岐阜・関 刃物のまちと長良川鉄道、廃止された名鉄美濃町線


せき

日本国岐阜県関市

岐阜・関 刃物のまちと長良川鉄道、廃止された名鉄美濃町線

 関(せき)市は岐阜(ぎふ)県中部にある人口約9万人の市。北が美濃(みの)市、西が岐阜市、南が各務原(かかみがはら)市、東が加茂(かも)郡の坂祝(さかほぎ)町、富加(とみか)町、美濃加茂(みのかも)市と接している。

 関市は「平成の大合併」で、武儀(むぎ)郡の武儀町、上之保(かみのほ)村、武芸川(むげがわ)町、洞戸(ほらど)村、板取(いたどり)村を平成17年(2005年)に合併し、北東に武儀町・上之保村、北西に武芸川町・洞戸村・板取村が連なるように加わったため、「Ⅴ」字形の市域となった。これにより、加茂郡七宗(ひちそう)町、下呂(げろ)市、郡上(ぐじょう)市、福井県大野(おおの)市、本巣(もとす)市、山県(やまがた)市とも接するようになった。

 合併した地区はほとんどが山間部であり、上流から平野の関市中心部に流れ込むイメージだ。実際の川の流れは、上之保村から流れる津保(つぼ)川は、富加町を経由して関市南西部で長良川(ながらがわ)に合流しており、板取村から流れる板取川は美濃市で長良川に合流している。

 関市を流れる長良川は、郡上市から美濃市、関市へと流れて来て、さらに岐阜市、羽島(はしま)市と濃尾平野を流れ、伊勢湾に注ぐ、木曽三川の一つである。

 関市には長良川鉄道・越美南線が通り、郡上市の北濃(ほくのう)まで美濃市より北の区間で長良川沿いを走る。関より南の区間は、長良川から離れて南東へ向きを変え、岐阜市内ではなく、美濃加茂市のJR東海の高山本線・太多線と連絡する美濃太田(みの おおた)駅まで結んでいる。

 長良川鉄道は、もともと美濃太田~福井(ふくい)を結ぶ国鉄越美線として南側から建設され、大正12年(1923年)に「越美南線」の美濃太田~美濃町(現・美濃市)が開業。昭和9年(1934年)に北濃まで開業した。一方、福井側からは越美北線が建設され、昭和35年(1960年)に福井県大野市の勝原(かどはら)、昭和47年(1972年)に大野市の九頭竜湖(くずりゅうこ)駅まで開業したが、九頭竜湖~北濃はつながることがなく赤字に苦しむ国鉄は建設を断念。しかも越美南線は赤字ローカル線として廃止候補となり、昭和61年(1986年)に国鉄から第3セクターの「長良川鉄道」に移管された。

 長良川沿線の町を結ぶ長良川鉄道は、関市内に関富岡(せきとみおか)、関口(せきぐち)、刃物会館前(はものかいかんまえ)、関(せき)、関市役所前(せきしやくしょまえ)、関下有知(せきしもうち)の各駅がある。関市の中心となる駅は関駅であり、木造駅舎が美しく、長良川鉄道の車庫や本社がある。駅西口にはバスの関シティターミナルがあり、岐阜市内方面や各務原市の名鉄三柿野(みかきの)駅方面の路線バスや名古屋駅方面の高速バスなどが運行されている。関シティターミナルから道路を挟んだ向かいには関市文化会館がある。

 駅東口には「関善光寺」(せき ぜんこうじ)として知られる宗休寺(そうきゅうじ)がある。ここは1753年(宝暦3年)に創建され、善光寺如来(阿弥陀如来)を本尊としている。

 関市は、刃物の町として知られ、その歴史は鎌倉時代までさかのぼる。良質の焼刃土と松炭があり、刀鍛冶に最適な環境であった関は、多くの刀匠が集まるようになり、切れ味優れた日本刀が生産されてきた。その伝統技術が、包丁やハサミ、カミソリなどに応用され、関市の主要産業となっている。刃物会館前駅の駅前にある「岐阜県刃物会館」は、関の刃物産業の歴史や刃物展示や販売コーナーなどがあり、刃物研ぎ体験などもできる。また、その近くにある「フェザーミュージアム」は、カミソリで知られるフェザー安全剃刀が運営するカミソリの博物館で、フェザー安全剃刀日ノ出工場に併設されている。フェザー安全剃刀は関で創業し、現在は大阪に本社を置いている。このほか、カミソリやナイフ、包丁で知られる貝印グループも関が発祥の地であり、関市内に工場がある。

 関~刃物会館前の間にある本町通り商店街は、歩道の部分がアーケードになっているが、残念ながら近年はシャッターが目立ち、活気が感じられない。刃物や農産品など関の名産で活性化できればよいのだが。

 長良川鉄道・越美南線は、関からは岐阜市へ向かわず、美濃加茂市方面へと向かい、美濃太田駅でJR高山本線と連絡しており、岐阜へ行くには大回りとなることも利用者が少ない理由の一つであるが、越美南線が建設されるより前の明治44年(1911年)に神田町(後の岐阜柳ケ瀬)~上有知(後の美濃)を結ぶ美濃電気軌道があり、関から岐阜市内にすでに電車が走っていたからであった。

 美濃電気軌道は、昭和5年(1930年)に名古屋鉄道と合併し、名岐鉄道・美濃町線となり、名岐鉄道は昭和10年(1935年)に再び名古屋鉄道(名鉄)と改称され、名鉄美濃町線として運行されてきた。昭和25年(1950年)に岐阜側の始発駅が岐阜柳ケ瀬から徹明町(てつめいちょう)に変更され、昭和45年(1970年)に名鉄田神線(競輪場前~田神)が開業し、美濃町線が田神線・各務原線経由で新岐阜(現・名鉄岐阜)駅まで直接乗り入れが実現し、利便性が向上した。

 名鉄美濃町線は、関市内に白金(しろかね)、小屋名(おやな)、赤土坂(あかつちさか)、新田(しんでん)、新関(しんぜき)、下有知(しもうち)、神光寺(じんこうじ)の各駅があった。新関~下有知は併用軌道(路面電車)の区間もあり、関市の中心駅は新関駅だった。新関駅は明治44年(1911年)に関(せき)駅として開業。大正に入ってから美濃関(みのぜき)駅となり、国鉄越美南線の関駅が開業すると、それと区別するために新関(しんぜき)駅と改称された。平成2年(1990年)に新関駅の読み方が「しんぜき」から濁らない「しんせき」に変更された。新関駅前には岐阜バスのバスターミナルもあり、本町通り商店街も近く国鉄越美南線の関駅よりも関市の中心部にあった。

 岐阜県の郊外では、過疎化と車社会化が急速に進み、鉄道離れが起こり、名鉄美濃町線の経営は苦しい状況に置かれていた。特に長良川鉄道・越美南線と並行する新関~美濃が平成11年(1999年)にまず廃線となり、関市内の下有知、神光寺の両駅が廃止された。同時に名鉄美濃町線と長良川鉄道との接続の便を改善するため、新関駅から長良川鉄道の関駅に乗り入れる名鉄美濃町線の連絡線が建設され、名鉄の関駅が長良川鉄道・関駅の南西側に新設された。

 しかしながら、岐阜市内の併用軌道(路面電車)区間が道路渋滞と定時運行のネックとなり、乗客減少も続いていたことから、その6年後の平成17年(2005年)に美濃町線の関~徹明町および田神線が全線廃止された。本来なら関以北の長良川鉄道から美濃町線で岐阜市内に乗り入れるのが一番便利で、名鉄が廃止するなら第3セクターの長良川鉄道が引き継いで直通運転すればよかったのにと思うが、名鉄は国鉄ではなく私鉄なので実現できなかったのだろう。岐阜市が路面電車を邪魔がり、クルマ社会を優先させた交通政策も影響している。結局、路線バスで観光客を呼ぶのは難しく、岐阜市への鉄道を失った関市がさらにさびれてしまう流れを止められないのは残念である。

 名鉄美濃町線廃止後、しばらく廃線跡がそのまま残り、地元では復活を求める声もあったようだが、廃止から5年、10年と時は流れ、もはや復活は現実味がなくなり、鉄道施設撤去も進み、新関駅跡は駅もバスターミナルも跡形もなくなり、住宅に変わりつつある。関市内の国道248号線沿いの専用軌道跡地は、国道248号線の車線拡張の用地に再利用され、道路の一部となった。線路や駅舎は撤去されたが、ところどころ路盤がそのまま残っており、名鉄美濃町線の廃線跡であることがわかる。地方中規模都市に合った交通として見直されているLRT(ライトレール)の概念に合った名鉄美濃町線が廃止されたのは残念だが、活躍していた電車のうち比較的新しい車両は、福井鉄道に譲渡され、第2の人生を送っている。

 一方で、クルマ社会化する岐阜県では、高速道路の整備が進んでおり、関市には東海北陸自動車道の関IC(インターチェンジ)、関SA(サービスエリア)、長良川SA、美濃関JCT(ジャンクション)があり、美濃関JCTで東海環状自動車道と連絡している。東海環状自動車道は西に関広見IC、東に富加関ICがある。

関エリアの主な駅

/ せき 駅
長良川鉄道 越美南線
名古屋鉄道 美濃町線(2005年廃止)

刃物会館前 / はものかいかんまえ 駅
長良川鉄道 越美南線

新関 / しんせき
名古屋鉄道 美濃町線(2005年廃止)

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長良川鉄道越美南線・関駅

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名鉄美濃町線・関駅跡

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関駅西口の関シティターミナル

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関市文化会館

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名鉄美濃町線・新関~関の廃線跡

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名鉄美濃町線・新関~関の廃線跡

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関・本町通り商店街

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関・本町通り商店街

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踏切から見た長良川鉄道の線路

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廃止された名鉄美濃町線の廃線跡(赤土坂駅付近)

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廃止された名鉄美濃町線の廃線跡(小屋名駅付近)

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福井・田原町 えちぜん鉄道に乗り入れる福井鉄道

福井・田原町
ふくい・たわらまち

日本国福井県福井市

福井・田原町 えちぜん鉄道に乗り入れる福井鉄道

 田原町(たわらまち)は、福井(ふくい)市にある地区で、福井鉄道・福武線と、えちぜん鉄道・三国芦原線の田原町駅がある。

 えちぜん鉄道・三国芦原線の田原町駅は、もともと三国芦原電鉄として昭和12年(1937年)に開業した。三国芦原電鉄は、昭和17年(1942年)に京福電気鉄道に合併された。京福電鉄は、夜の街の電気需要が多い京都(きょうと)と、昼の織物工場の電気需要が多い福井の間の電気を融通し合っていた京都電燈の「京福送電線」を由来とし、京都と福井の両都市で電車を運行する会社であった。

 福井の京福電鉄は三国芦原線(福井~三国港)のほか、越前本線(現・勝山永平寺線)と永平寺線を運行していたが、越前本線で平成12年(2000年)と平成13年(2001年)に相次いで正面衝突事故を起こしたため全区間で2年間にわたり運転休止となり、赤字の永平寺線を廃止したうえで、平成15年(2003年)より第3セクターの「えちぜん鉄道」として再スタートした。

 福井鉄道・福武線のうち、市役所前~田原町は、第二次世界大戦の空襲と、戦後まもない昭和23年(1948年)の福井地震の2度にわたって街が壊滅しながらも復興した「不死鳥」(フェニックス)の意味を込めて名付けられた「フェニックス通り」を走る路面電車として昭和25年(1950年)に開業した。福武線は、田原町駅からフェニックス通りを南下し、市役所前駅から一度、福井駅に立ち寄ってからもう一度、市役所前駅に戻り、再び南下して、赤十字前駅から専用軌道になって、越前市の越前武生(えちぜん たけふ)駅を結んでいる。

 田原町から福井駅へは、えちぜん鉄道は、まつもと町屋(まつもとまちや)、福井口(ふくいぐち)など東に大回りして向かっているのに対し、福井鉄道は、フェニックス通りをまっすぐ南下し、西回りで福井駅に達する。また、福井駅以南も福井鉄道は乗り換えなしでそのまま行くことができる。福井市では、この福井鉄道の利便性を生かすため、えちぜん鉄道と福井鉄道の直通運転を計画し、えちぜん鉄道の既存のホームに、路面電車規格の福井鉄道用の低床ホームを増設し、直通運転に対応した。これにより、平成28年(2016年)3月より、福井鉄道がえちぜん鉄道三国芦原線の福井市北端の鷲塚針原(わしづかはりばら)駅まで直通運転が実現した。

 田原町駅は北側の1面1線が、えちぜん鉄道、南側の2面2線が福井鉄道のホームとなっている。えちぜん鉄道はフェニックス通りを踏切で渡り、福井鉄道は90度曲がってフェニックス通りの路面を走る。駅前にはそう目立った施設はないが、駅周辺には「福井市体育館」、「福井市立図書館」、「福井県立美術館」などがある。

福井・田原町エリアの主な駅

田原町 / たわらまち 駅
えちぜん鉄道 三国芦原線
福井鉄道 福武線

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福井鉄道福武線・田原町駅

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福井鉄道とえちぜん鉄道が乗り入れる田原町駅

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フェニックス通りを走る福井鉄道福武線

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田原町駅に到着するえちぜん鉄道の電車

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島根・出雲 山陰地方第3の都市、出雲大社を結ぶ一畑電車

出雲
いずも

日本国島根県出雲市

島根・出雲 山陰地方第3の都市、出雲大社を結ぶ一畑電車

 出雲(いずも)市は、島根(しまね)県にある人口約17万人の市。東が松江(まつえ)市、南が雲南(うんなん)市と飯石(いいし)郡の飯南(いいなん)町、西が大田(おおた)市と接している。

 島根県は、出雲国(いずものくに)と石見国(いわみのくに)、そして離島の隠岐国(おきのくに)から成るが、出雲市は出雲国の西側にあり、西隣の大田市は石見国となる。

 出雲市は、島根県の県庁所在地である松江市と、鳥取(とっとり)県の県庁所在地である鳥取市に次ぐ山陰地方第3の都市であり、出雲市から松江市、安来(やすぎ)市、鳥取県米子(よなご)市にかけての雲伯(うんぱく)地方の都市圏を構成している。

 出雲市は平成17年(2005年)に旧・出雲市と平田(ひらた)市、簸川(ひかわ)郡の大社(たいしゃ)町、湖陵(こりょう)町、多伎(たき)町、佐田(さだ)町が合併し、さらに平成23年(2011年)に簸川郡斐川(ひかわ)町を編入合併し、現在の市域となった。斐川町は住民投票で一度、出雲市の合併に加わらなかったが、その後、再び町を二分する議論となり、再度住民投票が行われ、出雲市への編入合併が決まった。

 出雲市にはJR西日本・山陰本線、一畑電車の北松江線と大社線が通る。山陰本線は、荘原(しょうばら)、直江(なおえ)、出雲市、西出雲(にしいずも)、出雲神西(いずも じんざい)、江南(こうなん)、小田(おだ)、田儀(たぎ)の各駅がある。このうち、荘原駅と直江駅が旧・斐川町、江南駅が旧・湖陵町、小田駅と田儀駅が旧・多伎町にある。山陰本線は車両基地のある西出雲駅から鳥取県の伯耆大山(ほうきだいせん)駅まで電化されており、伯耆大山駅から伯備線経由で岡山(おかやま)を結ぶ陰陽連絡特急の「やくも」が出雲市~松江~米子~岡山に運行されており、雲伯地方の出雲市~松江~米子は電車の運転本数も多い。

 宍道湖(しんじこ)の南を走るJR山陰本線に対し、一畑電車・北松江線は松江市から宍道湖の北を通ってJR出雲市駅と隣接する電鉄出雲市(でんてつ いずもし)駅を結ぶ路線で、出雲市内に電鉄出雲市、出雲科学館パークタウン前(いずもかがくかん パークタウンまえ)、大津町(おおつまち)、武志(たけし)、川跡(かわと)、大寺(おおてら)、美談(みだみ)、旅伏(たぶし)、雲州平田(うんしゅう ひらた)、布崎(ぬのざき)、湖遊館新駅(こゆうかんしんえき)、園(その)、一畑口(いちばたぐち)、伊野灘(いのなだ)の各駅がある。そのうち、美談~伊野灘が旧・平田市に属する。一畑電車は、もともと一畑薬師寺への参拝客輸送のために建設され、一畑薬師寺の最寄り駅として一畑駅まで路線があった名残で、一畑口駅でスイッチバックする構造となっている。北松江線を走る特急スーパーライナーは、出雲市内は電鉄出雲市、大津町、川跡、雲州平田、布崎、一畑口に停車する。

 一畑電車大社線は、北松江線の川跡駅から出雲大社前(いずもたいしゃまえ)駅を結ぶ路線で、川跡、高浜(たかはま)、遥堪(ようかん)、浜山公園北口(はまやまこうえん きたぐち)、出雲大社前の各駅がある。このうち、遥堪、浜山公園北口、出雲大社前の各駅が旧・大社町にある。

 このほか、かつてはJR出雲市駅から大社町の大社駅までJR大社線が走っていたが、平成2年(1990年)に廃止された。途中、出雲市内に出雲高松(いずも たかまつ)駅と荒茅(あらかや)駅があった。JR大社線と一畑電車大社線は出雲大社の参拝客輸送で競合していたが、JR大社線は距離が短く、山陰本線に直通できることなどが強みであった。一方、一畑電車大社線は出雲市駅からだと川跡駅まで大回りしなければならず、乗り換えの手間のかかる。しかし、JR大社駅は出雲大社から約1.5キロ離れており、一畑電車の出雲大社前駅のほうが出雲大社に近く便利であることから、JR大社線は廃線になったが、旧・大社駅の立派な木造駅舎とホームが美しい姿のままきちんと保存されている。

 JR山陰本線の出雲市駅は、今市(いまいち)地区に開設されたことから、明治43年(1910年)に出雲今市(いずも いまいち)駅として開業した。出雲今市駅は昭和32年(1957年)に出雲市駅に改称され、出雲市の中心駅であることがより明確になった。出雲市駅の駅舎は出雲大社を意識した社殿造りのデザインが美しい。

 出雲市駅は、大社線が廃止された後に高架化工事が行われ、平成10年(1998年)に2面4線のホームで高架化された。出雲市~岡山を結ぶ特急「やくも」の始発駅となっているほか、寝台特急「サンライズ出雲」が出雲市~岡山~東京を結んでいる。かつてはブルートレインの寝台特急「出雲」が、浜田~出雲市~京都~東京を結んでいたが、電車化された「サンライズ出雲」は特急「やくも」と同じ伯備線を経由するようになり、出雲市駅止まりとなり、非電化の出雲市~浜田は運転廃止となった。しかしながら、日本全国で寝台特急の廃止が続く中、新型電車による寝台特急の存続は、山陰・出雲の旅の魅力を高めている。このほか山陰本線の鳥取~米子~出雲~益田(ますだ)を結ぶ特急「スーパーまつかぜ」とさらに山口線を経由して新山口(しんやまぐち)まで結ぶ特急「スーパーおき」が運行されている。

 JR出雲市駅に隣接している一畑電車の電鉄出雲市駅は、出雲今市駅として大正3年(1914年)に開業。国鉄と同様に昭和32年(1957年)に出雲市駅となり、昭和39年(1964年)にターミナルビルに移転して電鉄出雲市駅となった。JR出雲市駅の高架化に続き、平成12年(2000年)に一畑電車の電鉄出雲市駅も高架化された。

 一畑電車の川跡駅は、北松江線と大社線が接続しており、特急「スーパーライナー」や急行「出雲大社号」も停車する。出雲大社前方面の電車への乗り換えも便利である。

 出雲市にはこのほか、市街地より南側に山陰自動車道が通り、出雲IC(インターチェンジ)と斐川ICがある。旧・斐川町には宍道湖に突き出るように出雲空港(出雲縁結び空港)がある。出雲空港からは出雲市駅、出雲大社、松江駅などの方面への一畑交通のバスが運行されている。出雲空港への最寄り駅は山陰本線の荘原駅であるが、約3キロほど離れており、空港アクセスの駅としては便利ではない。タクシーを利用するなら東隣の宍道(しんじ)駅を利用するほうが便利だろう。

出雲エリアの主な駅

出雲市 / いずもし 駅
JR西日本 山陰本線
電鉄出雲市 / でんてついずもし 駅
一畑電車 北松江線

川跡 / かわと 駅
一畑電車 北松江線、大社線

出雲大社前 / いずもたいしゃまえ 駅
一畑電車 大社線

雲州平田 / うんしゅうひらた 駅
一畑電車 北松江線

一畑口 / いちばたぐち 駅
一畑電車 北松江線

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JR山陰本線・出雲市駅、特急「やくも」

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JR山陰本線・出雲市駅

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出雲大社をイメージした出雲市駅の駅舎

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一畑電車・電鉄出雲市駅

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一畑電車・電鉄出雲市駅

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電鉄出雲市駅で出発を待つ一畑電車の新型電車

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旧南海ズームカーが走っていた一畑電車・川跡駅

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旧京王の車両が並ぶ一畑電車・川跡駅

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廃止後も保存されているJR大社線・大社駅

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廃止後も保存されているJR大社線・大社駅

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出雲大社

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旧平田市の中心駅、一畑電車・雲州平田駅

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一畑電車から見た宍道湖

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スイッチバックする一畑電車・一畑口駅


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福岡 北九州・若松 石炭積出港の栄枯盛衰と若戸大橋

北九州・若松
きたきゅうしゅう・わかまつ

日本国福岡県北九州市若松区

福岡 北九州・若松 石炭積出港の栄枯盛衰と若戸大橋

 若松(わかまつ)区は、福岡(ふくおか)県の北九州(きたきゅうしゅう)市にある人口約8万人の区。若松半島にある港町で、西が遠賀(おんが)郡の芦屋(あしや)町、南西が北九州市八幡西(やはたにし)区と接しているほか、洞海湾(どうかいわん)を挟んで、北九州市の戸畑(とばた)区、八幡東(やはたひがし)区と接している。

 北九州市は、豊前国(ぶぜんのくに)に属する小倉(こくら)や門司(もじ)と、筑前国(ちくぜんのくに)に属する戸畑(とばた)、八幡(やはた)などが合体した市であるが、若松半島は筑前側の遠賀郡に属していた。現在の北九州市若松区となったのは、若松市、八幡市、戸畑市、小倉市、門司市が合併して北九州市が発足した昭和38年(1963年)のことである。

 若松は明治24年(1891年)に筑豊興業鉄道が直方(のおがた)~若松に開業し、若松は石炭積出港として急速に発展した。筑豊興業鉄道は、筑豊鉄道への社名変更を経て、明治30年(1897年)に門司から熊本(くまもと)、佐賀(さが)方面への鉄道を運行していた九州鉄道に買収され、明治40年(1907年)に国有化され、国鉄筑豊本線となった。

 遠賀郡若松町は大正3年(1914年)に若松市に昇格した。旅客の北九州の玄関口は門司であったが、筑豊炭田で採掘された石炭を運び出す港は若松港が最大で、筑豊本線はまさに石炭を運ぶ大動脈であった。石炭を積んだ蒸気機関車が頻繁に走るかつての若松駅には、広い構内に機関区や石炭貨車ヤードと桟橋、大きなガントリークレーン、貯炭場、石炭積み出し施設などがあり、石炭によりいち早く工業化した北九州の象徴的な町であった。

 しかしながら戦後、エネルギー革命により、主力のエネルギー源が石炭から石油へ変わっていくにつれ、筑豊炭田の出炭量も減少し、若松港の石炭積出量も減っていった。筑豊炭田の閉山が相次ぎ、昭和45年(1970年)にガントリークレーンの使用が終了し、昭和57年(1982年)には貨物輸送が廃止され、立派だった旧駅舎も昭和59年(1984年)に取り壊され、駅施設が縮小され、現在は1面2線のホームを残すのみとなっている。

 若松駅の海側にあった若松機関区や石炭貨車ヤード、石炭桟橋があったスペースは、「久岐の浜」(くきのはま)団地として住宅に再開発されている。駅前の広場には、かつて筑豊本線で活躍した9600形蒸気機関車が展示されているが、野ざらしのため傷みが激しい。駅前には若松市民会館があり、北九州市立若松図書館やスーパー「サンリブ」若松店が入る「ベイサイドプラザ」などの施設がある。

 市街地には「ウエル本町」や「エスト本町」、「明治町銀天街」などのアーケード商店街があるが、閑散としたシャッター街となっており、かつて石炭積出港として好景気に沸いた若松の栄枯盛衰を感じずにはいられない。商店街をアートギャラリー化して活性化に取り組んでいるようだが、この通りに人が戻ることを願いたい。

 一方、若松港の海沿いの道路は歩道も整備されていて散歩が気持ち良い。このあたりは「若松バンド」とも呼ばれ、弁財天や、和洋折衷の「石炭会館」ビル、赤レンガが美しい「旧古河鉱業若松ビル」など、若松の華やかだった歴史の一面も感じることができる。

 洞海湾の両岸である若松と戸畑を結ぶ、赤い大きな吊り橋「若戸大橋」は、昭和33年(1958年)に着工され、昭和37年(1962年)に開通した。橋の全長は627mで、これにより港町だった若松が、直接対岸の戸畑とつながり、北九州市としての一体性が強化された。開通当初は歩道があり、歩行者も通行できたが、後に渋滞対策で車線が増やされ、歩道は廃止された。一方、若戸大橋の下には若戸渡船の渡場があり、渡し船で対岸の戸畑へ行くことができる。

 若松と戸畑を結ぶ道路は「若戸大橋」のみであったが、通行量の増大により朝夕の渋滞が慢性化したことから、新しい道路が計画され、若戸大橋の北側に、新若戸道路が建設され、776mの「若戸トンネル」が平成24年(2012年)に開通した。

 若戸大橋の高架橋のすぐ下には、若松恵比須神社がある。若松恵比須神社は約1800年前に仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后が筑紫国を訪れた際に、神宮皇后の御船が洞海湾を進み、そのときにお伴していた忠臣・武内宿禰(たけうち の すくね)が海底を調べさせたところ、光り輝く美しい玉石を発見し、その玉石を祀ったのが同神社の始まりとされる。そして武内宿禰が「海原の 溟たる松の 青々たる わが心も若し」と詠んだことが「若松」の地名の由来と伝えられている。

 若松~折尾(おりお)~直方~桂川(けいせん)~原田(はるだ)を結ぶ筑豊本線は、かつては筑豊炭田から若松港へ石炭を運ぶ大幹線であったが、現在は、JR鹿児島本線と連絡する折尾駅を境に運転系統が分離され、折尾~直方~桂川~博多を結ぶ筑豊本線・篠栗線ルートが「福北(ふくほく)ゆたか線」となり、若松~折尾が「若松線」、桂川~原田が「原田線」としてローカル線化している。なので、若松~折尾は複線でありながら非電化でのんびりとディーゼルカーが走り、「本線」はもはや過去のことで、完全に「支線」化している。

 若松区内には、JR九州・筑豊本線の若松、藤ノ木(ふじのき)、奥洞海(おくどうかい)、二島(ふたじま)の各駅がある。藤ノ木駅の南側にはかつて貯炭場や藤ノ木桟橋があったが、1970年代にその役割を終え、空き地が広がっている。洞海湾は古くは洞海(くきのうみ)と呼ばれ、貯炭場跡は「くきのうみ中央」地区として再開発が進められようとしている。奥洞海駅は、若松競艇場(ボートレース若松)の最寄り駅で、そのほか海沿いに日本ヒューム九州工場や東海カーボン九州若松工場が広がっている。二島駅は、駅の南に二島工業団地が広がり、東京製鐵九州工場や金属加工系の工場などがあり、若松~折尾の中では比較的利用者が多い。二島駅の北西には「イオン若松ショッピングセンター」があり、その北には住宅街が広がっている。

北九州・若松エリアの主な駅

若松 / わかまつ 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

藤ノ木 / ふじのき 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

二島 / ふたじま 駅
JR九州 筑豊本線(若松線)

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JR筑豊本線(若松線)若松駅

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JR筑豊本線(若松線)若松駅

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終着駅の雰囲気がある若松駅

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若松駅と駐車場になった旧駅構内

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若松駅にある石炭貨車

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JR若松駅駅舎

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静態保存されているが傷みが激しい9600形蒸気機関車

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若松ベイサイドプラザ

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若松バンドから見た若戸大橋

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和洋折衷の石炭会館ビル

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赤レンガが美しい旧古河鉱業若松ビル

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若戸大橋と渡し船

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若戸大橋の高架橋のすぐ下にある若松恵比須神社

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若松恵比須神社

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若松・善念寺

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エスト本町商店街

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ウエル本町商店街

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藤ノ木貯炭場跡に再開発されるくきのうみ中央地区
洞海湾を挟んで見える八幡製鉄所

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JR筑豊本線(若松線)二島駅

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台湾 花蓮・秀林(太魯閣) タロコ峡谷と清水断崖

秀林・太魯閣
Bsuring・TrukuTaroko
ブスリン・トゥルク/Bsuring Truku (タロコ語)
シュウリム・タロコ/Siù-lîm・Taroko (台湾語/ホーロー語)
ショウリン・タイルウゴー/ㄒㄧㄡˋ ㄌㄧㄣˊ・ㄊㄞˋ ㄌㄨˇ ㄍㄜˊ (台湾華語/北京語)

臺灣花蓮縣秀林鄉
台湾花蓮県秀林郷

台湾 花蓮・秀林(太魯閣) タロコ峡谷と清水断崖

 秀林(タ:ブスリン/台:シュウリム/華:ショウリン)郷は、台湾東部の花蓮(台:ホアレン/華:ホアリエン)県北部にある人口約1.6万人の村で、南東に新城(シンシヤ/シンツェン)郷、花蓮市、吉安(ケラン/チーアン)郷、寿豊(壽豐/シウホン/ソウフォン)郷、南が万栄(萬榮/バンイン/マリバシ)郷、西が南投県の仁愛(ジンアイ/ゼンアイ)郷、台中市和平(ホーピン)区、北が宜蘭県南澳(ラムオー/ナンアオ)郷と接している。

 秀林郷は、台湾原住民族のタロコ族が多く住み、台湾東部最大の観光地であるタロコ(太魯閣)国立公園があることから、その知名度を高めるため、「太魯閣郷」への改名を求める動きもある。

 秀林の地名の由来は、タロコ族のブスリン(Bsuring)村であり、ブスリンに台湾語で「武士林」(ブスリム)と漢字が当てられた。戦後、中華民国政府によって当初、「士林」(スーリン)郷となるところだったが、台北の士林と同じであることから「秀林」(ショウリン)に改名された。

 タロコ族は主に花蓮県の山間部の秀林郷、万栄郷、卓渓郷に住み、以前はタイヤル(泰雅)族に含まれていたが、2004年にタロコ(太魯閣)族として政府認定された。「タロコ」は、民族の自称が「Truku」(トゥルク)であり、これが訛って「タロコ」(Taroko/太魯閣)と呼ばれるようになった。

 タロコ族は、もともと険しい山間部に住んでいたが、日本統治時代に麓へ移住させられた。現在の秀林(ブスリン)集落は、秀林郷と新城郷の境に近い、台鉄北廻線(東部幹線)の新城(太魯閣)駅の南西約3キロのところにある。

 タロコ峡谷は、新城(太魯閣)駅から北西約4キロのところに入口の中華風の門がある。ここから立霧(タッキリ)渓沿いに大理石の断崖絶壁の絶景が続く。タロコ峡谷沿いの道は、花蓮~台中を結ぶ中部東西横貫公路の一部となっているが、あまりにもの険しさに、横断する車両はそんなに多くはない。近年は、新しいトンネルが開通し、がけ崩れの恐れのある区間をトンネルで安全に通行できるようになった。一方、タロコ観光は、旧道の素掘りのトンネルをぜひ見てみたい。

 中部東西横貫公路の建設には、中国の国共内戦後、中国国民党軍とともに台湾に渡ってきた退役軍人らが建設に参加した。旧道にある中華風の「長春祠」(ツァンツゥンツー)は、この建設工事の殉職者らを祀っている。

 途中、立霧渓の南側の台地にあるブロワン(布洛灣/Brugan)集落は、タロコ語で「こだま」を意味し、約250年前にタロコ族の人々がここに住み始めた歴史があり、その文化や歴史が展示されている。

 「燕子口」(イエンツコウ)や「九曲洞」(チョウチュィートン)は、タロコ峡谷のハイライトで、素掘りのゴツゴツしたトンネルと、大理石の断崖絶壁の荒々しい絶景が続く。

 そして、その先に「天祥」(ティエンシャン)という地区があり、ここには吊り橋と天峰塔がある「祥得寺」(シャンドースー)などの観光スポットがあり、多くの観光客はここで折り返す。「天祥」は、もともとタロコ族の「Tpedu」(トゥペドゥ)という集落があり、日本時代は「タピト」と呼ばれていた。山間部に住むタロコ族の人々は、農業と狩猟で生活していたが、日本統治が始まると伝統的な生活に日本人が干渉するようになり、いくつもの衝突事件が発生し、佐久間左馬太(さくま さまた)台湾総督の時代の1914年(大正3年)に軍を動員してタロコ族の人々を帰順させ、平地に移住させ、日本式の教育を受けさせた。日本時代には、タピトに佐久間総督の功績を記念した佐久間神社が設けられた。

 「タピト」は、台湾語では「塔比多」や「得比督」といった漢字が当てられていたが、戦後になると華語で「大北投」(ターペイトウ)という漢字が当てられたりもしたが、後に佐久間神社が撤去されて、中国人の歴史人物である文天祥(ウェン ティエンシャン)を記念する文天祥公園が整備され、地名も「天祥」(ティエンシャン)に改められた。文天祥は元(モンゴル)に反抗した漢民族の英雄であり、台湾とはまったく関係がない。

 天祥からさらに上ったところの川べりに「文山温泉」がある。ここは佐久間総督時代のタロコの戦いで、日本軍の深水少佐が発見したことから「深水温泉」と命名された。戦後は、タピトの華語訳と台北の北投が温泉地であることから「大北投温泉」と改名されたが、タピトに文天祥記念公園が整備されたことから、「文」をとって「文山温泉」に再改名された。

 そこから山を延々と上っていくと標高3000mを超える合歓山(合歡山/ハプホワンソワ/ホーホワンサン)があり、花蓮県と南投県の県境となっている。合歓山は、台湾では珍しい雪見スポットとして有名で、冬の寒い日には雪見客の車で混雑することもある。

 秀林郷の海側を走る台鉄北廻線(東部幹線)は、景美(キンビー/チンメイ)、崇徳(チョンティッ/ツォンドー)、和仁(ホージン/ホーゼン)、和平(ホーピン/ホーピン)の各駅がある。景美と崇徳の間には新城(太魯閣)駅があるが、同駅は隣の新城郷内にある。

 景美駅の近くにある景美村は、もともとタロコ語でカウワン(Qowgan/加灣)と呼ばれるタロコ族の集落がある。その北に秀林郷公所(村役場)があるブスリン(Bsuring/秀林)の集落を通り、新城(トゥルワン)の市街地を抜けると、立霧渓をコンクリート橋で越えると崇徳駅。崇徳はタロコ族のタッキリ(Takkiri)集落があるところで、古くは台湾語で「達吉力」(タッケリッ)、日本時代には日本語読みの「立霧」(たっきり)という漢字が当てられた。

 その北は海岸段丘の断崖地形が続く清水断崖があり、花蓮から宜蘭県の蘇澳(ソーオー)を結ぶ道路の「蘇花公路」(台9線)の最大の難所となる。鉄道は崇徳トンネル、清水トンネル、和仁トンネルを抜け、和仁駅に着く。和仁駅の山側には幸福水泥(セメント)の和仁工場や石灰石の採石場などがあり、旅客数は少ないが、貨物の取扱いが非常に多い駅である。

 和仁駅から和平トンネルを抜け、しばし太平洋沿いを走ると、和平港と和平水泥(セメント)工業区がある和平駅に着く。和平駅は速達タイプの特急のプユマ(普悠瑪)号やタロコ(太魯閣)号は通過するが、一部の特急自強号や急行莒光号は停車する。和平はもともとタロコ語でクニブ(Knibu/克尼布)と呼ばれるタロコ族の集落があり、花蓮県最北の町で、和平渓が宜蘭県との県境となっている。その先の宜蘭県南澳郷側は「漢本」(ハンプン)と呼ばれるが、ここはもともと日本語の「半分」が由来であり、花蓮~蘇澳の中間地点に当たり、もう一山越えなければならず、道のりは遠い。

 秀林郷の面積は非常に広く、このほか吉安郷の西にはタロコ族のトモン(Tomong/銅門)集落があり、ここはかつて銅が採掘され、木瓜(ボッコエ)渓沿いに水力発電所がある。

秀林・太魯閣エリアの主な駅

和平 / ホーピン(ホーピン/クニブ) 駅
台鉄 北廻線(東部幹線)

和仁 / ホージン(ホーゼン) 駅
台鉄 北廻線(東部幹線)

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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断崖絶壁迫るタロコ峡谷

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タロコ峡谷の大理石の断層

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タロコ峡谷の長春祠

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ブロワン(布洛湾)

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タピト(天祥)

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台鉄から見た立霧(タッキリ)渓の河口部

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崇徳~和仁の車窓から見た清水断崖

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和仁駅を通過する特急プユマ号

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貨物取扱量が多い和仁駅

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和平港と工業区のある和平(クニブ)

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台鉄・和平駅

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東京 西東京・田無 田無と保谷が合併した西東京市と時計のシチズン

西東京・田無
にしとうきょう・たなし

日本国東京都西東京市

東京 西東京・田無 田無と保谷が合併した西東京市と時計のシチズン

 西東京(にしとうきょう)市は、東京(とうきょう)都の中部にある人口約20万人の市。東が練馬(ねりま)区、南が武蔵野(むさしの)市、西が小平(こだいら)市と東久留米(ひがしくるめ)市、北が埼玉(さいたま)県の新座(にいざ)市と接している。

 西東京市は、平成13年(2001年)に田無(たなし)市と保谷(ほうや)市が合併して発足した。合併前の旧・田無市は西武鉄道・新宿線の田無駅を中心とする人口約8万人の市だった。一方、保谷市は田無市の東に隣接し、北と南を包み込む形をしていた。保谷市には西武鉄道・池袋線の保谷駅とひばりヶ丘(ひばりがおか)駅があったほか、西武新宿線の西武柳沢(せいぶ やなぎさわ)駅と東伏見(ひがしふしみ)駅も保谷市に属していた。

 田無市の面積が小さく、生活圏が保谷市とも重なっていたことから、両市の合併が進められたが、その際に一番の課題が新市名をどうするかであり、公募によって、「西東京市」「けやき野市」「北多摩市」「ひばり市」「みどり野市」の5つが候補に絞られた。結局、住民の民意調査により、「西東京市」が最も多く得票し、「西東京市」に決定された。安易な地名という印象はぬぐえないが、民意に基づくプロセスを経ているので、これも民主主義による結果といえるだろう。

 新しく発足した西東京市は、旧・田無市と旧・保谷市のバランスをとりながら施政されており、旧・田無市役所は西東京市役所田無庁舎、旧・保谷市役所は西東京市役所保谷庁舎となっているが、市長室は田無庁舎にあるため、旧・田無市役所が西東京市役所の本庁舎といえ、地図上もそのように表記されている。

 西東京市役所(田無庁舎)は、田無駅の約200m南にあり、西武新宿線の田無駅が西東京市の中心駅として機能している。田無駅は市名が西東京市になっても駅名が改名されることなく、そのまま「田無」の地名を残している。

 「田無」の由来は、字の通り「田んぼが無い」説から、年貢が重すぎて種までとられた「種なし」説、「棚瀬」説などさまざまな説があるがどれも決め手がないようだ。

 田無は、青梅街道と所沢街道が分岐する交通の拠点であり、江戸時代から青梅街道の宿場町「田無宿」として発展してきた。明治時代に入ると、各地で鉄道の建設が始まるが、田無は当初、鉄道の誘致に熱心ではなかったため、中央本線のルートからも外れて、かつての「青梅街道」のような交通メインルートではなくなってしまった。その後、川越鉄道を前身とする初代・西武鉄道によって東村山(ひがしむらやま)~田無~高田馬場(たかだのばば)が昭和2年(1927年)に開業し、田無駅が開設された。

 西武新宿線・田無駅は、2面3線のホームで、特急「小江戸」は通過するが、準急、急行、通勤急行などが停車する主要駅であり、新宿方面からの普通電車の一部が田無で折り返す。駅南口は駅前に小さな商店街があるほか、駅から約200mのところに西東京市役所がある。駅北口は再開発され、バスのロータリーと、「LIVIN」田無店やアスタ市民ホールが入るアスタビルがある。

 田無駅北口の北東には、田無神社と総持寺がある。この周辺は青梅街道の宿場町があったが、戦争の空襲により焼失したため、宿場町の雰囲気は残念ながら感じられない。駅の近くの青梅街道沿いには「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」などのアニメを制作している「シンエイ動画」がある。

 田無駅から北へ行くと東京大学農学部の農場が広がっている。そのさらに北にある「西東京いこいの森公園」は、かつて東京大学原子核研究所(核研)があった。核研は千葉県柏市の「柏の葉」に移転したので、跡地が公園になった。

 田無駅の西には、「シチズン時計」の本社がある。ここは、大正7年(1918年)に尚工舎時計研究所として創業し、大正13年(1924年)に「シチズン」ブランドの懐中時計を発売し、昭和5年(1930年)に社名も「シチズン時計」となった。田無工場は昭和11年(1936年)に開設された。シチズンは、セイコーに次ぐ日本第2の時計メーカーとして成長し、西東京市を代表する企業の一つとなっている。

 新青梅街道を西に進んでいくと、「多摩六都科学館」と「スカイタワー西東京」がある。「多摩六都科学館」は、小平・東村山・田無・保谷・清瀬・東久留米の6市による(田無と保谷の合併で現在は5市)による科学館であり、27.5mのドームの世界最大級プラネタリウムがある。「スカイタワー西東京」は、通称「田無タワー」と呼ばれる平成元年(1989年)に完成した高さ195mの電波塔で、放送・通信・無線などの電波を発信している。観光用ではないので一般公開の展望台はないが、田無の象徴的な建築物として存在感がある。

 西武新宿線・田無駅のバスターミナルからは、西武多摩川線とJR中央本線の武蔵境(むさしさかい)駅や、西武池袋線のひばりヶ丘駅を結ぶバスが頻繁に運行されている。

 ひばりが丘団地は、旧・田無市、旧・保谷市、東久留米市にまたがる旧・中島航空金属田無製造所の跡地に昭和34年(1959年)から造成された住宅地で、公団住宅が並ぶマンモス団地が開発された。ちょうど西武池袋線のひばりヶ丘駅と西武新宿線の田無駅の間にあるため、バスが両駅を結んでいる。開発から50年以上が建ち、建物の老朽化が進んだことから、「ひばりが丘パークヒルズ」のマンション群へと建て替えが進められている。

 西武池袋線のひばりヶ丘駅は、旧・保谷市側にあるが、開業は田無駅より早く、大正13年(1924年)に田無への最寄り駅として武蔵野鉄道の田無町(たなしまち)駅として開設され、ひばりが丘団地が造成された昭和34年(1959年)にひばりヶ丘駅に改名された。両駅間の結びつきが強いことは、田無市と保谷市が合併して西東京市となった合理性を感じるが、一方で田無駅から西武池袋線の保谷駅を結ぶバスは比較的少ない。

西東京・田無エリアの主な駅

田無 / たなし 駅
西武鉄道 新宿線

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西武新宿線・田無駅

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西武新宿線・田無駅

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西武新宿線・田無駅

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田無駅南口

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西東京市役所

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西武新宿線・田無駅北口

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西武新宿線・田無駅北口

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テーマ : 東京・多摩地域
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群馬・草津 白根山と日本三名泉の草津温泉

草津
くさつ

日本国群馬県吾妻郡草津町

群馬・草津 白根山と日本三名泉の草津温泉

 草津(くさつ)町は、群馬(ぐんま)県北西部の吾妻(あがつま)郡にある人口約0.6万人の町。西が吾妻郡の嬬恋(つまごい)村、南が長野原(ながのはら)町、東と北が中之条(なかのじょう)町と接している。

 草津町は、標高1000mを超える高原にあり、亜寒帯の気候に属し、夏は涼しく、冬はかなり冷え込む。この気候を利用したリゾート施設が充実しており、夏期は草津高原ゴルフ場でゴルフ、冬期は草津国際スキー場でスキーが楽しめる。北西の嬬恋村との境に標高2160mの草津白根山(くさつ しらねさん)があり、草津国際スキー場には山麓(さんろく)~山頂(さんちょう)を結ぶ白根火山ロープウェーがあり、山頂駅から草津国際スキー場本白根ゲレンデが広がっている。

 白根山には「湯釜」(ゆがま)と呼ばれる硫黄をはじめとする鉱物が溶け込んだ淡い青緑色をした火口湖がある。白根山から長野県側に抜けると志賀(しが)高原で、こちらもスキー場がたくさんある。

 草津町は、言わずと知れた温泉の町であり、草津温泉は有馬温泉、下呂温泉と並ぶ「日本三名泉」の一つとして知られている。「草津」(くさつ)の地名も、硫黄臭の強い温泉の「くそうづ(臭う津)」が由来とされており、古くは「草生津」などと表記され、江戸時代に「草津」の表記が定着した。

 草津町には、鉄道が通っておらず、長野原町のJR東日本・吾妻線の長野原草津口(ながのはら くさつぐち)駅からバスに乗り換えて向かうことになる。かつては、新軽井沢(しんかるいざわ)~草津温泉(くさつおんせん)を結ぶ草軽電気鉄道があり、大正15年(1926年)に全線開業した登山鉄道であったが、国鉄長野原線(現・吾妻線)の開業で利用客が流れたほか、度重なる台風被害の復旧が困難になり、昭和37年(1962年)までに全線が廃線となった。

 現在、「草津温泉バスターミナル」が草津町の交通の拠点になっており、長野原草津口駅行きのバスのほか、白根火山ロープウェー山麓駅がある殺生河原(せっしょうがわら)方面、草軽電鉄のルートをカバーする草軽交通の軽井沢方面、そして東京の新宿方面などを結ぶ高速バスなどが発着している。JR東日本は東京・上野駅から特急「草津」を長野原草津口駅へ運転しており、長野原草津口でバスに乗り換えるルートが鉄道を使った草津温泉へのメインルートであるが、高速バスとの競争のためか、新宿~草津温泉の高速バスも運行しており、高速バスの場合は、運賃と乗り換えなしで草津温泉に行けるところが優位性となっている。

 草津温泉の源泉は極めて豊富であるが、温度が50~90℃と非常に熱い。このため、お湯を板で混ぜてほぐして温度を下げる「湯もみ」という文化があり、「草津よいとこ一度はおいで~チョイナチョイナ」という湯もみ唄「草津節」が生まれた。

 草津温泉の象徴的な広場となっている「湯畑」(ゆばたけ)のすぐそばに「草津節」を歌いながら湯もみする「湯もみショー」が行われ、草津の観光スポットとなっている。「湯畑」では「湯の花」が生産されている。

 「湯畑」から石段を上って行くと光泉寺がある。「湯畑」から各旅館・ホテルをつなぐ道路は商店街となっていて、お土産屋や飲食店が並び、温泉街らしい雰囲気がある。温泉街の西にある「西の河原」(さいのかわら)には、源泉があり、遊歩道が整備され、奥のほうに町営の「西の河原露天風呂」がある。

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草津バスターミナル

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草津温泉の湯畑

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草津温泉の湯畑

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湯畑と湯の花

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光泉寺

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光泉寺から見た湯畑

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草津温泉名物の「湯もみ」ショー

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夜の湯畑

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温泉街の商店街

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歴史ある草津ホテル

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白根神社

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西の河原公園

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草津穴守稲荷神社

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温泉の湯気が立ち込める西の河原公園
 

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和歌山・かつらぎ 和泉山脈と紀伊山地に挟まれた紀ノ川沿いの柿の町

かつらぎ
かつらぎ

日本国和歌山県伊都郡かつらぎ町

和歌山・かつらぎ 和泉山脈と紀伊山地に挟まれた紀ノ川沿いの柿の町

 かつらぎ町は、和歌山(わかやま)県北東部の伊都(いと)郡にある人口約1.7万人の町。町域は南北に長く伸びており、西が紀の川(きのかわ)市と海草(かいそう)郡の紀美野(きみの)町、南が有田(ありだ)郡の有田川(ありだがわ)町と奈良県吉野(よしの)郡の野迫川(のせがわ)村、東が伊都郡の高野(こうや)町、九度山(くどやま)町と橋本(はしもと)市、北が大阪府の河内長野(かわちながの)市、和泉(いずみ)市、岸和田(きしわだ)市などと接している。

 旧・かつらぎ町は、昭和33年(1958年)に伊都郡の伊都(いと)町、妙寺(みょうじ)町、三好(みよし)村が合併して発足した。平成17年(2005年)に伊都郡南部の花園(はなぞの)村を合併して現在の町域となった。

 かつらぎ町の由来は、和泉山脈の葛城(かつらぎ)山からであり、地方自治体と地名としてはかなり早い時期からの平仮名地名が採用された。北の和泉山脈、南の紀伊山地に挟まれた紀ノ川の沿いに市街地が広がっている。

 紀ノ川の北側に、JR西日本・和歌山線が東西に走っており、町内に西笠田(にしかせだ)、笠田(かせだ)、大谷(おおたに)、妙寺(みょうじ)、中飯降(なかいぶり)の各駅がある。笠田駅が旧・伊都町、妙寺駅が旧・妙寺町の中心駅であり、旧・三好村は紀ノ川の南の地区にあたる。紀伊山地の花園村と旧・かつらぎ町は道路が直接つながっておらず、隣接する紀美野町または高野町の道路を経由することになる。JR和歌山線より北側には京奈和自動車道が通り、かつらぎ西IC(インターチェンジ)と紀北かつらぎICがある。平道路(国道480号線)が北に伸び、鍋谷峠(なべたにとうげ)を越えて大阪府和泉市とつながっている。

 JR和歌山線は、笠田駅と妙寺駅の利用者が比較的多く、和歌山方面への通勤客が多いほか、大阪方面へは和歌山回りではなく、橋本駅から南海電鉄高野線に乗り換えると便利であり、大阪方面へ通勤のため橋本方面の電車を利用する人も多い。

 かつらぎ町は盆地で傾斜地が多く、果樹園が発達し、フルーツの町として知られており、名産の「串柿」で知られる柿のほか、梅、柑橘、イチゴ、桃、ブドウ、梨なども多く栽培されている。

かつらぎエリアの主な駅

笠田 / かせだ 駅
JR西日本 和歌山線

妙寺 / みょうじ 駅
JR西日本 和歌山線

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JR和歌山線・笠田駅

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JR和歌山線から見た紀ノ川

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JR和歌山線から見たかつらぎ町の風景

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かつらぎ町に広がる果樹園

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JR和歌山線・妙寺駅

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愛媛 松山・大手町 伊予鉄高浜線と市内電車のダイヤモンドクロス

松山・大手町
まつやま・おおてまち

日本国愛媛県松山市

愛媛 松山・大手町 伊予鉄高浜線と市内電車のダイヤモンドクロス

 松山(まつやま)市の大手町(おおてまち)は、松山城の西堀とJR四国・松山駅の間にある地区で、伊予鉄道(伊予鉄)の高浜線・大手町駅と市内電車(大手町線)の大手町駅前・電停がある。

 伊予鉄の大手町駅はJR松山駅の東約300mのところにあり、市内電車で1駅の距離であり、徒歩でも乗り換えが可能だ。駅周辺はビジネスホテルやマンション、オフィスビルが多く、また松山市民病院の最寄り駅でもある。

 伊予鉄・高浜線は高浜(たかはま)~大手町~松山市を結び、さらに東温(とうおん)市の横河原線・横河原(よこがわら)駅まで直通運転しており、実質的には高浜・横河原線として一体運行されている。市内電車は、環状線の環状1,2系統と、JR松山駅~道後温泉(どうごおんせん)を結ぶ5系統が運行されている。

 大手町駅では、南北に走る高浜線と東西に走る市内電車が、道路上で平面交差するダイヤモンドクロスとなっており、かつては日本の各都市で見られたが、現在、郊外電車と路面電車のダイヤモンドクロスはここにしかなく、伊予鉄の名物風景となっている。

 伊予鉄・高浜線と平面交差する市内電車はJR松山駅を経由した後、古町(こまち)駅の手前で、再び高浜線と斜めに平面交差している。地方鉄道ならではの平面交差ときめ細かい運行系統は、松山ならではであり、市内電車と郊外電車の有機的な連携が感じられる。
 
松山・大手町エリアの主な駅

大手町 / おおてまち 駅
伊予鉄道 高浜・横河原線
大手町駅前 / おおてまちえきまえ 電停
伊予鉄道 大手町線(環状1,2系統、5系統)

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伊予鉄高浜線・大手町駅

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大手町駅の市内電車とのダイヤモンドクロス

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市内電車から見た高浜線とのダイヤモンドクロス

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沖縄 石垣・名蔵 名蔵アンパルと台湾移民が開拓したパイナップル畑と水牛

石垣・名蔵
イシガチ・ノーラ (沖縄語八重山方言)
いしがき・なぐら (日本語)

日本国沖縄県石垣市

沖縄 石垣・名蔵 名蔵アンパルと台湾移民が開拓したパイナップル畑と水牛

 名蔵(ノーラ/なぐら)は、石垣(イシガチ/いしがき)市の中部にあるバンナ岳の北に広がる地区。西に広がる名蔵湾には、「名蔵アンパル(名蔵網張)」と呼ばれる干潟とマングローブ林があり、亜熱帯の石垣島らしさが感じられる。砂洲が発達しており、そこに道路が通っている。

 名蔵アンパルの北側には「石垣やいま村」がある。「石垣やいま村」は八重山(ヤイマ/やえやま)地方の伝統家屋が並び、伝統生活文化が再現展示されており、名蔵湾も一望できる。名蔵湾を走る道路沿いには、生のさとうきびを搾った石垣島らしい「さとうきびジュース」が飲めるお店もある。

 名蔵湾に注ぐ名蔵川(ノーラガー/なぐらがわ)は、於茂登岳(ウムトゥダキ/おもとだけ)の南から流れ、名蔵地区の生活用水や農業用水に利用されている。

 名蔵地区は、パイナップルの栽培が盛んであるが、石垣島をはじめとする沖縄でパイナップル栽培が本格的に始まったのは1933年(昭和8年)のことで、当時日本領だった台湾からの移住者がパイナップルと水牛を持ち込んで栽培を始めた。由布(ユブ)島で愛されている水牛車を引く水牛たちも祖先は台湾から持ち込まれたものであり、沖縄のパイナップル栽培および缶詰加工などのパイン産業も台湾の入植者が広めたものであり、今や沖縄名物として欠かせないパイナップルの基礎を築いたのは台湾からの移住者の功績が大きかった。名蔵地区には現在も日本に帰化した台湾系住民が多く暮らし、パイナップル農業を営んでいる。

 名蔵ダムには、「台湾農業者入植顕頌碑」と水牛の像が建てられ、台湾からの移住者の石垣島の農業への貢献を顕彰している。

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名蔵のパイナップル畑

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名蔵ダムの台湾農業者入植顕頌碑と水牛の像

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名蔵ダム

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台湾農業者入植顕頌碑

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水牛の像

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名蔵湾沿いを走る道路

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生さとうきびジュースを販売するお店

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