長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

佐世保
させぼ

日本国長崎県佐世保市

長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

 佐世保(させぼ)市は、長崎(ながさき)県北部にある人口約25万人の市。北が松浦(まつうら)市、西が平戸(ひらど)市と北松浦(きたまつうら)郡の佐々(さざ)町、南が西海(さいかい)市と東彼杵(ひがしそのぎ)郡の川棚(かわたな)町、東が東彼杵郡波佐見(はさみ)町、佐賀県西松浦郡の有田(ありた)町、佐賀県伊万里(いまり)市と接している。

 佐世保市は、長崎市に次ぐ県内第2の都市で、佐賀県県庁所在地の佐賀市より人口が多く、九州の中では第9の人口規模を誇る主要都市である。三方を山に囲まれた天然の良港があり、古くから海防の拠点として発展してきた。戦前は海軍の4大軍港(横須賀、呉、舞鶴、佐世保)の一つとして鎮守府が置かれ、海軍の軍港都市だった。戦時中は昭和20年(1945年)3月に米軍から佐世保大空襲を受け、市街地の多くが焼失した。戦後は、軍需産業は造船業に移行した一方で、自衛隊と在日米海軍の基地が置かれ、国防の重要な拠点都市であることに変わりはない。

 軍の重要都市であったことから、明治35年(1902年)とかなり早い時期に市制を施行し、佐世保市が発足した。昭和17年(1942年)に東彼杵郡の早岐(はいき)町と北松浦郡の一部を編入。昭和30年代までに北松浦郡と東彼杵郡の一部を編入して市域を拡大した。平成の大合併では、平成17年(2005年)に北松浦郡の吉井(よしい)町、世知原(せちばる)町を編入、平成18年(2006年)に北松浦郡の小佐々(こざさ)町、宇久(うく)町を編入、平成22年(2010年)に北松浦郡の江迎(えむかえ)町、鹿町(しかまち)町を編入し、現在の市域となった。

 佐世保市にはJR九州の佐世保線と大村線、松浦鉄道・西九州線が通り、JR佐世保線の佐世保、日宇(ひう)、大塔(だいとう)、早岐(はいき)、三河内(みかわち)の各駅、JR大村線の早岐、ハウステンボス、南風崎(はえのさき)の各駅、松浦鉄道西九州線の佐世保、佐世保中央(させぼちゅうおう)、中佐世保(なかさせぼ)、北佐世保(きたさせぼ)、山の田(やまのた)、泉福寺(せんぷくじ)、左石(ひだりいし)、野中(のなか)、皆瀬(かいぜ)、中里(なかざと)、本山(もとやま)、上相浦(かみあいのうら)、大学(だいがく)、相浦(あいのうら)、棚方(たながた)、真申(まさる)の各駅と佐々町を挟んで吉井(よしい)、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)、いのつき、高岩(たかいわ)、江迎鹿町(えむかえしかまち)、すえたちばな、の各駅がある。

 JR佐世保線は、佐賀県の肥前山口(ひぜんやまぐち)駅から早岐駅を経由して佐世保駅へと至る路線であるが、もともと肥前山口~早岐は九州鉄道により長崎へ至る鉄道の一部として建設されたもので、早岐から大村線を経由して長崎へ向かうのがかつての長崎本線のメインルートで、早岐~佐世保が支線の佐世保線であった。しかし、昭和9年(1934年)に国鉄長崎本線のメインルートが肥前山口から有明線経由で諫早(いさはや)、長崎へと向かうルートに変更されたことから、メインルートから外れた肥前山口~早岐も佐世保線の一部となった。このような経緯から、早岐駅でスイッチバックする構造となっている。佐世保線には福岡(ふくおか)市の博多(はかた)駅から特急「みどり」と特急「ハウステンボス」が走り、特急「みどり」が早岐駅でスイッチバックして佐世保駅を結び、特急「ハウステンボス」は早岐駅からそのまま大村線に入ってハウステンボス駅を結んでいる。

 JR大村線は、早岐~大村(おおむら)~諫早(いさはや)をつなぐ路線で、かつては国鉄長崎本線のメインルート、現在は佐世保~長崎を結ぶルートとして重要な役割を果たしており、快速「シーサイドライナー」が佐世保~早岐~諫早~長崎を結んでいる。ハウステンボス駅はオランダをイメージしたテーマパーク「ハウステンボス」の最寄り駅で、風車や水路、庭園が美しく、日本にいながら優雅なヨーロッパのリゾート気分が楽しめる観光スポットとなっている。「ハウステンボス」は平成4年(1992年)に西海市にあった「長崎オランダ村」を移転する形で開園した。ハウステンボス駅は開園した年に開業し博多から特急「ハウステンボス」が運行されるようになった。

 佐世保~伊万里~有田を結ぶ松浦鉄道・西九州線は、伊万里~有田が伊万里鉄道伊万里線、佐世保~伊万里が佐世保鉄道・松浦線として建設され、国有化後に国鉄松浦線となった。北松浦半島の海沿いの町を結ぶローカル路線で、国鉄民営化直後の昭和63年(1988年)に第3セクターの松浦鉄道に移管され、松浦鉄道・西九州線となった。

 佐世保駅はJR九州・佐世保線と松浦鉄道・西九州線のターミナル駅で、JRの最西端の駅。平成13年(2001年)に高架化された。同駅からは博多方面を結ぶ特急「みどり」と長崎方面を結ぶ快速「シーサイドライナー」が発着している。また、かつては東京から寝台特急「さくら」、大阪から寝台特急「あかつき」などが運行されていたが、寝台特急「さくら」は平成11年(1999年)に佐世保乗り入れが廃止され、寝台特急「あかつき」は平成12年(2000年)に佐世保乗り入れが廃止された。

 東京方面はスピード面では飛行機にかなわないので、寝台特急乗り入れ廃止は時代の流れともいえるが、関西方面へは山陽新幹線と結ぶことで直通運転が模索され、長崎県内ではフル規格の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設(長崎~武雄温泉)が進められている。この長崎新幹線建設は、長崎市にはメリットが大きいが、佐世保は素通りになる懸念があった。そこで、新幹線の標準軌(1435ミリ)と在来線の狭軌(1067ミリ)を直通運転できるフリーゲージトレインの開発が進められ、それにより佐世保にもフリーゲージトレインが乗り入れるはずだった。しかし、車軸が重い高速フリーゲージトレインの開発は難航し、山陽新幹線を運行するJR西日本が速度の遅いフリーゲージトレインの乗り入れに難色を示し、関西直通が否定されたフリーゲージトレイン新幹線構想が宙に浮き、長崎新幹線はフル規格に見直しすることになりそうだ。その場合、佐世保に新幹線が乗り入れることはできなくなり、従来通り博多~佐世保の在来線特急の運転を継続するか、武雄温泉駅からのシャトル列車に乗り換えという形になりそうだが、いずれも現状よりあまり便利にはならなさそうなので、佐世保を縁辺化させない方策を考える必要がある。

 佐世保駅の「みなと口」(西口)は、佐世保港が広がり、西海市の大島(おおしま)や、新上五島(しんかみごとう)町の離島へのフェリーなどが発着している。佐世保港フェリーターミナルに隣接して「させぼ五番街」などの商業施設がある。駅東口には商業施設「えきマチ1丁目佐世保」があり、その北に四ヶ町(よんかちょう)商店街と三ヶ町(さんかちょう)商店街をつなぐ大規模なアーケード商店街「さるくシティ4○3」が松浦鉄道西九州線・佐世保中央駅のほうまでつながっており、佐世保市の商業の中心となっている。

 佐世保駅の北西には「SSK」で知られる佐世保重工業の造船工場があり、佐世保市の産業を支えているほか、海上自衛隊佐世保地方総監部、陸上自衛隊相浦駐屯地、在日米海軍佐世保基地、在日米軍弾薬補給所などの軍事施設が集まり、在日米軍基地には原子力空母や原子力潜水艦、強襲揚陸艦などの軍艦等が配備され、いまも軍港として機能している。

 佐世保のご当地グルメ「佐世保バーガー」は、在日米軍の軍人向けのハンバーガーが広まり、市内に手作りの大きなハンバーガーのお店ができるようになり、それが「佐世保バーガー」として知られるようになり、佐世保を代表するご当地グルメとなった。
 
佐世保エリアの主な駅

佐世保 / させぼ 駅
JR九州 佐世保線
松浦鉄道 西九州線

早岐 / はいき 駅
JR九州 佐世保線、大村線

ハウステンボス
JR九州 大村線 

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佐世保駅から長崎を結ぶ快速「シーサイドライナー」

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佐世保駅から博多を結ぶ特急「みどり」

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佐世保駅松浦鉄道西九州線ホーム

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佐世保駅

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佐世保駅みなと口の「させぼ五番街」

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佐世保港

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佐世保駅東口

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佐世保駅東口の「えきマチ1丁目佐世保」

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佐世保線と大村線の早岐駅

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ハウステンボス

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佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

小城
おぎ

日本国佐賀県小城市

佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

 小城(おぎ)市は、佐賀(さが)県の中央部にある人口約4万人の市。北と東が佐賀市、西が多(たく)市と杵島(きしま)郡の江北(こうほく)町、南が杵島郡白石(しろいし)町と接している。

 小城市は、佐賀市の西にあり、平成の台合併により平成14年(2002年)に小城(おぎ)町、三日月(みかつき)町、牛津(うしづ)町、芦刈(あしかり)町が合併して小城市となった。小城市は、小城羊羹(ようかん)などの和菓子の町として知られている。

 小城市にはJR九州・長崎本線の牛津駅と、唐津線の小城駅がある。また、長崎本線と唐津線が分岐する久保田(くぼた)駅は、佐賀市と小城市の境にあり、駅の南が佐賀市、駅の北が小城市である。

 小城市の中心駅はJR唐津線の小城駅で、同駅からは佐賀方面と唐津(からつ)方面を結ぶディーゼルカーが運行されている。小城駅は明治36年(1903念)に九州鉄道として開業した唐津線の古い木造駅舎が国の文化財に認定された。

 小城駅の北西にある岡山神社および小城公園は、肥前国小城藩の鍋島氏によって築かれた城があり、古くから桜の名所として知られ、「桜岡」と呼ばれた。小城の中心市街地は、小城駅から約1キロ北に行った唐津街道の周辺に広がっている。そこからさらに1キロほど北へ行った祇園川のところに小城温泉がある。長崎自動車道はさらに北の山間部を通り、小城市内にIC(インターチェンジ)はないが、小城PA(パーキングエリアがある。

 佐賀市側にある久保田駅は、長崎本線と唐津線の分岐駅である。特急電車は通過する。長崎本線の牛津駅は、旧・牛津町の玄関駅で、小城市の玄関駅の一つでもある。周辺は佐賀らしい広い水田と広い空が広がっている。駅の西側に牛津川が流れている。

小城エリアの主な駅

小城 / おぎ 駅
JR九州 唐津線

牛津 / うしづ 駅
JR九州 長崎本線

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小城市の田園風景

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福岡 北九州・朽網 北九州空港への最寄り駅

北九州・朽網
きたきゅうしゅう・くさみ

日本国福岡県北九州市小倉南区

福岡 北九州・朽網 北九州空港への最寄り駅

 朽網(くさみ)は、福岡(ふくおか)県の北九州(きたきゅうしゅう)市、小倉南(こくらみなみ)区にある地区で、JR九州・日豊本線の朽網駅がある。

 平成18年(2006年)に周防灘(すおうなだ)の人工島に開港した新しい北九州空港は、ターミナルビルのある北半分が北九州市小倉市、滑走路の一部や新北九州空港連絡道路が京都(みやこ)郡の苅田(かんだ)町に属している。

 北九州空港の対岸には、苅田臨空産業団地が開発され、苅田町と北九州市にまたがってトヨタ自動車九州小倉工場が操業しているほか、北九州市側に王子製袋九州工場、東洋インキ九州などの工場がある。

 北九州空港への最寄り駅は、北九州市側の朽網駅か苅田町側の苅田駅かで誘致合戦があったが、北九州市の小倉(こくら)方面からの場合、朽網駅のほうが近いので、朽網駅から北九州空港を結ぶバスが頻繁に運行されるようになり、空港最寄り駅の地位を築いた。小倉~朽網は普通電車で約18分。朽網駅~北九州空港のバスの所要時間は約15分だ。

 北九州市と苅田町の境には東九州自動車道の苅田北九州空港IC(インターチェンジ)があり、北九州空港から北九州市中心部への速達バスなどは高速道路を利用する。空港から北九州市内へのアクセスは、小倉駅へのノンストップ便が約33分で、そのほか北九州モノレールの徳力嵐山口(とくりきあらしやまぐち)駅を経由して小倉駅を結ぶバスも運行されている。

北九州・朽網エリアの主な駅

朽網 / くさみ 駅
JR九州 日豊本線

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JR日豊本線・朽網駅

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JR日豊本線・朽網駅

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JR日豊本線・朽網駅

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長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

長崎・出島
ながさき・でじま

日本国長崎県長崎市

長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

 出島(でじま)は、長崎(ながさき)市にある地区で、江戸時代に造成された人工島。JR九州・長崎本線の長崎駅から約1.5キロ南にあり、長崎電気軌道本線の出島電停が最寄り駅。

 出島は、江戸時代の江戸幕府が、海外との交易拠点として、1634年(寛永11年)から2年かけて建設された。当時の日本は、欧州からポルトガル人がやって来て、キリスト教の布教の広がりに幕府は頭を悩ませていた。そこで、ポルトガルとの窓口を出島に限定することで、ポルトガルとの交易を維持しつつ、キリスト教の浸透を防ごうとした。

 1638年(寛永15年)には、江戸幕府がキリシタンの反抗となった「島原の乱」を鎮圧し、日本は鎖国を強化。この頃、オランダが日本に接近し、ポルトガルを排除してオランダとの交易を強化するよう求めた。以後、出島は約200年にわたりオランダ人が出入りする場所となり、日本にとっては欧州との窓として機能した。また、出島からオランダ人を通じて、西洋医学などが日本に伝えられた。

 江戸時代末期のペリー来航で開国されることになった日本は、1855年(安政2年)にオランダ人の長崎市内への出入りを許可し、特区としての出島の存在意義は薄れていった。その後、明治時代に出島の周辺が埋め立てられ、かつての出島の範囲が曖昧になったが、1990年代より出島の復元事業が始まり、当時のオランダ船の船長が使用した「一番船船頭部屋」や、輸入品の砂糖などを貯蔵した「一番蔵」、商館長宅の「カピタン(Capitão)部屋」などが復元され、観光スポットに生まれ変わった。

 このほか、出島から川を挟んで北には長崎県庁があり、玉江橋の西にはショッピング施設「ゆめタウン夢彩都」と長崎港フェリーターミナルがある。

長崎・出島エリアの主な駅

出島 / でじま 電停
長崎電気軌道 本線(1系統) 

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長崎電鉄本線・出島駅

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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福岡・小郡 西鉄が走る三国が丘と筑後郡家の遺跡

小郡
おごおり

日本国福岡県小郡市

福岡・小郡 西鉄が走る三国が丘と筑後郡家の遺跡

 小郡(おごおり)市は、福岡(ふくおか)県の南西部の筑後(ちくご)地方にある人口約6万人の市。北が筑紫野(ちくしの)市、東が朝倉(あさくら)郡の筑前(ちくぜん)町と三井(みい)郡の大刀洗(たちあらい)町、南が久留米(くるめ)市、西が佐賀(さが)県の鳥栖(とす)市、三養基(みやき)郡の基山(きやま)町と接している。

 小郡市は昭和47年(1972年)に三井郡小郡町から小郡市へと昇格した。「小郡」といえば、山陽新幹線の旧・小郡駅(現・新山口駅)のほうが有名だったが、旧・小郡駅は旧・山口県吉敷郡小郡町にあり、小郡町が平成17年(2005年)に山口市に合併されたほか、小郡駅も「のぞみ」停車を求めて平成15年(2003年)に新山口駅に改称したことから、福岡県の小郡市や小郡駅と混同することは今後は減りそうだ。

 久留米~福岡の鉄道路線は、JR九州・鹿児島本線と西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線が競合しているが、JR鹿児島本線は久留米から西側の佐賀県鳥栖市を経由しているのに対し、西鉄天神大牟田線は東側の福岡県小郡市を経由しており、小郡市は西鉄沿線の都市として発展している。

 小郡市内には、西鉄天神大牟田線の津古(つこ)、三国が丘(みくにがおか)、三沢(みつさわ)、大保(おおほ)、西鉄小郡(にしてつ おごおり)、端間(はたま)、味坂(あじさか)の各駅と、甘木鉄道の小郡(おごおり)、大板井(おおいたい)、松崎(まつざき)、今隈(いまぐま)の各駅がある。

 西鉄天神大牟田線は、特急は市内の駅をすべて通過するが、急行は三国が丘駅と西鉄小郡駅に停車する。また、西鉄小郡で折り返す急行は、筑紫~西鉄小郡が各駅停車となるため、津古、三沢、大保にも停車する。

 西鉄小郡駅は、2面4線のホームで、西鉄小郡で福岡(天神)方面に折り返す電車があるため、小郡より南は運転本数が少なくなる。甘木鉄道の小郡駅と乗り換えが可能であり、甘木鉄道はJR鹿児島本線の基山駅と朝倉市の甘木(あまぎ)駅を結んでいる。甘木鉄道と並行している大分自動車道は、小郡駅の約1.5キロ西に鳥栖JCT(ジャンクション)があり、九州自動車道および長崎自動車道と連絡している。小郡駅は昭和61年(1986年)に国鉄甘木線が甘木鉄道に移管される前は、筑後小郡(ちくご おごおり)駅と呼ばれ、現在地より西寄りにあり、山口県の小郡駅と区別されていた。

 西鉄小郡駅の南側に国道500号線が東西に通り、西に進むと佐賀県鳥栖市に行くことができる。小郡駅の北東には小郡官衙遺跡公園があり、かつてここに筑後国の郡家があり、その遺跡が一部保存され、公園になっている。小郡駅の北西には陸上自衛隊小郡駐屯地がある。また、大保駅の西には九州情報大学小郡キャンパスがあり、東には「イオン小郡ショッピングセンター」がある。

 三国が丘駅は、平成4年(1992年)に開設された比較的新しい駅であり、主に西鉄や東急が開発したニュータウンが広がっている。ニュータウン開発で住民が増えたことから、急行も停車する。駅の東に「三国が丘」、南西に「美鈴の杜」、「美鈴が丘」、そのさらに西に「希みが丘」の住宅地が広がっている。「三国が丘」は、筑後国の小郡が、筑前国および肥前国とも接していることが地名の由来となったようだ。三国が丘の西には「九州歴史資料館」があり、古代九州の大宰府(だざいふ)政庁の出土品や古文書などを展示している。「埋蔵文化財調査センター」が隣接しており、遺跡発掘などの研究調査の拠点となっている。

小郡エリアの主な駅

西鉄小郡 / にしてつおごおり 駅
西日本鉄道 天神大牟田線
小郡 / おごおり 駅
甘木鉄道 甘木線

三国が丘 / みくにがおか 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

大保 / おおほ 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

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西鉄小郡駅

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西鉄小郡駅前

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西鉄と立体交差する甘木鉄道(小郡駅)

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小郡市役所

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小郡市の街並み

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西鉄・大保駅

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大保駅周辺の町並み

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福岡・苅田 苅田港と北九州空港、自動車工業と苅田臨空産業団地

苅田
かんだ

日本国福岡県京都郡苅田町

福岡・苅田 苅田港と北九州空港、自動車工業と苅田臨空産業団地

 苅田(かんだ)町は、福岡(ふくおか)県東部の京都(みやこ)郡にある人口約4万人の町。北と西が北九州(きたきゅうしゅう)市の小倉南(こくらみなみ)区、南が行橋(ゆくはし)市と接しており、東は周防灘(すおうなだ)が広がっている。

 苅田は、苅田港の便を生かして臨海部に工場が集まり、工業都市として発展した。さらに北九州新空港の移転開港で空の便も生かした臨空産業団地が建設され、ますます発展を続けている。

 苅田町にはJR九州・日豊本線の苅田(かんだ)駅と小波瀬西工大(おばせ にしこうだい)駅がある。苅田駅からは、石灰石の採石所と苅田港の豊国セメント苅田工場(現・三菱マテリアル九州工場)への専用貨物線があった。

 苅田港は石灰石や筑豊炭田から運ばれた石炭の積み出し港として開発され、苅田港の貨物駅は戦時中の昭和19年(1944年)に開設された。戦後は、石炭の積み出しのほか、石炭を用いる九州電力苅田火力発電所、麻生セメント苅田工場、宇部興産苅田セメント工場、太平洋セメント苅田サービスステーションなどの貨物列車が運行されていたが、平成17年(2005年)より貨物列車の運行が休止されている。

 苅田港周辺には、港の便を生かして、宇部興産、麻生セメント工場、苅田発電所のほか、日産自動車九州工場、日立金属九州工場などの大規模な工場があり、北九州における重要な工業集積地となっている。

 工業都市としての苅田町の発展は、平成18年(2006年)に苅田沖の周防灘の人工島に新・北九州空港が開港したことにより、さらに加速する。北九州空港は北九州市小倉南区の曽根地区にあった旧・北九州空港は滑走路は1500mしかなかったことから、周防灘に関門航路の浚渫による土砂で埋め立てた人工島を造成し、そこに新空港が建設された。

 北九州空港は、人工島のうち、北半分が北九州市、南半分が苅田町に属し、空港ターミナルビルは北九州市側にあるが、滑走路の一部と、新北九州空港連絡道路は苅田町側にある。連絡橋の周辺には苅田臨空産業団地が形成され、トヨタ自動車九州小倉工場が操業しているほか、トヨタ自動車九州苅田工場、トーカロ北九州工場、ジェネック苅田物流センターなどの工場がある。

 このように自動車関連産業やセメント工業、発電所に、港湾と空港など、産業やインフラが充実している苅田町は比較的税収が豊かな自治体であるため、平成の大合併の際にも、他市に編入されることなく、苅田町として独立を維持している。

 苅田町と北九州市の境には東九州自動車道の苅田北九州空港IC(インターチェンジ)があり、福岡市や大分方面への道路交通も便利である。また、北九州空港からJR日豊本線を結ぶバスは、苅田駅ではなく、北九州市側の朽網(くさみ)駅を結んでいる。

苅田エリアの主な駅

苅田 / かんだ 駅
JR九州 日豊本線

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北九州空港と新北九州空港連絡道路

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新北九州空港連絡道路

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さらなる工場の進出が見込まれる苅田町

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テーマ : 福岡
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長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

長崎・浦上
ながさき・うらかみ

日本国長崎県長崎市

長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

 浦上(うらかみ)は、長崎(ながさき)市にある地区で、JR九州・長崎本線の長崎駅から約1キロ北にあり、JR長崎本線の浦上駅を中心に市街地が広がっている。

 JR長崎本線の東側に長崎電気軌道が並行するように南北に走っており、浦上のあたりには、銭座町(ぜんざまち)、茂里町(もりまち)、浦上駅前(うらかみえきまえ)、大学病院前(だいがくびょういんまえ)、浜口町(はまぐちまち)、松山町(まつやままち)などの電停があり、1号~3号系統の電車が運行されている。

 JR浦上駅は、長崎~佐賀(さが)~博多(はかた)を結ぶ特急「かもめ」や、JR大村線を経由して佐世保(させぼ)を結ぶ快速「シーサイドライナー」も停車し、長崎駅を補完する長崎の主要駅の一つとなっている。

 浦上駅は明治30年(1897年)にJR長崎本線の前身である九州鉄道・長崎線の終着駅である長崎駅として開業した。長崎港湾の埋立工事が完成すると明治38年(1905年)に現在の長崎駅まで延伸され、初代の長崎駅が浦上駅に改称された。日露戦争を経て九州鉄道は明治40年(1907年)に国有化された。長崎電気軌道(長崎電鉄)本線は大正4年(1915年)に病院下(現・大学病院前の付近)~築島が開業し、昭和8年(1933年)までに松山町の北の大橋まで開業した。

 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月9日、アメリカ軍は長崎市(浦上駅北方、松山町付近)にプルトニウム式の原子爆弾を投下し、広島に続く2番目の被爆都市となった。これにより、長崎市の市街地が一瞬にして壊滅し、当時の長崎市の人口約24万人のうち、約7.4万人が死亡し、その後も多くの被爆後遺症による関連死者数は増え続けた。広島は河口近くの平地が広がっていたのに対し、長崎は三方が山に囲まれているため、爆発で壊滅した範囲は広島より狭くなり、旧市街地の南側の一部は破壊を免れた地区もあったが、広島と同様に爆心地周辺の市街地は完全に壊滅し、人道に反する無差別大量殺人であった。

 長崎原爆の爆心地は、長崎電鉄本線の松山町電停の南東側にある原爆公園。ここには、「原爆落下中心碑」があり、浦上天主堂の遺構の一部が移設されてモニュメントとして展示されている。松山町には約300世帯1800人余りが生活していたが、アメリカによる原爆投下により一瞬にして灼熱の地獄となり、ほぼ全員が焼け死んだ。当時の原爆の熱で溶けたガラスや瓦、茶碗などが埋まった当時の地層が、保存されている。

 原爆公園の北側にある平和公園は、小高い丘になっている。ここには、赤レンガ造りの長崎刑務所浦上刑務支所の監獄があったが、長崎原爆の爆心地からわずか100m余りの距離だったため、刑務所内にいた受刑者や被告人、職員らが全員死亡した。この建物の基礎部分が広場に保存されている。長崎原爆投下からすでに70年以上が経過し、この基礎の陰に隠れてハトを狙うネコを見るとほほえましい光景であるが、この建物が原爆でふっ飛ばされた事実はイメージしておきたい。

 その先にある平和祈念像は、長崎県出身の彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう)が制作した像で、昭和30年(1955年)に完成し、長崎原爆の鎮魂と平和の願いを込めた象徴となっている。

 平和公園から東へ約500mのところにある浦上天主堂(カトリック浦上教会)は、大正3年(1914年)に竣工した赤レンガの美しい聖堂が長崎原爆で倒壊し、天主堂の中にいた司祭や信徒が全員死亡した。戦後、浦上教会は昭和34年(1959年)に旧天主堂の建物を模して再建された。昭和55年(1980年)の改修工事では、戦前の赤レンガ造りの外観がより再現され、翌昭和56年(1981年)には訪日したバチカンのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れ、ミサを捧げた。

 平和公園の南東の丘の上にある長崎原爆資料館は、前身の長崎国際文化会館原爆資料センターの建物が老朽化し、展示スペースも手狭であったことから、平成8年(1996年)に移設の上、新たに開館したものである。長崎原爆による長崎市の被害の実態や、当時の写真や映像、投下されたプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」の実物大模型、鳥居の柱が一本だけ残った山王神社の紹介、崩れた浦上天主堂を再現した展示などがあり、また戦後に米国、ソ連、中国などで行われた核実験に抗議し、核兵器のない世界を目指すメッセージも発信している。長崎原爆資料館に隣接して国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館も隣接しており、原爆犠牲者の追悼の場所となっている。長崎原爆資料館へは長崎電鉄本線の浜口町電停が近い。

 浦上駅は長崎原爆の際に全壊し、駅員も死亡。壊滅的な状況となるが、長崎本線に救援列車が運行され、被爆者の救助を行った。周辺は原爆によるガレキの山だったが、速やかに仮復旧し、長崎の救援と復興に鉄道が最大限活用された。

 現在、浦上駅周辺には、長崎原爆病院、長崎新聞本社、長崎ブリックホールなどの施設があるほか、長崎バス茂里町営業所を再開発した商業施設「みらい長崎ココウォーク」が平成20年(2008年)にオープンした。「みらい長崎ココウォーク」は、1階がバスセンター、2階より上が商業施設や映画館、飲食店街となっており、観覧車もある。浦上地区の新しいシンボルとなっている。5階は「長崎ぶらぶら街道」というコンセプトの下、長崎の象徴的な街並みを再現しており、観光客も楽しめるスポットである。

長崎・浦上エリアの主な駅

浦上 / うらかみ 駅
JR九州 長崎本線(新線、長与支線)
浦上駅前 / うらかみえきまえ 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

松山町 / まつやままち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

浜口町 / はまぐちまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

茂里町 / もりまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

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長崎電鉄本線・松山町電停

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長崎原爆公園の記念碑

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長崎原爆落下中心地

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長崎平和公園

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長崎平和公園

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被爆した長崎刑務所浦上刑務支所の基礎

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長崎平和祈念像

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長崎原爆資料館

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長崎原爆資料館に再現された浦上天主堂

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長崎電鉄・浜口町電停

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JR浦上駅前

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茂里町のみらい長崎ココウォーク

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福岡・久留米 筑後平野の中心都市、久留米ラーメンとブリヂストン

久留米
くるめ

日本国福岡県久留米市

福岡・久留米 筑後平野の中心都市、久留米ラーメンとブリヂストン

 久留米(くるめ)市は、福岡(ふくおか)県南部にある人口約31万人の市。南が大川(おおかわ)市、三潴(みずま)郡の大木(おおき)町、筑後(ちくご)市、八女(やめ)郡の広川(ひろかわ)町、八女(やめ)市、東が うきは市、北が朝倉(あさくら)市、三井(みい)郡の大刀洗(たちあらい)町、小郡(おごおり)市、佐賀県鳥栖(とす)市、西が佐賀県三養基(みやき)郡みやき町、神埼(かんざき)市と接している。

 久留米は、筑紫(つくし)平野の東部にあたる筑後(ちくご)平野の中心都市で、筑後国(ちくごのくに)の国府が置かれた。平成の大合併では、平成17年(2005年)に三井郡北野(きたの)町、三潴郡三潴(みづま)町、三潴郡城島(じょうじま)町、浮羽(うきは)郡の田主丸(たぬしまる)町を編入合併し、現在の東西に長い市域となった。

 久留米市にはJR九州の九州新幹線と鹿児島本線、九大本線、西日本鉄道(西鉄)の天神大牟田線と甘木線が通る。JRは九州新幹線・鹿児島本線・久大本線が連絡する久留米駅が中心駅で、市内に鹿児島本線は久留米駅の南に荒木(あらき)駅、久留米駅から大分(おおいた)方面を結ぶ久大本線は久留米、久留米高校前(くるめこうこうまえ)、南久留米(みなみくるめ)、久留米大学前(くるめだいがくまえ)、御井(みい)、善道寺(ぜんどうじ)、筑後草野(ちくご くさの)、田主丸(たぬしまる)の各駅がある。

 西鉄はJR久留米駅から東に約2キロ離れた西鉄久留米駅を中心駅とし、天神大牟田線は、宮の陣(みやのじん)、櫛原(くしわら)、西鉄久留米、花畑(はなばたけ)、試験場前(しけんじょうまえ)、津福(つぶく)、安武(やすたけ)、大善寺(だいぜんじ)、三潴(みずま)、犬塚(いずづか)の各駅、甘木線は宮の陣駅から分岐し、五郎丸(ごろうまる)、学校前(がっこうまえ)、古賀茶屋(こがんちゃや)、北野(きたの)、大城(おおき)、金島(かねしま)の各駅がある。

 久留米市の中心部は、筑後川の南のJR久留米駅と西鉄久留米駅の間に広がり、東西を結ぶ昭和通りと明治通りにはバスが頻繁に走っている。筑後川や宝満川が福岡県と佐賀県の県境になっており、JR久留米駅から北に筑後川の鉄橋を渡ると佐賀県鳥栖市に入る。

 JR久留米駅は、鹿児島本線の博多(はかた)方面に直通する久大本線の特急「ゆふ」や「ゆふいんの森」が停車する。かつては鹿児島本線の特急も頻繁に停車していたが、現在は九州新幹線に移り、朝夕のみ運行される特急「有明」が停車する。平成23年(2011年)に九州新幹線鹿児島ルートが全線開業し、各駅タイプの「つばめ」と山陽新幹線に直通する速達タイプの「さくら」が停車するが、最速達タイプの「みずほ」は通過する。

 九州新幹線の新鳥栖、久留米、筑後船小屋(ちくごふなごや)、新大牟田(しんおおむた)の駅間隔が非常に短く、特に新鳥栖~久留米は約6キロしか離れていない。これは地元の自治体のバランスや地元の要望を受けて政治家が動いた地元の事情がいろいろあったのだと思われる。久留米駅は、筑後地方の中心都市なので、久留米駅に新幹線の駅ができることは争議はなかっただろう。一方、新鳥栖は、佐賀県唯一の駅であり、長崎本線と連絡し、さらに将来は長崎新幹線(九州新幹線長崎ルート)の分岐駅となる構想があったことから、久留米と新鳥栖はいくら距離が近くても両駅設置する必要があったのだろう。このほか、筑後船小屋駅と新大牟田駅については、博多からある程度距離のある筑後地方南部はもともと在来線特急の利用者が多く、九州新幹線にシフトしてもらうにはきめ細かい運行が求められたが、ルートの関係上、新大牟田駅は在来線から離れた場所に建設されたため、在来線と連絡する筑後船小屋駅があったほうが在来線からの利用が便利になるという考えがあったのだと思われる。

 西鉄久留米駅は、2面4線の高架駅で、急行や特急も停車する。1階には西鉄久留米バスセンター(バスターミナル)があり、駅ビルは「エマックス・クルメ」という商業施設となっている。東口は百貨店の「岩田屋」久留米店やリベール久留米などの商業施設、ハイネスホテル久留米、東横インなどの宿泊施設が集まっている。駅の利用者は西鉄久留米駅のほうがJR久留米駅より多く、久留米市の中心駅となっている。JR鹿児島本線は福岡方面に向かう際に佐賀県鳥栖市を経由するが、西鉄天神大牟田線は佐賀県は通らず東側の福岡市小郡市を経由する。

 西鉄久留米駅から一つ南(大牟田寄り)の花畑駅も2面4線の高架駅で、同駅も急行と特急が停車し、福岡天神方面からの急行電車が主に折り返す。駅周辺は住宅地が広がっている。

 筑後川の北の宮の陣駅は、西鉄甘木線が分岐しており、天神大牟田線の急行も停車する。甘木線ホームは大きく東側に曲がっており、筑後川北側を走り、朝倉市の甘木駅を結んでいる甘木線の電車は、全列車が天神大牟田線の西鉄久留米駅方面と直通し、ラッシュ時は花畑で折り返す電車があるほか、日中は大牟田駅までの普通電車が直通運転している。

 西鉄甘木線の前身は三井(みい)電気軌道であり、久留米市から甘木町、福島町を結ぶ路線が建設され、大正4年(1915年)に宮の陣~北野が開業、大正5年(1916年)に日吉町(久留米市)~櫛原が開業し、大正10年(1921年)に北野~甘木が開業。大正13年(1924年)に筑後川の橋がつながって、久留米市内~甘木がつながった。一方、大正13年(1924年)に西鉄天神大牟田線の前身である九州鉄道の福岡(現・西鉄福岡)~久留米(現・西鉄久留米)が開業。三井電気軌道が九州鉄道に合併され、九州鉄道三井線となった。昭和17年(1942年)に九州鉄道が西日本鉄道(西鉄)となり、戦後、久留米市内を走る宮の陣~日吉町が軌道が廃止され、日吉町から国道3号線を併用軌道で走る西鉄福島線も昭和33年(1958年)に廃止された。そして、宮の陣~甘木が現在の西鉄甘木線となった。

 久留米は、ゴムタイヤの最大手企業である「ブリヂストン」の創業の地であり、JR久留米駅の北東側に昭和6年(1931年)に操業開始した久留米工場があり、乗用車やトラック、航空機などのタイヤを生産している。「ブリヂストン」の社名は、創業者の石橋正二郎(いしばし しょうじろう)の「石」(Stone)と「橋」(Bridge)の直訳英語が由来である。

 久留米は豚骨ラーメンのルーツとも言われる「久留米ラーメン」の本場であり、細麺と白濁の豚骨スープは、九州各地のラーメンに多大な影響を与えた。現在は、豚骨ラーメンは博多ラーメンも有名であるが、久留米ラーメンは博多に比べてスープが濃厚で、麺は博多よりやや太めなどの特徴がある。

 このほか、久留米は、元チェッカーズの藤井フミヤ・藤井尚之兄弟や、歌手の松田聖子(まつだ せいこ)など、1980年代を盛り上げた実力派アイドル歌手・アーティストの出身地としても知られている。

久留米エリアの主な駅

久留米 / くるめ 駅
JR九州 九州新幹線、鹿児島本線、九大本線

西鉄久留米 / にしてつくるめ 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

花畑 / はなばたけ 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

宮の陣 / みやのじん 駅
西日本鉄道 天神大牟田線、甘木線

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西鉄久留米駅

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西口の西鉄久留米バスセンター

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西鉄久留米駅東口の岩田屋

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JR久留米駅

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JR久留米駅の通路

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JR久留米駅、鹿児島本線の普通電車

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JR久留米駅に停車する久大本線特急「ゆふいんの森」

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福岡 北九州・若松 石炭積出港の栄枯盛衰と若戸大橋

北九州・若松
きたきゅうしゅう・わかまつ

日本国福岡県北九州市若松区

福岡 北九州・若松 石炭積出港の栄枯盛衰と若戸大橋

 若松(わかまつ)区は、福岡(ふくおか)県の北九州(きたきゅうしゅう)市にある人口約8万人の区。若松半島にある港町で、西が遠賀(おんが)郡の芦屋(あしや)町、南西が北九州市八幡西(やはたにし)区と接しているほか、洞海湾(どうかいわん)を挟んで、北九州市の戸畑(とばた)区、八幡東(やはたひがし)区と接している。

 北九州市は、豊前国(ぶぜんのくに)に属する小倉(こくら)や門司(もじ)と、筑前国(ちくぜんのくに)に属する戸畑(とばた)、八幡(やはた)などが合体した市であるが、若松半島は筑前側の遠賀郡に属していた。現在の北九州市若松区となったのは、若松市、八幡市、戸畑市、小倉市、門司市が合併して北九州市が発足した昭和38年(1963年)のことである。

 若松は明治24年(1891年)に筑豊興業鉄道が直方(のおがた)~若松に開業し、若松は石炭積出港として急速に発展した。筑豊興業鉄道は、筑豊鉄道への社名変更を経て、明治30年(1897年)に門司から熊本(くまもと)、佐賀(さが)方面への鉄道を運行していた九州鉄道に買収され、明治40年(1907年)に国有化され、国鉄筑豊本線となった。

 遠賀郡若松町は大正3年(1914年)に若松市に昇格した。旅客の北九州の玄関口は門司であったが、筑豊炭田で採掘された石炭を運び出す港は若松港が最大で、筑豊本線はまさに石炭を運ぶ大動脈であった。石炭を積んだ蒸気機関車が頻繁に走るかつての若松駅には、広い構内に機関区や石炭貨車ヤードと桟橋、大きなガントリークレーン、貯炭場、石炭積み出し施設などがあり、石炭によりいち早く工業化した北九州の象徴的な町であった。

 しかしながら戦後、エネルギー革命により、主力のエネルギー源が石炭から石油へ変わっていくにつれ、筑豊炭田の出炭量も減少し、若松港の石炭積出量も減っていった。筑豊炭田の閉山が相次ぎ、昭和45年(1970年)にガントリークレーンの使用が終了し、昭和57年(1982年)には貨物輸送が廃止され、立派だった旧駅舎も昭和59年(1984年)に取り壊され、駅施設が縮小され、現在は1面2線のホームを残すのみとなっている。

 若松駅の海側にあった若松機関区や石炭貨車ヤード、石炭桟橋があったスペースは、「久岐の浜」(くきのはま)団地として住宅に再開発されている。駅前の広場には、かつて筑豊本線で活躍した9600形蒸気機関車が展示されているが、野ざらしのため傷みが激しい。駅前には若松市民会館があり、北九州市立若松図書館やスーパー「サンリブ」若松店が入る「ベイサイドプラザ」などの施設がある。

 市街地には「ウエル本町」や「エスト本町」、「明治町銀天街」などのアーケード商店街があるが、閑散としたシャッター街となっており、かつて石炭積出港として好景気に沸いた若松の栄枯盛衰を感じずにはいられない。商店街をアートギャラリー化して活性化に取り組んでいるようだが、この通りに人が戻ることを願いたい。

 一方、若松港の海沿いの道路は歩道も整備されていて散歩が気持ち良い。このあたりは「若松バンド」とも呼ばれ、弁財天や、和洋折衷の「石炭会館」ビル、赤レンガが美しい「旧古河鉱業若松ビル」など、若松の華やかだった歴史の一面も感じることができる。

 洞海湾の両岸である若松と戸畑を結ぶ、赤い大きな吊り橋「若戸大橋」は、昭和33年(1958年)に着工され、昭和37年(1962年)に開通した。橋の全長は627mで、これにより港町だった若松が、直接対岸の戸畑とつながり、北九州市としての一体性が強化された。開通当初は歩道があり、歩行者も通行できたが、後に渋滞対策で車線が増やされ、歩道は廃止された。一方、若戸大橋の下には若戸渡船の渡場があり、渡し船で対岸の戸畑へ行くことができる。

 若松と戸畑を結ぶ道路は「若戸大橋」のみであったが、通行量の増大により朝夕の渋滞が慢性化したことから、新しい道路が計画され、若戸大橋の北側に、新若戸道路が建設され、776mの「若戸トンネル」が平成24年(2012年)に開通した。

 若戸大橋の高架橋のすぐ下には、若松恵比須神社がある。若松恵比須神社は約1800年前に仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后が筑紫国を訪れた際に、神宮皇后の御船が洞海湾を進み、そのときにお伴していた忠臣・武内宿禰(たけうち の すくね)が海底を調べさせたところ、光り輝く美しい玉石を発見し、その玉石を祀ったのが同神社の始まりとされる。そして武内宿禰が「海原の 溟たる松の 青々たる わが心も若し」と詠んだことが「若松」の地名の由来と伝えられている。

 若松~折尾(おりお)~直方~桂川(けいせん)~原田(はるだ)を結ぶ筑豊本線は、かつては筑豊炭田から若松港へ石炭を運ぶ大幹線であったが、現在は、JR鹿児島本線と連絡する折尾駅を境に運転系統が分離され、折尾~直方~桂川~博多を結ぶ筑豊本線・篠栗線ルートが「福北(ふくほく)ゆたか線」となり、若松~折尾が「若松線」、桂川~原田が「原田線」としてローカル線化している。なので、若松~折尾は複線でありながら非電化でのんびりとディーゼルカーが走り、「本線」はもはや過去のことで、完全に「支線」化している。

 若松区内には、JR九州・筑豊本線の若松、藤ノ木(ふじのき)、奥洞海(おくどうかい)、二島(ふたじま)の各駅がある。藤ノ木駅の南側にはかつて貯炭場や藤ノ木桟橋があったが、1970年代にその役割を終え、空き地が広がっている。洞海湾は古くは洞海(くきのうみ)と呼ばれ、貯炭場跡は「くきのうみ中央」地区として再開発が進められようとしている。奥洞海駅は、若松競艇場(ボートレース若松)の最寄り駅で、そのほか海沿いに日本ヒューム九州工場や東海カーボン九州若松工場が広がっている。二島駅は、駅の南に二島工業団地が広がり、東京製鐵九州工場や金属加工系の工場などがあり、若松~折尾の中では比較的利用者が多い。二島駅の北西には「イオン若松ショッピングセンター」があり、その北には住宅街が広がっている。

北九州・若松エリアの主な駅

若松 / わかまつ 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

藤ノ木 / ふじのき 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

二島 / ふたじま 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

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JR筑豊本線(若松線)若松駅

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JR筑豊本線(若松線)若松駅

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終着駅の雰囲気がある若松駅

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若松駅と駐車場になった旧駅構内

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若松駅にある石炭貨車

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JR若松駅駅舎

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静態保存されているが傷みが激しい9600形蒸気機関車

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若松ベイサイドプラザ

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若松バンドから見た若戸大橋

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和洋折衷の石炭会館ビル

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赤レンガが美しい旧古河鉱業若松ビル

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若戸大橋と渡し船

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若戸大橋の高架橋のすぐ下にある若松恵比須神社

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若松恵比須神社

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若松・善念寺

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エスト本町商店街

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ウエル本町商店街

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藤ノ木貯炭場跡に再開発されるくきのうみ中央地区
洞海湾を挟んで見える八幡製鉄所

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JR筑豊本線(若松線)二島駅

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佐賀 肥前国の国府、佐賀城の城下町、広い平野と熱気球

佐賀
さが

日本国佐賀県佐賀市

佐賀 肥前国の国府、佐賀城の城下町、広い平野と熱気球

 佐賀(さが)市は、佐賀県の中央部にある佐賀県の県庁所在地で、人口は約24万人。西が小城(おぎ)市と唐津(からつ)市、北が福岡(ふくおか)県の糸島(いとしま)市と福岡市早良(さわら)区、東が神埼(かんざき)市と福岡県大川(おおかわ)市と接している。また、道路はつながっていないが、筑後川(ちくごがわ)の河口を挟んで福岡県柳川(やながわ)市と接しており、南には有明海(ありあけかい)が広がっている。

 佐賀市は、平成の大合併で平成17年(2005年)に佐賀市の北にあった佐賀郡の大和(やまと)町と富士(ふじ)町、三瀬(みつせ)村、佐賀市の東にあった佐賀郡諸富(もろどみ)町と合併した。さらに平成19年(2007年)に佐賀郡の川副(かわそえ)町、東与賀(ひがしよか)町、久保田(くぼた)町を編入合併し、現在の市域となった。

 佐賀は豊かな筑紫(つくし)平野の西部にあたる佐賀平野が広がり、古くから人々が暮らしていたことから、縄文時代の貝塚や古墳時代の古墳などの遺跡が多く発掘されている。8世紀頃に佐賀市大和町には肥前国(ひぜんのくに)の国府が置かれ、江戸時代には鍋島(なべしま)氏によって築かれた佐賀藩・佐賀城の城下町として発展した。

 佐賀県と長崎県は同じ肥前国に属したが、肥沃な平野に発展した佐賀と、漁村から国際貿易の港町として発展した長崎では、かなり歴史文化的に異なる発展を遂げたことから、廃藩置県の際には肥前国が佐賀県と長崎県に分けられ、佐賀藩と唐津藩の領域が佐賀県になった。

 佐賀は、西の嘉瀬川(かせがわ)、東の筑後川に挟まれた平野が広がり、稲作が盛んであり、広大な水田が美しいが、かつては洪水が頻発し、治水が重要な課題であった。江戸時代に佐賀藩の成冨茂安(なるとみ しげやす)らによる治水事業で、筑後川の堤防や灌漑用水が整備され、佐賀の洪水被害や水争いが減り、安定した穀倉地帯となった。さらに、明治時代には水路の直線化や排水機能が強化された。

 佐賀市には、JR九州・長崎本線の伊賀屋(いがや)、佐賀、鍋島(なべしま)、久保田(くぼた)の各駅があり、久保田駅からはJR唐津線が分岐している。また、毎年秋に開催される熱気球の祭りである「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の開催時に、鍋島~久保田の嘉瀬川のそばに「バルーンさが」臨時駅が開設される。

 佐賀駅は、佐賀市の玄関駅であり、JR長崎本線の駅の中で最も利用客数が多い。長崎本線は明治24年(1891年)に九州鉄道・佐賀線として開業し、明治40年(1907年)に国有化された。長崎本線を走り、博多(はかた)~佐賀~長崎を結ぶ特急「かもめ」、博多~佐賀~佐世保の特急「みどり」、博多~佐賀~ハウステンボスの特急「ハウステンボス」などの特急列車も停車する。

 佐賀駅は2面4線の高架駅であり、昭和51年(1976年)に高架化された。長崎本線の普通電車は主に鳥栖(とす)~佐賀~肥前山口(ひぜん やまぐち)を結んでおり、。唐津線は久保田駅から分かれているが、佐賀駅まで直通しており、佐賀県の小城、多久(たく)、唐津などの各都市を結んでいる。久保田駅は小城市との境にあるが、駅は佐賀市側にある。駅周辺はのどかな田園が広がっている。

 佐賀駅からはかつて、筑後柳河(福岡県柳川市)を経由して鹿児島本線の瀬高(せたか)駅まで結び、長崎・佐賀~熊本方面への最短ルートであった国鉄佐賀線があったが、佐賀~熊本への需要は多くなく、貨物輸送もトラックに切り替わり、ローカル線化し、昭和62年(1987年)に廃止された。

 佐賀駅高架下には「えきマチ1丁目 佐賀」商店街があり、書店や婦人服などの店舗のほか、「有明海苔」、「嬉野茶」、「丸芳露(まるぼうろ)」、「小城羊羹」など佐賀名物のお土産を販売する店舗がある。「えきマチ1丁目 佐賀」の先の東側の高架下には「佐賀駅バスセンター」があり、佐嘉(さが)神社や佐賀県庁方面の市街地および佐賀市郊外各方面を結ぶバスが発着している。また、佐賀駅~佐賀空港を結ぶバスや、西鉄バスが運行する佐賀~福岡(天神)を結ぶ高速バスも発着している。

 佐賀駅南口のロータリーの東側にはスーパー「西友」佐賀店があり、バスターミナルの南東側に佐賀県JA会館や佐賀市役所がある。佐賀城址は、佐賀駅の約2キロ南にあり、南口から中央大通りを南に進んでいくと、佐賀城のお堀があり、城内に佐賀県庁庁舎がある。中央大通りは、一部が唐人町(とうじんまち)商店街となっているが、近年は空き店舗が目立ち、シャッター通り化が進み、再活性化が模索されている。

 佐賀城は1602年(慶長7年)に築城され、古くは佐嘉城と表記された。江戸時代には、佐賀藩が置かれ藩主・鍋島氏の拠点となっていた。かつては豊前・小倉城と同規模の巨大な天守があったが、1726年(享保11年)の大火により天守や本丸の建物が焼失した。その後、佐嘉藩の政治の拠点は本丸御殿に移り、本丸は再建されなかった。明治維新による廃藩置県後、明治7年(1874年)に佐賀藩士・江藤新平(えとう しんぺい)らによる「佐賀の乱」が起こり、佐賀城が一時期、藩士らによる反乱軍に占拠されたが、明治政府軍に鎮圧された。この際の激しい戦闘で、佐賀城の多くの建築物が破壊され、わずかに「鯱の門」と「続櫓」が残存するだけとなっている。城址は佐賀城公園として整備され、城内には佐賀県庁庁舎のほか、佐賀城本丸歴史館、佐賀県立博物館、佐賀県立美術館、佐賀県立図書館、サガテレビ本社、佐賀西高校、佐賀大学付属中学校などの施設がある。

 県庁の北東側にある佐嘉神社は、佐嘉藩の藩祖を祀った神社で、幕末から明治維新の頃に活躍した鍋島直正(なべしま なおまさ)第10代藩主、鍋島直大(なべしま なおひろ)第11代藩主らを祀る。佐嘉神社は昭和8年(1933年)の創建であるが、境内の奥にある松原神社は佐嘉神社より歴史が古く、1772年(安永元年)に鍋島家の始祖である戦国武将・鍋島直茂(なべしま なおしげ)を祀る神社として創建された。佐嘉神社のそばにある鶴乃堂本舗の「肉まんじゅう」は、参拝客からも人気があり、佐嘉名物グルメの一つとなっている。

 佐賀は、平野に水田が広がり、江戸時代の佐賀藩は非常に豊かであったが、現代においては長崎や福岡と比べて工業や商業の発展が緩やかだった。そのため、目立たない控えめな県庁所在地であるが、少し郊外に行けば美しい水田風景と広い空となるところが佐賀の魅力である。佐賀では、この地理的特徴を生かして、嘉瀬川河川敷を主会場として毎年秋に「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」を開催しており、「熱気球のまち」として国際的知名度も上がってきている。

 佐賀空港(九州佐賀国際空港)は、佐賀市南部の旧・川副(かわそえ)町に平成10年(1998年)に開港した。佐賀駅から佐賀空港まではバスで約35分。2000mの滑走路があり、東京羽田への国内線のほか、国際線は中国・春秋航空が上海方面に定期路線があり、韓国ソウル仁川(インチョン)方面にも飛んでいる。福岡空港が過密状態であるため、福岡から流れてくる国際チャーター便を受け入れており、愛称も「九州佐賀国際空港」として、九州周遊旅行の玄関口として路線開拓を目指そうとしている。

 現在、JR九州では、博多~長崎の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設を進めており、佐賀県の武雄温泉(たけおおんせん)から長崎県の長崎までが先行着工されている。また、博多~新鳥栖(しんとす)は、すでに九州新幹線(鹿児島ルート)として開業している。

 長崎新幹線は、佐賀県のJR佐世保線の武雄温泉(たけおおんせん)駅から大村を経由して長崎に至る短絡ルートを「スーパー特急方式」(新幹線の規格を在来線のレール幅で運転)で建設することを平成4年(1992年)に地元案として合意ができていたが、財源などの理由で着工が伸びていた。そして、平成16年(2004年)に標準軌(新幹線)と狭軌(在来線)を直通できるフリーゲージトレインの導入を視野に入れながら、武雄温泉~諫早のスーパー特急方式の着工を決定した。ところが、平成23年(2011年)にフリーゲージトレインの実用化を視野に入れたためか、武雄温泉~諫早~長崎を標準軌のフル新幹線規格で建設する方針に変更。平成24年(2012年)に武雄温泉~長崎がフル規格で着工した。

 佐賀は長崎よりも福岡に近く、新幹線がなくても不便さは感じないため、わずかなスピードアップのために多額の投資が必要な新幹線建設には長崎県と比べて消極的だった。佐賀県内の在来線を走行するフリーゲージトレインのメリットは、長崎県側の長崎~武雄温泉の新幹線を完成させるだけで、武雄温泉~佐賀~新鳥栖は在来線を走行し、新鳥栖~博多は九州新幹線の線路を走行できることと、さらに佐世保方面も特急列車の維持が可能であることだった。しかし、デメリットは、在来線区間は130キロしか出せないことと、フリーゲージトレインの車両コストが非常に高いことだった。

 その後、フリーゲージトレインは新幹線のような高速に耐えうる技術が成熟しておらず、開通時期までに実用化が間に合わないことが明らかになった。しかも耐久試験で摩耗が発覚し、実用化に疑問符がついた。さらに致命的なのは、九州新幹線(鹿児島ルート)は、全線フル規格による建設で、新大阪~博多~鹿児島中央の山陽新幹線との一体運用が可能となり、関西方面からの需要喚起による乗客増を実現したが、山陽新幹線を運行するJR西日本は、フリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示しており、大阪乗り入れが実現できなければ多額の投資をして長崎まで新幹線を建設する意味がなくなってしまいかねない。日本政府は平成34年(2022年)に武雄温泉~長崎が開業した際には、博多~佐賀~武雄温泉を在来線、武雄温泉~長崎を新幹線とし、武雄温泉駅でフリーゲージトレイン実用化までの当面は、同一ホーム乗り換えを行う方針を示したが、少しばかりのスピードアップで乗り換えの手間が増えたら、今より不便になりかねない。

 佐賀県は新鳥栖、佐賀、肥前山口、武雄温泉、嬉野温泉の5駅の新幹線停車を見込んでいるが、県内にフル新幹線規格と在来線規格が混在しており、このようなウダウダな状況に、多額の建設費がかかるフル新幹線規格を拒んできた佐賀県も、フリーゲージトレインがダメならフル新幹線も仕方なく視野に入れざるを得なくなったようだ。乗り換えを強いられる中途半端な新幹線より、大阪まで直通できるフル新幹線のほうが新規需要を開拓できるぶん佐賀県とってもましだからだ。しかし高額の負担は、佐賀県としても納得いきにくいことだろう。

 フリーゲージトレインを断念した場合、長崎新幹線は①全線フル新幹線化(武雄温泉~新鳥栖にもフル新幹線規格新線を建設、一番お金はかかるが時短効果が最大で山陽新幹線に直通運転が可能となる、但し佐世保方面が乗り換え必要)、フル規格にする場合、佐賀空港を経由させる案もあるようだが、そうなれば今度は佐賀駅~博多が今より不便になるので、やはり佐賀駅に乗り入れたほうがよいだろう。②スーパー特急化(長崎~武雄温泉を狭軌で建設し、同区間の最高速度は160~200キロとなるが、現行在来線との直通が可能で乗り換え不要、時短効果は最小だが建設費最小)、③ミニ新幹線化(武雄温泉~佐賀~新鳥栖を標準軌に改軌する、フリーゲージトレインと同じ時短効果、山陽新幹線とも直通できる可能性あり、3線軌にすれば現行在来線とも共存可能、ただし佐世保方面や有明方面の特急運行をどうするか)、④武雄温泉乗り換えの恒久化(武雄温泉~新鳥栖のフル規格化の可能性を残したまま当面維持、最も不便だが佐世保方面は現状維持)といった4つの選択肢が考えられるが、どれも難しい選択だ。長崎新幹線は未来予想図が見えないまま、平成34年(2022年)の開通を目指してフライングで建設が進んでいる。

佐賀エリアの主な駅

佐賀 / さが 駅
JR九州 長崎本線、(唐津線)

久保田 / くぼた 駅
JR九州 長崎本線、唐津線

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JR佐賀駅

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佐賀駅に乗り入れる唐津線

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佐賀駅に停車する特急「かもめ」

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えきマチ1丁目 佐賀

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佐賀駅バスターミナル

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バスターミナルと佐賀県JA会館と佐賀市役所(右)

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佐賀・中央大通り

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佐賀市内の街並み

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佐賀市内の街並み(今宿町)

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佐賀城の堀と佐賀県庁

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佐嘉神社

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佐嘉神社

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佐嘉神社

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佐嘉神社のそばにある鶴乃堂本舗「肉まんじゅう」

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佐賀城公園

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佐賀郊外の風景

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九州佐賀国際空港

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九州佐賀国際空港

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