東京・中野富士見町 地下鉄丸ノ内線の車両基地がある駅

東京・中野富士見町
とうきょう・なかのふじみちょう

日本国東京都中野区

東京・中野富士見町 地下鉄丸ノ内線の車両基地がある駅

 中野富士見町(なかのふじみちょう)は、東京(とうきょう)都の中野(なかの)区にある地区で、東京メトロ丸ノ内線(方南町支線)の中野富士見町駅がある。

 営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線は昭和29年(1954年)に池袋(いけぶくろ)~御茶ノ水(おちゃのみず)が開業し、徐々に延伸区間が開業して昭和34年(1959年)に池袋~新宿(しんじゅく)が全通した。その後、さらに新宿から西へ新宿~中野坂上(なかのさかうえ)~荻窪に営団荻窪線が建設され、さらに荻窪線支線(方南町支線)として中野坂上~中野富士見町~方南町(ほうなんちょう)が建設された。そして、昭和36年(1961年)に新宿~中野坂上~南阿佐ヶ谷(みなみあさがや)と中野坂上~中野富士見町が開業。その翌年に新宿~荻窪と中野坂上~方南町が全通し、昭和47年(1972年)に荻窪線は丸ノ内線に線名が統一された。

 東京の都心を走る地下鉄は、車両基地の用地を確保することが難しく、郊外への延伸を見越して、郊外に車両基地の用地を確保しておく必要があった。中野富士見町の中野検車区および車両基地は、営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線の建設とその延伸を見越して、昭和19年(1944年)に用地を確保していたもので、実際に車両基地や検車区の使用を開始したのは中野富士見町駅まで開通した昭和36年(1961年)のことである。この先見の明は見事である。

 中野坂上~方南町の丸ノ内線方南町支線は、中野検車区のためにおまけで建設されたともいえ、中野坂上駅から本線と分かれて南下し、本線から約1キロ南に中野新橋(なかのしんばし)駅と中野富士見町駅が開設され、その先、杉並区に入ったところの環七通りとの交差点のところの方南町駅まで建設された。この方南町支線は新宿と直線距離は近いが鉄道交通が不便だった空白地帯をカバーしており、日中は方南町~中野坂上の折り返し運転であるが、朝夕ラッシュ時には出入庫を兼ねて、中野富士見町から新宿方面へ直通運転する電車が設定されており、便利である。

 中野車両基地は、中野富士見町駅の先から地上に出て、神田川の南側に広がっている。丸ノ内線の車両のほか、同じ軌間1435mmで第三軌条方式の銀座線の車両も検査を行っている。中野富士見町の近くを南北に通る中野通りは、中野区の南北を結ぶバスが頻繁に走っており、笹塚(ささづか)方面から中野富士見町駅、新中野(しんなかの)駅の近くを通ってJR中野駅まで結んでいる。

東京・中野富士見町エリアの主な駅

中野富士見町 / なかのふじみちょう 駅
東京メトロ 丸ノ内線(方南町支線)

nakanohujimicho1.jpg
中野富士見町駅前の風景

nakanohujimicho2.jpg
地下から地上の中野車両基地につながる線路

nakanohujimicho3.jpg
東京メトロ中野車両基地

nakanohujimicho4.jpg
東京メトロ中野車両基地

nakanohujimicho5.jpg
東京メトロ中野車両基地

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・荻窪 闇市から発展した荻窪ラーメンとクラシックのまち

東京・荻窪
とうきょう・おぎくぼ

日本国東京都杉並区

東京・荻窪 闇市から発展した荻窪ラーメンとクラシックのまち

 荻窪(おぎくぼ)は、東京(とうきょう)都の杉並(すぎなみ)区にある地区で、JR東日本・中央本線(快速線・緩行線)と東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅がある。

 荻窪駅は、明治24年(1891年)に甲武鉄道の駅として開業した。甲武鉄道は明治39年(1906年)に国有化され、国鉄中央本線の一部となった。昭和41年(1966年)に荻窪~中野(なかの)の複々線化工事が完成し、東京メトロ東西線の電車が中野から荻窪方面に乗り入れてくるようになった。昭和44年(1969年)には荻窪~三鷹が複々線化が完成し、東西線および中央緩行線の運行が三鷹まで延長された。

 荻窪駅の東側では、青梅街道が北西から南東へと斜めに交差しており、青梅街道は荻窪から新宿(しんじゅく)駅方面につながっている。この青梅街道に大正10年(1921年)、西武軌道の荻窪~淀橋(新宿)の路面電車が開業した。同線は、川越方面へとつながる構想もあったが、併用軌道の路面電車であるため、高速運転で不向きであることから、この構想は西武鉄道・新宿線へと引き継がれることになった。西武軌道は戦時中の昭和17年(1942年)に東京市電気局に移管され、戦後は都電杉並線として東京都電の一路線となった。

 一方、都電杉並線に並行するように、青梅街道の地下に営団地下鉄・荻窪線(現・東京メトロ丸ノ内線)が建設され、昭和37年(1962年)に営団荻窪線の荻窪駅が開業した。荻窪駅は国鉄荻窪駅の南側の地下に設けられた。営団荻窪線の荻窪~新宿が全通し、営団丸ノ内線との一体運行により、荻窪から霞が関(かすみがせき)、銀座(ぎんざ)などへ非常に便利になり、中央線の混雑緩和にも寄与している。また、地下鉄と重複する都電杉並線は地下鉄開業一年後の昭和38年(1963年)に廃止された。営団荻窪線は昭和47年(1972年)に路線名が「丸ノ内線」に統合された。

 歴史ある荻窪駅の駅周辺は、南口の「仲通り商店街」や北口の「荻窪駅前北口商店街」、「ハクサンタウンズ(白山通り商店会)」など、商店街が充実している。荻窪駅の北口は、戦後に闇市ができ、そこでラーメン店ができ、それが後に青梅街道沿いに広がった。魚介系醤油スープのラーメンは後に「荻窪ラーメン」として知られるようになり、また、つけ麺の元祖ともいわれる「丸長」も荻窪で創業した。

 荻窪駅北口にある「荻窪タウンセブン」は、戦後の闇市から発展した荻窪新興商店街が前身であり、木造家屋が多く火災が頻発し、老朽化も進んでいたことから昭和56年(1981年)に「荻窪セブンタウン」ビルが完成し、新興商店街の店舗と「西友」荻窪店が入った。

 荻窪駅の北西にある「杉並公会堂」は、昭和32年(1957年)に開館し、当時は東京・日比谷の「日比谷公会堂」と並ぶ1000席を上回るホールがあり、コンサートやテレビ収録などにも使用された。リニューアルのため旧館が平成15年(2003年)に取り壊され、平成18年(2006年)に現在の新館が完成した。日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズホールとなっており、杉並区は荻窪をクラシックのまちとして街づくりを進めており、荻窪周辺の各スポットでクラシック演奏を楽しむ「荻窪音楽祭」が毎年秋に開催されている。

荻窪エリアの主な駅

荻窪 / おぎくぼ 駅
JR東日本 中央本線(快速線・緩行線)
東京メトロ 丸ノ内線

ogikubo1.jpg
JR中央線・荻窪駅

ogikubo2.jpg
荻窪駅北口のハクサンタウンズ

ogikubo3.jpg
荻窪北口駅前商店街

ogikubo4.jpg
荻窪駅北口

ogikubo5.jpg
荻窪駅南口の仲通り商店街

ogikubo6.jpg
東京メトロ丸ノ内線・荻窪駅

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・羽田空港 東京の空の玄関、再国際化で発展続く羽田空港

東京・羽田空港
とうきょう・はねだくうこう

日本国東京都大田区

東京・羽田空港 東京の空の玄関、再国際化で発展続く羽田空港

 羽田空港(はねだくうこう)は、東京(とうきょう)都の大田(おおた)区にある国際空港で、正式名称は「東京国際空港」。

 翼を連想させる「羽田」は、いかにも空港らしい地名だが、その由来は空港とは関係がない。由来は諸説あるが、江戸時代にはこの一帯はすでに「羽田」と呼ばれており、東京府荏原郡羽田村は明治40年(1907年)に羽田町となり、昭和7年(1932年)に東京市に編入された。そして戦後、東京都大田区に属するようになった。

 東京湾に面する羽田に、大正6年(1917年)に日本飛行大学校が開校し、訓練場としての「羽田飛行場」が開設された。関東大震災を経て滑走路等が拡張され、昭和6年(1931年)に日本初の民間航空用の空港である「東京飛行場」が海老取川の東、穴守稲荷の北の羽田江戸見町(当時は鈴木新田字江戸見崎)に開港した。昭和13年(1938年)に滑走路が延長され、大阪や福岡への国内路線や、当時日本領だった台湾の台北や朝鮮の京城(現・ソウル)、そのほか満洲国や中華民国などへの国際路線が運航される国際空港となった。戦時中は、軍用飛行場として使われ、戦後はアメリカ軍に接収された。

 米軍は羽田飛行場周辺の江戸見町、穴守町、鈴木町(いずれも海老取川の東)の住民を強制退去させ、米軍は羽田飛行場を基地として拡張するため、これらの住宅地をすぐに破壊した。昭和27年(1952年)のサンフランシスコ条約により、日本は独立を取り戻し、米軍占領時代が終わり、「Haneda Army Airbase」(米軍羽田陸軍航空隊基地)と呼ばれた羽田飛行場も日本に返還されることになった。そして、昭和27年(1952年)、返還により、「東京国際空港」が再開港し、東京の空の玄関口となった。

 昭和39年(1964年)の東京オリンピックの年に、羽田~浜松町(はままつちょう)に東京モノレールが開業した。羽田空港は東京国際空港として急発展を遂げたが、輸送量の処理が追いつかなくなり、昭和41年(1966年)より新しい国際空港として千葉県成田市に新東京国際空港(成田空港)の建設が始まった。成田空港は激しい建設反対運動に遭いながら紆余曲折を経て昭和53年(1978年)に開港した。これにより、国内線は羽田、国際線は成田との内際分離体制となった。

 成田空港開港後、羽田空港は成田乗り入れが国際政治的な理由で認められなかった台湾行きの中華航空のみ国際線が残された(中華航空と台湾エバー航空は2002年に成田乗り入れが認められた)ほかは、国内線の空港として発展し続けた。特に大阪(伊丹)、福岡、札幌(千歳)、沖縄(那覇)、鹿児島、広島、松山、長崎などへの路線の需要が大きく、増え続ける羽田空港の需要に対応するため、羽田空港沖合の埋め立て工事が行われ、平成5年(1993年)に沖合に「ビッグバード」という愛称の新しいターミナルが完成し、旧ターミナルは解体された。

 この新しいターミナルに乗り入れるため、東京モノレールは羽田駅を移転した上で、新しいターミナルビルの地下の羽田空港駅(現・羽田空港第1ビル駅)へ延伸した。一方、京急空港線も平成3年(1991年)から穴守稲荷~羽田空港を休止して、穴守稲荷より先を地下化し、海老取川をトンネルでくぐり、東京モノレールの新・羽田駅(現・天空橋駅)と交わる地点の地下に羽田駅を建設し、平成5年(1993年)に開業。ここから東京モノレールに乗り換えて羽田空港の新ターミナルへ行けるようになった。

 東京モノレールと京急空港線の羽田駅は、平成10年(1998年)に京急空港線の羽田~羽田空港駅が延伸され、羽田駅が天空橋駅に改称された。天空橋は海老取川に架かる橋の名前からとったものだが、天空が空港を連想させる。天空橋駅となってからは、京急とモノレールの両線が羽田空港ターミナルビルに乗り入れているため、乗り換える旅客はほとんどいないが、天空橋駅自体は、海老取川の西に広がる穴守稲荷周辺の住宅街の住民が利用しやすい地域密着の駅として生まれかわっている。

 成田空港の容量も徐々に過密となり、しかも成田は都心から遠く、国内線との乗り継ぎの便も悪いことから、平成22年(2010年)秋の羽田空港第4滑走路の完成に合わせて羽田空港に国際線ターミナルを再整備し、本格的に国際線運航を開始することになった。

 そして、平成22年(2010年)10月に羽田空港の新国際線ターミナルビルがオープンし、これに合わせて東京モノレール羽田線の羽田空港国際線ビル駅と、京浜急行電鉄空港線の羽田空港国際線ターミナル駅が開業した。国内線ターミナルは従来のA滑走路の東側にあるが、新しい国際線ターミナルはA滑走路の西側、天空橋駅の南東側にできた。

 東京モノレールのホームは国際ターミナルビルの出発ターミナル(3階)と同じフロアに作られ、浜松町(はままつちょう)駅から到着した旅客は下車してそのまま階段を上り下りする必要なく、そのままチェックインできる。一方、到着ターミナルは出発ターミナルの一つ下のフロア(2階)で、改札からエスカレーターやエレベーターで上って、浜松町方面のホームにすぐ行けるので便利だ。モノレールの空港快速は浜松町までノンストップで結ぶ。

 京急は地下にホームが設けられ、エスカレーターやエレベーターでターミナルビルに行くことができる。東京モノレールより若干遠いが、京急は品川(しながわ)のほか地下鉄浅草線に直通して新橋(しんばし)、浅草(あさくさ)方面へ乗換えなしで行けるのが便利だ。京急のエアポート快特は品川までノンストップで約13分で結んでいる。また、エアポート急行の多くは、蒲田(かまた)まで各駅に停まるが、乗り換えなしで横浜(よこはま)方面を結んでおり、横浜方面からも利用しやすい。

 ところで、羽田空港の再国際化により、海外からの旅行客が増加すると、大きな荷物を持った旅客が増加することになる。東京モノレールは便利ではあるが、国内線の第2、第1ターミナル出発時点ですでに座席が埋まってしまい、国際ターミナルから乗った場合、立ち席となる確率が高い。それは京急も同様であり、なぜ国際線を奥のほうへ持っていかなかったのか残念だ。

 特に京急は、蒲田(かまた)周辺の通勤・通学利用客も多く、国際線の長距離客を通勤ラッシュの電車に押し込めるのは、外国人の日本の第一印象が悪くなる。その点、エアポート快特を蒲田通過にしたのは、蒲田の住民にしてみれば不愉快かもしれないが、京急沿線客と空港利用客を分離したのはよかったと思う。

 そのほか改善策は、現在の京急のエアポート快特に名鉄特急や南海特急サザンのように、一部座席指定の車両を併結すればよいと思う。また、東京周辺の近郊電車のように2階建てグリーン車のような車両をつなげるのもいい。それができなければ、せめて関西空港のJRの関空快速のように1&2の転換クロスシート車をつなげるなどして、ほかのアジアの国際ハブ空港と同様に、国際線を利用する旅客が座って都心部へ移動できるよう配慮してほしい。

 さて、空港ターミナルビルは、出発ターミナルの上の階に「E・DO MARKET PLACE」というショップとレストランが集まる商業施設となっている。一つ上の4階に、「江戸小路」と名づけられた江戸風の商店街におみやげ屋やレストランが集まっている。このような商業施設はセントレア(中部国際空港)にもあるが、日本らしさが凝縮され、日本の玄関口として非常によい設計だと思う。

 その上の5階は、「TOKYO POP TOWN」と名づけられ、日本が誇るアニメやキャラクターのショップ、プラネタリウムのカフェ、おみやげ屋などがあり、屋外は滑走路が見える展望台となっている。

 本格的に再国際化した羽田空港からは、韓国のソウル(金浦、仁川)、台湾の台北(松山)、中国の上海(虹橋)、北京、香港などの近隣アジア路線のほか、深夜便を利用したシンガポール、マレーシア・クアラルンプール、タイ・バンコクなどのアジア路線、ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコなどのアメリカ路線、フランス・パリなどのヨーロッパ路線が就航し、成田空港を補完する東京第2国際空港として新しい地位を築きつつある。

東京・羽田空港エリアの主な駅

羽田空港(国内線ターミナル) / はねだくうこう こくないせんターミナル 駅
京浜急行電鉄 空港線
羽田空港第2ビル / はねだくうこう だいにビル 駅
東京モノレール 羽田空港線
羽田空港第1ビル / はねだくうこう だいいちビル 駅
東京モノレール 羽田空港線

羽田空港国際線ターミナル / はねだくうこう こくさいせんターミナル駅
京浜急行電鉄 空港線
羽田空港国際線ビル / はねだくうこう こくさいせんビル駅
東京モノレール 羽田空港線

hanedakuko1.jpg
東京羽田空港(国内線第2ターミナル)

hanedakuko2.jpg
東京羽田空港(国内線第2ターミナル)

hanedakuko3.jpg
東京羽田空港国内線第2ターミナルビル

hanedakuko15.jpg
京急電鉄・羽田空港国内線ターミナル駅

hanedakuko4.jpg
東京モノレール羽田空港第2ビル駅(国内線)

hanedakuko5.jpg
国際線ターミナルから見た羽田空港

haneda1
東京羽田~台北松山を結ぶエバー航空

hanedakuko6.jpg
羽田空港国際線ターミナル出発ロビー

hanedakuko7.jpg
羽田空港国際線ターミナルの江戸小路

hanedakuko8.jpg
羽田空港国際線ターミナルの日本橋

hanedakuko9.jpg
東京モノレール・羽田空港国際線ビル駅

haneda11
羽田国際ターミナルに乗り入れる東京モノレールの新線と旧線

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 飛行機/フライト/機内食
ジャンル : 旅行

東京・成城 成城学園都市と地下化された小田急

東京・成城
とうきょう・せいじょう

日本国東京都世田谷区

東京・成城 成城学園都市と地下化された小田急

 成城(せいじょう)は、東京(とうきょう)都の世田谷(せたがや)区にある地区で、小田急電鉄・小田原線の成城学園前(せいじょうがくえんまえ)駅がある。

 成城は、古くは北多摩(きたたま)郡の砧(きぬた)村にあり、雑木林が広がる台地だった。昭和11年(1936年)に東京市に編入され、世田谷区に属するようになった。

 砧村に小田急電鉄が建設されることになり、教育学者の小原國芳(おばら くによし)が駅予定地周辺の土地を購入し、これを区画整理し、開発して販売し、その利益を学校建設に当てた。そして、東京都新宿区(旧・牛込区)の成城学校(現在の成城中・高等学校)から分離した成城学園が大正14年(1925年)にこの地に移転し、昭和2年(1927年)に小田急の成城学園前駅が開業した。

 これにより、駅周辺は「成城」(せいじょう)という地名が定着し、学校と高級住宅街が広がる学園都市として発展していった。駅の北東に成城大学、成城学園中学・高校、成城学園初等学校、成城幼稚園など成城学園グループの学校の敷地が広がっており、小田急は通学客で込み合う。南口も住宅街が広がり、約1キロ南に東京大学付属小・中・高校、砧中学校、科学技術学園高校などの学校や、日本最大規模の撮影スタジオである「東宝スタジオ」(東宝砧撮影所)がある。 

 成城学園前駅は、準急や急行、多摩急行、特急ロマンスカー「メトロはこね」「メトロホームウェイ」などが停車する主要駅で、2面4線のホームで緩急接続が可能な駅であったが、複々線化と立体交差化のため、地下化工事が行われ、平成14年(2002年)に1面2線のホーム(現在の小田原方面行きホーム)で地下化され、平成16年(2004年)にもう一つの1面2線ホームが完成し、複々線化に合わせて2面4線のホームとなった。

 成城学園前駅は、もともと台地にあったため、次の喜多見まで下り勾配となっていたが、成城学園前駅の地下化と喜多見駅の高架化で、この下り勾配がなだらかになった。また、地平のホーム跡には駅ビル「成城コルティ」が平成18年(2006年)に完成した。また駅周辺の地平の線路跡は西口バスターミナルや自転車駐輪場になった。西口バスターミナルからは京王電鉄の調布(ちょうふ)駅や千歳烏山(ちとせからすやま)駅、南口からは、東急電鉄の渋谷(しぶや)、都立大学(とりつだいがく)、用賀(ようが)、二子玉川(ふたこたまがわ)などのバスが発着し、世田谷区の南北をつなぐ交通の拠点となっている。

 このほか、成城学園前駅から喜多見寄りの北側には、平成6年(1994年)に喜多見検車区が開設された。ここは、小田急複々線化事業の一環で、車庫の上部の人工基盤の上に「きたみふれあい広場」がある。

東京・成城エリアの主な駅

成城学園前 / せいじょうがくえんまえ 駅
小田急電鉄 小田原線

seijo1.jpg
地下化された小田急・成城学園前駅

seijo2.jpg
成城学園前駅南口

seijo3.jpg
成城学園前駅西口バスターミナル

seijo4.jpg
成城学園前駅西口の自転車置き場

seijo5.jpg
成城コルティから見た喜多見方面の眺め

seijo7.jpg
成城コルティ

seijo6.jpg
成城学園前から祖師谷大蔵方面の眺め

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・桜新町 サザエさんの町、急行待避する地下の桜新町駅

東京・桜新町
とうきょう・さくらしんまち

日本国東京都世田谷区

東京・桜新町 サザエさんの町、急行待避する地下の桜新町駅

 桜新町(さくらしんまち)は、東京(とうきょう)都の世田谷(せたがや)区にある地区で、東急電鉄・田園都市線の桜新町駅がある。

 東急田園都市線の渋谷(しぶや)~二子玉川(ふたこたまがわ)は、もともと路面電車の玉川電気鉄道(後の東急玉川線)だった区間で、桜新町駅自体の歴史は古く、明治40年(1907年)に玉川電気鉄道の電停として開設された。東急玉川線は、輸送力強化のため地下化することになり、昭和44年(1969年)に廃止され、桜新町電停もそのとき一旦廃止された。

 そして昭和52年(1977年)に地下路線の東急新玉川線として渋谷~二子玉川園(現・二子玉川)が開業し、二子玉川駅から先は田園都市線に乗り入れ、溝の口(みぞのくち)、長津田(ながつた)、中央林間(ちゅうおうりんかん)方面へ直通運転するようになった。現在の桜新町駅はこのときに地下に開設された。新玉川線は田園都市線と一体運用されるようになり、平成12年(2000年)に東急田園都市線として路線名が統合された。

 桜新町駅は1面1線のホームの壁の向こうに通過線が1線ある構造が2層になっている地下駅で、地下鉄のような駅であるにもかかわらず、急行電車を待避できる非常に特殊な設計となっている。通過電車による風圧を防ぐためか、通過線とは壁で仕切られており、ホームからは通過する電車が見えないが、ホームの先のトンネルを見ると、本線と合流するポイントや通過する電車も見える。

 東急田園都市線は、渋谷駅から駒沢大学(こまざわだいがく)までは首都高速3号渋谷線と一体で建設され、首都高が高架、東急がその地下を走っているが、その先から東急田園都市線は少し北に向きを変え、桜新町駅は首都高より約300m北にあり、駅前は高層ビルも少なく、周辺は住宅街が広がっている。

 桜新町は、長谷川町子(はせがわ まちこ)原作の漫画「サザエさん」の町として知られ、駅前の歩道にはサザエさん一家(サザエ、マスオ、タラちゃん、波平、フネ、カツオ、ワカメ)の像が並んでいる。長谷川町子は長年、この近くに住み、この町を舞台に昭和の幸せな家庭を描き続けてきた。作者が亡くなった後も、日曜夕方の定番としてテレビアニメ「サザエさん」の放送がフジテレビ系で続けられている。

 桜新町駅から南へ伸びる商店街は「サザエさん通り」と呼ばれ、「サザエさん」の登場キャラクターが沿道でみられる。その先にある「長谷川町子美術館」は、長谷川町子が漫画で得た収入で姉とともに収集した美術品や工芸品を展示する美術館で、昭和60年(1985年)に開館した(当時は長谷川美術館)。同美術館の町子コーナーでは、長谷川町子による「サザエさん」や「いじわるばあさん」などの漫画の原画なども展示している。

東京・桜新町エリアの主な駅

桜新町 / さくらしんまち 駅
東急電鉄 田園都市線

sakurashinmachi1.jpg
東急田園都市線・桜新町駅

sakurashinmachi2.jpg
桜新町駅で急行の通過待ち

sakurashinmachi3.jpg
桜新町駅前の「サザエさん」家族像

sakurashinmachi4.jpg
桜新町駅前の「サザエさん」家族像

sakurashinmachi5.jpg
桜新町駅前の「サザエさん」家族像

sakurashinmachi6.jpg
サザエさん通り

sakurashinmachi7.jpg
長谷川町子美術館

sakurashinmachi8.jpg
長谷川町子美術館

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・上板橋 上板南口銀座とマイスターかみいた

東京・上板橋
とうきょう・かみいたばし

日本国東京都板橋区

東京・上板橋 上板南口銀座とマイスターかみいた

 上板橋(かみいたばし)は、東京(とうきょう)都の板橋(いたばし)区にある地区で、東武鉄道・東上線の上板橋駅がある。

 板橋区を走る東武東上線は、下板橋、大山(おおやま)、中板橋、常盤台(ときわだい)、上板橋と続く。いずれも準急や急行が通過し、普通電車しか停車しないが、中板橋と上板橋は駅が2面4線で通過待ちができる設備がある。

 上板橋駅は板橋区にあり、池袋に出やすいことから住宅地として人気があり、駅前は下町の雰囲気が残る商店街が広がっている。北口は「マイスターかみいた」商店街があり、「イトーヨーカドー」のスーパーとその周辺にさまざまな飲食店や生活用品店が集まっている。

 南口は「上板南口銀座」商店街が広がっている。庶民の町らしく活気にあふれているが、少し路地に入ると道が入り組んでおり、南口は再開発計画がある。道路の拡張とロータリーの整備とタワーマンションの建設をやる計画らしいが、上板橋らしい町並みが失われることを懸念する地元の人々から反対の声も強いようだ。地元の意向に合ったまちづくりが求められるところだ。

 旧川越街道を西に進んでいくと、練馬(ねりま)区の北町(きたまち)に入り、「北一商店街」が伸びている。ここは川越街道の宿場町があったところで、東武練馬駅方面へと伸びている。北一商店街では毎月「北一みのり市」が行われる。

東京・上板橋エリアの主な駅

上板橋 / かみいたばし 駅
東武鉄道 東上線

kamiitabashi1.jpg
東武東上線・上板橋駅前の上板南口銀座商店街

kamiitabashi2.jpg
上板南口銀座商店街

kamiitabashi3.jpg
練馬区側にある旧川越街道沿いの北一商店街

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・阿佐ヶ谷 パールセンター商店街と杉並区役所

東京・阿佐ヶ谷
とうきょう・あさがや

日本国東京都杉並区

東京・阿佐ヶ谷 パールセンター商店街と杉並区役所

 阿佐ヶ谷(あさがや)は、東京(とうきょう)都の杉並(すぎなみ)区にある地区で、JR東日本・中央本線の阿佐ヶ谷駅と東京メトロ丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅がある。

 青梅街道の地下を走る東京メトロ丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅前に杉並区役所があり、ケヤキ並木が美しい中杉通りが北に伸びていて、南阿佐ヶ谷駅から北へ500mほど歩いたところにJR阿佐ヶ谷駅がある。

 多摩郡阿佐ヶ谷村だった阿佐ヶ谷には、明治22年(1889年)に新宿(しんじゅく)~立川(たちかわ)にJR中央本線の前身である甲武鉄道が開業したが、当時は阿佐ヶ谷駅は設置されず、甲武鉄道は明治39年(1906年)に国有化され、阿佐ヶ谷駅が設置されたのは大正11年(1922年)のことである。関東大震災後の市街地拡大によって沿線人口も増え、昭和41年(1966年)に高架化され、中央総武緩行線の各駅停車が停車するほか、中央線の快速も平日のみ停車する。阿佐ヶ谷駅の南北ともにバスターミナルがあり、方南町(ほうなんちょう)、笹塚(ささづか)、渋谷(しぶや)方面や、鷺ノ宮(さぎのみや)、中村橋(なかむらばし)方面へのバスが主に発着している。

 地下鉄丸ノ内線の前身は、大正10年(1921年)に青梅街道の淀橋(新宿)~荻窪(おぎくぼ)に西武軌道の路面電車が開業し、後に都電杉並線となった。昭和30年代になり、青梅街道に営団地下鉄荻窪線(現・東京メトロ丸ノ内線)が建設され、昭和36年(1961年)に新宿から南阿佐ヶ谷まで開業し、翌年に荻窪まで全通した。それにより、都電荻窪線が昭和38年(1963年)に廃止された。路面電車と地下鉄が共存した時期があるのは、営団と都営という経営母体が違っていたからなのだろう。

 JR阿佐ヶ谷駅から地下鉄南阿佐ヶ谷駅にかけては、中杉通りの東側に、「阿佐谷パールセンター」というアーケード商店街がある。同商店街は、昭和29年(1954年)より毎年8月に「阿佐谷七夕まつり」を開催していることで知られ、期間中は商店街にさまざまな飾りで彩られる。このほか、阿佐ヶ谷では、毎年10月には「阿佐谷ジャズストリート」のイベントも開催されている。

 阿佐ヶ谷駅周辺には「阿佐谷パールセンター」のほか、JR中央線の高架下の商店街「ダイヤ街」がある。また、駅の東側の高架下に昭和の雰囲気が残る「ゴールド街」があったが、耐震補強工事のため平成27年(2015年)に閉鎖され、解体された。ゴールド街跡がどのように再開発されるのか、その街づくりの方向性もさまざまな声があり、どのように阿佐ヶ谷らしい町を作っていくのか注目されている。

東京・阿佐ヶ谷エリアの主な駅

阿佐ヶ谷 / あさがや 駅
JR東日本 中央本線(緩行線・快速線)

南阿佐ヶ谷 / みなみあさがや 駅
東京メトロ 丸ノ内線

asagaya1.jpg
JR中央本線・阿佐ヶ谷駅

asagaya2.jpg
休日は快速が通過するJR阿佐ヶ谷駅

asagaya3.jpg
阿佐ヶ谷駅から見た中杉通り

asagaya4.jpg
阿佐谷パールセンター商店街

asagaya5.jpg
阿佐谷パールセンター商店街

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・千歳烏山 南北に伸びるちとから商店街えるもーる烏山

東京・千歳烏山
とうきょう・ちとせからすやま

日本国東京都世田谷区

東京・千歳烏山 南北に伸びるちとから商店街えるもーる烏山

 千歳烏山(ちとせ からすやま)駅は、東京(とうきょう)都の世田谷(せたがや)区にある京王電鉄・京王本線の駅。

 千歳烏山の地名の由来は、昭和11年(1936年)に東京市(現・東京23区)に編入される前の北多摩郡の千歳(ちとせ)村の烏山(からすやま)地区から来ており、世田谷区で「千歳」が着く駅名はこのほか小田急電鉄の千歳船橋駅があるが3キロほど離れている。

 千歳烏山駅は相対式ホーム2面2線の見た目は普通の地上駅であるが、周辺にライバル鉄道駅がないためか、利用者数が多く、快速、区間急行、急行に加え、平成27年(2015年)から準特急も停車するようになった。

 千歳烏山駅は停車する電車も多く、街を分ける踏切が「開かず踏切」だとして、今後の高架化が課題となっている。今後、笹塚(ささづか)~千歳烏山~仙川(せんかわ)の高架化事業にともない、2面4線の立派な高架駅に生まれ変わることになっており、そうなれば準特急の停車駅らしい風格ある街になりそうだが、駅前まで迫る街並みを見ると、一体どのように高架化工事を行うのか興味深いところだ。

 東西に伸びる千歳烏山駅の南北には商店街が発達しており、「えるもーる烏山」という愛称がある。飲食店などが集まり、このエリアは「ちとから」と略されて地元住民に親しまれている。商店街の南側に南口のバス停があり、ここからは小田急の千歳船橋駅や成城学園前(せいじょうがくえんまえ)駅方面へのバス路線がある。一方、北口からは高井戸(たかいど)、吉祥寺(きちじょうじ)、荻窪(おぎくぼ)方面へのバス路線がある。

 千歳烏山駅の北側には、世田谷区役所烏山総合支所、世田谷区烏山区民センター、世田谷区立烏山図書館などの公共施設があり、「烏山をオウムの拠点にはさせない」という垂れ幕が目に入る。地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教を引き継いだ教団が改名して千歳烏山周辺を拠点に活動しているとのことで、住民による反対運動や警戒が続いているようだ。

 千歳烏山駅から北へ1キロほど行った、中央自動車道の北側には、烏山寺町という地区がある。ここは、大正12年(1923年)の関東大震災で東京の浅草(あさくさ)や本所(ほんじょ)、築地(つきじ)などにあった26寺院が集団で移転した歴史があり、寺町の街並みが形成されている。

東京・千歳烏山エリアの主な駅

千歳烏山 / ちとせからすやま 駅
京王電鉄 京王本線

chitosekarasuyama1.jpg
京王・千歳烏山駅

chitosekarasuyama2.jpg
京王・千歳烏山駅

chitosekarasuyama3.jpg
準特急も停車するようになった千歳烏山駅

chitosekarasuyama4.jpg
都営新宿線からの直通電車も走る千歳烏山駅

chitosekarasuyama6.jpg
千歳烏山駅南口の商店街

chitosekarasuyama7.jpg
千歳烏山駅南口の商店街

chitosekarasuyama8.jpg
千歳烏山駅北口の商店街

chitosekarasuyama9.jpg
オウムに反対する垂れ幕

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・穴守 天空橋 穴守稲荷神社と羽田空港の拡張と京急空港線

東京・穴守 天空橋
とうきょう・あなもり てんくうばし

日本国東京都大田区

東京・穴守 天空橋 穴守稲荷神社と羽田空港の拡張と京急空港線

 穴守(あなもり)は、東京(とうきょう)都の大田(おおた)区にある羽田空港に隣接する地区および羽田空港の一部となった地区。

 ここは江戸時代から穴守稲荷があった。海に面するため、海が荒れたときに海水が堤防を壊して開墾した新田が被害を受けたことから、堤防の穴の害から守るという意味で「穴守」(あなもり)の社が建てられた。明治19年(1886年)に「穴守稲荷神社」となり、温泉や潮干狩り、海水浴客などでにぎわうようになり、京浜急行電鉄が蒲田(かまた)から穴守稲荷神社へ支線を建設し、明治35年(1902年)に蒲田~穴守が開業。大正2年(1913年)に海老取川(えびとりかわ)を渡って0.8km延伸したところに穴守駅が移転し、穴守稲荷がより近くなった。昭和4年(1929年)には京急から立派な大鳥居が奉納された。

 東京羽田空港の前身である東京飛行場(羽田飛行場)は昭和6年(1931年)に海老取川の東、穴守稲荷の北の羽田江戸見町(当時は鈴木新田字江戸見崎)に開港したが、当時の飛行場の規模は小さかった。その後、大阪や福岡、朝鮮の京城(現・ソウル)、満洲国や中国などへの路線が就航し、国際空港となり、昭和13年(1938年)に滑走路が延長された。

 穴守地区が劇的に変化するのは戦後のことで、昭和20年(1945年)8月にアメリカ合衆国(米国)軍が日本を占領すると、翌月には羽田飛行場周辺の江戸見町、穴守町、鈴木町(いずれも海老取川の東)の住民が強制退去させられ、米軍は羽田飛行場を基地として拡張するため、これらの住宅地をすぐに破壊した。京急穴守線は、海老取川の西まで後退させられ、稲荷橋(現・穴守稲荷)~穴守が廃止された。

 穴守稲荷神社も海老取川の西へ移転することになったのだが、穴守稲荷の立派な鳥居を米軍が取り壊そうとしたときに不吉な事故が連続したといい、米軍はこの鳥居の取り壊しをあきらめ、そのまま残された。

 昭和27年(1952年)のサンフランシスコ条約により、日本は独立を取り戻し、米軍占領時代が終わり、羽田飛行場も日本に返還されることになった。「東京国際空港」となり、東京の空の玄関口となった。穴守稲荷の旧鳥居はその後も取り壊されることなく、羽田空港の駐車場の中にポツンとそのまま残された。

 昭和31年(1956年)、稲荷橋駅が穴守稲荷駅(移転後の穴守稲荷の最寄り駅)に改称され、穴守稲荷駅から海老取川の手前の羽田空港駅まで約0.5km延伸された。昭和38年(1963年)には、路線名が穴守線から空港線に改められた。羽田空港駅から羽田空港のターミナルまでは海老取川を渡って数百メートルあったので、羽田空港ターミナルへの連絡バスが運行され、それに乗り継ぐ必要があった。

 昭和39年(1964年)の東京オリンピックの年に、羽田~浜松町(はままつちょう)に東京モノレールが開業した。これにより、羽田空港へのアクセスは東京モノレールが優位になり、京急羽田空港駅はローカル線化する。

 羽田空港は東京国際空港として急発展を遂げたが、輸送量の処理が追いつかなくなり、昭和41年(1966年)より新しい国際空港として千葉県成田市に新東京国際空港の建設が始まった。また、成田空港開港後も、羽田空港は国内線の空港として発展し続けた。増え続ける羽田空港の需要に対応するため、羽田空港沖合の埋め立て工事が行われ、平成5年(1933年)に沖合に「ビッグバード」という愛称の新しいターミナルが完成し、旧ターミナルは解体されることになった。

 この新しいターミナルに乗り入れるため、東京モノレールは羽田駅を移転した上で、新しいターミナルビルの地下の羽田空港駅(現・羽田空港第1ビル駅)へ延伸した。一方、京急空港線も平成3年(1991年)から穴守稲荷~羽田空港を休止して、穴守稲荷より先を地下化し、海老取川をトンネルでくぐり、東京モノレールの新・羽田駅(現・天空橋駅)と交わる地点の地下に羽田駅を建設し、平成5年(1993年)に開業。ここから東京モノレールに乗り換えて羽田空港の新ターミナルへ行けるようになった。

 東京モノレールと京急空港線の羽田駅は、平成10年(1998年)に京急空港線の羽田~羽田空港駅が延伸され、羽田駅が天空橋駅に改称された。天空橋は海老取川に架かる橋の名前からとったものだが、天空が空港を連想させる。天空橋駅となってからは、京急とモノレールの両線が羽田空港ターミナルビルに乗り入れているため、乗り換える旅客はほとんどいないが、天空橋駅自体は、海老取川の西に広がる穴守稲荷周辺の住宅街の住民が利用しやすい地域密着の駅として生まれかわっている。天空橋駅の真上の周辺は何もなく、羽田空港の関連用地である空き地が広がっているが、ここはまさにかつて穴守駅や穴守稲荷とその繁華街があった場所である。

 羽田空港ターミナルビルの移転と羽田空港拡張により、かつて駐車場にあった米軍が破壊しそこねた穴守稲荷の鳥居も再び撤去する話が出たが、地元住民の要望で、移転保存されることになり、平成11年(1999年)に天空橋駅の南の弁天橋の東側に移転された。

東京・穴守 天空橋エリアの主な駅

穴守稲荷 / あなもりいなり 駅
京急電鉄 空港線

天空橋 / てんくうばし 駅
京急電鉄 空港線
東京モノレール 羽田空港線

anamori1.jpg
京急空港線・穴守稲荷駅

anamori2.jpg
穴守稲荷駅から地下に潜る京急空港線

anamori3.jpg
穴守稲荷駅前の鳥居

anamori4.jpg
穴守稲荷神社

anamori5.jpg
穴守稲荷神社

anamori6.jpg

anamori7.jpg
地下化延伸された京急空港線の地上区間(穴守稲荷~旧・羽田空港)の廃線跡

anamori8.jpg
旧・京急羽田空港駅の跡地

anamori9.jpg
海老取川に架かる天空橋

anamori10.jpg
天空橋駅の駅舎

anamori11.jpg
天空橋駅の東側に広がる羽田空港の敷地

anamori12.jpg
京急空港線・天空橋駅

anamori13.jpg
東京モノレール・天空橋駅

anamori14.jpg
弁天橋の近くに移設された穴守稲荷の大鳥居

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・大鳥居 地下化で環八通りと産業道路を跨ぐ踏切を解消した大鳥居駅

東京・大鳥居
とうきょう・おおとりい

日本国東京都大田区

東京・大鳥居 地下化で環八通りと産業道路を跨ぐ踏切を解消した大鳥居駅

 大鳥居(おおとりい)は、東京(とうきょう)都の大田(おおた)区にある、京浜急行電鉄・空港線の大鳥居駅があるエリア。

 大鳥居の地名・駅名の由来は、穴守稲荷(あなもりいなり)神社に続く大きな鳥居であるが、現在は大鳥居駅の周辺に大きな鳥居はない。また、いまは羽田空港の敷地の一部となっている旧・穴守稲荷神社にあった(米軍が撤去を断念し、後に旧・羽田空港駐車場にあった)大きな鳥居は旧・穴守駅(現・天空橋駅の近く)前であり、その鳥居は平成11年(1999年)に天空橋駅の南の弁天橋の東側に移転している。

 鳥居がない大鳥居駅であるが、大鳥居駅のコンコースには、駅が開設された当時の穴守稲荷神に連なる鳥居を説明するパネルがある。その当時も、大鳥居はこの場所にはなく、現在の穴守稲荷駅にあたる稲荷橋駅のあたりまで連なっていたのだが、その当時はこの駅からもそれらの鳥居が見えたのだろうか。

 京急空港線は、ターミナルビルから遠くバス連絡が必要だった旧・羽田空港駅の不便さゆえに、利用客は多くなかったが、羽田空港のターミナルビル移転に合わせた京急空港線の乗り入れ工事に伴い、輸送力増強の改良工事が行われることになり、大鳥居駅は地下化されることになった。

 大鳥居駅をなぜ地下化する必要があったかというと、大鳥居駅のすぐそばで、南北に走る産業道路と東西に走る環八通りを同時に斜め横断する踏切があったからである。これが渋滞の原因となることと、踏切をなるべく閉めないために運行本数を減らしていた空港線の輸送力のネックにもなっていたのだ。地下化工事は昭和60年(1985年)からスタートしたが、地下化の工事は時間がかかり、平成9年(1997年)にようやく完成し、空港線の平成10年(1998年)の羽田(天空橋)~羽田空港への延伸に間に合った。これにより、京急空港線の輸送力は大幅に向上し、環八や産業道路の渋滞も大幅に緩和された。

 大鳥居駅は将来、東急蒲田(かまた)駅から京急蒲田駅を経由して大鳥居駅で京急空港線と接続することで東急沿線からの羽田空港アクセス路線として活用する「蒲蒲線」の構想があるが、レールの幅が東急が1067mmの狭軌であるが、京急は1435mmの標準軌であるため、そこが羽田空港アクセスとしてのネックとなっている。別線で新しく建設して同じ狭軌のJRと合流する新羽田空港駅を作ったのほうがよいのではと思う。このほか、環八通りを走る地下鉄「エイトライナー」の構想もある。

東京・大鳥居エリアの主な駅

大鳥居 / おおとりい 駅
京浜急行電鉄 空港線

ootorii1.jpg
地下化された京急空港線・大鳥居駅

ootorii2.jpg
大鳥居駅にある穴守稲荷鳥居の説明板

ootorii3.jpg
大鳥居駅の駅舎

ootorii4.jpg
かつて踏切があった環八通りと産業道路の交差点と旧大鳥居駅跡

ootorii5.jpg
かつて踏切があった環八通りと産業道路の交差点

ootorii6.jpg
旧・大鳥居駅跡の駐車場

ootorii7.jpg
地下化された大鳥居駅から地上に出て穴守稲荷方面へ向かう京急空港線

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

プロフィール

drughba

Author:drughba
日本国内・世界各国の行って面白かったところ、行ってみたいところ、興味深い都市、交通、地理、文化等。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード