長崎・思案橋 花街へ行くか戻るか思案橋、飲食店でにぎわう思案橋横丁

長崎・思案橋
ながさき・しあんばし

日本国長崎県長崎市

長崎・思案橋 花街へ行くか戻るか思案橋、飲食店でにぎわう思案橋横丁

 思案橋(しあんばし)は、長崎(ながさき)市の中心市街地にある地区で、路面電車の長崎電気軌道(長崎電鉄)本線・思案橋電停がある。

 思案橋駅には、正覚寺下(しょうがくじした)から思案橋を通って、西浜町(にしはまのまち)、長崎駅前、浦上駅前、赤迫(あかさこ)を結ぶ1系統と、浜町アーケード、めがね橋、蛍茶屋(ほたるぢゃや)を結ぶ4系統が走っている。

 思案橋駅の北側には「鍛冶市通り」の商店街があり、そこから西へ「浜んまち商店街」と呼ばれる浜町アーケードが伸びている。南側には、「思案橋横丁」という飲食店がズラリと集まる繁華街があり、長崎の中でも特ににぎわう場所となっている。長崎ぶたまん「桃太呂」が思案橋横丁にあるほか、カステラの「福砂屋」も思案橋駅の近くにある。「思案橋横丁」は銅座(どうざ)町のほうまで伸びている。

 思案橋は、現在は暗渠になっていて実際には橋は見えないが、この一帯のエリアを指す地名となっている。南側にはかつて江戸時代から「丸山遊廓」があり、日本三大遊廓の一つとも言われ、昭和31年(1956年)まで遊廓があった。そこへ行くか戻るか橋の上で思案したという話が「思案橋」の由来となった。

長崎・思案橋エリアの主な駅

思案橋 / しあんばし 電停
長崎電気軌道 本線(1系統4系統

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思案橋横丁

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思案橋横丁

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長崎電鉄・思案橋電停

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鍛冶市通り商店街

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「浜んまち商店街」のアーケード

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佐賀・武雄 武雄温泉とフリーゲージで迷走する長崎新幹線建設

武雄
たけお

日本国佐賀県武雄市

佐賀・武雄 武雄温泉とフリーゲージで迷走する長崎新幹線建設

 武雄(たけお)市は、佐賀(さが)県西部にある人口約5万人の市。北が伊万里(いまり)市、東が多久(たく)市、杵島(きしま)郡の大町(おおまち)町、白石(しろいし)町、南が嬉野(うれしの)市、西が西松浦(にしまつうら)郡の有田(ありた)町、長崎県東彼杵(ひがしそのぎ)郡の波佐見(はさみ)町と接している。

 武雄市は、昭和29年(1954年)に武雄町および周辺の6村が合併して武雄市が発足し、平成の大合併で、平成18年(2006年)に杵島郡の北方(きたがた)町、山内(やまうち)町が合併し、現在の市域となった。

 武雄市は、開湯1300年の歴史を持つ武雄温泉があり、温泉の町として発展した。JR九州・佐世保線が東西に通り、市内に北方(きたがた)、高橋(たかはし)、武雄温泉(たけお おんせん)、永尾(ながお)、三間坂(みまさか)の各駅がある。また、長崎自動車道の武雄北方IC(インターチェンジ)、武雄JCT(ジャンクション)があり、武雄JCTからは佐世保(させぼ)方面に西九州自動車道が分岐していて、西九州自動車道には武雄南ICがある。

 JR佐世保線の武雄温泉駅は、武雄市の中心駅で、博多~佐賀~佐世保を結ぶ特急「みどり」や博多~佐賀~ハウステンボスを結ぶ特急「ハウステンボス」も全列車が停車する。かつては寝台特急「さくら」も停車していた。平成20年(2008年)に高架化され、2面3線の立派な高架駅になった。

 武雄温泉駅は、現在はJR佐世保線だけの駅であるが、長崎新幹線(九州新幹線長崎ルート)が開業すると長崎新幹線の駅も併設されることになっている。

 九州新幹線は、鹿児島ルートと長崎(西九州)ルートが具体化したものの、財源問題から建設は紆余曲折を経て、最も時短効果の高い新八代(しんやつしろ)~鹿児島中央(かごしま ちゅうおう)が先行着工され、平成16年(2004年)に開業した。孤立した新幹線路線であったが、博多~新八代を結ぶ在来線特急電車と同一ホーム乗り換えのリレー方式により、従来の3時間50分から2時間10分まで短縮できたので、暫定開業としてはこの乗り換えの手間は、旅客にも受け入れられるものであった。なぜ鹿児島から開業したかというと、博多から建設した場合、おそらく熊本までの先行開業となるだろうが、熊本~鹿児島の膨大な建設費を考えると鹿児島までの延伸が長期先送りされる懸念があったからだ。そのため、より新幹線を切望している鹿児島からの働きかけが熱心で、鹿児島から着工したのだった。

 その狙いは、結果的には先見の明があるとされ、平成23年(2011年)に博多~新八代がつながり、無事に博多~鹿児島中央が全通し、同区間は約1時間20分で結ばれるようになった。さらに、九州新幹線は山陽新幹線にも直通運転し、新大阪~鹿児島中央が3時間42分で結ばれるようになった。このインパクトは大きく、熊本や鹿児島は新幹線効果で関西地方から多くの観光客が訪れるようになった。

 一方、潤う熊本や鹿児島に嫉妬のまなざしを向けているのがライバル都市である長崎で、陽が沈む長崎は新幹線を長崎にも伸ばすことにより、一発逆転を期待した。しかし、すでに九州新幹線の新鳥栖(しんとす)駅があり、時短効果もあまり期待できない佐賀県が反対しており、全線の着工には至っていない。

 JR長崎本線で高速化のネックになっていたのが、肥前山口駅から南に、経ヶ岳(きょうがだけ)の南東の海沿いを単線で諫早(いさはや)まで結ぶ区間だった。そこで、武雄温泉~諫早に経ヶ岳の北西からショートカットする新線を建設することにより、大幅なスピードアップを図る構想が具体化した。1990年代には新幹線規格で建設して在来線が直通できる狭軌(1067mm)の線路で運行する時速200キロ程度の「スーパー特急」方式が検討された。そして、平成13年(2001年)に武雄温泉~長崎を「スーパー特急」方式で整備する計画が決定された。そして、平成20年(2008年)に武雄温泉~諫早が着工された。

 その後、平成23年(2011年)に九州新幹線の博多~鹿児島中央が開業すると、博多~新鳥栖の新幹線区間を利用して、新幹線の標準軌(1435mm)と在来線の狭軌(1067mm)の両方を走行できるフリーゲージトレインの導入が検討された。これが実現できれば、武雄温泉~長崎は「スーパー特急」(狭軌、時速200キロ)ではなく「新幹線フル規格」(標準軌、時速270キロ)で整備しても、博多~新鳥栖(標準軌、270キロ)、新鳥栖~武雄温泉(狭軌、130キロ)、武雄温泉~長崎(標準軌、270キロ)が直通運転でき、新鳥栖~武雄温泉の新幹線建設を先送りできるメリットもあった。さらに、フリーゲージトレインなら佐世保方面にも直通運転が維持できるのもメリットで、新幹線建設に消極的な佐賀県にもメリットをもたらすものであった。佐賀県も武雄温泉に加え、新線ルート上の嬉野温泉にも駅を設けることで、武雄温泉~長崎の新幹線建設を容認した。

 高速運転に対応するフリーゲージトレインの技術が未確立の中、研究開発を並行しながらフリーゲージトレインの導入を目指すことになり、平成24年(2012年)に武雄温泉~長崎がフル規格に変更された。しかし、フリーゲージトレインは車軸が重くなり、最高時速270キロまでしか出せず、山陽新幹線を時速300キロで運行するJR西日本がフリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示した。そうなると、関西直通という新幹線建設最大のメリットが失われることになる。さらには、摩耗が発見され、安全性の克服も遅れ、2022年の開業予定に間に合わないことになった。しかもフリーゲージトレインの車両価格が高く、維持費もかかるため、採算がとれる見込みも減り、平成29年(2017年)にJR九州もフリーゲージトレインに反対の立場を明確にした。

 速度100キロ程度の在来線のフリーゲージトレインの実用化もされていないのに、いきなり新幹線のスピードでフリーゲージトレインを走らせようとしたことが、そもそも楽観的過ぎで見込みが甘く、経験の蓄積を軽視して技術力を過信したのではないか。

 結果的に、長崎新幹線は2022年にフル規格で武雄温泉~長崎が暫定開業することになった。武雄温泉駅で博多~武雄温泉の在来線特急から長崎新幹線に同一ホーム乗り換えとなるようだ。これは新八代~鹿児島中央の前例を踏襲したものであるが、博多~長崎の現状が約2時間であり、それが武雄温泉駅乗り換えで約1時間22分まで短縮されたとしても、乗り換えの手間が増える不便さが勝ち、少しばかりのスピードアップのために面倒で、運賃も上がるというデメリットが非常にネガティブ要素となっている。

 JR九州は、せっかく作った長崎新幹線の効果を最大化するために、武雄温泉~新鳥栖もフル規格化して、山陽新幹線と直通運転できるようにする方針に転換した。フル規格なら佐賀にも多少は関西直通のメリットがあるが、佐賀県内の膨大な建設費の負担に佐賀県は強く反対している。実現に向けては佐賀県区間について長崎県やJR九州、国などがどれだけ負担できるかにかかってくるだろう。フル規格の場合は、佐世保方面やハウステンボス方面に直通できず、武雄温泉駅乗り換えとなる。また並行在来線のJR九州からの経営切り離し問題など、課題が山積している。

 但し、いずれにせよ、武雄温泉駅については、博多~佐世保に加えて、今後は博多~長崎のメインルートになるので、通る特急電車が増え、武雄温泉の観光客増加などの経済効果が見込めそうだ。

武雄エリアの主な駅

武雄温泉 / たけおおんせん 駅
JR九州 佐世保線

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JR佐世保線・武雄温泉駅

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JR佐世保線から見た武雄市の市街地

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長崎・浜町 浜んまち商店街とベルナード観光通り

長崎・浜町
ながさき・はまんまち

日本国長崎県長崎市

長崎・浜町 浜んまち商店街とベルナード観光通り

 浜町(はまんまち / はまのまち)は、長崎(ながさき)市の中心部にある地区で、長崎県庁の東約300m、長崎駅から南東へ約1キロのところにある。

 浜町はかつては浜辺にあったが、江戸時代初期にはすでに埋め立てが進み、近くに海は見えない。現在は、中島川(なかしまがわ)の東に浜町の市街地が広がっている。県庁坂通りから中央橋を渡ると西浜町交差点で、そこから思案橋(しあんばし)、正覚寺下(しょうがくじした)方面に伸びる電車通りは長崎電鉄の路面電車との併用軌道となっている。「浜んまち商店街」と呼ばれる浜町アーケードは中央橋の北側の銕橋(くろがねばし)から東側に伸びている。

 西浜町交差点には、長崎電鉄の西浜町(にしはまのまち)電停があり、デルタ線で三方に分岐しており、築町通りの銅座町側とアーケード側の2つの乗り場があり、アーケード側の乗り場は「西浜町(アーケード前)」と注記されて区別されていたが、より明確化するために平成30年(2018年)に「浜町アーケード」電停に改称されることになった。正覚寺下~西浜町~長崎駅前~浦上駅前~赤迫を結ぶ1系統が銅座町側に停車、正覚寺下~浜町アーケード~蛍茶屋を結ぶ4系統が浜町アーケードに停車。石橋~西浜町~浜町アーケード~蛍茶屋を結ぶ5系統は両電停に停車している。

 西浜町の東側にある1系統と4系統が通る電車通りの観光通り(かんこうどおり)電停は、電停前から北へ「ベルナード観光通り」が伸びていて、東西に延びる「浜んまち商店街」との交差するあたりが浜町の中心部にあたる。近くには「浜屋百貨店」、複合商業施設「ハマクロス411」などの商業施設も集まっている。

 電車通りの南側は銅座町(どうざまち)で、観光通り電停も開業当初は「銅座町」電停だった。銅座町を南に数百メートル歩いていくと中華街がある。また、電車通りの南側から東へ、思案橋横丁が伸びていて、居酒屋などの飲食店がズラリと並ぶ繁華街となっている。

長崎・浜町エリアの主な駅

観光通り / かんこうどおり 電停
長崎電気軌道 本線(1系統4系統

西浜町 / にしはまのまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統5系統
浜町アーケード / はまのまちアーケード 電停
長崎電気軌道 蛍茶屋支線(4系統5系統

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長崎電鉄・観光通り電停

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浜んまち商店街(浜町アーケード)

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浜んまち商店街(浜町アーケード)

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ベルナード観光通り

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思案橋横丁

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長崎・諫早 諫早湾干拓事業と建設進む新幹線諫早駅

諫早
いさはや

日本国長崎県諫早市

長崎・諫早 諫早湾干拓事業と建設進む新幹線諫早駅

 諫早(いさはや)市は、長崎(ながさき)県中部にある人口約14万人の市。東が雲仙(うんぜん)市、西が長崎市と西彼杵(にしそのぎ)郡の長与(ながよ)町、北が大村(おおむら)市と佐賀県の藤津郡太良(たら)町と接している。

 諫早市は平成の大合併で、平成17年(2005年)に北高来(きたたかき)郡の高来(たかき)町、飯盛(いいもり)町、森山(もりやま)町、小長井(こながい)町および西彼杵郡多良見(たらみ)町と合併し、現在の市域となった。

 諫早市は、西に長崎半島、東に島原半島が伸び、南に天草灘(あまくさなだ)、北西に大村湾(おおむらわん)、東に有明海(ありあけかい)が広がっている。この複雑な地形のくびれ部分にあたる諫早は、古くから長崎街道と多良街道、島原街道との交通の結節点として発展してきた。

 諫早市には、JR九州の長崎本線と大村線、島原鉄道・島原鉄道線が通る。平成の大合併による市域拡大で、市内の駅が増え、JR長崎本線の小長井(こながい)、長里(ながさと)、湯江(ゆえ)、小江(おえ)、肥前長田(ひぜん ながた)、東諌早(ひがしいさはや)、諫早(いさはや)、西諫早(にしいさはや)、喜々津(ききつ)、市布(いちぬの)の各駅と、喜々津駅から長与町方面を経由する長崎本線旧線の東園(ひがしその)駅と大草(おおくさ)駅がある。JR大村線は諫早駅のみで、島原鉄道線は市内に諫早、本諫早(ほんいさはや)、幸(さいわい)、小野本町(おのほんまち)、干拓の里(かんたくのさと)、森山(もりやま)、釜ノ鼻(かまのはな)、諫早東高校前(いさはやひがしこうこうまえ)の各駅がある。

 諫早駅は、JR大村線の前身である九州鉄道・長崎線の駅として明治31年(1898年)に開業した。九州鉄道の長崎線は今のJR佐世保線・大村線を経由して長崎へと至る路線で、このルートが明治40年(1907年)に国有化されて、長崎本線となった。その後、諫早駅から東へ有明海沿いに国鉄有明線が建設され、昭和9年(1934年)に佐賀県の肥前山口(ひぜん やまぐち)駅までつながると、有明ルートが長崎本線となり、諫早~早岐は大村線とされた。

 長崎本線はもともと喜々津から大村湾の海沿いを走り、松ノ頭峠を越えて長与町の長与駅を経由して長崎へ抜けていたが、昭和47年(1972年)に喜々津から現川(うつつがわ)駅を経由して長崎トンネルでショートカットする新線が建設され、長崎本線の特急「かもめ」や大村線の快速「シーサイドライナー」は新線を経由し、有明ルートからの普通電車は主に新線を経由し、旧線は主に大村線から直通する普通列車が経由している。

 長崎から佐賀、博多(はかた)方面を結ぶ特急「かもめ」は、諫早駅から長崎本線の有明海沿いのルートを通り、肥前山口駅で佐世保線と合流して佐賀方面に向かっている。熊本(くまもと)や鹿児島(かごしま)は、九州新幹線開業の時短効果と、山陽新幹線直通運転による関西との直結により、観光客が大幅に増加し、経済効果も大きかった。一方、新幹線のルートから外れている長崎を代表する西九州は、長崎まで新幹線を建設することが悲願であり、そのようにして初めて長崎が熊本や鹿児島と対等の地位を維持できるという民意がある。そこで、九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設が検討され、九州新幹線鹿児島ルートが全線開業した翌年の平成24年(2012年)に長崎~諫早~武雄温泉(たけお おんせん)がフル規格で先行着工された。武雄温泉は佐賀県にある佐世保線の駅であり、大村~武雄温泉をショートカットする形で現行の長崎本線より距離が短くなるが、問題は武雄温泉~新鳥栖の区間をどうするかであり、これは博多まで近すぎて時短効果が見込めない佐賀県がフル規格の建設を渋ったことによるもので、長崎県と佐賀県の温度差の表れでもあった。

 それを解決する方法として浮上したのが、新幹線の標準軌(1435mm)と在来線の狭軌(1067mm)を両方走行できるフリーゲージトレインの開発であり、武雄温泉~新鳥栖は在来線をフリーゲージトレインの新幹線が通過することで佐賀県の負担を減らすとともに、特急「みどり」が走る佐世保方面も直通できるメリットがあった。しかし、フリーゲージトレインは車軸が重くなるため、スピードに限界があり、JR西日本はフリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れに難色を示した。また、高速走行の耐久試験でもフリーゲージトレインは克服すべき課題が残されており、2022年の暫定開業に間に合わないことになった。2022年には、長崎新幹線の長崎~武雄温泉が先行開業するが、暫定的に武雄温泉駅で在来線特急と乗り換えるリレー方式となるため、下手すれば今より不便に感じることになりかねない。JR九州はフリーゲージトレインを断念し、フル規格での整備に傾いているようだ。フル規格なら、山陽新幹線への直通運転が可能であり、佐賀県にもメリットがあるからだ。このように、長崎新幹線の未来が見えぬまま、諫早駅では新幹線ホーム建設のための駅改造工事が進められている。

 島原鉄道(島鉄)は、諫早駅から島原半島の東側を走る路線で、終点の島原外港(しまばらがいこう)からはフェリーで熊本港へ行くことができる。平成3年(1991年)の雲仙普賢岳(うんぜん ふげんだけ)の噴火による火砕流で島原市内の区間で被害を受け、その後復旧を果たしたが、平成20年(2008年)に島原外港駅以南の島原外港~加津佐が廃止された。島鉄の本諫早駅は、諫早市の中心市街地が広がり、諫早市役所の最寄り駅でもある。

 山がちで、入り江の多い長崎県は農業用地が少なく、戦後の食糧難解決と塩害防止のために諫早湾の干拓事業が構想された。それが発案されたのは、戦後まもない昭和27年(1952年)のことであったが、その後日本は高度成長を遂げ、食糧品は輸入でまかなえるようになり、食糧増産はすでに緊急の課題ではなくなっていたが、壮大な干拓構想が着工に至ったときは、すでに平成元年(1989年)のことであり、平成9年(1997年)に「潮受け堤防」が完成し、水門が閉じられた。それまでの諫早湾は干潟が広がり、ムツゴロウが生息することで知られていたが、水門で締め切られることにより、生態系が破壊され、干潟を死滅させる「ギロチン」として批判された。

 水門を閉めることにより、広大な干拓地が農地となり、水門より西側は淡水化され、農業用水や洪水防止の調整池として活用されることになる計画だったが、その代償として干潟の自然浄化作用が失われた結果、調整池の水質汚濁と、有明湾の漁業被害や養殖海苔被害に直面した。生態系の回復を求めて開門を求める裁判となり、開門の是非で揺れたが、「無駄な公共事業」をやめようにも、一度破壊された生態系が開門で回復するわけがなく、作ってしまったが最後である。諫早湾干拓事業と長崎新幹線に対する長崎県の熱意と、冷ややかな佐賀県の対照的反応が、なぜ同じ「肥前国」(ひぜんのくに)だったのに長崎県と佐賀県に分かれているかの分かりやすい説明ともいえそうだ。

諫早エリアの主な駅

諫早 / いさはや 駅
JR九州 長崎本線、大村線
島原鉄道 島原鉄道線

本諫早 / ほんいさはや 駅
島原鉄道 島原鉄道線

喜々津 / ききつ 駅
JR九州 長崎本線(新線、旧線)

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JR九州の長崎本線と大村線が連絡する諫早駅

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島原鉄道・諫早駅

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長崎新幹線のための準備工事が始まった諫早駅

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諫早市の風景

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諫早湾干拓事業の水門
 
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佐賀・江北 長崎本線と佐世保線が分岐する肥前山口駅

江北
こうほく

日本国佐賀県杵島郡江北町

佐賀・江北 長崎本線と佐世保線が分岐する肥前山口駅

 江北(こうほく)町は、佐賀(さが)県中部の杵島(きしま)郡にある人口0.9万人の町。東が小城(おぎ)市、北が多久(たく)市、西が杵島郡の大町(おおまち)町、南が杵島郡白石(しろいし)町と接している。

 江北町は、昭和7年(1932年)に小田村、山口村、佐留志村が合併して江北村となり、昭和27年(1952年)に江北町に昇格した。平成の大合併では、杵島郡の各町との合併の構想があったが、役所の場所をめぐる主導権争いなどで実現しなかった。

 江北町は六角川の北にあり、周辺はのどかな水田風景が広がっている。江北町には、JR九州・長崎本線が通り、肥前山口(ひぜん やまぐち)駅からJR九州・佐世保線が分岐しており、古くから交通の要衝となっていた。肥前山口駅から県庁所在地の佐賀駅までは、特急でわずか10分、普通でも15分と非常に便利だ。肥前山口駅が特急停車駅であることから、「江北」よりも「肥前山口」のほうが全国的な知名度は高いといえる。

 肥前山口駅は、福岡・佐賀方面からの電車が長崎方面と佐世保方面に分かれることから、以前は特急列車の分割・併合が行われてきた。かつては東京~長崎・佐世保を結ぶ寝台特急「さくら」、大阪~長崎・佐世保を結ぶ寝台特急「あかつき」が肥前山口駅で分割・併合を行っていた。また、福岡~佐世保の特急「みどり」と福岡~長崎の特急「つばめ」も以前は肥前山口駅で分割・併合を行っていたが、現在は別々の運行となった。

 肥前山口駅は明治28年(1895年)に九州鉄道の駅として開設された。長崎本線は、かつては佐世保線のほうが本線で、早岐(はいき)から大村線を経由する路線がメインルートだった。昭和5年(1930年)に国鉄有明線の肥前山口~肥前竜王(ひぜん りゅうおう)が開業し、昭和9年(1934年)に諫早までつながると、海側ルートの有明線のほうが長崎本線となり、山側ルートの旧・長崎本線は佐世保線に改称された。

 九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設が佐世保線の武雄温泉(たけおおんせん)から長崎まで先行着工され、平成34年(2022年)に暫定開業を予定している。当初の計画では、佐賀県内は在来線上を軌間可変車両(フリーゲージトレイン)の新幹線が通ることになっていたが、車軸の重量増加や高速運転の耐久性についても克服すべき点が多く、2022年の暫定開業時には間に合わず、武雄温泉駅でのリレー方式となるようだが、将来的には佐賀県内でもフル規格の新幹線建設を求める声が高まりそうだ。その場合、肥前山口駅に新幹線の駅が開設されるのか、長崎本線の在来線の運行はどうなるのかなど、今後の動向が気になるところだ。

江北エリアの主な駅

肥前山口 / ひぜんやまぐち 駅
JR九州 長崎本線、佐世保線

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江北町の肥前山口駅

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江北町の肥前山口駅

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長崎・新地中華街 ちゃんぽんと皿うどんと中華街

長崎・新地中華街
ながさき・しんちちゅうかがい

日本国長崎県長崎市

長崎・新地中華街 ちゃんぽんと皿うどんと中華街

 新地中華街(しんち ちゅうかがい)は、長崎(ながさき)市の新地(しんち)町にあるチャイナタウンで、横浜中華街、神戸南京町と並ぶ日本三大中華街の一つで、中国の特色が感じられる街となっている。

 新地中華街は、長崎電気軌道・本線(1系統)、大浦支線(5系統)の築町(つきまち)電停の南東側に広がっている。築町電停からは、南側で出島(でじま)、長崎駅前方面へ向かう本線(1系統)と、大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)、石橋(いしばし)方面へ向かう大浦支線(5系統)が分かれている。また、1系統は、西浜町(にしはまのまち)から思案橋(しあんばし)、正覚寺下(しょうかくじした)方面を、5系統は西浜町から諏訪神社前(すわじんじゃまえ)、蛍茶屋(ほたるぢゃや)方面を結んでいる。「築町」電停は、新地中華街の最寄り駅であることをわかりやすくするため、平成30年(2018年)夏に「新地中華街」電停に改称される。

 出島の東側にある築町電停は銅座(どうざ)町にあり、周辺は夜ににぎわう繁華街が広がっている。新地中華街は、銅座町から橋を渡った南側にある。

 長崎は、鎖国が行われていた江戸時代において、貿易特区として認められ、清国人は主に福建省出身者が多く長崎に住むようになった。江戸幕府は当初、丘陵地に唐人屋敷(とうじんやしき)を設け、清国人の居住区としたが、港の清国船の荷蔵が火事になったのをきっかけに、唐人屋敷の近くの海岸を埋め立てて清国船専用の倉庫用地とした埋立地が「新地」と呼ばれるようになった。江戸時代末期に開国すると、清国人は唐人屋敷の外に住むようになった。さらに、1870年の大火事の後、新地に集まって住むようになり、中華街が形成された。

 新地中華街には中国福建省の福州(フッチウ/フゥーツォウ)出身者が多く、関係も深く、長崎市と姉妹都市を締結している。その福州市の協力により、中華街の石畳や中華門が整備された。また、新地中華街では毎年の春節(旧正月)にランタンフェスティバルが行われ、イルミネーションが美しい。一方、普段の夜は、横浜や神戸の中華街と異なり、夜は比較的静かで人通りも少ない。

 現在、中華街には中華料理屋が並んでおり、長崎の中華街で特徴的なのは、福州料理をベースにした「ちゃんぽん」や「皿うどん」のお店が並んでいることだ。もやしやキャベツなどの野菜、豚肉、かまぼこなどを炒めたスープ麺の「ちゃんぽん」と、揚げた細麺にあんかけの具をのせた「皿うどん」は、今や長崎郷土料理として全国的に有名になり、長崎観光の定番になっている。九州の最西端にある長崎県は、鄭成功の母の田川マツが長崎県平戸市出身であるなど、中国・福建との縁が深く、中国は長崎市に駐長崎総領事館を置いていることからも、中国が長崎との関係を重視していることがわかる。中国駐長崎総領事館は、新地中華街とは北に4キロほど離れており、浦上(うらがみ)の平和公園の近くにある。

長崎・新地中華街エリアの主な駅

築町(新地中華街) / つきまち(しんちちゅうかがい) 駅
長崎電気軌道 本線(1系統5系統)、大浦支線(5系統

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長崎電気軌道・築町駅

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築町駅前

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長崎新地中華街

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長崎新地中華街

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湊公園

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夜の新地中華街

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夜の新地中華街

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長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

佐世保
させぼ

日本国長崎県佐世保市

長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

 佐世保(させぼ)市は、長崎(ながさき)県北部にある人口約25万人の市。北が松浦(まつうら)市、西が平戸(ひらど)市と北松浦(きたまつうら)郡の佐々(さざ)町、南が西海(さいかい)市と東彼杵(ひがしそのぎ)郡の川棚(かわたな)町、東が東彼杵郡波佐見(はさみ)町、佐賀県西松浦郡の有田(ありた)町、佐賀県伊万里(いまり)市と接している。

 佐世保市は、長崎市に次ぐ県内第2の都市で、佐賀県県庁所在地の佐賀市より人口が多く、九州の中では第9の人口規模を誇る主要都市である。三方を山に囲まれた天然の良港があり、古くから海防の拠点として発展してきた。戦前は海軍の4大軍港(横須賀、呉、舞鶴、佐世保)の一つとして鎮守府が置かれ、海軍の軍港都市だった。戦時中は昭和20年(1945年)3月に米軍から佐世保大空襲を受け、市街地の多くが焼失した。戦後は、軍需産業は造船業に移行した一方で、自衛隊と在日米海軍の基地が置かれ、国防の重要な拠点都市であることに変わりはない。

 軍の重要都市であったことから、明治35年(1902年)とかなり早い時期に市制を施行し、佐世保市が発足した。昭和17年(1942年)に東彼杵郡の早岐(はいき)町と北松浦郡の一部を編入。昭和30年代までに北松浦郡と東彼杵郡の一部を編入して市域を拡大した。平成の大合併では、平成17年(2005年)に北松浦郡の吉井(よしい)町、世知原(せちばる)町を編入、平成18年(2006年)に北松浦郡の小佐々(こざさ)町、宇久(うく)町を編入、平成22年(2010年)に北松浦郡の江迎(えむかえ)町、鹿町(しかまち)町を編入し、現在の市域となった。

 佐世保市にはJR九州の佐世保線と大村線、松浦鉄道・西九州線が通り、JR佐世保線の佐世保、日宇(ひう)、大塔(だいとう)、早岐(はいき)、三河内(みかわち)の各駅、JR大村線の早岐、ハウステンボス、南風崎(はえのさき)の各駅、松浦鉄道西九州線の佐世保、佐世保中央(させぼちゅうおう)、中佐世保(なかさせぼ)、北佐世保(きたさせぼ)、山の田(やまのた)、泉福寺(せんぷくじ)、左石(ひだりいし)、野中(のなか)、皆瀬(かいぜ)、中里(なかざと)、本山(もとやま)、上相浦(かみあいのうら)、大学(だいがく)、相浦(あいのうら)、棚方(たながた)、真申(まさる)の各駅と佐々町を挟んで吉井(よしい)、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)、いのつき、高岩(たかいわ)、江迎鹿町(えむかえしかまち)、すえたちばな、の各駅がある。

 JR佐世保線は、佐賀県の肥前山口(ひぜんやまぐち)駅から早岐駅を経由して佐世保駅へと至る路線であるが、もともと肥前山口~早岐は九州鉄道により長崎へ至る鉄道の一部として建設されたもので、早岐から大村線を経由して長崎へ向かうのがかつての長崎本線のメインルートで、早岐~佐世保が支線の佐世保線であった。しかし、昭和9年(1934年)に国鉄長崎本線のメインルートが肥前山口から有明線経由で諫早(いさはや)、長崎へと向かうルートに変更されたことから、メインルートから外れた肥前山口~早岐も佐世保線の一部となった。このような経緯から、早岐駅でスイッチバックする構造となっている。佐世保線には福岡(ふくおか)市の博多(はかた)駅から特急「みどり」と特急「ハウステンボス」が走り、特急「みどり」が早岐駅でスイッチバックして佐世保駅を結び、特急「ハウステンボス」は早岐駅からそのまま大村線に入ってハウステンボス駅を結んでいる。

 JR大村線は、早岐~大村(おおむら)~諫早(いさはや)をつなぐ路線で、かつては国鉄長崎本線のメインルート、現在は佐世保~長崎を結ぶルートとして重要な役割を果たしており、快速「シーサイドライナー」が佐世保~早岐~諫早~長崎を結んでいる。ハウステンボス駅はオランダをイメージしたテーマパーク「ハウステンボス」の最寄り駅で、風車や水路、庭園が美しく、日本にいながら優雅なヨーロッパのリゾート気分が楽しめる観光スポットとなっている。「ハウステンボス」は平成4年(1992年)に西海市にあった「長崎オランダ村」を移転する形で開園した。ハウステンボス駅は開園した年に開業し博多から特急「ハウステンボス」が運行されるようになった。

 佐世保~伊万里~有田を結ぶ松浦鉄道・西九州線は、伊万里~有田が伊万里鉄道伊万里線、佐世保~伊万里が佐世保鉄道・松浦線として建設され、国有化後に国鉄松浦線となった。北松浦半島の海沿いの町を結ぶローカル路線で、国鉄民営化直後の昭和63年(1988年)に第3セクターの松浦鉄道に移管され、松浦鉄道・西九州線となった。

 佐世保駅はJR九州・佐世保線と松浦鉄道・西九州線のターミナル駅で、JRの最西端の駅。平成13年(2001年)に高架化された。同駅からは博多方面を結ぶ特急「みどり」と長崎方面を結ぶ快速「シーサイドライナー」が発着している。また、かつては東京から寝台特急「さくら」、大阪から寝台特急「あかつき」などが運行されていたが、寝台特急「さくら」は平成11年(1999年)に佐世保乗り入れが廃止され、寝台特急「あかつき」は平成12年(2000年)に佐世保乗り入れが廃止された。

 東京方面はスピード面では飛行機にかなわないので、寝台特急乗り入れ廃止は時代の流れともいえるが、関西方面へは山陽新幹線と結ぶことで直通運転が模索され、長崎県内ではフル規格の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設(長崎~武雄温泉)が進められている。この長崎新幹線建設は、長崎市にはメリットが大きいが、佐世保は素通りになる懸念があった。そこで、新幹線の標準軌(1435ミリ)と在来線の狭軌(1067ミリ)を直通運転できるフリーゲージトレインの開発が進められ、それにより佐世保にもフリーゲージトレインが乗り入れるはずだった。しかし、車軸が重い高速フリーゲージトレインの開発は難航し、山陽新幹線を運行するJR西日本が速度の遅いフリーゲージトレインの乗り入れに難色を示し、関西直通が否定されたフリーゲージトレイン新幹線構想が宙に浮き、長崎新幹線はフル規格に見直しすることになりそうだ。その場合、佐世保に新幹線が乗り入れることはできなくなり、従来通り博多~佐世保の在来線特急の運転を継続するか、武雄温泉駅からのシャトル列車に乗り換えという形になりそうだが、いずれも現状よりあまり便利にはならなさそうなので、佐世保を縁辺化させない方策を考える必要がある。

 佐世保駅の「みなと口」(西口)は、佐世保港が広がり、西海市の大島(おおしま)や、新上五島(しんかみごとう)町の離島へのフェリーなどが発着している。佐世保港フェリーターミナルに隣接して「させぼ五番街」などの商業施設がある。駅東口には商業施設「えきマチ1丁目佐世保」があり、その北に四ヶ町(よんかちょう)商店街と三ヶ町(さんかちょう)商店街をつなぐ大規模なアーケード商店街「さるくシティ4○3」が松浦鉄道西九州線・佐世保中央駅のほうまでつながっており、佐世保市の商業の中心となっている。

 佐世保駅の北西には「SSK」で知られる佐世保重工業の造船工場があり、佐世保市の産業を支えているほか、海上自衛隊佐世保地方総監部、陸上自衛隊相浦駐屯地、在日米海軍佐世保基地、在日米軍弾薬補給所などの軍事施設が集まり、在日米軍基地には原子力空母や原子力潜水艦、強襲揚陸艦などの軍艦等が配備され、いまも軍港として機能している。

 佐世保のご当地グルメ「佐世保バーガー」は、在日米軍の軍人向けのハンバーガーが広まり、市内に手作りの大きなハンバーガーのお店ができるようになり、それが「佐世保バーガー」として知られるようになり、佐世保を代表するご当地グルメとなった。
 
佐世保エリアの主な駅

佐世保 / させぼ 駅
JR九州 佐世保線
松浦鉄道 西九州線

早岐 / はいき 駅
JR九州 佐世保線、大村線

ハウステンボス
JR九州 大村線 

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佐世保駅から長崎を結ぶ快速「シーサイドライナー」

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佐世保駅から博多を結ぶ特急「みどり」

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佐世保駅松浦鉄道西九州線ホーム

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佐世保駅

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佐世保駅みなと口の「させぼ五番街」

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佐世保港

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佐世保駅東口

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佐世保駅東口の「えきマチ1丁目佐世保」

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佐世保線と大村線の早岐駅

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ハウステンボス

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佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

小城
おぎ

日本国佐賀県小城市

佐賀・小城 嘉瀬川の西に広がる水田と小城羊羹

 小城(おぎ)市は、佐賀(さが)県の中央部にある人口約4万人の市。北と東が佐賀市、西が多(たく)市と杵島(きしま)郡の江北(こうほく)町、南が杵島郡白石(しろいし)町と接している。

 小城市は、佐賀市の西にあり、平成の台合併により平成14年(2002年)に小城(おぎ)町、三日月(みかつき)町、牛津(うしづ)町、芦刈(あしかり)町が合併して小城市となった。小城市は、小城羊羹(ようかん)などの和菓子の町として知られている。

 小城市にはJR九州・長崎本線の牛津駅と、唐津線の小城駅がある。また、長崎本線と唐津線が分岐する久保田(くぼた)駅は、佐賀市と小城市の境にあり、駅の南が佐賀市、駅の北が小城市である。

 小城市の中心駅はJR唐津線の小城駅で、同駅からは佐賀方面と唐津(からつ)方面を結ぶディーゼルカーが運行されている。小城駅は明治36年(1903念)に九州鉄道として開業した唐津線の古い木造駅舎が国の文化財に認定された。

 小城駅の北西にある岡山神社および小城公園は、肥前国小城藩の鍋島氏によって築かれた城があり、古くから桜の名所として知られ、「桜岡」と呼ばれた。小城の中心市街地は、小城駅から約1キロ北に行った唐津街道の周辺に広がっている。そこからさらに1キロほど北へ行った祇園川のところに小城温泉がある。長崎自動車道はさらに北の山間部を通り、小城市内にIC(インターチェンジ)はないが、小城PA(パーキングエリアがある。

 佐賀市側にある久保田駅は、長崎本線と唐津線の分岐駅である。特急電車は通過する。長崎本線の牛津駅は、旧・牛津町の玄関駅で、小城市の玄関駅の一つでもある。周辺は佐賀らしい広い水田と広い空が広がっている。駅の西側に牛津川が流れている。

小城エリアの主な駅

小城 / おぎ 駅
JR九州 唐津線

牛津 / うしづ 駅
JR九州 長崎本線

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小城市の田園風景

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長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

長崎・出島
ながさき・でじま

日本国長崎県長崎市

長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

 出島(でじま)は、長崎(ながさき)市にある地区で、江戸時代に造成された人工島。JR九州・長崎本線の長崎駅から約1.5キロ南にあり、長崎電気軌道本線の出島電停が最寄り駅。

 出島は、江戸時代の江戸幕府が、海外との交易拠点として、1634年(寛永11年)から2年かけて建設された。当時の日本は、欧州からポルトガル人がやって来て、キリスト教の布教の広がりに幕府は頭を悩ませていた。そこで、ポルトガルとの窓口を出島に限定することで、ポルトガルとの交易を維持しつつ、キリスト教の浸透を防ごうとした。

 1638年(寛永15年)には、江戸幕府がキリシタンの反抗となった「島原の乱」を鎮圧し、日本は鎖国を強化。この頃、オランダが日本に接近し、ポルトガルを排除してオランダとの交易を強化するよう求めた。以後、出島は約200年にわたりオランダ人が出入りする場所となり、日本にとっては欧州との窓として機能した。また、出島からオランダ人を通じて、西洋医学などが日本に伝えられた。

 江戸時代末期のペリー来航で開国されることになった日本は、1855年(安政2年)にオランダ人の長崎市内への出入りを許可し、特区としての出島の存在意義は薄れていった。その後、明治時代に出島の周辺が埋め立てられ、かつての出島の範囲が曖昧になったが、1990年代より出島の復元事業が始まり、当時のオランダ船の船長が使用した「一番船船頭部屋」や、輸入品の砂糖などを貯蔵した「一番蔵」、商館長宅の「カピタン(Capitão)部屋」などが復元され、観光スポットに生まれ変わった。

 このほか、出島から川を挟んで北には長崎県庁があり、玉江橋の西にはショッピング施設「ゆめタウン夢彩都」と長崎港フェリーターミナルがある。

長崎・出島エリアの主な駅

出島 / でじま 電停
長崎電気軌道 本線(1系統) 

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長崎電鉄本線・出島駅

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

長崎・浦上
ながさき・うらかみ

日本国長崎県長崎市

長崎・浦上 長崎原爆と平和公園と浦上天主堂、みらい長崎ココウォーク

 浦上(うらかみ)は、長崎(ながさき)市にある地区で、JR九州・長崎本線の長崎駅から約1キロ北にあり、JR長崎本線の浦上駅を中心に市街地が広がっている。

 JR長崎本線の東側に長崎電気軌道が並行するように南北に走っており、浦上のあたりには、銭座町(ぜんざまち)、茂里町(もりまち)、浦上駅前(うらかみえきまえ)、大学病院前(だいがくびょういんまえ)、浜口町(はまぐちまち)、松山町(まつやままち)などの電停があり、1号~3号系統の電車が運行されている。

 JR浦上駅は、長崎~佐賀(さが)~博多(はかた)を結ぶ特急「かもめ」や、JR大村線を経由して佐世保(させぼ)を結ぶ快速「シーサイドライナー」も停車し、長崎駅を補完する長崎の主要駅の一つとなっている。

 浦上駅は明治30年(1897年)にJR長崎本線の前身である九州鉄道・長崎線の終着駅である長崎駅として開業した。長崎港湾の埋立工事が完成すると明治38年(1905年)に現在の長崎駅まで延伸され、初代の長崎駅が浦上駅に改称された。日露戦争を経て九州鉄道は明治40年(1907年)に国有化された。長崎電気軌道(長崎電鉄)本線は大正4年(1915年)に病院下(現・大学病院前の付近)~築島が開業し、昭和8年(1933年)までに松山町の北の大橋まで開業した。

 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月9日、アメリカ軍は長崎市(浦上駅北方、松山町付近)にプルトニウム式の原子爆弾を投下し、広島に続く2番目の被爆都市となった。これにより、長崎市の市街地が一瞬にして壊滅し、当時の長崎市の人口約24万人のうち、約7.4万人が死亡し、その後も多くの被爆後遺症による関連死者数は増え続けた。広島は河口近くの平地が広がっていたのに対し、長崎は三方が山に囲まれているため、爆発で壊滅した範囲は広島より狭くなり、旧市街地の南側の一部は破壊を免れた地区もあったが、広島と同様に爆心地周辺の市街地は完全に壊滅し、人道に反する無差別大量殺人であった。

 長崎原爆の爆心地は、長崎電鉄本線の松山町電停の南東側にある原爆公園。ここには、「原爆落下中心碑」があり、浦上天主堂の遺構の一部が移設されてモニュメントとして展示されている。松山町には約300世帯1800人余りが生活していたが、アメリカによる原爆投下により一瞬にして灼熱の地獄となり、ほぼ全員が焼け死んだ。当時の原爆の熱で溶けたガラスや瓦、茶碗などが埋まった当時の地層が、保存されている。

 原爆公園の北側にある平和公園は、小高い丘になっている。ここには、赤レンガ造りの長崎刑務所浦上刑務支所の監獄があったが、長崎原爆の爆心地からわずか100m余りの距離だったため、刑務所内にいた受刑者や被告人、職員らが全員死亡した。この建物の基礎部分が広場に保存されている。長崎原爆投下からすでに70年以上が経過し、この基礎の陰に隠れてハトを狙うネコを見るとほほえましい光景であるが、この建物が原爆でふっ飛ばされた事実はイメージしておきたい。

 その先にある平和祈念像は、長崎県出身の彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう)が制作した像で、昭和30年(1955年)に完成し、長崎原爆の鎮魂と平和の願いを込めた象徴となっている。

 平和公園から東へ約500mのところにある浦上天主堂(カトリック浦上教会)は、大正3年(1914年)に竣工した赤レンガの美しい聖堂が長崎原爆で倒壊し、天主堂の中にいた司祭や信徒が全員死亡した。戦後、浦上教会は昭和34年(1959年)に旧天主堂の建物を模して再建された。昭和55年(1980年)の改修工事では、戦前の赤レンガ造りの外観がより再現され、翌昭和56年(1981年)には訪日したバチカンのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れ、ミサを捧げた。

 平和公園の南東の丘の上にある長崎原爆資料館は、前身の長崎国際文化会館原爆資料センターの建物が老朽化し、展示スペースも手狭であったことから、平成8年(1996年)に移設の上、新たに開館したものである。長崎原爆による長崎市の被害の実態や、当時の写真や映像、投下されたプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」の実物大模型、鳥居の柱が一本だけ残った山王神社の紹介、崩れた浦上天主堂を再現した展示などがあり、また戦後に米国、ソ連、中国などで行われた核実験に抗議し、核兵器のない世界を目指すメッセージも発信している。長崎原爆資料館に隣接して国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館も隣接しており、原爆犠牲者の追悼の場所となっている。長崎原爆資料館へは長崎電鉄本線の浜口町電停が近い。

 長崎の観光客および歴史関連施設見学者の利便性を図るため、長崎電鉄は平成30年(2018年)夏に「松山町」電停→「平和公園」電停、「浜口町」電停→「原爆資料館」電停に改称することになった。

 浦上駅は長崎原爆の際に全壊し、駅員も死亡。壊滅的な状況となるが、長崎本線に救援列車が運行され、被爆者の救助を行った。周辺は原爆によるガレキの山だったが、速やかに仮復旧し、長崎の救援と復興に鉄道が最大限活用された。

 現在、浦上駅周辺には、長崎原爆病院、長崎新聞本社、長崎ブリックホールなどの施設があるほか、長崎バス茂里町営業所を再開発した商業施設「みらい長崎ココウォーク」が平成20年(2008年)にオープンした。「みらい長崎ココウォーク」は、1階がバスセンター、2階より上が商業施設や映画館、飲食店街となっており、観覧車もある。浦上地区の新しいシンボルとなっている。5階は「長崎ぶらぶら街道」というコンセプトの下、長崎の象徴的な街並みを再現しており、観光客も楽しめるスポットである。

長崎・浦上エリアの主な駅

浦上 / うらかみ 駅
JR九州 長崎本線(新線、長与支線)
浦上駅前 / うらかみえきまえ 電停
長崎電気軌道 本線(1系統、3系統)

松山町(平和公園) / まつやままち(へいわこうえん) 電停
長崎電気軌道 本線(1系統3系統

浜口町(原爆資料館) / はまぐちまち(げんばくしりょうかん) 電停
長崎電気軌道 本線(1系統3系統

茂里町 / もりまち 電停
長崎電気軌道 本線(1系統3系統

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長崎電鉄本線・松山町電停

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長崎原爆公園の記念碑

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長崎原爆落下中心地

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長崎平和公園

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長崎平和公園

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被爆した長崎刑務所浦上刑務支所の基礎

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長崎平和祈念像

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長崎原爆資料館

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長崎原爆資料館に再現された浦上天主堂

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長崎電鉄・浜口町電停

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JR浦上駅前

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茂里町のみらい長崎ココウォーク

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