兵庫・猪名川 阪急日生ニュータウンと猪名川パークタウン

猪名川
いながわ

日本国兵庫県河辺郡猪名川町

兵庫・猪名川 阪急日生ニュータウンと猪名川パークタウン

 猪名川(いながわ)町は、兵庫(ひょうご)県南東部の川辺(かわべ)郡にある人口約3万人の町。南が川西(かわにし)市、西が宝塚(たからづか)市と三田(さんだ)市、北が篠山(ささやま)市、東が大阪府豊能(とよの)郡の能勢(のせ)町と接している。ニュータウン開発で人口が増加傾向にあるため、平成の大合併では周辺の市との合併は行われず、独立を保っている。

 猪名川町は、丹波高地の大野山(おおやさん)を源とする猪名川の上流部が流れ、自然豊かな里山が広がっている。かつては町の南西部に多田(ただ)銀銅山があり、明治以降は三菱、昭和19年(1944年)からは日本鉱業が掘削していたが、昭和48年(1973年)に閉山した。

 猪名川町は、大阪(おおさか)市中心部から30キロ以内であり、能勢電鉄と阪急電鉄・宝塚線を利用して大阪に通勤する人の住宅需要があったことから、昭和50年代に阪急日生ニュータウンが開発された。このニュータウンは日本生命保険(日生)と阪急電鉄などが開発したもので、猪名川町の南部と川西市にまたがって住宅地が造成された。

 阪急日生ニュータウンの足として建設されたのが、能勢電鉄・日生線で、山下(やました)~日生中央(にっせいちゅうおう)が昭和53年(1978年)に開業した。

 日生中央駅は阪急日生ニュータウンの玄関口として開設された駅で、ここから能勢電鉄・妙見線の山下駅まで約2.6キロ。約半数の電車が阪急宝塚線と連絡する妙見線の川西能勢口(かわにしのせぐち)駅まで直通し、その他は日生中央~山下の折り返し運転で、山下駅で能勢線の電車と接続している。平成9年(1997年)からは阪急宝塚線の梅田(うめだ)まで直通する特急「日生エクスプレス」が朝夕の通勤時間帯に運転されるようになり、大阪・梅田へのアクセスがより便利になった。

 能勢電鉄の車両は、阪急の旧車両が譲渡されて走っており、以前は能勢電独自の塗色が試みられた時期もあったが、近年は阪急電車そのままのカラーで走っている。阪急で引退した旧型車両が能勢電では現役で走っていたりしたが、時代の流れで能勢電の車両も最近の阪急電車とあまり変わらなくなっている。

 日生中央駅の駅前には複合商業施設「日生中央サピエ」があり、スーパー「阪急オアシス」日生中央店が入っている。駅前にはバスターミナルがあり、駅の南西側に松尾台の住宅街が広がっている。また、駅の北西の川西市側には美山台の住宅地が広がっている。

 日生中央駅から西に約3キロのところには三菱地所が開発した猪名川パークタウンがある。本来ならここまで能勢電日生線を延伸すれば便利なのだが、阪急バスで日生中央駅か、川西能勢口駅まで行くことになる。猪名川パークタウンは、自然豊かで緑あふれる高級住宅が並ぶニュータウンであるとともに、大規模な商業施設「イオンモール猪名川」がある。

猪名川エリアの主な駅

日生中央 / にっせいちゅうおう 駅
能勢電鉄 日生線

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能勢電・日生中央駅

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能勢電・日生中央駅(リバイバル塗装)

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懐かしの能勢電1000系

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懐かしの能勢電610系

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懐かしの能勢電610系

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懐かしの能勢電610系の車内

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日生中央駅

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阪急日生ニュータウン

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阪急日生ニュータウン


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島根・安来 どじょうすくい安来節とヤスキハガネ

安来
やすぎ

日本国島根県安来市

島根・安来 どじょうすくい安来節とヤスキハガネ

 安来(やすぎ)市は、島根(しまね)県最東端にある人口約4万人の市。西が松江(まつえ)市、雲南(うんなん)市、南が仁多(にた)郡の奥出雲(おくいずも)町、鳥取県日南(にちなん)町、東が鳥取県南部(なんぶ)町、米子(よなご)市と接しており、北は汽水湖の中海(なかうみ)が広がっている。

 平成の大合併では、能義(のぎ)郡の広瀬(ひろせ)町、伯太(はくた)町を合併し、現在の市域となった。

 安来市は、古くは出雲国(いずものくに)に属し、その歴史は古く、ヤマタノオロチ伝説の地の一つでもあり、ヤマタノオロチが退治されて埋められた後に八本杉を植えた伝説が「やすぎ」の地名の由来になったという説もある。

 安来の山間部では砂鉄が採れ、古くから「たたら製鉄」という製鉄技術があり、日本刀を生産していた。その技術は、明治以降に「雲伯鉄鋼」、「安来鉄鋼」、「安来製鋼所」を経て「日立金属」安来工場が受け継ぎ、「ヤスキハガネ」(安来鋼)のブランドで製造を続けている。

 安来の郷土芸能として知られる安来節(やすぎぶし)は、「あら、えっさっさー」の掛け声と「どじょうすくい」の踊りで知られる。国道9号線(山陰道)の鳥取県との県境に近い市東部には、道の駅「あらエッサ」がある。「あらエッサ」は安来節の掛け声から来ている。

 安来市には、JR西日本・山陰本線の安来(やすぎ)駅と荒島(あらしま)駅がある。安来駅は、快速「アクアライナー」、「とっとりライナー」や特急「やくも」、「スーパーおき」、「スーパーまつかぜ」、寝台特急「サンライズ出雲」などが停車する主要駅で、駅の南側に日立金属の安来工場がある。駅の北側には中海の安来港がある。

安来エリアの主な駅

安来 / やすぎ 駅
JR西日本 山陰本線

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JR山陰本線・安来駅

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JR山陰本線・安来駅

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安来市内を走る山陰本線

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JR山陰本線・荒島駅

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山陰本線から見た中海

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長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

佐世保
させぼ

日本国長崎県佐世保市

長崎・佐世保 北松浦半島の軍港都市と佐世保バーガーとハウステンボス

 佐世保(させぼ)市は、長崎(ながさき)県北部にある人口約25万人の市。北が松浦(まつうら)市、西が平戸(ひらど)市と北松浦(きたまつうら)郡の佐々(さざ)町、南が西海(さいかい)市と東彼杵(ひがしそのぎ)郡の川棚(かわたな)町、東が東彼杵郡波佐見(はさみ)町、佐賀県西松浦郡の有田(ありた)町、佐賀県伊万里(いまり)市と接している。

 佐世保市は、長崎市に次ぐ県内第2の都市で、佐賀県県庁所在地の佐賀市より人口が多く、九州の中では第9の人口規模を誇る主要都市である。三方を山に囲まれた天然の良港があり、古くから海防の拠点として発展してきた。戦前は海軍の4大軍港(横須賀、呉、舞鶴、佐世保)の一つとして鎮守府が置かれ、海軍の軍港都市だった。戦時中は昭和20年(1945年)3月に米軍から佐世保大空襲を受け、市街地の多くが焼失した。戦後は、軍需産業は造船業に移行した一方で、自衛隊と在日米海軍の基地が置かれ、国防の重要な拠点都市であることに変わりはない。

 軍の重要都市であったことから、明治35年(1902年)とかなり早い時期に市制を施行し、佐世保市が発足した。昭和17年(1942年)に東彼杵郡の早岐(はいき)町と北松浦郡の一部を編入。昭和30年代までに北松浦郡と東彼杵郡の一部を編入して市域を拡大した。平成の大合併では、平成17年(2005年)に北松浦郡の吉井(よしい)町、世知原(せちばる)町を編入、平成18年(2006年)に北松浦郡の小佐々(こざさ)町、宇久(うく)町を編入、平成22年(2010年)に北松浦郡の江迎(えむかえ)町、鹿町(しかまち)町を編入し、現在の市域となった。

 佐世保市にはJR九州の佐世保線と大村線、松浦鉄道・西九州線が通り、JR佐世保線の佐世保、日宇(ひう)、大塔(だいとう)、早岐(はいき)、三河内(みかわち)の各駅、JR大村線の早岐、ハウステンボス、南風崎(はえのさき)の各駅、松浦鉄道西九州線の佐世保、佐世保中央(させぼちゅうおう)、中佐世保(なかさせぼ)、北佐世保(きたさせぼ)、山の田(やまのた)、泉福寺(せんぷくじ)、左石(ひだりいし)、野中(のなか)、皆瀬(かいぜ)、中里(なかざと)、本山(もとやま)、上相浦(かみあいのうら)、大学(だいがく)、相浦(あいのうら)、棚方(たながた)、真申(まさる)の各駅と佐々町を挟んで吉井(よしい)、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)、いのつき、高岩(たかいわ)、江迎鹿町(えむかえしかまち)、すえたちばな、の各駅がある。

 JR佐世保線は、佐賀県の肥前山口(ひぜんやまぐち)駅から早岐駅を経由して佐世保駅へと至る路線であるが、もともと肥前山口~早岐は九州鉄道により長崎へ至る鉄道の一部として建設されたもので、早岐から大村線を経由して長崎へ向かうのがかつての長崎本線のメインルートで、早岐~佐世保が支線の佐世保線であった。しかし、昭和9年(1934年)に国鉄長崎本線のメインルートが肥前山口から有明線経由で諫早(いさはや)、長崎へと向かうルートに変更されたことから、メインルートから外れた肥前山口~早岐も佐世保線の一部となった。このような経緯から、早岐駅でスイッチバックする構造となっている。佐世保線には福岡(ふくおか)市の博多(はかた)駅から特急「みどり」と特急「ハウステンボス」が走り、特急「みどり」が早岐駅でスイッチバックして佐世保駅を結び、特急「ハウステンボス」は早岐駅からそのまま大村線に入ってハウステンボス駅を結んでいる。

 JR大村線は、早岐~大村(おおむら)~諫早(いさはや)をつなぐ路線で、かつては国鉄長崎本線のメインルート、現在は佐世保~長崎を結ぶルートとして重要な役割を果たしており、快速「シーサイドライナー」が佐世保~早岐~諫早~長崎を結んでいる。ハウステンボス駅はオランダをイメージしたテーマパーク「ハウステンボス」の最寄り駅で、風車や水路、庭園が美しく、日本にいながら優雅なヨーロッパのリゾート気分が楽しめる観光スポットとなっている。「ハウステンボス」は平成4年(1992年)に西海市にあった「長崎オランダ村」を移転する形で開園した。ハウステンボス駅は開園した年に開業し博多から特急「ハウステンボス」が運行されるようになった。

 佐世保~伊万里~有田を結ぶ松浦鉄道・西九州線は、伊万里~有田が伊万里鉄道伊万里線、佐世保~伊万里が佐世保鉄道・松浦線として建設され、国有化後に国鉄松浦線となった。北松浦半島の海沿いの町を結ぶローカル路線で、国鉄民営化直後の昭和63年(1988年)に第3セクターの松浦鉄道に移管され、松浦鉄道・西九州線となった。

 佐世保駅はJR九州・佐世保線と松浦鉄道・西九州線のターミナル駅で、JRの最西端の駅。平成13年(2001年)に高架化された。同駅からは博多方面を結ぶ特急「みどり」と長崎方面を結ぶ快速「シーサイドライナー」が発着している。また、かつては東京から寝台特急「さくら」、大阪から寝台特急「あかつき」などが運行されていたが、寝台特急「さくら」は平成11年(1999年)に佐世保乗り入れが廃止され、寝台特急「あかつき」は平成12年(2000年)に佐世保乗り入れが廃止された。

 東京方面はスピード面では飛行機にかなわないので、寝台特急乗り入れ廃止は時代の流れともいえるが、関西方面へは山陽新幹線と結ぶことで直通運転が模索され、長崎県内ではフル規格の九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設(長崎~武雄温泉)が進められている。この長崎新幹線建設は、長崎市にはメリットが大きいが、佐世保は素通りになる懸念があった。そこで、新幹線の標準軌(1435ミリ)と在来線の狭軌(1067ミリ)を直通運転できるフリーゲージトレインの開発が進められ、それにより佐世保にもフリーゲージトレインが乗り入れるはずだった。しかし、車軸が重い高速フリーゲージトレインの開発は難航し、山陽新幹線を運行するJR西日本が速度の遅いフリーゲージトレインの乗り入れに難色を示し、関西直通が否定されたフリーゲージトレイン新幹線構想が宙に浮き、長崎新幹線はフル規格に見直しすることになりそうだ。その場合、佐世保に新幹線が乗り入れることはできなくなり、従来通り博多~佐世保の在来線特急の運転を継続するか、武雄温泉駅からのシャトル列車に乗り換えという形になりそうだが、いずれも現状よりあまり便利にはならなさそうなので、佐世保を縁辺化させない方策を考える必要がある。

 佐世保駅の「みなと口」(西口)は、佐世保港が広がり、西海市の大島(おおしま)や、新上五島(しんかみごとう)町の離島へのフェリーなどが発着している。佐世保港フェリーターミナルに隣接して「させぼ五番街」などの商業施設がある。駅東口には商業施設「えきマチ1丁目佐世保」があり、その北に四ヶ町(よんかちょう)商店街と三ヶ町(さんかちょう)商店街をつなぐ大規模なアーケード商店街「さるくシティ4○3」が松浦鉄道西九州線・佐世保中央駅のほうまでつながっており、佐世保市の商業の中心となっている。

 佐世保駅の北西には「SSK」で知られる佐世保重工業の造船工場があり、佐世保市の産業を支えているほか、海上自衛隊佐世保地方総監部、陸上自衛隊相浦駐屯地、在日米海軍佐世保基地、在日米軍弾薬補給所などの軍事施設が集まり、在日米軍基地には原子力空母や原子力潜水艦、強襲揚陸艦などの軍艦等が配備され、いまも軍港として機能している。

 佐世保のご当地グルメ「佐世保バーガー」は、在日米軍の軍人向けのハンバーガーが広まり、市内に手作りの大きなハンバーガーのお店ができるようになり、それが「佐世保バーガー」として知られるようになり、佐世保を代表するご当地グルメとなった。
 
佐世保エリアの主な駅

佐世保 / させぼ 駅
JR九州 佐世保線
松浦鉄道 西九州線

早岐 / はいき 駅
JR九州 佐世保線、大村線

ハウステンボス
JR九州 大村線 

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佐世保駅から長崎を結ぶ快速「シーサイドライナー」

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佐世保駅から博多を結ぶ特急「みどり」

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佐世保駅松浦鉄道西九州線ホーム

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佐世保駅

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佐世保駅みなと口の「させぼ五番街」

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佐世保港

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佐世保駅東口

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佐世保駅東口の「えきマチ1丁目佐世保」

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佐世保線と大村線の早岐駅

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ハウステンボス

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テーマ : 九州の旅
ジャンル : 旅行

日本 東アジアの島国、瑞穂が美しい経済大国

日本国
にっぽんこく (日本語)

日本 東アジアの島国、瑞穂が美しい経済大国

 日本国(にっぽんこく)は、東アジアに位置する国で、「にっぽん」や「にほん」と呼ばれる。北に日本海、東と南に太平洋が広がり、本州(ほんしゅう)、九州(きゅうしゅう)、四国(しこく)、北海道(ほっかいどう)などの島々から構成される島国である。

 日本の人口は約1億2600万人で、世界の国々の中で、10番目に人口が多い国である。面積は、37.8万平方キロメートルで、人口密度はかなり高い。国内総生産(GDP)は、アメリカ合衆国(米国)、中華人民共和国(中国)に次ぐ世界第3位の経済大国であり、一人当たりGDPは約3万6000ドルで世界第25位前後、一人当たり購買力平価(PPP)換算では、約4万1000ドルの第25位前後で、一人当たりの所得は高いが生活物価も高い国である。通貨は「円」(えん)。

 日本は、東に太平洋が広がり、朝日が美しいことから「日本」と呼ばれ、「日の出ずる国」とも解釈され、これは隣国の「朝鮮」も同様に、海から上る朝日の美しさが国名になっている。日本国旗は、「日の丸」と呼ばれ、白地に赤くて丸い太陽が描かれている。

 日本の公用語は首都・東京(とうきょう)を基準とする日本語で、正式な文書体は共通しているが、日常会話では各地方に方言があり、東北弁、関東弁、名古屋弁、関西弁、広島弁、九州弁など、各地方さまざまな方言がある。さらに沖縄では、「ウチナーグチ」と呼ばれる沖縄方言があり、沖縄語とも呼ばれる。北海道には先住民アイヌが話すアイヌ語があり、日常会話で用いる人はほぼいなくなってしまったが、地名などで生き続けている。このように、日本は大和民族の単一民族国家と思われがちであるが、実にさまざまな言葉が話されている。また、在日韓国・朝鮮人や在日台湾人、在日中国人などの近隣諸国の住民も多く、韓国語(朝鮮語)、台湾語、中国語を話すコミュニティーもあり、多民族の日本社会の一部となっている。

 また、日本領土内に米軍基地が複数あることから、米軍基地周辺では英語のコミュニティーもあるが、一般の日本人は子どもの頃から英語の授業があるにもかかわらず、日常生活で用いられることがほとんどないため英語を流暢に話せる人が極めて少ない。グローバル化していないとも言えるが、一方で日本の文化力の強さの表れでもあり、経済大国でもあるので、日本語を学ぶ外国人も増えており、英語ができないことが逆に外国から日本文化・社会を守る防波堤になっている一面もある。中国、台湾、韓国などは漢字文化圏であり、韓国語は日本語と文法も似ているので、英語よりも韓国語や中国語のほうが日本人にとっては学びやすく、交流が特に緊密である日中、日韓、日台では英語ではなく、お互いの言語で直接コミュニケーションをとる交流が増えている。

 日本の領土は、北緯45度から北緯20度まで南北に細長く、首都の東京は温帯の温暖湿潤気候であるが、北の北海道は亜寒帯、南の沖縄は亜熱帯と、気候の多様性があり、しかも四季が明確で、特に春の桜や、夏の水田、秋の紅葉、冬の雪景色などは美しい日本のイメージとなっている。日本海側の冬は、北西の季節風の影響で降雪が非常に多く、逆に太平洋側の冬は乾燥していて、好天が続く。日本の最高峰は標高3776mの富士山(ふじさん)で、円錐状の地形と山頂部に積もる雪のバランスが非常に美しい。

 日本は日本海を挟んでロシア連邦、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、韓国(大韓民国)と、東シナ海を挟んで中国(中華人民共和国)、八重山諸島の先に台湾と近接しており、小笠原諸島の南にはアメリカ合衆国が統治する北マリアナ諸島がある。北海道の東の離島の北方領土(歯舞、色丹、国後、択捉)は、1945年(昭和20年)以来、ロシアが占領して実効統治を続けているが、日本政府は日本領であると主張し、ロシアに返還を求めている。また、日本海に浮かぶ島根県の竹島は韓国が「独島」として支配しており、沖縄県の尖閣諸島は日本が実効統治しているが、台湾や中国が領有権を主張している。

 本州は九州とは関門トンネルや関門橋、四国とは瀬戸大橋、明石海峡大橋と大鳴門橋、しまなみ海道、北海道とは青函トンネルでそれぞれつながっており、これらの橋やトンネルは日本の物流を支える幹線となっている。また、日本各地に鉄道網が発達し、東海道、山陽、東北(山形、秋田)、上越、九州、北陸、北海道など時速240~300キロの高速で走る新幹線網も整備されている。

 日本の主な都市は、東京(とうきょう)23区が約930万人で、横浜(よこはま)370万人、大阪(おおさか)270万人、名古屋(なごや)230万人、札幌(さっぽろ)195曼人、福岡(ふくおか)155万人、神戸(こうべ)155万人、川崎(かわさき)150万人、、京都(きょうと)145万人、さいたま125万人、広島(ひろしま)120万人、仙台(せんだい)110万人と続く。

 主要都市には鉄道交通が非常に発達し、朝夕の通勤時間帯の混雑は激しい。東京、横浜、大阪、名古屋、札幌、仙台、京都、神戸、福岡などの主要都市には地下鉄があり、また関東圏では京急、東急、小田急、京王、西武、東武、京成など、関西圏では阪神、阪急、京阪、近鉄、南海などの私鉄網が発達している。

 日本の空の玄関口は千葉県の成田空港と東京都の羽田空港で、そのほか大阪の関西空港、愛知の中部空港、福岡の福岡空港、北海道の千歳空港、沖縄の那覇空港などには多くの国際線が乗り入れている。日本航空と全日本空輸が日本の2大航空会社の地位を占め、近年はジェットスター、ピーチ航空、バニラ航空などのLCC(格安航空)もシェアを伸ばしている。

 日本の産業は、「トヨタ」「日産」「マツダ」「三菱」「ホンダ」「ダイハツ」「スバル」などの自動車産業が世界的に有名で、製造業を牽引している。また、「パナソニック」「日立」「シャープ」「ソニー」などの家電、「富士通」「東芝」などのパソコン、「新日鐵住金」などの鉄鋼など、世界的に有名な大企業がグローバルに活躍している。

 一方、農業はコメの自給率が100%で、郊外では水田の美しい田園風景が広がる。また、海に囲まれていることから水産物に恵まれ、サンマ、イワシ、サケ、ブリ、マグロ、イカ、タコなどがよく食され、寿司や刺身などの和食を生んだ。そして日本酒や焼酎、チューハイなど日本料理に合う日本独自の酒文化も発達した。ビールも愛され、キリン、アサヒ、サントリー、サッポロなどがある。日本料理は、味噌汁、焼き魚、刺身、煮物、おでん、鍋物、酢の物、和え物、そば、うどん、天ぷらなどさまざまな調理法があり、居酒屋文化が発展している。また、もともと中華料理だったラーメンは、日本各地で改良されて日本の代表的な料理の一つとなっている。ほかにもカレーライス、とんかつなど洋食が和食化したものもある。

 文化は、歌舞伎(かぶき)、能(のう)、浄瑠璃(じょうるり)、日本舞踊(にほんぶよう)などの伝統芸能のほか、音楽は三味線(しゃみせん)、琴(こと)、笙(しょう)などの伝統楽器や演歌、歌謡曲などは日本的なメロディーが感じられる。一方で、生活の西洋化とグローバル化により、ジャズやロック、ポップスなど音楽は多様化しているが、海外からも日本の流行曲のファンが増えている。

 スポーツは、野球とサッカーが盛んでプロリーグがある。伝統的な国技として大相撲があり、近年はモンゴル人横綱など外国人力士の活躍が目立つ。柔道も国際的スポーツに成長し、日本がメダルラッシュとなる得意競技となっている。マラソンも盛んで、東京マラソンや大阪国際女子マラソンなど日本各地で大規模な国際マラソン大会が開かれている。水泳や体操、卓球などの競技も強く、雪が多く降ることからスキーやスケート競技も強い。近年は、フィギュアスケートの活躍も著しい。また、競馬やモーターボート、パチンコなどのギャンブルも盛んである。

 宗教は、仏教が多く、葬儀やお墓などに密接な関わりがある。一方で、各地に神道の神社があり、祭りや商売繁盛の祈願など、地域生活に根付いている。キリスト教は人口比率では高くないが、日本に伝わった歴史は古く、西洋哲学や西洋文化の受容の中でも日本社会に広く浸透している。

 日本はテレビメディアが発達しているが、新聞の宅配制度が普及していて、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞、中日新聞などの発行部数は数百万部に達するなど世界的に見ても非常に多い発行部数を誇り、影響力も大きい。

 日本の政治は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として世襲制の象徴天皇制があり、一代で一元号を用いており、近代以降は明治、大正、昭和、平成と続いている。政治は議院内閣制で、天皇が形式的に内閣総理大臣の任命などを行うが、選出するのは国会であり、天皇は政治には干渉せず、外国大使の接受や、新年祝賀の儀などの儀式といった国事行為を行う。

 国会は衆議院と参議院があり、内閣総理大臣(首相)が実質的な政治のトップである。議院内閣制のため、国務大臣は基本的には国会議員から選出される。自由民主党、民進党、公明党、日本共産党、日本維新の会、社会民主党などの政党がある。

 日本の歴史は、2500年以上前に天皇制が作られたとされ、「古事記」や「日本書紀」などの建国神話で神武天皇が即位したとされる紀元前660年の2月11日(旧暦1月1日)を「建国記念の日」としている。古代日本は、発掘された土器のタイプから紀元前4世紀あたりまでを「縄文時代」、3世紀中頃までを「弥生時代」とし、弥生時代には本格的に農耕が始まったとされている。続いて、奈良(ヤマト)を中心に前方後円墳の天皇陵が造られた古墳時代となり、2~3世紀に「邪馬台国」の女王・ヒミコ(卑弥呼)が統治していたことが中国の歴史書「魏志倭人伝」などに記されている。6世紀末からは飛鳥時代となり、聖徳太子(しょうとくたいし)が遣隋使を派遣して中国の制度などを採り入れ、十七条憲法など国家体制の基礎を作り、神道とならび仏教も盛んになった。国名が「倭」と呼ばれていたのが「日本」と自称するようになった。

 710年からの奈良時代は、奈良(大和)に平城京が作られ、律令国家の体制が確立され、天皇の政治的権力が固められた。「万葉集」など漢字を用いて日本語の音を表現する「万葉仮名」が用いられた。794年に都が平安京(京都)に遷都され、400年近くにわたる平安時代となり、この間に日本文化の基礎が作られた。和歌や日記、物語など貴族による文学作品も多く作られ、漢字の崩し字から進化した「ひらがな」や「カタカナ」など日本語の表音文字ができて、日本語表記の基礎が確立された。

 1192年には京都を離れ、相模・鎌倉に鎌倉幕府が開かれ、源頼朝(みなもと の よりとも)を征夷大将軍とする武家政権の統治が始まった。その後、北条氏が権力を握ると、二度にわたるモンゴルからの元寇で政権基盤がゆらぎ、後醍醐天皇が政治的権力を取り戻そうと倒幕に動き、鎌倉幕府が滅亡したが、その後、足利尊氏(あしかが たかうじ)が後醍醐天皇と対立する北朝の天皇を擁立して1336年に京都に室町幕府を開いた。その後、南北朝は足利氏の武家優位で統一され、室町幕府は安定し、室町時代には「金閣寺」が建てられるなど豊かな文化が築かれた。その後、応仁の乱をきっかけに戦国時代となり、地方の大名の権力争いで日本国内が流動化した。織田信長(おだ のぶなが)、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が中央政権を握る安土桃山時代を経て、最終的には1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康(とくがわ いえやす)が1603年に武蔵の江戸(東京)に江戸幕府を開き、江戸時代が始まった。

 江戸時代は約265年続き、その間に徳川氏の将軍が15代続いた。日本各地に藩が置かれ、城が築かれ、藩主が領地から一定期間、江戸に出仕する参勤交代の制度により、幕藩体制が固められた。外国との貿易は長崎など一部の港に限定し、日本独自の文化が栄えた。江戸時代末期には米国から開国を迫られ、1853年に日米和親条約を結び、欧米からの不平等条約締結の圧力に直面した。幕府の権威が弱体化すると、京都の天皇による国家体制を目指す尊王攘夷の波が起き、土佐の坂本龍馬(さかもと りょうま)が薩長同盟を斡旋して倒幕の動きを進め、1867年に徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)第15代将軍が政権を天皇に返上する大政奉還をし、薩長による倒幕派が「王政復古の大号令」を発した後、旧幕府軍と新政府軍による戊辰戦争となり、1868年(明治元年)に江戸城が新政府に明け渡された。

 明治維新により、明治天皇が即位し、明治時代が始まると、江戸を東京と改め、1869年(明治2年)に明治天皇は京都から東京に移った。1871年(明治4年)に廃藩置県が行われ、各藩の城は廃城となり、県に再編され、中央集権体制が確立された。また、北方の蝦夷地を「北海道」に改名し、開拓使を派遣して開拓を進めた。北海道の先の千島と樺太については、ロシアと樺太千島交換条約を結び、南下するロシアと国境を定めるた。また、琉球王国だった沖縄は、1879年(明治12年)に沖縄県を設置し、正式に日本領土に編入した。明治新国家建設にあたり、藩閥政治体制を打破し、憲法制定と国会開設を求める自由民権運動が大きな流れとなり、1885年(明治18年)に伊藤博文(いとう ひろふみ)が初代内閣総理大臣に就任し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が制定され、1890年(明治23年)に帝国議会が開設された。
 
 19世紀末、朝鮮では、清国の冊封体制から脱して近代化すべきとする開化派と清との宗属関係の維持を主張する事大派が対立し、1882年に壬午軍乱と呼ばれる兵士の反乱が起き、清は開化派の鎮圧のため出兵し、日本も朝鮮に出兵した。1894年(明治27年)に日清戦争となり、北朝鮮や黄海、遼東半島などが戦場となり、軍の近代化に成功した日本が戦線を有利に展開し、翌1895年(明治28年)に日本が勝利して下関条約を結び、清に朝鮮の独立を認めさせた。また、下関条約では台湾が日本に割譲された。日清戦争の結果、日本領となった台湾は、清国人官僚らが台湾住民と協力して台湾民主国の独立を宣言したが、日本軍が台湾に上陸すると台湾北部から総崩れとなり、唐景崧・初代総統が逃亡。台湾南部で民衆が抵抗を続けたが、劉永福・第2代総統も逃亡し、台湾民主国は崩壊し、台湾を占領した日本は台北に台湾総督府を置き、樺山資紀(かばやま すけのり)が初代台湾総督に就任した。

 朝鮮は、1897年(明治30年)に国号を大韓帝国に改名した。しかし改革がうまく進まず、ロシアが満洲を勢力下において南下拡張するなか1904年に日露戦争となり、日本軍は日本海海戦でロシア軍に勝利し、1905年(明治38年)のポーツマス条約でロシアの南下を食い止めた。日本は樺太の北緯50度以南(南樺太)をロシアから割譲され、関東州(遼東半島)を租借し、南満洲鉄道の権益を得た。

 日本は日露戦争後に韓国に介入して1906年(明治39年)に韓国統監府が置かれ、日本の保護国とされた。当時の国際パワーゲームの中で、日本は韓国併合の動きを強め、日露戦争を境に日本との協力を進めた李完用首相らとともに高宗王を退位させ、1910年(明治43年)には日韓併合条約が結ばれ、韓国は日本統治下に入り、大日本帝国の朝鮮総督府が置かれ、寺内正毅(てらうち まさたけ)が初代朝鮮総督となった。韓国の国王は日韓併合により、日本の王公族となり、皇族に準ずる待遇を受けた。

 大正時代に入ると、民主主義や自由、普通選挙、男女平等などを求める民主化運動が盛んになり、「大正デモクラシー」の時代となった。1925年(大正14年)に普通選挙法が成立する一方で、ロシア革命への警戒から治安維持法が制定され、共産主義などの活動は制限された。第一次世界大戦後の1920年(大正9年)に設立された国際連盟に加盟し、1922年(大正11年)に日本はパラオ、ミクロネシア、北マリアナ諸島などの委任統治を始め、南洋庁を置いた。

 昭和に入ると、公共投資重視の政友会と財政削減重視の憲政会の二大政党制が定着した。一方、満洲では排日運動が高まり、満鉄の並行線が建設された。日本の関東軍は1928年(昭和3年)に満洲奉天軍閥の張作霖が乗る列車を爆破して殺害した。その狙いは軍閥を排除して日本が主導する満洲国を建国することであり、1931年(昭和6年)に日本の関東軍が南満洲鉄道を爆破した柳条湖事件が発生し、関東軍はこれを張作霖の息子の張学良の破壊工作と発表し、関東軍が満洲全土に侵攻した。さらに清国最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀を皇帝に擁立し、1932年(昭和7年)に満洲国の建国が宣言された。中華民国はこれを承認せず、国際連盟がリットン調査団を派遣し、満洲国の存続を認めない勧告案が国際連盟で採択されると日本は国際連盟を脱退した。

 日本が主導する満洲国は長春を新京に改称して首都とし、大規模な開発が進められた。日本からも満洲に開拓団が移住した。一方、中華民国と日本の関係は極度に悪化し、1937年(昭和12年)に北平(北京)郊外の日中両軍が衝突した盧溝橋事件をきっかけに日中戦争(支那事変)となり、国会では国家総動員法が成立し、戦時体制に入った。第二次世界大戦への流れの中、日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結び、ソ連とは日ソ中立条約を締結した。そして1940年(昭和15年)に汪兆銘を首相とする南京国民政府を樹立し、蒋介石政権は重慶に拠点を移して抗日を続けた。中華民国の蒋介石政権を支持する米国が日本に圧力をかけ、米国、英国、中華民国、オランダ(蘭領インドネシア)から石油を禁輸されるABCD包囲網が敷かれ、中国からの全面撤兵を求めるハルノートを突き付けられた日本は、東条英機(とうじょう ひでき)首相が開戦を決断し、1941年(昭和16年)に米国ハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争(大東亜戦争)に突入した。

 日本は蘭領インドネシアを占領して石油を確保し、さらに米領フィリピンや仏領インドシナ、英領マラヤ、英領ビルマなどから欧米を追い出し、アジアの独立を掲げ、現地民の理解と支持をとりつけようとした。1943年(昭和18年)に満洲国、中華民国、フィリピン、タイ、ビルマ、インドなどの指導者を集めて大東亜会議を開催し、「大東亜共栄圏」の建設を掲げた。日本は1942年(昭和17年)の米軍とのミッドウェー海戦以降、敗退が続き、広げ過ぎた戦線が劣勢になっていった。1944年(昭和19年)7月にサイパンが陥落して以降、日本の各都市が米軍の無差別空襲に遭い、1945年(昭和20年)3月には東京大空襲に続いて沖縄に米軍が上陸し、1945年8月6日に広島、同9日に長崎に原子爆弾が落とされ、それぞれ十数万人もの市民が犠牲となり、8月15日にポツダム宣言を受け入れて降伏することが昭和天皇から発表された。一方、8月9日にソビエト連邦(ソ連)がどさくさにまぎれて日本に侵攻し、さらに日本降伏後も樺太や千島、北方四島などが占領され、満洲国にもソ連が侵入し、満洲国は崩壊した。日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下となった。

 日本本土は米国、朝鮮は南が米国、北がソ連、台湾と満洲は中華民国に占領された。満洲や朝鮮、台湾、樺太などに移住していた日本人は日本の内地へと引き揚げを余儀なくされた。一方で、インドネシア独立戦争に参加してアジアの独立を支援した旧日本軍兵もいた。また、満洲などでは日本人兵がソ連軍に連行され、シベリアに抑留されて強制労働させられた。1946年(昭和21年)にGHQ関与の下、日本国憲法が公布され、象徴天皇制となった。

 戦後のアジアは、中国で国共内戦が勃発し、1949年に中国国民党が敗北して蒋介石政権が台湾に逃れ、中華民国政府ごと台湾に移った。内戦に勝利した中国共産党は1949年に中華人民共和国の建国を宣言した。朝鮮では、南が大韓民国(韓国)、北が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として独立したが、1950年から朝鮮戦争が勃発し、米軍が韓国を、中共が北朝鮮を支援し、北緯38度付近で膠着状態となって、1953年に停戦した。

 日本は1952年(昭和27年)に吉田茂(よしだ しげる)首相がサンフランシスコ平和条約に調印し、GHQの占領が終了し、主権を回復した。一方で、日米安保条約により在日米軍基地がそのまま残され、また沖縄は米国による統治が続いた。台湾と樺太は放棄という形になり、引き続き台湾は中華民国、樺太はソ連が統治を続けた。旧日本軍は解体されて、警察予備隊を経て自衛隊に再編された。

 戦後の日本は、農地改革と、日本社会党・民主党の政権時(片山・芦田内閣)の労働改革により、農民と労働者の権利が大幅に改善された。また、1955年(昭和30年)には右派社会党と左派社会党が再統一し、保守合同で自由党と日本民主党が合流して自由民主党(自民党)が結成され、与党が自由民主党、最大野党が日本社会党という「55年体制」が固まり、日本の政治が安定した。岸信介(きし のぶすけ)首相は1960年(昭和35年)に反安保闘争の激しい抗議に遭いながらも米軍の駐留を引き続き認める日米新安保条約に調印した。池田勇人(いけだ はやと)首相は、「所得倍増計画」を掲げ、高度経済成長の波に乗り、公共投資を拡大して経済発展に専念した。これにより反米ムードは薄れ、文化的なアメリカへの憧れを抱く日本人が増えた。1964年(昭和39年)には東京オリンピックが開催され、さらに東京と大阪を結ぶ東海道新幹線が開業し、1970年(昭和45年)の大阪万博開催など、経済発展は日本人の自信を取り戻させた。

 佐藤栄作(さとう えいさく)首相は、1965年(昭和40年)に日韓基本条約に調印し、韓国と国交を樹立した。また、沖縄返還交渉をまとめ、昭和47年(1972年)に沖縄が米国から日本に返還された。続く田中角栄(たなか かくえい)首相は、同年に中華人民共和国を訪問し、国交を樹立。一方で、台湾の中華民国とは断交した。田中首相は「日本列島改造論」を新幹線建設など高速交通網の整備で地方と東京の格差の改称を目指した。新幹線は1975年(昭和50年)に山陽新幹線が博多まで、1982年(昭和57年)に東北・上越新幹線が開業した。

 1980年代は日本経済の好調が続く一方で、国の行政改革と財政再建が課題となっていた。中曽根康弘(なかそね やすひろ)首相は電電公社をNTTに、日本専売公社をJT(日本たばこ産業)に、国鉄をJRに民営化を実現させた。昭和63年(1988年)には青函トンネルと瀬戸大橋が開通し、北海道と四国が本州とつながった。

 1989年(昭和64年/平成元年)に昭和天皇が崩御し、平成時代が始まると、日本は好景気に沸き、バブルの絶頂を迎えるが、1991年(平成3年)にバブル経済が崩壊し、値上がりした土地が暴落し、銀行などが大量の不良債権を抱えることになった。政治改革が叫ばれるようになり、1993年(平成5年)に自民党が下野し、55年体制が終結し、非自民・非共産の連立政権で日本新党の細川護煕(ほそかわ もりひろ)首相が就任した。1994年(平成6年)は、非自民・非共産が結集した連立政権である細川政権、羽田政権から、社会党と自民党が手を結んで社会党の村山富市(むらやま とみいち)首相を擁立することで自民党が政権に復帰した。1995年(平成7年)には阪神大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。自社さ連立政権ながら1996年(平成8年)に橋本龍太郎(はしもと りゅうたろう)首相が就任して自民党が首相の座を取り戻した。1998年(平成10年)は民主党が野党第一党になると、小渕恵三(おぶち けいぞう)首相は自民党、自由党、公明党の連立で政権を安定させ、男女共同参画法、周辺事態法、中央省庁等改革関連法、国旗国歌法など重要法案を次々と成立させ、2000年を迎え、2000円札が発行された。

 2000年代は、小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)首相が構造改革に取り組み、郵政民営化が進められた。小泉首相の在任中は高い人気があったが、過度な新自由主義寄りの政策が徐々に経済格差の拡大などのひずみを生むようになり、その対応策を打ち出せなかった安倍、福田、麻生内閣はいずれも1年前後の短命政権に終わり、2009年(平成21年)に総選挙で自民党が大敗し、民主党が政権を得て、鳩山由紀夫(はとやま ゆきお)首相が就任した。脱官僚を掲げて、事業仕分けや子ども手当、高速道路一部無料化などに取り組んだが、事業継続性や財源の壁に当たり、沖縄米軍基地移転問題についても妙案がなく米国と交渉にならず、迷走した。2011年(平成23年)には東日本大震災が発生し、東北の太平洋沿岸部が津波で甚大な被害を受け、福島第一原発事故をめぐる菅直人(かん なおと)首相のまずい対応が批判された。野田佳彦(のだ よしひこ)首相は2012年(平成24年)に中国や台湾が領有権を主張する尖閣諸島を国有化し、中国が激しく反発して領海侵入などを繰り返したが、国民が領土問題の重要性を認識することとなった。

 2012年(平成24年)の総選挙で自民党が再び勝利し、安倍晋三(あべ しんぞう)首相が再登板すると、積極財政によるデフレ脱却と円安による輸出拡大を進めた。安倍首相は親米路線を重視し、米軍との協力を強化するために集団的自衛権を容認する安保関連法案を成立させた。

(参考:Wikipedia、外務省HPほか)

日本国
にっぽんこく(日本語)
面積:37.8万平方キロ
人口:1億2739万
通貨:日本円
主要言語:日本語(関東方言、関西方言、中部方言、九州方言、東北方言、中国方言、四国方言、北陸方言、沖縄語、アイヌ語、韓国・朝鮮語など)
首都:東京/とうきょう (日本語)(人口920万)

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テーマ : 日本
ジャンル : 政治・経済

東京 西東京・保谷 田無との合併とひばりが丘団地

西東京・保谷
にしとうきょう・ほうや

日本国東京都西東京市

東京 西東京・保谷 田無との合併とひばりが丘団地

 保谷(ほうや)は、東京(とうきょう)都の中部にある西東京(にしとうきょう)市の地区。もともと人口約10万人の保谷市であったが、平成13年(2001年)に田無(たなし)市と合併して人口約20万人の西東京市となった。

 旧・保谷市は旧・田無市の東に隣接し、北と南を包み込む形をしていた。保谷市には西武鉄道・池袋線の保谷駅とひばりヶ丘(ひばりがおか)駅があったほか、西武新宿線の東伏見(ひがしふしみ)駅と西武柳沢(せいぶ やなぎさわ)駅も保谷市に属していた。

 田無市の面積が小さく、生活圏が保谷市とも重なっていたことから、両市の合併が進められたが、その際に一番の課題が新市名をどうするかであり、公募によって、「西東京市」「けやき野市」「北多摩市」「ひばり市」「みどり野市」の5つが候補に絞られた。結局、住民の民意調査により、「西東京市」が最も多く得票し、「西東京市」に決定された。安易な地名という印象はぬぐえないが、民意に基づくプロセスを経ているので、これも民主主義による結果といえるだろう。

 新しく発足した西東京市は、旧・田無市と旧・保谷市のバランスをとりながら施政されており、旧・田無市役所は西東京市役所田無庁舎、旧・保谷市役所は西東京市役所保谷庁舎となっているが、市長室は田無庁舎にあるため、旧・田無市役所が西東京市役所の本庁舎といえ、地図上もそのように表記されている。

 保谷は、古くは「穂屋」や「穂谷」と表記されていたが、江戸時代後半から「保谷」の表記が定着した。保谷は、古くは玉川上水の分水である千川上水を用いた農業が発展し、江戸に野菜を供給していた。保谷は、明治時代の廃藩置県後、しばらくは埼玉県に属していたが、明治40年(1907年)に埼玉県北足立郡保谷村が東京府北多摩郡保谷村に移った。

 保谷に鉄道が開通したのは大正4年(1915年)のことで、武蔵野鉄道・武蔵野線(現・西武鉄道池袋線)の保谷駅が開設された。大正13年(1924年)には武蔵野鉄道・武蔵野線に田無町(たなしまち)駅(現・ひばりヶ丘駅)も開設された。昭和2年(1927年)には西武鉄道・村山線(現・西武新宿線)が開業し、上保谷駅(現・東伏見駅)と西武柳沢駅が開設された。

 これらの鉄道開業により、人口が増加し、昭和15年(1940年)に保谷村は保谷町となり、さらに戦後は東京のベッドタウンとして人口が急増し、昭和42年(1967年)に保谷市となった。旧・保谷市の人口増加は、保谷、田無、久留米(現・東久留米市)にまたがっていた中島航空金属田無製造所の跡地に昭和34年(1959年)に「ひばりが丘団地」が造成され、さらに柳沢に都営団地、東伏見に公団の団地が造成されたことにより、東京都心へ通勤するサラリーマンが多く保谷に住むようになった。

 西武池袋線の保谷駅は2面3線のホームがあり、西の所沢寄りに車両基地が広がっている。そのため、同駅で折り返す電車も多い。準急と通勤急行は停車するが、快速、急行、快速急行(Fライナー)は通過する。また、平日に東京メトロ有楽町線と直通運転している座席指定特急「S-TRAIN」が停車するが、休日の東急東横線と直通運転する「S-TRAIN」は通過する。保谷駅からは西武新宿線の東伏見駅や、JR中央線・三鷹(みたか)駅、吉祥寺(きちじょうじ)駅方面へのバスが運行されている。保谷駅から田無駅へ向かうバスもあるが、本数は少ない。

 西武池袋線のひばりヶ丘駅は、大正13年(1924年)に田無町駅として開設され、ひばりが丘団地の造成に合わせて昭和34年(1959年)に「ひばりヶ丘」駅に改称された。2面4線のホームがあり、準急、快速、急行、快速急行(Fライナー)などが停車するが、千鳥式運転で利用客を分散するため通勤急行は通過する。西東京市を代表する主要駅の一つであり、保谷市と田無市の合併の際に「ひばり市」が候補の一つになったことからも、ひばりヶ丘駅の重要性を示している。駅前には「西友」ひばりが丘店や、ひばりが丘「パルコ」などの商業施設が充実している。ひばりヶ丘駅からは、ひばりが丘団地を経由して田無駅とJR武蔵境(むさしさかい)駅を結ぶバスが頻繁に運行されており、西東京市の南北のバス幹線となっている。一方、ひばりヶ丘駅の北口は狭い道で建物が密集し、少し離れたところにバス乗り場があり、埼玉県新座市の東武鉄道東上線・志木(しき)駅方面を結ぶバスが運行されている。

 西武新宿線の東伏見駅は、もともと上保谷(かみほうや)駅として昭和2年(1927年)に開設されたが、伏見稲荷神社を勧請し、昭和4年(1929年)に東伏見稲荷神社として創建され、これに合わせて駅名も東伏見駅に改称された。2面4線のホームがあり、準急が停車し、急行や通勤急行は通過する。周辺は住宅街が広がり、駅の南側に早稲田大学東伏見キャンパスがある。石神井川が流れ、東京都練馬(ねりま)区側に武蔵関公園が広がっている。

 眼鏡や光学レンズなどの精密機器メーカーで知られる「HOYA(ホーヤ)」は保谷が創業の地である。昭和16年(1941年)に保谷町に東洋光学硝子製造所が創設され、軍需向けの光学ガラスを製造していた。戦後は、江戸切子の技術を応用してクリスタルガラス食器の分野に進出し、昭和22年(1947年)に保谷クリスタル硝子製造所となった。昭和35年(1960年)には光学工業メーカーの合併を進めて保谷硝子となり、眼鏡やコンタクトレンズなどにも進出し、「HOYA」は日本を代表するガラス・レンズメーカーとなった。

西東京・保谷エリアの主な駅

保谷 / ほうや 駅
西武鉄道 池袋線

ひばりヶ丘 / ひばりがおか 駅
西武鉄道 池袋線

東伏見 / ひがしふしみ 駅
西武鉄道 新宿線

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西武池袋線・保谷駅

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西武池袋線・保谷駅

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西武池袋線・保谷駅と車両基地

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西武池袋線・保谷駅北口

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西武池袋線・保谷駅南口

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西武池袋線・ひばりヶ丘駅

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ひばりヶ丘駅を通過する特急「ちちぶ」

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西武池袋線・ひばりヶ丘駅南口

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ひばりヶ丘パルコ

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ひばりヶ丘駅北口の商店街

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ひばりヶ丘駅北口の商店街

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再開発が待たれるひばりヶ丘駅北口

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テーマ : 東京
ジャンル : 地域情報

埼玉 秩父・荒川 秩父鉄道のSLが走るシダレザクラとそばの里

秩父・荒川
ちちぶ・あらかわ

日本国埼玉県秩父市

埼玉 秩父・荒川 秩父鉄道のSLが走るシダレザクラとそばの里

 荒川(あらかわ)は、埼玉(さいたま)県西部の秩父(ちちぶ)市にある地区で、もともと人口約0.6万人の秩父郡荒川村であったが、平成17年(2005年)に秩父郡の吉田(よしだ)町、大滝(おおたき)村とともに秩父市と合併し、新しい秩父市の一部となった。

 旧・荒川村は、旧・秩父市の南西にあり、北は秩父郡の小鹿野(おがの)町と隣接している。秩父市の荒川の上流沿いを走る秩父鉄道・秩父線は、旧・荒川村の地区に浦山口(うらやまぐち)、武州中川(ぶしゅう なかがわ)、武州日野(ぶしゅう ひの)、白久(しろく)、三峰口(みつみねぐち)の各駅がある。

 秩父鉄道は、埼玉県北西部の羽生(はにゅう)~熊谷(くまがや)~寄居(よりい)~秩父~三峰口を結ぶ路線で、荒川地区の路線については、昭和5年(1930年)に三峰口まで開業した。秩父鉄道の沿線は人口が少ないが、石灰石が産出するため貨物輸送の需要が多く、三峰口駅は近くに秩父鉱山があり、鉄鉱石や亜鉛などを産出し、鉱物を索道で三峰口駅まで運んで、三峰口駅から秩父鉄道で貨物輸送していた。

 三峰口駅は、三峯神社(みつみねじんじゃ)への玄関口であるが、三峯神社は旧・荒川村ではなく、隣の旧・大滝村にあり、ここからバスに乗ってさらに約40分かかる。また、旧・大滝村の秩父湖や中津峡も同駅が玄関口となっている。旧・大滝村方面に伸びる国道140号線は「彩甲斐街道」と呼ばれ、奥秩父トンネルや雁坂トンネルを通り、山梨(やまなし)県の山梨市へ抜けることができる。

 三峰口駅は、かつて日窒鉱業の鉱産物を貨車に載せるホッパーの施設があっり、秩父鉱山の鉄鉱石などを貨物列車で運んでいた。現在、三峰口駅には車両基地と秩父鉄道車両公園があり、SL急行「パレオエクスプレス」の蒸気機関車が同駅の転車台を使って方向を変えている。「パレオエクスプレス」は秩父地方にかつて生息していたという恐竜「パレオパラドキシア」にちなんでいる。「パレオエクスプレス」は昭和63年(1988年)以来、春~秋の多客期に毎年運行されている。

 三峰口駅は開業以来の古い木造駅舎が残り、「関東の駅100選」にも選ばれている。平成23年(2011年)には秩父市やSLパレオエクスプレスが登場するアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(あの花)の舞台となり、秩父鉄道は同アニメとコラボした記念切符などを発売し、アニメファンの観光客誘致も進めているが、普段は観光客は多くなく、ローカルムードがいっぱいだ。

 武州中川駅は、旧・荒川村役場だった秩父市役所荒川総合支所の最寄り駅で、かつては三峰石灰産業が貨物を取り扱っていた。武州中川駅から南東約1キロにある清雲寺は、樹齢600年のエドヒガンザクラのしだれ桜が有名で、「清雲寺のしだれ桜」として埼玉県の天然記念物となっている。

 武州中川駅のすぐ近くにある「櫻井太傳治商店」は、ロックバンド「THE ALFEE」のベース&ボーカルの桜井賢さんの実家の酒屋として知られ、秩父『髭三兄弟』である兄と弟が経営しており、「しだれ桜」や「秩父櫻井 髭」などのオリジナル酒も販売され、アルフィーファンとの交流の場にもなっている。道路拡張のため店舗が改築されるようだ。

 このほか、武州日野駅の近くには、道の駅「あらかわ」がある。旧・荒川村は、「そばの里」としても知られ、レストランやお土産屋がある。

秩父・荒川エリアの主な駅

三峰口 / みつみねぐち 駅
秩父鉄道 秩父線

武州中川 / ぶしゅうなかがわ 駅
秩父鉄道 秩父線

武州日野 / ぶしゅうひの 駅
秩父鉄道 秩父線

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秩父鉄道・三峰口駅

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秩父鉄道・三峰口駅の駅前

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秩父鉄道・三峰口駅

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秩父鉄道・三峰口駅

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秩父鉄道・三峰口駅まで乗り入れる西武電車

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かつて活躍した秩父鉄道の車両

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三峰口駅に到着するSL急行パレオエクスプレス

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SL急行パレオエクスプレス

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SL急行パレオエクスプレス

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秩父鉄道・武州中川駅

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秩父鉄道・武州中川駅

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アルフィーファンを歓迎する武州中川駅

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アルフィーファンの聖地・櫻井太傳治商店

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秩父鉄道・武州日野駅

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テーマ : 埼玉県
ジャンル : 地域情報

静岡・伊東 伊東温泉と伊豆高原のシャボテン公園と大室山

伊東
いとう

日本国静岡県伊東市

静岡・伊東 伊東温泉と伊豆高原のシャボテン公園と大室山

 伊東(いとう)市は、静岡(しずおか)県東部にある人口約7万人の市。北は熱海(あたみ)市、北西が伊豆の国(いずのくに)市、西が伊豆(いず)市、南が賀茂(かも)郡の東伊豆(ひがしいず)町と接している。東は相模湾(さがみわん)が広がっている。

 伊東は、伊豆半島の東側にあり、東伊豆観光の拠点都市となっている。東伊豆は、東京からアクセスしやすいことから、古くから観光開発が進んだ。伊東は明治39年(1906年)に賀茂(かも)郡の伊東村が伊東町となり、昭和22年(1947年)に賀茂郡小室(こむろ)村と合併して伊東市が発足した。さらに昭和30年(1955年)に北の賀茂郡宇佐美(うさみ)村と、南の賀茂郡対島(たじま)村を編入し、現在の市域となった。

 昭和13年(1938年)に国鉄伊東線が伊東駅まで開通し、さらに戦後は伊東より南を東急グループの伊豆急行(伊豆急)が建設し、昭和36年(1961年)に伊豆急行・伊豆急行線の伊東~伊豆急下田(いずきゅう しもだ)が開業した。国鉄伊東線と伊豆急線は開業以来、相互直通運転を実施しており、伊豆観光の重要な足となっており、特急「踊り子」「スーパービュー踊り子」が東京~伊東~伊豆急下田を、「THE ROYAL EXPRESS」が横浜~伊東~伊豆急下田を結んでいる。

 伊東市内には、JR東日本・伊東線の宇佐美(うさみ)、伊東(いとう)の各駅と、伊豆急行線の伊東、南伊東(みなみいとう)、川奈(かわな)、富戸(ふと)、城ヶ崎海岸(じょうがさきかいがん)、伊豆高原(いずこうげん)の各駅がある。このうち、伊東駅と伊豆高原駅に特急「踊り子」「スーパービュー踊り子」が停車する。

 伊東駅は、JR伊東線と伊豆急行の境となっている駅であるが、日中は普通電車も伊豆急の車両が熱海~伊東~伊豆急下田を直通運転しており、両線が一体的に運行されている。一方、朝夕はJR東海道線から伊東まで直通運転している。伊東の市街地は駅の東側に広がり、駅前の商店街は飲食店が多く、伊東温泉の温泉街となっており、七福神の像があり、共同浴場巡りも楽しい。その先にアーケード商店街があり、東側に歩いていくと砂浜の海岸が広がる。 

 伊豆急の川奈駅は、旧・小室村にあたり、大倉財閥の別荘だった川奈ホテルと川奈ホテルゴルフコースが近くにあり、毎年4月に「フジサンケイレディスクラシック」が開催されている。川奈駅から海側へ下りて行くと川奈海水浴場がある。また、川奈駅の南には小室山公園があり、近くにサザンクロスカントリークラブがある。

 伊豆高原駅は、旧・対島村にあり、2面3線のホームと、伊豆急の車両基地があり、特急も停車する東伊豆観光の拠点となっている。駅にはショッピングプラザ「やまもプラザ」が併設され、金目鯛などの海鮮が食べられるレストランやお土産屋も充実している。駅前にはバスターミナルがあり、伊豆ぐらんぱる公園や伊豆シャボテン公園方面のバスが運行されている。

 伊豆ぐらんぱる公園は、アスレチックやプール、パークゴルフ、モーターランドなどのアトラクション施設があり、家族連れでにぎわう。

 伊豆シャボテン公園は、サボテンの温室がある植物園と動物園が併設され、動物園には温泉に入浴するカピバラや放し飼いのリスザルなど、動物との距離が近く、触れ合いが重視されている。

 伊豆シャボテン公園のすぐ南に聳える大室山(おおむろやま)は、標高580mの火山で、大室山登山リフトに乗って山頂まで行くことができる。荒涼とした山頂の火口の周りには遊歩道が整備されていて、歩いて一周することができる。大室山では一年に一回、山焼きが行われる。大室山の中腹にある大室山浅間神社は、安産と縁結びの神様として篤く信仰されている。大室山は約4000年前の大噴火で形成された単成火山であり、再び噴火する可能性はないというが、そうとは思えないほどスコリア丘は迫力がある。

伊東エリアの主な駅

伊東 / いとう 駅
JR東日本 伊東線
伊豆急行 伊豆急行線

伊豆高原 / いずこうげん 駅
伊豆急行 伊豆急行線

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伊東駅

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伊東駅・伊豆急「リゾート21」

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伊東駅・特急「スーパービュー踊り子」

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伊東駅

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伊東駅前の伊東温泉商店街

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伊東温泉の温泉街

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伊東温泉の七福神

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伊東温泉のアーケード商店街

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伊東の海岸

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伊豆急から見た相模湾

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伊豆急・伊豆高原駅

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伊豆高原駅に停車する特急「スーパービュー踊り子」

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伊豆高原駅前の「やまもプラザ」

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伊豆シャボテン公園

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伊豆シャボテン公園のガピバラ

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伊豆シャボテン公園のリスザル

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伊豆シャボテン公園のミーアキャット

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伊豆シャボテン公園のサボテン

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大室山リフト山麓駅

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大室山リフトからの眺め

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大室山の頂上

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大室山の火口

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大室山の観光歩道

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大室山の観光歩道

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大室山の観光歩道

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大室山



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時の旅・1980年(昭和55年) 大平首相急死で自民党大勝、モスクワ五輪をボイコット、韓国で光州事件、イランイラク戦争開戦

1980年
昭和55年

時の旅・1980年(昭和55年) 大平首相急死で自民党大勝、モスクワ五輪をボイコット、韓国で光州事件、イランイラク戦争開戦

当時の日本の首相 大平正芳(自由民主党)→ 鈴木善幸(自由民主党)

 1980年(昭和55年)は、大平正芳(おおひら まさよし)内閣総理大臣(首相)の下、1979年のソビエト連邦(ソ連)のアフガニスタン侵攻で冷戦の緊張が高まる中、日本政府はアメリカ合衆国(米国)との「同盟国」関係を強調し、この年にソ連・モスクワで開催されたモスクワ・オリンピックを西側諸国と足並みを揃えてボイコットすることを決定した。

 当時、与党の自由民主党(自民党)は、田中(角栄)派の流れをくむ大平首相派と、それに反対する福田(赳夫)派、三木(武夫)派、中曽根(康弘)派などが対立しており、大平内閣は実質的には少数与党となっていた。そこに最大野党の社会党が5月に内閣不信任案を提出したところ、反大平派が欠席したため不信任案が可決した。これにより大平首相は衆議院を解散し、6月に衆参同時選挙が行われることになった。ところが、大平首相は選挙運動に突入した直後に街頭演説で気分が悪くなり入院。選挙期間中に与党内から大平首相は辞任すべきだという「大平おろし」が起こった。その最中、投票日の10日前に大平首相の容態が急変し、死去した。

 大平首相の急死により、伊東正義・官房長官が総理臨時代理となり、選挙は「弔い選挙」となり自民党が団結し、自民党の同情票も入り、衆参両院で自民党が大勝した。獲得議席は第36回衆議院選挙(定数511)が自由民主党284、日本社会党107、公明党33、民社党32、日本共産党29、新自由クラブ12、社会民主連合3、無所属11だった。第12回参議院選挙(定数250)は、自由民主党135、日本社会党47、公明党26、日本共産党12、民社党11、新自由クラブ3、社会民主連合2、無所属14だった。

 選挙後、自民党は大平首相を追い込んだ反大平派が名乗り上げにくい空気となり、大平首相と田中派を結んだ鈴木善幸(すずき ぜんこう)総務会長が自民党総裁となり、首相に就任した。鈴木首相は最後の明治生まれの首相だった。鈴木首相は、「和の政治」を掲げて派閥のバランスをとりながら組閣した。行政改革に積極的に取り組むとともに、冷戦下の安全保障については「総合安全保障」を掲げ、軍事力のほかにも経済や外交を含めた総合的な安全保障を目指した。

 経済は、トヨタ、ホンダ、日産、ダイハツなどが相次いで自動車の新ブランドを発売し、日本の自動車生産台数が世界1位となった。社会は、静岡駅前の地下街でメタンガスと都市ガスによる大規模なガス爆発事故が発生し、15人が死亡し、200人以上が負傷する大惨事となった。

 交通については、鉄道は3月に東京都営地下鉄新宿線の新宿~岩本町が開業し、京王電鉄京王線と直通運転を始めた。4月に富山地方鉄道・射水線の新富山~新港東口が廃止された。6月に名古屋鉄道(名鉄)知多新線の野間~内海が延伸開業した。9月に北陸鉄道・能美線の鶴来~新寺井が廃止された。10月に品鶴貨物線(品川~鶴見)が旅客化され、横須賀線が品鶴線経由となり、東海道本線から分離した。11月に西日本鉄道(西鉄)北方線の魚町~北方が廃止された。大阪市営地下鉄・谷町線の天王寺~八尾南が延伸開業し、南海電鉄平野線の今池~平野が廃止された。12月、南海電鉄の阪堺線と上町線が阪堺電気軌道となった。

 文化については、音楽は、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」、久保田早紀「異邦人」、クリスタルキング「大都会」、シャネルズ「異邦人」、長渕剛「順子」、海援隊「贈る言葉」、五木ひろし「おまえとふたり」、ロス・インディオ図&シルヴィア「別れても好きな人」、オフコース「さよなら」、谷村新司「昴」、松田聖子「青い珊瑚礁」、さだまさし「道化師のソネット」、田原俊彦「ハッとして!Good」、八代亜紀「雨の慕情」、小林幸子「おもいで酒」、高田みづえ「私はピアノ」、松山千春「恋」、沢田研二「TOKIO」、山口百恵「さよならの向う側」、都はるみ「大阪しぐれ」などがヒットした。1月にイギリスの元ビートルズ(The Beatles)のポール・マッカートニー(Paul McCartney)が14年ぶりに来日したが、成田空港でマリファナ所持で逮捕され、強制送還された。3月に山口百恵が婚約を機に引退を発表した。12月に元ビートルズのジョン・レノン(John Lennon)が米国ニューヨークの自宅前でファンに銃撃されて死亡した。

 スポーツは、ソ連モスクワでモスクワ・夏季オリンピックが開催されたが、前年のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や日本、韓国、西ドイツ、さらには中華人民共和国、イラン、パキスタンなどもボイコットした。その結果、各国のメダル獲得数の上位国はソ連80、東ドイツ47、ブルガリア8、キューバ8、イタリア8、ハンガリー7、ルーマニア6、フランス6、イギリス5、ポーランド3と、東側諸国のメダル獲得が特に目立った。

 野球はセリーグでは広島東洋カープが、パリーグではプレーオフの末、近鉄バッファローズが優勝。日本シリーズでは4勝3敗で広島が逆転優勝し、2年連続2回目の優勝を果たした。大相撲は北の湖が3場所で優勝し、年間最多勝を獲得した。

 世界の動きは、大韓民国(韓国)で1979年に朴正煕(박정희/パク・チョンヒ)大統領が暗殺されてから、「ソウルの春」(서울의 봄)と呼ばれる民主化のムードが高まっていたが、1979年12月に全斗煥(전두환/チョン・ドゥファン)陸軍少将が「粛軍クーデター」で軍の実権を握り、5月に戒厳令を布告。野党指導者の金泳三(김영삼/キム・ヨンサム)や金大中(김대중/キム・デジュン)を逮捕した。同月、全羅南道の光州(광주/クァンジュ)の大学を封鎖した陸軍空挺部隊と学生らが衝突。さらに鎮圧と学生らを支援する光州市民らの対立がエスカレートし、市民がバリケードを築き鉄パイプや火炎瓶で応戦する中、軍は一斉射撃を開始し、市民は武器庫から武器を奪って武装。市民に占拠された全羅南道庁を軍は鎮圧。事件後、首謀者とされた金大中に死刑判決が下されるが、金大中を支援する海外メディア論調と国際世論などの影響により、後に減刑され、死刑は執行されなかった。日本の鈴木首相も、11月に韓国駐日大使と会談した際に懸念を伝えた。光州事件は、後に韓国民主化の重要なターニングポイントとなるが、実際の民主化にはまだ1980年代後半まで待たなければならなかった。

 イランでは、1979年にシーア派によるイラン革命により親米政権が倒され、イラン革命の指導者であるルーホッラー・ホメイニー( روح‌الله خمینی )が最高指導者となり、イスラム共和制を敷き、一方イラクではサダム・フセイン( صدام حسين )が反対派を粛清して独裁体制を築き、9月にイラクがイランに攻め込む形でイラン・イラク戦争が始まった。イランはイラクの石油施設や首都バグダッドを攻撃して反撃を開始。イラン革命に否定的だった米穀や欧州、ソ連はイラクを支援。イラクの隣の産油国であるクウェートもイラクを支援した。一方、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、西側が支持するイラクと断交し、イランに接近した。

 このほか、1月にエジプトとイスラエルが国交を樹立した。4月にジンバブエがイギリスから独立した。7月にバヌアツがイギリスとフランスの共同統治領から独立した。独立後バヌアツはメラネシア社会主義を掲げてソ連に傾斜した。8月にポーランドのグダニスク・レーニン造船所で労働者によるストライキが発生し、独立自主管理労働組合「連帯」(Solidarność)が設立され、ポーランドの民主化運動のきっかけとなった。11月に米国大統領選挙で現職の民主党のジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領が共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)に敗れた。

(参考:Wikipediaほか)

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テーマ : 歴史
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福井・西福井 えちぜんクルサと福井大学

福井・西福井
ふくい・にしふくい

日本国福井県福井市

福井・西福井 えちぜんクルサと福井大学

 西福井(にしふくい)は、福井(ふくい)県の福井市にある地区で、えちぜん鉄道・三国芦原線の福大前西福井(ふくだいまえ にしふくい)駅がある。

 同駅は、昭和3年(1928年)に三国芦原電鉄の西福井駅として開業した。三国芦原電鉄は、昭和17年(1942年)に京福電気鉄道に合併され、平成15年(2003年)よりえちぜん鉄道となった際に福井大学の最寄り駅であることから福大前西福井駅となった。

 福大前西福井駅の駅ビルは昭和54年(1979年)に京福西福井ビルとして建てられ、スーパー「平和堂」西福井店が入っていたが、平成14年(2002年)に閉店してスーパーセンター「みつわ」西福井店となった。平成24年(2012年)に「みつわ」西福井店が閉店し、CGC系協同組合「ハニー」が入る「えちぜんクルサ」に生まれ変わった。

 福大前西福井駅は2面2線で真上に「えちぜんクルサ」の駅ビルがある。平成28年(2016年)より路面区間のある福井鉄道と直通運転を開始し、その際に低床ホームが新設された。福大前西福井駅は、福井大学のほか、福井商業高校や啓新高校の最寄り駅で通学客が多く、福井鉄道と接続する田原町(たわらまち)駅から一駅しか離れていないが、福大前西福井駅と福井市南部や越前市方面が乗り換えなしで結ばれたことによる利便性向上は大きく、同区間の利用者が増える相乗効果が生まれている。

福井・西福井エリアの主な駅

福大前西福井 / ふくだいまえにしふくい 駅
えちぜん鉄道 三国芦原線

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えちぜん鉄道・福大前西福井駅

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えちぜん鉄道・福大前西福井駅

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えちぜん鉄道・福大前西福井駅

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愛媛・今治 今治タオルと伯方の塩、しまなみ海道サイクリング

今治
いまばり

日本国愛媛県今治市

愛媛・今治 今治タオルと伯方の塩、しまなみ海道サイクリング

 今治(いまばり)市は、愛媛(えひめ)県北東部にある人口約16万人の市。西が松山(まつやま)市、南が東温(とうおん)市、東が西条(さいじょう)市と接しており、北は瀬戸内海が広がり、「しまなみ海道」が広島県尾道(おのみち)市とつながっている。また、離島だった岡村島が「安芸灘とびしま海道」で広島県呉(くれ)市とつながっている。

 今治は、かつて伊予国(いよのくに)の国府が置かれ、瀬戸内海の交通の要衝として発展した。江戸時代には、今治藩が置かれ、今治城の城下町として栄えた。四国を代表する工業都市の一つであり、瀬戸内海の交通の要衝であることから造船業が盛んであるほか、「今治タオル」ブランドで知られる高品質なタオルの生産が盛んである。

 今治市は、大正9年(1920年)に今治町と日吉村が合併して今治市が発足した。その後、周辺の町村を編入して市域が拡大し、平成の大合併では、平成17年(2005年)に越智(おち)郡の11町村である波方(なみかた)町、大西(おおにし)町、菊間(きくま)町、玉川(たまがわ)町、朝倉(あさくら)村、吉海(よしうみ)町、宮窪(みやくぼ)町、伯方(はかた)町、上浦(かみうら)町、大三島(おおみしま)町、関前(せきぜん)村と合併して新しい今治市が発足し、現在の市域となった。

 このうち、吉海、宮窪、伯方、上浦、大三島、関前は離島にあたり、「大島」に吉海町と宮窪町が、「伯方島」に伯方町が、「大三島」に上浦町と大三島町があり、「しまなみ海道」でこれらの島どうしがつながり、四国とも陸続きになった。さらに、大三島からは「しまなみ海道」が広島県尾道市の生口島(いくちじま)ともつながり、本州とも陸続きになった。また、離島だった旧・関前村の岡村島が呉市と橋がつながった。一方、伯方島の東の離島の越智郡上島(かみじま)町は、因島(いんのしま)など広島県尾道市側とのつながりが深い地理的背景から今治市との合併構想から離脱した経緯がある。

 今治市には、JR四国・予讃線が通り、伊予桜井(いよ さくらい)、伊予富田(いよ とみた)、今治(いまばり)、波止浜(はしはま)、大西(おおにし)、伊予亀岡(いよ かめおか)、菊間(きくま)の各駅がある。

 今治駅は特急「しおかぜ」「いしづち」が停車する今治市の中心駅で、2面3線のホームがある高架駅である。今治駅の東約1キロに今治城がある。今治城は藤堂高虎(とうどう たかとら)によって築城され、江戸時代初期の1604年(慶長9年)に竣工し、後に松平定房(まつだいら さだふさ)が今治藩主となり、代々松平氏の居城となった。明治2年(1869年)に廃城され、石垣や内堀は江戸時代のままの姿であるが、今治城の建築物はほとんど残っていなかった。昭和55年(1980年)に天守が建てられ、後に御金櫓や鉄御門(くろかねごもん)などが復元された。天守からは瀬戸内海や「しまなみ海道」の来島大橋などが一望できる。

 今治港は、かつては瀬戸内海の離島へのフェリーが多数運航されていたが、「しまなみ海道」の開通で多くの離島が道路で結ばれ航路は縮小傾向にあるが、芸予観光フェリーが今治から大島、伯方島、因島などを今も結んでいる。また、「しまなみ海道」が通らない今治市の離島の旧・関前村方面の大下島(おおげしま)や岡村島を結ぶ今治市営フェリーも運航されている。また、瀬戸内海を通る長距離のフェリーは「しまなみ海道」や明石海峡大橋の開通で道路交通が便利になったことから寄港するフェリーの廃止が相次いで、ほとんどなくなった。

 「しまなみ海道」は、本州四国連絡道路の3ルートの一番西を通るルートで、今治市から橋で瀬戸内海の島々を結び、広島県尾道市を結ぶ約60キロの道路。西瀬戸自動車道という四国と本州を結ぶ高速道路であるとともに、サイクリングロードも整備され、島と島を結ぶ地元の交通機能も果たしている。橋から眺める瀬戸内海の島々の風景が美しく、自転車も通行できることから、近年は世界中から自転車愛好家が集まるサイクリングの聖地となっている。

 「しまなみ海道」のうち、一番早く開通したのは、昭和54年(1979年)の伯方島と大三島を結ぶ大三島橋で、昭和58年(1983年)に因島と向島を結ぶ因島大橋、昭和63年(1988年)に大島と伯方島を結ぶ伯方・大島大橋、平成3年(1991年)に生口島と因島を結ぶ生口橋、そして平成11年(1999年)に向島と本州を結ぶ新尾道大橋、大三島と生口島を結ぶ多々羅大橋、四国と大島を結ぶ来島海峡大橋が開通し、四国と本州がつながった。その後も大島道路など島内の高速道路の整備が行われ、平成18年(2006年)に一本の高速道路としてつながった。

 今治駅前のバスターミナルからは、「しまなみ海道」を経由して山陽新幹線の福山(ふくやま)駅を結ぶ高速バスが運行されていて、広島県への交通も便利になった。「しまなみ海道」がサイクリングの聖地として人気が高いことから、今治駅前には台湾の自転車メーカー「GIANT(ジャイアント)」のレンタサイクルショップがあるほか、西瀬戸自動車道・今治北IC(インターチェンジ)近くの観光施設「サンライズ糸山」がサイクリングターミナルとして、レンタサイクル、レストラン、宿泊施設などがあり、ここから来島海峡大橋が一望できる。

 大島には道の駅「よしうみいきいき館」があり、ここにも吉海レンタサイクルターミナルがあり、サンライズ糸山から大島の「よしうみいきいき館」まで来島海峡大橋を気軽にサイクリングできる。来島海峡大橋は、全長4105mにわたる3連吊橋で、馬島の上を通る。特に四国本島(糸山半島)~馬島を結ぶ来島海峡第三大橋は1570mあり、ダイナミックな景観が広がる。ほかにも伯方島には道の駅「伯方S・Cパーク」、大三島には道の駅「今治市多々羅しまなみ公園」などの道の駅が充実し、サイクリングの拠点となっている。伯方島は「伯方の塩」の発祥の地であり、かつての塩田はクルマエビの養殖場に変わったが、製塩技術は伝承され、製塩工場がある。大三島は三島大明神ともいわれる大山祇神を祀る大山祇(おおやまづみ)神社がある「神の島」と呼ばれ、多々羅大橋を渡ると広島県尾道市の生口島に行くことができる。

 このほか、今治市西部の旧・大西町は、高縄(たかなわ)半島の北西部にあり、斎灘(いつきなだ)に面している。「新来島どっく」大西工場があり、造船業が盛んである。その南西にある旧・菊間町は、「菊間瓦」で知られる瓦の製造が盛んであるほか、太陽石油の石油精製所や菊間国家石油備蓄基地がある石油の町でもある。予讃線の菊間駅の南では海沿いを走り、斎灘の素晴らしい景色が広がる。

今治エリアの主な駅

今治 / いまばり 駅
JR四国 予讃線

大西 / おおにし 駅
JR四国 予讃線

菊間 / きくま 駅
JR四国 予讃線

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JR四国予讃線・今治駅

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今治駅前にあるレンタサイクルショップ

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今治市中心部の街並み

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サンライズ糸山から見た来島海峡大橋

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サンライズ糸山から見た来島海峡大橋

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しまなみ海道・来島海峡大橋

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来島海峡大橋から見た今治市街

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来島海峡大橋から見た瀬戸内海の島々

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しまなみ海道上にある馬島バス停

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サイクリング道もある来島海峡大橋

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大島(旧・吉海町)から見た来島海峡大橋

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大島(旧・吉海町)から見た来島海峡大橋

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大島の眺め

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菊間の瓦

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JR予讃線・菊間駅

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菊間町の眺め

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JR予讃線から見た斎灘の眺め

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