福岡 北九州・若松 石炭積出港の栄枯盛衰と若戸大橋

北九州・若松
きたきゅうしゅう・わかまつ

日本国福岡県北九州市若松区

福岡 北九州・若松 石炭積出港の栄枯盛衰と若戸大橋

 若松(わかまつ)区は、福岡(ふくおか)県の北九州(きたきゅうしゅう)市にある人口約8万人の区。若松半島にある港町で、西が遠賀(おんが)郡の芦屋(あしや)町、南西が北九州市八幡西(やはたにし)区と接しているほか、洞海湾(どうかいわん)を挟んで、北九州市の戸畑(とばた)区、八幡東(やはたひがし)区と接している。

 北九州市は、豊前国(ぶぜんのくに)に属する小倉(こくら)や門司(もじ)と、筑前国(ちくぜんのくに)に属する戸畑(とばた)、八幡(やはた)などが合体した市であるが、若松半島は筑前側の遠賀郡に属していた。現在の北九州市若松区となったのは、若松市、八幡市、戸畑市、小倉市、門司市が合併して北九州市が発足した昭和38年(1963年)のことである。

 若松は明治24年(1891年)に筑豊興業鉄道が直方(のおがた)~若松に開業し、若松は石炭積出港として急速に発展した。筑豊興業鉄道は、筑豊鉄道への社名変更を経て、明治30年(1897年)に門司から熊本(くまもと)、佐賀(さが)方面への鉄道を運行していた九州鉄道に買収され、明治40年(1907年)に国有化され、国鉄筑豊本線となった。

 遠賀郡若松町は大正3年(1914年)に若松市に昇格した。旅客の北九州の玄関口は門司であったが、筑豊炭田で採掘された石炭を運び出す港は若松港が最大で、筑豊本線はまさに石炭を運ぶ大動脈であった。石炭を積んだ蒸気機関車が頻繁に走るかつての若松駅には、広い構内に機関区や石炭貨車ヤードと桟橋、大きなガントリークレーン、貯炭場、石炭積み出し施設などがあり、石炭によりいち早く工業化した北九州の象徴的な町であった。

 しかしながら戦後、エネルギー革命により、主力のエネルギー源が石炭から石油へ変わっていくにつれ、筑豊炭田の出炭量も減少し、若松港の石炭積出量も減っていった。筑豊炭田の閉山が相次ぎ、昭和45年(1970年)にガントリークレーンの使用が終了し、昭和57年(1982年)には貨物輸送が廃止され、立派だった旧駅舎も昭和59年(1984年)に取り壊され、駅施設が縮小され、現在は1面2線のホームを残すのみとなっている。

 若松駅の海側にあった若松機関区や石炭貨車ヤード、石炭桟橋があったスペースは、「久岐の浜」(くきのはま)団地として住宅に再開発されている。駅前の広場には、かつて筑豊本線で活躍した9600形蒸気機関車が展示されているが、野ざらしのため傷みが激しい。駅前には若松市民会館があり、北九州市立若松図書館やスーパー「サンリブ」若松店が入る「ベイサイドプラザ」などの施設がある。

 市街地には「ウエル本町」や「エスト本町」、「明治町銀天街」などのアーケード商店街があるが、閑散としたシャッター街となっており、かつて石炭積出港として好景気に沸いた若松の栄枯盛衰を感じずにはいられない。商店街をアートギャラリー化して活性化に取り組んでいるようだが、この通りに人が戻ることを願いたい。

 一方、若松港の海沿いの道路は歩道も整備されていて散歩が気持ち良い。このあたりは「若松バンド」とも呼ばれ、弁財天や、和洋折衷の「石炭会館」ビル、赤レンガが美しい「旧古河鉱業若松ビル」など、若松の華やかだった歴史の一面も感じることができる。

 洞海湾の両岸である若松と戸畑を結ぶ、赤い大きな吊り橋「若戸大橋」は、昭和33年(1958年)に着工され、昭和37年(1962年)に開通した。橋の全長は627mで、これにより港町だった若松が、直接対岸の戸畑とつながり、北九州市としての一体性が強化された。開通当初は歩道があり、歩行者も通行できたが、後に渋滞対策で車線が増やされ、歩道は廃止された。一方、若戸大橋の下には若戸渡船の渡場があり、渡し船で対岸の戸畑へ行くことができる。

 若松と戸畑を結ぶ道路は「若戸大橋」のみであったが、通行量の増大により朝夕の渋滞が慢性化したことから、新しい道路が計画され、若戸大橋の北側に、新若戸道路が建設され、776mの「若戸トンネル」が平成24年(2012年)に開通した。

 若戸大橋の高架橋のすぐ下には、若松恵比須神社がある。若松恵比須神社は約1800年前に仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后が筑紫国を訪れた際に、神宮皇后の御船が洞海湾を進み、そのときにお伴していた忠臣・武内宿禰(たけうち の すくね)が海底を調べさせたところ、光り輝く美しい玉石を発見し、その玉石を祀ったのが同神社の始まりとされる。そして武内宿禰が「海原の 溟たる松の 青々たる わが心も若し」と詠んだことが「若松」の地名の由来と伝えられている。

 若松~折尾(おりお)~直方~桂川(けいせん)~原田(はるだ)を結ぶ筑豊本線は、かつては筑豊炭田から若松港へ石炭を運ぶ大幹線であったが、現在は、JR鹿児島本線と連絡する折尾駅を境に運転系統が分離され、折尾~直方~桂川~博多を結ぶ筑豊本線・篠栗線ルートが「福北(ふくほく)ゆたか線」となり、若松~折尾が「若松線」、桂川~原田が「原田線」としてローカル線化している。なので、若松~折尾は複線でありながら非電化でのんびりとディーゼルカーが走り、「本線」はもはや過去のことで、完全に「支線」化している。

 若松区内には、JR九州・筑豊本線の若松、藤ノ木(ふじのき)、奥洞海(おくどうかい)、二島(ふたじま)の各駅がある。藤ノ木駅の南側にはかつて貯炭場や藤ノ木桟橋があったが、1970年代にその役割を終え、空き地が広がっている。洞海湾は古くは洞海(くきのうみ)と呼ばれ、貯炭場跡は「くきのうみ中央」地区として再開発が進められようとしている。奥洞海駅は、若松競艇場(ボートレース若松)の最寄り駅で、そのほか海沿いに日本ヒューム九州工場や東海カーボン九州若松工場が広がっている。二島駅は、駅の南に二島工業団地が広がり、東京製鐵九州工場や金属加工系の工場などがあり、若松~折尾の中では比較的利用者が多い。二島駅の北西には「イオン若松ショッピングセンター」があり、その北には住宅街が広がっている。

北九州・若松エリアの主な駅

若松 / わかまつ 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

藤ノ木 / ふじのき 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

二島 / ふたじま 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

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JR筑豊本線(若松線)若松駅

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JR筑豊本線(若松線)若松駅

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終着駅の雰囲気がある若松駅

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若松駅と駐車場になった旧駅構内

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若松駅にある石炭貨車

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JR若松駅駅舎

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静態保存されているが傷みが激しい9600形蒸気機関車

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若松ベイサイドプラザ

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若松バンドから見た若戸大橋

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和洋折衷の石炭会館ビル

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赤レンガが美しい旧古河鉱業若松ビル

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若戸大橋と渡し船

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若戸大橋の高架橋のすぐ下にある若松恵比須神社

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若松恵比須神社

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若松・善念寺

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エスト本町商店街

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ウエル本町商店街

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藤ノ木貯炭場跡に再開発されるくきのうみ中央地区
洞海湾を挟んで見える八幡製鉄所

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JR筑豊本線(若松線)二島駅

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佐賀 肥前国の国府、佐賀城の城下町、広い平野と熱気球

佐賀
さが

日本国佐賀県佐賀市

佐賀 肥前国の国府、佐賀城の城下町、広い平野と熱気球

 佐賀(さが)市は、佐賀県の中央部にある佐賀県の県庁所在地で、人口は約24万人。西が小城(おぎ)市と唐津(からつ)市、北が福岡(ふくおか)県の糸島(いとしま)市と福岡市早良(さわら)区、東が神埼(かんざき)市と福岡県大川(おおかわ)市と接している。また、道路はつながっていないが、筑後川(ちくごがわ)の河口を挟んで福岡県柳川(やながわ)市と接しており、南には有明海(ありあけかい)が広がっている。

 佐賀市は、平成の大合併で平成17年(2005年)に佐賀市の北にあった佐賀郡の大和(やまと)町と富士(ふじ)町、三瀬(みつせ)村、佐賀市の東にあった佐賀郡諸富(もろどみ)町と合併した。さらに平成19年(2007年)に佐賀郡の川副(かわそえ)町、東与賀(ひがしよか)町、久保田(くぼた)町を編入合併し、現在の市域となった。

 佐賀は豊かな筑紫(つくし)平野の西部にあたる佐賀平野が広がり、古くから人々が暮らしていたことから、縄文時代の貝塚や古墳時代の古墳などの遺跡が多く発掘されている。8世紀頃に佐賀市大和町には肥前国(ひぜんのくに)の国府が置かれ、江戸時代には鍋島(なべしま)氏によって築かれた佐賀藩・佐賀城の城下町として発展した。

 佐賀県と長崎県は同じ肥前国に属したが、肥沃な平野に発展した佐賀と、漁村から国際貿易の港町として発展した長崎では、かなり歴史文化的に異なる発展を遂げたことから、廃藩置県の際には肥前国が佐賀県と長崎県に分けられ、佐賀藩と唐津藩の領域が佐賀県になった。

 佐賀は、西の嘉瀬川(かせがわ)、東の筑後川に挟まれた平野が広がり、稲作が盛んであり、広大な水田が美しいが、かつては洪水が頻発し、治水が重要な課題であった。江戸時代に佐賀藩の成冨茂安(なるとみ しげやす)らによる治水事業で、筑後川の堤防や灌漑用水が整備され、佐賀の洪水被害や水争いが減り、安定した穀倉地帯となった。さらに、明治時代には水路の直線化や排水機能が強化された。

 佐賀市には、JR九州・長崎本線の伊賀屋(いがや)、佐賀、鍋島(なべしま)、久保田(くぼた)の各駅があり、久保田駅からはJR唐津線が分岐している。また、毎年秋に開催される熱気球の祭りである「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の開催時に、鍋島~久保田の嘉瀬川のそばに「バルーンさが」臨時駅が開設される。

 佐賀駅は、佐賀市の玄関駅であり、JR長崎本線の駅の中で最も利用客数が多い。長崎本線は明治24年(1891年)に九州鉄道・佐賀線として開業し、明治40年(1907年)に国有化された。長崎本線を走り、博多(はかた)~佐賀~長崎を結ぶ特急「かもめ」、博多~佐賀~佐世保の特急「みどり」、博多~佐賀~ハウステンボスの特急「ハウステンボス」などの特急列車も停車する。

 佐賀駅は2面4線の高架駅であり、昭和51年(1976年)に高架化された。長崎本線の普通電車は主に鳥栖(とす)~佐賀~肥前山口(ひぜん やまぐち)を結んでおり、。唐津線は久保田駅から分かれているが、佐賀駅まで直通しており、佐賀県の小城、多久(たく)、唐津などの各都市を結んでいる。久保田駅は小城市との境にあるが、駅は佐賀市側にある。駅周辺はのどかな田園が広がっている。

 佐賀駅からはかつて、筑後柳河(福岡県柳川市)を経由して鹿児島本線の瀬高(せたか)駅まで結び、長崎・佐賀~熊本方面への最短ルートであった国鉄佐賀線があったが、佐賀~熊本への需要は多くなく、貨物輸送もトラックに切り替わり、ローカル線化し、昭和62年(1987年)に廃止された。

 佐賀駅高架下には「えきマチ1丁目 佐賀」商店街があり、書店や婦人服などの店舗のほか、「有明海苔」、「嬉野茶」、「丸芳露(まるぼうろ)」、「小城羊羹」など佐賀名物のお土産を販売する店舗がある。「えきマチ1丁目 佐賀」の先の東側の高架下には「佐賀駅バスセンター」があり、佐嘉(さが)神社や佐賀県庁方面の市街地および佐賀市郊外各方面を結ぶバスが発着している。また、佐賀駅~佐賀空港を結ぶバスや、西鉄バスが運行する佐賀~福岡(天神)を結ぶ高速バスも発着している。

 佐賀駅南口のロータリーの東側にはスーパー「西友」佐賀店があり、バスターミナルの南東側に佐賀県JA会館や佐賀市役所がある。佐賀城址は、佐賀駅の約2キロ南にあり、南口から中央大通りを南に進んでいくと、佐賀城のお堀があり、城内に佐賀県庁庁舎がある。中央大通りは、一部が唐人町(とうじんまち)商店街となっているが、近年は空き店舗が目立ち、シャッター通り化が進み、再活性化が模索されている。

 佐賀城は1602年(慶長7年)に築城され、古くは佐嘉城と表記された。江戸時代には、佐賀藩が置かれ藩主・鍋島氏の拠点となっていた。かつては豊前・小倉城と同規模の巨大な天守があったが、1726年(享保11年)の大火により天守や本丸の建物が焼失した。その後、佐嘉藩の政治の拠点は本丸御殿に移り、本丸は再建されなかった。明治維新による廃藩置県後、明治7年(1874年)に佐賀藩士・江藤新平(えとう しんぺい)らによる「佐賀の乱」が起こり、佐賀城が一時期、藩士らによる反乱軍に占拠されたが、明治政府軍に鎮圧された。この際の激しい戦闘で、佐賀城の多くの建築物が破壊され、わずかに「鯱の門」と「続櫓」が残存するだけとなっている。城址は佐賀城公園として整備され、城内には佐賀県庁庁舎のほか、佐賀城本丸歴史館、佐賀県立博物館、佐賀県立美術館、佐賀県立図書館、サガテレビ本社、佐賀西高校、佐賀大学付属中学校などの施設がある。

 県庁の北東側にある佐嘉神社は、佐嘉藩の藩祖を祀った神社で、幕末から明治維新の頃に活躍した鍋島直正(なべしま なおまさ)第10代藩主、鍋島直大(なべしま なおひろ)第11代藩主らを祀る。佐嘉神社は昭和8年(1933年)の創建であるが、境内の奥にある松原神社は佐嘉神社より歴史が古く、1772年(安永元年)に鍋島家の始祖である戦国武将・鍋島直茂(なべしま なおしげ)を祀る神社として創建された。佐嘉神社のそばにある鶴乃堂本舗の「肉まんじゅう」は、参拝客からも人気があり、佐嘉名物グルメの一つとなっている。

 佐賀は、平野に水田が広がり、江戸時代の佐賀藩は非常に豊かであったが、現代においては長崎や福岡と比べて工業や商業の発展が緩やかだった。そのため、目立たない控えめな県庁所在地であるが、少し郊外に行けば美しい水田風景と広い空となるところが佐賀の魅力である。佐賀では、この地理的特徴を生かして、嘉瀬川河川敷を主会場として毎年秋に「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」を開催しており、「熱気球のまち」として国際的知名度も上がってきている。

 佐賀空港(九州佐賀国際空港)は、佐賀市南部の旧・川副(かわそえ)町に平成10年(1998年)に開港した。佐賀駅から佐賀空港まではバスで約35分。2000mの滑走路があり、東京羽田への国内線のほか、国際線は中国・春秋航空が上海方面に定期路線があり、韓国ソウル仁川(インチョン)方面にも飛んでいる。福岡空港が過密状態であるため、福岡から流れてくる国際チャーター便を受け入れており、愛称も「九州佐賀国際空港」として、九州周遊旅行の玄関口として路線開拓を目指そうとしている。

 現在、JR九州では、博多~長崎の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設を進めており、佐賀県の武雄温泉(たけおおんせん)から長崎県の長崎までが先行着工されている。また、博多~新鳥栖(しんとす)は、すでに九州新幹線(鹿児島ルート)として開業している。

 長崎新幹線は、佐賀県のJR佐世保線の武雄温泉(たけおおんせん)駅から大村を経由して長崎に至る短絡ルートを「スーパー特急方式」(新幹線の規格を在来線のレール幅で運転)で建設することを平成4年(1992年)に地元案として合意ができていたが、財源などの理由で着工が伸びていた。そして、平成16年(2004年)に標準軌(新幹線)と狭軌(在来線)を直通できるフリーゲージトレインの導入を視野に入れながら、武雄温泉~諫早のスーパー特急方式の着工を決定した。ところが、平成23年(2011年)にフリーゲージトレインの実用化を視野に入れたためか、武雄温泉~諫早~長崎を標準軌のフル新幹線規格で建設する方針に変更。平成24年(2012年)に武雄温泉~長崎がフル規格で着工した。

 佐賀は長崎よりも福岡に近く、新幹線がなくても不便さは感じないため、わずかなスピードアップのために多額の投資が必要な新幹線建設には長崎県と比べて消極的だった。佐賀県内の在来線を走行するフリーゲージトレインのメリットは、長崎県側の長崎~武雄温泉の新幹線を完成させるだけで、武雄温泉~佐賀~新鳥栖は在来線を走行し、新鳥栖~博多は九州新幹線の線路を走行できることと、さらに佐世保方面も特急列車の維持が可能であることだった。しかし、デメリットは、在来線区間は130キロしか出せないことと、フリーゲージトレインの車両コストが非常に高いことだった。

 その後、フリーゲージトレインは新幹線のような高速に耐えうる技術が成熟しておらず、開通時期までに実用化が間に合わないことが明らかになった。しかも耐久試験で摩耗が発覚し、実用化に疑問符がついた。さらに致命的なのは、九州新幹線(鹿児島ルート)は、全線フル規格による建設で、新大阪~博多~鹿児島中央の山陽新幹線との一体運用が可能となり、関西方面からの需要喚起による乗客増を実現したが、山陽新幹線を運行するJR西日本は、フリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示しており、大阪乗り入れが実現できなければ多額の投資をして長崎まで新幹線を建設する意味がなくなってしまいかねない。日本政府は平成34年(2022年)に武雄温泉~長崎が開業した際には、博多~佐賀~武雄温泉を在来線、武雄温泉~長崎を新幹線とし、武雄温泉駅でフリーゲージトレイン実用化までの当面は、同一ホーム乗り換えを行う方針を示したが、少しばかりのスピードアップで乗り換えの手間が増えたら、今より不便になりかねない。

 佐賀県は新鳥栖、佐賀、肥前山口、武雄温泉、嬉野温泉の5駅の新幹線停車を見込んでいるが、県内にフル新幹線規格と在来線規格が混在しており、このようなウダウダな状況に、多額の建設費がかかるフル新幹線規格を拒んできた佐賀県も、フリーゲージトレインがダメならフル新幹線も仕方なく視野に入れざるを得なくなったようだ。乗り換えを強いられる中途半端な新幹線より、大阪まで直通できるフル新幹線のほうが新規需要を開拓できるぶん佐賀県とってもましだからだ。しかし高額の負担は、佐賀県としても納得いきにくいことだろう。

 フリーゲージトレインを断念した場合、長崎新幹線は①全線フル新幹線化(武雄温泉~新鳥栖にもフル新幹線規格新線を建設、一番お金はかかるが時短効果が最大で山陽新幹線に直通運転が可能となる、但し佐世保方面が乗り換え必要)、フル規格にする場合、佐賀空港を経由させる案もあるようだが、そうなれば今度は佐賀駅~博多が今より不便になるので、やはり佐賀駅に乗り入れたほうがよいだろう。②スーパー特急化(長崎~武雄温泉を狭軌で建設し、同区間の最高速度は160~200キロとなるが、現行在来線との直通が可能で乗り換え不要、時短効果は最小だが建設費最小)、③ミニ新幹線化(武雄温泉~佐賀~新鳥栖を標準軌に改軌する、フリーゲージトレインと同じ時短効果、山陽新幹線とも直通できる可能性あり、3線軌にすれば現行在来線とも共存可能、ただし佐世保方面や有明方面の特急運行をどうするか)、④武雄温泉乗り換えの恒久化(武雄温泉~新鳥栖のフル規格化の可能性を残したまま当面維持、最も不便だが佐世保方面は現状維持)といった4つの選択肢が考えられるが、どれも難しい選択だ。長崎新幹線は未来予想図が見えないまま、平成34年(2022年)の開通を目指してフライングで建設が進んでいる。

佐賀エリアの主な駅

佐賀 / さが 駅
JR九州 長崎本線、(唐津線)

久保田 / くぼた 駅
JR九州 長崎本線、唐津線

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JR佐賀駅

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佐賀駅に乗り入れる唐津線

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佐賀駅に停車する特急「かもめ」

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えきマチ1丁目 佐賀

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佐賀駅バスターミナル

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バスターミナルと佐賀県JA会館と佐賀市役所(右)

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佐賀・中央大通り

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佐賀市内の街並み

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佐賀市内の街並み(今宿町)

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佐賀城の堀と佐賀県庁

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佐嘉神社

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佐嘉神社

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佐嘉神社

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佐嘉神社のそばにある鶴乃堂本舗「肉まんじゅう」

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佐賀城公園

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佐賀郊外の風景

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九州佐賀国際空港

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九州佐賀国際空港

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長崎 外国文化を日本に伝えた三方を山に囲まれた港湾都市

長崎
ながさき

日本国長崎県長崎市

長崎 外国文化を日本に伝えた三方を山に囲まれた港湾都市

 長崎(ながさき)市は、九州西部の長崎県の県庁所在地で、人口約43万人の都市。東が諫早(いさはや)市、北が西彼杵(にしそのぎ)郡の長与(ながよ)町と時津(とぎつ)町、北西が西海(さいかい)市と接しており、南は天草灘(あまくさなだ)、西は角力灘(すもうなだ)の海が広がっている。

 平成の大合併では、平成17年(2005年)に西彼杵郡の三和(さんわ)町、野母崎(のもざき)町、外海(そとめ)町、香焼(こうやぎ)町、伊王島(いおうじま)町、高島(たかしま)町を編入、平成18年(2006年)に西彼杵郡琴海(きんかい)町を編入し、現在の市域となった。世界遺産に登録された「軍艦島」(ぐんかんじま)の通称で知られる端島(はしま)は旧・高島町にあった。

 九州西部にある長崎は、肥前国(ひぜんのくに)に位置するが、肥前の国府は佐賀(さが)であり、長崎はもともと肥前の西端の港町に過ぎなかった。16世紀の日本では、ヨーロッパから主にポルトガル人らがキリスト教の宣教師としてやってきて、布教活動を行っていた。しかし、その布教活動においては、住民との摩擦もあり、平戸(ひらど)では、ポルトガル人の殺害事件などが起こり、ポルトガル・イエズス会は新しい港を探していた。そこに自分の統治下の領土である横瀬浦(現・西海市)を提供したのが大名の大村純忠(おおむら すみただ)であり、1563年(永禄6年)には洗礼を受けて日本初のキリシタン大名となった。大村純忠は、領内の住民のキリスト教への改宗を奨励し、実際に改宗した住民も多かったが、寺社や先祖の墓など日本伝統宗教文化を破壊する暴挙に出たことから当然ながら反発も起こった。そして横瀬浦は焼き討ちに遭ったが、1570年(元亀元年)に大村純忠は長崎を開港し、ポルトガル・イエズス会の拠点となった。ここから貿易港としての長崎の歴史が始まってゆく。

 九州が豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)によって平定されると、豊臣秀吉は1587年(天正15年)にキリシタン禁止令を出し、バテレン(神父)追放令により南蛮貿易を独占しようとした。豊臣秀吉は、1597年(慶長2年)に「日本二十六聖人の処刑」を行うなど、キリスト教を弾圧した。

 江戸時代に入ると、長崎は徳川幕府の直轄領となるが、引き続きキリスト教は弾圧され、1612年(慶長17年)に改めて禁教令が出され、布教を禁止し、宣教師らを国外追放している。そのうえで、江戸幕府は長崎に清国およびオランダとの貿易港の役割を持たせようとし、1635年(寛永12年)に出島(でじま)が完成し、日本がいわゆる「鎖国」する一方で、長崎は出島を玄関口として、政府公認の貿易港とし、長崎は最新の海外文化が伝わる先進都市となった。さらに1823年(文政6年)には神聖ローマ帝国ドイツよりシーボルト(ジーボルト/Siebold)が来日して出島に滞在し、長崎郊外に鳴滝塾(なるたきじゅく)を開設し、西洋医学や自然科学を日本人に伝えた。

 1854年(安政元年)には長崎港が開港され、長崎はますます国際港の開かれた都市となる。ポルトガルから伝わったとされるお菓子「カステラ」や、中国福建料理がベースとなっている「ちゃんぽん」など、長崎独自に発展を遂げた名物グルメが形成された。また、1865年(元治2年)にはフランス人の礼拝堂として建てられた大浦天主堂が完成すると、江戸幕府の禁教政策のため隠れて信仰を続けていた日本人(隠れキリシタン)が大浦天主堂を訪ね、神父に信徒であることを告白する人々が現れた。ところが、江戸幕府は引き続き日本人キリスト教徒を暴力的に弾圧し、これが欧米から非難され、明治時代になって明治6年(1873年)にキリシタン禁制が廃止され、259年ぶりにようやくキリスト教信仰の自由が認められるようになった。

 明治時代の廃藩置県では、旧・肥前国は長崎県と佐賀県に分割され、長崎は長崎県の県庁所在地となり、明治22年(1889年)に長崎市が発足した。その後、長崎は三方を山に囲まれた良好な港町として商業のほか、造船業や炭鉱業、製鋼業、兵器工場などの工業が大いに発展した。山に囲まれているため、市街地は山の斜面に広がり、坂にへばりつくように市街地が拡大していった。

 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月9日、アメリカ軍は長崎市(浦上駅北方、松山町付近)にプルトニウム式の原子爆弾を投下し、広島に続く2番目の被爆都市となった。これにより、長崎市の市街地が一瞬にして壊滅し、当時の長崎市の人口約24万人のうち、約7.4万人が死亡し、その後も多くの被爆後遺症による関連死者数は増え続けた。広島は河口近くの平地が広がっていたのに対し、長崎は三方が山に囲まれているため、爆発で壊滅した範囲は広島より狭くなり、旧市街地の南側の一部は破壊を免れた地区もあったが、広島と同様に爆心地周辺の市街地は完全に壊滅し、人道に反する無差別大量殺人であった。

 戦後は、広島とともに核兵器に反対する平和運動の象徴的都市として、復興が進められた。三菱重工業長崎造船所や三菱電機などの三菱グループの工場が戦後復興を牽引した。また、豊かな海洋資源による水産業、長崎の歴史を訪ねる観光も盛んであり、長崎は再び魅力ある都市へと復興を遂げた。美空ひばり「長崎の蝶々さん」、内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」など長崎を舞台にした歌謡曲も大ヒットした。

 港町である長崎は、海の交通が発達しており、長崎港からは、五島(ごとう)市の福江(ふくえ)港、新上五島(しんかみごとう)町の奈良尾(ならお)港、国際航路の中国・上海(シャンハイ/サァヘー)方面への航路がある。また、長崎空港は、長崎県大村市にあり、東京羽田、大阪伊丹、大阪関西、神戸、那覇のほか県内の離島である五島福江(ごとう ふくえ)、対馬(つしま)、壱岐(いき)などへの路線が発着している。

 長崎市の鉄道交通は、JR九州・長崎本線が長崎から佐賀県の鳥栖(とす)を結び、鳥栖からJR鹿児島本線に乗り入れて福岡市の博多(はかた)駅へとつながっている。また、長崎市内には長崎電気軌道の路面電車が走り、市内の各地域を結んでいる。

 JR長崎本線は、長崎市内に長崎、浦上(うらかみ)、現川(うつつがわ)、肥前古賀(ひぜん こが)の各駅と、浦上駅から分岐する旧線(長与経由)の西浦上(にしうらかみ)駅がある。

 長崎本線は、明治30年(1897年)に九州鉄道・佐賀線として長崎(現・浦上)~長与が開業し、翌明治31年(1898年)に長崎~長与~諫早~大村~早岐~肥前山口~佐賀~鳥栖のルートが全通した。このルートは長崎本線、大村線、佐世保線を大回りするものであった。明治38年(1905年)に現在の長崎駅まで延伸され、旧・長崎駅が浦上駅に改称された。明治40年(1907年)に九州鉄道が国有化され、国鉄長崎本線となり、昭和9年(1934年)に諫早~肥前山口の国鉄有明線が全通すると、有明線が長崎本線となり、遠回り区間だった諫早~早岐が大村線、早岐~肥前山口が佐世保線に分離された。さらに昭和47年(1972年)に長崎本線スピードアップのための浦上~喜々津(諫早市)の新線が開業した。

 長崎駅は、長崎市の玄関駅となっており、行き止まりの頭端式ホームで、門司港駅のように港町らしい終着駅の雰囲気がある。かつては東京行きの寝台特急「さくら」「みずほ」、新大阪・京都行きの寝台特急「あかつき」などの長距離列車が運行されていたが、平成6年(1994年)に「みずほ」が廃止。平成17年(2005年)に「さくら」が廃止され、平成20年(2008年)に「あかつき」が廃止されると、長崎駅に乗り入れるブルートレイン寝台列車が全廃となった。現在は特急「かもめ」が長崎~博多を結び、快速「シーサイドライナー」が大村線経由で佐世保(させぼ)を結んでいる。特急「かもめ」は浦上駅にも停車する。

 長崎駅周辺では、高架化工事が進められており、九州新幹線西九州ルート(以下、長崎新幹線)の建設および在来線ホームの高架化工事が始まっている。長崎新幹線は、長崎~博多の時間短縮にはメリットがあるが、通過する佐賀県は博多と近いので時短のメリットが少なく、また特急「みどり」が走る長崎県北部の佐世保がルートから外れると不便になるなどの理由で、建設計画が決まらない状態が続いていた。

 長崎新幹線は、佐賀県のJR佐世保線の武雄温泉(たけおおんせん)駅から大村を経由して長崎に至る短絡ルートを「スーパー特急方式」(新幹線の規格を在来線のレール幅で運転)で建設することを平成4年(1992年)に地元案として合意ができていたが、財源などの理由で着工が伸びていた。そして、平成16年(2004年)に標準軌(新幹線)と狭軌(在来線)を直通できるフリーゲージトレインの導入を視野に入れながら、武雄温泉~諫早のスーパー特急方式の着工を決定した。ところが、平成23年(2011年)にフリーゲージトレインの実用化を視野に入れたためか、武雄温泉~諫早~長崎を標準軌のフル新幹線規格で建設する方針に変更。平成24年(2012年)に武雄温泉~長崎がフル規格で着工した。

 フリーゲージトレインのメリットは、長崎県側の長崎~武雄温泉の新幹線を完成させるだけで、武雄温泉~新鳥栖は在来線を走行し、新鳥栖~博多は九州新幹線の線路を走行できることと、さらに佐世保方面も特急列車の維持が可能であることだった。しかし、デメリットは、在来線区間は130キロしか出せないことと、フリーゲージトレインの車両コストが非常に高いことだった。

 その後、フリーゲージトレインは新幹線のような高速に耐えうる技術が成熟しておらず、開通時期までに実用化が間に合わないことが明らかになった。しかも耐久試験で摩耗が発覚し、実用化に疑問符がついた。さらに致命的なのは、九州新幹線(鹿児島ルート)は、全線フル規格による建設で、新大阪~博多~鹿児島中央の山陽新幹線との一体運用が可能となり、関西方面からの需要喚起による乗客増を実現したが、山陽新幹線を運行するJR西日本は、フリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示しており、大阪乗り入れが実現できなければ多額の投資をして長崎まで新幹線を建設する意味がなくなってしまいかねない。日本政府は平成34年(2022年)に武雄温泉~長崎が開業した際には、博多~武雄温泉を在来線、武雄温泉~長崎を新幹線とし、武雄温泉駅でフリーゲージトレイン実用化までの当面は、同一ホーム乗り換えを行う方針を示したが、少しばかりのスピードアップで乗り換えの手間が増えたら、今より不便になりかねない。

 このようなウダウダな状況に、多額の建設費がかかるフル新幹線規格を拒んできた佐賀県も、フリーゲージトレインがダメならフル新幹線も仕方なく視野に入れざるを得なくなったようだ。乗り換えを強いられる中途半端な新幹線より、大阪まで直通できるフル新幹線のほうが新規需要を開拓できるぶん佐賀県とってもましだからだ。

 フリーゲージトレインを断念した場合、長崎新幹線は①全線フル新幹線化(武雄温泉~新鳥栖にもフル新幹線規格新線を建設、一番お金はかかるが時短効果が最大で山陽新幹線に直通運転が可能となる、但し佐世保方面が乗り換え必要)、②スーパー特急化(長崎~武雄温泉を狭軌で建設し、同区間の最高速度は160~200キロとなるが、現行在来線との直通が可能で乗り換え不要、時短効果は最小だが建設費最小)、③ミニ新幹線化(武雄温泉~新鳥栖を標準軌に改軌する、フリーゲージトレインと同じ時短効果、山陽新幹線とも直通できる可能性あり、3線軌にすれば現行在来線とも共存可能、ただし佐世保方面や有明方面の特急運行をどうするか)、④武雄温泉乗り換えの恒久化(武雄温泉~新鳥栖のフル規格化の可能性を残したまま当面維持、最も不便だが佐世保方面は現状維持)といった4つの選択肢が考えられるが、どれも難しい選択だ。長崎新幹線の未来予想図が見えないまま、長崎~武雄温泉の長崎新幹線は平成34年(2022年)の開通を目指してフライングで建設が進んでいる。

 長崎駅の駅ビルはJR九州の商業施設「アミュプラザ長崎」があり、駅前には長崎電気軌道(長崎電鉄)の長崎駅前(ながさきえきまえ)電停および市内バスのりばや道路を挟んで長崎県営バスターミナルがある。長崎駅前は、長崎駅の高架化および長崎新幹線の開業後は、大きくリニューアルされる予定である。

 長崎電鉄は、赤迫(あかさこ)~浦上駅前~長崎駅前~大波止(おおはと)~築町(つきまち)~思案橋(しあんばし)~正覚寺下(しょうかくじした)の1系統や赤迫~浦上駅前~長崎駅前~桜町(さくらまち)~公会堂前(こうかいどうまえ)~蛍茶屋(ほたるぢゃや)の3系統が長崎駅前電停に乗り入れている。長崎観光は長崎駅から長崎電鉄の路面電車を乗りこなせば大変便利だ。車社会の普及で岐阜などのように路面電車が廃止された都市もある中で、長崎の路面電車は高頻度運転しているにもかかわらずいつも混雑しており、市民の足として定着している。

長崎エリアの主な駅

長崎 / ながさき 駅
JR九州 長崎本線
長崎駅前 / ながさきえきまえ 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

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JR長崎本線・長崎駅

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建設が進む長崎駅高架化と長崎新幹線

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JR長崎駅

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新幹線の早期建設を求めるPR広告

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長崎電鉄・長崎駅前電停

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長崎駅前を走る長崎電鉄

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長崎電鉄・長崎駅前電停

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夜の長崎電鉄・長崎駅前電停

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稲佐山から見た長崎

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テーマ : 九州旅行
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福岡 北九州・北九州空港 周防灘に浮かぶ北九州の空の玄関口

北九州・北九州空港
きたきゅうしゅう・きたきゅうしゅうくうこう

日本国福岡県北九州市小倉南区

福岡 北九州・北九州空港 周防灘に浮かぶ北九州の空の玄関口

 北九州空港(きたきゅうしゅう くうこう)は、福岡(ふくおか)県北九州市の小倉南(こくらみなみ)区と京都(みやこ)郡の苅田(かんだ)町にまたがる人工島にある空港で、平成18年(2006年)に開港した。

 北九州市には、もともと小倉南区の曽根地区に旧・北九州空港があった。同空港は、昭和19年(1944年)に日本陸軍曽根飛行場として開設され、戦後は米軍の接収を経て、昭和36年(1961年)に民間空港化され、小倉空港となった。昭和48年(1973年)に小倉空港から北九州空港に改名された。その後、昭和50年(1975年)に山陽新幹線が岡山(おかやま)から福岡県の博多(はかた)駅まで延伸開業すると、北九州―大阪伊丹の競争力が徐々に失われ、昭和58年(1983年)に北九州―大阪伊丹が廃止され、定期便がなくなった。

 しかし、北九州市は100万人近い人口があり、航空需要は本来少なくないはずだ。旧・北九州空港の最大の問題は滑走路が1500mと短かく、YS-11などのプロペラ機しか発着できなかったことで、滑走路の延長が課題であった。そこで、周防灘に関門航路の浚渫による土砂で埋め立てた人工島を造成し、そこに新空港を建設することになった。それまでの当面の措置として、旧・北九州空港の滑走路を100mだけ伸ばし、ジェット機MD-87が乗り入れ可能となり、平成3年(1991年)に北九州―東京羽田路線が開設された。

 そして、平成18年(2006年)に苅田沖の周防灘に浮かぶ新北九州空港が開港し、旧・北九州空港が廃港となり、平成20年(2008年)に新北九州空港が正式に「北九州空港」と名乗るようになった。廃止された旧・北九州空港跡地は工業用地として転換が進んでいる。

 新しい北九州空港は、空港ターミナルビルや滑走路の大部分が北九州市小倉南区、滑走路の南端および新北九州空港連絡橋が苅田町に属している。滑走路は2500mあり、開港時からスターフライヤー航空のハブ空港となっている。北九州―東京羽田が主要路線であり、スターフライヤーは北九州―韓国釜山(プサン)の国際線も運航している。このほか、国内線は北九州―名古屋小牧線があり、国際線は天津航空の北九州―中国大連(ターリエン)、ジンエアーの北九州―韓国釜山、北九州―韓国ソウル仁川(インチョン)の各定期路線が運航されている。戦前、北九州の門司港(もじこう)から朝鮮半島や大連へのフェリーが発着していたことを考えれば、それらの路線が北九州空港に戻って来た感じもする。

 北九州空港は直線距離では山口宇部空港と30キロ足らずしか離れておらず、山口県下関(しものせき)市民は両空港とほぼ等距離であるが、基本的には山口宇部空港は山口県、北九州空港は福岡県北九州市周辺と棲み分けができている。また、北九州空港は北九州への利用以外にも、九州周遊旅行の玄関口の一つとしてももっと利用を増やせるのではないかと思う。

 北九州空港は海上にあるため、24時間空港であることが強みである。九州最大の旅客数を誇る福岡空港は博多駅から地下鉄でわずか5分2駅という近さが強みであるが、過密空港でありこれ以上増便が難しく、都市部と近すぎて夜中は運航できない制約がある。そこで北九州空港は貨物便を積極的に受け入れているほか、今後は台湾線や香港線、そのほか夜中に離発着する東南アジア路線なども開拓の余地があるのではないか。

 北九州空港から北九州市内へのアクセスは、JR九州・日豊本線の朽網(くさみ)駅まで約15分で路線バスが運行されているほか、北九州モノレールの徳力嵐山口(とくりき あらしやまぐち)駅やJR九州の小倉(こくら)駅、戸畑(とばた)駅、若松(わかまつ)駅、折尾(おりお)駅などを結ぶエアポートバスが運行されている。

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スターフライヤー航空の拠点となっている北九州空港

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周防灘の人工島に造成された北九州空港

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北九州空港のターミナルビル

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北九州空港のエアポートバス乗り場

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北九州空港のターミナルビル

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釜山、ソウル、大連への国際線がある北九州空港

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北九州空港の展望フロアの足湯コーナー

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テーマ : 空港
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宮崎・高千穂 天孫降臨の天岩戸と高千穂峡

高千穂
たかちほ

日本国宮崎県西臼杵郡高千穂町

宮崎・高千穂 天孫降臨の天岩戸と高千穂峡

 高千穂(たかちほ)町は、宮崎(みやざき)県北西部の西臼杵(にしうすき)郡にある人口約1.3万人の町。

 高千穂町は、東が日之影(ひのかげ)町、南が諸塚(もろつか)村、南西が五ヶ瀬(ごかせ)町、北西が熊本県の高森(たかもり)町、北が大分県の竹田(たけだ)市、豊後大野(ぶんごおおの)市などと接している。

 高千穂は、日本神話におけるニニギ(瓊瓊杵尊)が「天孫降臨」した地として知られ、アマテラス(天照大神)がこもった「天岩戸」(あまといわと)も高千穂町にある。

 町北部の標高1756mの祖母山(そぼさん)が宮崎県と大分県の県境になっているほか、五ヶ瀬川が高千穂から日之影、延岡(のべおか)方面に流れている。

 延岡駅~高千穂駅までは、かつて高千穂鉄道高千穂線が走っていた。高千穂線は昭和10年(1935年)に国鉄日ノ影線として延岡~日向岡元(ひゅうがおかもと)が開業。昭和14年(1939年)に日ノ影(ひのかげ)駅まで開業。昭和47年(1972年)に日ノ影~高千穂が延伸開業し、国鉄高千穂線となった。

 国鉄高千穂線は、もともと国鉄高森線(現・南阿蘇鉄道)とつなげて宮崎から熊本を最短で結ぶ九州横断鉄道構想があった。1970年代に建設されていた高千穂~高森(約23キロ)が開業すれば、宮崎から熊本が一本のレールでつながるはずだったが、高森側のトンネル工事で大量の湧水が発生し、工事が中断され、結局工事は凍結された。

 平成元年(1989年)に国鉄高千穂線は第3セクターの高千穂鉄道に移管された。平成17年(2005年)の台風被害で大きな被害を受け、全線運休となり、平成20年(2008年)までに全線が廃止され、九州横断鉄道構想は完全に幻となった。また、高千穂町内の高千穂橋梁(天岩戸~深角)は、全長352m、高さ105mで、日本で最も高い鉄道橋で観光スポットとしても人気があったが、高千穂線廃止にともない同鉄橋も廃止された。しかし、「高千穂あまてらす鉄道」が廃止された高千穂鉄道の線路を観光鉄道として再活用を目指している。

 旧・高千穂駅の周辺には、高千穂神社や、高千穂峡、高千穂温泉などの観光名所がある。また、天岩戸地区には天岩戸神社や天岩戸温泉がある。

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高千穂峡

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テーマ : 九州(福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島)・沖縄地方の各県の路線案内
ジャンル : 地域情報

熊本・高森 幻の九州横断鉄道とトンネルからの湧水

高森
たかもり

日本国熊本県阿蘇郡高森町

熊本・高森 幻の九州横断鉄道とトンネルからの湧水

 高森(たかもり)町は、熊本(くまもと)県の東部、阿蘇(あそ)郡にある人口約0.7万人の町。

 高森町は阿蘇山(あそさん)のカルデラ地形の南東側に位置し、北が阿蘇(あそ)市、西が阿蘇郡南阿蘇(みなみあそ)村、南が上益城(かみましき)郡の山都(やまと)町、南東が宮崎県高千穂(たかちほ)町、北東が大分県竹田(たけだ)市と接している。

 高森町には、南阿蘇村の立野(たての)駅から走る南阿蘇鉄道・高森線が乗り入れており、高森(たかもり)駅が南阿蘇鉄道の終点となっている。南阿蘇鉄道・高森線は立野駅から高森町の高森駅までを結ぶ約18キロの路線。昭和3年(1928年)に立野~高森が開業。昭和61年(1986年)に国鉄高森線が第三セクターの南阿蘇鉄道・高森線に転換された。

 高森線は阿蘇山の南西側のカルデラ盆地が広がる白川の沿線を結ぶのどかな路線であるが、もともとは宮崎県側で建設されていた国鉄高千穂線(後の高千穂鉄道)と連結して、九州横断鉄道となって熊本と宮崎を結ぶ最短ルートとなるはずだった。1970年代に建設されていた高森~高千穂(約23キロ)が開業すれば、立野~高森~高千穂(たかちほ)~延岡(のべおか)が結ばれて日豊本線ともつながるはずであったが、トンネル工事で大量の湧水が発生し、工事が中断され、結局工事は凍結され、高千穂鉄道も平成17年(2005年)の台風で甚大な被害を受けたことがきっかけで全線廃止となり、高森から宮崎県方面への延伸の可能性が消えてしまった。

 高森線は北側に曲がって市街地側に高森駅があるが、もし九州横断鉄道が完成していれば、高森線は直進し、高森駅もそのルート上に移転する計画だったのだという。大量の湧水が発生したトンネルは現在、「高森湧水トンネル」として、トンネル内に湧水が流れ、周辺は親水公園として整備されていて、高森町を代表する観光スポットとなっている。

高森エリアの主な駅

高森 / たかもり 駅
南阿蘇鉄道 高森線

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高森湧水トンネルと親水公園

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テーマ : 熊本のこと
ジャンル : 地域情報

熊本・阿蘇 阿蘇山火口と草千里

阿蘇
あそ

日本国熊本県阿蘇市

熊本・阿蘇 阿蘇山火口と草千里

 阿蘇(あそ)市は、熊本(くまもと)県北東部にある人口約2.8万人の市。平成17年(2005年)に阿蘇郡の阿蘇(あそ)町、一の宮(いちのみや)町、波野(なみの)村が合併して誕生した。

 阿蘇市は、西が大津(おおつ)町、南が南阿蘇(みなみあそ)村、高森(たかもり)町、東が産山(うぶやま)村と大分(おおいた)県の竹田(たけだ)市、北が南小国(みなみおぐに)町と接している。

 阿蘇山の北側にあり、阿蘇山のカルデラ地形が広がり、凹形のカルデラ盆地と外輪山の尾根に囲まれている。

 阿蘇市には国道57号線が東西に走り、熊本~阿蘇~大分を結んでいるほか、国道212号線が阿蘇市から北上して大分県の日田(ひた)市方面を結んでいる。鉄道は、JR九州・豊肥本線が通り、市内に赤水(あかみず)、市ノ川(いちのかわ)、内牧(うちまき)、阿蘇(あそ)、いこいの村(いこいのむら)、宮地(みやち)、波野(なみの)、滝水(たきみず)の各駅がある。

 市の中心駅は阿蘇駅で、阿蘇駅から阿蘇山方面へのバスが運行されている。また、宮地駅は旧・一の宮町の中心駅で、阿蘇神社があるほか、阿蘇市役所の最寄り駅である。豊肥本線は、平成24年(2012年)7月の集中豪雨により、宮地~豊後竹田が大きな被害を受け、平成25年(2013年)2月の時点で不通となっている。

 このほか、赤水駅は木造駅舎が残るローカルムード漂う駅で、周辺には赤水温泉や、阿蘇ゴルフ倶楽部、阿蘇リゾートグランヴィリオホテルゴルフ場、南阿蘇村の猿まわし劇場、阿蘇ファームランドなどが近い。

 阿蘇駅前には阿蘇山や熊本方面を結ぶバスが発着するほか、近くに道の駅「阿蘇」があり、阿蘇の物産も販売されている。

 阿蘇駅からは、阿蘇パノラマラインを通り、草千里(くさせんり)、阿蘇山ロープウェー阿蘇山西駅まで結ぶバスが運行されている。阿蘇パノラマラインは、阿蘇のカルデラ地形が見渡せ、草千里では、雄大な草地が広がる草千里ヶ浜が一望でき、草千里でのびのびと飼育されている牛などが見える。

 阿蘇山ロープウェーは阿蘇山西駅から火口西駅まで結んでおり、荒涼とした阿蘇山を空中散歩する。火口西駅から火口まで歩くことができるが、活火山の阿蘇山からはガスが出ているので、緊急避難用の穴があり、緊急時はそこに避難する。阿蘇山は韓国や台湾からの外国人観光客も多い。晴れた日は、火口にたまった熱い液体が見える。標高約1300mの阿蘇山は、冬場の寒さはきびしく、冬は雪が積もることもある。

阿蘇エリアの主な駅

阿蘇 / あそ 駅
JR九州 豊肥本線

赤水 / あかみず 駅
JR九州 豊肥本線

宮地 / みやじ 駅
JR九州 豊肥本線

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阿蘇駅の駅舎

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豊肥本線・阿蘇駅

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古い木造駅舎が残る赤水駅

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赤水駅を出発する普通電車

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阿蘇山火口

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阿蘇山のガス避難シェルター

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荒涼とした阿蘇山上を結ぶ阿蘇山ロープウェー

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雪の阿蘇山ロープウェー

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阿蘇山ロープウェー阿蘇山西駅

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草千里


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熊本・南阿蘇 阿蘇山のカルデラ、立野駅のスイッチバックと南阿蘇鉄道

南阿蘇
みなみあそ

日本国熊本県阿蘇郡南阿蘇村

熊本・南阿蘇 阿蘇山のカルデラ、立野駅のスイッチバックと南阿蘇鉄道

 南阿蘇(みなみあそ)村は、熊本(くまもと)県東部にある人口約1.2万人の村。平成17年(2005年)に阿蘇郡の長陽(ちょうよう)村、白水(はくすい)村、久木野(くぎの)村が合併して誕生した。

 西が菊池郡大津(おおづ)町、阿蘇郡西原(にしはら)村、北が阿蘇(あそ)市、東が阿蘇郡高森(たかもり)村、南が上益城(かみましき)郡の山都(やまと)町と接している。

 活火山である阿蘇山(あそさん)は、周辺がカルデラ地形となっていて、凹形のカルデラ盆地と外輪山の尾根に囲まれている。南阿蘇村は、阿蘇山(あそさん)の南西側に広がっていて、カルデラ盆地に白川が流れている。

 南阿蘇村にはJR九州・豊肥本線、南阿蘇鉄道・高森線が走っていて、道路は豊肥本線に沿って国道57号線、高森線沿いに国道325号線が通っている。

 熊本(くまもと)駅から阿蘇、大分(おおいた)方面を結ぶJR豊肥本線は、熊本の肥後国(ひごのくに)と大分の豊後国(ぶんごのくに)を結ぶ九州横断路線で、特急「九州横断特急」、「あそぼーい!」などが走っている。

 JR豊肥本線は、村内に立野(たての)駅があり、特急も停車する。豊肥本線は、阿蘇山のカルデラの外輪山を上っていくため、立野駅でスイッチバックする。そして1キロほど坂を上ったところで、再びスイッチバックしてN字状に高度を稼いで、阿蘇方面へ向かっていく。

 南阿蘇鉄道・高森線は、立野駅から高森町の高森駅までを結ぶ約18キロの路線。昭和3年(1928年)に立野~高森が開業。昭和61年(1986年)に国鉄高森線が第三セクターの南阿蘇鉄道・高森線に転換された。

 高森線は阿蘇山の南西側のカルデラ盆地が広がる白川の沿線を結ぶのどかな路線であるが、もともとは宮崎県側で建設されていた国鉄高千穂線(後の高千穂鉄道)と連結して、熊本と宮崎を結ぶ最短ルートとなるはずだった。1970年代に建設されていた高森~高千穂(約23キロ)が開業すれば、立野~高森~高千穂(たかちほ)~延岡(のべおか)が結ばれて日豊本線ともつながるはずであったが、トンネル工事で大量の湧水が発生し、工事が中断され、結局工事は凍結され、高千穂鉄道も平成17年(2005年)の台風で甚大な被害を受けたことがきっかけで全線廃止となり、高森から宮崎県方面への延伸の可能性が消えてしまった。

 高森線は南阿蘇地区の地域輸送と観光輸送の役割を担っており、阿蘇下田城ふれあい温泉(あそ しもだじょう ふれあい おんせん)駅や、南阿蘇水の生まれる里白水高原(みなみあそ みずのうまれるさと はくすいこうげん)駅、南阿蘇白川水源(みなみあそ しらかわすいげん)駅、見晴台(みはらしだい)駅など、南阿蘇の観光スポットを結んでいる。「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅は、鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」駅と並んで日本一長い駅名としても知られている。
 
 このほか、南阿蘇村北部にある阿蘇ファームランドは、阿蘇健康火山温泉や阿蘇健康農園、阿蘇ファーム市場などの施設があり、宿泊施設は各部屋が丸いドーム状になっており、特別な空間が広がっている。阿蘇ファームランドへは、阿蘇市の赤水(あかみず駅からが近い。

南阿蘇エリアの主な駅

立野 / たての 駅
JR九州 豊肥本線
南阿蘇鉄道 高森線

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立野駅で進路を変える豊肥本線・特急「あそぼーい!」

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立野駅に停車中の豊肥本線普通

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立野駅のスイッチバック、左が熊本方面、右が阿蘇方面



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鹿児島・霧島 鹿児島空港と霧島温泉と霧島神宮

霧島
きりしま

日本国鹿児島県霧島市

鹿児島・霧島 鹿児島空港と霧島温泉と霧島神宮

 霧島(きりしま)市は鹿児島(かごしま)県の中部にある人口約13万人の市。西に姶良(あいら)市、さつま町、南東に垂水(たるみず)市、鹿屋(かのや)市、東に曽於(そお)市、宮崎(みやざき)県の都城(みやこのじょう)市、北に湧水(ゆうすい)町、宮崎県えびの市、小林(こばやし)市などと接している。

 霧島市は平成17年(2005年)に国分(こくぶ)市と姶良郡の隼人(はやと)町、溝辺(みぞべ)町、横川(よこがわ)町、牧園(まきぞの)町、霧島(きりしま)町、福山(ふくやま)町の1市6町が合併して誕生した。大隅国(おおすみのくに)の北部に位置し、大隅地方の中心都市となっており、薩摩(さつま)地方と大隅地方、日向(ひゅうが)地方を結ぶ交通の要衝でもある。

 霧島市にはJR九州の日豊本線と肥薩線が走る。日豊本線は、鹿児島方面から隼人、国分、霧島神宮(きりしまじんぐう)、北永野田(きたながのだ)の各駅がある。また、肥薩線は隼人駅から北へ分岐し、日当山(ひなたやま)、嘉例川(かれいがわ)、霧島温泉(きりしまおんせん)、大隅横川(おおすみ よこがわ)などの駅がある。

 霧島市の中心駅は旧・国分市にある国分駅で、鹿児島中央~宮崎(みやざき)を結ぶ特急「きりしま」も停車する。国分駅は霧島市役所も近い。かつては、国分駅から大隅福山、海潟温泉(かいがたおんせん)垂水、鹿屋、志布志(しぶし)方面を結ぶ旧国鉄・大隅線が分岐していたが、昭和62年(1987年)に廃止された。大隅線の国分~海潟温泉は昭和47年(1972年)の開業と比較的新しく、わずか15年で廃止になってしまった。

 隼人駅は旧・隼人町の中心駅で、日豊本線と肥薩線が乗り入れることから特急「きりしま」と肥薩線を走る特急「はやとの風」が停車する。

 このほか日豊本線の霧島神宮駅は旧・霧島町にあり、霧島神宮の最寄り駅であるが、同駅から霧島神宮へは5キロほど距離がある。また、肥薩線には旧・牧園町に霧島温泉駅があるが、ここも霧島温泉へは10キロほど離れている。

 道路交通は九州自動車道と東九州自動車道が走っており、九州自動車道は溝辺鹿児島空港IC、横川IC、東九州自動車道は隼人西IC、隼人東IC、国分IC、国分PAなどがある。東九州自動車道と九州自動車道は西隣の姶良市の加治木(かじき)JCTで合流している。

 霧島市は鹿児島の空の玄関でもある鹿児島空港が旧・溝辺町にある。鹿児島空港は、かつては鹿児島市内にあったが、昭和47年(1972年)に現在地に移転開港した。鹿児島市内からバスで約40分ほどかかる。九州島内は新幹線や在来鉄道、道路交通のほうが便利であるが、大阪(おおさか)、東京(とうきょう)などへは飛行機が便利である。九州新幹線開業後は、大阪へは新幹線も便利になった。また、沖縄の那覇(なは)や、種子島(たねがしま)、屋久島(やくしま)、奄美(あまみ)、徳之島(とくのしま)、沖永良部(おきのえらぶ)、与論(よろん)など鹿児島県内の離島路線もある。国際線は台湾の台北・桃園、韓国のソウル仁川、中国の上海・浦東などへの路線がある。

 鹿児島空港には、天然温泉を利用した足湯コーナー「おやっとさぁ」があり、霧島温泉をアピールしている。「おやっとさぁ」は鹿児島弁で「お疲れさま」の意味。

霧島エリアの主な駅

国分 / こくぶ 駅
JR九州 日豊本線

隼人 / はやと 駅
JR九州 日豊本線、肥薩線

霧島神宮 / きりしまじんぐう 駅
JR九州 日豊本線

霧島温泉 / きりしまおんせん 駅
JR九州 肥薩線

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鹿児島空港の足湯「おやっとさぁ」

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鹿児島空港の旅客ターミナルビル

 
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鹿児島・桜島港 桜島フェリーと溶岩なぎさ公園

鹿児島・桜島港
かごしま・さくらじまこう

日本国鹿児島県鹿児島市

鹿児島・桜島港 桜島フェリーと溶岩なぎさ公園

 鹿児島港(かごしまこう)~桜島港(さくらじまこう)を結ぶ桜島フェリーは、鹿児島湾を挟んで約3.5キロの距離を約15分で結んでおり、10分間隔で運航する時間帯もあるなど、地域の足として定着している。鹿児島~桜島を結ぶだけでなく、鹿児島から大隅半島へ向かう最短ルートであることから、車両の利用も多い。鹿児島港からは火山の煙が立ち上る桜島がよく見える。

 桜島港は、桜島西部の横山(よこやま)地区にある。市街地は主に港の南側にあり、海側に厳島神社、山側に月読神社がある。袴腰(はかまごし)交差点から少し丘を上ったところには、道の駅「桜島」があり、「火の島めぐみ館」などの物産館が併設されている。

 桜島の山頂からはモクモクと煙が上がっていて、ふもとにも火山灰が降り注ぐ。道路をよく見ると、火山灰が結構たまっていて、火山灰の掃除をする清掃車もよく見かける。

 町を歩いていると、「おじゃったもんせ桜島」(ようこそ桜島)という鹿児島弁で書かれた桜島観光紹介の看板が目に入る。

 海側には、国民宿舎「レインボー桜島」と桜島レインボービーチがあり、そのさらに西側には「溶岩なぎさ公園」がある。ここは桜島と錦江湾(きんこうわん)を眺めながら足湯ができるスポットで、周辺には溶岩なぎさ遊歩道や、梅崎春生(うめざき はるお)の小説「桜島」の文学碑などがある。

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桜島フェリーから見た桜島

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桜島フェリー・桜島港

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鹿児島弁で書かれた「おじゃったもんせ桜島」

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道の駅桜島・火の島めぐみ館

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溶岩なぎさ公園から見た桜島

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溶岩なぎさ公園の足湯

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溶岩なぎさ遊歩道


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