台湾 基隆・八堵 縦貫線と宜蘭線が分岐する駅

基隆・八堵
ケーラン・ペートー/Ke-lâng Peh-tó͘  (台湾語/ホーロー語)
チーロン・パートゥー/ㄐㄧ ㄌㄨㄥˊ ㄅㄚ ㄉㄨˇ (台湾華語/北京語)

臺灣基隆市暖暖區
台湾基隆市暖暖区

台湾 基隆・八堵 縦貫線と宜蘭線が分岐する駅

 八堵(台:ペートー/華:パートゥー)駅は、基隆(台:ケーラン/華:チーロン)市の暖暖(ロワンロワン/ヌワンヌワン)区にある台湾鉄道(台鉄)の駅で、縦貫線と宜蘭線(東部幹線)が分岐する駅である。

 八堵駅は3面4線のホームがあり、北側の島式ホームが基隆方面を結ぶ縦貫線、南側の相対式ホームが宜蘭線(東部幹線)用となっている。

 八堵駅は、基隆から台北(タイパッ)、新竹(シンティッ)方面を結ぶ縦貫鉄道(現・西部幹線)の駅として日本統治時代初期の1899年(明治32年)に開業した。1919年(大正8年)に宜蘭線の八堵~瑞芳(スイホン)が開業し、分岐駅となった。

 八堵から基隆方面は、そのまま東へ基隆河の鉄橋を渡り、竹子嶺トンネルで山を抜けて海側の市街地に出る。一方、宜蘭線は基隆河の流れに沿って、山のほうへ入っていく。このため八堵駅のホームは大きくカーブしている。

 台北方面へは、八堵駅から縦貫線と宜蘭線が合流し、その先が七堵の車両基地が広がっており、七堵駅に主要列車が停車するほか、西部幹線の列車は一部は基隆駅や宜蘭線に直通するものの、特急の多くは七堵駅で折り返している。

 八堵駅では戦後まもない1947年、中華民国の中国国民党政権による占領に反発する台湾人らが全土で抵抗した二二八事件が発生し、国民党政権はそれを弾圧するために中国大陸から台湾へ援軍を送り、基隆港から台湾に上陸した。国民党軍は基隆市内で掃討作戦を実施し、多くの無辜の市民が犠牲になった。また、八堵駅でも駅長および駅員ら13名が軍に殺された。この二二八事件における八堵駅での犠牲者を追悼する記念碑が、戒厳令解除された後、1994年に八堵駅前に建立された。

基隆・八堵エリアの主な駅

八堵 / ペートー(パートゥー) 駅
台鉄 縦貫線、宜蘭線(東部幹線)

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台鉄・八堵駅

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台鉄・八堵駅

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台湾 台北・南京復興 日本大使館「交流協会」と兄弟大飯店

臺北・南京復興
タイパッ・ラムキヤホクヒン/Tâi-pak・Lâm-kiaⁿ-ho̍k-heng (台湾語/ホーロー語)
タイペイ・ナンチンフゥーシン/ㄊㄞˊㄅㄟˇ ㄋㄢˊㄐㄧㄥ ㄈㄨˋㄒㄧㄥ (台湾華語/北京語)

臺灣臺北市松山區、中山區
台湾台北市松山区、中山区

台湾 台北・南京復興 日本大使館「交流協会」と兄弟大飯店

 南京復興(台:ラムキヤホクヒン/華:ナンチンフゥーシン)は、台北(タイパッ/タイペイ)市の松山(ションサン/ソンサン)区と中山(テョンサン/ツォンサン)区の境、東西に走る南京東路と南北に貫く復興北路の交差点のあたりの地区で、復興北路に台北メトロ(臺北捷運)文湖線が高架で、南京東路の地下には台北メトロ・松山新店線が走り、南京復興駅は両線の乗り換え駅となっている。

 このあたりは、かつては「朱厝崙」(ツウツウルン)と呼ばれ、のどかな平地であったが、台北市の市街地拡大によって南京東路や復興北路が整備されてビル群が建ち並ぶ都会的風景に変化し、台北の中でもビジネスの中心街の一つとなっていて、人通りが多い。

 復興北路に高架で建設された新交通システムの台北メトロ文湖線(当時は木柵線)が、1996年に開業した際、同駅は「南京東路」(台:ラムキヤタンロォー/華:ナンチントンルウ)駅として開設された。

 しかしながら、南京東路は東西に長く、どの大通りとの交差点に駅があるのかわかりにくかったため、南京東路の地下に建設された地下鉄松山新店線が開業するのに合わせて、2011年に「南京復興」駅に改名された。また、文湖線は2009年に台北松山空港に乗り入れ、松山空港(松山機場/ションサンキーティウ/ソンサンチーツァン)駅まで2駅約5分で行けるようになり、空港へのアクセスが非常に便利になった。

 駅前には1979年に開業した「兄弟大飯店」(ブラザーホテル)があり、同ホテルは台湾プロ野球球団「兄弟エレファンツ」の創設企業としても知られている。「兄弟エレファンツ」は2014年度より中国信託ホールディンググループの出資により「中信兄弟エレファンツ」となった。

 南京復興駅から北東へ斜めに伸びる慶城街を200mほど歩いていくと、公益財団法人「交流協会」台北事務所がある。ここは、1972年に日本と中華民国(台湾)との国交が断絶したことから、日台間の実質的な交流を継続するために開設されたところで、実質的には駐台湾日本国大使館に相当する施設となっている。

 南京復興駅から南京東路を西へ行くと、5つ星の「六福皇宮」(ウェスティンホテル)や、中華航空(チャイナエアライン)のビルがあり、遼寧街(リャオニンチエ)には夜市(ナイトマーケット)もある。復興北路の周辺はオフィスビルが建ち並び、南に進んでいくと市民大道の手前に「微風廣場」(ウェイフォンクァンツァン/ブリーズセンター)というショッピング施設がある。ここはかつてはドリンクメーカー「黒松」の台北中崙工場があったところで、工場跡地が再開発されて2001年にオープンした。

台北・南京復興エリアの主な駅

南京復興 / ラムキヤホクヒン(ナンチンフゥーシン) 駅
台北捷運 文湖線松山新店線

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南京復興駅と兄弟大飯店

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文湖線・南京復興駅

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文湖線、忠孝復興~南京復興

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文湖線から見える市民大道と微風広場

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南京復興駅前の慶城街

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日本大使館に相当する交流協会台北事務所のビル

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交流協会台北事務所

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松山線工事中の写真

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台湾 基隆・七堵 台鉄西部幹線が折り返すターミナル駅

基隆・七堵
ケーラン・チットォー/Ke-lâng Chhit-tó͘ (台湾語/ホーロー語)
チーロン・チートゥー/ㄐㄧ ㄌㄨㄥˊ ㄑㄧ ㄉㄨˇ (台湾華語/北京語)

臺灣基隆市七堵區
台湾基隆市七堵区

台湾 基隆・七堵 台鉄西部幹線が折り返すターミナル駅

 七堵(台:チットォー/華:チートゥー)は、基隆(ケーラン/チーロン)市の西部にある人口約5万人の区で、西が新北(シンパク/シンペイ)市の汐止(シクチー/シーツー)区と接している。

 新北・汐止から基隆にかけては、基隆河に沿って走る台湾鉄道(台鉄)に五堵、七堵、八堵などの駅名が続いているが、これはかつて先住民族の襲撃を防ぐために土垣を築いたことに由来している。現在の行政区分では、五堵駅は新北市汐止区、七堵駅は基隆市七堵区、八堵駅は基隆市暖暖区に属する。

 七堵区内には台鉄・縦貫線(東部幹線・西部幹線)が通っており、区内に七堵駅と百福(パーホク/パイフゥー)駅がある。百福駅は普通電車のみ停車する2007年に開業した比較的新しい駅で、百福社区(団地)や六堵科技園区(サイエンスパーク)の最寄り駅である。

 七堵駅は、七堵区役所の最寄り駅であるが、七堵の町は、蛇行する基隆河と山が迫っているため、市街地は大きくなく、かつては特急「自強号」などは通過するローカル駅だった。しかも、以前の久宝寺駅や新三郷駅のように、操車場を挟んで上りと下りのホームが大きく離れていた。

 七堵の市街地は北側に広がっており、七堵駅の表玄関は北側(基隆・宜蘭行)のホーム側にあり、そこには日本統治時代の1908年(明治41年)に建てられた木造駅舎があり、現在は駅舎としての役割は終えて、歴史建築として保存されている。

 七堵駅には大規模な操車場があり、広大な敷地があった。台北市の松山(ションサン/ソンサン)駅と南港(ラムカン/ナンカン)駅の地下化工事にともない、もともと松山駅で折り返していた西部幹線(新竹・台中・台南・高雄方面)の特急電車が七堵駅まで延長運転され、七堵駅で折り返すことになった。それに合わせて上下線が離れていた七堵駅は統合工事が行われ、南側に4面8線の大規模なターミナル駅が建設され、2007年に完成し、2008年より西部幹線の折り返しが始まり、停車する特急自強号や急行莒光号が増えた。

 七堵駅から南港駅までは、輸送力強化のため3線化工事が行われ、2013年に完成した。これにより、一部区間で緩急分離され、普通・特急のスピードアップと本数増加の効果があった。ただし、複々線ではないため、ピーク時に上下線両方使うことはできず、その効果は限定的であり、基隆から台北への通勤客の不便が解消されていない。できることなら、通勤時間帯の七堵止まりとなっている西部幹線の特急を基隆まで乗り入れ本数を増やし、日本のホームライナーのように、着席通勤特急を増やせば、基隆~台北の輸送力増強と快適通勤に寄与すると思われる。

基隆・七堵エリアの主な駅

七堵 / チットォー(チートゥー) 駅
台鉄 縦貫線(西部幹線・東部幹線)

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台鉄・七堵駅

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台鉄・七堵駅

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七堵の台鉄車両基地

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台湾 台北・木柵 台北市立動物園と猫空ロープウェー

臺北・木柵
タイパク・バクサー/Tâi-pak Bak-sa (台湾語/ホーロー語)
タイペイ・ムウツァー/ㄊㄞˊ ㄅㄟˇ ㄇㄨˋ ㄓㄚˋ (台湾華語/北京語)

臺灣臺北市文山區
台湾台北市文山区

台湾 台北・木柵 台北市立動物園と猫空ロープウェー

 木柵(バクサー/ムウツァー)は、台湾の台北(臺北/タイパク/タイペイ)市南東部の文山(ブンサン/ウェンサン)区にある地区で、新交通システムの台北捷運(台北メトロ)文湖線の木柵駅や動物園(トンブッフン/トンウーユエン)駅がある。

 木柵はもともと福建省からの移民が、台湾の先住民からの襲撃を防ぐために設けた木の柵が地名の由来となっている。このあたりは以前は深坑(チムキィ)庄に属し、坡内坑(ピーライキィ)と呼ばれていた。戦後、深坑庄は台北県(現・新北市)の深坑、木柵、景美(キンボエ/チンメイ)の3つの郷に分かれた。その後、人口の増加で、台北県の景美鎮と木柵郷が台北市に編入され、景美区と木柵区となった。その後、1990年の区の再編により、景美区と木柵区が合併して文山区となった。木柵の東に隣接する台北県深坑郷は、2010年に新北市深坑区となった。

 木柵駅からは、「臭豆腐」(ツァウタウフウ/ツォウトウフゥー)が有名な深坑や、台鉄平渓線沿線のレトロな町が人気の平渓(平溪/ピンケー/ピンシー)方面のバスが走っている。木柵の市街地は、木柵駅の南約1キロのところにあり、南京にあった中国国民党の中央党務学校を前身とする文系に強い「国立政治大学」(政治大學/チンティー タイハク / ツェンツー ターシュエ)も木柵にある。

 動物園駅は1986年に移転開設された台北市立動物園の最寄り駅で、台北捷運文湖線(開業当時は木柵線)の動物園駅は1996年に開設された。駅前にはバスターミナルがあり、政治大学や新北市新店(シンテャム/シンティエン)区方面を結ぶバスなどがある。将来的には台北捷運・環状線が地下に建設され、新北市新店区の大坪林(トアピィナア/ターピンリン)駅で地下鉄松山新店線と連絡し、新北市の中和(テョンホー/ツォンホー)、板橋(パンキオ/パンチャオ)方面と結ばれる計画がある。

 台北市立動物園には、タイワンツキノワグマ(臺灣黑熊)、タイワンジカ(臺灣梅花鹿)、タイワンキョン(臺灣山羌)、タイワンザル(臺灣獼猴)、ウンピョウ(雲豹)などの台湾の動物をはじめ、世界中のさまざまな動物が公開されており、コアラやペンギンの人気が高いほか、日本の北海道から贈られたタンチョウ鶴の「ビッグ」と「キカ」、中華人民共和国から贈られたジャイアントパンダの「團團」(トワントワン)と「圓圓」(ユエンユエン)、そして「圓圓」が産んだ台湾生まれの「圓仔」(イィアー)が特に人気が高い。

 2007年、動物園駅から文山茶で知られる猫空(貓空/ニャウカン/マオコン)地区を結ぶ猫空ロープウェー(貓空纜車)が開業した。猫空ロープウェーの動物園駅は、文湖線の動物園駅から動物園と反対側、政治大学方面に300mほど歩いたところにある。このロープウェーは、動物園~動物園南~指南宮~猫空の約4キロを結び、ロープウェーの次の駅は、台北市立動物園の南側にある動物園南駅(動物園内駅から2015年に改称)。この先でロープウェーは約80度向きを変える。ロープウェーからはフォルモサ高速道路の木柵ジャンクションや台北101ビルなどがよく見え、台北市を見渡しながら空中散歩できる。

台北・木柵エリアの主な駅

木柵 / バクサー(ムウツァー) 駅
台北捷運 文湖線

動物園 / トンブッフン(トンウーユエン) 駅
台北捷運 文湖線
台北捷運 貓空纜車

動物園南 / トンブッフンラム(トンウーユエンナン) 駅
台北捷運 貓空纜車

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文湖線・木柵駅

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文湖線・動物園駅

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文湖線・動物園駅

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猫空ロープウェー動物園駅

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猫空ロープウェー動物園駅

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猫空ロープウェー動物園南駅

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猫空ロープウェー動物園南駅

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猫空ロープウェーから見た台北101ビル

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フォルモサ高速道路・木柵ジャンクション

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猫空ロープウェーから見た木柵の街並み

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台湾 新北・新荘 新北市の副都心と新荘廟街夜市

新北・新莊
シンパク・シンツン/Sin-pak Sin-chng (台湾語/ホーロー語)
シンペイ・シンツォアン/ㄒ一ㄣ ㄅㄟˇㄒ一ㄣ ㄓㄨㄤ (台湾華語/北京語)

臺灣新北市新莊區
台湾新北市新荘区

台湾 新北・新荘 新北市の副都心と新荘廟街夜市

 新荘(新莊/シンツン/シンツォアン)区は、台湾北部の新北(シンパク/シンペイ)市中西部にある人口約41万人の区。東が三重(サァティンポォー/サンツォン)区、北が五股(ゴォーコォー/ウークウ)区と泰山(タイサン)区、南が板橋(パンキオ/パンチャオ)区と樹林(チウナアー/スウリン)区、西が桃園(トーフン/タオユエン)市の亀山(龜山/クウソワ/クエイサン)区と接している。

 新荘区は、新北市を流れる大漢渓(大漢溪/タイハンケー/ターハンシー)の北に市街地が広がっている。新北市政府(市役所)がある板橋とは川を挟んで隣接し、さらに首都・台北(臺北/タイパク/タイペイ)とも10キロ圏内であり、ベッドタウンとしても発展し、人口密度も高い。

 新荘は、古くは先住民ケタガラン族が住むプラウワン(Pulauan/武朥灣社)という村があった。清国時代に主に福建省南部からの移民が増加し、新しい街という意味で「新莊」(シンツン)と呼ばれるようになった。新荘には、清国時代末期に台北~新竹の鉄道が開通したが、日本統治時代に新荘~桃園の急勾配を緩和するために縦貫線のルートが板橋を通るように変更され、それ以来、新荘は鉄道が通っていなかった。

 戦後は、新荘の旧市街地を東西に結ぶ台1甲線の中正路と、新北部を東西に結ぶ台1線の新北大道(旧・中山路)が通り、台北~桃園を結ぶ道路交通の大動脈となり、街が発展した。市北部では工業も発達した。

 そして、台北への通勤にこれらの道路がかなり混雑し、バスも時間がかかることから、地下鉄が建設されることになり、台北メトロ(臺北捷運)新蘆中和線の新荘支線が2012年1月に大橋頭(トアキオタウ/ターチャオトウ)~輔大(フウタイ/フゥーター)が開業し、忠孝新生(テョンハウシンシン/ツォンシャオシンセン)~輔大の運行が始まり、2012年9月から中和線との直通運転も始まり、2013年に輔大~迴龍(ホエリョン/ホエイロン)が開業し、南勢角(ラムセーカク/ナンスーチャオ)~迴龍の全線開業となった。

 地下鉄新荘線は、市内に頭前庄(タウチンツン/トウチエンツォアン)、新荘、輔大、丹鳳(タンホン/タンフォン)、迴龍の各駅がある。新荘駅は、旧・新荘市公所(市役所)である新荘区公所の最寄り駅で、駅の南には廣福宮(三山國王廟)、新荘慈祐宮、新荘武聖廟などの廟がある新荘路が新荘廟街と呼ばれる商店街になっていて、夜は新荘廟街夜市として新荘を代表するグルメ街となっている。この夜市は以前は外国人観光客にはなじみがなかったが、地下鉄の開業で、新荘の観光が便利になった。

 輔大駅は輔仁大学(フウジンタイハク/フゥーレンターシュエ)の最寄り駅で大学生が多く、学生街もある。迴龍駅は、新荘線の車両基地と、ハンセン病施設の「楽生療養院」があり、車両基地建設の際に台湾におけるハンセン病治療の歴史を伝える観点から移転・取り壊し反対運動が起こり、一部施設が保存された。

 頭前庄駅は、新北市を南北に貫き、板橋駅や中和(テョンホー/ツォンホー)区、新店(シンテャム/シンティエン)区方面を結ぶ新交通システムの台北メトロ環状線が建設中であり、環状線はこの先、新北産業園区(新北產業園區)駅まで結び、桃園空港連絡鉄道(桃園機場捷運)と連絡する。頭前庄駅の近くには保元宮があり、ここから新荘路が西へ伸びている。大漢橋からは板橋区の高層マンションがよく見える。

 桃園空港線は新北市内に新北産業園区駅と新荘副都心駅が開設され、新北産業園区駅は空港快速も停車する。新荘副都心駅は高層マンション建設が進み、台湾政府の中央機構の副都心として行政院新荘連合ビルがあり、ここに文化部、原住民族委員会、客家委員会などの省庁のオフィスがある。

新北・新荘エリアの主な駅

新莊 / シンツン(シンツォアン) 駅
台北捷運 新蘆中和線

頭前庄 / タウチンツン(トウチエンツォアン) 駅
台北捷運 新蘆中和線

輔大 / フウタイ(フゥーター) 駅
台北捷運 新蘆中和線

迴龍 / ホエリョン(ホエイロン) 駅
台北捷運 新蘆中和線

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地下鉄新蘆中和線(新荘線)新荘駅

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新荘駅前(中正路)

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新荘廟街夜市

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新荘廟街夜市

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新荘慈祐宮

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新荘慈祐宮

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新荘武聖廟

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保元宮

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新荘路

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大漢橋から見た大漢渓と板橋区の高層マンション群

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頭前庄駅前

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輔仁大学

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迴龍駅近くの楽生療養院

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台湾 台北・大稲埕 台北の旧市街地、永楽市場と迪化街

臺北・大稻埕
タイパッ・トアティウティヤ/Tâi-pak・Tōa-tiū-tiâⁿ (台湾語/ホーロー語)
タイペイ・タータオツェン/ㄊㄞˊㄅㄟˇ ㄉㄚˋㄉㄠˋㄔㄥˊ (台湾華語/北京語)

臺灣臺北市大同區
台湾台北市大同区

台湾 台北・大稲埕 台北の旧市街地、永楽市場と迪化街

 大稲埕(大稻埕/台:トアティウティヤ)は、台北(臺北/台:タイパッ/華:タイペイ)市の大同(台:タイトン/華:タートン)区にあるエリアで、台北の中でも歴史ある旧市街地の一つである。

 大稲埕の地名の由来は、台湾語(ホーロー語)で稲を干す空き地という意味で、19世紀半ばから市街地化が進んだ。台北の古くから栄えていた艋舺(バンカ)で、福建からの移民の出身地の違いから闘争にあり、泉州(ツォワンチウ)の同安(タンオワ)出身の人たちが大稲埕に移り住むようになった。大稲埕は淡水(タムツイ)河に面しているので、淡水河の港を利用して発展した。

 大稲埕には1859年に霞海城隍廟(台:ハーハイ シンホンビョー)が建立され、同安の同郷の人たちの信仰の中心となった。砂の堆積で艋舺の港が廃れ、大稲埕が台北の港の地位を確立する。そして、イギリス人との福建のウーロン茶(烏龍茶/オーリョンテー)の貿易が活発になり、茶葉商社が栄えるようになった。

 日本統治時代は、台北の城内(シヤライ)などの中心部が日本人街になった一方で、大稲埕は台湾人(本島人)の街として発展を続けてきた。日本時代、大稲埕の中心地は永楽町(えいらくちょう/インロクティン)と呼ばれた。布袋戯(布袋戲/ポーテーヒー)や歌仔戯(歌仔戲/コアヒー)などの台湾伝統芸能も栄えた。また、日本時代の中期には大正デモクラシーの影響を受け、台湾民主化を目指す台湾新文化運動の拠点にもなった。大稲埕にはこの時代に発展した街並みが残されている。

 戦後、中華民国の統治下となると、日本時代に永楽町通と呼ばれた大稲埕のメインストリートは、迪化街(ティーホアチエ)と改名された。「迪化」とは、中華民国時代の新疆ウイグルのウルムチ(烏魯木斉 / ئۈرۈمچی )の旧名で、台北を中国の地図に見立てたときにちょうど北西部にあたることから名づけられたものであり、もともとの台湾の歴史とはまったくゆかりのない地名に変えられたのだった。

 1947年の2月には大稲埕の南京西路(ラムキヤ セーロォー / ナンチン シールウ)にある法主公廟(ホアッツウコンビョー)の向かいの「天馬茶房」の前で闇タバコの取り締まりの暴力事件をきっかけに台湾人が外来中国人統治に反抗する「二二八事件」が発生した。

 現在、迪化街は、永楽市場(永樂市場/ヨンロク チーティウ)が食料品の市場のほか、布の市場として広く知られているほか、迪化街沿いにはドライフルーツやフカヒレやナマコなどの高級食材を含む乾物を販売する店舗が並んでおり、旧正月の年末には「年貨大街」として買い物客でたいへん混雑する。

 迪化街へは、これまで地下鉄淡水線の中山(テョンサン/ツォンサン)駅、双連(雙連/シャンレン/スワンリエン)駅から徒歩20分ほどであったが、2010年に地下鉄新蘆中和線の大橋頭(トアキオタウ/ターチャオトウ)駅、2014年に松山新店線の北門(パクムン/ペイメン)駅ができて大稲埕観光へのアクセスがよくなった。

 南京西路から重慶北路の交差点へと進んでいくと円環(圓環/イィコワン/ユエンホワン)がある。ここは1908年(明治41年)にできたロータリーの公園であるが、戦後は屋台街として発展したが、老朽化で取り壊され、その屋台は近くの寧夏街(リンハーケー/ニンシアチエ)夜市として再オープンした。2002年に新しい建物が建って美食街としてオープンしたが、円形の建物の設計不良のため、うまく運営できず、廃墟のようになってしまった。

台北・大稲埕エリアの主な駅

北門 / パッムン(ペイメン) 駅
台北捷運 松山新店線

中山 / テョンサン(ツォンサン) 駅
台北捷運 淡水信義線松山新店線

雙連 / シャンレン(スワンリエン) 駅
台北捷運 淡水信義線

大橋頭 / トアキオタウ(ターチャオトウ) 駅
台北捷運 新蘆中和線

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大稲埕・迪化街の街並み

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大稲埕・迪化街の街並み

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大稲埕・迪化街の街並み

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大稲埕・霞海城隍廟

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永楽市場

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永楽市場

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台北円環

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台北円環

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寧夏街夜市

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寧夏街夜市

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台湾 台北・双連 双連朝市とマカイ病院と国賓大飯店

臺北・雙連
タイパク・シャンレン/Tâi-pak・Siang-liân (台湾語/ホーロー語)
タイペイ・スワンリエン/ㄊㄞˊㄅㄟˇ ㄕㄨㄤ ㄌ一ㄢˊ (台湾華語/北京語)

臺灣臺北市中山區、大同區
台湾台北市中山区、大同区

台湾 台北・双連 双連朝市とマカイ病院と国賓大飯店

 台北(臺北/タイパク/タイペイ)駅から台北捷運(地下鉄)淡水線で北方向へ二駅行ったところにある駅が双連(雙連/シャンレン/スワンリエン)駅。淡水線の東側が中山(テョンサン/ツォンサン)区、西側が大同(タイトン/タートン)区となっている。

 双連には以前は台鉄淡水線の双連駅があったが、地下鉄化工事のために1988年に廃止され、その路盤を使って捷運淡水線の工事が行われ、地下鉄の双連駅が1997年に開業した。双連からは中山駅を経由して台北駅まで2駅ぶん、地下鉄の真上に中山地下街が通っている。

 地下鉄の真上の旧・台鉄淡水線の跡地は公園となっており、双連駅の北側は、双連朝市の市場(菜市仔/ツァイチアー)の屋台が並んでいて、新鮮な野菜や果物が販売されている。市場のそばには「台北文昌宮」の廟がある。

 駅前には、東西に民生西路(ビンシン セーロォー / ミンセン シールウ)が通っていて、中山北路(ティンサン パクロォー / ツォンサン ペイルウ)の角に台湾基督長老教会のマカイ(Mackay)牧師が滬尾(ホォーボエ)(いまの淡水)に開業した病院を前身とするマカイ記念病院(馬偕紀念醫院)がある。同病院は1912年にこの地に開設された。

 中山北路二段には、台湾を代表する5つ星ホテルの一つである台北国賓大飯店(台北國賓大飯店/コッピン トアプンテャム / クオピン ターファンティエン/The Ambassador Hotel)がある。ここは1964年にオープンし、宿泊のほか各種重要な会議にも利用されている。

台北・双連エリアの主な駅

雙連 / シャンレン(スワンリエン) 駅
台北捷運 淡水信義線

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地下鉄淡水信義線・双連駅

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双連の駅前

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双連朝市

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マカイ記念病院

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台北国賓大飯店

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中山北路

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台湾 台北・行天宮 関羽を祀る行天宮と占い横丁

臺北・行天宮(恩主公)
タイパク・ウンツウコン/Tâi-pak Un-chú-kong (台湾語/ホーロー語)
タイペイ・シンティエンコン/ㄊㄞˊㄅㄟˇ ㄒ一ㄥˊㄊ一ㄢ ㄍㄨㄥ (台湾華語/北京語)

臺灣臺北市中山區
台湾台北市中山区

台湾 台北・行天宮 関羽を祀る行天宮と占い横丁

 「行天宮」(ヒンティーキョン/シンティエンコン)は、台北(臺北/タイパク/タイペイ)市の中山(テョンサン/ツォンサン)区にある道教の関帝廟で地元では台湾語(ホーロー語)で「恩主公」(ウンツウコン)と呼ばれている。

 行天宮は、民権東路と松江路の交差点の北東側に広がっており、松江路には2010年に台北地下鉄の中和新蘆線の行天宮駅が開設され、地下鉄での観光が便利になった。

 行天宮は、日本統治時代の1943年(昭和18年)に台北市永楽町に開設された関聖帝君を祀る「行天堂」が起源で、戦後の1949年に後に「玄空師父」と呼ばれる黄欉(黃欉/ンー ツァン)によって台北市の九台街(今の民権東路と林森北路のあたり)に建てられた。

 黄欉は1956年に台北市郊外の北投(パッタウ/ペイトウ)に北投忠義廟、台北県(現・新北市)の三峡(三峽/サムキャプ)に三峡行修宮を建て、台北の「行天宮」本宮と北投・三峡の分宮を合わせて「行天三宮」と呼ぶようになった。

 現在の場所には1968年に移転した。現在、行天宮では、「關雲長」(関羽)、「呂洞賓」、「張單」、「王善」、「岳飛」の「五恩主」が主に祀られており、地元で篤い信仰を受けており、1日約2万人もの参拝客が訪れる。

 日本人観光客にも人気があり、松江路と民権東路の交差点の地下道は、日本語が話せる手相や金運・恋愛運などさまざまな占い屋が並ぶ「占い横丁」となっており、日本人観光客の人気スポットの一つとなっている。

台北・行天宮エリアの主な駅

行天宮 / ヒンティーキョン(シンティエンコン) 駅
台北捷運 中和新蘆線

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行天宮

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行天宮

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行天宮そばの地下街の占い横丁

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台湾 新北・中和 地下鉄中和線、国立台湾図書館、興南夜市、ビルマ街

新北・中和
シンパク・テョンホー/Sin-pak Tiong-hô (台湾語/ホーロー語)
シンペイ・ツォンホー/ㄒ一ㄣ ㄅㄟˇ ㄓㄨㄥ ㄏㄜˊ (台湾華語/北京語)

臺灣新北市中和區
台湾新北市中和区

台湾 新北・中和 地下鉄中和線、国立台湾図書館、興南夜市、ビルマ街

 中和(テョンホー/ツォンホー)区は、台湾北部の新北(シンパク/シンペイ)市の中部にある人口約42万人の区。以前は台北県中和市であったが、2010年末の地方自治体再編で台北県が直轄市の新北市になったことから、新北市中和区となった。

 北が台北市萬華(バンカ/ワンホア)区と新北市の永和(インホー/ヨンホー)区、南東が新店(シンテャム/シンティエン)区、西が土城(トォーシヤ/トゥーツェン)区と板橋(パンキオ/パンチャオ)区と接している。首都・台北(タイパク/タイペイ)のベッドタウンとして発展し、人口密度が非常に高い。

 台北市から新北市永和区を経由して台北捷運(地下鉄)中和新蘆線が伸びていて、中和区内に永安市場(インアンチーティウ/ヨンアンスーツァン)、景安(キンアン/チンアン)、南勢角(ラムシーカク/ナンスーチャオ)の各駅がある。地下鉄で10分ほどで台北市内へ行くことができ、台北市中心部の忠孝新生(テョンハウ シンシン /ツォンシャオ シンセン)駅へも20分ほどで行くことができるので、台北への通勤が非常に便利である。

 一方で、新北市政府庁舎の所在地である板橋区と接しているが、中和区から鉄道交通が連絡しておらず、系統が複雑で遅いバス交通は不便である。そこで、新北市の都市部である新店区、中和区、板橋区、新荘区を一本で結ぶ台北捷運(新交通システム)環状線が計画され、2011年に着工、2016年に第一期区間(大坪林~景安~板橋~新北産業園区)の開業を予定している。

 新交通システムの環状線は中和区内に秀朗橋(シウロンキオ/ショウランチャオ)、景平(キンピン/チンピン)、景安(キンアン/チンアン)、中和(テョンホー/ツォンホー)、橋和(キオホー/チャオホー)、中原(テョンゴワン/ツォンユエン)の各駅が開設され、景安駅が地下鉄中和新蘆線との乗り換え駅となり、中和駅が中和区役所の最寄り駅となる。

 このほか、中和区の南部にはフォルモサ高速道路(3号線)が通っており、中和インターチェンジがあり、中和ICから台64線の高架道路が板橋区方面と秀朗橋方面に伸びている。

 中和は、古くは先住民ケタガラン族のシウロン(秀朗)社と呼ばれる村があった。17世紀後半に清国福建省の泉州(ツォワンチウ)からの移民が台北盆地の開拓を始め、さらに18世紀前半には福建省の漳州(チャンチウ)からの移民も増え、中和地区では特に漳州の出身者が多くなった。

 中和の地名が誕生したのは、日本統治時代の1920年(大正9年)のことであり、海山(ハイサン)郡の中坑(テョンケェ)庄と漳和(チャンホー)庄が合併する際に中坑の「中」と漳和の「和」をとって「中和」(テョンホー)庄となった。

 戦後は、台北県中和郷となり、1949年(民国38年)の中華民国政府の台湾移転にともない、中国大陸からやってきた軍人などが多く住むようになり、台北の郊外であることから人口が増え、1958年に中和郷のより台北市に近い北部が永和鎮として分離し、中和も台北衛星都市の拡大にともない1970年代に人口が急増し、1978年に中和市(当時人口約17万人)となり、今では永和の人口も抜き、人口40万人を突破し、2010年には台北県が新北市となったことから台北県中和市は新北市中和区となった。

 中和は以前は農業や鉱業が盛んであったが、1960年代から紡織業、印刷業などが発展し、住宅地の開発で人口増加にともない商業も発展した。近年はフォルモサ高速・中和ICの周辺に情報通信産業などが発展している。

 地下鉄中和新蘆線のうち、中和市を走る中和線にあたる区間(古亭~南勢角)は1998年に開業した。

 永安市場駅は永和市との境界にあり、ホームは上下線が2層式のホームとなっている。中和市側には八二三紀念公園があり、園内には国立台湾図書館(國立台灣圖書館)や、1953年8月23日の金門島を中共軍の砲撃から死守した「八二三砲戦」の歴史を伝える「八二三紀念館」などがある。

 景安駅は、中和市の東西を結ぶ景平路(台64線)との交差点にあり、2016年には環状線との乗り換え駅となる予定である。

 南勢角駅は、地下鉄中和新蘆線の終点。ここには、もともと台鉄中和線の中和駅(貨物駅)があり、その跡地に地下鉄の南勢角駅が建設された。台鉄中和線は1960年代半ばに石炭やセメントを輸送する目的で開業した板橋駅から中和駅を結んでいた貨物線で、1990年に廃止され、その廃線跡は板橋区内は板新路、中和区内は板南路となっていて、その道路上には現在、環状線の建設が進められており、それが開業すれば台鉄中和線とほぼ同じルートが旅客化されて復活することになる。

 南勢角駅前には「中和興南夜市」(ヒンラム ヤチアー / シンナン イエスー)があり、中和市を代表する観光スポットの一つとなっている興南路の入口には「中和市興南観光夜市」と書かれた大きな門がある。食べ物屋台や生活用品などを販売する店舗が並んでいる。

 南勢角駅から興南路を10分ほど歩いたところにある華新(ホアシン)街は、別名「緬甸街」(ミエンティエンチエ)と呼ばれるビルマ出身者が集まるビルマ(ミャンマー)街。中国・雲南(ユンナン)省出身の華人が国共内戦で国民党軍とともにビルマに逃れ、中華民国政府と国民党が台湾に移転したことから、国民党系のビルマ華人が中和市の華新街周辺に集まるようになり、ビルマ街が形成された。ビルマ料理や雲南料理のレストランや食材店などが集まり、お店の看板は漢字のほか丸い文字が印象的なビルマ語が使われている。粑粑絲(パパス)という麺料理や、ビルマはインドの食文化にも近いのかナンやカレー、ラッシー、ミルクティーなどもあり、雲南&ビルマグルメが味わえる異国情緒が感じられる観光スポットとなっている。

新北・中和エリアの主な駅

南勢角 / ラムシーカク(ナンスーチャオ) 駅
台北捷運 中和新蘆線

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地下鉄中和線・南勢角駅

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地下鉄中和線・南勢角駅

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中和興南夜市

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南勢角駅前の鉄塔にあったビルマ文字

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ビルマ語の看板が目立つ華新街

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ビルマ語の看板が目立つ華新街

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台湾 台北・民権西路 淡水線と新蘆線、歴史ある成淵高校、中山北路の変身写真館、大同本社

臺北・民權西路
タイパク・ビンコワンセーロォー/Tâi-pak Bîn-koân-se-lō͘ (台湾語/ホーロー語)
タイペイ・ミンチュエンシールウ/ㄊㄞˊㄅㄟˇ ㄇ一ㄣˊ ㄑㄩㄢˊ ㄒ一 ㄌㄨˋ (台湾華語/北京語)

臺灣臺北市中山區、大同區
台湾台北市中山区、大同区

台湾 台北・民権西路 淡水線と新蘆線、歴史ある成淵高校、中山北路の変身写真館、大同本社

 民権西路(民權西路/ビンコワンセーロォー/ミンチュエンシールウ)駅は、台北(臺北/タイパク/タイペイ)市の中山(テョンサン/ツォンサン)区と大同(タイトン/タートン)区の境にある台北捷運(地下鉄)淡水線と中和新蘆線の駅。

 淡水線の民権西路駅は1997年に開業した地下駅で、淡水線は民権西路駅の北側で地上に出て高架を走り、次の円山(圓山/イィソワー/ユエンサン)駅は高架駅である。淡水線は北行きは台北郊外の士林(スウリム/スーリン)、北投(パクタウ/ペイトウ)、淡水(タムツイ/タンスエイ)方面を結び、南行きは台北駅(臺北車站/タイパク チアツァム/タイペイ ツォーツァン)、中正紀念堂(テョンチン キーリャムトゥン/ツォンツェン チーニエンタン)、新店(シンテャム/シンティエン)方面を結んでいる。また、2013年11月には中正紀念堂駅から東門(タンムン/トンメン)、大安(タイアン/ターアン)、台北101(タイペイ イーリンイー)、象山(チウソワ/シャンサン)方面を結ぶ信義線が開業予定で、開業後は淡水線の電車が乗り入れる。

 淡水線と交差する東西に伸びる民権西路は、台北市を東西に縦断する主要道路の一つ。中山北路(テョンサン パクロォー/ツォンサン ペイルウ)より東は、民権東路となる。民権西路は、バスレーンが設けられ、以前は台北大橋を通って新北(シンパク/シンペイ)市方面を結ぶバスが非常に多く発着していたが、民権西・東路の地下に2010年に新蘆線(新荘・蘆洲線)が開業し、民権西路駅は淡水線と新蘆線の乗り換え駅となり、地下鉄に多くが流れ、バス利用者は以前より減っている。新蘆線は、西行きが新北市の蘆洲(ロォーチウ/ルウツォウ)、三重(サァティンポォー/サンツォン)、新荘(新莊/シンツン/シンツォアン)、廻龍(ホエリョン/ホエイロン)方面を結び、東行きが忠孝新生(テョンハウ シンシン/ツォンシャオ シンセン)、東門、古亭(コォーティン/クウティン)方面を結び、さらに古亭駅から中和線の南勢角(ラムシーカク/ナンスーチャオ)方面を結んでいる。台北駅を経由せずに忠孝新生駅で地下鉄板南線と乗り換えることができることから、淡水線の混雑緩和にも貢献している。

 民権西路駅の西側に南北に貫く承徳路沿いにある台北市立成淵高級中学(高校)は、100年以上の歴史を持つ名門校で、その前身は日本統治時代の1897年(明治30年)の夜間中学「民政部研修会」。翌年に「私立東門学校」と改称され、さらに1905年(明治38年)に私立台北学習会と統合して当時の後藤新平(ごとう しんぺい)民政長官により「成淵(せいえん)学校」と改称された。同学校は戦後、台北市立となり、「福星初級中学校」や「台北市初級中学」などに改名されたが、1956年に「台北市立成淵中学校」として「成淵」の名前が復活し、1996年に高校部門が再編され現在の校名となった。

 民権西路駅の東、中山北路を少し南へ進むと、このあたりに結婚式用の写真館がたくさんある。近年は、特に観光客女性向けの変身写真館としても人気がある。

 中山北路を北へ少し行くと、台湾の「電鍋」などの家電や半導体などの電機工業メーカーの「大同」(タートン/TATUNG)の本社がある。また、本社に隣接して、大同グループの私立大学である「大同大学」があり、工学や経営学に強い大学となっている。

台北・民権西路エリアの主な駅

民權西路 / ビンコワンセーロォー(ミンチュエンシールウ) 駅
台北捷運 淡水線中和新蘆線

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民権西路駅

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民権西路駅

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淡水線・民権西路駅ホーム

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中和新蘆線・民権西路駅ホーム

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民権西路

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