東京・中井 山手通りと妙正寺川、目白大学新宿キャンパス

東京・中井
とうきょう・なかい

日本国東京都新宿区

東京・中井 山手通りと妙正寺川、目白大学新宿キャンパス

 中井(なかい)は、東京(とうきょう)都の新宿(しんじゅく)区にある地区で、西武鉄道・新宿線と東京都営地下鉄・大江戸線の中井駅がある。

 西武新宿線の中井駅は妙正寺川(みょうしょうじがわ)の北側に東西にホームが伸びていて、山手通りと交差する高架下にホームがかかっている。相対式ホームの間に通過線を含む3本の線路が通る構造で、各駅停車のみが停車し、準急・急行・特急の待避ができる。中井駅では、新宿方面への混雑が激しい朝ラッシュ時や昼間に上り線(新宿方面)の電車が待避を行い、夕方からは逆に下り(田無方面)の電車が待避を行っている。中間の通過線を上下両線で共用しているのは珍しいが、これによって過密ダイヤをさばいている。通過線に入るほうがカーブとなっているので、追い抜きをしないときは通過列車もホーム側を走る。

 西武中井駅から妙正寺川を渡って、南側へ商店街を歩いていくと、都営大江戸線の中井駅の入り口がある。平成9年(1997年)に開業した大江戸線の中井駅は山手通りの地下にホームがある。大江戸線は西武池袋線の練馬(ねりま)駅や、JR東日本・中央本線(緩行線)の東中野(ひがしなかの)駅、東京メトロ丸ノ内線の中野坂上(なかのさかうえ)駅、東京都庁など、山手通りを南北に通り、池袋や新宿から放射状に広がる各路線をつないでおり、これらの地域の南北の移動の利便性が向上した。

 中井駅と東中野駅の間の早稲田通りには東京メトロ東西線の落合(おちあい)駅があり、中井駅からも遠くない。また、山手通りの地下には地下鉄大江戸線のほか、首都高速中央環状線のトンネルも通っており、都心を迂回するバイパスの役割を果たしている。

 中井駅の北西には大正時代に設立された目白学園(設立当初は研心学園)の目白大学新宿キャンパスがある。ここには目白学園女子短期大学があり、平成12年(2000年)に目白大学新宿キャンパスが増設され、短大は目白大学短期大学部となった。また、併設されている目白研心中学校・高等学校はかつては女子校だったが、平成21年(2009年)に共学化された。

東京・中井エリアの主な駅

中井 / なかい 駅
西武鉄道 新宿線
東京都営地下鉄 大江戸線
 
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西武新宿線・中井駅

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西武新宿線・中井駅

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西武新宿線・中井駅

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西武新宿線・中井駅を通過する特急「小江戸」

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妙正寺川と山手通り

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妙正寺川と山手通り

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中井駅前の商店街

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都営大江戸線・中井駅の入り口

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都営大江戸線・中井駅

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東京・野方 商店街と環七とラーメンのまち

東京・野方
とうきょう・のがた

日本国東京都中野区

東京・野方 商店街と環七とラーメンのまち

 野方(のがた)は、東京(とうきょう)都の中野(なかの)区にある地区で、西武鉄道・新宿線の野方駅がある。

 野方駅は中野区を南北に貫く環状7号線(環七/かんなな)との交差地点に1面2線のホームがあり、環七がその下をくぐる形で立体交差している。

 野方駅は各停のみ停車するが、野方駅の西側には南北に商店街が伸びており、北口に「北原通り」、南口に「野方駅前商店街」、「ヤッホーROAD」、「野方本町通り」などの商店街があり、飲食店が集まり、活気がある。

 商店街が発達している一方で、駅周辺の道路が狭く、南口側の「野方本町通り」のところに野方駅のバス乗り場があり、JR中央本線の高円寺(こうえんじ)駅や中野(なかの)駅方面へのバスが発着している。このほか、環七沿いにも環七を走るバスのバス停があり、高円寺、練馬(ねりま)、大和町(板橋本町駅)、赤羽(あかばね)、王子(おうじ)方面など環七沿線の各地を結ぶバスが頻繁に走っている。

 野方といえば、ラーメンのまちとしても知られている。毎日数えきれないほどのドライバーが通過する環七沿いには、多くのラーメン屋があり、特に1980年代には「環七ラーメン戦争」と呼ばれるほど競争が激化していた。そんななか、野方と高円寺の間に昭和63年(1988年)に創業したラーメン「野方ホープ」は、豚骨と鶏と野菜のスープに醤油ダレと豚の背油を合わせたラーメンが人気を呼び、行列の店となり、関東でチェーン展開するほどの人気店となっている。

東京・野方エリアの主な駅

野方 / のがた 駅
西武鉄道 新宿線

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西武新宿線・野方駅

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西武新宿線・野方駅

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野方駅ホームから見た環七

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野方駅北口の「北原通り」商店街

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野方駅南口の「野方駅前商店街」

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野方・ヤッホーROAD

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野方本通商店街

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野方駅バス停

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野方駅バス停

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テーマ : 東京
ジャンル : 地域情報

東京・鷺ノ宮 西武新宿線と妙正寺川と鷺宮八幡神社

東京・鷺ノ宮
とうきょう・さぎのみや

日本国東京都中野区

東京・鷺ノ宮 西武新宿線と妙正寺川と鷺宮八幡神社

 鷺ノ宮(さぎのみや)は、東京(とうきょう)都の中野(なかの)区にある地区で、西武鉄道・新宿線の鷺ノ宮駅がある。

 鷺ノ宮駅は2面3線のホームがあり、準急、急行、通勤急行などが停車し、下りの小平(こだいら)方面行きの電車が緩急接続を行っている。特急「小江戸」は通過する。西武新宿線の沿線は住宅密集地が多く、駅の拡張が困難で、新宿を結ぶ大幹線であるが、上石神井(かみしゃくじい)、井荻(いおぎ)、鷺ノ宮、沼袋(ぬまぶくろ)、中井(なかい)など、2面3線の駅で上下線分散しながら普通電車の追い抜きを行っている。

 鷺ノ宮からは新宿方面へは、準急、急行、通勤急行ともに高田馬場(たかだのばば)駅まで停車せず、途中6駅を通過する。このため、鷺ノ宮駅は他線との乗り換え駅ではないが、急行停車駅として存在感がある。

 鷺ノ宮駅の南側は、妙正寺川(みょうしょうじがわ)が流れ、駅の近くで大きく曲がっている。川の南へ少し歩くと、鷺ノ宮の地名の由来にもなった「鷺宮八幡神社」(さぎのみや はちまんじんじゃ)がある。鷺宮八幡神社は、平安時代の1064年(康平7年)に源頼義(みなもと の よりよし)が、八幡神を祀った社殿をこの地に建て、境内に鷺(サギ)が多くいたことから鷺宮(さぎのみや)と呼ばれるようになったのだという。

 鷺ノ宮駅の北側は、商店が集まり、にぎやかだ。鷺ノ宮駅の西側には中杉通りが南北に貫いており、練馬(ねりま)区の西武池袋線・中村橋(なかむらばし)駅、練馬駅方面や、杉並(すぎなみ)区のJR中央線・阿佐ヶ谷(あさがや)駅、荻窪(おぎくぼ)駅方面を結ぶバスが頻繁に運行されている。

東京・鷺ノ宮エリアの主な駅

鷺ノ宮 / さぎのみや 駅
西武鉄道 新宿線

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西武新宿線・鷺ノ宮駅

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鷺ノ宮駅を通過する特急「小江戸」

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踏切から見た西武新宿線・鷺ノ宮駅

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西武新宿線・鷺ノ宮駅北口

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中杉通り

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中杉通り

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妙正寺川

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鷺宮八幡神社

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鷺宮八幡神社

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テーマ : 東京
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東京・池上 日蓮宗の大本山の池上本門寺と東急池上線

東京・池上
とうきょう・いけがみ

日本国東京都大田区

東京・池上 日蓮宗の大本山の池上本門寺と東急池上線

 池上(いけがみ)は、東京(とうきょう)都の大田(おおた)区にある地区で、東急電鉄・池上線の池上駅がある。

 五反田(ごたんだ)~池上~蒲田(かまた)を走る東急池上線は、「池上本門寺」(いけがみ ほんもんじ)の参拝客の便を図るために大正11年(1922年)に池上電気鉄道として蒲田~池上が開業。翌年に雪ヶ谷(ゆきがや)まで延伸され、昭和3年(1928年)に五反田まで延伸されて全線開業した。

 池上電鉄は、当初の計画では目黒(めぐろ)方面に伸ばす計画であったが、大正12年(1923年)に目黒から大岡山(おおおかやま)、田園調布(でんえんちょうふ)を経由して蒲田を結ぶ目黒蒲田電鉄(旧・東急目蒲線、現・東急目黒線、多摩川線)が開業し、池上電鉄のルートと大きく重なったため、東京側のターミナル駅を五反田駅へと切り替えたのだった。

 目黒蒲田電鉄が池上電鉄の路線に覆いかぶさるようなルートで建設されたため、池上電鉄の経営をおびやかすものとなった。池上電鉄は雪ヶ谷から奥沢方面に新線を建設して目黒蒲田電鉄の客を吸い取ろうと画策したが、後に目黒蒲田電鉄によって昭和9年(1934年)に買収され、新奥沢線も廃止された。目黒蒲田電鉄の五島慶太(ごとう けいた)社長はその後、東横線の前身の東京横浜電鉄も合併し、後の東急電鉄グループの創設者となった。

 池上駅は2面2線のホームの駅で、池上駅は蒲田寄りで東から南へ大きくカーブしているが、もともとは直進して池上通り沿いに大森(おおもり)駅方面へ建設する計画だったのが蒲田方面に向かうよう計画変更された名残りである。

 池上本門寺へは、北へ徒歩約10分。池上本門寺は日蓮宗の大本山である「長栄山大国院本門寺」であり、1282年(弘安5年)に日蓮(にちれん)は生涯の最後を、この地の武士である池上宗仲(いけがみ むねなか)の邸宅で過ごし、没した。池上宗仲は、法華経の字数(6万9384字)に合わせて約7万坪の土地を寄進し、「池上本門寺」が築かれた。

 境内には総門、仁王門、五重塔、大堂、本堂などがあり、いずれも壮大な建築物で、多宝塔は日蓮聖人御荼毘所であり、御廟所は日蓮聖人の後灰骨を奉安している。池上本門寺は、昭和20年(1945年)にアメリカ軍の空襲被害が大きく、本堂、大堂、御廟所、仁王門などの建物は焼失し、戦後に再建されている。一方、五重塔や総門は空襲をまぬがれ、木造の美しい姿がそのまま残されている。池上本門寺の周辺には法養寺、妙見堂、照栄院、常仙院、中道院、本成院、理境院、覚源院、南之院、厳定院、實相寺などの寺院が集まっている。池上本門寺の北には東京都営地下鉄の馬込車両基地があり、都営浅草線の西馬込(にしまごめ)駅も近い。

東京・池上エリアの主な駅

池上 / いけがみ 駅
東急電鉄 池上線

西馬込 / にしまごめ 駅
東京都営地下鉄 浅草線

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東急池上線・池上駅

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東急池上線・池上駅

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東急池上線・池上駅

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池上本門寺の大堂

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池上本門寺の多宝塔

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東京都営地下鉄の馬込車両基地

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テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

東京・上石神井 ホームに踏切が迫る狭い駅前と外環再開発

東京・上石神井
とうきょう・かみしゃくじい

日本国東京都練馬区

東京・上石神井 ホームに踏切が迫る狭い駅前と外環再開発

 上石神井(かみしゃくじい)は、東京(とうきょう)都の練馬(ねりま)区にある地区で、西武鉄道・新宿線の上石神井駅がある。

 上石神井駅は駅の南東側に車両基地が併設されている準急や急行も停車する主要駅で、一部の電車は同駅で折り返す。2面3線のホームがあり、真ん中が上下線共通の待避線として緩急接続も行われている。

 上石神井駅は石神井川(しゃくじいがわ)が約600m北を流れ、さらに北西1キロのところに石神井公園がある。

 上石神井駅前は、狭い道路の商店街が集まり、駅ホームの西端がすぐ踏切になっている。しかも、その踏切には路線バスが走り、踏切の両側にバス乗り場があり、北口は石神井公園駅、大泉学園(おおいずみがくえん)、成増(なります)方面、南口は吉祥寺(きちじょうじ)、西荻窪(にしおぎくぼ)方面へのバスが発着しているが、乗り場も周辺の道路も非常に狭い。それが上石神井の町の雰囲気らしいとも言えるが、歩行者と車両の距離が近すぎて危険な感じもある。

 このような状況を改善するため、上石神井駅周辺の再開発計画がある。この狭い駅前は、東京外環自動車道が通る南北道路の建設と一体的に進められることになっている。その際には、踏切も立体交差化されることになる。今後、この町がどのように変化していくのか気になるところだ。

東京・上石神井エリアの主な駅

上石神井 / かみしゃくじい 駅
西武鉄道 新宿線 

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踏切がホームに迫る西武新宿線・上石神井駅

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踏切がホームに迫る西武新宿線・上石神井駅

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上石神井駅の車両基地

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上石神井駅から見た西武新宿線電車

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上石神井駅北口

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上石神井駅北口

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上石神井駅北口のバスターミナル

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上石神井駅南口の中央通り商店街

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上石神井駅南口の南大通り商店街

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テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

東京・永福町 京王井の頭線と京王リトナード永福町

東京・永福町
とうきょう・えいふくちょう

日本国東京都杉並区

東京・永福町 京王井の頭線と京王リトナード永福町

 永福町(えいふくちょう)は、東京(とうきょう)都の杉並(すぎなみ)区にある地区で、京王電鉄井の頭線の永福町駅がある。

 京王井の頭線は、昭和8年(1933年)に帝都電鉄として開業し、戦時中の合併(小田急、大東急)を経て、戦後の昭和23年(1948年)に京王帝都電鉄の井の頭線となった。京王本線の軌間が1372mmなのに対し、井の頭線が1067mmであるのは、帝都電鉄として建設された歴史によるものであり、京王電鉄も平成10年(1998年)まで京王帝都電鉄という社名だった。

 永福町駅は、帝都電鉄として開業したときから駅に車両基地と永福町検車区と永福町工場が併設されていた。昭和20年(1945年)のアメリカ軍による東京大空襲では、永福町の車両基地が爆撃され、留置していた車両のほとんどが焼失する壊滅的な被害を受けた。戦後、京王帝都電鉄となってからも車両基地として使用されてきたが、昭和40年代に車両基地や検車区が富士見ヶ丘(ふじみがおか)に移転し、永福町の車両基地と検車区と工場が廃止され、跡地が京王バスの車庫となったほか、永福町駅が急行の緩急接続が可能な2面4線のホームに拡張された。

 井の頭線の急行は、永福町と明大前(めいだいまえ)に連続停車するが、明大前駅は京王本線との乗り換え客が多く、ホームが非常に混雑するため、急行と各停の乗り換えを永福町駅で行うことにより、混雑を分散している。

 永福町駅は平成23年(2011年)に駅舎の橋上化と合わせて駅ビル「京王リトナード永福町」がオープンした。屋上庭園からは、新宿の高層ビル群の眺めがよい。永福町の駅周辺は住宅街が広がっていて、少し歩けば神田川や大宮八幡宮の近くを眺める善福寺川の散歩が楽しい。

東京・永福町エリアの主な駅

永福町 / えいふくちょう 駅
京王電鉄 井の頭線

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京王井の頭線・永福町駅

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京王井の頭線・永福町駅

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永福町駅の駅ビル「京王リトナード永福町」

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「京王リトナード永福町」の屋上庭園

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屋上庭園から見た京王井の頭線

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屋上庭園から見た新宿の高層ビル群

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東京・中野富士見町 地下鉄丸ノ内線の車両基地がある駅

東京・中野富士見町
とうきょう・なかのふじみちょう

日本国東京都中野区

東京・中野富士見町 地下鉄丸ノ内線の車両基地がある駅

 中野富士見町(なかのふじみちょう)は、東京(とうきょう)都の中野(なかの)区にある地区で、東京メトロ丸ノ内線(方南町支線)の中野富士見町駅がある。

 営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線は昭和29年(1954年)に池袋(いけぶくろ)~御茶ノ水(おちゃのみず)が開業し、徐々に延伸区間が開業して昭和34年(1959年)に池袋~新宿(しんじゅく)が全通した。その後、さらに新宿から西へ新宿~中野坂上(なかのさかうえ)~荻窪に営団荻窪線が建設され、さらに荻窪線支線(方南町支線)として中野坂上~中野富士見町~方南町(ほうなんちょう)が建設された。そして、昭和36年(1961年)に新宿~中野坂上~南阿佐ヶ谷(みなみあさがや)と中野坂上~中野富士見町が開業。その翌年に新宿~荻窪と中野坂上~方南町が全通し、昭和47年(1972年)に荻窪線は丸ノ内線に線名が統一された。

 東京の都心を走る地下鉄は、車両基地の用地を確保することが難しく、郊外への延伸を見越して、郊外に車両基地の用地を確保しておく必要があった。中野富士見町の中野検車区および車両基地は、営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線の建設とその延伸を見越して、昭和19年(1944年)に用地を確保していたもので、実際に車両基地や検車区の使用を開始したのは中野富士見町駅まで開通した昭和36年(1961年)のことである。この先見の明は見事である。

 中野坂上~方南町の丸ノ内線方南町支線は、中野検車区のためにおまけで建設されたともいえ、中野坂上駅から本線と分かれて南下し、本線から約1キロ南に中野新橋(なかのしんばし)駅と中野富士見町駅が開設され、その先、杉並区に入ったところの環七通りとの交差点のところの方南町駅まで建設された。この方南町支線は新宿と直線距離は近いが鉄道交通が不便だった空白地帯をカバーしており、日中は方南町~中野坂上の折り返し運転であるが、朝夕ラッシュ時には出入庫を兼ねて、中野富士見町から新宿方面へ直通運転する電車が設定されており、便利である。

 中野車両基地は、中野富士見町駅の先から地上に出て、神田川の南側に広がっている。丸ノ内線の車両のほか、同じ軌間1435mmで第三軌条方式の銀座線の車両も検査を行っている。中野富士見町の近くを南北に通る中野通りは、中野区の南北を結ぶバスが頻繁に走っており、笹塚(ささづか)方面から中野富士見町駅、新中野(しんなかの)駅の近くを通ってJR中野駅まで結んでいる。

東京・中野富士見町エリアの主な駅

中野富士見町 / なかのふじみちょう 駅
東京メトロ 丸ノ内線(方南町支線)

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中野富士見町駅前の風景

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地下から地上の中野車両基地につながる線路

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東京メトロ中野車両基地

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東京メトロ中野車両基地

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東京メトロ中野車両基地

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東京・荻窪 闇市から発展した荻窪ラーメンとクラシックのまち

東京・荻窪
とうきょう・おぎくぼ

日本国東京都杉並区

東京・荻窪 闇市から発展した荻窪ラーメンとクラシックのまち

 荻窪(おぎくぼ)は、東京(とうきょう)都の杉並(すぎなみ)区にある地区で、JR東日本・中央本線(快速線・緩行線)と東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅がある。

 荻窪駅は、明治24年(1891年)に甲武鉄道の駅として開業した。甲武鉄道は明治39年(1906年)に国有化され、国鉄中央本線の一部となった。昭和41年(1966年)に荻窪~中野(なかの)の複々線化工事が完成し、東京メトロ東西線の電車が中野から荻窪方面に乗り入れてくるようになった。昭和44年(1969年)には荻窪~三鷹が複々線化が完成し、東西線および中央緩行線の運行が三鷹まで延長された。

 荻窪駅の東側では、青梅街道が北西から南東へと斜めに交差しており、青梅街道は荻窪から新宿(しんじゅく)駅方面につながっている。この青梅街道に大正10年(1921年)、西武軌道の荻窪~淀橋(新宿)の路面電車が開業した。同線は、川越方面へとつながる構想もあったが、併用軌道の路面電車であるため、高速運転で不向きであることから、この構想は西武鉄道・新宿線へと引き継がれることになった。西武軌道は戦時中の昭和17年(1942年)に東京市電気局に移管され、戦後は都電杉並線として東京都電の一路線となった。

 一方、都電杉並線に並行するように、青梅街道の地下に営団地下鉄・荻窪線(現・東京メトロ丸ノ内線)が建設され、昭和37年(1962年)に営団荻窪線の荻窪駅が開業した。荻窪駅は国鉄荻窪駅の南側の地下に設けられた。営団荻窪線の荻窪~新宿が全通し、営団丸ノ内線との一体運行により、荻窪から霞が関(かすみがせき)、銀座(ぎんざ)などへ非常に便利になり、中央線の混雑緩和にも寄与している。また、地下鉄と重複する都電杉並線は地下鉄開業一年後の昭和38年(1963年)に廃止された。営団荻窪線は昭和47年(1972年)に路線名が「丸ノ内線」に統合された。

 歴史ある荻窪駅の駅周辺は、南口の「仲通り商店街」や北口の「荻窪駅前北口商店街」、「ハクサンタウンズ(白山通り商店会)」など、商店街が充実している。荻窪駅の北口は、戦後に闇市ができ、そこでラーメン店ができ、それが後に青梅街道沿いに広がった。魚介系醤油スープのラーメンは後に「荻窪ラーメン」として知られるようになり、また、つけ麺の元祖ともいわれる「丸長」も荻窪で創業した。

 荻窪駅北口にある「荻窪タウンセブン」は、戦後の闇市から発展した荻窪新興商店街が前身であり、木造家屋が多く火災が頻発し、老朽化も進んでいたことから昭和56年(1981年)に「荻窪セブンタウン」ビルが完成し、新興商店街の店舗と「西友」荻窪店が入った。

 荻窪駅の北西にある「杉並公会堂」は、昭和32年(1957年)に開館し、当時は東京・日比谷の「日比谷公会堂」と並ぶ1000席を上回るホールがあり、コンサートやテレビ収録などにも使用された。リニューアルのため旧館が平成15年(2003年)に取り壊され、平成18年(2006年)に現在の新館が完成した。日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズホールとなっており、杉並区は荻窪をクラシックのまちとして街づくりを進めており、荻窪周辺の各スポットでクラシック演奏を楽しむ「荻窪音楽祭」が毎年秋に開催されている。

荻窪エリアの主な駅

荻窪 / おぎくぼ 駅
JR東日本 中央本線(快速線・緩行線)
東京メトロ 丸ノ内線

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JR中央線・荻窪駅

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荻窪駅北口のハクサンタウンズ

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荻窪北口駅前商店街

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荻窪駅北口

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荻窪駅南口の仲通り商店街

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東京メトロ丸ノ内線・荻窪駅

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東京・羽田空港 東京の空の玄関、再国際化で発展続く羽田空港

東京・羽田空港
とうきょう・はねだくうこう

日本国東京都大田区

東京・羽田空港 東京の空の玄関、再国際化で発展続く羽田空港

 羽田空港(はねだくうこう)は、東京(とうきょう)都の大田(おおた)区にある国際空港で、正式名称は「東京国際空港」。

 翼を連想させる「羽田」は、いかにも空港らしい地名だが、その由来は空港とは関係がない。由来は諸説あるが、江戸時代にはこの一帯はすでに「羽田」と呼ばれており、東京府荏原郡羽田村は明治40年(1907年)に羽田町となり、昭和7年(1932年)に東京市に編入された。そして戦後、東京都大田区に属するようになった。

 東京湾に面する羽田に、大正6年(1917年)に日本飛行大学校が開校し、訓練場としての「羽田飛行場」が開設された。関東大震災を経て滑走路等が拡張され、昭和6年(1931年)に日本初の民間航空用の空港である「東京飛行場」が海老取川の東、穴守稲荷の北の羽田江戸見町(当時は鈴木新田字江戸見崎)に開港した。昭和13年(1938年)に滑走路が延長され、大阪や福岡への国内路線や、当時日本領だった台湾の台北や朝鮮の京城(現・ソウル)、そのほか満洲国や中華民国などへの国際路線が運航される国際空港となった。戦時中は、軍用飛行場として使われ、戦後はアメリカ軍に接収された。

 米軍は羽田飛行場周辺の江戸見町、穴守町、鈴木町(いずれも海老取川の東)の住民を強制退去させ、米軍は羽田飛行場を基地として拡張するため、これらの住宅地をすぐに破壊した。昭和27年(1952年)のサンフランシスコ条約により、日本は独立を取り戻し、米軍占領時代が終わり、「Haneda Army Airbase」(米軍羽田陸軍航空隊基地)と呼ばれた羽田飛行場も日本に返還されることになった。そして、昭和27年(1952年)、返還により、「東京国際空港」が再開港し、東京の空の玄関口となった。

 昭和39年(1964年)の東京オリンピックの年に、羽田~浜松町(はままつちょう)に東京モノレールが開業した。羽田空港は東京国際空港として急発展を遂げたが、輸送量の処理が追いつかなくなり、昭和41年(1966年)より新しい国際空港として千葉県成田市に新東京国際空港(成田空港)の建設が始まった。成田空港は激しい建設反対運動に遭いながら紆余曲折を経て昭和53年(1978年)に開港した。これにより、国内線は羽田、国際線は成田との内際分離体制となった。

 成田空港開港後、羽田空港は成田乗り入れが国際政治的な理由で認められなかった台湾行きの中華航空のみ国際線が残された(中華航空と台湾エバー航空は2002年に成田乗り入れが認められた)ほかは、国内線の空港として発展し続けた。特に大阪(伊丹)、福岡、札幌(千歳)、沖縄(那覇)、鹿児島、広島、松山、長崎などへの路線の需要が大きく、増え続ける羽田空港の需要に対応するため、羽田空港沖合の埋め立て工事が行われ、平成5年(1993年)に沖合に「ビッグバード」という愛称の新しいターミナルが完成し、旧ターミナルは解体された。

 この新しいターミナルに乗り入れるため、東京モノレールは羽田駅を移転した上で、新しいターミナルビルの地下の羽田空港駅(現・羽田空港第1ビル駅)へ延伸した。一方、京急空港線も平成3年(1991年)から穴守稲荷~羽田空港を休止して、穴守稲荷より先を地下化し、海老取川をトンネルでくぐり、東京モノレールの新・羽田駅(現・天空橋駅)と交わる地点の地下に羽田駅を建設し、平成5年(1993年)に開業。ここから東京モノレールに乗り換えて羽田空港の新ターミナルへ行けるようになった。

 東京モノレールと京急空港線の羽田駅は、平成10年(1998年)に京急空港線の羽田~羽田空港駅が延伸され、羽田駅が天空橋駅に改称された。天空橋は海老取川に架かる橋の名前からとったものだが、天空が空港を連想させる。天空橋駅となってからは、京急とモノレールの両線が羽田空港ターミナルビルに乗り入れているため、乗り換える旅客はほとんどいないが、天空橋駅自体は、海老取川の西に広がる穴守稲荷周辺の住宅街の住民が利用しやすい地域密着の駅として生まれかわっている。

 成田空港の容量も徐々に過密となり、しかも成田は都心から遠く、国内線との乗り継ぎの便も悪いことから、平成22年(2010年)秋の羽田空港第4滑走路の完成に合わせて羽田空港に国際線ターミナルを再整備し、本格的に国際線運航を開始することになった。

 そして、平成22年(2010年)10月に羽田空港の新国際線ターミナルビルがオープンし、これに合わせて東京モノレール羽田線の羽田空港国際線ビル駅と、京浜急行電鉄空港線の羽田空港国際線ターミナル駅が開業した。国内線ターミナルは従来のA滑走路の東側にあるが、新しい国際線ターミナルはA滑走路の西側、天空橋駅の南東側にできた。

 東京モノレールのホームは国際ターミナルビルの出発ターミナル(3階)と同じフロアに作られ、浜松町(はままつちょう)駅から到着した旅客は下車してそのまま階段を上り下りする必要なく、そのままチェックインできる。一方、到着ターミナルは出発ターミナルの一つ下のフロア(2階)で、改札からエスカレーターやエレベーターで上って、浜松町方面のホームにすぐ行けるので便利だ。モノレールの空港快速は浜松町までノンストップで結ぶ。

 京急は地下にホームが設けられ、エスカレーターやエレベーターでターミナルビルに行くことができる。東京モノレールより若干遠いが、京急は品川(しながわ)のほか地下鉄浅草線に直通して新橋(しんばし)、浅草(あさくさ)方面へ乗換えなしで行けるのが便利だ。京急のエアポート快特は品川までノンストップで約13分で結んでいる。また、エアポート急行の多くは、蒲田(かまた)まで各駅に停まるが、乗り換えなしで横浜(よこはま)方面を結んでおり、横浜方面からも利用しやすい。

 ところで、羽田空港の再国際化により、海外からの旅行客が増加すると、大きな荷物を持った旅客が増加することになる。東京モノレールは便利ではあるが、国内線の第2、第1ターミナル出発時点ですでに座席が埋まってしまい、国際ターミナルから乗った場合、立ち席となる確率が高い。それは京急も同様であり、なぜ国際線を奥のほうへ持っていかなかったのか残念だ。

 特に京急は、蒲田(かまた)周辺の通勤・通学利用客も多く、国際線の長距離客を通勤ラッシュの電車に押し込めるのは、外国人の日本の第一印象が悪くなる。その点、エアポート快特を蒲田通過にしたのは、蒲田の住民にしてみれば不愉快かもしれないが、京急沿線客と空港利用客を分離したのはよかったと思う。

 そのほか改善策は、現在の京急のエアポート快特に名鉄特急や南海特急サザンのように、一部座席指定の車両を併結すればよいと思う。また、東京周辺の近郊電車のように2階建てグリーン車のような車両をつなげるのもいい。それができなければ、せめて関西空港のJRの関空快速のように1&2の転換クロスシート車をつなげるなどして、ほかのアジアの国際ハブ空港と同様に、国際線を利用する旅客が座って都心部へ移動できるよう配慮してほしい。

 さて、空港ターミナルビルは、出発ターミナルの上の階に「E・DO MARKET PLACE」というショップとレストランが集まる商業施設となっている。一つ上の4階に、「江戸小路」と名づけられた江戸風の商店街におみやげ屋やレストランが集まっている。このような商業施設はセントレア(中部国際空港)にもあるが、日本らしさが凝縮され、日本の玄関口として非常によい設計だと思う。

 その上の5階は、「TOKYO POP TOWN」と名づけられ、日本が誇るアニメやキャラクターのショップ、プラネタリウムのカフェ、おみやげ屋などがあり、屋外は滑走路が見える展望台となっている。

 本格的に再国際化した羽田空港からは、韓国のソウル(金浦、仁川)、台湾の台北(松山)、中国の上海(虹橋)、北京、香港などの近隣アジア路線のほか、深夜便を利用したシンガポール、マレーシア・クアラルンプール、タイ・バンコクなどのアジア路線、ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコなどのアメリカ路線、フランス・パリなどのヨーロッパ路線が就航し、成田空港を補完する東京第2国際空港として新しい地位を築きつつある。

東京・羽田空港エリアの主な駅

羽田空港(国内線ターミナル) / はねだくうこう こくないせんターミナル 駅
京浜急行電鉄 空港線
羽田空港第2ビル / はねだくうこう だいにビル 駅
東京モノレール 羽田空港線
羽田空港第1ビル / はねだくうこう だいいちビル 駅
東京モノレール 羽田空港線

羽田空港国際線ターミナル / はねだくうこう こくさいせんターミナル駅
京浜急行電鉄 空港線
羽田空港国際線ビル / はねだくうこう こくさいせんビル駅
東京モノレール 羽田空港線

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東京羽田空港(国内線第2ターミナル)

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東京羽田空港(国内線第2ターミナル)

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東京羽田空港国内線第2ターミナルビル

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京急電鉄・羽田空港国内線ターミナル駅

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京急電鉄・羽田空港国内線ターミナル駅

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東京モノレール羽田空港第2ビル駅(国内線)

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国際線ターミナルから見た羽田空港

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東京羽田~台北松山を結ぶエバー航空

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羽田空港国際線ターミナル出発ロビー

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羽田空港国際線ターミナルの江戸小路

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羽田空港国際線ターミナルの日本橋

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東京モノレール・羽田空港国際線ビル駅

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羽田国際ターミナルに乗り入れる東京モノレールの新線と旧線

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東京・成城 成城学園都市と地下化された小田急

東京・成城
とうきょう・せいじょう

日本国東京都世田谷区

東京・成城 成城学園都市と地下化された小田急

 成城(せいじょう)は、東京(とうきょう)都の世田谷(せたがや)区にある地区で、小田急電鉄・小田原線の成城学園前(せいじょうがくえんまえ)駅がある。

 成城は、古くは北多摩(きたたま)郡の砧(きぬた)村にあり、雑木林が広がる台地だった。昭和11年(1936年)に東京市に編入され、世田谷区に属するようになった。

 砧村に小田急電鉄が建設されることになり、教育学者の小原國芳(おばら くによし)が駅予定地周辺の土地を購入し、これを区画整理し、開発して販売し、その利益を学校建設に当てた。そして、東京都新宿区(旧・牛込区)の成城学校(現在の成城中・高等学校)から分離した成城学園が大正14年(1925年)にこの地に移転し、昭和2年(1927年)に小田急の成城学園前駅が開業した。

 これにより、駅周辺は「成城」(せいじょう)という地名が定着し、学校と高級住宅街が広がる学園都市として発展していった。駅の北東に成城大学、成城学園中学・高校、成城学園初等学校、成城幼稚園など成城学園グループの学校の敷地が広がっており、小田急は通学客で込み合う。南口も住宅街が広がり、約1キロ南に東京大学付属小・中・高校、砧中学校、科学技術学園高校などの学校や、日本最大規模の撮影スタジオである「東宝スタジオ」(東宝砧撮影所)がある。 

 成城学園前駅は、準急や急行、多摩急行、特急ロマンスカー「メトロはこね」「メトロホームウェイ」などが停車する主要駅で、2面4線のホームで緩急接続が可能な駅であったが、複々線化と立体交差化のため、地下化工事が行われ、平成14年(2002年)に1面2線のホーム(現在の小田原方面行きホーム)で地下化され、平成16年(2004年)にもう一つの1面2線ホームが完成し、複々線化に合わせて2面4線のホームとなった。

 成城学園前駅は、もともと台地にあったため、次の喜多見まで下り勾配となっていたが、成城学園前駅の地下化と喜多見駅の高架化で、この下り勾配がなだらかになった。また、地平のホーム跡には駅ビル「成城コルティ」が平成18年(2006年)に完成した。また駅周辺の地平の線路跡は西口バスターミナルや自転車駐輪場になった。西口バスターミナルからは京王電鉄の調布(ちょうふ)駅や千歳烏山(ちとせからすやま)駅、南口からは、東急電鉄の渋谷(しぶや)、都立大学(とりつだいがく)、用賀(ようが)、二子玉川(ふたこたまがわ)などのバスが発着し、世田谷区の南北をつなぐ交通の拠点となっている。

 このほか、成城学園前駅から喜多見寄りの北側には、平成6年(1994年)に喜多見検車区が開設された。ここは、小田急複々線化事業の一環で、車庫の上部の人工基盤の上に「きたみふれあい広場」がある。

東京・成城エリアの主な駅

成城学園前 / せいじょうがくえんまえ 駅
小田急電鉄 小田原線

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地下化された小田急・成城学園前駅

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成城学園前駅南口

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成城学園前駅西口バスターミナル

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成城学園前駅西口の自転車置き場

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成城コルティから見た喜多見方面の眺め

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成城コルティ

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成城学園前から祖師谷大蔵方面の眺め

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