウンジャケットが必要なほどかなり寒かった。ハバロフスク駅の時計は、時針が黒い針と赤い針の二本ある。オケアン号でハバロフスク駅に着いてこの時計を見たとき、黒い針がハバロフスク時間で午前8時40分、赤い針が鉄道時刻に用いるモスクワ時間で午前1時40分を指していた。日本時間では午前6時40分ということになる。(ハバロフスク駅は2007年に駅舎が改修され、残念ながらこの時計がなくなったようだ)

 ハバロフスクの駅前にはハバロフスクの地名の由来となったロシア人探検家のエロフェイ・ハバロフ(Хабаров, Ерофей Павлович)の像がある。

 北海道よりさらに北、冬にはマイナス30℃以下まで冷える北の大地で人々が生活しているというのは想像しにくいものだが、ちゃんとここでは人々が生活している。

 現代の日本人の若い世代には、ハバロフスクといっても地図上のはるか北の都市というイメージしかないかもしれないが、ハバロフスクは日本とかかわりが深く、ソ連時代は日本からの極東の玄関口だった。そしてあの忌々しいシベリア抑留の舞台でもあったところだ。

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シベリア鉄道のハバロフスク駅(旧駅舎)

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ロシア・プリモルスキー シベリア鉄道「オケアン号」

Приморский
プリモールスキー (ロシア語)
沿海州

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Приморский край
ロシア連邦極東連邦管区プリモルスキー地方

ロシア・プリモルスキー シベリア鉄道「オケアン号」

 ウラジオストク(ヴラヂヴォストーク/Владивосток)駅はシベリア鉄道(トランスシビルスカヤ マギストラルィ/Транссибирская магистраль)の東方の始発駅であり、9297キロ先のモスクワ(モスクヴァー/Москва)まで「ロシア」(ロッシーヤ/Россия)号が一週間かけて走破している。

 このほか、プリモルスキー(沿海)地方(Приморский край)のウラジオストクから北へ、ハバロフスク地方(Хабаровский край)のハバロフスク(Хабаровск)まで走る「オケアン(大洋)」(Океан)号もある。オケアン号が夕方にウラジオストクを出発し、翌朝にハバロフスクに着く。

 1999年にオケアン号に乗ったとき、ソ連の雰囲気を残す深緑色の客車だった。最近は「ロシア号」などでロシア国旗のデザインを採り入れた赤青白の塗色の車両が走っている。

 ロシアは国土が広いため、地方ごとに時差があるが、ロシアの鉄道の時刻は混乱を防ぐため、首都のモスクワ時間に統一されている。モスクワとウラジオストクは時差が7時間あるので、ウラジオストク発11時45分は、ウラジオストク時間では18時45分となる。ハバロフスクもウラジオストクと同様にモスクワと7時間の時差があるので、ハバロフスクⅠ(Хабаровск-Ⅰ)駅到着は午前1時40分、すなわち午前8時40分となる。

 列車はウラジオストク駅を出発すると、大きく曲がったあと、しばらく海沿いを走る。ウゴリナヤ(Угольная)駅を過ぎるとナホトカ(Находка)方面が分岐する。そして、ラズドリノエ(Раздольное)とヴァラノフスキー(Варановский)の間にハサン(Хасан)や北朝鮮方面が分岐する。それにしても、広い平原だ。釧路湿原のような湿原がずっと広がっている。

 ウスリースク(Уссурийск)駅に着いた頃には時刻は21時頃になっていたが、外はまだ明るい。ウスリースクからは旧東清鉄道(Китайско-Восточная железная дорога)の中華人民共和国吉林省の綏芬河(绥芬河/スェイフェンホー)、ハルビン(Харбин/哈尔滨) 方面への線が分岐している。

 オケアン号の寝台列車でサーシャ(Саша)さんというおじさんと同じコンパートメントだった。サーシャさんは軍人で、飛行機乗りだそうだ。辞書を片手に筆談でコミュニケーションした。ロシア人と筆談するのは、漢字ではないので、中国人と筆談するより意思疎通が難しくもどかしい。ロシア人が不思議がる日本語のかなと漢字を説明した。ソビエト連邦からロシア連邦への変化については、あまり聞けなかったが、日本人がウラジオストクなどを一人旅できるようになったのだから、ソ連時代よりずっと自由になったことは確かだ。しかしながら、インフレや市場化など経済の混乱、犯罪の増加など国を運営するにあたってはやりにくい面もあったのだろうと想像できた。

 シベリア鉄道はロシア紅茶のチャイ(чай)のサービスがある。砂糖(サーハル(сахал)を加えて飲む。列車で飲んだロシアの紅茶(チャイ)は普通の紅茶だったが、格別の味だった。

 車掌さんにシーツ代を払ってベッドメーキングしてもらい、寝台の準備ができた。ロシア語で「おやすみなさい」は「Спокойной ночи」(スポコーイノイ ノーチ)。夜が明けた頃には、ハバロフスク地方に入る。

okean
ウラジオストク駅で発車を待つシベリア鉄道「オケアン号」 

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