長崎・新地中華街 ちゃんぽんと皿うどんと中華街

長崎・新地中華街
ながさき・しんちちゅうかがい

日本国長崎県長崎市

長崎・新地中華街 ちゃんぽんと皿うどんと中華街

 新地中華街(しんち ちゅうかがい)は、長崎(ながさき)市の新地(しんち)町にあるチャイナタウンで、横浜中華街、神戸南京町と並ぶ日本三大中華街の一つで、中国の特色が感じられる街となっている。

 新地中華街は、長崎電気軌道・本線(1系統)、大浦支線(5系統)の築町(つきまち)電停の南東側に広がっている。築町電停からは、南側で出島(でじま)、長崎駅前方面へ向かう本線(1系統)と、大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)、石橋(いしばし)方面へ向かう大浦支線(5系統)が分かれている。また、1系統は、西浜町(にしはまのまち)から思案橋(しあんばし)、正覚寺下(しょうかくじした)方面を、5系統は西浜町から諏訪神社前(すわじんじゃまえ)、蛍茶屋(ほたるぢゃや)方面を結んでいる。

 出島の東側にある築町電停は銅座(どうざ)町にあり、周辺は夜ににぎわう繁華街が広がっている。新地中華街は、銅座町から橋を渡った南側にある。

 長崎は、鎖国が行われていた江戸時代において、貿易特区として認められ、清国人は主に福建省出身者が多く長崎に住むようになった。江戸幕府は当初、丘陵地に唐人屋敷(とうじんやしき)を設け、清国人の居住区としたが、港の清国船の荷蔵が火事になったのをきっかけに、唐人屋敷の近くの海岸を埋め立てて清国船専用の倉庫用地とした埋立地が「新地」と呼ばれるようになった。江戸時代末期に開国すると、清国人は唐人屋敷の外に住むようになった。さらに、1870年の大火事の後、新地に集まって住むようになり、中華街が形成された。

 新地中華街には中国福建省の福州(フッチウ/フゥーツォウ)出身者が多く、関係も深く、長崎市と姉妹都市を締結している。その福州市の協力により、中華街の石畳や中華門が整備された。また、新地中華街では毎年の春節(旧正月)にランタンフェスティバルが行われ、イルミネーションが美しい。一方、普段の夜は、横浜や神戸の中華街と異なり、夜は比較的静かで人通りも少ない。

 現在、中華街には中華料理屋が並んでおり、長崎の中華街で特徴的なのは、福州料理をベースにした「ちゃんぽん」や「皿うどん」のお店が並んでいることだ。もやしやキャベツなどの野菜、豚肉、かまぼこなどを炒めたスープ麺の「ちゃんぽん」と、揚げた細麺にあんかけの具をのせた「皿うどん」は、今や長崎郷土料理として全国的に有名になり、長崎観光の定番になっている。九州の最西端にある長崎県は、鄭成功の母の田川マツが長崎県平戸市出身であるなど、中国・福建との縁が深く、中国は長崎市に駐長崎総領事館を置いていることからも、中国が長崎との関係を重視していることがわかる。中国駐長崎総領事館は、新地中華街とは北に4キロほど離れており、浦上(うらがみ)の平和公園の近くにある。

長崎・新地中華街エリアの主な駅

築町 / つきまち 駅
長崎電気軌道 本線(1系統、5系統)、大浦支線(5系統)

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長崎電気軌道・築町駅

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築町駅前

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長崎新地中華街

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長崎新地中華街

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湊公園

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夜の新地中華街

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夜の新地中華街

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福岡・筑紫野 二日市温泉と筑紫野ニュータウン

筑紫野
ちくしの

日本国福岡県筑紫野市

福岡・筑紫野 二日市温泉と筑紫野ニュータウン

 筑紫野(ちくしの)市は、福岡(ふくおか)県の中西部、筑紫平野にある人口約10万人の市。西が筑紫(ちくし)郡の那珂川(なかがわ)町、北が大野城(おおのじょう)市と太宰府(だざいふ)市、糟屋(かすや)郡の宇美(うみ)町、東が飯塚(いいづか)市、朝倉(あさくら)郡の筑前(ちくぜん)町、南が小郡(おごおり)市、佐賀(さが)県の三養基郡基山(きやま)町と接している。

 筑紫野市は、昭和30年(1955年)に二日市(ふつかいち)町、筑紫(ちくし)村、山口(やまぐち)村、御笠(みかさ)村、山家(やまえ)村が合併して筑紫野町が発足。昭和47年(1972年)に筑紫野町が市制を施行して筑紫野市となった。

 筑紫野市には、JR九州・鹿児島本線の二日市(ふつかいち)、天拝山(てんぱいざん)、原田(はるだ)、筑豊本線(原田線)の原田、筑前山家(ちくぜん やまえ)の各駅と、西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線の西鉄二日市(にしてつ ふつかいち)、紫(むらさき)、朝倉街道(あさくらがいどう)、桜台(さくらだい)、筑紫(ちくし)の各駅があり、西鉄二日市駅からは西鉄大宰府線が分岐している。

 高速道路は九州自動車道の筑紫野IC(インターチェンジ)があるほか、基山町との境に基山PA(パーキングエリア)がある。

 筑紫野市の中心部にあるJR鹿児島本線の二日市駅は、快速のほか、特急「みどり」「かもめ」「ハウステンボス」「有明」「ゆふ」「ゆふいんの森」など多くの特急列車も停車する。筑紫野市役所の最寄り駅で、二日市駅の南西約1キロのところには、奈良時代からの歴史ある二日市温泉がある。古くは「次田(すいた)の湯」や「薬師の湯」、武蔵温泉などと呼ばれ、博多の奥座敷として親しまれ、昭和25年(1950年)に正式に「二日市温泉」と呼ばれるようになった。

 JR二日市駅は、太宰府天満宮を意識した駅舎であるが、太宰府市にある太宰府天満宮とは離れており、バスか西鉄二日駅から西鉄太宰府線で向かうことになる。西鉄二日市駅はJR二日市駅から約800m北に離れている。福岡市中心部の西鉄福岡(天神)駅から西鉄久留米(にしてつ くるめ)、大牟田(おおむた)方面を結ぶ天神大牟田線と、太宰府天満宮や九州国立博物館の最寄り駅を結ぶ太宰府線の乗り換え駅となっており、観光客の利用も多く、急行や特急も停車する。

 JR二日市駅の東約400mのところに、西鉄天神大牟田線の紫駅が平成21年(2009年)に開設され、JRと西鉄の乗り換えが近くなったが、各駅停車のみ停車する。

 西鉄朝倉街道駅とJR天拝山駅も約300のところに隣接しており、朝倉街道駅の東には「ゆめタウン筑紫野」、天拝山駅の西には「イオンモール筑紫野」などのショッピングモールがあり、商業が発達し、買い物客の利用が多い。また、天拝山駅と朝倉街道駅の間には福岡大学筑紫病院がある。JRの天拝山駅は快速が通過するが、西鉄の朝倉街道駅は急行が停車する。

 西鉄の筑紫駅は、2面4線の急行停車駅で、小郡(おごおり)行きの急行は、筑紫駅から各駅に停車となる。駅の南東側に車両基地が併設されており、普通電車の一部は同駅で折り返す。駅周辺は筑紫野ニュータウンで開発された住宅地が広がっている。筑紫駅の西には筑紫ヶ丘団地や美しが丘の住宅街があり、その南西側にJR鹿児島本線と筑豊本線の原田駅がある。

 原田駅は、特急列車は通過するが、鹿児島本線の快速や準快速が停車する。筑豊本線(原田線)は、かつては筑豊炭田の石炭を輸送する貨物列車が多く運行されていたほか、博多(はかた)方面から筑豊地区へ向かう際には原田からの筑豊本線がメインルートであった。しかし、篠栗線の桂川(けいせん)~篠栗(ささぐり)が昭和43年(1968年)に開業し、桂川~篠栗~博多が結ばれるようになると、筑豊地区からは篠栗線経由が博多への最短ルートとなった。さらに、篠栗線と桂川~折尾(おりお)の筑豊本線が電化され、福北ゆたか線として一体運行されるようになると、非電化の桂川~原田は原田線と呼ばれ、ローカル線化している。

筑紫野エリアの主な駅

二日市 / ふつかいち 駅
JR九州 鹿児島本線

西鉄二日市 / にしてつふつかいち 駅
西日本鉄道 天神大牟田線、太宰府線

筑紫 / ちくし 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

原田 / はるだ 駅
JR九州 鹿児島本線、筑豊本線(原田線)

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西鉄二日市駅

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西鉄二日市駅

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西鉄・筑紫駅

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西鉄・筑紫駅

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福岡 北九州・城野 日田彦山線と自衛隊小倉駐屯地

北九州・城野
きたきゅうしゅう・じょうの

日本国福岡県北九州市小倉南区

福岡 北九州・城野 日田彦山線と自衛隊小倉駐屯地


 城野(じょうの)は、福岡(ふくおか)県の北九州(きたきゅうしゅう)市、小倉南(こくらみなみ)区にある地区で、JR九州の日豊本線と日田彦山線、北九州モノレールの城野駅がある。

 JR城野駅は、明治28年(1895年)に九州鉄道の駅として開設され、明治40年(1907年)に国有化されて国鉄日豊本線の駅となった。日田彦山線は、もともと小倉駅から東回りで、城野駅の東側で日豊本線と交差していたが、昭和31年(1956年)に城野駅への連絡線が建設されて、旅客列車は城野駅から日豊本線経由で小倉へ向かうルートに変更された。

 城野駅は快速が停車する主要駅であるが、日豊本線の特急「にちりん」「ソニック」などは、小倉と近すぎることから通過する。日田彦山線は小倉南区の平尾台(ひらおだい)地区や香春(かわら)町などで産出される石灰石や、添田(そえだ)町で産出される石炭を輸送するために建設された路線で、城野から大分県日田(ひた)市の久大本線の夜明(よあけ)駅まで結んでいるが、現在は運行系統が田川後藤寺(たがわ ごとうじ)駅で分離されている。貨物輸送は全盛期に比べて激減したが、北九州市内を一部走るため、小倉方面への通勤路線にもなっている。

 城野は、城野駅の南2キロほどのところに、陸上自衛隊小倉駐屯地があり、明治時代から日本陸軍小倉聯隊の町として発展した。小倉聯隊の基地は日本の敗戦により、昭和20年(1945年)にアメリカ軍が進駐し、朝鮮戦争では北九州が朝鮮半島に近いことから米軍の重要拠点として使用された。その後、日本に返還され、昭和31年(1956年)より陸上自衛隊小倉駐屯地となった。

 城野駅の北の小倉北区側にも陸上自衛隊小倉駐屯地の城野分屯地があったが、平成20年(2008年)に廃止され、「BONJONO」(城野ゼロカーボン先進街区)として再開発工事が進められている。

 北九州モノレール小倉線の城野駅は昭和60年(1985年)に開業したが、JR城野駅から西へ約800mのところにあり、JRとモノレールは実際には別の駅といえ、乗り換えには使いにくい。城野にはかつて、西日本鉄道・北九州線北方支線(西鉄北方線)があり、小倉の魚町(うおまち)から城野駅前を経由して北方(きたがた)まで結んでいたが、昭和55年(1980年)に廃止された。渋滞を招く路面電車廃止の代替として建設されたのが北九州モノレールであり、ルートも近くを通っている。

北九州・城野エリアの主な駅

城野 / じょうの 駅
JR九州 日豊本線、日田彦山線

城野 / じょうの 駅
北九州モノレール 小倉線

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JR城野駅

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JR日豊本線から見た北九州モノレール

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長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

佐世保
させぼ

日本国長崎県佐世保市

長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

 佐世保(させぼ)市は、長崎(ながさき)県北部にある人口約25万人の市。北が松浦(まつうら)市、西が平戸(ひらど)市と北松浦(きたまつうら)郡の佐々(さざ)町、南が西海(さいかい)市と東彼杵(ひがしそのぎ)郡の川棚(かわたな)町、東が東彼杵郡波佐見(はさみ)町、佐賀県西松浦郡の有田(ありた)町、佐賀県伊万里(いまり)市と接している。

 佐世保市は、長崎市に次ぐ県内第2の都市で、佐賀県県庁所在地の佐賀市より人口が多く、九州の中では第9の人口規模を誇る主要都市である。三方を山に囲まれた天然の良港があり、古くから海防の拠点として発展してきた。戦前は海軍の4大軍港(横須賀、呉、舞鶴、佐世保)の一つとして鎮守府が置かれ、海軍の軍港都市だった。戦時中は昭和20年(1945年)3月に米軍から佐世保大空襲を受け、市街地の多くが焼失した。戦後は、軍需産業は造船業に移行した一方で、自衛隊と在日米海軍の基地が置かれ、国防の重要な拠点都市であることに変わりはない。

 軍の重要都市であったことから、明治35年(1902年)とかなり早い時期に市制を施行し、佐世保市が発足した。昭和17年(1942年)に東彼杵郡の早岐(はいき)町と北松浦郡の一部を編入。昭和30年代までに北松浦郡と東彼杵郡の一部を編入して市域を拡大した。平成の大合併では、平成17年(2005年)に北松浦郡の吉井(よしい)町、世知原(せちばる)町を編入、平成18年(2006年)に北松浦郡の小佐々(こざさ)町、宇久(うく)町を編入、平成22年(2010年)に北松浦郡の江迎(えむかえ)町、鹿町(しかまち)町を編入し、現在の市域となった。

 佐世保市にはJR九州の佐世保線と大村線、松浦鉄道・西九州線が通り、JR佐世保線の佐世保、日宇(ひう)、大塔(だいとう)、早岐(はいき)、三河内(みかわち)の各駅、JR大村線の早岐、ハウステンボス、南風崎(はえのさき)の各駅、松浦鉄道西九州線の佐世保、佐世保中央(させぼちゅうおう)、中佐世保(なかさせぼ)、北佐世保(きたさせぼ)、山の田(やまのた)、泉福寺(せんぷくじ)、左石(ひだりいし)、野中(のなか)、皆瀬(かいぜ)、中里(なかざと)、本山(もとやま)、上相浦(かみあいのうら)、大学(だいがく)、相浦(あいのうら)、棚方(たながた)、真申(まさる)の各駅と佐々町を挟んで吉井(よしい)、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)、いのつき、高岩(たかいわ)、江迎鹿町(えむかえしかまち)、すえたちばな、の各駅がある。

 JR佐世保線は、佐賀県の肥前山口(ひぜんやまぐち)駅から早岐駅を経由して佐世保駅へと至る路線であるが、もともと肥前山口~早岐は九州鉄道により長崎へ至る鉄道の一部として建設されたもので、早岐から大村線を経由して長崎へ向かうのがかつての長崎本線のメインルートで、早岐~佐世保が支線の佐世保線であった。しかし、昭和9年(1934年)に国鉄長崎本線のメインルートが肥前山口から有明線経由で諫早(いさはや)、長崎へと向かうルートに変更されたことから、メインルートから外れた肥前山口~早岐も佐世保線の一部となった。このような経緯から、早岐駅でスイッチバックする構造となっている。佐世保線には福岡(ふくおか)市の博多(はかた)駅から特急「みどり」と特急「ハウステンボス」が走り、特急「みどり」が早岐駅でスイッチバックして佐世保駅を結び、特急「ハウステンボス」は早岐駅からそのまま大村線に入ってハウステンボス駅を結んでいる。

 JR大村線は、早岐~大村(おおむら)~諫早(いさはや)をつなぐ路線で、かつては国鉄長崎本線のメインルート、現在は佐世保~長崎を結ぶルートとして重要な役割を果たしており、快速「シーサイドライナー」が佐世保~早岐~諫早~長崎を結んでいる。ハウステンボス駅はオランダをイメージしたテーマパーク「ハウステンボス」の最寄り駅で、風車や水路、庭園が美しく、日本にいながら優雅なヨーロッパのリゾート気分が楽しめる観光スポットとなっている。「ハウステンボス」は平成4年(1992年)に西海市にあった「長崎オランダ村」を移転する形で開園した。ハウステンボス駅は開園した年に開業し博多から特急「ハウステンボス」が運行されるようになった。

 佐世保~伊万里~有田を結ぶ松浦鉄道・西九州線は、伊万里~有田が伊万里鉄道伊万里線、佐世保~伊万里が佐世保鉄道・松浦線として建設され、国有化後に国鉄松浦線となった。北松浦半島の海沿いの町を結ぶローカル路線で、国鉄民営化直後の昭和63年(1988年)に第3セクターの松浦鉄道に移管され、松浦鉄道・西九州線となった。

 佐世保駅はJR九州・佐世保線と松浦鉄道・西九州線のターミナル駅で、JRの最西端の駅。平成13年(2001年)に高架化された。同駅からは博多方面を結ぶ特急「みどり」と長崎方面を結ぶ快速「シーサイドライナー」が発着している。また、かつては東京から寝台特急「さくら」、大阪から寝台特急「あかつき」などが運行されていたが、寝台特急「さくら」は平成11年(1999年)に佐世保乗り入れが廃止され、寝台特急「あかつき」は平成12年(2000年)に佐世保乗り入れが廃止された。

 東京方面はスピード面では飛行機にかなわないので、寝台特急乗り入れ廃止は時代の流れともいえるが、関西方面へは山陽新幹線と結ぶことで直通運転が模索され、長崎県内ではフル規格の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設(長崎~武雄温泉)が進められている。この長崎新幹線建設は、長崎市にはメリットが大きいが、佐世保は素通りになる懸念があった。そこで、新幹線の標準軌(1435ミリ)と在来線の狭軌(1067ミリ)を直通運転できるフリーゲージトレインの開発が進められ、それにより佐世保にもフリーゲージトレインが乗り入れるはずだった。しかし、車軸が重い高速フリーゲージトレインの開発は難航し、山陽新幹線を運行するJR西日本が速度の遅いフリーゲージトレインの乗り入れに難色を示し、関西直通が否定されたフリーゲージトレイン新幹線構想が宙に浮き、長崎新幹線はフル規格に見直しすることになりそうだ。その場合、佐世保に新幹線が乗り入れることはできなくなり、従来通り博多~佐世保の在来線特急の運転を継続するか、武雄温泉駅からのシャトル列車に乗り換えという形になりそうだが、いずれも現状よりあまり便利にはならなさそうなので、佐世保を縁辺化させない方策を考える必要がある。

 佐世保駅の「みなと口」(西口)は、佐世保港が広がり、西海市の大島(おおしま)や、新上五島(しんかみごとう)町の離島へのフェリーなどが発着している。佐世保港フェリーターミナルに隣接して「させぼ五番街」などの商業施設がある。駅東口には商業施設「えきマチ1丁目佐世保」があり、その北に四ヶ町(よんかちょう)商店街と三ヶ町(さんかちょう)商店街をつなぐ大規模なアーケード商店街「さるくシティ4○3」が松浦鉄道西九州線・佐世保中央駅のほうまでつながっており、佐世保市の商業の中心となっている。

 佐世保駅の北西には「SSK」で知られる佐世保重工業の造船工場があり、佐世保市の産業を支えているほか、海上自衛隊佐世保地方総監部、陸上自衛隊相浦駐屯地、在日米海軍佐世保基地、在日米軍弾薬補給所などの軍事施設が集まり、在日米軍基地には原子力空母や原子力潜水艦、強襲揚陸艦などの軍艦等が配備され、いまも軍港として機能している。

 佐世保のご当地グルメ「佐世保バーガー」は、在日米軍の軍人向けのハンバーガーが広まり、市内に手作りの大きなハンバーガーのお店ができるようになり、それが「佐世保バーガー」として知られるようになり、佐世保を代表するご当地グルメとなった。
 
佐世保エリアの主な駅

佐世保 / させぼ 駅
JR九州 佐世保線
松浦鉄道 西九州線

早岐 / はいき 駅
JR九州 佐世保線、大村線

ハウステンボス
JR九州 大村線 

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佐世保駅から長崎を結ぶ快速「シーサイドライナー」

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佐世保駅から博多を結ぶ特急「みどり」

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佐世保駅松浦鉄道西九州線ホーム

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佐世保駅

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佐世保駅みなと口の「させぼ五番街」

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佐世保港

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佐世保駅東口

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佐世保駅東口の「えきマチ1丁目佐世保」

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佐世保線と大村線の早岐駅

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ハウステンボス

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佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

小城
おぎ

日本国佐賀県小城市

佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

 小城(おぎ)市は、佐賀(さが)県の中央部にある人口約4万人の市。北と東が佐賀市、西が多(たく)市と杵島(きしま)郡の江北(こうほく)町、南が杵島郡白石(しろいし)町と接している。

 小城市は、佐賀市の西にあり、平成の台合併により平成14年(2002年)に小城(おぎ)町、三日月(みかつき)町、牛津(うしづ)町、芦刈(あしかり)町が合併して小城市となった。小城市は、小城羊羹(ようかん)などの和菓子の町として知られている。

 小城市にはJR九州・長崎本線の牛津駅と、唐津線の小城駅がある。また、長崎本線と唐津線が分岐する久保田(くぼた)駅は、佐賀市と小城市の境にあり、駅の南が佐賀市、駅の北が小城市である。

 小城市の中心駅はJR唐津線の小城駅で、同駅からは佐賀方面と唐津(からつ)方面を結ぶディーゼルカーが運行されている。小城駅は明治36年(1903念)に九州鉄道として開業した唐津線の古い木造駅舎が国の文化財に認定された。

 小城駅の北西にある岡山神社および小城公園は、肥前国小城藩の鍋島氏によって築かれた城があり、古くから桜の名所として知られ、「桜岡」と呼ばれた。小城の中心市街地は、小城駅から約1キロ北に行った唐津街道の周辺に広がっている。そこからさらに1キロほど北へ行った祇園川のところに小城温泉がある。長崎自動車道はさらに北の山間部を通り、小城市内にIC(インターチェンジ)はないが、小城PA(パーキングエリアがある。

 佐賀市側にある久保田駅は、長崎本線と唐津線の分岐駅である。特急電車は通過する。長崎本線の牛津駅は、旧・牛津町の玄関駅で、小城市の玄関駅の一つでもある。周辺は佐賀らしい広い水田と広い空が広がっている。駅の西側に牛津川が流れている。

小城エリアの主な駅

小城 / おぎ 駅
JR九州 唐津線

牛津 / うしづ 駅
JR九州 長崎本線

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小城市の田園風景

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福岡 北九州・朽網 北九州空港への最寄り駅

北九州・朽網
きたきゅうしゅう・くさみ

日本国福岡県北九州市小倉南区

福岡 北九州・朽網 北九州空港への最寄り駅

 朽網(くさみ)は、福岡(ふくおか)県の北九州(きたきゅうしゅう)市、小倉南(こくらみなみ)区にある地区で、JR九州・日豊本線の朽網駅がある。

 平成18年(2006年)に周防灘(すおうなだ)の人工島に開港した新しい北九州空港は、ターミナルビルのある北半分が北九州市小倉市、滑走路の一部や新北九州空港連絡道路が京都(みやこ)郡の苅田(かんだ)町に属している。

 北九州空港の対岸には、苅田臨空産業団地が開発され、苅田町と北九州市にまたがってトヨタ自動車九州小倉工場が操業しているほか、北九州市側に王子製袋九州工場、東洋インキ九州などの工場がある。

 北九州空港への最寄り駅は、北九州市側の朽網駅か苅田町側の苅田駅かで誘致合戦があったが、北九州市の小倉(こくら)方面からの場合、朽網駅のほうが近いので、朽網駅から北九州空港を結ぶバスが頻繁に運行されるようになり、空港最寄り駅の地位を築いた。小倉~朽網は普通電車で約18分。朽網駅~北九州空港のバスの所要時間は約15分だ。

 北九州市と苅田町の境には東九州自動車道の苅田北九州空港IC(インターチェンジ)があり、北九州空港から北九州市中心部への速達バスなどは高速道路を利用する。空港から北九州市内へのアクセスは、小倉駅へのノンストップ便が約33分で、そのほか北九州モノレールの徳力嵐山口(とくりきあらしやまぐち)駅を経由して小倉駅を結ぶバスも運行されている。

北九州・朽網エリアの主な駅

朽網 / くさみ 駅
JR九州 日豊本線

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JR日豊本線・朽網駅

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JR日豊本線・朽網駅

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JR日豊本線・朽網駅

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長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

長崎・出島
ながさき・でじま

日本国長崎県長崎市

長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

 出島(でじま)は、長崎(ながさき)市にある地区で、江戸時代に造成された人工島。JR九州・長崎本線の長崎駅から約1.5キロ南にあり、長崎電気軌道本線の出島電停が最寄り駅。

 出島は、江戸時代の江戸幕府が、海外との交易拠点として、1634年(寛永11年)から2年かけて建設された。当時の日本は、欧州からポルトガル人がやって来て、キリスト教の布教の広がりに幕府は頭を悩ませていた。そこで、ポルトガルとの窓口を出島に限定することで、ポルトガルとの交易を維持しつつ、キリスト教の浸透を防ごうとした。

 1638年(寛永15年)には、江戸幕府がキリシタンの反抗となった「島原の乱」を鎮圧し、日本は鎖国を強化。この頃、オランダが日本に接近し、ポルトガルを排除してオランダとの交易を強化するよう求めた。以後、出島は約200年にわたりオランダ人が出入りする場所となり、日本にとっては欧州との窓として機能した。また、出島からオランダ人を通じて、西洋医学などが日本に伝えられた。

 江戸時代末期のペリー来航で開国されることになった日本は、1855年(安政2年)にオランダ人の長崎市内への出入りを許可し、特区としての出島の存在意義は薄れていった。その後、明治時代に出島の周辺が埋め立てられ、かつての出島の範囲が曖昧になったが、1990年代より出島の復元事業が始まり、当時のオランダ船の船長が使用した「一番船船頭部屋」や、輸入品の砂糖などを貯蔵した「一番蔵」、商館長宅の「カピタン(Capitão)部屋」などが復元され、観光スポットに生まれ変わった。

 このほか、出島から川を挟んで北には長崎県庁があり、玉江橋の西にはショッピング施設「ゆめタウン夢彩都」と長崎港フェリーターミナルがある。

長崎・出島エリアの主な駅

出島 / でじま 電停
長崎電気軌道 本線(1系統) 

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長崎電鉄本線・出島駅

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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福岡・小郡 西鉄が走る三国が丘と筑後郡家の遺跡

小郡
おごおり

日本国福岡県小郡市

福岡・小郡 西鉄が走る三国が丘と筑後郡家の遺跡

 小郡(おごおり)市は、福岡(ふくおか)県の南西部の筑後(ちくご)地方にある人口約6万人の市。北が筑紫野(ちくしの)市、東が朝倉(あさくら)郡の筑前(ちくぜん)町と三井(みい)郡の大刀洗(たちあらい)町、南が久留米(くるめ)市、西が佐賀(さが)県の鳥栖(とす)市、三養基(みやき)郡の基山(きやま)町と接している。

 小郡市は昭和47年(1972年)に三井郡小郡町から小郡市へと昇格した。「小郡」といえば、山陽新幹線の旧・小郡駅(現・新山口駅)のほうが有名だったが、旧・小郡駅は旧・山口県吉敷郡小郡町にあり、小郡町が平成17年(2005年)に山口市に合併されたほか、小郡駅も「のぞみ」停車を求めて平成15年(2003年)に新山口駅に改称したことから、福岡県の小郡市や小郡駅と混同することは今後は減りそうだ。

 久留米~福岡の鉄道路線は、JR九州・鹿児島本線と西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線が競合しているが、JR鹿児島本線は久留米から西側の佐賀県鳥栖市を経由しているのに対し、西鉄天神大牟田線は東側の福岡県小郡市を経由しており、小郡市は西鉄沿線の都市として発展している。

 小郡市内には、西鉄天神大牟田線の津古(つこ)、三国が丘(みくにがおか)、三沢(みつさわ)、大保(おおほ)、西鉄小郡(にしてつ おごおり)、端間(はたま)、味坂(あじさか)の各駅と、甘木鉄道の小郡(おごおり)、大板井(おおいたい)、松崎(まつざき)、今隈(いまぐま)の各駅がある。

 西鉄天神大牟田線は、特急は市内の駅をすべて通過するが、急行は三国が丘駅と西鉄小郡駅に停車する。また、西鉄小郡で折り返す急行は、筑紫~西鉄小郡が各駅停車となるため、津古、三沢、大保にも停車する。

 西鉄小郡駅は、2面4線のホームで、西鉄小郡で福岡(天神)方面に折り返す電車があるため、小郡より南は運転本数が少なくなる。甘木鉄道の小郡駅と乗り換えが可能であり、甘木鉄道はJR鹿児島本線の基山駅と朝倉市の甘木(あまぎ)駅を結んでいる。甘木鉄道と並行している大分自動車道は、小郡駅の約1.5キロ西に鳥栖JCT(ジャンクション)があり、九州自動車道および長崎自動車道と連絡している。小郡駅は昭和61年(1986年)に国鉄甘木線が甘木鉄道に移管される前は、筑後小郡(ちくご おごおり)駅と呼ばれ、現在地より西寄りにあり、山口県の小郡駅と区別されていた。

 西鉄小郡駅の南側に国道500号線が東西に通り、西に進むと佐賀県鳥栖市に行くことができる。小郡駅の北東には小郡官衙遺跡公園があり、かつてここに筑後国の郡家があり、その遺跡が一部保存され、公園になっている。小郡駅の北西には陸上自衛隊小郡駐屯地がある。また、大保駅の西には九州情報大学小郡キャンパスがあり、東には「イオン小郡ショッピングセンター」がある。

 三国が丘駅は、平成4年(1992年)に開設された比較的新しい駅であり、主に西鉄や東急が開発したニュータウンが広がっている。ニュータウン開発で住民が増えたことから、急行も停車する。駅の東に「三国が丘」、南西に「美鈴の杜」、「美鈴が丘」、そのさらに西に「希みが丘」の住宅地が広がっている。「三国が丘」は、筑後国の小郡が、筑前国および肥前国とも接していることが地名の由来となったようだ。三国が丘の西には「九州歴史資料館」があり、古代九州の大宰府(だざいふ)政庁の出土品や古文書などを展示している。「埋蔵文化財調査センター」が隣接しており、遺跡発掘などの研究調査の拠点となっている。

小郡エリアの主な駅

西鉄小郡 / にしてつおごおり 駅
西日本鉄道 天神大牟田線
小郡 / おごおり 駅
甘木鉄道 甘木線

三国が丘 / みくにがおか 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

大保 / おおほ 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

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西鉄小郡駅

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西鉄小郡駅前

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西鉄と立体交差する甘木鉄道(小郡駅)

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小郡市役所

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小郡市の街並み

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西鉄・大保駅

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大保駅周辺の町並み

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福岡・苅田 苅田港と北九州空港、自動車工業と苅田臨空産業団地

苅田
かんだ

日本国福岡県京都郡苅田町

福岡・苅田 苅田港と北九州空港、自動車工業と苅田臨空産業団地

 苅田(かんだ)町は、福岡(ふくおか)県東部の京都(みやこ)郡にある人口約4万人の町。北と西が北九州(きたきゅうしゅう)市の小倉南(こくらみなみ)区、南が行橋(ゆくはし)市と接しており、東は周防灘(すおうなだ)が広がっている。

 苅田は、苅田港の便を生かして臨海部に工場が集まり、工業都市として発展した。さらに北九州新空港の移転開港で空の便も生かした臨空産業団地が建設され、ますます発展を続けている。

 苅田町にはJR九州・日豊本線の苅田(かんだ)駅と小波瀬西工大(おばせ にしこうだい)駅がある。苅田駅からは、石灰石の採石所と苅田港の豊国セメント苅田工場(現・三菱マテリアル九州工場)への専用貨物線があった。

 苅田港は石灰石や筑豊炭田から運ばれた石炭の積み出し港として開発され、苅田港の貨物駅は戦時中の昭和19年(1944年)に開設された。戦後は、石炭の積み出しのほか、石炭を用いる九州電力苅田火力発電所、麻生セメント苅田工場、宇部興産苅田セメント工場、太平洋セメント苅田サービスステーションなどの貨物列車が運行されていたが、平成17年(2005年)より貨物列車の運行が休止されている。

 苅田港周辺には、港の便を生かして、宇部興産、麻生セメント工場、苅田発電所のほか、日産自動車九州工場、日立金属九州工場などの大規模な工場があり、北九州における重要な工業集積地となっている。

 工業都市としての苅田町の発展は、平成18年(2006年)に苅田沖の周防灘の人工島に新・北九州空港が開港したことにより、さらに加速する。北九州空港は北九州市小倉南区の曽根地区にあった旧・北九州空港は滑走路は1500mしかなかったことから、周防灘に関門航路の浚渫による土砂で埋め立てた人工島を造成し、そこに新空港が建設された。

 北九州空港は、人工島のうち、北半分が北九州市、南半分が苅田町に属し、空港ターミナルビルは北九州市側にあるが、滑走路の一部と、新北九州空港連絡道路は苅田町側にある。連絡橋の周辺には苅田臨空産業団地が形成され、トヨタ自動車九州小倉工場が操業しているほか、トヨタ自動車九州苅田工場、トーカロ北九州工場、ジェネック苅田物流センターなどの工場がある。

 このように自動車関連産業やセメント工業、発電所に、港湾と空港など、産業やインフラが充実している苅田町は比較的税収が豊かな自治体であるため、平成の大合併の際にも、他市に編入されることなく、苅田町として独立を維持している。

 苅田町と北九州市の境には東九州自動車道の苅田北九州空港IC(インターチェンジ)があり、福岡市や大分方面への道路交通も便利である。また、北九州空港からJR日豊本線を結ぶバスは、苅田駅ではなく、北九州市側の朽網(くさみ)駅を結んでいる。

苅田エリアの主な駅

苅田 / かんだ 駅
JR九州 日豊本線

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北九州空港と新北九州空港連絡道路

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新北九州空港連絡道路

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さらなる工場の進出が見込まれる苅田町

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長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

長崎・浦上
ながさき・うらかみ

日本国長崎県長崎市

長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

 浦上(うらかみ)は、長崎(ながさき)市にある地区で、JR九州・長崎本線の長崎駅から約1キロ北にあり、JR長崎本線の浦上駅を中心に市街地が広がっている。

 JR長崎本線の東側に長崎電気軌道が並行するように南北に走っており、浦上のあたりには、銭座町(ぜんざまち)、茂里町(もりまち)、浦上駅前(うらかみえきまえ)、大学病院前(だいがくびょういんまえ)、浜口町(はまぐちまち)、松山町(まつやままち)などの電停があり、1号~3号系統の電車が運行されている。

 JR浦上駅は、長崎~佐賀(さが)~博多(はかた)を結ぶ特急「かもめ」や、JR大村線を経由して佐世保(させぼ)を結ぶ快速「シーサイドライナー」も停車し、長崎駅を補完する長崎の主要駅の一つとなっている。

 浦上駅は明治30年(1897年)にJR長崎本線の前身である九州鉄道・長崎線の終着駅である長崎駅として開業した。長崎港湾の埋立工事が完成すると明治38年(1905年)に現在の長崎駅まで延伸され、初代の長崎駅が浦上駅に改称された。日露戦争を経て九州鉄道は明治40年(1907年)に国有化された。長崎電気軌道(長崎電鉄)本線は大正4年(1915年)に病院下(現・大学病院前の付近)~築島が開業し、昭和8年(1933年)までに松山町の北の大橋まで開業した。

 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月9日、アメリカ軍は長崎市(浦上駅北方、松山町付近)にプルトニウム式の原子爆弾を投下し、広島に続く2番目の被爆都市となった。これにより、長崎市の市街地が一瞬にして壊滅し、当時の長崎市の人口約24万人のうち、約7.4万人が死亡し、その後も多くの被爆後遺症による関連死者数は増え続けた。広島は河口近くの平地が広がっていたのに対し、長崎は三方が山に囲まれているため、爆発で壊滅した範囲は広島より狭くなり、旧市街地の南側の一部は破壊を免れた地区もあったが、広島と同様に爆心地周辺の市街地は完全に壊滅し、人道に反する無差別大量殺人であった。

 長崎原爆の爆心地は、長崎電鉄本線の松山町電停の南東側にある原爆公園。ここには、「原爆落下中心碑」があり、浦上天主堂の遺構の一部が移設されてモニュメントとして展示されている。松山町には約300世帯1800人余りが生活していたが、アメリカによる原爆投下により一瞬にして灼熱の地獄となり、ほぼ全員が焼け死んだ。当時の原爆の熱で溶けたガラスや瓦、茶碗などが埋まった当時の地層が、保存されている。

 原爆公園の北側にある平和公園は、小高い丘になっている。ここには、赤レンガ造りの長崎刑務所浦上刑務支所の監獄があったが、長崎原爆の爆心地からわずか100m余りの距離だったため、刑務所内にいた受刑者や被告人、職員らが全員死亡した。この建物の基礎部分が広場に保存されている。長崎原爆投下からすでに70年以上が経過し、この基礎の陰に隠れてハトを狙うネコを見るとほほえましい光景であるが、この建物が原爆でふっ飛ばされた事実はイメージしておきたい。

 その先にある平和祈念像は、長崎県出身の彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう)が制作した像で、昭和30年(1955年)に完成し、長崎原爆の鎮魂と平和の願いを込めた象徴となっている。

 平和公園から東へ約500mのところにある浦上天主堂(カトリック浦上教会)は、大正3年(1914年)に竣工した赤レンガの美しい聖堂が長崎原爆で倒壊し、天主堂の中にいた司祭や信徒が全員死亡した。戦後、浦上教会は昭和34年(1959年)に旧天主堂の建物を模して再建された。昭和55年(1980年)の改修工事では、戦前の赤レンガ造りの外観がより再現され、翌昭和56年(1981年)には訪日したバチカンのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れ、ミサを捧げた。

 平和公園の南東の丘の上にある長崎原爆資料館は、前身の長崎国際文化会館原爆資料センターの建物が老朽化し、展示スペースも手狭であったことから、平成8年(1996年)に移設の上、新たに開館したものである。長崎原爆による長崎市の被害の実態や、当時の写真や映像、投下されたプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」の実物大模型、鳥居の柱が一本だけ残った山王神社の紹介、崩れた浦上天主堂を再現した展示などがあり、また戦後に米国、ソ連、中国などで行われた核実験に抗議し、核兵器のない世界を目指すメッセージも発信している。長崎原爆資料館に隣接して国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館も隣接しており、原爆犠牲者の追悼の場所となっている。長崎原爆資料館へは長崎電鉄本線の浜口町電停が近い。

 浦上駅は長崎原爆の際に全壊し、駅員も死亡。壊滅的な状況となるが、長崎本線に救援列車が運行され、被爆者の救助を行った。周辺は原爆によるガレキの山だったが、速やかに仮復旧し、長崎の救援と復興に鉄道が最大限活用された。

 現在、浦上駅周辺には、長崎原爆病院、長崎新聞本社、長崎ブリックホールなどの施設があるほか、長崎バス茂里町営業所を再開発した商業施設「みらい長崎ココウォーク」が平成20年(2008年)にオープンした。「みらい長崎ココウォーク」は、1階がバスセンター、2階より上が商業施設や映画館、飲食店街となっており、観覧車もある。浦上地区の新しいシンボルとなっている。5階は「長崎ぶらぶら街道」というコンセプトの下、長崎の象徴的な街並みを再現しており、観光客も楽しめるスポットである。

長崎・浦上エリアの主な駅

浦上 / うらかみ 駅
JR九州 長崎本線(新線、長与支線)
浦上駅前 / うらかみえきまえ 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

松山町 / まつやままち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

浜口町 / はまぐちまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

茂里町 / もりまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

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長崎電鉄本線・松山町電停

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長崎原爆公園の記念碑

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長崎原爆落下中心地

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長崎平和公園

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長崎平和公園

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被爆した長崎刑務所浦上刑務支所の基礎

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長崎平和祈念像

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長崎原爆資料館

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長崎原爆資料館に再現された浦上天主堂

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長崎電鉄・浜口町電停

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JR浦上駅前

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茂里町のみらい長崎ココウォーク

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