長崎・諫早 諫早湾干拓事業と建設進む新幹線諫早駅

諫早
いさはや

日本国長崎県諫早市

長崎・諫早 諫早湾干拓事業と建設進む新幹線諫早駅

 諫早(いさはや)市は、長崎(ながさき)県中部にある人口約14万人の市。東が雲仙(うんぜん)市、西が長崎市と西彼杵(にしそのぎ)郡の長与(ながよ)町、北が大村(おおむら)市と佐賀県の藤津郡太良(たら)町と接している。

 諫早市は平成の大合併で、平成17年(2005年)に北高来(きたたかき)郡の高来(たかき)町、飯盛(いいもり)町、森山(もりやま)町、小長井(こながい)町および西彼杵郡多良見(たらみ)町と合併し、現在の市域となった。

 諫早市は、西に長崎半島、東に島原半島が伸び、南に天草灘(あまくさなだ)、北西に大村湾(おおむらわん)、東に有明海(ありあけかい)が広がっている。この複雑な地形のくびれ部分にあたる諫早は、古くから長崎街道と多良街道、島原街道との交通の結節点として発展してきた。

 諫早市には、JR九州の長崎本線と大村線、島原鉄道・島原鉄道線が通る。平成の大合併による市域拡大で、市内の駅が増え、JR長崎本線の小長井(こながい)、長里(ながさと)、湯江(ゆえ)、小江(おえ)、肥前長田(ひぜん ながた)、東諌早(ひがしいさはや)、諫早(いさはや)、西諫早(にしいさはや)、喜々津(ききつ)、市布(いちぬの)の各駅と、喜々津駅から長与町方面を経由する長崎本線旧線の東園(ひがしその)駅と大草(おおくさ)駅がある。JR大村線は諫早駅のみで、島原鉄道線は市内に諫早、本諫早(ほんいさはや)、幸(さいわい)、小野本町(おのほんまち)、干拓の里(かんたくのさと)、森山(もりやま)、釜ノ鼻(かまのはな)、諫早東高校前(いさはやひがしこうこうまえ)の各駅がある。

 諫早駅は、JR大村線の前身である九州鉄道・長崎線の駅として明治31年(1898年)に開業した。九州鉄道の長崎線は今のJR佐世保線・大村線を経由して長崎へと至る路線で、このルートが明治40年(1907年)に国有化されて、長崎本線となった。その後、諫早駅から東へ有明海沿いに国鉄有明線が建設され、昭和9年(1934年)に佐賀県の肥前山口(ひぜん やまぐち)駅までつながると、有明ルートが長崎本線となり、諫早~早岐は大村線とされた。

 長崎本線はもともと喜々津から大村湾の海沿いを走り、松ノ頭峠を越えて長与町の長与駅を経由して長崎へ抜けていたが、昭和47年(1972年)に喜々津から現川(うつつがわ)駅を経由して長崎トンネルでショートカットする新線が建設され、長崎本線の特急「かもめ」や大村線の快速「シーサイドライナー」は新線を経由し、有明ルートからの普通電車は主に新線を経由し、旧線は主に大村線から直通する普通列車が経由している。

 長崎から佐賀、博多(はかた)方面を結ぶ特急「かもめ」は、諫早駅から長崎本線の有明海沿いのルートを通り、肥前山口駅で佐世保線と合流して佐賀方面に向かっている。熊本(くまもと)や鹿児島(かごしま)は、九州新幹線開業の時短効果と、山陽新幹線直通運転による関西との直結により、観光客が大幅に増加し、経済効果も大きかった。一方、新幹線のルートから外れている長崎を代表する西九州は、長崎まで新幹線を建設することが悲願であり、そのようにして初めて長崎が熊本や鹿児島と対等の地位を維持できるという民意がある。そこで、九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設が検討され、九州新幹線鹿児島ルートが全線開業した翌年の平成24年(2012年)に長崎~諫早~武雄温泉(たけお おんせん)がフル規格で先行着工された。武雄温泉は佐賀県にある佐世保線の駅であり、大村~武雄温泉をショートカットする形で現行の長崎本線より距離が短くなるが、問題は武雄温泉~新鳥栖の区間をどうするかであり、これは博多まで近すぎて時短効果が見込めない佐賀県がフル規格の建設を渋ったことによるもので、長崎県と佐賀県の温度差の表れでもあった。

 それを解決する方法として浮上したのが、新幹線の標準軌(1435mm)と在来線の狭軌(1067mm)を両方走行できるフリーゲージトレインの開発であり、武雄温泉~新鳥栖は在来線をフリーゲージトレインの新幹線が通過することで佐賀県の負担を減らすとともに、特急「みどり」が走る佐世保方面も直通できるメリットがあった。しかし、フリーゲージトレインは車軸が重くなるため、スピードに限界があり、JR西日本はフリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示した。また、高速走行の耐久試験でもフリーゲージトレインは克服すべき課題が残されており、2022年の暫定開業に間に合わないことになった。2022年には、長崎新幹線の長崎~武雄温泉が先行開業するが、暫定的に武雄温泉駅で在来線特急と乗り換えるリレー方式となるため、下手すれば今より不便に感じることになりかねない。JR九州はフリーゲージトレインを断念し、フル規格での整備に傾いているようだ。フル規格なら、山陽新幹線への直通運転が可能であり、佐賀県にもメリットがあるからだ。このように、長崎新幹線の未来が見えぬまま、諫早駅では新幹線ホーム建設のための駅改造工事が進められている。

 島原鉄道(島鉄)は、諫早駅から島原半島の東側を走る路線で、終点の島原外港(しまばらがいこう)からはフェリーで熊本港へ行くことができる。平成3年(1991年)の雲仙普賢岳(うんぜん ふげんだけ)の噴火による火砕流で島原市内の区間で被害を受け、その後復旧を果たしたが、平成20年(2008年)に島原外港駅以南の島原外港~加津佐が廃止された。島鉄の本諫早駅は、諫早市の中心市街地が広がり、諫早市役所の最寄り駅でもある。

 山がちで、入り江の多い長崎県は農業用地が少なく、戦後の食糧難解決と塩害防止のために諫早湾の干拓事業が構想された。それが発案されたのは、戦後まもない昭和27年(1952年)のことであったが、その後日本は高度成長を遂げ、食糧品は輸入でまかなえるようになり、食糧増産はすでに緊急の課題ではなくなっていたが、壮大な干拓構想が着工に至ったときは、すでに平成元年(1989年)のことであり、平成9年(1997年)に「潮受け堤防」が完成し、水門が閉じられた。それまでの諫早湾は干潟が広がり、ムツゴロウが生息することで知られていたが、水門で締め切られることにより、生態系が破壊され、干潟を死滅させる「ギロチン」として批判された。

 水門を閉めることにより、広大な干拓地が農地となり、水門より西側は淡水化され、農業用水や洪水防止の調整池として活用されることになる計画だったが、その代償として干潟の自然浄化作用が失われた結果、調整池の水質汚濁と、有明湾の漁業被害や養殖海苔被害に直面した。生態系の回復を求めて開門を求める裁判となり、開門の是非で揺れたが、「無駄な公共事業」をやめようにも、一度破壊された生態系が開門で回復するわけがなく、作ってしまったが最後である。諫早湾干拓事業と長崎新幹線に対する長崎県の熱意と、冷ややかな佐賀県の対照的反応が、なぜ同じ「肥前国」(ひぜんのくに)だったのに長崎県と佐賀県に分かれているかの分かりやすい説明ともいえそうだ。

諫早エリアの主な駅

諫早 / いさはや 駅
JR九州 長崎本線、大村線
島原鉄道 島原鉄道線

本諫早 / ほんいさはや 駅
島原鉄道 島原鉄道線

喜々津 / ききつ 駅
JR九州 長崎本線(新線、旧線)

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JR九州の長崎本線と大村線が連絡する諫早駅

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島原鉄道・諫早駅

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長崎新幹線のための準備工事が始まった諫早駅

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諫早市の風景

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諫早湾干拓事業の水門
 
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佐賀・江北 長崎本線と佐世保線が分岐する肥前山口駅

江北
こうほく

日本国佐賀県杵島郡江北町

佐賀・江北 長崎本線と佐世保線が分岐する肥前山口駅

 江北(こうほく)町は、佐賀(さが)県中部の杵島(きしま)郡にある人口0.9万人の町。東が小城(おぎ)市、北が多久(たく)市、西が杵島郡の大町(おおまち)町、南が杵島郡白石(しろいし)町と接している。

 江北町は、昭和7年(1932年)に小田村、山口村、佐留志村が合併して江北村となり、昭和27年(1952年)に江北町に昇格した。平成の大合併では、杵島郡の各町との合併の構想があったが、役所の場所をめぐる主導権争いなどで実現しなかった。

 江北町は六角川の北にあり、周辺はのどかな水田風景が広がっている。江北町には、JR九州・長崎本線が通り、肥前山口(ひぜん やまぐち)駅からJR九州・佐世保線が分岐しており、古くから交通の要衝となっていた。肥前山口駅から県庁所在地の佐賀駅までは、特急でわずか10分、普通でも15分と非常に便利だ。肥前山口駅が特急停車駅であることから、「江北」よりも「肥前山口」のほうが全国的な知名度は高いといえる。

 肥前山口駅は、福岡・佐賀方面からの電車が長崎方面と佐世保方面に分かれることから、以前は特急列車の分割・併合が行われてきた。かつては東京~長崎・佐世保を結ぶ寝台特急「さくら」、大阪~長崎・佐世保を結ぶ寝台特急「あかつき」が肥前山口駅で分割・併合を行っていた。また、福岡~佐世保の特急「みどり」と福岡~長崎の特急「つばめ」も以前は肥前山口駅で分割・併合を行っていたが、現在は別々の運行となった。

 肥前山口駅は明治28年(1895年)に九州鉄道の駅として開設された。長崎本線は、かつては佐世保線のほうが本線で、早岐(はいき)から大村線を経由する路線がメインルートだった。昭和5年(1930年)に国鉄有明線の肥前山口~肥前竜王(ひぜん りゅうおう)が開業し、昭和9年(1934年)に諫早までつながると、海側ルートの有明線のほうが長崎本線となり、山側ルートの旧・長崎本線は佐世保線に改称された。

 九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設が佐世保線の武雄温泉(たけおおんせん)から長崎まで先行着工され、平成34年(2022年)に暫定開業を予定している。当初の計画では、佐賀県内は在来線上を軌間可変車両(フリーゲージトレイン)の新幹線が通ることになっていたが、車軸の重量増加や高速運転の耐久性についても克服すべき点が多く、2022年の暫定開業時には間に合わず、武雄温泉駅でのリレー方式となるようだが、将来的には佐賀県内でもフル規格の新幹線建設を求める声が高まりそうだ。その場合、肥前山口駅に新幹線の駅が開設されるのか、長崎本線の在来線の運行はどうなるのかなど、今後の動向が気になるところだ。

江北エリアの主な駅

肥前山口 / ひぜんやまぐち 駅
JR九州 長崎本線、佐世保線

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江北町の肥前山口駅

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江北町の肥前山口駅

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長崎・新地中華街 ちゃんぽんと皿うどんと中華街

長崎・新地中華街
ながさき・しんちちゅうかがい

日本国長崎県長崎市

長崎・新地中華街 ちゃんぽんと皿うどんと中華街

 新地中華街(しんち ちゅうかがい)は、長崎(ながさき)市の新地(しんち)町にあるチャイナタウンで、横浜中華街、神戸南京町と並ぶ日本三大中華街の一つで、中国の特色が感じられる街となっている。

 新地中華街は、長崎電気軌道・本線(1系統)、大浦支線(5系統)の築町(つきまち)電停の南東側に広がっている。築町電停からは、南側で出島(でじま)、長崎駅前方面へ向かう本線(1系統)と、大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)、石橋(いしばし)方面へ向かう大浦支線(5系統)が分かれている。また、1系統は、西浜町(にしはまのまち)から思案橋(しあんばし)、正覚寺下(しょうかくじした)方面を、5系統は西浜町から諏訪神社前(すわじんじゃまえ)、蛍茶屋(ほたるぢゃや)方面を結んでいる。

 出島の東側にある築町電停は銅座(どうざ)町にあり、周辺は夜ににぎわう繁華街が広がっている。新地中華街は、銅座町から橋を渡った南側にある。

 長崎は、鎖国が行われていた江戸時代において、貿易特区として認められ、清国人は主に福建省出身者が多く長崎に住むようになった。江戸幕府は当初、丘陵地に唐人屋敷(とうじんやしき)を設け、清国人の居住区としたが、港の清国船の荷蔵が火事になったのをきっかけに、唐人屋敷の近くの海岸を埋め立てて清国船専用の倉庫用地とした埋立地が「新地」と呼ばれるようになった。江戸時代末期に開国すると、清国人は唐人屋敷の外に住むようになった。さらに、1870年の大火事の後、新地に集まって住むようになり、中華街が形成された。

 新地中華街には中国福建省の福州(フッチウ/フゥーツォウ)出身者が多く、関係も深く、長崎市と姉妹都市を締結している。その福州市の協力により、中華街の石畳や中華門が整備された。また、新地中華街では毎年の春節(旧正月)にランタンフェスティバルが行われ、イルミネーションが美しい。一方、普段の夜は、横浜や神戸の中華街と異なり、夜は比較的静かで人通りも少ない。

 現在、中華街には中華料理屋が並んでおり、長崎の中華街で特徴的なのは、福州料理をベースにした「ちゃんぽん」や「皿うどん」のお店が並んでいることだ。もやしやキャベツなどの野菜、豚肉、かまぼこなどを炒めたスープ麺の「ちゃんぽん」と、揚げた細麺にあんかけの具をのせた「皿うどん」は、今や長崎郷土料理として全国的に有名になり、長崎観光の定番になっている。九州の最西端にある長崎県は、鄭成功の母の田川マツが長崎県平戸市出身であるなど、中国・福建との縁が深く、中国は長崎市に駐長崎総領事館を置いていることからも、中国が長崎との関係を重視していることがわかる。中国駐長崎総領事館は、新地中華街とは北に4キロほど離れており、浦上(うらがみ)の平和公園の近くにある。

長崎・新地中華街エリアの主な駅

築町 / つきまち 駅
長崎電気軌道 本線(1系統、5系統)、大浦支線(5系統)

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長崎電気軌道・築町駅

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築町駅前

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長崎新地中華街

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長崎新地中華街

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湊公園

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夜の新地中華街

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夜の新地中華街

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長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

佐世保
させぼ

日本国長崎県佐世保市

長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

 佐世保(させぼ)市は、長崎(ながさき)県北部にある人口約25万人の市。北が松浦(まつうら)市、西が平戸(ひらど)市と北松浦(きたまつうら)郡の佐々(さざ)町、南が西海(さいかい)市と東彼杵(ひがしそのぎ)郡の川棚(かわたな)町、東が東彼杵郡波佐見(はさみ)町、佐賀県西松浦郡の有田(ありた)町、佐賀県伊万里(いまり)市と接している。

 佐世保市は、長崎市に次ぐ県内第2の都市で、佐賀県県庁所在地の佐賀市より人口が多く、九州の中では第9の人口規模を誇る主要都市である。三方を山に囲まれた天然の良港があり、古くから海防の拠点として発展してきた。戦前は海軍の4大軍港(横須賀、呉、舞鶴、佐世保)の一つとして鎮守府が置かれ、海軍の軍港都市だった。戦時中は昭和20年(1945年)3月に米軍から佐世保大空襲を受け、市街地の多くが焼失した。戦後は、軍需産業は造船業に移行した一方で、自衛隊と在日米海軍の基地が置かれ、国防の重要な拠点都市であることに変わりはない。

 軍の重要都市であったことから、明治35年(1902年)とかなり早い時期に市制を施行し、佐世保市が発足した。昭和17年(1942年)に東彼杵郡の早岐(はいき)町と北松浦郡の一部を編入。昭和30年代までに北松浦郡と東彼杵郡の一部を編入して市域を拡大した。平成の大合併では、平成17年(2005年)に北松浦郡の吉井(よしい)町、世知原(せちばる)町を編入、平成18年(2006年)に北松浦郡の小佐々(こざさ)町、宇久(うく)町を編入、平成22年(2010年)に北松浦郡の江迎(えむかえ)町、鹿町(しかまち)町を編入し、現在の市域となった。

 佐世保市にはJR九州の佐世保線と大村線、松浦鉄道・西九州線が通り、JR佐世保線の佐世保、日宇(ひう)、大塔(だいとう)、早岐(はいき)、三河内(みかわち)の各駅、JR大村線の早岐、ハウステンボス、南風崎(はえのさき)の各駅、松浦鉄道西九州線の佐世保、佐世保中央(させぼちゅうおう)、中佐世保(なかさせぼ)、北佐世保(きたさせぼ)、山の田(やまのた)、泉福寺(せんぷくじ)、左石(ひだりいし)、野中(のなか)、皆瀬(かいぜ)、中里(なかざと)、本山(もとやま)、上相浦(かみあいのうら)、大学(だいがく)、相浦(あいのうら)、棚方(たながた)、真申(まさる)の各駅と佐々町を挟んで吉井(よしい)、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)、いのつき、高岩(たかいわ)、江迎鹿町(えむかえしかまち)、すえたちばな、の各駅がある。

 JR佐世保線は、佐賀県の肥前山口(ひぜんやまぐち)駅から早岐駅を経由して佐世保駅へと至る路線であるが、もともと肥前山口~早岐は九州鉄道により長崎へ至る鉄道の一部として建設されたもので、早岐から大村線を経由して長崎へ向かうのがかつての長崎本線のメインルートで、早岐~佐世保が支線の佐世保線であった。しかし、昭和9年(1934年)に国鉄長崎本線のメインルートが肥前山口から有明線経由で諫早(いさはや)、長崎へと向かうルートに変更されたことから、メインルートから外れた肥前山口~早岐も佐世保線の一部となった。このような経緯から、早岐駅でスイッチバックする構造となっている。佐世保線には福岡(ふくおか)市の博多(はかた)駅から特急「みどり」と特急「ハウステンボス」が走り、特急「みどり」が早岐駅でスイッチバックして佐世保駅を結び、特急「ハウステンボス」は早岐駅からそのまま大村線に入ってハウステンボス駅を結んでいる。

 JR大村線は、早岐~大村(おおむら)~諫早(いさはや)をつなぐ路線で、かつては国鉄長崎本線のメインルート、現在は佐世保~長崎を結ぶルートとして重要な役割を果たしており、快速「シーサイドライナー」が佐世保~早岐~諫早~長崎を結んでいる。ハウステンボス駅はオランダをイメージしたテーマパーク「ハウステンボス」の最寄り駅で、風車や水路、庭園が美しく、日本にいながら優雅なヨーロッパのリゾート気分が楽しめる観光スポットとなっている。「ハウステンボス」は平成4年(1992年)に西海市にあった「長崎オランダ村」を移転する形で開園した。ハウステンボス駅は開園した年に開業し博多から特急「ハウステンボス」が運行されるようになった。

 佐世保~伊万里~有田を結ぶ松浦鉄道・西九州線は、伊万里~有田が伊万里鉄道伊万里線、佐世保~伊万里が佐世保鉄道・松浦線として建設され、国有化後に国鉄松浦線となった。北松浦半島の海沿いの町を結ぶローカル路線で、国鉄民営化直後の昭和63年(1988年)に第3セクターの松浦鉄道に移管され、松浦鉄道・西九州線となった。

 佐世保駅はJR九州・佐世保線と松浦鉄道・西九州線のターミナル駅で、JRの最西端の駅。平成13年(2001年)に高架化された。同駅からは博多方面を結ぶ特急「みどり」と長崎方面を結ぶ快速「シーサイドライナー」が発着している。また、かつては東京から寝台特急「さくら」、大阪から寝台特急「あかつき」などが運行されていたが、寝台特急「さくら」は平成11年(1999年)に佐世保乗り入れが廃止され、寝台特急「あかつき」は平成12年(2000年)に佐世保乗り入れが廃止された。

 東京方面はスピード面では飛行機にかなわないので、寝台特急乗り入れ廃止は時代の流れともいえるが、関西方面へは山陽新幹線と結ぶことで直通運転が模索され、長崎県内ではフル規格の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設(長崎~武雄温泉)が進められている。この長崎新幹線建設は、長崎市にはメリットが大きいが、佐世保は素通りになる懸念があった。そこで、新幹線の標準軌(1435ミリ)と在来線の狭軌(1067ミリ)を直通運転できるフリーゲージトレインの開発が進められ、それにより佐世保にもフリーゲージトレインが乗り入れるはずだった。しかし、車軸が重い高速フリーゲージトレインの開発は難航し、山陽新幹線を運行するJR西日本が速度の遅いフリーゲージトレインの乗り入れに難色を示し、関西直通が否定されたフリーゲージトレイン新幹線構想が宙に浮き、長崎新幹線はフル規格に見直しすることになりそうだ。その場合、佐世保に新幹線が乗り入れることはできなくなり、従来通り博多~佐世保の在来線特急の運転を継続するか、武雄温泉駅からのシャトル列車に乗り換えという形になりそうだが、いずれも現状よりあまり便利にはならなさそうなので、佐世保を縁辺化させない方策を考える必要がある。

 佐世保駅の「みなと口」(西口)は、佐世保港が広がり、西海市の大島(おおしま)や、新上五島(しんかみごとう)町の離島へのフェリーなどが発着している。佐世保港フェリーターミナルに隣接して「させぼ五番街」などの商業施設がある。駅東口には商業施設「えきマチ1丁目佐世保」があり、その北に四ヶ町(よんかちょう)商店街と三ヶ町(さんかちょう)商店街をつなぐ大規模なアーケード商店街「さるくシティ4○3」が松浦鉄道西九州線・佐世保中央駅のほうまでつながっており、佐世保市の商業の中心となっている。

 佐世保駅の北西には「SSK」で知られる佐世保重工業の造船工場があり、佐世保市の産業を支えているほか、海上自衛隊佐世保地方総監部、陸上自衛隊相浦駐屯地、在日米海軍佐世保基地、在日米軍弾薬補給所などの軍事施設が集まり、在日米軍基地には原子力空母や原子力潜水艦、強襲揚陸艦などの軍艦等が配備され、いまも軍港として機能している。

 佐世保のご当地グルメ「佐世保バーガー」は、在日米軍の軍人向けのハンバーガーが広まり、市内に手作りの大きなハンバーガーのお店ができるようになり、それが「佐世保バーガー」として知られるようになり、佐世保を代表するご当地グルメとなった。
 
佐世保エリアの主な駅

佐世保 / させぼ 駅
JR九州 佐世保線
松浦鉄道 西九州線

早岐 / はいき 駅
JR九州 佐世保線、大村線

ハウステンボス
JR九州 大村線 

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佐世保駅から長崎を結ぶ快速「シーサイドライナー」

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佐世保駅から博多を結ぶ特急「みどり」

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佐世保駅松浦鉄道西九州線ホーム

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佐世保駅

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佐世保駅みなと口の「させぼ五番街」

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佐世保港

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佐世保駅東口

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佐世保駅東口の「えきマチ1丁目佐世保」

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佐世保線と大村線の早岐駅

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ハウステンボス

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佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

小城
おぎ

日本国佐賀県小城市

佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

 小城(おぎ)市は、佐賀(さが)県の中央部にある人口約4万人の市。北と東が佐賀市、西が多(たく)市と杵島(きしま)郡の江北(こうほく)町、南が杵島郡白石(しろいし)町と接している。

 小城市は、佐賀市の西にあり、平成の台合併により平成14年(2002年)に小城(おぎ)町、三日月(みかつき)町、牛津(うしづ)町、芦刈(あしかり)町が合併して小城市となった。小城市は、小城羊羹(ようかん)などの和菓子の町として知られている。

 小城市にはJR九州・長崎本線の牛津駅と、唐津線の小城駅がある。また、長崎本線と唐津線が分岐する久保田(くぼた)駅は、佐賀市と小城市の境にあり、駅の南が佐賀市、駅の北が小城市である。

 小城市の中心駅はJR唐津線の小城駅で、同駅からは佐賀方面と唐津(からつ)方面を結ぶディーゼルカーが運行されている。小城駅は明治36年(1903念)に九州鉄道として開業した唐津線の古い木造駅舎が国の文化財に認定された。

 小城駅の北西にある岡山神社および小城公園は、肥前国小城藩の鍋島氏によって築かれた城があり、古くから桜の名所として知られ、「桜岡」と呼ばれた。小城の中心市街地は、小城駅から約1キロ北に行った唐津街道の周辺に広がっている。そこからさらに1キロほど北へ行った祇園川のところに小城温泉がある。長崎自動車道はさらに北の山間部を通り、小城市内にIC(インターチェンジ)はないが、小城PA(パーキングエリアがある。

 佐賀市側にある久保田駅は、長崎本線と唐津線の分岐駅である。特急電車は通過する。長崎本線の牛津駅は、旧・牛津町の玄関駅で、小城市の玄関駅の一つでもある。周辺は佐賀らしい広い水田と広い空が広がっている。駅の西側に牛津川が流れている。

小城エリアの主な駅

小城 / おぎ 駅
JR九州 唐津線

牛津 / うしづ 駅
JR九州 長崎本線

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小城市の田園風景

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長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

長崎・出島
ながさき・でじま

日本国長崎県長崎市

長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

 出島(でじま)は、長崎(ながさき)市にある地区で、江戸時代に造成された人工島。JR九州・長崎本線の長崎駅から約1.5キロ南にあり、長崎電気軌道本線の出島電停が最寄り駅。

 出島は、江戸時代の江戸幕府が、海外との交易拠点として、1634年(寛永11年)から2年かけて建設された。当時の日本は、欧州からポルトガル人がやって来て、キリスト教の布教の広がりに幕府は頭を悩ませていた。そこで、ポルトガルとの窓口を出島に限定することで、ポルトガルとの交易を維持しつつ、キリスト教の浸透を防ごうとした。

 1638年(寛永15年)には、江戸幕府がキリシタンの反抗となった「島原の乱」を鎮圧し、日本は鎖国を強化。この頃、オランダが日本に接近し、ポルトガルを排除してオランダとの交易を強化するよう求めた。以後、出島は約200年にわたりオランダ人が出入りする場所となり、日本にとっては欧州との窓として機能した。また、出島からオランダ人を通じて、西洋医学などが日本に伝えられた。

 江戸時代末期のペリー来航で開国されることになった日本は、1855年(安政2年)にオランダ人の長崎市内への出入りを許可し、特区としての出島の存在意義は薄れていった。その後、明治時代に出島の周辺が埋め立てられ、かつての出島の範囲が曖昧になったが、1990年代より出島の復元事業が始まり、当時のオランダ船の船長が使用した「一番船船頭部屋」や、輸入品の砂糖などを貯蔵した「一番蔵」、商館長宅の「カピタン(Capitão)部屋」などが復元され、観光スポットに生まれ変わった。

 このほか、出島から川を挟んで北には長崎県庁があり、玉江橋の西にはショッピング施設「ゆめタウン夢彩都」と長崎港フェリーターミナルがある。

長崎・出島エリアの主な駅

出島 / でじま 電停
長崎電気軌道 本線(1系統) 

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長崎電鉄本線・出島駅

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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テーマ : 九州の旅
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長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

長崎・浦上
ながさき・うらかみ

日本国長崎県長崎市

長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

 浦上(うらかみ)は、長崎(ながさき)市にある地区で、JR九州・長崎本線の長崎駅から約1キロ北にあり、JR長崎本線の浦上駅を中心に市街地が広がっている。

 JR長崎本線の東側に長崎電気軌道が並行するように南北に走っており、浦上のあたりには、銭座町(ぜんざまち)、茂里町(もりまち)、浦上駅前(うらかみえきまえ)、大学病院前(だいがくびょういんまえ)、浜口町(はまぐちまち)、松山町(まつやままち)などの電停があり、1号~3号系統の電車が運行されている。

 JR浦上駅は、長崎~佐賀(さが)~博多(はかた)を結ぶ特急「かもめ」や、JR大村線を経由して佐世保(させぼ)を結ぶ快速「シーサイドライナー」も停車し、長崎駅を補完する長崎の主要駅の一つとなっている。

 浦上駅は明治30年(1897年)にJR長崎本線の前身である九州鉄道・長崎線の終着駅である長崎駅として開業した。長崎港湾の埋立工事が完成すると明治38年(1905年)に現在の長崎駅まで延伸され、初代の長崎駅が浦上駅に改称された。日露戦争を経て九州鉄道は明治40年(1907年)に国有化された。長崎電気軌道(長崎電鉄)本線は大正4年(1915年)に病院下(現・大学病院前の付近)~築島が開業し、昭和8年(1933年)までに松山町の北の大橋まで開業した。

 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月9日、アメリカ軍は長崎市(浦上駅北方、松山町付近)にプルトニウム式の原子爆弾を投下し、広島に続く2番目の被爆都市となった。これにより、長崎市の市街地が一瞬にして壊滅し、当時の長崎市の人口約24万人のうち、約7.4万人が死亡し、その後も多くの被爆後遺症による関連死者数は増え続けた。広島は河口近くの平地が広がっていたのに対し、長崎は三方が山に囲まれているため、爆発で壊滅した範囲は広島より狭くなり、旧市街地の南側の一部は破壊を免れた地区もあったが、広島と同様に爆心地周辺の市街地は完全に壊滅し、人道に反する無差別大量殺人であった。

 長崎原爆の爆心地は、長崎電鉄本線の松山町電停の南東側にある原爆公園。ここには、「原爆落下中心碑」があり、浦上天主堂の遺構の一部が移設されてモニュメントとして展示されている。松山町には約300世帯1800人余りが生活していたが、アメリカによる原爆投下により一瞬にして灼熱の地獄となり、ほぼ全員が焼け死んだ。当時の原爆の熱で溶けたガラスや瓦、茶碗などが埋まった当時の地層が、保存されている。

 原爆公園の北側にある平和公園は、小高い丘になっている。ここには、赤レンガ造りの長崎刑務所浦上刑務支所の監獄があったが、長崎原爆の爆心地からわずか100m余りの距離だったため、刑務所内にいた受刑者や被告人、職員らが全員死亡した。この建物の基礎部分が広場に保存されている。長崎原爆投下からすでに70年以上が経過し、この基礎の陰に隠れてハトを狙うネコを見るとほほえましい光景であるが、この建物が原爆でふっ飛ばされた事実はイメージしておきたい。

 その先にある平和祈念像は、長崎県出身の彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう)が制作した像で、昭和30年(1955年)に完成し、長崎原爆の鎮魂と平和の願いを込めた象徴となっている。

 平和公園から東へ約500mのところにある浦上天主堂(カトリック浦上教会)は、大正3年(1914年)に竣工した赤レンガの美しい聖堂が長崎原爆で倒壊し、天主堂の中にいた司祭や信徒が全員死亡した。戦後、浦上教会は昭和34年(1959年)に旧天主堂の建物を模して再建された。昭和55年(1980年)の改修工事では、戦前の赤レンガ造りの外観がより再現され、翌昭和56年(1981年)には訪日したバチカンのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れ、ミサを捧げた。

 平和公園の南東の丘の上にある長崎原爆資料館は、前身の長崎国際文化会館原爆資料センターの建物が老朽化し、展示スペースも手狭であったことから、平成8年(1996年)に移設の上、新たに開館したものである。長崎原爆による長崎市の被害の実態や、当時の写真や映像、投下されたプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」の実物大模型、鳥居の柱が一本だけ残った山王神社の紹介、崩れた浦上天主堂を再現した展示などがあり、また戦後に米国、ソ連、中国などで行われた核実験に抗議し、核兵器のない世界を目指すメッセージも発信している。長崎原爆資料館に隣接して国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館も隣接しており、原爆犠牲者の追悼の場所となっている。長崎原爆資料館へは長崎電鉄本線の浜口町電停が近い。

 浦上駅は長崎原爆の際に全壊し、駅員も死亡。壊滅的な状況となるが、長崎本線に救援列車が運行され、被爆者の救助を行った。周辺は原爆によるガレキの山だったが、速やかに仮復旧し、長崎の救援と復興に鉄道が最大限活用された。

 現在、浦上駅周辺には、長崎原爆病院、長崎新聞本社、長崎ブリックホールなどの施設があるほか、長崎バス茂里町営業所を再開発した商業施設「みらい長崎ココウォーク」が平成20年(2008年)にオープンした。「みらい長崎ココウォーク」は、1階がバスセンター、2階より上が商業施設や映画館、飲食店街となっており、観覧車もある。浦上地区の新しいシンボルとなっている。5階は「長崎ぶらぶら街道」というコンセプトの下、長崎の象徴的な街並みを再現しており、観光客も楽しめるスポットである。

長崎・浦上エリアの主な駅

浦上 / うらかみ 駅
JR九州 長崎本線(新線、長与支線)
浦上駅前 / うらかみえきまえ 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

松山町 / まつやままち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

浜口町 / はまぐちまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

茂里町 / もりまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

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長崎電鉄本線・松山町電停

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長崎原爆公園の記念碑

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長崎原爆落下中心地

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長崎平和公園

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長崎平和公園

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被爆した長崎刑務所浦上刑務支所の基礎

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長崎平和祈念像

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長崎原爆資料館

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長崎原爆資料館に再現された浦上天主堂

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長崎電鉄・浜口町電停

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JR浦上駅前

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茂里町のみらい長崎ココウォーク

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テーマ : 歴史・文化にふれる旅
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佐賀 肥前国の国府、佐賀城の城下町、広い平野と熱気球

佐賀
さが

日本国佐賀県佐賀市

佐賀 肥前国の国府、佐賀城の城下町、広い平野と熱気球

 佐賀(さが)市は、佐賀県の中央部にある佐賀県の県庁所在地で、人口は約24万人。西が小城(おぎ)市と唐津(からつ)市、北が福岡(ふくおか)県の糸島(いとしま)市と福岡市早良(さわら)区、東が神埼(かんざき)市と福岡県大川(おおかわ)市と接している。また、道路はつながっていないが、筑後川(ちくごがわ)の河口を挟んで福岡県柳川(やながわ)市と接しており、南には有明海(ありあけかい)が広がっている。

 佐賀市は、平成の大合併で平成17年(2005年)に佐賀市の北にあった佐賀郡の大和(やまと)町と富士(ふじ)町、三瀬(みつせ)村、佐賀市の東にあった佐賀郡諸富(もろどみ)町と合併した。さらに平成19年(2007年)に佐賀郡の川副(かわそえ)町、東与賀(ひがしよか)町、久保田(くぼた)町を編入合併し、現在の市域となった。

 佐賀は豊かな筑紫(つくし)平野の西部にあたる佐賀平野が広がり、古くから人々が暮らしていたことから、縄文時代の貝塚や古墳時代の古墳などの遺跡が多く発掘されている。8世紀頃に佐賀市大和町には肥前国(ひぜんのくに)の国府が置かれ、江戸時代には鍋島(なべしま)氏によって築かれた佐賀藩・佐賀城の城下町として発展した。

 佐賀県と長崎県は同じ肥前国に属したが、肥沃な平野に発展した佐賀と、漁村から国際貿易の港町として発展した長崎では、かなり歴史文化的に異なる発展を遂げたことから、廃藩置県の際には肥前国が佐賀県と長崎県に分けられ、佐賀藩と唐津藩の領域が佐賀県になった。

 佐賀は、西の嘉瀬川(かせがわ)、東の筑後川に挟まれた平野が広がり、稲作が盛んであり、広大な水田が美しいが、かつては洪水が頻発し、治水が重要な課題であった。江戸時代に佐賀藩の成冨茂安(なるとみ しげやす)らによる治水事業で、筑後川の堤防や灌漑用水が整備され、佐賀の洪水被害や水争いが減り、安定した穀倉地帯となった。さらに、明治時代には水路の直線化や排水機能が強化された。

 佐賀市には、JR九州・長崎本線の伊賀屋(いがや)、佐賀、鍋島(なべしま)、久保田(くぼた)の各駅があり、久保田駅からはJR唐津線が分岐している。また、毎年秋に開催される熱気球の祭りである「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の開催時に、鍋島~久保田の嘉瀬川のそばに「バルーンさが」臨時駅が開設される。

 佐賀駅は、佐賀市の玄関駅であり、JR長崎本線の駅の中で最も利用客数が多い。長崎本線は明治24年(1891年)に九州鉄道・佐賀線として開業し、明治40年(1907年)に国有化された。長崎本線を走り、博多(はかた)~佐賀~長崎を結ぶ特急「かもめ」、博多~佐賀~佐世保の特急「みどり」、博多~佐賀~ハウステンボスの特急「ハウステンボス」などの特急列車も停車する。

 佐賀駅は2面4線の高架駅であり、昭和51年(1976年)に高架化された。長崎本線の普通電車は主に鳥栖(とす)~佐賀~肥前山口(ひぜん やまぐち)を結んでおり、。唐津線は久保田駅から分かれているが、佐賀駅まで直通しており、佐賀県の小城、多久(たく)、唐津などの各都市を結んでいる。久保田駅は小城市との境にあるが、駅は佐賀市側にある。駅周辺はのどかな田園が広がっている。

 佐賀駅からはかつて、筑後柳河(福岡県柳川市)を経由して鹿児島本線の瀬高(せたか)駅まで結び、長崎・佐賀~熊本方面への最短ルートであった国鉄佐賀線があったが、佐賀~熊本への需要は多くなく、貨物輸送もトラックに切り替わり、ローカル線化し、昭和62年(1987年)に廃止された。

 佐賀駅高架下には「えきマチ1丁目 佐賀」商店街があり、書店や婦人服などの店舗のほか、「有明海苔」、「嬉野茶」、「丸芳露(まるぼうろ)」、「小城羊羹」など佐賀名物のお土産を販売する店舗がある。「えきマチ1丁目 佐賀」の先の東側の高架下には「佐賀駅バスセンター」があり、佐嘉(さが)神社や佐賀県庁方面の市街地および佐賀市郊外各方面を結ぶバスが発着している。また、佐賀駅~佐賀空港を結ぶバスや、西鉄バスが運行する佐賀~福岡(天神)を結ぶ高速バスも発着している。

 佐賀駅南口のロータリーの東側にはスーパー「西友」佐賀店があり、バスターミナルの南東側に佐賀県JA会館や佐賀市役所がある。佐賀城址は、佐賀駅の約2キロ南にあり、南口から中央大通りを南に進んでいくと、佐賀城のお堀があり、城内に佐賀県庁庁舎がある。中央大通りは、一部が唐人町(とうじんまち)商店街となっているが、近年は空き店舗が目立ち、シャッター通り化が進み、再活性化が模索されている。

 佐賀城は1602年(慶長7年)に築城され、古くは佐嘉城と表記された。江戸時代には、佐賀藩が置かれ藩主・鍋島氏の拠点となっていた。かつては豊前・小倉城と同規模の巨大な天守があったが、1726年(享保11年)の大火により天守や本丸の建物が焼失した。その後、佐嘉藩の政治の拠点は本丸御殿に移り、本丸は再建されなかった。明治維新による廃藩置県後、明治7年(1874年)に佐賀藩士・江藤新平(えとう しんぺい)らによる「佐賀の乱」が起こり、佐賀城が一時期、藩士らによる反乱軍に占拠されたが、明治政府軍に鎮圧された。この際の激しい戦闘で、佐賀城の多くの建築物が破壊され、わずかに「鯱の門」と「続櫓」が残存するだけとなっている。城址は佐賀城公園として整備され、城内には佐賀県庁庁舎のほか、佐賀城本丸歴史館、佐賀県立博物館、佐賀県立美術館、佐賀県立図書館、サガテレビ本社、佐賀西高校、佐賀大学付属中学校などの施設がある。

 県庁の北東側にある佐嘉神社は、佐嘉藩の藩祖を祀った神社で、幕末から明治維新の頃に活躍した鍋島直正(なべしま なおまさ)第10代藩主、鍋島直大(なべしま なおひろ)第11代藩主らを祀る。佐嘉神社は昭和8年(1933年)の創建であるが、境内の奥にある松原神社は佐嘉神社より歴史が古く、1772年(安永元年)に鍋島家の始祖である戦国武将・鍋島直茂(なべしま なおしげ)を祀る神社として創建された。佐嘉神社のそばにある鶴乃堂本舗の「肉まんじゅう」は、参拝客からも人気があり、佐嘉名物グルメの一つとなっている。

 佐賀は、平野に水田が広がり、江戸時代の佐賀藩は非常に豊かであったが、現代においては長崎や福岡と比べて工業や商業の発展が緩やかだった。そのため、目立たない控えめな県庁所在地であるが、少し郊外に行けば美しい水田風景と広い空となるところが佐賀の魅力である。佐賀では、この地理的特徴を生かして、嘉瀬川河川敷を主会場として毎年秋に「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」を開催しており、「熱気球のまち」として国際的知名度も上がってきている。

 佐賀空港(九州佐賀国際空港)は、佐賀市南部の旧・川副(かわそえ)町に平成10年(1998年)に開港した。佐賀駅から佐賀空港まではバスで約35分。2000mの滑走路があり、東京羽田への国内線のほか、国際線は中国・春秋航空が上海方面に定期路線があり、韓国ソウル仁川(インチョン)方面にも飛んでいる。福岡空港が過密状態であるため、福岡から流れてくる国際チャーター便を受け入れており、愛称も「九州佐賀国際空港」として、九州周遊旅行の玄関口として路線開拓を目指そうとしている。

 現在、JR九州では、博多~長崎の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設を進めており、佐賀県の武雄温泉(たけおおんせん)から長崎県の長崎までが先行着工されている。また、博多~新鳥栖(しんとす)は、すでに九州新幹線(鹿児島ルート)として開業している。

 長崎新幹線は、佐賀県のJR佐世保線の武雄温泉(たけおおんせん)駅から大村を経由して長崎に至る短絡ルートを「スーパー特急方式」(新幹線の規格を在来線のレール幅で運転)で建設することを平成4年(1992年)に地元案として合意ができていたが、財源などの理由で着工が伸びていた。そして、平成16年(2004年)に標準軌(新幹線)と狭軌(在来線)を直通できるフリーゲージトレインの導入を視野に入れながら、武雄温泉~諫早のスーパー特急方式の着工を決定した。ところが、平成23年(2011年)にフリーゲージトレインの実用化を視野に入れたためか、武雄温泉~諫早~長崎を標準軌のフル新幹線規格で建設する方針に変更。平成24年(2012年)に武雄温泉~長崎がフル規格で着工した。

 佐賀は長崎よりも福岡に近く、新幹線がなくても不便さは感じないため、わずかなスピードアップのために多額の投資が必要な新幹線建設には長崎県と比べて消極的だった。佐賀県内の在来線を走行するフリーゲージトレインのメリットは、長崎県側の長崎~武雄温泉の新幹線を完成させるだけで、武雄温泉~佐賀~新鳥栖は在来線を走行し、新鳥栖~博多は九州新幹線の線路を走行できることと、さらに佐世保方面も特急列車の維持が可能であることだった。しかし、デメリットは、在来線区間は130キロしか出せないことと、フリーゲージトレインの車両コストが非常に高いことだった。

 その後、フリーゲージトレインは新幹線のような高速に耐えうる技術が成熟しておらず、開通時期までに実用化が間に合わないことが明らかになった。しかも耐久試験で摩耗が発覚し、実用化に疑問符がついた。さらに致命的なのは、九州新幹線(鹿児島ルート)は、全線フル規格による建設で、新大阪~博多~鹿児島中央の山陽新幹線との一体運用が可能となり、関西方面からの需要喚起による乗客増を実現したが、山陽新幹線を運行するJR西日本は、フリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示しており、大阪乗り入れが実現できなければ多額の投資をして長崎まで新幹線を建設する意味がなくなってしまいかねない。日本政府は平成34年(2022年)に武雄温泉~長崎が開業した際には、博多~佐賀~武雄温泉を在来線、武雄温泉~長崎を新幹線とし、武雄温泉駅でフリーゲージトレイン実用化までの当面は、同一ホーム乗り換えを行う方針を示したが、少しばかりのスピードアップで乗り換えの手間が増えたら、今より不便になりかねない。

 佐賀県は新鳥栖、佐賀、肥前山口、武雄温泉、嬉野温泉の5駅の新幹線停車を見込んでいるが、県内にフル新幹線規格と在来線規格が混在しており、このようなウダウダな状況に、多額の建設費がかかるフル新幹線規格を拒んできた佐賀県も、フリーゲージトレインがダメならフル新幹線も仕方なく視野に入れざるを得なくなったようだ。乗り換えを強いられる中途半端な新幹線より、大阪まで直通できるフル新幹線のほうが新規需要を開拓できるぶん佐賀県とってもましだからだ。しかし高額の負担は、佐賀県としても納得いきにくいことだろう。

 フリーゲージトレインを断念した場合、長崎新幹線は①全線フル新幹線化(武雄温泉~新鳥栖にもフル新幹線規格新線を建設、一番お金はかかるが時短効果が最大で山陽新幹線に直通運転が可能となる、但し佐世保方面が乗り換え必要)、フル規格にする場合、佐賀空港を経由させる案もあるようだが、そうなれば今度は佐賀駅~博多が今より不便になるので、やはり佐賀駅に乗り入れたほうがよいだろう。②スーパー特急化(長崎~武雄温泉を狭軌で建設し、同区間の最高速度は160~200キロとなるが、現行在来線との直通が可能で乗り換え不要、時短効果は最小だが建設費最小)、③ミニ新幹線化(武雄温泉~佐賀~新鳥栖を標準軌に改軌する、フリーゲージトレインと同じ時短効果、山陽新幹線とも直通できる可能性あり、3線軌にすれば現行在来線とも共存可能、ただし佐世保方面や有明方面の特急運行をどうするか)、④武雄温泉乗り換えの恒久化(武雄温泉~新鳥栖のフル規格化の可能性を残したまま当面維持、最も不便だが佐世保方面は現状維持)といった4つの選択肢が考えられるが、どれも難しい選択だ。長崎新幹線は未来予想図が見えないまま、平成34年(2022年)の開通を目指してフライングで建設が進んでいる。

佐賀エリアの主な駅

佐賀 / さが 駅
JR九州 長崎本線、(唐津線)

久保田 / くぼた 駅
JR九州 長崎本線、唐津線

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JR佐賀駅

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佐賀駅に乗り入れる唐津線

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佐賀駅に停車する特急「かもめ」

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えきマチ1丁目 佐賀

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佐賀駅バスターミナル

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バスターミナルと佐賀県JA会館と佐賀市役所(右)

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佐賀・中央大通り

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佐賀市内の街並み

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佐賀市内の街並み(今宿町)

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佐賀城の堀と佐賀県庁

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佐嘉神社

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佐嘉神社

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佐嘉神社

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佐嘉神社のそばにある鶴乃堂本舗「肉まんじゅう」

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佐賀城公園

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佐賀郊外の風景

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九州佐賀国際空港

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九州佐賀国際空港

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テーマ : 九州(福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島)・沖縄地方の各県の路線案内
ジャンル : 地域情報

長崎 外国文化を日本に伝えた三方を山に囲まれた港湾都市

長崎
ながさき

日本国長崎県長崎市

長崎 外国文化を日本に伝えた三方を山に囲まれた港湾都市

 長崎(ながさき)市は、九州西部の長崎県の県庁所在地で、人口約43万人の都市。東が諫早(いさはや)市、北が西彼杵(にしそのぎ)郡の長与(ながよ)町と時津(とぎつ)町、北西が西海(さいかい)市と接しており、南は天草灘(あまくさなだ)、西は角力灘(すもうなだ)の海が広がっている。

 平成の大合併では、平成17年(2005年)に西彼杵郡の三和(さんわ)町、野母崎(のもざき)町、外海(そとめ)町、香焼(こうやぎ)町、伊王島(いおうじま)町、高島(たかしま)町を編入、平成18年(2006年)に西彼杵郡琴海(きんかい)町を編入し、現在の市域となった。世界遺産に登録された「軍艦島」(ぐんかんじま)の通称で知られる端島(はしま)は旧・高島町にあった。

 九州西部にある長崎は、肥前国(ひぜんのくに)に位置するが、肥前の国府は佐賀(さが)であり、長崎はもともと肥前の西端の港町に過ぎなかった。16世紀の日本では、ヨーロッパから主にポルトガル人らがキリスト教の宣教師としてやってきて、布教活動を行っていた。しかし、その布教活動においては、住民との摩擦もあり、平戸(ひらど)では、ポルトガル人の殺害事件などが起こり、ポルトガル・イエズス会は新しい港を探していた。そこに自分の統治下の領土である横瀬浦(現・西海市)を提供したのが大名の大村純忠(おおむら すみただ)であり、1563年(永禄6年)には洗礼を受けて日本初のキリシタン大名となった。大村純忠は、領内の住民のキリスト教への改宗を奨励し、実際に改宗した住民も多かったが、寺社や先祖の墓など日本伝統宗教文化を破壊する暴挙に出たことから当然ながら反発も起こった。そして横瀬浦は焼き討ちに遭ったが、1570年(元亀元年)に大村純忠は長崎を開港し、ポルトガル・イエズス会の拠点となった。ここから貿易港としての長崎の歴史が始まってゆく。

 九州が豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)によって平定されると、豊臣秀吉は1587年(天正15年)にキリシタン禁止令を出し、バテレン(神父)追放令により南蛮貿易を独占しようとした。豊臣秀吉は、1597年(慶長2年)に「日本二十六聖人の処刑」を行うなど、キリスト教を弾圧した。

 江戸時代に入ると、長崎は徳川幕府の直轄領となるが、引き続きキリスト教は弾圧され、1612年(慶長17年)に改めて禁教令が出され、布教を禁止し、宣教師らを国外追放している。そのうえで、江戸幕府は長崎に清国およびオランダとの貿易港の役割を持たせようとし、1635年(寛永12年)に出島(でじま)が完成し、日本がいわゆる「鎖国」する一方で、長崎は出島を玄関口として、政府公認の貿易港とし、長崎は最新の海外文化が伝わる先進都市となった。さらに1823年(文政6年)には神聖ローマ帝国ドイツよりシーボルト(ジーボルト/Siebold)が来日して出島に滞在し、長崎郊外に鳴滝塾(なるたきじゅく)を開設し、西洋医学や自然科学を日本人に伝えた。

 1854年(安政元年)には長崎港が開港され、長崎はますます国際港の開かれた都市となる。ポルトガルから伝わったとされるお菓子「カステラ」や、中国福建料理がベースとなっている「ちゃんぽん」など、長崎独自に発展を遂げた名物グルメが形成された。また、1865年(元治2年)にはフランス人の礼拝堂として建てられた大浦天主堂が完成すると、江戸幕府の禁教政策のため隠れて信仰を続けていた日本人(隠れキリシタン)が大浦天主堂を訪ね、神父に信徒であることを告白する人々が現れた。ところが、江戸幕府は引き続き日本人キリスト教徒を暴力的に弾圧し、これが欧米から非難され、明治時代になって明治6年(1873年)にキリシタン禁制が廃止され、259年ぶりにようやくキリスト教信仰の自由が認められるようになった。

 明治時代の廃藩置県では、旧・肥前国は長崎県と佐賀県に分割され、長崎は長崎県の県庁所在地となり、明治22年(1889年)に長崎市が発足した。その後、長崎は三方を山に囲まれた良好な港町として商業のほか、造船業や炭鉱業、製鋼業、兵器工場などの工業が大いに発展した。山に囲まれているため、市街地は山の斜面に広がり、坂にへばりつくように市街地が拡大していった。

 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月9日、アメリカ軍は長崎市(浦上駅北方、松山町付近)にプルトニウム式の原子爆弾を投下し、広島に続く2番目の被爆都市となった。これにより、長崎市の市街地が一瞬にして壊滅し、当時の長崎市の人口約24万人のうち、約7.4万人が死亡し、その後も多くの被爆後遺症による関連死者数は増え続けた。広島は河口近くの平地が広がっていたのに対し、長崎は三方が山に囲まれているため、爆発で壊滅した範囲は広島より狭くなり、旧市街地の南側の一部は破壊を免れた地区もあったが、広島と同様に爆心地周辺の市街地は完全に壊滅し、人道に反する無差別大量殺人であった。

 戦後は、広島とともに核兵器に反対する平和運動の象徴的都市として、復興が進められた。三菱重工業長崎造船所や三菱電機などの三菱グループの工場が戦後復興を牽引した。また、豊かな海洋資源による水産業、長崎の歴史を訪ねる観光も盛んであり、長崎は再び魅力ある都市へと復興を遂げた。美空ひばり「長崎の蝶々さん」、内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」など長崎を舞台にした歌謡曲も大ヒットした。

 港町である長崎は、海の交通が発達しており、長崎港からは、五島(ごとう)市の福江(ふくえ)港、新上五島(しんかみごとう)町の奈良尾(ならお)港、国際航路の中国・上海(シャンハイ/サァヘー)方面への航路がある。また、長崎空港は、長崎県大村市にあり、東京羽田、大阪伊丹、大阪関西、神戸、那覇のほか県内の離島である五島福江(ごとう ふくえ)、対馬(つしま)、壱岐(いき)などへの路線が発着している。

 長崎市の鉄道交通は、JR九州・長崎本線が長崎から佐賀県の鳥栖(とす)を結び、鳥栖からJR鹿児島本線に乗り入れて福岡市の博多(はかた)駅へとつながっている。また、長崎市内には長崎電気軌道の路面電車が走り、市内の各地域を結んでいる。

 JR長崎本線は、長崎市内に長崎、浦上(うらかみ)、現川(うつつがわ)、肥前古賀(ひぜん こが)の各駅と、浦上駅から分岐する旧線(長与経由)の西浦上(にしうらかみ)駅がある。

 長崎本線は、明治30年(1897年)に九州鉄道・佐賀線として長崎(現・浦上)~長与が開業し、翌明治31年(1898年)に長崎~長与~諫早~大村~早岐~肥前山口~佐賀~鳥栖のルートが全通した。このルートは長崎本線、大村線、佐世保線を大回りするものであった。明治38年(1905年)に現在の長崎駅まで延伸され、旧・長崎駅が浦上駅に改称された。明治40年(1907年)に九州鉄道が国有化され、国鉄長崎本線となり、昭和9年(1934年)に諫早~肥前山口の国鉄有明線が全通すると、有明線が長崎本線となり、遠回り区間だった諫早~早岐が大村線、早岐~肥前山口が佐世保線に分離された。さらに昭和47年(1972年)に長崎本線スピードアップのための浦上~喜々津(諫早市)の新線が開業した。

 長崎駅は、長崎市の玄関駅となっており、行き止まりの頭端式ホームで、門司港駅のように港町らしい終着駅の雰囲気がある。かつては東京行きの寝台特急「さくら」「みずほ」、新大阪・京都行きの寝台特急「あかつき」などの長距離列車が運行されていたが、平成6年(1994年)に「みずほ」が廃止。平成17年(2005年)に「さくら」が廃止され、平成20年(2008年)に「あかつき」が廃止されると、長崎駅に乗り入れるブルートレイン寝台列車が全廃となった。現在は特急「かもめ」が長崎~博多を結び、快速「シーサイドライナー」が大村線経由で佐世保(させぼ)を結んでいる。特急「かもめ」は浦上駅にも停車する。

 長崎駅周辺では、高架化工事が進められており、九州新幹線西九州ルート(以下、長崎新幹線)の建設および在来線ホームの高架化工事が始まっている。長崎新幹線は、長崎~博多の時間短縮にはメリットがあるが、通過する佐賀県は博多と近いので時短のメリットが少なく、また特急「みどり」が走る長崎県北部の佐世保がルートから外れると不便になるなどの理由で、建設計画が決まらない状態が続いていた。

 長崎新幹線は、佐賀県のJR佐世保線の武雄温泉(たけおおんせん)駅から大村を経由して長崎に至る短絡ルートを「スーパー特急方式」(新幹線の規格を在来線のレール幅で運転)で建設することを平成4年(1992年)に地元案として合意ができていたが、財源などの理由で着工が伸びていた。そして、平成16年(2004年)に標準軌(新幹線)と狭軌(在来線)を直通できるフリーゲージトレインの導入を視野に入れながら、武雄温泉~諫早のスーパー特急方式の着工を決定した。ところが、平成23年(2011年)にフリーゲージトレインの実用化を視野に入れたためか、武雄温泉~諫早~長崎を標準軌のフル新幹線規格で建設する方針に変更。平成24年(2012年)に武雄温泉~長崎がフル規格で着工した。

 フリーゲージトレインのメリットは、長崎県側の長崎~武雄温泉の新幹線を完成させるだけで、武雄温泉~新鳥栖は在来線を走行し、新鳥栖~博多は九州新幹線の線路を走行できることと、さらに佐世保方面も特急列車の維持が可能であることだった。しかし、デメリットは、在来線区間は130キロしか出せないことと、フリーゲージトレインの車両コストが非常に高いことだった。

 その後、フリーゲージトレインは新幹線のような高速に耐えうる技術が成熟しておらず、開通時期までに実用化が間に合わないことが明らかになった。しかも耐久試験で摩耗が発覚し、実用化に疑問符がついた。さらに致命的なのは、九州新幹線(鹿児島ルート)は、全線フル規格による建設で、新大阪~博多~鹿児島中央の山陽新幹線との一体運用が可能となり、関西方面からの需要喚起による乗客増を実現したが、山陽新幹線を運行するJR西日本は、フリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示しており、大阪乗り入れが実現できなければ多額の投資をして長崎まで新幹線を建設する意味がなくなってしまいかねない。日本政府は平成34年(2022年)に武雄温泉~長崎が開業した際には、博多~武雄温泉を在来線、武雄温泉~長崎を新幹線とし、武雄温泉駅でフリーゲージトレイン実用化までの当面は、同一ホーム乗り換えを行う方針を示したが、少しばかりのスピードアップで乗り換えの手間が増えたら、今より不便になりかねない。

 このようなウダウダな状況に、多額の建設費がかかるフル新幹線規格を拒んできた佐賀県も、フリーゲージトレインがダメならフル新幹線も仕方なく視野に入れざるを得なくなったようだ。乗り換えを強いられる中途半端な新幹線より、大阪まで直通できるフル新幹線のほうが新規需要を開拓できるぶん佐賀県とってもましだからだ。

 フリーゲージトレインを断念した場合、長崎新幹線は①全線フル新幹線化(武雄温泉~新鳥栖にもフル新幹線規格新線を建設、一番お金はかかるが時短効果が最大で山陽新幹線に直通運転が可能となる、但し佐世保方面が乗り換え必要)、②スーパー特急化(長崎~武雄温泉を狭軌で建設し、同区間の最高速度は160~200キロとなるが、現行在来線との直通が可能で乗り換え不要、時短効果は最小だが建設費最小)、③ミニ新幹線化(武雄温泉~新鳥栖を標準軌に改軌する、フリーゲージトレインと同じ時短効果、山陽新幹線とも直通できる可能性あり、3線軌にすれば現行在来線とも共存可能、ただし佐世保方面や有明方面の特急運行をどうするか)、④武雄温泉乗り換えの恒久化(武雄温泉~新鳥栖のフル規格化の可能性を残したまま当面維持、最も不便だが佐世保方面は現状維持)といった4つの選択肢が考えられるが、どれも難しい選択だ。長崎新幹線の未来予想図が見えないまま、長崎~武雄温泉の長崎新幹線は平成34年(2022年)の開通を目指してフライングで建設が進んでいる。

 長崎駅の駅ビルはJR九州の商業施設「アミュプラザ長崎」があり、駅前には長崎電気軌道(長崎電鉄)の長崎駅前(ながさきえきまえ)電停および市内バスのりばや道路を挟んで長崎県営バスターミナルがある。長崎駅前は、長崎駅の高架化および長崎新幹線の開業後は、大きくリニューアルされる予定である。

 長崎電鉄は、赤迫(あかさこ)~浦上駅前~長崎駅前~大波止(おおはと)~築町(つきまち)~思案橋(しあんばし)~正覚寺下(しょうかくじした)の1系統や赤迫~浦上駅前~長崎駅前~桜町(さくらまち)~公会堂前(こうかいどうまえ)~蛍茶屋(ほたるぢゃや)の3系統が長崎駅前電停に乗り入れている。長崎観光は長崎駅から長崎電鉄の路面電車を乗りこなせば大変便利だ。車社会の普及で岐阜などのように路面電車が廃止された都市もある中で、長崎の路面電車は高頻度運転しているにもかかわらずいつも混雑しており、市民の足として定着している。

長崎エリアの主な駅

長崎 / ながさき 駅
JR九州 長崎本線
長崎駅前 / ながさきえきまえ 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

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JR長崎本線・長崎駅

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建設が進む長崎駅高架化と長崎新幹線

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JR長崎駅

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新幹線の早期建設を求めるPR広告

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長崎電鉄・長崎駅前電停

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長崎駅前を走る長崎電鉄

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長崎電鉄・長崎駅前電停

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夜の長崎電鉄・長崎駅前電停

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稲佐山から見た長崎

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宮崎・高千穂 天孫降臨の天岩戸と高千穂峡

高千穂
たかちほ

日本国宮崎県西臼杵郡高千穂町

宮崎・高千穂 天孫降臨の天岩戸と高千穂峡

 高千穂(たかちほ)町は、宮崎(みやざき)県北西部の西臼杵(にしうすき)郡にある人口約1.3万人の町。

 高千穂町は、東が日之影(ひのかげ)町、南が諸塚(もろつか)村、南西が五ヶ瀬(ごかせ)町、北西が熊本県の高森(たかもり)町、北が大分県の竹田(たけだ)市、豊後大野(ぶんごおおの)市などと接している。

 高千穂は、日本神話におけるニニギ(瓊瓊杵尊)が「天孫降臨」した地として知られ、アマテラス(天照大神)がこもった「天岩戸」(あまといわと)も高千穂町にある。

 町北部の標高1756mの祖母山(そぼさん)が宮崎県と大分県の県境になっているほか、五ヶ瀬川が高千穂から日之影、延岡(のべおか)方面に流れている。

 延岡駅~高千穂駅までは、かつて高千穂鉄道高千穂線が走っていた。高千穂線は昭和10年(1935年)に国鉄日ノ影線として延岡~日向岡元(ひゅうがおかもと)が開業。昭和14年(1939年)に日ノ影(ひのかげ)駅まで開業。昭和47年(1972年)に日ノ影~高千穂が延伸開業し、国鉄高千穂線となった。

 国鉄高千穂線は、もともと国鉄高森線(現・南阿蘇鉄道)とつなげて宮崎から熊本を最短で結ぶ九州横断鉄道構想があった。1970年代に建設されていた高千穂~高森(約23キロ)が開業すれば、宮崎から熊本が一本のレールでつながるはずだったが、高森側のトンネル工事で大量の湧水が発生し、工事が中断され、結局工事は凍結された。未成線の区間の一部は公園として整備され、高千穂鉄道の旧車両やC58形蒸気機関車が展示されているほか、トンネルは神楽酒造の焼酎の貯蔵庫として活用されており、これもまた高千穂の特産品となっている。

 平成元年(1989年)に国鉄高千穂線は第3セクターの高千穂鉄道に移管された。平成17年(2005年)の台風被害で大きな被害を受け、全線運休となり、平成20年(2008年)までに全線が廃止され、九州横断鉄道構想は完全に幻となった。また、高千穂町内の高千穂橋梁(天岩戸~深角)は、全長352m、高さ105mで、日本で最も高い鉄道橋で観光スポットとしても人気があったが、高千穂線廃止にともない同鉄橋も廃止された。しかし、「高千穂あまてらす鉄道」として廃止された高千穂鉄道の線路を活用し、観光鉄道として平成22年(2010年)に復活し、平成25年(2013年)からは高千穂~天岩戸~高千穂橋梁の区間をスーパーカートで運行している。

 旧・高千穂駅の周辺には、高千穂神社や、高千穂峡、高千穂温泉などの観光名所がある。また、天岩戸地区には天岩戸神社や天岩戸温泉がある。

高千穂エリアの主な駅

高千穂 / たかちほ 駅
高千穂あまてらす鉄道 高千穂線

天岩戸 / あまのいわと 駅
高千穂あまてらす鉄道 高千穂線

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高千穂峡

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高千穂峡

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高千穂峡

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高千穂峡の食堂と売店

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高千穂に架かるアーチ橋

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高千穂神社

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高千穂神社

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高千穂神社の杉

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高千穂牛のレストラン

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高千穂がまだせ市場

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高千穂あまてらす鉄道・高千穂駅

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高千穂駅に残る高千穂鉄道時代の券売機

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高千穂あまてらす鉄道・高千穂駅

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高千穂鉄道の車両が眠る高千穂駅の車庫

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観光用スーパーカートが走る高千穂あまてらす鉄道

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高千穂あまてらす鉄道

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トンネルを抜ける高千穂あまてらす鉄道のスーパーカート

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トンネルをライトアップしながら走る高千穂あまてらす鉄道

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高千穂あまてらす鉄道・天岩戸駅

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高千穂線のハイライト、高千穂橋梁

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棚田が美しい高千穂

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高千穂橋梁から眺める絶景

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高さ105mの高千穂橋梁

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高千穂線の未成線に保存されている車両

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未成線に保存されている車両

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