大阪・寝屋川 寝屋川と京阪電車、萱島駅のクスノキ、成田山大阪別院

寝屋川
ねやがわ

日本国大阪府寝屋川市

大阪・寝屋川 寝屋川と京阪電車、萱島駅のクスノキ、成田山大阪別院

 寝屋川(ねやがわ)市は、大阪(おおさか)府東部の北河内(きたかわち)地方にある人口約23万人の市。北が枚方(ひらかた)市、東が交野(かたの)市、南が四条畷(しじょうなわて)市、大東(だいとう)市、南西が門真(かどま)市、守口(もりぐち)市と接し、淀川(よどがわ)を挟んで北西に摂津(せっつ)市、高槻(たかつき)市とも接している。

 寝屋川市は、昭和18年(1943年)に北河内郡の九個荘(くかしょう)町、寝屋川村、友呂岐(ともろぎ)村、豊野(とよの)村が合併し、寝屋川町が発足し、昭和26年(1951年)に寝屋川市に昇格した。さらに昭和36年(1961年)に北河内郡水本(みずもと)村を編入し、現在の市域となった。

 寝屋川の地名の由来は、御伽草子『鉢かづき』(はちかづき)に登場する初瀬姫の父の別荘が高野街道を行く旅人に宿を提供していたことから、「寝屋」(ねや)と呼ばれるようになったとされる。寝屋川は、交野市の星田あたりから寝屋川市東部の「寝屋」をを通って、西に流れ、京阪の寝屋川駅付近で流れが南向きに変わり、大東市方面へ流れている。

 寝屋川市南部から大東市にかけて、江戸時代初期まで深野池(ふこのいけ)という大きな池があり、寝屋川もこの池に流れていた。1704年(宝永元年)に大和川(やまとがわ)の付け替えにより、深野池の流入量が減り、深野池跡に新田開発が行われ、深野池跡の西側を寝屋川が流れるようになった。大東市との境にある深北緑地(ふかきたりょくち)は、市民の憩いの公園であるとともに、大雨による河川氾濫を防ぐための遊水池としての役割も担っている。

 寝屋川市は、淀川の南部から大阪と京都(きょうと)を結ぶ交通が通り、淀川沿いに国道1号線(京阪国道)が通るほか、市南部に第二京阪道路が通り、寝屋川南IC(インターチェンジ)と寝屋川北ICがある。また、国道1号線から南下し、大東市や東大阪市方面を結ぶ国道170号線は旧道のほうが東高野街道、新道のほうが外環状線と呼ばれ、河内地方を南北に結んでいる。

 鉄道は、京阪電鉄・京阪本線とJR西日本・片町線(学研都市線)が通り、京阪本線の萱島(かやしま)、寝屋川市(ねやがわし)、香里園(こうりえん)の各駅とJR学研都市線の東寝屋川(ひがしねやがわ)駅がある。

 京阪・寝屋川市駅は、寝屋川市の中心駅で、急行や快速急行も停車する。2面2線の対向式ホームの高架駅で、平成2年(1990年)より高架化工事が着工され、真上に高架駅を新たに建設する難工事の末、平成14年(2002年)に完成した。寝屋川駅の西側に寝屋川が流れ、東口に「ねやがわ いちばんがい」商店街、西口に「ベルおおとし」商店街が伸びている。東口には商業施設などが入る「アドバンスねやがわ」の1号館と2号館があり、1号館にスーパー「イズミヤ」が入っている。寝屋川市駅の東には寝屋川市役所や大阪電気通信大学がある。

 寝屋川市~萱島の間には京阪電車の車両基地があり、萱島駅からは大阪市内方面に多くの始発電車が運行され、着席しやすい駅として人気が高い。萱島駅は2面4線の高架駅で、急行、快速急行、特急、快速特急などは通過するが、準急や区間急行が停車する。萱島から天満橋(てんまばし)まで複々線となっており、萱島から大阪市内方面は非常に運転本数が多い。萱島は、古くは寝屋川の中洲で茅や葦が茂っていたのが地名の由来となった。現在の萱島駅は寝屋川にまたがるように建設されている。

 萱島駅の大阪市内方面のホームには、樹齢推定700年のクスノキが高架ホーム上に伸びている。これは昭和50年代に萱島駅の高架化と複々線化が進められた際に、旧・萱島神社のクスノキを保護したためで、昭和55年(1980年)に高架・複々線化が完成した際には、萱島駅前の敷地に京阪電鉄により「萱島神社」が再興された。 

 香里園駅は、2面4線の地平駅で、寝屋川市駅に待避施設がないため、同駅で普通と急行などの緩急接続が行われる。旧・友呂岐村の大字・郡(こおり)だったことから、明治43年(1910年)に香里(こおり)駅として開業し、昭和13年(1938年)に香里園駅に改称された。関西医大香里病院の最寄り駅であり、駅東口の再開発で商業施設「香里園かほりまちテラス」ができた。香里園駅は、京阪電鉄が誘致し、昭和9年(1934年)に創建された「成田山大阪別院・明王院」の最寄り駅でもある。

 JR学研都市線の東寝屋川駅は、それまで寝屋川市内に駅がなかった国鉄片町線に昭和54年(1979年)の複線化に合わせて開設された駅で、快速は通過する。旧・水本村にあり、寝屋川公園の最寄り駅である。

寝屋川エリアの主な駅

寝屋川市 / ねやがわし 駅
京阪電鉄 京阪本線

萱島 / かやしま 駅
京阪電鉄 京阪本線

香里園 / こうりえん 駅
京阪電鉄 京阪本線

東寝屋川 / ひがしねやがわ 駅
JR西日本 片町線(学研都市線)

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京阪電車・寝屋川市駅

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京阪電車・寝屋川市駅東口

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イズミヤが入る「アドバンスねやがわ」

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「ねやがわ いちばんがい」商店街

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「ベルおおとし」商店街

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「ベルおおとし」商店街

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寝屋川市駅の西口に流れる寝屋川

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寝屋川市駅西口のバス乗り場

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萱島~寝屋川市の京阪車両基地

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京阪・萱島駅を通過する京阪特急

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京阪・萱島駅

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萱島駅のクスノキ

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京阪・香里園駅

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リヒテンシュタイン オーストリアとスイスに挟まれたミニ国家

Fürstentum Liechtenstein
Förschtatum Liachtaschta
フュアステントゥーム リヒテンシュタイン (ドイツ語)
フェアシュタツーム リアハタシュタ(アレマン語)
リヒテンシュタイン公国

リヒテンシュタイン オーストリアとスイスに挟まれたミニ国家

 リヒテンシュタイン公国(Fürstentum Liechtenstein / Förschtatum Liachtaschta)は、中央ヨーロッパのスイスとオーストリアに挟まれた人口約3.5万人のミニ国家。公用語のドイツ語ではリヒテンシュタイン(Liechtenstein)、地元のアレマン語(ドイツ南西部方言)ではリアハタシュタ(Liachtaschta)と呼ばれる。

 リヒテンシュタイン公国は、1806年に神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich)の崩壊により、独立した。その後ライン同盟に参加し、1815年にドイツ連邦(Deutscher Bund)に加入したが、1866年にドイツ連邦が解体されたことからリヒテンシュタイン公国として再独立し、永世中立国としてミニ国家ながらも現在まで独立を保ってきた。

 1921年以来、隣国スイスと同じスイスフランを通貨としており、1923年にスイスと関税同盟を結んだ。永世中立国ということで、長らく国連にも未加盟であったが、1990年に国連に加盟。EU(欧州連合)には未加盟だが、欧州の自由貿易に参加するために欧州経済領域(EEA)に1995年に加盟。さらには2011年にシェンゲン協定に加盟したことにより、西欧・中央のEU加盟国およびスイスなどと国境審査なしに行き来することができるようになった。

 リヒテンシュタインの面積はわずか160キロ平方メートルで、世界で6番目に面積の小さな国で、日本の小豆島とほぼ同じ大きさである。旧ファドゥーツ伯爵領のオーバーラント(Oberland=高地)と、旧シェレンベルク男爵領のウンターラント(Unterland=低地)の両地域があり、首都はライン川上流右岸のファドゥーツ(Vaduz)で、左岸はスイス領のゼーフェレン(Sevelen)である。ファドゥーツには、リヒテンシュタイン公国の元首・リヒテンシュタイン公が住むファドゥーツ城(Schloß Vaduz)や、ファドゥーツ大聖堂(Florinskirche in Vaduz)がある。

 リヒテンシュタインの最大の町はファドゥーツの北にあるシャーン(Schaan / Schaa)で、オーストリア国鉄のシャーン・ファドゥーツ(Schaan-Vaduz)駅があり、リヒテンシュタインの代表駅となっている。シャーン・ファドゥーツ駅からはオーストリア側のフェルトキルヒ(Feldkirch)とスイス側のブフス(Buchs)を結ぶ国際普通・快速列車が運行されている。一方、オーストリアとスイスを結ぶ国際急行列車はすべてリヒテンシュタイン領内の駅を通過するため、リヒテンシュタイン領内を通過したことすら気付かないかもしれない。また、リヒテンシュタイン国内の交通は、路線バスが充実している。

 リヒテンシュタインがリヒテンシュタイン家の公国としてミニ国家として独立を保つことができたのは、ナチス・ドイツが台頭したときに、リヒテンシュタイン公のフランツ・ヨーゼフ2世(Franz Josef II.)が影響力を発揮して総選挙を延期してナチズム化を防いで第二次世界大戦時に中立を維持できたことが大きい。

 リヒテンシュタインは隣国スイスやオーストリアと良好な関係を保ち、精密機械と牧畜を主な産業としている。また、法人税を低くすることにより、タックス・ヘイブンを目的とする外国企業が集まり、税収が豊富である。これもミニ国家が独立国として生き残る知恵なのだろう。


リヒテンシュタイン公国
Fürstentum Liechtenstein(ドイツ語)
Förschtatum Liachtaschta (アレマン語)
面積:0.02万
人口:3万
通貨:スイス・フラン
主要言語:ドイツ語
首都:ファドゥーツ/Vaduz(ドイツ語)(人口0.5万)


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島根 松江・しんじ湖温泉 松江しんじ湖温泉と松江城と一畑電車

松江・しんじ湖温泉
まつえ・しんじこおんせん

日本国島根県松江市

島根 松江・しんじ湖温泉 松江しんじ湖温泉と松江城と一畑電車

 松江しんじ湖温泉(まつえ しんじこおんせん)は、島根(しまね)県の松江(まつえ)市にあり、一畑電車・北松江線の松江しんじ湖温泉駅がある。

 松江市は西に宍道湖(しんじこ)、東に中海(なかうみ)が広がり、この2つの湖を大橋川がつないでいる。

 松江市には2つのターミナル駅があり、1つが大橋川の南にあるJR西日本・山陰本線の松江駅で、米子(よなご)、鳥取(とっとり)、出雲市(いずもし)、益田(ますだ)方面を結ぶほか、伯備線経由で山陽地方の岡山(おかやま)を結ぶ特急「やくも」も運行されている。

 もう1つのターミナル駅が、大橋川の北西にある一畑電車の松江しんじ湖温泉駅で、宍道湖の北側の沿線を経由して、出雲大社前(いずもたいしゃまえ)および出雲市駅を結んでいる。JR松江駅から約1.5キロ離れているが、松江市役所、島根県庁、松江城などはいずれも大橋川の北側にあり、松江しんじ湖温泉駅が最寄り駅である。また、同駅から島根県を代表する観光地である出雲大社へ、乗り換えなしで行けることから、一畑電車の利便性は高い。将来的には松江しんじ湖温泉駅とJR松江駅を結ぶライトレール(路面電車)の構想もある。

 一畑電車・北松江線は、「一畑薬師」(いちばたやくし)への参拝客輸送のために宍道湖の北に建設された路線で、出雲市方面からと松江方面からそれぞれ建設され、一畑口(いちばたぐち)駅で合流し、一畑駅へ向かう路線が整備され、北松江(現・松江しんじ湖温泉)~小境灘(現・一畑口)が昭和3年(1928年)に開業した。

 松江しんじ湖温泉駅は昭和3年(1928年)に北松江(きたまつえ)駅として開設された。昭和45年(1970年)にこの地に温泉が湧いたことから松江温泉(まつえおんせん)駅に改称され、さらに平成14年(2002年)に温泉街が公募で「松江しんじ湖温泉」と決まったため、駅名もそれに合わせて松江しんじ湖温泉となった。

 北松江線は、宍道湖の北の湖畔を走り、車窓が非常に美しい。松江市内の沿線には、本格的なイギリス式庭園「松江イングリッシュガーデン」の最寄り駅である松江イングリッシュガーデン駅や、宍道湖の眺めが美しい秋鹿町(あいかまち)駅、宍道湖の湖畔を走り、北松江線の松江市最西端である津ノ森(つのもり)駅などがある。一畑電車は、南海や京王の旧型電車が活躍していたが、新型電車導入により元南海高野線のズームカーが平成29年(2017年)に引退した。

 松江しんじ湖温泉は、宍道湖の湖畔に温泉街が広がっている。駅の北は松江城とそのお堀があり、松江城の南側に島根県庁がある。韓国に実質的に占領されている竹島(韓国名:獨島)は、日本政府は島根県隠岐郡隠岐の島町竹島であると主張しており、島根県庁には「竹島 かえれ 島と海」とのスローガンとともに「竹島資料室」が公開展示されている。

 松江城は、江戸時代の1611年(慶長16年)に築城された松江藩の藩庁であり、明治4年(1871年)に廃城となったが、江戸時代からの天守が現存する。

松江・しんじ湖温泉エリアの主な駅

松江しんじ湖温泉 / まつえしんじこおんせん 駅
一畑電車 北松江線

秋鹿町 / あいかまち 駅
一畑電車 北松江線

津ノ森 / つのもり 駅
一畑電車 北松江線

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一畑電車・松江しんじ湖温泉駅

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一畑電車・松江しんじ湖温泉駅

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一畑電車・松江しんじ湖温泉駅

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松江しんじ湖温泉

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宍道湖から流れる大橋川

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松江市役所

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松江の市街地から見た松江城

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松江城のお堀

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松江城

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島根県庁前の竹島資料館の看板

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島根県庁

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宍道湖が美しい一畑電車の車窓

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宍道湖が美しい一畑電車の車窓

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宍道湖が美しい一畑電車・秋鹿町駅

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一畑電車からの宍道湖の車窓

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一畑電車・津ノ森駅と廃車になった元南海ズームカー

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福岡・春日 春日神社と自衛隊基地、福岡市に隣接するベッドタウン

春日
かすが

日本国福岡県春日市

福岡・春日 春日神社と自衛隊基地、福岡市に隣接するベッドタウン

 春日(かすが)市は、福岡(ふくおか)県中西部にある人口約11万人の市。北が福岡市の南(みなみ)区と博多(はかた)区、東と南が大野城(おおのじょう)市、西が筑紫(ちくし)郡の那珂川(なかがわ)町と接している。

 春日は、市内にある春日神社が地名の由来であり、藤原田麻呂(ふじわら の たまろ)が、大和・奈良の春日大社より春日大明神を迎え入れ奈良時代の768年に創建されたと伝えられる。

 春日市は昭和47年(1972年)に筑紫郡春日町が市制施行して発足した。福岡市の南に隣接することから、福岡市のベッドタウンとして市街地が拡大し、人口が増加した。また、鉄道が大野城市との境界近くを走っているため、大野城市とも生活圏が近い。

 春日市内にはJR九州・鹿児島本線と西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線が走り、JR鹿児島本線の春日(かすが)駅、西鉄天神大牟田線の春日原(かすがばる)駅がある。また、春日市の西の那珂川町の境には、JR西日本・博多南線の博多南(はかたみなみ)駅がある。

 西鉄天神大牟田線の春日原駅は大正13年(1924年)に開設され、同市の中心駅となっている。2面4線のホームがあり、急行も停車する。高架化工事が進められており、2021年に完成予定である。駅周辺は、春日市の商業の中心であるが、北と東がすぐ大野城市であり、駅東約200mにある「イオン大野城ショッピングセンター」は大野城市側にある。また、同駅は大野城市役所の最寄り駅でもあり、春日市役所よりも近い。

 JR鹿児島本線の春日駅は、西鉄春日原駅の約500m南西に平成元年(1989年)に開設された比較的新しい駅で、春日市役所の最寄り駅であるが、隣接する大野城駅や南福岡駅が比較的大きいため、快速電車は通過する。春日市役所の西側には航空自衛隊春日基地の敷地が広がる。その南東側には、かつて在日米軍の基地(春日ベース)があったが、昭和47年(1972年)に返還され、昭和56年(1981年)に春日公園として開園した。公園内には県営春日公園野球場、県立春日公園球技場、春日公園テニスコートなどがある。春日公園から春日の杜通りを南へ行くと春日神社がある。春日公園の南東には大野城市にまたがって九州大学筑紫キャンパスがある。こちらは大野城市側のJR大野城駅が近い。

 春日市には九州・福岡の防衛のために歴史的に軍事施設が多く設けられ、春日駅前の航空自衛隊春日基地(西部航空方面隊司令部)のほか、市内には陸上自衛隊福岡駐屯地(第4師団司令部)、陸上自衛隊春日駐屯地(自衛隊福岡病院)などがある。

 春日には、弥生時代に奴国(なこく)の中心部があったとされ、当時の遺跡が多く発掘されたことから、市の北部の須玖岡本(すぐ おかもと)遺跡の周辺に「奴国の丘歴史公園」が整備され、貴重な発掘品を収蔵する「奴国の丘歴史資料館」がある。

 JR博多南駅は、JR西日本・山陽新幹線の博多総合車両所の車両基地に隣接して平成2年(1990年)に開設された駅で、JR博多南線は博多駅から車両基地までの回送線を旅客化した路線で、博多南~博多の9.2キロをノンストップで結んでいる。九州新幹線開業により現在は博多南駅周辺を除き、九州新幹線とルートを共用している。JR西日本の山陽新幹線の新幹線車両が用いられるので、新幹線通勤気分が味わえるお得な路線である。実際には多くの列車が山陽新幹線と直通運転を行っており、直通列車の多くは博多から先は「こだま」として運行されている。博多南駅の開設により、それまで交通が不便だった春日市西部および那珂川町が便利になり、駅周辺の宅地化が急速に進んでいる。

春日エリアの主な駅

春日原 / かすがばる 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

春日 / かすが 駅
JR九州 鹿児島本線

博多南 / はかたみなみ 駅
JR西日本 博多南線(山陽新幹線)

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高架化工事が始まる西鉄天神大牟田線・春日原駅

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オーストリア・インスブルック ワルツと舞踏会とウインタースポーツ、チロル州の州都

Innsbruck
Innschbruck
インスブルック (ドイツ語)
インシュプルック (バイエルン・オーストリア語)

Innsbruck, Tirol, Republik Österreich
オーストリア(エースターライヒ)共和国チロル州インスブルック市

オーストリア・インスブルック ワルツと舞踏会とウインタースポーツ、チロル州の州都

 インスブルック(Innsbruck)は、オーストリア(エースターライヒ/Österreich)共和国西部のチロル(Tirol / Tiaroi)州にある人口約13万人の都市。現地で話されるバイエルン・オーストリア語ではインシュプルック(Innschbruck)と呼ばれる。

 インスブルックは、イン(Inn)川に架かる橋(bruck)という意味で、北のアールベルク峠を越えるとドイツ・バイエルン州のミュンヘン(München / Minga)、南のブレンナー峠を越えるとイタリア・ボルツァーノ(Bolzano)につながることから、古くから交通の要衝として栄えた。インスブルックの市街地の標高は500mを越え、冬はウインタースポーツが盛んであり、1964年と1976年に冬季オリンピックが開催された。チロルはワルツの発祥の地であり、インスブルックは舞踏会の伝統があり、舞踏会が盛んに開かれている。

 インスブルックはチロル州の州都で、チロルはドイツ語でティロール(Tirol)、バイエルン語ではティアローイ(Tiaroi)、イタリア語ではティローロ(Tirolo)と呼ばれる。インスブルックは地理的に北チロルに位置し、南チロルは第一次世界大戦後にイタリアに割譲されてイタリア・ボルツァーノ自治県となっており、東チロルがオーストリア・チロル州の飛び地でリエンツ(Lienz)などの都市がある。

 アルプス山脈にあるチロルは、ドイツ南部のバイエルン地方と文化的に近いが、神聖ローマ帝国の時代にバイエルンからは切り離され、チロル伯領となったが、14世紀にハプスブルク家の領土となった。19世紀初頭のナポレオン戦争後、チロルは一時期フランス帝国の同盟国であったバイエルン王国に割譲されたがチロル人はバイエルン王国に入ることに抵抗し、1815年のウィーン会議後にチロルはオーストリア帝国に編入された。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が第一次世界大戦で敗れると、サン・ジェルマン条約によって南チロルがイタリア王国に割譲された。

 その後、ドイツでナチスが台頭すると、失地回復を目指すナチス・ドイツはオーストリアを編入したが、イタリアの指導者ムッソリーニへの配慮から南チロルは編入しなかった。第二次世界大戦末期にイタリアが降伏した後、一時的に南チロルがドイツ領となったが、戦後再びイタリア領に戻った。一方、ナチス・ドイツが解体されると北チロルはフランス、東チロルはイギリスによる占領を経て、1955年にオーストリアが独立を果たすと、北チロルと東チロルがオーストリアのチロル州となった。チロルは北と東のオーストリアと南のイタリアに分かれたが、欧州統合の流れにより、1995年にシェンゲン協定が結ばれ、イタリアの南チロルとの行き来も自由になり、交流が深まっている。

 インスブルック中央駅は、オーストリア国内のザルツブルク(Salzburg)やウィーン(Wien/Wean)方面を結ぶ列車のほか、ドイツのミュンヘン(München)、ベルリン(Berlin)、ハンブルク(Hamburg)、スイスのチューリッヒ(Zürich)、イタリアのヴェネツィア(Venezia)、ミラノ(Milano)方面の国際列車が発着している。

 インスブルック空港は、ウィーン方面のオーストリア国内線のほか、国際線はアジア方面の国際路線はないが、ドイツのフランクフルト、イギリスのロンドン、オランダのアムステルダム、ロシアのモスクワなどの方面を結ぶ国際線が発着している。

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ドイツ方面を結ぶ列車も発着するインスブルック中央駅

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インスブルック駅前の街並み


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東京・虎ノ門 外堀通り、ホテルオークラ、虎ノ門ヒルズ、霞が関ビル

東京・虎ノ門
とうきょう・とらのもん

日本国東京都港区、千代田区

東京・虎ノ門 外堀通り、ホテルオークラ、虎ノ門ヒルズ、霞が関ビル

 虎ノ門(とらのもん)は東京(とうきょう)都の港(みなと)区にある地区で、千代田(ちよだ)区の霞が関(かすみがせき)地区の南にある。

 虎ノ門の地名は、もともと江戸時代に江戸城(えどじょう)の南端の外堀の虎ノ門があったことに由来する。明治時代になると、江戸城は宮城(皇居)となり、虎ノ門は明治6年(1874年)に門が撤去された。外堀も埋められ、外堀通りとなった。

 外堀通りの地下には東京メトロ銀座線が走り、虎ノ門駅は昭和13年(1938年)に東京高速鉄道の役として開業した。当初は新橋(しんばし)が終点であったが、昭和16年(1941年)に新橋~浅草(あさくさ)の東京地下鉄道と経営統合して帝都高速度交通営団(営団地下鉄)となり、渋谷~虎ノ門~新橋~上野~浅草が直通運転するようになった。営団地下鉄は平成16年(2004年)に東京メトロとなった。銀座線の虎ノ門駅は東京の地下鉄の駅の中でも歴史が古く、銀座線ならではの地下駅の味わいがある。

 虎ノ門駅は外堀通り沿いに商店やオフィスビルが並んでいるほか、日本中央政府の各省庁が置かれる官庁街である「霞が関」に隣接しているため、駅の利用者は非常に多い。東京メトロ日比谷線・千代田線・丸ノ内線の霞ケ関駅は北に数百メートル離れていて、乗り換えは可能だが、乗り換え駅にはなっていない銀座線の単独駅であったが、日比谷線の虎ノ門駅が2020年に開設予定である。虎ノ門駅から霞が関の中央省庁は文部科学省、財務省、経済産業省、中小企業庁、文化庁、国税庁、金融庁、特許庁などの庁舎が近い。

 また、日本初の超高層ビルである「霞が関ビルディング」は、虎ノ門駅の西約200mのところにあり、虎ノ門駅からのほうが近い。旧・東京倶楽部ビルと霞会館(旧・華族会館)の跡地に昭和40年(1965年)に着工、昭和43年(1968年)に完成した高さ147m、36階建てのビルである。黒い四角形の窓が並ぶ白い建物は美しく、東京の高層ビル史を創った名建築である。

 虎ノ門駅前の虎ノ門ビルには、台北駐日経済文化代表処(台湾大使館に相当)の「台湾文化センター」が平成27年(2015年)にオープンし、台湾の映画、音楽、文学、美術など台湾文化関連のイベントが行われている。

 虎ノ門駅の南側は、金刀比羅宮(ことひらぐう)が平成16年(2004年)に再開発で「虎ノ門琴平タワー」と一体化し、都市らしい未来的な神社となった。その南に進んでいくと「ホテルオークラ東京」がある。「ホテルオークラ」は、大倉財閥を作った実業家の大倉喜八郎(おおくら きはちろう)の邸宅があったところで、その敷地に昭和37年(1962年)に「ホテルオークラ」旧本館が開業し、外国の貴賓なども多く宿泊する東京の代表的な高級ホテルである。長年親しまれてきた旧本館は2020年の東京オリンピックに向けて建て替えることになり、平成27年(2015年)に閉館し、建て替え工事が進められている。その間は、南側に隣接する別館で営業が続けられている。旧大倉邸の敷地には大倉氏が収集した美術品等を展示する「大倉集古館」もあったが、本館建て替え工事により2019年に再開を予定している。

 「ホテルオークラ東京」の西側には、「駐日アメリカ合衆国大使館」の広大な敷地が広がっている。米国渡航のためのビザ発給業務のほか、日米安保を結ぶ同盟国・米国の日本における重要拠点である。ここは住所上は「赤坂」であるが、虎ノ門駅または溜池山王駅からが近い。

 虎ノ門駅の南約400mのところに森タワーが開発した「虎ノ門ヒルズ」が平成26年(2014年)にオープンした。同ビルは、虎ノ門~新橋を結ぶ地下道路と一体化して開発された高さ255m、地上52階建ての超高層ビルであり、虎ノ門の新しいランドマークとなっている。

 「虎ノ門ヒルズ」の南側は小高い丘になっていて、愛宕神社や「NHK放送博物館」がある。「NHK放送博物館」は渋谷の代々木公園に移転する前のNHK(日本放送協会)発祥の地であり、日本のラジオ・テレビ放送に関する資料が天治されている。

 愛宕神社やホテルオークラ東京は東京メトロ日比谷線の神谷町(かみやちょう)駅からのほうが近い。

虎ノ門エリアの主な駅

虎ノ門 / とらのもん 駅
東京メトロ 銀座線

神谷町 / かみやちょう 駅
東京メトロ 日比谷線

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東京メトロ銀座線・虎ノ門駅

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虎ノ門の碑

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外堀通りと霞が関ビル

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文化庁庁舎(旧・文部省庁舎)

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琴平タワーと一体的に開発された金刀比羅宮

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琴平タワーと一体的に開発された金刀比羅宮

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虎ノ門ヒルズ

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愛宕神社

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愛宕神社

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建設が進むホテルオークラ新本館

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解体前のホテルオークラ旧本館

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テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

千葉・野田 利根川と江戸川とキッコーマン醤油

野田
のだ

日本国千葉県野田市

千葉・野田 利根川と江戸川とキッコーマン醤油

 野田(のだ)市は、千葉(ちば)県北西部にある人口約15万人の市。南が柏(かしわ)市と流山(ながれやま)市、西が埼玉(さいたま)県の吉川(よしかわ)市、松伏(まつぶし)町、春日部(かすかべ)市、杉戸(すぎと)町、幸手(さって)市、北が茨城(いばらき)県の五霞(ごか)町、境(さかい)町、東が茨城県の坂東(ばんどう)市、守谷(もりや)市などと接している。

 野田市は、昭和25年(1950年)に東葛飾(ひがしかつしか)郡の野田(のだ)町、旭(あさひ)村、梅郷(うめさと)村、七福(ななふく)村が合併して発足した。平成15年(2003年)に北に隣接する関宿(せきやど)町を編入合併し、現在の市域となった。

 野田市は、西に江戸川(えどがわ)、東に利根川(とねがわ)が流れ、南に利根運河が流れている。江戸川は埼玉県との県境、利根川は茨城県との県境になっている。この水運を利用して、江戸時代から醤油産業が興り、日光東往還(にっこうひがしおうかん)が通る「山崎宿」(やまざきじゅく)の宿場町としても栄えた。

 野田の醤油産業は、江戸時代の1661年(寛文元年)に高梨兵左衛門が野田で醤油醸造を始め、その後、高梨家と茂木家による醤油醸造が行われるようになり、江戸幕府にも醤油を献上していた。明治時代に入ると、醤油の原料や製品を水運から鉄道輸送に切り替えるべく、柏~野田町(現・野田市)の千葉県営軽便鉄道野田線に高梨・茂木氏らによる野田醤油醸造組合が出資し、明治44年(1911年)に開業。大正6年(1917年)にキッコーマンの前身である野田醤油株式会社が設立された。野田醤油株式会社は大正14年(1925年)に万上味醂株式会社、日本醤油株式会社と合併し、昭和15年(1940年)に「亀甲萬」(きっこうまん)のロゴから商標を「キッコーマン」に統一した。「キッコーマン」ブランドを確立し、昭和39年(1964年)には社名も「キッコーマン醤油株式会社」となり、その後醤油以外の食品分野にも拡大したことから昭和55年(1980年)に「キッコーマン株式会社」となり、今に至る。

 野田は「キッコーマン醤油」発祥の地として全国的に有名であるが、野田醤油がキッコーマンに集約された後も、独立を保ち、独自の味を維持している「キノエネ醤油」が野田市中野台にあり、本社社屋や工場建築は近代産業遺跡としても高い評価を受けている。

 野田市には、東武野田線(アーバンパークライン)が通り、市内に川間(かわま)、七光台(ななこうだい)、清水公園(しみずこうえん)、愛宕(あたご)、野田市(のだし)、梅郷(うめさと)の各駅がある。

 東武野田線は明治44年(1911年)に醤油輸送のため、千葉県営軽便鉄道野田線として野田町(現・野田市)~柏が開業し、国鉄常磐線と連絡した。千葉県営軽便鉄道は大正12年(1923年)に北総鉄道となり、同年に北総鉄道船橋線の柏~船橋(ふなばし)が開業した。昭和4年(1929年)に野田町~清水公園が延伸、大宮(おおみや)~粕壁(現・春日部)が開業し、北総鉄道が総武鉄道に改称され、昭和5年(1930年)に清水公園~粕壁がつながり、野田線が全通した。戦時中の昭和19年(1944年)に総武鉄道が東武鉄道に吸収合併され、東武野田線となった。平成26年(2014年)に沿線イメージアップのために「東武アーバンパークライン」の愛称がつけられ、平成29年(2017年)からは特急「アーバンパークライナー」が野田市内にも乗り入れるようになった。

 野田市駅は、キッコーマンの醤油工場に隣接し、キッコーマン野田工場のでは「ものしり醤油館」で工場見学もできる。キッコーマン本社の最寄り駅でもある。かつては醤油の貨物輸送が行われていた。2面3線のホームがあったが、平成26年(2014年)より高架化工事が進められており、2020年に2面4線の高架駅となる予定である。

 愛宕駅は、野田市役所の最寄り駅であり、駅の近くには愛宕神社や野田市郷土博物館がある。清水公園駅は、野田醤油の茂木氏によって造られた清水公園の最寄り駅であり、桜やツツジが美しい。

 平成29年(2017年)に新設された特急「アーバンパークライナー」は、新型特急電車500系「リバティ」が使用され、浅草→春日部→野田市の3号と、大宮→春日部→野田市→運河(うんが)の2号が夜間に野田市に乗り入れており、東京やさいたま市から野田方面からゆったり帰宅できる列車として、東武アーバンパークラインの沿線価値を高めている。運河駅は流山市側にあるが、野田市とも隣接しており、野田市民の利用も多い。

野田エリアの主な駅

野田市 / のだし 駅
東武鉄道 野田線(アーバンパークライン)

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東武野田線・野田市駅

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東武野田線・野田市駅

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高架化準備中の東武野田線・野田市駅

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東武野田線・野田市駅

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野田のキッコーマン醤油工場

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キッコーマン「ものしり醤油館」

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野田のキッコーマン醤油工場

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野田のキッコーマン醤油工場の再現された蔵

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テーマ : 千葉県
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台湾 花蓮・寿豊 寿村と豊田村の開拓、志学と東華大学、鯉魚潭

壽豐
Ciamengan・Kotobuki
シウホン (台湾語/ホーロー語)
チアムンガン(コトブキ) (アミ語)
シウフゥン (台湾客家語)
ソウフォン (台湾華語/北京語)
ことぶき (日本語)

臺灣花蓮縣壽豐鄉
台湾花蓮県寿豊郷

台湾 花蓮・寿豊 寿村と豊田村の開拓、志学と東華大学、鯉魚潭

 寿豊(壽豐/台:シウホン/阿:チアムンガン/客:シウフゥン/華:ソウフォン)郷は、花蓮(台:ホアレン/華:ホアリエン)県中部にある人口約1.8万人の村で、北が吉安(台:ケラン/華:チーアン)郷、西が秀林(太:ブスリン/華:ショウリン)、南が鳳林(客:フゥンリム/台:ホンリム/華:フォンリン)鎮と豊浜(豐濱/阿:ヴァコン/台:ホンピン/華:フォンピン)郷と接し、東には太平洋が広がっている。

 寿豊郷は、古くからアミ(阿美)族が住み、村の中心部にはアミ語でチアムンガン(Ciamengan)と呼ばれる集落がある。主に清の時代に福建系のホーロー人も住むようになったが、本格的な開発が始まったのは、日本統治時代であり、日本内地からの移民により寿(ことぶき)村、豊田(とよだ)村、賀田(かた)村などが開拓された。1937年(昭和12年)には花蓮港庁花蓮郡の寿庄が置かれたが、戦後になると中華民国政府により、寿村の「寿」と豊田村の「豊」を合わせて「寿豊」郷となった。戦前の寿庄は、開拓移民である日本人(内地人)の比率が高かったが、戦後に内地に引き揚げると、新竹地方からの客家(ハッカ)系住民や中国から中国国民党とともに渡ってきた人らも住むようになった。

 寿豊郷には台湾鉄道の台東線が通り、志学(志學/阿:チハク/台:チーハク/華:ツーシュエ)、平和(台:ピンホー/華:ピンホー)、寿豊(台:シウホン/客:シウフゥン/華:ソウフォン)、豊田(豐田/台:ホンテン/客:フゥンティエン/華:フォンティエン)の各駅がある。

 寿豊駅は、寿豊郷の中心駅で、2015年に高架化され、2面4線の立派な駅となり、特急「自強」号や「プユマ(普悠瑪)」号の一部も停車する。寿豊駅は1910年(明治43年)に鯉魚尾(リーヒーボエ)駅として開設され、1917年(大正6年)に寿(壽/ことぶき/シウ)駅となり、旧・寿村の中心駅だった。日本統治時代が終わり、中華民国に接収された1945年に寿豊(ソウフォン)駅と改名された。

 豊田駅は、旧・豊田村にある駅で、豊田碧蓮寺(フォンティエン ピーリエンスー)はかつての豊田神社の跡地に建てられたもので、今も豊田神社の鳥居が残されていて、かつて日本人の移民が開拓した豊田村の面影を感じることができる。

 志学駅は、もともとアミ語でライラックを意味する「チハク」(Cihak)と呼ばれていたところを日本語で音訳して1911年(明治44年)に知伯(ちはく)駅として開設された。その後、日本人実業家の賀田金三郎(かた きんざぶろう)氏が清国時代に呉全(ンゴー ツォワン)氏が開拓を手がけたが後に荒地になっていた呉全城を賀田組が開墾して賀田村となったので駅名も1918年(大正7年)に賀田(かた)駅となった。戦後、中華民国時代になると日本色を払拭するために日本人の名前である賀田駅は豊年(フォンニエン)駅に改名されたが、地元にゆかりのない駅名だったため、1952年にアミ語の伝統地名であるチハクに台湾語で漢字を当てた「志学」(チーハク)駅に改名され、現在に至る。台湾語で読めばアミ語の地名の由来と通ずるが、華語(中国語)で読むと「ツーシュエ」と全然異なる発音となる。

 志学駅の東には1994年に「国立東華大学」(東華大學/台:タンホア タイハク/華:トンホア ターシュエ)が開設され、台湾東部を代表する総合大学であるとともに、原住民民族学院が設置され、台湾先住民族の研究拠点でもあるのが特色である。志学駅は東華大学の最寄り駅となったことで、偶然にもアミ語地名の台湾語当て字である「志学」が大学を志すの縁起の良い駅名となった。

 寿豊郷の北東部には鯉魚潭(リーヒータム/リーユィータン)という美しい湖があり、その西側の秀林郷にはタロコ族が住んでいる。

 寿豊郷の海岸部を通る台11線道路には、「理想大地」リゾート&ラグーンなどの観光スポットや水璉(ツイレン)村などアミ族が住む村がある。

花蓮・寿豊エリアの主な駅

壽豐 / シウホン(シウフゥン/ソウフォン/コトブキ) 駅
台鉄 台東線(東部幹線)

豐田 / ホンテン(フゥンティエン/フォンティエン/トヨダ) 駅
台鉄 台東線(東部幹線)

志學 / チハク(ツーシュエ) 駅
台鉄 台東線(東部幹線)

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台鉄台東線・寿豊駅

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台鉄台東線・寿豊駅

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旧・寿村

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旧・豊田村

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旧・豊田村

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台鉄台東線・豊田駅

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テーマ : 台湾旅行
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富山・南砺 JR城端線と砺波平野と五箇山

南砺
なんと

日本国富山県南砺市

富山・南砺 JR城端線と砺波平野と五箇山

 南砺(なんと)市は、富山(とやま)県南西部にある人口約5万人の市。北が小矢部(おやべ)市、砺波(となみ)市、東が富山市、南が岐阜県の飛騨(ひだ)市と白川(しらかわ)村、西が石川県の金沢(かなざわ)市と接している。

 南砺市は、平成16年(2004年)に東礪波(ひがしとなみ)郡の福野(ふくの)町、城端(じょうはな)町、井波(いなみ)町、井口(いのくち)村、平(たいら)村、上平(かみたいら)村、利賀(とが)村、西礪波(にしとなみ)郡の福光(ふくみつ)町が合併して発足した。砺波(となみ)の南に位置することから「南砺」(なんと)市となった。

 南砺市は、北部に砺波平野、南部が五箇山(ごかやま)の山間部となっていて、旧・福野町、福光町、井波町、城端町、井口村は砺波平野に、旧・平村、上平村、利賀村が五箇山地方にある。

 砺波平野には高岡(たかおか)~城端を結ぶJR西日本・城端線が通り、市内に高儀(たかぎ)、福野(ふくの)、東石黒(ひがしいしぐろ)、福光(ふくみつ)、越中山田(えっちゅう やまだ)、城端(じょうはな)の各駅がある。

 城端線の歴史は古く、明治30年(1897年)に中越鉄道として黒田~福野が先行開業し、翌明治31年(1898年)に高岡~城端が全通した。大正9年(1920年)に国鉄中越線となり、昭和17年(1942年)に国鉄城端線となった。平成27年(2015年)の北陸新幹線開業の際には、廃止や第3セクター転換も検討されたことがあったが、引き続きJR西日本が運行を続けることになり、新高岡駅で北陸新幹線と連絡するようになった。

 南砺市の中心駅にあたるのは福野駅で、南砺市役所の最寄り駅となっている。福野駅にはかつて、石動(いするぎ)~福野~庄川町(しょうがわまち)を結ぶ加越能鉄道・加越線が乗り入れ、北陸本線の石動駅や南砺市の旧・井波町、現・砺波市の庄川町などを結んでいたが、昭和47年(1972年)に廃止された。福野駅の西約2キロのあたりで小矢部川と山田川が合流しており、川崎橋のそばに東海北陸自動車道の南砺スマートIC(インターチェンジ)がある。

 福光駅は旧・福光町の中心駅である。福光町は南砺市になった町村の中で唯一、西礪波郡に属していたが、福野~福光~城端はJR城端線で一本につながっており、生活圏としてはすでに一体化していたので、違和感はない。福光駅前の自転車置き場の壁には蒸気機関車とブルートレインの絵が描かれている。福光駅からは国道304号線で金沢市を結ぶ路線バスが発着している。東海北陸自動車道の福光ICは、城端寄りの越中山田駅近くの国道304号線との交差地点にある。

 JR城端線の終着駅である城端駅は、砺波平野の南端にある旧・城端町の中心駅で、かつては木炭の集積場があり、木炭輸送の拠点となっていた。現在の城端駅は貨物輸送は行われておらず、2面2線のホームのみとなっており、国鉄時代からの気動車が懐かしい。城端線は北陸新幹線の開業時に廃止を検討されたこともあったが、世界遺産となった白川郷・五箇山の合掌造り集落へ向かうバスが城端駅に立ち寄ることから、白川郷・五箇山への玄関駅として城端駅が再び脚光を浴びており、それは北陸新幹線開業後により注目度が高まっており、今後の潜在力がある駅だといえる。

 「城端」(じょうはな)は難読地名であるが、その由来は、古く荒木氏によって城郭が築かれ、「城が鼻」が「城鼻」(じょうはな)となり、後に「城端」と表記されるようになった。

 城端の市街地は、城端駅の南、山田川の周辺に広がっている。山田川の東側は小高い丘になっていて、城端別院善徳寺や曳山会館、南砺市役所城端庁舎(旧・城端町役場)がある。真宗大谷派(東本願寺)の善徳寺は室町時代の1573年(天正元年)に城端に移転したことにより、城端は門前町として発展した。

 曳山会館は、毎年5月に行われる「城端曳山祭」に使われる曳山や曳山祭に関する展示がある。曳山会館の裏側には明治時代の豪商による土蔵造りの建物が並んでいる。また、城端では9月に「麦屋節」(むぎやぶし)や「こきりこ節」など五箇山民謡の祭りである「城端むぎや祭」が行われる。

 山田川の西は田園風景が広がっている。砺波市から南砺市にかけて、冬場に北西からの強風が吹く砺波平野では、「散居村」(さんきょそん)と呼ばれる独特の集落が形成されている。一般的には、民家が集まって集落を形成されるが、富山の砺波平野では、冬場は雪をともなう激しい風が吹くため、民家を守るため防風、防雪の目的で家屋の周りに屋敷林があり一軒一軒が独立した屋敷となっているのが特徴的だ。

 城端の南に広がる、旧・平村、上平村、利賀村の五箇山は、1183年(寿永2年)に倶利伽羅(くりから)峠で平氏と源氏が戦い、敗れた平氏側が五箇山に逃げ隠れたと伝えられ、それが平村の地名の由来となっている。山深く、豪雪地帯であることから、屋根の傾斜が急な「合掌造り」(がっしょうづくり)という独特の家屋が並び、旧・平村の相倉(あいのくら)地区、旧・上平村の菅沼(すがぬま)地区に合掌造りの集落があり、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されている。旧・上平村から南へ国道156号線で岐阜県白川村側へ抜けると「白川郷」の集落がある。

 旧・上平村にある東海北陸自動車道の五箇山ICは、平成12年(2000年)に福光IC~五箇山ICが開通。さらに平成14年(2002年)に五箇山IC~白川郷ICが開通して岐阜県側とつながり、五箇山・白川郷の観光が非常に便利になった。一方で、観光客の急増により、観光地化により静かな山村の生活が守れなくなるという課題も抱えており、住民の生活の場である合掌造りの美しい景観を残していくため、持続可能なバランスが求められている。

南砺エリアの主な駅

城端 / じょうはな 駅
JR西日本 城端線

福野 / ふくの 駅
JR西日本 城端線

福光 / ふくみつ 駅
JR西日本 城端線

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JR城端線・城端駅

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JR城端線・城端駅

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JR城端線・城端駅

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JR城端線・城端駅

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JR城端線・城端駅

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JR城端駅前の街並み

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城端の市街地を流れる山田川

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城端の街並み

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城端の街並み

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城端別院善徳寺

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城端の街並み

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曳山会館と城端の街並み

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城端の土蔵造りの街並み

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城端、砺波平野の散居村

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南砺市の中心駅、JR城端線・福野駅

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JR城端線・福光駅の自転車置場の壁に描かれた蒸気機関車とブルートレイン

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JR城端線・福光駅

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テーマ : 富山県
ジャンル : 地域情報

京都・七条 三十三間堂、智積院、豊国神社、京都国立博物館

京都・七条
きょうと・しちじょう

日本国京都府京都市東山区

京都・七条 三十三間堂、智積院、豊国神社、京都国立博物館

 七条(しちじょう)は、京都(きょうと)市の東山(ひがしやま)区にある地区で、東西に七条通が通り、鴨川(かもがわ)の右岸沿いを南北に通る川端通(かわばたどおり)と七条通との交差地点の地下に京阪電鉄本線の七条駅がある。

 京阪の七条駅は、大正2年(1913年)に開業した。京阪本線は、鴨川沿いに走っており、繁華街の祇園(ぎおん)や河原町(かわらまち)に近い四条(しじょう)や、琵琶湖方面の京津線と連絡する三条(さんじょう)を結んでいるのが強みである。一方、JR(旧国鉄)京都駅には連絡しておらず、七条駅が直線距離では京都駅に近いものの約1.2キロ離れている。

 かつては、七条通に京都市電が走り、京阪電車と平面交差していた。京都市電は昭和53年(1978年)に全廃され、七条駅前の平面交差も廃止された。昭和50年代後半より七条~三条の地下化工事が始まり、線路を東側に移動させて工事が進められ、昭和62年(1987年)に地下新線が開業し、七条駅も地下に移った。地下化されたことにより、京阪電車は現代的になったが、鴨川沿いを電車が走る風情はなくなってしまった。地上の線路跡は川端通として整備された。

 現在の七条駅は2面2線の相対式ホームの地下駅で、普通、準急、急行、快速急行、特急、快速特急などすべての電車が停車する。駅前には鴨川が流れるほか、主要駅らしい大きな施設はないが、七条大橋で鴨川を渡って西へは京都駅にも近く、東は三十三間堂や京都国立博物館などの観光スポットも多い。

 七条駅の東約200m。七条通の南側にある「三十三間堂」(さんじゅうさんげんどう)は、天台宗の寺院であり、正式名称を「蓮華王院本堂」といい、千手観音(せんじゅかんのん)を本尊としている。平安時代後期の1165年(長寛2年)に建立され、観音菩薩が「33種の姿に変じて衆生を救う」ことから、33間の本堂が建てられた。

 三十三間堂の東側にある「ハイアットリージェンシー京都」は、もともと昭和46年(1971年)に「京都パークホテル」としてオープンし、昭和55年(1980年)に建て替えられ、その後経営が変わり、平成18年(2006年)より「ハイアットリージェンシー京都」となった。和の伝統美が感じられる高級ホテルとして、京都観光を楽しむ観光客に人気がある。

 三十三間堂および「ハイアットリージェンシー京都」の北側にある「京都国立博物館」は、明治時代に入り、日本各地の社寺の文化財を調査したところ、京都・奈良に集中していたことから、それらの文化財を収蔵するために京都に明治30年(1897年)に「帝国京都博物館」として開園した。その後、明治33年(1900年)に「京都帝室博物館」、大正13年(1924年)に京都市に移管されて「恩賜京都博物館」となった。戦後は再び国立に戻され、昭和22年(1947年)に「京都国立博物館」となった。明治時代からの重厚な旧本館は「明治古都館」と呼ばれ、そのほか平成25年(2013年)に増築された「平成知新館」がある。

 京都国立博物館の北側に広がる「豊国神社」(とよくにじんじゃ)は、豊国大明神こと豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)を祀る神社である。江戸時代は徳川(とくがわ)家が権力を持っていたことから廃絶となっていたが、明治時代に再興され、明治13年(1880年)に方広寺大仏殿跡に豊国神社の社殿が建立され、明治30年(1897年)には東の阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)の山頂に「豊国廟」が完成した。

 豊国神社の西側に盛り土があるが、ここは「耳塚」(みみづか)と呼ばれ、豊臣秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)で戦功の証として朝鮮や明の兵の耳や鼻を削いで持ちかえったものを祀った塚である。今の時代から考えると非常に野蛮であるが、それも歴史である。今の耳塚は明治31年(1898年)に周辺が整備され、供養碑もこのときに建てられた。

 「ハイアットリージェンシー京都」から東山通を挟んで東に広がる「智積院」(ちしゃくいん)は、真言宗智山派(しんごんしゅう ちさんは)の総本山で、金剛界大日如来(だいにちにょらい)を本尊としている。もともと鎌倉時代に高野山から大伝法院(だいでんぽういん)を紀州国岩出(いわで)の根来山(ねごろやま)に移し、巨大な勢力を築き、智積院はその学頭寺院であった。その巨大な勢力は、豊臣秀吉の時代に脅威とみなされ、1585年(天正13年)に秀吉による襲撃を受けて根来山の寺院のほとんどが焼失した。秀吉の死後、1598年(慶長3年)に智積院は京都・東山のこの地に移り、徳川家康の支持を得て、豊国神社の一部の土地が与えられ、智積院として再興を果たした。

 智積院の北側の道を東へ、京都女子大学方面に上っていくと「豊国廟」がある。智積院の北にある「妙法院」(みょうほういん)は、天台宗(てんだいしゅう)の寺院であり、普賢菩薩(ふげんぼさつ)を本尊としている。妙法院のそばには「フォーシーズンズホテル京都」がある。

京都・七条エリアの主な駅

七条 / しちじょう 駅
京阪電鉄 京阪本線

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京阪電車・七条駅

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京阪電車・七条駅

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京阪電車・七条駅

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鴨川

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鴨川に架かる橋

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京阪地下化後に整備された川端通

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七条駅周辺の京都らしい町並み

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豊国神社

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耳塚

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京都国立博物館

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三十三間堂の外壁

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三十三間堂の入口

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ハイアットリージェンシー京都

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智積院

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智積院

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智積院

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豊国廟参道

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妙法院

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妙法院

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