韓国 ハングルとキムチと韓流、東アジアの工業国

대한민국
大韓民國
テハン ミングク (韓国語/朝鮮語)
大韓民国

韓国 ハングルとキムチと韓流、東アジアの工業国

 大韓民国(대한민국/テハン ミングク)は、ユーラシア大陸東部の朝鮮半島南部にある東アジアの主要国の一つ。一般的には略称で「韓国」(한국/ハングク)と呼ばれている。

 朝鮮半島には朝鮮民族(韓民族)が住み、古くは高麗(고려/コリョ)や朝鮮(조선/チョソン)、大韓帝国(대한제국/テハンジェグク)などの王朝があった。日韓併合による日本統治時代を経て、1945年の日本敗戦で独立の機運が高まったが、朝鮮半島の北緯38°線を境に南が米軍、北がソ連軍に支配されたため、北朝鮮が朝鮮民主主義人民共和国(조선민주주의인민공화국/チョソン ミンジュジュウィ インミン ゴンファグク)、南朝鮮が大韓民国(대한민국/テハン ミングク)として別々に独立して対立し、その後朝鮮戦争が発生した。休戦後、休戦ラインを境に南北分断状態が固定化された。

 日本では大韓民国を「韓国」、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼んで区別している(「朝鮮」は日本語では朝鮮半島全体をイメージするため)。英語では「Republic of Korea」を「South Korea」、「Democratic People’s Republic of Korea」を「North Korea」と呼んで区別している。一方、韓国自身は北朝鮮も韓国領であるという立場なので「北韓」(북한/プッカン)と呼び、逆に北朝鮮は韓国のことを「南朝鮮」(남조선/ナムチョソン)と呼んでいる。

 韓国の面積は約9.8万平方キロ、人口は約4850万人で、日本の3~4分の1の規模。国内総生産(GDP)は約1兆ドルで、世界第15位の経済強国として世界に存在感を示している。一人あたりGDPは約2万600ドル、一人当たり購買力平価(PPP)換算では約3万ドルで、一人あたりGDPは日本より1万ドル以上も低いが、PPP換算はEU諸国の平均とほぼ同じで日本よりやや低い水準である。

 韓国の通貨は韓国ウォンで、「ウォン」(원)は「円」(圓)の韓国語読みに相当する。但し、日本円は韓国語で「エン」(엔)と発音する。

 韓国の国民の大多数が韓国語(朝鮮語)を話す韓民族(朝鮮民族)で、韓国語はハングル(한글)と呼ばれる文字が使用される。韓国の古典は漢字が用いられていたが、1443年にハングルの前身である「訓民正音」(훈민정음/フンミンジョンウム)が考案され、朝鮮語の表音表記が可能となり、後に日本語のように漢字との混ぜ書きが主流となり、日本統治時代を経て、独立後もハングルという独自の表音文字の存在が韓国語の復権を可能にし、韓国独立後は漢字をなるべく排除してハングルのみの文書が主流となった。韓国語と日本語の発音の差は大きいが、語順など文法が似ており、漢字語の読み方も近いことから、日本人にとって韓国語は学びやすく、韓国人にとっても日本語は学びやすい言語の一つである。

 韓国の気候は大部分が温暖湿潤気候で、首都のソウル(서울)は日本の東北地方の仙台(せんだい)とほぼ同じ緯度であり、東北地方の太平洋側と気候が似ているが、緯度で比べると日本よりやや寒いが、湿気は少なく雪も日本より少ない。冬が寒いため、オンドル(온돌)という床下暖房が発達している。

 韓国の主な都市は、首都のソウル特別市は人口1000万人近い大都市であり、その周りを囲む京畿道(경기도/キョンギド)の人口も1000万人を超え、仁川広域市も加えると韓国人口の約半数がソウル周辺に集中している。そのほか、釜山(부산/プサン)、仁川(인천/インチョン)、大邱(대구/テグ)、光州(광주/クァンジュ)、大田(대전/テジョン)、蔚山(울산/ウルサン)の7つの広域市がある。そのほか、京畿道、江原道(강원도/カンウォンド)、忠清北道(충청북도/チュンチョンブクト)、忠清南道(충청남도/チュンチョンナムド)、全羅北道(전라북도/チョルラブクト)、全羅南道(전라남도/チョルラナムド)、慶尚北道(경상북도/キョンサンブクト)、慶尚南道(경상남도/キョンサンナムド)など8つの「道」(도/ト)がある。また、離島の済州島(제주도/チェジュ ド)に済州特別自治道が置かれている。

 韓国の歴史は、日本と同様に古くから古代国家が形成され、特に韓国で重要視されているのが紀元前2333年に檀君(단군/タングン)が建国したとされる檀君神話で、日本の建国神話のように史実としての信ぴょう性は薄いが、民族の成り立ちの象徴としての意義が強調されている。紀元前3世紀~紀元前2世紀頃には朝鮮半島南部に辰国(진국/チングク)、北西部に衛氏朝鮮(위만조선/ウィマン チョソン)などの国が造られた。続いて紀元前2世紀~4世紀にかけて全羅道・忠清道などを領域とする馬韓(마한/マハン)、慶尚道北東の辰韓(진한/チナン)、慶尚道南西の弁韓(변한/ビョナン)などの国による「三韓」(삼한/サマン)時代となり、また北朝鮮東部には沃沮(옥저/オクチョ)という民族集団が住んでいたと伝えられている。続いて4世紀~7世紀には百済(백제/ペクチェ/くだら)、新羅(신라/シルラ/しらぎ)、高句麗(고구려/コグリョ/こうくり)の三国時代となる。百済は馬韓のあった全羅道、忠清道、京畿道のあたり、新羅は辰韓・弁韓のあった慶尚道のあたり、高句麗は江原道と北朝鮮・満洲南部を領域としていた。また、弁韓が新羅の一部になる前に任那(みまな)日本府と呼ばれる倭国(やまとのくに)の出先機関があったと『日本書紀』などの歴史文献で記されているが韓国側はこれを認めず、伽倻(가야/カヤ)諸国があったとしている。

 新羅は7世紀後半に唐と組んで百済と高句麗を滅ぼし、その後、新羅は旧百済と旧高句麗の南から唐軍を追い出して朝鮮半島を統一し、慶尚北道の慶州(경주/キョンジュ)に首都を置いた。9世紀末に新羅の国力が衰えてくると国内が動揺し、百済と高句麗が復活し、918年に王建(왕건/ワンゴン)が高麗(고려/コリョ)を成立させ、首都を開城(개성/ケソン)に置いた。高麗は1392年まで400年以上続き、高麗文化が栄えた。

 1392年に武将の李成桂(이성계/イ ソンゲ)がクーデターで高麗の国王となり、明の冊封体制に入り、国号を朝鮮(조선/チョソン)に改名し、1401年に明から朝鮮国王として認められた。首都をソウルの前身の漢陽(한양/ハニャン)に遷し、李氏朝鮮時代が1897年まで続いた。19世紀末に清国の冊封体制から脱して近代化すべきとする開化派と清との宗属関係の維持を主張する事大派が対立し、1882年に壬午軍乱(임오군란/イモグルラン)と呼ばれる兵士の反乱が起き、朝鮮政府高官や日本公使館なども襲撃された。清は開化派の鎮圧のため出兵し、日本も朝鮮に出兵した。1894年に日清戦争となり、翌1895年に日本が勝利して下関条約を結び、清に朝鮮の独立を認めさせた。そして1897年に国号を大韓帝国(대한제국/テハンジェグク)に改名した。しかし改革がうまく進まず、ロシアが南下拡張するなか1904年に日露戦争となり、1905年のポーツマス条約でロシアの南下を食い止めた日本は日露戦争後に韓国に介入して1906年に韓国統監府が置かれ、日本の保護国とされた。当時の国際パワーゲームの中で、日本は韓国併合の動きを強め、日露戦争を境に日本との協力を進めた李完用(이완용/イ ワンヨン)首相らとともに高宗(고종/コジョン)王を退位させ、1910年(明治43年)には日韓併合条約が結ばれ、韓国は日本統治下に入り、大日本帝国の朝鮮総督府が置かれ第3代韓国統監だった寺内正毅(てらうち まさたけ)が初代朝鮮総督となった。韓国の国王は日韓併合により、日本の王公族となり、皇族に準ずる待遇を受けた。

 日本統治時代の朝鮮は、漢陽(한양/ハニャン)が京城(경성/キョンソン/けいじょう)に改められ、王宮のあった景福宮(경복궁/キョンボックン)の前に朝鮮総督府の庁舎が建設され、日本の朝鮮支配の象徴的存在となった。また、京城の南山(남산/ナムサン)には朝鮮神宮が創建され、これも日本の象徴となった。釜山(부산/プサン)~京城~平壌(평양/ピョンヤン)~新義州(신의주/シニジュ)のを結ぶ京釜線、京義線などの幹線鉄道が整備され、新義州からさらに満洲の奉天、長春(満洲国時代は新京)、中華民国の北平(北京)へ直通する列車が運行され、朝鮮は日本内地から満洲、中国へ向かう重要な地理的役割を担った。そのほか工業の近代化、学校教育の普及など、近代化も推し進められた。学校では日本語が使われた一方で、朝鮮語の授業もあり、ハングルが普及したことから識字率が大幅に向上した。しかし、やはり日本人が朝鮮人の上に君臨する植民地統治には朝鮮人の運動も大きく、1919年には朝鮮独立を要求する大規模な「三一運動」が起こった。日本国内でも朝鮮を日本に同化させるより地元の文化を尊重するべきとの議論も強まった時期もあったが、1930年代後半から日本が中華民国と戦争がはじまり、第二次世界大戦へと深刻化する過程で、皇民化教育、創氏改名、朝鮮語制限と日本語強要など日本への同化政策が強まり、朝鮮人の民族的反感を招く結果となった。

 1945年8月に日本が敗戦すると、日本が統治していた朝鮮は北緯38°線を境に北がソビエト連邦軍、南がアメリカ軍に占領された。そのため、日本から直接朝鮮が独立する機会が得られず、南北分割統治が始まった。ソ連の指導の下、1948年9月に北朝鮮が金日成(김일성/キム イルソン)をリーダーとする朝鮮民主主義人民共和国が建国され、一方南朝鮮はアメリカの管理下で、1948年8月に日本統治時代にアメリカで独立運動をしていた李承晩(이승만/イ スンマン)が大韓民国の建国を宣言し、首都は京城から改名されたソウル(서울)(韓国語で都の意味)となった。しかしそれからまもない1950年に北朝鮮が韓国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発。朝鮮半島のほとんどが戦場となり、ソウルも陥落し、当初は北朝鮮が優勢だったが、米軍が仁川上陸作戦で反撃に転じ、ソウルも韓国が奪還、38°線を超えて北朝鮮の首都である平壌も陥落し、韓国が朝鮮半島を統一する勢いであったが、中華人民共和国の人民解放軍が北朝鮮側に参戦し、再び戦線が南側に押し戻され、38°線付近で膠着し、1953年にようやく停戦に至り、ほぼ現在の韓朝国境である休戦ラインが形成された。朝鮮戦争は戦線が朝鮮半島を南北に移動したことから両国軍および米軍、中国軍の軍人だけでなく、一般市民に大きな犠牲が出て数百万人が犠牲になった。台湾では日本統治時代の建物や遺跡が多く残っているが、韓国では朝鮮戦争で多くが破壊されたため、韓国は日本時代の遺産を活用することができず、朝鮮戦争後は一から出発するしかなかった。

 李承晩政権は韓国の独立を維持するために反共を掲げ、朝鮮民主主義共和国と対立し、独裁体制を敷き、任期を引き伸ばし大統領の座から降りなかった。激しい反日教育を実施し、日本と敵対した。また、日本に住んでいた李王家(旧・朝鮮国王)の継承者の韓国帰国を認めなかった。李承晩政権は1960年の大統領選挙の不正をきっかけに民衆デモに追い詰められ、アメリカからの信頼も失い失脚し、同年ハワイへ亡命した。

 韓国は李承晩政権の独裁の反省から、尹潽善(윤보선/ユン ボソン)大統領は議員内閣制へ改革し、張勉(장면/チャン ミョン)国務総理となって内政を担ったが、学生運動デモが左派志向が強まり、北朝鮮との統一を訴えるようになったが、張総理はこれを抑えなかった一方で、李承晩政権で反民主・不正をはたらいた軍人や警察官を公職追放した。社会が不安定化したこともあり軍が介入し、1961年の「5・16軍事クーデター」で国家再建最高会議を経て朴正煕(박정희/パク チョンヒ)が大統領となり、再び大統領が権力を握るようになった。

 朴正煕大統領は1965年に日韓基本条約を結び、日本と国交を樹立。独裁体制を敷きながらも日本からの資金協力をもとに国土開発に取り組み、韓国の経済発展の基礎を築いた。朴大統領は1979年に中央情報部長によって暗殺され、崔圭夏(최규하/チェ ギュハ)首相が大統領を引き継ぐが、軍を掌握できず全斗煥(전두환/チョン ドゥファン)将軍が粛軍クーデターで権力を握り、民主化指導者を弾圧して逮捕した1980年の光州事件では軍を使って弾圧。そして全斗煥が大統領に就任した。全大統領は1983年にビルマ・ラングーン(現・ヤンゴン)で北朝鮮工作員によるテロに遭い閣僚4名が亡くなった。そのほかソウルオリンピックの誘致に成功し、1988年に開催された。

 軍人出身の盧泰愚(노태우/ノ テウ)大統領がソウル五輪後に民主化することを宣言し、全政権の不正を追及する一方で、金泳三(김영삼/キム ヨンサム)ら民主化勢力を取り込んだ。1990年にソビエト連邦と国交樹立、1991年に朝鮮民主主義人民共和国と国連同時加盟を果たし、1992年に中華人民共和国とも国交を樹立した。1993年に長い軍人政権が終焉し、文民の金泳三政権が発足した。金泳三大統領は1993年に日本統治時代の象徴である旧・朝鮮総督府の建物を解体撤去した。任期中にはアジア通貨危機が迫り、韓国経済に危機が迫った。1998年に就任した民主化闘志である金大中(김대중/キム デジュン)大統領はIMFを受け入れて経済改革に取り組みIT産業を奨励し、財閥を再編して競争力を高め、北朝鮮に対しては太陽政策という宥和路線で2000年で北朝鮮の金正日(キム ジョンイル)総書記との南北トップ会談が実現した。一定の南北緊張緩和効果があったが、北朝鮮を民主化へと導くことはできなかった。2003年には盧武鉉(노무현/ノ ムヒョン)大統領が就任、日本統治時代を経験していない世代のニューリーダーだった。人権派弁護士から政治家に転身し、金大中大統領の後継者として太陽政策を継承し、一方で過去の軍事政権の人権抑圧の再検証を進めた。

 2008年に李明博(이명박/イ ミョンバク)大統領が就任。李明博大統領はソウル市長時代に清渓川復元事業で成果を残し、大統領就任後は自由貿易協定(FTA)を外交政策として推進し、ウォン安によって輸出が好調であるが、韓米自由貿易協定をめぐっては農業関税撤廃や格差拡大の副作用に対する摩擦が強まっている。

 韓国は現代自動車を核とする現代(현대/ヒョンデ/Hyundai)グループ、家電製品のサムスン電子を核とする三星(삼성/サムソン/Samsung)グループ、家電や化学を核とするラッキー金星(럭키금성/ラッキ グムソン)が前身のLGグループなどの巨大財閥があり、韓国経済に大きな影響を与え、近年はその規模の大きさを生かして急速なグローバル化を進めていて、ウォン安効果もあり2011年現在好調な輸出を続けていて、今後は自由貿易協定をテコにさらなる成長を目指している。一方、大財閥以外の製造業・農業などの韓国経済について格差縮小のためのテコ入れが今後の韓国経済の課題となりそうだ。

 このほか、韓国の首都ソウルの玄関口は長年、ソウル金浦空港(서울김포공항/ソウル ギムポ ゴンハン)であったが、2001年に仁川国際空港(인천국제공항/インチョン グクチェ ゴンハン)が開港し、日本各地やアジア・世界各地の空港と路線網を形成し、アジアのハブ空港の一つとして機能している。大韓航空(대한항공/テハン ハンゴン)とアシアナ航空(아시아나항공/アシアナ ハンゴン)が韓国を代表する2大国際航空会社となっている。また、2004年にソウル~東大邱に韓国版新幹線の韓国高速鉄道(한국고속철도/ハングク コソクチョルド)が開業し、2010年に釜山まで全線開業した。

 近年の日韓関係は2002年に日韓共催のFIFAワールドカップが開催されたほか、勇俊(배용준/ペ ヨンジュン)と崔智友(최지우/チェ ジウ)が主演する韓国ドラマ「冬のソナタ」(겨울연가/キョウルヨンガ)が日本で2003年に放映されてヒットし、ヨン様ブームが起こり、それが韓国ドラマや歌が日本で次々ヒットする韓流(한류/ハルリュ)ブームとなり、BoA、東方神起、少女時代、KARAなどの韓国人歌手・グループが日本でのK-POPの地位を築き上げた。韓流は特に日本の女性に大きな影響を与え、日本人の韓国文化への関心が強まり、韓国語学習者も増えた。また、かつては「釜山港へ帰れ」(돌아와요 부산항에/トラワヨ プサンハンエ)の趙容弼(조용필/チョ ヨンピル)、「すずめの涙:」や「べサメムーチョ」でヒット曲を出した桂銀淑(계은숙/ケ ウンスク)など韓国人歌手が日本でヒットし、演歌ファンに歌い継がれている。

 伝統文化の面では、韓国女性の華やか伝統衣装としてチマ・チョゴリ(치마 저고리)が知られる。また朝鮮民謡として「アリラン」(아리랑)や「トラジ」(도라지)などが伝承されている。

 このほか、日本では韓国料理レストランが多くあり、特に東京の新大久保や大阪の鶴橋では本場の韓国料理の味が楽しめる。漬物のキムチ(김치)、もやしを和えたナムル(나물)、春雨のチャプチェ(잡채)、焼肉のカルビ(갈비)、プルコギ(불고기)、サムギョプサル(삼겹살)、韓国風混ぜご飯のビビンバ(비빔밥/ピビムパプ)、豆腐鍋のスンドゥブ(순두부)、高麗人参スープのサムゲタン(삼계탕)、韓国風どぶろくのマッコリ(막걸리)などは日本でもよく知られる韓国料理であり、韓国料理の多くは唐辛子を用いた赤く辛いのが特徴である。

大韓民国(韓国)
テハンミングク
대한민국(韓国・朝鮮語)
(1910~1945年日本が統治、1948年独立)
面積:9.8万平方キロ
人口:4833万
通貨:韓国ウォン
主要言語:韓国・朝鮮語
首都:ソウル/서울(韓国語)(人口1042万)

(参考:Wikipeiaほか)

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韓国 江原・三陟 原発誘致に揺れる港町、スイッチバックで山を越える嶺東線

삼척
三陟
サムチョク (韓国語/朝鮮語)

대한민국강원도삼척시
大韓民國江原道三陟市
大韓民国カンウォン道サムチョク市

韓国 江原・三陟 原発誘致に揺れる港町、スイッチバックで山を越える嶺東線

 三陟(삼척/サムチョク)市は、江原道(강원도/カンウォンド)南東部にある日本海(東海/동해/トンヘ)に面する港町で、東海(동해/トンヘ)市の南に位置する。

 三陟へは、東海市の東海駅から韓国鉄道の三陟線が三陟駅まで伸びているが、現在それを延長する形で、これまで鉄道がつながっていなかった東海岸沿いに三陟駅から慶尚北道(경상북도/キョンサンブクド)の浦項(포항/ポハン)駅を結ぶ東海中部(동해중부/トンヘ チュンブ)線が建設中であり、2014年の開業が予定されている。同線が開業すれば、釜山(부산/プサン)方面から列車が直通できるようになり、今後のこの沿線の発展が期待される。

 韓国は釜山、慶尚北道(경상북도/キョンサン ブクト)、全羅南道(전라남도/チョルラ ナムド)に原子力発電所があるが、江原道の三陟市も原発誘致を進めていた。しかし、2011年3月に発生した東日本大震災で、福島第一原発の爆発事故が起こってから、現地住民の原発誘致反対の声が強まり、4月末に実施された江原道知事選挙では、誘致反対派の候補が当選した。

 江原道からソウル(서울)方面へ鉄道で向かうには、太白(태백/テベク)山脈を越えなければならないが、韓国鉄道・嶺東(영동/ヨンドン)線が山を上っていく。嶺東線は東海市の東海駅から南へ向かい、三陟市の道渓(道溪/도계/トゲ)駅から先が本格的な山越え区間となる。

 道渓駅の次の羅漢亭(나한정/ナハンジョン)駅は海抜415mのスイッチバック駅。ここで列車は向きを変え、再び山あいを上っていく。その次の興田(흥전/フンジョン)駅もスイッチバック駅で、Z字状に山を上る。その先は太白市に入り、深浦里(심포리/シムポリ)駅から海抜780mの桶里(통리/トンリ)駅までΩ字状の2つのオメガループで距離をかせぎながらグングン上っていく。桶里の次の駅が東栢山(동백산/トンベクサン)駅であるが、2011年現在、道渓~東栢山間の路線改良工事が行われ、ループ線のソラントンネル(솔안터널)により、2012年の開通時にスイッチバックやオメガループの区間が廃止される予定となっている。韓国鉄道のハイライト区間なので、廃線跡を鉄道史蹟など何らかの形で観光用に保存してほしいと思う。

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韓国 江原・東海 日本海に面する港町、建設進む東海中部線

동해
東海
トンヘ (韓国語/朝鮮語)

대한민국강원도동해시
大韓民國江原道東海市
大韓民国カンウォン道トンヘ市

韓国 江原・東海 「東海」に面する港町、建設進む東海中部線

 東海(동해/トンヘ)は、江原道(강원도/カンウォンド)南東部にある日本海に面する港町。韓国は日本海のことを東海(동해/トンヘ)と呼んでいる。韓国側の領海をそう呼ぶのは韓国側の自由だと思うが、その名の通り、江原道の東に「東海」が広がっている。

 東海市は1980年に北坪(북평/プクピョン)邑と、墨湖(묵호/モコ)邑[邑(읍/ウプ)は町に相当する]が合併してできた市で、韓国鉄道の嶺東(영동/ヨンドン)線の東海駅は、1984年まで北坪駅だった。

 東海駅は特急列車も停まる主要駅であるが、市街地が駅の南に離れていることもあり、駅周辺は活気がない。以前10数年前にこの町を訪れたとき、見た目は日本の山陰地方の海沿いの町のような印象だったが、町に活気がなく、不気味な印象を受けた。駅の北西側に日本式の家屋が残っていたが、いまはどうなっているだろうか。

 不気味といえば、このあたりはよく北朝鮮の工作船が周辺海域をウロつくことがある。北朝鮮籍の潜水艇が東海沖に現れ、乗組員が自殺したとみられる船が、韓国軍に東海港まで曳航されたという事件もあった。このようなことがあるから、住民の北朝鮮工作員に対する警戒心も強く、特に目的もなくやってきた旅行者が怪しく見られても仕方ないかもしれない。そういう軍事緊張の最前線の町だからほかの観光都市とはまったく違う印象を受けたのだと思う。

 東海市は北は江陵(강릉/カンヌン)市、南は三陟(삼척/サムチョク)市と接している。韓国鉄道の嶺東線は、江陵から東海を通って、東海から太白山脈を上り、鉄岩(철암/チョラム)や栄州(영주/ヨンジュ)を結び、太白(태백/テベク)線や中央(중앙/チュンアン)線と連絡している。江陵・東海から主に嶺東線、太白線、中央線を経由してソウル(서울)の清凉里(청량리/チョンニャンニ)方面を結ぶ列車が運行されている。

 東海駅からは、海側を走る三陟線が三陟まで伸びているが、現在それを延長する形で、これまで鉄道がつながっていなかった東海岸沿いに三陟駅から慶尚北道(경상북도/キョンサンブクド)の浦項(포항/ポハン)駅を結ぶ東海中部(동해중부/トンヘ チュンブ)線が建設中であり、2014年の開業が予定されている。同線が開業すれば、釜山(부산/プサン)方面から列車が直通できるようになり、東海を含む江原道沿線の活性化が期待される。同路線は、北朝鮮が自由に通行できるようになれば、将来的にはロシアのシベリア鉄道ともつながる環日本海の輸送を担う重要な路線になる可能性も秘めている。今後の進展に期待したい。

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韓国 江原・江陵 嶺東線の終着駅、鏡浦と東海

강릉
江陵
カンヌン (韓国語/朝鮮語)

대한민국강원도강릉시
大韓民國江原道江陵市
大韓民国カンウォン道カンヌン市

韓国 江原・江陵 嶺東線の終着駅、鏡浦と東海

 江陵(강릉/カンヌン)は、韓国東部の江原道(강원도/カンウォンド)にある海沿い町で、人口は約22万人。

 ソウル(서울)の清凉里(청량리/チョンニャンニ)駅から夜行で江陵(강릉/カンヌン)へ向かう列車があり、江陵に近づくと海に光る朝日がまぶしい。その海は日本海で、韓国はこの海を東海(동해/トンヘ)と呼ぶ。

 江陵駅は韓国鉄道公社嶺東(영동/ヨンドン)線の終点である。嶺東線は日本統治時代に釜山(プサン)と北朝鮮の元山(ウォンサン)を結ぶ東海線として計画されたが、朝鮮分断と朝鮮戦争によって、計画が中断されていた。嶺東線の東海~江陵間は韓国独立後に開業した区間であるが、江陵以北は着工されず放置された。

 一方、東海線の北側の東海北部線の廃線跡に再建された北朝鮮の金剛山青年(금강산청년/クムガンサン チョンニョン)線が1997年に金剛山青年駅まで開通し、その後韓国側の江原道高城(고성/コソン)郡の猪津(제진/チェジン)駅を結ぶ東海線復元事業が南北合意して建設され、2006年に韓国側の猪津駅が開業したが、その後試運転は行われたものの、休止状態となっている。また、猪津~江陵を結ぶ計画は進んでいない。

 江陵の見どころは、鏡浦湖(경포호/キョンポホ)が広がる鏡浦(경포/キョンポ)地区に集まっており、江陵駅からバスで鏡浦へ行くことができる。鏡浦へ向かう道はのどかな田園風景が広がっている。鏡浦の東の海岸に近いところに鏡浦のバス停がある。

 海岸は砂浜が広がっていて、鏡浦海水浴場(경포해수욕장/キョンポ ヘスヨクチャン)となっているる。日本海の向こうは日本の山陰地方や北陸地方だ。ここに行ったとき、おばあさん(할머니/ハルモニ)がスルメや干し柿を売っていた。

 鏡浦のバス停近くには貸し自転車があって、これで鏡浦湖の周辺をサイクリングできる。鏡浦湖を美しく眺めることができる鏡浦台(鏡浦臺/경포대/キョンポデ)は、高麗(고려/コリョ)時代の1326年に創建され、現在の場所のものは李氏朝鮮(조선/チョソン)時代の1508年に建てられた。鏡浦台の楼閣の緑と青と赤の色鮮やかな屋根裏はいかにも朝鮮建築らしくて美しい。鏡浦台は、朝鮮の江原道の8つの景勝地「関東八景」(關東八景/관동팔경/クァンドンパルギョン)の一つとされている。

 鏡浦台から湖沿いに西へ進んだところにある海雲亭(해운정/ヘウンジョン)は、1530年に建てられた李氏朝鮮時代の建物で、屋根の曲線が美しい。その先にある船橋荘(선교장/ソンギョジャン)は、李氏朝鮮時代中期の貴族(兩班/양반/ヤンバン)の屋敷で、現在もその子孫が居住しているのだという。日本建築とはまた趣の異なる朝鮮建築の美が感じられる。近年は韓国の歴史ドラマのロケ地にもなっているようだ。船橋荘には民俗展示館や服飾資料館も併設されている。

 海岸近くには、カップラーメンにお湯を入れ、キムチ(김치)と一緒に食べる食堂があった。ここのキムチは江原道ならではの味で、イカなど豊かな海の幸が入っている。

 江陵駅から東海(トンヘ)方面へ嶺南線の列車に乗って行くと、列車は海岸沿いを走る。特に正東津(정동진/チョンドンジン)駅は海岸が迫り、海水浴場が目の前に広がる。嶺南線沿線の風景は日本の山陰地方と似ている感じがする。しかしながら、日本と違うのは海岸沿いにずっと金網が張られているのが見えることだ。このあたりは北朝鮮とも近く、これはおそらく北朝鮮の工作員や兵士が入ってこないようにするための国防上の理由だと思われる。このような風景からも南北朝鮮の軍事的緊張が垣間見える。

kangnung
江陵・海雲亭

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韓国 ソウル・清凉里 韓国東部方面のターミナル駅

서울・청량리
서울・清凉里
ソウル・チョンニャンニ (韓国語/朝鮮語)

대한민국서울특별시동대문구
大韓民國서울特別市東大門區
大韓民国ソウル特別市トンデムン区

韓国 ソウル・清凉里 韓国東部方面のターミナル駅

 清凉里(청량리/チョンニャンニ)駅は、ソウル(서울)市の東大門(동대문/トンデムン)区にある韓国鉄道の京元線(경원선/キョンウォンソン)と中央線(중앙선/チュンアンソン)、およびソウル地下鉄(서울메트로/ソウルメトゥロ)1号線の駅。

 京元線はもともと日本統治時代に建設された京城(いまのソウル)から北朝鮮の元山(ウォンサン)を結ぶ路線であったが、朝鮮戦争で分断され、2010年現在は新炭里(신탄리/シンタンニ)駅が北端となっている。

 現在、京元線は1974年に開業した地下鉄1号線・京仁線と直通運転しており、地下鉄1号線のソウル(서울)駅から市庁(시청/シチョン)、鍾路3街(종로3가/チョンノサムガ)、東大門(동대문/トンデムン)などの都心部を通って清凉里駅の地下ホームに着き、そこから京元線に入り、回基(회기/フェギ)、石渓(석계/ソッケ)、城北(성북/ソンブク)、倉洞(창동/チャンドン)、道峰山(도봉산/トボンサン)、議政府(의정부/ウィジョンブ)、東豆川(동두천/トンドゥチョン)、逍遥山(소요산/ソヨサン)方面を結ぶ電車が走っている。それより先は非電化なので、東豆川~新炭里間でディーゼルカーが走っている。

 中央線は正式には清凉里駅が起点であるが、京元線電車が地下鉄1号線に乗り入れているため、現在の中央電車線は本来の京元線と京釜線が分岐するの龍山(용산/ヨンサン)駅を起点として、玉水(옥수/オクス)、往十里(왕십리/ワンシムニ)などの駅を経由して、清凉里駅の地上ホームに着く。その先は中央線の回基(회기/フェギ)、忘憂(망우/マンウ)、九里(구리/クリ)、徳沼(덕소/トクソ)、楊平(양평/ヤンピョン)、龍門(용문/ヨンムン)方面を結んでいる。

 このほか、韓国テレビドラマ「冬のソナタ」(겨울연가/キョウリョンガ)のロケ地で知られる春川(춘천/チュンチョン)方面を結ぶ京春(경춘/キョンチュン)線が清凉里駅から出ており、京元線の城北(성북/ソンブク)駅から京春線が分岐している。2010年現在、京春線の電化改良工事が進められており、完成すれば中央線の忘憂(망우/マンウ)駅が起点になる予定である。

 中央線の長距離列車は、急行「ムグンファ(무궁화)」号が清凉里駅から江原道(강원도/カンウォンド)の原州(원주/ウォンジュ)、忠清北道(충청북도/チュンチョンブクト)の堤川(제천/チェチョン)、慶尚北道(경상북도/キョンサンブクト)の安東(안동/アンドン)方面に走っているほか、一部の列車は堤川から太白(태백/テベク)線に直通し、江原道の太白や、嶺東(영동/ヨンドン)線の東海(동해/トンヘ)、江陵(강릉/カンヌン)方面に乗り入れている。清凉里から江陵へ向かう夜行急行もある。

 清凉里駅の周辺にはロッテ百貨店(롯데 백화점/ロッテ ペッカジョム)などの商業施設がある。近年、清凉里駅の駅舎がリニューアルされ、清潔なイメージの駅に生まれ変わった。

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韓国 ソウル・南山 朝鮮神宮があった南山公園とソウルタワー

서울・남산
서울・南山
ソウル・ナムサン (韓国語/朝鮮語)

대한민국서울특별시중구、용산구
大韓民國서울特別市中區、龍山區
大韓民国ソウル特別市チュン区、ヨンサン区

韓国 ソウル・南山 朝鮮神宮があった南山公園とソウルタワー

 ソウル(서울)の南山(남산/ナムサン)は、ソウル旧市街地の南側にある。南山公園(ナムサン コンウォン)へ上るロープウェーは、地下鉄の明洞(ミョンドン)駅や忠武路(チュンムロ)駅から歩いて行ける。

 ロープウェーの駅までの坂道は、日本統治時代に東本願寺や京城神社、天満宮などがあった。しかし、戦後すぐに壊されたので、面影は残っていないようだった。京城神社の跡地は崇義女子大学(숭의여자대학/スンウィ ヨジャデハク)となっている。

 南山へ上るロープウェーは韓国語ではケーブルカー(케이블카)と呼ぶ。ロープウェーからはソウルの市街地が一望でき、夜は夜景が美しい。しかしながら、大阪や東京の夜景と比べてソウルの夜景は暗いように感じた。カラフルなネオンが少なく、街灯がオレンジ色だから夜景の印象が違うのだろう。

 南山の丘の上には「Nソウルタワー」(N서울타워)が聳え立っている。ソウルタワー自体の高さは237mであるが、標高242mの丘の上に建てられているので、展望台の標高は379mとなり、かなり高く感じる。

 南山の西側の中腹には、日本時代に官幣大社の「朝鮮神宮」(조선신궁/チョソンシングン)があった。いまはその跡地は安重根義士記念館(안중근의사 기념관/アンジュングン ウィサ キニョムグァン)や南山植物園(남산식물원/ナムサン シクムルウォン)に変わっている。

 朝鮮神宮の前身の朝鮮神社は、大正元年(1912年)に建設に着手され、大正8年(1920年)に竣工した。新しい神社はまずその土地の神霊を祀るべきであり、朝鮮なら「檀君」(단군/タングン)を祀るべきであったが、朝鮮総督府は主祭神を「天照大神」と「明治天皇」とした。大正14年(1925年)に朝鮮神社が朝鮮神宮と格上げされたときにも御祭神問題が議論されたが、当時は「檀君」が実在するか定かではないとして合祀が見送られた。後に「京城神社」では「朝鮮国魂神」が合祀されたが、昭和12年(1937年)の支那事変勃発以降は、日本統治下の朝鮮で軍国主義傾向が強まった。「内鮮一体」のスローガンの下、神社参拝が強制的になり、朝鮮人の反感を買った。神社は日本の象徴とみなされ、日本統治から解放後、破壊には反対する人もいたようだが、結果的には朝鮮にあった神社の大多数が破壊された。

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韓国 ソウル・汝矣島 発展する汝矣島、韓国国会議事堂と韓国の政党

서울・여의도
서울・汝矣島
ソウル・ヨウィド (韓国語/朝鮮語)

대한민국서울특별시영등포구
大韓民國서울特別市永登浦區
大韓民国ソウル特別市ヨンドゥンポ区

韓国 ソウル・汝矣島 発展する汝矣島、韓国国会議事堂と韓国の政党

 汝矣島(여의도/ヨウィド)は韓国の首都ソウル(서울)市永登浦(영등포/ヨンドゥンポ)区にある漢江(한강/ハンガン)の中洲。汝矣島には大韓民国(대한민국/テハンミングク)の国会議事堂(國會議事堂/국회의사당/クッケウィサダン)が置かれ、大統領府である青瓦台(瓦臺/청와대/チョンワデ)とともに韓国の政治の中心となっている。

 汝矣島には細長い汝矣島公園の東側に並行して1996年に開業したラインカラー紫色のソウル地下鉄(지하철/チハチョル)5号線が地下を走り、汝矣ナル(여의나루/ヨウィナル)駅、汝矣島(여의도)駅があるほか、2009年に金浦空港(김포공항/キムポ ゴンハン)方面を結ぶ地下鉄9号線が開業し、セッカン(샛강)駅、汝矣島駅、国会議事堂駅の3駅が開設され、汝矣島駅が5号線と9号線の乗換え駅となった。

 汝矣島は、日本統治時代に軍用飛行場が建設され、韓国独立後も1971年まで使われていた。滑走路跡は汝矣島広場(여의도광장/ヨウィド グァンジャン)となっていたが、1998年に公園化されて汝矣島公園(여의도공원/ヨウィド ゴンウォン)となった。以前はアスファルトの広場であったのだが、これは有事のときに再び飛行場として使えるようにということだったのだろう。

 汝矣島駅の周辺には、汝矣島公園、汝矣島百貨店(여의도백화점/ヨウィド ペッカジョム)、韓国証券取引所(韓國證券去來所/한국증권거래소/ハングク チュングォン ゴレソ)などがあるほか、ソウル国際金融センター(서물국제금융센터/ソウル ククチェ グミュン セント)が建設中であり、2010年中の完成予定である。

 汝矣ナル駅の周辺には、LGグループの本社が入っているLGツインタワー(LG트윈타워)、MBS文化放送(문화방송/ムナバンソン)本社、60階建ての超高層ビルである63ビル(63빌딩/ユクサム ビルディン)があるほか、漢江との河川敷に漢江市民公園(한강시민공원/ハンガン シミン ゴンウォン)が広がっている。

 地下鉄9号線の国会議事堂駅の周辺には国会議事堂のほか、国会図書館やKBS韓国放送公社(한국방송공사/ハングク パンソン ゴンサ)の本社がある。このように汝矣島は政治、経済、金融、報道の拠点として発展を続けている。

 韓国の現在の国会議事堂は1975年に完成したもので、水色の大きなドームが印象的。韓国国会は独立後しばらくは、日本統治時代に建てられた朝鮮総督府庁舎が使われていたが、その後朝鮮戦争で国会も転々とし、1953年以降、1961年~1963年の一時期を除き、1975年まで日本統治時代の旧京城府民館(경성부민관/キョンソンブミングァン)の建物(現ソウル特別市議会会館)が国会が開かれていた。そして、1975年にいまの汝矣島に移転した。

 韓国の政治は政権交替や政界再編の波が激しく、日本などの政治より変化が激しい。独立後に長らく続いた強権政治下でも、与党の権力闘争などにより、政党の再編が繰り返された。現在韓国国会に議席を有する最も古い政党は現在の与党である1997年に結成されたハンナラ党(한나라당/ハンナラダン)である。

 韓国独立直後の李承晩(이승만/イ・スンマン)大統領(第1代~3代)時代の与党は大韓国民党(대한국민당/テハングンミンダン)、後に再編して自由党(자유당/チャユダン)が与党となった。野党は韓国民主党(한국민주당/ハングンミンジュダン)が民主国民党(민주국민당/ミンジュグンミンダン)を経て、1955年に初代の民主党(민주당/ミンジュダン)となり後に尹潽善(윤보선/ユン・ボソン)大統領の張勉(장면/チャン・ミョン)国務総理時代の与党となった。このほか、李承晩時代の左派革新野党として進歩党(진보당/チンボダン)が1956年に結成されたが1958年に解散させられた。その後、社会大衆党(사회대중당/サフェデジュンダン)などの革新政党ができたが1961年の軍事クーデター後に活動停止させられた。

 1961年の軍事クーデター後、朴正煕(박정희/パク・チョンヒ)大統領の時代になると、与党は民主共和党(민주공화당/ミンジュゴンファダン)となった。この時代の野党は民主党のほか、尹潽善大統領派の流れを汲む民政党(민정당/ミンジョンダン)などがあり、後に民衆党(민중당/ミンジュンダン)、新韓党(신한당/シンハンダン)、新民党(신민당/シンミンダン)などに再編された。

 1980年からの全斗煥(전두환/チョン・ドゥファン)大統領の時代の与党は、民主正義党(민주정의당/ミンジュジョンウィダン)で、野党は主に民主韓国党(민주한국당/ミンジュハングクタン)から発展した統一民主党(통일민주당/トンイルミンジュダン)や、民主社会党(민주사회당/ミンジュサフェダン)などがあった。

 1988年からの盧泰愚(노태우/ノ・テウ)大統領の時代になると民主化が進められ、与党は民主正義党であったが、国会選挙に大敗後の再編で民主自由党(민주자유당/ミンジュジャユダン)となった。野党は民主党、新民主共和党(신민주공화당/シンミンジュゴンファダン)、統一国民党(통일국민당/トンイルクンミンダン)、平和民主党(평화민주당/ピョンファミンジュダン)などがあった。

 民主化が進み、1993年からの金泳三(김영삼/キム・ヨンサム)大統領の時代になると、与党の民主自由党は、前政権とのイメージを一掃するために新韓国党(신한국당/シンハングクタン)と改名された。その後、野党の統合民主党と合同して、1997年にハンナラ党が結成された。一方、金大中(김대중/キム・デジュン)氏が1995年に新政治国民会議(새정치국민회의/セジョンチ クンミンフェウィ)を結成し、大統領選挙で金大中氏が勝利して与党となった。

 1998年から金大中大統領の時代になると、新政治国民会議は与党となり、自由民主連合(자유민주연합/チャユミンジュヨンハプ)と連立政権を組んでいたが、後に再編して2000年に新千年民主党(새천년민주당/セチョンニョンミンジュダン)となったが、野党ハンナラ党が多数を占めた。また、左派系の野党である民主労働党(민주노동당/ミンジュノドンダン)が2000年に結成された。2002年の大統領選挙では新千年民主党の後継候補である盧武鉉(노무현/ノ・ムヒョン)氏が当選した。

 2003年からの盧武鉉大統領の時代になると、新千年民主党が分裂し、2003年に結成された「開かれたわが党(ウリ党)」(열린 우리당/ヨルリン ウリダン)が与党となった。ウリ党は2007年に分裂し、与党は大統合民主新党(대통합민주신당/テトンハプミンジュシンダン)となったが、大統領選挙でハンナラ党に敗れた。その間に、再び民主党の再編が起こり、大統領選挙後に民主党とウリ党が再合流して統合民主党(통합민주당/トンハプミンジュダン)が2008年に結成され、その後再び民主党に改められた。

 2008年から李明博(이명박/イ・ミョンバク)大統領の時代となり、現在の与党はハンナラ党、第一野党は民主党である。韓国国会の定数は299議席で、そのうち小選挙区が245議席、比例代表が54議席である。2010年8月の時点での韓国国会の議席数はハンナラ党(한나라당/ハンナラダン)172議席(小選挙区150+比例22)、民主党(민주당/ミンジュダン)87議席(72+15)、自由先進党(자유선진당/チャユソンジンダン)16議席(12+4)、未来希望連帯(미래희망연대/ミレフィマンヨンデ)8議席(0+8)、民主労働党(민주노동당/ミンジュノドンダン)5議席(2+3)、創造韓国党(창조한국당/チャンジョハングクタン)2議席(0+2)、その他9議席となっている。

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汝矣島に建ち並ぶ高層ビル

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韓国 ソウル・青瓦台 韓国大統領官邸のブルーハウス

서울・청와대
서울・瓦臺
ソウル・チョンワデ (韓国語/朝鮮語)

대한민국서울특별시종로구
大韓民國서울特別市鍾路區
大韓民国ソウル特別市チョンノ区

韓国 ソウル・青瓦台 韓国大統領官邸のブルーハウス

 青瓦台(瓦臺/청와대/チョンワデ)は、大韓民国(대한민국/テハンミングク)の大統領府であり、韓国政治の中枢である。青瓦台は韓国の首都・ソウル(서울)の鍾路(종로/チョンノ)区、李氏朝鮮時代の王宮だった景福宮(경복궁/キョンボックン)の北西側にある。

 韓国の大統領は韓国語で「대통령」(テトンニョン/大統領)と呼ばれている。青瓦台は大統領官邸の建物に朝鮮伝統建築の青い瓦が使われていることからそう呼ばれ、アメリカ合衆国の大統領官邸であるホワイトハウス(White House)のように、英語では「The Blue House」と呼ばれる。

 青瓦台は、李氏朝鮮時代は景福宮の一部であったが、日本統治時代の昭和14年(1939年)に朝鮮総督府官邸が建てられ、韓国独立後に韓国大統領官邸となり、景武台(景武臺/경무대/キョンムデ)と呼ばれた。尹潽善(윤보선/ユン・ボソン)大統領時代の1960年に青瓦台(チョンワデ)と改名された。

 青瓦台は、韓国政治の中枢であるため、朴正煕(박정희/パクチョンヒ)大統領時代の1968年に北朝鮮のゲリラ部隊による青瓦台襲撃未遂事件が起こるなど、対立する北朝鮮からの襲撃対象となったこともあり、警備は厳しい。

 現在の建物は盧泰愚(노태우/ノ・テウ)大統領時代の1991年に建てられたものであり、旧朝鮮総督府官邸だった建物(旧本館)は1993年に解体された。青瓦台には本館(大統領執務室など)、秘書室、大統領官邸、庭園、プレスセンター(春秋館)、迎賓館、旧本館(景武台)跡記念碑などがある。

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韓国 ソウル・景福宮 光化門広場と李氏朝鮮王宮の景福宮

서울・경복궁
서울・景福宮
ソウル・キョンボックン (韓国語/朝鮮語)

대한민국서울특별시종로구
大韓民國서울特別市鍾路區
大韓民国ソウル特別市チョンノ区

韓国 ソウル・景福宮 光化門広場と李氏朝鮮王宮の景福宮

 「景福宮」(경복궁/キョンボックン)は、ソウル(서울)市の鍾路(종로/チョンノ)区にある李氏朝鮮時代の王宮であり、現在は韓国の歴史を伝える重要な観光スポットとなっている。

 景福宮は、地下鉄3号線の景福宮(경복궁/キョンボックン)駅または、地下鉄5号線の光化門(광화문/クァンファムン)駅からが近い。

 光化門は李氏朝鮮時代の初代国王である李成桂(이성계/イ・ソンゲ)がソウルの前身である漢陽(한양/ハニャン)に1394年に遷都した際に景福宮の正門として建てられた。景福宮は1395年に建設された。朝鮮戦争で焼失し、光化門は朴正煕(박정희/パク・チョンヒ)大統領の時代の1972年に再建されたが、盧武鉉(노무현/ノ・ムヒョン)大統領の時代に光化門を本来あった場所に戻すため、2006年より解体したうえで、復元工事が行われ、2010年末に完成予定である。

 光化門前から南へ伸びる世宗路(세종로/セジョンノ)は、もともと16車線ある巨大な道路であったが、中央の6車線ぶんを光化門広場(광화문/クァンファムン グァンジャン)として光化門復元と合わせて整備工事が行われ、2009年8月にオープンした。広場には豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本軍を追い払った朝鮮の李舜臣(이순신/イ・スンシン)将軍の銅像や、ハングル文字(한글/ハングル)を作った世宗大王の銅像が置かれ、噴水や歴史年表が並ぶ歴史水路などもある。

 1910年(明治43年)に日韓併合後、1912年から朝鮮総督府(조선총독부/チョソン チョンドクプ)庁舎が景福宮の敷地内に建設され、1925年に完成した。この総督府庁舎建設にともない、当時、光化門が撤去される計画が持ち上がったが、結局移築したうえで保存された。朝鮮総督府庁舎は4階建てで中央部にはドーム状の尖塔が印象的な重厚な建築物であったが、総督府庁舎を景福宮の本殿の前に建てたことは、日本の朝鮮支配の象徴的存在であった。戦後は韓国国立中央博物館(국립중앙박물관/クンニプ チュンアン パンムルグワン)として使われていたが、金泳三(김영삼/キム・ヨンサム)大統領時代の1996年に解体撤去された。

 景福宮は日本でいれば皇居にあたる場所だが、いまの大韓民国は大統領制の共和国であり、かつての王族はいまは平民である。日韓併合後、李氏朝鮮最後の国王(第27代君主)、大韓帝国第2代皇帝(在位:1907~1910)の純宗(순종/スンジョン)の家族および李氏朝鮮第26代君主、大韓帝国初代皇帝(在位:1897~1907)の高宗(고종/コジョン)は「王族」とされ、ソウル(当時は京城)の離宮である昌徳宮(창덕궁/チャンドックン)で暮らした。また、それ以外の韓国皇帝皇族傍系は「公族」とされた。これらの李王家の身分は1947年(昭和22年)に廃止され、平民となった。高宗の第7男子で皇太子だった李垠(이은/イ・ウン)氏は日本統治時代の1920年(大正9年)に日本の皇族であった梨本宮(なしもとのみや)家の方子(まさこ)さまと結婚、戦後は在日韓国人となり、朴正煕大統領の時代に韓国に帰国、昌徳宮で暮らした。李方子さんは韓国に帰化し、韓国で生涯日韓交流に尽くした。

 景福宮の正殿である「勤政殿」(근정전/クンジョンジョン)は、ちょうど朝鮮総督府庁舎のあった場所の裏側にある。勤政殿では朝鮮国王の即位式や大礼が行われ、現在の建物は1867年に再建されたもの。このほか、48本の花崗岩の石柱で一階を支え、二階で外国使節の接待や宮中の宴会にも使われた「慶会楼」(慶會樓/경회루/キョンフェル)や、思政殿(사정전/サジョンジョン)、慈慶殿(자경전/チャギョンジョン)などの建物がある。朝鮮伝統建築は屋根のデザインが日本建築とは大きく異なり、屋根の裏側に薄緑色をベースにカラフルな模様が描かれていて美しい。また、最近では興礼門(흥례문/フンネムン)や、高宗皇帝と閔妃が暮らした乾清宮(건청궁/コンチョングン)などが復元された。このほか、景福宮には韓国の昔の人々の暮らしを伝える国立民俗博物館(국립민속박물관/クンニプ ミンソク パンムルグァン)や、朝鮮王朝の王室関係の資料を展示する国立古宮博物館(국립고궁박물관/クンニプ コグン バンムルグァン)などが併設されている。光化門や興礼門の広場では、李氏朝鮮時代を再現した守門軍の交替儀式も行われている。

seoulkyonbokkung
ソウル景福宮の勤政殿

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韓国 ソウル ソウル金浦空港から満州方面へのフライト

서울・김포
서울・金浦
ソウル・キムポ (韓国語/朝鮮語)

대한민국서울특별시강서구
大韓民國서울特別市江西區
大韓民国ソウル特別市江西区

韓国 ソウル ソウル金浦空港から満州方面へのフライト

서울김포공항・ソウル金浦空港(ソウル・キムポ・ゴンハン)

 2001年に韓国ソウル(서울)の新しい玄関口として仁川国際空港(인천국제공항/インチョン・グクチェ・ゴンハン)が開港したが、それまでは金浦(김포/キムポ)空港がソウルの玄関口だった。

 ソウル市内から金浦空港へは、ソウル地下鉄5号線が乗り入れており、市中心部の鍾路3街(종로3가/チョンノ・サムガ)駅から22駅、約40分で結んでいた。市内から近くて比較的便利な空港だが、地下鉄がすべて各駅停車というのが、空港に向かうにはちょっと疲れし、スピーディーでない感じがした。

 2007年に、仁川国際空港~金浦空港を結ぶ空港鉄道が開業し、さらに2010年にはソウル(서울)駅まで乗り入れる予定になっているので、これが開業すれば両空港ともに非常に便利になる。

서울김포공항(ソウル金浦空港)→沈阳桃仙机场(瀋陽桃仙空港)

 1998年9月に、韓国経由ではじめて旧満州(中国東北地方)へ行った。このとき、ソウル金浦空港経由で、大韓航空(대한항공/テハン・ハンゴン)KE859便、ソウル9:50発→瀋陽11:40着の飛行機に乗った。

 飛行機がどのルートを飛んでいくのか、非常に興味深かった。飛行機は金浦空港を北の方向に離陸したとき、私はこの飛行機はおそらく北朝鮮上空は飛ばないだろうから、すぐ左(西側)へ旋回するのではないかと思っていた。ところが、飛行機は右に曲がった。明らかに満州瀋陽の方向ではない。もしかしてこのまま臨津江(임진강/イムジンガン)を越えて、北朝鮮の上空を飛んでくれるのかと期待した。

 すると飛行機はさらに右に迂回。ぐるっとソウル市を一周した形で西海(서해/ソヘ)のほうへ出た。少し残念な気もしたが、やはり大韓航空の飛行機は北朝鮮上空を飛べないのだろう。このとき、私は左の窓側の席だったが、右の席だったら、北朝鮮の海岸の景色が見えていたかもしれない。

 飛行機が再び上陸したときは、もう満州に入ったようで、広大な大地が広がっていて、日本の上空とは明らかに違う景色だった。途中で露天掘りの炭鉱らしきものも見えた。機内放送は韓国語、中国語、英語の3カ国語が使われていた。韓国語で瀋陽は심양(シミャン)と呼ぶ。

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