奈良・大和高田 奈良盆地中西部の繊維工業都市

大和高田
やまとたかだ

日本国奈良県大和高田市

奈良・大和高田 奈良盆地中西部の繊維工業都市

 大和高田(やまとたかだ)市は、奈良(なら)県中西部にある人口約6万人の市。東が橿原(かしはら)市、南が御所(ごせ)市、南西が葛城(かつらぎ)市、北西が香芝(かしば)市、北が北葛城(きたかつらぎ)郡の広陵(こうりょう)町と接している。
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 大和高田市は、奈良盆地の中西部にあり、葛城(かつらぎ)地区の中心都市として発展している。かつては市域の多くが葛下郡(かつらぎしものこおり)に属し、古墳時代には第23代顕宗(けんぞう)天皇が埋葬されていると推定される築山古墳(磐園陵墓参考地)が市北西部にある。15世紀には当麻氏によって高田城が築城され、江戸時代は大和新庄藩の一部となったが、後に天領となった。

 高田町が昭和23年(1948年)に市制を施行した際、すでに新潟県に高田市(現・上越市)があったことから、旧国名の「大和」をつけて「大和高田市」となった。

 大和高田市には、近畿日本鉄道(近鉄)大阪線と南大阪線、JR西日本の和歌山線と桜井線(万葉まほろば線)が通り、近鉄大阪線の築山(つきやま)、大和高田、松塚(まつづか)、近鉄南大阪線の高田市(たかだし)、浮孔(うきあな)、JR和歌山線・桜井線の高田の各駅がある。

 最も早く開通したのはJR和歌山線で、明治24年(1891年)にその前身の大阪鉄道の高田~王寺(おうじ)が開業し、翌年に大阪鉄道によって桜井線の高田~桜井(さくらい)が開業した。さらに明治29年(1896年)にJR和歌山線の前身である南和鉄道の高田~葛(現・吉野口)が開業した。明治33年(1900年)に大阪鉄道は関西鉄道になり、明治37年(1904年)に南和鉄道が関西鉄道に編入され、明治40年(1907年)に関西鉄道が国有化され、国鉄和歌山線と桜井線になった。

 JR和歌山線は、高田から王寺を経由して関西本線(大和路線)の天王寺(てんのうじ)やJR難波(JRなんば)まで直通運転する電車も朝夕を中心に運行されており、大阪方面への通勤も便利である。高田から南は和歌山線と万葉まほろば線が分かれ、和歌山線は御所、吉野口(よしのぐち)、五条(ごじょう)方面、万葉まほろば線は畝傍(うねび)、桜井、天理(てんり)、奈良方面を結んでいる。

 近鉄大阪線の大和高田駅は、JR高田駅の約400m北にある。近鉄大阪線は、大正14年(1925年)に高田~八木(やぎ)に大阪電気軌道(大軌)の路線として開通し、昭和2年(1927年)に大阪方面につながった。一方、大阪鉄道(大鉄)が昭和4年(1929年)に近鉄南大阪線の前身の路線を開通させ、JR高田駅の約1キロ南に高田町駅(現・高田市駅)を開設した。大阪電軌と大鉄は吉野へのアクセス面でもライバルとなり、大軌が同年、吉野鉄道(現・近鉄吉野線)を買収し、大軌は戦時中の昭和16年(1941年)に大軌と参宮急行電鉄(参急)が合併して関西急行鉄道(関急)となり、さらに昭和18年(1943年)に関急が大鉄(南大阪線)を合併して昭和19年(1944年)に近畿日本鉄道(近鉄)となったのだった。

 近鉄大阪線・大和高田駅は、準急、急行、快速急行および一部の特急が停まる主要駅で、大阪方面へ通勤する住民も多い。駅の西側に飲食店が並ぶ商店街があるほか、駅前のバスターミナルの東側に「オークタウン大和高田」という商業施設があった。ここは、もともと繊維メーカーのユニチカ高田工場があったが、繊維工場の中国進出が進んで閉鎖され、その跡地に昭和50年(1970年)にオープンした。しかし、オープンから40年以上が経ち、建物が老朽化したため、平成29年(2017年)に建て替えが始まった。

 JR高田駅の南西には、「さざんかストリート」と呼ばれる天神橋筋商店街が伸びていて、付近に「さざんかホール」がある。近鉄南大阪線・高田市駅は準急、急行、特急が停車する主要駅で、高田市駅前にも商店街が伸びていて、高田市南部の商業の中心となっている。

大和高田エリアの主な駅

大和高田 / やまとたかだ 駅
近畿日本鉄道 大阪線

高田 / たかだ 駅
JR西日本 和歌山線、桜井線(万葉まほろば線)

高田市 / たかだし 駅
近畿日本鉄道 南大阪線

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近鉄大阪線・大和高田駅

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近鉄大阪線・大和高田駅

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大和高田駅前の商店街

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オークタウン大和高田

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JR高田駅

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大和高田・さざんかストリート

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大和高田・さざんかホール

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近鉄南大阪線・高田市駅

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近鉄南大阪線・高田市駅

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近鉄高田市駅前の商店街

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高知・上町 坂本龍馬誕生の地

高知・上町
こうち・かみまち

日本国高知県高知市

高知・上町 坂本龍馬誕生の地

 上町(かみまち)は、高知(こうち)市にある地区で、市内を流れる鏡川(かがみがわ)の北に広がり、国道33号線(電車通り)と、とさでん交通・伊野線が東西に通り、路面電車の伊野線の上町一丁目、上町二丁目、上町四丁目などの電停がある。

 高知の上町は、高知の英雄「坂本龍馬」(さかもと りょうま)が生まれた町であり、上町一丁目電停の近くに「坂本龍馬生誕地の碑」が立っているほか、「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」がある。

 坂本龍馬は、1836年(天保6年)生まれの土佐(とさ)藩の志士で、1835年(慶応元年)に「海援隊」(かいえんたい)を結成し、薩長同盟をつなぎ、大政奉還(たいせいほうかん)のために尽力し、倒幕運動に大きく貢献したが、1867年(慶応3年)に京都の「近江屋」で暗殺された。坂本龍馬は、1867年(慶応3年)に大政奉還、議会設置、官制改革、条約改正、憲法制定、海軍創設、陸軍創設、通貨政策などを提言する「船中八策」を提起し、明治維新に大きな影響をもたらした。この時代の変わり目の先見性と夢を抱いて大胆に行動し、未来を切り拓いたその姿が、後の時代の人々から尊敬されるようになり、高知県土佐が生んだ英雄、そして政治家も憧れる政治改革の象徴となり、歴史人物の中でも特に人気が高い。

 「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」は平成16年(2004年)に開館した。坂本龍馬が生まれ育った高知・上町の歴史を再現し、高知城下の生活と龍馬の生い立ち、その活躍を紹介している。館内は、地元の土佐弁による名ゼリフなども紹介され、坂本龍馬のあの時代の雰囲気を感じることができる。

高知・上町エリアの主な駅

上町一丁目 / かみまちいっちょうめ 電停
とさでん交通 伊野線

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とさでん交通伊野線・上町一丁目電停

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「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」

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「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」の坂本龍馬像

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土佐弁での龍馬と家族の紹介

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テーマ : 高知(土佐)
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長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

長崎・出島
ながさき・でじま

日本国長崎県長崎市

長崎・出島 鎖国江戸時代の欧州との貿易港だった出島

 出島(でじま)は、長崎(ながさき)市にある地区で、江戸時代に造成された人工島。JR九州・長崎本線の長崎駅から約1.5キロ南にあり、長崎電気軌道本線の出島電停が最寄り駅。

 出島は、江戸時代の江戸幕府が、海外との交易拠点として、1634年(寛永11年)から2年かけて建設された。当時の日本は、欧州からポルトガル人がやって来て、キリスト教の布教の広がりに幕府は頭を悩ませていた。そこで、ポルトガルとの窓口を出島に限定することで、ポルトガルとの交易を維持しつつ、キリスト教の浸透を防ごうとした。

 1638年(寛永15年)には、江戸幕府がキリシタンの反抗となった「島原の乱」を鎮圧し、日本は鎖国を強化。この頃、オランダが日本に接近し、ポルトガルを排除してオランダとの交易を強化するよう求めた。以後、出島は約200年にわたりオランダ人が出入りする場所となり、日本にとっては欧州との窓として機能した。また、出島からオランダ人を通じて、西洋医学などが日本に伝えられた。

 江戸時代末期のペリー来航で開国されることになった日本は、1855年(安政2年)にオランダ人の長崎市内への出入りを許可し、特区としての出島の存在意義は薄れていった。その後、明治時代に出島の周辺が埋め立てられ、かつての出島の範囲が曖昧になったが、1990年代より出島の復元事業が始まり、当時のオランダ船の船長が使用した「一番船船頭部屋」や、輸入品の砂糖などを貯蔵した「一番蔵」、商館長宅の「カピタン(Capitão)部屋」などが復元され、観光スポットに生まれ変わった。

 このほか、出島から川を挟んで北には長崎県庁があり、玉江橋の西にはショッピング施設「ゆめタウン夢彩都」と長崎港フェリーターミナルがある。

長崎・出島エリアの主な駅

出島 / でじま 電停
長崎電気軌道 本線(1系統) 

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長崎電鉄本線・出島駅

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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復元された出島の街並み

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テーマ : 九州の旅
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台湾 屏東・潮州 マカタオ族と潮州からの移民の町、電化と高架化された潮州駅

潮州
ティオチウ/Tiô-chiu (台湾語/ホーロー語)
ツェウツウ/Thseu-chu (台湾客家語)
ツァオツォウ/ㄔㄠˊ ㄓㄡ (台湾華語/北京語)

臺灣屏東縣潮州鎮
台湾屏東県潮州鎮

台湾 屏東・潮州 マカタオ族と潮州からの移民の町、電化と高架化された潮州駅

 潮州(台:ティオチウ、客:ツェウツウ、華:ツァオツォウ)鎮は、屏東(ピントン)県中部にある人口約6万人の町。屏東県の中では屏東市に次いで人口が多い。北が竹田(客:ツゥッティエン/台:テッツァン/華:ツウティエン)郷、東が万巒(萬巒/客:ヴァンラン/台:バンロワン/華:ワンルワン)郷、南が新埤(客:シンピー/台:シンピー/華:シンピー)、西が崁頂(台:カムティン/華:カンティン)郷と接している。

 潮州は、もともと先住民のマカタオ族のリリ(力力)社という集落があった。17世紀にオランダ統治当局が、リリ社の頭目であるタカセン(Taccassiangh)のことを記録しており、後に台湾語で「大腳仙」(トアカーセン)と表記されるようになり、大腳仙林という地名として残っている。

 「潮州」の地名は、18世紀半ばに中国広東省東部の潮州(ティオチウ)地方からの移民がこの地に住むようになり、故郷の地名をとって「潮州」と呼ばれるようになった。潮州人は言語的には福建南部と共通する部分が多く、潮州語は福建南部をルーツとする台湾ホーロー語によく似ているため、現在は台湾で最大多数派のホーロー人に融合している。

 潮州の市街地には客家人や潮州人が篤く信仰する三山國王(客:サムサンクエッヴォン、台:サムサンコッオン)を祀る「潮州三山國王廟」があり、潮州の町のシンボルとなっている。潮州は、竹田、万巒、新埤など客家(ハッカ)系住民が多い村と接しており、六堆(リュクトゥイ)客家地区の往来も多いが、潮州人は広東省東部の出身地は近いながらも、客家人とは言語的な違いもあり、異なる民族意識を維持してきた。

 潮州は、台鉄屏東線の潮州駅があり、屏東、高雄(コーヒョン/カオション)方面、台東(タイタン/タイトン)方面の列車が運行されている。潮州駅の開業は日本統治時代の1920年(大正9年)であるが、台鉄は、潮州以北の現代化に取り組み、高架化、複線化、電化、車両基地移設工事などが行われ、2015年に完成し、3面6線の立派な高架駅に生まれ変わった。これにより、屏東止まりだった普通電車や特急電車が潮州まで乗り入れるようになり、潮州以北の運転本数が増え、高雄までの利便性が非常に向上した。

 一方、潮州駅より南は、非電化ののどかな路線の雰囲気が残る。坊寮(パンリャウ/ファンリャオ)~台東を結ぶ南廻線が1991年に開通し、高雄・屏東から台湾東部へ直通する特急が運行されるようになった。今後は電化などによるスピードアップや台湾一周ルートの幹線としての輸送力増強が期待されている。

屏東・潮州エリアの主な駅

潮州 / ティオチウ(ツェウツウ/ツァオツォウ)駅
台鉄 屏東線(南廻線)

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高架化された潮州駅

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テーマ : 台湾旅行
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東京・中野富士見町 地下鉄丸ノ内線の車両基地がある駅

東京・中野富士見町
とうきょう・なかのふじみちょう

日本国東京都中野区

東京・中野富士見町 地下鉄丸ノ内線の車両基地がある駅

 中野富士見町(なかのふじみちょう)は、東京(とうきょう)都の中野(なかの)区にある地区で、東京メトロ丸ノ内線(方南町支線)の中野富士見町駅がある。

 営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線は昭和29年(1954年)に池袋(いけぶくろ)~御茶ノ水(おちゃのみず)が開業し、徐々に延伸区間が開業して昭和34年(1959年)に池袋~新宿(しんじゅく)が全通した。その後、さらに新宿から西へ新宿~中野坂上(なかのさかうえ)~荻窪に営団荻窪線が建設され、さらに荻窪線支線(方南町支線)として中野坂上~中野富士見町~方南町(ほうなんちょう)が建設された。そして、昭和36年(1961年)に新宿~中野坂上~南阿佐ヶ谷(みなみあさがや)と中野坂上~中野富士見町が開業。その翌年に新宿~荻窪と中野坂上~方南町が全通し、昭和47年(1972年)に荻窪線は丸ノ内線に線名が統一された。

 東京の都心を走る地下鉄は、車両基地の用地を確保することが難しく、郊外への延伸を見越して、郊外に車両基地の用地を確保しておく必要があった。中野富士見町の中野検車区および車両基地は、営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線の建設とその延伸を見越して、昭和19年(1944年)に用地を確保していたもので、実際に車両基地や検車区の使用を開始したのは中野富士見町駅まで開通した昭和36年(1961年)のことである。この先見の明は見事である。

 中野坂上~方南町の丸ノ内線方南町支線は、中野検車区のためにおまけで建設されたともいえ、中野坂上駅から本線と分かれて南下し、本線から約1キロ南に中野新橋(なかのしんばし)駅と中野富士見町駅が開設され、その先、杉並区に入ったところの環七通りとの交差点のところの方南町駅まで建設された。この方南町支線は新宿と直線距離は近いが鉄道交通が不便だった空白地帯をカバーしており、日中は方南町~中野坂上の折り返し運転であるが、朝夕ラッシュ時には出入庫を兼ねて、中野富士見町から新宿方面へ直通運転する電車が設定されており、便利である。

 中野車両基地は、中野富士見町駅の先から地上に出て、神田川の南側に広がっている。丸ノ内線の車両のほか、同じ軌間1435mmで第三軌条方式の銀座線の車両も検査を行っている。中野富士見町の近くを南北に通る中野通りは、中野区の南北を結ぶバスが頻繁に走っており、笹塚(ささづか)方面から中野富士見町駅、新中野(しんなかの)駅の近くを通ってJR中野駅まで結んでいる。

東京・中野富士見町エリアの主な駅

中野富士見町 / なかのふじみちょう 駅
東京メトロ 丸ノ内線(方南町支線)

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中野富士見町駅前の風景

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地下から地上の中野車両基地につながる線路

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東京メトロ中野車両基地

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東京メトロ中野車両基地

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東京メトロ中野車両基地

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テーマ : 東京23区
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千葉・佐倉 佐倉城と山万が開発したユーカリが丘

佐倉
さくら

日本国千葉県佐倉市

千葉・佐倉 佐倉城と山万が開発したユーカリが丘

 佐倉(さくら)市は、千葉(ちば)県中部にある人口約17万人の市。南が千葉市若葉(わかば)区、四街道(よつかいどう)市、西が八千代(やちよ)市、北が印西(いんざい)市、東が印旛(いんば)郡の酒々井(しすい)町、八街(やちまた)市と接している。

 佐倉市は、印旛沼(いんばぬま)の南に位置し、古代から人が生活し、考古学的に非常に重要な古代の遺跡が出土している。戦国時代には、下総国(しもうさのくに)の千葉氏が本佐倉城(現・酒々井町)を拠点とし、千葉親胤(ちば ちかたね)氏が鹿島城(佐倉城)を建てようとしたが建設途上で暗殺され、後に佐倉千葉氏は滅ぼされ、江戸時代に入ると土井利勝(どい としかつ)が佐倉城を築城し、その後、佐倉藩は堀田(ほった)氏により統治され、幕末の堀田正睦(ほった まさよし)佐倉藩5代目藩主は蘭学を積極的に奨励し、医師の佐藤泰然(さとう たいぜん)氏に佐倉順天堂を開かせて後の順天堂大学につながった。

 明治時代に入ると、廃藩置県で明治4年(1871年)に佐倉藩から佐倉県が置かれ、下総国の各県が統合されて印旛県に改められ、明治6年(1873年)に上総国と安房国の木更津(きさらづ)県と統合して千葉県となった。佐倉市は戦後の昭和29年(1954年)に佐倉町、臼井(うすい)町、志津村、根郷村、和田村、弥冨村が合併して発足した。

 佐倉市内には、JR東日本・総武本線と成田線の佐倉駅と、京成電鉄・京成本線の志津(しづ)、ユーカリが丘(ユーカリがおか)、京成臼井(けいせい うすい)、京成佐倉(けいせい さくら)、大佐倉(おおさくら)の各駅、さらに山万(やままん)ユーカリが丘線のユーカリが丘、地区センター(ちくセンター)、公園(こうえん)、女子大(じょしだい)、中学校(ちゅうがっこう)、井野(いの)の各駅がある。

 佐倉市役所の最寄り駅は京成佐倉駅で、佐倉市の中心部にある京成佐倉駅は2面4線のホームがあり、快速や特急が停車するほか、「モーニングライナー」や「イブニングライナー」が停車し、やや遠い東京方面への着席通勤の需要に応えている。京成佐倉駅の西約1キロのところに佐倉城址があり、ここに昭和56年(1981年)に「国立歴史民俗博物館」が開館し、考古学、歴史学、民俗学の研究の拠点となっている。

 JR佐倉駅は、京成佐倉駅の約2キロ南にあり、佐倉市の市街地の南端に位置する。八街(やちまた)、成東(なるとう)、銚子(ちょうし)方面に向かう総武本線と、成田(なりた)、成田空港、香取(かとり)方面へ向かう成田線が分岐する駅となっており、総武本線経由で東京~銚子を結ぶ特急「しおさい」や、朝夜の特急「成田エクスプレス」の一部が停車する。

 京成臼井駅は、千葉県白井市にある北総線・京成成田スカイアクセスの白井(しろい)駅と区別するために、ひらがなで「うすい駅」と表記されることが多い。

 ユーカリが丘は、不動産業者の「山万」(やままん)が1970年代に開発したニュータウンで、昭和57年(1982年)に京成本線のユーカリが丘駅が開設され、これに合わせて新交通システムの山万・ユーカリが丘線が開業し、ユーカリが丘駅を起点に地区センター、公園から右回りに女子大、中学校、井野と回って公園で再合流してユーカリが丘駅まで戻るラケット状の路線がニュータウン内の交通として形成された。

 地区センター駅は、「イオンタウンユーカリが丘」と直結しており、高層マンションと一体化した山万の街づくりが新鮮だ。公園駅は「ユーカリが丘南公園」の最寄り駅。中学校駅は井野中学校の最寄り駅であるが、女子大駅は、和洋女子大学が移転することを見越して駅名が付けられたが、結局、女子大の移転は実現せず、和洋女子大学佐倉セミナーハウスがあるだけ。ちゃんと大学誘致に成功していたなら、山万ユーカリが丘線の利用客も激増していたと思われるので残念だ。でも周辺はまだ農地が広がり、開発のための土地が余っているようなので、新規に郊外移転を希望する大学を誘致するのもニュータウンの若返りと活性化につながると思うので、ぜひ実現してほしい。

佐倉エリアの主な駅

京成佐倉 / けいせいさくら 駅
京成電鉄 京成本線

佐倉 / さくら 駅
JR東日本 総武本線、成田線

ユーカリが丘 / ユーカリがおか 駅
京成電鉄 京成本線
山万 ユーカリが丘線

地区センター / ちくセンター 駅
山万 ユーカリが丘線

公園 / こうえん 駅
山万 ユーカリが丘線

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京成本線・京成佐倉駅

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佐倉城址に開設された国立歴史民俗博物館

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佐倉城址

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JR佐倉駅

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京成・ユーカリが丘駅

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山万・ユーカリが丘駅

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ユーカリが丘駅前

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山万ユーカリが丘線・地区センター駅

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山万・地区センター駅前から見たユーカリが丘の高層マンション群

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高層マンションとショッピングセンターが一体化したユーカリが丘の街づくり

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山万ユーカリが丘線・公園駅

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山万ユーカリが丘線・公園駅

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山万ユーカリが丘線・公園駅

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テーマ : 千葉県
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愛知 名古屋・明道町新道 明道町新道の駄菓子問屋街

名古屋・明道町 新道
なごや・めいどうちょう しんみち

日本国愛知県名古屋市西区

愛知 名古屋・明道町新道 明道町新道の駄菓子問屋街

 明道町・新道(めいどうちょう・しんみち)は、名古屋(なごや)市の西(にし)区にある地区で、名古屋市営地下鉄・鶴舞線の浅間町(せんげんちょう)駅の南に位置する。

 この一帯は、かつては「明道町」(めいどうちょう)と呼ばれていたが、昭和56年(1981年)の町名変更で明道町の町名が消え、新道(しんみち)2丁目と那古野(なごの)2丁目の一部となった。公式な町名は消えたものの、明道町交差点や名古屋高速の明道町出入口および明道町JCT(ジャンクション)などの地名が残っている。

 明道町は、名古屋市の中でも特に下町情緒が残る地区で、那古野の円頓寺(えんどうじ)本町商店街は昭和ムードでいっぱいだ。そのから北へ、新道2丁目を歩いていくと、駄菓子屋問屋街があり、以前に比べて規模は小さくなったとはいえ、駄菓子屋の商店が並んでいる。

 ここは江戸時代に美濃路を通る人々に、疲れを癒すために、尾張(おわり)藩の下級武士が飴やせんべいを売るようになって駄菓子屋街が形成された。戦後、昭和23年(1948年)に「中京菓子玩具卸市場」が建てられ、周辺には菓子メーカーも集まり、名古屋は独特の「嫁入り菓子まき」文化があり大口の需要があったこともあり、駄菓子問屋街は日本最大規模となり、大いににぎわった。以前は路面電車が近くを通り、活気があったようだが、路面電車は昭和46年(1971年)に廃止され、さらには平成12年(2000年)に「中京菓子玩具卸市場」が閉鎖され、駄菓子問屋街は縮小した。

 新道に「マルカワのフーセンガム」で知られる丸川製菓があるほか、名古屋市西区には「クッピーラムネ」で知られるカクダイ製菓、「さくらんぼ餅」や「青リンゴ餅」で知られる共親製菓、チョコレートの名糖産業、「グリーン豆」や「花のくちづけ」で知られる春日井製菓など菓子メーカーが集中している。

 昭和の問屋市場の面影を色濃く残しているのが、明道町JCTのすぐ北、名古屋高速の東側にある「中央菓子卸売市場」で、古びたトタンの壁と山積みになった段ボールが昭和からの駄菓子問屋の味わいを感じる。さまざまな種類のお菓子が並んでいて、子どもの頃に食べた懐かしいお菓子もいろいろ発見できることだろう。

 このほか、浅間町駅から東に歩くと名古屋城も近く、お堀のそばに名古屋能楽堂やホテル「ウェスティン ナゴヤキャッスル」がある。

名古屋・明道町新道エリアの主な駅

浅間町 / せんげんちょう 駅
名古屋市営地下鉄 鶴舞線

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名古屋地下鉄鶴舞線・浅間町駅

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浅間町の駅の真上を通る名古屋高速

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昭和の面影残る中央菓子卸売市場

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昭和の面影残る中央菓子卸売市場

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昭和の面影残る中央菓子卸売市場

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明道町新道の駄菓子問屋街

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「マルカワのガム」の丸川製菓

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クッピーラムネの看板

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那古野の円頓寺本町商店街

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那古野の円頓寺本町商店街

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テーマ : 名古屋・愛知
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兵庫・加古川 加古川が流れる東播磨の工業都市、廃止された国鉄高砂線と別府鉄道

加古川
かこがわ

日本国兵庫県加古川市

兵庫・加古川 加古川が流れる東播磨の工業都市、廃止された国鉄高砂線と別府鉄道

 加古川(かこがわ)市は、兵庫(ひょうご)県の南部にある人口約27万人の市。西が高砂(たかさご)市と姫路(ひめじ)市、北が加西(かさい)市と小野(おの)市、東が三木(みき)市、明石(あかし)市、加古(かこ)郡の稲美(いなみ)町、播磨(はりま)町などと接している。

 加古川市は播磨国(はりまのくに)の南東部にあり、明石市とともに東播磨の主要都市の一つである。市内に加古川が流れ、河口部や沿岸部には工場の敷地が広がり、神戸製鋼所加古川製鉄所を中心とする鉄鋼産業が主要産業となっている。

 加古川市内にはJR西日本の山陽本線(神戸線)と加古川線、山陽電鉄本線が走り、JR神戸線の東加古川(ひがしかこがわ)、加古川(かこがわ)、宝殿(ほうでん)、JR加古川線の加古川、日岡(ひおか)、神野(かんの)、厄神(やくじん)、山陽電鉄本線の別府(べふ)、浜の宮(はまのみや)、尾上の松(おのえのまつ)の各駅がある。

 また、かつては厄神駅から三木鉄道・三木線、加古川駅から国鉄高砂線、別府港を結ぶ別府鉄道の野口線と土山線が走っていたが、いずれも廃止された。

 市の中心駅は、JR加古川駅で、駅南口には百貨店「ヤマトヤシキ」があるほか、商店街「ベルデモール加古川」が伸びており、加古川市役所は同駅から約1キロ南にある。加古川駅の北には加古川バイパスが通り、第二神明道路と姫路バイパスを結んでいる。

 加古川駅はJR神戸線の快速や新快速が停車する主要駅で、新快速は姫路まで約10分、神戸まで約30分、大阪まで約50分で結び、非常に東西の交通の利便性はよい。加古川駅はかつては駅北側に広大な加古川気動車区があったが、平成12年(2000年)頃から加古川駅の高架化工事が始まり、平成17年(2005年)に3面6線の高架駅が完成した。非電化だった加古川線は高架化工事に合わせて平成16年(2004年)に電化された。

 加古川線はもともと、加古川水系の舟運を鉄道輸送化するために播州鉄道として大正2年(1913年)に建設され、大正12年(1923年)に播但鉄道となり、戦時中の昭和18年(1943年)に国有化された。加古川線は加古川~厄神~粟生(あお)~野村(現・西脇市)~谷川(たにかわ)を結ぶ路線で、谷川でJR福知山線と連絡しているほか、かつては厄神駅から国鉄三木線の三木(みき)方面へ、粟生駅から国鉄北条線の北条町(ほうじょうまち)方面へ、野村駅から国鉄鍛冶屋線の鍛冶屋(かじや)方面へ一体運行され、加古川~厄神は本数が多く、遠くなるほど枝分かれして本数減っていくというわりと効率的な運行形態となっていた。

 しかし、国鉄赤字ローカル線の切り離し問題に直面し、昭和60年(1985年)に厄神~三木の国鉄三木線が三木鉄道に、粟生~北条町の国鉄北条線が北条鉄道に転換され、さらに平成2年(1990年)に野村~鍛冶屋のJR鍛冶屋線が廃止され、枝分かれして直通する系統がなくなった。結局は、これがさらなる利便性低下を招き、鉄道離れが進み、三木鉄道は平成20年(2008年)に廃止となった。一方で、平成7年(1995年)に発生した阪神淡路大震災では、主要幹線である山陽本線が数か月にわたり寸断され、姫路~大阪を結ぶ交通や物流に大きな影響が出た。このとき、バイパスとなるはずのJR加古川線やJR播但線が非電化であり、加古川線の普段の利用客数だと非電化のままでもよさそうだが、迂回電車や電気機関車による貨物輸送が十分にできなかったため、その後電化されることになった。電化により、加古川気動車区が不要になり、加古川駅周辺の再開発も急ピッチで進められている。

 加古川駅からかつて南に分岐していた国鉄高砂線は、加古川線と同様に播州鉄道の路線として開業し、加古川駅から高砂市の高砂駅を結び、加古川市内には加古川、野口(のぐち)、鶴林寺(かくりんじ)、尾上(おのえ)の各駅があり、尾上駅では山陽電車の尾上の松駅と乗り換えができた。高砂線は高砂駅周辺に三菱製紙高砂工場、鐘紡高砂工場、三菱重工業高砂工場、神戸製鋼所高砂工場、キッコーマン高砂工場などの工場が集中し、その貨物輸送のほか、国鉄高砂工場があったが、国鉄高砂工場が移転し、その他工場の貨物輸送もトラック等に切り替わり、昭和59年(1984年)に廃止された。

 旧・野口駅は加古川市役所の最寄り駅で、ここから別府鉄道野口線が別府港(べふこう)を結んでいたが、国鉄高砂線と同じく昭和59年(1984年)に廃止された。野口駅跡には、記念のモニュメントが残されている。別府鉄道の廃線跡は遊歩道「松風こみち」として整備されており、地図上でもそのルートをたどることができる。旧・別府口(べふぐち)駅が山陽電車の別府駅との乗り換え駅で、山陽は別府鉄道と立体交差するため高架駅となっている。旧・別府港駅は肥料メーカーの多木化学本社工場と住友精化別府工場があり、別府鉄道はこの肥料輸送が主体であった。別府港駅から分岐する別府鉄道土山線は、播磨町の山陽本線(JR神戸線)の土山駅まで伸びていて、こちらが貨物列車の主力路線であったが、昭和59年(1984年)に廃止された。

 JR神戸線より海側を走る山陽電車は加古川市内に3駅あるが、直通特急はいずれも通過し、普通電車と東二見(ひがしふたみ)より西が各駅停車の「S特急」が停車する。かつて国鉄高砂線との乗り換えができた尾上の松駅から加古川市役所・加古川駅方面へのバスが運行されているほか、別府鉄道も走っていた別府駅も利用客が比較的多い。

加古川エリアの主な駅

加古川 / かこがわ 駅
JR西日本 山陽本線(神戸線)、加古川線

別府 / べふ 駅
山陽電鉄 本線

尾上の松 / おのえのまつ 駅
山陽電鉄 本線

厄神 / やくじん 駅
JR西日本 加古川線

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JR加古川駅、神戸線電車

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JR加古川駅、電化されたJR加古川線ホーム

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高架化されたJR加古川駅

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加古川駅前の百貨店「ヤマトヤシキ」

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山陽電車から見た加古川
かつて国鉄高砂線が並走していた

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山陽電車・別府駅

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かつて三木鉄道が分かれていた厄神駅

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厄神駅付近で加古川を渡るJR加古川線

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鳥取・八頭 八東川沿いを走る若桜鉄道と因美線の郡家駅

八頭
やず

日本国鳥取県八頭郡八頭町

鳥取・八頭 八東川沿いを走る若桜鉄道と因美線の郡家駅

 八頭(やず)町は、鳥取(とっとり)県東部の八頭郡にある人口約1.6万人の町、北と西が鳥取市、南が八頭郡の智頭(ちづ)町、東が八頭郡の若桜(わかさ)町と接している。

 八頭町は、平成17年(2005年)に八頭郡の郡家(こおげ)町、船岡(ふなおか)町、八東(はっとう)町が合併して発足した。

 八頭町にはJR西日本・因美線と若桜鉄道・若桜線が通り、JR因美線の東郡家(ひがしこおげ)、郡家(こおげ)、河原(かわはら)の各駅と、若桜鉄道の郡家、八頭高校前(やずこうこうまえ)、因幡船岡(いなば ふなおか)、隼(はやぶさ)、安部(あべ)、八東(はっとう)、徳丸(とくまる)、丹比(たんぴ)の各駅がある。

 八頭町の中心駅は、JR因美線と若桜鉄道が分岐する郡家駅で、鳥取~姫路(ひめじ)、大阪(おおさか)、京都(きょうと)方面を結ぶ特急「スーパーはくと」や鳥取~岡山(おかやま)方面を結ぶ特急「スーパーいなば」も停車する主要駅で、旧・郡家町役場だった八頭町役場の最寄り駅である。

 若桜鉄道は、因美線の郡家から兵庫県の山陰本線・八鹿(ようか)を目指して建設され、昭和5年(1930年)に郡家~若桜が開業した国鉄若桜線を前身とする路線で、若桜~八鹿は結局着工されなかった。八東川(はっとうがわ)沿いを走るが、沿線に大きな町がないため、赤字ローカル線となり、国鉄が民営化でJRになった昭和62年(1987年)に第3セクターの若桜鉄道に移管された。因幡船岡駅が旧・船岡町、丹比駅が旧・八東町の中心駅で、沿線の木造駅舎は昭和レトロ感がいっぱいだ。終点の若桜駅は八頭郡若桜町にある。

 JR因美線は、因幡(鳥取)と美作(津山)を結ぶ路線であるが、平成6年(1994年)に智頭(ちず)~上郡(かみごおり)を結ぶ智頭急行・智頭線が開業したことにより、因美線(鳥取~智頭)、智頭急行線(智頭~上郡)、山陽本線(上郡~姫路)を走る陰陽連絡線としての幹線となり、京都から鳥取を結ぶ山陰本線はその幹線としての役割が低くなり、この因美線・智頭急行線が鳥取と山陽地方を結ぶ特急街道となっている。このため、郡家駅は人口規模に対して特急がよく停車する駅で大阪や岡山へも便利である。

 郡家~鳥取はJR因美線に属しているが、若桜鉄道のディーゼルカーも鳥取駅まで直通運転しており、郡家~鳥取の運転本数は比較的多い。JR因美線の智頭方面は、旧八頭郡の河原(かわはら)町や用瀬(もちがせ)町を走るが、河原町と用瀬町は平成16年(2004年)に鳥取市に編入されたため、因美線は再び鳥取市を走ることになる。河原駅は旧・河原町への玄関駅であるが八頭町内にある。
 
 八頭町は古事記の神話「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)の舞台として知られ、八上姫(やかみひめ)が地名の由来である。また、因幡国の最大の郡で郡家(古代の役場)が置かれていたことから、「郡家」(こおげ)が地名として残り、駅名や旧町名になったのだった。

八頭エリアの主な駅

郡家 / こおげ 駅
JR西日本 因美線
若桜鉄道 若桜線

因幡船岡 / いなばふなおか 駅
若桜鉄道 若桜線

丹比 / たんぴ 駅
若桜鉄道 若桜線

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JR因美線・若桜鉄道の郡家駅

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JR因美線・若桜鉄道の郡家駅

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福岡・小郡 西鉄が走る三国が丘と筑後郡家の遺跡

小郡
おごおり

日本国福岡県小郡市

福岡・小郡 西鉄が走る三国が丘と筑後郡家の遺跡

 小郡(おごおり)市は、福岡(ふくおか)県の南西部の筑後(ちくご)地方にある人口約6万人の市。北が筑紫野(ちくしの)市、東が朝倉(あさくら)郡の筑前(ちくぜん)町と三井(みい)郡の大刀洗(たちあらい)町、南が久留米(くるめ)市、西が佐賀(さが)県の鳥栖(とす)市、三養基(みやき)郡の基山(きやま)町と接している。

 小郡市は昭和47年(1972年)に三井郡小郡町から小郡市へと昇格した。「小郡」といえば、山陽新幹線の旧・小郡駅(現・新山口駅)のほうが有名だったが、旧・小郡駅は旧・山口県吉敷郡小郡町にあり、小郡町が平成17年(2005年)に山口市に合併されたほか、小郡駅も「のぞみ」停車を求めて平成15年(2003年)に新山口駅に改称したことから、福岡県の小郡市や小郡駅と混同することは今後は減りそうだ。

 久留米~福岡の鉄道路線は、JR九州・鹿児島本線と西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線が競合しているが、JR鹿児島本線は久留米から西側の佐賀県鳥栖市を経由しているのに対し、西鉄天神大牟田線は東側の福岡県小郡市を経由しており、小郡市は西鉄沿線の都市として発展している。

 小郡市内には、西鉄天神大牟田線の津古(つこ)、三国が丘(みくにがおか)、三沢(みつさわ)、大保(おおほ)、西鉄小郡(にしてつ おごおり)、端間(はたま)、味坂(あじさか)の各駅と、甘木鉄道の小郡(おごおり)、大板井(おおいたい)、松崎(まつざき)、今隈(いまぐま)の各駅がある。

 西鉄天神大牟田線は、特急は市内の駅をすべて通過するが、急行は三国が丘駅と西鉄小郡駅に停車する。また、西鉄小郡で折り返す急行は、筑紫~西鉄小郡が各駅停車となるため、津古、三沢、大保にも停車する。

 西鉄小郡駅は、2面4線のホームで、西鉄小郡で福岡(天神)方面に折り返す電車があるため、小郡より南は運転本数が少なくなる。甘木鉄道の小郡駅と乗り換えが可能であり、甘木鉄道はJR鹿児島本線の基山駅と朝倉市の甘木(あまぎ)駅を結んでいる。甘木鉄道と並行している大分自動車道は、小郡駅の約1.5キロ西に鳥栖JCT(ジャンクション)があり、九州自動車道および長崎自動車道と連絡している。小郡駅は昭和61年(1986年)に国鉄甘木線が甘木鉄道に移管される前は、筑後小郡(ちくご おごおり)駅と呼ばれ、現在地より西寄りにあり、山口県の小郡駅と区別されていた。

 西鉄小郡駅の南側に国道500号線が東西に通り、西に進むと佐賀県鳥栖市に行くことができる。小郡駅の北東には小郡官衙遺跡公園があり、かつてここに筑後国の郡家があり、その遺跡が一部保存され、公園になっている。小郡駅の北西には陸上自衛隊小郡駐屯地がある。また、大保駅の西には九州情報大学小郡キャンパスがあり、東には「イオン小郡ショッピングセンター」がある。

 三国が丘駅は、平成4年(1992年)に開設された比較的新しい駅であり、主に西鉄や東急が開発したニュータウンが広がっている。ニュータウン開発で住民が増えたことから、急行も停車する。駅の東に「三国が丘」、南西に「美鈴の杜」、「美鈴が丘」、そのさらに西に「希みが丘」の住宅地が広がっている。「三国が丘」は、筑後国の小郡が、筑前国および肥前国とも接していることが地名の由来となったようだ。三国が丘の西には「九州歴史資料館」があり、古代九州の大宰府(だざいふ)政庁の出土品や古文書などを展示している。「埋蔵文化財調査センター」が隣接しており、遺跡発掘などの研究調査の拠点となっている。

小郡エリアの主な駅

西鉄小郡 / にしてつおごおり 駅
西日本鉄道 天神大牟田線
小郡 / おごおり 駅
甘木鉄道 甘木線

三国が丘 / みくにがおか 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

大保 / おおほ 駅
西日本鉄道 天神大牟田線

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西鉄小郡駅

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西鉄小郡駅前

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西鉄と立体交差する甘木鉄道(小郡駅)

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小郡市役所

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小郡市の街並み

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西鉄・大保駅

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大保駅周辺の町並み

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