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栃木・鹿沼 サツキツツジと鹿沼土とイチゴのまち

鹿沼
かぬま

日本国栃木県鹿沼市

栃木・鹿沼 サツキツツジと鹿沼土とイチゴのまち

 鹿沼(かぬま)市は、栃木(とちぎ)県中西部にある人口約10万人の市。東が宇都宮(うつのみや)市、南が下都賀(しもつが)郡の壬生(みぶ)町と栃木(とちぎ)市、西が佐野(さの)市と群馬県みどり市、北が日光(にっこう)市と接している。

 鹿沼は、古くは日光(にっこう)の二荒山へ向かう道が通り、16世紀には壬生(みぶ)氏により鹿沼城が築かれた。江戸時代の初期には、鹿沼藩が置かれていた。日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)が整備され、鹿沼宿の宿場町として発展した。明治以降は鉄道の開業により、木工業や麻紡織などの工業が発展した。

 鹿沼市は、昭和23年(1948年)に上都賀(かみつが)郡の鹿沼町が市制施行して発足し、昭和29年(1954年)に上都賀郡の菊沢(きくさわ)村、東大芦(ひがしおおあし)村、西大芦(にしおおあし)村、北押原(きたおしはら)村、板荷(いたが)村、加蘇(かそ)村、北犬飼(きたいぬかい)村と合併。昭和30年(1955年)には上都賀郡の南摩(なんま)村と南押原(みなみおしはら)村を編入した。平成の大合併では、平成18年(2006年)に上都賀郡の粟野(あわの)町を編入合併し、現在の市域となった。

 鹿沼市はサツキツツジが有名で、春にはピンク色の花が美しい。また、「鹿沼土」(かぬまつち)と呼ばれる軽石が産出されることから、園芸が盛んである。近年は「イチゴ」の産地としてもPRしており、栃木県のイチゴのブランド強化に力を入れている。

 鹿沼市には、JR東日本・日光線と東武鉄道・日光線が通っていて、市内にはJR日光線の鹿沼駅と、東武日光線の楡木(にれぎ)、樅山(もみやま)、新鹿沼(しんかぬま)、北鹿沼(きたかぬま)、板荷(いたが)の各駅がある。

 JR日光線の鹿沼駅は、市内を南北に流れる黒川の東側にある。鹿沼駅は明治23年(1890年)の開業と、非常に歴史が古い。JR日光線は日本鉄道によって建設され、明治39年(1906年)に国有化された。JR日光線は宇都宮~鹿沼~日光を結ぶ路線で、栃木県の県庁所在地である宇都宮を結んでおり、鹿沼駅からは宇都宮市への通勤や、宇都宮駅で乗り換えて東北新幹線を利用するのも便利である。

 一方、東武日光線の新鹿沼駅は、黒川の西側にあり、昭和4年(1929年)に開業した。鹿沼駅とは約2キロ離れている。鹿沼市役所は新鹿沼駅寄りにあり、鹿沼市の中心部は新鹿沼駅のほうに広がっている。東武特急「きぬ」「けごん」「リバティ会津」「日光」「きぬがわ」などの停車駅であり、新鹿沼からは東京・浅草(あさくさ)方面へ乗り換えなしで行けるので便利だ。また、新鹿沼からは宇都宮を経由せずに栃木市方面へ行くことができる。日光線は日光方面へ坂を上って行く。板荷駅のあたりではのどかな山あいの風景が広がる。

鹿沼エリアの主な駅

新鹿沼 / しんかぬま 駅
東武鉄道 日光線

鹿沼 / かぬま 駅
JR東日本 日光線

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JR日光線・鹿沼駅

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東武日光線・新鹿沼駅

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東武日光線から見た鹿沼市の風景

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のどかな山の風景が美しい東武日光線・板荷駅

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東武日光線・板荷駅

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テーマ : 栃木県
ジャンル : 地域情報

台湾 苗栗・頭份 中港渓が流れる苗栗県最大の客家都市

頭份
テウフゥン/Theu-fun (台湾客家語)
タウフン/Thâu-hūn (台湾語/ホーロー語)
トウフェン/ㄊㄡˊ ㄈㄣˋ (台湾華語/北京語)

臺灣苗栗縣頭份市
台湾苗栗県頭份市

台湾 苗栗・頭份 中港渓が流れる苗栗県最大の客家都市

 頭份(客:テウフゥン/台:タウフン/華:トウフェン)市は、苗栗(メウリッ/ビャウリッ/ミャオリー)県北部にある人口約10万人の市。西が竹南(ティッラム/ツゥッナム/ツウナン)鎮、南が造橋(ツォーキェウ/ツァオチャオ)郷、東が三湾(三灣/サムヴァン/サンワン)郷と新竹県峨眉(ンゴーミー/オーメイ)郷、北が新竹県宝山(寶山/ポーサン/パオサン)郷と接している。

 頭份は、もともとは先住民のタオカス(Taokas)族が住み、タオカス族のティクツァム(竹塹)社やマカルヴ(中港)社などの村があった。18世紀に福建からの移民による開拓が始まり、当時は「田寮」(ツァンリャウ)と呼ばれた。1751年に広東省からの客家人約200人が開墾を始め、はじめに着手したところが「頭份」(テウフゥン)と呼ばれた。これが「頭份」の地名の由来である。頭份は、日本時代には新竹庁中港支庁頭份区を経て1920年(大正9年)から新竹州竹南郡頭分庄となり、1940年(昭和15年)には頭分街に昇格した。戦後は、新竹州が桃園県、新竹市、新竹県、苗栗県に分割され、頭份は苗栗県頭份鎮となった。頭份は近年、新竹サイエンスパーク(新竹科學園區)の竹南園区の開発の進展により、人口が増え、2015年に頭份鎮から頭份市に昇格した。

 頭份市は、南庄(ナムツォン)から流れる中港渓(中港溪/ツゥンコンハイ/テョンカンケー)が流れ、竹南へと流れている。頭份の中心市街地は、中港渓の北側にあり、中山高速道路(1号線)の頭份ICの西側に市街地が広がっている。頭份と竹南は双子都市と言われ、隣り合っているが、竹南は台湾語を話すホーロー系住民が多く、頭份は客家(ハッカ)語を話す客家系住民が多い。苗栗県の客家人は四県(四縣/スィーイェン)方言を話す人が多いが、頭份は新竹県に接しているので、新竹県に多い海陸(ホイリュク)方言を話す人も多い。

 頭份は、鉄道の駅がなく、西に隣接する竹南鎮の竹南駅が最寄り駅であり、竹南駅の東口が頭份市側出口にあたる。頭份は市街地の広がりで竹南と生活圏が一体化しつつある。一方、鉄道の不便さをカバーするために頭份バスターミナルが設けられ、竹南~頭份~台北の高速バスが頻繁に運行されているほか、苗栗、新竹、南庄、高鉄苗栗駅、後龍などの方面への路線バスが運行されている。

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頭份バスターミナル

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頭份の街並み

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頭份の街並み

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頭份の街並み

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頭份の街並み

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テーマ : 台湾旅行
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富山・射水 小杉と大門を走るあいの風、新湊を走る万葉線、富山新港と新湊大橋

射水
いみず

日本国富山県射水市

富山・射水 小杉と大門を走るあいの風、新湊を走る万葉線、富山新港と新湊大橋

 射水(いみず)市は、富山(とやま)県中西部にある人口約万人の市。東と南が富山市、西が高岡(たかおか)市と接しており、北は富山湾が広がっている。

 射水市は、平成の大合併で平成17年(2005年)に新湊(しんみなと)市と射水郡の小杉(こすぎ)町、大門(だいもん)町、大島(おおしま)町、下(しも)村が合併して発足した。

 射水市には、JR西日本・北陸本線が平成27年(2015年)の北陸新幹線開業により第3セクター化した「あいの風とやま鉄道」の小杉(こすぎ)駅と越中大門(えっちゅう だいもん)駅、旧・新湊市を走る万葉線の中伏木(なかふしき)、六渡寺(ろくどうじ)、庄川口(しょうがわぐち)、西新湊(にししんみなと)、新町口(しんまちぐち)、中新湊(なかしんみなと)、東新湊(ひがししんみなと)、海王丸(かいおうまる)、越ノ潟(こしのかた)の各駅がある。また、北陸新幹線が通っているが、市内に駅はない。

 あいの風とやま鉄道線の小杉駅は、実質的な射水市の中心駅で、明治32年(1899年)に開業した歴史ある駅である。駅前に商業施設「アル・プラザ小杉」がある。射水市発足当初は、旧・小杉町役場が射水市役所となっていたが、平成28年(2016年)に小杉駅と越中大門駅のほぼ中間点にある新開発地区の新庁舎に移転した。

 越中大門駅は、北陸本線開業当初は駅が開設されず、駅設置請願運動を経て大正12年(1923年)に駅開設が実現した。駅自体は旧・大島町側にあり、大島・大門の両町の玄関駅として機能している。駅の北側には日本電工北陸工場の敷地が広がっている。

 旧・新湊市を走る万葉線は、高岡市の高岡駅から路面電車の高岡軌道線、六渡寺から先が専用軌道の新湊港線として開業し、射水市の越ノ潟駅まで結んでいる。高岡軌道線はもともと昭和23年(1948年)に富山地方鉄道(富山地鉄)の伏木線として開業し、その後、富山地鉄の射水線を経由して富山市内まで直通運転されるようになった。昭和25年(1950年)に高岡市内の路線が加越能鉄道となり、昭和41年(1966年)に富山新港の建設によって射水線の一部が廃止され、新湊港線の部分も加越能鉄道となった。加越能鉄道は平成13年(2001年)に万葉線(高岡軌道線・新湊港線)の廃止する意向を示したが、路線を存続させるために第3セクター化され、その翌年より万葉線株式会社によって運行されている。「万葉線」の名称は、日本の8世紀頃の和歌集である「万葉集」の作者の一人である大伴家持(おおとものやかもち)が越中国守として高岡・伏木に赴任していたことが由来となっている。

 万葉線の高岡軌道線区間である中伏木駅は、高岡市から射水市に入って一つ目の駅で、高岡軌道線ではあるが、射水市側は専用軌道となっている。中伏木駅の西側にはかつてJR貨物の新湊貨物駅があったが、平成14年(2002年)に約1.7キロ南の高岡貨物駅に移転した。

 六渡寺駅は、昭和8年(1933年)に越中鉄道射水線の新伏木口駅として開業し、昭和18年(1943年)に富山地方鉄道(富山地鉄)射水線の駅となった。昭和23年(1948年)に高岡軌道線が富山地鉄伏木線として開業し、昭和26年(1951年)に新伏木口駅まで延伸すると新湊駅に改称された。昭和34年(1959年)に高岡軌道線(地鉄伏木線)が加越能鉄道に譲渡されると、新湊駅は富山地鉄と加越能鉄道の連絡駅となった。しかし、昭和41年(1966年)に富山新港の築港工事のために、越ノ潟~堀切(新港東口)が廃止され、地鉄射水線が東西に分断されると、西側の越ノ潟~新湊が加越能鉄道に譲渡されて新湊港線となり、高岡軌道線と一体運行されるようになった。新湊市の中心部ではないためか、昭和60年(1985年)に新湊駅は六渡寺駅に改称されて今に至る。駅前には「JFEマテリアル」の本社工場が広がっている。

 六渡寺駅から東へ、万葉線の新湊港線区間を進んでいくと庄川の鉄橋を渡る。西新湊駅は、かつて新湊市役所前駅と呼ばれていた時代があったが、合併による射水市発足により、平成17年(2005年)に射水市新湊庁舎前駅に改称された。その後、平成28年(2016年)に射水市役所の新庁舎が完成し、新湊庁舎が廃止されたことから、西新湊駅に戻された。

 中新湊駅は、射水市と東側に伸びている高岡市との境目にあるが、射水市の代表駅の一つである。駅周辺は旧・新湊市の市街地が広がっている。東新湊駅は、放生津八幡宮(ほうじょうづ はちまんぐう)の最寄り駅であり、駅の北約300mには「新湊きっときと市場」がある。「きっときと」とは活きの良い、新鮮なという意味の富山弁で、富山自慢の新鮮な海鮮が楽しめる。

 海王丸駅は、「海王丸パーク」の最寄り駅。平成元年(1989年)に退役した航海練習船「海王丸」(かいおうまる)を展示しており、「海の男」を育てた旧・富山商船高専と伏木富山港の歴史を伝えている。

 万葉線の終点の越ノ潟駅は、かつては越中鉄道、後の富山地鉄射水線の中間駅であったが、昭和41年(1966年)に富山新港掘削のため、越ノ潟~堀岡(ほりおか)が廃止され、加越能鉄道に譲渡され、終着駅となった。越ノ潟駅前には富山県営渡船(越の潟フェリー)の乗り場があり、越の潟~堀岡を結んでいる。

 越ノ潟にはかつて、「放生津潟」(ほうじょうづがた)という潟湖があり、「越の潟」とも呼ばれていた。越ノ潟と堀岡を結ぶ鉄道と道路は砂洲の上に建設されていた。この「放生津潟」を掘削して、富山新港を建設することになり、昭和36年(1961年)に着工し、砂洲の鉄道と道路を分断して大きな船が通れる水路を掘削し、昭和43年(1968年)に富山新港が開港した。富山新港は射水市(旧・新湊市)の工業化に貢献したが、一方で市域を港で分断することになり、新港東口・堀岡より東の富山地鉄射水線は昭和55年(1980年)に廃止され、富山市中心部への交通は不便になった。

 富山新港による東西の分断を解決するため、新湊大橋が平成14年(2002年)に着工され、平成24年(2012年)に車道部分が開通。平成25年(2013年)には、桁下の歩道部分の「あいの風プロムナード」も開通した。「あいの風」とは、春から夏にかけて吹く北東のさわやかな風を意味している。橋からの眺めは美しく、射水市のシンボルとなっている。

射水エリアの主な駅

小杉 / こすぎ 駅
あいの風とやま鉄道 あいの風とやま鉄道線

越中大門 / えっちゅうだいもん 駅
あいの風とやま鉄道 あいの風とやま鉄道線

中新湊 / なかしんみなと 駅
万葉線 新湊港線

越ノ潟 / こしのかた 駅
万葉線 新湊港線

東新湊 / ひがししんみなと 駅
万葉線 新湊港線

西新湊 / にししんみなと 駅
万葉線 新湊港線

六渡寺 / ろくどうじ 駅
万葉線 新湊港線、高岡軌道線

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あいの風とやま鉄道・小杉駅

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あいの風とやま鉄道・越中大門駅

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庄川を渡る「あいの風とやま鉄道」

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万葉線から見た伏木港

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万葉線・六渡寺駅

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庄川を渡る万葉線

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万葉線・西新湊駅

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万葉線・中新湊駅

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新湊・放生津地区を流れる内川

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万葉線・東新湊駅

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新湊きっときと市場

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新湊きっときと市場

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新湊きっときと市場

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海王丸パーク

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万葉線・越ノ潟駅

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富山県営渡船(越ノ潟フェリー)乗り場

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越ノ潟駅と新湊大橋

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新湊大橋

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新湊大橋

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新湊大橋と「あいの風プロムナード」への道

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あいの風プロムナード

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あいの風プロムナードから見た富山新港

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あいの風プロムナードから見た富山新港

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テーマ : 富山県
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奈良・大淀 吉野川の北岸を走る近鉄吉野線と下市口駅

大淀
おおよど

日本国奈良県吉野郡大淀町

奈良・大淀 吉野川の北岸を走る近鉄吉野線と下市口駅

 大淀(おおよど)町は、奈良(なら)県中部の吉野(よしの)郡にある人口約1.7万人の町。東が吉野郡吉野町、南が吉野郡下市(しもいち)町、西が五條(ごじょう)市と御所(ごせ)市、北が高市(たかいち)郡の高取(たかとり)町と接している。

 大淀町の南に吉野川が流れ、吉野川が大淀町と下市町の境となっている。町内には近畿日本鉄道(近鉄)吉野線が通り、薬水(くすりみず)、福神(ふくがみ)、大阿太(おおあだ)、下市口(しもいちぐち)、越部(こしべ)、六田(むだ)の各駅がある。

 近鉄吉野線は、大正元年(1912年)に吉野軽便鉄道として吉野口(よしのぐち)~吉野(現・六田)が開業し、翌大正2年(1913年)に吉野鉄道となった。吉野鉄道は大正12年(1923年)に吉野口~橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)が延伸され、橿原神宮前駅で大阪電気軌道(大軌)畝傍線(現・近鉄橿原線)と連絡し、大正13年(1924年)には国鉄桜井線の畝傍(うねび)駅まで延伸された。

 昭和3年(1928年)に吉野鉄道が新しい吉野駅まで全通すると、旧・吉野駅は六田駅に改称された。昭和4年(1929年)に近鉄南大阪線の前身である大阪鉄道と直通運転を開始したが、ライバル会社である大軌が吉野鉄道を合併し、大軌吉野線となった。大軌は昭和16年(1941年)に参宮急行電鉄と合併して関西急行鉄道となり、戦時中の鉄道統合により、昭和18年(1943年)に関西急行が大阪鉄道(現・近鉄南大阪線)を合併、さらに昭和19年(1944年)に関西急行と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道(近鉄)吉野線となった。戦後、南海電鉄が近鉄から分離した一方で、近鉄吉野線や旧・大軌、旧・大阪鉄道は同じ近鉄の路線となった。大軌が標準軌(1435mm)、吉野線と大阪鉄道が狭軌(1067mm)の線路で建設されたことから、近鉄吉野線と南大阪線が一体運行されるようになって現在に至る。

 大淀町の中心駅は下市口駅であり、特急も停車する。大淀町の中心駅でありながら、隣町である下市の地名が駅名に採用されているのは、吉野線の開業当初は、吉野川の千石橋を渡った南の下市側のほうが材木輸送など物流の要衝として栄えていたからだった。しかし、鉄道の開業によって大淀側のほうが交通が便利になり、現在では大淀町のほうが人口が多くなった。下市口駅は大淀町の中心駅であるとともに、下市町、黒滝(くろたき)村、天川(てんかわ)村への交通の拠点となっており、下市口駅から天川村の洞川(どろがわ)温泉へのバスが発着している。

 旧・吉野駅だった六田駅は、吉野線の六田車庫が併設されている。現在は中間駅であるが特急が停車する大淀町の主要駅の一つである。駅の北側に住宅地が開発され、山あいの町であはあるが、近鉄吉野線・南大阪線で大阪阿部野橋(あべのばし)駅まで約1時間で行けるので、大阪への通勤も十分可能である。

大淀エリアの主な駅

下市口 / しもいちぐち 駅
近畿日本鉄道 吉野線

六田 / むだ 駅
近畿日本鉄道 吉野線

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近鉄吉野線・下市口駅

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大淀町の南を流れる吉野川

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大淀町の風景

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近鉄吉野線・六田駅

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テーマ : 奈良
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中国 広東・潮州 韓江流れる潮州語文化圏の古都

潮州
ティオチウ/Tio-chiu(Dio-ziu) (潮州語)
ツァオツォウ/Cháozhōu (中国語/北京語)
ツェウツウ (客家語)
ツィウツァウ (広東語)

中华人民共和国广东省潮州市
中華人民共和国広東省潮州市

中国 広東・潮州 韓江流れる潮州語文化圏の古都

 潮州(潮:ティオチウ/華:ツァオツォウ)は、中華人民共和国広東省の東部にある人口約180万人の都市で、郊外も含めると約270万人。潮州語文化圏の中心都市であり、英語では潮州および潮州語、潮州人などのことを潮州語読みで「Teochew」(ティオチウ)と呼ぶ。

 潮州は、南が汕頭(汕头/ソワタウ/サントウ)市、西が掲陽(揭阳/キッヤン/チエヤン)市、北が梅州(客:モイツウ/メイツォウ)市、東が漳州(チャンチウ/ツァンツォウ)市と接している。

 潮州市は、湘橋(湘桥/シャンキオ/シャンチャオ)区、潮安(ティオアン/ツァオアン)区と饒平(饶平/潮:ジャウペン/客:ニャウピン/華:ラオピン)県からなり、湘橋区が市の中心部にあたる。

 潮州(ティオチウ)は福建省と接しており、潮州で話される潮州語は、福建省南部で話される福建語(闽南语/バンラムグウ)に近く、広東省中部や西部の主要言語である広東語や広東省北東部の客家(ハッカ)語とも異なる独自の言語文化圏を築いている。また、潮州語も隣接する客家語や広東語の影響を大きく受けており、福建語との違いも大きい。福建語系ではあるものの、長らく広東省側に属していることから、「潮州人」(ティオチウナン)という独自のアイデンティティーを築いている。

 いわゆる「潮州人」の潮州語文化圏は、潮州市と隣接する汕頭(汕头/ソワタウ)、掲陽(揭阳/キッヤン)や汕尾(ソワボエ)などの地域に及び、近年は汕頭の都市の規模が大きくなっていることから「潮汕」(ティオソワ)地区と呼ばれることが多い。汕頭は港湾都市として高層ビルが建ち並んでいるのに対し、潮州は古都の趣がある。 

 潮州人は歴史上、東南アジアに多く移民し、特にタイ華人の多くを占めている。海外に移住したいわゆる潮州系華人は、タイ約500万人、マレーシア約80万人、インドネシア約80万人、シンガポール約50万人、ベトナム約30万人、米国約30万人、カンボジア約20万人、フランス約10万人、カナダ約10万人と言われる。また、香港にも約70万人が潮州系であり、かつては香港でも潮州語を話す人が多かったが、広東語社会のため、世代が移るにつれ徐々に広東語化されている。一方、台湾南部の屏東県に潮州という町があり、かつて広東省潮州からの移民が住んでおり、当初は同じく広東省から移民した客家人と生活風習などが近かったが、後に言語的には潮州語は同じ福建語系の台湾語に同化された。

 潮州には韓江(韩江/ハンカン/ハンチャン)が流れ、西側に広済門(广济门/クワンチームン)と下水門(下水门/ハーツイムン)の城楼があり、城壁が美しい。広済門の西側には、8世紀に創建された「開元寺」(开元寺/カイゴワンジー)という仏教寺院があり、古都・潮州の歴史を感じさせる。その南には「牌坊街」(パイホワンコイ)という潮州式の牌楼の門が並ぶ通りがある。

 潮州は道教の歴史も古く、広東省北東部の客家人とともに「三山国王」(潮:サムサンコッオン/客:サムサンクェッヴォン)の信仰が篤い。また、キリスト教のカトリックおよびプロテスタントいずれも歴史があるが、中国共産党による共産主義化で信仰活動は制限されている。

 潮州には、「潮州日報」(潮州日报)という地元紙があるほか、潮州テレビ(潮州电视台)などのテレビ局があり、潮州語のニュースやドラマも放送されている。このあたりの地元言語に対する尊重は、上海などに比べて広東省のほうが比較的民主的であるといえる。

 潮州文化には、潮州語で演じられる「潮劇」(潮剧/ティオキャ)という伝統芸能があり、潮州語の民謡や、潮州音楽と呼ばれる伝統音楽もある。

 潮州料理は、蟹や牡蠣、スルメ、アサリ、干し貝など豊富な海鮮を用いた料理が多く、サツマイモの葉(番薯叶/ホアンツーヒオ)とフクロダケ(草菇)のスープである護国菜(护国菜/フーコクツァイ)、魚のつみれ団子である「魚丸」(フーイィ)が入ったスープライスヌードルの「魚丸粿條」(フーイィコエティオウ)などの庶民料理があり、カキ入りの卵焼きの「蠔烙」(オールワッ)は、台湾の「蚵仔煎」(オアツェン)に近い。高級料理はフカヒレの煮物「紅燉魚翅」(红炖鱼翅/アントゥン フーティー)がよく知られ、魚生(フーセン)という刺身を食べる文化もある。調味料は、梅ソースの「梅膏」(ボエコー)、甘味噌の「甜醤」(甜酱/テャムチヨ)、豆味噌の「豆醤」(豆酱/タウチヨ)などがある。また、香港では庶民的な潮州料理食堂のことを「打冷店」(ターランティム)と呼ぶが、これは潮州語の屋台の「擔子籠」(担子笼/タアーラン)を広東語読み漢字で当て字したものである。お茶は、「工夫茶」(カンフーテー)と呼ばれる茶芸を楽しむ文化がある。

 潮州の交通は、潮州~汕頭、潮州~掲陽への郊外バスが頻繁に運行されているほか、広州(广州/クォンツァウ/クァンツォウ)や深圳(サムツァン/センツェン)方面への高速バスも走っている。鉄道は、中国国鉄の広梅汕線(广梅汕铁路)が通り、潮州駅から汕頭および掲陽、梅州市の豊順(丰顺/ホンスン/フォンスン)、興寧(兴宁/ヒンネン/シンニン)、惠州(フィーツウ/ホエツォウ)、東莞(トンクン/トンクワン)、広州(广州)方面を結んでいる。また、潮州市の郊外である潮安区に杭福深高速鉄道(新幹線)の一部である厦深線(厦深铁路)の潮汕(ティオソワ/ツァオサン)駅が2013年に開業し、深圳や厦門(エームン/シアメン)方面の交通が非常に便利になった。

 潮州の空の玄関は、掲陽市にある「掲陽潮汕国際空港」(揭阳潮汕国际机场)が2011年に開港(従来の汕頭外砂空港から移転)し、広州空港、深圳空港に次ぐ広東省第3の空港の規模を持つ。北京、上海、重慶など中国国内の主要都市を結ぶ路線が主流であるが、タイのバンコク、台湾の台北(桃園)、マレーシアのクアラルンプール、シンガポールなどを結ぶ国際線も運航されている。

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潮州の城門と城壁

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潮州の牌楼

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潮州のバスターミナル

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潮州の伝統的家屋

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テーマ : 中国旅行
ジャンル : 旅行

愛媛 松山・久米 東道後温泉郷と四国八十八箇所の浄土寺

松山・久米
まつやま・くめ

日本国愛媛県松山市

愛媛 松山・久米 東道後温泉郷と四国八十八箇所の浄土寺

 久米(くめ)は、愛媛(えひめ)県の松山(まつやま)市東部にある地区で、伊予鉄道(伊予鉄)高浜横河原線の久米駅がある。

 久米は、かつては伊予国(いよのくに)の久米郡に属し、明治22年(1889年)に久米郡の村が合併して久米郡久米村が発足し、明治30年(1897年)に温泉郡久米村となった。松山市の市街地拡大により、昭和30年(1955年)に温泉郡久米村が松山市に編入された。

 伊予鉄の久米駅は1面2線のホームがあり、列車が行き違いをする。久米駅の開業は明治26年(1893年)で、百年以上の歴史を有する。

 久米駅は松山市東部の「東道後温泉郷」(ひがしどうご おんせんきょう)の最寄り駅である。東道後温泉郷は、久米駅周辺に「久米之癒」(くめのゆ)、「東道後のそらともり」、「鷹の子温泉」(たかのこ おんせん)などの温泉施設がある。道後温泉ほど観光スポットにはなっていないが、豊かな天然の温泉が楽しめる。

 東道後温泉郷の温泉守護神となっているのが、久米駅から北東徒歩3分ほどのところにある日尾八幡神社(ひおはちまんじんじゃ)の境内にある東道後神社である。

 久米八幡神社から約200mほど東にある「浄土寺」(じょうどじ)は、四国八十八箇所霊場の第49番にあたる真言宗豊山(ぶざん)派の寺で、8世紀の天平勝宝(てんぴょうしょうほう)年間に創建されたと伝えられる歴史あるお寺である。後に空海(弘法大師)が伽藍を再興したことから真言宗(しんごんしゅう)となった。四国八十八箇所巡りは、時間がない旅人にはなかなか巡ることが難しいが、久米の浄土寺は、久米駅から徒歩6分の近さにあり、八十八箇所巡りの人たちと出会うことができ、ほんの少しだけ八十八箇所巡りの雰囲気を味わうことができる。

松山・久米エリアの主な駅

久米 / くめ 駅
伊予鉄道 高浜横河原線

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伊予鉄横河原線・久米駅

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伊予鉄横河原線・久米駅

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伊予鉄横河原線・久米駅

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伊予鉄横河原線・久米駅

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伊予鉄横河原線・久米駅

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日尾八幡神社

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浄土寺

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浄土寺

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テーマ : 四国
ジャンル : 旅行

佐賀・有田 美しい伝統磁器、有田焼の里

有田
ありた

日本国佐賀県西松浦郡有田町

佐賀・有田 美しい伝統磁器、有田焼の里

 有田(ありた)町は、佐賀(さが)県西部の西松浦(にしまつうら)郡にある人口約2万人の町。北が伊万里(いまり)市、東が武雄(たけお)市、南が長崎県の波佐見(はさみ)町、西が長崎県の佐世保(させぼ)市と接している。

 有田町は、平成の大合併で旧・有田町と旧・西有田(にしありた)町が対等合併し、新しい有田町が発足した。合併の際、「有田」の地名が残された一方で、新しい有田町役場は、旧・西有田町役場が使用され、旧・有田町役場は有田町東出張所となった。

 有田は陶磁器の伝統工芸である「有田焼」(ありたやき)の里として全国的に知られている。「伊万里焼」(いまりやき)とも呼ばれるが、有田と伊万里は隣接し、伊万里は有田で生産された磁器の積出港であった。今は有田地区で生産された磁器を「有田焼」、伊万里地区のものを「伊万里焼」と呼び分けることが多い。また、長崎県側の波佐見町で生産された焼き物を「波佐見焼」(はさみやき)、佐世保市で生産された焼き物を「三川内焼」(みかわちやき)と呼び、それぞれの美しさがある。

 有田は古くから焼き物が盛んで、中国の磁器の影響を受けて藍色の図柄の染付磁器が生産されていた。江戸時代に肥前国(ひぜんのくに)の鍋島藩(佐賀藩)が窯場を整理して有田地区に集め、伊万里焼、有田焼の基礎が築かれた。藩直営で「鍋島焼」などの高級磁器を生産し、贈答品として重宝された。海外にも多く輸出され、ヨーロッパからも愛された。江戸時代の有田焼は「古伊万里」(こいまり)とも呼ばれ、愛好者から高い価値が認められている。

 有田町にはJR九州・佐世保線と松浦鉄道・西九州線が通り、町内にはJR佐世保線の上有田(かみありた)、有田(ありた)、松浦鉄道・西九州線の有田、三代橋(みだいばし)、黒川(くろごう)、蔵宿(ぞうしゅく)、西有田(にしありた)、大木(おおぎ)、山谷(やまだに)、夫婦石(めおといし)の各駅がある。

 JR佐世保線と松浦鉄道が連絡する有田駅は有田町の中心駅で、JR佐世保線を走る特急「みどり」や「ハウステンボス」が停車する。佐世保線の特急電車は博多(はかた)から、鳥栖(とす)、佐賀(さが)を経由して肥前山口(ひぜんやまぐち)から佐世保線に入り、武雄温泉(たけおおんせん)、有田(ありた)、早岐(はいき)を経由して、特急「みどり」は佐世保を、特急「ハウステンボス」はJR大村線のハウステンボス駅を結んでいる。有田駅の南側に佐賀県立「九州陶磁文化館」があり、肥前の陶磁器を中心に九州の焼き物が収蔵・展示されている。

 有田焼の窯は有田~上有田の間に集中し、佐世保線の車窓からは、窯の煙突がよく見える。毎年ゴールデンウィークに開催される「有田陶器市」の期間は、有田駅のほか上有田駅も多くの人でにぎわう。有田町立「有田陶磁美術館」や陶山神社は、上有田駅からが近い。上有田駅の南約2キロの丘にある「有田ポーセリンパーク」は、ドイツ・ドレスデンのツヴィンガー宮殿を模した有田焼のギャラリーがあり、ヨーロッパにも輸出された有田焼の名作を鑑賞することができる。

 松浦鉄道・西九州線は、昭和63年(1988年)にJR松浦線が松浦鉄道に移管された路線で、有田~西有田~伊万里を結ぶ列車が運行されている。西有田駅は旧・西有田町の中心部であり、市街地が広がり、現・有田町役場の最寄り駅である。

有田エリアの主な駅

有田 / ありた 駅
JR九州 佐世保線
松浦鉄道 西九州線

上有田 / かみありた 駅
JR九州 佐世保線

西有田 / にしありた 駅
松浦鉄道 西九州線 

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JR佐世保線と松浦鉄道が連絡する有田駅

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焼き物が盛んな有田の市街地

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JR上有田駅

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テーマ : 九州の旅
ジャンル : 旅行

時の旅・1970年(昭和45年) 大阪万博開催、よど号ハイジャック事件、沖縄コザ暴動、ビートルズ解散、初の東西ドイツ首脳会談

1970年
昭和45年

時の旅・1970年(昭和45年) 大阪万博開催、よど号ハイジャック事件、沖縄コザ暴動、ビートルズ解散、初の東西ドイツ首脳会談

当時の日本の首相 佐藤栄作(自由民主党)

 1970年(昭和45年)は、佐藤栄作(さとう えいさく)内閣総理大臣(首相)をトップとする自由民主党(自民党)政権が続いた。日本の政治は安定していたものの、日本赤軍のハイジャック事件や日米安保反対などの激しい反対運動が起こった。一方で、大阪で開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)は、日本の高度経済成長の成果と、明るい未来を予感させる国際イベントとして大成功を収めた。

 3月に東京羽田空港発、福岡空港行きの日本航空「よど号」が田宮高麿、若林盛亮、小西隆裕ら赤軍派9人により日本初のハイジャック事件が発生し、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への亡命を要求された。よど号は燃料が足りないということで福岡空港に着陸したあと、北朝鮮の平壌(평양/ピョンヤン)に向かったが、韓国側の誘導でソウル金浦空港に着陸した。しかし犯人に平壌ではなくソウルであることがバレて、韓国当局や日本当局と人質解放などについて交渉した結果、日本の山村新治郎運輸政務次官が身代わりになることにより、乗客が解放された。よど号は北朝鮮のへ平壌に向けて離陸し、平壌美林飛行場に着陸。赤軍の犯人らは北朝鮮に亡命が受け入れられ、機体と乗員は北朝鮮側の配慮により日本に帰国が許された。

 6月には日米安全保障条約の延長を阻止すべく全国で安保反対運動が起こったが、自動延長された。11月に日本の作家・三島由紀夫が憲法改正を求めて自衛隊の市ヶ谷駐屯地で益田兼利統監を人質にとり、自衛隊の隊員の前で演説して決起を呼びかけた後、割腹自殺し、日本社会に大きな衝撃をもたらした。

 大阪府吹田市の千里丘陵で3月より9月まで「日本万国博覧会」(大阪万博)が開催された。「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国が参加。東京オリンピック以来の大規模な国家プロジェクトで、岡本太郎がデザインした「太陽の塔」や、米国パビリオンではアポロ12号が持ち帰った「月の石」が展示され、話題を呼んだ。半年間の会期で6,421万人もの入場者を記録した。「世界の国からこんにちは」が大阪万博のテーマソングとなり、特に三波春夫バージョンが一番ヒットした。

 経済は1月に早川電機工業が「シャープ」に社名変更した。また、3月に八幡製鐵と富士製鐵が合併し、「新日本製鐵」が発足した。9月にタイガー魔法瓶が電子ジャー炊飯器「炊きたて」を発売開始した。11月にケンタッキー・フライド・チキン日本1号店が愛知県名古屋市に開店した。味の素が「ほんだし」を発売開始した。

 交通については、鉄道は、2月に大阪市営地下鉄・御堂筋線の新大阪~江坂が延伸開業し、さらに大阪万博のアクセス路線として建設された北大阪急行電鉄(北急)の江坂~千里中央~万国博中央口が開業し、相互乗り入れを開始した。3月に大阪市営地下鉄・千日前線の桜川~難波~谷町九丁目が開業し、すでに開業している桜川~野田阪神および谷町九丁目~新深江がつながり、野田阪神~新深江の運行を開始した。千日前線の難波駅開業にともない、四つ橋線の難波元町駅が難波駅に改称され、四つ橋線・千日前線・御堂筋線の共同駅となった。近畿日本鉄道(近鉄)難波線の上本町~難波が開業し、近鉄奈良線の電車および名阪特急などが大阪ミナミの難波まで乗り入れるようになり、大阪万博えのアクセスも向上した。4月に建設中の大阪市営地下鉄・谷町線の天神橋筋六丁目附近でガス爆発事故(天六ガス爆発事故)が発生し、死者79人の大惨事となった。10月に首都圏の国鉄から蒸気機関車D51が運行を終了した。

 文化については、音楽は、皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」、ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」、藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」「女のブルース」、内山田洋とクール・ファイブ「逢わずに愛して」、由紀さおり「手紙」、ヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」、菅原洋一「今日でお別れ」、ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」、ソルティー・シュガー「走れコウタロー」などがヒットした。また、洋楽はビートルズ(The Beatles)「レット・イット・ビー(Let It Be)」、サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)」の「コンドルは飛んでいく(El Condor Pasa)」などがヒットした。4月にビートルズのポール・マッカートニーが脱退を宣言し、ビートルズが解散となり、世界中のビートルズファンがショックを受けた。

 映画は「ガメラ対大魔獣ジャイガー」、「続・猿の惑星」、「トラ・トラ・トラ!」、「イージー・ライダー」などがヒットした。スポーツは、野球は、アトムズ球団がヤクルト・アトムズとなった。セリーグが読売ジャイアンツ(巨人)、パリーグがロッテオリオンズが優勝。日本シリーズは4勝1敗で巨人が圧勝し、日本一となった。巨人の王貞治が本塁打王、長嶋茂雄が打点王を獲得し、ON時代全盛期を築いた。大相撲は北の富士と玉の海が優勝を競い合った。

 アメリカ合衆国(米国)統治下の琉球(沖縄)では、米軍嘉手納基地があるコザ市(現・沖縄市)で、米軍人による交通事故がきっかけに、沖縄人の米軍統治に対する不満が爆発して投石や暴行、放火など暴動が発生した(コザ暴動)。暴動は翌朝までに自然収束したが、沖縄人の米軍統治への不満が明るみとなった。日本政府は米国側に遺憾の意を表明し、沖縄住民の感情に留意したうえで円滑な沖縄返還が行われるよう申し入れた。

 中華人民共和国は、1月に人民日報で「ソ連社会帝国主義」を批判し、中ソ対立を鮮明にした。一方で、米国と大使レベルの対話を再開した。また、中距離ミサイルの発射実験に成功した。4月に周恩来(ツォウ エンライ)首相が北朝鮮を訪問した際に、米国と日本は「2つの中国」を作ろうとしており、中国人民は台湾を解放しなければならないと表明した。5月に日本の佐藤首相は「2つの中国」には賛成せず、「中華民国が中国を代表する唯一の合法政府である」と表明した。7月にも周恩来首相は、米国に台湾から軍隊を撤退するよう主張した。10月には核実験を行った。10月にカナダ、11月にイタリアが、12月にエチオピアが中華人民共和国を承認し、台湾の中華民国とは断交した。

 台湾の中華民国は、1月に軟禁されていた1964年に「台湾自救宣言」を発表した彭明敏(ペェ ビンビン)元台湾大学政治学教授が変装して台湾脱出に成功し、スウェーデンを経て米国に亡命した。海外の台湾独立運動団体が集まって台湾独立連盟を結成し、米国ニューヨークに本部を置き、「台湾人の運命は台湾人が決定する」ことを主張した。2月に台湾東部の台東県東河郷の泰源監獄で台湾独立を主張して中国国民党政権に捕らえられていた政治犯らが監獄を警備していた台湾人士官らと組んで台湾独立を目的とする武装革命を画策したが、初めの段階で襲われた警備班長が「暴動」と叫んだことにより計画が狂い、失敗し、山間部に逃亡した主犯らが捕らえられ、鄭金河ら5人が死刑に処された。この事件後、政治犯は離島の緑島に集められるようになった。行政院は台北~高雄を結ぶ台湾南北を縦貫する高速道路を建設することを決定した。この高速道路は後に「中山高速道路」と命名された。4月に蒋経国(蔣經國/チャン チンクオ)行政院長(首相)が訪米した際、台湾独立連盟は米国が蒋家政権への援助をやめるよう求め、蒋経国・行政院長の訪米に反対するデモを行った。 

 インドシナでは、1月にグエン・ヴァン・チュー(Nguyễn Văn Thiệu/阮文紹)ベトナム共和国(南ベトナム)大統領が南ベトナム解放民族戦線との連立政権案を拒否した。2月にベトナム民主共和国(北ベトナム)軍とラオスの共産主義革命軍であるパテト・ラオ軍がラオスのジャール平原を制圧した。3月にノロドム・シハヌーク国王の外遊中にカンボジアでクーデターが発生し、ロン・ノル政権が樹立された。一方でシハヌーク国王は中国北京でカンプチア民族統一戦線を結成した。4月に米国はベトナム戦争での枯葉剤の使用中止を発表した。5月にベトナムの補給基地となっているカンボジアへ米軍および南ベトナム軍がカンボジアを攻撃した。シハヌーク国王が北京でカンプチア王国民族連合政府の樹立を発表した。6月に米軍がカンボジアから撤退した。10月にカンボジアが共和制に移行し、「クメール共和国」が樹立された。

 東西ドイツでは、3月にヴィリー・ブラント(Willy Brandt)ドイツ連邦共和国(西ドイツ)首相とヴィリー・シュトフ(Willi Stoph)ドイツ民主共和国(東ドイツ)閣僚評議会議長(首相)が東ドイツのエアフルト(Erfurt)で初の東西ドイツ首脳会談を行った。

 そのほか世界は1月にスエズ運河東岸のイスラエル軍への攻撃の報復として、イスラエル軍がエジプトの軍事施設を攻撃した。ビアフラがナイジェリアに降伏し、ビアフラ共和国が崩壊した。2月に英領ギアナがガイアナ共和国の独立を宣言した。5月にソ連・チェコスロバキア友好協力相互援助条約が締結され、翌月にチェコスロバキア共産党がドプチェク前第一書記を除名し、プラハの春を率いた民主派が失脚した。6月にトンガが英連邦の王国として独立した。英国の総選挙で保守党が勝利し、エドワード・ヒース(Edward Heath)内閣が発足した。7月に英国北アイルランドのベルファストで市街戦となった。9月にエジプトのガマール・アブドゥル=ナーセル( جمال عبد الناصر )大統領が死去し、アンワル・アッ=サーダート( محمد أنور السادات )副大統領が大統領に昇格した。10月にフィジーが独立した。11月にシリアでクーデターが発生し、ハーフィズ・アル=アサド( حافظ الاسد )国防相が実権を掌握した。南イエメンがイエメン人民民主共和国に国名変更した。12月にソビエト連邦(ソ連)の宇宙探査機部ベネラ7号が金星に着陸した。

(参考:Wikipedia)

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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

東京・青物横丁 旧東海道品川宿の青物横丁商店街

東京・青物横丁
とうきょう・あおものよこちょう

日本国東京都品川区

東京・青物横丁 旧東海道品川宿の青物横丁商店街

 青物横丁(あおものよこちょう)は、東京(とうきょう)都の品川(しながわ)区にある地区で、京浜急行電鉄(京急)本線の青物横丁駅がある。

 青物横丁駅は、ウィング号、エアポート快特、快特は通過するが、普通、エアポート急行、特急が停車する主要駅で、西南約700mにJR京浜東北線・りんかい線・東急大井町線の大井町(おおいまち)駅、東約600mにりんかい線の品川シーサイド(しながわシーサイド)駅がある。

 青物横丁は、江戸時代に東海道(とうかいどう)の宿場町である品川宿(しながわじゅく)があり、青物(野菜)市場があったことが由来となっている。駅の東側にある青物横丁商店街は、旧東海道品川宿があった場所で、千躰荒神を祀る曹洞宗の「海雲寺」(かいうんじ)や、弘法大師(こうぼうだいし)の空海(くうかい)が開山した真言宗の「品川寺」(ほんせんじ)など歴史あるお寺もある。

 品川寺の大銀杏は樹齢300年以上と推定され、梵鐘は徳川家綱(とくがわ いえつな)第4代将軍の寄進とされ、幕末に海外に流出し、大正時代にスイス・ジュネーブの美術館に所蔵されていたことが分かり、外交交渉により昭和5年(1930年)に品川寺への返還が実現したという歴史がある。この縁から、平成3年(1991年)に品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘を贈り、品川区とジュネーブ市が友好都市となった。

 青物横丁商店街は、南北が旧東海道品川宿で、東西が「ジュネーブ平和通り」となっている。青物横丁は品川宿の南側にあたり、品川宿の北端に京急の北品川(きたしながわ)駅がある。京急・JR各線の品川駅は、北品川駅のさらに北の東京都港区側にあるのも興味深い。

東京・青物横丁エリアの主な駅

青物横丁 / あおものよこちょう 駅
京浜急行電鉄 京急本線

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京急本線・青物横丁駅

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京急青物横丁駅を通過する快特

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京急青物横丁駅

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青物横丁商店街

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海雲寺

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青物横丁商店街

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品川寺

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品川寺

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品川寺

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青物横丁商店街

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テーマ : 東京23区
ジャンル : 地域情報

千葉・銚子 利根川河口の関東最東端の市、醤油と漁港と犬吠埼と銚子電鉄

銚子
ちょうし

日本国千葉県銚子市

千葉・銚子 利根川河口の関東最東端の市、醤油と漁港と犬吠埼と銚子電鉄

 銚子(ちょうし)市は、千葉(ちば)県北東部にある人口約6万人の市。西が旭(あさひ)市と香取(かとり)郡の東庄(とうのしょう)町、北が茨城(いばらき)県の神栖(かみす)市と接しており、東と南には太平洋が広がっている。

 銚子は、古くは「銚子口」と呼ばれ、お銚子のような小さな注ぎ口という意味で、利根川(とねがわ)の河口の川幅が狭まって北東方向に曲がって海に注いでいる地形がその地名の由来であった。

 銚子は下総国(しもうさのくに)の最東端にあり、明治22年(1889年)に海上(かいじょう)郡の銚子町が発足し、さらに昭和8年(1933年)に海上軍の銚子町、本銚子(もとちょうし)町、西銚子(にしちょうし)町、豊浦(とようら)町が合併して銚子市となった。千葉県内では千葉市に次ぐ県内2番目の市制施行であった。その後、昭和12年(1937年)に海上郡の高神(たかがみ)村、海上(うなかみ)村を編入し、さらに昭和29年(1954年)に海上郡の船木(ふなき)村、椎柴(しいしば)村を編入。昭和30年(1955年)に香取郡豊里(とよさと)村を編入。昭和31年(1956年)に海上軍豊岡(とよおか)村を編入するなどして、現在の市域となった。

 銚子は江戸時代に、利根川の河口の町として、水運の拠点と漁業、醤油醸造業で発展した。特にヤマサ醤油とヒゲタ醤油は江戸時代から続く銚子醤油の2大メーカーである。

 銚子市内の鉄道は、JR東日本の総武本線と成田線、銚子電気鉄道(銚子電鉄)の銚子電鉄線が通り、総武本線の銚子(ちょうし)、松岸(まつぎし)、猿田(さるだ)、成田線の松岸、椎柴(しいしば)、下総豊里(しもうさ とよさと)、銚子電鉄の銚子、仲ノ町(なかのちょう)、観音(かんのん)、本銚子(もとちょうし)、笠上黒生(かさがみくろはえ)、西海鹿島(にしあしかじま)、海鹿島(あしかじま)、君ヶ浜(きみがはま)、犬吠(いぬぼう)、外川(とかわ)の各駅がある。

 銚子駅は、JR総武本線・成田線と銚子電鉄が乗り入れる銚子市の中心駅。銚子からは総武本線が成東経由の南回り、成田線が成田経由の北回りで両線とも千葉駅を結んでいる。距離的には総武本線のほうが近く、総武本線は銚子から旭、匝瑳(そうさ)市の八日市場(ようかいちば)、山武(やまたけ)市の成東(なるとう)、成田線と再合流する佐倉(さくら)を経由して千葉、東京を結び、特急「しおさい」は銚子~東京を結ぶ総武本線を走破する特急電車である。成田線は大回りであるが、利根川沿いの香取(かとり)などの都市を経由して成田(なりた)、千葉を結ぶ地域輸送の役割を果たしている。

 銚子駅は総武本線の前身である総武鉄道によって明治30年(1897年)に開業した、。北回りの成田線は昭和8年(1933年)に全通して、銚子駅まで乗り入れるようになった。銚子駅は駅北口に中心市街地が広がり、駅の北約500mに銚子市役所があり、さらに100mほど北へ行くと利根川が流れている。駅の西には「ヒゲタ醤油」の工場がある。

 銚子電鉄は、大正2年(1913年)に地元有志の銚子遊覧鉄道により銚子~犬吠が開業したが、経営難でわずか4年後の大正6年(1917年)に廃止されたという、開業当初からの赤字路線の歴史を持つ。せっかく建設した鉄道路線を廃止するのはもったいないため、大正12年(1923年)に元・銚子遊覧鉄道の職員らにより銚子鉄道が再び設立され、漁港がある外川まで延伸したうえで再開業した。大正14年(1925年)には電化された。戦後、銚子電気鉄道となり、昭和30年代には国鉄から快速「房総の休日」が乗り入れたりしたが、昭和59年(1984年)に国鉄の貨物列車が廃止され、観光鉄道への脱皮を模索するようになる。鉄道経営としては赤字であるが、「ぬれ煎餅」の販売などの副業により、なんとか鉄道事業を維持しているが、「ぬれ煎餅」が話題になり売れ行きは上々で、また鉄道のほうも東京メトロや京王電鉄の旧型車両を走らせるなどしてレトロな観光鉄道として全国から観光客が訪れるようになった。

 仲ノ町駅は、1面1線の小さな駅であるが銚子電鉄の車両基地が併設され、銚子電鉄の本社が置かれている。駅の周囲は「ヤマサ醤油」の本社・銚子工場があり、工場見学やショップがあり、銚子観光のスポットとなっている。

 観音駅は、昭和51年(1976年)から大ヒット曲「およげ!たいやきくん」にちなんだ「たい焼き」の店舗がある駅として観光客から人気があったが、平成29年(2017年)に閉店した。飯沼観音、銚港神社の最寄り駅であり、銚子市漁協第一卸売市場にも近い。

 本銚子駅は、開業当初からの老朽化した駅舎が平成29年(2017年)の日本テレビ系「24時間テレビ」の企画でリフォームされた。同駅の北東約2キロの利根川河口の東側に銚子漁港があり、その近くに銚子ポートタワーや水産物即売センター「ウオッセ21」があり、銚子の新鮮な海産物を購入できる。

 笠上黒生駅は、黒生(くろはえ)の連想からネーミングライツで「髪毛黒生」(かみのけくろはえ)駅との愛称があり、増毛の縁起の良い駅として観光客から親しまれている。海鹿島駅は、関東最東端の駅である。

 犬吠駅は犬吠埼(いぬぼうさき)の最寄り駅として、犬吠埼灯台や犬吠埼温泉の観光客が多く利用し、特に元旦の初日の出にはにぎわう。駅の売店では銚子電鉄名物の「ぬれ煎餅」や「まずい棒」が購入できる。

 外川駅は、銚子電鉄の終着駅で、レトロな木造駅舎がある。外川漁港が近く、断崖絶壁の屏風ヶ浦(びょうぶがうら)や、銚子マリーナへの最寄り駅でもある。

銚子エリアの主な駅

銚子 / ちょうし 駅
JR東日本 総武本線、(成田線)
銚子電鉄 銚子電鉄線

仲ノ町 / なかのちょう 駅
銚子電鉄 銚子電鉄線

観音 / かんのん 駅
銚子電鉄 銚子電鉄線

犬吠 / いぬぼう 駅
銚子電鉄 銚子電鉄線

外川 / とかわ 駅
銚子電鉄 銚子電鉄線

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銚子駅・JR総武本線のホーム

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JRと銚子電鉄が連絡する銚子駅

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銚子電鉄・銚子駅

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銚子電鉄・銚子駅

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銚子電鉄・仲ノ町駅

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銚子電鉄・仲ノ町駅

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仲ノ町駅のレトロな車両が並ぶ車両基地

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仲ノ町駅のレトロな車両が並ぶ車両基地

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仲ノ町駅のレトロな車両が並ぶ車両基地

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ヤマサ醤油工場

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銚子電鉄・観音駅

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観音駅にあった、たい焼き屋

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飯沼観音

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飯沼観音

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銚子市漁協第一卸売市場

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銚子市漁協第一卸売市場

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銚子電鉄・笠上黒生(髪毛黒生)駅

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笠上黒生駅の駅舎

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関東最東端の銚子電鉄・海鹿島駅

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銚子電鉄・犬吠駅

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銚子電鉄・犬吠駅

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銚子電鉄名物「ぬれ煎餅」

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犬吠埼

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銚子の海岸

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銚子電鉄・外川駅

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外川駅に留置されている銚子電鉄旧型電車

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銚子電鉄・外川駅

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銚子電鉄・外川駅

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水産物即売センター「ウオッセ21」

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水産物即売センター「ウオッセ21」

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銚子ポートタワー

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