FC2ブログ

福岡・大橋 大学が集まる南区の中心駅

福岡・大橋
ふくおか・おおはし

日本国福岡県福岡市南区

福岡・大橋 大学が集まる南区の中心駅

 大橋(おおはし)は、福岡(ふくおか)市の南(みなみ)区にある地区で、西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線の大橋駅がある。

 大橋駅は大正13年(1924年)に開設され、昭和53年(1978年)に高架化された。2面4線のホームがあり、各駅停車が急行や特急の待避を行う。福岡市南区の中心部にあり、以前から利用客は多かったが、西鉄福岡(天神/てんじん)まで近いため、特急は通過していた。

 しかし、近年は天神大牟田線の駅利用者数が西鉄久留米(にしてつ くるめ)駅を抜いて、西鉄福岡、薬院に次いで3番目になったことから、平成29年(2017年)より特急停車駅に昇格した。

 大橋駅の駅前(東口)には福岡市南区役所がある。また、大橋駅の周辺には学校が多く集まり、東口側には九州大学大橋キャンパス、西口側には純真学園大学・短大、純真高校、筑紫丘高校、那珂川(なかがわ)を渡ったところに香蘭女子短大がある。

 大橋駅は、南区の中心ということで、バス交通も発達しており、大橋駅東口からJR博多南駅方面、天神方面、博多駅方面、福岡空港方面などのバスが発着している。

福岡・大橋エリアの主な駅

大橋 / おおはし 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

oohashi1.jpg
西鉄天神大牟田線・大橋駅

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ : 福岡
ジャンル : 地域情報

台湾 嘉義・阿里山 阿里山森林鉄道と阿里山茶と日の出、ツォウ族のマヤスビ、玉山登山

阿里山
Psoseongana
アリサン/ (台湾語/ホーロー語)
プソセオンガナ/Psoseongana (ツォウ語)
アーリーサン/ (台湾華語/北京語)

臺灣嘉義縣阿里山鄉
台湾嘉義県阿里山郷

台湾 嘉義・阿里山 阿里山森林鉄道と阿里山茶と日の出、ツォウ族のマヤスビ、玉山登山

 阿里山(台:アリサン/華:アーリーサン)郷は、嘉義(カーギー/チアイー)県東部にある人口約0.6万人の村。ツォウ(Cou/鄒)族が住む山地原住民郷で、現地のツォウ語では「Psoseongana」(プソセオンガナ)と呼ばれている。

西が嘉義県の梅山(ムイサン/メイサン)郷、竹崎(ティッキア/ツウチー)郷、番路(ホワンロー/ファンルウ)郷、大埔(トアポー/タープウ)郷、南が高雄(コーヒョン/カオション)市の那瑪夏(ナマシア/Namasia)区、桃源(トーゴワン/タオユエン/ガニ/Ngani)区、東が南投(ラムタウ/ナントウ)県の信義(シンギー/シンイー/ネフンプ/Nehunpu)郷、北が南投県の竹山(ティクサン/ツウサン)郷と接している。

 ツォウ族は勇猛で、かつて異部族との戦いで首狩りをすることもあったが、ツォウ族との通訳を務め、ツォウ族からも信頼の厚かった呉鳳(ゴー ホン)が、ツォウ族が平地の村を襲おうとした際に自分の首をはねさせることで首狩りをやめさせたという「呉鳳神話」を、日本および中華民国の統治当局がツォウ族の統治に利用し、教科書にもこの物語を載せて教育にも採り入れていた。阿里山は戦後、呉鳳の義挙を記念して嘉義県呉鳳郷と呼ばれて来たが、台湾原住民族の権利運動の高まりを受けて、1989年に呉鳳郷から阿里山郷に改名された。

 阿里山郷の郷公所(村役場)は、阿里山公路(台18線)の竹崎郷の高山茶の栽培が盛んな石桌(チオト)に近い、ララウヤ(Lalauya/拉拉吾雅/樂野)にある。阿里山郷のツォウ族の最も大きな集落は、曾文渓(ツァンブンケー)の上流のタッパン(Tapangu/達邦)で、そのほかトフヤ(Tfuya/特富野)、ニヤウチナ(Niaeucna/里佳)、サビキ(Saviki/山美)、シンビ(Sinvi/新美)、チャヤマバナ(Cayamavana/茶山)などのプングー(Pnguu/來吉)などの集落がある。タッパンやニヤウチナでは茶葉の栽培が盛んで、「阿里山茶」のブランドを確立している。

 ツォウ族最大の祭典は「マヤスビ」(Mayasvi)と呼ばれる戦祭で、毎年、タッパン(達邦)またはトフヤ(特富野)で行われている。クバ(Kuba)と呼ばれる神聖な場所に男性の勇士らが集まり、神聖な儀式が行われる。ツォウ族の人たちが輪になって歌う「ミヨメ」(Miyome)などの合唱は、少し物悲し気なメロディーと高い歌唱力で、非常に芸術性が高い。

 阿里山郷は、日本統治時代に森林開発のため阿里山森林鉄道が嘉義~阿里山に建設された。阿里山郷の区間は大正初期に開業している。阿里山郷内には阿里山本線の多林(トーリム/トゥオリン)、十字路(シプジーロー/スーツールウ)、屏遮那(ヘーセンナー/ピンツォーナー)、二万坪(二萬坪/ジーバンペェ/アルワンピン)、神木(シンボク/センムウ)、阿里山(アリサン/アーリーサン)、祝山線の沼平(ツァウピン/ツァオピン)、十字分道(シプジーフントー/スーツーフェンタオ)、対高岳(對高岳/トゥイコーガッ/トエイカオユエ)、祝山(チョクソワ/ツウサン)の各駅がある。

 阿里山森林鉄道は、2009年8月の「八八水害」で甚大な被害を受けたため、山上部の神木~阿里山~祝山以外の神木より西の区間が長らく不通となっていた。2017年にようやく竹崎郷の奮起湖(プンキーオー/フェンチーフウ)~十字路が再開し、嘉義~十字路の運行が行われているが、その先は2019年現在も不通となっている。十字路~屏遮那の区間の被害が深刻なため、1キロ余りの屏遮那トンネルを掘削し、2021年頃の全線開通を目指している。阿里山森林鉄道は、パイナップルやバナナの畑が広がる亜熱帯の嘉義から、標高1000mあたりで温帯の竹や茶畑が目立つようになり、標高2000mに達するとヒノキの針葉樹林が広がるこの風景の変化が非常に美しい。二万坪駅は、駅の向こうに美しい山の絶景が広がり、駅の下に雲海が広がることもある。台湾映画『星空』のロケ地としても知られている。

 阿里山駅は、かつては沼平駅が阿里山の中心駅であったが、1976年に沼平の集落で大規模な火災が発生したことから、集落を現在の阿里山駅の近くに移転し、1981年に中正村に阿里山駅が開設された。この阿里山駅は1999年の台湾中部大地震で駅舎がダメージを受けたため、建て直すことになり、現在の駅は2007年に完成した。阿里山駅の標高は2216m。阿里山駅周辺には旅行者のためのホテルや飲食店が集まり、阿里山~嘉義を結ぶ嘉義県バスのバス乗り場もある。

 阿里山~神木は、神木から嘉義方面の本線が長らく不通であるため「神木線」として区間運行している。神木駅は阿里山森林鉄道阿里山本線がスイッチバックする駅構造となっている。神木駅周辺にはかつて樹齢3000年以上と言われるヒノキの大木があり、「御神木」と呼ばれていたが、1956年に雷が直撃し樹木が弱り、1997年の大雨で傾き、1998年に遂に完全に倒れた。神木駅の周辺にはそのほかにも「阿里山香林神木」、「千歳檜」など樹齢約2000年のヒノキの大木がある。また、受鎮宮や慈雲寺などの寺廟や、姉妹潭などの池もあり、森林浴散歩が楽しい。また、公園内には、登山鉄道としての阿里山森林鉄道の建設実現に尽力し、一方で開通後の阿里山の森林伐採など過度な開発に心を痛めた「琴山河合」(きんざん かわい)こと河合鈰太郎(かわい したろう)を記念して1933年に建てられた「琴山河合博士の碑」が残っている。また、日本時代に建立された「樹霊塔」もある。

 沼平駅は、かつての阿里山本線の終点であり、旧市街地があるほか、春には吉野桜など日本で見られる薄いピンク色の桜が咲き、花の名所となっている。

 祝山線は、阿里山の宿泊客が夜明けに日の出を見に行くことから、日の出のスポットである祝山(チョクソワ)まで約6.3キロを走る。毎日、夜明けの時間に合わせて列車が運行されている。祝山駅の標高は2451mで、台湾で最も標高の高い駅である。祝山の展望台からは台湾最高峰3952mの玉山(キョクサン/ユィーサン)がよく見え、朝日の上る瞬間は最高に美しい。朝は気温が低く、山の下のほうには雲海がよく発生し、幻想的な雰囲気に包まれる。

 台湾最高峰の玉山は、日本時代には富士山より高い山だったことから「新高山」(にいたかやま)と呼ばれた。玉山は阿里山郷、高雄市桃源区との境にあり、ツォウ族やブヌン族、カナカナブ族などから聖なる山として崇められてきた。ツォウ語では「Patungkuonʉ」、ブヌン語では「Saviah」、カナカナブ語では「Tanungu'incu」と呼ぶ。玉山への登山は、阿里山で一泊すると便利だ。玉山登山は、信義郷の玉山国家公園のタタカ(Tataka/塔塔加)の登山口から登山道を進んでいくと比較的登りやすい。途中の標高3402mの「排雲山荘」からは、坂が急に険しくなり、いっきに3952mの頂上を目指す。玉山は富士山ほど美しい形状ではないが岩肌が荒々しく、自然の迫力が感じられる台湾を象徴する山である。

阿里山エリアの主な駅

阿里山 / アリサン(アーリーサン)駅
阿里山森林鉄道 阿里山本線(神木線)、祝山線

祝山 / チョクソワ(ツウサン)駅
阿里山森林鉄道 祝山線

神木 / シンボク(センムウ)駅
阿里山森林鉄道 阿里山本線(神木線)

十字路 / シプジーロー(スーツールウ)駅
阿里山森林鉄道 阿里山本線 

二萬坪 / ジーバンペェ(アルワンピン)駅
阿里山森林鉄道 阿里山本線

alisan1.jpg
阿里山郷タッパン集落でのツォウ族のマヤスビ(戦祭)

alisan2.jpg
阿里山郷公所があるララウヤ集落

alisan3.jpg
阿里山森林鉄道・阿里山駅(旧駅舎)

alisan4.jpg
阿里山駅前

alisan5.jpg
阿里山森林鉄道・祝山駅

alisan6.jpg
阿里山森林鉄道・祝山駅

alisan11.jpg
阿里山森林鉄道・祝山駅

alisan7.jpg
標高2500mの祝山展望台

alisan8.jpg
祝山展望台から見た台湾最高峰の玉山

alisan9.jpg
朝日が美しい祝山展望台

alisan10.jpg
祝山展望台から見た阿里山の風景

alisan12.jpg
森林浴が気持ちいい阿里山の遊歩道

alisan13.jpg
阿里山森林鉄道・沼平駅(旧駅舎)

alisan14.jpg
阿里山森林鉄道祝山線

alisan15.jpg
かつて阿里山森林鉄道を走っていたナローゲージの蒸気機関車

alisan18.jpg
阿里山の山桜

alisan17.jpg
象の形をした木

alisan16.jpg
牛の形をした木

alisan19.jpg
阿里山受鎮宮

alisan20.jpg
人なつっこい台湾犬

alisan21.jpg
阿里山森林鉄道・神木駅

alisan22.jpg
スイッチバックの神木駅

alisan23.jpg
神木駅

alisan24.jpg
樹齢2000年の「阿里山千歳檜」

alisan25.jpg
樹霊塔

alisan26.jpg
琴山河合博士の碑


ドルジバツアー ホームページ
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ アジア旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 台湾旅行
ジャンル : 旅行

北海道・恵庭 漁川とカボチャと花とサッポロビール

恵庭
えにわ (日本語)
エ エニワ (アイヌ語)

日本国北海道石狩地方恵庭市

北海道・恵庭 漁川とカボチャと花とサッポロビール

 恵庭(えにわ)市は、北海道(ほっかいどう)の石狩(いしかり)地方にある人口約7万人の市。北が北広島(きたひろしま)市と札幌(さっぽろ)市の清田(きよた)区、西が札幌市南(みなみ)区、南が千歳(ちとせ)市、東が夕張(ゆうばり)郡の長沼(ながぬま)町と接している。恵庭市は現在は石狩振興局の管轄で石狩地方の一部になっているが、律令国の区分では胆振国(いぶりのくに)の千歳郡に属していた。

 恵庭は、アイヌ語で「頭が尖っている山」という意味を指す「エ エニワ」(E-en-iwa)が由来となっている。「エ エニワ」は恵庭市と千歳市にまたがる恵庭岳のことである。

 恵庭市内には、JR北海道・千歳線が通り、島松(しままつ)、恵み野(めぐみの)、恵庭(えにわ)、サッポロビール庭園(サッポロビールていえん)の各駅がある。特急「すずらん」「北斗」「スーパー北斗」「スーパーおおぞら」などは、市内の駅を通過するが、快速「エアポート」が恵庭駅に停車する。

 恵庭駅は、恵庭市の中心駅で、大正15年(1926年)に開設された。駅の西側に恵庭市役所があるほか、西口に商業施設が入る再開発ビル「いざりえ」が平成15年(2017年)にオープンした。東口側は、北海道文教大学があるほか、札幌と新千歳空港への利便性から「恵庭テクノパーク」が広がり、エフビーエス札幌工場、レンゴー恵庭工場、紀文食品恵庭工場、サンマルコ食品恵庭工場、JA広域小麦乾燥調製貯蔵施設、北日本フード物流センターなどの工場や物流施設が集まっている。

 サッポロビール庭園駅は、駅前にサッポロビール庭園が広がり、その南側にサッポロビール北海道工場がある。サッポロビールはかつては札幌市内にも工場があったが、現在はビール製造は恵庭市の北海道工場に集約されている。駅の西側には室蘭海陸通運恵庭倉庫、クローバー電子工業北海道工場、ゴールドパック恵庭工場、山崎製パン札幌工場、東芝電波プロダクツ恵庭工場などの工場や物流施設がある。

 恵み野駅は、恵庭ニュータウン恵み野の開発の進展にともない、昭和57年(1982年)に開設された。駅前には「イトーヨーカドー」恵庭店や「フレスポ恵み野」などの商業施設があり、駅の東にはニュータウンが広がり、恵み野中央公園や恵庭市郷土資料館などがあり、漁川(いざりがわ)と国道36号線との交差地点には道と川の駅「花ロードえにわ」がある。恵庭市は花卉産業が盛んで「ガーデニングのまち」としてもPRしており、また「えびすかぼちゃ」が特産品でもあり、「花ロードえにわ」でも「えびすかぼちゃ」の加工品などのお土産を販売している。

 恵庭市西部の漁岳(いざりだけ)から東に流れる漁川(いざりがわ)は、アイヌ語で「サケやマスが卵を産むところ」という意味の「イチャン」に由来し、イチャンコッペ川やモイチャン川などの支流がある。漁川ダムが昭和55年(1980年)に完成し、「えにわ湖」が広がり、その上流のラルマナイ川にはラルマナイ滝や白扇の滝があり、紅葉が美しい景勝地となっている。

 恵庭市の市街地の西の山のふもとを道央自動車道が南北に通り、漁川の近くを走る道路との交差地点に恵庭IC(インターチェンジ)があるほか、千歳市との境に千歳恵庭JCT(ジャンクション)があり、道東自動車道が分岐している。道央自動車道沿いには、陸上自衛隊南恵庭駐屯地、陸上自衛隊北恵庭駐屯地、陸上自衛隊島松駐屯地など自衛隊の駐屯地が多く広がっている。

恵庭エリアの主な駅

恵庭 / えにわ 駅
JR北海道 千歳線

eniwa1.jpg
道央自動車道から見た恵庭の市街地

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 北海道
ジャンル : 地域情報

東京・清瀬 清戸と柳瀬川と西武池袋線の清瀬駅

清瀬
きよせ

日本国東京都清瀬市

東京・清瀬 清戸と柳瀬川と西武池袋線の清瀬駅

 清瀬(きよせ)市は、東京(とうきょう)都北西部にある人口約8万人の市。西が東村山(ひがしむらやま)市、南が東久留米(ひがしくるめ)市、東が埼玉県新座(にいざ)市、北が埼玉県所沢(ところざわ)市と接している。

 清瀬市の北部には柳瀬川(やなせがわ)が流れ、所沢市との境になっている。また、市の東部には清戸(きよど)という地名があり、これは日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地で休息をとった際に「清き土なり」と言ったことから「清土」という地名が生まれ、それが転じて「清戸」となったと伝えられている。この「清戸」と「柳瀬川」から一文字ずつ取って「清瀬」(きよせ)となったという説と、柳瀬川の「清らかな瀬(せせら)ぎ」から「清瀬」となったという説がある。

 江戸時代から明治になった際、武蔵国(むさしのくに)の領域が東京府、埼玉県、神奈川県に分けられた。北多摩(きたたま)郡に属する清瀬は当初、神奈川県に属したが、玉川上水(たまがわじょうすい)の水質問題で、多摩川(たまがわ)の上流部まで東京府に編入する要望が高まり、明治22年(1889年)に東京府(後の東京都)に編入され、東京府北多摩郡清瀬村が発足した。戦後の昭和29年(1954年)に北多摩郡清瀬町に昇格し、その後、住宅地化が進んで人口が増え、昭和45年(1970年)に清瀬市となった。

 清瀬は黒土が深く、根菜栽培に適していることから、農業はニンジンの栽培が盛んで、東京都心への需要があることから、ホウレンソウなどの葉物の野菜の栽培も盛んである。

 清瀬市には、西武鉄道・池袋線が通り、市内に清瀬駅がある。また、東村山市、所沢市との境界に、西武池袋線の秋津(あきつ)駅がある。西武池袋線は、大正4年(1915年)に武蔵野鉄道・武蔵野線として開業した際には、清瀬駅はまだ設置されず、大正13年(1924年)に清瀬駅が開設された。

 清瀬駅は各停、準急、通勤準急、快速が停車し、通勤急行、急行、快速急行、特急「ちちぶ」「むさし」「Sトレイン」などは通過する。2面4線のホームがあるほか、折り返し設備があるため、清瀬駅始発の電車も多く、一部の電車は東京メトロ有楽町線・副都心線方面に直通することから、東京方面への通勤に非常に便利である。また、清瀬駅北口からJR武蔵野線・新座(にいざ)駅、東武東上線・志木(しき)駅方面、清瀬駅南口から西武新宿線・花小金井(はなこがねい)駅、JR中央線・武蔵小金井(むさし こがねい)駅方面へのバスが運行されており、清瀬駅の利用者は多い。

 清瀬駅北口は平成7年(1995年)に複合施設「クレア」が開業し、スーパー「西友」や「清瀬駅前図書館」が入っている。また、南口は再開発があまり進んでいないが、「南口ふれあい通り」など昔ながらの商店街がある。

清瀬エリアの主な駅

清瀬 / きよせ 駅
西武鉄道 池袋線

kiyose1.jpg
西武池袋線・清瀬駅

kiyose2.jpg
西武池袋線・清瀬駅

kiyose3.jpg
清瀬駅北口の西友が入る「クレア」

kiyose4.jpg
清瀬駅南口の商店街

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 東京
ジャンル : 地域情報

千葉・白井 北総線と千葉ニュータウンと梨

白井
しろい

日本国千葉県白井市

千葉・白井 北総線と千葉ニュータウンと梨

 白井(しろい)市は、千葉(ちば)県北西部にある人口約6万人の市。東が印西(いんざい)市、南が八千代(やちよ)市、船橋(ふなばし)市、西が鎌ケ谷(かまがや)市、北が柏(かしわ)市と接している。

 白井市は、昭和39年(1964年)に印旛(いんば)郡の白井村が白井町となり、昭和40年代に工業団地が造成され、さらに昭和54年(1979年)に北総開発鉄道・北総線が開業し、千葉ニュータウンの造成により人口が増え、平成13年(2001年)に市制を施行し、白井市となった。

 平成の大合併では、白井市と印西市、印旛(いんば)村、本埜(もとの)村を合併する「北総市」構想があったが、鎌ケ谷寄りの白井市は北総線の開業が比較的早く、千葉ニュータウンの開発も順調に進んでいたことから、開発が遅れている印西市側との合併に否定的な意見があり、住民投票の結果、白井市では合併に反対多数となり、北総市構想は幻となった。

 白井市には、柏から白井を経由して八千代を結ぶ国道16号線と、印西市の木下(きおろし)から白井を経由して鎌ケ谷大仏を結ぶ木下街道が白井の中心部でⅩ字状に交差し、千葉ニュータウンのメインストリートである国道464号線と北総鉄道・北総線(京成成田スカイアクセス)が東西を横断している。

 白井市内には、北総線の白井(しろい)駅と西白井(にししろい)駅がある。北総線は昭和54年(1979年)に北総開発鉄道・北総線として北初富(きたはつとみ)~白井~小室(こむろ)が開業した。この際に、北初富から新京成電鉄の松戸(まつど)方面へ直通運転を開始した。昭和59年(1984年)に住宅都市整備公団・千葉ニュータウン線の小室~千葉ニュータウン中央(ちばニュータウンちゅうおう)が開業した。昭和63年(1988年)に運行が北総開発鉄道に一体化され、北総開発鉄道・北総公団線となった。平成3年(1991年)に北総開発鉄道の京成高砂(けいせい たかさご)~新鎌ケ谷(しんかまがや)が開業し、北総線から京成電鉄・東京都営地下鉄浅草線に直通して、東京都心への乗り換えなしでの乗り入れが実現した。これにともない、平成4年(1992年)に新京成線との直通運転を廃止した。

 北総公団線は平成7年(1995年)に印西牧の原(いんざいまきのはら)、平成12年(2000年)に印旛日本医大(いんばにほんいだい)まで延伸開業した。平成16年(2004年)に北総公団線が北総線に改称され、印旛日本医大駅からはさらに成田新幹線建設予定地だったルートを再活用した京成電鉄・成田スカイアクセスが建設され、平成22年(2010年)に印旛日本医大~成田空港が開業し、北総線は京成電鉄の成田スカイアクセスと線路を共用することになった。

 白井駅からは、京成高砂駅から京成押上線に入り、押上(おしあげ)駅より先は都営浅草線に直通しており、浅草(あさくさ)、日本橋(にほんばし)、新橋(しんばし)へ乗り換えなしに行くことができる。さらに泉岳寺(せんがくじ)から京急電鉄にも直通しており、現在は羽田空港(はねだくうこう)へも直通運転している。一方で、北総線と成田スカイアクセスは線路を共用しているが、スカイライナーおよびアクセス特急はいずれも白井市内の駅には停車しない。白井駅から成田空港へ行くには、千葉ニュータウン中央駅で京成成田スカイアクセスのアクセス特急に乗り換える。

 白井駅の周辺は、千葉ニュータウンの中でも比較的早く開発され、住宅地が広がっている。千葉ニュータウンは、東京都心直結の交通の利便性が高い。一方で千葉市へのアクセスは悪く、多くの住民が東京都へ通勤する「千葉都民」である。また、北総線の運賃だけでも高く設定されているのに、さらに京成・都営地下鉄と他社にまたがって乗車すると運賃が非常に高くなってしまうことが千葉ニュータウン住民の不満にもなっている。成田スカイアクセスの一部に組み入れられているのだから、北総鉄道を京成電鉄に統合して、運賃値下げを実現できないものだろうか。

 白井市の郊外には、農地が多く、都市と自然のバランスがよい。丘陵地帯であることから、古くから梨(なし)の栽培が盛んであり、千葉県ナンバーワンの生産量を誇る。「しろいのなし」ブランドをPRしている。

白井エリアの主な駅

白井 / しろい 駅
北総鉄道 北総線
京成電鉄 成田スカイアクセス

shiroi1.jpg
北総鉄道北総線・白井駅

shiroi2.jpg
北総鉄道北総線・白井駅

shiroi3.jpg
北総鉄道北総線・白井駅

shiroi4.jpg
北総鉄道北総線・白井駅

shiroi5.jpg
北総鉄道北総線・白井駅

shiroi6.jpg
白井駅南口

shiroi7.jpg
白井駅南口の「梨の泉」

shiroi8.jpg
白井駅北口の街並み

shiroi9.jpg
白井の街並み

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 千葉県
ジャンル : 地域情報

中国 広東・梅州 客家の中心都市「世界客都」

梅州
モイツウ/Moi-tsu (客家語)
メイツォウ/Méizhōu (中国語/北京語)

中华人民共和国广东省梅州市
中華人民共和国広東省梅州市

中国 広東・梅州 客家の中心都市「世界客都」

 梅州(客:モイツウ/華:メイツォウ)は、中華人民共和国広東省の北東部にある人口約100万人の都市で、郊外も含めると約430万人。客家(ハッカ)語文化圏の中心都市であり、「世界客都」(スーキェーハットー)の称号がある。

 梅州市は、西が河源(客:ホーニエン)市、南が掲陽(揭阳/潮:キッヤン)市、潮州(潮:ティオチウ/客:ツェウツウ)市、東が福建省漳州(チャンチウ)市、福建省竜岩(龙岩/客:リュンンガム/リンナア)市、北が江西省の贛州(赣州/客:カムツウ)市と接している。

 梅州市は、梅江(モイコン)区、梅県(梅县/モイイェン)区、興寧(兴宁/ヒンネン)市、蕉嶺(蕉岭/チャウリャン)県、大埔(タイプウ)県、豊順(丰顺/フゥンスン/潮:ホンスン)、五華(五华/ンーファー)県、平遠(平远/ピンイェン)県からなり、梅江区と梅県区が梅州の中心部にあたる。

 梅州は、客家語文化圏の中心都市であり、隣接する河源市や潮州市の一部、福建省の竜岩市、漳州市の一部、江西省の贛州市なども客家語を話す人が多く住み、「客家人」(ハッカーニン)という独自のアイデンティティーを形成しており、潮州や汕頭を中心とする「潮州人」(ティオチウナン)や、広州(クォンツァウ)を中心とする広東語を話す広東人とは異なる文化がある。

 客家人は、梅州、河源、恵州など広東省に2000万人、贛州などの江西省に900万人、竜岩など福建省に200万人、香港の新界の一部ほか、湖南省、広西チワン族自治区、四川省の一部などに分布している。また、客家人は歴史上、広東人、潮州人、福建人らと同様に東南アジアに多く移民した。台湾、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、シンガポール、フィリピンなどに多く住むほか、バングラデシュのダッカやアフリカの離島国家モーリシャス、カナダのバンクーバーなどにも客家人のコミュニティーが形成されており、客家の国際ネットワークが形成されている。世界で客家語を母語とする人は約4400万人とされるが、実際には客家人が住む地域は客家人が少数派であることが多く、客家語を流暢に話せる客家人は3000万人を下回ると見られている。 

 客家人には、「太平天国」を建国しようとした洪秀全(フゥン スィウチョン)、中華民国を建国した孫文(孫中山/スン ツゥンサン)、シンガポールを建国したリー・クワンユー(李光耀/リー コンイェウ)、台湾の総統・蔡英文(ツァイ インヴン)など、国のリーダーを多く輩出している。

 山がちな広東省北東部、福建省南西部、江西省南部にまたがる客家語文化圏は、客家語の方言差が大きいが、梅州の客家語が標準とされている。梅州の客家語は四県(スィーイェン)方言とも呼ばれ、台湾の苗栗(メウリッ)や六堆(リュクトイ)地方でも話されている。また、広東省汕尾(サンミー/ソワボエ)市の陸河(陆河/リュクホー)県、海豊(海丰/ホイフゥン)県、陸豊(陆丰/リュクフゥン)市では、海陸(海陆/ホイリュク)方言が話され、台湾の新竹(シンツゥッ)県で話される客家語と共通している。梅州の客家語は、客家語における標準語の地位を確立していることから、中国国際ラジオ局(中国国际广播电台)の対外放送や、中央人民ラジオ局(中央人民广播电台)の国内放送において梅州の客家語で放送される番組がある。また、2006年より梅州テレビ(梅州电视台)に客家公共チャンネルが開設され、客家語で放送されている。

 広東客家の客家料理は、「東江菜」(东江菜/トンコンツォイ)とも呼ばれ、「梅干扣肉」(モイコンキェウニュッ/豚肉と干し漬物の蒸し物)、「醸豆腐」(ニョンテウフゥー/肉詰め豆腐)、「盐焗鸡」(ヤムクッキェー/鶏肉の塩蒸し)、「黄酒鸡」(ヴォンチウキェー/鶏肉の老酒煮)、「酸菜猪肚汤」(ソンツォイツウトゥートン/漬物と豚の胃のスープ)、「萝卜粄」(ローペッパン/大根もち)、「腌面」(アムミエン/魚醤のあえそば)などの代表的な料理がある。また、梅州では、広東省の他の地方と同様に犬肉(狗肉/キェウニュッ)を食べる食文化もある。

 梅州の客家芸能文化として、客家の伝統民謡は「山歌」(サンコー)と呼ばれるが、梅州では「梅州山歌」や「嘉応山歌」(嘉应山歌/カーインサンコー)と呼ばれる山歌が有名である。また、客家語で演じられる「客家漢劇」(客家汉剧/ハッカーホンキャッ)という歌劇がある。

 梅州市の中心部は梅江(モイコン)区で、梅江が市内を大きくカーブしながら流れている。梅州から梅河高速、汕梅高速などの高速道路がつながり、広州や深圳、汕頭方面への高速バスや、福建省の竜岩方面へのバスも発着している。梅州駅からは中国国鉄在来線の広梅汕線(广梅汕铁路)が汕頭や広州方面を結んでいるほか、厦深高速鉄道の潮汕(ティオソワ/ツァオサン)駅を結ぶ梅汕鉄道高速新線の建設が進められている。また、梅県空港からは、北京、上海、広州、深圳などの国内線や、香港線、国際線は日本への路線はないが、台湾の台中と高雄、タイのバンコク、インドネシアのジャカルタなどへの路線がある。

 梅州市内には、中国客家博物館(中国客家博物馆)、客家公園(客家公园)、千佛塔、客天下(ハッティエンハー)旅行産業園などの観光スポットがある。

moitsu1.jpg
梅州のバスターミナル

moitsu2.jpg
梅州の街並み

moitsu3.jpg
梅州の街並み

moitsu4.jpg
梅州の街並み

moitsu5.jpg
梅州の街並み

moitsu6.jpg
梅州市内を流れる梅江

moitsu7.jpg
梅州市内を流れる梅江

moitsu8.jpg
梅州市の郊外

ドルジバツアー ホームページ
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ アジア旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 中国
ジャンル : 海外情報

秋田・仙北 田沢湖と角館の武家屋敷、乳頭温泉と玉川温泉

仙北
せんぼく

日本国秋田県仙北市

秋田・仙北 田沢湖と角館の武家屋敷、乳頭温泉と玉川温泉

 仙北(せんぼく)市は、秋田(あきた)県の東部にある人口約3万人の市。北が鹿角(かづの)市、西が北秋田(きたあきた)市、秋田(あきた)市、西南が大仙(だいせん)市、東が岩手県西和賀(にしわが)町、岩手県雫石(しずくいし)町、岩手県八幡平(はちまんたい)市と接している。

 仙北市は、旧・仙北郡の角館(かくのだて)町、田沢湖(たざわこ)町、西木(にしき)村が平成17年(2005年)に合併して発足した。合併の際には、「角館」と「田沢湖」がいずれも秋田県の代表的な観光地であるため、市名をめぐって議論になり、「田沢湖角館市」か「角館田沢湖市」が検討されたが、それもどちらが先かで対立し、決定に至らなかった。合併の話が白紙に戻されかけたが、旧・角館町で再び合併推進派が当選したため、結局「仙北郡」が最大公約数であったことから新市名が「仙北市」に落ち着いたという経緯がある。だが結果的に、田沢湖や角館がある市であることはわかりにくくなてしまった。

 仙北市内の鉄道は、JR秋田新幹線・田沢湖線と秋田内陸縦貫鉄道・秋田内陸線が通る。秋田新幹線は田沢湖線の線路を共有しており、市内にJR田沢湖線の角館、生田(しょうでん)、神代(じんだい)、刺巻(さしまき)、田沢湖の各駅があり、このうち角館駅と田沢湖駅に秋田新幹線「こまち」が停車する。秋田内陸縦貫鉄道は、角館駅を起点に、市内に羽後太田(うご おおた)、西明寺(さいみょうじ)、八津(やつ)、羽後長戸呂(うご ながとろ)、松葉(まつば)、羽後中里(うご なかざと)、左通(さどおり)、上桧木内(かみひのきない)、戸沢(とざわ)の各駅がある。

 大曲(おおまがり)~角館~田沢湖~盛岡(もりおか)を結ぶJR田沢湖線(秋田新幹線)は、奥羽本線の大曲(おおまがり)駅から大正10年(1921年)に生保内(おぼない)軽便線として角館まで開業。生保内線となって大正12年(1923年)に生保内(現・田沢湖)まで延伸した。国鉄生保内線と、盛岡から西へ建設されていた国鉄橋場線をつなぐ国鉄生橋線(生保内~雫石)が建設されることになり、昭和41年(1966年)に開通。生保内駅は田沢湖駅に改名され、生保内線・生橋線・橋場線を合わせて国鉄田沢湖線となった。

 田沢湖線全通後、秋田~盛岡・仙台を結ぶ急行「たざわ」が運行されていたが、昭和57年(1982年)に東北新幹線が盛岡まで開業すると、特急「たざわ」に昇格し、新幹線と乗り継いで東京~秋田を結ぶメインルートになった。平成4年(1992年)にミニ新幹線方式(在来線の標準軌化)による山形新幹線開業後、JR田沢湖線もミニ新幹線方式による秋田新幹線のルートになることになり、平成8年(1996年)春から約1年間、全線で運行を休止し、標準軌化工事が行われた。その間、特急「たざわ」は、北上線・奥羽本線経由の北上(きたかみ)~秋田を結ぶ特急「秋田リレー」号が運行された。そして、平成9年(1997年)に秋田新幹線が開業し、「こまち」が東京~盛岡~田沢湖~秋田を結ぶようになった。

 田沢湖駅は、秋田新幹線「こまち」が停車する旧・田沢湖町の中心駅で、仙北市役所の最寄り駅である。昭和31年(1956年)に仙北郡の生保内町、田沢村、神代村が合併して田沢湖町が発足。平成17年(2005年)に田沢湖町が角館町、西木村と合併して仙北市となった際、旧・田沢湖町役場が仙北市役所となった。

 田沢湖駅は大正12年(1923年)に生保内駅として開業し、長らく国鉄生保内線の終着駅であった。昭和41年(1966年)に国鉄田沢湖線が全通した際に田沢湖駅に改名された。田沢湖は直径約6キロ、深さ約423mで、日本で最も深い湖、世界では深さ第17位である。田沢湖駅からバスで約15分。田沢湖は古くは「辰子潟」(たつこがた)と呼ばれ、アイヌ語で「盛り上がった円頂の丘」を意味する「タプコプ」が由来という説がある。東北地方北部には、北海道と同様にアイヌ語を由来とする地名があり、生保内も北海道でよくみられる「ナイ」=「川」のアイヌ語地名であるという説が有力だ。

 田沢湖の北東には、たざわ湖スキー場、田沢湖高原温泉郷、さらに奥の乳頭山(にゅうとうさん)側には鶴の湯温泉、大釜温泉、孫六温泉、黒湯温泉、一本松温泉(たつこの湯)など七湯からなる「乳頭温泉郷」がある。鶴の湯温泉は、乳白色のお湯でも知られ、「黒湯温泉」も黒湯ではなく白濁した温泉である。七湯全部白いわけではなく、透明や褐色の温泉もある。

 田沢湖より北へ約20キロ、鹿角市の境に近い山奥に玉川温泉がある。ここは、強酸性の温泉が湧き、かつては魚を殺す「玉川毒水」とも呼ばれ、その川の水は農業には適さない。玉川温泉は、弱い放射能を有し、ホルミシス効果があるラジウム温泉としても知られ、放射性ラジウムを大量に含む「北投石」でも有名である。「北投石」は秋田の玉川温泉と、台湾の北投温泉にだけ存在することから、北投温泉と姉妹温泉を締結している。

 角館駅は、旧・角館町の中心駅で、JR秋田新幹線・田沢湖線、秋田内陸縦貫鉄道線が連絡する駅で、秋田新幹線「こまち」が停車する。角館は、武家屋敷の建物が残る古い町並みが保存され、「みちのくの小京都」とも呼ばれ、多くの観光客が訪れる。

 秋田内陸縦貫鉄道の秋田内陸線は、旧・国鉄角館線と国鉄阿仁合線をつなぐ鷹角線を引き継いだ路線で、角館から北秋田市の鷹巣(たかのす)を結んでいる。角館からは昭和45年(1970年)に角館~松葉が開業。鷹巣~比立内(ひたちない)の国鉄阿仁合線とをつなぐ工事が進められていたが、完成前に第3セクター化され、昭和61年(1986年)に角館線は秋田内陸縦貫鉄道・秋田内陸南線となった。平成元年(1989年)に松葉~比立内が延伸され、秋田内陸南・北線がつながり、全通した。人口が少ない豪雪地帯を縦貫しており、鉄道経営は苦しいが、地域の均衡発展の面から見れば地域振興に必要な路線であろう。西明寺駅は旧・西木村の中心駅であるが利用者は少ない。

仙北エリアの主な駅

田沢湖 / たざわこ 駅
JR東日本 秋田新幹線、田沢湖線

角館 / かくのだて 駅
JR東日本 秋田新幹線、田沢湖線
秋田内陸縦貫鉄道 秋田内陸線

senboku1.jpg
秋田新幹線が停車する田沢湖駅

senboku2.jpg
岩手県と秋田県の峠を走る秋田新幹線

senboku3.jpg
秋田新幹線から見た仙北市の眺め

senboku4.jpg
秋田新幹線が停車する角館駅

senboku5.jpg
角館駅

senboku6.jpg
角館駅から鷹巣を結ぶ秋田内陸縦貫鉄道


ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : +秋田県+
ジャンル : 地域情報

兵庫・豊岡 コウノトリとかばん、城崎温泉と玄武洞

豊岡
とよおか

日本国兵庫県豊岡市

兵庫・豊岡 コウノトリとかばん、城崎温泉と玄武洞

 豊岡(とよおか)市は、兵庫(ひょうご)県北部にある人口約8万人の市。西が美方(みかた)郡の香美(かみ)町、南が養父(やぶ)市と朝来(あさご)市、東が京都府福知山(ふくちやま)市、京都府与謝野(よさの)町、京都府京丹後(きょうたんご)市と接している。

 豊岡は、但馬国(たじまのくに)の中心都市であり、古くより山名(やまな)氏が同地を拠点にしていた。城之崎(きのさき)が安土桃山時代に「豊岡」(とよおか)に改められ、江戸時代に但馬には豊岡藩と出石(いずし)藩が置かれた。

 明治時代の廃藩置県の際には、明治4年(1871年)に但馬、丹波(たんば)、丹後(たんご)を合わせて「豊岡県」が設置された。その後、豊岡県と鳥取県の合併が検討されたが、同じ日本海側とはいえ、海岸部まで山が険しく、人の往来も少なかったため、豊岡県側が鳥取県との合併には否定的で、姫路(ひめじ)の飾磨(しかま)県との合併を望んでいた。しかし、明治維新の指導者である大久保利通(おおくぼ としみち)が開港場のある兵庫県への編入を勧めたことから、明治9年(1876年)に豊岡県の但馬国、丹波国氷上郡、多紀郡は兵庫県に編入された。また、飾磨県も同年、兵庫県に編入された。一方で、豊岡県東部の丹後国と丹波国天田郡は京都府に編入された。

 日本海側の豊岡を神戸とリンクさせることによって山陽と山陰の地方格差を知縮めようとした意図だったのかもしれないが、実際の生活圏として豊岡から神戸は遠すぎて、神戸が県の中心という感覚は少ない。一方、京都府の丹後地方や福知山などは身近なので、もともとの「豊岡県」のままだったほうが地域発展の一体感あったような感じもする。

 豊岡市は、城崎郡豊岡町と城崎郡の五荘(ごのしょう)村、新田(にった)村、中筋(なかすじ)村が合併して昭和25年(1950年)に発足した。その後、昭和30年代に城崎郡の奈佐(なさ)村、港(みなと)村、出石郡の神美(かみよし)村の一部などを編入し、平成17年(2005年)に城崎郡の城崎(きのさき)町、竹野(たけの)町、日高(ひだか)町、出石郡の出石(いずし)町、但東(たんとう)町と合併し、新しい豊岡市が発足し、現在の市域となった。

 市内には南から北へ円山川(まるやまがわ)が流れ、日本海へ注いでいる。豊岡盆地が広がり、冬は雪がかなり積もる。野生のコウノトリの生息地として知られ、保護と繁殖と農業との共生が積極的に行われている。

 豊岡市内には、円山川にほぼ沿ってJR西日本・山陰本線が通り、江原(えばら)、国府(こくふ)、豊岡(とよおか)、玄武洞(げんぶどう)、城崎温泉(きのさきおんせん)、竹野(たけの)の各駅がある。また、豊岡駅からは、京都丹後鉄道・宮豊線が分岐し、豊岡駅とコウノトリの郷(コウノトリのさと)駅がある。

 豊岡駅はJR山陰本線と京都丹後鉄道・宮豊線が連絡する豊岡市の中心駅であり、山陰本線の特急「こうのとり」「きのさき」「はまかぜ」なども停車する。特急「こうのとり」は大阪~福知山~豊岡~城崎温泉、特急「きのさき」は京都~福知山~豊岡~城崎温泉を結ぶ特急電車であるのに対し、特急「はまかぜ」は大阪~姫路~豊岡~城崎温泉~浜坂~鳥取を結び、非電化区間も走るディーゼル特急である。福知山~和田山~豊岡~城崎温泉を結ぶ普通電車のほか、豊岡~城崎温泉~浜坂を結ぶディーゼルカーも走っている。

 豊岡駅前には東口に商業施設「アイティ」があるほか、豊岡駅通商店街が東の市街地に伸びている。豊岡市の中心部には、豊岡市役所や歴史建築「豊岡1925」、豊岡城址である「神武山公園」、豊岡藩陣屋跡の「豊岡市立図書館」などがある。また、豊岡は「かばん」生産のまちとしても知られ、商店街に「豊岡かばん」の商店があるほか、駅ホームにも「豊岡かばん」の自販機がある。

 山陰本線は、豊岡から円山川沿いを走って北上する。玄武洞駅は、玄武岩の鍾乳洞である「玄武洞」(げんぶどう)の最寄り駅とされているが、実際には玄武洞は円山川の対岸にあり、駅から橋は架かっておらず、渡し船かタクシーで行くしかない。なので、同駅の利用者は少ない。

 城崎温泉駅は、旧・城崎町の中心駅で、志賀直哉(しが なおや)の城崎温泉を舞台とした小説「城の崎にて」で有名になった。かつては城崎駅であったが、城崎町が豊岡市と合併した際に、城崎温泉駅に改称された。城崎温泉駅の駅前にはカニのモニュメントや「さとの湯」の足湯があり、駅前からは、お土産屋やカニの食堂、老舗「三國屋」をはじめとする旅館などが並ぶ商店街が続き、柳の木が美しい川沿いに城崎温泉の外湯や温泉旅館・ホテルが集まっている。城崎温泉は、「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」「さとの湯」「柳湯」「地蔵湯」「鴻の湯」の7つの外湯があり、「鴻の湯」はコウノトリが傷を癒したとの伝説がある。温泉寺や山上を結ぶ城崎ロープウェイの眺めは美しい。また、円山川の河口側には、日和山温泉や城崎マリンワールドなどのリゾート施設がある。

 山陰本線の江原駅は、旧・日高町にある駅で、但馬国分寺跡への最寄り駅であるほか、出石(いずし)や神鍋高原(かんなべこうげん)への玄関駅であり、特急「こうのとり」「きのさき」「はまかぜ」の停車駅となっている。神鍋高原には、アップかんなべスキー場、奥神鍋スキー場、万場スキー場の3つのスキー施設がある。旧・出石町は「但馬の小京都」と呼ばれ、旧・出石藩の城下町として栄えた古い町並みが残る。「出石そば」や「出石焼」、「出石ちりめん」などの特産品で知られている。

 豊岡市内にある但馬空港(コウノトリ但馬空港)は、小型航空機のコミューター専用空港として平成6年(1994年)に開港した空港で、滑走路が1200mしかなく、ジェット機は就航できない。定期便は日本エアコミューターの但馬~大阪伊丹線のみであり、伊丹空港で乗り換えることで日本各地へ行ける利便性をPRしているが、今後は滑走路延長による東京羽田乗り入れが利用客増加の鍵となりそうだ。

豊岡エリアの主な駅

豊岡 / とよおか 駅
JR西日本 山陰本線
京都丹後鉄道 宮豊線

城崎温泉 / きのさきおんせん 駅
JR西日本 山陰本線

江原 / えばら 駅
JR西日本 山陰本線

toyooka1.jpg
JR山陰本線・豊岡駅

toyooka2.jpg
JR山陰本線・豊岡駅

toyooka3.jpg
JR山陰本線・豊岡駅

toyooka4.jpg
京都丹後鉄道の特急「はしだて」に使用されている「丹後の海」

toyooka5.jpg
豊岡駅

toyooka6.jpg
夜の豊岡駅と特急「はまかぜ」

toyooka7.jpg
豊岡駅ホームの「かばん自販機」

toyooka8.jpg
豊岡駅

toyooka9.jpg
豊岡駅

toyooka10.jpg
豊岡駅前の商業施設「アイティ」

toyooka11.jpg
豊岡駅通商店街

toyooka12.jpg
商店街にある豊岡かばんの店舗

toyooka13.jpg
豊岡市役所

toyooka14.jpg
歴史建築「豊岡1925」

toyooka15.jpg
豊岡の街並み

toyooka16.jpg
豊岡藩陣屋跡

toyooka17.jpg
豊岡藩陣屋があった豊岡市立図書館

toyooka18.jpg
豊岡城址の神武山公園

toyooka19.jpg
円山川沿いを走るJR山陰本線

toyooka20.jpg
山陰本線・玄武洞駅と円山川の対岸にある玄武洞

toyooka21.jpg
特急「きのさき」と「こうのとり」が発着するJR山陰本線・城崎温泉駅

toyooka22.jpg
JR山陰本線・城崎温泉駅

toyooka23.jpg
城崎温泉駅とカニのモニュメント

toyooka24.jpg
城崎温泉駅前の「さとの湯」、足湯もある

toyooka25.jpg
城崎温泉駅前の街並み

toyooka26.jpg
城崎温泉の老舗旅館「三國屋」

toyooka27.jpg
城崎名物の「カニ」

toyooka28.jpg
城崎温泉のそばを走るJR山陰本線

toyooka29.jpg
小川沿いの柳並木が美しい城崎温泉

toyooka30.jpg
城崎温泉「一の湯」

toyooka31.jpg
城崎温泉「柳湯」

toyooka32.jpg
城崎温泉「地蔵湯」

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 兵庫県
ジャンル : 地域情報

時の旅・1969年(昭和44年) 反戦と反安保で東大占拠、人類が月に着陸、中ソ国境紛争、チェコスロバキア民主化後退

1969年
昭和44年

時の旅・1969年(昭和44年) 反戦と反安保で東大占拠、人類が月に着陸、中ソ国境紛争、チェコスロバキア民主化後退

当時の日本の首相 佐藤栄作(自由民主党)

 1969年(昭和44年)は、佐藤栄作(さとう えいさく)内閣総理大臣(首相)をトップとする自由民主党(自民党)政権が、アメリカ合衆国(米国)との緊密な関係を維持しながら安定政権を築いた。一方で、ベトナム戦争に介入する米国に反対し、日米安保にも反対する学生運動が盛り上がった。

 1月に東京大学では、全学共闘会議(全共闘)や新左翼の学生たちが占拠する東大本郷キャンパス安田講堂の封鎖を解除する実力行使が行われた。当時、泥沼化するベトナム戦争への米国の介入に反対する反戦運動と、昭和45年(1970年)に期限が切れる日米安全保障条約の自動延長阻止を目的に左派の学生運動が盛り上がり、これに加えて大学授業料値上げ反対と学園民主化なども求め、各大学で学生運動が激しくなり、大学運営側と激しく対立していた。全共闘は「団交」での主張が認められなかったため、大学構内をバリケードで封鎖する実力手段に出た。東大では昭和43年(1968年)より学生の処分をきっかけに医学部などで学生主導のストライキなどが起こり、同年6月より東大安田講堂がバリケード封鎖されていた。そして昭和49年(1969年)1月18日、警察当局は機動隊を動員し、バリケードの撤去を始め、全共闘の学生らによる投石や火炎瓶などの抵抗を受けながら、翌19日に安田講堂の封鎖が解かれ、600名以上が逮捕された。この事件以降、大規模な学生運動は下火になった。

 佐藤首相は、日米安保条約を軸とする対米協調路線を重視し、11月に新左翼各派の激しい抗議を受けながらも訪米し、米国のニクソン大統領と会談し、3年後の沖縄返還の合意を取り付けた。その上で、佐藤首相は衆議院を解散し、12月に第32回衆議院議員選挙が行われた。野党は日米安保条約自動更新の阻止を掲げたが、社会を混乱させた全共闘や新左翼の抗議活動が逆に反感を買い、しかもチェコスロバキアの民主化をソ連が潰すなど、社会主義国家に対するイメージ悪化により、選挙結果は定数486議席のうち、与党の自由民主党288に対し、野党は日本社会党90、公明党47、民主社会党31、日本共産党14、無所属16となり、与党の自民党が圧勝し、社会党は大幅に議席を減らした。野党は社会党の退潮の一方で、公明党と共産党が議席を伸ばし、民社党も含めて多党化が顕著になった。

 経済は、3月に日本専売公社がたばこ「セブンスター」の発売を開始した。2月に「岡田屋」と「フタギ」と「シロ」の共同出資による「ジャスコ」が設立された。産業新聞社による「夕刊フジ」が創刊した。

 交通については、鉄道は、4月に国鉄中央本線の荻窪~三鷹の高架化と複々線化が完成した。東海道新幹線に三島駅が開設された。大阪市営地下鉄・千日前線の野田阪神~桜川が開業した。5月に国鉄が等級制を廃止してグリーン車制が導入された。10月に西武鉄道・秩父線(吾野~西武秩父)が開業し、初代レッドアロー号の特急「ちちぶ」が運行開始。12月に大阪市営地下鉄・堺筋線の天神橋筋六丁目~動物園前が開業し、阪急千里線・京都線との直通運転を開始し、地上の阪急の天神橋駅は廃止された。近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の奈良駅が地下化された。営団地下鉄千代田線(北千住~大手町)が開業した。

 道路は、4月に西名阪自動車道が全線開通した。5月に東名高速道路が全線開通した。航空は、9月に反対運動が続く中、新東京国際空港(成田空港)が着工した。

 文化については、音楽は、由紀さおり「夜明けのスキャット」、森進一「港町ブルース」、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」、森山良子「禁じられた恋」、青江三奈「池袋の夜」、内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」、カルメン・マキ「時には母のない子のように」、はしだのりひことシューベルツ「風」、ザ・タイガース「青い鳥」 、水前寺清子「三百六十五歩のマーチ(ワン・ツー・パンチ)」などがヒットした。

 映画は、邦画は「栄光への5000キロ」、「日本海大海戦」、「超高層のあけぼの」、洋画は「ブリット」、「チキ・チキ・バン・バン」、「ウエスト・サイド物語」などがヒットした。山田洋二監督、渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズが初公開された。

 テレビは、8月にTBS系で「水戸黄門」の放送を開始した。10月にTBS系でザ・ドリフターズが出演する「8時だョ!全員集合」が放送開始。フジテレビ系でアニメ「サザエさん」が放送開始。

 スポーツは、プロ野球はセリーグは読売ジャイアンツ(巨人)、パリーグは阪急ブレーブスが優勝し、日本シリーズでは巨人が日本一になった。巨人の金田正一が通算400勝を記録した。西鉄ライオンズの選手らによるプロ野球八百長事件が「黒い霧事件」として社会問題になった。大相撲は大鵬が初場所と夏場所で優勝した。

 世界の動きは、中華人民共和国(中国)は、4月に中共九全大会で林彪(リン ピャオ)を毛沢東(毛泽东/マオ ヅォートン)の後継者と規定した。9月に中国初の地下核実験を行った。中国とソビエト連邦(ソ連)は、3月に黒竜江(アムール川)支流のウスリー川の中洲のダマンスキー島(珍宝島)の領有権をめぐって軍事衝突が発生し、中ソ対立が表面化した。6月にレオニード・ブレジネフ(Леонид Брежнев)ソ連共産党書記長が中国を「マルクス・レーニン主義から転落した」と批判した。7月には黒竜江省同江県の黒竜江(アムール川)の中洲の八岔島(ゴルジンスキー島)、8月には新疆ウイグル自治州のタルバガタイ(塔城)でも再び武力衝突が発生した。そんな中、9月に北ベトナムのホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh/胡志明)国家主席が死去し、ソ連のアレクセイ・コスイギン(Алексей Косыгин)首相が葬儀に出席した後に中国北京に立ち寄って中国の周恩来(ツォウ エンライ)首相と会談し、国境問題は先送りされ、軍事的緊張は緩和された。

 蒋介石(蔣中正/チャン ツォンツェン)総統をトップとする中国国民党政権の台湾(中華民国)では、10月に地上波2局目となる「中視」(中国テレビ)が開局した。

 アメリカ合衆国(米国)は、1月にリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領が就任した。7月にニクソン大統領はグアム島で「ニクソン・ドクトリン」を発表し、ベトナム戦争におけるベトナム自身の軍事防衛に期待する意向を示した。有人宇宙船「アポロ11号」が月に上陸した。ニール・アームストロング(Neil Armstrong)機長が人類で初めて月に降り立ち、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉を述べた。11月にベトナム戦争反対を訴えるニューヨーク市長候補が当選。ワシントンで行われたベトナム反戦集会に25万人が参加するなど、反戦ムードが盛り上がった。ニクソン大統領は訪米した佐藤首相と会談し、沖縄を1972年までに返還することに合意した。米国とソ連が核拡散防止条約に批准した。ソ連と対立を深めた中国はこれをきっかけに米国との接近を図り、米国もベトナム戦争で中国との協力を得るために中国に接近を始めるきっかけとなった。

 チェコスロバキアは、1968年に「プラハの春」(Pražské jaro)と呼ばれる民主化の動きがあったが、ソビエト連邦(ソ連)を中心とする「ワルシャワ条約機構軍」が軍事介入した。民主化の動きは後退することになった。1月にチェコスロバキアはチェコとスロバキアを対等とする連邦制に移行した。チェコスロバキアの大学生ヤン・パラフ(Jan Palach)が「プラハの春」の民主化運動の軍事弾圧に抗議して焼身自殺した。4月に事前検閲制度が復活。チェコスロバキア共産党が「プラハの春」を率いたアレクサンデル・ドゥプチェク(Alexander Dubček)第一書記の辞任を承認し、ソ連の信頼を得たグスターフ・フサーク(Gustáv Husák)が第一書記に就任した。12月にチェコスロバキアの共産党党員証更新による粛清が本格化し、ドプチェク前第一書記が駐トルコ大使に左遷された。

 このほか世界の動きは、2月にヤセル・アラファト( ياسر عرفات )がパレスチナ解放機構(PLO)議長に就任した。パキスタンで反政府ゼネストが発生した。5月に西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、東ドイツ(ドイツ民主共和国)を国家承認した国と国交を断絶するという「ハルシュタイン原則」を放棄し、「2つのドイツ」を認める方向に路線転換した。上院と地方制度の改革を問う国民投票が否決されてシャルル・ド・ゴール大統領が辞任したフランスで6月にフランス大統領選挙が実施され、決選投票でドゴール派のジョルジュ・ポンピドゥー(Georges Pompidou)が当選した。

 7月にカナダで公用語法が成立し英語とフランス語が公用語に規定された。エルサルバドルがホンジュラスに侵攻した。スペインのフランシスコ・フランコ(Francisco Franco)総統がブルボン家のフアン・カルロス(Juan Carlos)王子を後継者に指名した。9月にリビアでカダフィが率いる青年将校団によるクーデターが発生した。

(参考:Wikipediaほか)

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

山口・山陽小野田 セメント工業と山陽新幹線厚狭駅

山陽小野田
さんようおのだ

日本国山口県山陽小野田市

山口・山陽小野田 セメント工業と山陽新幹線厚狭駅

 山陽小野田(さんようおのだ)市は、山口(やまぐち)県南西部にある人口約6万人の市。西が下関(しものせき)市、北が美祢(みね)市、東が宇部(うべ)市と接しており、南には瀬戸内海(周防灘)が広がっている。

 山陽小野田市は、前身の山口県厚狭(あさ)郡の小野田(おのだ)町と高千帆(たかちほ)町が昭和15年(1940年)に合併し、小野田市が発足した。一方、昭和31年(1956年)に厚狭郡の厚狭町と埴生(はぶ)町が合併し、厚狭郡の山陽(さんよう)町となった。小野田市と山陽町は、その翌年の昭和32年(1957年)に一度、合併に関する住民投票が行われたが、その際には合併が見送られていた。合併の機運が再び盛り上がったのは、平成の大合併で、小野田市・山陽町・宇部市・楠町の2市2町の合併が検討され、平成16年(2004年)に住民投票が実施されたが、結果は否決多数だった。結局、宇部市との合併は断念され、平成17年(2005年)に小野田市と山陽町が合併し、山陽小野田市となり現在に至る。

 山陽小野田市は、旧・小野田市側の小野田港を中心に工業地帯が形成され、明治時代よりセメント工業が発達し、製油・石油化学工業も発展した。旧・山陽町は、厚狭駅を中心に山陽新幹線と山陽本線、美祢線の交通の結節点の役割を果たしている。

 山陽小野田市には、JR西日本の山陽新幹線、山陽本線、美祢線、小野田線が通り、山陽新幹線の厚狭、山陽本線の小野田、厚狭、埴生、美祢線の厚狭、湯ノ峠(ゆのとう)、小野田線の小野田、目出(めで)、南中川(みなみなかがわ)、南小野田(みなみおのだ)、小野田港(おのだこう)、雀田(すずめだ)および小野田線本山支線の雀田、浜河内(はまごうち)、長門本山(ながと もとやま)の各駅がある。また、高速道路は山陽自動車道が通り、小野田IC(インターチェンジ)と埴生ICがある。

 小野田駅は、山陽小野田市の中心駅であり、JR西日本の山陽本線と小野田線が発着している。駅の南約600mのところに山陽小野田市役所がある。山陽本線は、山陽鉄道として明治33年(1900年)に開業。明治39年(1906年)に国有化された。一方、小野田線は大正4年(1915年)に小野田軽便鉄道が小野田~セメント町(現・小野田港)を開業し、大正12年(1923年)の小野田鉄道への改名を経て昭和18年(1943年)に国有化された。

 小野田線は、美祢線沿線で採掘された石灰石や石炭を小野田のセメント工場に輸送する役割を果たしていた。小野田は「小野田セメント」(現・太平洋セメント)の創業の地であり、平成6年(1994年)に小野田セメントが秩父セメントを合併して「秩父小野田セメント」が発足。さらに平成10年(1998年)に日本セメントと合併し、「太平洋セメント」となった。太平洋セメント小野田工場はJR小野田線・南小野田駅の西側に敷地が広がっている。また、その北側には小野田化学工業小野田工場、小野田港駅の西には共英製鋼山口事業所、戸田マテリアル、新小野田発電所などがある。しかし、かつて貨物輸送がメインだった小野田線は、貨物輸送もトラックに切り替わり、旅客輸送は並行するバスに流れ、沿線の利用者は多くない。鉄道を廃止してBRT化することも検討されているようだ。

 また、小野田線本山支線および雀田駅より東(宇部新川方面)の小野田線は、宇部鉄道として建設された区間で、かつては駅の南側に本山炭鉱斜坑口があり、昭和38年(1963年)まで使用されていた。本山支線は、旧型国電クモハ42形が平成15年(2003年)まで走っていた最後の旧型国電が走る路線として知られていた。1日朝夕のみ計3本しか運行されないミニ路線であるが、なんとか現在まで路線が廃止されずに生き残っている。長門本山駅の東側には浜河内緑地公園と西部石油山口製油所の敷地が広がっている。また、駅の北西には「きららビーチ焼野」がある。

 宇部市の宇部興産宇部セメント工場と美祢市の宇部興産伊佐セメント工場の間には「宇部興産専用道路」がある。かつては国鉄美祢線と山陽本線、宇部線などを経由する貨物列車が多数運行されていたが、国鉄の貨物運賃値上げなどから、自社の専用道路を昭和47年(1972年)に完成させ、貨物輸送は専用道に切り替わり、鉄道貨物は激減することになった。

 厚狭から石灰石の町である美祢を経由して山陰本線の長門市(ながとし)まで結ぶ美祢線は、かつては石灰石の貨物輸送でにぎわったが、宇部興産専用道路の開通により貨物輸送が激減し、さらに平成22年(2010年)の水害で鉄道貨物がトラック輸送に切り替わり、平成26年(2014年)に美祢線の貨物列車が正式に廃止された。

 厚狭駅は平成11年(1999年)に山陽新幹線の駅が開設され、山陽新幹線、山陽本線、美祢線の3路線が連絡する駅となった。駅北口には、厚狭川の堰建設の資金を集めたとされる「三年寝太郎」の像が立っている。山陽本線は下関~厚狭~小野田~新山口を結ぶ普通電車が運行されている。山陽新幹線は各駅に停車する「こだま」のみ停車する。小野田、宇部方面から大阪・東京方面に向かう場合は「さくら」や「のぞみ」が停車する新山口駅から乗り換えたほうが便利なときが多く、厚狭駅の新幹線利用者は多くない。

山陽小野田エリアの主な駅

小野田 / おのだ 駅
JR西日本 山陽本線、小野田線

厚狭 / あさ 駅
JR西日本 山陽新幹線、山陽本線、美祢線

小野田港 / おのだこう 駅
JR西日本 小野田線

長門本山 / ながともとやま 駅
JR西日本 小野田線本山支線

sanyoonoda1.jpg
山陽新幹線・厚狭駅に停車する500系「こだま」

sanyoonoda2.jpg
山陽新幹線・厚狭駅を通過する「さくら」

sanyoonoda3.jpg
山陽新幹線・厚狭駅を通過する「のぞみ」

sanyoonoda4.jpg
JR厚狭駅・山陽本線ホーム

sanyoonoda5.jpg
JR厚狭駅・美祢線ホーム

sanyoonoda6.jpg
JR厚狭駅

sanyoonoda7.jpg
厚狭駅北口の三年寝太郎像

sanyoonoda8.jpg
山陽本線と小野田線が発着する小野田駅

ドルジバツアー ホームページ(バックナンバー)
http://drughbatour.web.fc2.com/

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

テーマ : 山口県
ジャンル : 地域情報

プロフィール

drughba

Author:drughba
日本国内・世界各国の行って面白かったところ、行ってみたいところ、興味深い都市、交通、地理、文化等。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード